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気になるニュース2021年12月-
910
:
電波ジャッカー 盗聴盗撮暴力団
:2025/06/29(日) 22:43:39 ID:wQyFtEN2
■消滅前に保存を
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■動画 ゴミも情報の宝庫
https://x.gd/hpmwu
TTBジャーナル
https://www.gentosha.jp/article/27014/
幻冬舎plus 2025.03.03公開 占領期日本 三つの闇 斉藤勝久
■GHQが検閲した郵便は2億通 情報管理の裏に隠されたもう1つの目的は…
1945年の 終戦から 1952年までの約 7年間、日本は 連合国軍総司令部(GHQ)の支配下に置かれ、…
この「占領期」の日本を克明に描いた幻冬舎新書『占領期日本 三つの闇 検閲・公職追放・疑獄』より、
内容を抜粋してお届けします。…
◆東京中央郵便局こそ、日本で行われたGHQ検閲の最大の現場だった。はがきや手紙など郵便物が次々と開封され、
日本人の検閲官が 上司の米将校らが分かるよう翻訳して報告していたのである。…
マッカーサー連合国軍最高司令官が率いるGHQで、検閲を扱う本部は G2(参謀第2部)。その下に 民間諜報局
が置かれ、同局に属して、検閲を行うCCD(Civil Censorship Detachment=民間検閲局。民間検閲支隊とも訳される)
があった。CCDには◆郵便、電信、電話の検閲を行う通信部門と、
◆新聞、出版、映画、演劇、放送などの検閲を担当する「PPB部門」があった。「CCDは 秘密機関だった…
英語が出来る日本人がどんどん採用され、47年のピーク時には 8700人に膨れ上がり、その 9割以上は日本人。…
CCDは 廃局と同時に関係文書などを廃棄して、日本からそっと姿を消した。だから、CCDが東京のど真ん中で検閲作業
をしていたのに、日本人には何も分からなかった」 こう語るのは 検閲研究の第一人者で、
米国での GHQ資料調査や 元検閲官のインタビューを行った山本武利・一橋大学、早稲田大学名誉教授である。
専門は 近代日本メディア史・インテリジェンス史で、NPO法人インテリジェンス研究所理事長を務め、著書に
『GHQの検閲・諜報・宣伝工作』『検閲官 発見されたGHQ名簿』などがある。…
GHQによる通信の検閲は 終戦の翌月、つまり 1945年9月から始まり、49年10月まで行われた。山本氏によると、
その間、郵便は約 2億通、電報は 1億3600万通が開封され、電話は約 80万回が 盗聴されたという。CCDは
全国を 三つに区分し、第Ⅰ区が 東日本・北海道、第Ⅱ区が 関西・四国、第Ⅲ区は 九州・中国としていた。
郵便検閲の仕組みを見ておこう。指定された種類・量の郵便物が 全国の郵便局から各CCD本部、支部に毎日集まって
くる。GHQが 要監視と判断した人物、組織名、住所などを載せたブラックリスト(正式名はウォッチ・リスト)
が用意されており、該当するものは開封された。それ以外の郵便物は、名前、住所などから ウォッチ・リストと
何らかの類似性があると判断されると開封の対象になった。それ以外のものは「検査済み」などの印が押され、
一般郵便物として戻され、配達された。手紙の開封は、封の下を ハサミで切って行われた。問題なしと判断される
と、ビニールテープを貼って封をし、「検閲によって開封」などの CCDの印が押され、配達された。
このビニールテープは当時、日本では出回っていなかったので、珍しがられたという。また、速達や書留も多くが開封
された。作業は日本人検閲者が行うが、判別のつかないものは問題個所を英訳して、所属班の責任者に渡した。
◆当初は 班長の多くが 日系2世だった(時間がたつと、日本人班長が増加)。米政府は 戦時中、日本語能力
のあるアメリカ人が極めて少なかったので、アメリカに忠誠を誓う日系人を 強制収容所から解放し、再教育して
軍隊に派遣していた。そうした日系2世が GHQにもいて、日本人職員と 米軍人幹部らの間に立って働いていた。…
日本の世論動向の把握に努めていたGHQは、1946年9月から 全国の郵便を集めて内容を分析し、独自の
“世論調査”を行っていた。毎月、40万を超える膨大な手紙のサンプリング調査で、
政府・議会・天皇制・共産主義・占領政策・占領軍などについて、賛成・反対など、日本人の本音を調べていた。…
マッカーサーは 36歳だった1916年、米国の 第一次世界大戦参戦を前にして、陸軍広報部の新聞検閲官を務めたこと
がある。これが、マスコミ報道の重要性を認識する機会となり、検閲の持つ力と恐ろしさを知る機会ともなった。
米国は「自由の国」と言われるが、戦時中や 一大事が起きた時などに、自国民に対し 検閲を行ってきた。
41年12月、米国は 日本軍に真珠湾攻撃を受けた直後から 郵便、電信、ラジオなどの検閲を開始した。…
この続きは…
https://www.gentosha.jp/series/senryokinippon
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