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気になる事件、事故ニュースから
103
:
通信妨害頻発中 盗撮教団
:2018/05/27(日) 12:27:04 ID:CqehPvqo
(続き)
民族分断に対する抵抗は、一般世論としても、大きく巻き起こります。
危機感を強めた李承晩は、統一派をけん制するため、彼らを共産主義のスパイとして
取り締まりました。1948年の段階で、統一派を消すために李承晩が主にとった手段は、
暗殺と「ヤクザによる恫喝」でした。
◆日本統治時代の朝鮮半島には、日本の統治法制に服しない「ならず者」の集団があり、
闇市でさまざまな物資を流通させて稼いでいました。中国経由でアヘンなども扱っていた
ようです。実質的には一種のヤクザ組織で、朝鮮全土に広範なネットワークと
巨大な組織を形成していました。
戦後、李承晩政権は彼らを取り込み、◆「大韓民主青年同盟」を結成させ、
共産主義に対する白色テロの組織として、半ば公然と支援します。大韓民主青年同盟の
実質的な指導者となったのが金斗漢(キム・ドゥハン)という裏社会の大物で、後に
国会議員になる人物です。
さらに李承晩政権は、◆北の迫害を受けて南に流れて来たヤクザたちを、
同様に北から逃げてきた若者たちとともに「西北青年団 」という組織にまとめます。
李承晩政権は大韓民主青年同盟や西北青年団を利用して、共産主義者や
政権に批判的な者を暗殺したり、恫喝したりしていました。
警察や軍などの正規実働部隊には行動させず、住民票もろくにない(つまり、
不法行為の手がかりが残りにくい)ヤクザに、反対派への示威行動をさせたのです。
李承晩の番犬のような役割を演じた大韓民主青年同盟や西北青年団は、
アメリカからもその存在を認められていました。
政権基盤の弱さゆえの暴走
李承晩が1948年に入り、南部単独での国家樹立を打ち出すと、統一派の反発が南部全域
で強まりました。特に、済州島民は政権批判を強めました。◆済州島は李王朝の時代から
弾圧と迫害の歴史を有しており、反体制的な色彩の強い地域でした 。
李承晩は自分に歯向かう「生意気な」地域の代表として、済州島を選び、見せしめに
島民を大量処刑することに決めたのです。この時、済州島に軍や警察とともに派遣
されたのが西北青年団でした。
◆ヤクザ者の彼らは島民を略奪・性的暴行・虐殺する「自由」を与えられ、その結果、
島民の5人に1人にあたる6万人が殺害されて、済州島の村の大半が焼き尽くされます。
当時の国防長官の申性模(シン・ソンモ)は済州島民の虐殺について、
「西北青年団」が島民に乱暴を働いたことであると答え、軍や警察の関与を平然と否定
しています。済州島 虐殺事件は、この連載でも前に触れた「漢江橋 爆破事件」
「保導連盟事件」と並ぶ、韓国当局による自国民の虐殺事件です。
しかし、李承晩政権下の自国民 虐殺事件はこれだけではありません。
主なものだけでも、以下のようなものがあります。
(続く)
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