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【過去ログ倉庫】三光作戦関連
8
:
鷹嘴
:2011/04/22(金) 00:31:49
Re(2):三光作戦
投稿番号:18684 (2003/07/28 18:28)
投稿者:ノンポリ(三戒?)
さらにゲリラにトコトン苦しめられている「第一線の末端」の兵士は、ゲリラを支援している中国民衆に対して激しい憎悪を抱き、この作戦をより凄惨なものにしました。第三十七師団歩兵第二百二十七連隊・連隊長の皆藤喜代志大佐は、次のように回想しています。
「戦陣における軍人の心の動向は、軍律とは関係なしに、統率の力ではにわかに左右できない奇妙な底流がある。第一線の末端になるほど敵愾心が強く『一般民衆と敵性分子との区別はつくものではない』という民衆に対する不信感や『民族感情の暗黙の対立』、『中国人に対する罪の意識の薄弱』等による粗暴なふるまいがあり、『民心把握の意図の徹底』ほど骨の折れることはなかった」(「北支の治安戦②」P-195)
強姦・個人的な略奪など、お決まりの犯罪も後を絶ちませんでした。「支那事変の経験に基づく無形戦力軍紀風紀関係資料(案)」(昭和十五年十一月 大本営陸軍部研究班調整)では、「特に環境を整理し慰安施設に関し周到なる考慮を払い殺伐なる感情を緩和抑制することに留意す」(同上P-322)と、「慰安施設」の充実の必要を訴えています。
ちなみに「軍紀上特ニ留意スヘキ犯罪」によって処刑された将兵は合計801名に達し、そのうち強姦が108名、「掠奪」が243名ということです。(「軍紀上特ニ留意スヘキ犯罪処刑人員表」(昭和14〜17・10)同上P-323)(その他「対上官犯」が171名、「辱職」が127名、逃亡が243名、その他「奔敵」「利敵」が11名。脱走し八路軍に投降し「日本人反戦同盟(日本人民解放連盟)」に加わった兵士も少なくなかったのでしょう)。
また「北支那方面軍処刑人員増減表」によると、1938年から1942年10月までに処刑された人数は2598名を数えるそうです(同上同ページ)。
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