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【MSN産経】皇室ウイークリー保存所

1避難所管理人★:2012/07/08(日) 13:59:15 ID:???
「MSN産経ニュース」にて毎週土曜日、Web配信される「皇室ウイークリー」の
保存所です。

【皇室ウイークリー】
http://sankei.jp.msn.com/special/topics/premium-14916-t1.htm

72可愛い奥様@避難所生活:2012/07/08(日) 23:21:41 ID:MmZnfG8o
h ttp://web.archive.org/web/20101118113746/h ttp://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/080830/imp0808300822000-n1.htm
h ttp://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/080830/imp0808300822000-n1.htm
【皇室ウイークリー(43)】両陛下、軽井沢でご静養 雅子さまと愛子さまは9月初旬まで那須でお過ごし  (1/4ページ)
2008.8.30 08:20
新幹線で長野県へ向かわれる天皇、皇后両陛下=24日午前、JR東京駅新幹線ホーム(小松洋撮影)
 皇太子ご一家は、那須御用邸付属邸(栃木県那須町)で静養されている。那須地方では折から涼しい日々が続いており、病気療養中の雅子さまにとってもよい気分転換となられているだろう。
 皇太子さまは公務のため一足先に東京にお戻りになるが、雅子さまと敬宮愛子さまは9月初旬まで滞在される。栃木県入りされた20日、那須塩原駅頭でとびきりの笑顔を見せられた敬宮愛子さま。那須での楽しい思い出作りは9月に入っても続く。
 天皇、皇后両陛下は24日から、長野県軽井沢町で静養された。【皇室ウイークリー(42)】でお伝えした通り、軽井沢は両陛下にとっての思い出の地。5年ぶりに軽井沢入りした両陛下は24日、長年にわたって交流を続けてきた地元住民との再会を果たされた。
 両陛下は皇太子、皇太子妃時代から軽井沢に来られるたびに、よく立ち寄られる場所がある。旧満州に開拓団として渡った人々が引き揚げ後に開拓した「大日向開拓地」だ。
 今回のご静養でも初日の24日に訪問された。ただ、この日は午前中から天候がすぐれず、当初予定されていた野菜畑の視察は中止された。そこで急遽(きゅうきょ)、大日向公民館で地元住民との交流の場が設けられることになった。

【皇室ウイークリー(43)】両陛下、軽井沢でご静養 雅子さまと愛子さまは9月初旬まで那須でお過ごし  (2/4ページ)
2008.8.30 08:20
 集まった住民の中には、皇太子、皇太子妃時代から両陛下と交流を持っている人も多く、以前に撮影された両陛下や黒田清子さんの写真を持参してくる人もいた。
 そのうちの一人、大日向区の老人会長、井出久次さん(82)は、皇太子時代の陛下と一緒に写った写真を持ってきた。昭和63年8月31日に撮影されたものだという。「もう昔の話だが、皇太子時代の陛下が私の自宅に寄られたこともある。前の晩に侍従さんから電話があって、『明日うかがいますがよろしいでしょうか』なんていうんだよ」と当時を懐かしむ。
 両陛下がこの場所をたびたび訪問されているのは、人々が旧満州から苦労の末引き揚げ、さらに苦労を重ねて土地を拓いてきた歴史をよくご存じだからだ。陛下は平成15年に大日向開拓地を訪れた際には、
 《開拓につくしし人ら訪ひ来れば雲を頂く浅間山見ゆ》
 という御製(天皇陛下のお歌)を詠まれている。
 開拓民の苦難の歴史は、公民館に併設された「大日向開拓記念館」に残されている。開拓に使われた鍬(くわ)などの農機具やかつての写真が展示されたこの部屋を、両陛下も説明を受けながら熱心にごらんになっていた。
 皇太子、皇太子妃時代の両陛下の軽井沢での滞在先としては「千ケ滝プリンスホテル」が有名だったが、今回は別の民間ホテルを使われた。ただ、西武ホールディングスによると「千ケ滝プリンスホテルは現在も保有しておりますし、今もメンテナンスを行っています」(広報室)という。
 両陛下が例年夏に行かれている那須御用邸には、今年は秋に行かれる予定という。両陛下が紅葉の時期に那須を訪問することを希望されたようだ。

73可愛い奥様@避難所生活:2012/07/08(日) 23:22:07 ID:MmZnfG8o
【皇室ウイークリー(43)】両陛下、軽井沢でご静養 雅子さまと愛子さまは9月初旬まで那須でお過ごし  (3/4ページ)
2008.8.30 08:20
 両陛下が軽井沢に入られた翌日の8月25日は、故秩父宮妃の命日だった。
 故秩父宮妃は明治42年9月9日、駐英大使や駐米大使などを務めた外交官、松平恒雄の長女、節子(せつこ)として生まれた。祖父は、戊辰戦争で最後まで官軍と戦った元会津藩主、松平容保(かたもり)だ。
 父の赴任先であるイギリスで生まれ、アメリカで育ったという国際派だ。しかし、自身の半生をまとめた著書「銀のボンボニエール」(主婦の友社)には、父からは激しい言葉で「会津魂」を植え付けられたという記述もあり、武家の気概も持った女性だった。
 読み方は違うが、名前が大正天皇の貞明皇后の「節子」(さだこ)と同じ文字だったため、結婚を機に「勢津子」に改めている。
 故秩父宮妃は「結核予防会」の総裁を務め、故秩父宮が肺結核で療養生活を続けてきたこともあり、その半生を結核予防にささげた。平成7年8月25日、心不全のため85歳で逝去した。子供がなかったため、秩父宮家はこれで途絶えることになった。
 両陛下は28日に群馬県草津町にご移動。皇后さまは昨年と同様にピアノのレッスンに励まれたが、アフガニスタンで日本人NGOボランティアが遺体で発見される事件があったことを受け、両陛下のコンサートご鑑賞の予定は中止された。
 両陛下は、死亡した伊藤和也さん(31)の両親と所属するNGO「ペシャワール会」にご弔意を伝えるよう、川島裕侍従長を通じて高村正彦外相に要請された。
 各宮家は今週もさまざまな公務を果たされた。

【皇室ウイークリー(43)】両陛下、軽井沢でご静養 雅子さまと愛子さまは9月初旬まで那須でお過ごし  (4/4ページ)
2008.8.30 08:20
 秋篠宮ご夫妻は27日、赴任する駐日タイ大使夫妻と宮邸で会見された。同日夜には、東京・帝国ホテルで開かれた「インドネシア共和国独立記念・日本インドネシア国交樹立50周年記念レセプション」に出席された。
 常陸宮ご夫妻は、福島県檜枝岐村で開催される「平成20年度自然公園ふれあい全国大会」への出席のため、29日に同県入りされた。
 夏休みのため留学先の英国から一時帰国していた寛仁親王殿下の長女、彬子さまは25日、成田発の民間機で英国に向けて出発された。
 桂宮さまは「第53回桂宮杯全日本学生水上スキー選手権大会」に出席のため、29日に秋田県入りされた。
 高円宮妃久子さまと長女の承子さまは29日、横浜市の横浜美術館で開かれた特別展「源氏物語の1000年」の開会式に出席された。


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