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悪液質。朝起き会。

794NONAME:2017/01/05(木) 16:45:57
>>790 >>791 >>793 の続きになる。
前回、宏正会は戦前の天皇中心の国家体制を会の中に引き込んだものであり、会の講師や幹部連中は会長が戦前の天皇に比するような演出をしているとした。
具体的には、会長の姿を「ご英姿」、初代会長の像を「ご尊像」と呼び、会長の椅子には誰も座らせない、黒塗りの会長専用車には会長以外に誰も乗せない、
会長が会館に入る時には婦人幹部は玄関に整列して「お帰りなさい」と三つ指をついてお迎えする、会長が歩く時には何人もの若い壮年会員が取り囲んでいる、会長の言う事は絶対で会員は何も考えずに「直授直行」しなければならない等々、挙げれば切りがない。見方によれば、会長の「天皇扱い」と言うよりも「ヤクザの親分扱い」と言ったほうが合っているかも知れない。
ともかく、会は会長をナチスのヒトラーや北朝鮮の権力者のように独裁的な絶対的な権力者として扱っている。
戦前の日本では「一君万民」といい、天皇一人だけが特別な存在であとは皆平等という建前が取られていた。もっとも天皇の周りには皇族や華族、重臣や大臣という人達がいたが、すべて天皇のご威光に基づくものである。
戦後、極東裁判でA級戦犯として絞首刑となった東条英機をご存知の方も多いだろう。戦時中、総理大臣、陸軍大臣、参謀総長を兼任し絶大な権力を手にしていたが、その東条の帝国議会での発言が参考になる。
「東条といふものは一個の草莽の臣である。・・・たゞ私は総理大臣というふ職責を与へられてゐる。ここで違う。これは陛下の御光を受けてはじめて光る。陛下の御光がなかつたら石ころにも等しいものだ。」
戦前の日本では東条でさえ天皇の信任によるご威光によらなければ権力を行使することが出来なかったのである。
宏正会では「一君万民」をもじって「一会長万会員」ということになろうか。
そのためには会長の次の地位に在る講師の役割が非常に重要となる。
会長を宏正会の「一君」とするためには、次の地位に在る講師が会長を天皇の地位までに持上げなければならない。会員のトップとして会長と会員の在り方を他の会員に示さなければならない。宏正会では「中心に合わす」という指導がなされているが、言葉を替えれば「上意下達」ということである。
独裁体制はピラミッドで表すことができるが、最上の頂点とその直ぐ下の関係を次々と底辺に及ぼして行くことである。会長を頂点とすれば次の地位の講師との関係を次々と下に積み重なっている会員に及ぼして行くことである。
だから戦前の天皇制を会の中に取り入れるためには講師あり方が重要な鍵となって来る。
それでは、新しく出た『倫風』2月号に松岸孝純という講師が「今こそ正しくバトンを引き継ぐ時」という文を載せているのでこれを見ながら考えて見よう。

長くなったので次回に続けることにする。


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