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文化会館の映画上映

4まっちゃん:2006/04/20(木) 17:29:49
「男たちの大和」
製作年度/2005年 上映時間/143分
監督/佐藤純彌、主な出演/反町隆史 、中村獅童
公開日/2005年12月17日=全国一斉

浜村淳
 父の海、母の海が深紅の血の海に染められてゆく。
 その波しぶきから、潮騒から、男たちの慟哭が聞こえて来る。
 彼らは、この戦争のおろかなことを知らず、ただ祖国を死守することのみを、短い人生の大義として花と散って行ったのである。愛するものを守らねばならない。母を、妻子を、恋人を守らねばならない。
 その想いは14、5歳の年少特別兵においては、ことさらに純粋だった。その、りりしさ、いさぎよさは悲壮すぎる。哀れすぎる。いま男たちの「大和」は放縦と堕落の現代に向かって、なにを語りかけようとしているのか。
 昭和16年12月8日、太平洋戦争勃発。この日、世界最大最強と言われた戦艦「大和」が公試運転を行っている。日本の軍部の時代遅れの守旧思想は救いがたい。近代戦は、もはや航空機主力の大勢に突入しているのに相変わらずの「大艦巨砲主義」の幻を抱き続けている。
 その結果、全長263メートル、幅40メートル、主砲以下63砲門、機銃204挺、乗組員3000人余、まさに海に浮かぶ要塞ともいうべき戦艦「大和」が建造された。
 昭和17年6月、ミッドウェー海戦に「大和」出撃。さしたる戦果もあげぬままに日本は敗退、開戦時こそ勝利を博していたものの、この頃より、しだいに戦況は不利になって行った。昭和19年10月レイテ沖海戦に「大和」ふたたび出撃、アメリカ海軍の猛攻にさらされ艦船30隻を失い日本海軍は壊滅状態に転落した。
 「大和」は広島県呉海軍工廠で満身の損傷を修理、次の戦闘に待機する。昭和20年3月ついに米軍は沖縄にまで侵攻。東京、大阪を始め日本各地は米軍機の大空襲で炎上した。
 4月6日「大和」出撃せよ!燃料は片道分しかない。さらに上空を護衛すべき1機の戦闘機もない。乗組員の誰ひとりとして生きて帰れるとは思っていなかった。
 神尾年少兵は父も兄も母までも戦争で失い捨て身の想いで乗艦して来た。西年少兵は貧農の母に給料のすべてを送り届け思い残すことなく死の覚悟を固めていた。唐木二等兵曹は富山から駆けつけた岸壁の妻子に遠くから手を振るだけの別れを告げて来た。内田機銃射手はレイテ戦で左目を撃ち抜かれ入院中ながら脱走して「大和」にやって来た。それぞれの男たちが、それぞれの人生を断ち切って死地に旅立つ姿の勇壮さ。すがすがしさ。
 4月7日、東シナ海は地獄と化した。まるで猛鳥の群れが動きもとれぬ瀕死の巨鳥をなぶり殺しするように間断なく舞い降り舞い上がり爆弾、銃弾、魚雷で攻撃を続ける米軍機。ついに「大和」は巨体を横倒しにしたまま340メートルの海底へ沈んで行った。  いま余りな腐敗の我国においてこそ、この時代の生死観を照合し、少しでも人間としての魂の回帰を計ってもらえれば男たち。の挽歌もまた、やむことだろう。佐藤純彌監督の演出が気力と気迫に満ちている。


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