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創価(ソンテヂャク経営保険金殺人裏社会)学会・崩壊促進スレッド

378mifune:2014/03/22(土) 09:24:41 ID:sURxo6aQ0
「協友会」は偽りで「郷友会」が本当である(4)

 分かりにくいかもしれないから、詳しく書くと、
 若かりし池田太作は「協友会」という読書会に入ったのではなく、「郷友会」という右翼の集団に入ったのである。
 すなわち、池田太作は全く文学青年では無く、池田太作は右翼の活動家すなわちヤクザもどきであったのである。
 今、右翼の活動家は、ほとんどが朝鮮人、韓国人、および統一協会会員で構成されています。池田太作はそれに入ったのであり、池田太作は「協友会」という読書会に入ったのではありません。池田太作の講演には「若かりし頃、私は文学に凝っており、「協友会」という文学青年の集まりに参加しており、そこの指導者は東大卒の人だった」と成っているはずですが、実際は、「郷友会」という右翼組織に入っていたと言うことです。
「郷友会」の指導的人物は確かに東大卒です。
 その指導的人物は「須山秀吉」という笹川良一氏の国粋同盟の青年隊長であり、右翼のホープとして期待された人物でしたが、 結核に罹患し、東村山のキリスト教系である白十字病院で亡くなりました。
「須山秀吉」は「愛宕山事件」という日本がポツダム宣言を受諾した1945年8月14日に起こった事件の実行人(実行犯?)の一人であり、その事件の実行人の唯一の生き残りです。
 この事件で、天皇の玉音放送がなされた8月15日、徹底抗戦派の陸軍の策謀は、阿南陸相の自決によって回避された。 だが、降伏に抵抗する一部の右翼と軍人は東京の港区の愛宕山に立て籠もり徹底抗戦を叫んだ。

 指導者は右翼の尊壌同士会の「摺建富士夫」であり拳銃や日本刀・手榴弾で武装してクーデターの発生を期待したが 、警官隊に包囲され、児玉誉士夫氏の説得も失敗に終わり、警官隊の一斉攻撃のまえに、 全員輪になって手榴弾を使用し爆死した。
 11人のうち生き残ったのが「須山秀吉」ただ一人だったのです。


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