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創価(ソンテヂャク経営保険金殺人裏社会)学会・崩壊促進スレッド

317mifune:2014/01/17(金) 11:49:52 ID:9VhC5H.E0
(封印された池田大作の歴史)

池田大作が若かりしころ『協友会』という読書サークルに参加しており、東大出身のリーダーを中心に政治・経済等の意見を発表しあい知識の吸収にいそしんだ、ということが三文小説の『人間堕落』の第二巻に載っているが、人間堕落のなかで唯一異常な表現になっている。人間堕落は人名以外は全て実名を使用しているのだが、この協友会のみはウソであり、事実は『郷友会』という右翼の集団であり、リーダーは『須山秀吉』という、愛宕山事件の生き残りであり、0000氏・藤吉男氏等の、右翼の大物に近い存在であった。

この右翼の須山秀吉こそ、池田大作の精神形成における、初期の師匠だったのである。『愛宕山事件』というのは、日本がポツダム宣言を受諾した1945年8月14日。更に天皇の玉音放送がなされた8月15日、徹底抗戦派の陸軍の策謀は、阿南陸相の自決によって回避された。だが、降伏に抵抗する一部の右翼と軍人は東京の港区の愛宕山にたてこもり徹底抗戦を叫んだ。

指導者は右翼の尊壌同士会の『摺建富士夫』であり拳銃や日本刀・手榴弾で武装してクーデターの発生を期待したが警官隊に包囲され、0000氏の説得も失敗に終わり、警官隊の一斉攻撃のまえに、全員輪になって手榴弾を使用し爆死した。11人のうち生き残ったのが須山秀吉ただ一人であった。後に郷友会を設立し右翼思想を宣布することになるが、その弟子のなかに池田大作がいたのである。

池田大作は銀座にあった0000氏の国粋同盟の事務所に出入りいて、彼は右翼によって政治の洗礼を受けたのだ。郷友会の須山秀吉は、選挙では豚箱に入る覚悟でなりふり構わず猛然とやらなくては勝てない、選挙は勝つか負けるかだ、との言が口癖であったものだ。因みに須山秀吉は0000氏の国粋同盟の青年隊長であり、右翼のホープとして期待された人物だったが、結核におかされ、東村山のキリスト教系である白十字病院で亡くなった。池田大作の作った歌に『森ヶ岬海岸』という美しいメロディーの歌がある。山本伸一名で書かれたこの詩は、右翼の郷友会の活動拠点であった森ヶ岬海岸を偲んで作られた詩である。若き日の池田大作がキリスト教の友人を折伏したが、頓挫したことを歌ったものではあるが、これは須山秀吉を偲んだものだったのだ。

池田大作は0000氏・0000氏とは晩年まで親交をつづけ、池田大作に国連平和賞の貰いかたを教えたのは、00氏ということである。


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