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八鹿高校事件ホームページのために

30葉寺覚明</b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/09/27(土) 09:03
「解放の道」(1973/12/10)より。

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小森竜邦らを告訴
白昼、50人をひきつれ 教員室へ乱入、暴行

 【府中】小森竜邦が先とうにたって県立戸手高業高等学校で集団暴力をひきおこした問題について、被害をうけた和田嘉郎教諭は、六日午後八時、服部憲弁護士らとともに、府中警察署にたいし暴行傷害罪で告訴しました。
 小森を首謀者とする集団暴力事件は、告訴状によると、四日午前十時ごろ、まず、小森一派の弘中忠夫(新町町議)ら約十人が、戸手高業高校二階の教員室に乱入、つぎの授業を準備中の教諭に「校長はおるか」「おまえら、部落の子どもをいじめているんじゃねえか」などと叫びました。
 なんのためにきたのか、理由は不明ですが、かれらの叫んでいることばから推察すると、同校の生徒の一人が部落を差別する用語をつかったことを「教師の責任」として調査するのが目的であることがわかりました。このため教諭たちは「ご父兄以外の方はお引きとりください」といって、父母との話しあいに応じようとしたところ、広中は和田教諭(四〇)の左腕をつかんで「何をこきよるなら、外に出い」とつよくひっぱり、ひきずりだそうとしました。
 つづいて約二十人をひきつれて乱入してきた小森竜邦は、「暴力をやめろ」と制止した和田教諭の左腕をつかみ「嘉郎、出え」とひっぱり、右ほほを左手で平手打ち。和田教諭は「小森、叩いたの。暴力はやめい」と抗議したため、小森は一瞬ひるみましたが、こんどは広中が和田教諭の左あごを右こぶしで二度もなぐりつけて負傷させました。
 小森らは、このほか六、七人いた教諭を一人づつ、約五十人でとりかこみ、ひきずったり、こずいたり、「すわれ」「立て」「気をつけ」などの蛮行をはたらきました。このため、授業のすんだ教諭らは教員室に入れず、三時間目の授業は一時マヒしました。小森に動員された五十人のなかには、町役場の課長などの顔もみえました。
 被害をうけた和田教諭は「神聖な教育の場でこのような乱暴を働いた小森一派を許せない」と、きびしい処分を要求しています。
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