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三国志Ⅸ 公孫度伝
1
:
野に咲く一輪の花
:2013/12/11(水) 23:03:39
三国志Ⅸ PC版 PK
公孫度を君主としたリプレイ&二次小説。
95
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 14:59:34
☆☆☆☆大きすぎた代償10☆☆☆☆
捕らえられた法正は、直ちに曹操の下へ送られた。
「法正よ、お前の軍略、智謀、そのすべてを捧げて、我に仕えよ」
曹操は法正を口説いた。
法正は元々劉備に心底惚れ込んだわけではなく、その進言をよく用いられたので仕えたのである。
法正には一つの思いがある。
『智謀をもって、名を知らしめる』
曹操はよく人を用いる。
法正は曹操の申し出を許諾した。
法正が降ったことに、劉備陣営では、法正の家族を捕らえ法に照らすことを提言したが、劉備はそれを拒否した。
一方、公孫度は顔良の説得にことごとく失敗していた。
公孫度陣営は、顔良の説得を諦めかけた。
そんなある日の事である。
ここ最近の連日の説得から開放され牢の中で顔良は考えていた。
『公孫度といい、その臣下といいここには袁紹様にはないものを持っておる』
その考えが中断されたのは、一人の男が入ってきたからである。
男は千鳥足で、酒息がした。
「お前、またこのわしを説得しにきた者か?」
顔良は半信半疑に問いかける。
「説得ぅ?なわけあるか・・そんなことよりまず飲め」
そう言って男は、用意してあった杯に酒を注いで顔良の前に置く。
自身もそのまま別な杯に酒を入れて、飲んだ。
『なんとも風代わりな奴よ』
顔良は男をじっと見ながら、
「公孫度は袁紹様と比べるとどうか?」
つい問いかけてしまった。
顔良も問いかけた後、驚いた。
『わしは何を問いかけしているのだ』
男は、なおも飲みかけながら、
「公孫度ぉ?袁将軍と比べれば、まだまだよぉ。肥沃な冀州(キシュウ)と違い、たかが辺境の地を治めているのに過ぎない」
「お主、公孫度の配下であろう?」
この予想しえない答えに顔良は苦笑した。
「だがなぁ、数年後には立場は逆転するだろうなぁ」
男は聞き捨てならぬことを言った。
「なぜだ。支配する土地は強勢、兵も多い。なぜ袁紹様が負けるのか?」
「袁紹は人材を好むようで、猜疑心が強い。よって、人を使いこなせぬ。一方で公孫度様はよく人の進言を聞き、人を用いる。
袁紹は策を好むが、決断は遅い。公孫度様は良策をよく聞き、決断は早い」
『猜疑心が強いか・・・』
顔良は苦笑した。
酔っ払いの言うとおりである。
『この酔っ払いのような奴も袁紹様の下では、その才を活用出来ないであろう。主君が臣下と共にあるか・・・』
「公孫度殿に会わせて頂けないか」
顔良は澄みきった表情でそう言った。
「もう少し考えたほうがいいんじゃないかぁ」
男は奇妙な事を言った。
顔良は苦笑した。
「いや、これ以上は無用だ。もう決断している。ところで、おぬしの名は?」
「徐貌(ジョバク)と申す」
徐貌(ジョバク)は、なおも酒を飲みながら答える。
顔良が公孫度陣営に加わったのは、その数日後のことである。
96
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 15:01:47
☆☆☆☆大きすぎた代償11☆☆☆☆
法正、曹操に降る。
顔良、公孫度に降る。
この2つの報は、劉備陣営、袁紹陣営に衝撃を走らせた。
劉備陣営に取っては、法正という軍略家を失ったことは一つの都市を取ったとはいえ敗退に近いことであった。
劉備陣営には、数多くの猛将がいるが戦略に長けた人物は、法正ただ一人であった。
これにより法正が武都を攻略した後に描いた戦略が白紙になってしまった。
一方、袁紹陣営でも顔良という古参の将が敵に寝返るという事態に混乱していた。
ただでさえ、先の戦いで敗北した事により、南から曹操の圧力が日増しに高まっているばかりではなく、北の公孫度も南への進出する動きを見せていたからである。
『そんな中で誰を信じればいいのか』
一方、薊(ケイ)の太守府で文醜は思った。
『顔良よ、お前がそこまで追い詰められていたとはな』
文醜は、顔良の家族を捕らえるようにという袁紹の指令を無視し、自宅軟禁とした。
その上で、強い決意を持った。
『わしの意地、見せてくれよう』
その文醜の前に、公孫度軍8万5千の軍勢が迫る。
対する文醜2万。
文醜は、かつて顔良と共に袁紹軍の双璧とも呼ばれた猛将である。
その猛将の意地が、薊(ケイ)の地を紅蓮へと染めていく。
幾度となく城壁に押し寄せる公孫度軍。
それを跳ね除ける文醜。
古来より堅固な城を攻略するのは、多くの兵をもってしても攻略は容易ではない。
その上、文醜の孤軍奮闘の働きにより、公孫度軍に甚大な被害が発生した。
『ここまで堅いのか、文醜の守る城とは?』
戦陣を任された閻柔に攻撃を集中する文醜。
閻柔の軍が瓦解する。
公孫度は堪りかねて、退却の決断をしようとした。
それを止めたのが、陳宮である。
「苦しいのは、敵も一緒です。袁紹はまだまだ華北で兵を増強出来る一方、我々にはその余裕はありません。
すなわちこの戦いから退けば、袁紹は戦勝の勢いで兵力を増強し遼東を蹂躙するでしょう。
そうなってしまえば、我々に打つべき手はありません」
公孫度は、陳宮の言を採用し、薊(ケイ)への攻撃を緩めなかった。
その決断は同時に公孫度軍をさらなる紅蓮へ導く。
多大な犠牲を強いたこの薊(ケイ)攻防戦は、公孫度軍によって陥落したのである。
この戦いは、197年下旬から開始され、197年9月中旬まで続いたのである。
文醜は、陥落寸前に城から脱出した。
公孫度軍は勝利した。
しかし、あまりにも多くの犠牲を払った。
公孫度を始めとして、多くの者が満身創痍であった。
「ここまでの戦いをしてまでわしは戦わねばならないのか」
公孫度に迷いが生じた。
これを見た沮授は、
「我々が戦うのは、戦のない世の中を作ることにあります。お気を強くお持ち下さい」
そう言って主君を励ました。
「そうだったな、沮授。わしが迷えば、それだけ遼東のみならずこの地の民が絶え間ない戦火に巻き込まれる」
公孫度の目にまた力強さが戻る。
この地は、また厳しい冬を迎えるだろう。
だが、またその先には春が訪れる。
「まずは、この地を復興させる」
公孫度はそう命じた。
公孫度の臣下一同は、深く敬礼した。
97
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 15:05:10
☆☆☆☆大きすぎた代償12☆☆☆☆
公孫度が文醜と薊(ケイ)での死闘を繰り広げられていた頃、南方でも一つの戦いが終止符を打った。
孫堅軍と桂陽の戦いである。
この戦いは、先の蔡ボウの陸口攻めにより陸路桂陽からも進軍してきたことに対して、手薄になった桂陽を攻略すべく発動した戦いである。
桂陽には、守備兵1万しかおらず、桂陽太守趙範は遠征中で不在であった。
対孫堅は10万の軍勢で柴桑及び山越方面から兵を出した。
圧倒的な軍事力の差。
この勝敗は、誰の目にも明らかなはずであった。
しかし、この戦いの勝敗は桂陽側の勝利になる。
それは、まず桂陽の城が堅固であったこと。
次に荊州南郡の太守、長沙の韓玄、武陵の金旋、零陵の劉度からの救援が来たのである。
加えて、先の戦いに乗り気ではなかった趙範の遠征軍が引き返してきたのである。
荊州南郡の意思が堅いことを察した孫堅は兵を退いた。
ここに、桂陽の戦いは終息を迎える。
桂陽に大きな傷を残し、孫堅軍は予想外の損害を蒙った不毛な戦いであった。
「郭嘉(カクカ)よ、お前の読みも半分は外れたな」
ところ変わって、ここは高唐の曹操の陣幕。
「はい、まさか敵があそこまで奇策を弄するとは、思いもよりませんので」
郭嘉(カクカ)は率直に非を認めた。
「その奇策を編み出した者も我が掌中にある。いずれにしても武都を失ったといえども、当初の戦略目的は果たせたようだな」
曹操の中に武都を失った落胆はない。
むしろ、法正という謀臣を手に入れたことの喜びが大きかった。
「曹操殿、これで当面は劉備の雍州(ヨウシュウ)への侵攻は抑えられましょう。この機にまた不穏な動きを見せている馬騰を討伐すべきでしょう」
郭嘉(カクカ)は、張既などの外交努力で抑えていた馬騰が、反逆の兆しがあることを正確に掴んでいた。
ゆえに馬騰を討伐する為に、その戦いに介入させないように劉備軍に痛手を与えたのである。
「うむ、これで袁紹と公孫度との戦いを見守りながら、孫堅との対決に備えることが出来よう。その為には・・・・」
曹操の答えに満足したのか、郭嘉(カクカ)は静かに敬礼する。
時代はさらなる戦いを欲しているのか、英雄達の戦いは新たなる局面を迎えるのである。
98
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 16:18:41
☆☆☆☆驟雨降りて1☆☆☆☆
「勅令である。公孫度を幽州州牧と任ずる」
使者の声が政堂の中に響き渡る。
時に197年10月のことである。
ある意味、この10月が各群雄の分岐点になった月でもある。
今まで静観していた馬騰、劉表、孫堅が一斉に曹操との戦端を開いたからである。
それと合わせた様に献帝よりの使者が来たのである。
恭しく勅令に応じる公孫度。
ここで時は少し遡る。
「どうやら敵は予測以上でしたな」
「郭嘉(カクカ)よ、だがその計略もすべては一人の男から発案されたようだな」
「御意。恐るべき人物がいたものです」
「惜しむらくはその大略が続けることが出来なくなったことだな」
「馬騰、劉表が動くようですな」
「馬騰はともかくとして、あの日和見な劉表が動くとはな」
「蔡ボウを炊きつけたのでしょう。なかなかの男です」
「まったく法正という男、まだこのような者がおったとはな」
そう言うのは、曹操である。
先の戦いで曹操は思いがけず法正という者を降らせた。
その後、馬騰が反乱することを予測していた曹操と郭嘉(カクカ)であるが、劉表までも劉備と連動する動きがあることが発覚したのである。
そして、曹操陣営がもっとも恐るべき相手も動くことが。
「これに対処すべき手はすでに打ってあります」
郭嘉(カクカ)は涼しげに言った。
「それもあるが、北の動きが気になるな」
曹操は眉をひそめた。
「袁紹と公孫度ですな。袁紹は敗れその勢力は衰えたといえども、まだ20万以上の軍勢が各地に点在しております。
また、公孫度は今や北から幽州を制覇し、勢いが盛んです。この二者が競合することはないと思いますが、南方がここまで騒がしくなってくるとそちらに兵を割かねばならないでしょう。
その対策も考えています」
郭嘉(カクカ)が自信を持って言ったのにも限らず、曹操の眉間の皺は厳しかった。
「曹操殿?」
心配になり声をかける郭嘉(カクカ)。
「いや、公孫度のことを気にしてな。奴はまさに・・・・」
曹操が言いかけた時、伝令がある人物の到来を伝えた為、中断することになる。
曹操は、一瞬驚きの表情を見せたが、すぐ平静の顔に戻った。
99
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 16:20:36
☆☆☆☆驟雨降りて2☆☆☆☆
曹操を訪ねた相手こそ荀イクであった。
荀イクは、曹操の股肱の臣にして、多くの優秀な人材を推挙した人物である。
郭嘉(カクカ)もその一人である。
曹操が董卓の軍勢を手中にし、漢帝国の実権を握ると、曹操は荀イクを侍中・尚書令に任じていた。
そんな曹操と荀イクの関係であるが、曹操が魏公に就任した時から距離が離れたと言われる。
事実、荀イクは曹操の魏公就任に反対している。
それ以来、どこか疎遠になっていた。
その荀イクが軍の慰問として訪れたのである。
曹操は、荀イクを余人を交えず談話した。
「久しぶりだな、荀君」
曹操は敬愛を込めて、荀イクをそう呼んだ。
「お久しぶりです、魏公」
荀イクは、深く敬礼した。
「荀君が慰問に訪れるとは、聞いていたが火急の要件とは?」
曹操は佇まいを改めた。
「魏公は、公孫度のことをどう思われますか?」
荀イクの突然の質問に一考した曹操は、
「袁紹より上であろうな。華北の覇権を争う真の敵は公孫度であろう」
曹操の返答に静かに頷く荀イク。
「魏公のおっしゃるとおりです。ただ、袁紹も衰えたといえども、まだ数十万の軍勢を出せる底力があり、公孫度もまたその勢いは油断ならないでしょう。
南方の劉表、孫堅までも叛き、今西方では馬騰が再び叛きました。この情勢化に魏公が華北より撤退したところでどの群雄も不思議に思わないでしょう」
荀イクの進言に静かに聞く曹操。
「なるほど、荀君の狙いがわかったぞ。袁紹と公孫度を争わせるためには、我が軍が華北に大軍を擁して駐留していては互いに警戒して争えないわけだな」
曹操の進言に頷く荀イク。
「だが、荀君、進言は有難いのだが、君は魏公就任の折に反対して以来、そのなんというか・・・」
曹操は歯切れ悪く、言葉に詰まった。
荀イクはそれを見ながら、爽やかに言った。
「魏公、あれはあくまでも漢の一臣として申したまでです。天命は絶えず動いております。曹公がその天命を受けるときには、私は天命に従います。
それに・・・・」
荀イクの言葉を聞いた曹操は驚きの表情で、
「そうか、荀君がそこまで考えてくれたとはな」
曹操は何度も頷いた。
「公孫度ですが、幽州を制覇したことですし、ここは彼を一時的だけでも懐柔致しましょう」
荀イクと曹操はその後大いに語り合った。
100
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 16:23:18
☆☆☆☆驟雨降りて3☆☆☆☆
公孫度陣営で州牧就任について様々な意見が交わされた。
その多くが曹操の意図するところを正確に洞察していた。
『公孫度よ、まだ戦いの時ではない。そこのところを理解しているのか?』
公孫度は群臣が様々な意見や今後の展開を述べる中で、一つの思いが蘇ってきた。
それは、亡き公孫旺のことである。
公孫度は、今まで政務の忙しさに没頭し、極力その事から目を背けていた。
群臣も極力その事に触れないようにしてきた。
先に沮授が公孫度の前で公孫旺のことを触れたのは、それがわかってもなお言わざるを得ないと判断したからである。
公孫度も州牧就任に伴い、ようやく華北の覇権を賭け袁紹、そして曹操と本格的に戦うその用意が出来た。
だからこそ向き合う覚悟を決めた。
それは、大兄公孫旺の死の事である。
101
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 16:27:02
☆☆☆☆驟雨降りて4☆☆☆☆
公孫旺が亡くなったのは、董卓が洛陽にて実権を握る前の187年のことである。
時代は、黄巾の乱終結後も各地ではまだその余波が続いていた。
公孫旺は病にかかり、闘病生活を送っていた。
慣れない気候風土が彼を病へと誘ったのか、あるいは彼の天命なのか。
余談になるが、後に公孫度を評価した孔融が遼東へ亡命し、その数年後に亡くなることを考えると環境の変化が病を蝕んだとも考えられる。
孔融の死は、今で言う蕁麻疹の一つであったとされ、その為孔子の子孫にしては質素な葬儀であった。
話は公孫旺に戻す。
公孫旺は、自らの死期を悟ったのか、多くの群臣を呼び事後のことを話したとされる。
また、多くの法令を見直し、それを修正・加筆していった。
この公孫旺が作った法令集は、当時託された本人が一番驚いていたのだが陳宮に委ねられた。
陳宮は最初固辞したのだが、公孫旺が彼を説得したとされる。
そして、運命の時。
公孫度にとってこの日は忘れたくても忘れられない日になった。
珍しく秋にしては暖かい日であり、陽光が暖かく大地を照らしていた。
公孫度は公孫旺に呼ばれた。
公孫度は日に日に弱っていく大兄の様子に為すすべもなかった。
出来るだけの最高の医者を招聘したが、大兄の病は回復しなかったのである。
「公孫度よ、話しておかねばならないことがある」
今日の公孫旺の言葉には、どこか力強さがあった。
「大兄、なんでしょうか」
その言葉に何かの予感を感じた公孫度。
「これからの世、黄巾の乱が一定の終末を迎えたとは言えども、このままではすまないだろうな。
むしろ帝国の陰りを感じた者も多くいるだろう。そうなった時にまた全土を巡る戦が起きる。
この遼東とてその例外ではない。そうなった時、お前は皆と共に歩め」
公孫旺はそこまで言って、激しく咳き込む。
「大兄!」
公孫度が背中をさすろうとしたところを、公孫旺は静止して止める。
「何事も終わりがあるように、帝国とてそれは例外ではない。必ず野心を持った英雄によって戦火は拡がるだろう。
お前は、その世を生きていかねばならない。いや、お前は民の為に共に生きていくのだ。
その為には、よく群臣の良言を聞き分け、諫言はよく我が身の為と思い聞く必要がある」
公孫旺はここまで言って、少し気分がよくなったのか、公孫度に窓を開けるように指示する。
窓を開けると、優しい陽光が入り、この季節にしては優しい風が舞い込む。
「これから幾つもの試練がお前達の前に立ち塞がるだろう。時によく群臣と相談しろ。
そして、この大地、空、日とつねに自問するのだ」
そこまで言って、公孫旺はほっと息をつく。
「それにしても、私はいい人生だった。良き仲間、そして友を得た」
公孫旺は公孫度を見た。
「大兄、何を言われるのです。まだこれからではないですか」
「なあ、公孫度よ、私はお前と出会えて本当に楽しかった」
「私もです」
公孫度の声に震えが生じる。
「今日は暖かいな」
公孫旺の言葉に、窓に視線を移す公孫度。
「これからは、あの陽光の如くお前を見守ろう・・・・」
「大兄?」
公孫度が少し目を離したその時に公孫旺は静かに息を引き取った。
「大兄!!!」
公孫度の絶叫が辺りに響き渡る。
享年45歳、公孫度の精神的にも体制的にも大きく貢献した人物がこの世を去った。
ふと、辺りが暗くなったと思えば、驟雨が降っていた。
葬儀は故人の遺言の通り質素に行われたが、多くの参列者が列ねた。
墓は襄平の見える小高い丘に建てられた。
102
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 16:29:14
☆☆☆☆驟雨降りて5☆☆☆☆
『わしは泣いたのか、いや泣いていたのか・・・・』
「州牧様?」
『誰かが呼ぶ声がする・・・。そうだ、わしは薊(ケイ)の地を手に入れ、曹操や袁紹とまさに戦うところだったな』
その言葉に現実に戻る公孫度。
「すまんな、それで何であったか?」
公孫度は現実に戻った。
「何か遠い所に行っていたような感じでしたな」
陳宮は公孫度の表情を見て、そう言った。
「続けてくれ。今後の我が軍の取るべき道を」
公孫度の言葉にいつになく覇気を感じた陳宮。
『また、一つ何かが変わられたような気がする』
「では、申し上げます。我が陣営は幽州を制覇したとはいえ、袁紹の治める冀州(キシュウ)とは人口、経済力、農業生産力などに格段の違いがあります。
その上で、南方からは曹操が虎視眈々と冀州(キシュウ)を狙っております。我が陣営は遼東からの兵站補充にも限りがありますが、ここで退く事は滅亡への道です。
冀州(キシュウ)には、まだまだ予備兵力(注1)がおり、座して待てば袁紹との差は広がるのみです。
袁紹をつねに決戦に引き込み、消耗させ隙を突いて各主要都市を攻略すべきでしょう」
「ふむ、だがその点は問題がある。兵站に限りがある我が軍はひたすら消耗し、曹操軍にその隙を突かれないかということだ」
陳宮の進言に意見を言う公孫度。
「その州牧のお言葉にこの沮授がお答えします。確かにその懸念もあるでしょう。そして、華北から兵を退いた曹操の狙いもその辺りかと思われます。
だが、それでも我が方は成し遂げねば後はありません」
沮授は曹操方の策略の本筋を読み取っていた。
一見すると、曹操の華北撤退は群雄の曹操への反旗によるものだと思われる。
だが、沮授の見るところ他の群雄より各方面で遥かに兵力的に優位に立っている。
むしろ、先の劉備との戦いも、劉備に積極的に介入させない為に叩いたのではないか?
その曹操があっさりと華北から撤退するのには訳がある。
『二匹の虎を疲れさせ、疲弊したところを討つ』
それがわかっていても、相手の策に嵌ったとしても成し遂げねばならない。
それが公孫度陣営の辛いところである。
それがわかった公孫度だが、口調には悲壮感はなく、
「我が軍は、陳宮、沮授の計に従って行動する。我が軍は例え損害を被ろうとも前に進んでいかなくてはならない。
だが諸君、我々は昨日よりも今日そのたびに精強になっていかねばなるまい」
公孫度の真意は、諸将一同に伝わった。
故に一同静かに拱手した。
心には並々ならぬ決意を持って。
だが、公孫度の次の一言が諸将を驚かす事になる。
「ところで、先の州牧就任の件だが・・・・」
103
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 16:30:16
注1:冀州(キシュウ)の本拠地であるギョウには、予備兵力である「兵役人口」が10万ある。
加えて、各地にはまだまだ兵役人口の余力がある。
104
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 16:31:22
☆☆☆☆死闘の末に1☆☆☆☆
ここは、曹操が治める濮陽(ボクヨウ)。
曹操はこの地にて華北の情勢を窺っていた。
その地に公孫度の使者が訪れた。
用件は、州牧の就任に対する返礼であるという。
曹操は首を傾げた。
平時であれば、まだわかるのだが今は戦乱の世である。
勝手に名乗りあい自称する輩も多い中、公孫度は律儀にも返礼の使者を寄越したのである。
「使節団の中心は誰か?」
「辛評の弟である辛ピと申す者とのこと」
曹操にとって辛評は公孫度陣営の人材の一人であるとの認識はあったが、その弟への認識はなかった。
聞けば、まだ若いと言う。
この時の辛ピはまだ公孫度陣営の中に埋もれており、世に知られていなかった。
曹操は急に不敵な笑いを浮かべ、周りの者へ指示を出した。
105
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 16:34:18
☆☆☆☆死闘の末に2☆☆☆☆
公孫度の使節団は、曹操との謁見を許された。
使節団は謁見場に入るや息を飲んだ。
そこには、殺気漲る武装兵、油が煮えたぎった大釜があり、友好使節を受け入れる場とは思えなかったからである。
「公孫度の使者よ、帝より幽州州牧に任じられたにも関わらず、他州を犯すとは何事ぞ」
曹操は、相手を睨み付け、言い放った。
その言葉と周りの雰囲気で使節団の面々は生きた心地はしなかった。
ただ一人、若い辛ピだけが悠然としていた。
「魏公、今我が主公孫度は、明公と共に漢の逆臣・袁紹を討つべく兵を出したのです。
それを咎めるとは、明公の袁紹征伐も否定することになります。
その上、まさに共に歩んでいくべく使節を送られた我が主に対して、このような振る舞いで遇するとは、幽州に人がいないと思ってのことか」
辛ピの気迫に満ちた口調に曹操は唸った。
『若いと思ったが、公孫度の奴なかなか胆が座った男を寄越してきおったわ』
「なるほど、確かにその方の申す通りだ」
曹操は周りの者に武装兵と大釜を片付けさせるように指示した。
辛ピを除く使節団の使者の面々は胸を撫で下ろした。
曹操は辛ピにその後いくつかの問答をした。
どれもその答えは曹操を唸らせるものであった。
「辛ピよ、主君を辱めずその使者の任を全う出来るとは、古の藺相如(リンショウジョ)に値する」
曹操は辛ピをそう評した。
藺相如(リンショウジョ)とは、戦国時代の趙の人物であり、大国秦の外交の場で主君である趙の国主の威厳を保ち世に知られた人物である。
会見の最後に辛ピは言った。
「これは我が主公孫度が漢の為にお使い下さいと持参したものです」
そこには、北方の珍しい宝の数々があった。
曹操は目を細めて、係りの者に接収させた。
106
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 16:37:26
☆☆☆☆死闘の末に3☆☆☆☆
「よく大任を果たした!」
公孫度は、帰還後辛ピにそう労いの言葉をかけた。
それに辛ピは一礼で答える。
「それで、曹操という男はどうであったか?」
「曹操は最初は当方を軽く見たようでしたが、それを咎めると自らの非を認め改めました。
曹操は覇王の振る舞いをしておりますが、相手に理があることを悟れば受け入れる度量もあるということです。
間違いなく今後州牧の障害となるのは、曹操でしょう」
辛ピの言に頷く公孫度。
「辛ピの言う通りだな。だが、当面の間は曹操も我が軍に介入してこないだろう」
公孫度が州牧就任の件についての発言は、曹操に一時的な不戦協定を結ぶ話であった。
これは、立場が苦しい公孫度陣営では、疑問視する声が上がった。
「今、ここで不戦協定を結べば、曹操が切り取った都市への攻撃は困難である」
「いや、その前に不戦協定など意味はなさないのではないか」
これらの意見を押し切って公孫度は使者を立てた。
その難しい役目を辛ピは見事に果たしたのである。
さらに、曹操の人柄を把握する事も出来た。
公孫度陣営は、こうして来るべき袁紹との戦いに備えようとしたのである。
107
:
名無しさん
:2014/03/09(日) 16:40:18
☆☆☆☆死闘の末に4☆☆☆☆
公孫度は曹操と一時的な不戦協定を結んだ後、3ヶ月間は軍事行動を控えていた。
一つに薊(ケイ)の復興と先の薊(ケイ)攻略戦で損失した兵力の回復を図っていた。
その頃曹操は、西方の馬騰、南方の劉表、孫堅と戦いに入っていた。
特に劉表は蔡ボウが水軍を率いて北上するものも荊州北部を守る名将曹仁によって侵攻は完全に挫折していた。
のみならず、襄陽を逆に大軍で包囲され多大な損失が出たのである。
この戦いは、最終的に劉備の備えをしていた夷陵城塞や宜都城塞の援軍がなければ、襄陽陥落の憂いまで陥る事態となった。
襄陽は以後直接的戦火に巻き込まれるのである。
馬騰にしても劉備と共同歩調する予定であったのが、先の大戦での傷を回復する劉備軍が動かなかった為各個撃破されていった。
徐々にその反乱は下火になっていく。
こうして198年を迎える。
ここでついに公孫度が動くのである。
公孫度はギョウと南皮の間にある界橋に袁紹の間隙を突き城塞を完成させたのである。
公孫度はここで袁紹に対する決戦を考えていた。
それに備え、平原より南皮に袁紹は軍を集結させた。
ここに198年4月、界橋の戦いが勃発する。
公孫度軍7万、袁紹軍7万、袁紹軍の先鋒は麹義である。
麹義は騎兵の扱いでは、袁紹軍きっての将である。
公孫度軍も騎兵に長じている者が多数いるのだが、その騎兵攻撃を何度も防ぐほど活躍した。(注1)
この戦い、後陣の袁紹との意思連携がうまく行っていれば、公孫度軍は相当に苦戦したものと思われる。
しかしながら、この日の為に入念に打ち合わせした公孫度は各個撃破を心がけていた。
さらに界橋城塞の近くで決戦に及んだ為、城塞からの支援も受けることが出来たのである。
ついに麹義らを退却退却させることに成功した公孫度軍。
袁紹はそれを見てすぐに軍を退いた。
こうして、第一次界橋戦は公孫度軍の勝利となるのである。
ところで、この頃になると袁紹軍からの投降者も多い。
かつての袁術軍の中でも一軍の将であった紀霊もその一人で公孫度の軍門に降ったのである。
注1:麹義の騎兵兵法は、この時800にもなっておりこの影響で公孫度の騎兵攻撃をプロテクトする現象が起きた。
これが発動すると、騎兵兵法によるダメージは10分の1である。
108
:
名無しさん
:2014/03/09(日) 16:42:37
☆☆☆☆死闘の末に5☆☆☆☆
魯粛は溜息をついた。
なぜ、溜息をついたかと言えば、北上を続ける孫堅軍に立ちはだかった張遼のことである。
張遼は曹操から大殿の北上を止めるべく派遣された将である。
張遼は固く守りに徹する訳ではなく、積極的に神出鬼没の行動を取り孫堅軍をかき回した。
もはやそれは積極的防衛と呼べるものかもしれない。
孫堅軍はその都度勝利を掴んできたが、その度に少なからず損失を蒙ってきた。
『このままでは、まずい』
さらに大殿は劉表への攻撃を諦めていなかった。
これ以上の軍資の損失は江東の死活問題になるだろう。
勝利を重ねる孫堅軍の中で、唯一魯粛だけが冷静に分析していた。
そして、魯粛は今こそ秘策を大殿に打ち明ける時が来たと悟る。
「大殿、時代は新たなる展開を迎えようとしております。その上で胸中に秘めた策を実行に移させて頂きたい」
魯粛ほど孫堅を王道路線に歩ませるべく具体的な行動を示した臣はいない。
孫堅は、魯粛の熱弁を静かに聞いていた。
「やってみるがよい」
孫堅が一つの決断をした瞬間である。
このことが後に全土に旋風を巻き起こすこになる。
話は変わり、公孫度陣営では界橋城塞を中心に南皮、ギョウ、平原などに出兵を繰り返し袁紹軍の疲弊を誘った。
それは、同時に公孫度軍自体の疲弊に繋がることは承知の上である。
それを最小限にするべく諸将一丸となり戦い抜いたことに公孫度陣営の並々ならぬ苦労があった。
そして、時代は群雄達に新たなる選択を迫るべく試練を与えるのである。
109
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 16:44:50
☆☆☆☆死闘の末に6☆☆☆☆
198年7月、全土に激震が走った。
反曹操連合結成される。
盟主は袁紹、連合参加群雄、孫堅、劉備、劉表、馬騰。
この連合結成の裏にこそ魯粛の働きがあった。
魯粛は、劉表を説いた。
「一旦曹操と戦いを開始した以上戦い抜くしか方策はない。共に戦ってください」
劉表は先の曹操軍の戦いで大打撃を与えられており、この申し出を受けざるを得なかった。
むろん、魯粛もそのあたりは理解している上での発言である。
前面に曹操、後方に孫堅とは戦えない状況にあった。
一方で、孫堅を説得して劉表と戦うのを止めさせた魯粛の才覚は特筆するものがある。
また、それを一時だけでも休戦を呑んだ孫堅の器量もまた評価されるべきである。
劉備に関しては、元々反曹を掲げている以上曹操の連合に加えるのは容易であった。
馬騰も反曹を掲げた以上、そして自身が生き残るためにもこの連合は渡りに船であった。
問題は盟主問題である。
魯粛は孫堅に説いた。
「曹操の矛先を袁紹に向けさせるためにも今は名よりも実を取るべきです」
これに孫堅は同意した。
後は魯粛は袁紹の自尊心を燻ぶる様に説得するだけでよかった。
だが、この連合には一つ盲点があった。
それは、公孫度である。
曹操と袁紹の戦いに目を奪われ、公孫度の存在を過小評価していたのである。
南方にて中原を越え華北の正確な状況を把握するのは至難であるので、これは致し方なかったかもしれない。
これがどのような影響をもたらすか、この時誰も想像は出来なかった。
ちなみに、この連合の誘いは、書簡にて袁紹から公孫度のもとへ届けられた。
『我が軍の先兵となり、逆賊曹操との戦いに臨むならば、今までの事は忘れよう。我が旗の下で戦え』
むろん袁紹の精一杯の見栄と意地が入った内容であったが、公孫度がこのような内容で従うわけもない。
公孫度は拒否した。
袁紹は公孫度からの返答の書簡を叩きつけ、その怒りを曹操に向ける事にした。
こうして反曹操連合はいろいろな内実を含みつつ組まれたのである。
この反曹操連合軍は、総勢80万と称した。(注2)
注2:袁紹総兵力25万、予備兵力20万
馬騰総兵力8万、予備兵力1万
孫堅総兵力30万、予備兵力3万
劉表総兵力20万、予備兵力20万
劉備総兵力30万、予備兵力5万となっている。
対する曹操は総兵力50万、予備兵力70万となっている。
反曹操連合軍が80万と言ったのも誇大ではあるが間違ってはいない・・・。
110
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 16:47:09
☆☆☆☆死闘の末に7☆☆☆☆
重たい空気が辺りを支配していた。
その空気を打ち払うように郭嘉(カクカ)は言う。
「魏公、連合軍は80万と自称しておりますが、実際のところそこまでの力はないでしょう。
劉備、馬騰、劉表は自領を守るのに精一杯で、軍など出せないのが実情です。
残るは盟主袁紹と孫堅ですが、袁紹は後背の公孫度を気にしており満足に出せないでしょう。
そして、孫堅は張遼、高順、楽進、李典によりすでにその封じ込めは完了しております」
「丞相、その仕上げは下ヒの援軍にて完成します」
郭嘉(カクカ)の言に割り込むように程イクが話す。
郭嘉(カクカ)と程イクの間に一瞬火花のようなものが交錯した。
「公孫度はどうだ?」
曹操は問う。
「すでに袁紹との戦いに入っており、消耗している模様。我等の計通りに推移しております」
郭嘉(カクカ)が答える。
「引き続き北方の監視は怠るな。時が来れば我が軍が華北に橋頭堡を築くその時を逃してはならない」
曹操はそう言いつつも南方の孫堅を思った。
『確かに張遼はよくやっている。我が方としてもその前提として大量の軍資を必要としたのだが』
孫堅の北上は、曹操にとって当面の課題の一つであった。
ゆえに多くの兵が対孫堅に廻されたのである。
「ここが正念場ぞ」
曹操の言葉に一同拱手した。
『今、己の為すべきことを行う』
111
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 16:50:07
☆☆☆☆死闘の末に8☆☆☆☆
反曹操連合が組まれる中、袁紹と公孫度は激しく戦った。
とりわけ界橋での衝突はすでに2度の会戦が行われたのである。
公孫度軍の前に立ち塞がり、公孫度軍に出血を強いていた麹義の存在が光った。
「麹義か、これ以上の損害を出さない為にも何か手を打つべきだ」
公孫度の問いかけに、陳宮が答える。
「州牧、すでに間者を放ち、袁紹や麹義の周りにある工作をしております。その効果はそろそろ効いてくる頃かと」
「確かにそういう背景があるならば、今がその時であろう」
陳宮に具体的内容を聞いた公孫度は、その言を聞いて深く頷いた。
『公孫度様は、確かに何かが変わられた。これがいい方向へ向かうのか、あるいは・・・』
陳宮は力強く巧手しながら、主君の様変わりを思慮していたのである。
一方、袁紹は苛立っていた。
先の界橋での2度の敗北の件である。
その怒りは麹義に向けられた。
麹義は騎兵に長じ、公孫讃を追い詰めた時にも大いに活躍した将である。
優秀な将ではあるが、その性格は傲慢なところがあり、名門出の袁紹には耐えられなくなっていた。
機会を見て処罰しようと袁紹は周りの者に漏らす。
このことが、麹義本人にも耳に入ったのである。
むろん、これは袁紹、麹義に向けた陳宮の計略である。
元々存在した憎悪の感情を煽り、相手にそれを伝え孤立感や離反を促す。
この時の陳宮の計略は、玄妙の域にあった。
第3次界橋の戦いは、こうした中で行われた。
孤軍奮闘する麹義、すでに2度の敗北で南皮、平原方面の袁紹の兵は枯渇していた。
麹義は、この戦いの趨勢がはっきりした時に公孫度に降った。
公孫度軍は、勢いそのままに南皮へと侵攻する。
麹義という柱を失った南皮守兵は、抵抗をしたものも公孫度軍の勢いに飲まれ陥落した。
112
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 16:52:28
☆☆☆☆死闘の末に9☆☆☆☆
曹操は懸念していた。
南方の情勢の件である。
劉表は曹仁の活躍により、逆に襄陽まで攻め上がり陥落まであと一息の所まで追い込んだ。
一方で、孫堅の攻勢に対処する為に派遣した張遼を始めとした将もよく善戦していた。
だが、ここに来て攻勢が激しさを増していた。
孫堅軍が烏江にまで進出してきたのである。
これに対処する為、下ヒより援軍を出さざるを得なかったのである。
援軍の将は、曹操が信頼する夏侯惇に4万の軍勢を率いさせた。
こうして、時は199年を迎える。
南方情勢が激しさを増す中、曹操は北方戦略の拠点である濮陽(ボクヨウ)の治安回復を行った。(注3)
綱紀の乱れを正し法の遵守を徹底させた。
これにより濮陽(ボクヨウ)の治安は格段に上がり、民心も安定した。
曹操の抜かりなさが光る一面である。
113
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 16:54:51
☆☆☆☆死闘の末に10☆☆☆☆
「殿、どうか下ヒ攻めだけはお止め下さい」
「田豊よ、これは決定事項なのだ!今孫堅によって曹操の南方が脅かされている中、曹操軍は下ヒから寿春の方面に兵を割いたではないか。
今こそ好機である。そもそも盟主として大軍を向け南方の孫堅と合流すれば、後は我らの進撃を阻むものはない」
袁紹は田豊の進言を激情の中斥けた。
なおもいつものように食い下がると思われた田豊であるが、袁紹の予想外に田豊は静かに引き下がった。
袁紹の意見もあながち間違ってはいない。
下ヒを抜ければ、後は無人の荒野を突き進むが如しで、虎牢関より東はすべて袁紹に属するであろう。
後は、孤立した濮陽(ボクヨウ)が残るのみである。
そして、今下ヒは孫堅軍の北上に伴い支援の兵を送って手薄である。
袁紹はついに北海・倭より15万の大軍を下ヒに向けた。(注4)
「いよいよ袁紹が動いたな」
「すべて予定通りです。我が軍はこの機に一気に北上するべきです」
そう言うのは、郭嘉(カクカ)である。
「下ヒの守りはどうする?」
その進言に頷きながら、あえて問う曹操。
「下ヒは寿春に援軍に出している夏侯惇将軍を呼び戻しましょう。それにかの地には程イク殿もおります」
「よし、今こそ濮陽(ボクヨウ)より平原へ、洛陽より上党へ進撃するときぞ」
下ヒには1万足らずの兵がいない状況ではあるものの曹操はあえて各方面からの援軍を出さなかった。
その上、北上の機と捉えたのである。
この日の為に下ヒは堅固な要塞と化していた。
時に199年3月のことである。
注4:袁紹は上党、晋陽、倭を委任していたが、南皮陥落に伴い委任解除して直属の指揮に変更した。
これにより今まで、倭で温存されていた大軍が動こうとしていた。
114
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 16:56:17
☆☆☆☆死闘の末に11☆☆☆☆
『曹操軍、上党・平原に侵攻!』
この報は直ちに公孫度の下へと届けられた。
「州牧、今こそギョウに進出する機会です!」
「殿、ここが正念場と心得ます」
沮授、陳宮の二人の進言を静かに聞く公孫度。
実のところ公孫度軍は度重なる連戦により、現状出せる最大兵力は7万にも満たなかった。
「ギョウは袁紹が長らくその本拠にしていた都だ。守りも相当堅いだろう。守備についている兵も多い。
また、周辺の郡からも援軍がやってこよう。その辺りはどうか?」
公孫度は初めて口を開く。
「殿、この陳宮がお答え致します。確かにその懸念はあります。しかしながら、曹操軍の北上に伴い平原の援軍にギョウから出さざるを得ません。
また、晋陽も上党へ援軍を発するでしょう。まさにギョウは孤立無援の状態と言えましょう」
「よし、全軍をもってギョウへ出撃する!先鋒は顔良将軍に委ねる!」
公孫度の言に皆がざわついた。
顔良と言えば、元袁紹軍の将であり、この機に袁紹の下に舞い戻るのではという疑念があった。
それを察したのか、公孫度は皆に周知する。
「私は顔良将軍を信ずる。これはこのギョウ攻略の大前提だ」
この言葉に静かに賛同の意を示す沮授。
皆も拱手し、公孫度の意に従った。
公孫度の信頼を一身に受けた激情家である顔良は感動した。
『なるほどこの方の器は計り知れない』
顔良はこの戦いに己のすべてを出す覚悟を決めた。
115
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 16:58:00
☆☆☆☆死闘の末に12☆☆☆☆
曹操はここまでの状況に満足していた。
郭嘉(カクカ)の作戦は、次の通りであった。
上党に大規模な軍勢を派遣。
これは上党攻略を狙うと同時に大規模な陽動作戦であった。
ギョウの援軍は上党へと向かわせる。
北海の軍は、下ヒで足止めさせる。
その機に一気に手薄になった平原を攻略する電撃戦である。
ここまでは上手く行っていた。
平原攻略もまもなくであろう。
「東より砂塵!敵援軍と思われます!」
伝令の言に曹操は眉を潜めた。
『そうか、北海の数千がこちらに援軍に来たか。だが、それも計算の内だ』
「数は?」
「およそ2万!」
伝令の報告に立ち上がる曹操。
「間違いないか!」
「間違いございません」
『してやられたわ、兵は湧き出るものでもない。温存していたのだ』
曹操の読みどおり、袁紹は東來港に兵力を温存していた。
これは、秘かに田豊が指示していたものである。
先に田豊がすぐに引き下がったのもこのような背景があったのである。
曹操は、平原と上党より兵を退いた。
それと同時に曹操は凶報を聞いた。
『公孫度軍、ギョウ陥落!』
116
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/09(日) 16:59:26
☆☆☆☆飛翔1☆☆☆☆
公孫度軍がギョウを速やかに陥落させたのは、一瞬の間隙を突いたばかりではない。
まずは、先鋒を任された顔良の存在である。
顔良は華北には名の知れた猛将であり、ギョウを守る者の戦意は著しく落ちた。
「私は顔良である!公孫度軍に降るならば、身の安全は保障する!」
顔良の言葉にギョウを守る者は、考えさせれた。
『北で公孫度軍を苦しめた顔良将軍ですら許されたのだ。我らも問題あるまい』
これらからギョウの抵抗は、激しいものではなかったのである。
次に、公孫度軍の軍勢の温存である。
そもそも公孫度軍は幾多の戦いを繰り広げ消耗した。
その消耗をつねに最小限度まで抑えた公孫度の諸将の活躍があった。
曹操の軍師、郭嘉(カクカ)は比類なき才の持ち主である。
その計略は天賦の才と言っていい。
公孫度軍の諸将に沮授、陳宮も含めて対抗出来る者はいない。
しかしながら、公孫度軍は並々ならぬ努力で歯を食いしばり、そして、戦うたびに己を研ぎ澄ましていった。
不断の決意と行動が天賦の才を持つ郭嘉(カクカ)の謀を打ち破り、今日の結果を得たと言える。
なお、郭嘉(カクカ)はこの報を聞き、一時行方を晦ましたのである。
豊富な人口を持つギョウを得た公孫度。
いよいよ公孫度の躍動が始まる。
時に199年6月上旬のことである。
118
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/13(木) 00:00:27
☆☆☆☆飛翔2☆☆☆☆
男は一路あの方の元へ向かっていた。
その後ろには数千の騎馬が続く。
かつて男は幼少の頃、剣術を好んだ。
23歳の時、郷から正規兵に任命された。
自身武として世に出るつもりはなく、文を持って世に出たい為、発奮して儒学を学んだ。
以後、男は儒学を精神的支柱に据えてきた。
男の運命を変えたのは、公孫度の出会いである。
公孫度が北で多くの名士などを優待したことが、男の足を運ばせた。
「お前はわしと似ている」
確かにかつて剣術を好んだ時期もある男であるが、何が似ているかよくわからなかった。
男の疑問に答えるように、
「己を変えていこうとするその姿勢だ」
公孫度に言われ、男は半ば納得した。
公孫度もかつては、相当な血気盛んな男だと聞いた。
それが、様々な人と出会い変格していった。
公孫度は言う。
「崔エンよ、お前はそこからさらに磨きをかけるつもりはないか?」
崔エンは、公孫度の真意を計るために次の言葉を静かに待った。
「儒学を矜持とするお前の心胆、確かに見事である。その心胆を買って、烏丸の民を見てもらえないだろうか?」
「つまり、私に烏丸を教導せよと仰るのですか?」
「いや、違う。烏丸の民と共に学ぶのだ」
その時の崔エンは、公孫度の真意を理解出来ず、半信半疑で烏丸へ着任した。
やがて、烏丸の民と共に生きる中で、彼らのことがよくわかってきた。
遊牧民は一箇所に定住しない。
土地に縛られる農耕民と違い、文化や哲学などが発生しにくい。
その分、気宇は壮大である。
『真に相手に教えるということは、実は相手からも学ぶということである』
崔エンは数年の歳月彼らと共にあった。
今、その彼らを率い、ギョウに赴任することになる。
「よく帰ってきたな、崔エン!」
公孫度は開口一番そう言った。
それに静かに拱手する崔エン。
『この人はまたどこか変わった・・・』
崔エンは冷静に主君を見つめた。
「崔エンよ、烏丸で得た知識を活用して貰うぞ。お前に陳宮らと共に第2次変法に対する協議の中に入れ」
第2次変法とは、公孫旺が定めた今の法を改正する件である。
かつて、公孫旺は陳宮にその変法改革の企画を託した。
崔エンは、この事を知っていたので、己がその中に入れることに感激した。
公孫度にとって、冀州(キシュウ)や幽州全土を治めるということは、獲得することではなく人心を得るということである。
ここに公孫度の新たなる挑戦が始まる。
120
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/22(土) 14:29:28
☆☆☆☆飛翔3☆☆☆☆
韓浩は袁術に騎都尉に任じられ、袁術が敗れ袁紹と合流すると、そのまま袁紹に仕えた人物である。
しかしながら、韓浩は袁紹の下で優遇されたとは言えなかった。
半ば隠棲状態で公孫度がギョウを落とした際に、公孫度陣営に招かれた。
韓浩は公孫度が農政を重視していることを知り、屯田を推進するように提言した。
公孫度も韓浩が並々ならぬ人物であることを悟り、第2次変法の議論の場へと参加させた。
韓浩は、このことがよほど嬉しかったらしく、大変誇りに思ったという。
こうして、公孫度の下にまた内治に優れた人物が現れたのである。
一方で、公孫度は冀州(キシュウ)を掌握するのと同時にいよいよ幷州(ヘイシュウ)の攻略に乗り出す。
その為にギョウと晋陽の間に存在する常山に城塞を築き、晋陽攻略の橋頭堡とした。
ギョウには徐貌(ジョバク)、韓浩、崔エンを残し、曹操に北上されないように十分な兵力も残した。
199年8月、ついに公孫度軍は8万5千の軍勢をもって晋陽攻略へと動き出す。
この時の公孫度軍の戦略は、兵法が忌むべきとされる作戦を取った。
兵力を晋陽に集中して叩く作戦である。
兵法では、各個撃破を第一とする。
そうすれば、つねに自軍は兵力的に有利に運べるからである。
公孫度軍はその兵法の忌むべきことをあえて行った。
一つに幷州(ヘイシュウ)には、まだまだ袁紹の兵力が各地に存在していた。
これを分散して討って行くと年月がかかるので、あえて短期決戦に持ち込ませたこと。
それともう一つは決戦自体大きな陽動であるということである。
様々な思惑を乗せ、公孫度の晋陽攻略戦は開始された。
121
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/23(日) 15:25:22
☆☆☆☆飛翔4☆☆☆☆
公孫度軍が晋陽に進軍した。
この報に便乗した軍が存在する。
洛陽方面の曹操軍である。
この地方の曹操軍は何度か陽動も含めて上党へ攻略部隊を差し向けている。
今、上党は晋陽に援軍を送りわずかの兵しかいない。
この機にと大軍を送り込んだ。
一方で、公孫度軍はこの曹操軍の北上の情報を察知し、戦術の見直しを図った。
晋陽攻略を諦め、常山のみならずギョウへの撤退である。
『ギョウに曹操軍迫る』
これはもちろん虚報である。
だが、ギョウにもそれほど多くの兵がいたわけではなく、曹操軍の圧力が掛かっていたことは真実である。
幷州(ヘイシュウ)の袁紹軍はこの報を信じた。
ギョウ陥落に伴い、華北の情報網が分断されたことにより正確な情報収集力が落ちたことが要因に上げられる。
晋陽に集結した袁紹軍は、目下上党の危機回避の為、救援に走ったのである。
これにより、当初陥落必然と言われた上党がかろうじて曹操軍の猛攻から凌ぐ結果となる。
さらに公孫度軍は当初の戦略通りある計画を実行した。
壺関攻略である。
これは、陽動も兼ねた作戦であるのだが、この将には韓暹(カンセン)が選ばれた。
壺関は隘路に囲まれた要所の一つで、過去楚漢戦争時にもその近辺で戦いの舞台ともなった地である。
この時の韓暹(カンセン)は、公孫度らと出会うことによるかつての矜持を取り戻しており、先の鉅鹿(キョロク)陥落戦により自信も取り戻していた。
この隠密行動は、晋陽の監視網に引っかかり援軍を出させるのだが、速力を重視する韓暹(カンセン)の別働隊の動きによって難所である壺関を先に奪取した。
なお、晋陽の監視網に引っかかったのは、意図的である。
余談になるが、この行為は人々の記憶に残ったらしく、後代において白波を扱う喜劇など様々なジャンルに多く取り上げられた。
前述しているが、白波とはかつて韓暹(カンセン)が山賊時代に拠点にした地名を指し、後代になると山賊としての意味も持ち合わせる。
ところで、公孫度軍本隊と言えば、晋陽を囲んで陥落させている。
ギョウに戻ると見せかけた軍勢を電光石火の如く戻したのである。
この頃の公孫度軍に戦術の冴えが光るのは、幾多の戦いで得た経験の蓄積を有効活用した結果であろう。
こうして、公孫度はわずか3ヶ月の間に壺関、晋陽を陥落させるに至る。
時に199年11月のことである。
122
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/25(火) 07:26:47
☆☆☆☆作者の戯言5☆☆☆☆
『死闘の末に9』の注3が抜けていました。
ここに注3を記載します。
申し訳ありません。
注3:独自ルールに基づき、濮陽(ボクヨウ)の民心1000にしております。
123
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/25(火) 14:12:46
☆☆☆☆飛翔5☆☆☆☆
男は自身の運命を顧みて思う。
男はかつて漢帝国に反逆したとされた人物である。
何も好き好んで反逆したわけではない。
男はその昔、一人の農民であった。
時代は、農民を取り巻く環境を日に日に苛烈さを増していった。
皇帝、宦官、外戚、高官、役人、上も下も不正に身を染めており収奪の矛先は農民に向かったからである。
生活は困窮を極め、当時太平道という張角が興した宗教的組織に身を委ねるしかなかった。
男はそこで農耕で鍛えた腕力をもって、将としての頭角を現した。
黄巾の乱という太平道が漢帝国に対する造反行為が挫折した後は、華北で残党として転戦する日々であった。
このまま行けば、何者かに討伐され敗死する運命であったろう。
男の運命を変えたのは、公孫度との出会いである。
公孫度が帰参者に寛容であったばかりではなく、農政を重んじていたことも男の足を運ばせた。
公孫度も男の猛将としての才を見抜いた。
男は公孫度軍の中でつねに先鋒を任された。
やがて、公孫度が諸侯の中でも華北を制し大軍閥となっている袁紹に打ち勝ち幽州、冀州(キシュウ)を制するようになってくると男の中にある感情が芽生える。
『公孫度様の国を見てみたい』
まだ表立って言えることではない。
ふと、目の前に要害の地、壺関が迫る。
男は回顧を止め、現実に戻る。
壺関からは先に陥落させた韓暹(カンセン)が公孫度軍の本隊を出迎えるべく出ていた。
「韓暹(カンセン)、久しぶりだな。」
韓暹(カンセン)もまた己と同じように時代に翻弄され漢帝国に反旗を翻した人物だ。
そして、己と同じように公孫度によって運命が変わった人物でもある。
「管亥、久しぶりだな」
韓暹(カンセン)と管亥は短く言葉を交わし、お互い拱手する。
二人の男の間に、余計な言葉など要らない。
その後、公孫度は管亥など猛将を引き連れ、上党を陥落させる。
要害の地、壺関を制した時点で勝敗は決していた。
時に、200年1月のことである。
127
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/31(月) 22:55:40
☆☆☆☆飛翔6☆☆☆☆
人は調子の良い時には、とことん突き進む事が出来る。
だが、その人の本当の力を量るのは、逆境に立たされている時や不遇の時である。
この時に、どのようなことを行ったかで真価が決まると言っていい。
歴史は多くの事を語ってくれる。
比類ない才能や強大な地盤があるのにも関わらず、危機が迫ると立ち直れず歴史の渦に埋没していく者のなんと多いことか。
曹操は、華北の覇権に敗れた。
その後、周りの群雄である劉備や孫堅など手強い敵が多く存在した中で、戦勝の勢いのある公孫度の南下を完全に抑えた。
これは、逆境の中よく国内を纏め、他の群雄にも隙を与えなかった曹操や家臣団の功績であろう。
また、曹操はこの機に軍政改革を成功させている。
城攻めに少しでも有利になるように専用の部隊の創設を行ったのである。(注1)
さらに曹操は国内を戒め、治安回復に努めた。
これにより格段に治安がよくなり民の危機感は払拭されたのである。(注2)
ところで、曹操ばかりではなく、謀臣の者も危機意識が高いのは、特筆すべきことである。
謀臣筆頭と言われた郭嘉(カクカ)は、一時行方を晦ましていた。
先の華北に橋頭堡を築けず、戦略的にも敗北したことは郭嘉(カクカ)に衝撃を与えた。
郭嘉(カクカ)は、天才肌の人物で、どこか天から大局的に物事を見続けた。
それが、公孫度ら君臣の予測外の活躍を見て、地に足をつけ直に人を観察する機会を作ったのである。
すなわち、この数ヶ月間郭嘉(カクカ)は兵と共に過ごした。
この経験が郭嘉(カクカ)に新たなる広がりを見せた。
郭嘉(カクカ)の謀がさらなる段階に入った頃、荀攸、程イクもまた考えさせられた。
華北の敗北は、その戦略を立案してきた彼らにも重くのしかかったのである。
彼らもまた、郭嘉(カクカ)ときっかけは別として、この敗北を糧に成長した者達であった。(注3)
注1:曹操の兵法に「連射」を追加し、弩兵兵法熟練度を1000とする。
注2:曹操の治める全都市の「民心」を1000にした。
注3:郭嘉(カクカ)、荀攸、程イクの兵法に「混乱」を追加。
130
:
野に咲く一輪の花
:2014/04/02(水) 14:12:47
☆☆☆☆飛翔7☆☆☆☆
曹操らが、君臣共に新たなる境地に到達している頃、南方にいる親子もまた現状を改善すべく動いていた。
親子とは、孫堅、孫策である。
この親子の前に立ち塞がったのが、張遼をはじめとした曹操軍の武将達である。
張遼の優れたところは、荊州の武将、文聘を用いたことである。
かの人物は、軍事にも明るく、孫堅軍の水軍には劣るが曹操軍の弱点とされた水軍の整備を行った。
これにより、張遼はこの文聘を副将に任じ、積極的に孫堅軍の港を急襲し、孫堅軍の出血を強いた。
この地方の曹操軍の戦略目的は、圧倒的な物量を基に孫堅軍の疲弊を誘う事である。
これを最初に気がついたのは、魯粛である。
その頃から、この親子は現状を変えるべく秘かに行動に移していた。
漢の統一時代は、江東の衰退を招いた。
この時代の中心は、中原にあり人はいつの時代でも中心に集まるものである。
今や中原と江東との人口の差は、歴然としていた。
人口差は、兵力差、国力差にも繋がる。
そんな中、消耗戦に持っていかれることは、非常にまずい事態であることが、親子の共通の認識になった。
ところで、孫一族は、孫子の末裔であることを自認している。
『このあたりに何か現状を変える方策がないか?』
孫子は、軍政改革の中で弩兵を重視した。
今こそ孫子に倣い改革をすべき時である。
孫堅、孫策は江東の威信を賭け、取り組んだのである。(注4)
また、これ以上の人口流出を抑えるべく、戦乱で傷ついた地域の治安回復を図り、民心を安定させた。(注5)
こうして、時は新たなる年を迎えるのである。
注4:孫堅・孫策の兵法に「連射」を追加し、弩兵兵法熟練度1000とする。
注5:孫堅の治める全都市の中で「民心」が700未満の都市すべてを700にした。
131
:
野に咲く一輪の花
:2014/04/02(水) 14:13:19
☆☆☆☆作者の戯言6☆☆☆☆
ルールの一部変更を行いました。
曹操・孫堅・孫策の3人の弩兵兵法に「連射」を加え、弩兵兵法熟練度を1000にしました。
また、郭嘉(カクカ)、荀攸、程イクの3人に「混乱」を加えました。
一方で、戦場経験のない、もしくは少ないと思われる文官的武将から、「鼓舞」、「罵声」、「罠」を排除。
これにより、今までの防御優先であった状態が、どのような変化をもたらすかは、お楽しみに。
132
:
野に咲く一輪の花
:2014/04/02(水) 14:47:52
☆☆☆☆作者の戯言7☆☆☆☆
改訂した武将のステータスも含めて、作中に出てきた武将のステータス公開。
曹操 統率99 武力82(+5)知力93 政治96
性格:冷静 兵法:奮戦、奮闘、奮迅、突破、突進、造営、罠、心攻、罵声、鼓舞、連射
歩兵熟練度1000、弩兵熟練度1000、謀略熟練度1000
所持アイテム:倚天(イテン)の剣、絶影、玉璽
郭嘉(カクカ) 統率71 武力10 知力98 政治81
性格:冷静 兵法:造営、罠破、教唆、罠、罵声、鼓舞、混乱
謀略熟練度1000
荀攸 統率79 武力21 知力95 政治89+5
性格:冷静 兵法:混乱、罠、罵声、鼓舞、造営、教唆
謀略熟練度1000 所持アイテム:戦国策
程イク 統率79 武力55 知力92 政治76
性格:冷静 兵法:混乱、罠、罵声、教唆
謀略熟練度1000
孫堅 統率96+10 武力91+3 知力77 政治78
性格:冷静 兵法:奮戦、奮闘、奮迅、突破、突進、連射、蒙衝、闘艦、鼓舞
歩兵熟練度1000、水軍熟練度1000、弩兵熟練度1000
所持アイテム:爪黄飛電、古錠刀、孫子の兵法書
孫策 統率95 武力93+8 知力75 政治72
性格:剛胆 兵法:奮戦、奮闘、奮迅、突破、突進、連射、蒙衝、楼船、闘艦、罵声、鼓舞
歩兵熟練度1000、水軍熟練度1000、弩兵熟練度1000
所持アイテム:養由基の弓
麹義 統率79 武力79 知力62 政治25
性格:猪突 兵法:突破、突進、突撃
騎兵熟練度800
133
:
野に咲く一輪の花
:2014/04/02(水) 16:36:09
☆☆☆☆衆心1☆☆☆☆
「主上、いよいよ我等の計画も現実味を帯びてきましたぞ」
「まだ楽観視出来ない。どう今後転ぶかわからないのだぞ」
2人の会話が闇の中に響く。
声の主達の周りは、薄暗く遠くに蝋燭の明かりがあるのみである。
「主上、この情勢下公孫度を支援する方向でよろしいか?」
闇の中、新たなる声の主が問いかける。
「よかろう、本来であればその役目は劉備に任せるべきだったのだが、如何せん西の駐留軍が強大すぎた。
劉備は猛将は多いが、名将、智将がいなくなった。今しばらくは牽制させておけばいい」
闇の中顔がはっきりしないので、声質から判断すると、主上と呼ばれた人物は落ち着いた声で威厳さえ感じる。
「公孫度にも名将はいませんが、その辺りは如何でしょうか、主上」
「確かに公孫度には、抜きん出た将がいない。だが、彼奴はよく家臣団を纏め、何より勢いがある。
今や幽州、冀州(キシュウ)、幷州(ヘイシュウ)の3州の大半を治めている。
だがな、それだけでは、不足なのも事実。また繰り返しが続くだけだ。そこのところはお前がよくわかっていよう」
「お任せ下さい。主上がおっしゃることはよくわかります。必ずやご期待に沿えることでしょう」
「頼んだぞ、くれぐれも慎重にな」
ところ変わって、ここは曹操の幕下。
「魏公、すべての首尾は整いました。後は公孫度ですが、この件も処理済みです。
魏公から打ち明けられた時には、いやいや我が叔父ながら驚きました。そこまでの計謀があろうかと」
男は手で額の汗を拭う仕草をする。
「荀攸、謙遜するでない。お前の働きなくしては、いかに強大な軍が入ったとはいえ、中原を支配することは叶わなかっただろう」
曹操の言葉に恐縮する荀攸。
荀攸は、曹操の軍略を支える主要人物の一人で、曹操の言う通り郭嘉(カクカ)と並んで曹操を軍事面で支えた人物である。
荀攸は話題を変えるように、
「魏公、曹仁将軍より報告が入っております。襄陽を取り囲んで数ヶ月、ついに陥落の兆しが見えてきたそうで」
「そうか、ついに曹仁がやりおったか。奴がそう言うのであれば間違いなかろうが、油断は禁物だな」
そう言いつつ曹操はその報を素直に喜んだ。
曹仁は、今や曹一族の中心的人物で、曹操軍の名将の一人でもある。
カイ越、カイ良が堅固にした襄陽は、予想以上に固かった。
曹仁は、その城を粘り強く包囲した。
曹仁の忍耐強さと胆力、そして兵站の維持は、特筆すべきものがある。
曹仁は、8ヶ月の歳月をもって、ついに襄陽を攻略したのである。
時に200年3月のことである。
134
:
野に咲く一輪の花
:2014/04/05(土) 17:33:54
☆☆☆☆衆心2☆☆☆☆
200年4月、大陸に2つの報が駆け巡った。
『曹操、魏王に任じられる』
『公孫度、大将軍に任じられる』
曹操は、先の戦いで馬騰、劉表、劉備、孫堅、袁紹を討伐した功績をかねてのことであるが、問題はそこにない。
領内を纏め、着々と地盤を固めていく曹操の手腕こそ評価すべき点である。
これにより、漢の中に極めて強力な王国が出現した。
一方、公孫度の大将軍就任の件、公孫度は恭しく受任した。
大将軍は、元々袁紹が任じられていた。
この受任により袁紹は大将軍の任を解かれたが、袁紹はそれを不服として自称でそのまま名乗り続けた。
これにより、2つの大将軍が存立したのである。
公孫度陣営は曹操の狙いが読めた。
第一に、袁紹とそのまま争わせ、その間に体制を立て直す狙いがあること。
第二に、袁紹の矛先を公孫度に向かわせることである。
袁紹の自尊心を最大限利用した謀略である。
それをわかっていてその策にあえて乗ることにした公孫度。
袁紹は、華北ではまだまだ余勢があり、このまま放置すれば揺さぶりが必ず来ると判断されたからである。
時代は、新たなる分岐点を英雄達に投げかけるのである。
135
:
野に咲く一輪の花
:2014/04/12(土) 12:09:56
☆☆☆☆衆心3☆☆☆☆
公孫度は200年6月に平原を陥落させた。
これによりかつて華北で威勢を誇っていた袁紹の権威は地に落ちたのである。
袁紹は、田豊に問いかけた。
「田豊よ、このまま公孫度は戦勝の勢いをもってこの北海に迫るのだろうか?」
この発言にかつての尊大で自信に満ちた袁紹の面影はない。
田豊側からすれば、こうなることは目に見えていた。
また、田豊を嫌っていたのにここに来て歩みよりは都合がよすぎる感があった。
『厚顔と言うべきか、いやこれこそ名門家系の程よい鈍さか』
田豊はそう思ったが、それを押し留めるように、
「大将軍、公孫度は軍を北海にすぐに向けることはしないでしょう」
田豊は断言した。
「それは、どういうことか?」
「大将軍、公孫度の戦いは、つねに堅実な戦いをします。自領を守れる最大限の兵力を置くでしょう。
曹操が華北から撤退したとは言え、洛陽にはまだ10万の大軍がおり公孫度もまた上党に大軍を置かざるを得ません。
曹操と公孫度は表向きは共闘しているかに見えますが、隙があればどちらかが戦火の口火を開くでしょう。
また、濮陽(ボクヨウ)にも数万の大軍がおり、ギョウ、平原と守備に残さざるを得ません。
その上で、公孫度が年内にも出せる兵力は5〜6万がやっとでしょう。このような兵力では公孫度に北海攻略は無理です。
その間に体制を立て直すのです」
この発言を聞いて、袁紹ははじめて安堵の表情を見せた。
「そうか、それならばこの北海、いや倭の力を結集して公孫度や曹操に目に物を見せてやることが出来る」
袁紹は再び自信を取り戻した。
田豊は静かに一礼した。
『袁将軍はそう仰るが、私の進言も虚しいものか』
田豊はわかっていた。
今や幽州、冀州(キシュウ)、幷州(ヘイシュウ)を領有した公孫度と自我の戦力差は歴然である。
いずれ公孫度は大軍で攻めてくるであろう。
ちなみに、田豊の読みは半分当たり、半分は誤ることになる。
136
:
野に咲く一輪の花
:2014/04/13(日) 00:41:04
☆☆☆☆衆心4☆☆☆☆
田豊の読みどおり快進撃を続ける公孫度軍は、突如休止した。
洛陽に大軍を置かれたのと、濮陽(ボクヨウ)方面からの北上を警戒してのことであった。
公孫度は、この機に兵の休養と再編成をさせた。
これまでの公孫度軍は華北の覇権を巡り、連戦を続けていた。
この勢いのまま進撃すべきであるとの意見もある中、公孫度は英気を養うと言って休養を取らせたのである。
ところで、公孫度軍には袁紹を見限り公孫度に従った将も多い。
麹義もその一人である。
麹義は袁紹軍にいた頃、自分が袁紹軍の中でも一番の将であるという自負があった。
加えて、主君である袁紹が名門出身のこともあり、どこか袁紹を見下していた。
武を尊ぶ者にとって、名家の者などただの家柄がいいお坊ちゃんにしか見えない。
この態度が袁紹に疎まれる要因になったのは、いわば自業自得とも言える。
麹義は、公孫度に降ってから初めて公孫度にあった日を思い出していた。
剣を片手に冷たい目で見つめる公孫度。
麹義は戦慄を覚えた。
『とても袁紹と同列に扱うべき存在ではない。烏丸にその武威が轟いているだけはある』
以後、麹義の傲慢な態度は、公孫度陣営の中では消えていくのである。
137
:
野に咲く一輪の花
:2014/04/20(日) 20:03:07
☆☆☆☆衆心5☆☆☆☆
公孫度は軍を静養させている間、軍議を開いた。
その軍議の主な内容は、北海侵攻の件であった。
沮授が口を開く。
「大将軍、北海への征伐ですが今の保有戦力では今年度中には非常に厳しいのが現状であります」
沮授の言葉に皆沈黙する。
今の軍備で華北に十分な防衛戦力を置くと、北海に向けられる戦力は、今年度中であれば出せても6万がいいところである。
それでは、北海の守りに阻まれてしまうのである。
そうかと言って、時間をかければ中原の曹操の戦力はより拡大してしまう。
結局進退窮まる状態になってしまうのである。
場の空気が重たい中、徐貌(ジョバク)が発言する。
「大将軍、最近妙な詩が巷で流れているのをご存知でしょうか?」
徐貌(ジョバク)の言葉に公孫度は眉を潜めた。
「いや、知らんがどういう内容なのだ」
「成功して故郷に戻ってその姿を見せないのは、錦の服を着て、真っ暗な夜歩くようなものである。
誰も気づかないではないか。されど東海の畔にて会えば、感慨はなお深いものに為らん」
徐貌(ジョバク)は歌うように言った。
事実、この詩は最近平原の童子の間に大流行していた。
無垢な童子に天意は降りる。
この時代の人は、この手の啓示を深刻に捉えていた。
公孫度は顎を擦りながら考えるような素振りを見せた。
「徐貌(ジョバク)よ、どう考える?」
公孫度はしばし間を置いて問いを投げかける。
「前言の言葉は史記にもある項羽が祖国に帰るきっかけとなる文ですな。
違うのは、それに東海の畔にてという行です。これは遼東の兵と平原の兵が東海の畔にて合流せよという暗示ではと」
「うむ、わしもそう思った。たしか遼東には倭からの侵攻に備え安平の呉巨の兵力を増強させていたな」
「左様です」
呉巨とは、公孫度軍の唯一の水軍を率いる将である。
増大する倭方面からの戦力に対抗する任に当たっていた人物である。
徐貌(ジョバク)は続けて言う。
「たしかに先の下ヒ攻めで倭の戦力はほぼ壊滅状態と聞きます。今その軍を動かしても遼東に侵攻される危険性は少ないでしょう」
諸将の表情が俄かに明るくなる。
「よし、別働隊には公孫康その方が指揮を取れ。副将は呉巨を任じる」
公孫度の言葉に一瞬戸惑いを見せた公孫康。
「公孫康、お前もそろそろ三軍を率いる将となって貰わねば困る」
公孫度の言葉に静かに拱手する公孫康。
『我が息子ながら何を考えているのかよくわからんところはある』
実は公孫度の中で、この公孫康の日頃の振る舞いに何か言い難いものを感じていた。
それを隠すように、
「以上だ。皆の者各々準備に励むように」
公孫度はそう言って、軍議を終えた。
諸将一同拱手してその場を出て行く。
最後に残ったのは、沮授と陳宮である。
「先ほどの軍議の後半から何か考えがあると推測しましたがどうされましたか?」
陳宮が公孫度に問いかける。
二人は公孫度の微妙な表情を見逃さなかった。
公孫度は笑いながら、
「流石だな、先の巷に流れる詩のことよ」
公孫度は率直に胸の内を明かす。
「あの詩は我が軍に明るい兆しをもたらすものかと。まさに神意ですな」
沮授が言ったのを、公孫度は否定するように首を振る。
「神意か、あれが神意なものか、人の業だな」
公孫度はそう言い切った。
亡き公孫旺は現実的に判断する人で、それに影響を受けた公孫度だからこその判断である。
公孫旺は法家の人で、法家は現実的に物事を処理していく人間が多い。
ゆえにその影響を受けた公孫度も極めて現実的な判断が下せたのである。
「沮授、陳宮、この件秘かに背後関係を調べるように」
沮授と陳宮も公孫度の言わんとする真意がわかった。
一礼してその場を後にする。
時は益々激動の渦に巻きこまんとしていた。
138
:
野に咲く一輪の花
:2014/04/27(日) 19:06:02
☆☆☆☆衆心6☆☆☆☆
公孫度軍が軍の一時的な休養と再編成を行っている頃、沮授は目まぐるしく動いていた。
軍の再編成、各将への振り分け、北海攻略の段取りなどやることは山ほどあったからである。
今日も自邸にて軍務の処理をこなしていた。
ふと気が付くと、深夜にまで作業していたようだ。
「如何な、こんな時間になっていたのか」
深く息を吐き、気晴らしに庭に出る。
『今日は明るいな、そうか満月であったのか』
今日は一面星空が見え、その中に闇夜を明るく照らす月の存在があった。
沮授はつねに多忙な身であったのだが、精神は充実した日々であった。
ふと、沮授は昔の事を思い出した。
月夜が沮授の心をあの頃へと誘ったのか。
沮授は、冀州(キシュウ)ではその名を知られた豪族の家から生まれた。
このまま沮授は冀州(キシュウ)で仕官をして順調に上がって行く運命だっただろう。
その運命を変えたのは、黄巾の乱前の旅先で知り合った公孫度と公孫旺に出会いに端を発する。
特に公孫旺はこれほどの人物が世にいるのかと思えるぐらいの才の持ち主であった。
法家の人でありながら、法の知識ばかりではなく幅広い知識と慧眼は郡を抜いていた。
その公孫旺をして義弟の公孫度もなかなかの人物である。
沮授はこの二人との出会いを強烈に自身の記憶に植え付けられた。
やがて、公孫度が遼東の太守となり、彼らから招かれた時、周囲の反対を押し切って遼東へと移住した。
結果、ここまでは沮授の決断に誤りはなかったことになる。
もし、この決断がなければ、袁紹に仕えていたかもしれないと思うと、沮授は複雑な心理に陥った。
月夜を見て沮授は思う。
『田豊よ、貴方は今何を思う・・・』
田豊もまた、沮授と同じ冀州(キシュウ)の豪族である。
だが、二人の辿った道は違ったものとなった。
田豊は袁紹に、沮授は公孫度に仕えた。
そして、今袁紹と公孫度は相対する存在になった。
運命の歯車は、彼らに如何なる顛末を与えるのか。
今日も悩める人を見守るが如く、月の光は優しく大地に注ぎ込んでいた。
139
:
野に咲く一輪の花
:2014/04/30(水) 00:01:37
☆☆☆☆衆心7☆☆☆☆
「兄者、どうされたというのか」
男は一人月夜を見ながら呟く。
男の名は、関羽と言う。
劉備の将にして、情においては兄弟同然である。
関羽は、劉備が益州を制覇してからずっと永安を中心に防衛の任に当たっていた。
その権限は、劉備から兵の指揮権及び統治まで委託されており、独立した権限を与えられていた。
先程先程関羽が呟いた兄者とは、劉備のことである。
劉備は益州に入り、漢中の実権を勝ち取り、涼州・雍州(ヨウシュウ)の曹操軍と戦った。
ここまでは、よかった。
武都も攻略してまさに曹操と相対すところまで来た。
しかし、その後は静観の構えを取った。
関羽が苛立ちを見せたのは、そのことではない。
秘かに益州南郡に兵を集めた劉備は、同盟相手である劉表の背後を脅かす交州を攻めた。
交州は、孫堅が実効支配している土地である。
『確かに同族である劉表の援護に入るのは、情を重んじる兄者らしい。だが大義を疎かにしていないか』
関羽ほど理想に邁進していく将はいない。
それも頑なと呼べるほどに・・・。
関羽の理想を追い続ける姿勢は素晴らしいものがあった。
だが、理想を追う者は、時に周りが見えなくなる傾向に陥ることがある。
関羽もその一人である。
関羽は、曹操軍を倒し、漢再興の夢を突き通した。
ゆえに、漢津港を曹操軍が劉表から奪取した時に迷わず軍を派遣して曹操軍を追い払った。
問題はその後である。
関羽はそのまま漢津港に居座り続けた。
本来であれば、同盟相手に返上すべきところである。
この事は、後に大いなる軋轢を生むことになる。
関羽は、月夜を見ながら、なお想いを連ねる。
『そもそも益州の重臣である張松殿などがなぜ兄者を益州に招いたのか?
そして、兄者はその求めにあれほどすんなりと応じたのか』
月夜を眺める関羽の心に自身すら認識しない寂しさが募っていた。
その心を癒すがごとく今日の月は優しく照らしていた。
140
:
野に咲く一輪の花
:2014/05/11(日) 18:47:52
☆☆☆☆衆心8☆☆☆☆
孫堅の治める江東は、中原とは一風変わったところである。
食も中原が麦主体であるのに対し、米を主体としている。
そして、何より今で言う占い師や預言者のような者も多く輩出している。
これは、秦漢統一前、この地に楚という大国があったことに深く関係する。
この楚の国に宰相と同じ役割を持つ令尹という役職があった。
この令尹とは、占いをもって政治を行う祭事行為の役職でもある。
楚は、こうした古代よりの慣習を引き継いでいることでも他国と比べると中原とは異なっている。
さて、ここで一人の男が月夜を見ながら、思案を巡らせていた。
男の名は、朱治という。
男はかつての反董卓連合の時も孫堅本隊とは別行動を取っていた人物である。
その為、世の多くの人に知られていないが、孫堅の快進撃を後方から支えていた重要人物である。
この孫堅陣営の中でも渦中より一歩外から見れる立場にあった朱治からしてみれば、孫堅のここまでのやり方には神懸りと言ってもいい。
事実、孫堅もまた江東特有の風土的特徴を上手く利用してきた。
すなわち、占い師の起用である。
孫堅の扱う占い師は、巫女であった。
この巫女が時に周りを驚かすように正確に予言を行ったので、孫堅も大いに重用したのである。
実のところ、孫堅が襄陽を撤退したのも、この巫女のおかげであるとも言える。
当時、呉景という人物が、江東の呉郡に滞在していた。
呉景と孫家は親戚関係にある。
この叔父に圧力が掛かり、危機に陥ったことをいち早く察知したのである。(注1)
孫堅はこの叔父救援を優先し、襄陽から撤退し転戦する。
朱治は思う。
『あの時、孫堅様が撤退したのは口惜しい話ではあるが、結果孫家の今の繁栄に繋がったのではないか。
惜しむべきは、我が孫家に天運を与えてくれた巫女が亡くなったことか』
朱治の言う通り、巫女は先年流行病で亡くなっている。
朱治は、月夜を見ながら、孫家の先行きを思う。
何よりも後方支援で孫家を支えたのは、朱治の功績である。
ふと、思案しながら池のほとりまで出て来た。
月が池に映し出される。
その池に映し出される月を見ながら想う。
『我等の行く先をどうか天よ、月よ、示したまえ!』
朱治がこの後何を想ったのか、不明である。
注1:呉景が危機に陥るのは、実際の歴史ではもっと先の話である。
この辺りにも本来の歴史とは、異なっている。
ゆえに、孫堅も在命しているとは、ある意味皮肉な因果である。
141
:
野に咲く一輪の花
:2014/05/14(水) 19:23:41
☆☆☆☆衆心9☆☆☆☆
『曹操、あの男も何を考えているかわからぬ。だが、治世に公平性があるのはわかる』
男は宮殿の庭から、月夜を見て思う。
思えば董卓が実兄である前皇帝を廃したときから男の運命は変わった。
男の名は、劉協という。
漢帝国の現皇帝である。
『朕という皇帝の存在が今や何だというのだ!』
劉協は自嘲気味に思う。
思えば、自分を擁立した董卓も曹操も変わっていた。
特に董卓は今を持ってして謎の多い人物である。
まずは、粗暴でありながら、帝国の改革者であった事。
次に、かつて半董卓連合軍が組まれた戦いの勝利後のことである。
その覇者となった董卓であるが、その後自らの死を悟った時に当時一諸侯にも満たなかった曹操を後継者に選んだのである。
曹操と董卓に接点はないように思われ、その後継者選択は今でも謎である。
そこで何が話し合われたのかも、劉協は知らない。
しかし、劉協は思う。
『曹操は悪名など意に介さない。だが、治世の実績には定評がある。董卓もその辺りを見込んだのだろうか』
ふと、劉協は儒者が理想とするある形を思い出す。
『禅譲』
もう過去の誰も知らない神話水準の話である。
「おっ!」
劉協は突然声を上げた。
庭園の池に、木の葉が舞い降り、月を映し出す水面に波紋が生じたのである。
劉協が驚いたのは、自身の考えを読まれたように為す自然の出来事であったからだ。
『いや、これが天意というものなのか・・・・。天よ、どうか我が道を指し示したまえ!』
劉協にその答えを与えたのか、月は煌々と地を照らしていた。
142
:
野に咲く一輪の花
:2014/05/31(土) 14:45:19
☆☆☆☆衆心10☆☆☆☆
「公孫度軍襲来!」
その報を北海の袁紹が受けたのは、200年11月のことである。
袁紹陣営に激震が走った。
「公孫度がこちらに兵を挙げるのは、早くても来年のことではなかったのか?」
そう言うのは、郭図である。
先の袁紹に進言した田豊に対する不快さを隠さない口調である。
一方で、ここまで袁紹は珍しく目を閉じて静観の構えを取っている。
「して、軍勢は如何ほどであろうか?」
高幹が問う。
高幹は袁紹の信頼も厚い親戚であり、軍事にも明るい人物とされている。
「6万との報告が入っております」
高幹の問いに物見の者が答える。
「それは、間違いないか?」
ここまで、袁紹同様無言であった田豊が問う。
「間違いございません」
田豊はその答えを聞いて何か違和感のようなものを感じていた。
『公孫度はいたずらに兵を出す者でもない。しかし、平原方面から出せる兵力は、確かに今現在では6万がいいとこであろう。
それでも何かおかしい』
田豊の思慮を他所に、ここまで無言であった袁紹が口を開く。
「ならば、ここで篭城だな。袁家の意地を見せてやろう」
袁紹の言葉がいつになく重く感じる。
一同袁紹の威厳に圧倒された。
『ここで公孫度を破れば、挽回の時は訪れる』
今の袁紹には、確かにそのように思わせるだけの雰囲気があったのである。
143
:
野に咲く一輪の花
:2014/06/08(日) 18:19:36
☆☆☆☆衆心11☆☆☆☆
「よし、引き付けて・・・・今だ、放て!!」
審配の掛け声と共に放たれる弓矢。
公孫度軍に多大なる被害が与えられていく。
『勝てる!公孫度軍の寄せ手の士気は明らかに落ちている』
兵がそう思うほどに北海の守りは磐石で、袁紹軍の士気は上がっていた。
加えて、ここに来て袁紹の沈毅な態度が確かな安心感をもたらす。
兵ばかりではない。
『行ける、行けるぞ、ここで公孫度軍を叩けば、我が軍は再び飛翔する機を得る。そして・・・』
謀臣の郭図の中にそう思わせる何かが今の袁紹軍にあった。
一人、田豊を除いて。
『ここまでの情勢は我が方に有利に働いている。だが、何か我らに見落としているものはないか?』
「伝令!各諸県に通達!敵勢力の何でもよい。何か小さな動きでもあれば知らせるように!」
田豊の不安を他所に公孫度軍の攻勢は日に日に衰えていた。
そして、ある朝。
「公孫度軍がいない。昨夜のうちに撤退したのだ!」
あれほど重囲していた公孫軍の撤退。
そして、袁紹軍の勝利。
「袁将軍、万歳!」
兵の勝利の歓声が響く。
「袁紹様、ついにやりましたぞ」
郭図が興奮する中、袁紹は静かに目を閉じていた。
「行けるぞ、行けるぞ、追撃だ、そして失地回復だ!」
誰かがそう叫んだ。
144
:
野に咲く一輪の花
:2014/06/25(水) 21:08:32
☆☆☆☆衆心12☆☆☆☆
追撃の言を受けた袁紹。
袁紹は静かに立ち上がりながら剣を抜く。
「追撃だ」
袁紹の威厳のある物言いで、全軍の士気は高まる。
そのままの勢いで出撃する袁紹軍。
「なかなか敵軍も撤退する速度が速いではないか!」
審配がそう言う。
事実斥候の知らせによれば、公孫度軍の撤退は急速に戦線を縮小させつつある。
だが、なんとか追いつけそうだ。
袁紹軍はそれこそ昼夜を問わず相手を追い詰めようとしていた。
その甲斐もあって、袁紹軍は2日後ついに公孫度軍に追いついた。
相手は撤退中の傷ついた軍。
このまま攻撃に入れば、袁紹軍の勝利だったのかもしれない。
しかし、ここで田豊が各地に放った偵騎から驚くべき報告が入る。
東來港が公孫度の水軍に襲われ、占領されていたのである。
のみならず、公孫度の水軍は、そのまま北海へ向けて進軍中。
さらに今から引き返しても、別働隊の敵軍のほうが先に北海に到着する。
袁紹軍に動揺が走る。
まるで頃を見計らったように公孫度軍本隊が反転してくる。
一人田豊は、
「殿、万が一のことも考え、殿は東武港にお退きくだされ。それがしは、北海にて公孫度軍を出来るだけひきつけます」
「田豊、それは不要ぞ、かくなる上は、全軍東武港に撤収する!」
この危機に対しても、袁紹は不思議な威厳があった。
『開き直りなのか、はたまた・・・・』
田豊は、袁紹の威厳に押された格好で、
「殿はそれがしが承ります」
そういい残し、陣を後にする。
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