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三国志Ⅸ 公孫度伝
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:
野に咲く一輪の花
:2014/05/11(日) 18:47:52
☆☆☆☆衆心8☆☆☆☆
孫堅の治める江東は、中原とは一風変わったところである。
食も中原が麦主体であるのに対し、米を主体としている。
そして、何より今で言う占い師や預言者のような者も多く輩出している。
これは、秦漢統一前、この地に楚という大国があったことに深く関係する。
この楚の国に宰相と同じ役割を持つ令尹という役職があった。
この令尹とは、占いをもって政治を行う祭事行為の役職でもある。
楚は、こうした古代よりの慣習を引き継いでいることでも他国と比べると中原とは異なっている。
さて、ここで一人の男が月夜を見ながら、思案を巡らせていた。
男の名は、朱治という。
男はかつての反董卓連合の時も孫堅本隊とは別行動を取っていた人物である。
その為、世の多くの人に知られていないが、孫堅の快進撃を後方から支えていた重要人物である。
この孫堅陣営の中でも渦中より一歩外から見れる立場にあった朱治からしてみれば、孫堅のここまでのやり方には神懸りと言ってもいい。
事実、孫堅もまた江東特有の風土的特徴を上手く利用してきた。
すなわち、占い師の起用である。
孫堅の扱う占い師は、巫女であった。
この巫女が時に周りを驚かすように正確に予言を行ったので、孫堅も大いに重用したのである。
実のところ、孫堅が襄陽を撤退したのも、この巫女のおかげであるとも言える。
当時、呉景という人物が、江東の呉郡に滞在していた。
呉景と孫家は親戚関係にある。
この叔父に圧力が掛かり、危機に陥ったことをいち早く察知したのである。(注1)
孫堅はこの叔父救援を優先し、襄陽から撤退し転戦する。
朱治は思う。
『あの時、孫堅様が撤退したのは口惜しい話ではあるが、結果孫家の今の繁栄に繋がったのではないか。
惜しむべきは、我が孫家に天運を与えてくれた巫女が亡くなったことか』
朱治の言う通り、巫女は先年流行病で亡くなっている。
朱治は、月夜を見ながら、孫家の先行きを思う。
何よりも後方支援で孫家を支えたのは、朱治の功績である。
ふと、思案しながら池のほとりまで出て来た。
月が池に映し出される。
その池に映し出される月を見ながら想う。
『我等の行く先をどうか天よ、月よ、示したまえ!』
朱治がこの後何を想ったのか、不明である。
注1:呉景が危機に陥るのは、実際の歴史ではもっと先の話である。
この辺りにも本来の歴史とは、異なっている。
ゆえに、孫堅も在命しているとは、ある意味皮肉な因果である。
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