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三国志Ⅸ 公孫度伝

138野に咲く一輪の花:2014/04/27(日) 19:06:02
☆☆☆☆衆心6☆☆☆☆

公孫度軍が軍の一時的な休養と再編成を行っている頃、沮授は目まぐるしく動いていた。
軍の再編成、各将への振り分け、北海攻略の段取りなどやることは山ほどあったからである。
今日も自邸にて軍務の処理をこなしていた。
ふと気が付くと、深夜にまで作業していたようだ。
「如何な、こんな時間になっていたのか」
深く息を吐き、気晴らしに庭に出る。
『今日は明るいな、そうか満月であったのか』
今日は一面星空が見え、その中に闇夜を明るく照らす月の存在があった。
沮授はつねに多忙な身であったのだが、精神は充実した日々であった。
ふと、沮授は昔の事を思い出した。
月夜が沮授の心をあの頃へと誘ったのか。

沮授は、冀州(キシュウ)ではその名を知られた豪族の家から生まれた。
このまま沮授は冀州(キシュウ)で仕官をして順調に上がって行く運命だっただろう。
その運命を変えたのは、黄巾の乱前の旅先で知り合った公孫度と公孫旺に出会いに端を発する。
特に公孫旺はこれほどの人物が世にいるのかと思えるぐらいの才の持ち主であった。
法家の人でありながら、法の知識ばかりではなく幅広い知識と慧眼は郡を抜いていた。
その公孫旺をして義弟の公孫度もなかなかの人物である。
沮授はこの二人との出会いを強烈に自身の記憶に植え付けられた。

やがて、公孫度が遼東の太守となり、彼らから招かれた時、周囲の反対を押し切って遼東へと移住した。
結果、ここまでは沮授の決断に誤りはなかったことになる。
もし、この決断がなければ、袁紹に仕えていたかもしれないと思うと、沮授は複雑な心理に陥った。
月夜を見て沮授は思う。
『田豊よ、貴方は今何を思う・・・』
田豊もまた、沮授と同じ冀州(キシュウ)の豪族である。
だが、二人の辿った道は違ったものとなった。
田豊は袁紹に、沮授は公孫度に仕えた。
そして、今袁紹と公孫度は相対する存在になった。
運命の歯車は、彼らに如何なる顛末を与えるのか。
今日も悩める人を見守るが如く、月の光は優しく大地に注ぎ込んでいた。


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