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三国志Ⅸ 公孫度伝
127
:
野に咲く一輪の花
:2014/03/31(月) 22:55:40
☆☆☆☆飛翔6☆☆☆☆
人は調子の良い時には、とことん突き進む事が出来る。
だが、その人の本当の力を量るのは、逆境に立たされている時や不遇の時である。
この時に、どのようなことを行ったかで真価が決まると言っていい。
歴史は多くの事を語ってくれる。
比類ない才能や強大な地盤があるのにも関わらず、危機が迫ると立ち直れず歴史の渦に埋没していく者のなんと多いことか。
曹操は、華北の覇権に敗れた。
その後、周りの群雄である劉備や孫堅など手強い敵が多く存在した中で、戦勝の勢いのある公孫度の南下を完全に抑えた。
これは、逆境の中よく国内を纏め、他の群雄にも隙を与えなかった曹操や家臣団の功績であろう。
また、曹操はこの機に軍政改革を成功させている。
城攻めに少しでも有利になるように専用の部隊の創設を行ったのである。(注1)
さらに曹操は国内を戒め、治安回復に努めた。
これにより格段に治安がよくなり民の危機感は払拭されたのである。(注2)
ところで、曹操ばかりではなく、謀臣の者も危機意識が高いのは、特筆すべきことである。
謀臣筆頭と言われた郭嘉(カクカ)は、一時行方を晦ましていた。
先の華北に橋頭堡を築けず、戦略的にも敗北したことは郭嘉(カクカ)に衝撃を与えた。
郭嘉(カクカ)は、天才肌の人物で、どこか天から大局的に物事を見続けた。
それが、公孫度ら君臣の予測外の活躍を見て、地に足をつけ直に人を観察する機会を作ったのである。
すなわち、この数ヶ月間郭嘉(カクカ)は兵と共に過ごした。
この経験が郭嘉(カクカ)に新たなる広がりを見せた。
郭嘉(カクカ)の謀がさらなる段階に入った頃、荀攸、程イクもまた考えさせられた。
華北の敗北は、その戦略を立案してきた彼らにも重くのしかかったのである。
彼らもまた、郭嘉(カクカ)ときっかけは別として、この敗北を糧に成長した者達であった。(注3)
注1:曹操の兵法に「連射」を追加し、弩兵兵法熟練度を1000とする。
注2:曹操の治める全都市の「民心」を1000にした。
注3:郭嘉(カクカ)、荀攸、程イクの兵法に「混乱」を追加。
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