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真夏の夜の淫夢について語るスレ!
17
:
名無しさん
:2023/07/03(月) 01:24:18
関光彦は1973年1月に生まれた。
祖父は戦後、一代で鰻屋チェーン店のオーナーとなった成功者であったが、その愛娘と駆け落ち同然に結婚した男は、絵に書いたようなろくでなしであった。
光彦が生まれたため祖父も二人の仲を許さざるを得なかったのだが、飲む・打つ・買うの悪癖を備えた男の所業のせいで結婚生活はじきに破綻した。光彦は幼い頃から、父に殴られ、蹴られる母の姿をみて育った。父は光彦をもしばしば折檻した。
折檻された光彦は家を飛び出し、そのたび祖父のもとへ逃げ込んだ。祖父は光彦には甘かったのである。
彼が9歳になったとき、家庭は決定的に崩壊した。父の借金が億を超えたのだった。この返済のため、祖父は血の滲むような思いをして一代で築き上げた資産のほとんどすべてを失わなければならなかった。
祖父もさすがにもう彼ら一家の面倒はみきれず、縁を切ると言い渡した。
両親は離婚し、頼みの祖父にも絶縁を宣告された光彦は、すべてに見放されたような気がしたという。
一転して極貧生活へ落ちた光彦は、転校先でもいじめられ、次第に鬱屈していった。
だが中学へ上がる頃には祖父の態度も軟化しており、ふたたび母親と祖父は親子関係を修復した。
光彦は所属した少年野球のチームではエースの四番となり、恵まれた体格と腕力で他を圧倒した。しかし、一度ねじれた性質はもうもとへは戻らなかった。父親の性格を強く引き継いでいた、とも言えるだろう。
学校では真面目な生徒を演じていたが、放課後ともなれば窃盗と飲酒にふけり、母親と弟を殴った。
高校へは進学したものの、二年生の5月で自主退学。
しばらくは祖父の鰻屋で働くが、暴力癖はおさまらずむしろ悪化していく一方であった。結局、鰻屋は「きついばかりでちっとも面白くない」と言って半年足らずでやめ、その後は夜の街でのバイトを転々として暮らすようになる。
しかし遊ぶ金はいくらあっても足りない。祖父の店へ侵入し、売上金の120万を盗み、その1ヶ月後、また6万円を盗んだ。これを咎められ、光彦は祖父の顔面を蹴った。足の親指が左目に突き刺さり、眼球破裂で祖父は片目を失明した。
18歳になりフィリピン人女性と結婚するが、彼女は3ヶ月足らずで母国へ帰ってしまった。
不満を溜め込んだ関はフィリピンパブで働く女性を店には無断で連れ出し、アパートへ無理に泊めた。これに怒った経営者が893に依頼し、関は200万円の慰謝料を請求される。
彼が被害者の少女宅へ押し入り、あれほどの惨事を引き起こしたのも、そもそもはこの金策のためであった。
逮捕時、関は「ああ、これで俺もついに少年院行きか」としか思っていなかった、という。
1989年の綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人を思い起こし、「あれだけやっても誰も死刑になってないじゃないか。俺なんかまだまともだ」とも思っていたそうだ。
しかし平成6年8月、地裁の判決は死刑であった。ついで高裁、最高裁ともに上告を棄却。
平成13年12月、死刑が確定した。
犯行時未成年で死刑判決が下ったのは、連続ライフル魔の永山則夫以来である。
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