たしかに殺人罪にかこつけての全面的なフィル・スペクター悪者論はどうかと思いますね。
今回のNakedは、結局ポールの個人的なこだわりを関係者が形として残してやったということに意義があるのではないでしょうか。ポールにしてみれば、リンダを除けばほとんど孤立無援の状況で作ったシンプルではあるが、思い入れのあるピアノ・バラードが、勝手に手を加えられて発表されたということに、少なくとも当時は音楽的判断うんぬんを越えたところで感情的に反発するところがあったのだと想像します。その後のライヴなどでは、けっこうフィル・スペクター版に沿ったアレンジでオーケストレーションをシンセで再現して演奏しているようだし。
結果的にはフィル・スペクターの仕事は、あの状況でビートルズの作品として体裁の整ったものを完成させるという要請にそれなりにちゃんと応えたものになっていたと思います。
で、個人的には、Naked版のThe Long and Winding Roadは、未完成ながら親密でパーソナルな雰囲気が新鮮ですが、Let It Beは、なんか従来のヴァージョンに耳が慣れすぎているせいか、ものすごい切り貼りで手が掛かっているという割りには、なんか中途半端な印象です。他の曲は、全体に音質も良く、迫力ある演奏になって悪くないと思います。でも、ところどころ無駄なしゃべりを刈り込むためか、フェイドアウトが早すぎるのが、昔の耳には違和感を残します。
ちなみに、私も非CCCD派なので、アメリカ盤です。ついでに言うと、ビートルズのCCCD化ということに関しては、レコードコレクターズにして、あの程度の扱いしかできないのか、という感想。萩原健太さんは、特集外での発言だし、和久井光司さんだって、あの特集の中ではひとり暴走して書いてしまっている、というような印象を、CCCDにあまり関心のない一般読者には与えるのではないでしょうか。編集長が編集後記の最後で一言だけCCCD化に触れてるのは、単なるアリバイ作りにしか見えず、ちょっとムッとしたかな。