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ときどき投稿

1真保 孝:2022/08/02(火) 15:34:23
●ときどき投稿(74)「ビッグ・バン/ブリストル・セッション」
●1925年、オーケー・レコードを退職したラルフ・ピァーは念願の南部地方に埋もれている無名の歌手たちを発屈すべく、テネシーとヴァージニァの州境の町ブリストルに向かった。自動車には妻と重い録音機と二人の録音技師が同乗していた。当時のブリストルは人口が約8000人ぐらいの田舎町だった。街のメイン通りにある古工場の2階と3階を借りいて、臨時の即席スタジオを設営した。
●はるばるとニューヨークから大手のレコード会社が、タレント・オーディションにやってきたとの広告を出すと、地元のブリストル・ヘラルド新聞もその目的を大きく報じた。広告を見た近隣の多くの応募者に混じって、アーネスト・ストンマンやラルフ・ムーニーなどがいた。早速、7月25日から午前と午後に別れて、腕と喉に自身がある歌手やチームの録音が始められた。
●その中で、カーター・ファミリーが登場したのは、8月1日の夕方だった。” Burry Me Under the Weeping Willow “ “ The Storm Are on the Ocean “など4曲が、午後6時30分から9時30分にわたって録音された。ピアーはすぐにカーターズのすぐれた力量を見抜いていたのか、続けて翌8月2日の午前からも録音に入った。A.P.とサラ、メイベルの3人のレパートリーは、スコッッチ・アイリッシュの
伝統的なバラッドの民謡を演奏しながら、ゴスペルの影響も強く受けていた。ピアーはすぐにこのトリオに大きな発見を見いだしていた。それはA.P.の古謡からのすぐれたアレンジ力と作曲の腕前、サラの万人に支持されるであろう歌声、メイベルの力強いギターワークだった。
●ジミー・ロジャースの登場は、8月4日の午後2時からで、午前中は共に出演するはずだった同行のチームが意見の相違から分裂して、ロジャース抜きで、ロジャースは単独で午後に応募したと記録にある。いまだに愛され続けるカーターズの曲の中から“ Keep On the Sunny Side ”(陽気に行こう)を聴いてみよう。「・・・長い人生には、辛いことも楽しい時期もある。晴れた日、嵐の日、明るい気持で生きて行こう・・・」。折しもこの曲が流れたのは、1930年の世界的大恐慌が目前の時代だった。人々の気持ちは現在のコロナ以上に暗く沈み込んでいた。
        (票も、寄付もいらないカウボーイ/真保 孝)。


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