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立川談志 掲示板

1 立川談志 掲示板 :2011/11/23(水) 17:58:37
(*)落語の情報
http://rakugoinfo.seesaa.net/


(*) 立川談志「人生、成り行き―談志一」(新潮文庫)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4101343357/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=heartlinks-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4101343357
立川談志。そのセンスと頭脳で落語に革命を起こし、優れた弟子を世に送り出した、まさに至宝である。五代目柳家小さんへ入門、寄席・テレビで人気を得、時代の寵児となる。政治の季節を過ごし、芸に開眼。落語協会分裂騒動ののち、自ら落語立川流を創設する―。談志が、全幅の信頼を寄せる作家・吉川潮に、波乱万丈の人生を語り尽くした。弟子代表・志の輔との対談も収録。
<内容、目次>
第1回 落語少年、柳家小さんに入門する
第2回 “理不尽な世界”の前座修業
第3回 二つ目小ゑん、キャバレーを席捲す
第4回 結婚、そして先を越された真打昇進
第5回 だから政治家になってみた
第6回 選挙くせものこわいもの
第7回 この時、芸に“開眼”した
第8回 落語協会分裂、立川流創設へ
第9回 談志落語を自己分析すれば
第10回 落語家という人生―ゲスト/立川志の輔

2 立川談志 掲示板 :2011/11/23(水) 17:59:25
(*) 「落語決定盤 立川談志 ベストCD」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B004X32ZPS/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=heartlinks-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B004X32ZPS

<内容>
五貫裁き 昭和57(1982)年6月18日 30周年ひとり会
二階ぞめき 平成元(1989)年10月9日 国立演芸場
権兵衛狸 昭和51(1976)年1月30日 第83回ひとり会
らくだ 昭和47(1972)年3月19日 第51回ひとり会

3 立川談志 掲示板 :2011/11/23(水) 17:59:50
落語家の立川談志さん、喉頭がんで死去 2011年11月21日
ttp://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20111123-OYT1T00469.htm
 人気落語家で元参議委員議員の立川談志(たてかわ・だんし、本名・松岡克由=まつおか・かつよし)さんが、2011年11月21日、亡くなった。

 75歳だった。

 1936年、東京都生まれ。52年に五代目柳家小さんさんに入門。小よしの名で前座に。54年に小ゑんで二ツ目、63年に五代目立川談志を襲名して真打ちに昇進した。小ゑん時代から頭角を現し、切れ味のある啖呵(たんか)と痛烈な毒舌でファンを増やした。同年代の三遊亭円楽さんや古今亭志ん朝さん、春風亭柳朝さんとともに「寄席四天王」と呼ばれて活躍。66年開始の日本テレビ系の演芸番組「笑点」で初代司会者を務め、テレビやラジオ、映画の世界でも売れっ子になった。

 71年には参議院全国区に無所属で立候補して当選。自民党に入党し、沖縄開発庁政務次官も務めた。

 83年には、弟子の真打ち昇進問題をきっかけに一門とともに落語協会を脱退。「立川流家元」として一派を率い、志の輔さん、談春さんらの人気落語家を育てた。

 97年にがんを公表。手術して高座に復帰したが、09年8月末に体調不良から休養を発表。10年4月に再度復帰を果たしたものの、今年4月に当面の休養を発表し、入退院を繰り返しながら闘病を続けていた。

4 立川談志 掲示板 :2011/11/23(水) 18:00:10
(*) 「立川談志 古典落語特選 DVD-BOX」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00009SEQQ/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=heartlinks-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B00009SEQQ

落語界の重鎮、立川談志が、数多く行ってきた独演会の映像素材の中から、自らの芸に厳しい談志自身が厳選した古典落語の演目を収録した初映像作品。


<内容、目次>

京王プラザホテル エミネンスホールにて 2001.7.23
「代書屋 」・・代書屋へいろいろな客がやってくる。まず、履歴書を頼みに来た男。生年月日を旅順陥落の日から逆算したり、トンチンカンな職歴をまくしたてたりで、訂正だらけの履歴書ができてしまう・・
「つるつる 」・・幇間の一八が、芸者のお梅に恋をした。口説くとお梅は、お酒を飲まずに今夜二時に私の部屋に来れば、一緒になってもいいと言う。今夜ばかりは酒を飲むまいと思った一八だが、強引なお客の座敷の声がかかり・・


京王プラザホテル コンコードボールルームにて 2001.6.28
「ずっこけ 」・・酔っ払いが、居酒屋で看板だと言われてもなかなか帰らない。そこへ迎えに来た熊さんが勘定を払って連れ出したが、途中で小便をするわの大騒ぎ・・
「居残り佐平次」・・初対面の四人と品川の遊郭に遊びに行った佐平次。散々騒いだ挙句に、四人を帰して自分は居残ることに・・酒の相手ができて面白い佐平次は、やがて客の評判となるが・・
佐平次の生き様が、好きで好きで堪らない談志の陽気な高座。


「立川談志独演会」なかのZEROホールにて 2002.2.15
「松曳き」・・粗忽者の殿様は、庭の松が気になって仕方が無い。家老の三太夫と松曳きと相談しているところに、国許から書面で殿様姉上死去の知らせが。大慌てする三太夫だが・・・。
「野ざらし」・・隣の隠居・緒方清十郎を尋ねて来た若い娘が、気になって仕方がない長屋の八五郎。どこの誰だと聞けば、隠居は釣りの帰りに見つけた野ざらしの髑髏の幽霊だと言う・・

「高座五十周年、立川談志」東京芸術劇場 2002.9.5
「子ほめ」・・長屋の熊さんが、隠居に世辞の言い方を教えてもらう。赤ん坊の生まれた仲間に世辞を言って、ただ酒にありつこうって魂胆なのだが、どうにもトンチンカンな世辞になり・・
「粗忽長屋」・・浅草は雷門、行き倒れの身元を調べている役人に、粗忽者の八っつあんが死骸は隣人の熊だと告げる。しかも、死骸は行き倒れの当人に引き取らせると言うのだが・・。

5 立川談志 掲示板 :2011/11/23(水) 18:00:28
繊細な心持った暴れん坊 立川談志さん「死んだら喜ぶやつがいっぱいいる」
ttp://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/11/23/kiji/K20111123002093650.html
 繊細な心を持った暴れん坊―。亡くなった立川談志さんは、才気にあふれた古典落語家として活躍する一方、痛烈で毒のある言葉で落語界や社会に挑み続け、反逆児としての姿勢を終生、貫いた。

 談志さんは「柳家小ゑん」と名乗っていた二つ目時代から、テレビ、ラジオで活躍。20代後半で真打ちに昇進後は将来の落語界を背負っていく人材と期待された。

 ところが「思ったことをすぐ口にする生き方」のせいか脱線もしばしば。テレビ番組の発言で抗議を受け、参院議員になってからも“放言”を連発し「大衆の声を代弁している落語界のために頑張りたい」という願いを果たせないまま、政界から身を引いた。

 復帰した落語界でも真打ち制度などで幹部と対立。落語協会を脱退して立川流を創設し、弟子たちを厳しく指導した。

 突っ張った生き方の背景にあったのは、落語に対する人一倍の愛情。「いろんなことをやっているのはすべて寄席に客を呼ぶためだ」と話し、定期的に「ひとり会」と題した独演会を開き、芸を磨く場を確保した。

 がんを公表したのも「ひとり会」の高座。その後の記者会見でも「おれが死んだら、喜ぶやつがいっぱいいる」と発言するなど、常に言動が注目される落語家だった。

6 立川談志 掲示板 :2011/11/23(水) 18:00:42
(*) 立川談志「人生、成り行き―談志一」(新潮文庫)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4101343357/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=heartlinks-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4101343357
立川談志。そのセンスと頭脳で落語に革命を起こし、優れた弟子を世に送り出した、まさに至宝である。五代目柳家小さんへ入門、寄席・テレビで人気を得、時代の寵児となる。政治の季節を過ごし、芸に開眼。落語協会分裂騒動ののち、自ら落語立川流を創設する―。談志が、全幅の信頼を寄せる作家・吉川潮に、波乱万丈の人生を語り尽くした。弟子代表・志の輔との対談も収録。
<内容、目次>
第1回 落語少年、柳家小さんに入門する
第2回 “理不尽な世界”の前座修業
第3回 二つ目小ゑん、キャバレーを席捲す
第4回 結婚、そして先を越された真打昇進
第5回 だから政治家になってみた
第6回 選挙くせものこわいもの
第7回 この時、芸に“開眼”した
第8回 落語協会分裂、立川流創設へ
第9回 談志落語を自己分析すれば
第10回 落語家という人生―ゲスト/立川志の輔

7 立川談志 掲示板 :2011/11/23(水) 18:01:09
(*) 立川談志「現代落語論」(三一新書)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4380650073/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=heartlinks-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4380650073
著者:立川談志

1965年に記された立川談志師匠の著書が復刻。

<内容、目次>
その一 落語の観方聞き方。
噺のおもしろさ。 落語の落げ。 「地口落ち」。 「考え落ち」。 「見立落ち」。 「幽霊落げ」。 落げの演出法。 噺のスター。 笑い三態とギャグ。 ケチはケチなりに、泥棒は泥棒なりに。 間抜けの楽しさ。 寄席のエリート。 講談と落語。 落語のルール。 郷愁と夢。 素朴・正義感・四季。 艶笑落語。 艶物復活。 女性は艶物がお好き。 艶物の演出法。 廓噺について。 色物について。 音曲について。 

その二 真打になるということ。
浅草松竹演芸場。 映画『大平原』に感激。 多摩川園劇場。 少年講談。 寄席通い。 はじめて志ん生を聞く。 三遊亭歌笑の死。 落語は非行化を救う。 みっともないから、ヤメテクレ。 真山恵介さんとの出会い。 小さん師匠の家。 小よし誕生。 ふしきな世界。 前座・二つ目・真打。 前座の修業。 ワリの話。 楽屋帳の話。 落語の題名について。 出番のやりくり。 予備出演ということ。 師匠を真似ること。 バケた林家三平。 イジられる話。 楽屋で博打はご法度。 鯛焼に泣く。 怒鳴られる奴ほどものになる。 初高座。 無言のルール。 噺のケイコ場。 月謝なしに噺を教わる。 十八歳で二つ目になる。 自分の落語をつくりだす。 湯浅喜久治とのこと。 古典落語のセンスとトピック。 妙な現代化はやめよう。 若手落語会。 春風亭橋之助のこと。 若手落語会の崩壊。 若手試演会のこと。 東宝若手勉強会をクビになる。 落語錬成会のこと。 ウエストサイド物語に感動。 アスティアにサインをもらう。 タップダンスに熱をあげる。 噺家とモダンジャズ。 噺家芝居。 大阪へ出演。 石井均と松竹文化演芸場。 梅田の花月。 西条凡児の漫談。 真打の声がかかる。 五代目立川談志の誕生。 オレは真打だ。 

その三 昔の噺家・今の寄席。 
柳亭左楽・桂文治・三遊亭円歌のこと。 謳いあげる春風亭柳好。 落語ライブラリーの計画。 ツバナレと入れかけ。 三河島まつみ亭。 千住の栗友亭・神田の立花亭。 木馬館と麻布十番クラブ。 川崎演芸場のことなど。 噺家に受けない麻雀。 はじめての独演会。 村田英雄さんの浪曲。 「二人のシャンソン歌手と一人の落語家」。 「女は風船そよ風まかせ」。 楽しい夜のショー。 安上り勉強法。 寄席ブームと「談志ひとり会」。 

その四 観客・芸・人気ないしは笑について。 
労音という名のお客。 アートシアターという寄席。 噺家の演出と創造。 古今亭志ん生の芸について。 愛される芸人とは。 人柄と芸のきびしさ。 落語の超越した笑い。 落語の笑いとギャグ。 古典落語は泣いている。 スパゲッティの伴奏。 客席のエチケット。 笑わせない工夫。 いい笑いを教える。 落語はどうなるか。 

その五 わたしの落語論。
新作落語は落語ではない。 上方落語と大阪の寄席。 テレビ落語。 落語家が売れるということーマスコミと落語。 落語一筋は昔のこと。 わたしたちの前にはマスコミがある。 二足の草鞋ははける。 落語は果して大衆的か。 芸の保護と大衆化。 器用でないと生きられない。 貧乏は芸を滅ぼす。 無料でも客は客。 現代の落語家

8 立川談志 掲示板 :2011/11/23(水) 18:02:07
(*)立川談志 インタビュー( 2010年07月27日)
ttp://tower.jp/article/feature/67990

立川談志の高座を収めたDVD『立川談志大全』にまつわる話

「芝浜」のこと

──お久し振りです。私は今年になって入院されてる間、DVDの編集をずっとやっていたので、毎日声は聴いていて、いつも家元と一緒にいた様な気がしてますけど。

立川談志 :編集って、切ったり貼ったりするの?

──DVDはそれができないんですよ。絵が飛んでしまいますからね。収録場所がさまざまで、ホールの響きも違います。その響きは生かしつつ、最大公約数でレベルやら声の聞こえ方を平均化するんです。それと、私が録らせていただいたのは、2003年からですから、その頃から、声の調子がその日によって良かったり悪かったりする。それを聴きづらい声にならないように直していくんです。画面の中でもさかんに「ごめんね。こんな声で」みたいなことをおっしゃっている。

立川談志 :今の映像ってのは、どの位置から撮っているわけ?

──一番後ろですね。

立川談志 :すると、この間の「芝浜」も一番後ろから撮って、あのくらいになっているわけだ。それをテレビで観る事もできるわけだ。ホォー。

──私なんか、いつも後ろか横で聴いてますから。正面から見てないんです。あの「芝浜」も今回の映像で初めて観たんです。あの時はヘッドフォンから流れてくる客席の空気に凍りついてました。

立川談志 :そうね。俺も凍りついちゃったけど、客席もそうだったね。

──そうなんですよ!だからアレはノーカットで全部はいっていますよ。枕の導入からね、最初は客席もわりとゆったりとしていたのが、本編に入って、女房の演出がいつもと違うっていうところに来たときに、お客さんが引き込まれていく雰囲気が、私は音だけしか聴いていないんですけども、感じたんですよ。もちろん自分も感じているんですが、それが、客がじーっと聞き入る空気があって。その瞬間に、これはすごいことになったかもしれないって。

立川談志 :(写真家の)橘君もシャッター押せなかったって言っていたけどね。

──そういう雰囲気でしたよ、この「芝浜」は。その空気は、DVDで見る人でもわかると思うんです。
あのシチュエーションを変えたっていうのは、出番前に考えていたんですか?

立川談志 :いやいやもともとね、「芝浜」の原作っていうのは、人情噺みたいで嫌で、女房が亭主のためにやったんだっていうのがみえみえでね。「私のやったことは悪かったかね、悪くないよ」っていっているけど、そのバックには「どうだ」といわんばかりみたいな了見もみえないことはないんでね。それが嫌なんで、全部自然にそうなっちゃったんだという演出には変えていましたけどね。だけどあの時の事を具体的にいうと、女房のほうから「私お酒飲む」って言い出したのは、あの場の感情注入っていうかな、勝手に言い出したんだ。だから落語の神様が降りて来た様だと。

 (以下、続く)

9 立川談志 掲示板 :2011/11/23(水) 18:02:32
──あと、女房の性格を変えたじゃないですか。かわいいだけの女房じゃなかったですよね。

立川談志 :いや、前の女房はね、かわいいっていうより健気な女房でね。あんまり好きじゃなかったんだよね。

──本来だったら私もこの間の女房の演出のほうが家元が好きなタイプなんじゃないかと。

立川談志 :うん。そうだと思うよ。だってあんなことされたら、普通だったら下手すりゃ、女こしらえるよね。(笑)あんな立派な女じゃたまらないってんでね。

──あれは、もう一度やれといわれてもやりにくいですよね。

立川談志 :出来過ぎただけにもうやりにくいねぇ。それと、ふっと考えてやったことはニ度目にやるともうふっと考えたことでなくなるから、それにもう飽きちゃうわけね。


──町田の「居残り佐平次」は帰っちゃう事件未遂の時のやつなんですが、帰らなくて良かったかと。

立川談志 :あの時は久し振りに帰りたくなったね。でも戻ってあの「居残り」だろ。どうなるかわからないもんだね。ま、「居残り」と同じ全て成り行きって訳。人生成り行き。いや、帰ったことはよくあるね。いろんな理由で。「こんな下手な漫才の後には上がれねえ」って帰っちゃったり。その時は放送ですけどね。その時上がってた奴ってのが「のいる・こいる」なんだ。こないだ「おまえら俺が帰ったの覚えているか?」って聞いたら、「覚えてます」って。あのくらいはギャグになるんだ。それから俺の独演会っていうのはね、俺しかでないんだ。他の人みたいに前座を使わない。俺が行かなきゃ始まらないわけね。北海道放送、札幌でね、遅刻してとっくに定刻を過ぎているの。客席のドア開けてね、俺がね「早く始めろ、このヤロー!」って言ったんだ。周りは驚きやがってね。(笑)

 (以下、続く)

10 立川談志 掲示板 :2011/11/23(水) 18:02:57
──そういうの、いいサービスですね。(笑)いや、サービスかな?(笑)

立川談志 :ずいぶん、帰っちゃったな。三越落語会ってのがあってね、前のが延びて随分遅れちゃったから、師匠の前で休憩とりたいんです、っていうから、嫌だ、俺は早く上がりたいし、客の食事を遅らせりゃあいいじゃないかって。聞きたくなきゃ落語なんておっぱらかしていくだろうし、そんなもん嫌だって言ったら、なんとかしてやってくれっていうし、嫌だっていうんで、着物をたたみはじめたんだ。そうしたら三遊亭圓遊師匠(先代)が驚いてね、芸人のくせに頼まれた仕事を平気で放り出して帰っちゃうなんて、初めてみたらしい。もっとも、この人は幇間持ちもやっていたせいで、余計驚いたのかもしれないけどね。その後で、柳家小さん師匠がここに出ることになっていたのだけど、ダメになったので、代わりに談志を出させますといったら、向こうが「頼むからあの人だけは勘弁してくれ」って。「お前、断られちゃったよ」って小さん師匠に言われたけどね(笑)。俺の代わりに師匠が行ったこともあったね。粋なもんだろって言ったんだよ、鈴本に。弟子の代わりに師匠が来るなんてのはね。そうしたらね、「そうはいうけどね、あなたね。林家三平さんが休んで、橘家円蔵さん(先代)が来るのは困ります」って。(笑)そりゃあ、そうだよね。師匠が売れてればね。(笑)
シャレで俺の代わりに、今の里う馬、前座の談十郎をおくったんだよ、二つ目になってたかな。いいでしょう。師匠の代わりに前座が深いところに上るなんていうのはって言ったら、冗談じゃないって鈴本が文句いってたよ。シャレにならないって。なるだろ、って言ったら我々の世界で「シャレがきつすぎる」ってヤツね。「シャレがきついよ」って。

──小さん師匠が行くときって、快く行ってくれたわけですか?

立川談志 :そうだね。親子関係みたいなもんだったんだよ。俺が泊まると、ふとんの四隅を押さえてくれるような人。だからなんでも言えた。喧嘩なんて年中だよ。師匠に平気で小言言っちゃうしね、「うるせえや、どうのこうのって」「うるさくねえや」。でね、どっちが受けるの受けないのとかでね、「じゃあ二人会やろう」って。「俺と二人会やったら、師匠やる前に客は全員帰っちゃうよ」って。讒謗だよね。(笑)「うるせえ、馬鹿野郎」って。流石にね。俺のことなぐってね。なぐるったって、ちょいと頭はたくくらいですけどね。そのくらいの間柄だからね。何でも言えたしね。何でも言えるような状況を俺が作ったつもりでいたわけよ。

 (以下、続く)

11 立川談志 掲示板 :2011/11/23(水) 18:03:21
──師匠は、自分でやったものが残るというのはどう考えているんですか?

立川談志 :あのね、随分前にね。『談志落語集』を出さないかと。俺、嫌だったんだよ。そしたら向こうが、「若い頃はこんなんだったなって思い出にもなりますよ」、って言ってくれたんだけど、なんか俺嫌だったんだね。理由がない訳がない。なんでも物事には理由がありますから。きっと、あんまり青臭くて下手なんで、後になってみっともないと思ったのでしょうね。今考えてみれば、その頃録るなんて珍しい例ですから、録っておけばよかったな、って思います。

──多分、家元が最初に出したのって、ソノシートで「らくだ」と「源平」でしょうね。

立川談志 :そうでしょうね。あれはマネージャーかなんかがね、俺が嫌がっているのに、平気で出しちゃった。向こうは向こうなりにいいと思ったんでしょう。俺は怒って、こんなもん、出しやがって、ていうのはありましたけどね。

──今の若手の人にもこだわって嫌だっていう人がいるんだけどね、やっぱり出しておいたほうがいいと思いませんか?

立川談志 :思う。

──その時じゃなければできないっていうのあるわけだし、年を重ねていくうちに、芸風が変わってきたって。あれはその時のものじゃないですか。

立川談志 :そうだと思うね。

──家元は結構、ひとり会もテープを残していたっていうのもありますし、まだ残っているほうですよね。歴史的にずっと。昭和41年からひとり会始めているじゃないですか。そこからのものは沢山残っているし、今だって録っておけっていうんで、どこのものも回しているわけだし。途中から私が入って録っているし。そういう意味では軌跡が、集大成はできますよ。30年代は放送局にぼちぼち残っているし。我々収集家の所にもまだまだ談志になりたての頃や、昭和36年、37年の小ゑん時代の音があるわけだし。面白いですよね、どう変わってくるのかっていうね。

立川談志 :話は違うんですがね。落語の収集家のところに、ある時屑屋みたいのが来てね、なんかもってきたらしいんだよ。その中にね、今で言うキウイみたいな、今だから名前が出たからいいようなもんの、そこまでいかないようなセコな噺家だとか、何べんも何べんも同じことばかりやっているって馬鹿にしているような漫才ね、そんなテープを安く山のようにガラクタで持って来たんだってさ。「今思えば買っておけばよかった」ってそいつがそう言っていたけどね。それと同じように、出しておけばよかった、っていう部分もあります。

 (以下、続く)

12 立川談志 掲示板 :2011/11/23(水) 18:03:43
──今度のDVDに関してはいかがですか。

立川談志 :まあ、出したいって竹書房が言うんだし、俺の回りには俺様を良くわかってくれる人がいてくれて、ま、あんたとか貞やん(川戸貞吉氏)とか、吉川さんとか、竹書房も一緒。みんながいいって言うんだから内容は信用してる。大体俺様の高座はそれがドキュメントだって言う事でしょ。駄目なものもドキュメントだって、酷いよねそりゃ。そういうの入って無いだろ。

──無い無い。それは大丈夫です。

  (インタビュー終わり)


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(*)談志大全 (上) 立川談志 古典落語ライブ2001〜2007

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0039M6OYW/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=heartlinks-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B0039M6OYW

若き日より工夫を凝らしてきた十八番に加え、ライブ映像初登場となる「子別れ(下)」「風呂敷」「青龍刀権次」等のネタ下ろし演目、絶品の伝説を作り上げた「居残り佐平次」、さらに“芸術の神(ミューズ)が舞い降りた”と評される2007年12月18日の「芝濱」までもを網羅した立川談志21世紀版スーパーベスト
<演目>
第一巻:二階ぞめき、疝気の虫、★包丁
第二巻:粗忽長屋、★夢金、文七元結
第三巻:★青龍刀権次、★小言幸兵衛、★子別れ(下)
第四巻:富久、★首提灯、★五貫裁き
第五巻:二人旅〜万金丹、★慶安太平記、紺屋高尾
第六巻:へっつい幽霊、唖の釣、★山屋
第七巻:木乃伊取り、★浮世床〜女給の文、黄金餅
第八巻:鼠穴、★かぼちゃ屋、★死神
第九巻:つるつる、権助提灯、居残り佐平次
第十巻:らくだ、★風呂敷、芝濱
(★は初映像化演目)

13 立川談志 掲示板 :2011/11/24(木) 16:59:32
立川談志さん、ゼッタイ放送できない“遺言”“戒名”凄い中身
ttp://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20111124/enn1111241131004-n1.htm

 落語とは人間の業の肯定である−と喝破した古典落語の名手、立川談志さんが21日午後2時24分、喉頭(こうとう)がんのため都内の病院で死去した。75歳だった。“しゃべれない談志”は見せたくない、というダンディズムで密葬が終わる23日までその死が伏せられたが、弟子たちとの最期の筆談では、放送禁止用語のあの4文字を贈る洒脱さを見せた。

 「家族の方のみで荼毘に付されたと、先ほど聞きました。最後の最後まで師匠らしい。自分の良しとしない姿は弟子どもに見せてなるものか、というダンディズムですかね」

 都内で師匠の訃報を知った弟子の立川志の輔(57)は、こう語り唇を噛んだ。最後に会ったのは8月。談志さんはがんによる呼吸困難から気管切開で話せない状態だった。

 「筆談で放送できない言葉をホワイトボードに…。えっ、これ書くのかよ?って大笑いでした」

 弟子の談笑(46)もフジテレビの取材に、「かろうじて筆談ができる状況で集まった弟子に最後に何か言いたいことあるかって聞いたら紙に書き出したんですが…放送できないんです、最後の言葉が」と目を腫(は)らしていた。

 その弟子との最後の交歓の様子を談志さんの長女、弓子さん(48)は、「体温が39度ぐらいあったのに、熱が下がる注射をしてもらい、担がれるようにして行った。お弟子さんの前では、びっくりするぐらいしっかりしていた。しゃべれませんでしたが…」と語った。

 さて、稀代の落語家が、最後に記した言葉は何だったのか。一門に近い関係者が夕刊フジに明かした。

 「ズバリ、『お××こ』ですよ。銀座の行きつけのバーMに一門の愛弟子17人が集められました。覚悟を決めた弟子たちは、師匠がおぼつかない手でホワイトボードに書く文字を固唾をのんで見守ると、『お××こ』。もう、大受けでした」

 談志さんが心酔した上方の名人、6代目笑福亭松鶴の葬儀に着想を得た「寝ずの番」という映画がある。原作は中島らも。師匠が死に際、弟子たちに最後の願いを聞かれ「ソトが見たい」という。それを「ソソ(関西弁で女性器)が見たい」と取り違えた弟子のひとりが、妻を差し出し、師匠の眼前で観音開きをする−というオチだ。あるいは、その場面がよぎったのだろうか。

 談志さんが生前、自分で決めていた戒名もふるっている。

 立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわ・うんこくさいいえもと・かってこじ)。

 エロと下ネタ。あえて禁じ手で締めくくった。「オレが死んでも、この2つはテレビじゃ言えねえだろ」と、したり顔の談志さんが目に浮かぶ。

14 立川談志 掲示板 :2011/11/24(木) 17:01:11
立川志の輔、2日たっての訃報に「最後まで師匠らしい」…談志さん死去
ttp://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20111124-OHT1T00014.htm?from=yol
 立川談志さんの訃報に、芸能界は悲しみに包まれた。弟子の立川志の輔(57)は23日夜に会見し「師匠のダンディズムを受け継ぐ」と悲しみをこらえて語れば、関西では桂三枝(68)が訃報を「ウソだと思いたい」と号泣。ゆかりのある人々がコメントを寄せた。

 立川談志さんが亡くなってから2日たったこの日になって訃報を知ったという志の輔。「ついさっき聞きました。最後の最後まで師匠らしいなと思った。自分が良しとしない姿を弟子には見せなかったというのは、最後の最後のダンディズムでした」と声を震わせた。

 もちろん容体が悪いことは知っていた。覚悟もしていた。「前々から『通夜や告別式はやるんじゃない』って言っていたので、弟子一門はうすうすはそう思っていた。遺言通り、ご家族がそうされたのでしょう」。最後に会ったのは8月。筆談で言葉を交わした。「放送できない言葉やいろいろなことを書いていました。みんな大爆笑で、どうだって顔をしていました」

 立川談志さんとの付き合いは30年近くになる。「師匠は自分の思い通りに人生をデッサンしていた」。談志さんが色紙などに好んで書いた「人生成り行き」という言葉があるが、弟子から見た生き方は正反対だった。「裏では緻密に計算していた。一番成り行きじゃない人だった」と説明した。「とにかく格好よかったですよ、師匠。立川談志のダンディズム、ほんの少しでも受け継がせていただきます」と言葉に力を込めた。

15 立川談志 掲示板 :2011/11/24(木) 17:02:01
桂三枝、訃報に涙「うそだと思いたい」
ttp://www.sanspo.com/geino/news/111123/gnj1111232350029-n1.htm
 立川談志さんの訃報を受け、親交があった上方落語協会会長の桂三枝(68)が23日夜、大阪市中央区の吉本興業本社で記者会見し、涙で声を詰まらせながら「本当に残念です」と死を悼んだ。
 来年7月に上方落語の大名跡「桂文枝」を襲名する三枝は、事前に談志さんだけに相談したが反対された。三枝は熟慮の末、襲名を決断。談志さんからは「勝手にしろ 三枝のバカヤロウ」と“談志流”の祝福のファクスを受け取っていた。
 三枝は「襲名の口上に並んでいただきたかった。亡くなったことをうそだと思いたい」と、おえつを漏らした。
 談志さんは、三枝にとって「格好良くて、憧れ」の人。「世間のいろんなイメージと、僕が見た(談志)師匠とは全然違う。師匠にほめていただきたくて、がんばってきた」と語った。

16 立川談志 掲示板 :2011/11/24(木) 17:03:58
立川談志さん死去:桂米朝さん、山藤章二さん、川戸貞吉さんの話
ttp://mainichi.jp/enta/geinou/news/20111124ddm041200104000c.html

<桂米朝さんの話>
 彼はいろいろと世間に物議を醸したことはありましたが、“むちゃ”を演じていたような気がします。ああ見えても神経のこまやかなところがあるんです。
 落語界に大きな旋風を巻き起こした談志がおらんようになってしもたんですなあ。もっといろいろと話しておきたいことがあったのに……何や心に穴があいたようです。

<半世紀近い交流があるイラストレーター、山藤章二さんの話>
 彼のはなしでは時折、演者自身が顔を出し、解説を繰り広げた。本来はタブーなのだが、常に「現代の落語」を意識していた結果。いつも不機嫌な顔をしていたのは、「現代とは居心地が悪く、けしからんものだ」という我々の世代共通の認識があったからだろう。


<演芸評論家、川戸貞吉さんの話>
 伝統芸として確立していた落語をテーマごとひっくり返し、現代に合うように作り替えた。それを支えたのは、徹底した行動力。古い落語の音源研究のみならず、他の一流の芸能、スポーツにも足を運んでいた。すべて芸の肥やしにしてやろうという意識があった人。ひとつの時代が終わった。

17 立川談志 掲示板 :2011/11/24(木) 17:04:38
立川談志さん死去:声帯切除を拒否し高座に 長男と長女が会見
ttp://mainichi.jp/photo/archive/news/2011/11/23/20111124k0000m040106000c.html
 立川談志さんの長男、松岡慎太郎さん(45)と長女、弓子さん(48)が23日夜、東京都内のホテルで記者会見した。

 2人によると、談志さんは昨年11月に医師から、「喉頭がんが再発した。一刻も早く声帯を取る手術を」と言われたが、本人は拒絶し、がんの表面を取り除く施術を受けながら高座に上がり続けた。

 3月に気管切開手術を受けてからは筆談になったという。談志さんは「葬儀はしないでくれ」「お経はいらない」「骨は海にまいてくれ」と家族に伝えていた。戒名は本人が付けた「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」。ひつぎにはトレードマークのバンダナとかわいがっていたぬいぐるみを入れ、紋付きはかまを着せて扇子も添えた。

 病状が悪化してからは弟子とも会わなくなった。8月の弟子との会合の席には、談志さんは39度の熱を押して参加したが、「体力が落ちていたし、心配をかけたくなかった。一門にも伝えずに家族だけで見守ることにした」という。

 一方、談志さんの愛弟子の志の輔さんは、「最後の最後まで師匠らしかった」と話した。

 志の輔さんによると臨終に立ち会った弟子はおらず、志の輔さんが師匠の死を知らされたのも、密葬が済んだ後だったという。「自分のよしとしない姿は弟子にも見せないというダンディズムだったのだろう」と思いやった。談志さんの生涯について「国会議員になったり自分の流派を立ち上げたり、自分でデッサンを描き続けた人生だった」と振り返った。

18 立川談志 掲示板 :2011/11/24(木) 17:06:04
立川談志さんの軌跡 写真一覧
http://mainichi.jp/select/wadai/graph/danshi/index.html

 カリスマ的人気を誇った落語家で元参院議員の立川談志(たてかわ・だんし<本名・松岡克由=まつおか・かつよし>)さんが2011年11月21日午後2時24分、喉頭がんのため東京都内の病院で死去した。75歳。葬儀は2011年11月23日、密葬で行われた。後日お別れの会を開く予定。喪主は妻則子(のりこ)さん。

 東京都出身。1952年、16歳で五代目柳家小さんに入門、小よしを名乗った。63年、五代目談志を襲名し真打ちに昇進した。

 「伝統を現代に」を掲げ、江戸情緒を大切にしながらも現代的な感性で古典落語を捉え直し、新たな息吹を与え、戦後落語界の風雲児となった。「落語とは人間の業の肯定」と唱え、卓越した心理描写で語る「芝浜」や「紺屋高尾」などの人情ばなしを得意ネタとした。

 落語への愛着は強く、65年、落語人気を盛り上げようと、「笑点」(日本テレビ系)の前身番組を企画。69年まで「笑点」初代司会者を務めた。

 また高座でもテレビなどでも、毒舌で政治や社会を鋭く風刺。言動はしばしば物議を醸した。

 タレント議員の活躍に触発され、71年、参院選全国区に立候補して当選。75年12月、三木内閣の沖縄開発庁政務次官に就任したが、飲酒トラブルなどで翌年1月に辞任した。

 83年には、真打ち制度をめぐって落語協会と対立し、脱会。落語立川流を創設し、家元を名乗った。志の輔さん、談春さん、志らくさんら人気と実力を兼ね備えた弟子を育てた。

 97年に早期の食道がんを公表。09年8月、糖尿病などの治療のため休養した。10年4月に高座復帰したが、ほとんど声が出ない状態が続いた。今年3月に入ってストレス性胃潰瘍で一時入院。その後も療養を続けていた。10月27日に容体が急変し、約3週間、意識が戻らないまま亡くなった。

19 立川談志 遺産 :2011/11/26(土) 11:13:31
立川談志 遺産はいくら?(ゲンダイネット 2011年11月25日 掲載)
ttp://gendai.net/articles/view/geino/133870

 不世出の落語家、立川談志(享年75)を惜しむ声が続いている。その残したものは志の輔をはじめ、談春、志らくなど数多くの談志イズムを引き継ぐ弟子たち、さらに多数の著作、往時の高座のDVDなどいろいろ。
 そんなファンのためにたくさんの“置き土産”を残してくれた立川談志だが、家族に残した遺産も莫大といわれている。演芸関係者はこういう。
「師匠は基本的にものすごくケチ。ぜいたくは一切しない。食事も自宅で食べることが多かった。食べ残しが大嫌いで、冷蔵庫で食材が傷んでいても絶対に捨てず、“捨てるくらいなら、食べて腹を壊した方がまし”というほど徹底していました。例えば『笑点』の前司会者で、09年に76歳で亡くなった5代目三遊亭円楽師匠の遺産は総額7億円近くあったと漏れ伝わってきましたが、円楽で7億なら、立川談志はそれ以上。10億円なんて声まであります」
 立川談志は長男の慎太郎氏が代表を務める個人事務所「談志役場」に所属。役員は長男と妻の則子さん、長女の弓子さんと談志が務めていて、談志の仕事関係の窓口はここだった。当然ながら、膨大なDVD映像や著作の版権も事務所が管理。今後は追悼版DVDの作成なども予定されているため、死後もかなりの収入になるのは確実。
 また、談志の遺産は版権料だけではない。不動産である。自宅マンションの他にも、練馬には一戸建ての家があり、他にも都内に複数のマンションを所有する資産家だった。
「根津のマンションには同じマンション内に3部屋を所有。他にも新宿と銀座にもマンションを1部屋持っていました。銀座のマンションは1億円の億ションでしたが、即金で購入したそうです」(演芸関係者=前出)
 ウソかマコトか、自宅の金庫には現金が1億円入っていたという。最後まで家族思いだった談志の遺産は推定でもやはり10億円は下らないか。

20 立川談志 掲示板 :2011/11/26(土) 11:37:02
「命」よりも「声」を選んだ 落語家 立川談志の矜持(ゲンダイネット 2011年11月24日 掲載)
ttp://gendai.net/articles/view/geino/133851

 落語会の巨星、堕つ――。落語立川流家元の立川談志さんが今月21日に喉頭(こうとう)がんのため亡くなった。享年75。23日、都内で記者会見を開いた長男で事務所社長の松岡慎太郎さんと長女の松岡弓子さんによると、昨年11月に3年前に発症した喉頭がんが再発。しかし、治療のために声帯を取ることは「プライドが許さない」と本人が拒否。自宅療養と入院を続けたものの、10月27日に容体が急変し、その後、3週間は意識が戻らないまま。ついに21日に亡くなった。
 最期は則子夫人、姉弟、孫ら近親者のみでみとり、故人の遺志で葬儀は家族だけの密葬。立川一門の弟子たちにも知らせることはなく、23日は関係者もマスコミも確認作業に大慌てとなる一幕もあった。葬儀ではお経もなく、「遺骨は海に流してくれ」と言い残したという。
立川流顧問で作家の吉川潮氏はこう言う。
「僕は17歳の時に『ひとり会』を見て以来、半世紀近く家元に魅了されてきました。落語以外でも映画、テレビ、ラジオ、政界でも活躍し、マスコミの寵児(ちようじ)だった。こんな多才な人物はもう二度と出てこないでしょう。家元の功績は落語家としての実績は言うまでもないことですが、立川志の輔をはじめ、立川談春、立川志らくなど多くの弟子を育て上げたこと。これまで名人と呼ばれた落語家でも、『名選手、名監督ならず』で、後進の育成はできなかった人が多い。でも、家元は名選手でありながら名監督、名コーチ、名伯楽として立派に弟子を育てた。しかも、弟子たちは師匠の亜流にならず、エッセンスを受け継いでそれぞれ個性を放っている。家元は亡くなってしまいましたが、そのスピリッツは弟子、孫弟子にまで受け継がれている。もちろん喪失感は大きい。しかし、残したものの大きさを考えれば、もって瞑(めい)すべしでしょう」
 談志さんが自らつけた戒名はシャレッ気タップリで、「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかつてこじ)」。家族に見守られながら、安らかに眠りについた。

<長生きしたくねえよ>

 漫画家・山藤章二さん 芸人としても私的にも、生きている人間の中で一番面白い男だっただけに、これで日本の国がつまらなくなる。最近は私のやっているラジオ番組に時々出演してもらっていたが、体調が優れず元気がない様子で、「長生きしたくねえよ」などと死生観に関する発言が目立っていた。かつての攻撃的な舌鋒鋭い彼を知る同時代人としては寂しい思いがしていた。

<2人きりになると先輩を立てた>

 落語芸術協会最高顧問・桂米丸さん 若い頃、映画「落語野郎」シリーズで共演したり、一緒に飲んだりの付き合いがありました。みんなの前だと偉そうなところを見せていても、2人きりになると先輩を立ててくれて、非常に穏やかで丁寧な一面もありました。エネルギーと才能あふれていただけでなく、テンポの良い江戸っ子のしゃべりができる人だった。惜しい人を亡くしました。

21 立川談志 掲示板 :2011/11/26(土) 11:42:21
石原都知事“盟友”立川談志さんとの秘話明かす
ttp://www.sanspo.com/geino/news/111126/gnj1111260506014-n1.htm

 喉頭(こうとう)がんのため21日に死去した落語家で元参院議員、立川談志さん(享年75)について、同時期に国会議員を務めた盟友の石原慎太郎都知事(79)が25日、定例会見で心境を語った。亡くなる数日前の会話の様子や、談志さんのために新作落語を書こうとしていたことを明かし、「憎まれ口をたたき合う不思議な友人だった。残念だが、人間いつか死ぬんだ。しゃあねぇ」と自らを納得させるように“毒舌仲間”の死を悼んだ。
 「談志、お前もそろそろくたばるんだろ? ざまあみろ、この野郎」
 都庁で行われた定例会見。自ら談志さんの話題を切り出した石原都知事は、病床の親友に強烈な“毒”を放っていたことを明かした。40年以上にわたる仲だからこそ言える言葉でもあった。
 亡くなる数日前、意識がもうろうとしている立川談志さんに対し、受話器越しで一方的にそう話しかけたといい、「談志は言い返そうとするけど、声が出ないから『ハァハァ』って言ってた」と回想。「あれが無類の話術家との最後の会話だったけど、僕の人生の中で極めて印象的な、会話にならない会話だったな…」と唇をかんだ。
 立川談志さんとの思い出は尽きない。石原氏は1968年の参院選に初当選。3年後の71年に当選し、同じ自民党で参院議員になったのが談志さんだった。毒舌が原因で立川談志さんは1期で政界から退いたが、2人は互いを認め合い、「憎まれ口をたたき合う人間同士」として親交を深めた。
 「不思議な不思議な、実に不思議な友人」という談志さんとは、たまに会っては“口撃”し合っていたというが、「それが逆に活力になって支え合ってきた。『オレはあんたと話してて石炭たかれると元気出るんだよ』って言いやがって」と笑顔を見せ、「こっちもアイツと会うと元気が出るんですがね」と語り、何度もまばたきした。
 石原氏はそんな親友の復活を願ってか、新作落語を用意していた。事故をきっかけに自らを皇帝だと思い込む男を描いたイタリアの人気戯曲「エンリコ4世」の“日本バージョン”で、「日本で例えたら誰にしようか、(談志さんかなと)考えているうちにアイツ死んじゃったね、間に合わずに」と声を落とした。
 続けて「人間いつか死ぬんだ。しゃあねぇ」。次々とあふれる立川談志さんとの思い出をせき止めるかのように吐き捨てた石原氏。立川談志さんもきっと同じ言葉を親友に向けて言っているに違いない。

22 立川談志 掲示板 :2011/11/26(土) 19:09:18
「談志が死んだ」異端者であり破壊者である立川談志の目指したもの
ttp://www.menscyzo.com/2011/11/post_3256.html
 1936年(昭和11年)、東京に生まれた落語家の立川談志が2011年11月21日、息を引き取った。戒名は「立川雲黒斎家元勝手居士」(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)。生前、彼が決めていたものである。また、「俺が死んだら、新聞には"談志が死んだ"と書いてくれ」と彼は言っていた。死んでなお、洒落を貫く姿勢はさすがとしか言いようがない。本記事も、そんな彼への敬意と哀悼の意を込めて"談志が死んだ"をタイトルにさせてもらった。

 そんな立川談志を語る上で欠かせないのは、「古典落語」「笑点」「参議院議員」というキーワードだろう。

 1952年、高校を中退した談志は5代目柳家小さんに入門。柳家小よしと名乗り、落語家人生をスタートさせる。1954年には二つ目に昇進し、柳家小ゑんに改名した談志は、このころから寄席のほかに日劇ミュージックホールなどにも出演、ジーパン姿で漫談を披露する。その後、後輩であり最大のライバルといわれた古今亭志ん朝に真打の昇進で先を越されながらも、1963年、立川談志を襲名後、真打昇進。古典落語の名手として高い実力と人気を示した。

 1966年、現在も人気番組として続いている『笑点』(日本テレビ系)を企画立案した談志は、初代司会を務め同番組の礎を築く。晩年、ほとんど番組に関わらなかった彼も、雑誌のインタビューや自身のラジオ番組などでは、ことあるごとに笑点の話題を持ち出していた。思い入れは相当強いのだろう。

 そして笑点で全国的な知名度と幅広い層からの人気を確立した彼は、1969年、衆議院議員選挙に立候補。惜しくも落選するが、1971年、再び国政に挑み、見事参議院で当選を果たした。しかし、議員になったからといって、それまでの破天荒で直情径行な性格が変わるわけではない。沖縄開発政務次官として沖縄海洋博覧会を視察した立川談志は、二日酔いで記者会見に臨み、「寄席があるから」と言ってはたびたび国会を欠席した。なぜそんな彼が国政に興味を持ったのかはわからないが、彼の議員活動は1期6年で終わることとなる。

 公私ともに親交のある爆笑問題の太田光は、後に立川談志の議員活動について、「あれが言いたかっただけでしょ。"寄席があるから"ってやつ。そう言って国会を欠席するってことがやりたかっただけじゃないですか」と自身のラジオ番組内で語っている。なるほど。つまり立川談志は絶対的な力の象徴ともいえる国にケンカを売ったわけだ。しかも、ただ売るのではなく、その中に入って売る。そこには、常人では計り知れない美意識と談志特有の筋道が伺える。

 思えば、彼が笑点を企画し放送を開始した1960年代、テレビにはまだ純粋なタレントがいなかった。当時テレビで活躍していたのは、舞台コメディアンや落語家、放送作家という人々だった。そんな彼らは、それまで培ってきたものをそのままテレビで披露するということに終始する。しかし談志は違った。彼はあくまでもテレビという新しいメディアに合ったものを模索し続けた。その集大成が大喜利を主体とした笑点だったわけだ。もちろん、彼のほかに萩本欽一やザ・ドリフターズなど、早くからテレビを意識した人々も多い。しかし彼ほど「テレビタレント」というものにこだわり、自身の根底である落語に限らずさまざまな分野に挑戦した人間も珍しいだろう。そこには、未だにどこか高尚なイメージのある落語というものに対する反発があったのかもしれない。

 立川談志という人間は、とことんまで"絶対的なもの"に対して反抗する。それは国であり、「人間の業を肯定するもの」と称した落語であったといえる。そう考えると、「拉致被害者の家族は、拉致されるような場所を歩かせていたことを恥じるべきだ」という彼の発言もまた、絶対的に不幸だという世間の意見に対し述べたものなのだろう。そして彼は人間にとって絶対である死に対しても、洒落をきかせることによって反抗した。自らの生き様を肯定する見事な死に様といえるだろう。不世出の異端児である立川談志の冥福を祈る。

23 立川談志 掲示板 :2011/11/28(月) 19:48:48
たけしが談志さんに頭が上がらない理由
ttp://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20111128/enn1111281228006-n1.htm

 談志さんが生前、毒舌のフォロワーとして認めていたビートたけし(64)と爆笑問題の太田光(46)が、それぞれの思いを明かした。

 たけしは、26日のTBS系「情報7days ニュースキャスター」で、談志さんの死去後、初めてコメント。「オレが談志さんに頭が上がらないのは、ツービートのころに『お前ら売れる』と言ってくれたから」と、感慨深げに話した。

 また、たけしは、談志さんが目標にしていた名人「文楽・志ん生」を引き合いに出しながら、「本人はイライラしていると思う。談志さんの時代自体が、古典落語に合う時代じゃなかった」とも分析。「ものすごい人だけど、『立川談志』をやらせてくれる時代ではなかった。だから『天才』から『鬼才』になっちゃった」と評した。

 一方、談志さんが「オレの隠し子」と言ってはばからなかった太田は27日の同局系「サンデージャポン」の中で「覚悟はしていたけど突然で…」とショックがありあり。「談志師匠はああ言ってくれましたけど、本当はたけしさんが大好きで、たけしさんに会いたい、会いたいと言っていて」と語り、太田が間に入って、昨年3人で食事したことを告白。

 「見たことないくらいうれしそうな顔をしていた。僕は(2人を見ていて)夢のような時間だった」と振り返った。

24 立川談志 掲示板 :2011/11/28(月) 19:50:08
笑う超人 立川談志×太田光 [DVD]
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000VADG5K/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=heartlinks-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B000VADG5K

人気お笑いコンビ・爆笑問題の太田光と落語立川流家元・立川談志が「狂気と芸術」論をテーマに対談し、狂気と芸術の繋がりを考える。この対談に加え、談志師匠が対談を落語の“まくら”とした演目をスタジオで披露。貴重な談志落語を楽しめる。




「太田 オレはお前に伝えとかなきゃならねーコトがある。」
立川談志 × 太田光 ふたつの鬼才が遂に競演!

今 なお進化し続ける 立川談志 の落語と、お笑いムーブメントの最先端を走る 太田光(爆笑問題)のコラボレーションが実現!
「立川談志」落語を新たに撮影。2+1演目を完全収録!!
70歳を越えてもなお、落語(表現)に新たな可能性を求める立川談志が、近年あまり演じる事のない「黄金餅」「らくだ」の二演目を新たに口演。
無観客のスタジオ。7台のカメラが捉える鬼気迫る談志の熱演は、落語芸術の新たな創造を魅せる。
芸術とは…。
芸能とは…。
狂気とは…。
談志が太田に伝えたい事とは…。
太田が世に伝えたい談志とは…。
全ての答えは落語にある。

ふたつの鬼才の対談が通常の「まくら」部分となって各演目に入る構成は、落語映像の新たな可能性であり、立川談志と太田光のふたりだからこそ可能な表現となっている。
収録演目:「黄金餅」「らくだ」 (2007年収録)
立川談志・太田光(爆笑問題)
映像特典:ライブ演目 「鼠穴」(2006年12月時事通信ホール収録)
封入特典:解説本
収録分数:本編 90分&特典 40分

25 立川談志 掲示板 :2011/11/28(月) 20:57:04
週刊朝日  2011年12月9日号 (2011年11月29日発売)
立川談志逝く、語録でたどる「破天荒」な75年 生涯、死生観

26 立川談志 掲示板 :2011/11/29(火) 02:08:56
さらば、家元!逝去した天才落語家、立川談志の深イイ噺(はなし)
ttp://wpb.shueisha.co.jp/2011/11/28/8284/

談志が死んだ。生前、立川談志(たてかわ・だんし)さんが高座でよく口にしていた回文が現実となってしまった。11月21日、落語の立川流家元・5代目立川談志が喉頭がんのため逝去。75歳だった。

立川志の輔や立川談春、立川志らくら幅広い活躍を見せる実力派の弟子を数多く育て、また、談志さんを慕ったビートたけしや高田文夫ら芸能人の弟子も数多い。東京都知事の石原慎太郎とも深い親交があった。

現在も続く人気長寿番組『笑点』(日本テレビ系)のコンセプトを考案し、初代司会者として番組にも出演していた(現在の桂歌丸は5代目司会)。ただ、当時の大喜利は、「飲酒運転はなぜいけない?」というお題に、「轢(ひ)いたときの充実感がない」と答えるなど、現在のふわーっとしたお茶の間向けの雰囲気とはひと味違う、ブラックユーモア満載のコーナーだった。

1970年代には自民党所属の参議院議員としても活動し、沖縄開発庁の政務次官も務めた。しかし、沖縄訪問の際、二日酔いの状態で会見に現れ、「酒と公務とどちらが大切か」と問われると、「酒に決まってる」と答え、あっさりと政務次官を辞任。政界でも〝談志流〟を貫(つらぬ)いた。

しかし、ただ乱暴なだけではない。10年ほど前に談志さんを取材したあるライターが、そのときの様子をこう振り返る。

「取材を依頼すると、先方から上野のすし店を指定されました。約束の時間の10分前に到着すると師匠はすでに来ていて、取材をお願いされた立場にもかかわらず、座布団を用意したり、店員に人数を伝えたりと入念にセッティングをしてくれていたのです。

それだけでも驚きですが、取材が始まってすぐのこと、若い店員が醤油皿の数を間違えて置いたんです。すると師匠は猛烈に怒り、取材を途中で切り上げ、帰ってしまった。仕方なく店を出て歩いていると、偶然、師匠に再会。私たちに気づいた師匠は自ら駆け寄り、『さっきは申し訳ありませんでした』って頭を下げるんですよ。面食らいましたね」

談志さんの孫弟子としては、初めての真打ち昇進が内定している立川志ら乃氏も思い出を語る。

「私が前座から二ツ目に昇進する試験を受けたときのこと。『道灌(どうかん)』という落語を家元の前でやらせていただいたのですが、そのとき家元が私に向かって『それだ! 俺の目の黒いうちは、そういう落語をやっていろ!』とビックリするようなお褒めの言葉をいただきました。ただ、その直後に『親子酒』をやったら、噺(はなし)の途中で『ヘタクソ!』と叱られましたね」

雑誌『BART』(1991〜2000年)で、家元の連載に関わっていた週プレの元編集長、田中知二はこう振り返る。

「あるとき、連載の内容について謝罪をすることになり、国立演芸場に行ったら、その場でむちゃくちゃ怒られました。でも、最終的にはなぜか『じゃあ、旅行に行こうぜ』ってことになった。

それで一緒に香港に行ったのですが、食事が包子(パオズ)しばり。餃子とか小籠包とか。ポーチにマイ調味料まで持ってる。さすがに朝昼晩と全部包子だと飽きますよね。それでも師匠は『包子ならいくらでも食えるな』と言っていたのですが、本当は飽きているのではと思い、『あの店のゆでた甘エビっておいしいんですよね』って何げなくつぶやいたんです。そうしたら、『そうだな、うまいよな』って。で、その日はずっと甘エビ。師匠もやせガマンしていたんです(笑)。でも、それが師匠のダンディズムかもしれません。フカヒレなどの高級中華へのアンチといいますか。

連載の締め切りも必ず守るし、手書きの文字も丁寧。本質はちゃんとした人で、乱暴なイメージを狙っていたところもあるのでは」

家元と交流のあったあるカメラマンも、世間が言うような破天荒なイメージはあまりないという。

「インタビュー中でも、カメラを意識したアクションをして盛り上げてくれました。(晩年の)体がつらくて声が出ないときでもそう。目の前でインスリンの注射をおなかに打ってみせてくれたこともある(笑)。オシャレでこだわりのあるエンターテイナーで、とても撮影しやすい被写体でした」

今から4年前、週プレで行なった爆笑問題・太田光氏との対談で、談志さんは「死」について、「『談志が死んだ』で泣いてくれる奴が多いのか、『ザマアみろ』って奴が多いのか。ただ、それを自分じゃ確かめられないからな」と語っていた。

立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)。その戒名に笑って泣いて、ご冥福をお祈りします。

27 立川談志 掲示板 :2011/11/29(火) 17:35:01
立川談志さん死去で4つの“ナゾ”と“伝説”
ttp://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20111125/enn1111251243011-n1.htm

 落語界の異端児として縦横無尽に駆け抜け、75歳でこの世を去った立川談志さん。その死にも、さまざまなナゾ、伝説を残すことになりそうだ。 

■(1)なぜ密葬だったのか?

 立川談志さんは生前、落語の枕の中で有名な先達の例を引き合いに出し、「落語家が普通の葬儀やってちゃダメ。もっとバカ騒ぎをしないと」と苦言を呈したことがある。なのに、21日に喉頭がんのために都内の病院で亡くなった事実は23日まで弟子にも知らされず、家族のみでひっそり荼毘(だび)にふされた。

 ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」に24日、生出演した立川志らく(48)が言った。

 「家元(談志さん)は『墓も、お経もいらねぇ。戒名も戒名代がもったいないから自分で決める、できれば病名は“ふとした病”がいいな』なんて言ってましたよ」

 芸を極めた自身は恬淡(てんたん)とした境地だったのか。談志さんに近い落語関係者が語る。

 「昨年11月にがんが再発。今年3月に気管を切開してからは、みるみる痩せていたようだ。弟子やファンの持つダンディーなイメージを損ないたくなかったのでしょう」

■(2)「談志」は誰が継ぐのか?

 立川談志さんが「立川流の傑作ですよ」と惜しみなく称えたのが人気者、立川志の輔(57)だ。

 「変な言い方だけど、自分だってそろそろ天狗になってもいい頃だと、そう思わないわけじゃないけど、やっぱり師匠がいるから、そうなれないんですよ」

 今年1月、志の輔がそう漏らしたことがある。談志さんの伝統とたたかう姿勢、落語に苦悩する姿は、売れっ子の弟子にさえ近寄りがたい神々しさだった。

 一門には、移籍して立川流の総領弟子(筆頭)となった桂文字助(65)がいる。さらには立川談春(45)、志らくという売れっ子もいる。

 一門の弟子たちは23日夜、会合を開いて談志さんが切り拓いた家元制度や真打ち認定の基準などについて、これまで通り継承することを話し合ったという。ゆくゆくは、弟子の誰かが“談志”を継ぐのだろうか。

 「談志さんは、桂三枝が“文枝襲名”の相談に来たときも、『三枝という名前は大きいんだから、やめろ』と反対したほどで、自身の名前も一代限りと思っていたのではないか。売れっ子の弟子たちもそれぞれの看板で大きくなった。名跡は談志さんの長男が預かる形になるのでは」(一門の事情に詳しいジャーナリスト)

■(3)密葬で流れた曲の意味

 家族が会見で明かしたところによると、密葬で流した曲は、「ザッツ・ア・プレンティ」。立川談志さんが大好きだったデキシーランドジャズのスタンダードナンバー。2009年8月に収録したNHKラジオ「新・話の泉」の中で、談志さんは「自分の葬儀で流してほしい曲」として、この曲を挙げていた。

 タイトルは“これで満足”。デキシーランドジャズのすばらしさを歌ったジャズの命とも言える曲。立川談志さんのライバルだった古今亭志ん朝は同じジャズでもモダンジャズを好んだ。談志さんが持つ“華”を象徴するようでもあった。

■(4)政界進出と失言、辞任

 立川談志さんは1971年に参院選に立候補し、全国区50人中50番目の最下位で初当選。「真打ちは最後に上がるもんだ」とオチを付けた。

 また、75年の参院議員時代、沖縄開発庁政務次官に就任。二日酔いで視察に出かけ地元メディアに「あなたは公務と酒とどちらが大切なんだ」と問われ「酒に決まってんだろ」と失言、議員を辞した。

 当時から親交のある、元衆院議員の戸塚進也氏(71)は、「本当に大事にしてもらった。思い出を言えばきりがない。同じ1年生議員として非常に仲良くさせてもらった」と語る。

 辞任劇では、「自分のやったことに責任を持ってスッパリとお辞めになってすごいと思った」。

 2005年に戸塚氏が掛川市長選に出馬したときには、選挙応援の口上を録音したテープをもらうなど、「ずっと応援してくれた」。

 最後に会ったのは昨年3月のパーティーの席上。「『どんな苦労があっても人間は一生自分の道を極めていかなければいけない』という言葉を頂いた。談志さんの遺言として受け止めています」

28 立川談志 掲示板 :2011/11/29(火) 17:36:17
立川談志 妻「2人の時間欲しい」と死の発表を遅らせていた
ttp://jisin.jp/news/2518/3134/
11月21日、立川談志さんが喉頭がんのため亡くなっていたことが23日に発表された。75歳だった。最後の日々を共に過ごしたのは、51年もの間、夫についてきた則子夫人(73)だったという。

2人の出会いは、談志さんが20歳、則子さんが17歳の春だった。当時、婚約者がいた則子さんを、談志さんは強引に口説き落としたという。’60年11月、2人は入籍。談志さんは破天荒なキャラクターとは裏腹に、妻・則子さんを非常に大切にしていた。しかし、二人が一緒に暮らしている時間は、多くはなかったようだ。

「談志さんは奥さんを非常に大切にしていましたが、夫婦が一緒に暮らす時間は、そう多くはありませんでした。奥さんは、噺家としての立川談志を、家族が縛りつけてはいけないとも思っていたのでしょう。談志さんはあちこちに部屋を持つようにして、別々に暮らしていました」(演芸関係者)

そんな夫婦だが、昨年談志さんに喉頭がんが再発すると、則子さんの意思で2人きりで過ごすことになった。

「昨年11月に再発したのを機に、奥さんの意志で文京区・根津のマンションで2人きりの生活を始めました。以来、再入院の日まで、本当に夫婦水入らずの1年間を過ごしたんです」(前出・演芸関係者)

10月27日、病状が急変した談志さんは心肺停止状態に。以来、一度も目覚めることなく11月21日に永眠した。

「実は死去の発表を2日間遅らせたのも、奥さんの強い要望だったそうです。奥さんとしては立川談志ではなく、最愛の夫・松岡克由と夫婦のお別れをするために、この2日間が必要だったのでしょう」(前出・演芸関係者)

23日に開かれた密葬では、気丈に振る舞う則子夫人の姿があった――。

29 立川談志 掲示板 :2011/12/04(日) 19:54:01
週刊現代   2011年12月17日号  (2011年12月5日発売)
<独占>わが父、立川談志−長男・慎太郎さんが明かす
落語家・立川談志、松岡慎太郎

30 立川談志 掲示板 :2011/12/13(火) 06:07:50
立川談志さん、甦る伝説の「芝浜」1・31上映会
ttp://www.sanspo.com/geino/news/111213/gnj1112130505012-n1.htm
 喉頭がんのため先月21日に死去した落語家、立川談志さん(享年75)の追悼上映会「談志 The Movie」が、2012年1月31日に東京・有楽町のよみうりホールで行われることが分かった。
 上映演目は、談志さんの十八番である古典落語「芝浜」。2007年12月18日に同所で行った際、収録した映像で、談志さん自ら「芸術の神が舞い降りた」と語り、伝説となった一席だ。
 立川談志さんの長男で所属事務所社長の松岡慎太郎氏(45)によると、談志さんの死後、事務所には「あの芝浜を見たい」という声が多数寄せられたため、「ファンの方はもちろん、談志の落語を聞いたことがない若い方にも聞いてほしい」と急きょ上映会を企画。
 この「芝浜」の映像は昨年12月に1度上映されたが、今回はスクリーンに合わせてカット割などを再編集した特別編として初披露する。
 上映会は昼夜2部構成で、開口一番を談志さんの最後の弟子である立川談吉(29)が務め、昼の部は立川談笑(46)、夜の部は立川志らく(48)が師匠との思い出話とともに一席演じる。
 立川談志さんが当時、上演後に「一期一会、いい夜をありがとうございました」と珍しく言葉少なにあいさつしていたことを振り返った慎太郎氏は、「スゴイものができたという達成感に、談志も観客も放心状態になっていた。ぜひその作品を大きなスクリーンで体感してほしい」と話している。

31 立川談志 掲示板 :2011/12/22(木) 17:53:58
上岡龍太郎さん「談志さんは輝き続ける」
ttp://www.sanspo.com/geino/news/111222/gnj1112221056025-n1.htm
11月21日に喉頭がんで死去した落語家、立川談志さん(享年75)のお別れの会が2011年12月21日、都内のホテルで開かれ、1000人以上が参列。落語界の風雲児との別れを惜しんだ。
 2000年に芸能界を引退した元タレント、上岡龍太郎さん(69)も久々に公の場に姿を現し、「談志さんは500年たっても輝き続ける落語界の天才」。50年の付き合いといい、「会わないと寂しいが、刺激が強すぎて3日一緒にいると疲れる。1週間一緒だとたまらない。でも、その生き様、死に様、立派な弟子たちを含め残したものは素晴らしい」と故人をしのんだ。

32 立川談志 掲示板 :2011/12/22(木) 17:55:42
立川談志さんお別れの会 親友石原都知事が弔辞「あばよ」
ttp://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/12/22/kiji/K20111222002289320.html

喉頭がんのため75歳で死去した落語家の立川談志(たてかわ・だんし、本名松岡克由=まつおか・かつよし)さんのお別れの会が2011年12月21日、東京都千代田区のホテルニューオータニで開かれた。関係者1000人、一般ファン3000人が参列。東京都の石原慎太郎知事(79)は「死んでもしゃべるヤツ」と弔辞を読み“落語界の風雲児”の死を悼んだ。

 白菊3000本が飾られた祭壇の中央には座布団が敷かれた。愛用の湯飲みと扇子も置かれ、高座の雰囲気を再現。笑顔の遺影を見上げ、石原都知事は「死んでもしゃべるようなヤツ。生きてる間にしばしの沈黙を、神様が与えたんだろう」と、声を出せなくなった親友の闘病生活を思いやった。さらに「あの世で会えるから、それまで元気でいてくれ。あばよ。さようなら」と別れを告げた。

 立川流顧問でもあるイラストレーター山藤章二さん(74)は「気にくわないことばかり言われても、大好きになってしまう空前絶後の男」と故人を懐かしんだ。

 生前の映像とともに、談志さんが愛した「ザッツ・ア・プレンティ」など軽快なジャズが流れる中、芸人たちは笑いと毒を交えて話した。お笑いコンビ「爆笑問題」の太田光(46)は「落語でも講談でも浪曲でも、一字一句完璧に覚えていて話してくれた」と驚くと、田中裕二(46)は「ヤフーなみでしたよ」と笑わせた。三遊亭円楽(61)は「今年は“独裁者”が多く亡くなったね」と冗談めかした。

 才能にあらためて驚く声も多く、歌舞伎俳優の中村勘三郎(56)は「狂気の天才。そういう人と酒をくみ交わせた時代は宝物」。元タレントで「立川右太衛門」の高座名を持つ上岡龍太郎さん(69)は「あまりの才能の豊かさを、自分の体で御せなかったのかも」と話した。

 愛弟子の立川志の輔(57)は「弟子全員を合わせても、談志1人分にならない。でも、少しずつ芸を継承している。そのうち分かってもらえると思う」と力を込めた。

 ◇主な参列者 立川志の輔、立川志らく、立川談春、ヨネスケ、笑福亭鶴瓶、桂文珍、中村勘三郎、中村勘九郎、ミッキー・カーチス、ビートたけし、和田アキ子、由美かおる、爆笑問題、高田文夫、中尾彬、高橋英樹、中山秀征、デーブ・スペクター、テツandトモ、松村邦洋、古舘伊知郎、久米宏、鳩山由紀夫元首相、大林宣彦監督

33 立川談志 掲示板 :2011/12/24(土) 16:38:18
談志師匠が金総書記を連れていった!?
ttp://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20111224/enn1112241419008-n1.htm


 「キム・ジョンイル、マンセー」と観客に向かって好んでしゃべっていたのは21日にお別れ会が開かれた落語家の立川談志師匠だった。

 「一時期、高座にあがるたびにそう言っていました。将軍様が亡くなったというニュースを聞いたとき、師匠が寂しくて連れて行っちゃったんじゃないか、って楽屋でちょっとしたネタになっていました」(演芸関係者)

34 落語 掲示板 書籍,著書,資料,DVD,ブルーレイ :2011/12/30(金) 17:41:07
< 落語(書籍,著書,資料,DVD,ブルーレイ)>
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35 名無しさん :2011/12/31(土) 15:11:13
私ここで結構おいしいおもいしました。
詳細は書けないけど、やり方次第ですね(^O^)
ttp://bit.ly/rRzIgw


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