したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

真相はいかに

1ぐちこ:2016/09/22(木) 14:27:25
このTBSのたけし&安住が贈る!「伝説の芸能60年史」にて、岡田有希子自殺の真相が流された件で。内容自体に関しては、テレビでは初公開かもしれないが、すでにネットなどでは周知のものであった。ただ、御年85歳になった当時サンミュージック専務の福田時雄氏(現・名誉顧問)の出演・証言(内容自体はすでにネット、YUKIKO NO OHEYA 福田時雄氏証言 「さまざまな憶測」)で公表、またこの内容は、有希子が自殺した1986年に週刊現代が福田氏にインタビューして得られていることから、同番組が述べていた「福田氏が初めて語る」というフレーズは間違いである)や番組「newsキャスター」レギュラーの三雲孝江氏が最優秀新人賞受賞時に有希子にインタビューしている映像を絡ませたこと、そして、岡田有希子とは数々の番組共演を果たしてきたたけしのコメント「ショックだよな、お花を夜に云々…」聞けたこと、また、血の跡のついた直後の現場映像、大木戸ビル1Fの当時の弁当屋夫婦の自殺直後の証言、ビル屋上、クリナップ看板左端から飛び降りの状況を取材・報道した映像、断片的だが、故・峰岸徹の自殺当日の夜の会見の様子等々、もう30年にもなる事件について、事件の概要を的確に表現したオンエア報道だったと実感した。また、福田氏が真相を語るという触れ込みだったが、きちんとTBSは、あくまでも「推測」ということばを使っていたことも安心できた。

ただ、60年史の岡田有希子、自殺の真相をみて私たちが注意しなければならないことは、当たり前の事であるが次の点だと思われる。

・まず、岡田有希子の自殺の真相は、「永久にわからない」こと。当の本人が亡くなっていることと、当時、「遺書に名を残した男性(峰岸徹のこと)」と報道されたが、現実には遺書めいたもの、日記という側面が後々強まったこと。有希子の母親があれを遺書と呼べるのかと疑問を公言していたこと。つまり、こういう理由で私は死にたい、死ぬんだという明確な自殺の理由なるものを残していないという点。

・今回の福田氏のテレビ取材での発言について。これは、福田氏の当時からの立場・状況も考えなければならないという点。福田氏は言うまでもなく、有希子の雇用主(サンミュージック)という立場の人物である。サンミュージック側は、当初から一貫して、「自殺の原因がわからない」、「仕事は順調で、一人暮らしをしたいというので、マンションもあてがった、自分で望んでこの世界に入ったのだし・・・まったく考えられない」とし、さらに、有希子の自殺の原因として考えられることは、「有希子本人の問題(躁鬱が酷い子であったや悩みなどは我々に打ち明けず自分で背負い込む性質だった等)」事と先にも言及した「峰岸氏への恋愛感情とその破局」だったのではないかと主張している。つまり、事務所側としては、落ち度はないと暗に主張している。なので、私たちはあくまでも福田氏の真相への推測は、雇用主としての言及であることを割り引いて考えなければならない。

岡田有希子自殺の原因を考えるとき、私たちは次の可能性を考えるべきではないか。

①ドラマ「禁じられたマリコ」で共演した峰岸徹氏に恋焦がれ、それが成就することのないこと を悟り、精神的に多大な失望とダメージを受けた可能性

②生前から、自他ともに認めていた所謂、「躁鬱」が激しく、自殺の願望が芽生えていた可能性

③母親の証言にもあるように、デビュー直後の頑張る!という意気込みが失せ、芸能界に入った ことをかなり後悔していたふしが生前の日記から推察される可能性 つまり、岡田有希子であ り続けることへの重圧があった可能性

④今回のTBS60年史の福田氏の発言のとおり、1度目のリストカット・ガスは死ぬ気がなく、何 らかのアピールで、その後の事の重大さと自分の責任の大きさにパニックになり、2度目の飛 び降りに及んだ可能性

⑤そして有希子自身の意志の強さ(死ぬんだという)が災いした可能性 (やはり2度にわたり 命を絶つ行為は自殺願望のない人たちには想像を絶すること)

⑥最後に、以上に記した①〜⑤の可能性が何らかに絡み合った可能性


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板