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アンチについての所感

1:2009/03/15(日) 01:01:58
アンチの傾向と対策、自身が気をつけるべきこと等、この機会に話し合っておきたく思います。

293:2011/12/08(木) 20:19:12
>>291
それってありますね。
気の弱い人には、あまり威圧感を与えないようにします(笑)

>そういったアンチくんのにも仏の生命はあるとおもうのです。

そうですね。
ただ、荒らし行為には、毅然と対処します。板が荒れるので(笑)

294:2011/12/08(木) 20:28:33
>>292
>これからの世界は、「無知」や「愚かさ」との闘いかな、と思っております。
というと摂受の時代になるのですかね。
どうも、無知悪人と邪智謗法の違いがわかりづらくないですか。自分なりに考えると人を不幸にする思想や考えや習慣や常識といったものへの破折であって人そのものは否定しちゃいけないですし。
微妙で難しいっす。

>>293
>荒らし行為には、毅然と対処します。板が荒れるので(笑)
もちろんです(笑) 板運営も大変だと思いますので。

295:2011/12/08(木) 20:58:41
>>294
厄介なのは、「人を不幸にする思想」とは何か、という事を絶対的に規定できない、という事かと。
ましてや、「オレ様は悪人だ〜〜ゲヘヘ〜〜!人を不幸にする思想を広めてやるぜ〜〜」っていう、キングボンビーのような人はいないでしょ(笑)
テロリストの親玉だって、「我々は正義だ」と言うでしょ。「泥棒にも三分の理」ってやつですな(笑)

という事は、どんなものであれ、誰に対してであれ、一つの思想を広めていこう、という運動には、必ず「反発」や「誤解」がつきものであり、衝突を恐れていてはなにもできない、という事かと。
もちろん、法を下げるような行為を黙認しろ、というわけではありませんし、「人徳」や「誠実さ」をもって、そういった障害を克服していく事が醍醐味なのだと思います。

296:2011/12/08(木) 22:02:58
>>295
そうなんですよね。100%というときに危険になると思います。教条的になってしまえばどんなにいいことでも悪になる。心を縛る作用がどうしてもできてしまいますね。
自分を縛る分にはいいのですが、人に強要してしまうことになりかねない危険性もでてきます。
法という一つの善の定規?をもとに進んでいるわけですが、勘違いしやすいのが、自分が決めること、他者が決めること、自分にできること、他者ができることを履き違えてしまい、他者が決めることを自分が決めようとするからおかしくなるようにおもいます。

>一つの思想を広めていこう、という運動には
これも責任をすべて背負う気概でなければ矛盾が生じてきます。
今日の新・人間革命でも『また、何よりも、“自分の人生は、広宣流布のためにあるのだ!”と、心を定めることです。』とありますが、そう心の底からそう思えるのかが問われる所でもあります。
はっきりいって、重い。 それでも、少しでも、公布の山を登れるように一歩でも、一ミリでも前進していきます! あっ、何か決意発表みたいになりました(笑)
で、合言葉は『登れ!ドンドン!進め!ズンズン!』でお願いいたします(笑)

297無明まよゐ:2011/12/08(木) 23:22:37
>>289
【×】イスラム教徒にアラーは××××だという。
【○】テロリズムを容認するイスラム原理主義者にアラーは××××だという。

ご指摘いただいたとおり、誤解を招き差別を助長しかねない稚拙な文章表現でした。
お詫びして訂正いたします。

無明まよゐ拝

298無明まよゐ:2011/12/08(木) 23:23:06

>>294
>どうも、無知悪人と邪智謗法の違いがわかりづらくないですか。

■とあるライターの場合
・無知悪人
「合法ドラッグネタでセンセーショナルなデマ記事を書こう」

・邪智謗法
「合法ドラッグネタで創価学会を誹謗中傷し、日蓮仏法の威信を低下させてやろう」

わたしはこんな感じに理解しています。
犯罪行為の先にある思惑が「正法誹謗」にあるのかどうかですね。

299:2011/12/09(金) 16:08:06
私の感覚としては、邪智・謗法の国とは、法華経の行者を迫害し、亡き者にしようという力学が働いている集団というイメージです。それが宗教的な敵対によるか、政治的か、あるいは個人的な怨恨に端を発するかはあまり関係ないと考えています。
大聖人ご自身が、何度も難を受けられた歴史をひもとくまでもなく、当時の日本はまさに邪智・謗法の国であった。
翻って現在においても、学会を潰そう、学会員を脱会させよう、という蠢動は常にありますから、現在の日本も邪智・謗法の国認定(笑)

もちろん、遠い他国で、学会の存在さえ知らない場所は、無知・悪人の国、という事になるのでしょうね。
・・・「智者・善人の国」、というのはないのでしょうかね(笑)

まぁ、いつも言っていることですが、世界のどこかで今もって理不尽に人が殺され、飢餓に苦しみ、一方の先進国はぬくぬくと暮らしている、そういったヒエラルキーの仕組みの頂点付近で無邪気に生きているだけでも、仏法上は殺人の罪を常に犯しているのとおなじ事かと。
だから、「無邪智」でも、即善人とはならない。無知と戦わなければ、「無知=悪人」からは脱却できないと思うわけです。

300:2011/12/09(金) 22:09:17
ありがとうございます。
>>298
>犯罪行為の先にある思惑が「正法誹謗」にあるのかどうかですね。
権力(暴力も含む)を行使するところまでは一緒ですね。

>>299
>邪智・謗法の国とは、法華経の行者を迫害し、亡き者にしようという力学が働いている集団というイメージです。
私がアンチだった頃の記憶をたどれば、学会のことは知っていたし、まー知っているといっても間違った知識でしたが。法華経はよくわからなかったです。
それよりも、宗教によって戦争しかり、宗教間の対立もあったわけです。それじたい良くないと思っていたので、妻を辞めさせようとしていたわけです。
妻が私の望んでいる以上のことを私に施してくれたおかげで、私に申し訳ないという気持ちを芽生えさせてくれた。で、嫌だったけど1年契約で入会したわけです。
私の体験だと、妻がしたのは摂受のようにみえるのです。ってことは私は無知悪人だった?ことになるとおもうのです。
ちょっと認識が曖昧だとはおもいますが、それが折伏だという人もいるかもしれませんが。
対話を重ねていると、学会という組織だからこそでてしまう悪い部分を指摘してくる人もいます。そういう人は法華経の話を今風に話すと同感したりします。そういう人が邪智だとは思えないです。
感覚的には、怒りが湧いてくる発言や行動には即折伏なんですが。それは自分がけなされたとかではなく、道理から反したとかんじたときですが。

なんかうまく説明できないですけでど、参考になりました。

>「智者・善人の国」、というのはないのでしょうかね(笑)
行ってみたいっすね(笑)

安全な場所に見を置きながらの善は偽善だということですね。

いやー考えすぎて頭から湯気が・・・。

まよゐさんの昔のアンチぶりを聞きたいな〜♡

301無明まよゐ:2011/12/10(土) 09:08:43

>>299
>・・・「智者・善人の国」、というのはないのでしょうかね(笑)

最大の善人の国は日本ではないでしょうか。
教学試験の勉強中に、諸天善神はなぜ日本を守らないのかと質問したことがあります。
鯖さんは、個人個人をピンポイントで守るんじゃなかろうかという仮説をおっしゃったことがあるように記憶しています。
よって、善人の国も瞬間瞬間のピンポイントで出現するんじゃないでしょうか。

■論拠「戸田城聖先生質問会集」
 コピペ元(ブログで読める戸田城聖全集 第二巻 質問会編 (創価学会)SGI)

問48 五濁悪世というが、善人はどこにいるのでしょうか。
 南無妙法蓮華経を信ずる者を善人という。この質問はひじょうにおもしろい。金があり気持ちよく、腹をたてぬ、これは善人のようであります。金がない、女房にいじめられる、腹をたてる、これは悪人のようにみえます。自分が善人か悪人かわかりますか。夫婦げんかしたとき、十年、二十年仲良くしてきても、敵味方となりすごくなります。そのとき、女房にたいして、自分が善人か親切かどうかわかりますか。いや私はそう思うといっても、そんなことはだめです。善人悪人はそのときのはずみでできるのです。これを機根の機といいます。
 人間のなかで、だれが善人かときめようとすると、善人はいない。そのとき、よいことをしたということで決めるわけです。これを一念三千の法門といいます。こういう人間だから、そういう悪いことをさせないがために、御本尊を与え、仏という善人にしてしまおうというのが、日蓮大聖人様のおこころであります。
 善人になるときも、悪人になるときもあります。ほんとうに御本尊を信じきったとき、その人が善人であります。

302無明まよゐ:2011/12/10(土) 09:09:33

>>299
>まぁ、いつも言っていることですが、世界のどこかで今もって理不尽に人が殺され、飢餓に苦しみ、一方の先進国はぬくぬくと暮らしている、そういったヒエラルキーの仕組みの頂点付近で無邪気に生きているだけでも、仏法上は殺人の罪を常に犯しているのとおなじ事かと。
>だから、「無邪智」でも、即善人とはならない。無知と戦わなければ、「無知=悪人」からは脱却できないと思うわけです。

レスをしようか非常に悩みます。鯖さんとのメールでは和気あいあいのやりとりをしながら、掲示板では殺伐としたレスばかりになってしまい申し訳なく思っています。

まず、わたしは鯖さんが提示された主張に同意します。
「知る努力」が必要である。自分の出来る範囲で世界平和に貢献していくべきである。
ただし、本テーマは非常に誤解を招きやすいように思っています。真面目な学会同志を不安に陥らせやすいようにも。

ネット上のアンチの主張は大概「チベットを見てみろ。ひどい有様じゃないか。一凶はなんだ。中国じゃないか。学会は中国と友好を結んでいるじゃないか。学会は悪を助長しているじゃないか」というようなことを主張しています。
この場では敢えて反論しませんが、果たして「自分の出来る範囲の世界平和への貢献」ってなんだろうかって思うのです。

一念三千である。目の前の苦悩の人々を救っていくことが、遠回りなようだけれども世界平和につながる。中国の言葉でいえば修身斉家治国平天下。

個人的なことを披瀝すれば自分が関わる人の勤行指導で精一杯です。ただこれは確信をもって申しますが、わたしは自分が励ましている目の前の人の悩みが、チベットで苦しんでいる人の悩みより小さなものだとは思っていません。
エーリッヒ・ケストナーの「飛ぶ教室」という作品に「子どもの涙はけっしておとなの涙より小さいものではなく、おとなの涙より重いことだって、めずらしくありません」とありますが、わたしも人間の悩みに「差別」はないと思っています。もし差別があるならば、お金があり何不自由ない暮らしをしながら、自殺未遂をなんどもしなければならない地獄の苦しみの説明がつきません。日本だろうがチベットだろうが悩む人は悩みます。どっちの悩みがより重要かという選択はナンセンスだと思っています。

303無明まよゐ:2011/12/10(土) 09:10:06
>>299
使命があり、使命のあるところに学会員はおもむく。忙しい中、最大限の努力をしている。学会員は使命を果たしている。
これ以上、学会員は何をしたらよいのでしょう?募金でしょうか?組織批判でしょうか?それとも仕事をやめ、海外にいって凄惨な状況に身を晒し「同苦」とやらを身をもって「体験」することでしょうか?

わたしは鯖さんの提示された主張に同意します。しかし、本テーマは誤解を招きやすいように思っています。

ぶっちゃけていえば、組織批判をする内部アンチのブログに正統性を与えてしまように思っています。
世界の紛争地のグロテスクな画像を貼ったり、怪文書やデマ記事を紹介して組織批判をし、学会員の疑心暗鬼をあおって不安がらせるような内部アンチのブログに、間接的にではあっても同意を与えているような印象を覚えてしまいます。

本当にどうしたらよいのでしょうね?(笑)
悩みは尽きません。
無明まよゐ拝

●追伸
わたしはどれほど尊敬する先輩であっても、内部アンチになった時点で捨て去ることにしています。
パーソナリティを敬っているのではなく、振る舞いや行動、根っこにある思想というものに共鳴し尊敬するからです。

304無明まよゐ:2011/12/10(土) 09:10:51
>>300
>まよゐさんの昔のアンチぶりを聞きたいな〜♡

・・・。__φ(・Д・;)

305:2011/12/10(土) 17:49:33
>>300
> 私の体験だと、妻がしたのは摂受のようにみえるのです。ってことは私は無知悪人だった?

そうかも知れませんね(笑)
まぁ、折伏を受けなくても、「信心したい」と言ってくる人もいますし、結果的に摂受の方法で信心をする人が日本にいてもおかしくないでせう。
戒めねばならないのは、「日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべし」という態度でしょう。

> 安全な場所に見を置きながらの善は偽善だということですね。

その危険性はあると思います。

306:2011/12/10(土) 18:24:07
>>301
> よって、善人の国も瞬間瞬間のピンポイントで出現するんじゃないでしょうか。

そうでした(笑)
御書には「されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし」と。

307:2011/12/10(土) 18:35:45
>>302
メール方式、なかなか良いですね(笑)
掲示板だと、公開の場だから結構話せないこともありますし、やはり腹を最大限に割って話せるというのがストレスフリーですな(笑)

さて、おっしゃりたい事、よくわかります。

まぁ、アンチの主張なんて、自分でできもしないのにスポーツ選手のミスをあげつらい憂さを晴らす飲み屋のオヤジと変わりないですから、気にすることありませんね。
もちろん、中国を含め世界には、平和になってもらいたい。しかし、哀しいかな、我々の力はまだそこまで強くはありません。
遠くない将来、必ず、善の連帯で「完璧な無戦争状態」を創り出したいものですね!

>「子どもの涙はけっしておとなの涙より小さいものではなく」

至言です。突き刺さりました!
ともあれ、目の前の人を幸福にする作業をないがしろにして、世界平和など到底ムリでしょうね。

308:2011/12/10(土) 18:48:00
>>303

>本テーマは誤解を招きやすいように思っています。

まず、私は、これまでも何度も表明してきましたが、当掲示板においてROM(読むだけで参加しない輩)は必要ない、迷惑だから読まないでくれ、と思っております。
私は、開かれたこの掲示板で、議論や質問から逃げようとは思いませんし、本意が伝わりにくい場合や不明点があれば、遠慮なく問い詰めてもらえればいいと思っております。

だから、私がAという主張をした場合に、酷似した内部アンチの主張A'が別にあるとして、それを読者が混同する可能性にまで責任をもつつもりはありません(笑)
もちろん、私の主張Aそのものに対し、おかしければおかしいと言って頂くのは差し支えありません。

あくまでも掲示板は、完成されたテーゼを額縁に入れて「掲示する板」なのではなく、お互いの主張をぶつけ合いながら、そのテーゼをブラッシュアップしていく作業に醍醐味があると思っております。
てなわけで、>>299に対してご批判があれば、ありがたく頂戴したいと思います(笑)

309:2011/12/10(土) 23:51:16
戸田先生のご指導わかりやすいですね。

一念三千はどんな人にもあるものでたまたまその瞬間にでてきた生命であって、それ自体に善悪はないのでしょうね。
ただ、ご本尊を信じれないことが悪の根源なのですね。
でもこれって、とても難しいいとおもいます。 心の奥底からウソ偽りなく信じれるかというとなかなか・・。無理やり信じこもうとするのは当然無理があるし、心を抑圧してしまい結局苦しんじゃう。
包み隠さずありのままをご本尊にぶつけるしかないっすね。

310:2011/12/11(日) 00:04:56
>戒めねばならないのは、「日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべし」という態度でしょう。

「とてもかくても法華経を強いて説ききかすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり
この御聖訓ということですね。

まずは自身に強いて説ききかします (`д´ )ゞ

311無明まよゐ:2011/12/11(日) 01:10:12
>元さん
こんばんは。こちらもレスしようかと迷ったのですが。
もういちど、2008年11月12日「妻と自分〜二人の旅立ち〜」の記事を読み直しました。奥さん、折伏じゃないですかね?摂受じゃなく。

摂受ってのは随他意なわけですよね。折伏ってのは随自意ですよね。相手がどうあろうが関係ない。自信満々、日蓮仏法の正義を語る。これを折伏と称するのですよね。
たしか、戸田先生の時代に「強い折伏と弱い折伏、どうしたらいいでしょうか?」って質問があったはずで。これに対する戸田先生のお言葉は、折伏に強い弱いもない。相手の幸福を祈って慈悲の境涯で仏法を説くのが折伏である・・・とかいうお話だったような記憶があります。

>それから妻は変わっていきました。笑顔が多くなり、不平不満、愚痴など一切言わないし、今まで私が遊びに行っていいか?
>ときくと、行ってくれば、から行っておいでよ、と変わり結婚当初思っていたとおりの妻になっていました。
>自分が変化し始めたのはこの頃からです。ある時妻に聞いてみました。新聞配達は辛くない?と。かえって来た言葉は、楽しいよ!でした。

わたしは元さんのことを信仰者として尊敬しているので、非常に言い出しにくいのですが・・・。
奥さん、元さんより威風堂々としていますよね?元さんがなにいおうがなにしようがカンケーねー!みたいな。
こういうのを随自意っていうんじゃないでしょうか。これぞ漢(オトコ)だ。いよっ花の男子部、にくいねーこのー!みたいな。(笑)

ともあれ「末法は一向、折伏」と仏教哲学大辞典にも書いてありますので、折伏ってことにしておくのがいいとおもわれます。
別に誰も損しませんから。__φ(・∀・)

無明まよゐ拝
●追伸
わが家も父が博多出身。母が東京出身。わたしは三人兄弟の長男なわけでして。そこはかとない親近感を覚える次第です。

312無明まよゐ:2011/12/11(日) 01:10:47

>鯖さん
委細、承知いたしました。

鯖板はどこかの掲示板のエピゴーネンなんぞではないし、どこかの分家として出発したのでもない。
鯖板はいままでもこれからもどこまでいっても鯖板でしかありえない。

このことを定期的に表明しておきませんと、いろいろ「野暮な不都合」が生じそうな気がしましたので、念のため言ってみました。

313無明まよゐ:2011/12/11(日) 01:11:41
>鯖さん
仕切りなおして、別な観点から>>299について再度伺いたいのですが。
鯖さんとしては具体的にどうしたらいいと思いますか?日本在住の学会同志になにを求めていらっしゃいますか?わたしはなにをしたらいいんでしょうか。

一波が万波という。あるいは「源遠流長」
わたしは鯖さんに「おめー文章うめぇなー」ってたった一言ほめられてライターになったわけです。
途中経過はよくご存知でしょうからスっ飛ばしますけど、本日現在、二人の同志の勤行指導をしています。

ひとりは人間の生命と財産に直接関与する仕事を目指している。もうひとりは文化に直結する仕事を目指している。
ふたりとも、目指す職業柄、数百人、数千人規模の人と出会うことになると思います。

わたしはいつもふたりにむかってこう言います。
「あなたは将来、創価学会の大人材になる。あなたが助ける誰かが未来の創価学会の会長になるかもしれない。あるいはあなたが助ける誰かが、間接的に未来の創価学会会長を助けるかもしれない。どういう道のりを歩むかわからないけれども、あなたはかならず大人材になる。人の縁、仏縁は不可思議そのものだ。社会の平和なくして自身の平和はあり得ないし、親や友人を幸せにできないのに自分を幸せになどできない。だから信心根本に悩みに立ち向かって幸せになり、社会も幸せにして欲しいんですよ」

わたしは徳薄垢重の末代の凡夫ですが、こういうセリフを吐かせているのは、鯖さんの何気ない一言にあったわけです。源遠流長。

三十路に突入しながら、青臭いこと申し上げて恐縮ですが。
目の前のひとりをはげましていけば、本当に世界平和は実現できるんじゃないでしょうか?
(少なくとも、かつての鯖さんの一言がまわりまわって自殺未遂者一名が救われています)

批判は誰だってできると思うのですよ。じゃあ、どうしたらいいの?なにをすべきなの?ってことまでキチンと説明できてこそ、建設的な意見になるんじゃないかと思うんですけれども、いかがでしょうか。

314:2011/12/11(日) 01:18:58
>>312
なるほど、ありがとうございます(笑)

315:2011/12/11(日) 01:49:40
>>313
鋭い質問ですね(笑)

私は、「目の前のひとりを励ましていく事」は、効果的に世界平和を進めていく上での必要条件ではあっても、十分条件ではないと思っています。
世界は狭くなったとはいえ、まだまだ日本人は日本人で閉鎖的な社会空間で固まっているような気がします。
私自身が大したことをできていないのに偉そうな事を言いたくはないのですが、このままのベクトルを延長しても、現状維持の域をあまり出ないのではないか、と危惧するものです。

もちろん、「皆で明日から紛争地帯に行きましょう」などというつもりはないですし、自分だって行きたくない(笑)
しかし、世界に目を向ける事はできる。問題を「知っている」だけでも、かなり違ってくると思うんです。
で、具体的にどうするかは、それこそ桜梅桃李だと思います。大事な事は、自分が何をすべきか、よく思索する事かと。
注意深く先生の指導や書物を読めば、組織でのノルマだけをこなすだけで十分かどうか、見えてくるのかと思います。
もちろん、学会の打ち出しを批判するつもりは毛頭ありませんが、「組織」も一個の社会です。いろんな人がいるのも事実。
会社等の組織を例にとって言えば、上司の命令が万が一間違っている場合には、その遂行は会社および個人にとってマイナスとなる事は論をまたないでしょう。
ですから、賢くなれ。徹して賢くなれ、と申し上げたい。
掲示板で書けるのは、このあたりまででしょうかね(笑)

316:2011/12/11(日) 01:50:29
>>311
ご指摘に心より感謝申し上げます。

ほんとそうですね。なんかスッキリしました(^人^)感謝♪ もうね、まよゐさんにチュ(゚・^*)したい感じです。
これからもご指摘お願いいたします。 私もまよゐさんのように慈愛あふれる振る舞いができるよう頑張ります!


>元さんより威風堂々としていますよね?
その通りでございます。 信仰する姿勢にはただただ頭が上がりませぬ。
311 は妻の誕生日でもあって、不思議な感じもします。

>わが家も父が博多出身。母が東京出身。わたしは三人兄弟の長男なわけでして。そこはかとない親近感を覚える次第です。
眷属ってやつですかね(笑)

317赤いポスト:2011/12/11(日) 14:13:14
>>313
無明まよゐさん
二人の同志の方々の勤行指導お疲れさまです。
(超激凄)@@
m(__)m

僕が19のときに6つ上の先輩が毎朝2〜3週間程仕事いく前にうちにわざわざ来てくださって勤行指導して頂きましたわ
途切れ途切れケンケンパみたいに飛び飛びに経文追いかけ読みしてましてんけど、あるとき同じスピードで勤行できるようになった瞬間めっちゃ嬉しかったです(感謝)ちょっと思い出しました(;_;)

318無明まよゐ:2011/12/12(月) 00:33:17
>鯖さん
おっしゃるとおりだと思います。知ることができれば祈ることができる。祈れれば行動につながると思いますので。
一個、確認してもよろしいですか?また、関連質問もよろしいですか?

■確認
もし仮に学会員が「必要条件」しか満たせていなかったとしても、世間に対して負い目を感じる必要はないし、自己嫌悪におちいる必要もないし、ましてや組織批判に走る必要性などどこにもない。「十分条件」を満たしていけるよう、これから努力していけばいい。

鯖さんのご意見は上記理解で問題ないですか。

■関連質問
飢饉なら飢饉。言論弾圧なら言論弾圧。鯖さんのおっしゃる世界の現状を知ったとして、変える努力は実社会の中を変えていくのですか?
あるいは学会の中を変えて行くのですか?

これも桜梅桃李かと思いますが、鯖さんはどちらを志向されていますか。

無明まよゐ拝

319無明まよゐ:2011/12/12(月) 00:33:56
>元さん
指摘できるようなことは何も無いです。元さんがご自分のことをどのようにご自覚なさっておいでかわかりませんけれども。

わたしはお世辞でもお追従でもなんでもなく、手放しで元さんのことを学会同志として尊敬しています。鯖さんに対するのと同じような尊敬の念を元さんに抱いています。当たり前のことを当たり前にできる人として、志操堅固な方として、自分のお手本のひとりにしようと思っています。

最近、気がついたのですが。わたしはいま、バーチャル(仮想)壮年部な気がするんですよ。都心ゆえの超過疎化。だれも部員訪問にこない。会合数も多いわけではない。末端役職者としていろいろな懊悩がある。まんま壮年部だなって。

ただ母親は、いつもわたしにいっていました。「(この孤独感が御本尊の)慈悲なんだよ」って。このごろようやく「あぁ、そうかも知れないな」ってシミジミと思えるようになってきました。孤独のなかで毎日の勤行唱題をし、同志のお役に立つ。見えない陰徳そのものなんです。だから壮年部移行したって全然平気だなって思ってる。いまの生活の延長線上に過ぎないんですから。むしろわたしは、一日もはやく壮年部にいきたいんです。

引っ越して役職を離れた時、組織の人間関係に悩んでいる時、壮年部に移行した時、人間の地金が晒されますからね。
だれが本物の信心の同志かおのずから明らかになるかなと。(笑)

家庭をまもり、横柄なクチを利かず皮肉をいわずに同志を敬い、先生のご指導通りに地道な学会活動に挺身する。
元さんは信仰者の鑑だと思いますよ。少なくとも、わたしはそういう思いで元さんのお話を拝聴しています。
無明まよゐ拝

320無明まよゐ:2011/12/12(月) 00:34:27
>赤いポストさん
本部幹部会で原田会長が「大切にされた思い出をもつ人が後輩を大切にできる。だから人材育成の思い出をつくってあげよう」的なことをおっしゃっていたかと思います。

わたしは「わが忘れ得ぬ同志(池田大作)」に出てくる長瀬軍三さんという方のエピソードが好きなんですけど。
(長瀬さんは大場SGI理事長ご一家を折伏する神奈川の大功労者です)

「温厚篤実な人で、怒る姿など見たことがない。ただ一度だけ、支部の人たちは見たという。軍三さんが折伏した人に、八百屋の青年がいた。その青年は吃音が悩みであった。ある会合で、軍三さんはその青年に司会役を頼んだ。なんとか自信を持たせ、乗り越えさせたいという切なる思いからだ。青年は挑戦した。
 しかし、うまくいかず、会場から笑い声が上がった。その時だ。軍三さんが怒った。
 『みんな、なんで笑うんだ。彼が必死に宿命転換に挑んでいるのに、あまりにもひどいじゃないか!』
 その目は涙で潤んでいた。笑った人たちは、軽率さを心から恥じた。
 青年は、軍三さんを『おやじ、おやじ』と心底から慕い、大成長して吃音も見事に乗り越えた。この青年は、後に保土ヶ谷区、金沢区の区長を歴任した、大功労者の故・中島忠雄さんである。(同書184ページ引用)」

自分のために泣いてくれた先輩の涙や温かい手のぬくもりは一生忘れられないですよね。学会の真の強さだと思います。
無明まよゐ拝

321:2011/12/12(月) 04:18:40
>>318

ご質問の件、全くおっしゃる通りです。世間に対して負い目など感じれば、それが「法を下げる」事になりますから。
あくまでも、地涌の菩薩の自信と誇りを体現した上で、そのミッションを遂行する最適な作戦と行動はどうあるべきかを考える一助を提供しようとしているのに過ぎません。
F1レーサーが、モナコグランプリのトンネル前のカーブで、壁ぎりぎりに5センチまで肉薄できるか、という部類の話であって、それが10センチであっても、F1レーサーはF1レーサー
です。(マニアックですいません!)

御書には、「日蓮が云く一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」と。
戸田先生の「地球上から一切の悲惨を無くしたい」との叫びは、学会のDNAとして脈々と受け継がれていかねばならないと思っています。
また、「日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」「だんなと師とをもひあわぬいのりは水の上に火をたくがごとし」と仰せのように、常にそのDNAを思い出し、原点に戻る作業が必要であると認識しております。

それはなぜか。

「元本の無明」とは、常に師匠との絆を分断しようとする魔の働き、いわばそういった「重力」の異名ではないでしょうか。
ならば、それが「組織の中だけ無重力空間」というのはありえない。
打ち出しをこなしていく中にも、これでよいのか、まだ出来ることはないか、と、頭を使っていく事が大事なのではないかと思います。
それが、先生がおっしゃる「賢くあれ」という事の一つなのではないか。

私の好きな映画のワンシーンに、シンドラーのリストのラストで(ネタバレ注意!)、ユダヤ人を救いきったシンドラーが、まだ私にはできた、まだ売るものがあった(そのお金を使ってドイツ軍からユダヤ人を救出できた)、と泣き崩れる場面があります。
私自身、大したこともできないのに、こういった話をするのはおこがましいと思っておりますが、このように徹して行動を貫く人でありたいと思っています。

また、当然ながら、安易に組織批判に走るなどとんでもない事です。
組織は社会の縮図であり、その意味で「完全体」や「無謬」であり得るわけがない。
ミクロ的視点から、おかしい所を具体的・限定的におかしいと指摘して向上を図る事と、怠惰な自己正当化の為に組織全体を悪と断じる愚は、混同されないよう、気をつける必要があるでしょう。

■関連質問

実社会を変えていくのか、学会の中を変えて行くのか、という事ですが、私は、あくまでも実社会を意識して変えていく事が大事だと思っています。
学会の中は、仲良くやっていけば、あとはなんとかなると思います。大聖人も先生も、徹して社会に打って出る行動をとられました。

池田先生の行動を、そのままマネするのは我々には無理ですが、だからといって、「先生の仕事は先生にやらしとけばいいや」という態度であっていいものでしょうか。
「忠実であるという事」は、ときに「怠惰」を隠す木陰を提供してくれます。
そこから一歩でも、二歩でも出ることが大事ではないかと。
どの方向に何歩出るのか、それが桜梅桃李でしょう。また、出られずとも、祈りを向ける事ぐらいはできるはずです。
座談会では「何でも祈りは叶う!」と豪語して家に帰り、ビールを飲みながら、テレビの悲惨なニュース映像を見た時、「遠い世界の出来事だ」「オレにはいかんともしがたい」と無関心に見過ごしてはいないでしょうか。
私自身、そのような鈍感さを自分が持っている故に、時々嫌になります。
御観念文の最後に世界の平和を祈りますが、頭で字面を追っているだけで、実際は今日のご飯のおかずの事を考えている、という事はないでしょうか。
私は、そういう時があります(笑)

私のような貧乏人でさえ、大学を出て、世界を相手にする仕事に就くことができました。すべてご本尊様、先生、学会のお陰です。
「何でも祈りは叶う」御本尊を持っているのですから、どんどん願いを叶えていかなければ勿体無いです。それが世界の裏側の事でもいいじゃないか、私はそう思います。

繰り返しますが、私自身、大した事はできていません。まだまだまだまだです。
上記のような事ですから、>>299で申した事は、どちらかといえば私自身に向けた自己反省と受け取って頂ければ幸いです・・・

322菊川広幸:2011/12/12(月) 22:08:41
アンチといいますか、日顕宗というのは完全なカルト集団になっていますね。
私、新しいブログで、日顕宗の人と初めてまともに話してみて、あきれ返りましたよ。
まさかと思いましたが、日顕宗は「創価学会は日本を乗っ取ろうと画策している」と言っているようです。
ここまでいくと、マンガというか、危ないというか、完全にオカシイですね。

323無明まよゐ:2011/12/13(火) 00:37:16
>>321
すばらしいご意見を聞けて誇らしい気持ちでいっぱいです。

1、朝夕の勤行唱題時になにか世界平和ためにお手伝いをさせていただけることはないか真剣に祈念いたします。
2、生活に無理のない範囲かつ学会活動に支障をきたさない範囲で、慈善活動へお金と時間を喜捨します。
3、折伏相手や勤行指導の相手にも世界の苦悩を救える人材に成長していくよう励ましていきます。

漫然と人生を生きていてはダメだということですね。一念に億却の辛労を尽くして永遠の生命を我が身にひらくということ。

わたしは都心に住んでいて、フリーになってからは都内の移動は自転車か都バスで移動しています。どこにでも行けるので。
勤行指導で久しぶりに電車に乗れるのが楽しく、十数駅を景色を眺めて楽しんでいるのですが。車内でも勉強できるなと猛省しました。

324無明まよゐ:2011/12/13(火) 00:38:01
つい先日、とある方から「掲示板ってシステム、もうレガシー臭くない?」って相談されて、直感的に「そんなことありませんよ」って返しておいたのですが。鯖板をヒントにして、ようやく言語化することができそうです。忘れないうちに書いておくこととします。

■鯖板は「信心のクラウドコンピューティング」
 クラウドって言葉があります。広大なインターネットの「雲」の中に、ありとあらゆる情報資産を保管しておき、自宅だろうが外出先だろうがところをえらばず、好きな場所で保管しておいた情報をとり出す。クラウドはノマドワーカーを育てるといわれます。ノマドは遊牧民のこと。会社に雇われずにフリーランスで生きる人々のこと。
 スマホを「弓矢」に、自動車やバイクを「馬」に、Wi-Fiスポットを「狩猟場」に見立てて、最低限度の装備で世界中を旅してまわる生き方を比ゆ的に表現しています。
 ではクラウドの本質ってなにかってことになるかと思いますが、やはり「情報の互換性」にあるんじゃないかと思います。自宅で保存した情報を外出先で取り出すことができなかったら意味がないわけですから。
 よく、クラウドだから「ツイッター」だとか、クラウドだから「エバーノート」だとか、あたらしいもの好きな人は騒いでおりますが。
アレ、間違いですね。本質から外れています。
 少なくとも学会系のブロガーで「掲示板の使命はおわった。これからはツイッターの時代だ。フェイスブックの時代がくる」と声高に主張するのは明確に間違いですね。滑稽千万です。まずいラーメン屋はネットを活用したって繁盛しませんし、むしろクチコミの威力で一挙に寂れる一方なわけで。自分の信心に役立つ掲示板はこれからも廃れず続いていくわけです。
 けっきょくのところ、掲示板の価値は「情報の互換性」にあるような気がします。ネットとリアルを自由に行き来できるかということ。ぶっちゃけていうと、掲示板で得た知識を安心してリアルの学会同志に語れるかどうかということ。
 我見で御本尊や日寛上人を誹謗中傷したり、グロ画像をブログに貼って学会組織に罵詈讒謗を浴びせるブログなんて、とてもじゃないけど地区の皆さんに紹介なんてできない。こっちの信心まで疑われてしまいますからね。つまり、リアルとネットの間に越えがたい壁ができているわけです。だから全然クラウドじゃない。若退若出じゃないわけです。
 わたしは鯖さんの>>321のご意見を拝見して確信しました。鯖板は信心のクラウドコンピューティングだと。鯖板で得た情報は安心して同志に語ることができますし、リアルの学会活動で得た知見も(プライバシーに配慮しながら)掲示板へフィードバックすることができる。ひとことでいうと、シームレス。違和感がないわけです。
 ツイッターだからなにか特別なコミュニケーションが図れるというのはまちがい。フェイスブックだから顔の見えるコミュニケーションが図れるというのもまちがい。我見まみれの組織批判、不知恩の内部アンチの顔など見たってしようがないわけです。
 情報はどこまでいってもコンテンツ。よって掲示板というシステムは廃れませんね。これからも。もし掲示板が廃れるというならば、それは管理人が利用者から愛想をつかされたってことです。

325:2011/12/13(火) 12:19:39
>>319

まよゐさん、私は尊敬されるような人間ではありませんからー(汗) でも励みになります。



>ただ母親は、いつもわたしにいっていました。「(この孤独感が御本尊の)慈悲なんだよ」って。このごろようやく「あぁ、そうかも知れないな」ってシミジミと思えるようになってきました。孤独のなかで毎日の勤行唱題をし、同志のお役に立つ。見えない陰徳そのものなんです。だから壮年部移行したって全然平気だなって思ってる。いまの生活の延長線上に過ぎないんですから。むしろわたしは、一日もはやく壮年部にいきたいんです。


お母さん・・・・、涙が出てきました。 言葉にあらわせられないぐらい素晴らしいお母さんですね。

「(この孤独感が御本尊の)慈悲なんだよ」 このお母さんの言葉は重い、重すぎるお言葉だとおもいます。



>むしろわたしは、一日もはやく壮年部にいきたいんです。


いやでも、いずれ移行しますから。 逆に今男子部でしかできないこともありますよ、きっと。





>引っ越して役職を離れた時、組織の人間関係に悩んでいる時、壮年部に移行した時、人間の地金が晒されますからね。だれが本物の信心の同志かおのずから明らかになるかなと。(笑)



その通りだと思います。随自意なのかどうか、試練の時っすね。 なんか正義の味方のストーリーが出来上がりそう(笑)

返事が遅くなりすいません。

326:2011/12/13(火) 15:46:57
>>323
> 漫然と人生を生きていてはダメだということですね。

おっしゃる通りですね、全く勿体無いことです。

ロシアの作家・ドストエフスキーは、銃殺刑の判決を受け、まさにもうダメだ!という所で恩赦によって開放された経験があり、その時の気持ちを作品に残しております。
確か、「ここで助かったら、一分一分を有意義に生きよう」といった趣旨だったかと。で、本当に助かってしまった。その時の歓喜は計り知れないでしょう。

しかし、思えば人生とは、明日、また生きているという保証はどこにもない世界にいるわけで、考えようによっては常にドストエフスキーと同じ境遇なわけです。ですから、生きているうちは、生命の一瞬一瞬がまさに、「無上宝聚不求自得」ではないでしょうか。
朝、起きたら「ああ、生きている!めでたいなぁ、」と歓喜し、夜の勤行では、「今日も死ななかった。本当に助かった」と感謝してもいいぐらいです(笑)

でもまぁ、私自身、それを忘れて無為に過ごすことも多く、反省また反省なのですが・・・

327:2011/12/13(火) 15:59:43
>>324
ふむふむ、エバーノートっちゅうのは聞いたことなかったですが(笑)

FacebookやSkypeは役に立っています。
Facebookは、特に昔の友人を探索するのに役立つ(笑)
まぁ、同窓会ツールですな。
Skypeは電話のかわり。
いずれも、お互いがリアルで知り合いであることが前提なので、比較以前に掲示板とはちょっとフィールドが違うと思います。

ツイッターは、つまらないので最近は更新していません・・・(笑)
そういう意味では、こういったスレッド方の掲示板って、なにか絶妙なモノがありますよね(笑)

あと、掲示板を廃れさせない方法というのはすでに確立していて、意外と簡単なんですが、「荒らせばよい」「他人の悪口で盛り上がればよい」というものです(笑)
うちではできませんが(^^;)

328無明まよゐ:2011/12/17(土) 01:45:47
>>325
>逆に今男子部でしかできないこともありますよ、きっと。

おっしゃるとおりです。
男子部でしかできないこと。そうですね。
とりあえず、元さんの奥さんのようなステキな女性をお嫁さんに来てもらえるよう境涯革命にチャレンジしようかと思います。(笑)

329無明まよゐ:2011/12/17(土) 01:47:49
>>326
生も感謝。死も感謝ですね。(笑

>>327
まさしく炎上ビジネス。(笑

330:2011/12/26(月) 18:13:02
「月下の棋士」BLOGから、月下さんのコメントが秀逸だと思ったんで転載させてください:

> 1つアンチの方に申し上げておきますが、はっきり言ってレベルが低いです。何も響きません。
>どうでもいいことを批判する。
>根本的なことは何も批判できない。
>それでは、創価学会員を変えることはできないのです。
>
>このようなサイトに来て、わざわざ時間を使い、コメントを残す。
>その作業が、効果のないものであったとするなら、家族と楽しい語らいをし、友人との絆を強め、健康作りや仕事の工夫をするなど、もっと価値のある行動をすることをお勧めします。 ★月下

その通りですね。
「月下の棋士」BLOGに、法華講員を名乗るHNで、「一人でも多くの学会員を脱会に導くことが大事だ。」という発言がありました。
私は、その意志が本当であれば、敵ながらあっぱれだな、と思いました。
で、私は、「うちの板には沢山の学会員が集まりますから、ぜひ。」と誘ったら、何のことはない、尻尾巻いて逃げてばかり(笑)

手前味噌ですいませんが、うちのような「管理の行き届いた」板って、あまり無いと思うんですよね。
別に、いじめたりしませんから(笑)、我こそはと思う猛者がいるのであれば、ぜひともご参加いただきたいもんです。

331:2011/12/27(火) 16:36:21
わざわざうちの板に来てくれる方は、どんな信仰をもった方でも、歓待したい、というのが偽らざる気持ちです。
でも、なぜか、「自称アンチ」にはまともな人が少ないんです(笑) 
まぁ、「自称学会員」にも、おかしな人がいるのも事実ですが・・

幼稚園で教えるような事ですが、あえて説明します。

まともとは、こんな感じかなと考えています:
・他人の板に参加する時は、他人の家に上がるのと同様、しっかり挨拶をしましょう。
・その板ごとにルールがあるので、まずはしっかり読みましょう。守れないなら、最初から参加しない。
・自説の展開は、根拠をもって、冷静に行いましょう
・なりすましや、嘘、暴言、恫喝等は、貴方だけでなく所属団体の評価をも下げるかも知れません。

まぁ、普通に我々がやっている事ですが、なかなかこれが難しい方もいるようです。

332:2012/01/11(水) 01:57:16
幼稚園で教えるような事ですが、再度説明します。

・他人の板に参加する時は、他人の家に上がるのと同様、しっかり挨拶をしましょう。
・その板ごとにルールがあるので、まずはしっかり読みましょう。守れないなら、最初から参加しない。
・自説の展開は、根拠をもって、冷静に行いましょう
・なりすましや、嘘、暴言、恫喝等は、貴方だけでなく所属団体の評価をも下げるかも知れません。

アンチで、最初からルールを守って投稿した人って、これまでいましたかね(笑)

333:2012/03/12(月) 23:08:45
掲示板に現れるアンチには、幾つかの種類があると思います。

①外部アンチ→宗教的反対勢力、政治的反対勢力、いずれにも属さないもの、の3タイプに分かれるか
②内部アンチ→学会に属しているが、何らかの確執により学会を憎み罵るに至ったもの
③愚痴の活動家→傍目には活動家に写るが、行動を見ると学会員を攻撃しており、結局はアンチと変わらないもの。

①→②→③と、だんだんに見破るのが難しく、それ故に厄介な存在であると思います。
特に③については、学会系BLOG等に「善意の意見」のようなふりをして書き込みを続け、主催者のヤル気を失わせるものがおり、注意が必要かと。
往々にしてBLOG主は孤独であり、迷惑行為で困っている場合には、うちの掲示板などで相談して欲しいですね!

板のTOPで紹介している「創価系ブロガーに捧げたい『敵の攻撃に負けない為の5つのコツ』」なんかも是非!

334我が生涯に一片のHN無し:2012/04/08(日) 10:57:26
そうか

335菊川広幸:2012/04/10(火) 07:05:24
>>333
>②内部アンチ→学会に属しているが、何らかの確執により学会を憎み罵るに至ったもの
>③愚痴の活動家→傍目には活動家に写るが、行動を見ると学会員を攻撃しており、結局はアンチと変わらないもの。

私もいろいろ経験し、この問題はとても大きな阻害要因と思います。
上記のものに加え、④愚痴の未活動家の学会員がいます。
これは、私のブログにときどきコメントを入れる「ナリスマシ学会員?」として受け止めていたパターンです。
「私はこんなに不幸なんです。最悪なんです。でも、信心頑張っているんです」と書き込む。
これは全てアンチのナリスマシだと思っていましたが、中に、本当に学会員がいました。
その人は、メールくださいときた。
「こいつは絶対にナリスマシだ」と思い、メールすると、そのメール返信が「私はこんなに不幸」というのです。
自分も家族も皆不幸だと言うのです。
そこで「あなたはナリスマシだろ!」と言ったら、住所も電話番号も提示しました。
いくつか応答し、これは学会員だと分り、しっかりアドバイスしました。
そんなこともあるんですよね。

336菊川広幸:2012/04/10(火) 07:09:51
>往々にしてBLOG主は孤独であり、迷惑行為で困っている場合には、うちの掲示板などで相談して欲しいですね!

これは、本当に大事ですね。
鯖板の住民というのは、鯖板の功徳を受けられる訳です。
相談できる。励ましてもらえる。
自分だけが被害者でないことを知る。
敵を共有できる。

>創価系ブロガーに捧げたい『敵の攻撃に負けない為の5つのコツ』

これはとっても大事です。
でも、なかなかその境涯?に達しないでダッチロールするんですけどね。(^^)

338:2012/04/12(木) 23:57:35
>>335
提示している電話番号や住所が「ナリスマシ」の場合もあるので、ご注意を(笑)

>>336
ご理解、ありがとうございます!

339菊川広幸:2012/04/13(金) 22:28:21
>>338
>提示している電話番号や住所が「ナリスマシ」
はい。注意します!(^^)

340牙の大河:2012/05/01(火) 04:15:22
久しぶりにROM、このスレもすごく有益でした。
自分探しって言葉に表れているように、現代はアイデンティティーをしっかりと持っていない人が少なくない。
自分の命をどう使えばいいかわからない彼らにとっては、誰かを攻撃すること、何かと戦っている(つもりになる)ことが、アイデンティティーの拠り所になってるんじゃないかと思います。
そういう人間にとっては、論理的な正しさが問題とならないのはもちろん、好き嫌いの感情すら重要ではなく、ただただ悪いと思っているモノを攻撃していることにしか生の実感が得られない。
それも大した実感ではないから、誰かに相手にされようと必死になり、その欲望には際限がない。なぜなら、攻撃は彼らにとっては唯一の生き甲斐だから。

哀しい。
もっともっと楽しいことがたくさんあることに、どうすれば気付けるんだろう。
人を励ますことが、世界で一番尊く、美しく、正しく、楽しいのに。

341牙の大河:2012/05/01(火) 04:25:51
ナリスマシっぽい人、いますよねー。
mixiやfacebook等のsnsではほとんど関わり合うことがありませんでした。
ところがブログで人が多くなってくると、時々変な人が紛れ混んでくるようになりました。
不思議。無意味極まりない。何が目的なんでしょう?

ここでナリスマシあるあるを1個。
僕のところにくるナリスマシっぽい人はだいたい不幸な女性・女子部を装って来る。
そんなんで釣られませんから!www

342瑛子:2012/05/01(火) 23:45:20
自分の意見を伝える時に何故か謝罪する人は
ナリスマシが多そうです。
下手に出て相手を支配したいのでしょう。
そういう発想がぽんと出来る人ってなんなんでしょうね。




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