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物語スレッド

1 言理の妖精語りて曰く、 :2006/07/13(木) 00:22:13
物語のためのスレッドです。

・このスレッドでは断片的な情報ではなく、ある程度まとまった「物語」を扱います。
・小説風、戦記風、脚本風など形式は問いません。
・何日かかってもかまいませんが、とりあえず「完結させる」ことを目指してください。
・自分が主な書き手となるつもりか、複数人のリレー形式か、メール欄にでも明記しておくと親切です。
・名前欄か一行目に物語のタイトルや話数を入れておくと、後でまとめやすいです。

179 遺された紀憶(1) ◆hsy.5SELx2 :2007/06/06(水) 07:39:20
時:a84nf-jk4l-9f3d

 とりあえず、ぼくは欠陥品だったらしい。最初にそれを知ったときにはううむ、そうか、なんて、柄にもなく唸ってしまった。欠陥品なりに精一杯働いていたつもりだったんだけどね。ある日突然、壊れちゃった。湖のほとりまでトントロポロロンズを取りにいって、それっきり。あまりに遅いぼくの様子を見にきた父さんはため息をついて言った。
「もう、帰ってくるなよ」
 でも、こういったセリフにも、ぼくはそれほど傷ついたわけじゃない。本当にショックだったのは、ぼく自身、ぼくが壊れるなんて思っていなかったことだ。大体、湖に行くなんて日課みたいなものだし、それまではごく普通に動いていたのに。まったく、困ったものだ。
 取り残されたぼくはずっと、湖のほとりでうずくまっていた。最初の星が空に光り、月が登り闇が立ちこめても、どうしても動くことができなかった。とはいうものの、身体はどこも正常だった。異常はどこにも見当たらなかった。だから、たぶん悪いのは心だったんだと思う。よくわからない。でも、ぼくは壊れてしまったんだ。
 夜の湖面はいつもとはまるで違っていた。女の子の瞳みたいにふうわりとした黒のうえで、星や月がきらきらと輝いていた。綺麗だった。
 何も考えられないままにただじっと見詰めていたら、不思議なことがおこった。そういうあれこれが段々とぼやけて滲んでいったんだ。ぼくはよくわからないままにただじっとうずくまっていたんだけど、やがてふっと奇妙な考えが浮かんで、思わずほんの少し、笑ってしまった。

 おかしいな。
 涙を流す機能なんて、ついていないはずなのに。

 それが最初の日のこと。以来ぼくはずっと、うずくまったままで、ここにいる。

180 遺された紀憶(2) ◆hsy.5SELx2 :2007/06/06(水) 07:44:47
時:a84vx-jhr5-jh8d

 それからどれくらいの月日が流れたのか、ぼくにはわからない。ぼくはただ、うずくまっていただけだから。
 まわりの地面に草が高く生い茂っては、また枯れていった。
 近くに狼がねぐらを作ったけれど、何世代か続いたあとで一匹もいなくなった。
 ぼくの身体からちっぽけな緑の芽が出た。それはやがてぼくの身体よりもずっと大きな樹になった。鳥たちが、季節ごとにたくさんの巣を作った。でもそれも、あるとき雷が落ちてぼろぼろになっちゃった。
 湖は一度枯れ果ててしまったものの、今では再び豊かに水を湛えている。以前とは形が変わってしまっているけれど。
 まったく、自然というのは凄いものだ。くるくる、くるくると、変化しつつもちゃんと生き続ける。ぼくみたいに、生まれて数年で壊れちゃった出来損ないとは大違いだ。とはいえこんなに長い年月ぼくの身体がちゃんと形を保っていることには素直に感心してしまう。きっとぼくの父さんはぼくが思っているよりもずっと凄い人だったんだろう。もし壊れなければ、ぼくもその偉大な発明品として歴史に名前を残せたのかもしれない。
 今となっては、むなしい空想だけれど。

181 遺された紀憶(3) ◆hsy.5SELx2 :2007/06/06(水) 07:48:51
時:a8r7j-j8j4-g9j0

 ぼくの最近の楽しみは、鳥たちが楽しそうに餌をついばむのを眺めながら紀憶回路の中身を整理することだ。驚いたことに、こんなにも壊れてしまったぼくの紀憶回路は今でもほとんど正常に動く。ただ、それに気付いたのが遅かった。始めのころ、ぼくは何もせずにただぼんやりうずくまっているだけだったから、そのせいで、壊れる以前の紀憶はほとんど失われてしまった。残っているのは断片的な風景とちりぢりの情報ばかり。父さんの顔も名前も、正確には思いだせない。ただ、「G」で始まる名前だった気はする。
 この文章も、せっかく使うことのできる紀能なんだから使っておこうと思い、数日前から紀憶装置に書き溜めている。日記と呼ばれるものに近いんだと思う。いつか、そのことすらもわからなくなる日がくるかもしれないから、未来の自分のために、記す。

182 遺された紀憶(4)-1 ◆hsy.5SELx2 :2007/06/06(水) 07:56:09
時:a843d-n34s-g49s

 今日はいつもとは違う日だった。
 太陽がてっぺんを少し過ぎたころ、ぼくはいつものように昔の紀憶の整理をしていた。遠くの空に赤い火が数週間灯りつづけたのと、あたりに一匹も動物が居なくなってしまったのはどっちが古い出来事だっけ、なんて考えているうちに、気付いたら眠っていた。気温を感じる紀能はもう失われていたけれど、なにせ、とても気持ちの良い日射しだったから。
 なにか夢を見たような気がするのだけれど、よくは覚えていない。とても、懐かしい出来事を見た気はする。ともあれ、こんなことはよくあることだ。問題は、次。
 夢から覚めると、顔のあたりに、柔らかいものを感じた。目を開けてみると、若い女性がぼくの顔をぺたぺたと触っていた。
 結構びっくりした。いや、こんな場所にずっといると驚くことなんてそうそうないし、そもそもわりと無感動な性質なので、ひょっとしたらぼくは滅茶苦茶に驚いていたのかもしれない。
 彼女はまだぼくが眠っていると思っているみたいだった。どうしてなのか、そのときはよくわからなかった。ただ、綺麗な人だなって思って、じっと見ていた。ぼくには本当に、その人が、綺麗に思えたから。
 さてどうしよう、と考えた。なにしろ、もう長いことうずくまっていたものだから、いろいろなことがさっぱりわからない。大体、生まれてから父さん以外の人間に会った紀憶がない。声が出せるかどうかすら危うい。
 でも、正直言って、ずっとずっとこの場所にうずくまっていて、寂しくなかったなんていうのは嘘だ。いつも、父さんが迎えに来てくれるんじゃないか、誰かがぼくを連れにきてくれるんじゃないか、なんて無駄で無意味な期待を持っていた。自分ではなにもしようとしなかったくせにね。だから、ぼくは、この人に行ってほしくなかった。少しでも長く、側に居てほしかった。だから、思いきって、言った。
「あの」
 ぎくりとしてその人は飛び退いた。ぼくは悲しくなった。ぼくのどこかがきいきいと軋みをあげた。ああ、もうだめだ。こんな壊れたぼくのこと、この人は気味悪がってすぐどこかへ行ってしまうに違いない、そう思った。でも違った。
その人は首を傾げて、言った。
「……わたしのこと、怖くないの?」
「怖いって、どうして?」
「だって、その……両目の、傷とか」
「傷?」

183 遺された紀憶(4)-2 ◆hsy.5SELx2 :2007/06/06(水) 07:56:50
 そう言われてみると確かに彼女の両目は閉じられたままで、ぱっくりと縦に裂けた大きな傷あとがあった。でもぼくはたぶん父さん以外に普通の人を見たことがないだろうし、その傷あとが怖いなんてこと、全然思わなかった。それよりも、彼女は目が見えないんだということに納得した。それでぼくが目を覚ましていても気付かなかったのか、と。
「ぼくにはよくわからない。他の人を見たことがないから」
「それにわたし、魔女だし。聞いたことくらいあるでしょう? キュトスの姉妹」
「なんとなくは。でも、それだけだよ」
 ぼくは彼女をじっと見て、言った。
「君は? ぼくのこと、怖くないの?」
 その人は悲しそうな顔で笑った。その表情を見て、ぼくは自分の心がこれ以上壊れることもあるのだと思った。
「わたしはもう、何も怖くないの。この世界の全部が、悲しいだけ」
「悲しい?」
「むしろ、寂しい、かな」
 ぼくはどうしていいかわからなくなってしまった。それでも何か言わなくちゃ、と思って考えた。ぼくのどこかがきいきいと軋んだ。
「えっと、ぼくはいつもここに居るから、だから」
 そのあとに言葉は続いてくれなかった。ぼくのばかばかばか、なんて頭のなかで何度も呟いていたのだけど、その人は優しく笑ってくれた。ぼくの紀能モニタは今まで見たこともない値を返した。彼女は真夏のさざ波みたいな声で言った。
「ありがとう」
 そうしてゆっくりと、危っかしい足取りで彼女は近づいてきた。ローブの端が草むらにこすれ、くすぐったそうな音を立てた。彼女はゆっくりとぼくのほうに手を差しのべ、これはぼく自身びっくりしたのだけど、ぼくの手は無意識の内に彼女の柔らかい手の平を掴んだ。自分が動いたなんて今でも信じられないけれど、そのときはそんなことを考えている余裕はなかった。彼女の顔がゆっくりとぼくのほうに近づいてきて、こつんと、額と額が触れあった。
「また明日、ね」
 ぼくはやっとのことで言葉を絞りだした。
「また、あした」
 彼女はそっとぼくから離れると、もうこちらを振り返ることなくあっという間に歩き去ってしまった。遠くに山が見える方角だった。もっともうずくまったままのぼくには、森の樹々に覆いかくされて天辺がほんの少し見えるだけなんだけど。
 それからずっと、彼女のことばかり考えている。眠ってしまったら全てが夢か幻になってしまいそうで怖い。もう空が明るくなりだしている。そろそろ、無理矢理にでも眠ろうと思う。紀憶回路まで壊れて、彼女の紀憶が失なわれてしまうことのほうがもっと怖いのだしね。

184 遺された紀憶(5) ◆hsy.5SELx2 :2007/06/06(水) 07:59:03
時:a843d-n35y-j49s

昨日遅くまで起きていたせいか、今日は寝坊した。
彼女は来なかった。真ん丸い月が天辺を越しても来なかった。西の空に沈んでもまだ来なかった。空が、昨日と同じくらい白みはじめても来なかった。
ぼくが寝ているあいだに来たのかもしれない。そう思いたい。
怖い想像がいくつも頭の中を駆けめぐっている。書くと本当のことになっちゃいそうだから、書かない。
消えてしまいたい、なんて思ったのは、本当に久しぶりだ。
もう、寝る。

185 遺された紀憶(6)-1 ◆hsy.5SELx2 :2007/06/07(木) 00:13:11
時:a843d-n36k-48fk

 自分でも、今の状況が信じられない。だってこの文章を紀憶しているのがそもそも……いや、順を追って書こう。
 辺りがすっかり明るくなるころ眠って、目を覚ましたときには彼女がいた。
 びっくりしすぎて目が回りそうだった。でも、それはとってもうれしいびっくりだった。彼女はやっぱりこのまえと同じでぼくの顔や身体をぺたぺたと触っているところだった。ぼくはうれしくて、思わず大声で言ってしまった。
「おはよう!」
 彼女はびっくりして飛び退いてしまった。ぼくは自分を呪った。目が見えない人はちょっとした音にも怯えるってことくらい、考えればすぐわかることなのに。ぼくのばかばかばか、と思っていたら、彼女がふうわり近づいてきた。
「ごめんなさい。起こしてしまった?」
 彼女は少なくとも見た目上ぼくの無作法をそれほど気にしていないみたいで、ちょっと安心した。
「そうだけど、もう太陽もてっぺんだし、起こしてもらえてよかった。ぼくのほうも、いきなり大声だして、ごめん」
 彼女は今日も、この前あったときと同じゆったりとしたローブを着ていた。中になにか入ってでもいるのか、所々ごつごつとした輪郭が飛び出していた。彼女はそっとぼくの顔に触れた。彼女の顔はまっすぐにぼくのほうを向いた。ぼくは困ってしまった。
「うまく言えないけど、なんか、変な感じだ」
「変?」
「身体のどこかが軋んでる気がする」
「嫌?」
「嫌じゃないよ。軋んでるのに、なんでか心地良いんだ」
「そう。よかった」
 彼女はにっこりと微笑んだ。ぼくは知るはずのない暖かさを知った気がした。
 彼女はぼくの隣に移動して、ぺたんと腰を下ろした。目が見えないのに、そんなふうにちゃんと正確な場所へと行けるのはすごいと思った。それを云うなら、白杖もなしにどうやってここまで歩いてこれたのだろう。不思議に思ってそのことを訊くと、「いつ死んでもいいと思っていれば、結構どうにかなるものよ」なんて答えが返ってきた。
「もっとも、死のうにもそう簡単には死ねない身体なんだけどね」
「あ……ぼくと同じだ」
「同じ?」
「ぼくも、いつ消えてもいいと思ってた。それで、ずっとここにうずくまってたけど、ぼくの身体はまだまだ頑丈みたい。内側は、まるきり欠陥品なんだけどね」
「そうなの? こうして話している分には、あなたは普通の男の子と全然変わらないけれど」
「でも、ぼくの身体、父さんみたいな普通の人間とは違ってとっても硬い。それに、最近は軋むことも多いんだ。やっぱり、欠陥品なんだよ」
「父さんって? あなたを……その、作った人なの?」
「たぶん。よく、覚えていないんだ」
「……亡くなったの?」
「さあ。捨てられてから、一度も会ってないし」
「捨てられた?」
「うん。ぼく、欠陥品だったから」
「そんな!」
 彼女は勢いよくぼくに掴みかかった。どうしてか、怒っているようだった。
「えっと……ぼく、なにか、悪いこと言ったのかな。ごめん」
「あ……いえ、あなたは何も悪くないものね。掴みかかったりして、こっちこそごめんなさい」
 彼女はゆっくりと身を引いた。しかし怒りはまだ冷めていないようで、忙しなく手を握ったり開いたりしていた。
「でもそんなのって、酷い! 親が子を捨てるなんて!」
「仕方ないよ。ぼくは壊れちゃったんだもの」
「壊れても、駄目。子が親を捨てるのはいいけれど、親が子を捨てるなんてあってはいけないの。それはもう、絶対のことよ。ああもう! あなたの父親に会って説教してやりたいくらいだわ」
「でも、説教しようにも名前がわからないよ。失なわれてしまった」
「そう? あなたみたいな素晴らしい子を作れる人なんて、限られてくると思うけれど」
「頭文字が『G』だったことしか、覚えていないんだ」
「『G』……」
 そう呟くと、彼女はごそごそとぼくの後ろにまわって、手で背中を撫でまわした。しばらくすると、彼女はもとの位置にもどって頷きながら言った。
「あの刻印、間違いないわ。あなたの父親はグレ……」
 言いかけて、ちょっと考えこんだ。
「あなたは、父親の名前、知りたい?」
 ぼくはちょっと考えるふりをした。でも、答えはもう決まっていた。長い年月のあいだ、何度も考えたことだ。風が凪ぐのを待ってから、ぼくははっきりとした声で否定した。
「いいや。今更知ったところで、どうにもならないよ。たぶん、悲しくなるだけだと思うから、それなら、知らないままでいたい」

186 遺された紀憶(6)-2 ◆hsy.5SELx2 :2007/06/07(木) 00:15:56
「そう」
 彼女はちょっと首を傾げた。何も言わず、何か考えているようだった。彼女は湖に石を投げた。立ちあがり、ローブを脱いだ。ローブはやっぱり内側に何か仕舞われているみたいで、地面に置かれていてもいくらか膨らんでいた。彼女の身体はローブを着たときとは全然違っていて、今にも折れてしまいそうなほど痩せ細ってみえた。彼女は音のしたほうへゆっくりと、危っかしい足取りで歩きはじめた。何をしようとしているのか、ぼくには全然わからなかった。
「どうしたの?」
 訊いてみても、彼女は答えてくれなかった。ただゆっくりと、歩きつづけた。やがてその足が湖面に触れても彼女は歩き続けた。靴がびしょ濡れになっても、歩きやめなかった。腰まで水に漬かったところで、ようやくぼくはおかしいと思いはじめた。
「ちょっと! ねえ、溺れちゃうよ!」
 ぼくは叫んだけれど、彼女は歩きやめてくれなかった。振り返ってもくれなかった。そのくせぼくはずっと、うずくまったままだった。ぼくの心はきいきいと軋みっぱなしだった。音に驚いて小鳥があわてて飛び去ったほどだ。
 彼女はどんどん歩いた。波紋がずっと遠くの湖面にまで届いた。彼女の身体はやがて完全に沈み、最後に残っていた頭もとぷりと音をたてて、消えた。
 風が吹いた。湖面にさざ波が散った。ぼくは自分の見たものが信じられなかった。ぼくは彼女が笑って、すぐに戻ってくると思っていた。でも、彼女は戻ってこなかった。風が凪いで、湖面が真っ平らな板みたいになっても、彼女は戻ってこなかった。
「え……?」
 ぼくの語彙じゃとても説明できない恐怖に襲われた。叫んだ。身体中で叫んだ。地面を何度も掻き毟った。指が千切れてもおかしくなかった。喉が潰れてもおかしくなかった。それでも叫んだ。動いた。走った。
 音に気付いたとき、ぼくはもう湖のなかにいた。目の前ににやりと笑う彼女の顔があった気がするのだけど、よく覚えていない。とにかく彼女の身体を抱きしめて、重い身体を必死で湖の上まで持ちあげた。
「なに考えてるんだよ!」
 必死で浅瀬まで辿りつくやいなやぼくは叫んだ。彼女はにやっと笑って答えた。
「言ったでしょう? 『いつ死んでもいいと思っていれば、結構どうにかなるものよ』って」
「無茶だよ……」
「でも、動けたじゃない」
 そう言われて、びっくりした。ようやくぼく自身、自分が動いたということに気付いた。
「ほんとだ」
「ね。意外となんとかなるものよ」

187 遺された紀憶(6)-3 ◆hsy.5SELx2 :2007/06/07(木) 00:16:45
 ぼくはすっかり感心してしまって、自分の身体をあちこち動かして眺めてみた。本当に、どこも異常なく動いていた。
「でもよく考えると不思議だな。どうして今までは動けなかったんだろう」
 その言葉を聞くと、彼女は暗い表情になった。
「それはきっと、呪いよ」
「呪い? 父さんって、呪術師かなにかだったの?」
 彼女は悲しげに首を振った。
「人間には……いえ、全ての心持つ者には、呪い、呪われる定めがあるのよ。それは悲しくて、寂しいことだけれど、不幸せではないんだと思う」
「え? ……よく、わからないよ」
「たぶん、いつか、わかる日が来るわよ」
 彼女は今にも泣きそうにみえて、ぼくは不安でたまらなくなって、どうしていいかわからなくて、だから、ただ手を引いて、彼女を岸まで連れていった。ふたりともすっかりびしょ濡れだった。
「いやー濡れちゃったね」
 まだ少し空元気みたいな笑いかたをしながら、彼女は濡れた服に構わずローブを着込んだ。彼女のまわりで搖れるローブは改めて見るとずいぶんと重たそうにかさ張っていた。
「気になる?」
 ぼくが見詰めているのに気付いたのか、彼女はいたずらっぽい笑い方をした。ぼくはなんだか恥ずかしい気分になって、何も言えなかった。
「このなかにはね、わたしの宝物が仕舞ってあるの」
「大事にしてるんだ」
「うん。わたしが狂っていた証、わたしが掛けて掛けられた呪いの証。今でも着てるってのは偽善なのか贖罪なのか愛なのか、自分でもよくわからないんだけどね。ただ、大切なもの」
 彼女はそっとローブを撫でた。ぼくはどうしてか「ずるいな」と思ってしまった。それが彼女に対してなのかローブの中身に対してなのかもわからないけれど。たぶん、両方へだったんだと思う。彼女の気持ちも考えずにそんなことを思うのは非道で卑怯なことだとはわかっていたけれど、そう思わずにはいられなかった。そこにはぼくに足りていないものがある気がした。今のぼくには、明確にはわからないけれど。
 考えていたら、彼女がそっとぼくの手をとった。
「動けるようになったところで……どう?」
「え……そうだね、動くってのも、なかなか慣れない感じだよ」
「そうじゃなくて、わたしの家へ。どう?」
 ぼくははっとした。きっと馬鹿みたいな笑顔を浮かべていたと思う。
「それはもう、喜んで!」
 旅路はなかなかに長かったけれど、退屈はしなかった。これからはずっと彼女と居られるってことが嬉しくて、それ以前にただ彼女と話をしているだけのことがどうしようもなく楽しくて、時間なんてあっという間だった。月がてっぺんに来るころにはどうにか目的地に辿りついた。本当はもっともっと時間がかかるらしいんだけれど、彼女の姉妹が作った扉のおかげでかなりの行程を短縮できるとのことだった。
 今ぼくは、彼女の部屋の隣にある一室をあてがわれて、この日記を書いている。こんな気分になるのは生まれてこのかた初めてだ。たぶんこれが、本当の幸せというものなんだろう。すっかり目が冴えてしまって、全然眠れる気がしない。とりあえず今日の分の紀憶はここで止めておくことにするけれど、もうしばらくは起きていると思う。
 明日も良い日でありますように!

188 遺された紀憶(7)-1 ◆hsy.5SELx2 :2007/06/07(木) 00:37:00
時:hi89f-fj39-032j

 しばらく紀述を怠けてしまった。なかなかに忙しくて、文章を書く暇もない日が続いていた。とはいえ、悪い暮らしではない。毎日いろいろなことがあって、湖のほとりでうずくまっていたころとは大違いだ。
 とりあえずぼくは掃除夫として働くことにした。彼女はなにもしなくていい、と言ってくれたのだけど、せっかく身体が動くようになったのだしここに住まわせてもらうお礼くらいはしたかったからだ。
 彼女には70人の姉妹がいるらしい。全員がここに住んでいるわけではなく、大部分の姉妹は世界のどこかを放浪しているという。ある意味みんなにとっての「実家」みたいなものだ、と彼女は言った。「実家」というものがどういったものか、ぼくにはいまひとつわからないのだけど。
 初めて来たときには疲れていてよくわからなかったけれど、ここは峻険な山間に建つ大きな塔だ。みんなは「星見の塔」と呼んでいる。彼女の姉のイングロールさんが全体の管理者らしく、ここに来た最初の朝に挨拶に行った。とはいえ、「朝」というのは語弊があるかもしれない。目を覚ましたとき、外はやっぱり暗いままで、空には星が沢山またたいていたからだ。その癖体内時計はぼくがしっかり8時間の睡眠を取ったことを示していた。
 イングロールさんはいくぶん眠たそうだったけれどもそのあたりのことを丁寧に説明してくれた。なんでも、ここには朝が来ないらしい。それどころか、永劫線とやらの影響で一般的な意味での時間が無いらしい。一般的な意味での時間がないとはどういうことなのかぼくにはよくわからなかったけれど、イングロールさんが眠そうだったのであまり突っ込んだ質問はやめておいた。48時間ぶっ続けで天体観測をしていたらしい。イングロールさんは本当に星が好きみたいだ。素敵だな、と思う。
 彼女曰く、「イングロール姉さんはロマンチストのくせにしっかり者で、ずるい」。
 塔を掃除していると、ひょっこりワレリィさんと出会うことが多い。ワレリィさんは扉職人というものをしているらしい。最初にここに来たときに何度かくぐった落書きみたいな扉はみんなワレリィさんが開いたということだ。昔はワレリィさんしかくぐれない『扉』しか作れなかったらしいけれども、頑張って勉強したおかげで、今では姉妹みんながくぐれる『扉』をたくさん作っている。ワレリィさんは扉をくぐっていつも色々な世界を旅している。どこかの世界では魔王さま、なんて呼ばれたりもしているらしい。ワレリィさんはどこから現われるか予想がつかなくて、いつもびっくりさせられる。この前台所を掃除していたとき、いきなり冷蔵庫が開いてワレリィさんが飛びだしてきた。勢いがよすぎて、あやうくニースフリルさんが大切にしている食器を割られるところだった。妙に目付きの鋭いガンマンから逃げていたらしいけれど、だからといってそういうのは、困る。
 彼女曰く、「ワレリィ姉さんはたくさん面白い話してくれるから好きよ」。
 そうそう、ニースフリルさんについても書いておこう。まだ数度しか会ったことがないのだけど、どうやらぼくの身体にとても興味があるみたいだ。くんくんと匂いを嗅がれたりして、ちょっと戸惑ってしまったけれど、悪い人ではないみたい。いつもは世界中の遺跡を巡って歩いているらしい。二度目に会ったときにはトミュニさんともの凄い喧嘩をしてた。どことなく楽しそうに見えた気もしたのだけどね。そういえば「グレンテルヒの奴またこんなオーバーテク遺しやがって……」なんて呟いていた気もする。なんのことかはよくわからないけれど、もしかしたら大事なことかもしれない。
 彼女曰く、「あー……ニースフリルちゃんに会ったか……まあ、悪い子じゃないんだけど。分解されたり埋められたりとかは、やめてね」。
 トミュニさんはしょっちゅう談話の間でにぎやかにしている。というか、しょっちゅう他の姉妹に喧嘩を吹っかけている。居候の身でこんなことを言うのも何だけど、ちょっとは掃除する人のことを考えてほしい。この前ニースフリルさんと派手な喧嘩をやらかしたときはしばらく部屋にこもってしまって、おかげで掃除が随分はかどった。もっともトミュニさんの落ち込みようはなかなかに酷くて、さすがに少し心配になりもした。エロゲがどうとか呟いていた気もするけれど、なんのことかはわからない。しばらくしたらまた元気に大騒ぎするようになって、ぼくとしては安心するやら困るやらだ。
 彼女曰く、「トミュニちゃんは元気よくて、好きよ。娘だったらよかったのに、って思う」。

189 遺された紀憶(7)-2 ◆hsy.5SELx2 :2007/06/07(木) 00:40:58
 それと、ヘリステラさんにも会った。彼女とは、脱走したペットの栗鼠をぼくが掃除中に見つけて、それで親しくなった。長姉だけあって、きりりとした佇まいがすごく格好良い。さばさばした物言いはいつも鋭いところを突いてきて、ぼくの身体がぎしりと軋むことも多かった。とはいえ、そういった物言いも、実はあんまり嫌いじゃなかったりする。変な陰湿さがなくて、むしろ好きなくらいだ。
 ヘリステラさんと知りあった日、彼女にそのことを話したら唖然としていた。
「ヘリステラ姉さんに敬語使わないなんて、あなたとトミュニちゃんくらいなものよ……」
 あるときヘリステラさんに訊かれた。
「君は、どうして彼女のことを名前で呼ばないんだい?」
 ぼくはちょっと困ってしまった。
「ぼくは、彼女の名前を知らない」
「それは嘘だ。他の姉妹が呼んでいるのを聞いたことくらいあるだろう」
「でも、彼女から直接聞いたわけじゃない。それに、ぼくにとって彼女は彼女だけだし。それで、十分なんだと思う」
 それがぼくの本心だった。ヘリステラさんは「ふうん」と言っただけだった。納得してもらえたかどうかはわからない。
 そういえば、ヘリステラさんからは不思議な忠告を貰ってもいた。
「君、ビークレットとディオルには気をつけたほうがいい。ビークレットは君の父親を敵視しているし、ディオルは未だに君の『彼女』を憎んでいる。まあ、ディオルの方は『呪い』があるからそうそうここには来れないだろうし、問題はビークレットだな……。大丈夫だとは思うが、用心しておくにこしたことはない」
 とはいえ、すでに手遅れだった。その忠告以前にぼくはビークレットさんと会っていたのだから。
 それは二度目にニースフリルさんと会ったときのことだ。ぼくが階段を掃除していたら、ニースフリルさんがやってきた。ニースフリルさんの横には細身で、太陽のような色の長い髪をぞんざいに垂らした女性がいた。真っ赤なドレスはまるで燃えているかのよう。ぼくと目が合うと、その女性は「おや、珍しい子がいるね」と呟いた。ニースフリルさんがあわててその女性の手を引いた。
「ビークレット姉さん、この子はたまたま居候してるだけで、とりたてて重要ということはなくビークレット姉さんが気にしなきゃいけないことはなにも……」
「ふうん」
 ニースフリルさんの言葉を聞いているのかいないのか、ビークレットさんはぞんざいな返事しかしなかった。じろり、とぼくの身体を睨みつけ、ふむ、と頷いた。
「『大いなる母』と錬金術士の息子か……世の中どこに縁があるかわからないものだ」
「……姉さん、知ってたの?」
「あいつはわたしにとって永遠の敵だ。奴の作品なんざ、見ただけでわかる。あとはまあ、ワレリィから最近面白いのがフィラ子のとこに居候してるって聞いてたから」
 ビークレットさんはじろりとぼくのことを睨みつけた。でも、それだけだった。なにも言わないまま、ビークレットさんはぼくの横を通りすぎていった。あわててぼくはビークレットさんのあとを追って、言った。
「あの!」
「ん」
 再びじろりと睨まれ身体がきちきちと鳴りそうだったけれど、どうにかこらえた。
「はじめまして!」
 ビークレットさんは無言だった。ニースフリルさんがゆっくり階段を下りてきて、ビークレットさんの横に立って見あげた。しばらくしてから、ビークレットさんは重々しく口を開いた。
「……それだけか」
「そうですけど」
「ん」
 ビークレットさんは少し考えこむふうだった。やがて、ひとつ頷くと「じゃあな」といって階段を下りていった。でも少し行っただけでぴたりと立ちどまると、ビークレットさんは振り返ることなく言った。
「一つ忠告。『大いなる母』が真性の狂人だなんてのは嘘だ。それは蟷螂の生き様は狂ってる、なんて言うのと同義。彼女が狂人ならわたしだって狂人。でもね、気をつけな。彼女があんたにとって危険かどうか、ていうのはまた別の話。彼女は数多の呪いを掛け、数多の呪いを受けてきた。それは事実。それをあんたが受けいれられるかどうか。問題はそこさ」
 それだけ言うとビークレットさんはすたすたと階段を下りて、あっというまに視界から消えてしまった。「やれやれ、どうなることかと思ったよ……」なんて呟きながらニースフリルさんもあとを追った。それだけだった。

190 遺された紀憶(7)-3 ◆hsy.5SELx2 :2007/06/07(木) 00:41:55
 この出来事は彼女には話していない。どうやらぼくがビークレットさんに好かれていないのは事実のようだし、下手に彼女を心配させたくはなかったからだ。でも、ビークレットさんの言葉はぼくの紀憶回路にへばりつくように残った。
 ヘリステラさんはこのことを聞くと深くため息を吐いた。
「そう、確かに君の『彼女』はかつて真性の狂人、なんて呼ばれていたことがある。でも、昔のことだよ。双の瞳が永遠に光を失って以来、彼女は落ち着いた、穏かな暮らしをしている。その様を知るものであれば、誰も彼女を狂人とは呼ぶまい」
「でも、ビークレットさんは気をつけたほうがいいって」
「……それはね」
 ヘリステラさんの顔は深夜のほのほぐさみたいに暗く垂れた。口が何度も開いてはまた閉じた。やがて彼女は、苦い味が内蔵中に染みているような表情で静かに言葉を紡いだ。
「ビークレットの言うことも、また事実なんだ。呪いというのは中々に解け難いものなんだよ。特に、自分自身に掛けたものはね。業、と言いかえてもいいかもしれない。……時に、君は彼女の部屋に入ったことがあるのか?」
「いいや。彼女は部屋に入れてくれないんだ」
「だろうな……」
「でも大丈夫だよ。彼女と話すのはぼくの部屋でもできるし、無理矢理彼女の部屋に入らなきゃいけないって理由もないしね」
「うむ……」
 ヘリステラさんやビークレットさんが何をそんなに心配しているのかはわからない。確かにぼくは彼女のことを全然知らない。でも、今のところはそれでいいんじゃないかと思う。だって今のままでぼくは十分に幸せだから。ただ、ぼくと話しているとときおり彼女がなにかを堪えるようにじっと俯くのだけが気にかかる。彼女には幸せでいて欲しいと思う。だってそのほうがぼくも幸せになれるから。
 今日はトミュニさんがいないからずいぶんと仕事がはかどった。なんでもどこか遠い所にいる姉妹に喧嘩を挑みに行ったらしい。おかげで久しぶりにこの文章を書く時間が取れたわけだけれど、いつもとはうってかわった静かな星見の塔というのもなんだか変な感じだ。
 ドアにノックが響いた。彼女が来たのかもしれない。今日はこのあたりでやめておくことにする。明日にはきっとトミュニさんも帰ってくるだろうし、次にこれを書けるのはいつになるのかな。

追記
 ノックは彼女じゃなかった。ワレリィさんが、ぼく宛の手紙を届けに来てくれた。ただ、差出人がわからない。ワレリィさんに訊いても、言葉を濁されてしまった。
 中を開けると小さな紙切れにほんの短かな、真っ赤な文字が並んでいた。

「彼女は未だ狂っている。
 彼女は恋人の首を刈り飾る真性の狂人である。
 疾く去ね、さもなくば後悔が待つ。」

……なんのことか、ぼくにはわからない。
今度こそ彼女が来た。手紙は見せないでおこうと思う。
この生活が、壊れてしまうことのないように。


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