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健康優良児審査

1名無しさん:2020/10/07(水) 15:07:33
健康優良児審査を受けたのは、私が小学校6年生の時でした。
確か新聞社主催のものだったと思います。歳がばれるので、20年以上前とだけ言っておきます。

審査は県立の体育館の中で行われました。奥には黒いカーテンで仕切られていました。
まずカーテンの外で服を脱いでパンツ1枚になり、長椅子に並んで腰掛けました。
5人単位で呼ばれると、パンツ1枚で黒いカーテンで仕切られた中に入ると、教育委員らしき審査員達が5人座っていました。

私達がその前で横並びで整列すると、パンツを脱ぐように言われました。
最初はためらいましたが、みんな脱ぎ始めるので同じように脱ぎました。
パンツは後ろに置き、全員スッポンポンになって正面を向いて「気を付け」の姿勢を1分間ほどさせられました。

私はこの時ほど他人の視線を強く感じたことはありませんでした。
顔から胸、陰部、足という具合に、舐めるように見つめられました。
その後、「右向け右」で1分間、さらに「右向け右」で後ろ向きの状態になって1分間、全身くまなく見られました。

「回れ右」で再び正面に向き直ってから、左の人から順番に質問をされました。
私はすでに陰毛がうっすらと生えていたのですが、「陰毛はいつから生えたの?」と尋ねられた時は、顔から火が出るほど恥ずかしかったです。
しかもその質問と同時に、審査員達の視線が一斉に私の陰部に集中しました。
陰毛が生えてからは親にも見られた事のない陰部を、5人もの赤の他人にまじまじと見られるのですから、堪りません。
今では絶対にあり得ないことでしょう。
その時私が何と返事したかは覚えていません。ただ「最近」と言っただけのような気もします。

一通り質問が終わった後、教育委員の見ている前で5人揃って「ラジオ体操第一」をさせられました。
今から考えると、ラジオ体操にどんな意味があったのか不思議です。
単に興味本位で動く裸を見たかったとしか思えません。
私はまさかこんなに恥ずかしい審査だとは夢にも思っていませんでしたのでショックでした。

審査中は、何が何だか分からなかったので無我夢中だったような気がします。
審査が終わった後は、涙ぐんでいる子もいました。
おそらくこうした事実は、若い人達には信じてもらえないでしょう。
しかし当時はまだ、ある程度の体罰さえ名残のあった時代です。
現在とは違って、「小学生に人権は無い」と考えられていた時代だったのです。

2名無しさん:2020/10/07(水) 15:08:38
健康優良児審査の事前説明と当日
男性視点学校小中学生時代おっぱい昔話目撃
これまで健康優良児に関する体験や審査について掲示板などで数多く報告されてきました。
年代や地域、学区、学校の取り組みによってかなり差があることがわかりました。
かなり昔の話です。
小6のとき、自分(男)とAさんが学校から選ばれ、放課後に校長室で校長と各担任、保健室の先生(女性)から説明を受けました。
校長の言葉は覚えています。「君たちは学校の代表」「これは名誉なこと」でした。
Aさんは自分よりも背が高く体格もよく、スポーツ万能で成績も学年でトップクラスだった。
いま思い出しても聡明な美少女でした。
誰もがAさんなら選ばれて当然だと思ったでしょう。
しかし自分はAさんより劣っているのは明らかで、なぜ自分なのか?と不思議だった。
当時は学校推薦の児童は男女ペアが原則など知るはずもなく、今の言葉ならバーターだろう。
校長室から保健室に移動する途中でAさんに、自分はふさわしくないようなことを言うと、
Aさんは、そんなことないよ一緒に頑張ろうよ、と笑顔で励ましてくれました。
その表情がとても可愛く、彼女の方がずっと大人に見えました。
保健室で二人そろって女の先生から心構えや注意事項、審査内容など一通りの説明を受けました。
内容はほとんど覚えていません。
しかし、先生が「さっき説明した通り、審査方法は年度や審査官によって違うけれど、面接や身体検査などで全裸になることがある」。
さらに付け加えて「恥ずかしがってはいけない」「堂々として」などの言葉は忘れられません。
先生はファイルから写真を取りだして「こんな感じで」と見せてくれました。
写真はモノクロの全身像で、全裸の男子生徒が気をつけをしている姿勢だった。
腕を水平に伸ばしたり、バンザイのポーズをとっている写真もあった。
背景は目盛りのある格子線のボード(正確な名称は知らない)。
当然だがオチンチンもはっきり写っていた。

3名無しさん:2020/10/07(水) 15:09:20
そして先生が自然な感じで返された写真を交換させた。
女子が全裸で写っていた。割れ目や膨らんだオッパイを見てドキッとした。
自分はそれまで同世代の女子のバストなどは見たことがなかった。
当然、年相応の大きさなのかもわからない。
こんな写真を見てよいのか、見せてもらってよいのか、戸惑いました。
そのとき先生は、背が高ければ高いほど優秀ではないように、小学生の模範になるような全体のバランスがとれた体型、などよくわからない説明だったと記憶している。
二人並んで椅子に座って先生と向かい合っていたが、横のAさんをチラっと見ると、真剣な表情で男子の写真を見つめていた。
当日の審査内容はほとんど忘れている。体力テストのような運動をしたような薄い記憶だけ。
全裸で写真を撮られたのはおぼえている。そのときは男子だけで並んだ。
最初はパンツ一枚で数ポーズを撮った。そのあとパンツを脱ぐように言われた。
ずっと後から、そのときの係官?の気分で全裸にさせられたような気がした。
撮影はマグネシウムのフラッシュかライトを当てられたのか、これも覚えていない。
そのあと学校代表としてAさんと二人で面接を受けた。
椅子が並んで2脚あり、二人で長机の審査官たちの前に座りました。
自分はパンツ一枚、Aさんは体操着とパンツ一枚。
いくつか質問されたが全く覚えていない。
「成長(だったか発育?、体と言われたか・・・)を見たいので全裸になれますか?」と聞かれた。
Aさんが先に「はい」と答えた。そうなると自分も脱ぐしかない。
頭の中で「名誉なこと」「学校の代表」「恥ずかしがらず堂々と」がぐるぐる回った。
二人並んで気をつけの姿勢で前を向き、横、後ろなどの姿勢を取った。
向かい合う形はなかった。顔はまっすぐ正面を向いているから横のAさんなど見られない。
それでも姿勢を変えるときなど彼女の体は視界に入った。
極度の緊張と高揚感が入り交じって勃起が始まった。一気にピーンと反り返ってしまった。
無毛でフル勃起しても先は蕾のような完全包茎だった。
審査官から「男子は元気でよろしい」みたいな言葉だけは覚えている。
何を聞かれ答えたのか、その時点でさえ飛んでいる。
礼をして衣類を持って隣の控え室(教室?)に戻った。
そのとき、Aさんはきちんと下着や体操着がたたんで持っていた。
自分はパンツ一枚とはいえ余裕もなかった。
控え室ではAさんと二人だけだった。面接の時間帯を学校単位でずらしていたようだ。
お互い「緊張したね」とか「疲れたね」など安堵した表情だった。
Aさんはすぐに着替えてもいいのに全裸のままだった。
自分が先に着替える雰囲気ではなかった。
二人とも放心状態というか脱力感で立ち尽くしていた感じだった。
なんとなく向かい合って今の言葉ならガン見した。
Aさんのオッパイは桃のような感じだった。
乳首のまわりが盛り上がって赤く熟れている。
めまいがするくらい綺麗なオッパイだった。
下は割れ目の上に薄く毛が生えていた。
漠然と「Aさん、もう生えているんだ。大人になり始めているんだ」と思った。
自分のオチンチンは立ったままで、Aさんの視線が痛かった。
立ち尽くしていた時間は1、2分だったろうか、とても長く感じた。
Aさんは「わたし、同級生のオチンチンを見たの初めて、こんな機会がないと見られないから・・・ありがとう」と変な?お礼をされた。
それは正直なのだろうが、Aさんがそんな言い方をしたのが意外だった。
自分は「こっちこそ」と言いたかったが、やめた。
むしろ「恥ずかしくないの」と聞いてしまった。
「わたし?、○○君ならぜんぜん恥ずかしくないわよ、優しいし」と平然としていた。
余談だが、転校生が来ると担任は必ず自分の隣の席に座らせた。
優しくて面倒見がよいからだろうか。自分ではよくわからない。
結果は二人とも上に進めなかった。
ほとんど忘れているが、結果は保健室で知らされたと思う。
放課後Aさんと一緒に保健室に行って女性の先生から説明を受けた。内容は全く覚えていない。
ご苦労様でした、残念でしたね、というねぎらいの言葉をもらったが、先生は淡々としていた。
これもずっと後から振り返って、長年健康優良児を見てきた先生には結果が最初から予測できていたのではないか、と。
そのとき驚いたのは自分の全裸で検査した写真が先生の手元にあったことだ。
たぶんAさんの写真もあっただろう。さすがにそれは見てないし、見せてくれるはずがない。
自分の目に焼き付いたAさんのまぶしい体だけは今も鮮明に覚えている。

4名無しさん:2020/10/07(水) 15:12:12
控え室のようなところで、まずパンツ一枚になって、検査場へ向かいました。
わたしの小学校では男女とも身体検査のときは短パン・ブルマ一枚だったので、この時は特に抵抗は感じなかったです。でも、そうでない学校の子は、恐らくパンツ一枚になった時点で嫌な気持ちだったんだろうと思います。
検査場では、いろいろな検査を受けました。身長、体重に始まって、内科検診、多分視力検査もしたかな?かなり長い時間がかかったのは覚えています。

ようやく検査が全部終わった時に、係りの人?(医者だったかもしれない)にパンツも脱ぐようにいわれました。このことは、断片的ですがはっきり覚えています。とにかく、指示に従うほかないので、言う通りにしました。
その後、何人か審査員らしき人が座っている机の前に向かったのですが、前の子の面接(?)が長引いて、待たされた覚えがあります。ただ、前の子がどんな様子だったかは、よく覚えていません。
しばらくして私の番になりました。全裸で審査員の前に歩いていったときは、恥ずかしさもさることながら、心細かったです。身をさえぎるものが何もないのですから。
そして、気をつけの姿勢で審査員の前に立ち、いろいろな質問を受けました。
質問の内容はあまり覚えていませんが、わたしの小学校は健康教育に力を入れており、冬でも体操服で過ごしたり、はだしで運動をしたりしていたので、そのことについてかなり聞かれました。
途中で、後ろを向かされたり、横を向かされたり、とにかく全身をくまなく見られました。
あんなことをされれば恥ずかしいのは当然なのですが、当時は学校の代表できたんだから、恥ずかしがったらいけない、と子供心にも必死だったのを覚えています。

5名無しさん:2020/10/07(水) 15:13:14
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/1347/1212067092/l50

6名無しさん:2020/10/07(水) 15:15:21
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/1347/1561332212/l50

7名無しさん:2020/10/07(水) 15:17:10
「全裸面接」「ヌード鑑賞」 暗幕の中の6年生 羞恥の健康優良児残酷ものがたり
健康優良児審査は、昭和5年に始まり、昭和53年まであったA新聞社の以外にも、県独自のものとか、他の団体のものとかあったようです。県のものは、小学6年生のものと、中学生のものがあったよう。
 中学生も小学生と同じく全裸面接があったところもあるようだ。これは、今はやりの児童虐待の先駆けだったように思われる。

 ちょうど東京オリンピックが10月に開催された昭和39年9月。このころ昭和30年代から40年代の高度成長期のまっさかり、半ズボン全盛期でもあるが、健康優良児審査も全盛期で佳境に達していた、ひどいことがあったことがいろいろ言われている。
こうした新聞や週刊誌に痕跡が残っているということはたいへん貴重ではある。とくに健康とか体力とか関心が強く、「管理教育」ともいわれ、裸にするなどということも今より社会的に許されていたのだ。

ただし、すべてではなくかなりヴェールに包まれている、地方よって、時代によってさまざまでいろいろ人権無視のことが行われていたようだ。


また一般に女の子が恥ずかしかったとか女の子中心で作られているが形の変わる男子の方が恥ずかしいのだ。

この記事によると、男子はパンツ一枚、女子はブルマ一枚となっている。

一般的には、男子、女子とも下着のパンツ一枚だったようだ。

男子のパンツとは下着のパンツ、つまりこの時代はブリーフ、だから上を脱ぎあの短い半ズボンを脱いでそのままということか。体育用の短パンとかはかない。


いわれていることは、いろいろあるが10人くらいの前で、男女ともパンツ一枚で面接し、途中で脱ぐというもの。

こうなるとヌード鑑賞・・ということ。

下着一枚にして綺麗な膚、すんなりした腿、それを露わにさせた以上、そこだけ発毛の兆しのあるあたりも脱がさせないわけにはいかないだろう・・

健康優良児は体の成長は好ましいがワセ(性的早熟)は駄目、性的早熟だと成長が直ぐ止まる。

健康優良児が他の子に身長が追い越されるなどということがあったら、こまる。

健康優良児の発毛それは成熟度、つまり成長の頭打ちを示すもので、
学校推薦の時点からパンツの中までよく調べたようだ。




男の子のすね毛とか声変わりなどだめ。

せいぜいそこに発毛の兆しがあるかなきか程度がいいとされる。
女の子も同じ。

いくら成長がよくとも、半ズボンからすね毛が出た腿を出してるような子とか、あまりボインの女の子はだめ。
最後のものに手をかけても、なかなかおろせないでもじもじ羞恥の仕草を観察しながら・・恥ずかしい残酷な質問に、意志に反して膨らんでゆくのを前かがみになって股の辺りで手を組みなんとか隠そうとしたり、そんな羞恥の光景をたっぷり視姦・・

このあたりたいへんデリケートでヴェールに包まれ秘密の領域!。
健康優良児審査は、信じられないという面も多々あるようだが、実際にそういうようなことを疑わせる週刊誌報道があったことを考えれば、そういうこともあったと思った方がいいだろう。要は地域や時代によっていろいろあるということだろう。
戦後、昭和30年代以降、高度成長時代は、「半ズボン」全盛時代、高度成長時代、男の子は学校の保険の先生や校長先生に見送られて検査場に臨む。
しかしそこでは、最初にすることは、まだ男女別で半ズボンも脱いでしまって下着のブリーフ一枚になることだった。
そして、これもパンティ一枚の女子の待つ部屋に、ブリーフ一枚で入っていく。・・
まだそこで行われる羞恥の検査場、ブリーフさえも脱いでしまうなんて思いもよらぬことだった。
健康優良児は、適度な発育が求められ、早熟はだめだったそうです。特に性的早熟はだめ、毛深いのはだめだった同です。小学六年生だからあまり早熟だと身長の伸びが止まってしまうことかららしい。だから男女とも陰毛や肉つきなどは詳しく検査したといいます。六年生としてふさわしい発育で、身長は高くてもあまりボインとか性器が発育しすぎもチェックされたそうだ、陰毛は男女ともうっすら位が一番よく、ボーボーはだめ。
中には面接の際、ブリーフ、パンティもつけない全裸で脚を開きブリッジさせて検査官が何人もそばにきて取り囲み触って調べたりしたそうだ。男の子にはチンポコをつまみ、袋をつかんで動かし、包まれた敏感な包皮をつまみ開き、会陰肛門まで、女の子にはヴィーナスの丘を触り、開かれたオマンコに指を添えてさらに開いて・・。

8名無しさん:2020/10/07(水) 15:18:16
昭和39年の北陸地方の予選では、男女ともかなり長い時間全裸で行われたそうだ。・・
告白によると男女一緒で、何人も入れて見ている前での男女交代交互にひとりずつだという。

一般に地方では、当時盛んな[管理教育]の度合いの強いところに異常な事が行われているようだ。

私達がその前で横並びで整列すると、パンツを脱ぐように言われました。

ジャンプすると、男の子のあそこは飛び跳ねる。Y字バランスは女の子の割れ目がはっきり・・、ブリッジは男も女の子も、股や性器が正面にはっきり・・。何をされるかわからないと思うが、こんなことをさせられるために、パンツを脱ぐ・・。
大勢の中には、どうしてもパンツを取って裸体をさらすことはできないものもあったようで、こういうものは失格となって退場となったそうです。
ほとんどは学校を背負ってきているという自負があったので、いうがままにするしかなかったという。男の子でも女の子でも、何人もの審査員の目の前でパンツを脱いでしまうなんてとてもできずも、パンツに手をかけざるを得なかったのだろう。
羞恥に満ちた審査風景が思い浮かぶ、その羞恥に耐えることも検査のうちだったという。
もしあなただったら、どうしますか?。学校代表ということになると、いやでもいわれるままやるしかないようです。一人と集団でどっちがいやですか?。普通面接なんて、制服を正して緊張して面接官の前で緊張して立ったりあるいは座ったりするのだが、下着のパンツ一枚。昭和も40,50年代は女子でも「プチトマト」とか「ニンフェット」という雑誌、男子も同じ、12,3-4の少年少女の人糸まとわぬ性器も丸出しの写真が見られた。そこで、面接官の前で、陰毛は生えましたか?とか質問され、・・では見せてくださいとなり、そんな姿を晒すことに。
女の子は「ニンフェット」という女の子のヌード雑誌があったが、それみたいに、薄毛に覆われたまだピンクのビーナスの丘と割れ目、ふくらみかけた乳房、そしてきれいな桃もすべてをさらし。男の子もパンツを脱いでしまうと、まだきれいな皺に覆われて片側が釣り下がり嚢状にぶら下がった器官、付け根の辺りに黒いものが見えるが、まだきれいな下腹を晒し、まだ先も朝顔の蕾のように清潔に包まれた確かに男の子であることを称する膨らむ器官をありのまますっかりいいというまで前後左右晒す。集団の場合は互いに様子がわかる。


一人の場合面接が長引いて後のものが待たされるという。10人くらい入って体育座りで待ち一人または二人くらいずつ行う。この場合これから自分がされることを見せ付けられて順番が着たら出て行く。男の子だと待つ間に膨らんでしまう。
私達がその前で横並びで整列すると、パンツを脱ぐように言われました。・・黒いカーテンが敷かれた体育館の中で、こんなことが行われていたんですね!。恥ずかしいからはいている最後の布切れ一枚に手をかけて・・足首からとってしまうことを求められる・その完全ストリップする場面をつばを飲み込んで恥ずかしそうに手をかけるのを一部始終を待つ審査官。小学校では男女一組を推薦するのだが、その男女一組ごとに、互いに羞恥を揚目合わざるを得ないよう一組で行ったところもあるという。何々小学校6年、・・だれだれ君、だれだれさんと呼ばれて。脱ぐときは互いに向き合って一二の三で脱いでしまうのだという。そそ手これからも顔を合わせる男女二人の子が互いに違う性器をむき出しにして、勃ってしまうようなことを・・させられるというのだ。
何でも面接というのは緊張するものだが、健康優良児童審査を受けたもと児童の告白を読むと、部屋に入る時から男女とも、下着のパンツ一枚または、パンツ一枚も付けない性器丸出しの素っ裸で行ったところもあったようだ。いろいろシチュエーションがあって、一人ずつのところ、何人か集団のところ、別室で待機して呼ばれたらパンツをとってしまって部屋に入るところ、面接の途中でパンツを脱ぐように言われ脱ぐところなどがあったようだ。

健康優良児童の審査会はどこでも男女とも下着のパンツ一枚というのは同じだったということはよく知られている。いろいろな恥ずかしい全裸検査とか全裸写真撮影などあったところがあることは、告白で出てくることだが、面接も下着のパンツ一枚で、やり方はいろいろなバリエーションがあったようだ。面接は地方審査では5人の男の審査官。中央審査は15人の男の審査官。地方では時代や地方によっていろいろバリエーションがあったよう。普通面接は男女別だが、男女一緒にしたところもあるという。もちろんそれでも全裸に剥いたという。これにはいろいろバリエーションがあるが、学校ごとに、何々小学校6年男子、何の誰々君、女子誰の誰々さんと呼ばれて面接し途中でパンツも取らされ向き合わされたりいろいろ運動させられたりするという、男子は勃起してしまうという。

9名無しさん:2020/10/07(水) 15:18:37
健康優良児は、適度な発育が求められ、早熟はだめだったそうです。特に性的早熟はだめ、毛深いのはだめだった同です。小学六年生だからあまり早熟だと身長の伸びが止まってしまうことかららしい。だから男女とも陰毛や肉つきなどは詳しく検査したといいます。六年生としてふさわしい発育で、あまりボインとか性器が発育しすぎもチェックされたそうだ、陰毛は男女ともうっすら位が一番よく、ボーボーはだめ。中には全裸でブリッジさせてそばにきて触って調べたりしたそうだ・。

全部ではないが、地方によっては男女ともこのように、パンツまで取らされて全裸にされ、性器やお尻、おっぱいすべてさらして面接するところが会ったらしい。もちろん隠したり羞恥のしぐさが出ると減点されたようです。健康優良児は中学二年生くらいの体格が普通だったようだが、当然発毛もある、だがうっすらくらいがいちばんよかったようだ。
昭和40年代、「週刊現代」に、あちこちで行われていた、この健康優良児審査のことを報じていた。中のことはわからないとしているが、会場の体育館かの窓には黒いカーテンが引かれ中がわからない。なかでは裸にしているようだ・・というように、ここに書いてあるようなことを疑わせるに十分なことだった。審査官の見ている前で全裸にしたという体験者の話がいくつもあるが、本当にこのようなことあるいはもっとすごいことが本当に行われていたのでしょうね。
地方予選で「うっすら」だったのが全国大会で「ぼうぼう」になったりして
A新聞の場合、地方予選は9月、中央審査会は11月。この時期の2〜3か月の差は大きい
思春期に急に背が伸びて、骨格と筋肉が成長するのは、成長ホルモンと男性ホルモンが関係していると言われています。ところが、成長ホルモンと男性ホルモンのバランスはとても微妙で、思春期に男性ホルモンが多過ぎると、かえって骨の発育が止まってしまい、身長が伸びなくなってしまったり、副生殖器が肥大化するなど成長のバランスが崩れてしまいます。

性ホルモンには、成長ホルモンや甲状腺ホルモンと異なり、骨を急激に成熟させる作用、つまり成長の終了をもたらす作用もあります。たとえば、二次性徴が早めに起こるこどもは、成長スパートも早めに来て、早く高い身長になりますが、それは最終身長に達する(骨成熟が起こり、成長が終了する)のも早めだということです。他方、二次性徴が遅めに起こるこどもは背もなかなか伸びませんが、骨の成熟も遅く、あとからスパートが起きます。この違いは、性ホルモンが増加する年齢の個人差によります。思春期(男子は13歳頃、女子は11歳頃)に、身長が急激に伸びます。男子で年間約10cm、女子で年間約8cmという思春期の伸びは「思春期成長スパート」とも呼ばれ、これが終わると伸びは緩やかになり、やがて最終身長(成人身長)となります。

10名無しさん:2020/10/07(水) 15:22:57
一人の場合面接が長引いて後のものが待たされるという。10人くらい入って体育座りで待ち一人または二人くらいずつ行う。この場合これから自分がされることを見せ付けられて順番が着たら出て行く。男の子だと待つ間に膨らんでしまう。
私達がその前で横並びで整列すると、パンツを脱ぐように言われました。・・黒いカーテンが敷かれた体育館の中で、こんなことが行われていたんですね!。恥ずかしいからはいている最後の布切れ一枚に手をかけて・・足首からとってしまうことを求められる・その完全ストリップする場面をつばを飲み込んで恥ずかしそうに手をかけるのを一部始終を待つ審査官。小学校では男女一組を推薦するのだが、その男女一組ごとに、互いに羞恥を揚目合わざるを得ないよう一組で行ったところもあるという。何々小学校6年、・・だれだれ君、だれだれさんと呼ばれて。脱ぐときは互いに向き合って一二の三で脱いでしまうのだという。そそ手これからも顔を合わせる男女二人の子が互いに違う性器をむき出しにして、勃ってしまうようなことを・・させられるというのだ。
何でも面接というのは緊張するものだが、健康優良児童審査を受けたもと児童の告白を読むと、部屋に入る時から男女とも、下着のパンツ一枚または、パンツ一枚も付けない性器丸出しの素っ裸で行ったところもあったようだ。いろいろシチュエーションがあって、一人ずつのところ、何人か集団のところ、別室で待機して呼ばれたらパンツをとってしまって部屋に入るところ、面接の途中でパンツを脱ぐように言われ脱ぐところなどがあったようだ。

健康優良児童の審査会はどこでも男女とも下着のパンツ一枚というのは同じだったということはよく知られている。いろいろな恥ずかしい全裸検査とか全裸写真撮影などあったところがあることは、告白で出てくることだが、面接も下着のパンツ一枚で、やり方はいろいろなバリエーションがあったようだ。面接は地方審査では5人の男の審査官。中央審査は15人の男の審査官。地方では時代や地方によっていろいろバリエーションがあったよう。普通面接は男女別だが、男女一緒にしたところもあるという。もちろんそれでも全裸に剥いたという。これにはいろいろバリエーションがあるが、学校ごとに、何々小学校6年男子、何の誰々君、女子誰の誰々さんと呼ばれて面接し途中でパンツも取らされ向き合わされたりいろいろ運動させられたりするという、男子は勃起してしまうという。

11名無しさん:2020/10/07(水) 15:23:58
健康優良児は、適度な発育が求められ、早熟はだめだったそうです。特に性的早熟はだめ、毛深いのはだめだった同です。小学六年生だからあまり早熟だと身長の伸びが止まってしまうことかららしい。だから男女とも陰毛や肉つきなどは詳しく検査したといいます。六年生としてふさわしい発育で、あまりボインとか性器が発育しすぎもチェックされたそうだ、陰毛は男女ともうっすら位が一番よく、ボーボーはだめ。中には全裸でブリッジさせてそばにきて触って調べたりしたそうだ・。

全部ではないが、地方によっては男女ともこのように、パンツまで取らされて全裸にされ、性器やお尻、おっぱいすべてさらして面接するところが会ったらしい。もちろん隠したり羞恥のしぐさが出ると減点されたようです。健康優良児は中学二年生くらいの体格が普通だったようだが、当然発毛もある、だがうっすらくらいがいちばんよかったようだ。
昭和40年代、「週刊現代」に、あちこちで行われていた、この健康優良児審査のことを報じていた。中のことはわからないとしているが、会場の体育館かの窓には黒いカーテンが引かれ中がわからない。なかでは裸にしているようだ・・というように、ここに書いてあるようなことを疑わせるに十分なことだった。審査官の見ている前で全裸にしたという体験者の話がいくつもあるが、本当にこのようなことあるいはもっとすごいことが本当に行われていたのでしょうね。
地方予選で「うっすら」だったのが全国大会で「ぼうぼう」になったりして
A新聞の場合、地方予選は9月、中央審査会は11月。この時期の2〜3か月の差は大きい
思春期に急に背が伸びて、骨格と筋肉が成長するのは、成長ホルモンと男性ホルモンが関係していると言われています。ところが、成長ホルモンと男性ホルモンのバランスはとても微妙で、思春期に男性ホルモンが多過ぎると、かえって骨の発育が止まってしまい、身長が伸びなくなってしまったり、副生殖器が肥大化するなど成長のバランスが崩れてしまいます。

性ホルモンには、成長ホルモンや甲状腺ホルモンと異なり、骨を急激に成熟させる作用、つまり成長の終了をもたらす作用もあります。たとえば、二次性徴が早めに起こるこどもは、成長スパートも早めに来て、早く高い身長になりますが、それは最終身長に達する(骨成熟が起こり、成長が終了する)のも早めだということです。他方、二次性徴が遅めに起こるこどもは背もなかなか伸びませんが、骨の成熟も遅く、あとからスパートが起きます。この違いは、性ホルモンが増加する年齢の個人差によります。思春期(男子は13歳頃、女子は11歳頃)に、身長が急激に伸びます。男子で年間約10cm、女子で年間約8cmという思春期の伸びは「思春期成長スパート」とも呼ばれ、これが終わると伸びは緩やかになり、やがて最終身長(成人身長)となります。


思春期の発来時期は個人差が強く、同級生と比較しないほうがよい場合が多いですし、特に男子の場合は女子に比べ思春期が遅く出現する子供が多いといわれています。 一般的には、一旦思春期が来れば思春期は正常に進行します。

・思春期が遅いほうが最終身長は伸びる。思春期になるまでの期間は身長が伸びていますので、この期間が長いほうが最終の身長にプラスになります。

・思春期になると数年間は身長の伸びが非常に良くなります。思春期が遅いとこの身長の伸びのよい時期が遅れてきます。この身長のスパートが遅いと一時期は身長差が開くことになります。身長の差が開くためのストレスと2次性徴がまだ来ないという精神的なストレスが強くなります。

・思春期が遅いほうが最終身長は伸びる。思春期になるまでの期間は身長が伸びていますので、この期間が長いほうが最終の身長にプラスになります。

昭和30、40年代は、高度成長の真っ盛り、50年代にかけ、男子は真冬でも短い半ズボンがあたりまえで、元気な子供としてたたえられた。真冬の雪の中でも、学校方針で上半身ハダカでマラソンさせたりというのもあった。

12名無しさん:2020/10/07(水) 15:26:00
健康優良児表彰は, これまで長年の審査のノウハウが練磨・研究され開花し、佳境の域に達したことでしょう。特に50近くある地方審査の場合は、それぞれの地域で自由すき放題に蓄積されたのではないでしょうか。推薦する校長も、実質主催する教育委員会も、監督する県も、文部省も一致結託してベールに包まれたなかで、検査会場には暗幕を張ったり、マスコミにはもれないようにして。良く、線香花火にたとえ、終わりが一番華やかといいますが、もう健康優良児表彰制度は、この二年後以降からどうしたことか脱退する県が相次ぐのです。この辺りが実態を探るポイントではないでしょうか。

一つの形として都府県によってだが、「健康優良児」が学校の期待を背に、Y字バランスなど羞恥の全裸柔軟体操などさせて「自らの体をくまなく晒す」ことを競わせたという話し、しかも審査だけでなく途中の行動にまで及び、それを異性の目の前でも、てきぱきと晒すことが求められたとしたら・・。

そんな中で、小学校からは優秀なといってもよく理由がわからぬまま選ばれるのだろう。男女各一名が候補として推薦されるが、それも締切りまじか、背も150くらいの子が選ばれたのだろう。学校の誇りを背負って行かされる子もたくさんいたのでしょうが、全てではないにしても、ヌードショーがまってるとしたら、それも知らずに。

ちょうど同じ昭和40年代の半ばころ、「ハレンチ学園」という漫画が流行したのを知ってますか。映画にもなり社会的にも問題を起こしたようです。映画「ハレンチ学園・身体検査の巻」というのもありましたが、これを聞くと、同じころ実はこれ以上のことが、ある学校みたいなところを借り切って、しかも実質教育委員会主催でひそかに行われていたというのですかね。

恥じらいのころ小学六年生男女が一緒にされたうえ、生まれたままの素っ裸にされて長時間素直に生まれたままのありのままの姿を晒したのだと思います。
・・なんてことは映画でさえなかったことです。多分こうしたことを週刊誌などが嗅ぎ取ったとしても当然でしょう。いろいろ話が断片的に出てたんですが、やっぱり(全部ではないが)あったんですね!、そう考えていいですね?。

でも、そこに候補として推薦されて審査に臨んだ多くの男女児童がいたんでしょうね。学校を背負ってるとは言え、どんな心境でパンツに手をかけ、そして裸体をさらしたのでしょう。恥ずかしいところ、男の子の男の子たる恥ずかしいところが意思に反して生理の赴くまま膨らんで角度をましていくとき男の子はどんな気持ち、羞恥でしょう。


当時、たくさんあった少女ヌード雑誌の女の子のように、いつも体操着の中に隠れたわずかに萌芽の兆しのあるビーナスの丘や筋を余すところなく晒して、足を開き体を反らして柔軟体操しなければならないときは・・
他の時代もそうだったのか知れないが、少なくとも昭和40年代はたぶん「健康優良児審査」が一番すごかったひとつではないだろうかとの話もあります。

13名無しさん:2020/10/07(水) 15:26:17

昭和40年代末から、健康優良児審査から脱退する都府県が相次いで、昭和52年には、東京都が近く脱退する旨表明したことが、決定的になって昭和53年に朝・新聞(「全日本健康優良児審査会」)主催、文部省後援のこの制度が終了するきっかけだそうです。

昭和40年代だったか、週刊誌にどこかの県の審査のことを、裸にしてるようだとか批判的な記事があったのを見ました。その会場には、暗幕が張られていたとあります。多分、ここにかかれてあるようなことがひそかに行われてたのではないだろうかと思います。

東京都もかなりすごいことが行われ、優良児審査を引っ張ってるところだったようですが、そこからも脱退の意向が出てきたのは、多分このような人権無視のようなことが多分行われ、それがマスコミ等にもかがれ、批判があったのではないだろうか。ここでいわれてるようなことが県レベルですべてで行われていたと考えるのは間違いで、県によってその時代によって、私はないもなかったという人もいるでしょうし、同時に全裸にされたという人もいるでしょうが、多分両方ただしいでしょう。

少ないにしても、少ない中で、全裸で・・という話も多すぎ、それがすべてウソということはできないと思います。だから廃止にむかったのではないでしょうか。この健康優良児制度は論文にもなってるようで、一流大学の卒業論文の立派な課題にもなっていて、健康を啓蒙した制度という点で決してエロでもないのです。
小学生の健康優良児審査でも、生えかけぐらいの少年少女が代表になったのだろ?

「週刊現代. 6(40) 1964」(1964.10.8)「ヌードを鑑賞した?健康優良児審査会--現代っ子の体位向上が招いた思わぬ不始末 」
昭和39年(1964)9月7日に実施された「健康優良児童審査会」の大分県地方審査会の模様。
9月9日付け地元O紙に出たものという。

「健康優良児童審査会」は東京で11月頃開催される、そしてその地方代表を選ぶ地方審査会が毎年9月に開催されるもの。
これには、10年くらい前から、別に独自に同時に中学生と高校生審査を行っているというもの。

中央審査もそうだが、ここにもあるように地方でいろいろなことが行われていたと
健康優良児に選ばれた大分生まれの●丘めぐみさんは1955年10月年生まれということだから、この三年後に
審査会に出た。

たぶん同じ体育館の同じ密室で、暗幕を引かれたなかパンツまで取って完全ヌードをたっぷり鑑賞されたんだね!。
タレントで子役の●丘めぐみさんは、1955年10月、大分県生まれ。そして健康優良児に選ばれた。

市長さんとか評議員の先生の前で全裸になり、おっぱい等、普通に触られたそうです。

とってもいやだったそうですが、親はなんか自慢げだったそうです。

体のあっちこっちのサイズを丁寧に測られたそうですが、

なお、うわさでは男子は勃起の長さなども測られたようです。

14名無しさん:2020/10/07(水) 15:28:36
「週刊現代. 6(40) 1964」(1964.10.8)「ヌードを鑑賞した?健康優良児審査会--現代っ子の体位向上が招いた思わぬ不始末 」
昭和39年(1964)9月7日に実施された「健康優良児童審査会」の大分県地方審査会の模様。
9月9日付け地元O紙に出たものという。

「健康優良児童審査会」は東京で11月頃開催される、そしてその地方代表を選ぶ地方審査会が毎年9月に開催されるもの。
これには、10年くらい前から、別に独自に同時に中学生と高校生審査を行っているというもの。

中央審査もそうだが、ここにもあるように地方でいろいろなことが行われていたと
健康優良児に選ばれた大分生まれの●丘めぐみさんは1955年10月年生まれということだから、この三年後に
審査会に出た。

たぶん同じ体育館の同じ密室で、暗幕を引かれたなかパンツまで取って完全ヌードをたっぷり鑑賞されたんだね!。
タレントで子役の●丘めぐみさんは、1955年10月、大分県生まれ。そして健康優良児に選ばれた。

市長さんとか評議員の先生の前で全裸になり、おっぱい等、普通に触られたそうです。

とってもいやだったそうですが、親はなんか自慢げだったそうです。

体のあっちこっちのサイズを丁寧に測られたそうですが、

なお、うわさでは男子は勃起の長さなども測られたようです。

15名無しさん:2020/10/07(水) 15:29:12
「健康優良児童審査会」は東京で11月頃開催される、そしてその地方代表を選ぶ地方審査会が毎年9月に開催されるもの。
これには、10年くらい前から、別に独自に同時に中学生と高校生審査を行っているというもの。

中央審査もそうだが、ここにもあるように地方でいろいろなことが行われていたという。

県審査会に集められた児童と生徒は全部で32人。これに対し医師が3人、審査員が10人、委員長が県教育庁体育保健課長、市教育委員会、保健所長、A紙大分支局長など、
小学校六年生男女各6名、中学生男女各7名、高校生男子2名、女子4名。
男女別6グループに分けられたという。

午前中は保健所でのレントゲン撮影、長浜小で検診、発育検査、運動場での体力検査を行った。
そして午後は場所を県立体育館(スポーツセンター)に移し、その二階にある貴賓室で行われた。

付き添いの保護者や学校の先生たちは、二階には上がれず関係者以外オフリミットにして何やら秘密の審査をしてゆく。

貴賓室ではまず一通りの口頭試問の後、窓には黒くて厚いカーテンが張り巡らされ外から中は全く見えない。

そこで、男子はパンツ一枚、女子はブルマ一枚で、10人の偉い審査員の先生が見ている前で、面接を受けたり、そのなかでそれぞれ指示に従い前や後ろを向いたり歩いたり、体を動かし体操したり
さまざまなポーズをとったり、細かいことは秘密のヴェールに隠れている・・。

ここで県一位になった男女が全国大会に進む。・・

16名無しさん:2020/10/07(水) 15:29:55
健康優良児審査で常識なのは、中央審査会で地方審査会でも、男女の別なく、
審査の服装は下着のパンツ一枚ということ。

下着のパンツ一枚・・それは、その一枚を脱ぐと男女とも生れたままの素っ裸・・ということ。

六年生の男女一組の児童は小学校で学力も体位も体力も優れていると推薦されたもの。

学校の名を背負っているのだ、拒否したり泣いたりすると退場させられ学校としても不名誉とされた。
一方、特選など健康優良児の栄誉を受けた男女一組は新聞で大きく報道され、その上天皇陛下を訪問の栄誉を与えられた。
小学校としても至上の栄誉とされた。

地方審査会で最後の栄えある審査は、県の大きな建物、そこにえらい役人を迎え、その前で審査を受ける。
しかも誰も入れない貴賓室!。

ところが、審査される児童は普通なら半ズボンか正装で臨むはずなのに、半ズボンも上着もつけることを許されない男女とも下着のパンツ姿。
(ここでは女の子だけブルマの着用が許されたということ。)

しかもだ、栄えある最終審査の部屋はオフリミットで暗幕を張り巡らしたもの。

たいていそうだが、上半身だけでなく男女とも、表題の副題にあるように「ヌードを鑑賞」したのでは・・という目で見るのは自然だろう・・・・。

男女とも面接の途中で最後の一枚も脱いでしまうよう命じられたのでは・・・・??。

健康優良児童審査はA新聞社が昭和5年にはじめ大ヒットしたもの。

47ある都道府県とその区、市で地方審査があって中央審査に臨む。
その各県で、独自に別に中学生の健康優良児審査を始めたところがたくさんあった。
大分県もそうで、中学生高校生の健康優良児審査があったということ。

17名無しさん:2020/10/07(水) 15:30:59
健康優良児の検査
40〜49歳・女性

小学六年生の時、健康優良児童に選ばれました。
当時はまわりの先生、友達、両親から「りっぱね」と言われ、なんとなくよかったのかなと思っていました。
ちがう組の男子が一人選ばれていて、保健室で検査された時恥ずかしかったのですが、男子はパンツを降ろされていました。
私も上半身を裸にさせられていたので、男子がこちを向くのではないかと気にしていた憶えがあります。
当時、私は組の中では一番背が高かく、太り気味だっので選ばれたと思います。
そして大会はある大きな建物で行われた憶えがあります。
控え室で待っていると看護婦さん?が来て、会場に行くしたくをして下さいと言われたのですが、
ブラをはずして行く様に言われて、私はもじもじしていると、一緒にきた母にとってねと言われ、
はずして会場に行きました。
そこにはお医者さんとか女の人がいた憶えがあります。
三人一組になって審査を受けました。
審査の時は右を向いて、はい左を向いてと言われ、何でこんなことをしているのだろうか
と思いました。
全身検査の時はパンツもぬがされました。
少し離れた所に、人がたくさんいて恥ずかしかったです。
結局選には入りませんでした。

18名無しさん:2020/10/07(水) 15:31:45
女優の長谷直●さんがTVで言ってたんだけど、選考会で審査員たちに胸をさわられたんだって。(この女優は、1956年5月は東京都出身だから、1967年(昭和42年)東京都の審査会かな。)  
 確かタレントで●丘めぐみさんだと記憶していますが、健康優良児に選ばれて市長さんとか評議員の先生の前で全裸になりおっぱい等、普通に触られたそうです。とってもいやだったそうですが、親はなんか自慢げだったそうです。体のあっちこっちのサイズを丁寧に測られたそうですが、うわさでは男子は勃起の長さなども測られたようです。(注:●丘めぐみさん:1955年10月大分県生まれ)  
           
               
 とにかく、健康優良児候補にされると、立派などというものではなく、泣いて帰ったりということもあったそうだよ。
          

          
 私はいやだって言ったんですが、健康優良児になったら撮らなきゃダメだって言われて、泣く泣く、先生やその男の子、あと出版社のひととか健康優良児を決める団体の偉い人とか、男の人ばかり20人くらい見てる前で、裸になって撮影されました。  
 一番いやだったのは、もう一人の男の子とならんで撮影した時でした。  
 男の子は、やっぱり年ごろなので、私の裸を見て、あそこが大きくなっちゃって、なかなか撮影が出来ずに苦労しました。  
 私は、私の裸を見て男の人が興奮してるというのが信じられなくて、すごくいやでした。  
 おまけに、この写真は絶対外に出さないって言う話だったのに、あとで市の図書館で子供の科学シリーズみたいな全集の一冊をみたら、健康な男女の体、みたいな例で、その時の写真が載ってるじゃないですか。 
 無断で、私の裸の写真が本に載せられたことがすごくショックでした。  
 それから、学校の先生とか、大人が信じられなくなって、勉強もしなくなり、高校をやめてしまいました。  
          

               
 検査の後で泣いて帰った子というのは、たぶんあの検査をされたのだと思います。もちろん、ここに書いても信じられない人の方が多いでしょう。 
 体験者の人は全国に大勢いるはずなのですが、かりに本当の事を言っても信じて貰えないから、最初から言わないという人が多いのだろうと思います。実際、言いにくい事を言った後で「それはウソだろ」と言われるのは非常に辛いものです。 
 その信じられない検査というのは、性器検査の中で行われました。性器を左右に開かれた状態で、指でクリトリスを刺激されました。グリグリという感じで、しばらくの間続きました。当然、健康な女性であれば液が出てきます。その液の出具合で健康度をチェックされたようです。 
 これは今から考えれば、人権無視も甚だしいと言わざるを得ません。マスターベーションもまだ覚えてない子にとっては、まるでレイプされたような気分になったはずです。泣いてしまう子が多いのは、この検査の為だと思います。実際私も泣いてしまったクチで、この検査で初めてマスターベーションのやり方を知りました。6年生にもなって、単に全裸を見られたくらいでは人前で泣いたりはしません。  
 後で聞いた話では、男子も性器をしごかれて精液の出具合をチェックされたそうです。ちなみにその手の検査は昔の軍隊でも行われていたそうです。

19名無しさん:2020/10/07(水) 15:32:08

 健康優良児表彰制度というのは、新聞社が中心となって、それに文部省が後援、小学校(校長)が推薦して、教育委員会が県レベルで決めて中央審査会に推薦するのです。誰が反対できますか!! 全裸になって、審査員の前にでていくのも学校の代表だからと自分に言い聞かせて身の置場もない羞恥に耐え・・・・という。
          
            
 健康優良児は50近い各県〜男女会わせて60人ずつ、3,000人の中から、日本一、特選などを選んだわけだが、裸にでもしないと、順位をつけるのは大変なはず。健康優良児では、発育途中だから、そのとき発育が良くても停まって追い越されてしまうものはいたはずで、そういうことのないよう性的早熟は敬遠されたのではないだろうか。早熟は身長が早く伸びるが、同じに早くとまってしまう。それは、パンツの中に情報があるんですね。
              

             
 健康優良児とは、身長・体重が平均以上で、学習成績・運動能力共に優れ、性格明朗な青少年として、朝日新聞社・文部省・都道府県教育委員会の合同で表彰された者を指す。以上の条件を満たす小学校6年生男女1名ずつを、各学校が推薦し、陸上競技場で徒競走などの運動能力テストを課した上、医師による健康診断・教師による面接を経て該当者が確定した。1930年、「日本一の桃太郎を探す」との触れ込みで開始された。戦前・戦中は強い兵隊の育成、戦後は食料事情の改善の指標として、毎年文化の日の恒例行事とされた。昭和11年に選ばれた北方松方は北方謙三の父親で、謙三は今でも当時のメダルを持っている。しかし、不要な優越感や劣等感を生むとの批判が強まり、個人単位の表彰は1978年で廃止。学校単位の表彰も、1996年に廃止された。(Wikipedia)  
             
            
 健康優良児審査で、乳首の形や、性器の形まで調べられてたのはショックでしたけど、「学校の代表なんだ」と涙をこらえて受けました・・ 
 でも、それより、ミスユニバース県大会の時の全裸審査のほうが・・・  
      

          
 小学6年生という精神的にも未成熟の頃、ありえない屈辱を経験された皆さん。成人し、現在の生活がある、いまさら何を、そっとしておいてもらいたい、多くの方はそういうお気持ちかも知れませんね。戦前の教育現場の常識と戦後の教育現場の常識の大きな相違、戦前の常識的な性道徳と戦後の常識的な性道徳の大きな相違、この落差相違が同時期に重なったことにより発生した悲惨な事件かもしれません。当時の教育関係者、主催者達に弁解の余地はありませんが、もし言わせたら「そんなつもりは無かったが」との呟きが聞こえそうです。現在でも似たようなことがどこかで形を変えて、「〜のために」という空気の中で、密室で行われてる、そんなことは無いんでしょうかね。体験投稿をされてる皆さん、「学校を代表して」というキャリアだけあって文章がきちんとしてますね。

20名無しさん:2020/10/07(水) 15:40:26
>私達がその前で横並びで整列すると、パンツを脱ぐように言われました。・・黒いカーテンが敷かれた体育館の中で、こんなことが行われていたんですね!。はずかしいからずかしい穿いている最後の布切れ一枚に手をかけて・・足首からとってしまうことを求められる・その完全ストリップする場面をつばを飲み込んで恥ずかしそうに手をかけるのを一部始終を待つ審査官。小学校では男女一組を推薦するのだが、その男女一組ごとに、互いに羞恥を揚目合わざるを得ないよう一組で行ったところもあるという。何々小学校6年、・・だれだれ君、だれだれさんと呼ばれて。脱ぐときは互いに向き合って一二の三で脱いでしまうのだという。そそ手これからも顔を合わせる男女二人の子が互いに違う性器をむき出しにして、勃ってしまうようなことを・・させられるというのだ。


昭和39年の北陸地方の予選では、男女ともかなり長い時間全裸で行われたそうだ。何人も座っている机の前で、パンツも脱がされて、いろいろ質問された後、裸のまま体力検査《ジャンプとか、片足挙げて何秒立っていられるかとか、ブリッジ、前屈、Y字バランス、開脚前転・後転など》までさせらられて触られたりしたという.


ジャンプすると、剥き出しの男の子のあそこは飛び跳ねる。Y字バランスは女の子の割れ目がはっきり・・、ブリッジは男も女の子も、股や性器が正面にはっきり・・。何をされるかわからないと思うが、こんなことをさせられるために、パンツを脱ぐ・・。

大勢の中には、どうしてもパンツを取って裸体をさらすことはできないものもあったようで、こういうものは失格となって退場となったそうです。ほとんどは学校を背負ってきているという自負があったので、いうがままにするしかなかったという。男の子でも女の子でも、パンツを脱いでしまうなんてとてもできずも、手をかけざるを得なかったのだろう。羞恥に満ちた審査風景が思い浮かぶ、その羞恥に耐えることも検査だったという。

男子の場合、形を変える器官がある。意思に反して膨んでいくのを見られるというのはそれは12の少年には耐えられないことと思うが、羞恥に耐えることも審査の項目で、そのため女子が使われたという。


健康優良児というのは、小学校で男女1名ずつ推薦されるもの。健康・体格だけでなく学力とも優れている者ということ(実際どうか知らないが)。したがって、自分たちが学校を背負っているということはよくわかっていて、全裸体になることでも、恥ずかしくとも言われるとおりすることになったのだろう。

朝日新聞


健康優良児は特に性的早熟はだめ、毛深いのはだめだった同です。小学六年生だからあまり早熟だと慎重

健康優良児は、適度な発育が求められ、早熟はだめだっとそうです。特に性的早熟はだめ、毛深いのはだめだった同です。小学六年生だからあまり早熟だと身長の伸びが止まってしまうことかららしい。だから男女とも陰毛や肉つきなどは詳しく検査したといいます。六年生としてふさわしい発育で、あまりボインとか性器が発育しすぎもチェックされたそうだ、陰毛は男女ともうっすら位が一番よく、ボーボーはだめ。中には全裸でブリッジさせてそばにきて触って調べたりしたそうだ・。

全部ではないが、地方によっては男女ともこのように、パンツまで取らされて全裸にされ、性器やお尻、おっぱいすべてさらして面接するところが会ったらしい。もちろん隠したり羞恥のしぐさが出ると減点されたようです。健康有利氏は中学二年生くらいの体格が普通だったようだが、当然発毛もある、だがうっすらくらいがいちばんよかったようだ。

21名無しさん:2020/10/07(水) 15:41:06
健康優良児童の審査会はどこでも男女とも下着のパンツ一枚というのは同じだったということはよく知られている。いろいろな恥ずかしい全裸検査とか全裸写真撮影などあったところがあることは、告白で出てくることだが、面接も下着のパンツ一枚で、やり方はいろいろなバリエーションがあったようだ。面接は地方審査では5人の男の審査官。中央審査は15人の男の審査官。地方では時代や地方によっていろいろバリエーションがあったよう。普通面接は男女別だが、男女一緒にしたところもあるという。もちろんそれでも全裸に剥いたトイウ。コレニモイロイロバリエーションがあるが、学校ごとに、何々小学校6年男子何の誰々君、女子誰の誰々さんと呼ばれて面接し途中でパンツも取らされ向き合わされ足りいろいろ運動させられたりするという、男子は勃起してしまうという。

何でも面接というのは緊張するものだが、健康優良児童審査を受けたもと児童の告白を読むと、部屋に入る時から男女とも、下着のパンツ一枚または、パンツ一枚も付けない性器丸出しの素っ裸で行ったところもあったようだ。いろいろシチュエーションがあって、一人ずつのところ、何人か集団のところ、別室で待機して呼ばれたらパンツをとってしまって部屋に入るところ、面接の途中でパンツを脱ぐように言われ脱ぐところなどがあったようだ。

私達がその前で横並びで整列すると、パンツを脱ぐように言われました。というんだが、どのくらい前に並ばされるんだろう?。そんなにほろくないだろうから、せいぜい2,3mくらいだろうか?、席からも性器が、同時に全身が見渡せる位だろうからそんなものだろうか。男女とも下着のパンツ一枚の子に、ではパンツを脱いでくださいと指示するときの、そしてしかたなくパンツに手をかけて降ろすのを目の前にして、これからすべてを余すところなく自由に目にしながら、残酷でエッチな質問をあびせることになる審査員の興奮はいかがなものだろうか?。

健康優良児審査は、A新聞社の以外にも県独自のものとか、他の団体のものとかあったようです。県のものは、小学6年と中学生のものが会ったよう。中学生も小学生と同じく全裸面接があったところもあるようだ。

もしあなただったら、どうしますか?。学校代表ということになると、いやでもいわれるままやるしかないようです。一人と集団でどっちがいやですか?。普通面接なんて、制服を正して緊張して面接官の前で緊張して立ったりあるいは座ったりするのだが、下着のパンツ一枚。昭和も40,50年代は女子でも「プチトマト」とか「ニンフェット」という雑誌、男子も同じ、12,3-4の少年少女の一位とまとわぬ性器も丸出しの写真が見られた。そこで、面接官の前で、陰毛は生えましたか?とか質問され、・・では見せてくださいとなり、そんな姿を晒すことに。女の子は「ニンフェット」みたいに、薄毛に覆われたまだピンクのビーナスの丘と割れ目、ふくらみかけた乳房、そしてきれいな桃もすべてをさらし。男の子もパンツを脱いでしまうと、まだきれいな皺に覆われて片側が釣り下がり嚢状にぶら下がった器官、付け根の辺りに黒いものが見えるが、まだきれいな下腹を晒し、まだ先も朝顔の蕾のように清潔に包まれた確かに男の子であることを称する膨らむ器官をありのまますっかりいいというまで前後左右晒す。集団の場合は互いに様子がわかる。一人の場合面接が長引いて後のものが待たされるという。10人くらい入って体育座りで待ち一人または二人くらいずつ行う。子の場合これから自分がされることを見せ付けられて順番が着たら出て行く。男の子だと待つ間に膨らんでしまう。

22名無しさん:2020/10/07(水) 15:41:27

終わったと、ごく一部だが少なくとも数年前のことだが、歯のそれの健康優良児審査の中で行われているあるいはいたようです。もちろん小学六年生。全裸面接・・などもあるという。

告白によると男女一緒で、何人も入れて見ている前での男女交代交互にひとりずつだという。

歯の審査の中に、健康状態を見るというのがあるんだそうです。だか歯だけではないんだそうです。もちろん健康優良児審査はその中で歯の検査も厳重だったそうですが、こちらは名目上か歯を中心として、体の状態を審査ということだ、歯の健康優良児審査は今でもあちこちでたくさんおこなわれているが、おもに四○地方だそうだが。

歯の健康優良児の場合は、体格はごく普通で、男女ともどこにもいるような六年生だそうです。ちょっと前まで、紺のつりスカトの女の子、紺の半ズボンの男の子など。

健康優良児審査は、信じられないという面も多々あるようだが、実際にそういうようなことを疑わせる週刊誌報道があったことを考えれば、そういうこともあったと思った方がいいだろう。要は地域や時代によっていろいろあるということだろう。

一般に地方では、当時盛んな[管理教育]の度合いの強いところに異常な事が行われているようだ。


>私達がその前で横並びで整列すると、パンツを脱ぐように言われました。・・黒いカーテンが敷かれた体育館の中で、こんなことが行われていたんですね!。はњ貸しからはいている最後の布切れ一枚に手をかけて・・足首からとってしまうことを求められる・その完全ストリップする場面をつばを飲み込んで恥ずかしそうに手をかけるのを一部始終を待つ審査官。小学校では男女一組を推薦するのだが、その男女一組ごとに、互いに羞恥を揚目合わざるを得ないよう一組で行ったところもあるという。何々小学校6年、・・だれだれ君、だれだれさんと呼ばれて。脱ぐときは互いに向き合って一二の三で脱いでしまうのだという。そそ手これからも顔を合わせる男女二人の子が互いに違う性器をむき出しにして、勃ってしまうようなことを・・させられるというのだ。

23名無しさん:2020/10/07(水) 15:53:09
昭和39年の北陸地方の予選では、男女ともかなり長い時間全裸で行われたそうだ。何人も座っている机の前で、パンツも脱がされて、いろいろ質問された後、裸のまま体力検査《ジャンプとか、片足挙げて何秒立っていられるかとか、ブリッジ、前屈、Y字バランス、開脚前転・後転など》までさせらられて触られたりしたという.


ジャンプすると、剥き出しの男の子のあそこは飛び跳ねる。Y字バランスは女の子の割れ目がはっきり・・、ブリッジは男も女の子も、股や性器が正面にはっきり・・。何をされるかわからないと思うが、こんなことをさせられるために、パンツを脱ぐ・・。

大勢の中には、どうしてもパンツを取って裸体をさらすことはできないものもあったようで、こういうものは失格となって退場となったそうです。ほとんどは学校を背負ってきているという自負があったので、いうがままにするしかなかったという。男の子でも女の子でも、パンツを脱いでしまうなんてとてもできずも、手をかけざるを得なかったのだろう。羞恥に満ちた審査風景が思い浮かぶ、その羞恥に耐えることも検査だったという。

男子の場合、形を変える器官がある。意思に反して膨んでいくのを見られるというのはそれは12の少年には耐えられないことと思うが、羞恥に耐えることも審査の項目で、そのため女子が使われたという。


健康優良児というのは、小学校で男女1名ずつ推薦されるもの。健康・体格だけでなく学力とも優れている者ということ(実際どうか知らないが)。したがって、自分たちが学校を背負っているということはよくわかっていて、全裸体になることでも、恥ずかしくとも言われるとおりすることになったのだろう。

24名無しさん:2020/10/07(水) 21:31:51
香港映画に「チャイナフィナーレ 清朝最後の宦官」
という作品があったな。少年が家が貧しく宦官に志願させられるため親によって去勢(自宮)されて、去勢シーンが生々しかった。
そしてラストが泣けた。

その後1930年、40年代頃までの話。

25名無しさん:2020/11/04(水) 18:37:48


身体検査の歴史とM検 : 健康優良児表彰、その光と影

図書 [木谷俊男], [2003] <Y94-H2851>


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