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歴史の中の少年残酷物語 少年宦官

44名無しさん:2020/10/08(木) 13:24:38
ちょっと前の話だが、中国の田舎の庵廟(寺)にはよく、皺皺になった老人がいる。
元宦官で、余命をすごすだけだという。そういう中で、「週間朝日」1991.11.22号
「紫禁城探検3」・最期の宦官が明かした秘話・には、紫禁城の中の写真と、紫禁城から車で
30分のところにある広化寺に、最期の宦官孫さん(91)をたずねたことと、孫さんと
写真がのってる。「私が浄身(去勢)したのは12歳のとき、その時民国6年になって宮廷にはいった。」という。
1991年に91歳ということは、20世紀1900年生まれ、そして1912か、12歳で男の子の盛りこれから
男の子になっていくときに、「男の子」を完全に失う。1924年(1226年に昭和元年)に溥儀が紫禁城を追放され、一緒に追放された。
たぶん彼も「映画・ラストエンペラー」そのままに、「男のもの」を入れた「箱・パオ」を大切に捧げて門から
追放されたのだろう。一生の殆どは、男で無い。つまり少なくとも。宦官の生き残りは20世紀最後までいた。
追放で終りではなく、彼?はその後、満州国で溥儀の側近になっています。
だから宦官としての仕事?の終焉は、1945年。



ちなみに最後の宦官・孫輝庭(スン・ヤオチン)は1998年に死去しますた。
90歳ぐらいの時の写真を見たことがあるが、小柄でかわいい感じのおじいさんだったよ。

彼のインタビューを元にノヴェライズした「最後の宦官」という文庫本
(上下2巻、朝日ソノラマ文庫)が発行されてる。去勢本であることを抜きにしても、結構おもしろい。

去勢後まもなく清王朝が倒れ、中華民国になった。「これではすすんで生殖器を失った
だけではないか」というくだりがおもしろかった。その後数年を生まれた村でサオなしの状態で過ごすのだが、次第にバカにされるようになり(声変わりもしないし、立ちションできないし)、
寺に身を寄せるようになる.......

やがて北京の王府で、皇族の家に下働きとしてつとめるようになり、馬の世話をやらされた
(当然馬のアナルやチンポを洗ったりもしたろう)。

その後念願かなって紫禁城入り(中華民国になったが、溥儀はまだ紫禁城に住んでいた)。
総管大監に「服を脱げ」を言われ、去勢股間を観察された後「服を着ていい」。

溥儀は不能で、同僚の宦官が「俺たちは大事なものを切り取って宮仕えをしているが、
肝心の皇帝もアレがダメだとすると、お互い様ってところじゃないか、いい気味だ」
などと陰で悪口を言っているのが興味深い。

彼は溥儀のインポを治すことに熱心だったため、溥儀のお気に入りの御前大監になった。
しかし宦官大粛正の折、溥儀と婉容が希望したにもかかわらず、彼は追放されてしまう。
のちに溥儀に再会した時には、婉容はすでに麻薬中毒であった......




中公新書「宦官」の最初に「北京の宦官」の写真が出てますが、1946年だかその頃だから
本当にいたんですね!。
中国の実際の宦官の最期は、日本の「満州国」ですか!。




支那の宦官:
最近の新聞紙の報道によると、支那の宣統〔前〕帝は、宮廷所屬の宦官の不埒を怒
り、彼等を一律に放逐して、爾後永遠に使役せぬといふ諭旨を發布されたといふこ
とである。その動機は論ぜず、その理由は問はず、事件そのものが、兔に角一大壯
擧たるを失はぬと思ふ。(大正12年8月3―5・7日『大阪毎日新聞』所載)
URLリンク(www.aozora.gr.jp)
:「桑原隲藏全集 第一卷 東洋史説苑」岩波書店  1968(昭和43)年2月13日発行
(親本:「東洋史説苑」1927(昭和2)年5月10日発行)


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