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入試身体検査のM検

1名無しさん:2020/08/25(火) 16:27:43
昭和30年代、一部40年代ごろまで入試身体検査には性器・肛門検査があった。

2名無しさん:2020/08/25(火) 16:27:58
東大入試にM検が課されていた頃・・
平成5年(1993年)5月1日読売新聞夕刊1面下段《よみうり寸評》
「昭和31年まで,全国の国公私立大では,入試合格者に対して,”エム検”が
実施された。エムとは往年の俗語で,男性自身のこと。たとえば,東大では,
広大な七徳堂(旧武道場)がエム検会場だった。横に並んだ7,8組の医師・
看護婦チームの前に,一糸まとわぬ若者数百人が行列したのは壮観だった。」
「全国の国公私立大」といったら,全部の大学だ!うらやましい。
やってもらいたかった〜!

3名無しさん:2020/08/25(火) 16:29:34
大学入試・・身体検査(M検)の思い出

https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/sepia/1106578252/443-n

4名無しさん:2020/08/25(火) 16:31:03
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/16648/1566098398/

5名無しさん:2020/08/25(火) 16:33:18
昭和15年から、国民体力検査と言って、徴兵検査前の、17歳以下の日本男児に対し予備徴兵検査というべき、

M検を含む身体検査と、体力検査が行われ、16年から15歳以下になった、
自主的に実施する中学校もあった。

或る婦人雑誌に掲載された「性教育」に関する座談会で、当時高名な元アナウンサー氏が、昭和十六年頃の戦時中の東京の中学生時代を回想して、「中学三年になるとね、身体検査でパンツまでとって調べられるんですよ。・・・でもその関門をパスした者の、何と晴れ晴れしかったことか」と話しているのを読み、三年生にM検を課した中学校が他にもあったことを知ったのである。



体力手帳(昭和16年7月30日公布・大正15年7月18日生まれ・15歳)
サイズ:151×105

6名無しさん:2020/08/25(火) 16:40:27
羞恥のM検場 捲れてないと合格しないのでしょうか!?

https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/1347/1561098766/l50

7名無しさん:2020/08/25(火) 16:42:45
京都府立医科大学、松山商大などでは昭和40年代で!?検が課されていた。
40年代の「平凡パンチ」によると、京都府立医科大学では入学時と卒業時にM検を行う。
受験生だか一年生だかのM検では、包茎を捲り挙げると亀頭に恥垢がいっぱいで、しかも黴が生えていたそうだ。

8名無しさん:2020/08/25(火) 16:44:02
まだ中学生とかわらぬ包茎が殆ど、包茎は環状溝が露出するまで剥きあげられる。 環状溝が露出するまでとは、捲れてるものも、もう一段剥きあげられるということだ。

一度も捲れたことが無い、しかも孤独な慰めに慰めの結果溜まったものが露わになる瞬間。
昭和30年代半ば位前までは、たとえどんなにいい成績をとっても、どんなに恥ずかしくとも、男子は総てこの検査を受けないと合格できなかった。

検査のやり方はそれぞれ異なり、東大は今武道館になっている七徳堂にて、集百人もがパンツを取り最初から素っ裸で7列に並んで検査の順番を待つ。

慶應は、20人くらいがパンツ一枚で一室に入れられ、最初に手足を動かし運動して、関節などの検査を行う。
それが終わると最初のものがパンツ一枚で前に出さされて、性器・肛門検査の見本となる。
一通り説明が終わると、みんなの見ている前で、パンツはすぐ脱ぐ、すっ裸になって、検査官の前に立ち、性器やワンワンスタイルでの肛門検査。それが済むと次のものが前に出されてパンツを脱いで。

後ろのものは、前のものが素っ裸にされて恥ずかしい検査をされるのを見ながら順番を待つ。

9名無しさん:2020/08/25(火) 16:44:28
剥くたびにツンとする恥垢の匂いや男の匂い・・自分ももうすぐあのようにされる・・なんて思うとたまらなくなってくるはず。

可哀そうに人前でパンツを脱ぐなんで、ちんぽこ出すなんて死ぬほど恥ずかしいおぼっちゃんでも、たとえ膨らんでしまっても順番が来たら容赦なく一人の例外なしに全員受ける。

どの大学でもだいたいおなじだろう。

「蛍雪時代」などの受験雑誌にはMケンを含む受験記事があって、毎号かならずM検の相談があったのだ。

「めくれていないと合格しないのでしょうか」とか「僕は3分の一くらいしか捲れていません。受験してもいいでしょうか」とか

京都府立医科大学、松山商大などでは昭和40年代でもM検が課されていた。
40年代の「平凡パンチ」によると、京都府立医科大学では入学時と卒業時にM検を行う。
受験生だか一年生だかのM検では、包茎を捲り挙げると亀頭に恥垢がいっぱいで、しかも
黴が生えていたそうだ。


まだ12,3の中学生とかわらぬ包茎が殆ど、包茎は環状溝が露出するまで剥きあげられる。

一度も捲れたことが無い、しかも孤独な慰めに慰めの結果溜まったものが露わになる瞬間。

昭和30年代半ば位前までは、男子は総てこの伝統的検査を受けないと、たとえどんなにいい成績をとっても合格できなかった。

検査のやり方はそれぞれ異なり、東大は今武道館になっている七徳堂にて、集百人もがパンツを取り最初から素っ裸で7列に並んで検査の順番を待つ。

慶應は、20人くらいがパンツ一枚で一室に入れられ、最初に手足を動かし運動して、関節などの検査を行う。
それが終わると最初のものがパンツ一枚で前に出さされて、性器・肛門検査の見本となる。一通り説明が終わると
パンツはすぐ脱いでしまいすっ裸になって、検査官の前に立ち、性器やワンワンスタイルでの肛門検査。それが済むと次のものが
前に出されてパンツを脱いで。

後ろのものは、前のものが素っ裸にされて恥ずかしい検査をされるのを見ながら順番を待つ。

剥かれるたびにツンとする恥垢の匂いや男の匂い・・人前でワンワンスタイルで肛門検査を待つ姿、それはまもなくくる次の自分の羞恥の姿だ、自分ももうすぐあのように・・ なんて思うとたまらなくなってくるはず・・
でも、 一人二人と減ってだんだん自分の順番が近ずく・・

慶応といえば個室を与えられ・・良家のお坊ちゃん育ち、可哀そうに人前でパンツを脱ぐなんて、人前で剥き出しのお尻を、ちんぽこ出すなんて死ぬほど恥ずかしいおぼっちゃんでも、たとえ耐えられず膨らんでしまっても順番が来たら容赦なく一人の例外なしにパンツに手をかけ脱いでしまい検査官の前に進むことに。
どの大学でもだいたいおなじだろう。
「蛍雪時代」などの受験雑誌には毎号かならずM検の相談があったのだ。
「めくれていないと合格しないのでしょうか」とか「僕は3分の一くらいしか捲れていません。受験してもいいでしょうか」とか


大学入試身体検査で、昭和30年代くらいまでは、パンツまで脱ぐのが、あたりまえだった。
高校進学率は昭和34年が55.4%,38年が66.8%,42年が74.7%だった。
ちなみに、大学進学率は、34年が16.9%、38年が20.9%,42年が 23.7%だそうです。大雑把に言って、昭和30年代の大学進学率は20% ぐらい、進学者数は約20万人ぐらいのようです。全部の大学ではないにしても大多数の大学が入試でM検をやっていた、8割としても18才の高卒の15〜6万人が全裸にされ、剥かれて、しごかれていたことになりますね。
現在、売春防止法というのがあって、売春は犯罪です。
しかし昔は売春は犯罪では無かったのです。そして若い男たちは売春宿にかよった。
昭和24年まで、義務教育は小学校までで、向学心のあるものは高等小学校と言って、小学校を卒業後2年間(12,3)過ごして、丁稚奉公とか就職とかいくしかなかった。そのころ就職したりした先輩は後輩が14,5になると、「筆おろし」と称して、売春宿に連れて行かれ初体験をさせられるのだるなど、若者は自由に女とやった。

若者の花柳病(性病)というのも無視できなかった一方、売春が人身売買であることも問題になった。

10名無しさん:2020/08/25(火) 16:46:31
昭和20年まで、日本男児と生まれたからにはM検といって性器・肛門検査を受けた。日本男児とM検は切っても切れない関係で、徴兵検査から解放された戦後も、大学入試ではM検が課されていた。


M検は12〜20歳の一番恥ずかしい年頃にM検が集中していた。最年少は逓信省航空乗員養成所の12歳である。陸軍幼年学校、陸軍士官学校、海軍兵学校、予科練、陸軍少年兵、海軍特年兵、満蒙開拓少年義勇兵、国民徴用令、徴兵検査、さらに軍需工場の少年工採用まで、実にさまざまなところで行なわれていた。
 
パンツ一枚なんて小学校、中学校では当たり前、大学。専門学校、軍関係学校の入試ではパンツ一枚すらも許されず、全部脱いでしまわねばならないのが当たり前だった頃、中学生ともなればどの進路をとるにしてもM検の関門があった。旧制中学校’(五年制)には軍人が派遣され時々、校庭の隅でパンツもつけない素っ裸で整列させられḾ検が行われていた。

軍関係の学校だけでなく、高校・大学入試もそうだし、上級生になると国民体力検査があった。
結局たいていの者が少なくとも年1回はM検を受けざるをえなかった。

 軍関係の学校は将来のエリートを約束されていたものだが、身体検査は少年といえども手ごころを加えることなかった。陸士、海兵などはすべての検査で初めからフリチンのブラブラにさせられ、「日本男児だ、堂々と歩け」とやられ、手で隠すことも禁じられたそうである。
 当時は人権など顧みられなかった時代である。褌であれパンツであれ、脱げと言われれば脱がなければならなかったのである。


 少年兵は高等小学校を出た14歳の少年が志願するのだが、彼らには羞恥拷問とも思える厳しい運命が待ち受けていたのである

戦後、日本は兵役がなくなって、「徴兵検査」から解放された後も、男子大学受験生には性器・肛門検査・M検の羞恥が課されていた。

戦後、高橋鉄著「人性記」(林書店1968)という投稿をあつめた本があった。この中に、旧制高校(今の大学)入試の後、その時の「M検」の夢を見て漏らしてしまったと(夢精)いうのがあった。国会図書館等にある。

M検とは、なまやさしいものではなく、夢に出て漏らしてしまうほどのものであったのだ。

11名無しさん:2020/08/25(火) 16:47:48
昭和20年まで、日本男児と生まれたからにはM検といって性器・肛門検査を受けた。日本男児とM検は切っても切れない関係で、徴兵検査から解放された戦後も、大学入試ではM検が課されていた。


M検は12〜20歳の一番恥ずかしい年頃にM検が集中していた。最年少は逓信省航空乗員養成所の12歳である。陸軍幼年学校、陸軍士官学校、海軍兵学校、予科練、陸軍少年兵、海軍特年兵、満蒙開拓少年義勇兵、国民徴用令、徴兵検査、さらに軍需工場の少年工採用まで、実にさまざまなところで行なわれていた。
 
パンツ一枚なんて小学校、中学校では当たり前、大学。専門学校、軍関係学校の入試ではパンツ一枚すらも許されず、全部脱いでしまわねばならないのが当たり前だった頃、中学生ともなればどの進路をとるにしてもM検の関門があった。旧制中学校’(五年制)には軍人が派遣され時々、校庭の隅でパンツもつけない素っ裸で整列させられḾ検が行われていた。

軍関係の学校だけでなく、高校・大学入試もそうだし、上級生になると国民体力検査があった。
結局たいていの者が少なくとも年1回はM検を受けざるをえなかった。

 軍関係の学校は将来のエリートを約束されていたものだが、身体検査は少年といえども手ごころを加えることなかった。陸士、海兵などはすべての検査で初めからフリチンのブラブラにさせられ、「日本男児だ、堂々と歩け」とやられ、手で隠すことも禁じられたそうである。
 当時は人権など顧みられなかった時代である。褌であれパンツであれ、脱げと言われれば脱がなければならなかったのである。


 少年兵は高等小学校を出た14歳の少年が志願するのだが、彼らには羞恥拷問とも思える厳しい運命が待ち受けていたのである

戦後、日本は兵役がなくなって、「徴兵検査」から解放された後も、男子大学受験生には性器・肛門検査・M検の羞恥が課されていた。

戦後、高橋鉄著「人性記」(林書店1968)という投稿をあつめた本があった。この中に、旧制高校(今の大学)入試の後、その時の「M検」の夢を見て漏らしてしまったと(夢精)いうのがあった。国会図書館等にある。

M検とは、なまやさしいものではなく、夢に出て漏らしてしまうほどのものであったのだ。

12名無しさん:2020/08/25(火) 16:50:41
そのころ、日本は国連加盟が悲願となっていた、しかしソ連は何度も拒否権を使っていた。
昭和31年日ソ共同宣言ができて、自本は国連に加盟することになるが、売春を廃止することが約束された。

そして昭和33年4月1日、午前零時を持って売春防止法ができた。売春防止法が成立したことで、M検は殆んどの大学で廃止となった。

東大でも昭和32年度(33年冬)、33年4月1日で廃止となり、実際33年の入試でオシマイとなった。

でも、かわいそうに昭和33年に受験した秀才たちは、寒い中、だだっ広い「七徳堂で」ソックス一枚まで身につけているもの総て脱いで、素っ裸のフリチンのブラブラで、性器・肛門の検査を受けるため、大勢のM検の列に並んで最後の順番を待ったのだ。

昭和30年代ずっと高校生の体格は低く、今の中学生くらいだった。身長も160センチ位だった。
でも、高校生で、一クラスには大学生のような逞しい生徒がいる一方、小柄で中学生みたいに可愛い生徒もいた。

受験生には三浪とかの20歳を超える受験生もいる。浪人の中には女を知っているものもいただろうが、女も知らない、勉強とオナニーしか知らないまじめな現役の受験生がほとんどだったろう。

東大のM検場では、20歳を越えた髭もじゃの受験生がいる一方、まだ中学生みたいな肌も綺麗な現役受験生もいたことだろう。

すでに女を知っている、毛深い赤?れの男のもの、毛も薄く中学生のような汚れない朝顔の蕾・・そんな様々な受験生が、周り総て丸裸の中、人糸も纏うことを許されない霰もない総てを晒して、検査の順番を待つ、それはザンコクなものだったろう。

旺文社「蛍雪時代」 昭和33年4月号には、今年昭和33年度から変わったこととしてM検が廃止されたとある。勿論33年度とは33年4月からで、その原稿を書いた33年3月にはまだ32年度で、容赦無く裸にしてM検は実施されたと思われる。
多分、昭和15年生まれはM検を受けたはずである。
もう少し、遅れたら私も・・ああ!。

「M検では亀頭部が露出してないと合格しないのでしょうか?、僕は絶対性病ではないと思いますが」「包皮が三分の一程度めくれてますが大丈夫でしょうか?」
「包皮に粟粒ができ巻いたが、進行する様子もありません。入試に影響しますか?」「無毛といってよいほどである上に、局部が
非常に小さいのです、来年入試を受けてよいのでしょうか?」・・
今ならパンツの中のことは関係ないが、当時の受験生はそうは言っていられなかった。

まだ、中学生みたいに朝顔の蕾もいれば、ずる剥け、先っちょがちょっと見えるものなどさまざまなその秘密の部分を
検査ではすっかり露になる。

13名無しさん:2020/08/25(火) 16:51:13
身体検査のM検場で゙、パンツ一枚で、そのパンツを脱ぐ順番を一人二人と近ずく中どういう心境だろう。

東京大学に限らず、大学入学では学科試験に合格したあと身体検査がある。
東京大学では通称「M検」を行うことは受験雑誌「蛍雪時代」などの受験情報で知っていた。3月になって暖かくなった頃、本郷の七徳堂 (武道場) で受検した。受検者は一人づつテントの中に入って医師の検査を受け、衆人環視ということはなかった。

東大入試にM検が課されていた頃・・
平成5年(1993年)5月1日読売新聞夕刊1面下段《よみうり寸評》
「昭和31年まで,全国の国公私立大では,入試合格者に対して,”エム検”が 実施された。エムとは往年の俗語で,
男性自身のこと。たとえば,東大では広大な七徳堂(旧武道場)がエム検会場だった。横に並んだ7,8組の医師・
看護婦チームの前に,一糸まとわぬ若者数百人が行列したのは壮観だった。」
(注)昭和31年は、昭和33年、つまり昭和32年度の間違い記事。

毎年繰り広げられるM検場の羞恥、素っ裸の順番を待つ男子受験生が数百人。検査を待つ受験生の数百本の剥き出しのペニス。なんともすごい光景である。

こういう時にかぎって意志とは裏腹に勃ってしまう男の器官、焦れば焦るほど反りかえるが検査は刻一刻と近ずく。・・まさに夜毎納品受験勉強につかれて、勉強部屋にカギをかけていけないことに耽る、そんな閻魔大王の前に引き出される罪人のような受験生はまだ女を知らない。硬く包まれていて捲ればその証拠がいっぱい、それももうすぐ露わにされるのだ。
昭和33年以降も、一部大学では行われていて、包皮をめくると黴がいっぱいだったとか、された人ありませんか?。

昔は、大学入試でも行われていた。どんなにいい成績をとっても、この検査を受けなければ合格は無かった。経験者教えて!?。

人前で性器を晒すことが死ぬほど恥ずかしい受験生でも、順番が来たら・・。
大学受験の競争、受験勉強の厳しさは今以上だった。残酷なことは、勉強とアレしか知らないまじめな受験生。。深夜の受験勉強で勉強に疲れてすることは皆同じ・・
そのまだ今の中学生くらいの体格の受験生(たぶん学校では優等生!)がパンツまで脱ぎすべてを晒して、いつも勉強部屋に鍵をかけてヒミツの快楽に耽ってる敏感なところを自由にされ、環状溝まで向き上げられ、いつものいやらしい行為でたまった恥垢などというものまで晒して・・

M検
東京大学に限らず、大学入学では学科試験に合格したあと身体検査がある。東京大学では通称「M検」を行うことは受験雑誌「蛍雪時代」 などの受験情報で知っていた。3月になって暖かくなった頃、本郷の七徳堂 (武道場) で受検した。
「蛍雪時代」に「東大ではM検があるそうですが、女子も対象でしょうか」と心配する投書があり、大学当局から「女子にはM検は行いません」 との回答が掲載されていた。

数年前、約20年後輩の男性に尋ねたら、そんな検査はありません、との返事でこの間に廃止されたらしい。

どういう目的で検査していたのか不明であるが、第ニ次大戦前に若者が受ける徴兵検査ではM検があり、
その残存であろう。陸海軍の学校はもちろん、
大学や高校 (旧制高校) への入学時には必ず行われたそうである。当時他の大学でやっていたかどうか
尋ねてないが、慶應大学漕艇部のページを見ると、大先輩の回顧談の中にM検が定番として出て来るそうである

14名無しさん:2020/08/25(火) 16:52:43
医学部の強い大学などでは、検査の周りに女子などの医学生が何人も見学していたと言う話もある。

 身体検査科目に「性病等の伝染性疾患・・・についての医師による検査」とあれば M検,すなわち全裸になっての金玉検査があります。自衛隊とか防衛大等も数年前までは,身体検査科目に「伝染性疾患」と書いてあったので,当然やっているはず
 です。昔は衛生状態が悪かったので,大学でも伝染性の性病をおそれ,金玉検査をやっていたと先輩の医師に聞いたととがあります。だから,受けるほうも身長,体重とかレントゲン検査,血圧や眼科,歯科などを受けるのと同じ感覚で当然と
 思って,受けたそうで「性器を晒すことが死ぬほど恥ずかしい」なんていう感覚はなかったみたいです。ちなみに,M検とは,医師の前でパンツも脱ぎ マッパで医師の前に立つと,医師が金玉を軽く握り,グリグリとやってから包皮を棹の根元まで目一杯剥き,亀頭とか亀頭後ろの溝におできができていないか調べ,そのあと棹の付け根の尿道の下に右の人差し指をあてて
 棹の先に向かって尿道をかなりの力でしごくんだそうです。それを5〜6 回やって膿が出てこなければ病気ではなく合格だそうだ。

昔は衛生状態が悪かったので,大学でも伝染性の性病をおそれ,金玉検査をやっていたと先輩の医師に聞いたととがあります。だから,受けるほうも身長,>ちなみに,M検とは,医師の前でパンツも脱ぎ, マッパで医師の前に立つと,医師が金玉を軽く握り,グリグリとやってから恥ずかしいよね!!

慶応では,学科試験の後,「明日は身体検査を行います。全てを検査します、清潔にしてきてください。」といわれる。当日,20人一組としパンツ一つで並ぶ,。
まず最初の者がモデルになって型を説明,。終わるとすぐ恥ずかしいから穿いているもの、パンツを取り去り本当の検査を受ける。人前でパンツを脱ぐなど死ぬ ほど恥ずかしいおぼっちゃんでも順番が来たら直ちに脱ぎ去って、ありのまま、男の子であることを晒して 前に立つ。
浪人のオスじみたものと違って、現役生のまだ綺麗な一糸纏わずの少年の肌、少年の裸身、露わになった、これから起こることに、羞恥に震える、露わになったそのきれいな下腹の平原にはまだ中学生と変わらぬ少年のすんなりしたアクセントが羞恥に震えている、これから残酷な検査を受ける性器が突き出ていて確かに少年であることを示す、そこだけ黒いものが。

15名無しさん:2020/08/25(火) 16:53:52
まだ女を知らない、勉強とオナニーしか知らない、穢れを知らない朝顔のつぼみのような剥き出しになった少年のそれは初めて他人の指で剥きあげられる・・あっ!と身を引く
生まれて初めて男になったピンク色のそこにはいけない行為にふけった証拠の白い恥垢がいっぱい
終わると、すぐ全裸のまま肛門検査のため手脚を拡げて、四つん這いの姿勢をとる、ひざは曲げないで伸ばしたままである。
シミ一つない綺麗なピチピチしたまだ少年のお尻、肢体、そのぴちぴちの尻タブを両方の掌でもってぐいと拡げ菊門を拡げて中を検査を行う。

M検で不合格になった者として,痔婁(千葉大),副睾丸炎(神戸大)その他がある。徴兵検査の型を踏襲し、包皮は環状溝が出るまでばっちり剥き上げられる。

当時18歳の平均身長は160センチ,今の中学生位。当時大学に進学するのは,今よりずっと少ない。
中には例外もいたことだろうが、勉強(とオナニー)しか知らない受験生を素っ裸にして性器から肛門まで男の全てを検査したのだ。受験が迫り,孤独な深夜の受験勉強に疲れすることは皆同じ、嫌な事で進まないと手は内股に向かうだろう。

そして引っ張り出し…・・そして、もう絶対しないぞと心に誓いつつ,またしてしまう。
一夜に何回も何回もしてしまう、それが受験勉強だ。受験生にとって,M検とは,その恥ずかしい秘密を明かす場でもある。 毎日一人嫌らしくいじめているところを晒すのだ。

包皮に包まれている者は,精液が恥垢となってたまっている。M検で包茎をめくったら,亀頭にいっぱい黴が生えていたという。環状溝が出るまでばっちり剥き上げられるそうだから,たとえずる剥けでも、もう一段剥き上げられるのだ。包茎の者にはたまらないだろう。そんなことを慶応でさえ,大勢の前でしたという。

16名無しさん:2020/08/25(火) 16:54:15
M検を受けなかったら,
どんなに良い成績を取っても合格はない。順番が来たら,どんなに恥ずかしくともパンツを取り去り生まれたままの裸で進み出る。肛門検査も手足をピンと伸ばして股を広げ,手形足型に合わせ検査官の前に尻を晒す。どうしても手足が曲がってしまうらしいが、ピンとなるまで検査をしない。次の順番を待つ者も次は自分があのようにと思うと他人事ではない。

M検場は次々に剥き上げられる受験生の恥部から発する恥垢の匂い、クーパー氏腺の匂いなど男の匂いが漂う。
大学入試でM検は当たり前だった50年前、戦後でもまだ(新制)高校進学者は少なかった。大学進学者は同世代の10%くらいだった。日本はまだ貧しい時代だった。
(戦前ともなると、中学進学者も10%くらいだったようだ。)50年前の男子の体格はいまよりずっと小さかった。身長で10センチくらい低いとおもっていいだろう。
17歳の男子の身長は160センチ代、今の中学2年生くらいか。


入試M検でも本当に「環状溝」 まで剥くんですね!。中には、朝顔の蕾もたくさんいるわけですから・・。昭和40年代までM検をしていた京都府立の医大のM検で、剥いたら亀頭に恥垢がいっぱいで、カビが生えていたという話が40年代の「平凡パンチ」にありました。

昔の受験雑誌に欧文社(旺文社)の「受験旬報」・・「蛍雪時代」の前、昭和17年に蛍雪時代となった・・他ありますが、M検について何か記述があったら教えてください。

17名無しさん:2020/08/25(火) 16:55:42
「受験と学生」(研究社)
「受験戦線」(受験戦線社)
「受験研究」(研究週報社)
「入試と受験」(入試受験研究会)
「受験旬報」は、九段下靖国神社前の「昭和館」図書室にもある。

戦前は、旧制中学からうけられるのは、旧制高校(現在の大学)や専門学校、軍関係学校などだが、昭和14年の「受験旬報」に、昭和14年度上級学校の『体格検査』には専門学校等の入試体格検査をまとめてあるが、ほとんどM検が行われてる。本当に男子は上級学校に進むためには入試でM検を受けねばならなかったことがわかる。

戦前旧制高校や専門学校等、戦後の大学、ちょうどこれからの真冬の季節に実施されたわけだが、
寒いさなか素っ裸になるんだから、さぞ寒かったろうな!、ちじまってるんじゃないかな?。いわば残酷物語。


受験特集が「蛍雪時代」にあり、M検のことは当時の受験雑誌『蛍雪時代』の相談欄にしばしばとりあげられてたことです。
包茎などは合否と関係ないが、受験生にとっては大変なことだったようです。いずれにしても、パンツの中のことは
今ならどうでも良いが、当時は大問題だった。

大学の図書館で,旺文社発行の「昭和30年版全国大学大観」という厚さ3cmぐらいのハードカバーの本を見つけた。全国というだけあって,北から南まで全部の大学,短大、専門学校まで紹介している。編集方針で決まっているらしく各大学とも順序は同じ。所在地,概観,沿革,職員,付属機関,学制,募集要項,学生生活(クラブ活動,学費と奨学制度,学寮)卒業生就職状況等々にまとめらrている。
俺の関心事は,もちろん「募集要項」の中の[身体検査]。大学によって「未定」と書いている大学と詳細に書いている大学とあった。この欄に出てくる東大とか慶大てかは「未定」と書いているが,実はバッチリやっていたようなので,「未定」はM検あり
なんだろう。

しかし,たとえば,千葉大学は,「聴力,内診,M検(陰部),レントゲンの検査を実施する。」し,ほかの大学もほとんど同じで,「M検(陰部)を行う。」と書いた大学が7〜8割はある。ずっと,通して見ると,医科大学と医学部けいの大学はほとんど
「M検(陰部)を行う。」し,特に詳しいのはやはり全寮制の大学で,たとえば神戸商船大学は,「身長,体重,胸囲,視力,色盲,トラコーマ,聴力,内診,M検(陰部), レントゲンについて行う。合否に影響のあるものは,身長,体重,胸囲,肺結核,
心臓弁膜症,色盲,難聴,強度の近視,トラコーマ,畸型,M検である。」と明記している。

18名無しさん:2020/08/25(火) 16:57:08
だから,私みたいに部活で先輩に聞かなくても,身体検査の中の
「M検(陰部)」身体検査が何であるか,みんな知って,恥ずかしい けど,希望の大学にはいるためにはしようがないと思って受けたはずです。

「蛍雪時代」の記事から
[M検とは、陰茎、睾丸、肛門、等について、結核や性病があるかを調べるのが主な目的です。
性病とは、梅毒、淋病、軟性下疳、鼠頚りんぱ肉芽腫のことで、そういう状態すらわからない人なら性病の経験がないに違いありません。
したがってM検で不合格になりはしないかなどは杞憂というものです。」・・これは、
「M検とは何の目的で行われるのでしょうか。また性病とはどういう状態を言うのでしょうか。
以上のことが全然わからず不安でなりません」(長崎UK生)という「蛍雪時代」(昭和32年5月号)

読者相談室の相談に対する回答です。実際このようなことが行われていたのです。陰茎、睾丸、肛門といった一番恥ずかしく
人に晒せない部分だけ、パンツの中だけの部分を集中的に、検査それも集団で容赦なく行う検査があって、男子受験生は
必ず受けなければならなかったのです。それも戦後も10年以上たっても、そして受験生は、たとえ、女を知らない、性病なんて
縁もない、勉強とアレしか知らなくとも、まだ12,3の中学生みたいな朝顔の蕾でも、半剥けでも、大きくとも小さくても、毛深くとも、パイパンでも、閻魔大王の前に引き出される犯罪人のようにこともあろうに陰茎、睾丸、肛門といった一人の男子として一番恥ずかしく人に晒せないヒミツの部分・男子たる象徴・性の象徴・肉欲の象徴をその肉欲行為の結果とともに晒し自由にされる、その順番を待ったのです。・・

いわば一人の男子の全てを、恥ずかしいから穿いてるものもすっかり脱ぎ捨て、検査のため全てを晒して、羞恥も認められず、それこそ尻たぶ、肛門まで拡げられ、 包皮の中まで、たとえ一度も捲れたことのないものでも、肛門の中、包皮の中(亀頭部)まで、男子の全てを検査されたはず。昭和10年代半ば生まれまでは全部受けてるはず・・。

M検を待つ受験生、みんなどんな心配をもってるんでしょうか。・・・

「小生ふとしたことから手淫を覚え、悪いこととは知りつつ行ってきました。
私の陰茎は短小で風呂のも行けません。来年の入試身体検査には差し支えないのでしょうか。」(北海道U生)

「高校三年ですが、陰茎が相当小さいのですが、勉強に差し支えるのですか。M検ではサイズは影響しますか。」(山梨HY生)

M検では当然陰茎も検査します。大きくとも小さくとも・・でもいつも手淫をしてるところを検査されるわけだから残酷です。

慶応なんかでも、20人くらい集まってから、パンツ一枚で集団で体操、その後M検に入るのだが、最初の一人がパンツのまま見本、次に脱いで本番、終わると次々に脱いで、つまり他のものの見てる前で・・。最初がいいか?、最後がいいか?。真ん中がいいか?。 最初にみんなの見ている前でパンツを脱いでしまうのも恥ずかしいが、前のもののとても正視できない検査光景を見せつけられて、立ち上がってしまってテントを張ってしまって元に戻らず、いざ脱いでそれを晒すのとどちらが恥ずかしいか。

19名無しさん:2020/08/25(火) 16:58:23
M検は男子のみに課せられた検査です。一部には募集要綱で「男子のみ性器検査あり」としたところもあるようです。

「全国大学大観」によると,大抵の大学は「身体検査科目」の欄に「M検」とか「M検(陰部)」を行なうと書いていますが,福島県立医科大学」は,「M検(男子のみ)」とわざわざことわっています。
当然ですよね。女の性病検査については,この本からは全く分かりません。
(東京女子医大の身体検査科目には,もちろんM検なんて書いてないし,はかにもそれらしい言葉はありません。)
余談ですが,キリス教系のいわゆるミッションスクールがM検をやるのは分かるのですが,この本をみると,私立の仏教大学とか大谷大学とか立正大学など仏教系の宗教の大学も,「M検(陰部)についての検査を行う。」
と明記しているのですから驚きます。坊さんたちもやられたんですね。


環状溝が出るまで剥きあげたそうです、ずる剥けでももう一段剥きあげられるわけだから、中学生みたいに朝顔のつぼみみたいなのもたくさんいただろうけど、もう恐怖でしょうね。何回もしごいたかは知らないが、昔入試でも生易しいものではなかったのでしょう。

戦後昭和40年代になって、「平凡パンチ」に出てたんですが、京都府立医大でも、まだやってて完全に剥きあげたそうです。
一度も捲れたことのない完全に包まれたものをめくると、恥垢がいっぱいで、かびがはえていたといいます。

20名無しさん:2020/08/25(火) 21:50:05
徴兵検査には,婦人会(既婚)や処女会(未婚)の女の見学があった。徴兵検査場
で花婿を探す者もあったという。徴兵検査礼状には「フンドシ着用のこと」となっ
ていてフンドシ一枚でてきぱきとうごくのだが、普通 M検は,ついたての中でやった
そうだ。よく体操の時、パンツを忘れ,昔はフリチンでさせたりした事もあるそうだ
が、どこの世界にも間抜けなヤツはいるもので、100人200人となると必ず一人や二人
はいるもの。特に都会でサラリーマン生活をしていて、フンドシなど付けた事がなく
パンツをはいて来た物は、ビンタを食らった上,フンドシ姿も気恥ずかしいだろうに
可愛そうにその場でパンツを取らされ、そのまま最初からフリチンのブラブラの素っ裸
で検査場に出ていかなければならなかったという。勿論隠したり女々しいことは許されない。



小山内宏著三恵書房1975刊「絵とき日本陸軍」「絵とき日本海軍」に絵
がある。
また、NHK取材班編「赤紙」創元者1997に徴兵検査の素っ裸の写真が
載っている。
 (この写真は,毎日新聞社1955「写真・昭和30年史」の写真である。

岩波写真文庫101(復刻ワイド判50)「戦争と日本人]岩波書店1987
に素っ裸で こちらを向いている伝説的な写真が載っている。
本籍地の同級生や、同級の女が見ていてもその前でフンドシ一枚すらつけな
い露もない姿で,勿論隠したり女々しいことは許されない。朝から終わりまで
、地獄の羞恥の一日。強制露出の一日。

21名無しさん:2020/08/25(火) 21:50:30
また九州やその他の地区では,全員最
初から素っ裸で行われたという。都会暮らしのインテリでも、たとえば九州出
身者は,地もとの九州の小学校の講堂とかでうける。徴兵検査令状には「ふん
どし着用のこと」とは書いてなく忘れる必要はない。全てが検査場に着くと,
来ている物は全て脱ぎ生まれたままの姿になって,たとえ朝顔の蕾でも,ずる剥
けでも,大きくても小さくても,毛深くても、パイパンでも,色が白くても黒く
ても隠さず,てきぱきと行動しなければならない。身長・体重は勿論M検さえ全裸,
ついたてもない広広とした講堂の中で,様々な羞恥が繰り広げられる。
[赤紙]や「絵とき日本陸軍」「絵とき日本海軍」のとおり。当時20歳の身長は
5尺5寸といわれ、165センチ台,今の中学生でもそのくらい。M検では6割が
包茎だったという。性器検査は,徴兵検査のハイライト。まず陰嚢をぐいと掴みぐ
りぐりした上で,親指人差し指で,指を丸めるようにして陰茎の根元を掴み下に向け
て絞るように強くしごくようにも揉みしだく,その上で包皮を剥く。剥くといっても,
環状溝が露になるまで剥くので生易しいことではない。たとえ,ずる剥けでも,
さらに剥きあげることなので、朝顔の蕾では大変なこと。
しかし,剥くのよりもっと大変な目にあうこともある。
徴兵検査場では,その雰囲気からして,とても立つような雰囲気ではないとい
う。 最初から裸で,女がいたら、とても恥ずかしく立たないで、縮みあがっ
てしまうだろう。 これから恥ずかしい事の順番を待つ者もたまらない。
包茎の一物を縮こませ,毛の中に隠れてしまうくらい羞恥にどうしようもないと
いう者もいる。嫌らしい検査官は剥かない代わりに,先端の皮を指でさする。
そして,敏感なところをいじめられようやく起ちあがった頃,もじもじして逃れ
ようとするのを、「どうした,まだまだ、まだだめだ・・まだ先が出てこんで
はないか…」とやる。勿論出そうになっても手を押さえたり抵抗は許されない。
次の順番を待つ同じようにちじ込ませている者も,次は自分も同じ目にと思うと
たまらなくなってくる,そして早く女があっちへ行ってくれないかなと祈る。

22名無しさん:2020/09/06(日) 21:39:00
実録手記・中学生M検物語り   さぶ

23名無しさん:2020/09/11(金) 15:54:14
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/1347/1561098766/l50

24名無しさん:2020/09/11(金) 15:55:26
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/1347/1558232843/l50

25名無しさん:2020/10/01(木) 12:30:30
検査のやり方はそれぞれ異なり、東大は今武道館になっている七徳堂にて、集百人もがパンツを取り最初から素っ裸で7列に並んで検査の順番を待つ。

慶應は、20人くらいがパンツ一枚で一室に入れられ、最初に手足を動かし運動して、関節などの検査を行う。
それが終わると最初のものがパンツ一枚で前に出さされて、性器・肛門検査の見本となる。
一通り説明が終わると、みんなの見ている前で、パンツはすぐ脱ぐ、すっ裸になって、検査官の前に立ち、性器やワンワンスタイルでの肛門検査。それが済むと次のものが前に出されてパンツを脱いで。

後ろのものは、前のものが素っ裸にされて恥ずかしい検査をされるのを見ながら順番を待つ。

剥くたびにツンとする恥垢の匂いや男の匂い・・自分ももうすぐあのようにされる・・なんて思うとたまらなくなってくるはず。

可哀そうに人前でパンツを脱ぐなんで、ちんぽこ出すなんて死ぬほど恥ずかしいお坊っちゃんでも、たとえ膨らんでしまっても順番が来たら容赦なく一人の例外なしに全員受ける。

どの大学でもだいたいおなじだろう。

「蛍雪時代」などの受験雑誌にはMケンを含む受験記事があって、毎号かならずM検の相談があったのだ。

「めくれていないと合格しないのでしょうか」とか「僕は3分の一くらいしか捲れていません。受験してもいいでしょうか」とか

京都府立医科大学、松山商大などでは昭和40年代でもM検が課されていた。
40年代の「平凡パンチ」によると、京都府立医科大学では入学時と卒業時にM検を行う。
受験生だか一年生だかのM検では、包茎を捲り挙げると亀頭に恥垢がいっぱいで、しかも
黴が生えていたそうだ。
まだ12,3の中学生とかわらぬ包茎が殆ど、包茎は環状溝が露出するまで剥きあげられる。
一度も捲れたことが無い、しかも孤独な慰めに慰めの結果溜まったものが露わになる瞬間。
昭和30年代半ば位前までは、男子は総てこの伝統的検査を受けないと、たとえどんなにいい成績をとっても合格できなかった。

検査のやり方はそれぞれ異なり、東大は今武道館になっている七徳堂にて、集百人もがパンツを取り最初から素っ裸で7列に並んで検査の順番を待つ。
慶應は、20人くらいがパンツ一枚で一室に入れられ、最初に手足を動かし運動して、関節などの検査を行う。
それが終わると最初のものがパンツ一枚で前に出さされて、性器・肛門検査の見本となる。一通り説明が終わると
パンツはすぐ脱いでしまい、すっ裸になって、検査官の前に立ち、性器やワンワンスタイルでの肛門検査。それが済むと次のものが
前に出されてパンツを脱いで。

後ろのものは、前のものが素っ裸にされて恥ずかしい検査をされるのを見ながら順番を待つ。
剥かれるたびにツンとする恥垢の匂いや男の匂い・・人前でワンワンスタイルで肛門検査を待つ姿、それはまもなくくる次の自分の羞恥の姿だ、自分ももうすぐあのように・・ なんて思うとたまらなくなってくるはず・・
でも、 一人二人と減ってだんだん自分の順番が近ずく・・

慶応といえば個室を与えられ・・良家のお坊ちゃん育ち、可哀そうに人前でパンツを脱ぐなんて、人前で剥き出しのお尻を、ちんぽこ出すなんて死ぬほど恥ずかしいおぼっちゃんでも、たとえ耐えられず膨らんでしまっても順番が来たら容赦なく一人の例外なしにパンツに手をかけ脱いでしまい検査官の前に進むことに。
どの大学でもだいたいおなじだろう。
「蛍雪時代」などの受験雑誌には毎号かならずM検の相談があったのだ。
「めくれていないと合格しないのでしょうか」とか「僕は3分の一くらいしか捲れていません。受験してもいいでしょうか」とか
大学入試身体検査で、昭和30年代くらいまでは、パンツまで脱ぐのが、あたりまえだった。
高校進学率は昭和34年が55.4%,38年が66.8%,42年が74.7%だった。
ちなみに、大学進学率は、34年が16.9%、38年が20.9%,42年が 23.7%だそうです。大雑把に言って、昭和30年代の大学進学率は20% ぐらい、進学者数は約20万人ぐらいのようです。全部の大学ではないにしても大多数の大学が入試でM検をやっていた、8割としても18才の高卒の15〜6万人が全裸にされ、剥かれて、しごかれていたことになりますね。

26名無しさん:2020/10/01(木) 12:34:02
昭和33年4月1日、午前零時を持って売春防止法ができた。売春防止法が成立したことで、M検は殆どの大学で廃止となった。

27名無しさん:2020/10/01(木) 12:34:52
東大でも昭和32年度(33年冬)、33年4月1日で廃止となり、実際33年の入試でオシマイとなった。
でも、かわいそうに昭和33年に受験した秀才たちは、寒い中、だだっ広い「七徳堂で」ソックス一枚まで身につけているもの総て脱いで、素っ裸のフリチンのブラブラで、性器・肛門の検査を受けるため、大勢のM検の列に並んで最後の順番を待ったのだ。

昭和30年代ずっと高校生の体格は低く、今の中学生くらいだった。身長も160センチ位だった。
でも、高校生で、一クラスには大学生のような逞しい生徒がいる一方、小柄で中学生みたいに可愛い生徒もいた。

受験生には三浪とかの20歳を超える受験生もいる。浪人の中には女を知っているものもいただろうが、女も知らない、勉強とオナニーしか知らないまじめな現役の受験生がほとんどだったろう。

東大のM検場では、20歳を越えた髭もじゃの受験生がいる一方、まだ中学生みたいな肌も綺麗な現役受験生もいたことだろう。

すでに女を知っている、毛深い赤剥れの男のもの、毛も薄く肌も白く中学生のような汚れない朝顔の蕾・・そんな様々な受験生が、周り総て丸裸の中、人糸も纏うことを許されない霰もない総てを晒して、検査の順番を待つ、それはザンコクなものだったろう。

旺文社「蛍雪時代」 昭和33年4月号には、今年昭和33年度から変わったこととしてM検が廃止されたとある。勿論33年度とは33年4月からで、その原稿を書いた33年3月にはまだ32年度で、容赦無く裸にしてM検は実施されたと思われる。
多分、昭和15年生まれはM検を受けたはずである。
もう少し、遅れたら私も・・ああ!。

28名無しさん:2020/10/01(木) 12:35:04
「M検では亀頭部が露出してないと合格しないのでしょうか?、僕は絶対性病ではないと思いますが」「包皮が三分の一程度めくれてますが大丈夫でしょうか?」
「包皮に粟粒ができ巻いたが、進行する様子もありません。入試に影響しますか?」「無毛といってよいほどである上に、局部が非常に小さいのです、来年入試を受けてよいのでしょうか?」・・
今ならパンツの中のことは関係ないが、当時の受験生はそうは言っていられなかった。

まだ、中学生みたいに朝顔の蕾もいれば、ずる剥け、先っちょがちょっと見えるものなどさまざまなその秘密の部分を検査ではすっかり露になる。
身体検査のM検場で゙、パンツ一枚で、そのパンツを脱ぐ順番を一人二人と近ずく中どういう心境だろう。

東京大学に限らず、大学入学では学科試験に合格したあと身体検査がある。
東京大学では通称「M検」を行うことは受験雑誌「蛍雪時代」などの受験情報で知っていた。3月になって暖かくなった頃、本郷の七徳堂 (武道場) で受検した。受検者は一人づつテントの中に入って医師の検査を受け、衆人環視ということはなかった。

東大入試にM検が課されていた頃・・
平成5年(1993年)5月1日読売新聞夕刊1面下段《よみうり寸評》
「昭和31年まで,全国の国公私立大では,入試合格者に対して,”エム検”が 実施された。エムとは往年の俗語で,
男性自身のこと。たとえば,東大では広大な七徳堂(旧武道場)がエム検会場だった。横に並んだ7,8組の医師・
看護婦チームの前に,一糸まとわぬ若者数百人が行列したのは壮観だった。」
(注)昭和31年は、昭和33年、つまり昭和32年度の間違い記事。

戦後、高橋鉄著「人性記」(林書店1968)という投稿をあつめた本があった。この中に、旧制高校(今の大学)入試の後、その時の「M検」の夢を見て漏らしてしまったと(夢精)いうのがあった。国会図書館等にある。

M検とは、なまやさしいものではなく、夢に出て漏らしてしまうほどのものであったのだ。
京都府立医科大学、松山商大などでは昭和40年代でもM検が課されていた。
40年代の「平凡パンチ」によると、京都府立医科大学では入学時と卒業時にM検を行う。
受験生だか一年生だかのM検では、包茎を捲り挙げると亀頭に恥垢がいっぱいで、しかも黴が生えていたそうだ。

まだ中学生とかわらぬ包茎が殆ど、包茎は環状溝が露出するまで剥きあげられる。 環状溝が露出するまでとは、捲れてるものも、もう一段剥きあげられるということだ。

一度も捲れたことが無い、しかも孤独な慰めに慰めの結果溜まったものが露わになる瞬間。
昭和30年代半ば位前までは、たとえどんなにいい成績をとっても、どんなに恥ずかしくとも、男子は総てこの検査を受けないと合格できなかった。

検査のやり方はそれぞれ異なり、東大は今武道館になっている七徳堂にて、集百人もがパンツを取り最初から素っ裸で7列に並んで検査の順番を待つ。

慶應は、20人くらいがパンツ一枚で一室に入れられ、最初に手足を動かし運動して、関節などの検査を行う。
それが終わると最初のものがパンツ一枚で前に出さされて、性器・肛門検査の見本となる。
一通り説明が終わると、みんなの見ている前で、パンツはすぐ脱ぐ、すっ裸になって、検査官の前に立ち、性器やワンワンスタイルでの肛門検査。それが済むと次のものが前に出されてパンツを脱いで。

後ろのものは、前のものが素っ裸にされて恥ずかしい検査をされるのを見ながら順番を待つ。

剥くたびにツンとする恥垢の匂いや男の匂い・・自分ももうすぐあのようにされる・・なんて思うとたまらなくなってくるはず。

可哀そうに人前でパンツを脱ぐなんで、ちんぽこ出すなんて死ぬほど恥ずかしいお坊っちゃんでも、たとえ膨らんでしまっても順番が来たら容赦なく一人の例外なしに全員受ける。

どの大学でもだいたいおなじだろう。

「蛍雪時代」などの受験雑誌にはMケンを含む受験記事があって、毎号かならずM検の相談があったのだ。

「めくれていないと合格しないのでしょうか」とか「僕は3分の一くらいしか捲れていません。受験してもいいでしょうか」とか

京都府立医科大学、松山商大などでは昭和40年代でもM検が課されていた。
40年代の「平凡パンチ」によると、京都府立医科大学では入学時と卒業時にM検を行う。
受験生だか一年生だかのM検では、包茎を捲り挙げると亀頭に恥垢がいっぱいで、しかも
黴が生えていたそうだ。
まだ12,3の中学生とかわらぬ可愛い包茎が殆ど、包茎は環状溝が露出するまで剥きあげられる。

29名無しさん:2020/10/01(木) 12:44:25
後ろのものは、前のものが素っ裸にされて恥ずかしい検査をされるのを見ながら順番を待つ。

剥くたびにツンとする恥垢の匂いや男の匂い・・自分ももうすぐあのようにされる・・なんて思うとたまらなくなってくるはず。

可哀そうに人前でパンツを脱ぐなんで、ちんぽこ出すなんて死ぬほど恥ずかしいお坊っちゃんでも、たとえ膨らんでしまっても順番が来たら容赦なく一人の例外なしに全員受ける。

どの大学でもだいたいおなじだろう。

「蛍雪時代」などの受験雑誌にはMケンを含む受験記事があって、毎号かならずM検の相談があったのだ。

「めくれていないと合格しないのでしょうか」とか「僕は3分の一くらいしか捲れていません。受験してもいいでしょうか」とか

京都府立医科大学、松山商大などでは昭和40年代でもM検が課されていた。
40年代の「平凡パンチ」によると、京都府立医科大学では入学時と卒業時にM検を行う。
受験生だか一年生だかのM検では、包茎を捲り挙げると亀頭に恥垢がいっぱいで、しかも
黴が生えていたそうだ。
まだ12,3の中学生とかわらぬ包茎が殆ど、包茎は環状溝が露出するまで剥きあげられる。
一度も捲れたことが無い、しかも孤独な慰めに慰めの結果溜まったものが露わになる瞬間。
昭和30年代半ば位前までは、男子は総てこの伝統的検査を受けないと、たとえどんなにいい成績をとっても合格できなかった。










毎年繰り広げられるM検場の羞恥、素っ裸の順番を待つ男子受験生が数百人。検査を待つ受験生の数百本の剥き出しのペニス。なんともすごい光景である。

こういう時にかぎって意志とは裏腹に勃ってしまう男の器官、焦れば焦るほど反りかえるが、検査は刻一刻と近ずく。・・まさに夜毎の受験勉強につかれて、勉強部屋にカギをかけていけないことに耽る。
男子の場合、ズボンのボタンを外すだけでいい。勉強部屋のカギをかけ、ズボンの、ボタンを外すと、もう膨らんでいるチンポコを引っ張り出す。僕は包皮自慰で、まだ中学生のように固く包まれたチンポコの敏感な包皮を親指と人差し指で摘まむと、指に力を入れたり抜いたり、
力を入れると引っ張られ力を抜くと戻る、それにひねり運動を加える、つまり揉みしだく、・・もうえもいえぬ快感。。。とても人に見せられない行為に射精してしまうと、深夜の受験勉強‥一晩に何回も何回もしてしまう。もう絶対しないぞと、その時は固く誓うのだが、しばらくするとまた欲望が頭を持ち上げ、こんなことをしていていいんだろうかと自分が嫌になってしまうのだ。
当時の受験生は、みんなそんな秘密の行為の受験勉強を経て閻魔大王の前に引き出される罪人のような受験生はまだ女を知らない。硬く包まれていて捲ればその証拠がいっぱい、それももうすぐ露わにされるのだ。
昭和33年以降も、一部大学では行われていて、包皮をめくると黴がいっぱいだったとか、された人ありませんか?。

30名無しさん:2020/10/01(木) 15:53:13
医学部の強い大学などでは、検査の周りに女子などの医学生が何人も見学していたと言う話もある。

 身体検査科目に「性病等の伝染性疾患・・・についての医師による検査」とあれば M検,すなわち全裸になっての金玉検査があります。自衛隊とか防衛大等も数年前までは,身体検査科目に「伝染性疾患」と書いてあったので,当然やっているはず
 です。昔は衛生状態が悪かったので,大学でも伝染性の性病をおそれ,金玉検査をやっていたと先輩の医師に聞いたととがあります。だから,受けるほうも身長,体重とかレントゲン検査,血圧や眼科,歯科などを受けるのと同じ感覚で当然と
 思って,受けたそうで「性器を晒すことが死ぬほど恥ずかしい」なんていう感覚はなかったみたいです。ちなみに,M検とは,医師の前でパンツも脱ぎ マッパで医師の前に立つと,医師が金玉を軽く握り,グリグリとやってから包皮を棹の根元まで目一杯剥き,亀頭とか亀頭後ろの溝におできができていないか調べ,そのあと棹の付け根の尿道の下に右の人差し指をあてて
 棹の先に向かって尿道をかなりの力でしごくんだそうです。それを5〜6 回やって膿が出てこなければ病気ではなく合格だそうだ。

昔は衛生状態が悪かったので,大学でも伝染性の性病をおそれ,金玉検査をやっていたと先輩の医師に聞いたととがあります。だから,受けるほうも身長,>ちなみに,M検とは,医師の前でパンツも脱ぎ, マッパで医師の前に立つと,医師が金玉を軽く握り,グリグリとやってから恥ずかしいよね!!

慶応では,学科試験の後,「明日は身体検査を行います。全てを検査します、清潔にしてきてください。」といわれる。当日,20人一組としパンツ一つで並ぶ,。
まず最初の者がモデルになって型を説明,。終わるとすぐ恥ずかしいから穿いているもの、パンツを取り去り本当の検査を受ける。人前でパンツを脱ぐなど死ぬ ほど恥ずかしいおぼっちゃんでも順番が来たら直ちに脱ぎ去って、ありのまま、男の子であることを晒して 前に立つ。
浪人のオスじみたものと違って、現役生のまだ綺麗な一糸纏わずの少年の肌、少年の裸身、露わになった、これから起こることに、羞恥に震える、露わになったそのきれいな下腹の平原にはまだ中学生と変わらぬ少年のすんなりしたアクセントが羞恥に震えている、これから残酷な検査を受ける性器が突き出ていて確かに少年であることを示す、そこだけ黒いものが。
まだ女を知らない、勉強とオナニーしか知らない、穢れを知らない朝顔のつぼみのような剥き出しになった少年のそれは初めて他人の指で剥きあげられる・・あっ!と身を引く
生まれて初めて男になったピンク色のそこにはいけない行為にふけった証拠の白い恥垢がいっぱい
終わると、すぐ全裸のまま肛門検査のため手脚を拡げて、四つん這いの姿勢をとる、ひざは曲げないで伸ばしたままである。
シミ一つない綺麗なピチピチした少年のお尻、肢体、そのぴちぴちの尻タブを両方の掌でもってぐいと拡げ菊門を拡げて中を検査を行う。

M検で不合格になった者として,痔婁(千葉大),副睾丸炎(神戸大)その他がある。徴兵検査の型を踏襲し、包皮は環状溝が出るまでばっちり剥き上げられる。

31名無しさん:2020/10/01(木) 15:54:51
賤のおだまき    国立国会図書館近代デジタルライブラリー
 ttp://kindai.ndl.go.jp/index.html
 こちらから見れます。
1. 賤のおだまき / 著者不詳,市村丁四郎, 明18.8
2. 賤のおだまき / 著者不詳,野村福太郎, 明18.10
3. 賤のおだまき / 著者不詳,精文堂, 明20.8

32名無しさん:2020/10/01(木) 18:57:00
旧制中学入試身体検査にはM検もあったと思われる。



 自歌自讃・86号

 少年の日のM検を思ひ出づ わが鬱質のルーツか知れず

 中学の入試にM検 少年は自負ふみ砕かれて兵士予備軍

 木造校舎の一室、受験生は一人ずつ入室を求められた。軍医らしき男が椅子
に座り、その背後に数人の看護婦らしき影があったが、彼らは窓を背にしている
のではっきりした記憶はない。
 男の前にオズオズと立つとパンツを脱げという。びっくり仰天しあわてて 下着
を押さえたようだが再び脱げと声を聞いた。そのとき男の後ろにいた女 らの小さ
な笑い声だけは覚えている。  羞恥心さえ失って命に従うと男の手が無造作に
伸び、penisを掴むと二三 度強く握られた。性病の検査だったのだろうが第二次
性徴さへ間のある性器 から排膿などあるはずもない。 ついで四つん這いにさ
れて肛門の視診があったのだが半ば放心状態のまま 終わり部屋をでてから急
にやり場のない羞恥心に襲われた。
 真裸にされて受けた形式的な検査は病気の有無確認ではな く人間的な感情、
つまり屈辱、自負心、羞恥心を壊してしまえと いう教育目的があったことを後年本
を通して知りました。  「やらねばやられる」戦場では殺人に対する一瞬の躊躇い、
勿論禁忌でしょうから。  
 こんな年齢から兵士向きに改造されてゆき、中学入学後は銃剣を構えて効 率
的な殺人の技の習得に励んでおりました。 当時はこんな検査のあったことを親にも
言えなかったのですがやは り短歌に記録しておきたかった。

                                       (2002・8・15)

33名無しさん:2020/10/01(木) 19:01:02
陸軍身体検査規則 徴兵と志願、12歳のM検
[書誌情報]

責任表示:
木谷俊男 編著
出版者:
[木谷俊男]
出版年月日:
2003.2
請求記号:
AZ-666-H3
書誌ID:
000004023794


M検は被験者を全身脱衣させ、性器や肛門を検査した。検査の内容は鼠径部、睾丸、陰茎の目視と触診を行い、包皮をめくり、亀頭を露出させ、陰茎を按圧して性病の罹患を検査し、肛門部では臀部を開脚させ、痔疾、痔瘻の有無を検査した。 「陸軍身体検査規則」(1928年3月26日陸軍省令第9号/昭和3年第15号)第二十三条七号で軍隊での検査方法が確立された。

「陰部ノ検査ハ受検者ヲシテ脱褌セシメ両脚ヲ開キ検者ニ正面シテ立タシメ鼠蹊部、陰茎、陰嚢、精系、睾丸及副睾丸ノ異常ノ有無ヲ検査シ排尿ノ難易、遺尿ノ有無ヲ検シ必要アルトキハ排尿セシメテ尿ノ性状ヲ検査ス」とした。


「風俗奇譚」昭和46年10月特別号、東京陸軍幼年学校受験生のM検に立ち会った衛生兵の手記(米軍性器洗浄所)によると、徴兵検査と同じく包皮を反転する。
ついたての中には、○印のところが有って、次の者はその○印のところでパンツ(パンツやフンドシ両方有ったという)のヒモを緩め、前の者のを見ながら待つ。
目の前では、生まれたままの姿にされた前の者が検査を受けている。
ヒモを緩めてとは、単にすぐ外せるようにというだけではなく、最後の心の準備である。
思春期に入った少年達にとっては、見るほうも見られるほうも、恥ずかしくてたまらない。
見られるほうは勿論だが、次は自分もあのようにされるのかと思いながら待つ者もたまらないはずだ。意志とは裏腹に膨らんでくることもある、まもなく脱ぐというのにテントを張ってしまう者が出る。

そんな子は脱げと言われても、モジモジしていて軍医官に一喝され顔を真っ赤にしてしかたなく脱ぐ、そしてピンと突っ立てながら心臓をドキドキさせて軍医官の前に立つ。
軍医官は元気があってよろしいというそうだが、たとえエレクトしていても検査は容赦ないそうで、検査に耐えられずドクドクやってしまう者もいて、そのため雑巾が用意されており、床を汚したものは自分でふかされるという。しかし自分のものはそのままでパンツをはくので、すぐわかってしまうという。

M検はまず、こう丸の触診、次にペニスの検査、包皮の反転(冠状溝がでるまで剥く)も行うので痛がるという。完全にエレクトした包茎を反転するとカントン状態になり、元に戻らず痛いので、M検室にはベッドが用意されていてそこに寝させて処置するという。




I

34名無しさん:2020/10/01(木) 19:01:43
国民体力検査
昭和15年からは国民軆力検査といって満17才以上19才までの男子はすべて徴兵検査と同じ性器肛門検査を含む身軆検査(身体計測・疾病検診・運動機能検査)をうけなければならなくなった。職場の者は会社で、職場以外の者は市町村で、また中学生の場合は学校で行った。普通中学5年生に行ったが、4年生なかには3年生からするところもあったという。昭和16年からは、16歳以上となりM検も受けた。(実際は、15歳以上)

「国民体力検査」とは、早く言えば17歳以上の徴兵検査前のすべての男子に(徴兵検査に準じた)「身体検査」を義務ずけたというか、「“国民体力検査”という名の徴兵検査」を義務化したものに他ならない。
17才以上の男子全て・・男子として日本に生を受けたものは、学校に行っているものは学校で、職場にいるものは職場で。
「人口問題研究」(第1巻7号、第3巻3号、5号)に細かい施行令、施行規則がのっている。施行規則32条には、「17歳以上の男子に局部(性器)検査を行う」など細かい実施要領が決められている。
雑誌「さぶ」に載った「実録手記・中学生M検物語」や「少年M検体験記」によると、実際4年や3年生くらいから実施したところもあるという。

<“昭和15年11月30日において、年齢17年以上の男子たるもの”で直ちに実施された>が、昭和16年3月18日の勅令225号により、昭和16年4月からは、<“16年11月30日において、年齢15年以上の男子たるもの”に改められ、“4月1日より施行”実施>となった。
検査は7月1日より9月30日迄と定められているので、11月30日迄に15歳になればまだ14歳何ケ月でも・・・中学3年だろうか…実際昭和16年に、都内の中学校で中学3年生にM検(花柳病検査)を実施したという。

或る婦人雑誌に掲載された「性教育」に関する座談会で、当時高名な元アナウンサー氏が、昭和十六年頃の戦時中の東京の中学生時代を回想して、「中学三年になるとね、身体検査でパンツまでとって調べられるんですよ。・・・でもその関門をパスした者の、何と晴れ晴れしかったことか」と話しているのを読み、三年生にM検を課した中学校が他にもあったことを知ったのである。
 
体力手帳(昭和16年7月30日公布・大正15年7月18日生まれ・15歳)
サイズ:151×105


国民体力検査
昭和15年からは国民軆力検査といって満17才以上19才までの男子はすべて徴兵検査と同じ性器肛門検査を含む身軆検査(身体計測・疾病検診・運動機能検査)をうけなければならなくなった。職場の者は会社で、職場以外の者は市町村で、また中学生の場合は学校で行った。普通中学5年生に行ったが、4年生なかには3年生からするところもあったという。昭和16年からは、16歳以上となりM検も受けた。(実際は、15歳以上)

「国民体力検査」とは、早く言えば17歳以上の徴兵検査前のすべての男子に(徴兵検査に準じた)「身体検査」を義務ずけたというか、「“国民体力検査”という名の徴兵検査」を義務化したものに他ならない。
17才以上の男子全て・・男子として日本に生を受けたものは、学校に行っているものは学校で、職場にいるものは職場で。
「人口問題研究」(第1巻7号、第3巻3号、5号)に細かい施行令、施行規則がのっている。施行規則32条には、「17歳以上の男子に局部(性器)検査を行う」など細かい実施要領が決められている。
雑誌「さぶ」に載った「実録手記・中学生M検物語」や「少年M検体験記」によると、実際4年や3年生くらいから実施したところもあるという。

<“昭和15年11月30日において、年齢17年以上の男子たるもの”で直ちに実施された>が、昭和16年3月18日の勅令225号により、昭和16年4月からは、<“16年11月30日において、年齢15年以上の男子たるもの”に改められ、“4月1日より施行”実施>となった。
検査は7月1日より9月30日迄と定められているので、11月30日迄に15歳になればまだ14歳何ケ月でも・・・中学3年だろうか…実際昭和16年に、都内の中学校で中学3年生にM検(花柳病検査)を実施したという。

或る婦人雑誌に掲載された「性教育」に関する座談会で、当時高名な元アナウンサー氏が、昭和十六年頃の戦時中の東京の中学生時代を回想して、「中学三年になるとね、身体検査でパンツまでとって調べられるんですよ。・・・でもその関門をパスした者の、何と晴れ晴れしかったことか」と話しているのを読み、三年生にM検を課した中学校が他にもあったことを知ったのである。
 
体力手帳(昭和16年7月30日公布・大正15年7月18日生まれ・15歳)
サイズ:151×105

35名無しさん:2020/10/01(木) 19:02:27

また一般の旧制中学の入試にM検を課したところもあったようだ。
< 木造校舎の一室、なにも分からぬまま受験生は一人ずつ入室を求められた。 軍医らしき男が椅子に座り、その背後に数人の看護婦らしき影があったが、 彼らは窓を背にしているのではっきりした記憶はありません。男の前にオズオズと立つとパンツを脱げという。びっくり仰天しあわてて 下着を押さえたようだが再び脱げと声を聞いた。そのとき男の後ろにいた女 らの小さな笑い声だけは覚えている。羞恥心さえ失って命に従うと男の手が無造作に伸び、penisを掴むと二、三 度強く握られた。性病の検査だったのだろうが第二次性徴には間のある性器 から排膿などあるはずもない。ついで四つん這いにされて肛門の視診があったのだが半ば放心状態のまま 終わり部屋をでてから急にやり場のない羞恥心に襲われました。断れない命によって真裸にされて受けた形式的な検査は病気の有無ではなくきわめて人間的な感情、つまり怒り、屈辱、自負心、などを壊してやれと いう目的だったことを後年いろんな本を通 して知りました。「やらねばやられる」戦場では殺人に対する一瞬の躊躇い、人間ならだれ でも持っているような躊躇いは勿論禁忌でしょうから。こんな年齢から兵士向きに改造されてゆき、中学入学後は銃剣を構えて効 率的な殺人の技の習得に励んでおりました。当時はこんな検査のあったことを親にもなぜか言えなかったのですがやはり記録しておきたかったひとつです。(「歌集 想い出」2002・8・15))   
  http://www.ne.jp/asahi/setsuya/ujou/omoide/omoide.htm


恥ずかしい盛り、人前で性器をさらすなんて死ぬほど恥ずかしい、オナニー盛りの14歳の中学生でも、検査を受け次の検査のため「体力手帳」を渡される。

そして徴兵検査を受けるまでずっと毎年、たとえ良家のお坊ちゃんでも、素っ裸にさせられて・・どんなに耐えがたくとも、それこそ尻たぶはおろか尻の穴の奥まで、思春期の男の子の全てを…・。

「軆力手帳」が渡され普通の体力検査からM検までうけなければならなかったという。
さらに、徴用(16歳から)や、徴兵(20歳)されると、「入隊検査」の他、毎月「月例身体検査」でM検をされるので、当時の若者は13,4〜5よりほとんど毎年M検、M検、・・またM検だったはず。病気などで、当日受けられない場合は、届け出が義務で、後で必ず受けねばならない。

36名無しさん:2020/10/01(木) 19:02:55
なお、昔少年兵など(14歳以上)や陸軍幼年学校入試(13歳)などの他、入試等(したがってM検が)が12歳以上だったものをあげてみますと・・
・呉海軍工廠職工教習所  12歳以上
職工教習所(後に工員養成所)は大正7年に設立され、優秀な小学校卒業生の中から選抜された。普通の中学へ入るより難関で、競争率は7倍強だったという。敗戦までに約2万名が卒業、生徒は見習工と呼ばれ中堅工員要員として教育された。
・工場技能者養成令  見習工 12歳以上(養成工は14歳以上)
・海軍少年水中測的兵〔海軍少年研究生〕 12歳
  http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C666980225/E20060302211725/index.html

・逓信省航空乗員養成所     12歳以上
・一部中学校等入試
なお2007年に少年法が改正され、少年院送りが14歳以上に改められてまだ日も浅いうちに、「概ね12歳以上」になりました。したがってM検も概ね12歳以上(中学1年生以上)となるでしょう。


大学入試身体検査
日本男児が徴兵検査の羞恥と屈辱から解放された戦後でも、大学入試では身体検査にM検が課されていた。どんなに、良い成績を取ってもM検と肛門検査を受けなければ、合格しないのであるから、受験生にとっては徴兵検査以上である。性病の検査ということだが、大部分の受験生は深夜まで勉強に励んでいる、まじめな高校生で性病などかかる余裕もないはずだ。「受験期の性」(大陸書房1981)という性の相談を集めた本がある、受験生のなかには女友達と性行為をしているものもいるが、受験期というのは思春期の盛りであり、昔も今も受験勉強は性欲との戦いでもある。誰でも思い当たるように、勉強部屋で勉強に疲れてすることは同じである・・

「受験勉強を夜中までやっている毎日ですが、あきてくると自然に手がペニスのところに行ってしまって、にぎったりもんだりすることがあり、ついついオナニーすることもあります。この前、たまたまペニスをさわった手の匂いをかいだら、変な匂いがしたのです。おやと思ってみると、皮と中の問のところに白っぽいアカのようなものがたくさんたまっていました。これは不潔にしているからでしょうか。それともペニスに何か異常があってでてくるものなのでしょうか。ちょっと心配になって、お風呂に入ったときには良くあらうようにしているのですが、何日かたつとまた出て来ます。それと、皮が長いためか先っぽが出て来ませんが、いつになったらちゃんと皮がむけるようになるのか心配です。」(長野県高3)


陸軍身体検査規則 徴兵と志願、12歳のM検
[書誌情報]

責任表示:
木谷俊男 編著
出版者:
[木谷俊男]
出版年月日:
2003.2
請求記号:
AZ-666-H3
書誌ID:
000004023794


参考

実録手記・中学生M検物語り   さぶ
嗚呼海軍予科練習生の悲劇   さぶ
ああ海軍残酷物語―少年志願兵 さぶ


参考
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/subject.cgi/news/1347/

37名無しさん:2020/10/01(木) 19:10:48
 軍関係の学校は将来のエリートを約束されていたものだが、身体検査は少年といえども手ごころを加えることなかった。陸士、海兵などはすべての検査で初めからフリチンのブラブラにさせられ、「日本男児だ、堂々と歩け」とやられ、手で隠すことも禁じられたそうである。
 当時は人権など顧みられなかった時代である。褌であれパンツであれ、脱げと言われれば脱がなければならなかったのである。


 少年兵は高等小学校を出た14歳の少年が志願するのだが、彼らには羞恥拷問とも思える厳しい運命が待ち受けていたのである

戦後、日本は兵役がなくなって、「徴兵検査」から解放された後も、男子大学受験生には性器・肛門検査・M検の羞恥が課されていた。

戦後、高橋鉄著「人性記」(林書店1968)という投稿をあつめた本があった。この中に、旧制高校(今の大学)入試の後、その時の「M検」の夢を見て漏らしてしまったと(夢精)いうのがあった。国会図書館等にある。

M検とは、なまやさしいものではなく、夢に出て漏らしてしまうほどのものであったのだ。
京都府立医科大学、松山商大などでは昭和40年代でもM検が課されていた。
40年代の「平凡パンチ」によると、京都府立医科大学では入学時と卒業時にM検を行う。
受験生だか一年生だかのM検では、包茎を捲り挙げると亀頭に恥垢がいっぱいで、しかも黴が生えていたそうだ。

まだ中学生とかわらぬ包茎が殆ど、包茎は環状溝が露出するまで剥きあげられる。 環状溝が露出するまでとは、捲れてるものも、もう一段剥きあげられるということだ。

一度も捲れたことが無い、しかも孤独な慰めに慰めの結果溜まったものが露わになる瞬間。
昭和30年代半ば位前までは、たとえどんなにいい成績をとっても、どんなに恥ずかしくとも、男子は総てこの検査を受けないと合格できなかった。

検査のやり方はそれぞれ異なり、東大は今武道館になっている七徳堂にて、集百人もがパンツを取り最初から素っ裸で7列に並んで検査の順番を待つ。

38名無しさん:2020/10/01(木) 19:11:02
慶應は、20人くらいがパンツ一枚で一室に入れられ、最初に手足を動かし運動して、関節などの検査を行う。
それが終わると最初のものがパンツ一枚で前に出さされて、性器・肛門検査の見本となる。
一通り説明が終わると、みんなの見ている前で、パンツはすぐ脱ぐ、すっ裸になって、検査官の前に立ち、性器やワンワンスタイルでの肛門検査。それが済むと次のものが前に出されてパンツを脱いで。

後ろのものは、前のものが素っ裸にされて恥ずかしい検査をされるのを見ながら順番を待つ。

剥くたびにツンとする恥垢の匂いや男の匂い・・自分ももうすぐあのようにされる・・なんて思うとたまらなくなってくるはず。

可哀そうに人前でパンツを脱ぐなんで、ちんぽこ出すなんて死ぬほど恥ずかしいお坊っちゃんでも、たとえ膨らんでしまっても順番が来たら容赦なく一人の例外なしに全員受ける。

どの大学でもだいたいおなじだろう。

「蛍雪時代」などの受験雑誌にはMケンを含む受験記事があって、毎号かならずM検の相談があったのだ。

「めくれていないと合格しないのでしょうか」とか「僕は3分の一くらいしか捲れていません。受験してもいいでしょうか」とか

京都府立医科大学、松山商大などでは昭和40年代でもM検が課されていた。
40年代の「平凡パンチ」によると、京都府立医科大学では入学時と卒業時にM検を行う。
受験生だか一年生だかのM検では、包茎を捲り挙げると亀頭に恥垢がいっぱいで、しかも
黴が生えていたそうだ。
まだ12,3の中学生とかわらぬ包茎が殆ど、包茎は環状溝が露出するまで剥きあげられる。
一度も捲れたことが無い、しかも孤独な慰めに慰めの結果溜まったものが露わになる瞬間。
昭和30年代半ば位前までは、男子は総てこの伝統的検査を受けないと、たとえどんなにいい成績をとっても合格できなかった。

検査のやり方はそれぞれ異なり、東大は今武道館になっている七徳堂にて、集百人もがパンツを取り最初から素っ裸で7列に並んで検査の順番を待つ。
慶應は、20人くらいがパンツ一枚で一室に入れられ、最初に手足を動かし運動して、関節などの検査を行う。
それが終わると最初のものがパンツ一枚で前に出さされて、性器・肛門検査の見本となる。一通り説明が終わると
パンツはすぐ脱いでしまい、すっ裸になって、検査官の前に立ち、性器やワンワンスタイルでの肛門検査。それが済むと次のものが
前に出されてパンツを脱いで。

後ろのものは、前のものが素っ裸にされて恥ずかしい検査をされるのを見ながら順番を待つ。
剥かれるたびにツンとする恥垢の匂いや男の匂い・・人前でワンワンスタイルで肛門検査を待つ姿、それはまもなくくる次の自分の羞恥の姿だ、自分ももうすぐあのように・・ なんて思うとたまらなくなってくるはず・・
でも、 一人二人と減ってだんだん自分の順番が近ずく・・

慶応といえば個室を与えられ・・良家のお坊ちゃん育ち、可哀そうに人前でパンツを脱ぐなんて、人前で剥き出しのお尻を、ちんぽこ出すなんて死ぬほど恥ずかしいおぼっちゃんでも、たとえ耐えられず膨らんでしまっても順番が来たら容赦なく一人の例外なしにパンツに手をかけ脱いでしまい検査官の前に進むことに。
どの大学でもだいたいおなじだろう。
「蛍雪時代」などの受験雑誌には毎号かならずM検の相談があったのだ。
「めくれていないと合格しないのでしょうか」とか「僕は3分の一くらいしか捲れていません。受験してもいいでしょうか」とか
大学入試身体検査で、昭和30年代くらいまでは、パンツまで脱ぐのが、あたりまえだった。
高校進学率は昭和34年が55.4%,38年が66.8%,42年が74.7%だった。
ちなみに、大学進学率は、34年が16.9%、38年が20.9%,42年が 23.7%だそうです。大雑把に言って、昭和30年代の大学進学率は20% ぐらい、進学者数は約20万人ぐらいのようです。全部の大学ではないにしても大多数の大学が入試でM検をやっていた、8割としても18才の高卒の15〜6万人が全裸にされ、剥かれて、しごかれていたことになりますね。

39名無しさん:2020/10/02(金) 09:00:35
昭和20年まで、日本男児と生まれたからにはM検といって性器・肛門検査を受けた。日本男児とM検は切っても切れない関係で、徴兵検査から解放された戦後も、大学入試ではM検が課されていた。

M検は12〜20歳の一番恥ずかしい年頃にM検が集中していた。最年少は逓信省航空乗員養成所の12歳である。陸軍幼年学校、陸軍士官学校、海軍兵学校、予科練、陸軍少年兵、海軍特年兵、満蒙開拓少年義勇兵、国民徴用令、徴兵検査、さらに軍需工場の少年工採用まで、実にさまざまなところで行なわれていた。
 
パンツ一枚なんて小学校、中学校では当たり前、大学。専門学校、軍関係学校の入試ではパンツ一枚すらも許されず、全部脱いでしまわねばならないのが当たり前だった頃、中学生ともなればどの進路をとるにしてもM検の関門があった。旧制中学校’(五年制)には軍人が派遣され時々、校庭の隅でパンツもつけない素っ裸で整列させられḾ検が行われていた。

軍関係の学校だけでなく、高校・大学入試もそうだし、上級生になると国民体力検査があった。
結局たいていの者が少なくとも年1回はM検を受けざるをえなかった。

 軍関係の学校は将来のエリートを約束されていたものだが、身体検査は少年といえども手ごころを加えることなかった。陸士、海兵などはすべての検査で初めからフリチンのブラブラにさせられ、「日本男児だ、堂々と歩け」とやられ、手で隠すことも禁じられたそうである。
 当時は人権など顧みられなかった時代である。褌であれパンツであれ、脱げと言われれば脱がなければならなかったのである。

40名無しさん:2020/10/06(火) 15:21:31
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/1347/1561098766/l50

41名無しさん:2020/10/06(火) 15:29:09
https://jbbs.shitaraba.net/news/1347/#6

42名無しさん:2020/10/06(火) 15:33:23
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/16648/1566480737/

43名無しさん:2020/10/07(水) 12:08:54
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/sepia/1106578252/443-n

44名無しさん:2020/10/07(水) 14:56:55
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/subject.cgi/news/1347/

45名無しさん:2020/10/07(水) 14:58:23
1932年生まれ85歳のじいさんです。昭和26年慶応大受験。一次試験合格後、身体検査の
ときにM検されました。パンツいっちょでカーテンで囲んである場所の前に並び順番を待ちまし
た。越中ふんどしの人も結構いたように思います。俺はM検があることをよく知らなかったので
なんとなく雰囲気を感じて不安な気持ちで待ちました。俺の番が来てカーテンの中に入ると中
年の医者二人と記録を取る若い助手が何人かいました。そこで椅子に座ったか立ったままだ
ったかはよく覚えていませんが、玉を触られ、ずるむけの竿を握られ皮を根元の方までめくら
れせんずりのように何回か擦られました。ちょっと気持ちがよかったけれど立ちませんでした。
けつの穴の検査は別の医者がしたように記憶しています。四つん這いになって穴を広げられ
たと思います。その後パンツをはいてカーテンから出て完了だったと思います。この時点で日
大の工学部合格してたので、理系志望が強かった俺は二次の面接は振り、電気工学科に入
り技術者になりました。因みに日大はM検はありませんでした。

46名無しさん:2020/10/07(水) 15:00:18
松山商科大学で1972(昭和47)年にM検を受けた人が今はもう65歳か…
遠い昔の話しだねえ

47名無しさん:2020/10/14(水) 23:39:11
陸軍身体検査規則 徴兵と志願、12歳のM検
[書誌情報]

責任表示:
木谷俊男 編著
出版者:
[木谷俊男]
出版年月日:
2003.2
請求記号:
AZ-666-H3
書誌ID:
000004023794

48名無しさん:2020/10/18(日) 15:28:29
昭和9年生まれ。29年に大学受験。M検を受けました。
徴兵検査で恥ずかしい思いをした兄に、検査の仕方を聞いてました。
徴兵検査でのM検は性病を持っているかいなかの検査です。性病患者は尿道から膿が出ます。検査官は性器を強く扱いて膿を出そうとします。大人数の検査ですからかなり乱暴に扱ったようです。
兄は、検査官の前に性器を晒しても勃起しなかったそうです。検査官にしてみれば、性器を見られるのに慣れていると判断。生意気な奴といびられたそうです。
たいていの人は勃起して、なかには触っただけで射精する者もいたそうです。
大学受験のM検は、性器の調査で、統計を取るためにしたと聞きます。
サイズ・長さ、太さ、(平常時、勃起時)
形状・正常(皮が反転)仮性包茎、真性包茎
射精はさせませんでした。

49名無しさん:2020/10/18(日) 15:29:25
1932年生まれ85歳のじいさんです。昭和26年慶応大受験。一次試験合格後、身体検査の
ときにM検されました。パンツいっちょでカーテンで囲んである場所の前に並び順番を待ちまし
た。越中ふんどしの人も結構いたように思います。俺はM検があることをよく知らなかったので
なんとなく雰囲気を感じて不安な気持ちで待ちました。俺の番が来てカーテンの中に入ると中
年の医者二人と記録を取る若い助手が何人かいました。そこで椅子に座ったか立ったままだ
ったかはよく覚えていませんが、玉を触られ、ずるむけの竿を握られ皮を根元の方までめくら
れせんずりのように何回か擦られました。ちょっと気持ちがよかったけれど立ちませんでした。
けつの穴の検査は別の医者がしたように記憶しています。四つん這いになって穴を広げられ
たと思います。その後パンツをはいてカーテンから出て完了だったと思います。この時点で日
大の工学部合格してたので、理系志望が強かった俺は二次の面接は振り、電気工学科に入
り技術者になりました。因みに日大はM検はありませんでした。

50名無しさん:2020/11/03(火) 11:07:09
国会図書館所蔵

身体検査の歴史とM検 : 学校身体検査と受験等  木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2004.1 <Y94-H6440>

新聞記事に見る杉並の少年通り魔事件と、戦後少年愛事件史 木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2003.1 <Y94-H2314>

身体検査の歴史とM検 : 徴兵検査と国民体力検査の時代  木谷俊男 編著. 木谷俊男, 2003.1 <Y94-H2039>

身体検査の歴史とM検 : 国民徴用と身体検査  木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2003.1 <Y94-H1966>

身体検査の歴史 : 徴兵検査、大学等入試身体検査と"M検"  木谷俊男 編. [木谷俊男], 2001.10 <EF91-G466>

51名無しさん:2020/11/03(火) 11:08:11
身体検査の歴史 : 徴兵検査、大学等入試身体検査と"M検"  木谷俊男 編. [木谷俊男], 2001.10 <EF91-G466>

52名無しさん:2020/11/03(火) 11:09:03
資料・徴兵身体検査規則 : 徴兵と徴兵検査   木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2003.1 <AZ-666-H2>

陸軍身体検査規則 : 徴兵と志願、12歳のM検  木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2003.2 <AZ-666-H3>

53名無しさん:2020/11/03(火) 11:10:06
宦官とカストラート : 少年去勢の歴史と文献   木谷俊男 編. [木谷俊男], 2001.10 <GE257-G11>

賎のおだまき考 : 少年13歳・少年美と少年愛の系譜  木谷俊男 編著. [木谷俊男], 1998.10 <EF91-G289>

文献に見る小中高校男子に見られる性的イジメの諸相  木谷俊男 編著. [木谷俊男], 1998.9 <EF91-G279>

文献に見るセクハラの系譜と諸相 : 性と人権 男子篇   木谷俊男 編著. [木谷俊男], 1997.4 <EF91-G91>

54名無しさん:2020/11/03(火) 11:10:39
新聞記事に見る杉並の少年通り魔事件と、戦後少年愛事件史 木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2003.1 <Y94-H2314>


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