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百物語

1一話目:2007/02/03(土) 22:05:05
 電話してて、むかつく事ってあるよねぇ?
 知り合いと電話してて喧嘩になって…ってのなら、まだいいんだけどさぁ。
 忙しい時にかかってくる勧誘の電話とか、マジむかつかない?
 そう言う電話に限って、早くしてくれって雰囲気で返答してるのに、だらだらなかなか本題入らないしさ。
 迷惑がってんの気づけよ!って思うよねぇ。

 むかつく訳じゃないけどさ、怖いのが、金貸し業者の奴等の催促の電話ね。
 闇金融じゃなくても、ほとんど同じような催促の仕方じゃん?
 たまにTVで、催促の電話の内容録音してたの流れるけどさ。
 どう聞いても、脅迫じゃん。
 これ、かかってきたらマジ怖いって。
 精神的にも追い詰められるしさ。
 貸す時は親切に優しいフリして、結局、金搾り取るのが仕事なんだよね、あいつらって。

 あ、あと、最近流行の振り込め詐欺の電話!
 むかつくよねぇ卑怯な手段で金稼ごうとして。
 こっちの善意を利用してきて、むかつく通り越して殺意覚えるでしょ?
 あ、わかってくれる?
 はは〜ん、さては、ひっかかった事あるね?
 あぁ、茶化してる訳じゃないの、御免ね。
 ……そっか、そんなに盗られちゃったんだ。
 いやいや、金額なんて問題じゃないよ。
 酷いよね!人の優しさや弱みに付け込んで!
 電話して、振り込まれた金降ろすだけ。
 それだけで、荒稼ぎして。
 自分達が悪い事してるって、わかってんのかね、そいつらって。
 お金振り込んだ方が、どんな気持ちだったか、わかってんのかって。
 大切な身内が大変な事になってるって思って。
 それを助けるために、振りこんだはずなのに。
 見ず知らずの、どこのどいつとも知らない極悪人の卑怯者の手に渡るなんて。
 ………うん、うん、悔しいよね。
 大丈夫だよ。
 その恨み、私が晴らしてあげる。

 それが、私の仕事だからね。
 私を生み出したのは、恨み。
 電話口で生まれた恨みから生まれたのが私。
 電話越しに、殺してやりたい、と言う憎悪を感じ取った時、それが私のエネルギーとなる。
 電話での会話が原因で、絶望に沈んだ時、私は呼ばれる。
 あなたの絶望が、私を呼んだの。
 ……うん、そうなんだ。
 振り込め詐欺で、振り込んじゃったのが原因で…自殺しちゃったんだね、あなたのお母さん。
 大丈夫。
 私が、そいつらに罰を与えてくるから。
 あなたの恨み、晴らしてあげるから。
 他にも、そいつらを恨んでる人達は一杯いるから。
 その人達の恨みも、ぜ〜んぶ乗せて。
 そいつらが、自分達がした事、後悔したって、もう遅いんだから。

 …え?
 私の名前、何かって?
 う〜ん…まだないんだよね、ちゃんとした名前。
 だって、私はまだ生まれたてだもん。
 あなたの殺意を感じて、私は目覚めたんだから。
 大丈夫大丈夫、警察に掴まったりなんてしないよ。
 だって、私人間じゃないもの。
 人間じゃない、化け物が人間を殺したって、警察は取り締まれないよ。
 安心して、ちゃんとあなたにアリバイある時に殺してあげるから。

 それじゃあ、行って来るね。
 私が生まれた役目を、果たす為に。




2二話目:2007/02/04(日) 14:49:14
 彼は、先日人間ではなくなった。
 とある吸血鬼の、忠実な執事となったのだ。

 真夜中の帰り道。
 バイトが首になり、自暴自棄となった彼の前に現れた吸血鬼は。
 恐怖におののく彼の首筋に暗いつき、血液を貪った。
 じゅるり、じゅるりと。
 己の体内から血が抜けていくのを感じながら、彼は死を覚悟した。
 …しかし。
 その吸血鬼は、彼の血を吸いきらずに、こう言ったのだ。
「私の執事となりたまえ。私の手足となり、私の為に生きるのだ。承諾するなら殺しはせんよ。それに…」

 永遠の命が手に入るぞ?

 それは、酷く魅力的な言葉だった。
 老いる事と死ぬ事。
 人間にとって当たり前の事が、彼は酷く恐ろしかった。
 不老不死になれたら、どんなにいいだろうと常に願っていた。
 それが、叶うのだ。
 断る必要など、どこにあろう?
 どちらにせよ、生きる為に選択肢などない。
 彼は、迷う事無く、吸血鬼の言葉に従った。

 …そう言う訳で、今の彼は人間ではないのだ。
 吸血鬼に血を吸われた半吸血鬼。
 完全な不死ではないが、ひとまず老いる事はない。
 住む場所も、今までのせまっ苦しい癖に家賃は高いアパートから、古臭くはあるが、広くて家賃はタダの吸血鬼の城。
 …いやいや、厳密に言えば家賃がタダ、と言う訳ではない。
 吸血鬼の為に、労働し、奉仕しなければならない訳だが。
 不老にしてもらった事を考えれば、お安い御用だ。
 彼は、鼻歌を歌いながら、主となった吸血鬼の寝室である地下室に向かっていた。
 初めての仕事は、吸血鬼を起こす事だ。
 ぎぃ、と重い石造りの扉を開ける。
 この、前に彼が住んでいたアパートの二倍以上の面積を誇る部屋の真ん中で、吸血鬼は棺桶に入って寝ているはずだ。
 …そう、部屋の真ん中で…
「…あれ?」
 おかしい。
 あるべき場所に、棺桶がない。
 どうした事か、と慌てて部屋の中を見渡すと。
 部屋の隅の、壁に寄りかかって。
 立ち上がった状態で、その棺桶はあった。
 そぅっと近づき、棺桶に耳を当ててみると、中から微かに寝息が聞こえてくる。
 慎重に慎重に、棺桶を横に倒して…蓋をあける。
 胸の上で手を組んで、眠っている主。
「…ご主人様、お目覚めの時間です…」
 用意されていたセリフで、主を起こす。
 その言葉で、主はぱちりと目を覚まし、むくりと起き上がった。
「…そろそろ、狩りの時間か」
「はい」
 吸血鬼は棺桶から出ると、マントを翻して歩き出した。
 彼は、その後を黙ってついていく。
 地上への階段を上がっていく最中。
 吸血鬼は、思い出したように彼に尋ねた。
「ところで。私の寝床なのだが」
「はい」
「君が来た時、既にあの位置にあったのかね?」
「…はい」
 正直に答える。
 そもそも、この吸血鬼の執事となった時点で、彼に嘘をつくことはできない身だ。
 彼の答えに、主はふむ、と頷いた。
「そうか…わかった。この事に関して、他の者には絶対に口外するなよ?」
「はい」
 すぐに、頷く。
 確信を得た訳ではないが…棺桶の位置が移動していた事に関して、答えが見えたような気がする。
 しかし、それを認めたくはなかった。
 寝相が悪すぎて、棺桶ごと部屋の中を転がりまわったあげく立ち上がった状態で眠り続ける吸血鬼が、これから自分が生涯仕える事になる主だとは、思いたくなかった。
 吸血鬼とは、紳士的でスマートなものだ。
 それが、誰もが思い浮かべる吸血鬼のイメージ像。
 全ての吸血鬼がそんな立派なものではないのだと、彼が気付く日までそんなに遠くはない。




3三話目:2007/02/07(水) 20:55:46
 …にゃあ。
 そんな泣き声が聞こえたような気がして、少女は立ち止まった。
 人気のない、暗い住宅街の一角。
 何年か前にそこにあった家が取り壊されて、ずっと空き地のままの、そこ。
 少女が目を凝らすと…そこに、小さな小さな、子猫の姿が見えた。
 にゃあ。
 にゃあ、と、酷く心細そうに鳴いている。
 驚かさないように、少女はそろりそろり、と近づく。
「………!」
 少女の気配に、気付いたのだろう。
 子猫は、びくりと体を震わせて少女を見上げて…そのまま、硬直してしまった。
 がたがたと、震えている。
「…大丈夫。怖くないよ」
 そっと。 
 優しく、優しく、少女は子猫を撫でた。
 愛しそうに、優しく、優しく。
 子猫を撫でながら、少女は子猫の向こう側にある、それを見た。
 倒れている…死んでいる、猫。
 人間に虐待されたのだろう。
 両目には釘が刺さっていて、体中に切り傷があり…全ての足が、切断されていた。
「………酷い」
 少女の瞳に、怒りが燈る。
 猫好きな少女にとって、猫を虐待する者は絶対悪だ。
 少女の怒りが伝わったのだろうか、子猫はますます怯えて、少女の手から逃れようとした。
 しかし、少女はそんな子猫を抱き上げ、優しく言う。
「…大丈夫。あなたは、私が育てるから。ちゃんと、大切にするから」
 猫の死骸を手厚く葬り、少女は子猫を抱いて家に向かった。
 子猫は、少女に抱かれたまま、所在無さげに震えている。
 よほど、人間が恐ろしくて仕方がないのだろうか。
 …無理もない、と少女は思う。
 きっと、あの死んでいた猫はこの子猫の親猫で。
 人間に虐待され、死んでいくところをこの子猫は見てしまったのだろう、と少女は勝手に思った。
 そんな子猫を見捨てるなんて、絶対にできない。
 両親だって、少女と同じ猫好きで、捨て猫や野良猫を引き取り、飼い主を見つけるボランティアに積極的に参加しているのだ。
 この子猫を飼いたい、と少女が申し出ても、反対しないだろう。
「大丈夫よ。帰ったら、すぐにご飯あげるからね」
 優しい、優しい眼差しで少女は子猫を見つめた。
 怯えていた子猫だが、その眼差しの優しさを感じ取ったのだろうか。
 おずおずと、少女の胸に寄りかかってきた。
 そんな子猫の様子に、少女は微笑んで。
「ただいま〜!お母さん、あのね〜……」
 家に駆け込み、早速家族に子猫を紹介した。
 少女の話に、両親は子猫に酷く同情し、子猫はこの一家に飼われる事となった。
 家族の愛を受け、子猫は成長していく事になるが…
 それゆえに、ある真実は闇の中に埋もれて、消えていってしまった。

「…………」
 何かが、塀の上からじっと家の中を見つめていた。
 家族に、温かく迎えられている、子猫を。
「…やれやれ。まさか、こう言う事になるとはなぁ」
 あいつがやった事が、あいつ自身に返るようにしたはずなのだが。
 まさか、あんな親切な人間に見付かるとは。
 …しかし、だからと言って、あいつをあの家族から引き剥がす気にはなれなかった。
 猫を愛してくれる人間を悲しませるのは、御免だ。
「仕方がない。見逃してやるか。せいぜい、猫として幸せな人生…いや、猫生を歩むんだね」
 ひらり、とそれは身をひるがえして塀から飛び降りた。
 帽子を被り、マントを身につけ、腰に巻いたベルトからレイピアを下げた、猫。
 月を背に、猫はまた、仕事へと戻っていく。
 猫を虐待する者たちに、罰を与える仕事を。
 猫を虐待した者を、そいつらが嗜虐心を擽られるような子猫の姿に変貌させて…人間に虐待されるように仕向ける、という仕事に。
 荒んだ世の中、か弱い生き物をいたぶって喜ぶ連中がいる限り。
 この、ケットシーに休みなんてないのだ。




4四話目:2007/02/07(水) 21:58:16
 憂鬱だ。
 空はどんより曇っているし。
 空気は重たく感じるし。
 周りの喧騒が、耳障りで仕方がない。
 あぁ、憂鬱だ。
 憂鬱だ。

 …まぁ、仕方がないかもしれない。 
 自分は、そんな存在なのだ。

 自分の名は「鬱」。
 名前の通りの存在だ。
 人間の憂鬱な思いから生まれた存在。
 存在するだけで憂鬱で、しかも周囲にそれを撒き散らす。
 自分の傍に居るだけで、周りの人間も憂鬱な気分になる。
 憂鬱な気分のせいで、不幸を呼び込んでしまう人間も多い。
 あぁ、何て憂鬱な存在なんだ、自分は。
「はぁ………」
 公園のベンチに座って、重い、重い、ため息を吐く。
 ため息を吐いても、ますます憂鬱になるだけなのだが。
 どうしたものだろう、この憂鬱。
 …いや、何とかする方法はわかっている。
 しかし、そのせいで他人に迷惑かけるなんて、ますます憂鬱なのだ。
「………つ、ウツ」
「……………え?」
 考え込んでいたのだろうか?
 話し掛けられた事に、気がつかなかった。
 目の前に立っている、明るい雰囲気の青年。
 自分と違って、眩く輝く存在。
「……ソウ」
「相変わらずだな」
 からから笑って、肩をばしばし叩いてくる。

 …彼の名は、「躁」。
 自分とは、何もかも正反対の存在だ。
 いつだって明るくて、社交的で。
 周囲に明るさをもたらし、精神を前向きにさせる。
 彼の能力は、他人に成功と幸運をもたらすものだ。
「…どうしたの?何か用?」
「何言ってるんだ。そろそろ、約束の時だろう?」
 …約束。
 あぁ、覚えている。
 …けれど。
「そうだね…でも、駄目だよ。今のままでいた方がいい。君は今のままの方が幸せだろうし、僕は今のままでも、別に構わない」
「……そんな事、言うなよ」
 困ったように、ソウは微笑んだ。
 優しく、肩を叩かれる。
「俺は、お前のそんな姿、見ていて辛いんだよ」
「………」
「ほら」
 手を差し出された。

 駄目だ。
 この手を握っては駄目だ。
 この手を握ったら、彼は…

「……ったく」
「!!」
 ぎゅう、と。
 乱暴に、手を握られた。
 …どくん、と。
 体中の血が、騒ぎ出す。
「……あ………ぁ……」
「…約束しただろう、俺達は、一対の存在だ」
 力が、流れ出ていく。
 忌まわしい力が流れ出ていくと同時に、別の力が注ぎ込まれる。
 暖かく、明るい力が、全身にみなぎっていく。
「だから……俺達は、見つけただろう。互いの力を、入れ替える事ができると」
 鬱の力が躁に移り。
 躁の力が鬱に移る。
 互いの力が、立場が…逆転する。
「一定の時が過ぎたら入れ替わろうと、約束しただろ?同じような存在なのに、片方だけ辛い事全部押し付けられちゃ不公平だ」
「で、でも…」
 わかる。
 自分の中で、今まで一片もなかった自信が、みなぎってくるのが。
 自分の表情が、どんどん明るくなっていっているのが。
 代りに、彼の表情からは、どんどん輝きが失われていっている。
 ほんの一瞬前の、自分のように。
 力が入れ替わるのは、一瞬だ。

 鬱は…いや、最早「躁」となった彼女は、明るく微笑んで、躁を…いや、「鬱」を抱き締めた。
「ありがとう。それじゃあ、また、一ヵ月後にね」
「…あぁ…約束だ」
 鬱は、躁につられるように一瞬だけ笑みを浮かべて。
 スキップしながら立ち去っていく躁の後姿を、じっと見つめていた。
 …これでいい。
 彼女の暗い表情なんて、見たくない。
 自分達は、表裏一体。
 人間の思いから生まれた、同じ存在。
 ひっくり返せば、自分は彼女に、彼女は自分になれる。
 また、一ヵ月後に必ず会えるのだ。
 今までも、もう、何十年何百年と、そうしてきたのだから。
「……はぁ」
 自然と出る、ため息。
 さて、これから一ヶ月、いかに生きていこうか…
 鬱となった彼は、憂鬱そうに空を見上げた。
 あんなに曇っていた空は、何時の間にか雲ひとつない晴天となっている。
 しかし、鬱となった彼には、その空ですら、明るさをもたらしてはくれないのだった。




5五話目/前半:2007/02/09(金) 20:36:54
 土砂降りの雨の中、女の子はお歌を歌いながら歩いていました。
 女の子は傘を持っていたし、合羽を着ています。
 長靴も履いているから、こんな雨もへっちゃらです。
 全部お揃いの、黄色い色をしていました。
 女の子が特に気に入っているのは、この明るい黄色の傘でした。
 お店で一目惚れして、お母さんに我侭言って買ってもらった傘です。
 女の子はこの傘を本当に本当に気に入っていて、晴れの日でも学校に持っていっていました。
 雨は、どんどん強くなっていっています。
 でも、この傘があれば、どんなに濡れてもへっちゃらだ、と女の子は思っていました。
 ぱちゃぱちゃと水溜りを乗り越えて、お家に向かっていきます。
 お家まで、あともう少しです。

 …ばしゃん、と。
 背後から、近づいてきている影に、女の子は気付いていませんでした。
 だから。
 この後、自分の身に起こる事なんて、もちろん知っていたはずもありません。


 翌日。
 行方不明になった女の子は、死体になって見付かりました。
 着ていたはずの洋服は何も身につけていなくて。
 ただ、そのすぐ横に、女の子のお気に入りの傘だけが投げ出されていました。

 可哀想な事に、女の子は誰かに悪戯されて、殺されてしまったのです。
 警察が一生懸命捜査しますが、なかなか犯人は見付かりません。
 女の子のお母さんは、女の子の遺体の入った小さな小さな棺の前で、泣きました。
 たくさんたくさん、泣きました。
 お母さんの涙で、女の子の傘はぐっしょりと濡れていきました。

『泣かないで、お母さん』

 その時。
 どこからか、死んだはずの女の子の声が聞こえてきました。
 はっとして、お母さんが顔をあげてみましたが、誰も居ません。
 そして、棺のすぐ前に置かれていたはずの女の子の傘も、忽然と消えてしまいました。


 この日も、土砂降りの雨が降っていました。
 その男は、ぼりぼりとチョコを貪りながら、TVを見ていました。
 TVに映っているのは、小さな女の子の裸の映像です。
 男が、自分で撮った映像でした。
 映像の中の女の子は、泣きながら男に許しをこうています。
 その映像に、男のが口の端を歪めて楽しんでいると。

 ピンポ〜ン、と。

 気の抜けるような玄関の呼び鈴の音が、玄関から聞こえてきました。
 男は無視しますが、何度も、何度も聞こえてきます。
 仕方がなく、男は映像を一旦止めて、玄関へと向かいます。
 ぶつぶつ呟きながら、玄関の扉を開けると、そこには小さな女の子が立っていました。

 黄色い合羽を着て。
 黄色い長靴を履いていて。
 黄色い傘を持っった、女の子が。

『おじちゃん、私の事覚えてる?』
『知らない。何だい?君は。おじちゃんに何か用かい?』
『忘れちゃったの?酷い』

 ぷぅ、と女の子は頬を膨らませました。

6五話目/後半:2007/02/09(金) 20:37:14
 その可愛らしい頬には、何時の間にか痣が浮かんでいます。

『私に、こんな事したのに?』

 目の周りにも、同じように痣が浮かび上がってきました。
 口の端から、つぅ…と血が流れてきます。
 ぎょろり、と。
 まるで死人のような目玉が、男を見上げてきました。
 その時点で、男は悲鳴を上げました。

 気付いてしまったからです。
 この女の子が、自分が殺した女の子なのだと。
 男の悲鳴は土砂降りの雨の音でかき消されます。
 けれど、女の子の言葉は、はっきりと男の耳に届いてきました。

『おじちゃん、私のお母さん泣かせたでしょ』
『知らない。お前の母親なんて知らない』
『でも、泣かせたのはおじちゃんだよ、だって』


 ワタシガシンダカラ、オカアサンナイチャッタンダヨ?


 女の子が。
 手に握っていた傘を、男の腹に突き刺しました。
 か細く見える腕からは想像もできない力で、傘が男の腹にねじ込まれていきます。
 男の絶叫は、しかし、雨の音でかき消されます。
 倒れた男を見て、女の子は死人の顔で、くすくすと笑いました。

『一杯血が出てるね。ほっといても死んじゃうかな』
『頼む。助けてくれ。許してくれ。助けてくれ』

 まるで壊れた玩具のように、男は同じ言葉を繰り返します。
 男の懇願に、しかし、女の子は笑って答えます。

『駄目だよ。だって、おじちゃん、私が助けてって言ったのに。許してって言ったのに、助けてくれなかったでしょ?』

 見下ろしてくる女の子。
 自分の腹に突き刺さっている黄色い傘。
 薄れ行く意識の中で…男は、見てしまいました。
 傘に、大きな一つ目が、ぎょろりと生えている事に。
 目の下に口が浮かび上がってきて、その口からべろん、と舌が飛び出たのを。
 その傘から、細長い二本の腕が生え始めて。
 傘は、自力で男の腹から抜き出て、飛び上がりました。
 腹から血が噴出して、男は声にならない悲鳴をあげます。

『だからね、私も許してあげない!アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!』

 女の子の口から。
 傘の口から、全く同じ声が漏れ出して。
 全く同じ声で、高らかと笑いました。
 飛び上がった傘は、そのまま、まっすぐに。
 狙いたがわず…男の心臓目掛けて、落下していきました。


 翌朝。
 一人の男の死体が発見されました。
 その男の傍らには。
 男の血に塗れた、小さな傘が一つ、転がっていたそうです。




7六話目:2007/02/10(土) 21:56:33
 お前ら、餓鬼って妖怪を知ってるか?
 …糞餓鬼とかの餓鬼じゃないぞ?
 仏教で言われる地獄の一つ、餓鬼道に落とされた人間の事、と言われてるな。
 生前貪欲だった連中が餓鬼になるって言われてな、その罰として、常に飢えと乾きに襲われる餓鬼道に落とされるんだそうだ。
 その餓鬼は、時折地上に出て、人間に食い物や水を求めると言われている。
 もしくは、地上に出て、死体を貪ったり、人間を襲って食う事がある、とも言われるな。
 妖怪って奴は、人間の想いってやつに忠実に生まれるものらしく。
 俺もやはり、生まれた当初は墓掘り起こして死体食ったり、人間襲って食ったりしてた。
 でも、な。
 世の中には、人間を護ろうとする妖怪って奴が、たくさんいるんだよ。
 俺も例外なく、そう言う奴らに退治された。
 何度か、そうやって退治されてるうちに、いい加減俺も知恵つけてきたわけだ。
 人間の肉を食うのはヤバイな、と。
 幸い、俺は生肉なら何食っても命を繋げたから、人間以外の肉を食う事にした。
 俺は必死に努力して人間の味方をしている妖怪たちの仲間に入り込んで、人間の社会に紛れ込んだ。
 いや、今まで人間が食ってる肉に見向きもしてなかったんだけど、美味いのな、牛とか豚とか鳥とか。
 最近食ってみたけど、羊もなかなかイケる。
 命を繋ぐ為には生じゃなきゃならないが、人間たちの食い方も真似してみたら、これも美味い。
 こうして、俺は人間社会に紛れ込んで人間を襲わない、世にも珍しい餓鬼になったって事だ。

 …だが、な。
 生まれついた性なのかねぇ。
 時折、どうしても人間の肉が食いたくなって仕方がないんだよ。
 そう言う時は、いつもより高級な肉を食ってみたりして誤魔化してたけど、それも結構限界に近くて。
 だが、ここで人間を食っちまったら、今までの努力は台無しだ。
 墓暴くのも人間襲うのも、ずっとずっと我慢して、ようやく今の状態になれたんだ。
 何とか我慢し続けたさ。

 そんな時だ。
 最高のパートナーに巡り会えたのは。
 そいつは、女でな。
 その女、俺と初めて会った時、何て言ってきたと思う?
「私を食べてください」
 だぜ?
 あ、お前、エロい意味で受け止めただろ。
 俺だって、一瞬そう思ったさ。
 しかし、よくよく聞いて見りゃ違ってよ。
 自分の肉を食ってくれ、って言うんだよ。
 しっかりと話を聞いてみると、そいつも妖怪でよ。
 中国の方の生まれで、視肉とか言う名前なんだと。
 美味しく食べてもらうのは生まれてきた理由だ、とか言ってるんだ。
 あんまりにも熱心に頼み込んでくるもんだから、俺も断れなくてよ。
 自分の正体明かして、それでも食ってくれ、って言うもんだから、食ってやる事にしたんだよ。
 …もちろん、人前で食ったりしてないぞ?
 俺が借りてるアパートに連れ帰って、それで食う事にしたんだよ。
 自分で内蔵ひっぱりだして、召し上がれ、なんて言ってきてよ。
 俺は平気だけど、普通こんな事されたら引くよな、とか思いながら、まぁ食ってみた訳だ。

 …これが、無茶苦茶美味いんだよ。
 嘘でも、大袈裟に言ってる訳でもない。
 マジで、すっげぇ美味いんだ。
 俺が今まで味わってきた肉の中で、一番美味かった。
 しかも、俺の味覚は、その味が人間の肉に近い味だと告げてきやがった。
 いや、本当は、どこか決定的に違う味ではあるんだが。
 この味は、俺にとって、人間の肉に勝る美味だと、そう感じたんだ。

 こうして、俺は視肉と一緒に生活するようになった。
 俺にとって、彼女は人間を襲わない為のブレーキになってくれたし。
 彼女にとっては、自分の肉を嫌がらずに食べてくれる、って事で、お互いに相手が最高のパートナーって事さ。
 なかなかいいコンビだろ?

 今日の夕食?
 もちろん、彼女の肉さ。
 今から、彼女が張り切って取り出そうとしている。
 今日は何処がいいですか〜?なんて笑顔で聞いてきて。
 正直、俺以外の(特に男に)そんなセリフ言うなよ?とか思ってしまう。

 そんな俺の、今の悩み。
 彼女に、いつ、どうやって告白しようかって事。
 もう離れたくないと、食欲を抜きにしても、そう思うようになっちまった。

 まったく、俺みたいな変わり者の餓鬼なんて、他には居ないだろうな。




8七話目:2007/02/11(日) 14:57:41
 追いかけてくる
 追いかけてくる
 逃げても
 逃げても
 奴らはどこまでも追ってくる
 追いついてくる
 どこまで逃げても
 どこまでも追いついてきて

 結局のところ、奴らから逃げる方法など、存在しないのだ


「…!!」
 目の前に、新手が現れた。
 ひゅん、と両手を鞭に変えて、攻撃してくる。
 それをぎりぎりのところで避けて、持っていた斧の柄を握り緊めた。
 その斧を振るって、鞭を叩ききる。
 痛みに引いた隙に横を走りぬけようとすると、突風で押し戻された。
 見ると、上空に翼を羽ばたかせた烏天狗の姿が見える。
 戻るべきか?
 しかし、背後からは、黄金に輝く龍と、下半身が蜘蛛の女が迫ってきている。
 …囲まれた。
 最早、追っ手を全員殺さない限り、生き延びる術はない。
 斧を滅茶苦茶に振り回し、迫ってくる奴らに切りかかる。
 だが、奴らは接近戦に持ち込ませてはくれない。
 鋭い風の刃が、蜘蛛の糸が。
 身を焼く雷が、次々に襲いかかってくる。
 体の傷は、どんどん増えていって。
 徐々に、徐々に。
 体力が、命が、削られていく。
 それでも、戦う事をやめる訳にはいかなかった。
 生きたいから。
 生き続けたいから。
 生きて。
 生きて。
 生まれてきた理由を、成し遂げ続けたいから。

 しかし、それは叶わない夢だった。
 やがて、命の、最後の灯火は吹き消されてしまって。
 がらん、と。
 斧が、地面に落ちた。
 体が塵になって、風の中に消えていく。
 被っていた仮面が地面に落ちて…粉々に、砕け散った。

 
 …その日。
 妖怪殺戮者は、無事に退治された。
 彼の起こした殺人事件は、結局は迷宮入りとなってしまうのだろう。
 …そして、まだ、犯人は捕まっていないのだ。
 どこかでまだ潜伏しているのだ、と言う人々の恐怖は。
 何時の日か、きっと彼を蘇らせてしまう。




9八話目:2007/02/13(火) 21:11:13
 ばきっ。
 どかっ。
 ぐしゃっ。
 嫌な音が公園に響き渡る。

 誰かが殴られている音。
 誰かが殺されている音。

「おい…こいつ、死んだんじゃねぇの?」
「いいじゃん。こんな奴、死んだ方がいいんだって」
「はは、言えてる」

 手に鉄パイプを手にした少年たちは、楽しそうに笑った。
 彼らの足元には、ぴくりとも動かないホームレスの中年男性の姿があった。
 つい先ほどまで、少年たちが面白がって、鉄パイプで叩いたり、足で蹴ったりしていた相手。

「こんな奴、社会のゴミだよな」
「そうそう、俺たちは清掃活動やってんだって!」
「これって、社会貢献だよな〜」

 人を殺しても、少年たちは楽しそうに笑う。
 自分たちは正しいのだと。
 間違っていないのだと、核心している。
 どうせ、こんな世捨て人一人死んだところで、騒がれやしないだろう、と確信していた。
 万が一捕まっても、少年法で自分たちは保護されると。
 こんな人間の命、消してしまっても構わない、と。
 少年たちは、心の底から思っていた。

『社会のゴミは、死んで当然…と、言う事か?』
「そうそう!死んでとうぜ………」

 ぴたり、と。
 少年たちの笑い声が止まった。
 むくり、と。
 死んだはずのホームレスの男性が、起き上がる。
 だらりと、首をおかしな方向に捻らせたまま、ぎろりと少年たちを睨みつける。

『それなら…お前らも、死ぬべきだな』

 にぃ、と。
 血の気が失せた唇が、笑みの形を作り上げる。
 その、直後。
 だらりと垂れ下がった男の腕が、鞭の撓って。
 その場にいた少年たちの体を…一瞬で、横真っ二つに切り裂いた。
 少年たちが、悲鳴をあげる。

「あ、ぁ、あァあああアぁぁぁあああ!!!???」
『痛いか?痛いだろうなぁ。確実に、お前ら死ぬからなぁ』

 見下ろしてくる、にやりと笑った顔。
 その顔が、汚らしいホームレスの顔から…少年たちと同じ年頃の、少年の顔になっていく。

『でもな、俺は悪くないんだぜ?だって、社会のゴミを掃除したんだからな。お前たちのように!!』

 けらけらと、狂ったような笑い声が響き渡る。
 その声を聞きながら、少年たちは一人、また一人と事切れて。
 公園には、両手を血で染め上げた、人の姿をした化け物だけが残った。


『……あぁ、来たね』
 少年たちを見下ろしていた化け物の背後に、新たな影が現れる。
 化け物は、それを予感していたように、振り向いて…笑った。
『残念、間に合わなかったな…まぁ、そんな顔するなよ』
 化け物は、苦笑し、肩をすくめる。
『俺は、こいつらの想いから生まれたんだよ?社会のゴミは死んでも当然って、こいつらは考えてる。自分達がそうだとも知らずに、ね』
 化け物を取り囲む者たちの、姿が変わっていく。
 化け物よりも、もっとも化け物らしい…人外の姿に。
 姿を変えていきながら、化け物に何か訴えかけてくる。
 しかし、化け物はにやりと笑うだけだ。
『違うって?何が違うんだ。親のスネかじって、誰かに迷惑ばかりかけて。人を殺したって平気な顔してる。こいつらを社会のゴミと言わなくて、誰を社会のゴミと言えばいいんだ?』
 じり、じりと。
 化け物は、ゆっくり包囲されていく。
 けらけらと。
 化け物は、また狂ったように、笑い出した。
『あぁ、そうだな!お前たちは俺の考えを認めないだろうな!!お前たちは、やけに人間を庇いたがるからな!」
 化け物は、少年たちが使っていた鉄パイプを拾い上げた。
 化け物がそれを振るうと、近くにあった木が、真っ二つに切れて、倒れる。
『だが、お前たち……俺を、殺せるかな?』

 夜の公園。
 人知れず、戦いが始まる。
 少年たちを殺した犯人は、永遠に捕まる事はないだろう。
 そして、またその内、同じような事件が起きるだろう。
 人々の想いが変わらない限り。
 永遠にループし続けて。

 結局、終わりなどありえないのだ。




10九話目:2007/03/27(火) 21:54:07

「………うぅ………」

 …あぁ

「…うぅぅぅううう…!」

 もう、逃げられない
 逃がしてもらえない
 目の前にいる、この男は
 私を、決して逃してはくれないだろう

 ずっと前から、嫌な感じがしていた
 どこかから感じる、誰かの視線
 ずっと、誰かに見られてる

 夜、一人で歩いていると、足音が多く聞こえるような気がして
 部屋のカーテンを開けたら、どこかから覗かれているような気がして
 電話をしていたら、盗聴されている気がして

 …あぁ、この男だったのだ
 こいつの仕業だったのだ
 はぁはぁ、気持ち悪く呼吸しながら近づいてくる、この男
 こいつの仕業だったのだ、あの嫌な感じは


「…嫌」

 嫌だ
 いやだ

「嫌…来ないで…!」

 こんな気持ちの悪いストーカーに殺されるなんて
 絶対、嫌だ
 男は、口元に笑みを浮かべて
 折畳式のナイフを手に持って、にじり寄ってくる
 私は、壁を背にして、腰を抜かしてへたりこんでいて

 …あぁ
 私の助かる道なんてない

「いやぁっ……!来ないで……!」
「何故、そんな事を言うの?」

 気持ちの悪い声で、男は言う
 嫌だ
 嫌だ
 話し掛けるな

「来ないでよっ!このストーカー」
「どうして、そんなことを言うの?だって…」


「だって、僕を生み出したのは、あなただよ」


「……………え?」

 一瞬、言われた事を理解できなかった
 何を、言っているのだ
 何を、意味不明なことを言っている?

「僕を生み出したのは、あなただ。誰かに付きまとわれていると、誰かが監視していると、あなたは思い込んだから」

 そんなバカな
 確かに、私は誰かにずっと見張られていた
 後を付けられていた
 私は、ストーカー被害にあっていたのだ

「自意識過剰、だったのかもしれないね。ストーカーに対する恐怖、あなたはそれが強かった。存在しない、自分のストーカーに怯えるほど」

 じりじりと、男は近づいてくる
 ナイフを持った腕が、かたかたと震えていた

「あなたが恐れる事を…あなたが望む事を、僕は再現しているだけだ」

 私が望んだ!?
 何を、バカな事を!?
 ストーカーに殺される事なんて、誰が望むと言うんだ!?

「あなたは、可哀想な女性になりたいんだ。ストーカーに追い詰められて殺された、可哀想な女性に」

 違う違う違う違う違う違う違う違う!!

 私は、そんな事望んでいない!!!

「どんなに否定しても、心のどこかでそれを望んだから。僕がここにいる。あなたの前にいる……」

 男が
 私の、目の前まで来た

「…そして、僕はあなたを殺す」

 泣いているような笑顔を浮かべながら
 男は、私にナイフを振り下ろした


 翌日
 マンションの駐車場で、女性の死体が発見された
 女性は、前々からストーカー被害に悩み、警察に相談していたが、悲劇は防げなかった


「…防げる訳が、ないじゃないか」
 ニュースを報道しているマスコミを遠目に見つめながら、男は呟いた
 その体は…だんだん、透けていっている
 まるで、この世から消えようとしているかのように
「彼女が望んだから、こうなった。彼女は願いを叶えたんだ。世の中の同情を集める死にかたをした、かわいそうな女」
 生まれでた目的を果たして…男は、静かに消えていった


「……あぁ、また、僕は生まれてしまうのかなぁ?」


 そんな、どこか絶望したような呟きを、最後に残して



fin

11十話目:2007/03/28(水) 11:56:32
 絵を描いている、男の人が居ました。
 その人は、いつも公園で一人で絵を描いていて。
 朝から、晩まで、ずっとそこで絵を描いていました。
 女の子は、その人が絵を描いているのを見るのが大好きで。
 いつも、その様子をじっと見詰めていました。

 男の人は、いつも、色んな絵を描いています。
 公園の風景。
 公園を行き交う人々。
 雀や鳩、犬や猫の動物たち。
 それらは、まるで、風景をそのまま切り取ったような。
 その姿を、そのまま生き写したような。
 そんな、素晴らしい出来でした。

 ある日、女の子は気付きました。
 男の人の、描いている絵。
 風景の絵は特に変わったところはありませんが…人物や動物たちの絵が、何か変です。
 生き物の絵、その全てに。
 目が、描かれていないのです。
 とても精密に描かれた絵なのに、目だけ描かれていないのです。
 女の子は、不思議に思って。
 ある日、男の人に聞いて見ました。
 男の人は、ちょっと困ったように微笑んで。
 きょろきょろ辺りを見回して、あまり人がいない事を確認すると…小さな声で、言います。
「誰にも、内緒にしていてくれる?」
 女の子は、こくんと頷きました。
 すると、男の人は、ちょうど描いていた雀の絵に、目を描きこみました。

 その、瞬間。
 絵の中の雀が、ばたばたと羽ばたき始めました。
 そのまま、すぅっ、と絵を抜け出て。
 雀の群れに混じって、空を飛んでいきます。
 絵から抜け出た雀の姿は、あっと言う間に見えなくなってしまいました。

「こう、なってしまうからね」
 男の人は、また困ったように笑いました。
 目を入れると、その絵は動き出してしまう。
 生き物になってしまう。
 だから、目を入れないのだと、男の人は言います
 昔々に、怖い生き物の絵に目を入れてしまって、大変な目にあったのだそうです。

「誰にも、内緒だよ?」

 女の子は、この約束を護りました。
 目の前で起こった事なのに。
 確かに現実だったのに。
 それは、まるで夢の中の出来事のようで。
 女の子は、それを誰にも話す事ができなかったからです。


 そして。
 次の日から、男の人は、その公園からいなくなりました。
 その場所で描けるものは、描き尽くしてしまったのでしょう。

 きっと、今日もまた。
 どこかで、目の入っていない絵を描き続けているのだろうと。
 女の子は、大人になった今でも、それを信じているのです。



fin

12十一話目/前半:2007/04/09(月) 10:54:06
 ひゅうひゅう
 ひゅうひゅう

 風の強い日はご用心
 こんな日は、あいつが現れるから


 TVのニュースが、日常を伝えてくる。
 殺傷事件のニュースを日常に感じてしまうとは、もう末期だろう。
 だが、こう毎日そんなニュースばかり聞いていては、そうなるのも無理はあるまい。
 そう思いながら、鎌井は濃い緑茶を飲み干した。
 そろそろ家を出ないと、アルバイトに遅れてしまう。
 TVを消そうとした、その時。
 新たにキャスターが話し始めたニュースに、手が止まる。

『昨夜 8時頃、帰宅途中の女性が何者かで刃物で切りつけられる傷害事件が発生しました。
 警察では、一ヶ月前から発生している通り魔事件との関連を…』

「…やれやれ」
 本当に、困ったものだ。
 鎌井は、ぷつんとTVの電源を消して……口元に、何やら楽しげな笑みを浮かべた。



 こつん。
 こつん。
 静かな夜の住宅街。
 足音だけが響く。
 こつん。
 こつん。
 こつん。
 このところ、物騒だ。
 女性は、肩掛け鞄の紐をぎゅ、と握って、自宅へと急いだ。
 こつん。
 こつん。
 こつん。
 ……かつん。
 自分と違う足音に、女性は驚いたように顔をあげた。
 見ると、正面から若い男性が歩いてきている。
 手ぶらで、辺りをきょろきょろと見回しながら、ゆっくり歩いてきている。
 ちら、と失礼ながらその青年のズボンのポケットを見ても、特に膨らみは見えない。
 女性は、ほっと息を撫で下ろすと、早足でその青年とすれ違った。
 無事、すれ違いザマ斬り付けられたり殴られたりという事もなく、通り過ぎる。
「………あら?」
 家に付いてから…女性は、ふと首をかしげた。
 春に入ったとはいえ、まだまだ夜は薄手のジャンバーでも着ないと冷える時期。
 なのに、あの青年は、酷く軽装をしていたように思えたのだ。

「…何て言うか、面倒なんっすよね」
 女性が自分とすれ違って行ってから、鎌井はため息をついた。
 こつん、と。
 電柱の物陰から、あの女性の後をつけていた影が、姿を現す。
 帽子を深く被った、怪しげな男。
 その手には、ぎらりと光るナイフが握られていた。
「あんたっすか。このところの連続通り魔の犯人は」

13十一話目/後半:2007/04/09(月) 10:54:26
 男は、何も答えない。
 ただ、憎々しげに鎌井を見つめる。
 まるで、お前のせいで獲物を逃した、とでも言いたげに。
「そんな顔しないで欲しいっす。おいらは、あんたに忠告しに来たんだから」
「…自首でもしろと?」
 バカな事を言うな、と男は、ナイフを構えて鎌井に向かって突撃してくる。
 やれやれ、と。
 鎌井は、もう一度ため息をついた。
「駄目っすねぇ…そんなやり方じゃ」
 男が、鎌井に切りつけようとした、その瞬間。
 鎌井の姿が、掻き消えた。
 ばさっ、と、鎌井の着ていた服が、地面に落ちる。
「な……!?」
 男の目が、驚愕で見開かれたのは、そのせいだけじゃない。
 ナイフを持っている右腕の方の服の袖が…一瞬で、何かに切り刻まれて、布切れと化して散っていったからだ。
 まるで、すれ違いザマ刃物で滅多切りにされたように。
 その癖して、腕には傷一つついてない。
「駄目っすよ。人を傷つけるような事しちゃあ」
 ひゅうひゅう。
 ひゅうひゅう。
 風の音に混じって、鎌井の声が男の耳に届く。
「切るんなら、服だけにしなくちゃ。それでも我慢できないなら、せいぜい髪の毛までっすね。でも、女の人にとって髪は命らしいから、それは駄目っすよ?」
 ひゅうひゅう。
 ひゅうひゅう。
 風が渦巻き、その中心に現れた鎌井を見て…男は、悲鳴をあげた。
 巨大な。
 巨大な、鼬。
 その両手は、大きな鎌になっていて、腰から下はまるで幽霊のように透けている。
 鎌鼬。
 そんな妖怪の名前が、男の脳裏に浮かび上がった。
「おいら、昔から色々切ってきたけど、やっぱ人傷つけるのは駄目っすよ。切るのは服。それも、気付かれないよう、体は傷つけないのがコツっす」
 ひゅんっ!
 男の被っていた帽子が、一瞬で切り刻まれた。
 くるり、と鎌井は空中でターンして。
 今度は、男の頭髪を、一瞬で刈り取る。
「ひ………ひぃっ!」
「あんたみたいな悪い奴は、お仕置きっすよ。おいら流のやり方でね。おいら、服を切るくらいなら許せても、人間を切りつけるのは許せないっす」
 ひゅんっ!
 ひゅんっ!
 鎌井は、何度も何度も男に切りかかる。
 その度、男は悲鳴を上げるのだが。
 その悲鳴は、鎌井が巻き起こす風に巻き上げられるように、周囲の住民たちの耳には届く事がなかった。


 翌朝。
 鎌井は、この日も濃い緑茶を飲んでから、バイト先にでかけようとTVの電源を消そうとした。
 その時、話され始めたニュースに、手を止める。

『今朝5時頃、ジョギングをしていた会社員の男性が、道端で全裸で倒れている男性を発見し、警察に通報しました。
 警察の取調べの結果、その男性は一ヶ月前から発生している連続通り魔事件の犯人であると自供しました。
 男は、何やら意味不明な供述もしているとの事ですが、警察は容疑を固め次第逮捕に踏み切る方針で…』

「うん」
 良し。
 鎌井は、満足げに頷いて、TVの電源を消したのだった。

14十二話目:2007/05/11(金) 12:06:13
 彼は、腕を組んで悩んでいた。
 目の前には、まだ何も書かれていない調査報告書。
 依頼人は、今日の午後には結果を聞きに来るのだが。
 まだ、何も書けていないのだ。
「参った…」
 決して、手を抜いた訳ではない。
 むしろ、彼は依頼人の希望通り、しっかりと、一編の見落としも泣く調査したと自負できる。
 …しかし。
 だからこそ、この調査報告書に、結果を書き込む事ができないのだ。
 彼が悩んでいる間も、時計の針は無情にも時を刻み続けていて。
 タイムリミットは、刻一刻と迫ってきていた。

 話の始まりは、一週間前に遡る。
 探偵業を営んでいる彼は、ある時とある中小企業の会社社長夫人から、ある依頼を受けた。
 息子と交際している女性の事を、調べて欲しいのだと言う。
 よくある依頼だ。
 夫人がわかっている限りの女性の情報を受け取って、調査を開始した。
 女性は、夫人の息子と同じ会社に勤めているOLで。
 長い黒髪が美しい、なかなかの美人。
 勤務態度は真面目、夫人の息子との交際も今時珍しい程清らかなもの。
 後ろ暗い噂なし、他に男の影もなし。
 特に、問題はなさそうだった。

 しかし、調査しているうちに彼は気付いた。
 その女性の過去を調査しようとして…その女性に、一切の過去が存在していない事を。
 いや、実際は存在しているのだろう。
 だが、その過去は抹消されてしまっていて。
 どこにも、記録が残っていないのだ。
 出身地も、出身小学校や中学校も。
 以前、どう言う会社に勤めていたとか、そんな記録も。
 何も残っていなかったのだ。
 これは、おかしい。
 そう思って、彼は更に詳しく調査する事にした。

 そうしたら、ますます、何かおかしい事に気づいた。
 彼女の姿を写真に収めていて。
 時折、その姿が現像した写真に映っていない事があったのだ。
 レンズごしには、確かに姿が見えたのに。
 写真に、その美しい黒髪の美女の姿はなかった。
 これは、一体どう言う事なのだろう?
 彼は、悩んだ挙句。
 女性が暮らしているアパートの一室に、隠しカメラを仕掛ける事にした。
 このカメラに、何か真実が映ってくれるのではないか。
 そう、期待して。

 隠しカメラを仕掛けた翌日。
 彼は、カメラを回収し。
 それが映し出したものを見て、悲鳴をあげそうになった。
 途中までは、ごく普通の映像だった。
 会社から帰ってきた女性。
 簡単に夕食を作り、それを食べたら浴室へ。
 TVを流し見た後、自分の寝室に行き…
 深夜。
 再び、ふらふらとリビングに姿を現した女性は。
 何やら、大量に米を炊いて、握り飯を作り出した。
 できた握り飯をテーブルの上に置き。
 くる、と椅子に後ろ向きに座る女性。
 その、後頭部に。
 巨大な、鋭い歯をもつ口が現れた。
 長い黒髪が、まるで人間の手のように動いて握り飯を掴み。
 それを、後頭部の口へと運んでいく。
 がつがつ。
 むしゃむしゃと。
 軽く8人前はあってあろう握り飯を、女性は後頭部の口でぺろりとたいらげてしまった。
 女性は、満足した様子で。
 また、寝室へと戻っていく…
 隠しカメラが収めていたのは、そんな映像だった。

 …そして、今に至る。
 彼は、女性の真実を見た。
 彼女がどんな人間なのか……いや、人間ではない事を、知った。
 まだ子供だった頃、本で読んだ「食わず女房」と言う話に出てきていた、後頭部に口を持った女の妖怪。
 あの女性は、まさにその妖怪そのものだったのだ。
 あの話では、最後に妖怪は夫すらも食ってしまおうとしていたが。
 果たして、あの女性はどうなのだろうか?
 普段の生活から見るに、そんな恐ろしい一面を隠しているとは、全く思えないのだが…
「はぁ……」
 彼は、ため息をついた。
 依頼人が調査結果を聞きに来る時間は、刻一刻と迫ってきている。
 しかし、調べた結果を書く気になれない。
 報告する気になれない。
 しかし、探偵として、調べた結果は正確に報告しなければ……
 彼は、深い、深いため息をついて。
 真っ白な調査報告書と向き合っていたのだった。




15十三話目:2008/01/30(水) 10:20:16
 暗い、暗い、真夜中の事。
 液の駐輪場に、一台の自転車が停められていました。
 古そうな、けれど、大事そうに大事そうに扱われてきた事が、見ただけでわかるような自転車。
 けれど…その自転車には、鍵がかけられていませんでした。
 このご時世に無用心な事に、チェーンロックすらされていません。
 案の定、その日の夜、自転車は一人の若者が、持ち主でもないのに勝手に持ち出して行ってしまいました。

 若者は、鼻歌を歌いながら、自転車を走らせています。
 無断で自転車を持ち出した、つまりは泥棒の癖に、まったく良心の呵責を感じていません。
 悪い事をした、という意識はまったくないようです。
 適当に乗っていって、適当な場所で乗り捨てるつもりなのでしょう。
 丁寧に扱おうともせず、乱暴に運転しています。
 途中、人を轢き掛けても気にしないどころか、相手に罵声を浴びせる始末です。

 ……ナクチャ

「……ん?」
 …何か、声が聞こえたような。
 そんな気がして、若者は自転車を止めました。
 辺りを見回しますが、周囲には誰も居ません。
 辺りの民家も明かりだって、ほとんど消えている時間帯です。
 気のせいか。
 そう判断して、若者は再び自転車を走らせ始めました。

 ………ラナクチャ

「………?」
 また、何か声が聞こえた気がします。
 けれど、気のせいだ、と自分自身に言い聞かせ、自転車を走らせ続けます。

 …カエラナクチャ

「………!?」
 はっきりと
 はっきりと、声は、若者の耳に届きました。
 ぎっ!と急ブレーキをかけて、若者は辺りを見回します。
「だ、誰だよ!?」
 誰かの悪戯だ。
 そう、思ったようです。
 けれど、辺りには、若者以外、人間は誰もいません。

 ……カエラナクチャ、チャント、マッテテアゲナクチャ……

「…ひぃぃ!?」
 どこからか聞こえてくる、声。
 その声に恐怖を感じて…若者は、とにかく自転車で逃げ出そうとしました。
 けれど…
「……な!?」
 自転車は…ぐるり、方向を変えて。
 若者の意思とは無関係に、走り出しました。
 若者がペダルをこいでもいないのに、勝手に走り続けます。

 カエラナクチャ、マッテテアゲナクチャ、アスモチャント、ブジニオクリトドケナキャ

「な……な……!?」
 …若者は、気づきました。
 握っていたサドルが…ぐにゃり、柔らかくなってきた事に。
 ライトが、チカチカ点滅しだして…その中央に、ぎょろり、と目玉が生えてきた事に。
 タイヤの中央から、カチャカチャと……骨のような、細い細い、役に立つのかどうかわからない、手のような物が、生えてきた事に。

 カエラナクチャ、ハヤクハヤク、カエラナクチャ…

「ひ、ひぃぃぃぃぃ!!??」
 深夜の住宅街に、若者の絶叫が響き渡りました。
 けれど、こんな時間帯。
 トラブルに巻き込まれることを嫌がっているのでしょうか、それとも、眠っていて誰も聞いていないのでしょうか。
 誰も、出てきてくれないし、助けてもくれません。
 自転車は、その間も勝手に走り続けて…やがて、カーブで勢いよく、方向転換します。
「……あだっ!?」
 その瞬間、若者の体は、自転車からぽ〜ん、と放り出されて。
 道路に落下して…そのまま、痛みやら恐怖やらで、気絶してしまいました。

 カエラナクチャ、カエラナクチャ……

 自転車は、若者を放り出した後も。
 呟きながら、一人で走り続けていました。


 わいわい、騒がしくなってきた朝の駅。
 電車を降りた少年は、駐輪場へと向かいました。
 そこには、いつも通り、少年の大切な大切な自転車が、少年を待っています。
「おはよう、今日もよろしくね」
 そう言って、少年は自転車のサドルを優しく撫でました。
 鍵をかけていないそれに乗って、走り出します。

 ……ウン、キョウモヨロシクネ

「…え?」
 一瞬、自転車から声が聞こえた気がして。
 少年は、一瞬、首を傾げました。
「…うん。よろしくね」
 でも、すぐに自転車にそう言って、笑って。
 少年は、学校に向かって、自転車を走らせていったのでした。



fin

16十四話目 前半:2008/05/30(金) 11:29:11
 差し伸べられた手。
 自分は、その手を掴んだつもりだった。
 …しかし。
 本当は、その手をとってはいなかったのだろう。
 ……取れるわけが、なかったのだ。
 自分が、誰かの手を取れるわけがない。
 この手は、全てを切り裂いてしまうのだから。

 ……ことん。
 静かに、青年は花切り鋏を床に置いた。
 目の前にあるのは、見事に活けられた、花。
 美しく活けられたその花は…たとえ、いけばなの知識がなくとも、素晴らしい、と感じるものだ。
 見るものを魅了し、惹き付ける。
「…ふむ」
 それを前に、老人は満足そうだった。
 青年はじっと老人を見詰め、次の言葉を待つ。
 薄い、少しくすんだ灰色を地とした、所々、黒ずんだ不規則な模様のついた着物を身につけている青年。
 誰かが、大切に大切に来ていた者を、譲り受けてきているような印象を受ける。
 それに対し、老人が着ている着物は、随分と新しい物のようだった。
 黒の地に、金の糸で細かく、見事な刺繍が施された…随分と高そうな物で、新調したばかりのもののようだ。見るものが見れば、成金趣味と思われかねないデザインだ。
 その老人は、酷く、酷く満足そうに笑う。
「いやいや…流石だ、沢瀉君。これなら、次の家元は君に任せて問題あるまい」
「…ありがとうございます」
 沢瀉と呼ばれた青年は、恭しく頭を下げた。
 老人は、カラカラと笑ってくる。
 沢瀉は、静かに頭を下げ続けながら…
「…家元」
「ん?何だね?」
 上機嫌な老人は、気づいていない。
 沢瀉の声から…一歳の感情が、消え去った事に。
「萩原 芙蓉、と言う名前に、聞き覚えは?」
「……うん?」
 ぴたり。
 老人は、笑うのをやめた。
 不快なことでも思い出したかのように、顔をしかめる。
 怪訝な表情を浮かべて、頭を下げたままの沢瀉を睨みつけた北。
「…何故、その名前を知っている?」
「………それは」
 す、と沢瀉は顔をあげた。
 その瞳に宿るのは、決意。
 その決意の名は…殺意。
「…あなたに追い詰められて殺された、亡き、主の名だからだっ!」
 老人は、予想だにもしなかっただろう。
 目の前の青年の両手が…ぎらり、鋭い光を放つ、刃物へと変わっている事など。
 そして、その刃が…己の首を、まるで花を切り落としてしまう花切りバサミの用に狙ってくる、などと。
 カケラも、予想だにしてはおらず……反応など、できる訳がなかった。

 ……っガ!
「………!?」
 …止められた。
 誰が?
 己の、この刃を受け止めるなんて。
 人間の力では…それも、こんな老人が、止められるはずが…
「…手?」
 手
 白い、白い、細い手が…沢瀉の刃と化した両手を受け止めていた。
 ひっ、と憎き仇が短く悲鳴をあげる。
 黒に金の刺繍が施された男物の着物が、見る見るうちに、白地に淡い桜の模様が入った女物の着物へと変わっていく。
「な…ぜ…」
 何故
 何故、この場に来て?
 ひぃぃぃ、と憎き仇が悲鳴をあげ続けている。
「ば……け、も……の……!!」
 がくり
 理解の範疇を超えた存在二人を前2、憎き仇は意識を手放した。
 ふぅ、と沢瀉はため息をついて、す、と白く美しい手から、己の物騒な両手を離す。
「…失礼な男だ。君のような美しい女性の手を見て、化け物などと」
「…憧さん」
 愛しい女性が、憎き仇を抱えて、こちらに向き直る。
 人の姿を得てから、初めて出会った同族。
 同じ、人ならざる者…妖怪。
 けれど、自分と違って…人間を憎む事を知らぬ、純真な女性。
 その真の姿の、桜の刺繍の用に、心も美しい、愛しい小袖の手。
「桜、その男を放すんだ。僕は、君を傷つけたくないんだ」
「駄目!お願い、やめて憧さん!」
 ふわり、美しい着物が、しっかりと憎い憎い仇を包み込み、護っている。
 あぁ、どうして。
 どうしてなのだ。
 どうして、彼女なのだ。
 彼女じゃなければ…そいつごと、あの憎み仇を切り裂く事ができるのに。
 どうして…
「何故…君が来たんだろう」
「憧さん…」
「何故、僕の邪魔をするのが、君なんだろう」
 唯一、自分が心を許した相手。

17十四話目 前半:2008/05/30(金) 11:30:22
 復讐心のみを抱えて生まれた自分に、愛という感情を教えてくれた相手。
 よりにもよって、彼女が自分の復讐の邪魔をしてくるなんて。
 なんと言う、運命の思し召しだ。
「頼む、頼むから…その男を、放してくれ、桜。このままでは、その男を殺すのに、君まで傷つけてしまう」
「駄目、駄目!憧さん、どうして、この人間を殺そうとするの?どうして?」
 桜が、こちらを見つめてきているのがわかる。
 本来の姿に戻ったあの姿では、目など持っていないのに、それでも…彼女の視線を。
 彼女の涙を、感じて。
 ズキリ。
 体のどこかに、痛みを感じた気がした。
「…仇、だからだよ。僕の主様を、死へと追い詰めた」
 す…と、沢瀉は右腕を人間の腕に戻した。
 そっと、己の着物についた、黒の模様に触れる。
 追い詰められて、追い詰められて…何もかも、全て、奪われて。
 とうとう、自ら、命を絶ってしまった、かつての自分の使い手。
 当時、まだ自我を持っていなかった自分を使い…首筋をすぱり、深く傷つけて。
 ぱっ、と真っ赤な血が飛び散って…己の体と、その時主が着ていた灰色の着物は、真紅の血で汚れていった。
 …その、瞬間だった。
 己に、自我と言う物が芽生えたのは。
 じゃきり、沢瀉は再び、腕を刃へと戻す。
「桜、頼む。僕は、その男を殺す為に生まれてきたんだ。ただ、そのためだけに、僕は命を得た。今から、その生まれてきた目的を、果たすんだ」
「憧さん…!」
 桜は頑なに仇を護ろうとしている。
 沢瀉と違い、人間を護る為に生まれた桜、人間を憎む事を知らない桜。
 沢瀉の決意を、彼女は真正面から否定する。
 あぁ、もう…覚悟を決めるしか、ないのだろうか。
 愛しい相手を、傷つけることになってでも…仇を討つ、覚悟を。
「…桜」
 ぎらり、両の腕を交差させる。
 両の刃が組み合わさった、その様子は…鋏、その物だ。
「教えてくれない会?どうして、今日、僕の前に?いつから、何故、その男の着物に化けていたんだい?」
「…私…」
 視線が、交差する。
 ずしり、何かが重く、重く、肩にのしかかってくるような錯覚。
 桜は…静かに、静かに、沢瀉の問いに答えてくる。
「憧さんの様子が…おかしかったから」
「僕の?」
「はい…憧さん、最近、何か思いつめているようで…心配で…」
 ぎゅう、と両手を握り緊める桜。
 辛そうに、彼女は続けてくる。
「だから…だから、私。あなたの傍にいたくて。貴方のそばで、貴方を見守りたくて…貴方が、今日、家元とお会いする事は知っていましたから…」
 あぁ、そうか。
 だから、この屋敷に忍び込んで、着物の中に紛れ込んだと言うのか。
 大人しいぃ彼女が、そこまでするなんて。
「…憧さん、お願いです。どうか、思い直してください」
 す、と桜の細い手が、差し伸べられる。
 …あの人同じ。
 桜と初めて出会ったときと同じように。
 あの時も、桜は沢瀉に手を差し伸べてきた。
 あの日…自分は、その手をとったつもりだった
 そう、思い込もうとした。
 そう、信じさせようと下。
 人間に復讐するには、時間がかかる。
 復讐する前に…人間に味方する妖怪に退治されてしまっては意味がない。
 だから、人間の味方をする妖怪達の中に、紛れ込もうとした。
 復讐を果たす、その目的のために。
(…だが)
 刃を向けたまま、沢瀉は桜を見つめる。
 …ただ、表向きだけのつもりだった。
 仲間に入り込んだ不利をするだけ、それだけのつもりだったのに。
 けれど、いつからだっただろう?
 その現状に、安らぎを感じる様になったのは。
 いつかは裏切る事になる、そう、わかっていたのに…何故、桜を愛するようになったのだろう。
 差し伸べられた手。
 その手をとる事はできないと、わかっていたはずだ。
 この、人を殺す為の刃の手が、誰かの手をとることなど…できるはずがない、と。
「駄目だよ、桜。僕は、ずっとそいつを殺す為だけに、生きてきたんだから」
「憧…さん」
「…でも、ね。桜」
 ふっ、と、沢瀉は笑って見せた。
 あぁ、こんな状況だと言うのに、笑う事ができるだなんて。
 自分は、狂っているのだろうか?
 ……いや、違う。

18十四話目 真ん中その二:2008/05/30(金) 11:32:41
 生まれてきた、その瞬間から、すでに自分は狂っていたのだ。
「でも…君と一緒の時間は、その事すら、忘れていたよ」
「………」
「君といる時間は、楽しくて…幸せだった」
 まだ、自分が物言わぬ、ただの花切りバサミだった頃。
 その頃が、酷く幸せだったのを覚えている。
 だが、もしかしたら、その頃の思い出よりも…ずっと、ずっと。
 桜と過ごした時間は、幸せだったのだ。
「僕は、復習の為なら、誰を傷つけても構わないと、そう考えていた」
「…」
「でも…君だけは、違うんだ。絶対に、傷つけたくない」
 花を切るために生み出されたはずの自分。
 復讐の為、その対象を人に変え、何もかも切り裂いてやろうと考えた自分。
 しかし、彼女だけは。
 彼女と言う花だけは、切りたくない。
「君だけは、傷つけたくないんだ、だから…」
 沢瀉の両ぅでゃ、桜が包み込んでいる、己の仇へとむけたまま。
 桜が、仇から一瞬でも、離れてくれれば…その、瞬間。
 あの首を、一瞬で切り落としてやるのだ。
「だから、桜。頼むから…」
「…駄目」
 ゆらり
 桜の体の裾が、揺れる、
「あなたに何と言われようとも…貴方に、人間を殺させません」
 あぁ、大人しいけれど、意志が強い桜。
 決して、こちらの言葉に惑わされはしないのだろう。
 こんな彼女だからこそ…きっと、自分は惹かれたのだ。
 …一歩。
 彼女が、こちらに近づいてくる、
 こちらに差し伸べられた手。
 真っ直ぐに、真っ直ぐに…まるで、こちらを射抜かんとしているよう。
「何故、そこまで?そこまでして、その人間に、護る価値なんて…」
「…っ私は!」
 …きらり
 彼女の周囲で…何かが、光った。
 きらり、きらり
 それが、彼女をぬらす、彼女の涙だと気づくのに…そう、時間はかからなかった。
「私は…あなたに、人殺しになってほしくない!」
「さ…くら…」
「ずっと、あなたの傍にいたいから…貴方と、いつまでも一緒にいたいから…!」
 ぐらり。
 思考が揺れる。
 また、一歩、彼女が近づいてくるのが見えて。
 …動けない。
 近づいてくる彼女から、自分は、距離をとるべきなのに。
 近づいてくる彼女から、彼女が差し伸べてくる、その手から…目を逸らす事が、できない。
「お願い、憧さん…復讐なんて、やめて。人間を殺そうだなんて…考えないで」
 頼む。
 そんな、悲しそうな声、出さないでくれ。
 そんな、苦しそうな声、出さないでくれ。
 ぐらり、ぐらり。
 沢瀉の思考は揺れ揺れる。
「私が、ずっと傍に居ます。吹く朱なんてさせない、あなたに、そんなかなシコと、させない!!」
 桜の白い、細い指先が…沢瀉の鋭い刃の手に触れてきた。

 …触れないで、くれ。
 君が、傷ついてしまうから。
 この腕は、君を傷つけるために手に入れた力じゃない。

「…僕は」
 自分は
 何を、死体?
 仇を殺し、復讐を成し遂げる
 しかし、今、それを実行すれば…この世で、唯一心を許し、愛する女性を傷つけ…悲しませてしまう
 自分は、復讐の為に生まれて
 …しかし

19十四話目 後半:2008/05/30(金) 11:33:20
 彼女と共に過ごした、あの時間だけは…復讐を、かんがえていなかったではないか?
 己を愛してくれた女性。
 彼女を悲しませてまで、復讐を成し遂げるべきなのか?
「憧さん……お願い……」
「…桜…」
 ぐっしょりと濡れている、桜の体。
 あぁ…彼女が泣いている姿だけは、見たくなかったのに。
 桜が泣かないよう、護ってやりたいと、そう、考えたはずなのに。
 自分が、泣かせてしまうだなんて。
「…すまない…桜」
 す…と。
 沢瀉は、右腕を振り上げた。
 もう、花だけじゃない、生き物の命も刈り取る事ができる大きな刃の腕。
 桜が、咄嗟に仇を護るような体勢をとったのを見て…沢瀉は、ふっと、笑みを浮かべた。
 せめて、最後は…絵ガを、見せたかったから。
「さよなら。僕の、愛しい人」
 そう、呟いて。
「………っ!?」
 沢瀉は、その刃の切っ先を。
「……っ駄目ぇえええええ!!!」
 己の、心臓へと…深々と、突き刺した。
 ぐらり
 視界が、一瞬で揺らぎ始める。
 沢瀉の体は、ぐらりと仰向けに倒れていって。
 …桜が、仇から離れ、こちらに手を伸ばしてくれたのを、最後に見届けて。
 沢瀉は満足したように笑って…その意識を、浮かび上がる事のできぬ深い深い闇の底へと、沈めていった。


「それでは、言ってまいります」
 カラカラ
 店の勝手口の戸を開けながら、桜は店内に声をかけた。
 退屈そうにしていた店長が、顔をあげてくる。
「いってらっしゃい、夕食はどうするの?」
「あ。お願いできますか?」
 わかったわ、と店長は笑ってくる。
 カラコロ、ポックリで軽やかな音を立てながら、桜は歩き出した。
 沢瀉に影響されて、通うようになった生け花教室。
 今でも、休む事無く通っている。
「…今日も、一緒に頑張りましょうね、憧さん」
 そっと、着物の懐に入れた花切りバサミに、桜はそう語りかけた。
 少し刃が欠けてしまった、花切りバサミ。
 また、再び…命を宿してくれる日が来ることを、信じて。
 今日も、一日…一緒に、頑張っていこう。
 カラコロ、カラコロ。
 ぽっくりを鳴らしながら、恋人を失ったばかりの一人の妖怪が、人々の雑沓の中へと消えていった。



fin

20十五話目・1:2008/10/26(日) 22:09:15
 可愛らしい、女の子向けの雑貨が並べられた店内
 そこに入った少女は、おや?と小さく首をかしげた
 この店内に、酷く不釣合いな印象を受ける人物が、視界に飛び込んできたからだ
 店内の奥に、人の話を聞くのが好きな店主がちょっとしたテーブルと椅子を置いているのだが…そこに、少女の祖父程の年齢の、男性の姿が見えたからだ
 和服に身を包み、手には古めかしいパイプを手にしている
 テーブルに置かれているこげ茶色の帽子も、この老人の物だろうか
 愛らしいファンシーな雑貨が並ぶ店内で、この老人は明らかに異質だった
「……おや、お客さんが来たようだな」
 老人の言葉に、店主の女性が顔をあげる
 少女の姿に気づいて、やんわりと微笑みかけてきた
 少女は、慌ててぺこり、頭を下げる
 老人も、少女に軽く頭を下げてきて…す、と杖を手にして、立ち上がる
「それじゃあ、俺はこれで。またな、美樹」
「………」
 店主は、老人に微笑みかけ、小さく頷いている
 …昔、病気をしただかで、声が出ないのだ、という話を少女は店主自身から聞いている
 この老人も、その事情を知っているのだろう
 女性に笑いかけ、店を後にしていった
 …少し、タイミングが悪かっただろうか
 少女は、店主に駆け寄って、そう尋ねたのだが
 女性は大丈夫、とでも言いたそうに微笑んで…す、とテーブルの上に置かれている、ある物を指差した
 …それは高そうな、立派なライター
 金色の蝶の半身の刻印が刻み込まれた、銀色のライターだ
 どう見てもこの店の売り物ではない、店の雰囲気には、全く似合わないものだ
「……あ、忘れ物?」
 こくり、肯定するように店主は頷く
 なるほど、忘れ物をしたのなら、後で取りに来るはずだ
 そうやって取りにきたら、また、話を聞くのだろう
 この店主は、人の話を聞くのが、大好きだから
 ちょっと待っててね、というように微笑んで、店の奥に何かを取りに向かう店主
 少女は、先ほどまで老人が座っていた席に、ぺたり、座らせてもらう
 …さぁ、今日はどんな話をしようか
 どうせ話すなら、楽しい話題の方がいいのだけれども……やはり、話すべきは、最近続いている連続放火事件の話にしよう
 もう、何件も続いている放火事件
 段々と、この商店街の辺りに近づいてきているし
 この店の店主は、少々世間ズレしていると言うか…テレビや新聞を、あまり見ないらしいから
 なんだか、心配だ
 友達の近所でも、その事件があったから…少女としては、この事件の恐ろしさを、仲のいいこの店主に教えてあげなくちゃ!と妙な使命感に燃えてみせる
 紅茶と手作りのプリンを持ってきてくれた店主
 彼女が席についたのを合図に、少女はおしゃべりを開始した

 …一瞬
 ほんの、一瞬だけ
 テーブルの上に置き忘れられたライターの蝶の刻印が、動いた事に
 幸か不幸か、少女は全く気づいていないのだった

 かつん、かつん
 暗闇の中、足音が響く
 ぽぅ、と暗闇に浮かび上がるのは、銀色のライダースーツと、白い顔
 端整な顔立ちだが、血の気が失せたような、白い顔の青年が、一人、暗闇の中をゆっくりと歩いていっている
 かつん、かつん……
 ………
 足音が、止まる
 立ち止まった青年、その視界に映るのは、道端に放置さえた古新聞の束
 明日にでも、回収されていくであろう、それ
 青年は、その古新聞の束をじっと見つめ…
 ………っぽ、と
 青年の右手が、燃え始めた
 しかし、青年は熱さも、苦痛も感じている様子はなく
 無表情のまま、その炎に包まれた右手を、古新聞の束に向かって振り下ろそうと……

 ……かつんっ

 乾いた音が、辺りに響く

21十五話目・2:2008/10/26(日) 22:22:44
 はっ、と我に帰ったように、青年は顔をあげた
 視線の先、街灯に照らされて…老人の姿が、浮かび上がる
 こげ茶色の帽子を目深に被り、杖を手に、こちらを見つめてきているいるようだった
 老人は青年を見つめながら、和服の裾から古びたパイプを取り出し…ふぅ、と口に咥え、煙を吐き出す
「…こんな所で火遊びたぁ、物騒じゃねぇか」
 青年の右手が燃えている事実に恐怖を抱いた様子もなく、そう呟いてくる老人
 何故、恐怖を抱かないのか?
 そんな疑問を抱いたが…しかし、その疑問を、青年はすぐに頭から追い出す
 …見られた
 目撃されてしまった
 ならば、消すだけだ
 骨も残さず、灰も残さず…焼き尽くしてやる
 青年の右手の炎の強さが、勢いを増していく
 炎は、青年の腕を伝って方まで包み込み、激しく燃え上がる
 ざわり、青年の髪が逆立ち始め、瞬間、髪が炎へと変化する
 まるで、ライターが、発火したかのように
 そして、青年の背中から…ぽぅ、と蝶の羽が、片側だけ生えた
 暗闇の中、神秘的とでもいえそうな光を放つ、金色の蝶の片羽
「……燃えろ」
 ぽつり、呟くような青年の声に、答えるように
 青年の腕を包み込んでいた炎はぐにゃり、とうねり、青年に向かって、獲物を飲み込まんとする蛇の用に、襲いかかっていった

 …ふぅ、と
 老人は、肺から煙を吐き出した
 目前まで炎が迫ってきても、逃げる様子はなく、だからといって、腰を抜かしているわけでもない
 恐怖など、まるで感じていない、そんな様子で
 ……ただ、袂から、ポロリ、と
 意図的に、銀色のライターを落として
 そのライターが、一瞬で炎に包まれた
 炎は瞬時に人型を形成して行き、老人に襲いかかろうとしていた炎を片手で受け止める
 青年の瞳が、驚愕で見開かれる
 人型をとった炎は、ゆっくり、火の勢いを弱めていって…中から、人影が現れた
 中から現れたのは、女性
 青年が着ているのと、全く同じ銀色のライダースーツを身に纏い、その背中からは青年と対になっているかのように、金色の蝶の片羽が生えている
 髪が、めらめら燃える炎になっている事まで、まるで同じ
 ただ違うのは、青年は右腕から炎を発しているのに対し、女性は左腕から炎を発しているという点と、金色の片羽もまた、青年は右羽、女性は左羽と言う点だけ
 まるで、双子であるかのように、ソックリな二人
 青年は、無表情に戻り…静かに、女性を見つめる
「…炎羅」
「炎寿、もうやめて!!」
 炎羅と呼ばれた女性が、悲痛な叫び声をあげた
 炎寿と呼ばれた青年は、静かに炎羅を睨みつけてくる
「何を、しに来た」
「あなたを、止めにきたの…もうやめて、炎寿」
 金色の蝶の羽、片羽同士、向かい合う
 きらきら、きらきら、暗闇の中で、金色の羽が輝きあう
 炎羅の必死の叫びに、しかし、炎寿は耳を貸そうとしない
「何故?人間なんて、存在していても意味などないのだから。燃やしてしまっても構わないだろう?」
「…違う!駄目よ、そんな事させない!」
 じゃり、と
 炎羅は、アスファルトの地面を踏みしめた
 いつでも、炎寿に飛びかかれるように、体勢を整える
「駄目?何故だ?俺達は、燃やす為に生まれてきたんだ」
 めら、と炎寿のまとう炎の勢いが増していく
 まるで、炎寿の表情に表れない感情が、炎に表れているかのように
 表情は鉄仮面のように微動だにしないと言うのに、反面、炎は酷く正直に、炎寿の感情を表していた
「燃やすんだ、何もかも。炎は、全てを燃やし尽くすものだろう?そして、俺たちはその炎を生み出す力があるんだ。目にはいるもの、全て、燃やし尽くしてしまえばいい」
 その、無表情だった顔に…ようやく、浮かび上がった感情は、狂気か、はたまた、怒りか
「人間なんて、燃やし尽くしてやるべきだ。俺達を生み出したのは人間だと言うのに、人間は俺達を化け物扱いする、俺達を受け入れない」
 燃える
 燃える燃える燃える燃える燃える
 炎寿の腕の炎が、激しく、激しく燃え狂う
「…心を得た俺達を、受け入れない。ただの物だった俺達が心を得て、命を得ても、あいつらは受け入れない。受け入れないと言うのなら…認めてくれないのなら、燃やしてしまって構わないだろう?」
「駄目よ!そんな事言って、あなたは何かしら言い訳をして、何かを燃やそうとしているだけじゃない!」
 炎寿の炎に対抗するように、炎羅の炎も激しさを増していく
 …そして
 二人の、金色の羽もまた、きらきらと
 その輝きを、ドンドン、ドンドン増していっていた

22十五話目・3:2008/10/26(日) 22:34:03
「これ以上、あなたの好きにはさせない!あなたを倒してでも、止めてみせる!!」
 激しく、激しく燃え上がる二人の炎
 …もはや、話し合うことでわかりあう事など、不可能だ
 そうとでも言うように、二人の炎がぶつかり合った
 激しく、二つの炎がぶつかり合い、辺り一面が明るく照らされる
 真夜中とは言え、長く続けていたら、周辺住民に気づかれてしまうかもしれない
 早期決着で済ませようと、炎羅は炎の勢いを一気に強めて…
「………え?」
 …しかし
 ぶつかり合う二つの炎、からみあい、皿に激しく燃え上がるその炎は…一行に、炎羅の有利にならない
 どころか…じょじょに、じょじょに
 炎羅の炎は、炎寿の炎に押され始めた
 地面を踏みしめ、耐えようとするが…無情にも、炎寿の炎は炎羅に迫ってくる
「…終わりだ、炎羅」
「!?」
 とうとう、炎寿の炎が…完全に、炎羅の炎を飲み込んだ
 炎寿の炎は、まるで暴れ龍のように荒れ狂い、炎羅と、その背後に立つ老人に向かって牙をむいた
 今度こそ飲み込んでやる、とそうとでも言うように、二人に襲い掛かる
 ……ふぅ、と
 老人は、小さくため息をついて、咥えていたパイプから、煙を吐き出した
 直後、ぶわ!!と
 物凄い勢いで、パイプから黒煙が噴出す
 通常の、自然の、煙ではない
 まるで生き物の用に動き、炎寿の煙とぶつかり合う
「な…!?」
 もくもく、止まる事無く生み出される煙は、炎を押していって…
 …炎は、煙に完全に押し切られ、消滅した
「……っは」
 老人は、その口元に意地の悪い笑みを浮かべた
 その体は、何時の間にか黒煙に包み込まれてきていて
 …いや
 体が、黒煙へと変化していっている
 最早、人の部分が残っているのは顔と、パイプと杖を持つ手の部分だけだ
 そして、そのパイプからは、いまだ止まる事無く煙が溢れ続けていて
 煙はそのまま、炎寿に向かって、風に流されて行く訳でもなく流れて行く
 何かを感じたように、炎寿は慌てて後ずさったが…もう、遅い
 実体がないはずの黒煙は、しかし、炎寿の体に纏わりついて、その動きを束縛し始めた
 かの国の神話で、巨狼を縛り上げた縄のように、それは強固に、強固に、炎寿を縛り上げる
「大丈夫か?炎羅」
「は、はい、猛さん」
 ふわり、己の前へと出てきた老人…猛に、炎羅は頷いた
 余裕じみた笑みを浮かべ続ける猛の手の中のパイプが、炎寿たちの炎に照らされ、どこか不気味な光沢を放つ
 炎寿は、ようやく理解した
 目の前にいるこの存在も、また、自分たちと同じ存在であると
 人々の思いを受けて生を得た妖怪、付喪神である、と
「…貴様、同類か!」
「ようやく気づいたか。まぁ、一見見抜けんかったろう?たかが数十年しか生きてない餓鬼とは、年季が違うからな」
 くくく、と猛は意地悪く、意地悪く笑った
 パイプから噴出す黒煙は、いまだ途切れる様子がなく、周囲を完全に包み込む
 まるで、この場に人間を近づかせないようにしているかのように
 その煙を維持したまま、猛は続けてくる
「炎羅が、自分の半身が起こしている事件だから、自分で止めたいって言い張るんでな。手ぇ出す気はなかったんだが…」
「貴様も、俺の邪魔をするのか……!」
 ざわり
 公園で縛り上げられてもなお、背中の金色の片羽の光は、強さを増していっていた
 だが、その羽で黒煙を断ち切ることができる訳でもなく
 そうであっても、あがくように羽は光り続けていた
「そりゃあな、同じ妖怪として、放火なんて目立つ上に人死にが出かねないような事する輩を、放っておく訳にゃあいかねぇだろ。こちとら、のんびり人間として隠居生活楽しみたいんだからよ」
 すぅ、と
 猛の目が、細められた
 パイプから生み出される黒煙の量が、ぶわり、増していった
 そして、その黒煙はゆっくり、ゆっくりと…炎寿の体を、包み込みはじめる
「まぁ、少し眠っとけ、なぁに、殺す訳じゃねぇんだから、安心して寝とけ」
「………!」
 ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと、黒煙は、炎寿の体を覆い続ける
 炎寿の体が、完全に黒煙に覆われようとした………その、瞬間だった
 視界に、光が満ちる
 炎寿の背中の金色の片羽が激しく光りだして、巨大化していく
 その羽は、黒煙の中で激しく羽ばたき……黒煙を切り裂いた
「た、猛さん!?」
「む……?」
 危険を感じ、猛は黒煙を炎寿から離れさせていった
 …ずきり、金色の片羽に切り裂かれた場所に、痛みを感じる
 ばさり、ばさり
 そのまま激しく羽を羽ばたかせて、炎寿の体はふわり、宙に浮かび上がった

23十五話目・4:2008/10/26(日) 22:35:09
 痛みを堪えながら、それでも猛は、どこか楽しそうな笑みを浮かべて言ってやる
「…面白ぇ能力持ってるじゃねぇか。てっきり、炎羅と同じ事しかできねぇと思ってたんだが」
「俺は、炎羅とは、違う」
 猛の言葉に、炎羅はどこか邪悪な笑みを口元に浮かべて答えた
 …しかし、その笑みに、どこか悲しげな色が混じっているように見えたのは、果たして気のせいなのか?
「炎羅のように、人間の為に動くつもりは、もうない。俺は、燃やす。何もかも全て、この世の全てを燃やしきる。そのためにも……もっと、力をつける」
 ぎろり、炎寿は炎羅をにらみつけた
 金色の、蝶の右羽
 金色の、蝶の左羽
 二人で一対になるはずの、金色の蝶の羽
 しかし、今は二人の力量差をあらわすように、大きさも、輝きも、全く違ってしまっていた
「だから、邪魔をするな、炎羅。もう、二度と…俺の前に、現れるな」
「炎寿!」
「…今度、俺の前に立ちはだかったら…」
 金色の片羽、その輝きが…一瞬、揺れた
「…その時は、殺す」
「炎寿…駄目よ、炎寿!!」
 叫び、炎羅は炎寿に向かって手を伸ばす
 だが、空高く飛ぶ炎寿に、その手は届かない
 炎寿はそのまま、片羽を羽ばたかせて……夜の闇へと、溶け込むように消えて行ってしまった

 …ぺたり
 炎羅が、その場に座り込む
 炎のように燃え盛っていた髪が、美しい黒髪に変化して…ぱさり、彼女の肩にたれる
「…炎羅」
「……………」
 ただ、炎寿の消えていった空を見上げ続ける炎羅
 その顔に浮かぶのは、己の無力さを嘆く表情
 己の半身を止められなかった、後悔
 猛は、彼女の肩に手を伸ばそうとして…しかし、何かを感じて、手を止めた
 直後、炎羅の背中の片羽の輝きが強くなり、皿に、黒髪が炎に戻り、激しく、激しく燃え上がる
「…止める。止めて、見せる」
 口から漏れ出すのは、決意の言葉
 炎は、止まる事無く、激しさを増して燃え上がっていく
「絶対、絶対、止めてみせる!炎寿になんと言われようと、絶対、止めてみせる!!」
 強い強い、決意
 炎羅の決意を表しているように、炎も、羽の輝きも、強さを増し続けている
 ……あぁ
 やはり、二人は兄妹なのだ
 心の動きが、何よりも先に、炎と金色の片羽に、バカ正直に現れる
「あなたが間違っているって、認めさせる。絶対に、絶対に!!」
 眩いばかりに輝く、炎と金色の片羽
 その輝きを前に、猛はくっく、と人の姿に戻りながら、笑みを浮かべた
 炎寿の金色の羽に切りつけられた痛みは、この楽しさを前に、すっかりと消えうせている
「…やれやれ、熱くなりやすいのはどっちも同じか。まったく、困った兄妹だ」
 夜の闇の中、輝く、輝く
 赤く燃え盛る炎と、輝く金色の片羽
 キラキラ、キラキラ
 暗闇の中、消えぬ希望のように、輝き続けていた

 暗闇の空の中
 キラキラ、キラキラ
 蝶の片羽を輝かせ
 一つの狂気、暗闇の中に、静かに消えていった


fin


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