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天照 つれづれに書く
112
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2015/10/07(水) 20:18:29 ID:itZfXMLw0
だから締めとして言いたいことは「救われていると思っているうちは華だ」ということです。
もちろんその「救われている」などの思う、思わないは各個人の自由です。
信教の自由と同じく、実際救われたというのは阿含宗に於いて「全くない」などとは言わない。
ただ、自分に於いては「何もなかった」ということが山ほどある。
弟は様々な願いを叶え、また肝臓病も医学で治らなかったのが解脱供養で治った。
本当にあれは画期的でしたな。
でも最後の最後で救いはなかった。その寂しく死んでゆく末路というのは哀れです。
確かに人はいつかは死にます。何のきっかけであろうが死が来たら、どうあがいても逃げられない。
あと弟は徳があったが私にはなかったから効かなかった、という見方もできる。
しかしそれでは「徳のないものは阿含宗では不幸のままよ」なのであろうか。
そういう教団なのであろうか?
私は阿含宗で「救われた」というのはほとんど皆無です。奇跡的なこともほとんどない。
だったら最初から講じる必要はなかった、というべきか。
究極的な時に効果があるから信じる気も起きる。
結局は私は100円の護摩木はおろか10万円の護摩木も効かなかったし、解脱も何回かしたが何もなし。
そしてそういう私と同じ人が結構阿含宗で多いのだから、「効果が無いなあ」と思いながら信仰を続けている人がいる。
そういう現実もある、というのを述べて、この章は終わりとします。
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