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復縁 祈祷師 東京 神宮司龍峰先生

34神宮司龍峰:2015/06/13(土) 16:25:07
東京は、江戸幕府の所在地の江戸を1868年9月に改称したものである[1]。[注 2] 1869年2月11日1878年(明治11年)に府制を施行[1]、「東京府」となった。

1878年(明治11年)・1880年(明治13年)に伊豆諸島・小笠原諸島を編入[2]。

1889年(明治22年)5月1日には、東京15区を東京府から分立して東京市とした。

1893年(明治26年)4月1日に、東京府及び神奈川県境域変更に関する法律により、多摩地域は神奈川県から東京府へ編入されてほぼ現在の東京都の境域が確定した。

東京市は、(1923年(大正12年)の関東大震災によって人口が増加した)周辺の町村を1932年(昭和7年)に合併し、35区になった[2]。 市域は最終的には現在の東京都区部とほぼ同地域となった。

1938年(昭和13年)6月に内務省が「東京都制案要綱」発表し、1943年(昭和18年)1月に政府が「東京都制案」を帝国議会に提出し可決されたことを受け、同年7月1日に東京都制が施行され、東京府と東京市を廃止する形で東京都に統合された[2]。35区は1947年(昭和22年)3月15日に東京22区に再編され、同年5月3日の地方自治法施行により同法の定める特別区となった。同年8月1日、旧練馬町ほか4村の区域が板橋区から分離して練馬区となって東京23区となり、現在に至っている。

現在は、東京には、23区・26市・1郡および4支庁(大島・三宅・八丈・小笠原)がある[2]。人口は(2010年時点で)1316万人[2]。

現在(2010年代時点)、国際連合の統計によると、東京は世界最大のメガシティと評価されており、川崎・横浜などとともに世界最大の人口を有する都市圏を形成している[3]。都市単位の経済規模(GDP)ではニューヨークを凌ぎ、世界最大である[4]。2014年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人材・文化・政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、ニューヨーク・ロンドン・パリに次ぐ世界第4位の都市と評価された[5]。

「東京」という名称を用いる構想は江戸時代後期の佐藤信淵の書にあり、大久保利通がその書の影響を受けつつ「東京」とすることを建言した。→#名称の由来

上述のように、江戸が「東京」と改称されたわけで、さまざまな研究者の研究で分かっていることは、江戸が「東京」と改称されたあと、実際には都市としてのそれが突然変わったわけでは全然なく、基本的に江戸の道路や区割りの線、建造物 等々がほとんどそのまま残されて使われ続けたわけで、変えた部分も、長い長い時間をかけてわずかづつ改変されたにすぎない。しかも、長い年月を経た現在も大半は江戸時代の区分や道路(の基本的な線どり)が残っている。したがって都市・東京を説明するには、その大元であり現在も色濃く残り続けている都市・江戸を説明しないわけにはいかない。実際、多くの解説書・教科書が『江戸・東京○○』といった形で、江戸と東京を一連のもの、ひとつの連続的なものとして解説しており(解説せざるをえず)、東京の歴史を扱う博物館「江戸東京博物館」も、名称が「江戸東京〜」とされており、館内でも江戸と東京は連続している ひとつのものとして説明・展示を行っている。[注 3]

また東京府→東京市→東京都という変遷があり、江戸幕府の江戸市域を中心に「東京」が形成されたという歴史があるが、各時代ごとに指し示す範囲は異なる。さらに、最近の「多極分散型国土形成促進法」には「東京圏」という用語・表現もあり、これは市部も含む。時代も特定せず、また「府」「市」「都」「圏」などの言葉をつけずに漠然と「東京」といった場合、どの時代のそれ、どの範囲を指しているのか、あるいは全て包括して指しているのか、曖昧である。「東京」で東京府時代も含めて指していることもあり、また現在「東京」と呼ばれることだけ記述しては、大正や昭和時代の人々が「東京」という言葉で指した内容がどのようなものだったか、どのような印象を持っていたのか分からなくなる。よって、この記事では都市の江戸にも言及し、「東京」で指されてきた内容を時代を追って順に説明してゆく。


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