したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

翡翠先生作品集(復刻版)

1マタコさんを遠くから見守る会会員No.774:2015/01/09(金) 20:19:20 ID:DXWQcJB.
処分しようと思った昔のPCにデータが残ってたので備忘録がわりにカキコ

例のアレのパイロット版は多分最初の部分が抜けてる予感

2アンダーグラウンド 其の二:2015/01/09(金) 20:21:35 ID:DXWQcJB.
 『フィクション』というクラブで、ゆかりと待ち合わせしていたから、あたしは急ぐ。いつもなら、3時間程度で切り上げて来るの だが、今日の男、冴えない見かけとは裏腹にセックスが上手くて、あたしは時間を忘れていた。

 真夏の時期で、太陽の熱をアスファルトは、まだしつこく、そこに留めていた。
 ホテルでは、クーラーをきかせていただけに、余計に汗が出る。
 メイクが崩れないか心配だったが、あたしは走った。

 フィクションのドアを開けると階下には、薄暗い中に、色々なカラーの光がぐるぐると廻っていた。いつものこの光景に、ホッとする。音の洪水があたしの存在をかき消す。この店は、地下にあって、どっかの倉庫を改造したような創りで、なんともアーティスティックだった。
 そして、ちゃんと、クーラーも効いていて、あたしの汗をすっと蒸発させる。

 螺旋階段を降りていくあたしの目にカウンターの隅で、ちびちびとウイスキーを啜っている
 ゆかりが見えた。
 あたしは、彼女を、暫し見つめていた。
ゆかりは、年齢を聞かれても、いつも

 『三十代半ばよ。』

 と、答えていたが、どう見ても三十代には見えなかった。
 あたしの、見たところでは、十歳は、さばを読んでいるはずだ。多分。
 首元の皺、顎のたるみ、かさかさと音のしそうな手。
 けれど、それでも彼女は、美しかった。
 むっちりとした肢体に、浅黒く焼けた肌。瞳は、猫目で異様に大きい。そして、案外大きな鼻。ぽってりとした唇には、淫靡さが前 面に出ていた。大きくカールをかけ、所々、金髪になっている痛んだ髪の毛。退廃的な彼女は、そのまんま『娼婦』であった。

3アンダーグラウンド 其の二:2015/01/09(金) 20:22:45 ID:DXWQcJB.
 そんな、ゆかりが、娼婦の仲間として選んだのが、あたし翡翠だった。『翡翠』という名前は自分でつけた。決して、源氏名ではない。両親につけてもらった名前は戸籍上だけのもので、あたしの中で、あたしの本名は『翡翠』だった。
 あたしは、ミスコンで優勝した事もあるし、水商売の世界に何年も浸かっていて、ナンバーの座を、ずっと維持していた。
 元々色素が薄いあたしは、色が真っ白で、目は切れ長のちょっとたれ目。瞳の色も薄茶色。すっとした鼻筋には、感謝している。睫毛も、多くはないがとても長い。
 そして、ヘアスタイルは、ウィッグやエクステでしょっちゅう変えているから、
 あまり、決まったスタイルをしていない。ゆかりみたいに、大きなカールのヘアスタイルに固執しない。
 ちなみに、今はミルクティー色のショートボブ。
 この、スタイルとカラーは、あたしの年齢をとても幼く見せるらしい。
 あたしも、けっきょくゆかりと同じで十歳さばをよんで、娼婦をやっているのだ。
 身体は、どちらかといえば細いが、線が丸みを帯びている。そして、胸がでかい。
 自分で自分の、乳首を吸う事だってできる。
 あたしは、他人の目を引く。
 それは、あたしが、ちょっと美人だからというのもあるかもしれないが、この体中に埋め込まれている、冷たい金属と、鮮やかすぎ て、毒々しささえ感じるTattoのせいだと思う。
 顔面や耳に無数のボディピアスをして、見えるところには、隙間なく、美しい薔薇やら、蓮の花が、刻まれているのだ。
それでも、あたしの美しさは、損なわれない。むしろ、これらの、あたしをデコレートするもの達があってこそ、あたしは、本当に 夜の闇に光輝いているのだ。

 香水ジャンキーで、たくさんのお花畑の香りを持っているが、娼婦のあたしには、やっぱりシャネルの五番が、良く似合っていると 思う。

4アンダーグラウンド 其の二:2015/01/09(金) 20:23:57 ID:DXWQcJB.
 あたしは、ゆかりに、近づく。

  『ごめん。遅くなった。』

 ゆかりは、唇の端をあげ、

  『いいよ。時間なんてたくさんあるし。』

 と、言ってまた、グラスに口を付ける。

 ゆかりの横に座り、

  『マジー、バーボンソーダ。』
 と、オーダーする。
 マジーは、ここのオーナーであり、バーテンだ。
 あたし達に、客の斡旋もしてくれる。しかも、きちんとした身元の奴ばかり。マージンは、男から取っているから、あたし達はなんの損もしない仕組みだ。
 だけど、あたしは、ふらりと自分で男を拾ってしまう時があって、マジーには、散々怒られていた。
  『翡翠―。あんた、またどっかの男とやっちゃったんでしょう?あたしが、紹介してやる男達で、三六五日、食っていけるでしょ う?あんまり、危ない橋は渡らない方がいいわよ!』
 
 マジーは、おかまでも、ホモでもない。二丁目で男を買っていたとか、ラブホから男と出てきたとか、いろいろな憶測が彼の言葉遣 いによって、飛び交っていたが、違うようだった。
 いわゆる、今流行りの『オネエ言葉』が、使いやすくて使っているだけだと言っていた。
 マジーは、身長が高く、顔も怖いくらいに整っている。ノーブルな顔立ち。服装は、その時々で、全く異なる。細身のスーツでモッズを気取ったり、グランジな装いで気だるさを演じたり、
 時にはUK PUNXのように、どこもかしこも破れまくった、ガーゼTシャツや、デニムを穿いていたりした。そして、そのどれもが様になっていて、かっこよかった。

5アンダーグラウンド 其の二:2015/01/09(金) 20:25:35 ID:DXWQcJB.
  『マジー。無駄無駄。んな事言ったって、この子は寝たい時に男がいたら、それで間にあわしちゃうじゃないさ。あんたも、よー く知ってるはずだよ。で、きっちり金は、貰ってくる。
 あたしに言わせりゃ、いいよなー、とか思うけどさ。』

  『まあ、あんた達みたいに似たもの同士で娼婦やってんのもいいんじゃない』

 マジーが、ちょっと話を逸らす。それから、

  『でさ、急な話なんだけど、あんた達、明日予定空いてる?』
 と、カウンターから身を乗り出して聞いてくる。
 あたしも、ゆかりも明日は特に客を入れてはいなかった。
 『んーー・・・・なんか、ゆかりの事を知ってるっぽかったけど?この名刺出してきた男が、【ゆかりさんと、あともう1人ゆか りさんが、組んでいる方とをお願いします。この男性が、そう、ご所望ですので。】とかって言ってたわよ。
なんてゆーの?いわゆ る秘書?みたいな感じの男が、この名刺持ってきたのよねー。・・・・ねっ、ゆかり、知り合い?それとも、訳あり?
 ・・・・訳ありだったら、断っていいからさー。どうする?』

 ゆかりの知り合いかもしれない男と、かー。あたし達は今までも、何回だって複数の相手をしてきた。その代わり値段を1人七万に 跳ね上げていた。
  

 ゆかりを、そっと横目で盗み見ると、小さな小さな声で、

  『まさか・・。』

 と、呟いていた。音楽やざわめく人々の声にかき消されそうな声だったから恐らく、マジーには聞こえていなかっただろう。

 あたしもゆかりも、明日の予定はなかった。

  『一応、予定は入ってないけど・・・。どうする?』
ここは、ゆかりに判断を委ねようと、あたしは思った。

 ゆかりはあたしを見て、いつもの下品な笑顔を見せてから、マジーに、

  『やるよ。その仕事、引き受けた。』

 と、言った。

 マジーも、何か感じるものがあるのだろう。

  『本当にぃ?無理しなくても客なんか、他にもいるわよ。ただこれは、あんた達をずばりご指名してきたからさー、言っただけよ?』

 マジーが、そう言ってもゆかりは、頑として譲らなかった。抑揚のない声で、

『あたしは、やる。』

 と、だけ言った。

 ゆかりがやるのなら、勿論あたしもやるに決まってる。
『マジー、あたしもOK。』

 そう告げるとマジーは、一枚の名刺を出してきた。

6アンダーグラウンド 其の二:2015/01/09(金) 20:26:25 ID:DXWQcJB.
 その名刺には有名銀行頭取の肩書きがついていて、名刺の素材自体も安っぽいものではなかった。

   『坂崎 篤』

 と、記されていた。

 この、坂崎氏は自分と、あたし、ゆかりとの3Pのギャランティを、1人拾万、と言っているそうだ。
 悪い話ではなかった。
 だけど、ゆかりにとっては、どうなんだろう。SO BAD?SO GOOD?
・・・その答えを聞くまでもなかった。ゆかりはその名刺を見て、真っ青になっていたからだ。
 あたしはもう一度、やっぱりさ断って、明日は買い物行こうよ、って、おちゃらけたふりしてゆかりにそう言ったが、ゆかりは、

  『1人、拾万棒に振ったら、娼婦の名が廃るね。』

 と、笑顔になっていない笑顔を作った。

 ゆかりは、グラスをあけると、

  『マティーニ。めちゃくちゃドライにしてよ』

 と、叫ぶ。マジーは、

  『判ったわ。あんたの顔が歪む位、ドライなマティーニ作ってやるわよ。』

 そう、静かに言った。
ゆかりの態度はおかしい。いつものゆかりではない。そしてゆかりは確かに、あの名刺を見た瞬間に顔色が、変わった。

 さっきまで、ピストルズが流れていたのに、今度はロシア民謡が流れている。
 確か廃盤になった、加藤登紀子の『黒い瞳の』だったと思う。

 フロアから波が引き、そこここのテーブルに人々が散らばる。壊れて行き場を失くした星屑のように。

 あたしも、バーボンソーダのお代わりをお願いした。

  『ゆかり・・・。』

  『うん?』

  『あのさ・・・本当に嫌だったら、断ってもいいよ?あたし、金困ってねーしさ。』

 ゆかりは、ふと淋しげな横顔を見せながら、

  『嫌じゃないよ。いいじゃん。ギャラいいし。おいしいって。』

 と、つまらなさそうに、口の中にピーナッツを放り込む。
 『あたしに、嘘つかないでよ。』
  
  『ついてないわよ。本当に、大丈夫つってんの。』

 ゆかりは、ようやく、あたしを見て、微笑んだ。

 心に引っかかりはあったが、ゆかりがそう言うのなら、仕方ない。引き下がるしかない。

7アンダーグラウンド 其の二:2015/01/09(金) 20:27:04 ID:DXWQcJB.
 哀愁漂うロシア民謡は、まだ店内に流れている。
 気を抜くと、この切ないメロディに飲み込まれそうに、なる。

 マジーがやって来て

 『はーい。ドリンクお待たせ。で、あんた達ご飯食べてないでしょ?残りもんでチャーハン作ったから、それ食べて明日の鋭気を養うのよー。』

 と、ほかほかの湯気の立つチャーハンと、スープをあたしと、ゆかりの前に置いた。
『美味しそう!いただきまーす!』

 私は、早速、スープに口を付ける。コンソメスープで味は濃い目だけどいける。
 チャーハンもとても美味しかった。男の無骨な料理って感じが、なかなか良かった。
 あたしは数回のドリンクのお代わりを注文して、それらを平らげた。

 しかしゆかりは、食が進んでいないようだった。ゆっくりゆっくり無理して噛み砕いて、必死になって飲み込んでいる様子が痛々しかった。

 マジーも私もゆかりがどこか悪いんじゃないかと思って、心配したが、

  『あたしはね、健康には自信があるのさ。』

 と、言ってわざとのように、チャーハンをがっつき始めた。

 あたしは、ゆかりが何を隠しているのか、全く、判らなかった。
 こんなに、近くにいるというのに。

続く

8ノンフィクション:2015/01/09(金) 20:28:52 ID:DXWQcJB.
【まえがき】

私の実体験を、織り交ぜて書いています。
結構、アダルトな作品かもしれないので一応R15で。 
やりきれない現実も、美しい現実もないまぜに書いていきます。フィクションでもあり、ノンフィクションでもあります。

9ノンフィクション:2015/01/09(金) 20:30:46 ID:DXWQcJB.
【拾った男。】

 薄暗い部屋で、あたしは嗚咽にも似た声を洩らす。荒い息遣いが、虚しく空中で消える。 

 広いベッドで、あたしの上にいる男は、この高級ホテルのバーで声をかけてきた男。退屈しのぎに男としゃべっていたら、男が名刺を出してきた。 

 その名刺の肩書きや、社名は男自身の100倍は魅力的だった。 
 男の身につけている細身のアルマーニのスーツや、クラークスのぴかぴかの靴よりも。 

 男は、さりげなくあたしに聞いた。 
 『いくらで交渉成立?』 少しだけ考えてから、あたしはぶっきらぼうに答えた。 
 『5万。』

 世間の一般的な相場としては高いのだろうけど、あたしはプロの高級娼婦だから、あたしにとっては大安売りみたいなもんだった。
 その値段を聞いても男は動じず、 
 『じゃあ、部屋を取ってくる。』
 と、言った。 

 そして…あたしは、あたしを買った男と寝ている。 
 あたしに言わせれば、あたしが拾った男なんだけど。

10ノンフィクション:2015/01/09(金) 20:31:42 ID:DXWQcJB.
 この男は、女と寝る事に長けていた。 

 あたしは、何度も波にのまれ、『其処』に打ち上がる。 

 そうして、暫くすると男は、無言で果てた。 
 あたしに、体重を押し付ける。 

 あたしは、すっかり忘れていた。今日、彼女と約束していた事を。 

 男の下から、滑るように抜けシャワーを急いで浴びる。 
 シャワーから出てきたあたしを見て、男は、 

 『連絡先教えてくれる?君、すごく良かったからまた逢いたいんだ。』

 と、言った。 
 けれど、あたしはただの拾い物に、自分の連絡先を教える程、馬鹿ではない。 あたしは、男に向かって 
 『また、偶然を待ってたら逢えるんじゃない?』

 微笑みながら、そう言い、前金で貰っていたお金と共に、部屋を後にした。 
 男は、まだ何か言っていたようだけど、もうあたしにはなんの関係もない。 
 肩書きも社名も、セックスがうまかった事も。もう、全てが過去でしかなかった。 
 バイバイ。あたしが拾った男。

11ノンフィクション:2015/01/09(金) 20:32:42 ID:DXWQcJB.
【クラブノンフィクション】

12センチのジミーチュウのヒールをカツカツ言わせて、あたしはクラブノンフィクションへと急ぐ。 

 約束の時間は既に30分以上過ぎていた。 

 ノンフィクションは、細く入り組んだ路地にあるから、車は入れない。あたしは、ホテルから近くの大通りまで、タクシーに乗ってきた。 
 そして、そこから数百メートル先の、ノンフィクションを目指して、こうして走っているのだ。 
 外灯は、そんなにないから道は、暗い。 
 照り返す夏の太陽は、もうとっくに沈んだと言うのに、むっとする暑さがあたしを覆う。 

 身体がじっとりと湿ってきた頃、ようやくあたしは、ノンフィクションのドアに手をかけた。

12ノンフィクション:2015/01/09(金) 20:33:18 ID:DXWQcJB.
 ドアを開けると、途端に音の洪水がいつものように、やってくる。 

 螺旋階段の上から、音に身を任せている人々を見る。疲れているのか、いないのか。人々は、のっぺらぼうに見えた。 

 今日は、珍しく80年代のディスコ曲が流れていた。  この店は、パンクだろうが、クラシックだろうが、カントリーだろうが、サイケだろうが、なんの節操もなく音楽を流す。流行りの音とレゲエ以外は。 

 昔懐かしい、ディスコ曲を聞くと自然に身体が動く。昔、まだあたしが、水商売だった頃の事を思い出す。 
 たくさんいる、どうでもいい人間達を押し退けながら、あたしはカウンターへと向かう。男達から次々とかかる声は、完全スルー。あんた達と話す事なんて、あたしには、ないのだから。 

 カウンターに、1人でバーボンを飲んでいる女が見えた。  
 それは、あたしが気を許せる数少ない人間の1人であり、今日約束してる女。 
 そう。彼女との始まりも此処だったっけ。 

 クラブノンフィクションが、あたしと、その女、ゆかりとの本当の出逢いの場所だった。 
 あたしは、ゆかりの元へと歩いて行く。 

 汗ばんでいた身体も、ノンフィクションのクーラーのおかげで、もうさらさらになっていた。

13ノンフィクション:2015/01/09(金) 20:34:01 ID:DXWQcJB.
 ゆかりの元へと、歩いて行くあたしに、クラブノンフィクションのマスター、マギーがあたしに声をかける。 

 『翡翠(ひすい)遅いんじゃあなぁい?どっかで、やってたんじゃないのー?』 と、ケラケラ笑う。 

 マギーは、女言葉を使うが、ゲイではない。ノーマルだ。 
 だが、お喋りが好きな蝶々達は、 

 『マギーが二丁目で立ちんぼしてた。』
 『男とホテルに入っていくとこを見た。』

 なんて、羽をパタパタさせながら、そんな話をしていた。 

 あたしは、マギーに、バイとかホモに間違われるから、その言葉使い考えた方が良くない? と、言った時、 
 『いーのよ。言わせたい奴には、なんとでも言わせとけば。だって、あたしの内は、そんな事で揺らがないのよ。』
 と、真顔で言ってから、いつもの、ただの笑顔を見せて、 
 『それに、お姉言葉って、喋りやすいのよねー!』 と、言った。 

 マギーは、そうやって女言葉を使う男だったけど、かなり、目立って格好の良い男だった。 

 身長は多分180はあったし、スレンダーで手足が長い。肩にかかる位の金髪を、オールバックにしているか、無造作に下ろしていた。 

 今日は、多分ポールスミスのうんと細身のピンストライプのスーツを着ている。尖った革靴は、スタンダードなフェラガモだろう。蒼い目、すっと伸びた鼻筋。薄く薄情そうな口元。病人かと思うぐらいに、白い肌。 
 以前、冗談めかして 
『あたし、ほら、母親がロシア人だから。』
 と、マギーは言っていたが、恐らくそれは、真実だ。 
 とにかく、彼は美しかった。 

 今日は、スーツをすっと着こなしているが、所々破れたガーゼTシャツに、ボロボロのデニムの時もあった。 

 だが、どんな格好をしても、彼はそれを、うまく着こなしていたし、彼の容姿の美しさは、いつでも変わらなかった。 

 あたしは、マギーに友情を感じていた。 

 嘘がなく、人を傷つける無神経なジョークを言わないから。

14ノンフィクション:2015/01/09(金) 20:35:29 ID:DXWQcJB.
 この、クラブノンフィクションは、あたしとゆかりの、大切な場所だった。 

 プライヴェートな場所としても、ビジネスの場所としても。 

 だから、あたしとゆかりは、此処に来る。 

 ここ、クラブノンフィクションのマギーのもう1つの仕事を、あたし達はやっていた。 

 あの頃では、考えられなかったこの仕事を、あたしは今、なんなくこなしている。 

 そうして、あたしはあの頃より、全てにおいて自由に、正直に生きている。 
 あたしとゆかりの居場所は、このクラブノンフィクションとオーナーのマギーと言っていいだろう。

15ノンフィクション:2015/01/09(金) 20:37:52 ID:DXWQcJB.
【あの頃のあたし達は。】

 あの頃、あたし達は銀座の中でも超一流のクラブで働いていた。どんな金持ちでも、名誉や地位が付属しなければ、足を踏み入れる事のできない店。 
 其処が、あたしとゆかりの職場だった。 

 あたしは、たまたまスカウトされて、入店して間もなくナンバー1の座にいた。 

 その店で、使っていた名前が『翡翠〜ひすい〜』だった。 

 海の底から、ぷうかり浮かんできた涙を溜めているような宝石、翡翠。 

 あたしは、この名前を本名にした。かつて、家族と呼ばれていた人間がつけた名前を捨てたかった。 

 翡翠になったあたしは、いくつもの新聞、経済誌を読み漁り、客の話にはいつも、きちんとついていった。 
 美しいドレスに身を包み、笑顔を絶やさず、同伴もアフターもした。 

 ただ、それらにSEXがついてくるのは予想外だったが、若く美しい女を、思いのままにできるという事は、彼らのステータスでもあった。 
 あたしは、色々な人間に磨かれて誰もが振り替えるような、匂いたつような美しさを兼ね備えていた。 
 そんな、あたしを抱く事を彼らは競うかのように、していた覚えがある。 
 その見返りは、高価な宝石だったり、高級マンションの最上階の部屋だったり、外車だったりと、様々だった。現金を100万、ポンと出す男もたくさんいた。 

 あたしは、ナンバー1の翡翠だった。 

 ゆかりはと言えば…。全然やる気のない女で、ある意味清々しささえ感じた。 愛想笑いの1つもするわけでもなく、年下の若い女の子のヘルプによくついていた。つまらなさそうに、座っていたので、目立っていた。 
 いや、あたしがゆかりを意識していたから、目立っていたように感じたのかもしれない。 

 流行遅れの安っぽいドレスで、出勤していた。 
 よく、ママはこんな女を雇ったよな、とあたしは思った。 
 それでも、今と変わらず髪の毛は丁寧に大きくカールされていた。 

 あたしは、彼女に興味を持った。

16ノンフィクション:2015/01/09(金) 20:43:14 ID:DXWQcJB.
※コピペミス(´・ω・`)
 >>15と前後します

 ノンフィクションのスツールに、慣れたように座っているゆかりの横に、クロエの新作のバッグをカウンターテーブルに無造作に置き、あたしも、その細いスツールに座った。 
 
 『ゆかり。ごめん!忘れてた。』

 あたしは、素直に謝った。すると、ゆかりはあたしを笑顔で見て、 

 『あんたの遅刻には、もう慣れた。今日なんて早い方じゃない?』

 と、声をあげて笑った。 
 その、笑顔の横顔を見つめる。ゆかりは、誰に年齢を聞かれても 
 『40よ。』
と、言っていたが、全くのでたらめだ。 
 たるんだ、頬。完全に二重になっている顎。そして、手入れを怠っている肌。 でも、だからと言って、ゆかりは醜い女ではなかった。むしろ美しい女の部類に入るだろう。 
 肉感的な身体つきは、男達の目を引き付けるに十分だったし、皺はあるものの、目が大きく、ぽってりとした唇を持っていた。 
 大きく波打つカールした髪は、あの頃と変わらない。 
 あたしは、ハイボールをバーテンダーにオーダーし、暫し昔を思い出していた。

17ノンフィクション:2015/01/09(金) 20:45:04 ID:DXWQcJB.
 上品な装飾の成された店内で、ぼんやりとしているゆかり。 
 影が薄く…と言うか自分で自分を目立たせないようにしているとしか、あたしには見えなかった。 
 
 だけど、ごくたまに彼女のはすっぱな笑い声や、潜めて何を言っているか判らない声が聞こえてきたりして、驚いた。 

 『彼女にも、客はいるんだ。』

 あたしは、そう思った。

18ノンフィクション:2015/01/09(金) 20:45:41 ID:DXWQcJB.
 その頃から、既に常連だったノンフィクションに、あたしはアフターがない時は必ず足を運んだ。 

 ナンバー1になって、もう2年になっていたあたしは、これから、という不安材料に怯えていたのかもしれない。 
 客は、あくまであたし達ホステスより上の立場で、選ぶ立場にいる。 
 今は、選ばれているあたしもいつかは、選ばれなくなる。 
 それは、ナンバー1になったホステスなら、誰もが考える事だろう。 

 ふと、ゆかりの顔が浮かんだ。

19ノンフィクション:2015/01/09(金) 23:55:59 ID:DXWQcJB.
【思いがけない誘い。】
 あたしは、顔には絶対に出さなかったし、誰にも相談なんてしなかったけれど、心には暗雲が立ちこめていた。 
 ホステス、特に銀座の高級クラブなんかになると、あまり年齢は影響しない。 
 若くて、美しいだけで中身のないホステスを客は嫌うからだ。 
 けれど、さすがにこの店にいる子達は、若くて美しいだけの子ではなく、知性や品性を兼ね備えていて、日々、あたしを脅かしていた。 
 あたしは、まだまだ美しかったし、年齢よりも若く見られた。 
 でも、この地位がいつまで続くのか? 
 いつ、此処から転げ堕ちるのかを考えると、憂鬱だった。 

 そして、あたし自身が、このホステスという仕事に疑問を感じ始めていた。 

 選ばれるのを、待つしかないあたし。 
 うちのクラブは、永久指名制ではなかったから、もう次には、選ばれないかもしれないあたし。 

 あたしは、そんなのは柄じゃないような気がして、仕方なかった。 

 相変わらず、ノンフィクションで答えの出ない不安スパイラルに巻き込まれていると、今と殆んど容姿の変わらない、マギーが声をかけてきた。 
 『翡翠さぁ、最近お悩みモードじゃあなぁい?あたしは、詮索する程野望じゃないから、聞かないけど、そんな萎れたあんたを見るのは、いいもんじゃないわね。』
と、頭をそっと撫でてくれた。そして、マギーはこう続けた。 
 『多分、彼女の話であんたは楽になるわ。そして、元の翡翠になって、暗く鈍く輝るのよ。』

 彼女?その彼女が誰かと聞こうと思った時、あたしの隣に、誰かが座った。 
 あたしは、ゆっくりとそっちを向いた。

20ノンフィクション:2015/01/09(金) 23:56:32 ID:DXWQcJB.
 そこには、ゆかりがニコニコ笑って座っていた。 
 そんなゆかりは見た事がない。 
 あたしの知ってるゆかりは、店のヘルプで嫌々ドリンクを作っている女だったから。 
 呆気に取られていると、ゆかりはつらつらとあたしに話し始めた。 

 『翡翠ちゃん、ナンバー1の場所から何が見えた?何も見えないでしょ?あたしは、判ってる。あんたは、人の言うことで満足できる女じゃない。その事に不満さえ抱いている。そうでしょう?』
 あまりにも、的確なゆかりの言葉にあたしは困惑し、無言とポーカーフェイスを貫いた。 
 ゆかりは続けた。 

『ね、翡翠ちゃん。あたしとあんたは同類だよ。獣の勘で判るんだ。だから、あたしと一緒に仕事しない?男に媚びなくていい。自分が思い通りにできる仕事。素敵じゃない?』
 
 興味を捨てきれない自分がいる。 
 その日は、パンクナイトでフェイクのシド&ナンシーで店内は溢れ返っていた。

21ノンフィクション:2015/01/09(金) 23:58:12 ID:DXWQcJB.
 『今じゃ、指名客もほとんどいない、あたしでも、もっと若い頃は、翡翠ちゃん、あんたと同じナンバー1だった。長い間。それが、年月が経つうちにこれよ。でも、あたしはやめなかった。あたしには、もう1つの仕事があったし、仲間を探していたから。』

 『もう1つの仕事?』

 『そうよ。あたしは、そっちで儲けているのよ。』
 ゆかりは、ウインクをした。 
 ゆかりは、懐かしそうに喋る。 

 『翡翠ちゃんが、店に入ってきた時、あたしはこの子だ!って思ったの。あんたは、なんにも満足していない。美しい姿の中には、孤独がたくさん詰まってる、って。』

 あたしは、ゆかりの言う事全てが、真実なのを自覚していたが、あえて反論した。 

 『それは、あんたの妄想よ。あたしはナンバー1でいろんな男達が、あたしを指名して、たくさんのプレゼントをくれるわ。あたしは、孤独なんか、これっぽっちも感じてないわ!!』

 思わず、私は怒鳴っていた。 

 そんなあたしを、ゆかりは、なだめるように肩を叩いた。良い香りがした。 
 あたしは、少しだけ落ち着いて、 

 『つまりは、どういう事なの?』

 と、聞いた。 

 ゆかりは、お茶目な笑顔を作って、 

 『つまり、あたしは高級娼婦にあんたをスカウトしに来たのよ。翡翠ちゃん。』
 ゆかりは、 

 『映画でも行こうよ』

 みたいに、そう気軽に口にした。 

 いつものあたしなら、そんな誘いは、鼻で笑って、このスツールから降りて何も言わず、この場を去っただろう。 

 けれど、あたしはそうしなかった。 

 ゆかりが、あたしの全てを理解してくれていたから。 
 ゆかりからは、相変わらず良い香りがし、聖母マリアのように神々しく、微笑んでいた。 

 あたしは、ゆかりの事を殆んど何も、知らないけれど、既にゆかりを信じていた。ゆかりは、あたしに1つも嘘をついていない事は、判っていたから。

22ノンフィクション:2015/01/09(金) 23:59:17 ID:DXWQcJB.
【高級娼婦】
 よくよく聞くと、お客は、マギーが紹介してくれるという。 
 マージンは、男から貰うからあたし達は、抱かれた男からの報酬を、そっくりそのまま貰える。 
 高級娼婦になるには、一通りの上流社会のマナーや、情報を蓄えておかなければならない。 
 あたしは、マナー教室や喋り方教室、茶道、ジム、モデルウォーキングのレッスン等を始めた。
 
 マギーが持ってくる客は、只者ではない人物ばかりだった。 
 政財界は勿論の事、海外からの要人が何人もいた。 
 クラブのお客も大したメンバーだったが、マギーの持ってくる客には到底、及ばない。 

 あたしは、R&Bの流れる店内で、グラスを弄びながらマギーに聞いてみた。 

 マギーは、今日はギャングスター気取りのスーツを着ていた。勿論ダブルの。靴と共にアルマーニか、ヴェルサーチってとこか。

 『ねー。マギーはなんで、あんなにめちゃくちゃ大物ばっかり知ってるのー?』
 マギーは、鼻歌まじりに 
 『それ、聞いたら翡翠ちゃん殺さないといけなくなるから』

 と、さらっと言って、 
 『うっそよー。情報ソースは秘密って、お決まりじゃなぁ〜い。』

 と、言った。 

 あたしは、なんとなくマギーが嘘を言っているのではないと思った。だから、 
 『殺されたら適わないから、聞かないよ。』と返事をした。 

 マギーは、笑って頷いた。

23ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:00:18 ID:MEMoqnno
 あたしの、初仕事は海外からの大物で、新聞にもよく載っているNという人物だった。 

 シェラトンのスイートが仕事場だった。 

 ノックの音がし、あたしは確認してからドアを開けた。 

 彼は、私にプレゼントだと言い、ハリーウインストンの流線を描くようなダイヤのネックレスをくれた。 

 ちなみに、銀座のクラブで働いているあたしとゆかりは英語は、ペラペラだ。だがゆかりは昔、留学した事がある、と言っていた。実家がお金持ちなのかな?と、その時思った。 

 あたしは、彼にお礼を言い、ソファに座った。 

 彼は、ルームサーヴィスを頼んでいる。 

 そして、オーダーし終わると、あたしの横に座ってあたしの全てに賛辞を捧げた。それは、外国の男性や、ハイソサエティな環境の中で育ってきた男達の、共通点でもあった。 そして、あたしは皮肉で誉められる以外なら、誉められるのは大歓迎だ。
 
   ノックの音。 

 シャンパンにキャビアを乗せたクラッカー、チーズ、カルパッチョ、フルーツ等の前菜もある。シャンパンは、ドンペリゴールド。まあ、そつのない選択だろう。

 あたし達は、ひとしきり飲み、しゃべり、食べて時間を過ごした。 

 いきなり、彼があたしの唇に吸い付く。ねっとりとした、熱帯雨林のような、濃厚なキス。柔らかい舌は、あたしの口の中をまさぐる。彼の息遣いが、荒くなる頃、あたしは身体を離し、 
 『先にシャワーを浴びさせてもらうわ。』

 と、返事も聞かないうちにバスルームに入る。

 これは、ゆかりがあたしに教えた事だ。 

 プレゼントを貰っても、軽く礼を言うだけ。どんなに高価な物でも。 
 そして、主導権は自分が握る。 
 それから…ゆかりは、クスリと笑って、ベッドでの事は翡翠に任せるわ。攻めて欲しければ、どこまでも、攻めたければ、いつまでも。お好きにどうぞ、と言っていたっけ。
あたしは、シャワーを浴びながら彼との情事を考えていた。

24ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:00:57 ID:MEMoqnno
 シャワーを、わざとゆっくり浴び、肌にふわふわの泡を塗る。私は、身体は手で洗う。たまに、オーガニックコットンの心地よいタオルを使う時もある。肌に傷をつけたくないから。 

 そうして、ようやくバスルームを出て、洗面所にある大きな鏡で、自分の身体を見る。 
 滑らかで、ピンク味を帯びた肌。細くくびれたウエスト。きゅっと上がった小ぶりなヒップ。そこから、なだらかにレッグラインに流れていく。 太ももは、適度に肉がついていて、足首はきゅっとしまっている。背は、高い方ではなく、華奢な印象だが、バストは、はち切れんばかりに、主張している。 
 身体のチェックを隅々まで終え、今度は手鏡で、入念に顔を見る。 
 真っ白く、シミ1つない肌。たるみも、皺もなく、コスメカウンターでは、必ず『どちらの基礎化粧品お使いですか?』と、こっそり聞かれた。 顔の造作は、目は余り大きくなく、切れ長。鼻筋は通っていて、唇はぽってりとしている。実年齢より、大体10歳は若く見られる。睫毛は、エクステや付け睫毛いらずで、俯けば影を落とすほど長く、ふさふさだ。ヘアスタイルは、胸下までのロングで天然パーマで、軽くフワフワしていた。淡いベージュにカラーリングをしている髪は月に2回、サロンにトリートメントに行っているから、艶を保っている。よく、YOUに似ていると言われる。
完璧とは言えないが、まぁ、美しい女と言っていいだろう。 

 私は、満足して、やっと彼のいる部屋に行った。

25ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:01:49 ID:MEMoqnno
 バスローブを、羽織ったあたしを、きつく抱き締める。あたしは、 

『貴方もシャワーをどうぞ?』
 と、微笑みながら言った。 
 彼は、にこやかにバスルームに消えていった。 

 彼がバスタイムを堪能している間、シャンパンを飲み干してしまったので、ルームサーヴィスに追加オーダーした。 
 あたしは、シャンパンが大好きで水のように、飲む。 
 新しいシャンパンを恭しく、ボーイが運んできて、去っていく。 

 あたしは、早速シャンパンに手をつける。 

 3杯も飲んだ頃、彼は良い香りをさせて、バスルームから出てきた。 

 背が高く、少し恰幅はいいが、その容姿はお金をたくさん持っている者の、それだった。

 彼にもシャンパンを渡し、乾杯する。 

 グラスが空になり、彼が慣れたように、あたしをベッドへとエスコートする。 

 照明を落とし、ベッドサイドの、薄明かりだけを、彼は残した。 

 高級娼婦、初の仕事。 
 ゆかりは、あたしが向いている、と言ったが果たしてどうなんだろう? 

 けれど、私は動揺も何もせず、この仕事に手慣れたプロの高級娼婦のように振る舞っていた。 

 彼が、あたしを大切な宝物のように、ベッドに横たえる。そして、また、Kiss。その時に彼が口移しで、あたしに何かを飲ませた。 

 なんだろう?と思っていたら、あたしの身体や、あたしの目に映るものに変化が現れた。

 あたしは、お花がたくさんある、天国みたいな、まだ少し早い、クリスマスカロルが聞こえてくるようなところに、浮いていた。 


 さっきまで、人間の形をした彼が、あたしに愛撫を始めると、舌や、腕がいくつもある軟体動物のようにぐんにゃりと、姿を変えた。 

 軟体動物の王様だ。 


 あたしは、王様の一晩だけの素敵な花嫁になった。 

 そこら中ねっとりとした感触がする。 

 あたしの感じる、敏感なスポットを全て知っているかのように、王様があたしを舐め回す。

 これでもか、これでもか、と責め立てる。 


 そして、王様があたしの凹みに自分のそれをいれた。 

 中で、うねうねと蠢いているのが判る。 


 私は、それがうねる度に絶頂に達し、それはあたしが、へとへとになって、意識を失うまで続いた。

26ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:03:25 ID:MEMoqnno
  朝、まだ現つか現実か戸惑っているあたし。 
 
 昨夜のあの感じは何だったんだろう?やはり薬だと考えるのが妥当だろう。
あたしは、薬にはまるほど、馬鹿じゃないけどこれからは、気を付けよう。相手の気分を害ねる事なく。
 
 部屋には誰もいない。 
 が、テーブルの上に    流れるような英字のメモがあった。
 
 彼は、あたしは素晴らしかったと絶賛し、またあたしを指名すると書いていた。そして、報酬はバッグの中にある、とも。

 上品なカルティエの飴色のハンドバッグの中に、100万入っていた。  


 あたしは、このお金を、ぼんやりと見つめて、  ルームサービスで、またシャンパンを頼んだ。 

 高級娼婦として、成功したらしかったあたしに、1人で乾杯をするために。 

 あたしをスカウトしたゆかりは、間違っていなかった。

 ホテルを出て、ゆかりに電話をした。 

 ゆかりの方も、うまく行ったようで、今から買い物に行こうと言う。 

 そう言えばもう、秋物があちこちで、出ている。 
 あたしは、マロノブラニクの美しいなめしのヒールとmiumiuのワンピースとバッグが欲しかったので、ゆかりの誘いにのった。 

 一時間後に、銀座のホテルのロビーで待ち合わせた。

27ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:04:45 ID:MEMoqnno
 珍しく予定より早く着いた。あたしの住んでいるマンションは、このホテルの近くだ。あたしは、昨夜貰ったバッグとネックレスをそれぞれのクローゼットに入れ、扉を閉じた。今日は買い物だから、比較的カジュアルな服装にしよう。greenの赤と黒のボーダータンクトップに、atoのJKそして、黒のだぼっとしたラインがお気に入りのユナイテッドバンブーのパンツを穿いた。 
歩く事を予想して、ヒール5センチの黒のハードコアな雰囲気の靴を選んだ。それからザクザク物が入るサンローランの白のミューズバッグに、昨日のあたしの『あがり』を持って、マンションを出たのだ。


 このホテルは外国人が社用でよく使っているホテルだ。 
 ウエイターがレモンを浮かべた水と一緒にオーダーを取りに来る。

 あたしは、ホットココアをオーダーした。 


 冷たい身体の女は魅力的だが、身体を冷やすのは嫌い。 


 ココアを静かに飲んでいると、ゆかりがやってきた。 

 ウエイターがオーダーを取りに来る前に、既に彼女は質問の嵐を巻き起こしている。 

 しずしずと、かしこまって、テーブルに来たウエイターを見もせずに、 

 『アイスコーヒー!』


 と、だけ言い、またあたしに質問。

 彼女の気持ちも判らないでもないので、あたしは、順を追って、昨夜の仕事をなぞった。 


 ゆかりは、この上品なホテルに不似合いな位の大声で、ひとしきり笑い、あたしの頬にキスをし、

 『翡翠なら、やってくれると思ったよ!』


 と、言ってくれた。 

 あたしの初仕事は、うまくいった。 

 チェックしようと、ウエイターを呼んだら、 

 『先程いらしていたお客様が一緒にお支払い下さいました。』

 と言った。 


 美しい女は、男にかしずかれなければいけない。 

 あたし達は、余計テンションが上がり、ホテルを飛び出した。

28ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:05:56 ID:MEMoqnno
【ゆかり。】
 高級娼婦デビューをした、あの日からどれ位経ったのだろう。あたしは、あれ以来仕事をそつなくこなしてきた。 
 後ろの蕾を要求された時は、さすがにぎょっとしたが、その要求をさらりと流せる術も、その時のあたしはもう、知っていた。 
 
 あたしと、ゆかりはクラブを、もうだいぶ前にやめていた。ママは、引き止めとても悲しんでいたが、あたしの気が変わらないと判ると、これ、気持ちだから、と10万を包んでくれた。あたしは、ありがとうございますと、深々と頭を下げた。ゆかりが、なんの施しを受けたのか、受けなかったのかは、知らない。あたしの、預かり知る事ではないし。―とにかく、ナンバー1の翡翠は消え去り、今は堂々と高級娼婦として、金だけではなく、とんでもない地位や名誉のある男達に、身体と貴重な時間を売っている。

 あたし達は今日、あの日のように馬鹿みたいにたくさん買い物をした。ゆかりは、フォーマルか、セレブ的な洋服が好きで、シャネルや、サンローランが好きみたいだった。
今日も、勿論行ってきた。 あたしは、cherの毎年買っているカシミアのストールを色違いで5枚買い、嫌がるゆかりに頼み込んで、09のマウジーとスライに行ってもらい、その2ブランドで、デニムを7枚、カットソーを6枚、ニットを10枚、ニット帽を3つ買った。それから、やっぱりクロエでツイードの紫とピンクが混じったような色のツイードジャケットと、それにあうブーツ、トップス、スカートを買った。どれも可愛くて、うきうきする。  
 
 荷物をたくさん抱えながら、個室のある、あたしの昔のお客様の伊藤さんのお店に言った。おまかせで、たらふく食べた。伊藤さんが、久しぶりにあたしを見たからって、ただにしてくれた。あたしとゆかりは伊藤さんの頬っぺたに軽くキスをし、お礼をきちんと言って、マギーの店に向かった。
   
  ノンフィクションに到着する。荷物を抱えてるから、いつもよりドアが開けにくい。

 やっと開けると、やっぱり音が耳をおかしくする。今日のメインミュージックは、どうやらニルヴァーナのようだ。 

 カウンターにやっとの思いで座る。 

 マギーがやってきて 


 『まぁ!あんた達すごい量の買い物ね!そうよ。女は美しく着飾ってこそ、愛でられる価値があるんだから、ドンドン買いなさいよー。』

 楽しそうに言った。 


 ゆかりは、マギーに超レアなクロエの可愛らしいお花のついているヒールやら、買った物を色々見せていた。 

 あたしは、少し笑いながらその光景を見て、ふと感じた。

29ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:07:48 ID:MEMoqnno
 今日のゆかりは、とても美しい。シャルルジョルダンの12センチの白のヒールを履いて、ジバンシーの白のタイトなスーツを着ている。生地にはラメが織り込んであるのだろう。キラキラと光っている。 
 そして、髪の毛はやはり、綺麗にカールされていて、歩く度にそのカールが、揺れるのを、見ていた。

 ゆかりの素性は、何もと言っていい程知らないけど、もしかして育ちの良い女なのではないかと、何とはなしに感じた。  
いつも、背筋を伸ばしていて、それが身についている。 
 そして、お箸の使い方が、見惚れる程に美しい。 
 クラブで働いている時は着てこなかったような、豪華ブランドの洋服。生地や、着心地、縫製にも、ものすごい拘る。ちなみに、今の彼女のお気に入りは、ジョンガリアーノの、新作のデコルテが、美しく見えるジョーゼットの上下だ。SKはいつもの事だが、少し長めの丈で、実は美しいゆかりの脚を隠していた。 

 彼女は、英語だけではなく、スペイン語、韓国語、中国語、イタリア、フランス語等、色々な外国語を喋った。

 それらは、幼い時から習っていたという。 

 いわゆる、英才教育だ。  

 私はゆかりを見ていると、はすっぱな女のはずなのに、何故か、高貴な人間がだぶる。

 以前、ゆかりに聞いた事がある。 
 
 『実はゆかりって、お嬢様じゃない?!』
 
 と。ゆかりは、何も言わず、口の端を歪めた。笑ったつもりだったのだろう。  
 もし、あたしの問いが間違いであれば、ゆかりは間違いなく否定してくるはずだ。だけど、ゆかりは何も言わなかった。沈黙が答えのような気がしてならない。

30ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:09:03 ID:MEMoqnno
 一度、ゆかりに  

 『ゆかりって、実はすげーお嬢様だったりして。』 

 と言ってみたことがある。 


 その時、ゆかりは否定も、肯定もしなかった。 

 ただ、皮肉屋のように、口の端を歪めただけだった。 

 ゆかりは、もしあたしの言ってる事が違うのなら、子供のように、頬をふくらませて、否定するはずだ。

 それを、しなかった、と言うのはあたしの勘も強ち、的外れではないはずだ。 

 お嬢様である、あったはずのゆかりが、何故、高級娼婦に? 


 あたしは、彼女の告白を待ち望んでいたが、彼女から、それを語る日はこないだろう、と思っていた。 

 彼女は、自分の過去を捨てたいのだ。 

 だから、その捨てたい過去なんか、話したくもないのだろう。 


 それでも…あたしは、やっぱり聞きたい。ゆかりの口から。 


 今、目の前のゆかりの艶やかにカールする髪は、昔の名残だろうか。

31ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:09:50 ID:MEMoqnno
 ゆかりが、急に振り向く。 
 『あの、シャネルのスーツも買えば良かった〜!』

 今日、試着したシャネルのスーツは、ゆかりに似合ってはいたのだけど、あたしは、なんだか地味な気がして、奨めなかった。 

 Vの字に小さくカットされて、ウエストがシェイプされているトップス。皆が、憧れるシャネル模様の型押しのボタン。    スカートは、至って普通のタイトスカート。それでも、さすがお高い洋服はラインが違う。 淡いピンクの、そのスーツは、なんだか入学式に出席する母親のようだった。 

 地味ではあったが、クラブで着ていた安物の露出の多いドレスより、ゆかりには似合っていた。 

 店が忙しくなってきた。 

 マギーは、あたし達に 


 『また、後で来るからね!』

 と、言い残して、すっとステージのモデルのように去って行った。 

 ゆかりが、ロマネコンティをオーダーしたので、あたしもそうした。

 ゆっくりと、グラスを廻す手つきが、様になっているゆかり。 

 あたしは、ゆかりに少しだけ迷いながら、聞いてみた。 

 『ねぇ。前から聞きたかった事があるんだけど?』

32ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:10:36 ID:MEMoqnno
 ニルヴァーナの悲痛な叫びのような音の中、ゆかりは、ロマネをくるくるしながら、 
 『何よー!改まって!照れ臭いじゃないのさ。言ってみなよ。』

 と、照れながら言った。 
 『ゆかり。あたしは、ゆかりが好きだよ。だからこそ、聞きたいんだ。ゆかりが、訳ありなのは、判ってる。あたしだってそう。でも、ゆかり。ゆかりはあたしに、重大な何かを言ってくれてないよね?前にも聞いたけど、ゆかりは、本当は、いいとこのお嬢さんなんじゃないの?なら、なんで、こんな商売してるの?!…あたしが、十分、野暮な事聞いてるのは判ってる。それでも、ゆかりはあたしの初めての友達だから、真実を聞きたいんだ!』

 あたしは、一挙にしゃべった。うっすらと汗が出て、香水と、あたしの体臭が混ざった香りが立ち上る。

33ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:11:17 ID:MEMoqnno
 長い沈黙。じっと、グラスを見つめているゆかり。  音楽や、人々の騒めきは、微かにしか聞こえなくなっていた。それ程、ゆかりには、緊張感が漂っていた。 

 ゆかりの迷いが、手に取るように判る。 

 あたしは、我慢強く待った。 

 ようやく、ゆかりが静かに口を開いた。 

 『翡翠…。あたしも、あんたが初めての友達だよ。あたしが長い間待ち望んでいた人間なんだ。…。だから、だからこそ、翡翠にあたしの過去を知られるのが、怖いんだよ。…あたしは、失ってばかりだった。だから、もう失うのは御免なんだ。…翡翠…それでも知りたかったら、お願いだよ。もう少し、待ってくれないかい?必ず、話す。約束する。』

 声が震えているゆかりを見て、堪らない気持ちになった。

 『待つよ。ババアになるまで待ってやるよ!』

 あたしは、笑いながらそう言った。 

 ゆかりも、笑っていた。 
 一筋の涙を流して。 

 あたしは、決めた。 
 ゆかりが、自分から話す気になるまで、ずっと、待つって。

34ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:11:54 ID:MEMoqnno
【翡翠。】
 あたしは、ソニアリキエルの赤のシガレットケースから、メンソールの細い煙草を出し、口にくわえて、ゴールドのジバンシーのライターで火を点けた。 

 ゴールドのライターは、もう、すっかりあたしの手に馴染み、あたしの手の形に、すり減ってきた。 

 いつか、この、ゴールドのライターも、すり減って、消滅してしまうのだろうか? 
 知らない間に、音楽が、ビートルズになっている。定番だが、やはり上等な音は、人々から忘れられないのだろう。 

 ゆかりも、煙草を吸っていた。何故か、シガレットケースを嫌うゆかりの煙草は、いつも、なんだか萎れていたし、ライターを探すのに、いつだって、バッグをごそごそしていた。

 『ね、ロマネボトルでオーダーして、思い切り飲もうよ!』
 ゆかりが、そう言ったし、あたしも飲みたい気分だったし、そうする事にした。 

 人々は、少しずつ何処かに、消えていき、店内には数える程の、人間しかいなかった。 

 照明も、落とし気味だ。 
 『綺麗なお兄さん!ロマネボトルでちょうだい!』

 ゆかりが、ふざけてマギーに言った。 

 マギーは薄い唇の口角を見事な角度で上げ、完璧な笑顔を作って、頷いた。 

 『ゆかり…。あたしは、あんたにあたしの、話を聞いて欲しい。つまらないよくある話なんだろうけど…』

35ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:12:48 ID:MEMoqnno
 『翡翠。よくある話なんかじゃないよ、絶対。あんたが、話そうとしている事は、あんただけの大事な話なんだよ。』

 ゆかりの、優しい言葉は、あたしの心を潤わせた。 
 ボトルを持ってきていたマギーが、 

 『俺にも、聞かせてもらえるか?翡翠。』

 と、言った。 

 あたしは驚いた。    こんなに、長くここに通っていて、マギーのお姉言葉以外の言葉を聞くのは、初めてだったから。 

 『マギー…。言葉が男だよ?』

 あたしが、そう言うとマギーは、目を柔らかに細めて言った。

 あたしが、そう言うとマギーは、目を柔らかに細めて言った。 

 『こっちが、本物。まぢで、あっちかと思った?』
 ゆかりが、笑って我慢できないように、言う。 

 『誰かさんは、ずーっと普通の綺麗な男で、お姉言葉の、現在より100倍は、もててたよねー。だけど、ある日、お姫様に恋に堕ちてから、少しでも女を遠ざけるように、お姉言葉にしたんだもんねーっっっ!!』

 マギーが、気のせいか少し顔を赤らめながら、 

 『ゆかり、うるせーよ。しゃべり過ぎ。』

 と、照れ臭そうに言った。 

 『マギーって、好きな女いるんだぁ?』

 あたしが、聞くと 

 『ま、一応。』

 と、既に冷静さを取り戻して、答えた。 

 『閑話休題!翡翠の話、聞かせてくれよ。』

 マギーが言う。 

 『そうだね…。マギーも座って。あ、マギーのグラスも、お願い。』

 マギーが、そっとグラスを置く。あたしは、皆のグラスに琥珀色の液体を注いだ。 
 『話し終わるまで、飲んでくれる?』

 あたしは、ゆかりとマギーを見た。 
 二人は、あたしを真っ直ぐに見て頷き、微笑んだ。大天使のように。 

 あたしは、ようやく話し始めた。

36ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:13:54 ID:MEMoqnno
 『あたしの家庭は、貧乏だった。今のあたしが嘘みたいにね。…父親も母親も、芸能人が来るような有名な喫茶店に勤めていたんだ。だけど、母親が、よく働く女だと判った父親は、働かずに、毎晩飲み歩き始めた。…母親はそのおかげで、夜もその喫茶店のシフトに入って、夜は小さな弟と二人きりだった…。』

 あたしは、ロマネに口をつけ、話を続けた。 

『あたしは、その頃5歳で弟は2歳だった。夜が怖くて怖くてたまらなかったよ。だけど、無理してるのが、子供にも判るような母親には、何も言えなかった。明け方、酔い潰れて帰ってくる父親には、嫌悪感さえ抱いた。…。そんな生活が続き、いつまでも貧乏だったあたし達は、近くのパン屋んで、あたしと弟の分の、パンのミミをくれていた。。近くの肉屋のおばちゃんも、コロッケや、ミンチカツをよく、くれたよ。』
 あの頃の思い出が、色付きで、鮮明に思い出されてくる。

 あたしは、無意識の内に涙を流していたらしく、ゆかりとマギーから無理に話さなくていい、と諭されていた。 

 けれど、あたしは話さなければならなかった。過去を乗り越えるために。 

 …ゆかりと、マギーに本当のあたしを知ってもらうために。

37ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:14:31 ID:MEMoqnno
  『あたし達兄弟に、暴力こそふるわなかった父親だけど、‘お前達がいなけりゃ、もっといい生活できたのによ’と、幾度となく言われたね。あたしと弟は、その言葉に傷ついたけれど、小さなあたし達には、何もできなかったよ。』
 マギーが、あたしの頭を、大きな手で撫でる。 
 
 あたしは、幼い頃、手に入れる事のできなかった、父親の愛に、少し触れたような気がした。 
 
 『マギー、ありがとう。』 
 あたしは、きっとブスな顔して笑って言ったのだろう。 
 
 『…母親は三年間、毎日三時間しか睡眠を取らず、働き続けたよ。当たり前だけど、ぶっ倒れた。強制入院させられて、あたし達は、できる限り母親の傍に立っていた。弟の小さい手を握って。―でも、信じられない事が起こったんだ。』

38ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:15:12 ID:MEMoqnno
 『点滴をしている母親の病室に、父親が、酔っ払って入ってきたんだ。優しいナースさん達と父親は、口論していたよ。‘退院なんて、まだ無理ですよ!’と、止めたけど、父親は暴れるしで、母親はそれに従って退院したよ。それからも、あたし達は、父親のおかげで、たくさんのしなくていい苦労をさせられたよ。』 ゆかりが、煙草をゆっくりふかしながら、聞く。 
 『お母さんさぁ、離婚とか考えなかったのかなぁー?』
 
 あたしも、それは思っていた。 

 『ずっと後になって聞いた事なんだけど、弟は小学生の頃から、祖父母のコネで地元の大きい企業に就職決まってたから、片親じゃ不利だと思ってたらしいよ。所詮、田舎の人だからさ。』

 ゆかりは、 
 
 『そういう時代だったんだよ。』
 
 と、言ってくれたが、母親は本当に田舎の人だった。美しい、その容貌とは裏腹に。 
 
 長くなびく艶やかな髪の毛、ぱっちりとした目元には、びっしりと長い長い睫毛。通った鼻筋に、ちょこんと可愛らしい唇。バンビのような愛らしさも、兼ね備えていた。 
 
 彼女は、もっと幸せになれるはずだった。だったのに…。 
 
 『ゆかり、あたしの母親は従順すぎて、正直すぎたんだよ。…無理矢理、退院させられても、文句も言わず働いていたよ。そこで、転機がきたんだ。馬鹿親父の気まぐれのね。』
 
 あの気まぐれの思いつきを、鼻高々に語っていた、父親の顔が、今でも、あたしを憂鬱にさせる。

39ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:16:08 ID:MEMoqnno
『新宿で料亭やるからな。』
 
 母親は、慌てて 

 『お金はどうするの?!』
 と、しごく当然の事を尋ねた。 
 
 すると、父親は、 
 
 『金持ちのお前の親に言えばなんとかなるだろう!』
 
 確かに、不幸にも母親の実家はとても裕福だった。  
 けれど、一回りも違う父親との結婚を反対され、それでも結局は許してくれた、自分の親に母親は当然、金の無心などしたくはなかっただろう。 
 
 母親は、色々と言い訳やらなだめたり、すかしたり、していたが、結局はお金を母親の両親から、借りる事になった。

 一千万、借りた。 
 当時の一千万なら、今の億だ。 
 
 当時、小学校一年生の弟には、あまり意味が判っていないようだったが、四年生の小さな大人にならざるを得なかった私には、十分、意味が判っていた。 
 
 何をやっても飽き性な父親の経営する店の顛末なんて、分かり切っていた。  
 祖父母は娘可愛さに、一千万を貸したのだろうが、この事が、全ての悪夢の新たな始まりとなった。

40ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:16:58 ID:MEMoqnno
 その頃は、珍しかった高級料亭で、たくさんのマスメディアが取材に訪れた。 
 
 外面のとても良い父親は、今にも手をこすらんばかりに、マスコミに最もらしい事を言って、あたしを白けさせた。
 
 新宿の一等地に建てられた料亭は、確かに美しく、破格の値段で引き抜いた、板前さんも、さすがに腕が良かった。 彼の当時の月給は30万だったと言う。  
 店は、待ちが入るほどの大盛況で、母親もほっとしていた事だろう。 
 
 だが、そのうち、父親は知り合いからはお金を取らなくなった。 
 
 『いーよいーよ。ここは、俺の奢りだからさ!!』
 
 知り合いは、払うと何回も言ったが見栄をはって、人に恩を売るのが大好きな父親は、ひかなかった。
 そういう、やり方をしていると、わざとたかりにくる人間達も出てくる。 
 
店の売り上げは、父親の見栄のために、悪くなり、また母親は朝から夕方まで、喫茶店、夕方からは料亭という、過酷なスケジュールをこなし始めた。 
 
 父親は、初めはおもしろがって行っていた河岸にも行かなくなり、電話で注文をするようになった。 
 
 そうすると、河岸の方は高いものばかりを持ってくる。 
 
 悪い方に転がり始める。 転がり始めたら、そこに着くまでに、大して時間はかからない。もうとことん行くまで、止まらなくなる。 
 
 たった一人の人間のために、私達の人間らしい生活は奪われていた。

41ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:17:32 ID:MEMoqnno
  父親は、とうとう店に出なくなり、静かに店は死んでいった。 
 
 板前さんは、引き抜きされ、店を去る時、母親に  
 『奥さん、あの旦那さんとは別れた方がいいですよ。』
 
 と、言って去った。 
 
 店の借金とは別に、父親が消費者金融から、お金を借りていた事が発覚した。  
 週に一度、見かけは怖いけど、優しいおじさんが、借金の回収に来ていた。  
 おじさんは、いつもなんだか、すまなさそうに、私達に、ケーキやチョコやクッキーをお土産に持ってきてくれた。
 だが、父親は相変わらず働かずにいたし、母親の給料ではどうもできなくなり、母親は、再度自分の両親に理由を話した。 
 
 総額3000万の借金は、綺麗に消えた。 
 
 借金取りのおじさんは、最後の支払いの時、 
 
 『奥さん、もうこんな所で金借りたら駄目だよ。』 
 と、言い、私達には 
 
 いつもの切ったケーキではなく丸いケーキをくれた。   
 『お祝いだから、いっぱい食べるんだよ。負けちゃ駄目だよ。』
 
 と、初めて安らいだ笑顔を見せてくれた。 
 
 私と弟はおじちゃんにお礼を言って、 
 
 『おじちゃん、ばいばい!』
 
 と、手を振った。おじちゃんも、ばいばいと言っていなくなり、その後、姿を見かけた事はない。

42ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:18:21 ID:MEMoqnno
 『ねぇ、翡翠んとこの親父、今何してんの?』
 
 ゆかりが、グラスの氷をがりがり噛みながら言う。  
 『知らない。借金返して、母親の地元に引っ越したんだけど、ついてきてさぁ。でも、母親は弟が地元の大手企業に入った途端、離婚したよ。でも、かなりもめてたけどね。』
 
 『往生際の悪い男だねぇ。』
 
 『…あの人のせいで、弟は3歳まで一言もしゃべらなかったし、夜中に三輪車で街を徘徊する癖がついてね。…あたしは、あたしで自律神経失調症になって、今じゃ、パニック障害や、躁鬱、色んな病名がついてる。不眠症だし。だから、薬がないと、生きていけないんだ。』
  ゆかりは、あたしの手を握り、 
 
 『なんでも苦しい事はあたしに言いなよ!』
 
 と、励ましてくれた。  マギーも 

 『俺にも、なんでも話してくれよ。いつだって、飛んでくからさ。』
 
 と、目を細めた。 
 
 『でさ、親父がいなくなってハッピーエンド?』
 
 ゆかりの問いに、あたしは重い口を開く。 
 
『スケープゴートは、標的がいなくなれば、新しい標的を探す。父親がいなくなり、残ったのは、企業に勤める立派な息子、心の病でやる気のない娘。…今度は、あたしが邪魔者になったみたいだったよ。』
 確かに、あんなに一致団結して頑張って、励まし合ってきたのに、どうしてだったのだろう。あたしの病気が人様には、その時代言えないような病気だったから?弟は、大企業に勤め、前途洋々だったから?―でも、なんにせよ彼女を責める事は、あたしには到底できなかった。要は、ポンコツになった、あたしのせいなんだ。

『はぁ??誰のせいで、そんな事になったか判ってないわけ?!一生懸命頑張ってた翡翠に、そんな仕打ちするなんて…許せないよ!』

43ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:19:20 ID:MEMoqnno
【マギー。】
 ゆかりの怒りの炎が目前でゆらゆらしてるけど、火傷しないかしら?  
  
『ゆかり、大丈夫だったよ。あたしは、棄てられる前に、自分から家族であった人達を棄てたから。』
 
 そう。あたしは、祖父に頼んで50万を持って、家を去った。だから、あたしには、もう家族はいない。  
 『翡翠、ゆかりと俺と翡翠は血は繋がっていないけど、家族だよ。家族なんだよ。』
 
 マギーの優しい言葉は、あたしを震わせ、嗚咽が漏れてしまう。 
 
『そうして頑張ってきて、今じゃ誰もが憧れるセレブ娼婦の翡翠チャン!いつも頑張ってるご褒美に、マギーが1日あんたに付き合ってくれるってさ!』

 ゆかりの唐突な言葉に驚き、マギーを見ると、 
 
 『初デートだな。』
 
 と、俯き加減に言った。ゆかりは、事の他、喜んでいた。 
 
 あたしは、あたしの今までの事を、話して、過去が離れていくのが見える気がした。 
 
 悪い夢は、もう見ないでいいんだ。  
 
 あたしは、昨夜の過去との決別から一転して、マンションで着ていく洋服を、必死になって探していた。  
 マギーが言うには 
 
 『デニムで、動きやすい格好。ノーヒール。』
 
 どちらかと言うと、機能性よりも、形重視のあたしにはなかなか難しい注文だった。

 とりあえず、ナラカミーチェの白いシャツを選び、薄手のウンガロの黒のロングカーデを羽織る。デニムは、ドルガバの細身ストレートの黒デニムにした。アクセントに、腰にシャネルのロングストールをベルト代わりに使う。 
 
 靴は、やはり黒にした。ノーヒールで歩きやすいフェラガモにした。 
 
 長い髪の毛をふんわりと、シニョンにする。 
 
 香水は、カジュアルな格好にあう、シャネルのCHANCE。 
 
 これで、用意はできた。  
 それにしても、マギーとノンフィクション以外の場所で会うのは、初めてだし、お客様ではない男性と、デートするなんて久しぶりだ。 
 
 あたしは、なんだか心のどこかを、羽でなぞられているような気分になった。 
 マギーは、可哀想なあたしを楽しませたいのだろう。  
 とても、優しい人だから。

 そんな事を考えていたら、表で、派手なクラクションの音がした。 
 
 窓を、急いであけると、 でかい黄色のアメ車がバーンと停まっていた。 
 
 そして、その車に寄りかかって、顔の小さい、美しいモデルのような、マギーが笑顔で、いた。

44ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:20:00 ID:MEMoqnno
  午前10時。もう秋めいているというのに、日差しが強い。 
 
 あたしは、マギーに手を振って、 
 
 『今すぐ降りていくからー!』
 
 と、叫んだ。マギーが手を挙げた。 
 
 あたしは、エレベーターが到着するのを、待って、やっときた四角い箱に飛び乗った。 
 
 『おはよう!』
 
 マギーが、その少し低い声であたしに言う。 
 
 マギーは、リーバイスの少しダボッとしたデニムに、一目で上質なものだと判る、黒の形の綺麗なカットソーを着ていた。そして、深い深い赤のショールを首からさらっとおろしていた。ボロボロの黒のコンバースが、汚く見えないのは、彼の上品さと美しさなのだろう。 
 
 『マギー、おはよ!』

あたしは、思わず大きい声を出してしまい、恥ずかしかった。 
 
 『今日は、思い切り楽しくて、明日死んでもいいやって思える位素敵な日を過ごそう。』
 
 あー、相変わらずあたしはマギーの言葉の言い回しが好きだ。 
 
 私は、満面の笑みで頷く。 
 今、この瞬間ですらテンションあがりまくりだ!。 
 
 マギーが助手席をあけてくれる。いつもより、マギーの香水の香りが近い。 
 
 『今日のデートプランは決めてきたから、ついてきてくれる?』
 
 『勿論!』
  アメ車の、エンジンの大きな音を皮切りに、マギーとあたしのデートは、始まった。

45ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:20:49 ID:MEMoqnno
 車内には、あたしの好きなKENZIがかかっていて、更に、あたしをご機嫌にさせた。 
 
 『デートと言って思い浮かぶ場所は?翡翠?』
 
 『えー、たくさんありすぎて判らない!ショッピングとか?』
 
 『商売の客と一緒にしてねーか?』
 
 マギーが、笑う。 
 あたしも、つい客と会う事を無意識に想像していたので、笑ってしまった。  
 『定番の夢の国。ディズニーに行くよ。』
 
 ディズニー!あたしみたいな女には、一生縁がないと思っていたのに! 
 
 『あたし、初めて!』
 
 『翡翠のディズニーヴァージン頂きか。』

 『何、それ。つまんねー。』
 
 マギーは、あたしの様子を見て楽しんでいるようだった。 
 
 あたしも、まるで初めてデートするうぶな女みたいで、照れ臭かった。

46ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:21:26 ID:MEMoqnno
 夢の国に到着し、初めて味わう気持ちが、あたしの心を占める。 
 
 平日だというのに、たくさんの人間がいて驚いた。  
 制服を着た、まだ垢抜けない中学生らしき団体が何組もいる。恐らく、修学旅行だろう。 
 
 そういった団体と、すれ違う度に、彼らは、マギーとあたしに芸能人かと聞いてきた。 
 マギーは、髪の毛をあげる仕草をしてみせ 
 
 『モデルやってるんだ。』 
 と、言う。 
 
 おぼこい彼らは、マギーの嘘を本気にし、 
 
 『やっぱり!二人とも人形みたいで、綺麗で目立ってるから普通の人じゃないと思ってた!』
 
 と、興奮気味にまくしたてた。

 彼らの願いで、一緒に写真を撮り、握手までした。  
 これが、スター気取りってやつだね!とマギーが鼻歌まじりに言っている。 
 
 あたし達は何に乗ろうか迷ったが、どの乗り物も恐ろしく並んでいる。でも、せっかく来たのだし、乗り物に乗りたい。 
 
 手始めに、ビッグサンダーマウンテン1時間15分待ちというのに、並んでみた。 
 
 並んでいる間、マギーはあたしが退屈しないように、今まで出会ってきた面白い人の話や、危ない目にあった事なんかを話してくれた。あたしは、全く退屈せずに、1時間15分を過ごす事が、できた。 
 
 順番が来て、マギーとビッグサンダーマウンテンとやらに乗り込む。動きだす乗り物。
 順番が来て、マギーとビッグサンダーマウンテンとやらに乗り込む。動きだす乗り物。  
 何がどうなっているんだろう?私の内臓が揺れて、脳髄がどっかから、ぴゅっと出そうだ。私の身体は今、どこを向いているんだろう?怖くて声も出ないまま、私の初乗り物体験は、終わった。 
 
 降りてなお、ふらふらするあたしの腰を抱えて、マギーが 
 
 『お前、酔っぱらいみたい。』
 
 と言ったが、半分は当たっていた。あたしは頭の中がくるくると廻っていたから。 
 
とりあえず、いったん休憩所?みたいな所に入って座った。 
 マギーが、声を出さずに笑っている。くやしー!

47ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:22:08 ID:MEMoqnno
 マギーが、ジュースを買ってきてくれて、それを飲む。  
 なんとなく、くるくるが落ち着いてきた。 
  
 あたしは、 
 
 『マギー、今度はくるくるしたり、怖いのはやめようよ。』
 
 と、言い、このランドでは定番らしい、『イッツアスモールワールド』に行った。ここは、待ちが少なく、割りとすんなり乗れた。 
 が、何が面白いのかさっぱり判らず、 
 
 『これの何がおもしろいのよ?』
 
 と、聞いてみると、マギーも肩をすくめていた。 
 
 つまり、あたし達は夢の国なんか信じてなくて、あのはりぼてに、滑稽さすら感じてしまう、ひねくれた人間なのだ。 
 
 ちょっとお腹が減ったので、ちょうど行き掛けにあった、チュロスを買って、マギーと半分こした。 
 
 異様に甘い。

 『ね、これってめちゃくちゃ甘くない?』
 
 『間違いなく砂糖の量を間違えてる。』
 
 『えー!本当?』
 
 そんな馬鹿な話をしていると、前方に人が集まり、騒がしい。 
 パレードとやらをしているらしい。 
 
 背の低いあたしは中々見る事ができず、飛んだり跳ねたりしていた。 
 
 すると、マギーが 
 
 『俺の肩、使えよ。肩車してやる。』
 
 あたしは、咄嗟に、 
 
 『ちっちゃい子ぢゃないんだから、恥ずかしいよ!』
 
 と、言うと、マギーがちょっと、意地悪な笑顔で、  
 『翡翠姫は、ちっちゃい子と同じ。早くしないと、パレード行っちまうぞー。』 
 なんて言う。
 あたしは、恥ずかしかったけど、マギーに肩車してもらって、華やかなパレードを、しっかりと見た。パレードの人気者達が、あたしの方を向いて、手をふる。あたしは、有頂天になって、必死になって、手をふっていた。 
 
 みんな、子供の頃、こうやって遊園地とか来てたのかな、と少しだけ思った。

48ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:22:48 ID:MEMoqnno
 日が、だいぶやわらいで、そこ、ここに木陰ができる。木の葉も、もうすぐ色づき始めるだろう。 
 
 こんな事を当たり前に思っていたけど、本当は、とても愛しい事なんだ。 
 
 『翡翠〜。俺からのお願い。今から一緒にパーティーに出てくれるぅ〜?』
 
 『こんな昼間から、パーティーなんてあるの?』
 
 『まだ始まってはないけどね。もうすぐ幕開けだ。とびきり楽しい舞台だ、よ。』
 
マギーは、あたしの手を握り、 
 
  『翡翠チャン、お願い〜。』
 
と、言う。あたしは、 
 
 『いいけどさ。あたし、洋服とか着替えに行かないと。』
 
 と、このカジュアルな格好を眺めながら言った。
 マギーだって、着替えなければいけないだろう。 
 
 すると、マギーは、 
 
 『んじゃ、これから二人で着せ替えごっこしよーぜ!』
 
 楽しげに、そう言った。  
 『着せ替えごっこ?って何?』
 
 『言葉の通りだよ。翡翠も嫌いじゃないゲーム。』
 
 まぁ、マギーがあたしの嫌がる事をするなんて、絶対にないし、あたしは、その『着せ替えごっこ』とやらをする事にした。 
 
 駐車場に行きがてら、マギーが小さく呟いた。 
 
 『小さな翡翠チャンは、楽しい夢の国で遊びました。』
 
 小さなあたしは、現在のあたしと一緒になって、楽しんだに違いない。 
 普通の家庭に生まれてきた子のように。
 
 『マギー、今度の作文には今日の事書くわ。』

 『先生は、花丸をつけて、返してくれるよ。もしかしたら、皆の前で読み上げてくれるかもしれないな。』
 
 『あたし、作文は得意だからさ。』
 
 『翡翠はなんだって得意で、なんだって不器用だよ。』
 
 あたし達は、絵空事を口にしながら、夢の国を後にした。

49ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:23:19 ID:MEMoqnno
  ド派手で、目立つ黄色いアメ車の行き先は、サンローランの路面店だった。 
 
 店の前に車を置き、マギーが入っていくと、 
 
 『池内様、いらっしゃいませ。すぐにマネージャーを呼んで参りますわ。奥のVIPルームにお茶をお運び致しますので、おかけになってお待ち下さいませ。おつれ様も、どうぞ。』
  
 明らかにVIP扱いされているマギーがいた。 
 よっぽどの上客なのだろう。 
 
 芳ばしいコーヒーが運ばれてきた。マギーがショッポに火を点ける。ライターは、あたしも好きな、ローリーロドキンだ。   
 マギーに、話し掛けようとした瞬間に、マネージャーらしき人が入ってきて、マギーに挨拶をしていた。あたしは関係ないや、と思って、部屋の中を観察していた。  
 すると、突然 
 
 『それではお嬢様、ご試着頂けますか?』

 と、マネージャーさんが言ったので、部屋の奥のもう一つの部屋で着替える事になった。 
 
 渡されたのは、目にも鮮やかなセルリアンブルーのソワレだった。 
 
 着てみると、肌の美しさが冴え渡り、まるで貴婦人のようだった。 
 胸元のV字のカッティングに、裾は真ん中が割れている。裾と袖には、チュールがふんだんに使われていた。 
 
 私が出ていくとマネージャーさんは、あたしを褒めまくってたけど、それは商売なんだから、彼も売りたいに決まっている。 
 
 あたしは、マネージャーさんの言葉をスルーして、マギーに聞いた。 
 
 『どうかな?』
 
 『翡翠の美しさで熱を出して、バターになりそうだ。』 
 
 と、言ってくれた。 
 
 ソワレは、ふわふわと優雅に揺れる。あたしの心のように、ふわふわ揺れる。

50ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:23:58 ID:MEMoqnno
 『それじゃ、後は頼んでいたヘアメイクの方々を呼んで来てもらえますか?』
 
 マギーがそう言うと、マネージャーさんは、かしこまりました、と本当にかしこまって言った。 
 ちょっと面白かった。  
 ただ…こんなに隙なく装うなんて、どんなパーティーなんだろうかと考えた。 
 
 『ねぇ。マギー。あたし、自分でヘアメイクできるよー。大袈裟だよー。あたしなんかにヘアメイクさんなんて。』  
 マギーは、私の傍までやってきて、言った。 
 
 『今日は、翡翠はお姫様なんだから。召使になんでも、任せてりゃ、いいんだよ。』
 
 『あたし、いつもお姫様だもん。』
 
 あたしは言い返してやった。 
 マギーは、 
 
 『知ってるよ。だけど今日は、王子様つきのお姫様で、特別なんだよ。判る?』

 『自分で王子様って、言った分マイナスでーす!』
 
 なんだか、あたしは柄にもなく照れているらしい。  
 いかにも、業界人ですーっ!て感じのヘアメイクさん達が来て、あたしを大きなドレッサーの前に座らせた。猫脚の、アンティークなドレッサーは、とても素敵だった。 
 
 マギーは、ヘアメイクの人達に、 
 『彼女の透明感と無垢さ、そしてイノセントな中のエロティックな一面を引き出すようなヘアメイクにして欲しい。』
 
 と、全くの無理難題を言っている。あたしのような、あばずれに無垢なんて表情は、できないはずだ。  
 愛してもいない男に、金で買われ、それを嫌がるわけでもなく、むしろ自分から貪欲に快楽を求めている、こんなろくでなしのあたしに。

 ヘアメイクさん達は、 
 
 『精一杯、池内様のご期待に添えるように致します。』
 
 と、頭を下げた。 
 
 さっきから思ってたけど、マギーって偉いの?どっかの社長?やくざ?殺し屋?  
 一番似合うのは殺し屋だけどね。 
 
 ま、いいか。あたしは皆の手で綺麗にして貰う事に集中するとしよう。

51ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:24:32 ID:MEMoqnno
 『じゃ、翡翠、いい子にして、綺麗にしてもらうんだよ。』
 
 マギーは鏡越しにあたしを見てそう言った。 
 
 あたしは、とっさに 
 
 『ねぇ!マギーは何処に行くの?』
 
 と、聞いていた。 
 
 そう言っているあたしの顔がよほど、情けなかったのだろう。マギーはあたしのほっぺに手をあてて、 
 
 『お姫様に相応しい身なりに変身するんだ。翡翠姫に気に入ってもらえるようなね。』
 
 と、優しく言って、そっと手を離した。 
 
 あたしは、当たり前の事なのに、何故か 
 
 『帰ってくるよね?置いてかないよね?』
 
 と、聞いていた。

 そんな、子供がするような質問にも、マギーは、笑顔で 
 
 『すぐに迎えにくるから、翡翠はお姫様になった自分を想像して、遊んでな』 
 と、言ってくれた。 
 
 あたしは、ようやく、わけの判らない不安から解放され、 
 
 『判った。』
 
 と、小さくマギーに、しばしお別れのバイバイをした。  
 そうして始まるヘアメイク。数人のプロ達が、真剣に話し合っている。イラストを書いて、イメージをふくらまし、やっと、作業にとりかかるようだ。あたしは、一体どんなあたしになるのだろう。マギーの望みどおりの女になっているのだろうか。

 あたしは、そう言えばと思い、スタッフの1人にある事を聞いてみた。 
 
 『あのー…。』
 
 『はい。なんでございましょうか。お嬢様?』
 
 『マギーって、池内なんて名前なんですか?』
 
 こんなに親しげにしているあたしが、マギーの本名を知らない事にスタッフは、とても驚いていた。 
 鳩が豆鉄砲をくらう、ってこういう事なのかなぁ、なんてあたしは考えながら答えを、待っていた。

52ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:25:12 ID:MEMoqnno
 しばしの沈黙の後、若くてお洒落なスタッフさんは、とまどいながらも、なんとか笑顔を作り(いかにも、作り笑顔で、あたしは気の毒な気すらした。)
 
 『池内様のお名前は、理央(りお)様とおっしゃいます。ちなみに漢字では、理科の理に中央の央でございますよ。』
 
 『そうなんですか?随分、女性っぽい名前なんですねー。えー。びっくり!』 
 『池内様は、お美しくていらっしゃいますから、お似合いですよね。』
   
 『そうですね〜。…。』 
 あたしは、曖昧に返事をして、心の中で理央って言うんだー。マギーじゃないとは思っていたけど。 
 
 池内理央は、何者なんだろう。どうして、あたしに優しくしてくれるんだろう。

 あたしが池内理央について、知っている事と言えば、マギーという、ニックネームで、クラブノンフィクションを経営し、あたし達に素晴らしい男達をあてがう。そして、今日知った事だが、相当な金持ちらしい。 
 
 後で、マギーに白状させてやろう。 
 
 ゆかりは、本当のマギーを知ってつるんでるのかな?  
 あたしの終わらない思考の円環が遮られる。 
 
 ドレッサーに座ったまま、ハイヒールをあわせているようだ。話を聞いていると、何足かを、既にマギーがチョイスしていたらしい。 
 
 目だけ下に動かすと、エナメルの真っ赤なピカピカのハイヒールが、何足も並んでいた。  
 何足も脱ぎ穿きしながら、あたしが一番しっくりきたのは、ボッテガのサイドに切り込みが入り、余り目立たないように、黒の薔薇が装飾されているものだった。
 プロの人達に意見を言うのもなんだけど、あたしは 
 『この、ボッテガのが履きたいです。』
 
と、身のほど知らずという武器を盾に言ってみた。  
 すると、恐らくこのチームのチーフだろう。あたしに、そのヒールを履かせて、姿見の方に連れていった。 
 
 何も言わず、真剣にあたし、ドレス、ヒールを見ている。そして、他の赤のヒールも全て履いた上で、 
 
 『お嬢様、こちらのボッテガがこのドレスにはお似合いですね。さすが、目が肥えていらっしゃる。では、こちらのボッテガで、ご用意致します。』
 
 チーフさんに誉められ、嬉しくなったあたしは、ふかふかの絨毯の上を、スキップしながら歩いていたけど、やんわりと、また、ドレッサーに連れ戻された。 
 
 鏡の中のあたしが、どんどんあたしじゃなくなっていくところを見るのも、面白い。ゆかりも、来ればよかったのに。

53ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:25:44 ID:MEMoqnno
  手早い仕事と、素晴らしいチームワークで、いつもと違うあたしが出来上がってきている。 
 
 暫くすると、 
 
『お嬢様、一通りできましたので、池内様をお呼びします。』
 
 と、言われた。あたしは、一体どんなあたしになっているのだろう。マギーの望みどおりの女になっているだろうか。
 この人達はあたしを、ちゃんと綺麗にしてくれたのだろうか。

マギーが来るまで、あたしも鏡を見ないで楽しみに取っておこうっと!
 
 
 程なくして、マギーが現れた。 
 マギーは、 
   
 『君はいつも素敵だけど、今日は特別に美しいよ。』
 
 と、言ってくれた。 
 あたしは、早く自分を見たくなり、スタッフさんにお願いして、姿見を見に行った。

 ヘアスタイルは徹底したアンシンメトリー。右側がおろしてあって、編み込みを少しして、耳をだす形になっている。  
 お花畑で、白い花を摘んでいる少女のようだっ。  完璧に可憐な少女にあたしはなっていた。
 
 逆の左側は、娼婦がよく結う髪の結い方で大きくラフに、少し下の方に髪の毛を束ね、後れ毛をわざと何本かたらし、少し大きめの黒薔薇の香りがほのかに漂う生花を刺していた。 
 
 まさに、マギーが言っていた無垢さの中のエロスだ。   
 香水をシャネルの5番にする。 
 
 メイクは、極力カラーレスにしてあり、フォギーな肌を作っていた。まるで、桃のような肌だった。 
 目元は軽く陰影をつけて、少しのゴールドをスパイスにする。睫毛にはブラウンのマスカラをひとはけ。チークは、本当に薄いピンクのチークをニュアンス的にいれた。そして、口元は、ラインをとらずマットな質感の真っ赤なルージュを子供が遊ぶように、適当に塗ってできあがった。

 ヒールも履いたし、もうこれで作業も終わりだろうと思っていたら、彼らに言わせれば、『とても重要な作業』があるらしい。

54ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:26:26 ID:MEMoqnno
  それはジュエリー選びだったんだけど、あたしの横に並べられたルビーを見ると、(アクセサリーは、ドレスの反対色のルビーが多かった。)家も車も思いのまま買えます!というような、誰が見たって高級なジュエリー達が、我先にとその、美しさを誇っている。 
 
 マギーを初め、皆がその宝石達を見ていた。 
 あたしはなんだか、自分が値踏みされているようで、早くこの場所から立ち去りたかった。 
 
 だけどもし、あたしが  
 『マギーごめん!ちょっと約束入っちゃった。』
 
 と彼に言ったなら、一点の曇りもない笑顔で、 
 
 『判った。送っていくよ。』
 
 と、言うに決っていたから、負けず嫌いのあたしは、絶対に、そんな事を口にするまいと、思っていた。

 ジュエリーを胸元に当てていく。意外にも、あたしが気にいったのは、シンプルな普通の形のダイヤとルビーのコンビのネックレスだった。デコラティブなものが多い、ポンテヴェキオの物だった。 
 
 マギーや、チーフさんやスタッフさん皆が、 
 
 『これ位シンプルな方が、高級に見えるし、翡翠の身体の色とあっている』
 

 と、皆が話し合っている。それにしても、話し合い長い気がするんだけど。あたしは、うっかり、あくびをしそいになり、それを、ぐっとかみ殺した。 
 
 そう言えば自分のコーデに夢中になっていたけど、マギーは、どんな洋服を着ているのだろう。 
   
 『 理央!』
 
 と、ふざけて呼んだら恐る恐るマギーがこちらを振り向いた。

 あたしは、選んだポンテヴェキオのネックレスと対になった長い、ピアスを耳から下げている所だった。。

55ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:27:02 ID:MEMoqnno
 理央と、あたしに呼ばれたマギーは、カツカツと、真っ黒い皮の靴を鳴らしながら、あたしに近づいてきた。  
 『聞いたな?』
 
 あたしの鼻をぶた鼻にしながら、マギーが聞く。 
 あたしは負けじと、マギーの頬っぺたを思い切り、引っ張って 
 
 『聞いたよー!』
 
 と、言った。 
 
 二人で、同時に手を離し、げらげら笑った。 
 
 『池内様、よろしければ、お飲み物等如何でしょう?』
 
 マネージャーさんは、ひたすら気遣いの人だ。 
 
 マギーは、 
 
 『ありがとうございます。ですが、今は大丈夫ですので。』
 
 と、風格のある声を出した。

 『ねぇねぇ。マギーの着てる服ちゃんと見たいから、あたしの前に立って!』
 
 マギーは、あたしの前に黒百合のように、姿勢正しく立った。 
  
 全身真っ黒のタイトなスーツは、裾が燕尾がかっていて、モード感を見ている者に与える。 
 
 ネクタイは光沢のある黒だが、他はシャツもスーツも全て、光沢のないマットな生地が使われている。 
 胸元に刺さる一輪の、珍しく美しい蒼い薔薇が、あたしのドレスと呼応していた。  マギーが、どれだけ細いかスタイルがいいか、思い知らされる。 
 
 ヘアスタイルは、いつものストレートではなく、ふわくちゃにしてエアリー感を出し、後ろでゆるく束ねていた。

 この世のなかに完璧と言える何かがあるとすれば、マギーだ。あたしは、そう思った。 
 
 『姫、今夜のお相手はわたくしでよろしいでしょうか?』
 
 『そうね。及第点ってとこだけど、貴方で我慢しておくわ。』
 
 マギーが、真っ白なセーブルの毛皮のショールを、肩にかけてくれた。 
 
 パーティーの始まりだ。

56ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:34:31 ID:MEMoqnno
【秘密の人との出会い】
 車は、つつがなくフォーシーズンズホテルのエントランスに到着した。 
 マギーは、車を降りると、やってきたボーイに車のキーを渡していた。 
 
 あたし側のドアを開け、手を差し伸べてくれた。  
 ロビーには、たくさんのおじさんと美しく上品な女達がわんさかいた。 
 
 ロビーに入る前、ホテルスタッフに 
 
 『入場券を頂いてよろしいでしょうか?』
 
 と言われたが、ホテルスタッフではない、スーツを着た恰幅の良い男の人が、慌ててやってきて、 
 
 『お坊ちゃん、すいません。どうぞ、中にお入り下さい。』
 
 と、あたし達を促した。 マギーは、一言も言わずに、当然のようにあたしの手をひき、ロビーに入ってていった。 
 
 そして、あたしはあたしがこの場所には、不似合いな人間ではないだろうかと落ち着かない。

 自信過剰ではなく、皆がちらちらあたしとマギーを見ているのだ。 
 あたしは、耐えかねてマギーに言った。 
 
 『ねえ、マギー。みんながこっちを見てるよ。マギーに恥かかせたくないんだよ。』
 
すると、マギーは、俺達を見るのは、俺達が余りに美しく、そしてこの場所で、俺達が特別な立場だからさ、と皮肉な笑顔を浮かべた。  
 あたし達が特別な立場?いや。きっと、マギーが特別な立場に違いない。
 
 マギーは、とある一角を長い指でさす。 
 
 そこには、大きく 
 
 ■池内涼内閣総理大臣祝賀会■
 
 と、書いてあった。 
 
 あたしは、確かマギーも池内だったよね、って考えてた。なのに、思考がうまく繋がらない。パチパチときなくさくショートしそうだ。


※初稿は■池内涼内閣総理大臣発足パーティー■でした

57ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:37:14 ID:MEMoqnno
 ショート寸前。この際、当たり前だけど、マギーに聞いた方が早い。 
 
 『ねぇ。マギーも池内って言うんでしょ?この、総理大臣も、池内じゃん?』
 
 『だね。』
 
 『この人の親戚なの?』 
 『…んあー…とりあえず、会場入ってドリンク飲もうぜ。喉、乾いた。』
 
 半ば、強引に会場内へと入れられる。 
 
 シャンデリアが、たくさんあり、花々が隙間なく、置かれている。 
 
 テーブルは、いくつかあって、色んな種類のオードブルがひしめきあってる。 
 
 『はい、翡翠。翡翠の好きなモエはなかったけど、ドンペリでごめんな。』
 
 と、渡される。淡いピンクのドンペリは、気泡をプクプクと出していた。

 あたしは、なんだか腑に落ちないまま、マギーとグラスをあわせた。 
 
 すると、 
 
 『いらしてたんですか!これは気が付きませんで…。』
 
 と、脂ぎったおじさんがマギーに声をかけ、名刺を渡している。 
 マギーは、飲みかけのシャンパンを小さな丸いテーブルに置き、 
 
 『こちらこそ、ご挨拶が遅れまして。申し訳ありませんが、名刺は持ち合わせていないんです。』 
 
 と、初めから用意していたような笑顔を作った。  
 おじさんは、脂ぎっていて、マギーにペコペコしていたけど、身なりが良く、地位とか名誉と言う、あたしからかけ離れているものを持っているのが、言わずとも判った。 
 
 けれど、それを言えばここにいる、全てのおじさん達、勿論給仕は除いてだけど、全てがこのおじさんと同じ匂いがした。

 あたしには、絶対に纏えない香り。そして、纏おうとも、思えない香り。 
 
 入れ代わり立ち変わり人がやってくるので、あたしはマギーと話ができない。  
 だから、行儀が悪いのは承知の上で、壁によりかかり、シャンパンを何杯も飲んでいた。 
 この、小さいテーブルは、もはやあたし専用みたいなもんだった。オードブルは、大好きなカルパッチョと、少し重いけど、挽肉のパイ包みがあったので、その2品をつまみに飲んでいた。 
 
 なんで、マギーは総理大臣なんかの祝賀会に来てるのだろう。 
 なんで、こんなにも色んな人にちやほやされているのだろう。 
 
 あたしには、ある予感があった。それは、外れてはいないはずだ。 
 けれど、マギーの口から聞くまでは、あたしはわざとらしく、知らないふりをする。

58ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:38:35 ID:MEMoqnno
 『綺麗だね。』
 
 と、いう声があたしの上から聞こえてきた。
 この会場?シャンデリア?花?どれが綺麗なの?と聞いてみた。 
 すると、その背の高い男は、とても楽しそうに笑い、 
 
 『君だよ。』
 
 と、あたしの髪に触れた。プライドの塊のようなあたしは、初対面の男に、そんな事をされたら、絶対に、侮蔑の表情で、その人間が立ち直れないような毒を吐くはずだ。 
 
 ただ、あたしは、マギーやゆかりやあたしのような、匂いをこの男から感じとっていた。 
 だから、攻撃をしなかったのだと思う。

 男は、身長はマギーより少し高い位で、細身ではあるがかなり鍛えているようだった。浅黒い肌。切れ長の美しい瞳に、薄すぎないちょうど良い加減の唇。鼻は、高く、横顔も綺麗だった。漆黒の濡れたような髪は、オールバックにしている。前髪にはらりと、髪がたれている。顎程度まであるみたいだった。顎もすっと尖って、鋭利な雰囲気を纏っていた。 
 マギーと同じく、黒のスーツを着ていたが、そんなにタイトではなく、余裕を持たせていた。真っ赤なシャツは、彼がピストルで、撃たれて、吹き出た血のようだった。  
 まるで、マギーとは正反対なのに、彼がいると、マギーといるような安心感があった。 
 
 『ね、名前教えてよ。』 
 男が、笑顔のまま聞く。あたしは、正直少し迷ったけど、 
 
 『翡翠。』
 
 と、だけ言った。 
 そして、自分だけ名前を知られているのも嫌だから、男にも聞いた。

 『人に名前聞く時は自分から言うんじゃなかったっけ?』
 
 『ああ、失礼。俺は、池内礼央(レオ)。』
  
 と、礼央は名刺を出してきた。 
 池内涼の第三秘書という肩書きだった。 
 
 だけど、そんな肩書きよりも、あたしは名前に釘付けになっていた。 
 
 これは…。

59ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:39:44 ID:MEMoqnno
 池内理央と礼央。どこをどうやって、ぐるぐる考えたって、兄弟であるのは、ほぼ間違いないだろう。  
 容姿は、あまり似ていない。マギーが柔らかい風なら、この目の前の人は、すべてを破壊する嵐のようだった。 
 
 あまりにも、あたしが黙っていたからか、礼央は、  
 『君のパートナーとの関係、知りたいでしょ?』
  
 と、にやにやしながら言ってきた。 
 
 既に始まっていた総理の演説に静まり返った 会場の中にも関わらず、思わず、カッとして礼央の頬を打つ。
 
 

マギーは、何故か総理大臣の舞台袖にいて、こちらを見ている。

 そういえば、さっき、 マギーが少し怒りながら 
 
 『ちょっ…なんですか…』
 
 と、怒っているにも関わらず、まあ、ここは坊ちゃんがいませんと・・・・とかなんとか言いながら、ににこにこして、マギーを連れて行った。

 あたしは、そいつ達を ぶん殴ってやりたかったけど、結局は何も言えず、マギーが連れて行かれるのを、ただぼんやりと、阿呆のように見つめていた。
 
 マギー、そんな所にいないで、あたしの傍にいてよ。あたしとしゃべってよ。笑いかけてよ。 
 
 そんな事を、胸がはりさけんばかりに、考えていると、マギーとよく似た長い指の手があたしを会場から連れ出した。 
 あたしは、抵抗したかったけれど、何故か抵抗できず、しかもマギーの事すら見る事が出来なかった。 
 
 礼央とあたしは、まるでかけおちする二人のように、会場から走り出た。

60ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:41:28 ID:MEMoqnno
 ホテルの庭園のベンチに座る。薄暗くライトアップされた、この場所は、作り物として完璧だった。 
 
 『悪かった!』
 
 いきなり、礼央があたしに頭を下げた。 
 
 『ちょっと、からかってやろうと思っただけなんだ。悪気はないんだ。』
 
 『悪気がないのが一番悪いよ。』
 それは、私の持論だった。無意識に人を傷つける無粋な人間は、好きではない。 
 
 『だな。悪気がないのは悪いよな。すまん。』
 
 本気で謝っているようだった。これが、演技で騙されたとしても、誰もが仕方ないとあきらめるだろう。  
 最初の嫌みな感じや、刺々しい感じは、もう感じられなかった。 
 あの、嵐を巻き起こす雰囲気も消えていた。

 
 本当は、いい奴なのかもしれない。マギーと血縁みたいだし。 
 あ、そうだ。マギーとの関係をちゃんと聞いてみよう。 
 
 『礼央って呼んでいい?あたしの事も、翡翠って呼んでいいからさ。』
 
 礼央は、俯いていた顔をゆっくりと上げて、 
 
 『ありがとう。翡翠。』と、笑顔になった。その笑顔が、マギーと重なる。
あたしは、無言で促すように礼央を見ていた。自分の目が、ビーダマのようになっているのが判る。そして、静かに静かに、礼央は、話始めた。

 『もう、気が付いているかもしれないが、俺とマギーは兄弟だ。腹違いのな。俺は、理央と同じく正妻の子供ということになっているが、妾の子だよ。本当なら、理央が政治に携わって、親父の秘書になればいいのに、あいつはガンとして嫌がり、断った。その代わり、親父の大切な客に美しい女をエスコートさせる仕事を始めて、それで、なんとか親父を説き伏せたんだ。…で、俺は兄貴の代わりとなって、こうして第三秘書をやっている。…第三だから、あんまりやる事もないし、お飾りみたいなもんだ。いや、お飾りそのものだ。』

61ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:42:21 ID:MEMoqnno
 そこまで言うと、礼央が、急に立ち上がり 
 
 『ちょっと、待ってて。』
 
 と、言ってホテル内に走って行った。 
 
あたしは、考えていた。考えたって仕方の無いことを。マギーが、総理の息子…。しかも、こんなに公然と息子として紹介されている。マスコミシャットアウトの会合だから?それにしても、マギーは、相当父親に愛されているようだ。  
 
そんな事を考えていると、ボーイがやってきて、てきぱきと、小さな硝子のテーブルに綺麗なオードブルと、シャンパン、そしてグラスを2つのせた。 
 
 氷を敷き詰めた、クーラーに入っているシャンパンに汗がうっすらかきはじめた時に、やっと礼央が戻ってきた。息切れをして、息をはずませている。 
 
 後ろ手に持っているものを、あたしに差し出す。
 可愛くまぁるくブーケのように、形つくられた、色とりどりのガーベラだった。  偶然にも、ガーベラはあたしの大好きな花だった。  
 ぶっきらぼうに、差し出された花々の花弁が震えている。
 
 『これ…やるよ。…なんか翡翠見てたらガーベラ想い出したから。』
 
 かなり、照れているのだろう、俯きながら、そう言った。 
 
 『すっごく嬉しいよ!礼央!ありがとう。』
 
 その言葉で、やっと礼央が顔をあげた。
 マギーが黒百合なら、この人は、真っ白いガーベラだ、となんとなく思った。愛らしいところがあるから、そう思ったのかもしれない。
 
 周りの手入れされた木々、薄暗くライトアップされている、あたし達。空にはぷっりと、月が船のように浮かんでいる。星達は、あたしのメイクに施されているラメよりも、もっと白く綺麗だった。

 『乾杯しよ。あたし。あの会場の中にいるの、嫌。』
 
 『何も聞かないの?』
 
 『さっき、聞いたよ。それに、聞くより見て知るほうが確かだからね。』
 
 『俺、翡翠の事みくびってた。』
 
 『いいよ。どんだけ見くびられようが、見下されようが、あたしは変わらない。胸を張って、いつでも笑顔で命懸けだよ。』
 
 そうして、あたし達は、あたし達の出会いなんかじゃなく、この美しい空に乾杯をした。

62ノンフィクション:2015/01/10(土) 00:43:07 ID:MEMoqnno
あたし達は、これまでの話をしていた。あたしがマギーのとこの高級娼婦だと知ると、 
 
 『じゃ、俺今度、翡翠指名する!』 
 
 『冗談じゃねー!あたしは、マナーのなっていない男とSEXの下手な男と金を持ってない男はお断りだよ。』 
 
 煙草を口にすると、さっと礼央が火をつけてくれた。若いのに、デュポンのライターだった。 
 
 『ありがと。―ね、なんで、デュポン?』
 
 と聞いてみた。そしたら、礼央は、ぶっきらぼうに  
 『親父のお下がりだよ。』
 
 と、言った。ああ。彼は愛されたいのだ。自分の父親に愛され、信頼され、任せて欲しいのだ。 
 
 『可愛いとこあるじゃん!』
 
 わざと、おどけてみた。本当の、あたしが今思った気持ちを言えば、この男は必ず傷つくだろうから。
 『…翡翠ー…』
 
 遠くで、マギーがあたしを呼んでいる。PARTY IS OVER。 
 
『行かないと。』
 
 『うん…。』
 
 礼央が、あまりにもがっかりしているように見えたので、あたしは、サンローランのバッグからヴィトンの手帳を取出し、携帯番号と、メルアドを書いた。彼も、あたしの手帳に自分の携帯番号とメルアドを書いてくれた。 
 
 あたし達の短いかけおちは、終わった。礼央とは、今度会えるかどうか、判らないけど、あたしは、心を込めて 
 
 『またね。』
 
 と、手を振った。月影で礼央の表情は見えなかった。
 あたしは、どうしてだか、うっすらと涙らしき水分を瞳に感じ、それをポタリ、とそっと落とした。 
 あたしの落とした水分は、朝露のように美しく光っただろうか。 
 暗くて、確認できなかった。

63ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:03:46 ID:MEMoqnno
【マギーとの、夜。】
  さっきは、遠かった声が段々と、こちらに近づいてくる。 
 
 薄闇の中でも、色白のマギーは、ほのかに発光しているかのようだった。 
 
 硝子のテーブル、2つのシャンパングラスを見て、 
 
 『楽しかったかい?』
 
 と、聞く。 
 
 あたしは、 
 
 『楽しかったし、とても興味深かったわ。』
  
 と、有体に答えた。 
 
 マギーは、悲しそうな笑顔を浮かべ、 
 
 『翡翠は、礼央に興味を持った?』
 
 と、心を雑巾をぎゅっと絞るように聞いてきた。
 『持った、のかもしれない。それがマギーの弟としてなのか、1人の男性としてなのかは、自分でも判らない。あたしは、彼から殆んどの事を聞いたけど、マギー、あんたからは何も聞いてないよ。あんたと礼央の関係。そして、何故、総理の舞台横に立っていたかもね。あたしは、あの会場が、なんだか嫌な雰囲気に包まれていたから、逃げ出して、あれから、会場でマギーが何をしたか、しゃべったか、全然判らない。』
 
 マギーは、どこから話したらいいのか、またどんな言葉を選べばいいのか彷徨っていた。 そして、 
 
 『信じてくれるなら…。部屋で話したい。』
 
 と、やっとのことで言葉を繋げた。

64ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:04:21 ID:MEMoqnno
 あたしは、月も星も振り落ちてきそうな、庭園で、  
 『あたしは、いつだって、マギーを信じてるよ。』
 
 と、答えた。 
 
 マギーがスゥイートを取り、庭園のテーブルを片付けてくれるように言っていた。 
 
 そして、ルームキーを持ったマギーは、あたしの腰に手をあて、エレベーターへと促した。あたしは、されるままについていった。 
 
 部屋に入ると、ウェルカムドリンクのシャンパンが1本と、たくさんの新鮮なフルーツが盛られていた。どう考えても過剰なサーヴィスだ。 
 
 『ねぇ、先にお風呂入ったり、メイク落としたりしたいけどいい?』
 
 と、聞いた。あたしは、部屋に帰ったらすぐメイクを落とすから、泊まる所でも、その癖が抜けない。 
 
 『好きにしていいよ。』
 マギーは、窓の外を見ながら言った。 
 
 あたしはまず洗面所で手を洗い、うがいをした。  お湯は、まだたまらない。 
 
 『乾杯だけでもしとく?』
 と、聞いてみた。 
 マギーは、乾杯もするし、フードをルームサーヴィスで頼むという。殆んど、何も食べられなかったようだ。 
 可哀想。 
 
 あたしは、マギーに、チャーハンとスープ頼めば?と、冗談を言った。 
 
 結局、マギーが頼んだのは、シェアしやすい、チーズサンドイッチと、サラダと、ピザだった。 
 
 お湯が、ちょうど良い感じにたまってる。あたしは、 
 
 『覗いたら、ぶっ殺す。』
 
 と、マギーに言ったら、言われないでも覗く気なんか、到底ないね、と鼻であしらわれた。ちぇっ。

65ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:05:10 ID:MEMoqnno
 ここのお湯は柔らかく、高級なバスボムまで用意してあった。泡泡泡泡泡…。 我ながら、子供じみているとは思ったが、遊んでみた。 
 なんだか、マギーとこうして過ごす時間は、あたしにとって、とても楽しい事のようだった。 
 
 髪をおろし、丁寧にブラッシングしてから、洗う。ここのバスグッズは一流品ばかりだ。二流、三流のお客様が、そうと気が付かないように、気配りしている、大変素敵なホテルだ。 
 
 マギーと寝るわけでもないが、身体を丁寧に洗う。 …ひょっとしたら、あたしとマギーの間に性愛が、関係してくるのだろうか?…判らないや。 
 
 浴槽を出て、髪をよく吹き、お肌のケア。ラプレリーをアメニティ品として置いてるなんて、すごい!
 髪には、ちゃんとケアオイルをつける。アヴェダのものだ。ドライヤーは、ナノケアだの、イオンケアだの書いてある。どうやら、サロン専売品らしい。  
 あ、あたしがここを占領したらいけない! 
 と、思い、急いでバスルームから出た。 
  
 すると、マギーがおかしそうに、バスルームのすぐ横に置いてあった、高級リネンの肌触りのいい、バスローブを渡してくれた。 
 
 しまった!私は、バスタオルを巻いて出てきてしまった。全く優雅じゃない! 
 
 自分に腹を立てているとマギーが、笑いを抑える声で、 
『じゃ、入ってくる。』  

と、格好よくバスルームに消えていった。マギーの香水の、残り香だけが、した。

66ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:07:00 ID:MEMoqnno
  お行儀が悪いと、判っていたけど、あたしは、ベッドサイドに、フルーツとシャンパンを持ってきて、寝転がったりして、それらを食べ、シャンパンを飲んでいた。 
 
 ルームサーヴィスは、まだ来ていないようだった。多分、用意周到なマギーが時間を指定したのだろう。自分で、時間を予測して。 
 
 どれ位してからか判らないけど、マギーはバスルームから戻ってきて、あたしを見て 
『翡翠姫は行儀がいいなぁ。』
   
 と、皮肉を言って、くっくっと笑っていた。 
 
 それから、あたしの横のベッドサイドに座り、自分もシャンパンを注いだ。 
 
 『喉、乾いてたから、いつもより、美味しい。…ねぇ。翡翠、こういうのって幸せだと思わないかい?』 
 『あたしは、正直本当の幸せなんて、判らない。だけど…今、マギーがいて、こうして酒飲んで、喋っている事は、とても素敵な事だと思うんだ。』

 『翡翠、それが一般的に言う、幸せというものだ。今までの、翡翠の幸福の認識が低かったから、翡翠はそれに気がつかないんだ。』
 
 それって、いいホテル泊まってシャンパンとフルーツかっ食らう事?とは、さすがに聞かなかった。 
 マギーは、あくまで親切心であたしに、幸福とやらを教えてくれようとしているのだから。 
 
 チャイムの音がする。ルームサーヴィスだ。あたしはお腹すいてないや、なんて思ってたけど、あまりのいい香りに、あたしも食べる事にした。 
 
 二人で、食事している最中ではあったけど、あたしは言った。 
 
 『もう、話してくれてもいいでしょう。』
 
 一瞬、マギーの動きが止まったように見えたのは、気のせいだろうか? 
 
 『そうだな。もう、話さないといけない。』

 と、妙に神妙な顔つきで言った。 
 あたしは、こんな時でも、苦悩するマギーの顔は美しいと、うっとり眺めていた。

67ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:08:19 ID:MEMoqnno
  お互いに、決まっていたかのように、煙草に火を点す。顔を見合せて、ちょっと微笑んだ。 
 白い煙は、何か今まで見てきたもののような、形を作り、すっと消えていった。 
 
 『翡翠も、もう気が付いてる、シナリオ通りだ。俺は、総理大臣の正妻の不肖の息子。そして、礼央は、俺の腹違いの弟だ。
 本来なら、俺が政界に入るべきだったんだが、俺は嫌だった。父親は好きだったが、総理は嫌いだった。政界も、好きになれそうになかった。初めは、俺を無理に政界にひきずりこもうとした親父だったけど…。母親の説得もあり、俺は政界入りを免れ、有り余る金で、儲けにもならないクラブをやってるわけだ。』 
 あたしは、口を挟んだ。  
 『娼婦の方で稼いでるじゃんよ!』
 
 『ま、そうだけどね。おいしい仕事だと感謝してるよ。』それから、『たくさんの癒されたい人間達の待ちがたくさん入っているよ。ありがたい事にね。』と続けた。

 なんだか、淋しげにマギーが言うから、あたしはわざとがめつい娼婦のように
 
『そういえば、仕事頂戴!お金欲しい。』
 
 と、喚いてみた。
 
 『あー、判ったよ。とびきりの上客を用意するよ。』
 
 『その言葉、信じたからね。頼みますよ!社長!』 
 お互いに、なんだか確信からは、遠ざかっているように感じた。
 
 と、言うか、まだ何かある、彼は何かをあたしに言っていないと思ったが、言わないと、判断した彼の気持ちを、あたしは尊重した。

68ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:09:02 ID:MEMoqnno
 『じゃ、そろそろ、本題に。えーっと、政界入りを免れた俺は、おかげで自由に飛び回っている。…だけど、礼央にあんな風に、とばっちりがいくとは、俺は考えていなかった。』
 
 マギーは、悔しそうに、  
 『礼央は、母親から引き離されて、親父の屋敷の一室で色んな政治のやり方や、理論を一日中、たたき込まれていた…。』
 
 『月に一度だけ母親に会わせてもらっていたよ。偶然、見かけたんだが、礼央の母親は、小柄でひっそりと生きているような女性だった。礼央は、妾をないがしろにする親父に代わって、いつも母親に、小遣いをやっていたようだ。親父は、俺と礼央にはたっぷりと小遣いをくれていたけど、変なとこで吝嗇だったよ。』
 
 そして、一息置いてから、
 
 『よく言うだろう。金持ちがなんで、金持ちかと言うと、金を使わないからだ、と。』
 
 そして、それからも、マギーは、何かがプツンと切れたように、喋り続けた。怖い位に。

 マギーは昔から礼央との接触を阻止されていた。礼央の家庭は、総理の出す、たかが知れている金と、礼央の援助で成り立っている事。そして、妾である、礼央の母親も、昔は、輝きに満ちていて誰をも魅了した事。礼央によく似てる事。等を、息継ぎを忘れたように、話していた。そして、何故か、自分もそろそろ礼央に逢わなければいけない、と言ったのがなんとなく、引っ掛かった。  
 
 あたしは、少しマギーの気を紛らわせるために、 
 
 『なんで、マギーは、高級娼婦をあてがう、なんて非人道的な商売を始めたのさ。』
 
 と、前々から聞きたかった事をついでのように、聞いてみた。 
 
 『贖罪だよ。』
 
 は?贖罪?冒涜の間違いじゃない? 
 
 『俺のマージンの全てを、礼央の母親に渡している。最も、顔を見られずに、ポストに入れておくんだけどな。』

 マギーが、そんな事をしていたなんて!自分の選択で、他人の家の内情をぐちゃぐちゃにしてしまった、償いだろうか?それとも、礼央の母親に美しさを取り戻して欲しかったのだろうか? 
 
 そこまでは、聞く必要は、ない。

69ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:09:32 ID:MEMoqnno
 それにしても不思議なのは、第三秘書の礼央が舞台にいなくて、マギーがいた事だ。政界に縁がないマギーが、あの仰々しい薄っぺらい舞台に立つなんて! 
 
 『そもさん。』
思い切り、不機嫌な声をだすあたし。 
 
 『せっぱ。…って、懐かしすぎて、おかしいんだけど。』
 
 と、マギーお得意の口に手をあてて、前側から、腰を持つポーズを取った。    
 畜生。こんな時だってのに、様になってやがる。  
 『今日、舞台に立っていたのが、何故、秘書の礼央ではなく、汝であったのか答えよ。』
 
 マギーの、笑いが止んだ。 そこだけ、スローモーションになる。 
 
 『父親は、母親を溺愛していた。愛人がいながら、愛人を疎かにし、母親に、愛を注いだ。母親は、今、病気で入院している。だから、母親の代わりに俺を紹介して、自慢するんだ。俺は、その時だけの人形だ。』

  あたしは、全てをすっ飛ばして、 
 
 『こんなダセー、シナリオ書いた奴らが悪いんだ。』

 と、言った。妾の面倒をてめーで見れない総理大臣。マギーの代わりにされ、自由を奪われた礼央。それは、全て、マギーのせいじゃない。ないのに。  
 『翡翠、もうそろそろ納得してもらえたかい?なんだか、変な汗をかいて、またシャワーを浴びる羽目になりそうだ。』
 
 あたしは、全てのパズルのピースがバチッとはまったようで、気持ち良かった。
 
 『そうね。また、なんかあったらその度に尋問するわ。』
 
 『そりゃ、大変そうだな。』
 
 マギーが、笑った。

70ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:10:04 ID:MEMoqnno
  あたし達は、全てを聞き、全てを話し、なんだかほっとした。 
 
 ただ、あたしには、礼央の事が気になっていた。  好きでもない事をやっている礼央は、マギーの言う所の『幸福』ではない。 
 
 明日にでも、礼央に連絡してみようか?でも、何故かマギーに悪い気がして、少しの迷いがあたしの中に生じる。 
 
 マギーとあたしは、バスローブのままで、ピザをかじり、サンドイッチを頬張った。   
 寝転がりながら、笑いながらシャンパンを口にする。  笑っているから、うっかりとシャンパンを零してしまった。その、零れたシャンパンは、私の鎖骨に小さな小さな、水溜まりを作った。 
 
 拭かないと、ベッド汚すな、と思っていたら、マギーが、その小さな水溜まりになったシャンパンをそっと、啜った。 
 
 あたしは、びっくりして動けないままベッドの上で寝転がっていた。

 マギーは、無言で、灯りをおとしてゆく。そうすると、不思議な事に、たくさんあるアロマに次々と火が灯り、ゆらゆら揺れていた。  それは、とても幻想的だった。 
 
 マギーが一瞬姿を消したと思ったら、大きな籠を手に表れ、あたしの寝ているベッド全体に、薔薇の花びらを降り注ぎ始めた。 
 
 それは、夢のように美しく、芳しかった。 
 あたしは、うっとりと、その演出に寄っていた。  
 たくさんの薔薇の花びらに覆われた頃、マギーが 
 
 『気に入ってくれた?』 
 と、聞いてきた。 
 あたしは、満面の笑みで  
 『勿論だよ!どきどきする位気に入ったよ!』
 
 と、本当にどきどきしながら言った。

71ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:10:36 ID:MEMoqnno
 『そっか。良かった。…本当ならもっと素敵なデートにしたかったんだけど、親父の祝賀会に来たのが間違いだったな。もっと、めちゃくちゃにして楽しんでやるつもりだったけど…なんか、できなくてさ。悪かったな。』
 
 残念そうなマギー。 
 
 『マギーは、今日のお父さんの祝賀会に、なんであたしを連れていったの?めちゃめちゃに楽しむ相棒?』
 あたしは、聞いてみた。
 『翡翠を…。親父に見せたかったんだ。母親を溺愛しているように、俺も溺愛している翡翠を親父に見せたかったんだ。子供っぽくて、言えなかったけど。』  
 あたしは、言葉を失った。マギーがあたしを愛しているのは知っていた。あたしも、マギーを愛しているし。でも、それは親密な友情をもっと煮詰めたようなものであると、あたしは考えていた。 
 
 『シャンパン飲むかい?翡翠?』

 思考を駆け巡らせているあたしに、平気でマギーはそう言った。でも、確かにあたしは、喉が乾いていた。もしかしたら、思いがけないマギーの告白のせいかもしれない。 
 
 『喉、乾いた。』
 
 それだけ言うと、マギーは、その隙のない美しい顔をあたしに近付け、口移しで、シャンパンを流し込んだ。  
 こくん、とあたしの喉が鳴る。

72ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:11:20 ID:MEMoqnno
 全くもって、サプライズの連続で、あたしはなんだか、身体の芯がふにゃふにゃになってしまっているようだ。 
 
 『信用させて、部屋に来たのに、びっくりだよな。正直、俺もびっくりしてるんだ。ここに来るまでは、本当にそんな気はなかった。信じてくれ。…なのに…こうして、二人でいたら、翡翠の事が欲しくて、自分のものにしたくて、たまらなくなったんだ。…ごめん。翡翠、男には気を付けろよ(笑)』
 
 作り笑いのマギーを、あたしは苦しい気持ちで見ていた。 
 あたしは、ここでマギーを受け入れたらいいのだろうか?それとも、拒否した方がいいのだろうか? 
混乱していた。 
 
 こんな時はゆかりだ。   
 あたしは、ショールを羽織り、スパンコールのクラッチバッグを持って、 
 
 『煙草買ってくる。』
 
 と、逃げるように部屋を出た。

 そして、ゆったりとした喫煙室に急いで入り…幸い誰もいなかった…ゆかりに電話した。 
 コール音が、もどかしい。  
 お願い、ゆかり、出て!  
 『は〜い!かわいこチャン。今頃マギーと、ベットかと思ってたわよー。』
 
 呑気なゆかりに、事の概要を話す。あたしは、今、どうするべきか。逃げ出すべきか。受け入れるべきか。 
 ゆかりは、呆れたように言う。 
 
 『あんたは、何を迷っているわけ?翡翠にはマギー、マギーには翡翠だと、あたしはずっと思っていたんだけど。』
  
 『判らない。怖いんだよ。ヴァージンみたいに、震えるんだよ。』
 
 そう言うと、ゆかりは、でかい声で、あはははは!と大笑いした。 
 あたしは、少しむっとして 
 
 『何がそんなにおかしいのよ!』

 と、言った。ゆかりは、まだ笑いながら、 
 
 『あんたも、子供じみたとこが、あるのは知ってるけどさ。まさか、ここまでとはねー。』

73ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:13:08 ID:MEMoqnno
  まだ、笑いは続いてる。  
 『ヴァージンみたいな気持ちって、好きだから、そう思うんじゃないの?』
  
 『あ……。』
 
 あたしは、ゆかりの言葉に、はっ、とさせられる。   
 『だから、あんたは今からマギーと、素敵な夜を過ごせばいいんだよ。…難しい事は、後で考えたらいいさ。あたしも、フォローするから、翡翠は翡翠のままで、気持ちのままに、マギーにぶつかりな!』
 
 あたしは、なんてたくさんいらないものをくっつけて、ゴテゴテデコレーションして、考えていたんだろう。 
 
 男と女はシンプルでいいんだ。あたしが、いつも思ってた事じゃないか! 
 
 『…ゆかり。ありがとう。あたし、大事な事忘れてたよ。ゆかりに言われて思い出した。』
 
 『あたしなんかが、役に立てて光栄だわ!…じゃ、素敵に熱い夜を過ごしてね。なんかあったら、いつでもあたしに連絡してよ。また、明日ノンフィクションで飲もう。』

 『ありがとう、ゆかり。ゆかりに電話して良かった。明日、ノンフィクションで、飲もうね!』
 
 と、言って切った。 
 
そして、あたしは凛とした気持ちで、部屋へと急いだ。待たせては、いけない。この熱を、そのまま彼に伝えたい。 
 
 部屋のチャイムを鳴らす。  暫くしてから、ドアが開いた。

74ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:14:11 ID:MEMoqnno
 『おかえり。』
 
 あたしは、何も言わずに、シャンパンをくーっと飲み干し、ベッドサイドに座って、何気ない感じを装い、バスローブの紐を外した。 
 
 はらりとバスローブの前が開き、そこ、ここの白い肌が垣間見える。 
 
 『マギー、今はエスコートしてくれないの?ヴァージンのお嬢さんが待ってるんだけど。』
 
 マギーは、信じられないという言葉を、大袈裟に言い、外国人のような、オーバーリアクションを見せた。 
 
 クスクスと、あたしが笑っていると、ようやく落ち着いたのか、マギーが少し緊張した笑顔でやってきた。 
 
 あたしは、さっきのお返しに、マギーにシャンパンは口移しで飲ませてあげた。 
 
 マギーの白い喉が動く。  
 そして、また魔法のようにアロマの灯りが消えた。   
 マギーがあたしのバスローブをそっと脱がす。
 そして、自分のバスローブも、床下に落とした。 
 
薔薇のベッドに潜り込み、息ができない位激しく、切ないキスをした。 
 
 マギーは、あたしの身体の隅々までキスの祝福を降らし、あたしの身体の形を確かめるように、なぞっていた。 
 
 あたしは、身体をなぞられれるだけで、熱い吐息を吐いた。 
 
 マギーは、大胆になっていき、あたしを色々な形で愛した。時にはあたしが、上になり、彼を見下ろし、時には、彼があたしをバックから、抱き締めるように愛してくれた。 
 
 あたし達は、お互いの気持ちの良いところを、鼻のよい豚がトリュフを探すように、探り当て、その部分を刺激した。
主に、マギーがあたしを快感に誘った。 『翡翠は何もしなくていいから。』 と、囁いた。  
マギーの長い睫毛に影が落ちる。そして、いつもはつめたく見える絶対零度の唇が、あたしの身体に押しつけられ、あたしも熱く熱くなる。
 
 マギーがあたしに入ったり、出たりと焦らされる度に、あたしの甘い密は、はしたなくとめどなく流れる。それを、マギーが綺麗に舐めとる。 
 
 静かな部屋の中に、ペチャッ、クチュッ、という卑猥な音が響き渡る。だけど、あたしにはその音は、二人の愛のようなものの音に聞こえた。

75ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:15:16 ID:MEMoqnno
マギーは、とても丁寧にあたしを愛した。激しいのに、壊れ物を扱うような。大切な宝物を、手に初めて持ったような。

 あたしは、マギーの愛撫を全身全霊で受けていた。

 焦らしに焦らされている為に、あたしは、どこを触れられても、身体がビクッと反応してしまう。

 順番なんて、順序なんて、彼には関係が無く。そして、それがまた、あたしに火をつける。

 少しだけ、少しずつあたしの 中に入っていたものが、あたしの中の奥の奥まで入ってくる。

 快楽と、嬉しさに溢れるセックスをあたしは、初めてしたと思う。
 その、気の遠くなりそうな快楽の中で、ふと、礼央の顔が浮かんだ。あたしは、気のせいだと思うことにして、行為に集中した。

 マギーは、果ててもあたしに愛撫する事を決してやめなかった。

 なめて、触って、くすぐり、永遠に続くかのように。あたしの身体に触れていた。

 あたしは、また欲しくなり、何度もねだった。

 愛おしそうに何度も、あたしの中に入ってきてくれる彼を、とても可愛いと思った。
 
 この夜が永遠に続けばいいと、2人とも思っていたはずだ。

 けれど、何度も何度も愛し合い、果て、また愛し合いと繰り返していた2人に、とうとう朝と言う、すこぶる嬉しくないものがやってきた。
  
 しかも、清々しく。

76ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:16:02 ID:MEMoqnno
 最後にマギーとあたしが果てた時には、日は昇り始めていた。

 あたし達は、名残惜しさに何回も何回もキスを交わした。

『殺したいほど、愛してる翡翠。』

 マギーは本気で言っている。あたしは、

 『マギーになら殺されてもいいよ。』

 と、本音を言った。

 マギーは、聞いてきた。

 『仕事は?』

 あたしは、マギーと寝る覚悟を決めてから、思っていたことを言う。

 『仕事は続ける。あたしは、自分の仕事にプライドを持っているからね。』

 『判った。翡翠らしい理由だ。』

 すると、マギーは、あたしを抱き寄せ、

 『俺も仕事はきちんとまわす。』

 規則正しい鼓動を聞きながら、あたしは頷いた。
  
 あたし達は、一夜を共にした。そうして愛し合っている。 
 けれど、どちらからも、付き合う、という言葉は出なかった。 
  
 付き合う事は、簡単だったし、そうすれば楽しい日々が待ってるのも、お互い知っていた。 けれど、そうしない事を、きっと二人は選んでいたのだ。 
 触れ合ったとしても、お互いを縛り付けないのが、得策だ。 
 
 でないと、マギーもあたしも嫉妬に狂いながら、仕事をしなければいけなくなるだろう。

 そんなのは、ごめんだ。  
 あたし達は、きっとこの先も、快楽を貪りあう。  
 だけど、恋人にはならない。なれない。 
 それは、少し悲しいけれど、切なくて悪い気はしなかった。 
 マギーも、きっとあたしと同じ気持ちだろう。 
 
 マギーはあたしをきつく抱き締めながら、 
 
 『忘れない。』
 
 を、繰り返していた。  
 それが、なんなのかは、あたしにはさっぱり判らなかった。

77ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:17:09 ID:MEMoqnno
 あたし達はそう決めて、2人のお守りのリングを買いに行こうという話しを始めた。

 意外にもマギーからの提案だった。
 マギーはそんなにも愛に、餓えていたのだろうか。そんなにも、あたしを愛していたのだろうか。

 あたし達は、散らかしっぱなしの部屋を後に、普段着の方に着替えて、リングを買いに行く事にした。

 マギーには、今日用事がある、と昨日聞いていたから、

 『用事いいの?』と聞いたのだが、

 『大した用事じゃないから構わないよ。俺にとっては、目の前の、翡翠との買い物の方が大切だ。』

と、言うので言われるがままに、マギーの車に乗って、フォーシーズンズホテルを後にした。でも、マギーはそうそう他人との約束を反古にする男ではない。本当に大した用事ではなかったのだろうか。あたしは、その用事とやらから、マギーが逃げている様に思えた。
 けれど、こんな楽しい気持ちを抑えられるわけもなく…あたし達はリングを探しにでかけた。
 
 支配人は、あたしがあまりにも昨夜、シャンパンをオーダーしたからだろうか、お土産にシャンパン1ダースをマギーの車に積んでくれた。

 ラッキー!と、思いつつも、マギーはよっぽどの上客なんだろうと改めて思った。
 
 総理大臣の息子って、やっぱりすげー。 そんな風にしか思えないあたしは、やっぱりお馬鹿。 
 ま、いいか。

 その時のあたしは、お揃いのリングという初めての体験に浮かれていた。

 車のスピードが「あがる。あたしは、窓を開けて、風を身体に感じていた。

78ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:18:02 ID:MEMoqnno
ショップが開くには、まだ早い時間で、あたしとマギーはお腹がすいていたし、適当に近くにあったお洒落なカフェに入った。
 
 オープンカフェで、よくよく名前を見ると、結構な有名店で、雑誌でも名前を見たりもした覚えがある。

 あたし達は、何故か道路に面する席に案内された。店内は、ガラガラだというのに。

 あたしは、

 『あの、あたし達、中の方がいいんですけど・・・。』

 と、スタッフに言ってみた。すると、彼女は、にっこり満面の笑顔で

 『こんなにお綺麗なお2人がうちのお店にいらして下さったんですもの!!通りの皆さんにもアピールさせて下さいよ!お願いします!!きっと、ここを通って、お二方を見た方は、’この店はお洒落な店なんだなーとお思いになって、いらっしゃってくれますから!!ご協力お願いします!!』

 さすがにそこまで言われると、あたし達も断る気がなくなる。

 彼女は、元気に

 『ドリンク、サーヴィスしますから!』

 と、陽気な声で言った。

 その、元気なスタッフの彼女の思惑は大当たりで、続々と人が入ってきた。道を通る人々や、店内の人々が、私たちに見惚れている。

 見られることに慣れているあたし達は、人々の視線を受け流し、お喋りしながら軽い朝食を済ませ、店を出ることにした。

 スタッフが、

 『すいません!!写メ撮らせて貰っていいですか?』

 と、言って来た。あたし達はそれに、応じ、気持ちよく店を後にした。
 
 こういった事は、あたし1人でいてもよくある事だったし、恐らくマギーもそうだったのだろう。

 お互いに、特別な出来事とは、捉えていなかった。  
 さすが、マギーとあたし。

79ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:19:11 ID:MEMoqnno
【疑惑。】
 結局、その後、ヴァンクリに行ったり、カルティエに行ったりと、右往左往したが、結局、最初に行ったヴァンクリのカーブがとても綺麗で、更にダイヤのクラリティが、とても良いものを選んだ。元々カルティエのラブリングのような、誰しもがしている愛の記号があたし達は嫌いなのだ。ヴァンクリのリングは、ラッキー7にちなんで、流星のように、ダイヤが7つ並んでいる。その、ダイヤのリングの素材はレディスはピンクゴールド、メンズは、マットなゴールドだった。 
 あたしの指が、余りにも細いので、お直しに1ヶ月かかると言う。 
 あたしは、 
 
 『えーっ。1ヶ月もかかってたら、他の欲しくなっちゃうかも。』
 
 と、わざと駄々をこねてみた。 
 
 すると、スタッフとチーフ(偉そうにしてたから、多分そう思う。)が、こそこそっと、耳打ちして、 
 
 『池内様は、お得意様ですから、二週間で仕上げさせて頂きます。勿論、丁寧に、お取り扱い致しますので、ご心配なさらないで下さいませ。』

 と、にこにことってつけて笑っていた。 
 
 『池内様、お届けに致しますか?』
 
 『いや。とりあえず仕上がったら連絡をくれ。この、美しいレディとのデートの口実になる。』
 
 なんて、目の前で恥ずかしい事を言ってしまっている。畜生。マギーの奴、あたしを赤面させやがって。  
 けれど、それは裏返しの心理で、あたしの心は弾んでいた。ぼんぼんぼんと。    
 チーフが、『刻印はどうされますか?せっかくですし、何か刻まれては?』
  と、ナイスな提案をしてきて、あたし達はそれにのった。だけど、普通でない二人は普通の刻印が嫌で、かなり悩んだ。
 あたしは、
 
 『ね、これぢゃ、ダメ?』

 と、マギーに聞いてみた。 予め渡されていたメモ用紙に、*HiMe&oH!Ji* と、書いてみせた。マギーは、殊の外喜んで、刻印は決定した。チーフに、刻印の文字を書いたメモを渡す。すると、捻巻き人形のように、 
  
 『さすがに、お二人がお考えになった刻印ですね。とても、ハイセンスです。今迄、このようなハイセンスな文字を彫らせて頂いた事はございません!わたくし共も、このような、刻印を彫らせて頂きまして光栄でございます』
 
 と、まくしたてた。これ以上チーフの戯言を聞く気が全くなかったあたし達は、チーフが一呼吸、置いたのを見計らって、
 
 『それでは、仕上がりましたら、ご連絡下さい。』

80ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:19:44 ID:MEMoqnno
 と、素敵な館のヴァンクリを後にして、あたし達は、これからどうしようか、と派手なオープンカーで街を流しながら、話していた。 
 
 マギーがふいに 
 
 『俺、ヴァンクリにリングを翡翠と、取りに行くって言ったよな?』
 
 と、聞いてきた。あたしは、『?』と思いながらも、さっきそう言ってたよ、と教えてあげた。 
 マギーは、ぼそっ、と 
 
 『だよな。』
 
 と、呟いた。それから、急に車を道の脇に寄せ、何かを書いていた。 
 
 そういえば、マギーは前から、よくメモをする人だった。 
    
 マギーは、仕事絡みで人と逢う事も多いし、Wブッキングさせないためだろう。
 
 そんな、マギーの配慮にあたしは、喜んでいた。内心。
  二人で、昼からの楽しい時間の事を考える。

 マギーは、電話がかかってきて、口パクで、 
 
 『ちょっと、ごめん。』 
 と、言って、車から少し離れたところに行った。神妙な顔つきが、なんだかあたし達の幸せって気分に黒い影を落とす。 
 あたしは、それを振り払うように、自分の携帯もチェックした。気が付けば、昨日から私の携帯は、バレンシアガのバッグの奥にしまいっぱなしだった。 
 
 画面を見ると、着信と、メールの履歴のマークがあった。どうせ、ゆかりが、あたし達をちゃかしたメールをいれているのだろうと思った。 
  が、着信履歴を見ると、見たこともないナンバーの羅列だ。新手の詐欺かぁ?!とか思いながら、あたしは、今度はメール画面を開く。  
 そこにも、たくさんのメールが入っていて気持ち悪いと言うより、なんなんだこれは!という気持ちの方が大きかった。 
 
 あたしは、急いでメールを開いた。何十件も、入っているメール。携帯ナンバーと同じで、知らないアドレスだ。     
 ひとつ、ひとつ、メールを開いて読んでいく。

81ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:21:56 ID:MEMoqnno
 『翡翠と遇えてよかった。ありがとう。』
 『翡翠は、今どこにいるんだろう。』
 『翡翠が理央といると思うと、なんだか苦しい。』
 と、女性なら誰しもがくらくらくるような台詞のオンパレードだ。しかも、相手はマギーとは、また違う美しさを持った男。漆黒のかみの色と、ややつり目の鋭い目付きが思い出される。  
 あたしは、そっと、マギーを盗み見る。なんだか、話が難航しているようだ。車の通りが結構あるので、はっきりとした会話は、ほとんど聞こえなかったが、一度、珍しくマギーが怒鳴った時だけ、声が聞こえた。  
 『先生!判ってます。でも…なんとかなりませんか?!』
  
 と、言っていた。 
 
 きっと、政治家の大先生にでも、何かお願い事をしているのだろう。

 あたしは、今の隙に礼央に連絡をしておこうと思った。マギーは、あたしと礼央が電話で喋っていたって、怒らないだろうが、あたしが嫌だった。礼央とあたしが喋っているのをみられるのは。
 
 あたしは、慌ててバックコールする。こんな時のようなセオリーのように礼央は出ない。 
あたしが諦めかけた時やっと、礼央が出た。  そして、出た途端、 
 
 『翡翠!翡翠!逢いたいよ。昨日のかけおちの続きをしたいよ!』
 
 と、周りに人がいないのか、嬉しそうに叫んでる。  
 あたしは、携帯を耳から少し離し、こう、言った。

82ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:35:56 ID:MEMoqnno
 『礼央、ごめんなさい。今はちょっと時間がないのよ。夕方位まで待てる?』 
 礼央は、 
 
 『本当は待てないけど、待つよ。翡翠は、だって理央といるんだろう。』
 
 まるで、子供が拗ねているようで可愛かった。 
 
 『でも、夕方からは、あなたと一緒よ。あなたが思う分だけ、一緒よ。』
 
 そういうと、礼央は、  やっと、落ち着いて、  
 『判ったよ。夕方まで静かに待つさ。ドレスコードは特にないから、翡翠の普段着ている服を見せてくれ。』 
 と、言ってきた。 
 
 『OK!ご主人様。待ち合わせ場所はどこにする?』 
 『翡翠が決めてくれていーよ。』
 
 『じゃあ、どちらかが待っても退屈しない新宿伊勢丹がいいかなー。』

 『それって、自分が退屈しない場所だろ?』
 
 『私はこれでも、気を使ってるの!着いたら、お互いにメールしましょう。』
 
 『ああ。』
 
 楽しくてマギーの方を見るのを忘れていた。マギーは、ちょうど電話が終わったらしかった。 
 
 『じゃ、あとでね!』
 『あとで。』
 
 
 私は、急いで電話を切り、また、そっとバッグに戻した。   
 マギーが、空を見つめている。何かあったのかと思い、あたしも、車から降り、マギーに駆け寄った。 
 
 マギーがあたしを見る。  いつもより、明らかに顔が青白い。死人を想像させるような…。 
 
 あたしは、驚き、マギーに病院へ行こうと言ったが、マギーは華麗に微笑んで、ただの貧血だから大丈夫、と言って、頑なに病院に行く事を拒否した。

 大の大人に、これ以上、何が言えるのだろうか。  
 あたしは、マギーに 
 
 『とりあえず、今日のデートは切り上げて、次のデートのお誘いを待つことにするわ。』
 
 と、ウインクをした。 
 
 『やめてくれ!そんな魅惑的なウインクをされたら、離れたくなくなる!』
 
 そして、続けざまに空を仰ぎ、道行く人々なんか、目に入らないかのように、 
 『OH!ジーザス!』
 
 と、ふざけて叫んだ。  
 周りの人間が、異形のものを見る目で、通り過ぎて行く。 
 ふっ。美しくないあなた達には、所詮こんなふざけたお遊び判らないでしょう。心に錆がいっぱいついて、そんなに醜くなった事も、知らないで。 
 可哀想だね。 
 
 あたし達は車へと戻った。

83ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:36:58 ID:MEMoqnno
 マギーに、運転は私がすると言ったが、ナイト気質の強いマギーには受け付けてもらえず、結局、マギーの運転で家まで送って貰った。 
 
 『ねぇ、マギー。病院行くのがそんなに嫌ならもう、無理に行けって言わないから、ノンフィクションの方、スタッフの子達に任せて、今日は寝たら?』
 
 と、反抗される事を前提に言ってみたが、よほど具合が悪いのだろう。一言、  
 『そうする。』
 
 と、言った。 
 
 『あたし、マギーんち行って、看病しようか?』
 
 と、聞いてみたが、 
 
 『俺は、翡翠の前では、なるだけかっこよくいたいんだ。だから、ありがたいけど看病してもらうのはやめとく。これ以上、醜態を晒すのは、耐えられない。』
 と、とても悔しそうに言った。


 あたしも、そうだから判る。それは、あたし達の美学のようなものだった。  愛しい人間の前で美しくない自分でいるのは耐えられない。 
 
 『あんまり、ひどいようだったら電話して。すぐ行くから。』
 
 今のあたしに言えるのは、これ位のものだ。 
 
 マギーは、しゃがみこみ、  
 『判った。もうどうしてもの時は、渋々連絡をする。』
 
 と、言った。とりあえず、さっきよりも顔色も体調も悪いマギーは、私のマンションの駐車場に車を入れ、タクシーを呼んで、帰る事になった。

84ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:37:50 ID:MEMoqnno
  マギーをコンクリートに座らせ、タクシーを待つ間、 
 
 『あたし、今日ノンフィクション行くよ。』
 
 と、とりあえずは報告した。マギーは小さな声で、  
 『ゆかりと?』
 
 と、聞いてきた。 
 
 一瞬鼓動が波打つ。が、ゆかりもいるのだから、間違いでも、嘘でもない。  
 『そ。ゆかりと。』
 
 『そっか。残念だけど、俺は今日は、顔出しできなさそうだから、ゆっくり飲めよ。』
 
 と、弱々しく笑い、あたしの頭ごと引き寄せ、熱いキスをした。なんだか、悲しいキスだった。 
  タクシーがやって来るのが見えた。あたしは、マギーを立たせ、タクシーに乗り込ませた。 
 マギーもあたしも名残惜しかったが、これ位の名残惜しさがあった方が、愛は長生きする。

 あたしは、 
 
 『本当に具合それ以上悪くなったら、連絡してね。』
 
 と、マギーに言った。彼は少し笑顔であたしに軽くキスをし、手をあげて去って行った。 
 
 あたしは、タクシーが見えなくなるまでその場所に立ち尽くしていた。 
 
 それから、あたしは罪悪感とともに、次の約束の用意をする。 
 
 あたしは、こういう女なのだ。好きな男がいて、その男に好かれていたとしても、もっともっとと、求めてしまうのだ。 
 そして、あたしはその気持ちに嘘はつかない。例え、罪悪感で胸がいっぱいであろうとも。 
 
 礼央は、確か普段着でいいと言っていたっけ。こないだゆかりと09で買った洋服を着ていこう。

 黒の袖がバルーンになっているニットは、デイシーで買ったもの。それにアーガイルのベストをあわす。ネイビーと赤のコンビだ。これは、スライで買った。プラチナムマウジーで買った濃いインディゴのダメージデニムを履き、エゴイストで買った大判の赤と黒のチェックのストールを三角に腰に巻く。ストールの面積を狭くすれば、柄物同士でも喧嘩をしない。 
 そして、スナッチで買ったブラウンのハットを被り、ナイキとミルクフェドの白いシューズをあわせる事にした。 
 
 大人のスクールガールだ。 
 
 メイクは…。そうだ。RMKのクリームファンデが気になっていたし、フルメイクをお願いしよう! 
 
 時間は4時を少し過ぎたところ。4時半には伊勢丹に着くだろう。

85ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:38:20 ID:MEMoqnno
  あたしは、そう踏んで、髪の毛だけを丁寧にブラッシングし、エスティローダーのビューティフルという香水をふりかけ、フォピッシュの赤い猫の書いてある大きなバッグに入れた。 
 
 街中を1人で歩く時程、うざい時はない。 
 ナンパや、スカウトの嵐。あたしは、それらをスルーして、電車に飛び乗るのだけど、車内にも、そう行った連中がたくさんいる。あたしは、iポッドを聞いてご機嫌だというのに。 
 
 あたしは、なんとか新宿で降り、走るように伊勢丹に向かった。 
 
 驚異的な早さで、伊勢丹についたあたしは、さっきまでのいらつきは、どこへやら、楽しい気分が膨れ上がってくる。目指すは、RMKのカウンター。すっ、すっ、と歩くあたしを羨望と嫉妬がない交ぜになった瞳であたしを見る。 
 
 カウンターにつくなり、BAさんを捕まえる。 
 
 『すいません。ファンデーションの色合わせお願いできるかしら?クリームファンデがいいわ。』

 と、いうと、少し筋肉質でばっちりメイクのBAさんは、にっこりと笑い 
 
 『では、こちらにおかけになって下さい。』
 
 と、言い、荷物も預かってくれた。 
  
 彼女は、あたしの顔を見て、 
 
 『とても色がお白いので一番白い色がいいですね。』
 と、言い 
 『それでも、まだお肌のお色の方がお白いので、コントロールカラーのブルーと、透明感を与えるシルバーのベースも使いましょう。』
 と、言った。 
 
 あたしも、それに異存はなかったので、一言、 
 
 『全てお任せしますわ。』
 と、言った。 
 
 クリームファンデは、とても伸びがよく、そばかす等はかくれないだろうが、素肌が綺麗な人に見えた。

 フィニッシングパウダーは、てかりやすい部分にしかつけなかった。お主、なかなかやるな、等とふざけていたら、 
 
 『こんな、仕上がりになりますが、如何でしょう?』
 
 と、楕円の大きい鏡を見せてくれた。 
 本当に薄づきのファンデーションで艶があり、あたしはとても気に入った。 
 
 『とってもいいです!』 
 あたしが本心から、そう言うと、彼女はあたしに礼を言い、フルメイクをするかどうかと聞いてきた。 
 
 答えは勿論YESだ。 
 
 相談しながら、シャドーや、チーク、グロスの色を決めていく。 
 結局、少し遊びをいれるメイクにした。 
 大人のスクールガールのイメージを壊さずに。

86ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:38:52 ID:MEMoqnno
  シャドーは全体にまず、バナナ色を。これで色がくすまないで、この上にのせるシャドーの色が引き立つ。そして、うすいネイビーを目尻を避け全体にいれていく。そして、二重の幅より少し、はみ出す程度に濃い、ラメ感のあるネイビーを入れる。これは、少し長めに。それから黒のラメラメのライナーで目元をしめ、シルバーのシャドーを、星屑のように散らす。そして、赤いシャドーを目尻にすっと入れる。そうすると、とてもガーリーな印象になるし、ありきたりではない。  
 目元に、重点を置いたので、あとは薄いベージュピンクのチークをハートを描くようにいれ、桃色のルージュの上から、クリアでラメが入っているグロスを重ねた。 
 アイブロウは、パウダーで眉毛が薄いところを埋めていく程度にしてみた。 
 
 もう一度、BAさんが大きな鏡を見せてくれた。 
 
 自分で言うのもなんだが、とても可愛い! 
 あたしのメイクとは全然違う!まぁ、プロにしてもらっという事もあるのだろうけど。 
 BAさんが訪ねてくる。
 『こんな感じで如何でしょうか?』
 
 あたしは、如何も何も!という言葉を、ぐっと抑え  
  『すごく素敵!これから、あなたを指名するわ!今日、使ったもの全て頂くわ。』
 
 と、言ったら、周りで聞き耳を立てていたのか、ぎすぎすした身体の女達に睨み付けられた。 
 
 BAさんは、名前を三崎さんという。名刺ももらった。三崎さんは商品の用意をするのでお待ち下さいませ、と行って、商品を出しまくっていた。 
 あたしは、そんなに急がないでも、いいですよ、と声をかけようと思ったが、きっと大きなお世話に違いない、と思いやめておいた。暫くして、三崎さんはそのがっちりした腕に商品を抱えてやってきた。
 そして、一つ一つの商品の確認をして、支払いをした。RMKの顧客カードは絶対に持っていたはずなのだが、あたしの財布の中でカードが消える事は多々ある。今回もそれだ。あたしは、三崎さんに、カードを所持していたが失くした旨伝えると、そんなのどって事ありません!みたいな笑顔で、カードを再発行してくれた。  
 あたしは、お礼を言い、三崎さんはあたしのその倍礼を言い、あたしはカウンターから移動した。

87ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:39:35 ID:MEMoqnno
 久しぶりに伊勢丹に来たあたしは嬉しくて、いつも買い物するシャネルのカウンターにでも、寄ろうと思った。ここの、多分お偉いさんなんだろう坂巻さんというマダムがあたしの、担当だ。 
 ふくよかな柔らかそうな身体にミディアムヘアをいつも綺麗に巻いて、素肌なんか絶対に見えないメイク。 
 
 彼女は、一流のBAだ。  
 坂巻さんは、あたしを見つけると、 
 『田中様ー。』
 と、あたしの偽名を猫撫で声で呼び、(顧客カードを作る時のあたしの偽名の名字。名前は翡翠のままだ。翡翠という名前はとても、とても気に入っているから。)
 『お久しぶりじゃないですかー。さっ、おかけ下さい。』
 と、さっさとあたしの荷物を預かり、カウンターの一番広く使える所に座らせる。そして、あたくしの一押しを、もう少しでも早く田中様にお見せしたくって、といつもの、必殺の台詞を並べながら、あたしの前に、彼女のいう一押しとやらの商品が置かれる。

 今日の彼女の一押しは、ブラシでつけるリキッドファンデーションらしかった。リフティング効果のあるもので、乾燥もしないし崩れない優れものだと言う。 
 
 あたしも、コスメは大好きなので、そこまで言われては、と思い、坂巻女史の思うがまま、タッチアップされる事になった。下地をつけながら、蘊蓄を言っているが既に知っている事だったのでスルー。そして、実際にブラシで顔の皮膚をひきあげながら、ファンデーションを塗ると、確かに引き締まった印象に見える。RMKがカジュアル時のファンデとしたら、シャネルは、すこおし美しく装う夜のためのもののように思われた。半顔だけシャネルのファンデーションもおかしいので、全顔シャネルのファンデーションを塗ってもらった。 
 さすがに、気品満ち溢れる肌になる。 
 そして、あたしの肌色にもあっている。

88ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:40:33 ID:MEMoqnno
  それから、坂巻女史は、可憐な桜色の口紅、アリュールを出してきた。それと、それより少し大人気があって、色気のあるピンクベージュも。そして、その両方にあう、薄いピンクのラメなしのグロスを出してきた。 
 
 あーあ、仕方ないなぁー。と思い、あたしは彼女のされるがままになっていた。が、あたしはシャネルでシャドーは絶対に買わないから、目元はいじられる心配はない。 
  
 シャネルは大好きだが、シャネルのシャドーの発色があまり好みではないのだ。 
 
 坂巻女史は、迷った末に、ピンクベージュの口紅をブラシで塗り、その上に、ラメのないピンクのグロスをたっぷり塗った。 
 なんだか、不仁子ちゃーん、みたいに色っぽくて、坂巻女史に 
 『素敵だわ!!』
 と、言い、何故か握手を交わした。 
 
 あたしは、また、出してもらったもの全てを購入する事にした。すると、坂巻女史が、悪代官のように耳打ちしてきた。

 『サンプル品の使っていない口紅がありますのでおいれしときますわ。』
 
 と、言ってきた。 
 
 あたしは、感激したふりをして、 
 
 『坂巻さん、大好きだわ!これからも坂巻さんを指名させて頂くわ。』
 
 と、言ったら大喜びしていた。それはそれは、本気で喜んでいて、あたしは彼女達のノルマやなんかを色々考えていたが、あたしがそんな事考えたって仕方ない。 
あたしは、 
 
 『田中様ありがとうございましたぁーっ。』
 
 とエレガントに言う女史に挨拶をし、その場を去った。  
 ってか、すげー荷物だ!

89ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:41:20 ID:MEMoqnno
  ソファがある所まで行って、荷物を置いて座る。限定の赤のスウォッチを見ると、時間は、もう6時半を過ぎていた。案の定、礼央から着信がある。しかも留守電まで! 
 
 『誰かさんは、まだ誰かさんと一緒ですかぁー。』 
 と、入っていた。 
 
 あたしは、慌てて礼央に電話をする。 
 コール3回で、礼央は出た。それだけ待ち望んでいたと思うのは、自惚れだろうか? 
 
 第一声は、 
 
 『翡翠、おせーっ。』
 
 だった。あたしは、RMKでフルメイクしてもらった事や、坂巻女史の事を喋った。礼央は、無言で聞いているようだったが、急にソフアに座っているあたしに、後ろから手をかけて、優しく抱き締める手が伸びてきた。あたしは、その香りで、それが礼央だとすぐに判った。バナナリパブリックのクラシック。礼央が選びそうな香り。 
 
 『もう、いいや。こうして翡翠に無事会えたからさ。』

 礼央が微笑む。 
 
 そして、あたしの荷物を見て、 
 
 『車できて、本当に良かった。』
 
 と、しみじみ言っていたのがおかしかった。 
 
 礼央は、受付に行って車をまわすよう言っていたが、あたしはそれを遮り、受付の花々に『大丈夫ですからーっ』と、満面の笑顔を作った。 
 
 『駐車場なんか、すぐでしょう。』
 
 『面倒じゃん。』
 
 『そんな事を面倒という人間とは時間を共にしたくないけど?』
 
 あたしが、そう言うと、礼央は完全降伏するしかなかった。

 いざ、駐車場に行くと思ったより寒い。
 上着着てくればよかった…。ってか、今買えばいいんじゃん! 
 
 『ね、礼央。駐車場にきてそうそう悪いんだけど。外、寒いからコート買うからついてきて?』
 
 『俺、今迄も女の買い物なんかついてった事ない。』
  
 『じゃ、車で待ってて。すぐ来るから!』
 
 あたしは荷物だけ置いて、駆け出そうとすると、あたしの細い右腕をがっちりとした、手が掴んだ。勿論、礼央だ。 
 礼央は、 
 
 『俺は少しでも、翡翠と離れていたくないからいく!』
 
 と、宣言した。可愛いなぁ。礼央は。マギーだったら、こうはいかないはずだ。 そうだ。マギーは大丈夫だろうか?後で、トイレに行くふりをして、コールしてみよう。

90ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:42:27 ID:MEMoqnno
 まずは、コートが欲しい。 ダウンでもいいけど、そうすると、子供っぽくなってしまう。 
 
 礼央が、 
 
 『ブランド決まってるのか?』
 
 と、聞いてきたので、   
 『大体ね。』
 
 と、答えた。私は、まず本命のヒスに行った。ミリタリーのかっこいいコートがあったけど、試着すると、今日のファッションと全くそぐわない。 
 コムサにも、超かっこいい黒のロングコートがあったけど、トータルで見ると、やはりちぐはぐだ。だけど、このコートのCOOLさは、あたしにとても似合っていたから、買っておいた。そして、コムサの向かいにあった、ビバユーに何気なく入った。すると、スエット生地でグレーのロングのダッフルコートが目についた。  
 今迄無言だった礼央すら、 
 『それ、いいじゃん!』  
 と、なんだか友達のように言ってくれた。 
 友達…ただの男友達…。  
 結局、そのビバユーのダッフルを着用し、あたし達は車の中で、何を食べに行くかを考えていた。
 イタリアンや、フレンチ、会席、料亭の類はもう、あたし達はどちらも食べ飽きている。 
 『礼央、個室のあるいい店がいい。』
 
 と、あたしが言うと礼央は、 
 
 『美味い韓国料理屋がある。勿論個室は抑えられる。』
 
 と、自信ありげに答えた。そして礼央は、携帯で、その韓国料理屋に個室で予約をしていた。2名という事で、個室は、ちょっと…という声が聞こえた。すると、礼央は、なんの躊躇もなく、池内だが。と言った。すると、相手は態度を一変させて、ははーっお殿様な勢いで、礼央の予約を受け入れた。 
 
 恐るべし!池内家!あたしも、なんか困った事あったら、この遣り方もらっちゃおうかな、なんて思ったけど、絶対にやんない。  
 車内で、礼央は上機嫌で今日は総理にあー言われた。こー言われた等と必死に言っていたが、あたしは、それを聞き流していた。

 マギーといる時は礼央を思い、礼央といる時はマギーを思い出す。あたしは、本当に勝手な女だ。 
 
 いつか、どちらかと幸せに暮らす日がくるのだろうか。それとも…。 
 
 今は考えていないけど、いえ、考えないようにしているけれど、そうせざるべき日がくるのは、きっと誰しもが分かっていた。  
 だから、その日まで何も知らないまま、楽しみを快楽だけを追及しよう。
 
 そして、誰しもが別れゆく運命にあるかも知れない事を、皆、判っていた。

91ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:43:14 ID:MEMoqnno
  韓国料理屋は、こじんまりとしていて、隠れ家的、と称されるに相応しいところだった。 
 
 礼央に、エスコートされ、店内に入り、礼央が低く短く、 
 
 『池内だ。』
 
 と、いうと急に店内が慌ただしくなった雰囲気がした。笑顔で、店主のおば様が、こちらにどうぞ、と言い、あたし達は、案内されるがままに着いていった。 
 案内された部屋は、冗談かと思う位、大きい部屋で、あたしは、笑いをこらえる事ができず、ゲラゲラと笑った。 
 たった2人なのに50人は入りそうな奥座敷に案内されたのだ。 
 
 ゲラゲラ笑うあたしを、不思議そうに眺める女将。
 
 さすがの礼央も、笑いを噛み殺しながら、 
 
 『女将、悪いがこの美しいレディと、密着できるような部屋が良いのだが。』

 『誠に申し訳ありません。今すぐ、別のお部屋にご案内致しますわ。』
 
 と、言い、スタッフ全員が韓国人なのだろう。韓国語で、女将が何かを言い、あたし達は違う部屋に通された。そこは、少し狭くて二人が確かにくっつくような部屋だった。薄暗い灯りがあたし達を包んでいる。 
 
 メニューは、適当に礼央にオーダーしてもらい、マッコルリを、二人で、ものすごい勢いで飲んだ。辛いものが好きなあたしは、数々の辛い、しかも美味しい料理に喜んだ。そんな、あたしを見て  
 『翡翠は、なんか食ってる時と飲んでる時が一番幸せそうだよなー。』
 
 と、言った。 
 
 『そんな事ないわよ!買い物と、友達といる時と…あとは、好きな人といる時。…あたしは、この上なく、幸せだよ。』
 
 『好きな人って、理央の事?』
 
 不意をつかれて、あたしは思わず、黙ってしまった。

92ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:43:47 ID:MEMoqnno
  礼央は、なおも続ける。  
 『アイツがかっこいいから?金持ってるから?自分の商売に欠かせない人物だから?』
 
 あたしは、考えた。確かに、それらの事もあるかもしれない。でも、 
 
 『理屈じゃねーよ!』
 
 と、指の形をファックにして答えた。 
 
 礼央は、笑って 
 
 『そうだな。人を好きになるのに、きっかけはあっても、理由はないよな。』 
 と、引き下がってくれた。礼央の甘い香水の香りが、あたしを酔わす。心も…。身体も…。 
 
 『あ、もう少ししたら、マギーの店行くから。』
 
 あたしは、思い出して言った。 
 
 『俺が行ってまずくないのか?』

 と、神妙な顔つきで聞いてきた。あたしは、 
 
 『今日は、マギーは体調不良でお休みなの。』
 
 普通に言っただけなのに、礼央が過剰に反応する。  
 『体調不良って…どんな風にだ?!』   
 礼央の顔色さえも、変わっているように見えた。  
 『貧血起こして、気分が良くないって言ってたけど…。顔色、真っ青だったし、看病しようか?って言ったけど、断られたよ。―何?!マギーは、何か病気なの?礼央の反応、尋常じゃないよ。』
 
 すると、礼央は、はっ、と我に返って、 
 
 『いや、兄貴が体調悪いって急に言われたから、ちょっと慌てただけだ。俺も、ブラコンなのかな?』

 と、笑った。けど、その完璧すぎる笑顔が、あたしにはなんだか不安で、黒い雲が、もくもくと立ちこめた。あたしが、もっと突っ込もうとした時、偶然だろうか?礼央が、俺、兄貴の店早く見たいから、もう出よう、と言った。 
 
 あたしは、なんだか飲み込めない何かを口の中に残したまま、店を出た。 
 
 女将の 
 
 『また、いらっしゃいませね。』
 
 と、言う笑顔ですらも、疑心暗鬼で眺めていた。  
 今、礼央が話したくないなら仕方ない。けど、次、もし次に何かあったら、何がなんでも、吐いてもらうからね、とあたしは、心の中で、呟いた。

93ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:45:18 ID:MEMoqnno
 そして、マギーの店であたしの友達、そして商売仲間のゆかりと落ち合う事を伝えた。 
 礼央は、翡翠と二人っきりが良かっただの、まだこの後のプランがあったのだのと、駄々をこねていたが、結局は、着いてきた。 
 
 マギーの店の近くに来る。有料駐車場に、車をいれ、歩き出す。 
 礼央が、当たり前のように片腕を差し出すので、おとなしく、腕を組んだ。あたしは身長の高い彼のきりっとした横顔を、こっそり眺めていた。脚が長いから、早足になるのをわざとゆっくり歩いてくれているのが、判る。 
 
 『礼央もマギーもジェントルマンね。』
 
 と、言うと、理央は生まれつきジェントルマンで、自分は躾られたジェントルマンだという。 
 
 あたしは、礼央の腕をぎゅっと掴んで、 
 
 『そんなの関係ないよ。礼央は礼央だし、こんなにジェントルマンでいい男なんだから。』

 と、言って、礼央の顔を見上げた。すると、礼央は、 
 
 『姫、光栄でございます。』
 
 と、あたしの手の甲に冷たい唇を押しつけた。 
 あたしは、礼央とキスしたいという感情を抑えて、抑えて、なんとかいつもの、あたしらしい事を喋って、やっとノンフィクションの前まで来た。 
 礼央が、ドアを開けてくれる。あたしがマギーに頼んでいたように、PETが流れている。ヨッコイのヴォーカルは、いつ聞いても挑発的で優しい。螺旋階段を登っていくと、ゆかりが、座っているのが見えた。

94ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:48:40 ID:MEMoqnno
  あたしが、礼央と現われると、ゆかりは、 
  
 『マギーの血縁?』
 
 と、すぐさま聞いてきた。 あたしは驚いて、ゆかりに抱きつき、 
 
 『すごぉい!ゆかりって、やっぱやるじゃん!!』 
 と、頬にすりすりしてやった。ゆかりは、されるがままになりながらも、 
 
 『だって、雰囲気と佇まいがそっくりじゃん。』
 
 と、言った。 
 
 ゆかりは、笑顔になり、あたし達に早く座れと、促した。 
 
 あたしは、シャンパン、礼央は、スコッチのストレートを頼んでいた。格好の良い男が口にするであろうスコッチに、あたしは少しドキドキした。 
 そして、まるで冴えない合コンのように、ゆかりを紹介した。 
 
 『礼央、この生きのいい女がゆかり。あたしの親友。』

 ゆかりは、わざわざ席から一度立ち上がり、深々とゆかりです、と挨拶をした。 
 ゆかりは、今日は、珍しくベッツィジョンソンのドレスを着ている。真っ黒で胸元と背中が大きく開いていて、そこにレースが施されている。ロングのタイトなドレスで、ゆかりの身体の線が手に取るように判る。 
足元は、可愛らしく、マギーに自慢していたクロエのヒールを履いていた。その、ミスマッチが、なんとも言えず似合っている。 
 
 ゆかりも、シャンパンを飲むというので、グラスを変えてもらい、礼央を挟んで3人で、3人の出会いに乾杯した。

95ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:57:05 ID:MEMoqnno
 ゆかりは、礼央にたくさんの質問をぶつけていた。礼央はそれに、おっかなびっくり答えていたので、あたしはクスリと笑った。 
 
 ひとしきり、質問が終わり、シャンパンをもう一本頼む頃、ゆかりは、 
 
 『ねー。礼央。あんたは翡翠が好きなんでしょ?マギーから奪わないわけ?!』 
 と、場が凍り付く質問をした。 
 あたしは、くそぅ、ゆかりの奴め、と思ったが、彼女が質問したいと思ったなら、それは仕方のない事だ。逆の立場でも、きっと質問してるもんな。 
 
 でも、可哀想なのは礼央だ。困った顔をしている。いつもの、つんと澄ました美しい顔ではなく、餌をずっとお預けにされて困っている子犬のようだった。  

 礼央は、あたしを全く見ずに、ゆかりに、

 『勝負は、まだ始まったばかりだ。しかも負け試合ではないと思ってる。だから、いくら時間をかけてでも、翡翠を独り占めしてやるんだ。誰に何を言われようと。…今迄、誰かの言いなりになってきた人生と選択だったけど、翡翠は、俺が自分で選択した道なんだ。女なんだよ。』
  
 と、一気に言ってのけた。ゆかりが、昔ながらの輩みたいに、ぴゅーっと口笛を吹く。 
 
 そして、 
 『覚悟できてるじゃん。あんた、かっこいいよ。』 
 と、またグラスをあわせた。 
 礼央は、あたしに向き直って、 
 
 『って事だから、よろしく。相手が兄貴でも、今、翡翠が兄貴を好きだとしても、俺はひかない。翡翠を手に入れるまでは。』
 
 と、言い、さっきゆかりとそうしたように、グラスをあわせた。あたしは、複雑な心境を身体の奥底に押し込めて、優雅に微笑み、シャンパンを飲んだ。 

 考えるのは、1人になってからでいい。今は、精一杯楽しまないと駄目だ。

96ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:59:13 ID:MEMoqnno
  『どう?マギーの城は?いかしてない?』
 
 あたしは聞いてみた。さっき、車の中で、礼央は、マギーの店にまだ、一回も行った事がないと言っていた。 
 
 礼央は、辺りを見回し、 
 『こんな上等の酒を出す店なのに、パンキッシュで、―アンダーグラウンドだな。』
 
 と、言って 
 
 『翡翠とゆかり、そして理央からも、アンダーグラウンドな匂いがするんだよな。』 
 と、続ける。 
 
 そう。あたしもゆかりも本来なら華やかな席にいるべきではない人間なのだ。地下にもぐって、下水まみれになるのが、関の山だった。 
 けれど、マギーが、あたしとゆかりを日の当たる温かい場所へと、導いてくれたのだ。 
  
 『アンダーグラウンドね。かっこいいね。』

 あたしは、それだけ言って煙草をくわえた。すると、すっ、と見たことのある、ライターがあたしの煙草に火を灯す。 
 
 あたしは、ありがと、と言い、マギーの頭をぐしゃぐしゃに撫でた。マギーは、これでもか、という位嫌がっていた。 
 
 ゆかりと、マギーが話している間に、お手洗いに立つ。ここの手洗いは、人が10人位入れそうで、鏡ばりで、全く落ち着かなかった。  
 バッグの中から、携帯を取出しマギーに、電話をする。…なかなか出ない。あたしは、寝ているのかと思い、電話を切ろうとした瞬間、だるそうな甘い声が、聞こえてきた。
 
 『…はい…。』
 
 やはり、だいぶ調子が悪そうだ。あたしは、心配になる。 
 
 『マギー。あたし。翡翠よ。…ね、看病行かなくて本当に大丈夫なの?!』

 心配の余り声が少し大きくなってしまった。 
 
 『翡翠…。なんで俺が調子悪い事知ってるんだ―。』
 
 思いがけない言葉に、あたしは、今日デート中に気分が悪くて帰ったじゃない!まさか、覚えてなわけないでしょ? と、聞いてみた。そう、ついさっきの事だもの。いくら、具合が悪くたって、忘れるわけがない。

97ノンフィクション:2015/01/10(土) 01:59:50 ID:MEMoqnno
  マギーは、少し黙って小さな声で何かを言って、  
 『病人だから、許しておくれよ。マイスイートハニー。ちょっと、頭がいつものように、しゃきしゃき働いてくれないでね。色んな事が、いっしょくたになってしまったんだ。そうさ。翡翠。俺は、今日もお前と酒を交わし、お前を味わうはずだったのに、このざまだ。』
 
 記憶が混乱する程、体調が悪かったのね、とあたしは思い、 
 
 『やっぱり、今から看病しに行く。』
 
 と、言ったが、マギーは、  
 『魅惑的な翡翠を見たら、また抱きたくなるに決まってる。そうしたら、体力を消耗して、余計に体調が悪化しそうだ。目の毒だよ。翡翠は。すぐ治るから、治ったら、うちにおいで。』
 
 と、言ってくれたもんだから、私は嬉しくて、判った!ゆっくり寝てね、なんて言って、電話を切った。こういう状態を、丸め込まれた、というのね、とトイレから出ながら思った。

98ノンフィクション:2015/01/10(土) 02:00:51 ID:MEMoqnno
 トイレから出ると、礼央がいない。1人陽気に、シャンパンを飲んでいるゆかりに訪ねる。 
 
 『もしかして、礼央帰った?』
 
 ゆかりは、にんまりして  
 『マギーに電話かけてきといて、今度はこっちの男が気になるのかい?』
 
 と、ねっとりとした言い回しで聞いてきた。 
 
 『さすが、売女だよ!こうでなくちゃ、面白くない!』
 
 ゆかりは、ハイになっているようだった。 そして、やっと、あたしの質問に答えてくれた。 
 
 『礼央は、なんだか重要な電話をかけるのを忘れていたから、少し席を外す、って、外に行ったわよ。どうやら、あたし達には、聞かれたくない話みたいな気がしたけどねぇ。』
 
 なんだろう?総理に何か伝え忘れかな?まぁ、国のトップとの電話なんて、誰にも聞かれてはいけないんだろう。
 あたしには、よく判らないけど。 
 
 ゆかりが、あたしの髪を撫でながら聞く。 
 
 『翡翠は、マギーと礼央どっちに魅かれてる?魅力を感じるの?』
 
 白い煙りを吹き出す、ぽってりとしたゆかりの、セクシーな口から出た、いかにもの質問だ。 
 
 『正直、判らない。たまたまマギーと先に寝ただけで、もし礼央と先に寝ていたら、もっと違う感情を持っていたかもしれないし…。黒か白、どっちも今のあたしには、選べないよ。』
 
 本当の気持ちだった。似て非なる、二人の美しい男達。 
 
 ゆかりは、

 『あたしはさ、どんな結論を出しても翡翠を嫌いになんかならないから、ゆっくり考えな。どちらがより、自分にとって大切な人か。―大切な人はね、翡翠。失くしてから、その大切さが判るんだよ。…だから、翡翠には、大切な人を見分けて欲しいんだよ。』と、真剣な表情で言った。 
 
 あたしは、その言葉を胸に刻み込んで、頷いた。  
『けどね、もしあんたがより幸せになる確率が高い人を選びたきゃ、礼央にしときな。』
 
 と、言い、煙草をくちゃくちゃにして消していた。  
 あたしは、納得が行かず、その理由を聞いたが、ゆかりは静かに首を振り、あんたにも、嫌でも判る時がくると言った。 
 
 あたしの手のなかは、今日、拾い集めたキーワードでいっぱいになっていた。

99ノンフィクション:2015/01/10(土) 02:01:56 ID:MEMoqnno
 この、キーワードが何を意味するのか、その内判ってくるはずだ。大切に身体に刻んでおかなければ。 
 
 ゆかりは、バッグを持って立ち上がり、 
 
 『今日のあんた達がどうなるか楽しみにしてる。…それと、仕事はマギーじゃなく、あたしから行くから。翡翠チャンには上玉回すから、よろしくね!』
  
 と、あたしが、もうちょっていてー!と引き止めたにも関わらず、にこやかに、帰ってしまった。あたしは、ここでゆかりが酔いつぶれるまで飲んで、それでお開きにするつもりだったのに。 
 
 あの、悪戯好きな妖精は高見の見物を決め込んでいる。 
 
 ゆかりが帰って少し後、礼央が、なんだか難しい顔で帰ってきたので、 
 
 『総理との話し合いは交渉決裂?』

 と、聞いてみたが、少し笑いながら、礼央はスコッチに口をつけ、あたしは何も聞けなくなる。 
 
 そろそろ店も閉めたい時間だろう。あたしが、そう思ってると、タイミングよく、礼央が
 
 『出よう。』
 
 と、あたしの目を見据えて言った。 
 その目は、いつもより、目の色が沈んではいたが、美しかった。掛け値なしに。 
 
 礼央があたしのマンションまで送ってくれると言い、それに従うあたし。マンションの一角の広場に車を止めて、あたしの荷物を、持ってきてくれるという、相変わらずジェントルマンな礼央。駐車場のマギーの車に気がつかないわけがないのに、気が付かない振りをする。 
 
 彼の美学なんだろう。  あたしは、その美学を 全うさせてあげたかった。

100ノンフィクション:2015/01/10(土) 02:02:42 ID:MEMoqnno
 エレベーターが、最上階につき、あたしの部屋の前まで、けなげにも礼央は荷物を運んでくれた。 
 このまま、帰らす事なんか、あたしにはできなかった。 
 だって、礼央はあんなにも、あたしに逢いたがってくれていたのだから。 
 
 部屋の前で、黙ってキーを差し込む。礼央は、あたしの様子を伺っているようだ。 
 
 ドアが開く、あたしはやっと、礼央に、 
 
 『中まで荷物お願いできる?』
 
 と、言い、彼を部屋に招き入れた。 
 
 そういえば、マギーすら、まだ入った事のない、この部屋に。 
  
 礼央が部屋の隅に、丁寧にあたしの荷物を置いてくれている。 
 あたしは、礼央に聞いた。 
 
 『コーヒーとアルコールどっちがいい?』

 すると、礼央は、 
 
 『翡翠の部屋に二人きりでいて、素面でいられるかよ!アルコールにしてくれ。』  
 さっき、スコッチを飲んでいたのを思い出し、 
 
 『スコッチで構わない?』
 
 そう聞くと、礼央は、  
 『翡翠以外で俺を酔わせてくれるものなら、なんでもいいよ。』
 
 と、言った。やっぱり兄弟。気障な台詞が、まるで内蔵されてるかねように、すらすらと出てくる。 
 
 あたしは、美しい男が口にする気障な言葉は、大好物だ。 
 
 あたしは、礼央にソファに座ってもらい、あたしの大好きな『シザーハンズ』のDVDを流した。灯りは、少しほの暗くする。できれば、アロマだけの光がいいのだけど、礼央に誘っているのかと、思われるのは、死んでも嫌だった。

 礼央にスコッチと、ミックスナッツを出し、あたしはシャンパンを抜いて、シャンパンバケツ(それは、あたしが勝手に名前をつけた。)に氷をたくさんぶっこんで、華奢で、美しいグラスを持って、礼央の隣に座った。礼央がシャンパンを注いでくれる。ホストになったら、ナンバーは確実だ。   
 そして、礼央は既にスコッチに口をつけていたが、改めて、乾杯をした。 
 あたしは、乾杯をするのが好きだった。グラスをあわせる小さな美しい音色が、幸せを運んでくるような気がして。 
 
 二人で乾杯をし、今日1日を振り返った。楽しかったね、うん。そんな他愛もない話をしていた。 
 
 だけど、爆弾かもしれない言葉は、用意していた。さっき、飲み込んだ疑惑。いや、まだ疑惑と言うには早すぎる。 
 
 あたしは、礼央に聞く。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板