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[哲学]世界は5分前に「覚えていた」状態で突然出現した
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人間は、ともすれば現実世界の出来事を「過去→現在→未来」という単線的な因果系列のもとに単純化して、収め込もうとしがちだ。
たしかに、現実のさまざまに絡み合って生起してきた出来事を、「今ここにいる自分」に向かって発展的に進歩してきた「物語」として整い上げるヒューマニズム的な考え方は、歴史認識に際しての知的負荷を軽減するという意味で効率的だし、
現に、そのような思考傾向を持っている人間にとっては受容しやすい考え方ではある。
もちろん、その反面このような考え方が産み落とす人間的・社会的な弊害というのもあると思う。
もうちょっといわせてもらうと、そういう人々の頭に固着する「当たり前」的な世界観・思想の難点を改変していってやることが、学問としての哲学の役割・責務なんじゃないだろうか。
少し大仰な言い方かも知れないが、ラッセルの「世界五分前仮説」というのは、そのような因習的な「過去→現在→未来」図式の時間概念の改鋳を強いるものなのではないか。
つまりラッセルは、いままで私達がアタリマエのように観念してきた「過去→現在→未来」図式を、ひいては時間概念そのものを、因果律を、過去についての因習的・無反省的な思い込みをブチ壊しにきたというワケだ。
オーストリアの法学者ハンス・ケルゼンは、「因果関係」という考え方の人類史的起源を、人間社会における「罪と罰」の関係に求めた。
人間は犯罪、病気などの非日常的な出来事に遭遇するとその原因を過去に求めたがる傾向があるが、ここには、被害者の応報感情・悔恨をいくらかでも慰めてやりたいというふうな清算願望や、同類の原因を突き止め被害を最小限に抑え予防しようとする動機がはたらいているのではないか、とした。
つまり、このような「罪-罰」図式に基づいて考えられてきた「因果関係」の考え方は、人間社会の秩序維持、ひいては個人の生き死ににも緊密に結び付く世界解釈法であったのだと思う。
ここで、「原因」という言葉がギリシャ語では同時に「罪(aitia)」を意味することも示唆的だ。
・・・つまり「時間」というのは、突き詰めていえば、人間が自然から袂を分かち秩序維持することで世界をよく生きていくために考え出した仮定、「便法」であって、そして「便法」としてある以上、それは状況によって人間が都合よく作り変え、使い回せるものであるべきだ。
つまり何がしたいかというと、ラッセルの「五分前創造仮説」の言わんとするところを通じて、既成の「時間」とか「記憶」だとかに対する捉え方を壊して自分なりの定見を作っていきたいな、ということだ。
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