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野球総合スレ☆24
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日本シリーズ、開幕。
前スレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/20196/1475922533/
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>>1000行ってたの気づかなかったゾ(池沼)
>>1乙
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>>1乙ゥ〜
日本シリーズはどっちが勝つんでしょうね
個人的にはマツダで4試合やれる広島が有利かと思いますが
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そのマツダでの大谷登板の2試合次第でしょうね
今日大谷打って勝てただけで広島はかなり有利に進められそう
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ソフトバンク巽、柳瀬、猪本が戦力外通告
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ソフトバンク猪本(25) .305(ウエスタン2位) 11本(2位) 48打点
争奪戦ある?
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猪本って大怪我したのか
さすがに一塁専は厳しそうですね
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柳瀬はしゃーないけど猪本はショックや
どこか拾って…
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術後明けだけどまた育成に戻ったりとかするわけでなく切るのか。まぁ1軍でのチャンス少ないとはいえ帝王っぽくなりつつあるしなぁ
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8月末に手術して復帰まで3ヶ月となるとトライアウトも怪しいなあ
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捕手から一塁転向かあ
外野出来るなら欲しいとこ出るだろうけど
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ソフトバンク金子圭輔が戦力外通告 現役続行へ意欲
http://news.biglobe.ne.jp/sports/1022/nsp_161022_3810501804.html
取るとこありそう
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【ソフトバンク】
球団は22日、下記選手と来季契約を結ばない旨を発表しました。
<投手>
巽 真吾
柳瀬明宏
金子将太
<内野手>
金子圭輔
猪本健太郎
李 杜軒
まとめて
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>>13
<外野手>
金子将太
追加
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トゥーシェンはついに完全にサヨナラか
金子圭はどうだろう
確かな守備技術を持った選手だけど今二遊間は意外とどこも人材いるからな
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巽はヤクが拾いそう(偏見)
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寧ろヤク拾うなら柳瀬の方かなぁって印象
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投手の金子じゃなくて外野手ですって追加訂正でした…
ヤクルトは靭帯付いてりゃ獲る
パリーグ拾得工場だし
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パから獲っても小野寺や藤田は使えなかった
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他所で二軍コーチ代わったから大丈夫ってポジってるヤクいたけどそうでもないんか
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でも山中は事実上のエースになったからなあ
また何かしらは拾いそう
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どう? (濃霧コールド)出そう?
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【今日のプロ野球・10月22日】
日本シリーズ 第1戦
広島 5-1 ハム (勝:ジョンソン 1勝 敗:大谷 1敗)
広島が初戦を制す。
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【今日のホームラン】
ハム:レアード1号 (7回表・ソロ・ジョンソン(広)・1号)
広島:松山1号 (4回裏・ソロ・大谷(日)・1号)
広島:エルドレッド1号 (4回裏・ソロ・大谷(日)・1号)
【今日の盗塁】
広島:鈴木(1) (通算・1)
広島:安部(1) (通算・1)
【今日の猛打賞】
なし
【今日の勝利投手】
広島:ジョンソン 1勝 (通算1登板・1勝0敗0S・6.2回9安打1失点・5奪三振2与四球・防1.35)
【今日のセーブ投手】
なし
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【主な記録】
【日本ハム】
・日本シリーズ初登板の大谷翔平は2012年第2戦の武田勝以来3人目・4度目となる2ケタ奪三振。
1イニング2被弾は2014年4月27日ロッテ戦での角中・井口以来。
また日本シリーズで投手が安打を放ったのは2004年第6戦の西武・松坂大輔以来12年ぶり。
・レアードは球団助っ人では2009年第1戦のスレッジ以来となる本塁打。
【広島】
・日本シリーズでの白星は1991年第5戦以来25年ぶり。初戦では84年以来32年ぶり。
・球団助っ人投手では初の日本シリーズ登板となったジョンソンが同初の白星。
・日本シリーズでの本塁打は1991年第5戦のアレン以来。
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【明日の予告先発】
日本シリーズ 第2戦 マツダ 18:30〜
広島:野村祐輔 25登板 16勝3敗 152.2投球回 91奪三振 37与四球 防2.71
VS
ハム:増井浩俊 30登板 10勝3敗 81.0投球回 71奪三振 26与四球 防2.44
広島は最多勝投手・野村で勢いに乗りたいところ。
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野球関係ないけど個人的には「日本ハム西販売広島営業所」と「北海道マツダ東月寒店」がこの一週間どうなるのかをクッソ見たい
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今日の戦力外情報です
【ソフトバンク】
・柳瀬明宏(33・投手) 2005年大社ドラフト6位(11年目) 年俸:4000万円
1軍:2登板 0勝0敗 0S 0H 2.0投球回 1奪三振 0与四球 防4.50
2軍:32登板 0勝2敗 2S 30.0投球回 25奪三振 13与四球 防4.80
1軍通算:216登板 11勝6敗 8S 52H 212.2投球回 195奪三振 83与四球 防3.00
2軍通算:136登板 3勝8敗 12S 145.1投球回 138奪三振 54与四球 防3.72
・巽真悟(29・投手) 2008年ドラフト1位(8年目) 年俸:850万円
1軍:登板なし
2軍:38登板 4勝1敗 0S 36.1投球回 27奪三振 23与四球 防2.72
1軍通算:24登板 1勝4敗 0S 0H 54.0投球回 39奪三振 35与四球 防7.50
2軍通算:161登板 34勝24敗 5S 479.0投球回 319奪三振 193与四球 防3.42
・金子圭輔(31・内野手) 2003年ドラフト6位→ダイエー・ソフトバンク→オリックス(13年目) 年俸:1800万円
1軍:10試合 .000 (5-0) 0本 0打点 4三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:76試合 .237 (224-53) 1本 25打点 43三振 24四球 4盗塁 OPS.607
1軍通算:253試合 .197 (213-42) 0本 17打点 63三振 20四球 10盗塁 OPS.535
2軍通算:743試合 .225 (1888-424) 8本 129打点 375三振 177四球 78盗塁 OPS.586
・猪本健太郎(26・内野手) 2008年育成ドラフト4位(8年目) 年俸:650万円
1軍:5試合 .000 (8-0) 0本 0打点 5三振 1四球 0盗塁 OPS.200
2軍:91試合 .305 (325-99) 11本 48打点 64三振 32四球 0盗塁 OPS.850
1軍通算:8試合 .091 (11-1) 0本 0打点 6三振 1四球 0盗塁 OPS.322
2軍通算:479試合 .280 (1369-384) 65本 235打点 338三振 118四球 6盗塁 OPS.831
・李杜幹(28・内野手) 2006年高校ドラフト4位(10年目) 年俸:1000万円(育成)
2軍:41試合 .191 (110-21) 0本 8打点 32三振 13四球 0盗塁 OPS.522
1軍通算:63試合 .253 (99-25) 4本 13打点 34三振 14四球 0盗塁 OPS.759
2軍通算:566試合 .265 (1544-409) 40本 228打点 360三振 169四球 15盗塁 OPS.732
・金子将太(20・外野手) 2014年育成ドラフト6位(2年目) 年俸:270万円(育成)
2軍:3試合 .200 (5-1) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.400
2軍通算:5試合 .143 (7-1) 0本 0打点 1三振 0四球 0盗塁 OPS.286
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李杜「軒」でしたね…ごめんなさい
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李杜「軒」でしたね…ごめんなさい
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10月23日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・松井稼頭央(41) (楽天・外野手・1993年ドラフト3位)
※昨年から外野手登録となり、NPB通算2000安打・400二塁打・350盗塁など記録ラッシュの1年となった。今年も打線の中軸として期待されていたが、開幕から打撃不振に悩まされ楽天移籍後最少の56試合の出場に終わった。それでも来季の現役続行を宣言しており、23年目のシーズンで復活した姿を見せられるか。
・小野郁(20) (楽天・投手・2014年ドラフト2位)
※最速153キロの速球を武器とした昨年のルーキーであり、高卒1年目の昨年は2軍で22試合を投げ防3.09、3勝と好投。2年目の今年は7月に1軍昇格を果たし、その後は1軍と2軍を行き来したが防御率8点台と打ち込まれた。チームの不安定な中継ぎ事情の中で3年目の来季は頭角を現したいところ。
OBなど
・清水隆行 【1995年ドラフト3位→巨人(96-08)→西武(09)、外野手】 1973年
※浦和学院高・東洋大学を経て巨人に入団。1年目から107試合に出場し打率.293 11本 38打点の好成績をマークし、松井秀喜の中堅手コンバートに伴い左翼手のレギュラーを掴み取る。攻撃型の2番打者として、同期入団の仁志敏久と強力な1・2番コンビを形成し、2000年に日本一に貢献。2002年には新たに監督に就任した原辰徳の構想で1番打者となり、現在でも球団記録の191安打を放って最多安打のタイトルを獲得し、再びリーグ優勝・日本一に貢献。しかしその後は故障もあり、堀内監督が就任した2005年からはキャプラーの入団により一塁手にも取り組んだが結局もとの定位置で活躍。原監督が復帰した2006年以降は打撃不振に苦しんだもののスタメンで辛抱強く起用され、2007年にはシーズン終盤の目覚ましい活躍で再び優勝に貢献した。しかし2008年にはついに定位置も奪われ、オフに自ら志願してトレードで西武に移籍。「清水崇行」と登録名を変え心機一転といきたかったが、打撃は復調せずこの年限りで現役を引退。その後は2011年から昨年まで巨人のコーチを務め、現在は解説者を務めている。スイングスピードが速く、弾丸ライナーの本塁打が特徴の選手であり、また96年のメークドラマ・08年のメークレジェンドの双方を経験した唯一の選手である(敗者側としては金本知憲が経験)。
・佐竹健太 【1999年ドラフト5位→広島(00-08)→楽天(08-12)、投手】 1978年
※広陵高校・NKKを経て広島に入団。最速137キロながら、キレのある直球と緩いカーブを投げ分ける技巧派左腕として1年目から中継ぎとして1軍で活躍。ワンポイントリリーフを志願して2年目からサイドスローに転向したが、これが失敗に終わりしばらく1軍から遠ざかったが再びオーバースローに戻した2004年にプロ初勝利をあげるなど復活。翌2005年からはオリックスに移籍した菊地原に代わる左のワンポイントとして起用されブルペン陣を支えたが少し不安定な投球が目立っていた。2008年シーズン途中にトレードで楽天に移籍すると、同年のシーズン最終戦であるソフトバンク戦で松中信彦に最初に投げたど真ん中の直球が併殺打となり、その裏にチームがサヨナラ勝ちしたために球団史上初の1球勝利を達成。翌年以降も楽天で毎年そこそこの試合数に登板しチームを支えたが2012年に戦力外となり引退。現在は楽天の打撃投手を務めている。
・南貴樹 【2010年ドラフト3位→ソフトバンク(11-14)、投手】 1992年
※アフリカ系アメリカ人の父を持つハーフであり、なんといっても特徴は198㎝という長身。その高さから投げ下ろされる速球を武器としていたが、プロ入り後は制球難に苦しみ、イニング数を上回る四球を出しては自滅するパターンから抜け出せずにいた。2年目の2012年にはいろいろな視点を勉強するために外野手として出場し、打席にも立ったことで徐々に成長し、4年目からは育成投手としてプレーするも1軍登板は果たせぬまま4年目の2014年に戦力外となり引退。現在は野球塾の講師を務めている。
おめでとうございます
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清水がレフトでフライをエラーして自分でサヨナラホームラン打って取り返した試合たまたま見に行ってたからすごく覚えてますね…
応援歌ほんとすき
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【広島】
球団は23日、下記選手と来季契約を結ばない旨を発表しました。
<投手>
西原圭大
シリーズ中とは珍しい
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自由契約3人で終わりって辺りが戦力の充実っぷりを物語ってるなぁ。黒田と廣瀬と倉の分も空くとはいえ
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カープはここ2、3年でダメだと思った選手バッサリ切ったからだと思う
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シリーズ中とはいえシリーズに出番ないならはやめの首切りはむしろありがたいかもしれない
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今日はまず戦力外の情報からです
【広島】
・西原圭大(28・投手) 2013年ドラフト4位(3年目) 年俸:790万円
1軍:2登板 0勝0敗 0S 0H 5.0投球回 2奪三振 1与四球 防12.60
2軍:36登板 4勝1敗 3S 30.0投球回 22奪三振 6与四球 防1.50
1軍通算:16登板 0勝0敗 0S 0H 23.2投球回 18奪三振 6与四球 防7.23
2軍通算:89登板 10勝3敗 3S 96.0投球回 75奪三振 23与四球 防2.63
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ヤクルトが取りそう
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【今日のプロ野球・10月23日】
日本シリーズ 第2戦
広島 5-1 ハム (勝:野村 1勝 敗:増井 1敗)
広島が日本シリーズ初の連勝スタート。
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初なのか
そういや広島って日本シリーズの平均試合数高いんだっけ
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【今日のホームラン】
広島:エルドレッド2号 (6回裏・ソロ・鍵谷(日)・2号) ※2試合連続
【今日の盗塁】
ハム:大野(1) (通算・1)
広島:丸(1) (通算・1)
【今日の猛打賞】
なし
【今日の勝利投手】
広島:野村 1勝 (通算1登板・1勝0敗0S・6回2安打1失点(自責0)・6奪三振3与四死球・防0.00)
【今日のセーブ投手】
なし
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【主な記録】
【日本ハム】
・日本シリーズでの開幕からの連敗は1962年、2012年に次いで3度目。なお18イニング連続でタイムリーなし。
・先発としては初の日本シリーズ登板となった増井浩俊がシリーズ初黒星。
【広島】
・エルドレッドは球団では1986年の第6戦、第7戦の長嶋清幸以来史上5人目・6度目となる2試合連続本塁打。外国人では初。
また1戦目からの連発は2008年の西武・中島裕之以来シリーズ18人目。球団では初。
・本塁でのリプレー検証が行われたのは日本シリーズ史上初。
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12球団の背番号24は以下の通りです。
ソフトバンク:長谷川 勇也
日本ハム :森本 龍弥
ロッテ :吉田 裕太
西武 :空き番号(永久欠番)
オリックス :宮﨑 祐樹
楽天 :福田 将儀
ヤクルト:荒木 貴裕
巨人 :高橋 由伸
阪神 :横田 慎太郎
広島 :横山 弘樹
中日 :福谷 浩司
DeNA :林 昌範
西武 ・・・ 歴代最多タイのシーズン42勝を含めて4度の30勝をマークするなど、圧倒的な成績で西鉄黄金期の「野武士軍団」を牽引したエース稲生和久の番号。2012年の生誕75周年を機に永久欠番に制定。
DeNA ・・・ 大洋時代のエース遠藤一彦の活躍からか、彼以降は投手のみが背負っている。近年は門倉→寺原→リーチ→林と外様続き。
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林まだ生きてたんか
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稲尾さんの名前間違えちゃいかんでそ
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>>45
すまんな
稲尾和久さんは高校時代は無名の選手で、一年目のオープン戦に登板した時にはスコアボードに「稲生」って間違って表示されたこともあったらしいです
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10月24日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・アブナー・アブレイユ(27) (巨人・外野手・2013年来日)
※2013年から2年間西武でプレーし、四国IL・高知を経て昨年オフに育成契約で巨人に入団。3月末には支配下登録を勝ち取り、3軍ではチーム最多の9本塁打を放つも2軍では42打席で2安打しか放てず2年ぶりの1軍出場はならなかった。そして先日には退団の見通しであると報じられた。まだ若いために日本だけでなく他国での活躍でも期待は出来るが、果たして彼の選ぶ道は。
・島袋洋奨(24) (ソフトバンク・投手・2014年ドラフト5位)
※甲子園を沸かせた「琉球のトルネード」。1年目の昨年はシーズン終盤に1軍に昇格し2試合で投げ無失点に抑える堂々のデビューを果たした。左の中継ぎとして今年は2軍で31試合に登板したものの65.1イニングで72被安打・35与四球と打ち込まれ2勝7敗・防5.51と結果は残せず。それでも期待は大きく、先日には台湾で行われるウィンターリーグのウエスタン選抜に選ばれた。3年目のとなる来季は成長が期待されるところ。
・宇佐美塁大(22) (日本ハム・外野手・2012年ドラフト4位)
※昨年は守備の負担が少ない外野手に転向したこともあり打撃成績が向上し打数は少ないものの打率.268をマーク。今年はほぼ2軍のレギュラーとして出場し打率は.230まで下がったものの自身初の2桁本塁打を記録した。ただ321打席で102三振と三振の多さが課題であり、なんとか克服し高卒5年目の来季こそ1軍デビューを果たしたいところ。
OBなど
・川本徳三 【広島(52-58)、投手】 1934年
※基町高校ではチームのエースとして活躍し、当時左投手が不足していたチーム事情もあって広島カープ後援会が熱心に彼を勧誘。当時まだ高校2年生であり入団を拒否し続けていたのだが、紅白戦に呼ばれた際に前年に県大会で投げ合った大田垣喜夫が既に入団してプレーしている姿を見せられ、石本監督から「入ってやってみんか」と言われ、開幕6日前の3月15日に高校を中退して入団を決意。2年目の53年には先発の一員として7勝をあげ、その後も巨人キラーとして黎明期の広島を支え58年に引退。その後は広島の初代スコアラーに就任し、親会社である東洋工業の電算室と協力し1年間データを分析して、64年には王シフトを完成させた。66年からはコーチとして安仁屋宗八らを育てた。投球する際に舌を出す癖があり、また童顔だったことから「ミルキー」の愛称で親しまれた。
・辻発彦 【1983年ドラフト2位→西武(84-95)→ヤクルト(96-99)、内野手】 1958年
※佐賀東高校・日本通運を経て西武に入団。広岡達朗監督から厳しい練習を受け、守備を徹底的に鍛え上げられ2年目の85年からは二塁手のレギュラーに定着。86年には全試合に出場し初のGG賞とベストナインを獲得すると、87年の日本シリーズでは緩慢守備から生まれた隙を突いて一塁から一気に生還する見事な好走塁を見せた。88年からは選手会長を務め、同年からは7年連続でGG賞を獲得。その後も日本シリーズなどの大舞台で好プレーを連発し、93年には打率.319で首位打者・最高出塁率も獲得するなど走攻守において西武の黄金時代を支え続けた。しかし95年に腰痛の影響で成績が低迷し、高年俸もネックとなり若返りを図るチーム事情から同年限りで戦力外となった。その後ヤクルトとロッテから誘いを受け、年俸は安かったが先に声をかけられたヤクルトに移籍。移籍1年目から安打を量産しリーグ2位の打率.333を記録。翌97年には守備固めや代打の切り札として古巣・西武相手に日本一に貢献した。99年に引退し、その後はヤクルトや横浜、中日のコーチ・2軍監督を務め、第1回WBCでもコーチとしてチームに貢献した。そして来年からは西武の監督としてチームの再建を託される。
・田村藤夫 【1977年ドラフト6位→日本ハム(78-95)→ロッテ(96)→ダイエー(97-98)、捕手】 1959年
※関東第一高から日本ハムに入団。加藤俊夫や大宮龍男の存在で長い2軍暮らしが続いたが、81年にプロ初出場すると福本豊の盗塁を刺す華々しいデビューを飾る。その後は徐々に出場機会を増やし、86年にはついに正捕手の座を掴み、膳試合に出場して打率.274 19本の好成績を記録。89年には史上41人目のサイクル安打を記録し、90年には柴田保光のノーノーをアシスト。93年にはベストナイン・GG賞を獲得し、金石昭人と最優秀バッテリー賞を受賞。その後は他の捕手の台頭もあり出場機会が減るも95年には西崎幸広のノーノー達成に貢献。その後金銭トレードでロッテに移籍しこちらでも正捕手として活躍。さらに翌年にはダイエーにFAで移籍。出場機会は少なかったが当時期待の若手だった城島健司の指導でチームに貢献した。98年限りで現役を引退し、その後は古巣・日本ハムを始め様々な球団でコーチを務め、2013年からはソフトバンクのバッテリーコーチを務めている。
おめでとうございます
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辻の年齢的に監督をやるならこれが最後のチャンスだったかな
球団は岸がいなくなる分の補強をしてあげてもらいたい
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ハムに指名された山口は入団拒否か
まぁ当然だな
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山口君が正しい判断ができる子でよかったね
監督が説得して無理やりJRにいかせるみたいな展開にならなくてよかった
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【楽天】
球団は24日、下記選手と来季契約を結ばない旨を発表しました。
<投手>
加藤正志
相原和友
相沢 晋
<内野手>
伊東亮大
<外野手>
牧田明久
北川倫太郎
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楽天 牧田ら7選手に戦力外 伊東、北川には育成での契約打診
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161024-00000080-spnannex-base
7選手(6選手)
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貴重な近鉄戦士が…
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【#侍ジャパン】追加登録
<投手>
岡田俊哉(中日)
【#侍ジャパン】登録変更
<投手>
菅野智之(巨人)
⇒ 出場登録なしに変更
(※チームには帯同予定)
<内野手>
内川聖一(ソフトバンク)
⇒ 外野手に変更
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牧田が現役続行希望なら西武が獲りにいくといいかも
西武の補強ポイントだし西武戦でよく打ってたから
牧田(まきだ)と牧田(まきた)で紛らわしくなるが
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牧田の取説
東京ドームでよく打ちます
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あれ、ヤクルトは平田より牧田がいいんじゃ・・・
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【オリックス、ミッシュが帰国】
オリックスはパット・ミッシュ投手が、26日に帰国すると発表した。来シーズンの契約は結ばない予定。
今シーズン途中から入団した外国人左腕の成績は
3試合0勝1敗、防御率8.44
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ソフトバンク、バリオス&カニザレスの助っ人2選手の退団を発表
http://full-count.jp/2016/10/24/post49194/
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>>59
カニ欲しい球団あるだろうなぁ
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ソフトバンクはテームズかデホ復帰あるんですかね
どちらにしろカニザレスは高齢ではあるから妥当なんだと思いますが
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つば九郎とジャビット、侍入り
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161024-00000065-dal-base
侍ジャパン公式応援キャラクターさんは何をしているんですかねえ…
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下手に応援されると韓国戦みたいなことになるし食レポして炎上してればええよ
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バリオスは環境変えたらワンチャンないですかね?
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若いし無くはないでしょうね。自慢のストレートがポンポン打たれてたのは気になるけど、スアレスサファテバンデンいるホークスだから様子見する余裕もないだけってのはあるし
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スアレスはストライクは真ん中以外入らず変化球が抜けまくってただけだから
コントロールがなんとかなれば使えると思う
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161024-00000115-spnannex-base
ジョンソンは防御率2・15、15勝など7項目中4項目を満たすにとどまったが、
「巨人の菅野は勝利数が1桁、広島の野村は最多勝だが投球回、三振数が足りない。ロッテの石川は投球回が足りない。1人残ったのがジョンソン」(平松委員)、
「ローテーションを守り抜き、カープの優勝に大きく貢献した」(山田委員)など広島のリーグ優勝に年間を通して貢献したジョンソンの安定感を理由に挙げた。
おめでとうございます、なお
>堀内委員長は「今年の70回目の受賞がジョンソンで区切りとし、(来年の)71回目から基準の見直す必要がある」と明言。
妥当妥当アンド妥当
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まぁ今年取るならジャクソン以外いないわ
堀内 有能
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去年もそこに触れていたし、堀内さんはそういう部分は柔軟なのよね
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あるとしたらジョンソンだけど、正直該当者なしの可能性も少なからずあるかなあと思ってた
まあ何にせよオメシャス!
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>>65-66
総合すると制球、特に変化球のカウント球が現状使えないってことですかね
ありがとナス!
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まあジョンソンでしょうね妥当!
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【自由契約選手】◆DeNA
エリアン・エレラ内野手
ジェイミー・ロマック内野手
マイク・ブロードウェイ投手
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>>73ソース
http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20161024-OHT1T50130.html?from=rss&utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter&utm_campaign=hochi_baseball
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報知がヨスランのエレラと間違えたかな
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自由契約選手】▽DeNA・エレラ投手、ブロードウェイ投手、ロマック内野手
http://www.jiji.com/sp/article?k=2016102400441&g=spo&utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
こっちが正解ですね
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NPB公示もY.エレラで出てるんで報知のミスでしょうね
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http://slow-hand.jp/url/?id=796
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沢村賞は来年からQS率を考慮に加えるらしいですね
まあ時代によって変えないとね
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今年のフェニックスリーグは雨天中止がとんでもなく多かったな
選手たちも不完全燃焼だろう
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シーズンぶんまわした投手もなぜか選ばれているので良し悪しかも
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今日の戦力外情報です
【ソフトバンク】
・細川亨(36・捕手) 2001年ドラフト自由枠→西武(15年目) 年俸:1億円
1軍:49試合 .226 (93-21) 1本 6打点 28三振 6四球 1盗塁 OPS.560
2軍:28試合 .230 (61-14) 0本 3打点 18三振 6四球 2盗塁 OPS.633
1軍通算:1374試合 .203 (3325-676) 83本 365打点 993三振 190四球 8盗塁 OPS.583
2軍通算:137試合 .236 (330-78) 7本 37打点 87三振 19四球 2盗塁 OPS.633
・エディソン・バリオス(28・投手) 2011年入団 年俸:6000万円
1軍:11登板 0勝2敗 0S 3H 12.2投球回 16奪三振 5与四球 防7.82
2軍:25登板 1勝1敗 2S 24.1投球回 20奪三振 10与四球 防2.59
1軍通算:46登板 2勝5敗 1S 23H 63.0投球回 61奪三振 28与四球 防4.43
2軍通算:46登板 7勝5敗 5S 72.1投球回 58奪三振 26与四球 防2.99
・バーバロ・カニザレス(37・内野手) 2014年入団 年俸:6000万円
1軍:16試合 .179 (39-7) 0本 3打点 11三振 2四球 0盗塁 OPS.443
2軍:81試合 .283 (279-79) 14本 48打点 45三振 34四球 0盗塁 OPS.886
1軍通算:38試合 .259 (85-22) 1本 8打点 17三振 5四球 0盗塁 OPS.657
2軍通算:241試合 .303 (742-225) 40本 137打点 92三振 83四球 3盗塁 OPS.918
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【楽天】
・加藤正志(27・投手) 2014年ドラフト6位(2年目) 年俸:800万円
1軍:1登板 0勝0敗 0S 0H 1.0投球回 0奪三振 0与四球 防18.00
2軍:10登板 0勝2敗 0S 18.2投球回 11奪三振 6与四球 防3.86
1軍通算:10登板 0勝0敗 0S 14.1投球回 3奪三振 2与四球 防5.65
2軍通算:25登板 2勝5敗 2S 54.1投球回 34奪三振 17与四球 防3.64
・相原和友(27・投手) 2013年ドラフト7位(3年目) 年俸:810万円
1軍:2登板 0勝0敗 0S 0H 1.0投球回 1奪三振 4与四球 防45.00
2軍:24登板 0勝1敗 0S 20.2投球回 20奪三振 3与四球 防3.92
1軍通算:21登板 0勝0敗 0S 0H 23.1投球回 7奪三振 16与四球 防4.24
2軍通算:65登板 3勝3敗 2S 86.2投球回 62奪三振 35与四球 防3.43
・相沢晋(29・投手) 2013年ドラフト8位(3年目) 年俸:720万円
1軍:登板なし
2軍:7登板 2勝0敗 0S 6.2投球回 4奪三振 1与四球 防6.75
1軍通算:5登板 0勝1敗 0S 7.1投球回 1奪三振 7与四球 防9.82
2軍通算:59登板 2勝2敗 4S 72.1投球回 33奪三振 29与四球 防2.49
・伊東亮大(27・内野手) 2014年ドラフト7位(2年目) 年俸:800万円
1軍:出場なし
2軍:45試合 .167 (90-15) 1本 7打点 16三振 7四球 4盗塁 OPS.510
1軍通算:8試合 .273 (22-6) 2本 2打点 5三振 0四球 1盗塁 OPS.895
2軍通算:114試合 .211 (242-51) 3本 26打点 46三振 20四球 14盗塁 OPS.602
・牧田明久(34・外野手) 2000年ドラフト5位→近鉄(16年目) 年俸:2700万円
1軍:16試合 .355 (31-11) 0本 2打点 2三振 2四球 0盗塁 OPS.813
2軍:52試合 .282 (142-40) 0本 11打点 17三振 13四球 6盗塁 OPS.700
1軍通算:691試合 .253 (1522-385) 23本 150打点 199三振 94四球 0盗塁 OPS.813
2軍通算:612試合 .265 (1888-235) 37本 230打点 252三振 133四球 42盗塁 OPS.706
・北川倫太郎(23・外野手) 2011年ドラフト5位(5年目) 年俸:720万円
1軍:出場なし
2軍:86試合 .248 (315-78) 6本 46打点 80三振 33四球 7盗塁 OPS.689
1軍通算:31試合 .215 (79-17) 0本 4打点 19三振 6四球 3盗塁 OPS.521
2軍通算:300試合 .243 (834-203) 10本 91打点 224三振 70四球 17盗塁 OPS.647
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10月25日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・村中恭兵(29) (ヤクルト・投手・2005年高校ドラフト1位)
※昨年は8年ぶりの1軍登板なしに終わり、背番号「15」も剥奪。「43」を背負って迎えた今年は開幕1軍に選ばれ、左の中継ぎとして活躍。またチーム事情から6月30日には先発も務め、11連勝中だった広島相手に勝利するなど52登板で7勝3敗6ホールド、防3.90と結果を残した。来季もチームの投手陣を支えるべく更なる活躍が求められる。
・益田直也(27) (ロッテ・投手・2011年ドラフト4位)
※昨年は6月末の時点で約7点台と苦しんでいたが、後半戦で大きく巻き返し最終的には防3.91、そして4年連続の50登板も達成。今年は開幕から好投が続き、次々と離脱する「伊東帝国」の中で南とともに1年間通じて1軍に残り、西野の離脱後は代理守護神を務めた。終わってみればチーム最多の61登板、3勝2敗14セーブ21ホールドと今年も大車輪の活躍。5年目にして300登板を達成するタフネスさを武器に来年もブルペンを支える。
・三木亮(25) (ロッテ・内野手・2013年ドラフト3位)
※二塁・三塁・遊撃をこなせるユーティリティであり、昨年には本拠地最終戦でプロ初本塁打を記録。今年は主に守備固めとして出場機会を増やし3年目で自己最多の75試合に出場するも一方で打撃面では打率.185 OPS.441と結果を残せず。来年はそれを克服しまだ完全に固定できていないセカンドやサードの定位置を虎視眈々と狙いたい。
OBなど
・石田光彦 【阪急(36-40)→南海(41-42)→大和(43)→ゴールドスター(46)、投手】 1915年
※軟式野球の東京リーガル協会からテストを経て重松通雄とともに阪急に入団。投球前に右手で胸の前で十字を切り、ワインドアップから一度打者に背中を向けるという投法から「十字架投法」「元祖トルネード投法」と呼ばれた選手。これにより増した球威を武器に打者を幻惑し、37年のセネタース戦では球団初のノーノーを達成。自己最多の16勝をあげた1940年にも2度目のノーノーを達成した。その後は南海や大和でプレーしチームの主軸投手としてプレー。戦後46年にはゴールドスターに移籍し球団初の開幕投手を務めた。9年間で通算91勝をあげ、同年限りで現役を引退した。
・山本浩二 【1968年ドラフト1位→広島(69-86)、外野手】 1946年
※ご存知「ピーコ」。自分自身の力で甲子園に行くために野球では全く無名の廿日市高校に入団し、エースとして活躍するも甲子園出場は果たせず。その評判を聞いた南海の鶴岡一人監督に大学進学を勧められ法政大学に進学。ここで外野手にコンバートしたことで打撃の才能が開花し、やがて田淵幸一・富田勝とともに「法政三羽烏」の一員として黄金時代を築き上げた。当時弱小球団で一度も優勝を経験していなかった広島を優勝させることを夢とし、68年のドラフト1巡目で希望通り広島に指名され入団。1年目の開幕戦からスタメン出場を果たし、現役の序盤は様々な打順で起用された。しかし成績自体は特筆すべきものがなく長らく平凡な中距離打者として打線の脇を固める存在だった。しかし根本陸夫監督や関根潤三、広岡達朗の両コーチらの指導もあり徐々に成長。74年にはリーグ5位の28本塁打を放ち再び才能が開花する。翌75年には自身初の首位打者を獲得するなど打率.319 30本 84打点 24盗塁という自己最高の成績で、チーム初優勝に貢献。MVPに選ばれ、「ミスター赤ヘル」の二つ名で一躍チームの英雄となった。その後は広角打法を習得し、77年にはいずれもリーグ2位の44本塁打、113打点を記録しこの年から5年連続で40本塁打を記録。78年には44本塁打で本塁打王、79年には113打点で打点王(いずれも球団史上初)を獲得し、80、81年には2年連続で2冠王となるなど走攻守の三拍子揃った選手として衣笠祥雄とともに「YK砲」として広島の黄金時代を築いた。85年には史上2人目の通算500本塁打・200盗塁を達成し、チームが5度目の優勝を飾った86年に引退。同年の日本シリーズ第8戦が引退試合となり、チームは敗れたが万来の浩二コールに包まれ有終の美を飾った。大卒選手としては歴代最多の通算536本塁打を放ち、首位打者以外の打撃タイトルはいずれも30歳以降で獲得するなど大器晩成の選手として活躍し、その功績を称え、自身が背負った「8」は球団史上初の永久欠番となった。その後は解説者を経て89年に広島の監督に就任し、91年には6度目のリーグ優勝を記録し93年にいったん退任。その後再び解説者を経て2001年に監督に就任するも5年連続でBクラスに終わり2005年に退任した。しかし打者の育成力は高く、1回目は前田や緒方・江藤、2回目には新井や嶋、栗原といった数々の選手を育てた。その後2008年に殿堂入りを果たし、2012年オフに侍ジャパンの監督に就任するも第3回WBCでは準決勝で敗れた。現在は三たび解説者として活動している。
続く
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やっぱ大卒社会人は待ってもらえないな
まして下位指名だし
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http://fukuokaspa092.blog.fc2.com/blog-category-3.html
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>>84
やっぱ山本浩二って神だわ
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・吉田博之 【1978年ドラフト4位→南海・ダイエー(79-90)→阪神(91-93)、捕手】 1960年
※横浜高校では遊撃手としてプレーしていたが、新たなエースとなった愛甲猛の直球を捕球できる選手がいなかったために捕手に転向し、甲子園出場に貢献。ドラフト4位で南海に入団すると、翌年入団した香川伸行と正捕手の座を争って、5年目の84年に正捕手に定着。甘いマスクと強肩で「梨田2世」と呼ばれて女性人気も高く、チームの選手会長として晩年の南海を支えた。しかしダイエーとなった89年に阪急から移籍してきた内田強に正捕手の定位置を奪われ出場機会が激減し、翌90年オフに5対4という大型トレードで阪神に移籍。新天地で出場機械を求めたが木戸克彦や山田勝彦らに阻まれ結局活躍は出来ず93年に現役を引退した。
・石井丈裕 【1988年ドラフト2位→西武(89-97)→日本ハム(98-99)、投手】 1964年
※早稲田実業高では同僚の荒木大輔の控えとしてプレー。法政大学を経て進んだプリンスホテルでは最速149キロの速球を武器に88年にはソウル五輪の代表に選ばれ、チーム最多の23.2イニングを投げチームの銀メダル獲得に貢献。まだ十分に会社に貢献できていないとしてプロ入り拒否を表明していたものの、西武の強行指名を受け、スカウトの毒島章一の説得もあり入団。新人王も狙えると期待されていたが1年目はプロの壁にぶち当たり4勝、防4.33に終わる。しかし小山正明コーチからパームを伝授されて投球の幅が広がった翌90年に先発ローテに定着し、8勝をあげてチームの優勝に貢献。92年には準完全試合も記録するなどチームの柱として活躍し、15勝3敗3セーブ・防1.94の好成績で沢村賞やMVPなど多くのタイトルを獲得し、日本シリーズでも第3戦、第7戦で先発し、特に第7戦では自ら同点タイムリーを放って延長戦に持ち込み、10回155球を投げて完投勝利しシリーズMVPにも選ばれた。その後も先発として活躍するも94年に不調となり、シーズン終盤からはリリーフに回ってチームの5連覇に貢献。日本シリーズでも抑えとして起用されるも第6戦にコトーに痛恨のソロを浴び、巨人に日本一を許した。その後は度々故障に悩まされて成績も低迷し、97年オフに西崎幸広とのトレードで奈良原浩とともに日本ハムへ移籍。しかし日本ハムでは思うような結果を出せず99年オフに戦力外。その後数球団のテストを受けるも不合格に終わり、翌年からは台湾・台北太陽でプレー。2000年には16勝5敗・防1.74の好成績で最多勝・最優秀防御率・MVPを獲得し、翌2001年に引退。その後は台北太陽の監督や韓国・ロッテのコーチを経て2004年からは再び西武に復帰。2014年まで西武のコーチを務め、現在はライオンズアカデミーのコーチを務めている。体幹がブレず、また球持ちがよかったことから制球力が高く、与四球の少ない投手だった。
文字数オーバーのためちょっと今日はレスが多くなります
続く
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・小笠原道大 【1996年ドラフト3位→日本ハム(97-06)→巨人(07-13)→中日(14-15)、内野手・捕手】 1973年
※絶大な人気を誇る「北の侍」。暁星国際高から進んだNTT関東では立石尚行とバッテリ-を組んで活躍し、96年の都市対抗では新日鉄君津の補強選手として松中信彦とクリーンアップを組んだ。日本ハムでも当初捕手として起用されたが、打撃力を活かすべく内野手に転向。99年には「バントをしない2番打者」として一気にブレイクを果たし、初登板の松坂大輔から2ランを放つなど打率.285 25本 81打点の好成績を残す。2000年には3割30本100打点を記録し、最多安打のタイトルも獲得。翌2001年にはロッテ・福浦との熾烈な首位打者争いを繰り広げリーグ2位の打率.339を記録し、球団史上最多のシーズン195安打もマークし、カブレラ・松中・福浦を抑えて一塁手のベストナインも獲得した。翌2002年からは2年連続、特に2003年には.360という高打率で首位打者を獲得し、2004年には社会人最速の通算1000安打も達成し、5年連続で打率3割をマーク。2006年には第1回WBC代表に選ばれ、決勝では3打点を記録するなど世界一に貢献。また同年には32本塁打・100打点で2冠王、そしてMVPとなりチーム44年ぶりの日本一に貢献。同年オフにFAで巨人に移籍すると、.313 31本 88打点の好成績で優勝に貢献し野手では史上初の両リーグMVPとなる。2009年には第2回WBCのメンバーとして連覇に貢献。巨人でもチームの3連覇に大きく貢献し、2010年まで4年連続で3割30本を記録するなどまさに球界を代表する打者として活躍。2011年には史上4番目の速さで通算2000安打を達成するも、故障と統一球導入の影響で成績は急降下。2012年には1本も本塁打を放てず当時史上最大の3億6000万円の減俸も味わった。誰もが復活を絶望的と見ていた中で迎えた2013年の日本ハム戦では代打でサヨナラ3ランを放ち、数々のファンを感動させた。オフに2度目のFAで中日に移籍すると、歴代2位の代打9打席連続出塁を記録するなど、代打の切り札として活躍。昨年も3割を超える活躍を見せていたが、現役を引退。その後は中日の2軍監督に就任し、近年低迷していた2軍を2位にまで底上げした。最近では1軍の監督就任も噂されていたが来年もそのまま2軍監督としてチームを引っ張る。何より特徴はヒゲとフルスイングであり、21世紀のプロ野球における大打者として多くのファンを魅了した。ありがとうガッツ 永遠にガッツ
続く
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紹介で1レス使う男
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・李炳圭 【中日(07-09)、外野手】 1974年
※韓国ではLGツインズで10年間プレーし、2006年にはWBC韓国代表に選ばれ、5ツールプレーヤーとして活躍し、退団したアレックス・オチョアの後継者として期待され2006年オフに中日に入団。当初は5番打者として起用されるも打率.262 9本 46打点と成績は平凡なものに終わった。また守備でも度々ミスを犯しある試合では「打てない守れない」とも実況に言われてしまった。しかしポストシーズンでは第1ステージの阪神戦で新人王投手・上園から3ラン、第2ステージの巨人戦では西村から2点適時三塁打、上原からダメ押しのソロ、そして日本シリーズの日本ハム戦でも押本から2ランを放つなど異様な勝負強さを見せた。翌2008年も好不調の波が激しく、最終的に16本 65打点を記録するも打率はリーグワースト3位の.254に終わった。しかしこの年のCSでも巨人戦でグライシンガーから先頭打者本塁打も放っている。2009年には3割20本を目標に掲げたが、オープン戦から打撃不振に苦しみ、さらに藤井や野本・平田らの台頭もあり成績は大幅に低迷し同年限りで自由契約となった。その後はLGツインズに復帰し、2013年には史上最年長の38歳8ヶ月でサイクル安打を達成し、8年ぶり2度目の首位打者も獲得。2014年には史上4人目の韓国通算2000安打も記録するなど国を代表する大打者として活躍。現在でも現役ではあるが、年々出場機会も減り、今年はわずか1試合のみの出場に終わっている。
・花田真人 【1999年ドラフト5位→ヤクルト(00-09)、投手】 1977年
※柳川高校ではエースとして活躍し、進学した中央大学では阿部慎之助とバッテリーを組み、チーム11年ぶりの東都1部入りに貢献。ヤクルトに入団すると3年目の2002年に1軍で台頭し、中継ぎながら自ら三塁打を放ってプロ初勝利をあげる。その後は目立った活躍はなかったが2005年から中継ぎの一員としてチームを支え、2006年には落ち着いたマウンド捌きでセットアッパーとして活躍し、自己最多の51試合に登板。その後もロングリリーフもこなす便利屋として活躍するも、五十嵐や松岡・押本・林昌勇らの台頭もあり、わずか3登板に終わった2009年に戦力外となり引退し、城石とともに引退セレモニーが行われた。現在はヤクルト本社に勤務している。
・喜田剛 【2001年ドラフト7位→阪神(02-07)→広島(07-10)→オリックス(10)→横浜(11)、内野手・外野手】 1979年
※沖学園高、福岡大学を経て阪神に入団。阪神では2年目の2003年にフレッシュオールスターで一時逆転の3ランを放ち、その後2005年・2006年には2年連続で2冠王となるなど着々と成長していたが、1軍ではほとんど出番がなかった。また2006年のファーム日本選手権ではロッテ・成瀬から桜井・藤原とともに3者連続本塁打を放っている。2007年のシーズン途中にトレードで広島に移籍すると、一時は打率3割を超える活躍を見せるなど、67試合に出場して打率.247 3本と飛躍を果たす。その後も準レギュラーとして活躍するも、定位置獲得とはならず2010年の途中に迎祐一郎とのトレードで長谷川昌幸とともにオリックスに移籍。オリックスでは主に代打として起用され、古巣・広島戦でも代打で安打を放ち新記録となる10人連続安打の一員となった。そのわずか半年後のオフに2対2のトレードで今度は横浜に移籍。しかし横浜では1軍出場は果たせず、オフに戦力外となり現役を引退。その後は四国IL・徳島の打撃コーチを務めたがわずか半年で辞任。現在はアンダーアーマーに勤務している。
おめでとうございます
余談ですが、毎日ほぼぶっつけで文章を書いているので、その文章の整理ができずいつも長くなってしまうのが悩ましいですね…
まぁそもそもこの企画自体がぶっつけ本番で生まれたものですし仕方ないのですが…。
それでも残り約60日、頑張っていきたいと思いますので最後までよろしくお願いいたします
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毎日サンキューです
ビョンギュは叩かれてたけど2007年の日本一にはすごく貢献してくれたからやっぱり愛着の方が強いなぁ
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ガッツだけで1000文字近くまでいってて草
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FFを見慣れた中日ファンが韓国のイチローって評判を鵜?みにして期待しちゃったのが不幸でしたね
記者「イチローのことどう思う?」 ビ「大好きさ、ファンなんだ」→翌日のスポーツ紙「ビョンは韓国のイチロー!」とかもうね
ホームランの際のバット投げが本当に美しくて好きでしたね
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落合が信じたビョンとセサルとグスマンを信じろ
実際には、数字だけ見てもセサル・グスマンと同格扱いは気の毒といえる
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http://imgur.com/qy8NC6G.jpg
糸井4年130円契約ってマジ!?
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ZOZOTOWNは球団運営にも関心が高いのか
千葉ZOZOTOWNマリーンズ…
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6年前にもマリンのネーミングライツ狙ってたし
かなり熱意あるんですね
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>>96
まーた誤植の揚げ足とりかと思ったら予想外で大草原
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【オリックス】
球団は25日、下記選手と来季契約を結ばない旨を発表しました。
<投手>
佐藤峻一
<捕手>
齋藤俊雄
田中大輔
<内野手>
堤 裕貴
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【DeNA】選手獲得
▼ アウディ・シリアコ
出身:ドミニカ共和国
生年月日:1987年6月16日(29歳)
ポジション:内野手
投打:右投右打
※今季は独立L・石川ミリオンスターズでプレー。68試合で打率.322、15本塁打。
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【任意引退選手公示(10/25)】
読売ジャイアンツ 投手 99 阿南徹
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森脇さんは中日に入閣か
意外と面白い陣容になってきたか
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土井正博・田村藤夫・森脇浩司
これだけ見るとどこのチームなのか分かりませんね…
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招聘するって記事は出てたけど、ほんとに就任するんだなあ>土井さんと森脇さん
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西武じゃない土井爺も何か違和感がすごい
やっぱり森繁和人脈かなぁ
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今日もまずは戦力外情報です
【オリックス】
・佐藤峻一(25・投手) 2012年ドラフト2位(4年目) 年俸:700万円
1軍:5登板 0勝0敗 0S 0H 7.1投球回 6奪三振 6与四球 防13.50
2軍:18登板 1勝6敗 0S 55.1投球回 34奪三振 14与四球 防7.32
1軍通算:5登板 0勝0敗 0S 0H 7.1投球回 6奪三振 6与四球 防13.50
2軍通算:55登板 7勝12敗 0S 157.0投球回 107奪三振 54与四球 防5.39
・齋藤俊雄(33・捕手) 2004年ドラフト10位→横浜→ロッテ(12年目) 年俸:980万円
1軍:1試合 .000 (0-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:38試合 .185 (65-12) 1本 12打点 26三振 9四球 0盗塁 OPS.554
1軍通算:175試合 .201 (273-55) 0本 12打点 107三振 7四球 1盗塁 OPS.456
2軍通算:420試合 .205 (897-184) 20本 102打点 277三振 62四球 11盗塁 OPS.585
・田中大輔(32・捕手) 2006年ドラフト希望枠→中日(10年目) 年俸:650万円
1軍:1試合 .000 (0-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:24試合 .245 (49-12) 1本 10打点 6三振 4四球 0盗塁 OPS.649
1軍通算:58試合 .177 (79-14) 1本 3打点 17三振 6四球 0盗塁 OPS.495
2軍通算:456試合 .261 (948-247) 10本 111打点 116三振 118四球 1盗塁 OPS.685
・堤裕基(23・内野手) 2011年ドラフト6位(5年目) 年俸:650万円
1軍:1試合 .000 (0-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:89試合 .268 (272-73) 0本 16打点 43三振 26四球 7盗塁 OPS.674
1軍通算:14試合 .115 (26-3) 0本 2打点 6三振 1四球 1盗塁 OPS.264
2軍通算:411試合 .254 (1268-322) 5本 92打点 213三振 126四球 14盗塁 OPS.646
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ANAN引退か…お疲れさんやで
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1軍2軍あわせて62イニング投げてる24歳切るのか・・・ ヤクルトと違ってオリックスは人数はいるから大丈夫なんだろうけど
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>>107
堤裕「貴」でした…申し訳ございません
【今日のプロ野球・10月25日】
日本シリーズ 第3戦
ハム 4x-3 広島 (勝:バース 1勝 敗:大瀬良 1敗)
日本ハムがサヨナラ勝ちで1勝2敗と巻き返した。
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ドラフト後の第二次はそういう選手も出てくるわな
育成落ち(後に支配下復帰)とかもあったし、待ってもらえる立場じゃなかった
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<削除>
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【今日のホームラン】
広島:エルドレッド3号 (2回表・2ラン・有原(日)・3号) ※3試合連続
【今日の盗塁】
ハム:西川(1) (通算・1)
広島:田中(1) (通算・1)
広島:丸(2) (通算・2) ※2試合連続
【今日の猛打賞】
ハム:大谷(1) (4打数3安打・日シリ通算5安打:左2・中2・左飛・四球・右安①) 率.625
【今日の勝利投手】
ハム:バース 1勝 (通算2登板・1勝0敗0S・1回1安打無失点・1奪三振無四球・防0.00)
【今日のセーブ投手】
なし
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【主な記録】
【日本ハム】
・チームの日本シリーズでのサヨナラ勝ちは2012年第4戦(対巨人)での飯山裕志以来、4度目。
・中田翔が今シリーズ26イニング目にしてチーム初タイムリーを記録。
【広島】
・日本シリーズでのサヨナラ負けは1986年第5戦(対西武)での工藤公康以来2度目。
奇しくも同じ投手相手である。
・エルドレッドは1958年西鉄・中西太、1985年阪神・バース、2000年ダイエー・城島健司、2003年阪神・金本知憲以来史上5人目で最長タイの日シリ3試合連続本塁打。
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投手相手ってどういうことかって思ったら そうか工藤に打たれたんだ
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ああ、そういうことか
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調べてみたら工藤の年までが日シリでセパ共にDHなかったんやな。
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【明日の予告先発】
日本シリーズ 第4戦
広島:岡田明丈 18登板 4勝3敗 89.1投球回 60奪三振 25与四球 防3.02
VS
ハム:高梨裕稔 37登板 10勝2敗 109.2投球回 86奪三振 36与四球 防2.38
23歳の岡田と25歳の高梨の若手対決。
広島が王手をかけるか、ハムがイーブンに持ち込むか。
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10月26日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・釜田佳直(23) (楽天・投手・2011年ドラフト2位)
※トミー・ジョン手術から復帰した昨年は8月に実に3年ぶりの先発勝利。そして今年は開幕から先発ローテの一員として活躍し、交流戦では0点台の好投を見せるなどルーキー年に並ぶ7勝をあげた。今年の最速は152キロと復活の道を歩んでおり、則本・美馬・安樂らとともに楽天先発陣を引っ張る存在になれるか。
OBなど
・滝田政治 【急映(48)→大映(49-56)→阪急(57-61)→阪神(62)、外野手・内野手】 1926年
※秋田中学・秋田鉱山専門学校・中央工業を経て48年に急映に入団。翌49年に大映に移籍すると外野手のレギュラーを勝ち取り、52年には史上6人目のサイクル安打を達成。翌53年からは一塁手に転向し、チームを支えた。だがチームが56年オフに高橋ユニオンズと合併した際に余剰要員となり、レギュラーだったにも関わらず解雇され阪急に移籍。阪急でもレギュラーとして活躍し、60年からは主将としてチームを引っ張った。晩年は大映時代に縁のあった藤本定義が監督を務める阪神でプレーし62年に引退。特筆すべきエピソードはあまりないものの15年間で1314試合に出場し991安打を放つなど50年代のプロ野球で活躍した。
・安藤元博 【東映(62-64)→巨人(65)、投手】 1939年
※坂出商業高では3年時に夏の甲子園に出場するも準々決勝で敗退。しかし、この年の地区予選から本大会の2回戦まで65イニング連続無失点という記録を残している。その後スポーツ推薦で早稲田大学に進むと高い制球力を武器にしたアンダースローの技巧派投手として活躍。特に有名なのは60年秋に慶大と優勝を争った「早慶6連戦」であり、最初の3試合のうち、第1戦と第3戦で完投勝利を記録し、慶大とのリーグ成績を同率となり優勝決定戦が行われることとなる。通常1試合で決まるこの優勝決定戦が第1試合、第2試合ともに日没による引き分けとなり、迎えた第3戦で3-1で勝利しリーグ優勝を成し遂げた。安藤はこの優勝決定戦の3試合全てで完投し、この6連戦のうちの5試合で49イニングを投げわずか3失点という驚異的な活躍を見せた。この活躍が称えられ、現在でも早稲田大学のエースは彼が背負った「11」をつけるのが伝統となっている。卒業後62年に東映に入団すると、1年目から13勝8敗、防2.32という好成績でチームの優勝に貢献。同年は20勝をあげた同僚の尾崎行雄がいたために新人王には選ばれずも、阪神との日本シリーズでは2勝をあげてシリーズ最優秀投手賞を受賞するなど初日本一の立役者となった。しかし翌年以降は成績が大きく低迷し、65年に移籍した巨人で引退。その後は球界から離れて食品会社の経営や建設業の営業部長を務めた。
続く
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土井が正式に中日のコーチ就任ということは体調だとかは問題ないんですね
西武のコーチ辞めたときは表向き体調が悪いからということになってましたが
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スマホゲー疑惑の秀爺は残るんですかね?
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・渡辺弘基 【1971年ドラフト1位→阪急(72-74)→広島(75-79)、投手】 1947年
※日大一高・亜細亜大学・日産自動車を経てドラフト1位で阪急に入団。スリークォーターから投げる落差の大きいカーブを武器とし、西本幸雄監督に大きく期待されるも3年目に3対2のトレードで早くも広島に移籍。すると広島では貴重な左の中継ぎとして移籍1年目の75年には55試合に登板し3勝3敗1セーブ、防1.85という好成績でリーグ初優勝に大きく貢献し、古葉監督からは「彼こそ陰のMVPだ」と語った。翌76年には当時のセ・リーグ最多記録となる73試合に登板。しかしこの酷使の影響なのか故障で翌77年からは成績を落とし、79年に現役を引退。その後は解説者の傍らで実業家や起業家としても名を馳せ、イベント企画会社の経営も行っている。ちなみに2006年にアマチュア指導者になるために27年ぶりに自由契約選手となっている。
・スティーブ・オンティベロス 【西武(80-85)、内野手】 1951年
※ジャイアンツ・カブスを経て、80年のシーズン途中に不調で解雇されたダンカンに代わって西武に入団。後期における優勝争いにおける原動力となり、65試合で打率.314 16本 50打点をマークする活躍を見せた。中距離打者として活躍し、6年間で5度の打率3割をマークするなどアベレージヒッターとして活躍し、83年には最多勝利打点、84年には前年から2年連続で最高出塁率のタイトルを獲得するなど80年代前半の西武を支えた。ただ気性が荒く、日本ハムの大宮龍男とは2度も乱闘を起こすなど3度の退場処分を受けている。口ひげがトレードマークであり、メジャー時代にカツラのCMに出演したこともあり、移動中はいつもウィッグを装着し別人のようになっていた。現在は母国で会社経営をしている模様。
・関口伊織 【1995年ドラフト2位(逆指名)→横浜(96-01)→近鉄(01-04)、投手】 1971年
※大宮工業・東洋大学を経て進んだ日本通運では1年目から日本選手権の優勝に貢献し、95年の都市対抗でも川鉄千葉の補強選手として活躍。逆指名で横浜に入団し当時の規定上限である契約金1億、年俸1200万円で契約を結んだ。1年目から先発や中継ぎとしてフル回転し5勝をあげると、97年にはリリーフとして60試合に登板。翌98年も不調な時期はあったものの先発や中継ぎとして活躍し優勝・日本一に貢献した。2001年の開幕直後に近鉄に移籍すると、こちらでも左の中継ぎとして53試合に登板し同年のリーグ優勝に貢献。しかしその後は成績が低迷し、2004年に引退。その後は新たに創設された楽天の打撃投手を務め、現在は楽天のスコアラーを務めている。速球やスライダー・シンカーを武器とし、マウンド度胸の良さと強気の投球にも定評があった。
・清水昭信 【2006年大社ドラフト6位→中日(07-13)、投手】 1983年
※三重高校時代にパドレスの入団テストを受けるも最終選考で不合格となり、卒業後は愛知県内の企業に就職するも野球への思いを断ち切れずに退職。1日10時間の受験勉強の末に名城大学に入学。大学選手権ではベスト8にチームを導くなど一躍注目を浴び、大学日本代表のメンバーにも選ばれた。2年目の2008年に1軍デビューを果たすと先発・中継ぎの双方で好投しCSでも中継ぎとして起用された。2010年には自己最多の44試合に登板し、リーグ優勝に貢献。しかしその後は右肩の故障で1軍から遠ざかり、2013年に3年ぶりに1軍登板を果たすも同年限りで戦力外となり引退。現在は中日のスカウトを務めており、今年のドラフトでも5位指名の藤嶋健人を担当した。
おめでとうございます
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インディアンス勢いありますね
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クリーブランドとシカゴって広島札幌間の1/3の距離しかないねんな
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【今日のプロ野球・10月26日】
日本シリーズ 第4戦
ハム 3-1 広島 (勝:谷元 1勝 敗:ジャクソン 1敗 S:宮西 1S)
接戦を制し、日本ハムが2勝2敗のイーブンに。
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【今日のホームラン】
ハム:中田1号 (6回裏・ソロ・岡田(広)・2号)
ハム:レアード2号 (8回裏・2ラン・ジャクソン(広)・2号)
【今日の盗塁】
ハム:岡(1) (通算・1)
広島:鈴木(2) (通算・2)
【今日の猛打賞】
広島:菊池(1) (5打数3安打・日シリ通算6安打:中飛・遊ゴ・左安・左安・左安) 率.375
【今日の勝利投手】
ハム:谷元 1勝 (通算3登板・1勝0敗0S・1回無安打無失点・0奪三振1与四球・通算防1.80)
【今日のセーブ投手】
ハム:宮西 1S (通算10登板・1勝0敗1S・1回2安打無失点・2奪三振1与四球・通算防1.93)
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【主な記録】
【日本ハム】
・中田翔は2012年第6戦(対巨人・澤村拓一から)以来となる日シリ通算2本目の本塁打。
【広島】
・岡田明丈は2013年の楽天・則本昂大以来史上19人目・24度目、球団では1986年の長冨浩志以来2人目となる新人での日本シリーズ先発。
・菊池涼介は1991年第4戦(対西武)での野村謙二郎以来となる日本シリーズでの猛打賞。
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【明日の予告先発】
日本シリーズ 第5戦 札幌ドーム 18:00〜
広島:ジョンソン 26登板 15勝7敗 180.1投球回 141奪三振 49与四球 防2.15
VS
ハム:加藤貴之 30登板 7勝3敗 91.1投球回 64奪三振 31与四球 防3.45
沢村賞投手・ジョンソンが中4日で先発し、明日の王手を目指す。
一方の日ハムは新人では2006年の武田勝以来の先発となる加藤を送り出す。
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10月26日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・ジェイ・ジャクソン(29) (広島・投手・2016年来日)
※今年の新助っ人。開幕からリリーフの軸として活躍し、67試合に登板しリーグ2位の42HPを記録し、ヘーゲンズとともにチームのリーグ優勝に大きく貢献した。CSや日本シリーズでも好投が続いていたが、昨日の第3戦で中田に一時逆転打、第4戦でレアードに決勝2ランを浴びてしまった。日本一を目指すべく第5戦以降の名誉挽回に期待したい。
・相原和友(27) (楽天・投手・2013年ドラフト7位)
※多彩な変化球を持つ技巧派の左腕であり、1年目こそはそこそこ1軍での出番をもらえたが昨年は2試合の登板に終わった。左腕ながら左打者に打たれることが多く、オフには斎藤隆や小山伸一郎らの助言を受けサイドスローに転向したが、成績は上向かず。そして先日戦力外通告を受けた。仙台出身の地元っ子であるが、果たして今後はどうなるか。
OBなど
・マイク・ラム 【大洋(82)、内野手】 1945年
※アメリカ人の父、日本人の母のもとに生まれたハーフであり、67年にブレーブスで日系人初となるメジャーデビューを果たす。71年には右翼手の定位置を掴むなど順調に活躍し、76年にレッズに移籍。しかしレッズでは当時ビッグレッドマシンと呼ばれた強力打線の全盛期であり、その一角に食い込むことが出来ず出場数が激減。その後はカブスを経て82年に37歳で大洋に入団。全盛期は過ぎており、成績は117試合で打率.269 12本 46打点と平凡なものに終わったが、勝利打点は田代富雄に次ぐチーム2位の8を記録するなど勝負強さを発揮したが、同年限りで解雇され現役を引退。その後はホワイトソックスやロイヤルズでコーチを務め、2006年には一時ロッテの打撃コーチの候補になったこともある。
・立花義家 【1976年ドラフト1位→クラウン・西武(77-91)→阪神(92)、外野手】 1958年
※柳川商業では中堅手や一塁手として甲子園に2度出場。「左の原辰徳」と呼ばれ、ドラフト1位でクラウンライターに入団。2年目には臨時コーチを務めた松木謙治郎に「張本勲2世」と評され、その評価を聞いた根本陸夫監督がレギュラーに抜擢。19歳にして3番打者に座り活躍するなど注目を集めた。また同年に行われた日米野球では巨人とクラウンライターが連合軍を組み、自身はあの王貞治の後を継ぐ5番打者として出場した。チームが所沢に移籍し、西武となって以降も主力として活躍し、79年には西武球場初の本塁打をプロ初本塁打で飾った。80年にはチームトップの打率.301を記録するなど強打者が揃う打線の中で「恐怖の7番打者」として活躍。82年からはチームの2年連続日本一に貢献したが、その後は田尾安志の入団や金森栄治の台頭もあり定位置を奪われ、代打要員となったがそこでも勝負強い打撃を見せてチームの黄金時代を支えた。91年オフに金銭トレードで阪神に移籍し、翌92年も代打の切り札としてチームの2位躍進に貢献するもこの年限りで退団。翌93年は台湾・俊国でプレーし同年限りで引退。その後はサラリーマン生活を経て98年からダイエーのコーチに就任。その後もオリックス・西武・ソフトバンクのコーチを歴任し、伊東監督が就任した2013年から今年までロッテの1軍打撃コーチを務めたが、つい先日退団を発表している。
・佐竹学 【1996年ドラフト4位→オリックス(97-04)→楽天(05-06)、外野手・内野手】 1974年
※東海大付第四高から東海大学を経て、オリックスに入団。1年目から三塁手のレギュラーとして出場機会を稼ぎ、その後も外野手も兼ねた準レギュラーとして晩年のブルーウェーブを支えた。2004年オフに分配ドラフトで楽天に移籍すると、広橋公寿コーチのもとで打撃フォームの改造に成功し、64試合の出場ながら打率.310の高打率を記録。また9月のソフトバンク戦では球団史上初となるランニングホームランを記録している。しかし翌年は打撃不振に悩まされ、オフに戦力外となり引退。その後は楽天のコーチを経て、2011年からはオリックスの1軍外野守備走塁コーチを務めている。なお、今年の8月のロッテ戦で判定を巡って抗議した際に肘鉄をしたとして退場処分を受けている。
おめでとうございます
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韓国SKの新監督にヒルマンとはたまげたなぁ
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「『シンジラレナ〜イ!』のあの人が!」って記事見て「え、ボビーが?」って思ったゾ(池沼)
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オマリー退任か
これ去就微妙のゴメスはやっぱり放出ってことになりそうじゃね
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福留1塁コンバート案あるしね
高山がセンター守れるならいいんだろうけど
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阪神戦力外の小嶋が現役引退…「気持ちの部分がついてこない
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161027-00000520-sanspo-base
お疲れ様でした
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小嶋は年一の神ピッチすらここ最近は無かったからなぁ…
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去年謎の無失点投球を続けてたのが結果的に最後の輝きでしたね……
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こういう日に限って仕事で中継見られないからチクショウ!
【今日のプロ野球・10月27日】
日本シリーズ 第5戦
ハム 5x-1 広島 (勝:バース 2勝 敗:中崎 1敗)
劇的なサヨナラ勝ちで10年ぶりの日本一に王手。
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土曜日仕事で見れないから日曜までもつれ込んで
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【今日のホームラン】
ハム:西川1号 (9回裏・満塁・中崎(広)・1号) ※サヨナラ弾
【今日の盗塁】
ハム:岡(2) (通算・2) ※2試合連続
【今日の猛打賞】
なし
【今日の勝利投手】
ハム:バース 2勝 (通算4登板・2勝0敗0S・1回1安打無失点・1奪三振無四球・防0.00)
【今日のセーブ投手】
なし
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【主な記録】
【日本ハム】
・1シリーズで2度のサヨナラ勝ちは2003年の阪神に並ぶ歴代最多タイで4度目。
また3試合連続逆転勝利はこちらも2003年第3戦から第5戦の阪神以来で最長タイの3度目。
・西川遥輝は1992年第1戦のヤクルト・杉浦享以来史上2人目のサヨナラ満塁本塁打。
・バースは1995年のヤクルト・ブロス以来4人目となる同一シリーズ2勝目。
・市川友也は史上6人目で最多タイとなる1ゲーム3犠打。
また両チーム合計7犠打は日本シリーズ史上最多記録。
【広島】
・日本シリーズでの3連敗は1986年第5戦からの4連敗以来30年ぶり。
・中崎翔太は球団史上初の日本シリーズサヨナラ被弾。
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10月28日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・須永英輝(31) (日本ハム・投手・2003年ドラフト2位)
※昨年、矢野謙次とともにトレードで古巣に復帰したものの左打者に13打数5安打と打ち込まれ役割を果たせず。迎えた13年目の今年は1軍登板を果たせず、10月1日に戦力外。球団からは球団スタッフとして打診されたが本人の意向はまだ未定。ちなみに13年間で1軍で1勝もあげておらず、仮に来年以降初勝利した場合はプロ野球最遅記録となる。
OBなど
・小林晋哉 【1977年ドラフト4位→阪急(78-87)、外野手】 1952年
※育英高校から京都産業大に進むと1年春の京滋大学リーグでいきなり首位打者となるなど首位打者・MVP2回を獲得。73年にはチームの関西六大学リーグ初昇格に貢献した。その後神戸製鋼に進むとアマチュア日本代表にも選ばれ、77年には4番打者としてチームの都市対抗初優勝に貢献した。阪急ではそれまでレギュラーだったウィリアムスが退団したことで4年目の81年に左翼手のレギュラーとなり84年には6番打者としてリーグ優勝に貢献した。しかしその後は熊野輝光の台頭もあり出場機会が減ったものの代打や守備固めとして活躍し87年に引退。その後はオリックスのコーチや球団職員やスカウトなどを歴任。2011年からは舞台を韓国に移しSKワイバーンズの打撃コーチや高陽ワンダーズの臨時コーチも務めた。2012年からはDeNAのスカウトを務める傍らで、現在も韓国・ハンファの春季キャンプ臨時インストラクターを務めている。妻はバンクーバー五輪フィギュアスケート日本代表コーチの小林芳子。
・ゲーリー・レーシッチ 【中日(86-88)、内野手】 1954年
※82年にメッツでメジャーデビューを果たし、その後は数球団を経て86年に中日に入団。前年まで活躍したモッカの後継者として1年目から本塁打を量産し、リーグ3位タイの36本塁打をマーク。打率はこの年2割5分とそこまで高くなかったが、翌年ロッテから移籍した落合博満の打撃練習を見て感心し、彼に弟子入りしたことで落合直伝の神主打法で翌年は規定打席に届かずも打率.317の高打率をマークし、オールスターではボブ・ホーナーの代役で初出場を果たしている。88年には故障もあったものの、落合の不調時には4番打者も務め、リーグ優勝に貢献しこの年限りで退団。その後はメジャー数球団のスカウトを歴任し、現在はオリオールズに在籍。広島でプレーしたデーブ・レーシッチの兄であり、応援歌は山本リンダの「狙いうち」だった。
続く
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須永まだ現役だったのか…
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・大道典良(大道典嘉) 【1987年ドラフト4位→南海・ダイエー・ソフトバンク(88-06)→巨人(07-10)、外野手・内野手】 1969年
※明野高校から球団最後のドラフトで南海に入団。入団当初は70キロと非常に細身でなかなかレギュラーを掴めなかったが、94年に小久保裕紀が入団しそのパワーに驚愕した大道は「これでは飯を食えない」と、藤本博史の右打ちを参考に「身体を小さく曲げ、バットを極端に短く持つ」という独特の流し打ちを習得。96年に助っ人のスコット・ライディの不振でレギュラー定着を果たし、規定打席不足ながら打率.325 10本 51打点の好成績を残した。翌97年には3番打者としてプロ生活唯一の規定打席に到達。その後も左キラーとして活躍し、99年、00年の連覇に貢献。2001年からは「大道典嘉」に登録名を変え、不振の助っ人に代わってレギュラーとして活躍し続けた。2003年にも指名打者として優勝に貢献したが、その後は出場機会が減少し代打要員となり2006年オフに戦力外を受けた。しかし王貞治監督の計らいにより無償トレードで巨人に移籍。巨人では代打の切り札として活躍し2009年にはCSで決勝打・日本シリーズで代打同点タイムリーを放つなど日本一に貢献。そして41歳となった2010年に南海最後の選手として現役を引退。翌2011年にヤンキースのマイナーで研修を積み、2012年に巨人の育成コーチに就任。そして2013年からは7年ぶりにホークスに復帰し、現在はソフトバンクの1軍打撃コーチを務めている。「福岡の宅麻伸」の愛称で親しまれ、球団がダイエーだった16年間全てで在籍した唯一の人物である。
・田中一徳 【1999年ドラフト1位→横浜(00-06)、外野手】 1981年
※PL学園高では1番打者として2年時の98年夏の甲子園準々決勝で、横浜高・松坂大輔から4安打を記録。翌99年の選抜ではチームをベスト4に導いた。ドラフト1位で横浜に入団すると1年目からスイッチヒッターとして1軍で出場機会を得て、フレッシュオールスターにも出場。2002年には左翼手や代走要員として1軍に定着し、自己最多の112試合に出場。2004年からは両打ちから左打ちに専念し、打撃力向上を図ったが、野中信吾らといった俊足のライバルの加入や台頭もあり、2005年には1軍出場なしに終わる。翌2006年も1軍出場はならず、同年限りで戦力外となる。その後渡米し、独立リーグでプレー。2007年には打率.251 18盗塁をマークし、翌2008年にはトライアウトも受験したが結局オファーは勝ち取れず同年限りで現役を引退。その後は野球教室で指導者として第2の人生を歩んでおり、2014年からは拓大紅陵高校のコーチを務めている。
・押本健彦 【2003年ドラフト4位→日本ハム(04-07)→ヤクルト(08-14)、投手】 1982年
※中央学院高から進んだ日産自動車ではエースとして2003年には日本選手権優勝に大きく貢献。同年のドラフトで日本ハムに入団すると、即戦力として1年目から先発ローテに定着し7勝をあげ新人王候補にも名があがるなど上々の活躍。しかし翌年は不振に陥り、2006年には中継ぎに転向。勝利の方程式に繋ぐロングリリーフとして活躍し、自己最高の防1.50をマークしてリーグ優勝に貢献。翌年オフに高田監督の要望で3対3のトレードでヤクルトに移籍すると、8回を投げるセットアッパーとして定着し開幕から24試合連続で自責点ゼロに抑えるなど、スワローズの勝利の方程式に定着し自己最多の67試合に登板し27ホールドをマーク。その後もタフさと頑丈さを武器に安定した成績を残し続け、5年連続で50試合に登板。セットアッパーからロングリリーフまで何でもこなせる便利屋としてもチームを支え続けた。しかし2013年ごろから調子を落とし、翌2014年に戦力外となり引退。現在は古巣・日本ハムの打撃投手を務めている。なお西村の陰に隠れがちだが、彼も屈指のオタクであり、登場曲は近年は毎年アニソンで埋め尽くされていた。なんすかこれ
・安斉雄虎 【2009年ドラフト3位→横浜・DeNA(10-13)、投手】 1991年
※向上高校では2年まで無名の控え投手だったが、3年の県大会において強豪の東海大相模を相手に8回1失点と好投し、チームをベスト8に導いたことで一躍脚光を浴びた。190cmという巨体から投げる速球を武器とし、可能性を秘めた大型右腕として期待され地元・横浜に入団。1年目から2軍で実績を積み続けたが、2年目の4月に右肘を疲労骨折。その怪我の影響は大きく、翌年以降は2軍でも成績が低迷。結局1軍での登板を果たせぬまま、2013年オフに戦力外。トライアウトでは4者連続奪三振をマークするなど好投を果たし、韓国・高陽から入団のオファーがあったがこれを固辞し、2014年3月にBCリーグ・富山に入団。しかし富山では8登板、15.2イニングを投げ29被安打・16与四球・28失点の防15.51と結果を残せず、わずか1年で退団し、プロへの復帰も果たせぬまま現役を引退。現在はスポーツ店チェーンの「スポーツオーソリティ」の横浜市内店で勤務している。
おめでとうございます
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大道ほんとすき
放出された時はなんで?(殺意)って思ったけど後でホークス側が色々慮ってたのがわかってよかった
ちゃんと戻ってきたし
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あっ、そうだ(唐突)
プロアマ混合で構成される侍ジャパンU-23が戦うWBSCU-23ワールドカップが今日から始まるゾ
丁度スカパー10日間無料キャンペーンが実施中だからJ SPORTSで気軽に見られるしAbemaTVやYouTubeでも無料配信をしてるんだ
皆、見よう!
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>>144
また高塚か⚪️すという勢いだったのが懐かしい☺️
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QVCマリンの命名権とったとこただのロッテファンで草
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中日は28日、浜田智博投手(24)山本雅士投手(21)育成の中川誠也投手(22)の3人に来季の契約を結ばないことを通告した。
浜田智、山本とは育成選手として契約する予定。
http://www.nikkansports.com/baseball/news/1730491.html
中日西山和夫球団代表(66)は28日、外国人5選手と契約更新しないことを明かした。
ファン・ハイメ投手(29)ドリュー・ネイラー投手(30)レイソン・セプティモ投手(31)アンダーソン・エルナンデス内野手(33)リカルド・ナニータ外野手(35)。
ダヤン・ビシエド外野手(27)とは契約する意向。ラウル・バルデス投手(38)とジョーダン・ノルベルト投手(29)は未定。
http://www.nikkansports.com/baseball/news/1730492.html
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怪我のための措置もあるとはいえ2014組か
そして育成選手とはいえ今年のルーキーが即切られるのか……
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>>149
大卒ならさっさと切ってあげることも優しさだと思いますけどね
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育成中川は現役希望なのか
ナニータエルナンデスは外国人にしては物足りないし投手陣もジョーダンバルデス以外は使いようなかったしね
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ネイラーあかんか
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ネイラーはWBCでアピールしてNPB復帰を目指すようなこと言ってましたね
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ZOZOマリンスタジアム爆誕
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161028-00000124-spnannex-base
今浪以上に記者がキレキレで草生える
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ネイラーは今年右肩の故障を2回やったから劣化や故障再発恐れて球団が首切るのもわかるし
故障前の球をきっちり投げられるところを見せられれば、という本人の意気込みもわかるわ
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>>155
草
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U23、深夜2時か
(起きていられる気がし)ないです
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今日の戦力外情報です
助っ人の方は公式発表で確定したら載せる予定です
【中日】
・浜田智博(24・投手) 2014年ドラフト2位(2年目) 年俸:750万円 ※育成契約予定
1軍:登板なし
2軍:登板なし
1軍通算:1登板 0勝0敗 0S 0H 0.2投球回 2奪三振 0与四球 防40.50
2軍通算:22登板 3勝2敗 0S 51.0投球回 28奪三振 19与四球 防4.59
・山本雅士(22・投手) 2014年ドラフト8位(2年目) 年俸:600万円 ※育成契約予定
1軍:登板なし
2軍:17登板 1勝2敗 0S 11.2投球回 12奪三振 7与四球 防2.31
1軍通算:3登板 0勝0敗 0S 0H 4.1投球回 2奪三振 2与四球 防10.38
2軍通算:43登板 1勝3敗 0S 34.2投球回 25奪三振 23与四球 防2.34
・中川誠也(23・投手) 2015年育成ドラフト1位(1年目) 年俸:300万円
2軍:2登板 0勝0敗 0S 3.0投球回 0奪三振 1与四球 防12.00
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浜田…
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【明日の予告先発】
日本シリーズ 第6戦 マツダ 18:30〜
野村祐輔(広) VS 増井浩俊(日)
10年ぶりの日本一に王手をかけたハムは増井が先発。
大谷の起用法にも注目される。
一方、もう後がない広島は野村に全てを託し、胴上げを阻止できるか。
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10月29日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・桑原謙太朗(31) (阪神・投手・2007年大社ドラフト3位)
※2014年オフにトレードで阪神に移籍し、昨年は開幕1軍にも選ばれたが6試合中5試合で失点し早々に2軍落ち。今年も2軍で29試合に登板し1勝3敗2セーブ、防2.42と好投も1軍には昇格されず。10年目の来年の飛躍に期待したい。
・チェン・グァンユウ(26) (ロッテ・投手・2011年来日)
※DeNAを戦力外となり、テストを経てロッテに移籍すると開幕2戦目に先発。その後も先発ローテの一員として5勝をあげ、CSでも好投。オフにはプレミア12の台湾代表にも選ばれた。今年は1軍での登板機会を減らしたが、チーム唯一の左腕先発の白星を掴み、2軍でもチーム3位の99イニングを投げた。チーム屈指のイケメンでもあり、来季は希少な左腕としてさらなる活躍が求められる。
・ハ・ジェフン(26) (ヤクルト・外野手・2016年来日)
※カブスのマイナーでは藤川球児や和田毅らとチームメイトであり、打者だけでなく投手としての素質もあったことから二刀流としてもプレーした経験があった。今年は四国IL・徳島でプレーし、30試合で打率.364 6本 21打点の好成績を残したことで5月末にヤクルトへ入団。交流戦から主に外野手として起用され、目立った成績を残せず。しかし2軍では打率.293 7本と好成績であり、来年以降の活躍が期待される。余談だがwikiの写真が楽しそうである。
・岡本健(24) (ソフトバンク・投手・2013年ドラフト3位)
※即戦力として期待され続けていたが、昨年は4月に右肘の手術を行った影響で2軍で8試合の登板に終わった。今年も16試合の登板で1勝1セーブ、防4.76と結果を残せず、1軍デビューも果たせなかった。層の厚い投手陣の中でどうにか首脳陣にアピールして定位置を掴みたい。
OBなど
・戸口天従 【近鉄(53-59)→阪急(60-66)、内野手】 1931年
※奈良商工高、法政大を経て53年に近鉄に入団。当時としては珍しい右投左打の内野手であり、3年目の55年に故障した鈴木武に代わって遊撃手の定位置を獲得し規定打席に到達すると、その鈴木が復帰した翌年は二塁手に回ってピストル打線のレギュラーとして活躍。60年からは阪急に移籍し、61年には激しいポジション争いを制して一塁手の定位置を勝ち取り、同年は打率.312の高打率をマーク。その後も安定した打撃でレギュラーとして活躍し、66年に引退。特筆すべきものはないものの、14年間で1225試合に出場するなど、50,60年代のパリーグで活躍した。
・ジェシー・バーフィールド 【巨人(93)、外野手】 1959年
※77年にブルージェイズに入団し、81年にメジャーデビュー。2年目の82年に18本塁打を放ってブレイクを果たすと、85年には打率.289 27本 84打点 22盗塁の好成績で球団初の地区優勝に貢献した。翌86年にはキャリアハイの打率.289 40本 108打点の好成績で最多本塁打、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞を受賞するなどブルージェイズにおける「最高の外野トリオ」を形成し打撃だけじゃなく守備でも、リーグ屈指の強肩でファンを沸かせた。89年にトレードでヤンキースに移籍すると90年には通算200号を達成したもののその後は故障に悩まされて成績を落とし、92年にFAとなる。そしてメジャー通算241本塁打という実績に目がとまった巨人と契約し、93年に来日。開幕戦で佐々木主浩から来日初安打を初本塁打で飾るなど実力の片鱗を見せ付けたが、右手首の手術直後であったことや、変化球が苦手という弱点を執拗に攻められたことで打率.215 127三振と苦しみ、チームトップの26本塁打 53打点を記録したが結局同年限りで退団となった。なおこのとき当時ヤクルトの監督だった野村克也が獲得に動き、一旦入団が内定したが、メジャーとの二重契約問題が発覚したために断念している。その後はマリナーズでコーチを務めている。
続く
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・山中潔 【1979年ドラフト4位→広島(80-88)→ダイエー(89-90)→中日(90-91)→日本ハム(92-94)→ロッテ(95-96)、捕手】 1961年
※PL高校から小早川毅彦らとともに広島に入団。得意の打撃を武器に5年目の84年から頭角を現し、85年には90試合に出場し打率.276 6本と結果を残し、正捕手の座を掴みかけたかに見えたが、古葉監督が就任した86年以降からは再びベンチを温めることが多くなった。88年オフに正捕手不在のダイエーに移籍すると、内田強に次ぐ2番手として名を連ねたが、翌90年に2度目のトレードで中日に移籍。ここでも中村武志に次ぐ2番手として活躍するもまたしても翌年オフにトレードで日本ハムに移籍。そしてここでも田村藤夫に次ぐ2番手の座を掴むも、田口昌徳の台頭もあって94年に戦力外。そして95年にテストを経て5球団目・ロッテに移籍。バレンタイン監督の下でまたしても2番手捕手として起用され、95年にはチームの2位躍進に貢献し96年に引退。その後はコーチとして2006年には日本ハムの日本一、2010年もロッテの下克上に貢献した。指導者としても優れており、里崎智也や橋本将の恩師としても知られる。現在は古葉が名誉監督を務める東京国際大学の監督を務めている。
・南渕時高 【1989年ドラフト4位→ロッテ(90-97)→中日(98-99)→オリックス(00)、内野手】 1965年
※天理高・青山学院大を経て進んだ東芝では、88年の都市対抗の準々決勝では新日鉄堺の野茂英雄をKOするなど勝ち進み、5年ぶりの優勝に貢献。日本選手権も制覇し、史上初となる双方の大会の同一年優勝を達成する。89年のドラフトでロッテに入団すると、2年目の91年には遊撃手の定位置を獲得。粘り強い打撃で相手投手に嫌がられる打者として活躍し、93年には当時の日本記録である14打席連続出塁を達成。95年からは二塁手に転向し、安定した打撃と小技でチームを支えた。しかし97年に小坂誠が入団したことで出場機会が減少し、オフに中日に移籍。主に代打や守備固めとして起用され、2000年に移籍したオリックスで引退。現在は、奈良県内の中学生チームの監督を務めている。
・小松聖 【2006年ドラフト希望入団枠→オリックス(07-16)、投手】 1981年
※JR九州では同僚の藤岡好明、補強選手の川崎雄介・草野大輔とともにチーム69年ぶりの都市対抗4強入りに貢献。ドラフトの希望枠でオリックスに入団すると、当初は中継ぎとして起用されていたが、故障者が続出したために2008年からは先発に転向。交流戦で打ち込まれ一旦リリーフに戻されるも、再び先発に戻った夏場以降は9連勝をあげるなどチームの2位躍進に貢献し15勝3敗・防2.51の好成績で新人王を獲得。その活躍が評価されオフには侍ジャパンとして第2回WBCの代表入りを果たし、韓国を相手に2.1回5奪三振無失点の力投を見せた。しかし2009年のシーズンに入ると精彩を欠き、この年は1勝9敗・防7.09と大きく成績を落とした。その後は先発やリリーフを兼任し、敗戦処理などで登板したがかつてのような好成績は残せず。そして今年の9月に現役引退を表明し、引退試合となった9月29日の楽天戦で先発し、島内に安打を許しプロのマウンドから去った。彼の名が再び有名になったのは2011年に提唱した「ONE アウト ドネーション」であり、1アウトにつき1000円、1勝・1ホールド・1セーブにつき1万円、タイトル獲得で10万円を愛犬保護団体に寄付するものとして設定したが、同年はわずか1000円しか寄付できなかったことが話題となる。その一方でこの計算式が投手全体のチームへの貢献度を測る指標として優秀なものと判明し、いつしか「小松式ドネーション」は多くのファンに親しまれることとなった。また来年からはチームの2軍投手コーチとして若手の育成に取りかかる。
おめでとうございます。
余談ですが、現在「2016年版・全投手小松式ドネーションランキング」を鋭意製作中です
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小松もOB枠に入ったんやなあ…
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WBSCのカウントガバガバすぎィ!
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ニカラグアに6回3点って打線やばくない?それともこの大会出てる時点でニカラグアってそれなりの実力あるの?
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言い方あれですが短期間なら間違いはおこるかなと・・・
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やっぱ球動いてるし荒れ球が上手く散ってたからそれに1巡目は合わなかった感じ
ただ球速が140出ないから2巡目3巡目は普通に捉えた当たり増えた
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なるほど
しかし今みたいなバントミスしてたらキツいすね…
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山下は常に2番手3番手の代わり端に当たらされてるとはいえちょっとブレーキだな
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総じて球速以外はニカラグアの投手悪くないと思う
特に3番手の左腕は変化球でカウント稼げるし直球で空振り取れる
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外野スタンド中央の向こうに山が見えるってかっこいい球場だなあ
本田圭祐ナイスピッチだった制球よしキレよしおまけにフィールディングもよしで文句なし
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蟹江(ほりえ)くんの大将イズムきらいじゃないけどすきじゃないよ
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あ交代か
残当だけど大将にもなれなかったか
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山下いいゾ^〜これ
最後に一本しかもタイムリー三塁打
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おお、もう…
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おわり
最後は不満の残る形だったけど本田の好投に免じてのびしろだと思っておくか
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あえて苦言…オリックスが失った155本のヒット
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161025-00000080-spnannex-base
坂口の談話が涙不可避
よそのまとめで「バイトも考えた」という坂口に対して「親会社の取立屋やれば?」
とか思っても口に出したら駄目だぞ!思ってもな…
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浜田達も自由契約か…
育成再契約っぽいけど
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一昨日手術したばっかで仕方ないんじゃないですかね
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>>178
ぐっちーの優しさにで、出ますよ…(涙)
やっぱり心底からオリックスを愛してたんやね
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坂口のルックスは怖いけど中身はちょっと抜けてるクッソ好青年なんだよなぁ
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http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/10/29/kiji/K20161029013623490.html
>楽天は29日、横山貴明投手(25)、川本良平捕手(34)と来季の選手契約を結ばないことを通告したと発表した。
後者は前ソフトバンク・細川と話付いたからかなあ(邪推)
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他球団のファンだけど坂口は好きだから復活はとても嬉しかった
心残りはオリックス時代の応援歌がもう聞けないことかなぁ...
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あーあたしもー!(エ)
他に流用してもいいけど…(小声)
ってか、オリはいい応援歌多いですよね
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>>183
そういえば東北出身でしたね
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2016年NBP終わりっ! 閉廷っ!
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お疲れ様でした…
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次はWBCじゃい!
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ファイターズおめでとうございます
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オメシャス!
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ああ…嫌だよ野球が…今年のシーズンが終わっちまった
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日シリ終わったので月曜日からFA宣言する人は手続きですね
お早めにどうぞ
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しかしまぁ本当にパ・リーグは強いですね…
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日ハムが広島に勝ったってだけでしょ
広島は交流戦でパリーグに勝ち越してるし
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日シリ終了がなんだ
WBSCと台湾ウィンターリーグと侍ジャパン強化試合とWBCがあるぞ
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>>195
そんなこといったら05阪神も交流戦3位なんだよなぁ
まぁ1位ロッテ2位ホークスですが
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いよいよ戦力外通告最終日でもありますね
各球団の首が寒い人たちは果たして生き残れるか
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歓喜の直後なのに日ハムはそこそこの人数の戦力外出ちゃうんだよな……
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ハムはそうやって常勝チームを作り上げてきたわけだからしゃーない
2軍で燻ってる選手が日本一に貢献したわけでもあるまいし
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陽は涙を浮かべてたけどよそのチームに行っちゃうのかなぁ…
これ以上札幌でやってたら体壊しそうってのもあるだろうし
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緒方は元々評価低かったのに更に評価落としてそう
素人目からみてもアレはないです
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戦力のゴリ押しで勝つチームは窮地に立たされると如実に指揮官の能力が露呈しますね…
工藤しかり緒方しかり
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色々と遅れましたがまずは誕生日から
10月30日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・杉内俊哉(36) (巨人・投手・2001年ドラフト3位)
※昨年は広島相手に初回持たず6失点を喫するなど6勝6敗に終わり、オフに右股関節の手術を受け、プロ野球史上最大となる4億5000万円の減俸も味わった。その手術のリハビリによって今年もシーズン前半を棒に振り、7月に実践復帰を果たすも2軍で1勝2敗・防5.21に終わりプロ入り初の1軍登板なしに終わった。田口や今村といった新たな左腕が台頭しつつある中で、ベテランの域に入った左腕の復活はチームに大きな影響を与えるはずであり、来季に期待したい。
・アンダーソン・エルナンデス(34) (中日・内野手・2014年来日)
※内野のユーティリティとして活躍した助っ人であり、昨年は規定打席にも到達し打率.271 11本塁打と助っ人として結果を残した。しかし今年はビシエドの加入や外国人枠の影響もあり1軍と2軍を往復し、64試合の出場で打率.249 5本と結果を残せず。そしてつい先日にはナニータらとともに戦力外も発表された。果たして来季は。
・松井裕樹(21) (楽天・投手・2013年ドラフト1位)
※高卒2年目ながら守護神として定着し、昨年は33セーブ、防0.87という好成績を残すもオフに選出されたプレミア12では悔しい思いも経験した。今年は前半戦で打ち込まれることも多く一時は防御率が6点台まで跳ね上がったが、8月には9セーブ・防0.69をマークしてリーグの投手最年少となる月間MVPを獲得し、最終的には球団史上初の2年連続30セーブを達成し、防御率も3点台前半に落ち着いた。オフには来季も抑えを務めることが決まり、更なる活躍が求められる。
OBなど
・呂明賜 【巨人(88-91)、外野手】 1964年
※台湾の中国文化大学から巨人に入団。当時巨人にはクロマティ・ガリクソンの両名が活躍していたため、外国人枠によって2軍生活の日々が続いた。しかし6月にクロマティが骨折で離脱したことにより1軍に昇格すると、デビュー戦となったヤクルト戦でギブソンから初打席初本塁打をマーク。その後デビュー9試合で7本塁打をマークするなどの大暴れで、「アジアの大砲」として連日スポーツ紙を賑わせた。その影響は大きく、同年の球宴では外国人枠が2人から3人に急遽拡大されて自身も出場を果たした。最終的には内角の速球という弱点が発覚したことで成績が落ちたが16本塁打を放つ上々の1年目を送った。しかしその後はクロマティの復帰もあって再び2軍生活が続き、ファーム日本選手権MVPを獲得した91年に退団。その後は台湾球界に移籍し、その長打力を遺憾なく発揮して2000年に引退。その後は指導者として2013年からは台湾代表の監督も務めた。
・伊藤智仁 【1992年ドラフト1位→ヤクルト(93-03)、投手】 1970年
※三菱自動車京都時代には92年のバルセロナ五輪で1大会27奪三振のギネス記録を作るなど銅メダル獲得に貢献し、同年のドラフトで3球団の競合を経てヤクルトに入団。150キロを超える速球と真横に滑る高速スライダーを武器に、1年目の前半戦だけで7勝2敗、防0.91という新人離れした成績を残す。また同年の巨人戦ではセ・リーグタイ記録の1試合16奪三振も記録するも、援護がなく0-0の9回裏2死に篠塚にサヨナラ弾を喰らい敗戦投手となっている。同年は7月中旬に肘を故障し後半戦を棒に振ったがその活躍が評価され新人王を獲得。しかしルーズショルダーでありながら酷使され続けた影響で、2年目以降は故障に悩まされ続けるようになる。97年には高津臣吾の不調から抑えを任され7勝19セーブをマークしカムバック賞を受賞し、その後も先発ローテを支え続けたが2001年から再び故障に悩まされ1軍登板もままならなくなる。手術とリハビリを繰り返したものの2003年にはついに速球が109キロしか出なくなってしまい、同年限りで現役を引退。その後はヤクルトの投手コーチを現在に至るまで10年以上務めており、昨年にはチーム14年ぶりの優勝に貢献。前述通りスライダーの評価は非常に高く、多くのOBからも「史上最高のスライダー」と評されており、まさに「ガラスのエース」であった。
・ジョナサン・アルバラデホ 【巨人(11)、投手】 1982年
※メジャー数球団を経て2011年に巨人に入団。前年退団したクルーンの代役としてクローザーとして期待され、そのクローザーの定位置は勝ち取れずも中継ぎの一員として開幕から活躍。5月にはロメロに代わって一時期守護神も務めるなどで46試合に登板し、防2.45とまずまずの成績を残した。しかし結局この1年限りで退団となり、その後はマイナーリーグや韓国・メキシコでプレーし、現在も米独立リーグで現役を続けている。196cmととにかく巨体であり、来日時は120kgを超えていた。
おめでとうございます
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まあシーズン中はそんなことしとらんかったやろってことも多々あったから短期決戦難しいね>緒方監督
そんなだから「2015に戻った(落胆)」とか言われてるんだろうけど
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杉内おめでとナス!
来年はぐっさんの負担軽くしつつ戸根や今村に刺激を与えてくれよな〜
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北海道日本ハムファイターズ、そしてファンの皆さん、日本一おめでとうございます
【今日のプロ野球・10月29日】
日本シリーズ 第6戦
広島 4-10 ハム (勝:バース 3勝 敗:ジャクソン 2敗)
ご存知の通り、日本ハムが10年ぶり3度目の日本一に輝いた。
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【今日のホームラン】
ハム:レアード3号 (8回表・満塁・ジャクソン(広)・3号)
広島:丸1号 (5回裏・ソロ・鍵谷(日)・1号)
【今日の盗塁】
なし
【今日の猛打賞】
ハム:西川(1) (5打数3安打・日シリ通算6安打・中3・見三振・右3②・四球・右安・一ゴ) 通算打率.231
【今日の勝利投手】
ハム:バース 3勝 (通算5登板・3勝0敗0S・2回無安打無失点・3奪三振1与四球・通算防0.00)
【今日のセーブ投手】
なし
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杉内ってかなり昔から活躍していたイメージだけどまだ36だったのか
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お杉さんもTYPNもFDH戦士だし多少はね?
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利き手はやめろブルガリア!ブルガリア
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ダイエー残党って近鉄残党より多い気がするけど実際どうなんやろ
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【主な記録】
【日本ハム】
・2連敗から4連勝で日本一を決めたのは2000年の巨人(対ダイエー)以来16年ぶり。
・1イニング6得点は2007年第3戦の中日(対日本ハム)の7得点以来9年ぶり。
・レアードは第5戦の西川遥輝以来となる史上18人目の満塁本塁打。
また同一シリーズでの2本の満塁弾は1993年の西武(対ヤクルト)の第5戦の鈴木健・第6戦の秋山幸二以来史上2チーム目。
・西川遥輝は史上8人目のシリーズ2三塁打。1試合2三塁打は2003年第2戦のダイエー(対阪神)の川崎宗則以来史上2人目。
【広島】
・今村猛・ジャクソンの両名は1956年の西鉄・稲尾和久以来史上2人目・3人目となるシリーズ6連投。
MVP
・レアード 6試合 .273 (22-6) 3本 7打点 0盗塁 OPS1.022 ※助っ人では昨年のSB・李大浩以来史上9人目。
優秀選手賞
・バース 5登板 3勝0敗 0S 0H 6.2投球回 8奪三振 3与四球 防0.00
・西川遥輝 6試合 .231 (26-6) 1本 6打点 1盗塁 OPS.776
・中田翔 6試合 .250 (20-5) 1本 5打点 0盗塁 OPS.850
敢闘賞
・エルドレッド 6試合 .318 (22-7) 3本 5打点 0盗塁 OPS1.045
これにて2016年のプロ野球が終了いたしました
昨年に続きなんとか毎日皆さんに情報をお伝えできてよかったです
また来年もここを見てくださる方々のために頑張りたいと思います
毎日毎日ありがとうございました
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データ兄貴お疲れナス!
シーズンオフはしっかり休んで、どうぞ
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毎度のことながらデータ兄貴見てると自分の野球好きはたいしたことないと思い知らされますね…
1年間お疲れさまでした
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データ兄貴おつかれナス!
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ダイエー残党(wikipediaに載ってたからコピペ)
寺原隼人・和田毅・杉内俊哉・新垣渚
山崎勝己・明石健志・金子圭輔・井口資仁・川崎宗則・城所龍磨・井手正太郎
まあ今年の戦力外通告も含みますが…
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データ兄貴オツシャス!日本一やお前
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いつもありがとう>データ兄貴
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>>214,215,216,218
皆さんありがとナス!
昨年は契約更改もまとめてたんですが、ちょっと今年は厳しいかもしれないです
思えば開幕以降、このスレも11個ぐらい完走してるんですけどその半分ぐらいは自分で埋めちゃっててなんか申し訳なさもあります
あ、でも誕生日はあと2ヶ月私、頑張ります!(卯月)
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危うく忘れるところでした
今日の戦力外情報です
【中日】
・濱田達郎(22・投手) 2012年ドラフト2位(4年目) 年俸:1300万円 ※育成契約の予定
1軍:1登板 0勝1敗 0S 0H 4.0投球回 0奪三振 5与四球 防15.75
2軍:10登板 0勝1敗 0S 20.1投球回 17奪三振 8与四球 防3.10
1軍通算:21登板 5勝7敗 0S 0H 99.1投球回 81奪三振 54与四球 防5.07
2軍通算:51登板 4勝11敗 0S 148.2投球回 94奪三振 87与四球 防5.21
【楽天】
・横山貴明(25・投手) 2013年ドラフト6位(3年目) 年俸:810万円
1軍:19登板 0勝0敗 0S 2H 18.1投球回 9奪三振 10与四球 防6.38
2軍:28登板 0勝1敗 10S 28.2投球回 27奪三振 6与四球 防2.83
1軍通算:30登板 1勝4敗 0S 2H 52.1投球回 25奪三振 21与四球 防7.05
2軍通算:48登板 2章6敗 10S 109.2投球回 71奪三振 26与四球 防2.95
・川本良平(34・捕手) 2004年ドラフト4位→ヤクルト→ロッテ 年俸:1200万円
1軍:11試合 .158 (19-3) 0本 2打点 4三振 1四球 0盗塁 OPS.449
2軍:31試合 .220 (59-13) 1本 6打点 11三振 11四球 2盗塁 OPS.670
1軍通算:345試合 .207 (709-147) 19本 79打点 194三振 51四球 9盗塁 OPS.609
2軍通算:339試合 .260 (873-227) 19本 102打点 187三振 103四球 33盗塁 OPS.734
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台湾の投手は癖がなさ過ぎて普段の感じで打てちゃうのかな
ニカラグアより投手のレベル2,3段は上なのに
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もう1イニング安楽見て寝ようと思ったのに次のイニングにならない
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川本けっこう出番あったから普通に来年もやるんだと思ってた
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やっぱダイエー残党多いっすね
近鉄と同じ年になくなったのに
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大谷は来オフにもポスティング移籍か
来年は15勝30本くらいやってほしい
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リーグ優勝したし日本一にもなりましたしね
メジャーでも二刀流なんだろうか?
どのチームが取るかなぁ〜
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マーリンズのフェルナンデスの遺体からアルコールとコカイン検出かぁ。アルコールの飲酒運転は当人が運転してなかったらしいからともかくヤクはちょっとなぁ…
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アメリカってやっぱりドラッグが蔓延してるんですかねぇ?
フィクションですがあっちのドラマでも当たり前のように頻繁にドラッグが出てきますし
主婦がハマってるとかいう話も聞きますし…
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医療用コカインの入手難易度は日本のそれよりはるかに簡単
歓楽街を夜歩いたら大麻の香りがプンプンする
州によって違いはあるけども
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大麻の香りとか素人でもわかるんですかね…
なんかショックだなぁ
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De柿田は限度額いっぱいの減俸に留まらず背番号13も没収か
来季一軍定着出来なかったらいよいよクビコース
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柿田って当て逃げした柿田か…
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http://imgur.com/FQFsUar.png
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たしか即戦力ドラ1だったはずでは
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ドラ1は砂田じゃなかった?(すっとぼけ)
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素材型って評価だったのに怪我で早々劣化して、2軍での成績も順調に降下中。まぁ今年切られなかっただけマシなレベル
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限りなく一軍登板が近い時期があったはずなのに……
砂田にチャンスを掴まれて終わってしまった
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はー、敬遠してくれて石原にありがとうといったのか
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今日の戦力外はありませんでした
一方で引退の情報です
【日本ハム】
・米野智人(34・捕手) 1999年ドラフト3位→ヤクルト→西武(17年目) 年俸:1000万円 ※兼任していた2軍バッテリーコーチ補佐も退任。今後は未定。
1軍:1試合 .000 (0-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:20試合 .211 (38-8) 0本 3打点 7三振 5四球 1盗塁 OPS.513
1軍通算:300試合 .206 (661-136) 13本 64打点 166三振 39四球 3盗塁 OPS.550
2軍通算:637試合 .244 (1523-371) 23本 177打点 315三振 138四球 6盗塁 OPS.648
・荒張裕司(27・捕手) 2009年ドラフト6位(7年目) 年俸:500万円 ※東京消防庁の採用試験受験予定。
1軍:出場なし
2軍:55試合 .207 (135-28) 0本 8打点 40三振 13四球 0盗塁 OPS.564
1軍通算:出場なし
2軍通算:315試合 .238 (646-154) 4本 56打点 161三振 63四球 2盗塁 OPS.634
また既に戦力外を受けていた須永英輝・大塚豊の両名は来季から日本ハムの打撃投手を務める予定。
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打ち上げた!レフト行った!大きいぞ!レフト下がる!まだ下がる!伸びて行け!レフトが下がって!フェンスの手前!
はいったああああああああああああああああっ!米野ガッポォー!(泣)
ヒッ、移籍後初アーチがっ!ヒッ、ファルケンボーグ相手のっ!ヒッ、満塁ホームラアアアアァン!ヒッ、米野ホームィヒィィィン(泣)
ヒッ、逆転ダイオンズ!ヒッ、ごたいさあぁぁあふん・・・!ヒッ、移籍後初アーチがっ!ヒッ、ヤフージャパンドームでっ、ヒッ、繰り返してすいません
ヒッ、ファルケンボーグ相手のっ、ヒッ、満塁ホームラン!パ・リーグの内規では、ベンチの中に、みんなが下がって、ハイタッチしなければいけないんですが、
全員、そのルールを破って、ベンチの外!ハイタッチの嵐!
米野っ!1号満塁ホームラァァンっ!
・・・ごたいさんっ!ヒッ、ライオンズとうとう逆転です(泣)見たかこれが決意のコンバート!
工藤「・・・ふっふっふっふっふっふw」
プロ野球生命を賭しての、一振りだ!1号満塁ホームラン5対3ライオンズとうとう逆転!
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>>241
もうほんと大大大好き
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10月31日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・岩田稔(33) (阪神・投手・2005年希望入団枠)
※昨年は自己最多の170.1イニングを投げるなど先発ローテの一角として活躍するも巨人・広島相手に0勝7敗に終わるなど8勝10敗・防3.22と2桁勝利はならず。今年は初登板となったヤクルト戦で7失点を喫するなど炎上が続き最終的には2010年以来の白星なしに終わった。新たな左腕・岩貞の台頭もあり立場は厳しくなってきたが来季の挽回に期待したい。
・ルイス・メンドーサ(33) (日本ハム・投手・2014年入団)
※日ハムで迎えた2年目の昨季は大谷・吉川に次ぐ3番手として活躍し来日初の2桁勝利をマーク。今年は寝違えによる首痛もあって規定投球回には届かずシーズンは7勝どまりに終わったが、先日行われた日本シリーズ第5戦では早々に降板した加藤貴之に代わって5.1回を無失点に抑える見事な救援を見せて球団の日本一に大きく貢献した。来季も残留が予定されており、更なるフル回転が求められる。
・白濱裕太(31) (広島・捕手・2003年ドラフト1位)
※昨季も今年も1軍では1試合の出場に終わり、プロ13年間で1軍出場はわずか81試合。2軍でも中村や船越といった若手が主にマスクを被っており立場は非常に厳しいものとなるもなんとか戦力外からは免れた。そろそろベテランの域に入る32歳は来季、存在感を示せるか。
・江川智晃(30) (ソフトバンク・外野手・2004年ドラフト1位)
※6月に2軍通算100本塁打を達成するなど今年も2軍の帝王で終わるかと思われたのだが、8月終盤に昇格されるとすぐさま本塁打で結果を残し、その後1週間で3本塁打を放つなど優勝を争うチームの中で存在感を見せるも最終的には.228 4本に終わった。ダイエー最後のドラ1であり、12本塁打を放った2013年を超える活躍を見せたいところ…だが、つい昨日左膝を痛めて秋季キャンプを離脱している。
・ヤマイコ・ナバーロ(29) (ロッテ・内野手・2016年入団)
※昨年、韓国野球の助っ人史上最多のシーズン48本塁打を放ち、オフに堂々の入団。オープン戦でも初戦から2試合連続本塁打を放つなど実力を見せ付けたが、2試合目の夜に実弾所持の容疑で逮捕されてしまい、開幕から4週間の出場停止を受けた。ようやく4月下旬に1軍デビューを果たしたのだが、ムラのある打撃と守備が目立ち、前評判通りとはいかず82試合で打率.217 10本 44打点。来季も残留することが予想されており、2017年こそ本領発揮といきたいところ。
OBなど
・林清一 【巨人(36,40-43,46-47)、外野手】 1915年
※享栄商業学校、立命館大学を経て36年に巨人に入団。1年目からチームの1番・センターに定着し、36年秋にはチームトップの打率.267 15打点をマーク。その後37年からいったん応召され戦地に赴き、3年後の40年に巨人に復帰。その後もチームのレギュラーとして活躍し続け、47年に現役を引退。成績自体は特筆すべきものはないものの、実はプロ野球史上初の四球による出塁者として球史に名を残しており、1936年7月1日の名古屋軍戦でハーバート・ノースから記録している。
続く
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・本屋敷錦吾 【阪急(58-63)→阪神(64-69)、内野手】 1935年
※芦屋高校では52年夏の甲子園で優勝を経験。その後進学した立教大学では主将として57年春・秋にリーグ連覇、さらに全日本選手権でも優勝に貢献し、長嶋茂雄・杉浦忠とともに「立教三羽ガラス」の一人として人気を博した。その長嶋・杉浦とともに卒業後プロ入りし、自身は阪急に入団。1年目から俊足巧打の2番・遊撃手に定着し同年は130試合で打率.260 1本 35打点 33盗塁、リーグトップの10三塁打とその実力を遺憾なく発揮した。しかし62年ごろから打撃が低迷し、64年からは阪神に移籍。阪神でも1年目こそは二塁手の定位置を掴むも、やはり打撃難で徐々に出場機会が減り69年限りで引退。通算13本塁打と長打力には欠けたが、サスペンデットゲームの続行試合でサヨナラ本塁打を放った直後に行われた試合でもサヨナラ本塁打を放ったり、国鉄・金田正一から2打席連続本塁打を放ったりと印象的な本塁打が目立った。引退後は阪神や阪急のコーチを務め、現在は実業家として自身が設立した商社の社長を務めている。
・西園寺昭夫 【東映(57-66)→阪神(67-68)→アトムズ・ヤクルト(69-70)、内野手・外野手】 1937年
※熊本工業高・東洋レーヨンを経て57年に東映に入団。3年目の59年には前年引退した前川忠男の後継者として遊撃手の定位置を掴み、リーグ6位の打率.300をマークするなどブレイク。翌60年からは三塁手に転向し62年にはチーム初のリーグ優勝に貢献。阪神との日本シリーズでも第7戦で勝負を決定付ける本塁打を放ち日本一に貢献した。その後もパンチ力のある打撃と8年連続2桁盗塁を記録した俊足を武器に三塁手として活躍。66年オフに金銭トレードで阪神に移籍するとここでは外野手として起用された。69年に移籍したアトムズでは再び遊撃手のレギュラーを掴むも故障によって長期離脱を余儀なくされ、翌70年に引退。その後は97年から00年まで鷲宮製作所のコーチを務めていた。
・堀込基明 【南海(62-68)→中日(68-70)、外野手】 1939年
※専修大学では61年春に首位打者を獲得。翌62年に南海に入団すると、3年目の64年から左翼手のレギュラーに定着。同年の日本シリーズでは第6戦、第7戦でそれぞれ2安打を記録し、阪神を降して5年ぶりの日本一に貢献。65年にはベストナインに選ばれるなど、60年代の南海を支えた。68年途中に中日にトレードで移籍すると、故障で長期離脱となった中利夫の代役として1番・中堅手として活躍。しかし翌年以降は思うように活躍できず、70年に引退。その後は78年から80年まで中日のコーチを務めた。
・山崎浩司 【1998年ドラフト3位→近鉄(99-04)→オリックス(04)→広島(05-08)→オリックス(08-12)→西武(13-14)→楽天(15)、内野手】 1980年
※大阪産業大付高から近鉄に入団。ちなみに俳優の杉浦太陽とは同級生である。近鉄では水口栄二・高須洋介・阿部真宏らが活躍するなど内野の層が厚く、6年間で1軍にはわずか3試合にしか出場できず。分配ドラフトではオリックスに移籍することとなったが、そのオフシーズン中に菊地原毅とのトレードで上村和裕とともに広島に移籍。翌2005年には尾形佳紀の故障から1軍に抜擢され、2番打者として96試合に出場しリーグ2位の31犠打をマーク。その後は東出輝裕や梵英心の台頭もあったが、2007年の巨人戦では阿部慎之助に対して隠し球を成功させ一躍話題となった。2008年途中に再びトレードでオリックスに移籍すると、翌2009年のソフトバンク戦で高校の先輩である田上秀則に対して再び隠し球を成功させ、「両リーグでの隠し球成功」という珍記録を作り上げる。同年は後藤光尊・大引啓次の離脱や阿部真宏・一輝の不振により二遊間問わず活躍し、自己最多の97試合に出場し打率も.297の好成績をマーク。2011年には得点圏打率.350をマークするなど勝負強さを発揮するも、次第に打撃不振により出場機会を失い、2012年オフに原拓也とのトレードで西武に移籍。しかし西武では1軍には定着できず、2014年オフに戦力外となった。そして昨年は自身5球団目となる楽天に所属し、控え内野手として40試合に出場するも打率は.141に終わり現役を引退。現在は東大阪市にある野球教室でコーチを務めている。
おめでとうございます
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スクランブル登板や緊急登板で好投するメンドーサ好き
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コーチングスタッフ発表の時点で名前無かったから話流れたのかと思ったら結局達川ホークスヘッドコーチなるんすね
まぁプロ野球ニュースとかの周りの反応からしてあれであの情報ガセだったら何だったんだって感じもするけど
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【日本ハム】
球団は31日、下記選手と来季契約を結ばない旨を発表しました。
<投手>
金平将至
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大学野球で完全試合だって
すごいわね
青島って相模の140km/hカルテットの背番号1か 懐かしい
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阪神ドラ1の大山が活躍してるみたいだね
ドラ1で野手指名は夢があっていいよ
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【ロッテ】
球団は31日、下記選手と来季契約を結ばない旨を発表しました。
<投手>
イ・デウン
既報通り
兵役はさすがにね
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青島マジか
個人的には小笠原より買ってたからウレシイ…
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兵役って大変だな…
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2年でしたっけ?しょうがないとはいえ辛いですね
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国際大会とかで活躍しなきゃ免除出来ないんでしたっけ?
サッカーのソンフンミンも兵役問題片付いてないから、どうなるかとか書いてありましたね…
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スポーツ選手の2年って影響でかいですよね
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http://full-count.jp/2016/10/31/post49776/
2軍スタッフこれだけなのか
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イデウンは兵役の代わりに警察で野球する道もあったらしいがだめだったらしい 詳しくはこ↑こ↓ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161027-00000594-chosun-base
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イデウンは兵役の代わりに警察で野球する道もあったらしいがだめだったらしい 詳しくはこ↑こ↓ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161027-00000594-chosun-base
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>>257
もうさ、いっそ全身入れ墨入れたらいいじゃん?
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韓国のプロスポーツ選手なんてだいたいエリートなんだから兵役免除してあげてほしいなぁ
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やっぱ入れ墨はアカンわ、ちっともかっこいいと思わない
覚悟なんて胸に秘めときゃええんや
そもそも兵役も前時代的だとは思うけど
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>>259
申し訳ないが醤油一気飲みしてから身体検査受けるみたいなのはNG
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北と戦争続いてますし、仕方ないですね
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>>256
高津が投手コーチ兼任ですかね?小野寺が技術的な指導できるとは思えないですし
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>>264
技術指導に現役時代の力量はあんまり関係しないし多少はね?
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今日の戦力外・退団の情報です
【日本ハム】
・金平将至(25・投手) 2013年ドラフト5位(3年目) 年俸:840万円
1軍:1登板 0勝0敗 0S 0H 0.2投球回 0奪三振 1与四球 防0.00
2軍:38登板 2勝1敗 9S 44.2投球回 28奪三振 15与四球 防2.62
1軍通算:11登板 0勝0敗 0S 0H 10.0投球回 6奪三振 4与四球 防6.30
2軍通算:95登板 5勝7敗 15S 112.0投球回 99奪三振 57与四球 防3.13
【ロッテ】
・イ・デウン(27・投手) 2015年入団(2年目) 年俸:5400万円
1軍:3登板 0勝0敗 0S 1H 5.0投球回 2奪三振 4与四球 防7.20
2軍:24登板 10勝8敗 0S 112.0投球回 94奪三振 55与四球 防3.86
1軍通算:40登板 9勝9敗 0S 5H 124.2投球回 108奪三振 67与四球 防3.97
2軍通算:25登板 10勝9敗 0S 117.0投球回 98奪三振 55与四球 防3.77
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27歳とか一番いい時期やん・・・
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11月1日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・アンソニー・バース(29) (日本ハム・投手・2016年入団)
※メジャー通算129試合に登板し颯爽と現れた新助っ人。開幕序盤は先発陣の一員となったが不安定な投球が続きローテから脱落。しかし中継ぎに転向して以降は23試合で防0.64という神がかった投球を見せてチームの優勝に貢献し終わってみればチーム5位の8勝。そしてプレーオフでは獅子奮迅の活躍を見せ、特に日本シリーズでは5試合に登板し3勝0敗・防0.00、さらに第6戦では日本一を引き寄せるタイムリーまで放ち優秀選手賞に輝いた。残留は未定だが、来年の活躍にも期待したい。
・田中将大(28) (ヤンキース・投手・2006年高校ドラフト1位)
※ご存知「マー君」。ヤンキースで迎えた3年目の今年は2年連続で開幕投手を務め、開幕から安定して勝ち星を積み重ね、メジャー最多の14勝をマークし、防御率3.07はリーグ3位の好成績を記録するなどチームのエースとして活躍。今年でまだ28歳ながら既に138勝をあげており、来年は日米通算150勝、そして初の投手タイトル獲得が期待される。
・青山誠(25) (巨人・投手・2013年育成ドラフト1位)
※1年目の2014年に右太腿四頭筋断裂という大怪我を負い、昨年は下半身の故障で2軍出場なしに終わるなど前途多難な人生を送る育成選手。3年目の今年は新設された3軍でチーム最多タイの52試合に出場し、2軍でも2年ぶりの出場を果たした。日大の後輩である戸根が1軍で台頭しているだけに、4年目の来年は支配下登録を目指す。
・磯村嘉孝(24) (広島・捕手・2010年ドラフト5位)
※昨年は2軍の正捕手として打率.319の好成績をマークするなど将来性が評価され続けており、今年は石原・會澤に次ぐ3番手捕手として主に中村恭平とバッテリーを組み10試合で先発マスクを被った。また5月の阪神戦では延長12回2死から同点タイムリーを放ち、プロ入り初打点をマークするなどチームの優勝に陰ながら貢献した。倉が引退し、石原も高齢になりつつある中で1軍正捕手の後継者となれるかが注目される。
OBなど
・石本秀一 【大阪(36-39)→名古屋金鯱軍(40)→大洋・西鉄軍(41-43)→金星(48)→大陽(49)→広島(50-53)、監督】 1896年
※旧制広島商業学校では2年からエースとして活躍し、その後満州に渡り、大連実業団で現役を続けるも23年に帰国して大阪毎日新聞の記者となる。そんな中で久しぶりに当時低迷していた母校・広島商業の試合を見た際にあまりの不甲斐なさに激怒し、自ら志願して26歳にして当校の監督に就任。「野球の鬼」と化し、練習が終わると誰も立ち上がれないほどの超スパルタ練習を課し、日本刀の刃渡りなどで鍛えた精神野球と機動力とバントを駆使した堅実な野球でチームを育て上げ、24年には初代夏の甲子園の覇者となるなど4度の全国制覇を達成し、いわゆる「広商野球」のスタイルを築き上げ、戦前最高の高校野球監督と評価された。その後36年にタイガースの2代目監督に就任。ここでも猛練習で選手を育て上げ、「ダイナマイト打線」を形成して藤本貞義率いる巨人と毎年優勝を争ったことで「伝統の一戦」という言葉が世間に広まった。阪神では307試合で226勝という驚異的な勝率を残し、チーム初優勝含む2度の優勝に貢献。39年にV3を逃した責任を取り退任すると、その後は名古屋金鯱軍の監督を経て41年に大洋軍の総監督に就任。42年には監督となり、40勝をマークした野口二郎の活躍もあり2位浮上に貢献し世界最長試合である延長28回の試合でも指揮も取った。戦後46年からは国民リーグのグリーンバーグの監督を務めたが財政難もあり1年でリーグが崩壊。その後はプロの監督に復帰し、金星・大陽を経て50年に新たに創設された広島の初代監督に就任。郷土の英雄として絶大な信頼を受け、運営資金もままならない中で人脈を使って選手を寄せ集めた。初年度は最下位に終わり解散も噂される中で樽募金を自ら行うなど球団存続に奔走。崩壊寸前のチームを建て直し53年に退団。その後54年からは西鉄のコーチとしてチーム初優勝に貢献し、稲尾和久を獲得するなどチームの黄金時代を支えた。66年には長谷川良平監督の下でヘッドコーチも務め、72年に野球殿堂入りを果たす。そして広島の初優勝や日本一を見届けた82年に86歳でこの世を去った。プロ・アマ問わず野球界全体に大きな影響を与えた監督の一人であり、多くの逸話が残る人物でもある。
続く
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・伊藤四郎 【名古屋・中日(51-54)→トンボ・高橋(55-56)→近鉄(57-59)→南海(60-61)、投手】 1932年
※四日市商業高から51年に名古屋ドラゴンズに入団。しかしドラゴンズでは目立った活躍が出来ず、55年にトンボに移籍。それまで通算3勝に終わっていたが、翌56年に突如として大ブレイクを果たし、先発・リリーフにフル回転でチーム最多の21勝をマークし球宴にも出場。その後チームの合併を受けて57年に近鉄に移籍するもその後は低迷。60年に移籍した南海でも活躍は出来ず61年に引退した。その後は鶴岡一人監督の誘いで南海のスカウトを務め、97年に退任するまで新井宏昌・柏原純一・斉藤和巳らといった多くの名選手の獲得に貢献した。
・大神武俊 【南海(52-56)、投手】 1932年
※博多工業・東洋高圧大牟田・南海土建を経て52年に南海に入団。当初は全く期待されていなかったが、キャンプで注目を集めて8勝をマーク。同年行われた巨人との日本シリーズでは新人にも関わらず、第1戦の先発に抜擢された(ちなみに彼以降、日本シリーズ第1戦で先発した新人は2013年の楽天・則本昂大まで61年間現れなかった)。翌53年には19勝8敗をマークしてパリーグ最高勝率のタイトルを獲得。54年も14勝をあげたのだが、その間の酷使が影響し55年に肩を故障し56年に現役を引退。その後は解説者や福岡大学の監督を務めた。
・島本講平 【1970年ドラフト1位→南海(71-75)→近鉄(75-85)、外野手】 1952年
※箕島高校時代は4番・エースとして活躍し、70年春の選抜で優勝し一躍甲子園のアイドルとなり三沢高校の太田幸司に続いて「2代目コーちゃん」と呼ばれた。岐阜短期大付属高の湯口敏彦・広陵高校の佐伯和司とともに「高校ビッグ3」と称され、ドラフト1位で野村克也直々の指名を受けて南海に入団。投手から外野手に転向し、プロ入り後も人気は衰えず高卒ルーキーながらファン投票で、しかも一度も守備経験のない一塁手として球宴に選出された。しかし南海での5年間はわずか16試合の出場に留まり、75年のシーズン途中にトレードで近鉄に移籍。近鉄では西本幸雄監督に抜擢され、控えながら同年後期のリーグ優勝に貢献。その後も外野の準レギュラーとして活躍し、ムラのある打撃ではあったものの79,80年の連覇にも貢献。85年に現役を引退し、その後は主に解説者を務め、現在は東大阪市内の野球塾の塾長として少年たちに指導を行っている。ちなみに娘はテレ朝のアナウンサー。
続く
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・今井譲二 【1978年ドラフト外→広島(79-89)、外野手・内野手】 1956年
※中学から野球を始めた一方で、陸上の大会にも兼任で参加。進学した中央大学では1番打者として活躍。在学中にプロの入団テストとは知らず広島のテストを受け、ホームからスタンドにボールを投げ入れるほどの強肩と50mを5秒6で走る俊足を武器に、見事合格を果たすも退部届を出していなかったために大学側にそれがバレてリーグ戦のメンバーから外されている。卒業後の78年にドラフト外で正式に広島に入団。プロの舞台では盗塁王経験者である高橋慶彦や、後に盗塁王となる正田耕三らが全盛期のときでも彼らの代走に使われるほどの信頼を受けていた。11年間で263試合に出場し62盗塁をマークし、通算打席数はたったの31と、ほとんど代走専業の選手でもあり、87年には36試合の出場で打席数ゼロという記録も残している。89年に引退後は熊本の実家の鮮魚商を継ぐ一方で、井手らっきょが主宰する野球専門学校のコーチも務めている。
・ライアン・グリン 【楽天(06)→日本ハム(07-08)→横浜(09)、投手】 1974年
※2006年シーズン途中に先発が不足していた楽天に入団。すぐさま先発ローテに定着すると、チーム最多タイの7勝(7敗)、防3.96とまずまずの成績を残したものの、オフの契約更改で交渉が決裂し1年で退団。直後に日本ハムに移籍すると、翌年の交流戦は12球団トップの防1.01、5勝をマークし交流戦のMVPに選ばれる。7月までに8勝をあげたが後半戦は打線の援護に恵まれず1勝に終わり、2桁勝利はならずもリーグ3位の防2.20をマークする。しかし無援護は年を跨いでも彼を襲い、翌2008年も防3.66とまずまずの成績もリーグワーストの14敗を喫し、西武とのCSセカンドステージでも第1戦で3回10失点、第5戦では2.2回5失点の通算防御率23.82といずれもKOされてしまった。そして再びオフに残留交渉が決裂し退団となり、翌年は横浜に移籍。しかし横浜でも自信の成績の悪化もあって全くもって勝てず、交流戦で5敗を喫するなど、外国人投手20年ぶりのシーズン15敗(3勝)を記録。シーズン終盤に夫人の出産を理由に帰国し、そのまま退団となった。3球団でいずれも先発ローテの一員として懸命に投げ続けるも黒星がひたすら増え続ける悲惨な有様からあるところではコピペが作られるほどであった。日本を離れて以降は米独立リーグや台湾でプレーしており、現在の詳細は不明。ちなみに交流戦の最多勝記録と最多敗記録の双方を持つ稀有な選手でもある。
・藤田太陽 【2000年ドラフト1位(逆指名)→阪神(01-09)→西武(09-12)→ヤクルト(13)、投手】 1979年
※新屋高校から進んだ川崎製鉄千葉では99年にIBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出され、大会最優秀防御率を記録するなど日本の3位入賞に貢献。翌年秋のドラフトで逆指名で阪神に入団すると、即戦力として期待され、2年目にはプロ初完投をマークするも故障続きでなかなか活躍できず。2003年には右肘の靭帯を損傷し、その後も長い2軍暮らしが続き、次第に「未完の大器」とも「ブルペンエース」とも称されてしまう。登録名を「太陽」に変更したり、2008年からはフォームをサイドスローに転向したりして生き残りを図り、2009年途中にトレードで西武に移籍。しかしこれが彼にとって大きな転機となり、移籍直後から不安定なチームのリリーフ陣の中で台頭を果たし、同年は25試合に登板し防2.00の好成績。翌2010年には故障と不調もあったもののシコースキーに繋ぐセットアッパーとして活躍し、自己最多の48試合に登板し19ホールドをマーク。しかし翌2011年以降は再び打ち込まれて2軍生活に逆戻りとなり2012年に戦力外となってヤクルトに移籍。ヤクルトでは中継ぎの一員として20試合に登板し4年ぶりのセーブも記録したが、たった1年で2度目の戦力外を受けた。そして慢性的な右肘の痛みもあって同年限りで現役引退を決意した。その後は西麻布の焼肉店で勤務する傍ら、解説者やデーブ大久保主宰の野球教室の講師を務めていたが、今年から富山県のクラブチームで投手兼任コーチとして現役復帰を果たしている。
おめでとうございます
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西武リー、ポーリーノ、バスケス戦力外 3人で0勝
http://www.nikkansports.com/m/baseball/news/1732315_m.html?mode=all
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ポリノだよポリノ、ポーリーノ
このネタがもう使えない、というか殆ど使えなかったのが哀しいなあ……
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途中加入に勝ち星に差をつけられたらね……しかも合算で……
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残当
マウンド改修するらしいから新たに良い外国人先発連れてきなさいよ
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ウマイネーオイシイネー
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西武はまず守備どうにかしないといけないのではという印象
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ガッフェのしゃべり面白いなぁ
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今日の戦力外情報です
【西武】
・フェリペ・ポーリーノ(33・投手) 2016年来日(1年目) 年俸:6000万円
1軍:9登板 0勝6敗 0S 0H 44.0投球回 32奪三振 25与四球 防4.70
2軍:5登板 1勝0敗 0S 20.0投球回 14奪三振 9与四球 防2.70
・C.C.リー(30・投手) 2016年来日(1年目) 年俸:8400万円
1軍:18登板 0勝0敗 0S 1H 16.2投球回 13奪三振 5与四球 防6.48
2軍:25登板 1勝0敗 8S 24.2投球回 32奪三振 9与四球 防1.82
・エスメルリング・バスケス(33・投手) 2015年来日(2年目) 年俸:3000万円
1軍:19登板 0勝0敗 0S 6H 16.1投球回 13奪三振 11与四球 防5.51
2軍:21登板 0勝1敗 6S 21.0投球回 15奪三振 9与四球 防1.71
1軍通算:53登板 3勝1敗 0S 15H 51.0投球回 34奪三振 32与四球 防4.24
2軍通算:23登板 0勝1敗 7S 23.0投球回 19奪三振 9与四球 防1.57
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西武も外人ガチャやばいよね
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バスケスってオープン戦で見た時にすげー球投げてんなと思ったけど
2軍でもそれほど三振奪えてないのはなんでだろう
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ウルフも交渉難航してるんだよなあ
エースとまともな助っ人が同時にいなくなるとは
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11月2日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
なし
OBなど
・小森光生 【毎日・大毎(54-61)→近鉄(62-66)、内野手】 1931年
※早稲田大学では同期の広岡達朗と三遊間を組み、華麗な守備で人気を博して在学中に4度の優勝を経験。54年に毎日に入団すると、1年目から三塁手のレギュラーに定着。57年には葛城隆雄に定位置を譲ったが、その後は外野手もこなすなどユーテリティプレイヤーとして活躍した。62年に近鉄に移籍しても三塁手・二塁手・外野手とここでも様々なポジションで起用され、63年には代打満塁本塁打も記録。66年に現役引退後は近鉄・広島・ヤクルト・大洋のコーチや2軍監督を歴任。広島時代には衣笠祥雄・山本浩二らといった若手を育て上げ、球団初のAクラス入りに貢献。ヤクルト時代には荒川博監督・広岡達朗コーチ・沼澤康一郎コーチとともに「早稲田カルテット」の一員となった。大洋を退団後は球界を遠ざかり、静岡・伊豆でペンションのオーナーを務めた。
・幸田優 【大洋(57-62)、投手】 1938年
※荏原高から57年に大洋に入団。縦のカーブで三振を量産するスタイルの投手であり、3年目の59年に先発ローテに定着し、37試合に登板し4完封含む7勝10敗をマーク。彼の名が話題となったのは同年7月の広島戦であり、2回表に先頭の4番・大和田明に対し2ストライク0ボールと追い込んだ後、ショートバウンドの球を空振りさせたものの捕手の土井淳が後ろに逸らし振り逃げとなる。さらに盗塁も決められ無死2塁の場面で5番・藤井弘、6番・横溝桂を2者連続三振に打ち取る。しかし続く7番・上田利治にレフと前タイムリーを打たれ先制点を与えたが、8番・興津立雄から三振を奪い、プロ野球史上初の1イニング4奪三振を記録した。現在では彼を含め20人が達成したこの記録だがそのイニングに失点したのは今のところ彼が唯一である。また翌60年には開幕投手を務める予定だった秋山登が中日の牧野コーチの手から離れたバットが頭部に直撃したために病院に搬送。開幕投手の代役を務めたが敗戦投手となり、翌日のダブルヘッダーの試合に登板して再び負け投手となったことで開幕2日で2敗を喫している。さらに62年春のキャンプで頭部に打球を受けてしまい、これが選手生命を縮め同年限りで引退している。
・ホセ・フェルナンデス 【ロッテ(03)→西武(04-05)→楽天(06-08)→オリックス(09)→西武(10-11)→楽天(12)→オリックス(13)、内野手】 1974年
※メジャーリーグから2002年に韓国・SKに移籍し、昨年ナバーロに抜かれるまで当時助っ人記録となる45本塁打をマーク。当時打線の中核として期待されていたロバート・ローズがキャンプ中に突然の引退を発表し、代役を探していたロッテが急遽獲得。シーズン序盤からクリーンナップを担い、打率.303 32本 100打点という見事な成績を残すも、バレンタイン監督の就任とベニーの入団もあったためにわずか1年で退団することとなる。翌年は西武に移籍し、2004年には自己最多の33本塁打を放ち、ポストシーズンでも大活躍を果たしチーム12年ぶりの日本一に貢献。翌年も十分な活躍を果たすも中村剛也の台頭もあり、オフに退団し創設2年目の楽天に移籍。長距離砲が不足してたチームの中で4番として打率.302 28本 88打点の好成績で球団初の個人タイトルとなる三塁手のベストナインを獲得。その後も山崎武司とともにチームの主軸を担い続けたが、中村紀洋のFA移籍もあり2008年オフに退団。そして2009年は自身4球団目となるオリックスに在籍。ローズ・カブレラ・ラロッカとともに助っ人カルテットを形成するも不調に陥り、さらに故障もあって満足な成績は残せず1年で退団し、5年ぶりに西武に復帰。2010年には通算1000安打も達成するなど途中出場ながら打率.339 11本の好成績を残し、2011年には国内FA権を取得したことで日本人扱いとなり、5番打者として通算200号を放つなど指名打者のベストナインに輝くも交渉が決裂し、4年ぶりに楽天に復帰。2012年はほぼフルシーズン戦い抜き、非常に勝負強かったもののわずか3本塁打に終わり1年で退団。2013年序盤はメキシコでプレーしていたが7月に4年ぶりにオリックスに復帰。しかし衰えは激しく25試合で打率.188 1本に終わりこの年のオフに現役を引退。2000年代のパリーグを渡り歩いた名助っ人であり、哲学的なコメントも人気を博した。それ故に助っ人でありながら数多くの逸話が残る選手でもある。
おめでとうございます
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フェルナンデスはやっぱり楽天時代の印象が強いな
他は地味球団が多かったのもあるか
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フェルナンデスに影響された聖澤が一時期哲学者になってた思い出
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2000年代のプロ野球ファンにとってフェルナンデスの所属球団を入団した順に答えさせる問題は割と盛り上がる
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シコースキーとフェルナンデスの経歴はいつまで経っても覚えられる気がしない
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シーズン終わった時点で練習と休息との計画たててるだろうし、同一球団から補充選手が出るのは良識的よね
なにより秋季キャンプとも時期かぶるわけだし、よそのチームの選手の都合で振り回されるわけには
メキシコ代表でジャイアンツのロモが来るのか。Aゴンは試合に出場しないけれどチームに帯同、と
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161102-00010000-spht-ent
涌井さんと押切もえさんがご結婚のようです
おめでたい
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涌井はFA移籍して幸せになれましたね
岸君も続いて
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涌井結婚かめでたいなぁ
しかもメジャー挑戦もするみたいですね
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ミラクルカブスなるか
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はえ〜……カブスすっごい大きいリード……
(序盤で7-0とか)笑っちゃうんすよね
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クリーブランドの奇跡は今日はダメか…
キャブスと逆パターンの負けかたしてしまうのだろうか
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9-3でカブス快勝か
これもう勝敗の行方わかんねえな
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大田&公文と日本ハム・吉川&石川慎の2対2で成立
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161102-00000099-sph-base
うせやろ?
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>>295
ええ……(ドン引き)
巨人はいい厄介払いしたとは思うけどハム損し過ぎじゃないですかね
コストカットか何か?
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石川って明らかに伸びシロあるし、地元の認知度も若手ながらあるのに放出してくのか……
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伸び代はありそうだけど出場機会がね・・・
今成や今浪みたいに他所で成長してもらう感じだと思います
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吉川トレード放出は数年待って再三の配置転換してもダメだったので流石にしびれを切らしたって感じですかね
今年の勝てば優勝って試合に先発して炎上して、色んな人から「何やってんだこいつ…」な目で見られていたのを思い出します
ハムの試合全然見れてないんですが吉川は何がいけないんですかね?
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>>299
メンタルじゃないですかね
四球出すの気にしてカウント悪くして四球出して〜っての昔から繰り返してて、MVPの年は開き直って投げてその点改善したかと思ったら結局元に戻ってるわその上球威落ちたのか三振とかも取れなくなってるわで
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>>300
ありがとうございます。やっぱりメンタルですか…
MVPの年の吉川は動画でもわかる威力あるまっすぐバンバン投げてたのに悲しいなぁ
新天地で復活できるといいですね
巨人はただでさえ有望若手野手少ないのにさらにレアな大砲候補出しちゃって大丈夫なんですかね?
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大田は選球眼とバットコントロールがよくなれば活躍しそう
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>>301
メンタルではなく単純に技術が無いだけだぞ
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トレードの余波を受けて一年で桜井の背番号剥奪は流石に笑うわ
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>>303
おはジェフ・ウィリアムス
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大田泰示さんは気持ちは常に初打席だからね、しょうがないね
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原さんが球団及び栗山さんにお願いした部分もあったりするんじゃない
大田をどうにかしてやってくれ、と
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あとはFAの人的補償枠も関係ありそう
大田さん当落線上だけどドラ1で東海大系列だから補償で獲られるよりトレードの方が本人東海大球団と面子保てるし
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八重樫退団で草ァ!
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八重樫東北枠2011年指名選手
1位 川上 良くて上位指名と言われていた選手 東北枠で八重樫がごり押し
2位 木谷 八重樫が妥協案として九州担当の酒井に譲った形 選手がどうこうではなく派閥指名
3位 比屋根 八重樫の作った日本製紙石巻とのパイプ指名
4位 太田 久古で味を占めた八重樫が同じく元日産で日本製紙の選手指名 怪我でほとんど投げてなかった
5位 中根 東北枠の怪我持ち。身内がいる横浜からも指名されず
6位 古野 同じく元日産と言うだけで指名 腰痛発症で試合では投げていなかった
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最後の最後で燕進化できましたね(ニッコリ
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八重樫退団でヤクファンウキウキかなと思ったらやっぱりウキウキだった
訴訟は取り下げる
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11月3日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・ブランドン・ディクソン(32) (オリックス・投手・2013年入団)
※昨年には開幕投手も務め、5月には4勝・防0.26の活躍で月間MVPも後半戦は故障が相次ぎ規定投球回に届かず9勝。今年も先発ローテの主軸として活躍し、自身最多の171.1イニングを投げたものの9勝11敗で来日初の2桁勝利とはならず、防4.36は規定投球回到達者ではリーグワーストだった。2年契約2年目となる来季こそ、念願の2桁勝利を達成しチームを浮上させたい。
・聖澤諒(31) (楽天・外野手・2007年大社ドラフト4位)
※昨年、自身が続けていた日本記録の連続守備機会無失策がストップし、打撃不振もあって86試合の出場に留まった。今年は2試合連続本塁打を記録するなど開幕から安定した打率を残していたが次第に島内・ペゲーロに追い出される形でスタメン機会が減少し、終盤は代走・守備固めでの起用が続くも得意の足はわずか3盗塁。最近ではFA権行使も噂されているが、果たして。
・山本雅士(22) (中日・投手・2014年ドラフト8位)
※ルーキーイヤーの昨年は8月に1軍デビューを果たし、2軍でも山本昌に続いて登板し「山本まさ」継投が実現するなど中継ぎとして26試合で防2.35。ワインドアップから投げる速球とカットボール、フォークを武器として三振を奪うスタイルが特徴であり、今年は右肘の故障もあり1軍登板はなく、先日には育成契約予定ながら戦力外通告を受けた。四国ILでは練習生から始まった野球人生だっただけにここから再び這い上がりたい。
OBなど
・戸倉勝城 【毎日(50)→阪急(51-58)、外野手】 1914年
※豊浦中学・法政大学を経て、50年に社会人野球・大洋漁業から引き抜かれる形で創設されたばかりの毎日オリオンズに入団。当時35歳という非常に高齢ながらプロ入りを果たすと、同年の開幕戦初打席で本塁打を放ち、パリーグ第1号本塁打を記録。さらに後楽園球場で行われた7月の大映戦ではナイターでの第1号本塁打をマークするなど、この年21本塁打を放ってチームの優勝に貢献。この年リーグを制覇した毎日は「リーグの戦力均衡」を目的に主力であった自分を同年4位に終わった阪急に譲渡。阪急では4番打者として年齢の衰えを見せない見事な活躍を見せ、58年に引退するまで打率3割3回、ベストナイン2回という輝かしい成績を残し、55年には40歳でありながら21盗塁、自己ベストの打率.321を記録。引退後は阪急のコーチを経て59年途中に藤本定義に代わって監督に就任。しかしチームは貧打に喘ぎ4年連続でBクラスに終わり62年に退任。67年には古巣・オリオンズの監督も務めたが、ここでも貧打に悩まされ、采配がオーナーの不評を買って1年で退任となった。その後は解説者として活躍した。
続く
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・森徹 【中日(58-61)→大洋(62-65)→東京(66-68)、外野手】 1935年
※早大学院では柔道選手としても名が知られており、早大に進むと3度のリーグ優勝を経験。前述の早大学院出身では現在でも唯一のプロ野球選手として58年に中日に入団。新人王こそは長嶋茂雄に奪われるも1年目から23本塁打を放つなど長打力を武器とし、翌59年には4番打者として31本塁打・87打点でリーグ2冠王に輝き、一躍中日のスター選手として活躍。しかし濃人渉監督との確執もあり4年目の61年オフに大洋に放出される。大洋でも桑田武らとともに中心打者として活躍し続けるも65年に故障により成績が低迷し、66年にかつて自身を放出した濃人がコーチを務めていた東京オリオンズに移籍。オリオンズでも再び打線の中軸として活躍するも長続きはせず68年に引退。翌年田中義雄の誘いによりグローバルリーグの東京ドラゴンズに監督兼選手としてベネズエラでプレーしたが資金難によりリーグは頓挫し半年で帰国。その後はプロ野球OBクラブの役員や理事長として球界を支え続けた。ちなみに息子はアニメーション監督のもりたけし。
・皆川康夫 【1970年ドラフト5位→東映・日拓・日本ハム(71-76)→広島(77-79)、投手】 1947年
※浜松日体高校・中央大学・富士重工業を経て70年のドラフトで東映に入団。1年目から先発の一員として11勝14敗、防3.44の好成績をマークし同年の新人王に輝く。2年目以降は故障に悩まされ低迷が続くも4年目からはリリーフとして復活を果たし、75年には抑え投手として49試合に登板し8勝6敗10セーブ、防2.20の好成績をあげた。77年に4対3のトレードで広島に移籍するも広島では活躍できず79年に引退。現在は故郷・浜松でスナックを営んでいる。
・高波文一 【1993年ドラフト3位→阪神(94-03)→西武(03-06)→楽天(07-08)→オリックス(09)、外野手】 1975年
※熊本工業高では外野手として93年夏の甲子園に出場し、同年のドラフトで阪神に入団。2年目の95年から俊足選手の少ない阪神において代走の切り札として1軍に定着。特に99年から監督に就任した野村克也に重宝され、2001年には「F1セブン」の7号車に選出された。しかしそれは同じタイプの選手が多く集まったことを意味しており、打撃成績で劣っていた自身は次第に2軍生活が多くなっていく。そして2003年のシーズン途中に金銭トレードで西武に移籍。西武では2005年に自己最多の132打席を記録するなど次第に出場機会を増やしていったが、2006年に福地寿樹の入団もあり同年オフに戦力外。しかし野村監督の希望により翌年は楽天に移籍すると、「代走のスペシャリスト」として随所で活躍。2008年にはFA権も獲得したものの、ここでも聖澤諒や中村真人の台頭に追いやられ同年オフに2度目の戦力外。2009年はオリックスでプレーするも出場機会を稼げず2年連続3度目の戦力外を受けたことで引退。その後はソフトバンクのコーチを2011年から3年間務めた。
・正田樹 【1999年ドラフト1位→日本ハム(00-06)→阪神(07-08)→ヤクルト(12-13)、投手】 1981年
※桐生第一高校では3年夏の甲子園でエースとして3完封の活躍で群馬代表初の全国制覇を達成。ドラフト1位で日本ハムに入団すると、3年目の2002年に先発ローテに定着し、9勝11敗・防3.45の好成績を残して新人王を獲得。2003年には5勝15敗と大きく負け越すも27イニング連続無失点を記録。しかしこの年以降成績が下降し、チームが優勝や日本一を経験する中で2軍生活が続いていた。2007年開幕直前にはトレードで阪神に移籍するも、2年間で1軍登板はなく2008年オフに戦力外となる。翌2009年は台湾に渡り、興農ブルズでプレー。1年目は開幕投手を務めるなど先発ローテの一員として14勝6敗、115奪三振の成績で最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得。翌年も11勝5敗の好成績で、チームメイトの高津臣吾とともに5年ぶりの優勝に貢献した。その後2011年はレッドソックスとマイナー契約を結ぶもわずか1ヶ月で解雇され、帰国しBCリーグ新潟でプレー。その新潟での活躍が評価され、2012年にヤクルトに入団したことで独立リーグからは史上2人目となる4年ぶりのNPB復帰を果たした。主に左の中継ぎの一員としてチームを支え、2013年には自身8年ぶりの白星をあげたものの同年限りで戦力外となってしまう。その後再び台湾に復帰するも結果を残せず、2014年5月に四国IL・愛媛に入団。昨年は7勝3敗・防0.74で2年連続の最優秀防御率・そしてリーグMVPを獲得する見事な活躍を残し、オフには自身3度目のトライアウトを受験したもののNPB復帰には至らず。それでも今年も現役としてプレーしており、2016年は93イニングを投げ7勝4敗・防2.61とまだまだ健在。果たして2度目のNPB復帰はなるか期待したいところである。
おめでとうございます
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群馬県民、ひいては両毛民として正田は永遠のヒーローです
おめでとうございます
今は愛媛だけど引退する前にペガサスに来てほしいなぁ
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フジでデザインが奇抜なユニフォーム特集やってたんですね
最近はどこも挑戦しないのでオリックスには頑張ってほしいですね
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謎の紺色ユニブームは何なんですかね?
中日も来季からユニ変えるみたいで新人入団会見でお披露目するかもって話がありましたね
個人的に谷繁竜のユニ好きなんですがドジャースブルーになるんならやぶさかではないです
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オリックスの星空ユニフォーム嫌いじゃないけど好きじゃないよ
10年くらい前にどこもかしこも縦縞ユニフォームだった時期もありましたね
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昔の巨人のビジターユニみたいに黒地ストライプとかいいなと思ったら今サムライジャパンが使ってた…
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ブラックタイガースはまた見たい
毎年やって欲しいくらいすき
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キャブスは今日のWSの為に試合時間早めたんだよなぁ。
クリーブランドの奇跡が見たいゾ
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レブロンが試合終わって見に来てる
昔より地元愛強くなってるのかなぁ
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インディアンズ相当苦しい
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守乱で2失点とか大草原
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点入った時にマリオのコイン取るときの効果音流れて草生えた
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ウッソだろお前wwww
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チャップマン…
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そこまでしてカブスが憎いかマーフィーよ
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飯山がFAに関して会見すると昨日にわかに騒がれてたけど、(やっぱり)残留じゃねえか!
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ヤクルトが取った外人はマイナーでDHメインで守れるとしてもファーストだけだって感じみたいですけど、ハタケのアキレス腱の状態って未だに復帰の目処すら立ってない状態なんですかね?
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開幕間に合わないって話もあったし治ってもこれまで通りのパフォーマンス発揮できるか分からない
来季も鵜久森今浪西田とかファーストで使ってたら最下位待ったなしだし
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バレンティンはメジャー復帰なんですかね
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巨人が獲りそう…獲りそうじゃない?
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オリックスが取りそう
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巨人はトラブルメーカーはこりごりじゃない?
年齢はギャレットより若いけど気持ちの波も大きいし由伸が制御できるのかっていう
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バレンティンとその新外国人は守備位置かぶらんし、いちおうまだ放出と決まったわけではないんじゃね
切り時と思ってても不思議じゃないけどね
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巨人はないでしょ
ギャレット残留濃厚でもうレフトから動かすことないだろうし
一塁ギャレット懲りてなかったら笑う(笑えない)が
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>>330
バッティングは問題ないんですが、守備走塁はまだだめっぽいです
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市大三高が6-4にして決まりかと思ったら早実サヨナラツーランで6-8とはたまげたなぁ
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3番清宮5タコ5三振で4番野村がサヨナラツーランってやっぱり野村ってすごいんだなと
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野村すごいなあ(恍惚)
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市大じゃなくて日大だったゾ…ダイヤ目線になってはいけない(戒め)
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本日のオススメ!
http://i.imgur.com/zIaFoaa.jpg
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東京ドーム内のジャイアンツショップですかね?
悲しいなぁ…
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例の飯食ってるやつのブロマイドなら売り切れ不可避なのに
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11月4日誕生日のプロ野球選手はこちらです
今日は多いです
現役
・脇谷亮太(35) (巨人・内野手・2005年大社ドラフト5位)
※片岡の人的補償として移籍した西武では昨年、3番打者も務めるなど打撃面でアピールを見せ、118試合の出場で打率.294の好成績。オフにFA権を行使し、古巣・巨人に復帰した。今年は控えとしての出場が続き54試合で打率.157と成績は下降してしまったものの優勝を争う中での8月の広島戦ではプロ初のサヨナラ本塁打を放った。来季はスタメンであれ代打であれ、結果を残しチームの戦力を底上げしたいところ。
・小田裕也(27) (オリックス・外野手・2014年ドラフト8位)
※ルーキーとして迎えた昨年は、8月に1軍デビューを果たすと1番打者として安打を量産。31試合の出場ながら打率.326と見事な成績を残した。同様の活躍が期待された2年目の今年は今季初安打となるサヨナラ打も記録するも、シーズン通して控えでの出番が続き、71試合と出場試合数は増えたものの打率は.137と精彩を欠いた。球団屈指のイケメン選手としても注目されており、定位置を獲得すれば名実ともに人気選手となれる可能性を秘めている。
・井領雅貴(27) (中日・外野手・2014年ドラフト6位)
※昨年、新人としてはチーム唯一の開幕1軍入りを果たすも、9試合の出場に終わり、2軍では78試合で打率.270とまずまずの成績を残したが契約更改では制限いっぱいの25%ダウン。今年は度々1軍に呼ばれ、9月27日の巨人戦ではマイコラスからプロ初本塁打を放った。平田のFA宣言がちらつく中で、3年目の来季はレギュラー奪取を目指したい。
・又吉克樹(26) (中日・投手・2013年ドラフト2位)
※毎年中継ぎとしてフル回転を見せ続けるサイドスロー投手。昨年はチーム最多の36HPを記録するも不振により2度の2軍降格を味わうなどいまひとつな内容に終わった。今年も前半戦は不安定な投球内容が続き、5月には4敗を喫した。それでも8月以降は23試合で防0.78と前半戦とは見違えるな投球で意地を見せた。1年目から3年連続60登板を記録したタフネスさも武器に来季もブルペン陣を支えたい。
・吉持亮汰(23) (楽天・内野手・2015年ドラフト2位)
※関西六大学リーグで歴代2位の62盗塁を記録したスピードスター内野手。その足は本物で2軍では23試合の出場ながら8盗塁をマーク。春先には1軍デビューも果たし存在感も示したが6月に右腕を骨折し残りシーズンを棒に振ってしまった。現在行われているU-23ワールドカップに日本代表の一員として参加しており、大舞台の経験を来季の活躍に活かしたいところ。愛称は幼少期から木や電信柱に登るのが得意だったことから「サル」。
・玉村祐典(21) (西武・投手・2014年ドラフト4位)
※真上から投げ下ろすダイナミックなフォームが特徴の右腕。1年目の今年は2軍で防7.94と結果は残せず、今年は前年の約3倍の約60イニングを投げたがWHIP1.84と打ち込まれ防御率は6.41とまだまだ発展途上。しかしイニング数近く稼ぐ三振の多さは魅力的でありハマれば大化けする可能性もある期待の選手。なお昨年のファン感謝祭で行われた新人におけるファッションコンテストでは見事優勝を果たしている。
・安樂智大(20) (楽天・投手・2014年ドラフト1位)
※3年前の2013年春の選抜で甲子園を沸かせた剛球投手。入団から2年目までは2軍で育成するという球団方針ではあったが、昨年の10月のソフトバンク戦で早くも1軍デビュー。6回を投げ無失点に抑えて見事初勝利を飾った。2年目の今年も1軍で積極的に起用され、一時は不調で中継ぎも務めたが、後半戦からは先発ローテに定着。3勝に終わるも84.1イニングを投げ防3.42の好投を見せ、直球の最速も151キロをマークするなど成長を見せた。先述の吉持とともにU-23代表に選ばれており、3年目の来季は更なる飛躍に期待したい。
続く
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OBなど
・宮田征典 【巨人(62-69)、投手】 1939年
※前橋高校では王貞治を擁する早稲田実業を練習試合で完封勝ちしてその名が知れ渡り、日本大学進学後はMVPを2度獲得するなど3度の優勝に貢献し、通算24勝をマーク。62年に巨人に入団するも1年目のオフに心臓疾患を患ったことで長いイニングを投げることが困難になってしまう。そこで川上哲治監督は宮田を救援投手に専念することにし、翌63年には46試合に登板し6勝4敗・防1.88の活躍を残し、当時はまだセーブが導入されていない先発中心の時代において「宮田の6勝は15勝以上の価値がある」と川上監督は評したという。64年に右肩を亜脱臼し一時は家族から引退を勧告されるも、トレーニングを重ねて克服。翌65年には69試合に登板し20勝、防2.07の好成績を残していつしか彼は「8時半の男」というニックネームで親しまれるようになる。しかしこの年のフル回転の影響もあり、翌年は疲労回復のためにインスリン注射を打ち続けていたがこれの副作用で食事の量が増え、動物性脂肪肝で入院。さらにその後は肝機能障害や血行障害にも悩まされかつてのような活躍は出来ず69年限りで現役を引退。しかし彼の活躍により救援投手に脚光が浴びるようになり、リリーフ投手の草分け的な存在としても有名な選手である。引退後は巨人をはじめ、日本ハムや西武・中日でコーチを務め、数多くのエース投手を育て上げた。
・安木祥二 【1968年ドラフト5位→アトムズ・ヤクルト(69-74)→太平洋(75-76)→ロッテ(77-82)→中日(82-84)、投手】 1948年
※関西高校・クラレ岡山を経て69年にアトムズに入団。貴重な左腕投手として期待され、1年目からリリーフ投手として活躍。しかし4年目の72年から不振に悩まされ登板機会が大幅に減少し74年オフにトレードで太平洋に移籍。その2年後には再びトレードでロッテに移籍し、先発からリリーフまで幅広い場面で起用されチームの投手陣の一角として活躍。82年には三度トレードで中日に移籍し84年限りで引退。変則的な2段モーションから投げる大きなカーブを武器とし、13年間であげた33勝で巨人・ヤクルトを除くセパ10球団から勝ち星をあげるなど4球団全てで一定の活躍を果たした。
・橋上秀樹 【1983年ドラフト3位→ヤクルト(84-96)→日本ハム(97-99)→阪神(00)、外野手・捕手】 1965年
※安田学園高から捕手としてヤクルトに入団。後に外野手に転向し、主に代打や守備固め、また対左先発のスタメンとして活躍し、92年には自己最多の107試合に出場し、同年の日本シリーズでは8打数5安打1本塁打の大活躍で日本一に貢献した。その後も右の代打として活躍し、96年オフに金銭トレードで日本ハムに移籍。日本ハムでも98年に小笠原道大とともに左右の代打の切り札として活躍するも翌99年に不振に喘ぎ戦力外となる。2000年はヤクルト時代の監督でもある野村克也に請われて阪神に移籍するも1軍出場はなく同年限りで引退。その後は解説者を経て2005年に新たに創設された楽天のコーチに就任。2007年からは再び野村監督のもとでヘッドコーチを務め、2009年にはチーム初のAクラス進出に貢献。2011年にはBCリーグ・新潟の監督として球団史上初のリーグチャンピオンシップに導いた。2012年からは巨人のコーチとして同年からの3連覇に貢献した。昨年は6年ぶりに楽天のヘッドコーチを務め、今年からは西武の1軍作戦コーチを務めている。
・中山裕章 【1985年ドラフト1位→大洋(86-91)→中日(94-01)、投手】 1967年
※高知商業高校では2度夏の甲子園に出場するもいずれもKKコンビ擁するPL学園に敗れている。85年のドラフト1位で大洋に入団すると150キロを超える速球とフォークを武器に、3年目の88年にはリリーフエースとしてリーグ最多の70試合に登板し10勝24セーブ・防2.28という見事な成績を残し、その後90,91年は2年連続で開幕投手を務めるなど先発ローテの主軸として活躍した。しかし91年オフに小学生に対する強制わいせつの罪で突然逮捕。大洋との契約は解除され無期限の資格停止処分を受けた。その後は一旦運送業に就くも、復帰を望むファン、21万人による署名もあったことで93年に打撃投手として中日に入団し、94年には現役復帰を果たす。中日でも主にリリーフ投手として活躍し、96年には宣銅烈の不調もあってストッパーも務め、野村監督の「罪を憎んで人を憎まず」という推薦もあってオールスターにも出場した。しかしその後は他の投手の台頭もあり出場機会が減り2001年に中日を退団。その後は台湾・中信で先発投手としてプレーし2003年に引退。現在は会社勤務の傍らでアジア各国との貿易業を行っている。
続く
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中山って多田野がホモビに出るのなんか霞むくらいの事やってるのに復帰できるって凄いよな
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時代も違いますから・・・
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・メルビン・バンチ 【中日(00-02)、投手】 1971年
※マリナーズから2000年に中日に入団。長身から投げ下ろす150キロを超える速球と鋭く落ちるスプリットを武器とし、来日2登板目となる4月7日の横浜戦で史上68人目のノーノーを達成するなど鮮烈な活躍を見せ、同年は14勝をあげてリーグ最多勝のタイトルを獲得。また打撃にも優れており、福岡ドームにおいて初めてホームランを打った投手としても知られている。2年目の10勝をあげるなど野口や山本昌、川上らとともに先発ローテを支えた。しかし3年目の2002年途中に不整脈を患ったことで治療のために帰国し、そのまま現役を引退。陽気な性格で、普段から積極的に名古屋弁で周囲を和ませ、チームメイトからも愛された選手でもあった。
・ラリー・ビグビー 【横浜(08)、外野手】 1977年
※オリオールズでは2004年に左翼手のレギュラーとして139試合に出場し打率.280 15本 68打点の好成績を残す。しかしその後は度重なる故障に悩まされメジャーからは遠ざかり、2007年オフに横浜に入団。しかし契約を結んだ直後にミッチェル報告書において複数の禁止薬物を使っていたことを告白。一時期、契約解除も示唆されていたが、薬物を使用した目的が筋肉増強ではなく膝の治療であったことや、球団独自の抜き打ち検査を行ったことで1月にようやく正式に入団が決定した。チームの主軸として活躍が期待されていたが怪我で出遅れ、主に5番〜7番で出場するも好調が長続きせず、結局72試合で打率.255 8本 29打点とパッとしない成績に終わり1年で退団。その後は北米独立リーグでプレーしている。
・水田圭介 【2000年ドラフト7位→西武(01-09)→阪神(09-10)→中日(11)→ヤクルト(12-13)、内野手】 1980年
※大阪桐蔭高・プリンスホテルを経て西武に入団。西武では大半が2軍暮らしの日々であり、中島裕之の故障もあって6年目の2006年に代走や守備固めで出場機会を増やし、8月の日本ハム戦では2リーグ制以降史上4人目となるプロ初本塁打をランニングホームランで達成。翌2007年からは右打ちからスイッチヒッターに転向するも、1軍定着はならず2009年に藤田太陽とのトレードで阪神に移籍。トレードが発表された直後の2軍戦で代走として起用され、試合終了後にチームメイトから胴上げされて別れを惜しまれた。しかし阪神では西武時代以上に1軍での出番がなく、2010年オフに新井良太とのトレードで中日に移籍。しかし中日でもわずか1年で戦力外となり、2012年からはヤクルトでプレー。2013年には自身7年ぶり、そして初のスタンドインとなる本塁打を記録したがこの年限りで2度目の戦力外を受け、現役を引退。現在は東大和市の野球塾で講師を務めている。イケメン。
おめでとうございます
ちなみに今日をもって1月1日から祝ってきた選手の数が3000人を突破しました
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揃いも揃ってOBのエピソードが濃すぎる
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青木がHOUに移籍らしいですね
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ウェーバー掛かってたのね
自動更新オプションの打席数条件は達成してなかったけど再契約に前向きって言われてたと思うが
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任天堂とマリナーズが関係なくなったタイミングでのこれはたまたまか
まぁ最終的には安定の打率.280に出塁率.350とはいえマイナー落ち以前が酷すぎたからなぁ。外野に青木がいなくなったらやべぇってわけでもないし
地味に盗塁成功率5割未満ってのも今年がたまたまだといいけど、劣化だとキツそう
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えっなにその結末は…(困惑)
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U23草生える
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落としてなくてもタイミングセーフだったろうしまぁ多少はね?
にしても送球体勢入ったせいでの落球ってより落下点見誤った感あったのは草。あれじゃ捕球しても送球入れませんわ
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戦力外通告期間終了
今季は113人が戦力外通告
http://baseballking.jp/ns/94641
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11月5日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・大和(29) (阪神・外野手・2005年高校ドラフト4位)
※昨年は新人の江越の台頭もあり主に代走や守備要員として起用され、上本の離脱後は二塁手の穴を埋めた。そして今年は西岡・上本と二塁手のレギュラー争いをする中で、7月24日にはフルイニング出場を続けていた鳥谷に代わってショートでスタメン。最終的にはポジションの固定とまではならずも5年連続で100試合以上に出場した。守備力はチームでも随一であり、今オフには左打ちにも取り組んでおり課題の打撃力を強化し定位置を掴みたい。
・中村晃(27) (ソフトバンク・外野手・2007年高校ドラフト3位)
※昨年、3年連続で打率3割をマークしチームの連覇に貢献。代表に選ばれたプレミア12ではベネズエラ戦で内野5人シフトの隙間を抜けるサヨナラ安打も放った。今年は1番から下位打線まで様々な打順で起用され自身初の全試合出場を経験。打率は.287と4年連続の3割とはならずも.416と高い出塁率を記録。来週行われる侍ジャパンの強化試合では柳田の代役として選出されている。顔があの先輩に似ているという風評被害に負けず、来季も彼らしい打撃でチームに貢献したい。
・拓也(24) (ソフトバンク・捕手・2010年育成ドラフト6位)
※同級生の斐紹とともに昨年は2軍の正捕手の1人としてファーム日本一に貢献。今年は6月から3ヶ月ほど1軍に帯同し、自己最多の13試合に出場。2軍でも42試合で打率.323 OPS.906と好成績を残した。ベテラン・細川が退団する来季は1軍定着の大きなチャンスでもあり、その活躍に期待したいところ。憧れの選手はチームメイトの鶴岡であり、本人曰く「彼女になりたい」。
OBなど
・スタンレー橋本 【東映(57-60)→大洋(61)、内野手】 1932年
※ハワ イ生まれの日系人でありそのハワ イのプロリーグでプレーしていたが、それを一旦引退し故郷で小学校の教員を務めていた。しかし57年に東映に誘われて同じく日系人であるホセ中村とともに球団初の外国人選手として入団し現役復帰。1年目こそはブランクもあってか結果は残せずも、2年目には打率.291をマークするなど見事な活躍で一塁手のベストナインを獲得。その後もミート力を武器にチームを支えた。61年に大洋に移籍し、同年限りで引退。
続く
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・リッチー・シェインブラム 【広島(75-76)、外野手】 1942年
※65年にインディアンスでメジャーデビューを果たすと、72年にはロイヤルズでリーグ6位の打率.300を記録しオールスターにも出場。広島にはジョー・ルーツの誘いで入団。ひょうきんで大らかな性格であり、登録名を西部劇にちなんだ「シェーン」に決まった時も「問題ないよ。ただ、僕は馬は連れてこないけどね」とジョークを返したという。来日1年目からホプキンス・山本浩二・衣笠祥雄のクリーンナップの後の6番打者として打率.281 13本 56打点の成績を残し、チームの初優勝に貢献。スイッチヒッターでもあり同年の5月にはプロ野球史上初の1試合両打席本塁打を達成している。翌76年も打率.307 20本 62打点と前年を超える成績を残すも守備難もあったために惜しまれつつ退団。また敬虔なユダヤ教の教徒でもあり、9月14日の試合は懺悔の日という宗教的理由で欠場している。
・片岡新之介 【1969年ドラフト5位→西鉄・太平洋(71-75)→阪神(76-80)→阪急(81-86)、捕手】 1947年
※倉敷工業高校では平松政次・松岡弘・森安敏明とともに「岡山四天王」の一人として注目を浴び、進学した芝浦工業大学では伊原春樹とともに活躍するも中退しクラレ岡山に入団。毎年のように都市対抗で活躍し、西鉄に入団。72年にはロッテに移籍した村上公康に代わって正捕手としてプレー。75年オフに加藤博一とともにトレードで阪神に移籍。田淵幸一や若菜嘉晴らの控え捕手として重宝され、77年には185打数で10本塁打、うち2本が満塁本塁打と存在感を見せた。80年オフに阪急に移籍し、そこでも控え捕手としてチームを支えて86年に引退。その後は広島のコーチを長らく務め、西山秀二や石原慶幸らを育て上げた。現在は故郷・広島でMSH医療専門学校の監督を務めており、2014年には松浦耕大を広島に送り出している。
・永本裕章 【1970年ドラフト2位→広島(71-76)→阪急(77-79)→巨人(80)→阪急(81-85)、投手】 1952年
※盈進高から入団した広島では本格派右腕として期待され、先発から中継ぎまで幅広い活躍で75年には優勝に貢献。なおこの年の対中日シーズン最終戦においてチームメイトの山本浩二と、中日・井上弘昭との激しい首位打者争いがあったことで、満塁の場面で代打として出場した井上に対し、プロ野球公式戦史上初の「満塁での敬遠」を行っている。76年オフに阪急、79年オフには巨人にそれぞれトレードで移籍し、81年に三度トレードで阪急に復帰。そして82年にサイドスローに転向すると、いきなり覚醒し山田久志に次ぐ15勝をマーク。その後も先発の一員として活躍し85年に引退。その後は都内で会社員として第2の人生を送っている。
・ロイド・モスビー 【巨人(92-93)、外野手】 1959年
※78年のMLBドラフトでブルージェイズから1巡目で指名を受けプロ入り。83年には中堅手として打率.315 18本 81打点 27盗塁の好成績でシルバースラッガー賞を受賞。85年には37盗塁を記録し球団初の地区優勝に貢献。その後も80年代のブルージェイズの主力打者として通算280盗塁を記録するなどメジャーを代表する選手に成長した。しかしタイガースに移籍した90年以降は不振に苦しみ、92年開幕直後に巨人に入団。打線の中軸を担い、96試合の出場ながら打率.306 25本 71打点の好成績を残し、チームの最下位脱出に貢献した。93年にはブルージェイズ時代の同僚であるバーフィールドとともに再び右中間コンビを構成したが、開幕2戦目に右脇腹を故障。その後も親指を捻挫するなど故障続きの1年を送ったために大きく数字を落とし同年限りで退団となった。その後は現役を引退し、98年からはブルージェイズのコーチを務めた。状況に合わせたチームプレーを行い、陽気なパフォーマンスでチームメートやファンにも愛された選手だった。
続く
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・宮本慎也 【1994年ドラフト2位(逆指名)→ヤクルト(95-13)、内野手】 1970年
※PL学園では87年夏の甲子園でチーム唯一の2年生として出場し、優勝を経験。その後同志社大学、プリンスホテルを経て94年のドラフトでヤクルトを逆指名して入団。1年目から二塁の守備固めとして1軍に定着し、96年からは遊撃手のレギュラーに定着し97年にはゴールデングラブ賞を受賞した。オフに脱税行為が発覚し出場停止処分を受けたものの、翌99年からは2番打者に定着し、中西太臨時コーチの指導もあり2000年には初の打率3割をマーク。2001年にはプロ野球記録となるシーズン67犠打を記録するなど、チームの優勝に貢献。守備でも99年から03年まで5年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。2004年にはアテネ五輪のキャプテンを務め、チームトップの打率5割をマークして銅メダル獲得に貢献した。その後も2005年に選手会会長、2006年には第1回WBC代表とヤクルト以外でも活躍の幅を広げた。2008年からは三塁手にコンバートされ、同年も北京五輪代表にキャプテンとして選ばれるもメダル獲得はならず。2009年には三塁手として初のゴールデングラブ賞を受賞。2011年には41歳ながら打率.302、三塁手のプロ野球記録となる守備率.997を記録し自身初のベストナイン・史上最年長でのゴールデングラブ賞を獲得。そして2012年には史上2人目となる社会人出身者での通算2000安打を達成し、同年には史上3人目の通算400犠打を達成。2013年も100試合以上に出場するも現役引退を表明し、引退試合では2番・遊撃手として延長12回を戦い抜いた。引退後は主に解説者として活動中。以前には西武の新監督候補にも名が挙がっていたこともあり近いうちの指導者転身もありえない話ではある。また無類のAV好きとしても知られ、アテネ五輪の合宿では大量のAVを持ち込み、選手に配ったこともある。
・本柳和也 【2001年ドラフト9位→オリックス(02-10)、投手】 1976年
※春日部共栄高、城西大学、日本通運を経て2001年ドラフトでオリックスに入団。2年目の2003年に先発から中継ぎまで幅広い活躍で40試合に登板し5勝をマーク。2004年には自身初の規定投球回に到達するも6勝11敗・防5.61と振るわず。その後も先発・中継ぎ双方で活躍しチームを支え、2007年からはリリーフに専念。2008年には勝利の方程式の一人として、交流戦では24試合で17登板を記録するなどチーム2位の58試合に登板し、チームの2位浮上に貢献した。しかし翌2009年からは不振に陥り、2010年限りで戦力外となり引退。引退後は会社員を経て、昨年からはチームメイトだった高見澤考史が代表を務める「アーデルバッティングドーム」で勤務している。強気なピッチングスタイルと独特のフォームが持ち味の投手だった。
・ブライアン・ラヘア 【ソフトバンク(13)、内野手】 1982年
※2002年にマリナーズに入団し、2008年にメジャーデビューを果たすと松坂大輔からメジャー初安打を記録。カブスに移籍した2012年には130試合に出場し打率.259 16本塁打をマークしオールスターにも出場した。2012年オフに年俸1億8000万円の2年契約でソフトバンクに入団。開幕当初は6番打者だったが、ペーニャの故障もあり4番打者となると交流戦の広島戦では開幕から21試合連続無失点を記録していた河内貴哉から2ランを放った。しかし次第に左投手相手の極端な弱さを露呈し、終わってみれば16本塁打を放つも打率.230、121三振と期待されていた成績は残せず、オフにはスタンリッジ・ウルフ・サファテ・李大浩といった助っ人の大型補強もあったために契約が残っていたにもかかわらず同年限りで退団となった。その後は主にマイナーリーグを転々としており、2016年現在は米独立リーグでプレーしている。なおソフトバンク時代には行きつけの飲食店で生がきを食べたことで腹痛により2試合欠場したことがある。
おめでとうございます
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SMAP解散で登録名が拓也から甲斐にもどるらしい甲斐拓也さん頑張ってほしい
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デスパが本人の意思関係なくキューバ政府の意向だけでロッテ以外の球団に行くことになったら、金ない球団はもうキューバルートは使えませんね
キューバ選手が日本で活躍したら金積むだけで金持ち球団はそのキューバ選手横取りできるよ、ってことになっちゃうし
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オリックスにいた甲斐拓哉のせいだと思ってたゾ
こっちはドラ1なのにもうクビになっちゃったのね
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本柳といえばやっぱり2003年8月1日のダイエー戦(29-1)でしょう。
鈴木 0.0回 027球 04被安打 0三振 2四球 1死球 7失点 7自責●
嘉勢 1.1回 046球 07被安打 0三振 2四球 0死球 6失点 5自責
相木 1.1回 032球 05被安打 1三振 0四球 0死球 6失点 5自責
小川 0.1回 022球 03被安打 0三振 1四球 0死球 4失点 3自責
本柳 6.0回 105球 12被安打 0三振 0四球 1死球 6失点 5自責
本柳がいなかったら死んでた
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>>365
もうちょっとで33-4だったんだな
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ダイエーがあと4点取ることはできたかもしれんが
オリックスがあと3点取るのは無理じゃね?
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大引しゅごい
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いまんとこ選抜側が火ヤク庫に放火しようとして火遊びになってるだけやん!
どうしてくれんのこれ
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立教からプロ入りした2人が計10失点か…
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武内タイムリー打ってて草
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【日本選手権】
昨季までDeNAでプレーしていたJR西日本の加賀美希昇がノーヒットノーランを達成。第36回大会に三菱重工神戸の木林敏郎が達成して以来2人目の快挙です。
はえ〜
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現役
・野澤佑斗(19) (ソフトバンク・投手・2015年育成ドラフト1位)
※つくば秀英高校では本やネット動画で研究した黒田のツーシームを武器にサイドスローで活躍。荒っぽい投球ながら三振を奪うスタイルが持ち味だが、高卒1年目の今年は3軍で16試合に登板したが15.1イニングで8奪三振、防4.70とまだ本領発揮とはならず。それでも右のサイドはチームにおいても希少な存在であり、型にハマれば将来の1軍戦力になれる存在である。
OBなど
・クリス・アーノルド 【近鉄(78-80)、内野手】 1947年
※ジャイアンツでは内野全てを守れるユーティリティプレイヤーとして活躍し、78年に近鉄に入団し来日。180cm、78キロと日本人とさほど代わらない体格であり、同時期に在籍していたマニエルとは異なり、堅実な守備とシュアな打撃が持ち味だった。主に二塁手として活躍し、2年目の79年には打率.289 17本 65打点の成績でリーグ優勝に貢献し、翌80年も出場試合数は減ったものの連覇に貢献した。同年限りで近鉄を退団し、引退後は主に助っ人外国人の代理人を務めており、代表的な選手にはタフィ・ローズがいる。余談だが、NPBに在籍した全選手を50音順に並べたときに一番最初に来る選手である。
・土屋正勝 【1974年ドラフト1位→中日(75-83)→ロッテ(84-86)、投手】 1956年
※銚子商業高では73年春から4期連続で甲子園に出場。73年夏の甲子園では作新学院の江川卓と投げ合い、延長12回の末に勝利しベスト8入りを果たし、翌74年夏の甲子園では肘の故障もあったものの、後輩の篠塚和典とともに圧倒的な強さで優勝を果たした。もちろんドラフトでは高校生の目玉として注目され、1位指名で中日に入団。その期待とは裏腹に入団後も度々肘や肩の故障に悩まされたが、5年目の79年に先発5番手として1軍で台頭するもわずか2勝に終わり、その後も高校時代の球威を取り戻すことは出来なかったが、リリーフ投手として息の長い活躍を見せ、82年には優勝も経験。84年からはロッテに移籍するとここでもリリーフとして活躍し、86年には史上7人目の1球勝利を達成している。同年限りで引退しており、その後は地元・千葉の旭市で保険代理業を営んでいる。
・中西親志 【1987年ドラフト5位→ヤクルト(88-96)、捕手】 1960年
※NTT東海では都市対抗に6回出場し、27歳でプロ入り。2年目の89年から秦真司と正捕手を争ったが打撃面で伸び悩み、さらに翌年には古田敦也の入団もあったことから出場機会が減少。その古田の影に隠れる形となったが、闘志溢れる性格と打者の内角を抉るリードで野村監督からの信頼も厚く、監督曰く「日本一の控え捕手」と絶賛された。しかしその気の強さから度々乱闘を起こしており、94年に巨人・グラッデンと殴り合いに発展し、両者骨折という壮絶な乱闘を起こしている。96年に引退後はヤクルトのバッテリーコーチを2013年まで18年間務めている。
・マット・スクルメタ 【ダイエー(03)→楽天(05)、投手】 1972年
※2003年にダイエーに入団すると、最速155キロの速球を武器に巨人に移籍したペドラザの代役として抑えを務め、18登板で11セーブをマークしたが「劇場」と呼ばれるほど不安定な投球が目立ち、さらに右肩の故障もあったためにチームは優勝したものの同年限りで退団となった。その後はマイナーリーグでプレーしていたが、2005年に新設された楽天に入団。4月8日のオリックス戦では球団助っ人初の勝利投手となったがわずか5試合の登板にとどまり、ここでも1年で退団となった。その後もマイナーや独立リーグでプレーし2007年に引退。現在はソフトバンクの駐米スカウトを務めており、ホールトンやファルケンボーグらの獲得に貢献している。
・稲田直人 【2003年ドラフト5位→日本ハム(04-09)→横浜(10-11)→楽天(12)、内野手】 1979年
※広陵高校・駒澤大学・JFE西日本を経て日本ハムに入団。入団当初は金子誠を脅かす即戦力として期待され、3年目の2006年に1軍で台頭。マシーアス・飯山裕志と併用され、日本シリーズでもスタメン出場を果たした。2007年には一塁手や三塁手、代打で起用され気迫あるプレーでチームを鼓舞するムードメーカーとして活躍した。2009年には代打率4割超という勝負強さを発揮するなどチームの貴重な戦力の1人であったが、高橋信二や小谷野栄一の活躍もあり同年オフに3対3のトレードで横浜に移籍。横浜では主に左の代打やハーパーの守備固めとして起用されるも2年で戦力外となり、楽天に移籍。しかし楽天ではわずか2試合の出場にとどまりこの年限りで現役を引退。現在は主に札幌で解説者を務めており、スポーツキャスターとしても活躍している。
おめでとうございます
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退団して楽天のスタッフになると発表された直後にキャスターとして北の大地に帰った稲田。
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【社会人】日本選手権
大阪ガスの猿渡真之が鷺宮製作所戦でノーヒットノーランを達成!
JR西日本の加賀美に続いて今大会2人目、史上3人目の快挙でした。
またノーノー
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今さらだけど球辞苑が11月からレギュラー放送ってマジ?
やったぜ。
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11月7日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・八木智哉(33) (中日・投手・2005年ドラフト希望枠)
※オリックスを戦力外となり、移籍した中日では3年ぶりの白星をあげるなど4勝をあげたが、その4勝はいずれも広島で他のチームには全敗とまさに「鯉だけキラー」として異様な活躍を見せた。今年は1軍でわずか1試合の登板に終わったが、それも広島戦相手であり勝ち負けつかずながら6回1失点と相変わらずの好投を見せた。大野・小笠原・ジョーダン・バルデスと左の先発は多いだけに、かつての新人王として活路を見出したい。
・エスメルリング・バスケス(33) (西武・投手・2015年入団)
※昨年チームに入団した助っ人。制球に難があるものの150キロを越える速球を武器とし、右肘の故障で8月からは登板がなかったが、中継ぎの軸として34試合に登板し3勝1敗9ホールド、防3.63のまずまずの成績を残し、特に被本塁打はゼロだった。背番号が26から42に変更された今年は右の中継ぎとしてフル回転が求められたが7月10日のオリックス戦で5失点を喫し、それから1軍には登板できず昨年より数字を落とした。先日にはウエイバー公示の手続きが発表されており、このまま退団の見通しである。
・十亀剣(29) (西武・投手・2011年ドラフト1位)
※昨年はチームで唯一規定投球回に到達し、初の球宴出場も経験するなど自己最多の11勝をマークしたが19被本塁打は両リーグワースト。今年も開幕から先発ローテに入ったが開幕2戦目のオリックス戦で3回5失点とKOされるなど不安定な投球が続きローテから脱落。終わってみれば4勝6敗、防6.31と大きく数字を落とした。高橋光成や多和田真三郎らの台頭もある中で来季はローテ復活へ、負けていられない。
OBなど
・ディック・スチュアート 【大洋(67-68)、内野手】 1932年
※パイレーツ時代には60年に23本塁打、83打点の好成績でワールドシリーズ制覇に貢献。移籍したレッドソックスでは自己最多の42本塁打・118打点で打点王のタイトルも獲得するなど、メジャー通算227本塁打を放った。その一方で一塁守備は極端に下手であり「石の拳」という不名誉なニックネームを付けられていた。そのためメジャーでも出場機会が徐々に減少。さらに夫人との離婚問題も抱えており、その慰謝料を稼ぐべく67年に大洋に入団。プロ初先発だった江夏豊から来日初打席初本塁打を放つなど、1年目は打率.280 33本塁打をマークしメジャーリーガーの実績を見せ付けた。しかし守備難は相変わらずであり、翌68年には堅実な守備を武器とするアグリーとの競争に負け成績も低下。さらに夜遊びなど野球以外の面でも問題を起こしたために同年限りで退団となった。その後はエンゼルスに復帰したが、これが日本球界からメジャーに復帰した初めての例でもある。
・クラレンス・ジョーンズ 【南海(70-73)→近鉄(74-77)、内野手・外野手】 1941年
※10年近いマイナー生活を経てカブスでメジャー昇格を果たした苦労人。70年に南海に入団すると自慢の長打力で4年連続で30本塁打をマークし、73年にはリーグ優勝に貢献。しかし彼のもう一つの特徴は三振の多さであり、4年間で3度のリーグ三振王となる。72年こそ.292の高打率をマークしたが、それ以外は軒並み2割台前半と打率も高くはなかったために73年オフに自由契約となり翌年からは近鉄に移籍。すると同年には38本塁打で2リーグ制以降初の外国人による本塁打王を獲得。この年の打率は.226と規定到達者中最低であり(打率最下位で本塁打王は自身が初であり、後に87年の広島・ランス、11年のヤクルト・バレンティンが記録)、さらに安打数より四球数が多い(こちらは王貞治が4度、そして13年に楽天のジョーンズが達成)という珍記録も作っている。その後も三振と低打率をものともしない一発狙いの大振りで活躍し、76年には36本塁打で2度目の本塁打王を獲得。しかし77年にはついに打率1割台と低迷し、本塁打も11本と力も衰えたことで同年限りで現役を引退した。8年間で放った通算246本塁打はレロン・リーに抜かれるまで当時の助っ人最多記録であった。その後はブレーブスやインディアンスの打撃コーチを務めている。ちなみに息子のリチャードは日本で生まれ、俳優として近年では「GODZILLA」などの映画に出演している。
続く
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・福本豊 【1968年ドラフト7位→阪急(69-88)、外野手】 1947年
※言わずと知れたレジェンド選手の1人。大鉄高校から進んだ松下電器で2番打者として富士製鐵広畑の補強選手に選ばれ都市対抗ではチームの優勝に貢献。同年のドラフトで7位指名を受けたが自身が指名されていたことに気付かず、翌朝会社の先輩がスポーツ紙を読んでいたところを尋ねた際に伝えられたという。下位指名だったことからプロ入り当初は全く期待されておらず、小柄な身体だったこともありチームの先輩からも散々な言われようだったという。しかし2年目の70年から1軍に定着すると75盗塁をマークして初の盗塁王に輝く。4年目の72年には当時の世界記録を更新するシーズン106盗塁という大記録を築いてリーグ優勝に貢献しMVPも獲得。77年にはそれまで広瀬叔功が保持していた通算最多盗塁の日本記録を更新するなど70年から82年まで13年連続で盗塁王を獲得。さらに83年には当時ルー・ブロックが保持していたMLB記録を上回る通算939盗塁を達成した。このとき、当時首相だった中曽根康弘から国民栄誉賞を打診されたが「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」とそれを固辞した。同年には史上17人目の通算2000安打も達成し、翌84年には通算1000盗塁も達成し、最終的に1065盗塁まで記録を伸ばした。その盗塁を阻止すべく、クイックモーションという現在でも使われている技術を野村克也によって作られたのも有名な話である。40歳となった1988年、身売りが決まった阪急の最終試合において監督の上田利治が「去る山田、そして福本」と発言したことでファン・マスコミを巻き込んだ大騒動に発展し、最終的にそのまま現役を引退した。盗塁に目が行きがちではあるが、通算2543安打(歴代5位)、通算449二塁打(歴代2位)、通算115三塁打(歴代1位)、通算先頭打者本塁打43本(歴代1位)など打撃でも偉大な記録を作っており、盗塁の秘訣も「まず塁に出ることやね」と語るほどである。また守備でも歴代最多の12年連続12度のダイヤモンドグラブ賞を受賞している。引退後はオリックスや阪神のコーチだったが、守備・走塁コーチを務めていた阪神時代には「出塁が出来なければ盗塁もできない」という持論から打撃指導ばっかりしていたために解任されている。その後は2002年に野球殿堂入りを果たし、その後は解説者として主に活動。スコアボードに0点が並んでいる状態を見て「たこ焼きみたいやね」と言ったり、甲子園での試合において「加古川より向こうの人帰られへんね」とユーモラスな解説で知られている。
・河埜和正 【1969年ドラフト5位→巨人(70-86)、内野手】 1951年
※八幡浜工業高校から巨人に入団。長い2軍暮らしを経て5年目の74年に黒江透修に代わって遊撃手のレギュラーを獲得。類まれな強肩の持ち主でアクロバットな体勢から難しいゴロを捌く守備で人気を博した。77年には規定打席に到達し打率.294をマークして優勝に貢献し、ベストナインも獲得。81年の日本シリーズではチャンスメーカーとして全試合に先発し日本一の大きな原動力となった。その後も84年まで遊撃手のレギュラーを守ってきたが、85年4月の阪神戦でなんでもないフライをグラブに当てて落球。この失策を機にそのイニングに一挙7得点をあげ、さらに翌日のバックスクリーン3連発もあったことで21年ぶりの優勝を譲ってしまった。その普段からは考えられない凡ミスの精神的後遺症もあったことからその後も失策を連発し2軍に降格。岡崎郁にポジションを譲って翌86年に現役を引退した。その後は巨人のスカウトやコーチを歴任し、現在はジャイアンツベースボールアカデミーの校長を務めている。なお弟の敬幸と兄弟そろって通算1000安打を達成しており、これは日本人兄弟としては唯一の記録である(他はリー兄弟のみ)。
続く
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・山崎武司 【1986年ドラフト2位→中日(87-02)→オリックス(03-04)→楽天(05-11)→中日(12-14)、内野手・外野手・捕手】 1968年
※愛工大名電高では甲子園出場はないものの通算56本塁打を放ち、巨人への入団を希望していたが中日の指名を受けたが同じ境遇だった星野仙一が監督に就任したことで巨人に対し敵対心を抱くようになった。入団当初は捕手であったが89年の試合では盗塁王を狙う正田耕三に5盗塁を許したこともあり、外野手に転向。なかなか1軍で結果を残せなかったが、9年目の95年に初の2桁本塁打を記録すると96年には再び監督に就任した星野仙一による減量命令もあってか、レフトのレギュラーに定着。松井秀喜やチームメイトの大豊泰昭とのタイトル争いを制し39本塁打で本塁打王、そしてベストナインのタイトルを獲得する。しかし翌年は開業したナゴヤドームにうまく対応できず成績を落とし、大豊の移籍もあって一塁手に転向。99年には主に6番打者として活躍し特にシーズン終盤の阪神戦では福原忍から劇的なサヨナラ逆転3ラン、通称「Xムラン」を放つなどリーグ優勝に大きく貢献するも、その後左手首を骨折し日本シリーズも欠場した。翌年からはフォームを変えて打率.311と高打率をマークしたがフロントから本塁打の少なさ(同年は18本)を指摘され、翌年はチーム最多の25本塁打を放つも今度は打率と打点(.238 51打点)を指摘されたことで、一時はFA宣言するも新たに就任した山田久志監督に慰留され残留。しかしこの山田監督とも確執を起こし、翌年オフに自ら直訴してオリックスにトレードで移籍。2003年こそはチーム日本人最多の22本塁打を放つも、翌年は伊原監督とのトラブルを起こして成績が大幅に低迷し戦力外となった。そして2005年に新球団・楽天に入団。田尾安志監督によるフォーム改造が功を奏し、かつての長打力が復活し同年はチーム最多の25本塁打を記録。また同年には19年目にして通算1000安打を達成。翌年から就任した野村克也監督とは師弟関係を結び、2007年には自己最多の43本塁打・108打点をマークして11年ぶりの本塁打王を獲得し、史上3人目の両リーグ本塁打王となる。その後も楽天の主砲としてチームの初Aクラス入りにも貢献し、2011年には史上17人目の通算400号も達成するが、若返りを図るチームの意向で同年限りで戦力外となった。そして2012年には10年ぶりに中日に復帰。2013年にはリーグ最年長のサヨナラ打を古巣の楽天相手に放つなど数々の年長記録を作ったが同年限りで現役を引退。翌2014年のオープン戦(対楽天)で支配下登録に復帰し、則本と対戦した最終打席は併殺打だった。引退後は主に解説者を務める傍らで、現在はアマチュアドライバーとしてモータースポーツでも活動の幅を広げている。
・レス・ウォーランド 【横浜(09)、投手】 1976年
※ロイヤルズで2003年にメジャーデビューを果たし、2005年には韓国・LGツインズでプレーするも4勝10敗1セーブ、防5.04と結果を残せず。その後はマイナーリーグでプレーしていたが2008年オフに横浜と契約を結び入団。エースの三浦大輔以外がほぼ投壊状態というチームにおいて粘り強く先発ローテを守り5勝10敗、防4.80と奮闘したが結局1年限りで解雇となった。その後は韓国球界に復帰し、プレーを続けた。なおヒーローインタビューの際に帽子を盗まれたり、試合中にスポーツドリンクを飲みすぎて体調不良を起こしたりと小ネタの多い選手であった。
・糸数敬作 【2006年大社ドラフト3位→日本ハム(07-13)、投手】 1984年
※亜細亜大学では2006年秋に5勝、防0.76をマークするなどチームの優勝に貢献し、明治神宮野球大会でも4年ぶりの優勝に導いた。同年のドラフト3位で日本ハムに入団し、即戦力として期待されるも2年間で1軍登板はなかった。それでも3年目の2009年にフォームをオーバースローからサイドスローに変更したことで先発ローテの一員として活躍。序盤はなかなか援護を得られず6月末にようやくプロ初勝利をあげ、その後はチームの連敗を止めたり、チームの9連勝中に完投勝利をあげるなど故障で離脱したダルビッシュの穴を埋めて優勝に貢献。CS第2戦でも楽天・岩隈に投げ勝ったが、日本シリーズ第3戦ではオビスポと投げ合って敗れている。翌年は2軍で最優秀防御率のタイトルを獲得するも、1軍では結果を残せず。2011年にはロッテ戦でプロ初完封勝利をあげるも不安定な投球で1軍定着とはならず、その後も2軍のエース止まりの活躍が続き2013年に戦力外となり引退。現在は地元・沖縄でダイビングショップを開業しており、今年の6月には54年ぶりに沖縄で行われたパリーグ公式戦のオリックスVS楽天において解説者としても出演した。
おめでとうございます
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当時炭も裸足で逃げ出す程の暗黒期過ぎて、言われるまでオリックス山崎武司を思い出せなかった
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山崎は楽天に来て良かったなあ
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山崎は楽天で必要崎となることが出来た
山崎以降30本塁打がいないのもある意味すごい
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楽天時代の山崎の応援歌が一番好きでした
おめでとうございます
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小学生の時山﨑武司に受験応援してもらつた
それからずっとファン
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戦国懐かしい
U23はこのままいきそうかな
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U23優勝おめでとナス!
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日本代表エース本田圭祐とかいう誤解を招くワード
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U23優勝おめでとう!
若くて主力じゃない選手にとってはいい経験ですねクォレハ...
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>>387
http://i.imgur.com/cJNyasS.jpg
この面構えはまさにエースですわ
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強化試合は武田、野村、石川、石田が先発で田口、藤浪、増井、千賀が第二先発でこの8人は3から4イニングか
4試合の強化試合だからだれが調子いいかを見極めてそっからの勝ち継投を云々というよりかは
継投のとき、事前にちゃんとブルペンに連絡して適切な準備をさせてっていう段取りを確認するってのが第一義かな
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横浜DeNA ベイスターズは、7日、ジョー・ウィーランド投手と2017 年シーズンの選手契約を結ぶことで合意したと発表。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161106-00000508-san-base
まあ手放しで讃えていいチーム成績ではないとは思うけど
独走の責任は巨人横浜以外の3チームがほとんどなんですがそれは…
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昨季はメジャーで1試合に先発、3Aでは通算26勝
http://full-count.jp/2016/11/07/post50271/
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>>393
防御率微妙だけど先発投手はあっちでも需要過多だから仕方ないですね
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ウォーランドの誕生日にウィーランド獲得は面白いと思う
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11月8日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・上本達之(36) (西武・捕手・2002年ドラフト6位)
※昨年は1軍で6試合の出場にとどまり、オフには旅行中に車がパンクするなど災難続きに終わったが、今年は主に代打要員として打率.307とシーズン通して好調をキープし、67試合と出場機会を大幅に増やした。松坂世代の1人で既にベテランの域に入ったがチームにはまだまだ欠かせない選手である。
・天谷宗一郎(33) (広島・外野手・2001年ドラフト9位)
※1軍での出場機会は年々減少傾向にあるものの、今年は開幕2戦目での決勝タイムリーや、5月のヤクルト戦でのサヨナラ打と随所で勝負強さを発揮。しかし6月以降はわずか2安打に終わり、打率.175と結果を残せず。FA権も行使せず来季の残留が決定し、外野の層が厚くなったチームにおいて、まだまだ負けていられない。
・金子千尋(33) (オリックス・投手・2004年ドラフト自由枠)
※2014年の沢村賞投手も、昨年は故障もあり規定投球回に届かず7勝どまり。今年は2年ぶりの完封勝利・規定投球回到達を果たし、史上133人目の通算100勝も達成したが7勝9敗と初めて負け越しを喫するなど完全復活とはならず。チーム生え抜き最古参となった来年はエースとして最下位に沈んだチームを引っ張りたいところ。
OBなど
・鈴木圭一郎 【セネタース・東急・急映・東映(46-56)、捕手】 1922年
※中外商業・華北鉄道を経て46年にセネタースに入団。チームが東急になった49年ごろから出場機会を増やし、50年代のチームの正捕手として活躍。特に52、53年には2年連続で全試合フルイニングで出場するなどその頑丈さに定評があり、またリード面でも評価され、一時期ヤンキースからメジャーへのスカウトを受けたほどでもある。56年に現役を引退。青バットで有名な大下弘は小学校の同級生だった。
続く
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・藤本博史 【1981年ドラフト4位→南海・ダイエー(82-98)→オリックス(98)、内野手】 1963年
※天理高校では2年夏の甲子園に4番打者として4強入りに貢献。82年に南海に入団すると、徐々に力を付け7年目の88年にレギュラーに定着。門田博光に続く和製大砲として期待され、岸川勝也とともに将来の4番候補に名を連ねた。最終的には92年の20本塁打が自己最多とどちらかというと中距離打者に成長したが、状況に応じて逆方向にも打てる器用さと、選球眼の高さを武器に黎明期のダイエーにおいて貴重な戦力として活躍し90年には史上42人目のサイクル安打も達成。94年には松永浩美の入団もあって三塁手のレギュラーを奪われるも、大田卓司コーチの進言もあり二塁手に転向。その後も勝負強い打撃で幾度となくチームの勝利に貢献した。98年にオリックスに移籍し同年限りで引退。その後は解説者や居酒屋経営を経て2011年からはソフトバンクのコーチとして柳田悠岐らの育成に貢献。来年からは再び1軍打撃コーチに就任する。トレードマークはヒゲであり、同じく口ヒゲをたくわえていたトラックスラーとの一二塁間はチームの名物となっていた。
・平井光親 【1988年ドラフト6位→ロッテ(89-02)、外野手】 1966年
※東福岡高校・愛知工業大学を経てロッテに入団。3年目に外野手のレギュラーに定着すると開幕から打撃好調をキープ。オリックス・松永浩美と熾烈なタイトル争いを制し、規定打席ちょうどの打率.314で首位打者のタイトルを獲得。また同年の111安打は2リーグ制以降の首位打者としては史上最少である。その後もシュアな打撃と堅実な守備で90年代のロッテで活躍し、98年には首位打者の年を超える打率.320(リーグ2位)をマーク。2002年に現役引退を発表し、引退試合では近鉄・門倉健からタイムリー二塁打を放ち自ら花を添えた。その後はロッテの編成担当を経て2006年からは2軍打撃コーチ補佐を務め、その後は2014年まで球団振興部テクニカルコーチとして海外の提携球団や千葉県内の野球教室で指導者として活動した。
・金子誠 【1993年ドラフト3位→日本ハム(94-14)、内野手】 1975年
※常総学院では甲子園に3度出場。93年のドラフトで日本ハムに入団すると3年目の96年に二塁手のレギュラーに定着。打率.261・リーグ最多の38犠打を記録して同年の新人王に輝く。その後は堅実な打撃と守備でチームを支え98,99年にはGG賞を獲得。2002年からは田中幸雄の三塁コンバートもあり遊撃手に転向。2006年には選手会長となり、主に9番打者としてリーグ優勝に貢献し、日本シリーズでは攻守にわたって大活躍を見せて日本一にも貢献した。2009年にはプロ野球新記録の7試合連続二塁打、自身12年ぶりの2桁本塁打、そして初の打率3割をマークするなど「恐怖の9番打者」として活躍し再び優勝に貢献した。その後もベテラン遊撃手として活躍するも2013年ごろから大引啓次の加入や中島卓也の台頭もあり、2014年に2000試合出場まで残り4としていたが現役を引退。その後はチームのチーム統括本部特命コーチに就任し、昨年には解説者としても活動。そして今年からは日本ハムの1軍打撃コーチに就任し、チームの優勝に再び貢献した。愛称は「マック」。
・ビクトル・マルテ 【広島(06-08)、投手】 1980年
※2003年にカープアカデミーに入り、2006年に広島の支配下登録となり入団。最速158キロの速球とスライダーやチェンジアップ・ナックルを武器とし、2軍では主に守護神として活躍。2006年には12試合に登板し防1.59・WHIP0.97と堂々のデビューを果たした。しかしその後は1軍で打ち込まれ、2008年には2軍で最多セーブのタイトルも獲得したが1軍での出番はなく、同年限りで退団。2009年にはロイヤルズに入団し同年9月にはメジャーデビューも経験。2012年にはカージナルスの中継ぎとして48試合に登板するなど飛躍を果たした。現在も一応現役ではあるが2013年オフ以来、フリーエージェントの状態が続いている。
おめでとうございます
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【ゴールデングラブ賞】
▼ セ・リーグ
投:菅野智之(巨人)
捕:石原慶幸(広島)
一:ロペス(DeNA)
二:菊池涼介(広島)
三:村田修一(巨人)
遊:坂本勇人(巨人)
外:丸 佳浩(広島)
外:大島洋平(中日)
外:鈴木誠也(広島)
▼ パ・リーグ
投:涌井秀章(ロッテ)
捕:大野奨太(日本ハム)
一:中田 翔(日本ハム)
二:藤田一也(楽天)
三:松田宣浩(ソフトバンク)
遊:今宮健太(ソフトバンク)
外:秋山翔吾(西武)
外:陽 岱鋼(日本ハム)
外:糸井嘉男(オリックス)
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2016年度のゴールデングラブ賞が発表されました
セ・リーグ
投手:菅野智之(巨) ※初
捕手:石原慶幸(広) ※初
一塁手:ロペス(De) ※3年ぶり2度目
二塁手:菊池涼介(広) ※4年連続4度目
三塁手:村田修一(巨) ※2年ぶり3度目
遊撃手:坂本勇人(巨) ※初
外野手:丸佳浩(広) ※4年連続4度目
大島洋平(中) ※3年連続5度目
鈴木誠也(広) ※初
パ・リーグ
投手:涌井秀章(ロ) ※2年連続4度目
捕手:大野奨太(日) ※初
一塁手:中田翔(日) ※2年連続2度目
二塁手:藤田一也(楽) ※2年ぶり3度目
三塁手:松田宣浩(ソ) ※4年連続5度目
遊撃手:今宮健太(ソ) ※4年連続4度目
外野手:秋山翔吾(西) ※2年連続3度目
陽岱鋼(日) ※2年ぶり4度目
糸井嘉男(オ) ※2年ぶり7度目
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秋山とかUZRマイナスですね
今年のプレーなんか見てないんでしょう
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まぁ去年の鳥谷が取ってた賞だし
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打撃の成績も混みのバイアスかかりまくった記者投票で決まるラミレスに票が入る賞に何をいまさら
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いっそゴールデングラブ賞DH部門でも作ればいいんじゃないですかねぇ(白目)
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ああやはり畏れ多かったのか 最下位チームのショートがGG賞を獲ろうだなんて…
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指標が全てとは言わんが所詮はたかが記者投票よ
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藤田は流石に草
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パ・リーグのセカンドはまあ消去法と過去の受賞者からってことでしょう
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パでセカンドが完全固定されてたのって西武浅村くらい?
なら藤田だな、という考え方なら納得
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正直、ロペスが意外なくらいですね……
4票差の大接戦でしたが
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>>408
守備指標石川以下じゃなかったっけ?
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UZR見ようとデルタのサイト開いたらサーバー落ちてて草
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パのセカンドは各チーム有資格者がいるけどね
田中142、本多108、ナバーロ81、浅村142、藤田119、西野142試合
規定守備(=チーム試合数2/3以上出場、規定打席ではない)割れもナバーロだけだし
142/143試合でそのポジション守ってる選手は完全固定できてるといって差し支えないんじゃないの
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まあ藤田を選ぶ理由がイメージ以外に考えられんよね
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前田は新人王最終候補の3人に残ったんだ
とはいえショートで.308の26本72点のシーガーのほうが強そうだけど
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満票でシーガーもありそう
MVPにもノミネートされてるし
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書き込み自体はできることを今さっき知りました(池沼)
11月9日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・ジェイソン・スタンリッジ(38) (ロッテ・投手・2007年来日)
※ソフトバンクでは2年連続で2桁勝利をあげチームの連覇に貢献。自身3球団目となったロッテでも先発ローテの一員として活躍し、8勝に終わるも6年連続で規定投球回に到達し、イニング数と防御率は昨年を上回る成績を残した。いよいよ来日10年目となる今年も現役続行の意向を示しており、最年長の投手としてもチームを引っ張りたいところ。
・大島洋平(31) (中日・外野手・2009年ドラフト5位)
※今年は2012年以来4年ぶりに全試合に出場し、7月20日の広島戦では史上64人目のサイクル安打を達成するなど1番打者として活躍。守備でも昨日、球団外野手では史上最多となる5度目のGG賞も獲得した。オフにはFA宣言する可能性も報じられたが森繁和の積極的な動きもあり残留を表明。通算1000安打も目前と迫っており、引き続きチームのリードオフマンとして活躍が期待される。
・大坂谷啓生(24) (楽天・内野手・2014年育成ドラフト2位)
※球団新人初の青森県出身選手であり、俊足と強肩を武器に、昨年は三塁や遊撃でプレーするもいずれも守備率8割台と課題を残し、打撃でも1割台前半とプロの壁にぶち当たる1年を昨年は過ごした。そして今年は練習中に左頬を骨折するなど災難に見舞われ、2年目ながらオフには戦力外となった。本人は現役続行を希望しており、後日行われるトライアウトにも参加予定である。
続く
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OBなど
・ジョナサン・ナナリー 【オリックス(00)、外野手】 1971年
※1995年にロイヤルズでメジャーデビューを果たすと、その試合でメジャー初打席初本塁打を記録。その後も準レギュラーとして各球団で活躍し、メッツに所属していた2000年には東京ドームで行われたカブスとの開幕戦で来日。その3か月後にニールらの不振に苦しんでいたオリックスに入団が決まり再来日することとなった。6月28日の近鉄戦で初出場を果たすとその第1打席で前川勝彦から本塁打を放ち、これで史上初となる日米での初打席初本塁打を達成。しかし最終的には42試合で打率.165 5本 15打点とチームには貢献できず1年限りで退団となった。その後は2005年までマイナーリーグでプレーし、2010年からは2年間、インディアンスのコーチも務めている。
・庄田隆弘 【2003年ドラフト6位→阪神(04-10)、外野手】 1979年
※智辯学園高では1年夏の甲子園からレギュラーとして活躍し、福留孝介らを擁するPL高校を破るなど4強入りに貢献。3年夏の甲子園でもベスト16までチームを導いた。その後は明治大学を経てシダックスに入団し、2003年には野村克也監督のもとで都市対抗準優勝に貢献。俊足の左打者として期待され同年のドラフト6位で阪神に入団。1年目から2軍で活躍し、4年目の2007年に1軍初昇格。主に代打として起用され、同年活躍した桜井広大・坂克彦とともに「3S」と呼ばれ期待の若手として注目された。2008年には少ない打席数ながら打率3割をマークし、2軍でもリーグ2位の打率.290・出塁率.371をマーク。しかしその後は目立った活躍はできず2010年限りで戦力外となり現役を引退。現在は主に中学生や阪神のジュニアチームの指導者として活動している。
・トニー・バーネット 【ヤクルト(10-15)、投手】 1983年
※ダイヤモンドバックスでは2009年に3Aで14勝をあげて最多勝となるもメジャーデビューは果たせず、翌年ヤクルトに入団。1年目は先発として4勝をあげるも制球難や痛風に悩まされ結果は残せず。いったんは戦力外となるも獲得予定だったペ・ヨンスがメディカルチェックに合格しなかったことを受けて急遽再契約を結び残留。すると翌年は中継ぎに回るとセットアッパーに定着。チームの首位快走に貢献し自身最多の22ホールドをマークするも9月に右手首を骨折したことで離脱し、そのままチームは優勝を逃してしまった。翌2012年はそれまでクローザーを務めていた林昌勇の不調もあってクローザーを任され、中日・岩瀬仁紀と並んで33セーブをマークして最多セーブのタイトルを獲得。しかし、中日とのCSでは第3戦でブランコに逆転満塁本塁打を喰らってしまう。2013年も引き続きクローザーを務めるも、投球内容は悪化し肉離れの影響もあり47試合で1勝8敗7セーブ、防6.02と散々な成績に終わる。さらに2014年には14セーブをあげるも左十字靭帯を断裂したことでシーズンの半分近くを棒に振るなど苦しいシーズンが続いた。そして迎えた昨年は開幕から絶好調で、23試合連続無失点を記録するなど守護神として堂々の活躍を見せ、オンドルセク・ロマンの両助っ人とともに強力な勝利の方程式を構築。最終的には阪神・呉昇桓とともに助っ人歴代最多タイとなる41セーブをマークし、3年ぶりの最多セーブ投手となり、チーム14年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。そしてオフにレンジャーズと契約を結び渡米。開幕2戦目のマリナーズ戦で念願のメジャーデビューを果たし、この試合ではかつての同僚である青木宣親に適時打を打たれるなどで敗戦投手となったが、シーズン通して好調をキープし、最終的には53試合で7勝3敗、防2.09の好成績でチームの地区優勝に貢献。もっさりとしたヒゲが特徴的であり、特に昨年はチームメイトのオンドルセクとほとんど見分けがつかないことで話題になった。また試合を締めくくる際のガッツポーズ(通称ダンス)や、度々のブチギレなど各方面で鮮烈な印象を残した人気助っ人の1人でもある。
おめでとうございます
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スタンはいつまでやれるかな
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日ハムは山口と交渉断念か
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本田圭佑の背番号4検討は流石に草
まあ期待の若手と呼ばれるに相応しい活躍はしたからね
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スタンリッジの息子も大きくなったんだろうな
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前に背番号4付けてた人くらいの活躍ができるといいですね
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徹底的に名前でイジッていくスタイルか
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背番号昇格←お〜ええやん
4←ええ……
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11月10日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・岩瀬仁紀(42) (中日・投手・1998年ドラフト2位)
※402セーブをあげた絶対的守護神も昨年は1軍登板なしに終わり、年俸も3億から5000万に一気にダウン。今年は4月に2年ぶりの1軍登板を果たし8月6日は史上3人目の通算900登板を達成。しかしシーズン通して打ち込まれ、15試合で防6.10に終わった。現役最年長選手となる来季、果たして復活なるか。
・トニ・ブランコ(36) (オリックス・内野手・2009年来日)
※中日・DeNAで活躍したドミニカの大砲も、昨年は故障を繰り返して1軍と2軍の往復が続き52試合で打率.194 9本。今年は22-6と大敗した試合で2打席連続本塁打を放つなど一時は打率3割をマークしたが結局その後は低迷。来日最低の3本塁打に終わり、来季の残留は非常に厳しいものとなった。自身は現役続行希望だが果たして。
・牧田和久(32) (西武・投手・2010年ドラフト2位)
※昨季は自身初の開幕投手を務めるも援護率2.70と好投しても勝ち星がつかないことも多く、夏場は抑えに回るなど9勝11敗。今年からは中継ぎに転向し、場面問わずこくs…様々な場面で起用され、オールスターにもファン投票で選出された。右膝の故障で1ヶ月ほど離脱はしたものの50試合に登板し7勝1敗25ホールド、防1.60と中継ぎとしてもきっちり結果を残した。果たして辻新監督は彼を来季どのように起用するのか注目だ。
・西勇輝(26) (オリックス・投手・2008年ドラフト3位)
※昨年はリーグトップのQS率83.3%、リーグ2位の防2.38と非常に安定して好投を続け、2年ぶりの10勝をマーク。侍ジャパンの一員としてもプレミア12にも出場した。しかし今年は開幕から不安定な投球が続き、一時は2勝8敗と大きく負け越していたが、後半戦はソフトバンクから4勝をあげるなど何とか巻き返し2年連続の10勝をマークした。防御率は4.14と自己ワーストになったものの、毎年安定して先発として投げ続ける彼はチームにとって大きい戦力。金子やディクソンとともに来季のチーム再建に貢献したいところ。
・坂本誠志郎(23) (阪神・捕手・2015年ドラフト2位)
※履正社高では山田哲人の1年後輩であり、明治大学ではチームメイトで同じく阪神に入団した高山俊らと活躍。1年目の今年は7月に1軍デビューを果たすと、黒田が日米通算200勝を達成した広島戦ではその黒田からプロ初安打を記録。その後は主に能見とバッテリーを組みプロの舞台を存分に味わった。高校・大学、さらには大学時代の日本代表の全てで主将を務めるなどリーダーシップにも定評があり、将来大物捕手になれる可能性は十分に期待できる。
・園部聡(21) (オリックス・内野手・2013年ドラフト4位)
※高校通算59本塁打を放った「和製ブーマー」。高校時代から痛みに悩まされていた右肘の手術の影響で昨年は育成選手として1年を過ごし、今年は6月に2軍で打率.308 5本と打棒が爆発し月間MVPも受賞。7月1日に支配下復帰も果たし、念願の1軍デビューを果たした。2軍では打率.299 9本と昨年までより大幅に打撃が成長し、シーズン終盤の9月には中田翔から譲り受けたバットでSB・森からプロ初本塁打もマーク。若き和製大砲候補として今後の飛躍が期待される選手。
OBなど
・西村幸生 【大阪(37-39)、投手】 1910年
※宇治山田中学から、愛知電機鉄道を経て31年に関西大学に入学。彼が入団したことで同行の野球部は黄金時代を迎え、32年春から36年秋にかけて、一時的にリーグを脱退していた34年を挟んで実に8連覇を達成。その主将・エースとして活躍したことで名声を博し、卒業後はプロ・アマの双方で争奪戦が巻き起こった。その中で同じ宇治山田市出身で巨人のエースだった沢村栄治との対戦を望んで、自ら大阪タイガースに入団。大学時代に比べ球速は落ちていたものの、自慢の制球力で打者を次々と手玉に取り、1年目から9勝をマーク。その後37年秋にはチームのエースに成長し、本拠地甲子園で行われた巨人との一騎打ちで完投勝利をおさめ、チームの優勝を自らの手で決めた。同年のMVPはイーグルスのバッキー・ハリスに譲るも15勝3敗・防1.48の好成績で最多勝・最優秀防御率のタイトルを獲得。同年12月に行われた巨人との年度選手権決定試合では登板した3試合全て完投勝利し、こちらでも胴上げ投手となった。その後もタイガースだけでなく職業野球の看板選手として活躍し、38年春にも最優秀防御率のタイトルを獲得し、2年連続の年度優勝に貢献。しかし39年ごろから肩の故障に悩まされ、同年限りで退団。その後は満州に渡り、実業団だった新京電電でプレーするも同年限りで引退。そして戦況が激しくなった1944年3月に応召し、翌年4月にフィリピン・ルソン島の戦地でこの世を去った。それから32年後の1977年に、野球界に対する貢献を称えて特別表彰で野球殿堂入りを果たしている。
続く
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・岡村浩二 【阪急(61-71)→東映・日拓・日本ハム(72-74)、捕手】 1940年
※高松商業高では後に東映に入団する石川陽造とバッテリーを組み、57年春・58年夏の甲子園でいずれもベスト8入りに貢献。その後石川とともに立教大学に進むも自身は2年で中退し61年に阪急に入団。3年目の63年には正捕手に定着し、打率こそは低いが一発長打を秘めた打撃を武器に活躍。南海の野村克也の陰に隠れがちではあったが、60年代のパリーグを代表する捕手の一人へと成長した。67年からのチームの3連覇にも大きく貢献しており、69年にはライバルであった野村を押しのけて初のベストナインを獲得。しかし、この年行われた巨人との日本シリーズでは第4戦でクロスプレーに対する際どい判定に対し、球審に激昂したために日本シリーズ史上初の退場処分を受けている。その後71年にもリーグ優勝に貢献したが、同年オフに種茂雅之との「正捕手+立教大学出身同士」という珍しいトレードで東映に移籍。しかし東映では出場機会を稼げず74年に現役を引退した。その後は故郷に近い高松市で飲食店を経営している。
・基満男 【1966年ドラフト外→西鉄・太平洋・クラウン(67-78)→大洋(79-84)、内野手】 1946年
※報徳学園・駒澤大学を経て、高校の先輩である西鉄の深見安博スカウトの紹介でテストを受け、合格して西鉄へ入団を果たす。技術習得のために自ら授業料を払って教えを請うなど努力家の面を見せ、1年目からレギュラーに定着。4年目のオフには黒い霧事件で嫌疑かかかったものの八百長の以来を断り、報酬を渡されても拒否したことが認められ、既に球団から出場停止となっていたことも踏まえて処分は戒告に留まった。その後6年目の72年には打率.301 20本 25盗塁の好成績でベストナインを受賞しパリーグを代表する二塁手へと成長。その後は年によって成績が上下したがチームの主力として活躍し、チームの所沢移転が決まった78年オフにトレードで大洋に移籍。80年には別当薫監督から振り子打法を習得し、同年には自己最高の打率.314を記録しダイヤモンドグラブ賞とベストナインの双方を獲得。その後は年々出場機会を減らしながらも息の長い活躍を続け、84年に引退。その後は大洋や日本ハムのコーチや解説者を務めている。守備には定評があり、特に二塁守備での「ウッドペッカー」と呼ばれる独特のトスを武器としていた。
・ラリー・パリッシュ 【ヤクルト(89)→阪神(90)、内野手】 1953年
※メジャーでは15年間で通算256本塁打を記録し、その実績を引っ提げて89年にヤクルトに入団。その実力は本物で開幕から本塁打を量産。最終的には全試合に出場し42本塁打・103打点の見事な活躍で本塁打王のタイトルを獲得しベストナインにも選出された。しかしその反面で三振も多く、イケトラコンビとの主軸は「100三振トリオ」とも呼ばれていた。三振した後にはベンチで暴れることも多かったために、ストレス解消のためにも「ラリー君人形」なるサンドバッグが置いてあったという。その荒っぽい打撃は新たに就任した野村監督に評価されず、たった1年で解雇されてしまう。その後フィルダーの退団で代役を探していた阪神が獲得して入団。阪神でも前年同様、本塁打を量産していたが古傷であった膝が徐々に悪化。8月終盤の時点でリーグトップの28本塁打を放っていたが、シーズン途中で突然の引退を発表し当時の話題をさらった(結局同年の本塁打王は中日・落合が34本で獲得)。引退後の98年にはデトロイト・タイガースの監督に就任し、木田優夫をはじめとした選手を率いた。その後はタイガースのマイナーの監督を引き続き務め、2005年から2007年には地区3連覇を達成している。現役時代は巨人の斎藤雅樹を大の苦手としており、名前を聞くだけで拒否反応を示していたという。またワニの肉が好物であることもファンの間で話題となった。
・高橋三千丈 【1978年ドラフト1位→中日(79-84)、投手】 1956年
※静岡商業高時代は荒れ球の剛球投手として名を馳せ、74年夏の県大会では3試合連続ノーノーも達成。その後は明治大学に進み、同期の鹿取義隆と2枚看板で活躍し、78年のドラフト1位で中日に入団。即戦力の先発として期待されるも、右腕の血行障害を患ったことで2年目以降は登板機会が減少。83年には球団初の「無補殺完封」を記録するもこれが最後の白星となり84年限りで引退。その後は中日の投手コーチを約20年間務め、その情熱的な指導で数々の若手投手を育て上げた。その後は韓国プロ野球でも指導者として活躍し、現在は名古屋産業大学の監督を務めている。
続く
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・グレッグ・ラロッカ 【広島(04-05)→ヤクルト(06)→オリックス(07-10)、内野手】 1972年
※パドレスやインディアンスを経て2004年に広島に入団。当初は内野ならどこでも守れる中距離ヒッターという触れ込みであり、さほど注目されていなかった。しかし、シーズンが始まると嶋重宣とともに高打率を維持し、前半戦だけで26本塁打を記録。後半戦からは4番打者となり打率.328 40本 101打点、さらには最高出塁率のタイトルも獲得するなど1年目から見事な成績を叩き出し、さらにはチームトップの11盗塁も記録した。翌年も打率3割をキープしたが、度重なる故障で80試合の出場に終わり、同年限りで戦力外となりヤクルトに移籍。ラミレスやリグスとともに強力な中軸を形成し、故障もありながら103試合で打率.285 18本とまずまずの成績を残したが、結局1年限りで退団しオリックスに移籍。オリックスでは三塁手として起用され、全打順本塁打を記録するなど3番打者として再び打率3割をマーク。そんな中で同年はプロ野球記録を更新するシーズン28死球をマークし、記録達成時には観客に向かって手を振ったり、死球を与えた清水直行にも一礼する異様な光景が見られた。しかしその後は故障続きでシーズン通して戦うことが出来ず、2010年にはバルディリスの台頭もあり同年限りで現役を引退した。先述通り死球の多い選手としても知られわずか7年のプレーで歴代13位の通算109死球を記録し、契約更改時のアップ分には死球の治療費が盛り込まれるほどだった。引退後はそのままオリックスに残り、現在は駐米スカウトを務めている。
・河端龍 【1998年ドラフト5位→ヤクルト(99-08)、投手】 1976年
※龍谷大学では2度のMVPに輝くなどエースとして活躍し、98年のドラフトで同期の本郷宏樹とともにヤクルトに入団。2年目の2000年には右肘の手術で丸1年を棒に振ってしまうが翌年復活を果たし、中継ぎに定着。41試合に登板して防3.20と安定した成績を残しリーグ優勝・日本一に貢献した。その後もチームのセットアッパー的存在として21世紀初頭のヤクルトを支え、2004年には自己最多の61試合に登板。しかし2006年以降は度重なる故障や、新たな中継ぎたちの台頭もあり、2年間1軍で登板できず2008年に引退。最後は3年ぶりに1軍のマウンドに帰り、有終の美を飾った。現在は球団の広報として引き続きスワローズの一員として活動している。
・古木克明 【1998年ドラフト1位→横浜(99-07)→オリックス(08-09)、外野手・内野手】 1980年
※豊田大田に高校では甲子園に2度出場し、99年夏の甲子園ではチームを準決勝まで導いた。同年のドラフトでは松坂大輔の外れ1位で横浜に指名され入団。3年目までは2軍生活が続いたが、4年目の2002年に2軍で好成績を残したことから1軍に昇格されると32試合の出場ながら打率.320を記録し、桑田や山本昌、岩瀬といったエース級の投手から次々と一発をお見舞いするなど最終的に9本塁打を放つなど鮮烈な活躍を見せた。翌2003年は主に三塁手として起用され長打力を武器に22本塁打を放ったものの打率.208、131三振(リーグワースト2位)、得点圏打率.121で37打点、さらに守備でもリーグ最多の20失策と攻守問わず粗い面が目立ってしまい、特にオフには守備難を克服させるべく親会社からダンストレーニングを課されてしまうほどだった。翌年からは外野手にコンバートされたものの、多村・佐伯・金城と外野のレギュラーがほぼ固定されていたこともあり代打出場がメインとなり、チャンスはあったもののそれも生かせなかった。2007年オフにトレードでオリックスに移籍するも1軍で結果を残せず2009年限りで現役を引退。するとその直後に格闘家に電撃転向。2010年の大晦日にはアンディ・オロゴンと対戦するなど話題を呼んだが結局1年足らずで格闘家は引退。その後は野球に再挑戦し、2013年にはハワ イの独立リーグでプレーし同年限りで再び現役を引退。現在は宮城県においてスポーツを通した震災復興支援事業を行う一般社団法人を設立しその代表を務めている。発言やプレーにネタが多く、様々な逸話が残る選手でもあり人気も高い。
・星秀和 【2004年ドラフト5位→西武(05-13)、外野手・内野手・捕手】 1986年
※前橋工業高時代から「伊東勤2世」と呼ばれており、期待の高い選手だったが俊足と打力を活かすべく、入団直後に内野手に転向。しかし1軍定着とはならず2008年からは徐々に外野手としての出場が多くなる。2010年には主に守備固めとして自己最多の33試合に出場し、翌2011年からは正式に外野手登録となった。そして8年目の2012年の楽天戦では既に炭谷や上本、捕手経験のある米野がベンチに下がり、星孝典が退場処分となったことから自身に白羽の矢が立ち、ついに1軍で初めてマスクを被った。しかし翌2013年に戦力外となり、2014年にはBCリーグ・群馬でプレーするも1年で引退。現在はGG佐藤の父が社長を務める株式会社で勤務している。
おめでとうございます
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古木のあの成績ほんとすごい
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今日のテレ東午後ロードはミスター・ベースボールなんですねぇ
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【西武】
球団は10日、秋季キャンプに参加しているブライアン・シュリッターの獲得を発表。背番号は「47」に決定。
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今年のwbc強くね?と思ってましたけど
ちょっと心配になってきました
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オリ吉田はまた腰痛めたか
キャリア通して苦しみそうだな
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やっぱり吉田はそこがなぁ
打席見てるとロマンあるんだけど負担もあるのも感じる
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体はそんなに大きくないですからね…
それであのとんでもないスイングは負荷がすごそう
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てきどにDHで使える運用ができればいいけど、それでも全試合出場は初めから考えない使い方模索した方が健全そう
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現役
・山口鉄也(33) (巨人・投手・2005年育成ドラフト1位)
※昨年史上初の通算250ホールドを達成するなど長年巨人を支え続けている鉄腕。だがその勤続疲労は徐々に現れており、今年も9年連続の60登板を達成するが防御率4.88、シーズン6敗は9年間の中でワーストに終わった。チームが2年連続で優勝を逃す中で来季の起用法、そして復活ができるかが注目される。
・藤澤亨明(27) (西武・捕手・2011年育成ドラフト1位)
※西武初の育成選手として入団してから今年でもう5年目。今年も2軍では中田祥多に次いで48試合でマスクを被るなど捕手としての経験は重ねつつあるものの打率は.191といまいち打撃で結果を残せていない。27歳と若手とはいえなくなってきており、来年は正念場の1年となりそう。
・青木陸(19) (広島・内野手・2015年ドラフト7位)
※山形中央高時代の2年夏の甲子園において3回戦の健大高崎戦では流し方向に本塁打を放つなど、高校通算46本塁打を放った長打力が武器とするルーキー。3年時には捕手も務めたがプロでは内野手として勝負し、1年目の今年は2軍で8試合に出場するもヒットは生まれず。同郷のスラッガーであった栗原健太を目標としており、まだ彼のプロ人生は始まったばかりである。
OBなど
・柴田英治 【阪急(50-60)、投手】 1931年
※多治見工業高校から50年に阪急に入団。2年目の51年から先発陣の1人として定着し、52年の近鉄戦では史上最少タイの投球数となる71球で完封勝利を記録。その後も同年から5年連続で2桁勝利をあげるなど50年代の阪急で活躍。11年間で通算91勝をあげて60年に現役を引退している。
・浜名千広 【1991年ドラフト3位→ダイエー(92-01)→ヤクルト(02-03)→ロッテ(04)、内野手】 1969年
※国士舘高校時代から東京屈指の強打者として注目され、東北福祉大学では同期の斎藤隆らとともに日本代表にも選ばれた。アマチュアNo.1の遊撃手としても呼び声も高く、端正な顔立ちで女性人気も集めドラフト3位でダイエーに入団。同じく大卒ルーキーだった若田部健一とともに1年目からレギュラーに定着し、オールスターにもファン投票で選出。パンチ力のある打撃と俊足を武器に弱小時代からダイエーを支え、2番打者として長けたバントの技術で活躍し、5年目の96年にはリーグ3位の33盗塁を記録。97年には井口忠仁が入団したことで二塁手にコンバートされ、柳田聖人らとともに内野陣を支えた。99年には選手会長としてチームを引っ張りリーグ優勝・日本一に貢献。しかしその後は持病のヘルニアに苦しみ、ポジションを鳥越裕介に譲り2軍生活が続いた。2002年には金銭トレードでヤクルトに移籍するも2年で戦力外となり、2004年に入団したロッテで引退。その後はマスターズリーグでプレーし、2006年からは解説者として活動。現在はチームメイトだった加藤伸一が監督を務める鳥取キタロウズで内野手兼任コーチを務めている。
・ダニエル・リオス 【ヤクルト(08)、投手】 1972年
※スペイン・マドリードで生まれ、2002年に韓国・起亜に入団。韓国では2007年までの6年間全てで2桁勝利を記録し、特に2007年には韓国プロ野球の助っ人では史上初の20勝をマークし、17年ぶりの22勝をマークしタイトルを総なめに。同年オフにヤクルトに2年総額最大約4億3000万円という大型契約で入団する。しかしその期待とは裏腹にオープン戦から不安定な投球が続き、日本のボークにも苦しんだ。迎えたシーズンでもランナーを溜めて自滅するパターンを連発し6月終了時点で2勝7敗と期待はずれな成績に終わる。そして6月末、禁止薬物と知りながら使用していたことが発覚して1年間の出場停止処分を科され、これをもって球団から解雇となった。なお開幕前の来日時から「これマジ?上半身に比べて下半身が貧弱すぎるだろ…(意訳)」と噂は出ていたという。
おめでとうございます
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糸井柳田主導の自主トレって大丈夫なのか
飛行機乗り間違えそう
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161111-00010000-nishispo-base
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>>437
真砂とかもアホの子入ってたし噛み合わない謎会話が繰り広げられてそう
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明日の球辞苑はクイックモーションか
ゲスト里崎だからまあほぼほぼ司会かってくらいにしゃべり倒すんだろうな
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現役
・浅村栄斗(26) (西武・内野手・2008年ドラフト3位)
※今年のシーズン序盤は31打席連続無安打を喫するなど1割台と苦しんでいたが5月から復調。8月には打率.384をマークして自身3回目の月間MVPも獲得するなど最終的には打率.309 24本 82打点と2013年に次ぐ好成績をマーク。先日には念願の背番号「3」継承の検討も報じられており、西武だけでなくパリーグを代表する二塁手へと成長を遂げている。
OBなど
・片山博 【急映・東急(48-49)→大洋(50-51)→松竹(52)→広島(53-55)、投手】 1923年
※若松中学・住友金属・門司鉄道局を経て48年に急映に入団。2年目の49年には先発の一員として291.2イニングを投げ16勝をマーク。スタミナには自身がありこの年には延長20回を1人で投げ抜く試合もあったという。2リーグ制となった50年からは大洋に移籍。同年は14勝をあげるも左肩と腰を故障し翌年は3勝に終わってしまう。52年には松竹、53年には広島とチームを転々とし、53年には50イニング連続無四球の記録を達成。また54年の国鉄戦では9回に登板しサヨナラ本塁打を打たれたことでセ・リーグ初で史上2人目となる1球敗戦投手となっている。翌55年に引退し、その後は母校の若松高校やノンプロの常石鉄工の監督を務めている。
・谷木恭平 【1972年ドラフト3位→中日(73-80)、外野手】 1945年
※北海高時代に甲子園に3度出場し、特に63年には大会記録となる1試合5盗塁をマークするなど類まれな俊足を武器とし、立教大学では2年秋に首位打者を獲得。卒業時に大洋からドラフト10位指名を受けるもこれを拒否し、新日鐵室蘭に入社。その5年後の72年にドラフト3位で中日に指名されプロ入りを果たす。既に2人の子供を持つ27歳のオールドルーキーであり、2年目の74年に不振に陥ったジミー・ウィリアムの代役として2番センターに定着。2本のサヨナラ安打を放つなど中日の20年ぶりのリーグ優勝に貢献。粘り強い打撃と優れた外野守備の持ち主だったが、高校時代の武器だった足には衰えが目立ち、盗塁はあまり記録できなかった。また当時の中日は強力な布陣が常に敷かれており、そのレギュラー争いに敗れて8年間一度も規定打席には届かず、80年に引退。その後は故郷の札幌市でおでん屋を営む傍らで、中日のスカウトやコーチを務めていた。なお2012年に北翔大学の監督に就任したことで、長年営んでいたおでん屋は現在閉店している。
続く
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・長嶋清幸 【1979年ドラフト外→広島(80-90)→中日(91-92)→ロッテ(93)→阪神(94-97)、外野手】 1961年
※ドラフト外で広島に入団。3年目までは控えに甘んじていたが、4年目の83年にプロ野球史上初の背番号「0」を背負うと、外野のレギュラーに定着し全試合に出場。打率.295 13本 57打点とブレイクを果たし、同年のGG賞も獲得。「マメ」と呼ばれるほど小柄な身体ではあったが、安定した守備と俊足を武器に山本浩二を左翼手に追いやって中堅手として活躍。またチャンスにも強く、84年の巨人戦では西本聖・江川卓の両エースから2試合連続サヨナラ本塁打を放つなどリーグ優勝に貢献。日本シリーズでも7試合で3本塁打・10打点の大暴れでシリーズMVPも獲得。さらに86年には優勝決定試合で4安打7打点を記録し、日シリで対戦する西武の森監督が「(打ちすぎて)参考にならん」と言うほど、異常な勝負強さを武器とした。80年代のカープ黄金時代の一員として活躍したが、前田智徳が台頭した90年代にトレードで中日に移籍。しかし翌91年に右足の半月版を損傷する大怪我を負い、これにより打撃が低迷。93年のロッテを経て94年に阪神に移籍。阪神では真弓明信のアドバイスによって代打の切り札として最後の一花を咲かせることに成功し、97年に引退。その後は阪神のコーチを経て2004年からは中日のコーチも務めたが、2006年に落合監督と高代コーチと確執を起こし退団。その後はロッテのコーチを経て2014年に落合がGMを務める中日に復帰。現在は2軍外野守備走塁コーチを務めている。
・西浦克拓 【1992年ドラフト5位→日本ハム(93-05)、外野手・内野手】 1974年
※上宮高校では黒田博樹らと同期であり、1年夏から4番打者として活躍。パンチ力のある打撃を武器とし、6年目の98年には打力が衰えていた落合博満に代わってレギュラーを獲得。前半戦だけで17本塁打を放ったが、弱点のインコースを徹底的に攻められたことで後半戦は失速し最終的には20本塁打に終わるも、18盗塁と走塁技術でも非凡なものを見せつけ「走れる中距離砲」の地位を確立した。翌99年も開幕から4番を任されるも、フォームを崩してしまい極度の不振に陥る。その後も本来の打撃を取り戻せず出場機会を減らし2005年に戦力外となり引退。その後は関西独立リーグの大阪ゴールドビリケーンズのコーチを務め、2010年には選手兼任として現役復帰をしている。現在は同リーグの新球団である06BULLSのコーチを務めている。
・リンゼイ・グーリン 【ダイエー・ソフトバンク(04-05)、投手】 1976年
※メジャーのスカウトも注目した本格的左腕であり、メッツの3Aではノーノーも達成。2003年の日本シリーズにおいて、左のサイドスローに苦しめられたことで「阪神のウィリアムスみたいな投手が欲しい」という王監督の要望を受けたスカウトがなぜか連れてきたオーバースローの投手。しかし状況によってフォームを使い分けたり、多彩な変化球を武器とした独特の投法で日本の打者も翻弄し、前半戦だけで6勝をマーク。2桁勝利も目前としていたが8月に左親指を骨折し8勝止まりに終わった。それでも期待通りの活躍をしたことで翌年も残留したのだが、バティスタやカブレラ、フェリシアーノの入団により外国人枠にも苦しまれ、自身の不振もあり同年限りで退団となった。その後は主に米独立リーグや台湾でプレーし2011年に引退している。
・甲藤啓介 【2005年大社ドラフト4位→ソフトバンク(06-13)→オリックス(13-14)、投手】 1983年
※高知高校・近畿大学を経てソフトバンクに入団。入団後数年は1軍で結果を残せず、2軍生活が続いていたが5年目の2010年に秋山監督に辛抱強く起用され続けたことで、安定感を掴み見事に勝利の方程式の一人に定着。65試合に登板し2勝15ホールド、防2.96という堂々の成績を残しリーグ優勝に貢献。オフの契約更改では900万から400%アップの4500万円という大幅アップを勝ち取り、あまりの増額に驚いて保留してしまったこともある。しかし翌年は肘の故障に悩まされ再び2軍生活に逆戻り。その後も結果を残せず2013年に吉野誠とのトレードでオリックスに移籍。しかしオリックスでも1軍登板がないまま翌2014年に戦力外となり現役を引退。現在の詳細は不明。
おめでとうございます
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トライアウトもう始まってる!
http://www.nikkansports.com/m/baseball/news/1736002_m.html?mode=all
オリ後藤はもうダメみたいですね…
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久本球速結構出るんですね、左のワンポイント候補が欲しいとこなら取ってもいいかも
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伊藤の最高球速が143とは悲しいなあ…
愛媛でまともに抑えてた北方のピッチングは楽しみ
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新垣だけ通算暴投書かれてるのは草
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オリ後藤(楽天)は守備で魅せてるから・・・
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>>442
守備で魅せてました
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トライアウトは結果なんか見られないし、もっというとあらかじめ目星付けられてるごく少数の選手以外は動き・内容すら見られないんだよなあ
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11月13日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・高谷裕亮(35) (ソフトバンク・捕手・2006年大社ドラフト3位)
※昨年は故障離脱した細川や鶴岡に代わってチーム最多の93試合にマスクを被り、7年ぶりの本塁打を放ったり、リーグ2位の盗塁成功率.422を記録するなどリーグ優勝・日本一に大きく貢献。今年も出場試合数を減らしたが貴重な活躍を見せた。細川の退団する来季は鶴岡とともにホークス投手陣を引っ張りたいところ。
・肘井竜蔵(21) (ロッテ・外野手・2013年育成ドラフト1位)
※支配下登録を果たした昨年は斎藤佑樹からプロ初安打となる適時二塁打を放ったが、9月の2軍戦で顔面死球を受け3週間の入院を余儀なくされた。今年は捕手から外野手に登録が変わり、イースタン史上9人目のサイクル安打も達成するなど打率.279 11本 61打点と順調に成長。将来の大打者になれる可能性も秘めており、今後が期待される。
OBなど
・三輪八郎 【大阪・阪神(39-43)、投手】 1921年
※高崎中学から監督の推薦もあり大阪タイガースに入団。速球と落差の大きいドロップを武器にした左腕で1年目から先発として起用され、翌40年に満州遠征中に行われた巨人との一戦で小雨が降る中で4四球・3失策の計7人の走者を出しながらタイガース初のノーノーを達成(公式戦において日本以外の球場でノーノーを達成したのはこの19日後に達成した阪急・石田光彦と彼の2人のみ)するなど、最終的に16勝5敗・防1.51の好成績を記録。その後もチームの中心投手として活躍し、43年にも開幕投手として11勝をマーク。しかし戦局の悪化により召集され44年に中国の地で22歳という若さでこの世を去っている。
・ウェス・パーカー 【南海(74)、内野手】 1939年
※ドジャースでは長打力が求められる一塁手において、卓越した守備力でレギュラーに上り詰め、小技と安定した守備力を武器に67年から6年連続でゴールドグラブ賞を獲得するなど9年間で1288試合に出場。打撃もレギュラー定着して以降徐々に成長し、70年にはサイクル安打も達成するなど.319(リーグ5位) 10本 111打点の活躍。74年には来日して南海でプレーし、ここでも一塁手として活躍。打率.301 14本 59打点、そして一塁手のダイヤモンドグラブ賞と才能を遺憾なく発揮するも同年限りで引退。その後は俳優に転身し様々なドラマや映画に出演。その一塁守備は現在においても米国で評価されており、ゴールドグラブ賞制定50周年の2007年に行われたファン投票においても一塁手部門で1位に輝いている。
続く
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・小野和義 【1983年ドラフト1位→近鉄(84-93)→西武(94-97)→中日(97)、投手】 1965年
※創価高校では江夏2世とも呼ばれた大型左腕であり、83年のドラフトでは3球団の競合の末に近鉄に入団。1年目から積極的に1軍で起用され、3年目の86年には前半戦だけで12勝をあげるなどで14勝をマークしブレイクを果たす。それ以降も近鉄の先発ローテの軸として活躍し、88年の「10.19」では第1戦に先発し、89年にも12勝をあげてリーグ優勝に貢献。90年に左肘の故障に悩まされるも91年に12勝をあげて復活を果たしカムバック賞も受賞。しかしその後は思うように活躍できず、94年に西武に移籍。豪快なフォームと遅いボールを投げる技術を身につけて貴重な左の先発として復帰を果たし94年には7勝をあげて優勝に貢献。金村義明とのトレードで移籍した中日で97年に引退。その後は近鉄、楽天、西武のコーチを務め、2001年・2008年にはそれぞれ優勝に貢献するも基本的には投手陣の整備は出来ず毎年のように低迷。現在は西武の編成部に在籍している。
・正津英志 【1997年ドラフト3位→中日(98-04)→西武(05-09)、投手】 1972年
※大野高校・龍谷大学・NTT北陸を経て中日に入団。星野監督に度胸の良さを買われて1年目から中継ぎとして積極的に起用され4年連続で40試合以上に登板。2001年には自己最多の53試合に登板するも翌2002年以降は脇腹と右肘を故障。その後は岩瀬仁紀の台頭もあり1軍での登板機会が大幅に減少。そんな中で鈴木孝政コーチの指導で変化球を磨き、2004年にトレードで西武に移籍。すると対右打者のワンポイントとして新天地で復活を果たし、2008年にはセットアッパーの一員としてリーグ優勝に貢献。翌2009年に現役を引退し、現在は古巣・中日のスカウトを務めている。
・吉川輝昭 【2003年ドラフト自由枠→横浜(04-10)→ソフトバンク(10-12)→DeNA(13)、投手】 1981年
※日本文理大では同期の脇谷亮太とともに2003年の全日本選手権でチーム初の優勝に貢献し、同年のドラフト自由枠で横浜に入団。入団直後のキャンプで体重100kg超・体脂肪率30%という状態で姿を見せ、コーチに「自己管理がなってない」と怒鳴られたものの、1年目から先発から中継ぎと様々な場面で起用された。しかし翌年以降は低迷し横浜では1軍定着が出来ないまま2010年開幕直後に井手正太郎とのトレードでソフトバンクに移籍。翌2011年には中継ぎとして結果を残し、自己最多の40試合に登板し6ホールド・防2.41を記録し優勝に貢献。和田・杉内・ホールトンが退団した翌年は先発候補として期待されたが、馬原の離脱もあり引き続き中継ぎを務めたが、前年のような安定感を失い1軍と2軍の往復が続いた。そしてオフに3対3のトレードでDeNAに移籍し、3年ぶりに横浜に復帰。2013年は9年ぶりの勝利投手となったが、バレンティンに対し3打数3本塁打と打ち込まれるなど結果を残せず1年で戦力外となり同年限りで引退。現在はスポーツ店に務める傍らで野球教室にも積極的に参加している。
・ネルソン・パヤノ 【中日(09,14)、投手】 1982年
※マイナー時代に参加したドミニカのウィンターリーグでの好投が、当時視察していた森繁和コーチの目にとまり中日に入団。制球難により四球で自滅することも多かったが、威力のある速球とスライダーを武器に左のセットアッパーとして活躍し、34試合の登板で防2.08とまずまずの成績を残した。しかし残留交渉が決裂し1年で退団が決まり、その後もマイナーリーグやメキシカンリーグでプレーを続けていた。そして2014年に5年ぶりに復帰。23試合と登板数は減ったものの防2.59とこの年も比較的安定した成績を残したものの、結局またも1年限りで退団。現在は母国ドミニカでプレーしている。
おめでとうございます
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侍ジャパン強化試合実況なんであんなにやばいんですかね?
今まで見てきた限りだとNaNじぇいにはああいう人種は少なかったように思うのですが
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少なくともここでする話題ではないと思います
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試合の実況はいつもあんなもんでしょ
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ハム村田透、楽天細川、DeNA浩康、阪神柳瀬
次々と獲得報道が出てますね
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やっぱ細川はパ球団か
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そりゃパ球団は狙いますよね〜
後、ピロヤスも決まったんですね
オメシャス!
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楽天本気ですね・・・
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村田は去年も阪神入りの話題が何度も出ながら結局残留したからまだ油断できない
まあ今回の日本復帰に関しては確実なんだろうけど
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ライバルのソフトバンクが育成と再建モードなので
楽天が本気出せば優勝狙えるタイミングなんですよね
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去年は可能性はあったとはいえ日本に帰るなんて一言も口にしてない時点から騒いでただけやろ>村田透
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阪神柴田、SB猪本らがロッテでテストだって
【千葉ロッテ】鴨川秋季キャンプで、元阪神柴田講平外野手(30)元ソフトバンク猪本健太郎内野手(25)#BCリーグ・石川 三家和真外選手(22)の入団テストを行う事になったと発表がありました。期間は15日から17日の予定です。#chibalotte #Tigers #sbhawks
https://twitter.com/showup1242
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11月14日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・ギジェルモ・モスコーソ(33) (DeNA・投手・2014年入団)
※昨年は不振で3勝どまりに終わったが、今年は登録と抹消を繰り返しながら先発ローテを支え、5月の巨人戦では来日初の完投勝利で球団助っ人最多記録の通算15勝目をマークした。ウィーランドの加入もあり来季の残留は未定であるが、頼れる助っ人の力はチームにとっても大きいはずである。
・フェリックス・ペレス(32) (楽天・外野手・2016年入団)
※今年7月、球団初のキューバ出身の助っ人として楽天に入団。初出場となった7月12日の西武戦でポーリーノから球団初の初打席初本塁打を放つと、翌日の試合でもソロを放ち史上8人目のデビュー2試合連続本塁打を記録。その後はアマダーやペゲーロといった他の助っ人に埋もれる形となったが、9月の日本ハム戦では先頭打者弾を放った岡島に続き2者連続弾も記録するなどチーム後半戦の躍進に貢献。他の助っ人ともに残留も予定されており、来季は外国人枠をより激しく争うこととなるはず。入。
・江柄子裕樹(30) (巨人・投手・2011年ドラフト6位)
※今年は2軍でルーキーの長谷川とともにエース級の活躍を見せ、9勝2敗・リーグトップの防2.15をマークするなど飛躍を見せたが、1軍で先発した2試合はいずれも5回途中でKO。2軍の帝王にならないよう、来季こそは1軍できっちり活躍したいところ。ちなみに「江柄子」という名字は全国に約10人しかいない。
・松本直晃(26) (西武・投手・2015年ドラフト10位)
※大学までは野手だったが、軟式野球で投手に転向して四国IL・香川で硬式に戻り、昨年は41登板で4勝1敗6セーブ、防1.00の活躍でシーズンMVPに輝いた。ドラフト10位という下位の指名ながら2軍でも中継ぎとして奮闘し、シーズン終盤には1軍デビューも果たし2試合を投げ無失点に抑えた。151キロの速球とフォークを武器に来季は1軍の戦力に加わりたいところ。
・赤間謙(26) (オリックス・投手・2015年ドラフト9位)
※東日本大震災の影響で原発に近い実家が避難指示地域となるなど苦難の人生を送りプロ入りを果たした社会人出身のルーキー。オープン戦の好投もあり1年目ながら開幕1軍を掴み、シーズン中盤からは中継ぎの一角として活躍し24試合の登板で35イニング、防3.09とまずまずの成績を記録。中継ぎが手薄なチーム事情の中で来季は1年間のフル回転が求められる。
OBなど
・五味芳夫 【名古屋金鯱軍(36-40)→朝日軍・大陽(41-42,48)、内野手】 1917年
※甲府中学時代に出場した35年夏の甲子園では1回戦に現在でも大会記録となる1試合5盗塁を記録するなど俊足を武器とした内野手であり、山梨県初のプロ野球選手。38年春から1軍のレギュラーに定着し、39年には30盗塁をマークし盗塁王のタイトルを獲得。これにより37年秋から4シーズン連続で同じチームから別々の選手が盗塁王となる珍記録を達成した。その後41年からは朝日軍でプレーし、戦況の悪化により一時は退団するも48年にチームに復帰し同年限りで引退している。
続く
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エガラシが三十路ってことにびっくり
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・武智文雄 【近鉄(50-62)、投手】 1926年
※岐阜商業学校から戦時中に入隊した予科練、ノンプロの大日本土木を経て50年に新設された近鉄に入団。当初は上手投げだったがまったく白星をあげられなかったためにシーズン途中に監督の反対を押し切ってアンダースローに転向。初勝利を当時大映でプレーしたスタルヒンと投げ合って掴むと、キレのあるシュートを武器にエースとして弱小だったチームを支え、54年には26勝でリーグ最多勝に輝く。そして55年にはプロ野球史上2人目、そしてパリーグ初の完全試合を達成。50年代の近鉄で活躍して60年には通算100勝をマークしたが、これが最後の白星となり62年に引退。その後は近鉄のコーチや解説者を経て、87年には父が経営していた西陣織産ネクタイの社長を務めていた。
・小林繁 【1971年ドラフト6位→巨人(73-78)→阪神(79-83)、投手】 1952年
※由良育英高校から関西大学に入学しようとしたがスポーツ推薦枠が廃止されたために、全大丸に入社。体力に自身がないことや、都市対抗に出場し全大丸への恩返しがしたいという意向からプロ入りする意思はないと宣言していたが、71年のドラフトで巨人が6位で強行指名。翌72年にチームは都市対抗に出場したことにより、巨人ファンであった父親に喜んでもらいたいという思いで交渉権の期限ぎりぎりで巨人に入団することとなった。1年目は2軍で実践を積み、2年目の74年にリリーフとして1軍に定着。翌75年には杉下茂コーチとの対立で引退も考えたが、高橋良昌の言葉で翻意。翌76年からはチームのエースとして活躍し、同年は18勝をあげてリーグ優勝に貢献し胴上げ投手となると、翌77年も再び18勝をマークしベストナイン、沢村賞に輝いた。しかし翌年起こった「空白の一日」と呼ばれた一連の出来事により江川卓とのトレードが成立。突如として阪神への移籍が決まり、世間からは「悲劇のヒーロー」として一躍注目を浴びることとなった。翌79年にはその巨人への闘志をむき出しにし、自ら巨人戦に志願して登板すると対巨人戦8連勝を飾るなどリーグ最多の22勝をあげ、自身2度目の沢村賞を獲得。80年にはその江川と初めて投げ合ったが、江川自身にタイムリーを打たれ5回4失点で降板し、8回3失点に抑えた江川に白星を譲った。その後は故障などにより野球に対する情熱を失いつつも主戦投手として奮闘し、「15勝あげなければ引退」と意気込んで臨んだ83年は13勝に終わり、宣言通り同年限りで引退。その後は解説者やスポーツキャスターとして活躍するも、95年に参院選に立候補して落選したことで金銭面で困窮。さらに現役から続けていた不動産事業の経営状況悪化もあり借金生活に苦しみ、97年からは近鉄のコーチを務めたが優勝した2001年に退団し、2003年に自己破産。その後は2007年にCM内で江川と競演したことで話題を呼び、2009年からは日本ハムのコーチを務めていたが、キャンプを控えていた翌2010年1月に心不全のために57歳の若さでこの世を去った。
・古溝克之 【1984年ドラフト2位→阪急・オリックス(85-93)→阪神(94-98)→日本ハム(99)、投手】 1963年
※福島商高校では81年に春夏連続で甲子園に出場。その後は専売公社東北に入社し、83・84年にはそれぞれ補強選手として都市対抗に出場した。84年ドラフトで阪急に入団するとキレのある速球を武器に2年目の86年から1軍に定着。86年には先発の一員として10勝をマークするも、以降は長い低迷が続いた。93年オフにトレードで阪神に移籍すると変化球に磨きをかけ、翌94年には故障離脱した田村勤に代わって抑えに定着し18セーブをマーク。翌年も同様の活躍で19セーブを記録するとその後は先発・中継ぎ・抑えを器用にこなす便利屋として暗黒時代の阪神を支えた。98年オフに若返りを求めたチーム意向により退団し、阪急時代の恩師だった上田利治が監督を務める日本ハムに移籍するも1年で退団。現役続行のため巨人・近鉄、そして古巣のオリックスの入団テストを受けるもいずれも不合格に終わり、同年限りで引退した。その後はその古巣・オリックスで2000年から10年間打撃投手を務め、現在は地元・福島で生活している。
おめでとうございます
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齢30で二軍無双一軍ダメダメってそれ完全に二軍の帝王だよね
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二軍の帝王って野手のイメージがある
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>>466
かつて中日に金剛という投手がおっての
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小林氏は吉井コーチと入れ替わりで一軍投手コーチを務めるはずが急にだったからなぁ
病気は本当に恐ろしいですね
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【DeNA】
球団は14日、前ヤクルト・田中浩康の獲得を発表。背番号は未定。
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ピロヤスDeNA入りおめでとうございます
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【日本ハム小坂コーチ退団】
北海道日本ハムは本日付けで小坂誠ファーム内野守備走塁コーチが退任したと発表。新コーチは明日の会見で発表されるとのこと。
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ピロヤス新天地でもう一度輝いてくれ…
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http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/11/14/kiji/K20161114013722280.html
本当に大丈夫なのか物凄い不安
強化試合の教訓を無駄にしないでくれよなー頼むよー
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>>473
やっぱ無能じゃないか
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小久保も先発の出来が良くなかったと言ってたのに入れ替えないのかな
今回代役で入った選手を入れ替えるならついでに何人か余計に呼んどいた方が…
菅野、則本、投手大谷だけじゃ足りないでしょ
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頼みこんで、MLBから何人か連れて来て下さい!オナシャス!
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夏に小久保監督自らメジャーにいる日本人選手に声をかけたらしいです
その上でこれなので期待薄ですね
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小久保のために頑張ろうと思うメジャー選手なんて1人もいなそうだからなぁ
王さんクラスならいけそうだけど
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そりゃ小久保より稼いで小久保より納めてるMLB選手は脱税はいやでしょ
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代表戦を頑張って得られる名誉<<<<<<<<レギュラーシーズンで頑張ってどれだけ食っていけるか
だろうからねぇ、選手にとっては
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ヤクルトがグリーン獲得、マイナー通算打率3割6厘
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161114-01738134-nksports-base
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>>480
賞金が高い訳でもないし歴史もないし、しかも1回2回ともに日本が優勝したしモチベーションがね...
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開き直って期待の若手だけでパパパっと組んで、終わり!
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>>483
申し訳ないがU-23の焼き増しはNG
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ただ盛り上がることは盛り上がるんだよなぁ
第一回目の生き返れ福留とか第二回目のイチローのタイムリーとか第三回目は優勝は逃したけど鳥谷盗塁からの井端タイムリーとか
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他国のメジャー選手にどんどん参加してもらって「じゃあ日本の選手も出るよね?」みたいな包囲敷くぐらいしかなさそう
というか今回は割と他国の選手が乗り気なのによりにもよって今の日本人選手がやる気ないとしたら悲しい
あと歴史云々はこれから歴史を作るんだということで勘弁してもらうしかない 賞金とか補償はともかく歴史は即どうにかなるもんでもなし
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まあ、WBCに参加することで得られる物ってちっぽけな栄誉くらいしかないわけで
そのためにプレーできる選手が何人いますかって話ですよねえ…
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シーズン中の中継で、簡易成績表示に出場年の世界大会の勲章ついてるやつ地味に好き
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巨人ドラ1の吉川は背番号0でスタート
スター選手というよりは渋いベンチ要員みたいな印象の強い番号だがどうなるか
そして藤村はいったい何番に変更されるのか
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>>466
金剛は二軍の大魔神なイメージですね
二軍の帝王は森岡なイメージです
>>487
国背負ってt戦ってんのにちっぽけな栄誉って言い方はちょっと…
いい選手の取り組み方とか練習法とか技術教えてもらったり色々共有できますし
自分を売る宣伝にはなるんじゃないですかね
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>>490
どこに売るんですかね?
メジャー?それにしては分母も少なくてあんまり当てにできる数字ではないと思いますが
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>>491
いい成績残せば所属している球団の評価が上がったりしませんかね?
極めて限定的ですがメジャーの自動的にFAになってる選手とかがメジャー他球団や外国のリーグとか
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栄誉っていうのはつまるところブランド力です
WBCに肝心のブランド力があるかっていうと……
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一流野球選手には一流野球選手にしかわからない価値観があると思うので
ある程度夢をかなえてきた人たちだから、国を背負うっていう名誉に飛びついたりもするんじゃない
それはスポーツに限らず文化的なジャンルでも国の代表って得難い肩書っしょ。縁がないから自分にゃわからんけど
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五輪で競技復帰したし価値があがるとは思いたいが
自分を売る(至言)で言ったら今回の強化試合は完全に大谷の就職活動でしかなかったという印象
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>>495
今のところ利益分配の件といいWBCはMLBさんサイドの選手品評会場に過ぎんからね
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あと何年続けばWBCのブランド力ってつくんですかね?
このまま世界最高リーグの本当のトップ選手が出ないまま続いても長くやってれば後からついてくるもんなんですかね>
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まだ歴史は浅いからしょうがない
歴史が浅いからこそ俺達が歴史を作っていくくらいの気持ちでIKEA
いつになるかはわからんけどWBCで優勝するのが夢ってなってくれたらいい
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五輪で野球が種目として復活することだし
MLBさんサイドがガッツリ利益を確保するための催し物に
日本がいつまでも付き合ってあげる義理もないと思うんですよねー
NPBからMLBに選手が移籍するのって日本の球団にしてみれば
ポスティング以外だと補償すら発生しないのでデメリットでしかないですし
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ファースト専の外国人とるってことはハタケ相当怪我やばいのかな
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左手首に右アキレス腱にと加えて来年35歳って状況を考えれば通年頑張れるとは思えないしありじゃないですかね
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現役
・山川晃司(20) (ヤクルト・捕手・2014年ドラフト3位)
※ルーキーだった昨年に引き続き、2軍の正捕手としてチーム最多の62試合にマスクを被った。課題は打撃であり、今年は153打席で打率.135、OPS.333。高卒3年目となる来季はぜひとも1軍デビューを目指したいところ。
OBなど
・並木輝男 【大阪・阪神(57-66)→東京(67-68)、外野手】 1938年
※日大三高時代は投手として、55年夏・56年春の甲子園に4番・エースで連続出場しいずれもベスト8。その後は早稲田大学の進学を予定していたが家庭の事情により大阪タイガースに入団。プロでは外野手に転向すると1年目からリーグ史上初の高卒新人開幕戦スタメンを果たすなど、98試合に出場し打率.250 8本 32打点の成績を残す。特にこの8本塁打は36年後に巨人・松井秀喜が更新するまでリーグ高卒新人最多記録だった。その後はチームの主力が抜けていく中で60年には3番・センターに定着し、同年は自己最高の打率.306でベストナインも獲得。また後年には阪神球団の通算1000号・1500号本塁打も放っている。しかし66年オフに若返りを求めたチーム意向により自由契約となり、東京オリオンズに移籍。しかし直後のキャンプで右足のアキレス腱を断裂したために2年間で9試合の出場に終わり、68年に引退。その後はスナック経営や解説者を経て、85年に阪神の打撃コーチに就任し21年ぶりのリーグ優勝・初の日本一に貢献。87年に退任後は再び解説者を務めたが翌88年に脳出血のため49歳という若さでこの世を去っている。
・醍醐猛夫 【毎日・大毎・東京・ロッテ(57-75)、捕手】 1938年
※早稲田実業では3年次に1年生エースだった王貞治とバッテリーを組み、56年夏の甲子園にも出場。卒業後、毎日に入団すると1年目から正捕手として活躍。途中、谷本稔に定位置を譲るも再びその座を奪い返し、65年には全試合に出場し自己最多の15本塁打をマーク。71年には2試合にまたがってプロ野球タイ記録の4打席連続本塁打を記録するなどリーグを代表する捕手としてチームの3度の優勝に貢献。その後73年以降は村上公康に正捕手を譲り、翌74年からはコーチも兼任し75年に引退。その後は2軍監督やバッテリーコーチ、さらにはスカウトまで幅広い活躍で30年近くにわたりロッテを支えた。現在は在宅介護支援デイケア「あさくら」の代表取締役を務める傍らで解説者も務めている。なお毎日・大毎・東京・ロッテの全てに選手として在籍したのは彼と榎本喜八だけであり、1369試合の先発出場は球団捕手では歴代最多である。
・間柴茂有 【1969年ドラフト2位→大洋(70-77)→日本ハム(78-88)→ダイエー(89-90)、投手】 1951年
※比叡山高校から大洋に入団。1年目から1軍でそこそこの試合で登板し、6年目の75年には3完封を含む開幕6連勝を記録するが、その後3年間にわたって13連敗を喫するなどスランプに嵌ってしまう。78年にトレードで日本ハムに移籍した際に登録名を「富裕」から「茂有」に変えると、先発の主軸として活躍。特に81年には当時プロ野球新記録となる開幕から負けなしの15連勝でシーズンを終え、戦後プロ野球初の勝率10割を達成。その後も80年代の日本ハムを支え、89年にダイエーに移籍してプロ21年目となった90年に引退。その後はダイエーの2軍投手コーチを経て、現在もホークスのフロントで活動している。
続く
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国内で言えばそれこそWBCのブランド力があったのは1回大会と2回大会の頃でしょう
ブランド力があったからこそ派遣に積極的じゃなかったチームが非難されたわけだし
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・二宮至 【1975年ドラフト外→巨人(76-83)、外野手】 1953年
※駒澤大学では中畑清・平田薫とともに「駒沢三羽ガラス」の一人として活躍し、東都大学リーグでは5度のベストナインを獲得。75年のドラフト外で巨人に入団すると、自慢の守備力を活かし2年目から1軍に定着。張本勲の守備固めや代走として主に起用されたが、打撃に難があり徐々に1軍出場の機会を失い83年に戦力外となり引退。その後は教員免許を取得し、旭川市の教育委員会に勤務。その後は野球教室の行使やシニアリーグの監督としても活躍し、98年からは中日のコーチに就任し立浪や井上、関川・福留といった多数の外野手を育て上げた。その後は台湾のLa NEWベアーズのコーチや松本大学の監督も務め、2012年からはDeNAのコーチに就任。現在は2軍監督も務めており、来年からは外野守備走塁コーチも兼任する。
・小早川毅彦 【1983年ドラフト2位→広島(84-96)→ヤクルト(97-99)、内野手】 1961年
※PL学園では4番打者として活躍し、法政大学でも1年春で一塁手のベストナインを獲得し、2年秋には三冠王となる。卒業後に広島に入団すると同ポジションの長内孝を押しのけて一年目からクリーンナップに定着し、16本塁打を放つなどで新人王を獲得。その後もチームの主軸として活躍し、87年には法大の先輩である江川卓を引退に追い込む2打席連続本塁打を放つなどリーグ最多の勝利打点16を記録するなど、途中赤痢を患うも80年代後半から90年代にかけての広島を支え続けた。若手が台頭してきた91年ごろからは徐々に出場機会を減らし96年に広島を退団し、ヤクルトに移籍。野村監督の意向で開幕戦で5番でスタメンすると、前年の沢村賞投手である巨人・斎藤雅樹から3打席連続本塁打を放つなど、野村再生工場のもとで復活を果たしリーグ優勝に貢献。99年限りで現役を引退し、その後は2006年に広島のコーチに就任しブラウン政権のもとで活躍。現在は主に解説者を務めている。
・大豊泰昭 【1988年ドラフト2位→中日(89-97)→阪神(98-00)→中日(01-02)、内野手・外野手】 1963年
※台湾に生まれ、王貞治に憧れて日本行きを希望するも20歳になるまで出国できなかったために、高校卒業後の2年間は母校でコーチを務めた。その後来日し名古屋商業大に入学。5年間日本に在住すればドラフト会議指名の対象になることを知り、卒業後の1年間は中日の球団職員として過ごし、88年に中日から指名されようやくプロ入りを果たす。王貞治の55号にちなんで「55」を背負い、1年目から自慢の長打力で14本塁打を記録すると3年目には打率.283 26本 72打点と長距離砲に成長。92年のキャンプで訪れた臨時コーチの張本勲の勧めで、憧れの王の代名詞だった一本足打法にフォームを変えると、94年には一時は三冠王も狙えるほどの活躍を見せ、38本塁打・107打点で2冠王となる。96年も開幕から驚異的なペースで本塁打を量産するもチームメイトの山崎武司に1本及ばず、巨人・松井秀喜に並ぶ38本塁打に終わりタイトルを逃している。しかし翌97年にナゴヤドームに本拠地が移転したこともあり成績が低迷し、オフに矢野輝弘とともにトレードで阪神に移籍。新天地で徐々に調子を取り戻し、99年には規定打席不足ながら打率.341 18本、シーズン歴代2位となる代打本塁打6本を記録するなど復活を果たす。2000年には通算250本塁打と1000安打も達成するなど23本塁打を放つが、大幅ダウンを提示された契約更改に納得がいかず自ら退団し中日に復帰。しかし出場機会に恵まれず、2002年に戦力外となり引退。その後は中日のアジア地区担当スカウトとしてチェン・ウェインの獲得に貢献。退団後は名古屋市内で中華料理店を営んでいたが、2009年に白血病を患う。闘病生活を続けながらも料理店で働き続けたが、昨年1月に51歳という若さでこの世を去った。
・ダーウィン・クビアン 【阪神(05-07)、投手】 1972年
※2004年オフに活躍場所を求めて阪神の秋季キャンプに参加し、テストに合格したことで阪神に入団。本人は敵の首を狩るという意味の「クビアン」を登録名を希望したが、進化論にあやかって「ダーウィン」の名でチームに加わる。1年目はJFKをはじめとした投手陣の層が厚かったために2軍生活が続いたが、その2軍で9勝をあげて最多勝投手となると、翌2006年にはウィリアムスの故障もあって1軍昇格を果たし中継ぎとして奮闘。さらに一時は先発に転向するも勝ちに恵まれなかったため最終的には中継ぎでシーズンを終え、49登板で防3.79の成績を残す。翌年はジャンとボーグルソンが加入したが、シーズン後半から渡辺亮・江草仁貴とともに中継ぎ・谷間の先発として活躍。しかしオフに構想外となり同年限りで退団となった。その後は韓国やメキシコ、イタリアでプレーした。ちなみに交流戦で松坂大輔にプロ初本塁打を打たれている。
おめでとうございます
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いまだにデイリースポーツのダーウィンの進化論!160キロ超えや!って一面を思い出す
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大豊選手は2~3年前に写真見たけど腕が尋常じゃない細さになってて悲しかった
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大豊の一本足打法ほんとにかっこよかった…ナゴ球での恐竜打線は楽しかった
個人的に背番号55といえば今でも大豊を思い出しますね
御存命のうちに無理やりにでも大豊飯店行ってお会いしたかった
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大豊氏は亡くなる前の数年間は店頭に姿を見せること自体がなくなってたそうです
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ナゴヤ球場のカクテル光線に照らされた落合大豊山崎立浪の四人は未だに僕の英雄です。
大豊さん…
それとゴメス自由契約とかいう
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来年のファーストは基本福留、たまに原口って感じになるんですかね?
糸井獲得の目処が立ったってことでしょうか
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バースはメジャー復帰希望で退団かぁ
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ゴメス、ヘイグ、ペレス、サターホワイトか
ゴメスは前々からそうなりそうと言われてたしまあ驚きはない
「成績的には物足りなかった」という発言も腑に落ちるし
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サタホワまで切るのは想定外だった
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>>513
あのレベルの成績なら簡単に用意出来る準備球団にあるし
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悪くはないけど物凄いわけでもないしな
メンデスとかそんな名前の新外国人投手も調査してるみたいだし
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サターホワイトは残留のつもりで交渉してたはずだからメッセマテオドリスの保険扱いをサタホワ側が嫌がったんでしょ
楽天岩崎は古巣中日のキャンプに参加
谷や阿部との競争になるがどうなるかな
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>>516
メッセとマテオが一軍確定の時点で
おかしなことにならない限り普段は二軍待機だからな
サタホワ側が嫌がった可能性あるね
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11月16日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・高橋朋己(28) (西武・投手・2012年ドラフト4位)
※昨シーズンの前半までは抑えとして活躍していたが後半戦で打ち込まれ、右足の故障もありクローザーの座は剥奪。今年もわずか7試合の登板に終わり、左肘のトミー・ジョン手術を受けた影響で7月で今シーズンを終えた。実践復帰は再来年の春までかかるとされており、来季はリハビリに充てることとなる。
・宮田和希(28) (西武・投手・2008年ドラフト6位)
※交流戦での阪神戦においてプロ7年目にして初勝利をあげるなど、昨年は自己最多の18試合に登板したのだが今年は7月に左肘の手術を受けた影響で2軍でも9試合の登板に終わり1軍登板は果たせず、オフには戦力外通告を受けた。その左肘が完治した先日にはトライアウトを受験し、DeNA・内村や阪神・柴田らと対戦し2奪三振含む3者凡退に抑えた。後はただひたすらにオファーを待つのみである。
・土肥寛昌(26) (ヤクルト・投手・2014年ドラフト6位)
※2年目の今年は6月末に1軍デビューを果たし、その後も度々1軍に昇格されたが4試合で防8.44に終わり、2軍でも25試合で1勝3敗・防4.28とパッとせず。社会人出身のために先は長くなく来季は結果が求められる。元西武・横浜の土肥義弘のはとこであり、投手としては珍しいスイッチヒッターでもある。
・斐紹(24) (ソフトバンク・捕手・2010年ドラフト1位)
※昨年に引き続き、同い年の拓也とともに2軍の正捕手を争う中で、1軍では主に和田や攝津とバッテリーを組んだ。2軍では69試合に出場し、打率.275と打撃も好調でありウエスタン5連覇に大きく貢献した。細川が退団したことにより一段と1軍のレギュラー争いが激しくなる来季は勝負の年になる。
続く
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OBなど
・荒巻淳 【毎日・大毎(50-61)→阪急(62)、投手】 1926年
※大分商業高校から大分経済専門学校を経て進んだ社会人の強豪・別府星野組では49年の都市対抗ではエースとしてチームの優勝に導き橋戸賞を受賞。このときから並外れた球速が評価されており、当時メジャーで活躍していたボブ・フェラーにあやかって「和製火の玉投手」として名を馳せた。50年に西本幸雄らとともに毎日に入団すると1年目からチームのエースとして活躍。細身の身体で小躍りするようなフォームから投げる球はホップし、打者が地面ギリギリだと思って見逃した球がストライクになるという伝説もあるほどの球威を武器に26勝8敗・防2.06の好成績で初代パリーグ新人王・最多勝・最優秀防御率のタイトルを獲得しチームの優勝に貢献。しかしこの年の酷使が祟り、2年目以降は球威が衰え成績も低下。そこでカーブに磨きをかけて変化球で勝負したことにより4年目の53年には17勝をあげて復活。同年に行われた日米野球では日本代表初の完投勝利を収めた。その後も7年連続で2桁勝利を記録するなど50年代の毎日のエースとして活躍し13年間で508登板・173勝を記録し、62年に移籍した阪急で引退。その後は阪急やヤクルトのコーチを務め、71年に肝硬変のために44歳の若さで逝去。その14年後の85年に競技者表彰で野球殿堂入りを果たしている。
・松田匡司 【1999年ドラフト7位→阪神(00-02)→ダイエー(03)→近鉄(04)、外野手】 1974年
※星林高・法政大・シダックスを経て阪神に入団。元投手だったこともあり自慢の武器の強肩を活かして1年目から1軍で出場機会を得た。また俊足でもあり2001年には野村監督から「F1セブン」の6号車に指名された。しかし打撃面では速球に強いものの変化球が大の弱点で、結果を残せずレギュラー獲得もならなかった。その後2002年オフに佐久本昌広とのトレードでダイエーに移籍。2003年には自己最多の56試合に出場してリーグ優勝に陰ながら貢献したがオフに戦力外となり、強肩とハングリー精神を買われて近鉄のテストに合格。しかし近鉄ではほとんど出番がなく同年限りで現役を引退した。現在の詳細は不明。
・高山久 【1999年ドラフト1位→西武(00-13)→阪神(13-14)、外野手】 1981年
※九州学院高では高校通算43本塁打を記録し、ドラフト1位で西武に入団。2年目の2001年にはプロ初本塁打含む1試合2本塁打を放つなど1番打者として起用された。その後は長らく2軍生活が続いたが、2006年に55試合に出場し代打として貴重な活躍を見せ、2007年には2打席連続代打本塁打も記録。そしてフォームを神主打法に改造した2010年には11年目にして右翼手の定位置を掴み、自己最多の116試合に出場し規定打席不足ながら打率.291 11本 48打点の好成績をマークした。その後は故障続きで1年で定位置を明け渡すが、2012年には2年ぶりの本塁打を代打の代打で放っている。2013年のシーズン途中に川崎雄介とのトレードで阪神に移籍。直後の交流戦ではオリックス・井川慶から移籍後初打席で初本塁打を記録した。しかし2014年には1軍出場なしに終わり、戦力外となり現役を引退した。左キラーとしても知られ、2010年以前は主に対左の代打やスタメンで重宝されていた。現在は古巣・西武のライオンズアカデミーのコーチを務めており、今年の8月にはTBSのバラエティでホームラン競争に参加していた。
・ネルソン・ペレス 【阪神(15-16)、外野手】 1987年
※マイナーリーグやメキシカンリーグを経て2015年にBCリーグ・石川に入団し来日。30試合の出場ながら打率.324 7本 24打点という好成績を残し、当時マートン・ゴメスの両助っ人の不振に悩まされていた阪神が急遽獲得。自慢の長打力を武器に入団してからのわずか3ヶ月でチーム最多の14本塁打を記録。しかし、自身が阪神に入団した直後にマートン・ゴメスが揃って復調したことや、メッセンジャー・呉昇桓の活躍もあり外国人枠に割って入ることが出来ず、1軍デビューを果たしたのはシーズン終盤の9月末となった。結局3試合で1本も安打を放てぬままシーズンを終えたが、将来性を見込まれて残留を果たした。そして迎えた今年は2軍で打率.313 10本 36打点と依然として打撃は好調だったがマテオ・ドリスらの活躍もあり1軍出場は果たせず、そしてつい昨日にゴメス・サターホワイト・ヘイグらとともに自由契約となった。まだ29歳と若く、今後の動向が注目される。
おめでとうございます
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というわけで今回の退団情報です
【阪神】
・コーディ・サターホワイト(29・投手) 2016年入団 年俸:3200万円
1軍:20登板 1勝1敗 0S 6H 21.0投球回 18奪三振 8与四球 防2.57
2軍: 8登板 0勝0敗 3S 0H 7.0投球回 12奪三振 2与四球 防0.00
・マウロ・ゴメス(32・内野手) 2014年入団 年俸:2億円
1軍:139試合 .255 (498-127) 22本 79打点 130三振 48四球 2盗塁 OPS.753
2軍:出場なし
1軍通算:425試合 .270 (1555-420) 65本 260打点 430三振 187四球 3盗塁 OPS.802
2軍通算:1試合 .250 (4-1) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.750
・マット・ヘイグ(31・内野手) 2016年入団 年俸:8000万円
1軍:31試合 .231 (104-24) 2本 11打点 21三振 16四球 1盗塁 OPS.685
2軍:34試合 .339 (109-37) 2本 12打点 8三振 15四球 0盗塁 OPS.878
・ネルソン・ペレス(29・外野手) 2015年入団 年俸:2000万円
1軍:出場なし
2軍:69試合 .313 (214-67) 10本 36打点 64三振 27四球 0盗塁 OPS.924
1軍通算:3試合 .000 (9-0) 0本 0打点 3三振 1四球 0盗塁 OPS.100
2軍通算:117試合 .314 (395-124) 24本 71打点 116三振 44四球 0盗塁 OPS.949
【日本ハム】
・アンソニー・バース(29・投手) 2016年入団 年俸:1億円
1軍:37登板 8勝8敗 0S 6H 103.2投球回 71奪三振 47与四球 防3.65
2軍:1登板 0勝0敗 0S 0H 7.0投球回 7奪三振 1与四球 防1.29
(ポストシーズン:7登板 4勝0敗 1S 11.2投球回 11奪三振 6与四球 防0.00)
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ゴメスもったいないと思うけど後半の失速は印象悪いか
サタホワは後半使ってたけどドリスマテオいるならって所か
久保コーチなら新外国人また魔改造するんだろうし
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原口や福留をファーストコンバートという案もあるみたいですね
素人目には福留のライトわりと完璧に見えるけど、やっぱシンドイのかな
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・脚の不安があるので外野やらすには結構しんどい
・マウンドへの声かけ出来そうなのが居ない(西岡の役割ではあったけどアキレス腱切った)
福留ファーストコンバート計画のメリットとして簡単に浮かぶのはこんなとこかと
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福留のライト守備は衰え始めてるって話を聞いたことがあります
年齢が年齢ですし打撃に専念させたいのかもしれませんね
福留の内野守備を知ってる中日ファンですが大丈夫かなあと少し心配です
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安定した守備見せてた去年も休養日は設けてたしいいタイミングなのかな
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イーグルスが細川亨と契約合意。背番号は68に
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2000万円って意外と安く契約できましたね・・・ というか細川って青森出身なんですね 勝手に関西か九州の人だと思ってました
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11月17日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
なし
OBなど
・金田留広 【1968年ドラフト4位→東映・日拓(69-73)→ロッテ(74-78)→広島(79-82)、投手】 1946年
※金田正一らの4兄弟の一番末っ子であり、愛知高校から愛知学院大学に進むも1年で中退し、日通浦和に入団して69年のドラフトで東映に入団。兄・正一と同じく背番号「34」を背負うとその正一と同じく直球とカーブを武器にし、1年目から先発の一員として18勝をマーク(新人王はロッテの有藤が獲得)。同年のオールスターでは打席に立った正一と夢の対決が実現し、セカンドフライに打ち取っている。翌70年には最多勝まであと1勝及ばずもリーグ2位の24勝をマークするなどリーグを代表する投手に成長し、72年には20勝で今度は最多勝を獲得。また同年にはパ・リーグの投手としては最後となる満塁本塁打も放っている。翌73年は7勝16敗と伸び悩み、オフにトレードで正一が監督を務めていたロッテに移籍。そして迎えた74年には16勝をあげて2度目の最多勝、そしてリーグMVPを獲得してチーム24年ぶりの日本一に大きく貢献。しかしその後は成績が伸び悩み、正一が監督を解任された79年にトレードで広島に移籍。全盛期からはかなり衰えていたが、敗戦処理や中継ぎとして粘り強い活躍を見せ、また持ち前の明るい性格でムードメーカーとしてもチームを支えて79年・80年の連覇に貢献した。82年に引退後は87年からロッテのコーチを務め、現在は健康食品の会社を経営する傍ら、日本身体障害者野球連盟の支援も行っている。
・萩原康弘 【1969年ドラフト3位→巨人(70-75)→広島(76-82)→ヤクルト(83)、外野手・内野手】 1947年
※荏原高校では3年次の65年春の選抜に出場。その後は中央大学に進み、67年には全日本選手権でチームを初優勝に導く。69年のドラフトで巨人に入団するが当時の巨人は高田繁・柴田勲・末次利光の3人が不動の外野陣を構成したためなかなかレギュラーに定着できず、71年には末次に代わって一時期右翼手の定位置を掴むも打撃不振で1年足らずでレギュラーを剥奪されてしまった。それでも73年には阪神との首位攻防戦で当時エースだった上田二朗から代打逆転3ランを放ちV9に貢献したが結局定位置を掴めず、75年オフにトレードで広島に移籍すると、ここでも外野手や一塁手の準レギュラーという立ち位置だったが勝負強い打撃で活躍し、79年には代打の切り札として同年からのリーグ連覇に貢献。83年にヤクルトに移籍し同年限りで引退。現在は豊島区・目白で喫茶店を経営している。
・三浦政基 【1972年ドラフト2位→日拓・日本ハム(73-77)→ヤクルト(78-79)→南海(80-82)→大洋(83)、投手】 1949年
※日向工業高からトヨタ自動車に進むも、1年で退社し愛知学院大学に入学し72年秋のドラフトで東映に入団。主に中継ぎとして活躍し、77年オフに移籍したヤクルトでは翌78年にリーグ優勝も経験。しかし79年には出番が減少し、オフにトレードで南海に移籍。南海では貴重な中継ぎとして重宝され、80年には自己最多の42試合に登板。81年の日本ハム戦では1点リードの9回表2死一塁に登板し、初球を投げる前に牽制で3アウト目をとって試合終了となったために史上2人目となる「0球セーブ」を達成している。11年間で212試合に登板し、その後83年に移籍した大洋で引退。その後は解説者や日本ハムのコーチを務め、現在は九州総合スポーツカレッジの校長を務めている。
続く
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・川原昭二 【1974年ドラフト2位→日本ハム(75-89)、投手】 1953年
※九州産業高校・丹羽鉦電機を経て75年のドラフトで日本ハムに入団。長い2軍生活を経て29歳となったプロ8年目の82年に中継ぎとして1軍に定着。翌83年にはリーグ最多の59試合に登板し145.2回を投げて11勝7敗2セーブという好成績を残す。84年からは西武に移籍した江夏豊の後釜として抑えを任され、同年には14セーブをマーク。その後も長らく日本ハムの中継ぎとして活躍し、86年には左膝半月版の手術も受けたが、粘り強く投げ続け11年間で276試合に登板し89年に引退。その後は日本ハムの2軍投手コーチやスカウトを歴任し、昨年までは楽天の九州・沖縄地区のスカウトを務めていた。
・西村基史 【1984年ドラフト2位→日本ハム(85-95)→ダイエー(96-97)、投手】 1962年
※尼崎工高から新日本製鐵広畑に進むとチームメートの正田耕三らと活躍し、81年から4年連続で都市対抗に出場。84年のドラフトで日本ハムに入団すると、主に左の中継ぎとしてワンポイントからロングリリーフまで幅広く起用され、11年間で226試合に登板。そんな中の89年のダイエー戦ではアップショーに死球を与えた際にアップショーが激昂。二塁ベース後方まで追いかけられ、大腰のような投げ技でグラウンドに叩きつけられるとアップショーを止めようとした両軍選手の下敷きとされてしまった。その後アップショーが顔面から流血するほどの大乱闘に発展しアップショーは退場、そして自身も腰を強打したために降板している。95年秋に金銭トレードでダイエーに移籍すると専らワンポイントリリーフとして起用され97年に引退。その後は西武の打撃投手を経て、現在は富山県のクラブチーム・ロキテクノベースボールクラブのヘッド兼投手コーチを務めている。
・アレックス・グラマン 【西武(06-11)、投手】 1977年
※来日前は主にマイナーリーグでプレーしていたがスカウトからの評価も高く、日本ハムとの争奪戦を制して西武が獲得し2006年に入団。193cmの長身から投げ下ろす速球を武器としており、同じく195cmのギッセルとともに「ツインタワー」コンビを形成した。1年目は主に先発として起用されたが不安定な投球が目立ち4勝6敗・防4.26に終わるも、翌2007年に中継ぎに転向したことで投球内容が劇的に改善され、後半戦には不振の小野寺力に代わって抑えの座を勝ち取り、わずか3ヶ月でリーグ5位の17セーブを記録した。そして2008年には前年以上の安定感を見せて球団史上初となる助っ人の30セーブを達成するなど、55登板で31セーブ・防1.42の好成績でリーグ優勝に貢献。日本シリーズでも第7戦で2イニングを投げて胴上げ投手となるなど日本一に大きく貢献した。しかし翌年以降は肩の故障に悩まされ、復活を期待されながらチームに残り続け、2011年には29試合に登板するもかつての投球は取り戻せず同年限りで退団。その後は韓国・起亜でプレーする予定だったが肘の故障が見つかったために正式な契約は得られなかった。
・ヴァル・パスクチ 【ロッテ(05-06)、外野手】 1978年
※2005年にロッテに入団すると、開幕2戦目の楽天戦で2本塁打含む5打数4安打7打点と大暴れの活躍を見せ、チームは26-0で大勝。その後は自身の不調とイ・スンヨプの台頭もあり2軍に降格したが、ベニーの故障で後半戦に1軍復帰。下位打線での起用がほとんどだったが一時期打率3割をマークするなど好調をキープし最終的には打率.284 8本でシーズンを終え、当時27歳とまだ若かったために今後を期待され残留となった。翌2006年はイタリア代表として第1回WBCにも出場。シーズンでは8月に外国人初の代打の代打でサヨナラ本塁打を放つなど7本塁打を記録し、前年を上回る69試合の出場・13本塁打を記録したが打率.222、得点圏打率は.135、安打数の1.5倍以上の77三振と打撃の粗さが目立ち、結局同年限りで退団となった。その後はマイナーリーグでプレーする中で2009年も引き続きイタリア代表で第2回WBCに出場し、2011年にはメッツで自身7年ぶりのメジャー昇格を果たした。現在はメキシカンリーグでプレーしている。
おめでとうございます
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明日、岸の楽天入団会見が開かれる予定だそうです
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ロッテは17日、マット・ダフィーの入団が決定したと発表した。
ダフィーはアメリカ出身の27歳、身長191センチ体重98キロ。テネシー大から2011年にアストロズに入団。2015年にメジャーデビューを果たし、通算11試合試合に出場して3安打3打点、打率.273という成績を残している。今季途中からはレンジャーズ傘下3Aでプレーした。
http://baseballking.jp/ns/96064
ロッテダフィー正式に
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【楽天】登録名変更
▼ 今江敏晃
新:「今江年晶」
ファッ!?
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【楽天】登録名変更
▼ 哲朗
新:「西田哲朗」
戻すのか
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そんな霊能力者みたいな
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西田は残当
今江は訳が分からないよ
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ダフィー8000とかお高いわ
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雄太のおかげで大抵の登録名は変に感じなくなった
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ダフィー8000万ならゴメスはなさそうか
ダフィーにサード守らせるならデスパ次第でありそうだけど
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マット・ダフィー取るとかすごいと思ったらマット・ダフィーじゃなかった
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>>532
生年月日無しだしネットのだから参考程度だけど、リーダーシップを発揮できるらしい
http://imgur.com/kOWvFhQ.jpg
http://imgur.com/BeoWVLp.jpg
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【ロッテ】
球団は17日、ヤマイコ・ナバーロと来季契約を結ばない旨を発表。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161117-00000080-sph-base
涌井に酷い対応して叩かれたのが懲りたのか、穏便に済ませたいコメントですね
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毎度のことながらオリックスの金の使い方すごいですねこれ
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今年2億円の年俸の陽岱鋼を獲得に向かうなら
1年辺り3億円払うくらいは適正だろう
どことでも交渉することが可能なFA選手を入団させるってことは
最終的に契約を結んだ金額が適正価格
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オリは生え抜きの高給取りが金子、平野まで不在だったんですよね
長年プレーした功労者にきっちりと金額を提示できてるのは
いい傾向なんじゃないですかね
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161117-00000017-sph-base
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ヘルメン入団確定か
テストだから高くても4000万ってところですかね
ディクソン、ウェスト、コーク、ヘルメン
来季の投手はこの4人体制みたいですね
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補強は必要なんだろうけどオリックスの金を無駄に使ってる感
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といっても最下位で入れ替え無いなんて有り得ないですからね
ヘルマンとペーニャが相応に働いた2年前は現に2位だったわけですから
来年のオリックスは外国人が打線で機能すれば上がると思いますよ
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藤川球児22復活は正直予想してたけど、上本4番剥奪か
まあ、まさかというよりついにというべきかもしれんけど
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11月18日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
なし
OBなど
・森繁和 【1978年ドラフト1位→西武(79-88)、投手】 1954年
※科学技術工業高で2年生からエースとなったが3年時に廃校が決定したため、駒沢大付高に転校。そのまま駒澤大学に進むとここでもエースとして在学中に東都大学リーグで5回の優勝を経験。76年の全日本選手権では1回戦で完全試合を達成するなどの活躍を見せ、同年のドラフトでロッテにドラフト1位で指名されるもこれを拒否し、住友金属に入団。77年の全日本選手権ではチームを初優勝に導き、翌78年のドラフトで4球団の競合の末に西武に入団。1年目から先発陣の一角を担い、同年はチームが最下位に沈んだこともあり5勝16敗と大きく負け越すが、2年目以降は3年連続で2桁勝利を記録し、東尾修や松沼雅之とともに投手陣の中心選手となる。その中の82年からリリーフに転向し同年の優勝に貢献すると、翌83年には当時の日本記録となる34セーブをマークして最優秀救援投手のタイトルを獲得。しかしその後は怪我に悩まされ成績が低下し88年に引退。それでも9年間で344登板・57勝・82セーブと結果を残した。引退後は西武や日本ハム・横浜と数々の球団で投手コーチを務め、2004年からは落合監督のもとで中日のコーチに就任し2011年まで4度のリーグ優勝に貢献した。同年限りで落合が解任されると同時に自身も退団し、一時期は解説者を務めていたが谷繁監督が就任した2014年からはヘッドコーチとして復帰。昨年には谷繁が監督を休養した際に監督代行を務め、そして来年からは63歳にして初の1軍監督に就任。土井正博・森脇浩司・田村藤夫らを招聘し、FA宣言した大島や平田を残留させるなど早速その手腕を発揮しており、来季のチーム再建が期待される。中日のコーチ時代にはシーズンオフに若手をドミニカのウィンターリーグに派遣すると同時に自らもドミニカに赴いて外国人をスカウトし続けており、ブランコやネルソンなど数々の助っ人を発掘している。またコーチとしては非常に優秀な指導力を持っているが、風貌があまりにもいかつすぎるためにそちらの方面での逸話も多い。
・音重鎮 【1987年ドラフト5位→中日(88-90)→広島(91-95)→中日(96-99)、外野手】 1963年
※星陵高校では1年次の79年夏の甲子園から既にベンチ入りを果たし、3回戦の箕島高校との試合では6番・ライトで出場し延長18回を戦い抜いた。卒業後は名古屋商科大・新日鉄名古屋を経て中日に入団。強肩好守の外野手として1年目から控えとして1軍で出場機会を稼ぎ、同年のリーグ優勝に貢献。2年目の89年には9回裏一死までノーノーに抑え込まれていた巨人・斎藤雅樹に対し代打で対戦し安打を放って記録を阻止する活躍を見せたが3年間で定位置を獲得することはできず、90年オフに広島にトレードで移籍。彼の名が世間に大きく広まったのは移籍から3年経った94年の横浜戦であり、その試合においてライトを守っていた自身は佐伯貴弘が放ったホームラン性の打球を広島市民球場のフェンスをよじ登ってキャッチするスーパープレイを見せ、この守備の映像が松下電器のテレビのCMに使われるなど非常に大きな話題を呼んだ。翌95年にはアキレス腱断裂の大怪我を負った前田智徳の穴を埋め、自身唯一の規定打席に到達。金本や緒方とともに強力な外野トリオを形成し、自身初のGG賞も獲得した。同年のオフに再びトレードで中日に復帰し、左の代打などで起用されたが年々出場機会が減少。愛甲猛の活躍もありチームが11年ぶりに優勝した99年に引退。その後は中日のスコアラーを経て2002年から2008年までコーチを務め、現在は中国・四国担当のスカウトとして活動している。
続く
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・ロブ・マットソン 【近鉄(98-99)、投手】 1966年
※来日前はメジャー経験がなく、日本での活躍をアメリカの契約に繋げようと意気込み、近鉄に入団。特徴はなんといっても、日本では希少なナックルボーラーであり投球の大部分がナックルだった。本人も「投げたボールがどこに行くか分からない」と語るほどの変化量を誇り、特に海風の影響で不規則な変化を倍増させる千葉マリンスタジアムでの登板を得意としていた。1年目の98年にはそのナックルを武器にチーム最多の9勝をあげるなど結果を残したが次第に対策を立てられるようになり、相手打者が打席の後方に立ちひたすらストレートを待つ作戦に切り替えると、変化球の大部分が見極められてしまい翌99年は成績が低下し5勝どまりとなり、同年限りで退団となった。その後は再びマイナーリーグでプレーした。
・上田佳範 【1991年ドラフト1位→日本ハム(92-05)→中日(06-08)、外野手】 1973年
※松商学園高時代はエース投手として甲子園に2度出場。91年春の選抜では初戦で同学年の愛工大名電・鈴木一朗を無安打に抑え込み、続く2回戦以降では天理高校・大阪桐蔭高校・国士舘高校の3校に対して3連続完封勝利を記録するなど準優勝を経験。同年のドラフト1位で日本ハムに指名され入団するが肩の故障によって1軍登板を果たせず、高校時代から打撃力も高かったこともあり2年目の93年から外野手に転向。4年目の95年に1軍デビューを果たすと強肩と好守を武器に90年代後半の日本ハムを支え、97年には打率3割をマーク。しかし2001年以降は故障に悩まされ出場機会が減少し、2005年に戦力外となる。トライアウトも受験し、かつてチームメイトだった落合が監督を務める中日のテストに合格し、入団。2006年には通算1000試合出場を達成したもののほぼ守備固めとしての起用が続き、その後は2軍暮らしが主となった。結局かつての成績を残せぬまま2008年に現役を引退。引退後は昨年まで中日のコーチとしてチーム残り、今年からはDeNAの1軍外野守備走塁コーチを務めている。
・田中良平 【2000年ドラフト1位→ロッテ(01-08)、投手】 1982年
※加賀高校では七尾工業高の森大輔、敦賀気比高の内海哲也とともに北陸三羽ガラスの1人として名を馳せ、2000年のドラフトで1位指名を受けてロッテに入団。しかしプロでは順風満帆とはいかず3年目の2003年に1軍デビューを果たすも、その後は故障もあって長い2軍生活が続き2006年には制球難克服のためにサイドスローに転向するも結果を残せず、結局8年間で1軍登板は2003年の5登板のみに終わり、2008年に戦力外通告を受けた。しかし現役を諦めずトライアウトも受け、翌年5月に渡米してオリオールズとのマイナー契約を掴む。2011年にはA+でチームの優勝に貢献するなど活躍するもメジャー昇格には及ばず、オフには再び日本のトライアウトも受験したがオファーは掴めず、翌2012年に現役を引退。現在は元巨人の小野剛が塾長を務める野球塾で講師を務めている。弟の靖洋は現役選手であり、今年からは自身と同じくロッテでプレーしている。
おめでとうございます
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遅れましたが今日の退団情報です
また以前厳しいかなと思っていた契約更改情報もちょっと余裕ができたのでぼちぼちまとめていくかも…しれません
【ロッテ】
・ヤマイコ・ナバーロ(29・内野手) 2016年入団 年俸:1億4000万円
1軍:82試合 .217 (286-62) 10本 44打点 64三振 49四球 0盗塁 OPS.679
2軍:20試合 .333 (66-22) 2本 11打点 9三振 15四球 0盗塁 OPS.948
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木村昇吾がまさかの(?)育成再契約
怪我治らんとどうしようもないが果たして
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膝の前十字靭帯断裂は東出と同じケガで元に戻ることは恐らくないんだよなあ
今回の育成再契約も温情の面が強そう
西武といえば浅村がついに背番号3に
今年の成績なら誰もが納得でしょう
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村田透がハムに入団して日本球界に復帰するそうですね
楽しみです
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161118-01739780-nksports-base
ZOZOマリンスタジアム、爆誕
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https://www.opsco.jp/eshop/products/detail80.html
わかさスタジアム(西京極)プロ野球日記
ココデ出版
2016年10月9日発売
(紹介文より)
西京極で行われたプロ野球の試合結果をまとめました。地元出身者はもちろん、有名無名たくさんの選手が登場します。
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>>555
去年は球団から背番号3を打診されて浅村が辞退したんだっけ
清原の逮捕があってそのとき背番号3を付けてなくてよかったと思った
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阪神がSB柳瀬の獲得を正式発表
ロッテ伊藤は巨人で入団テストの真っ最中
そしてヤクルトは楽天育成の榎本を調査中
戦力外組の動きはこんなもんか
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ロッテも3選手テスト中だし今年は結構拾われますね
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11月18日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・本多雄一(32) (ソフトバンク・内野手・2005年大社ドラフト5位)
※昨年は故障で満足に活躍できず、今年も前半戦までは不本意な成績に終わっていたが、8月に打率.368を記録するなど順調に成績を伸ばして、最終的には3年ぶりに100試合以上に出場し、打率.280・チームトップタイの23盗塁。来季もFA権を行使せず残留が決まっており、王座奪還へホークスを支えていきたい。
・大隣憲司(32) (ソフトバンク・投手・2006年ドラフト希望枠)
※国指定の難病・黄色靭帯骨化症を乗り越え、昨季は先発ローテの一員として5勝をあげるも左肘の故障で6月に早々とシーズンを終えた。今年は若手の台頭もあってシーズンの大半を2軍で過ごし、1軍登板は7月の1試合のみだったがその楽天戦で6回1失点と好投し白星。しかし貴重な左の先発要員でもあり、来季こそは再びチームに貢献したいところ。
・松井雅人(29) (中日・捕手・2009年ドラフト7位)
※一部で人気を博している選手でもあるが、今年は桂や杉山の台頭もあり自身の立場は非常に厳しいものとなり、シーズンの大半を過ごした2軍でも打率.178と打撃難は相変わらず。契約更改では限度いっぱいの25%減と苦しいシーズンを送った。かつては谷繁の後継者として期待されていただけに、来季は背水の陣となることだろう。
OBなど
・寺田陽介 【南海(56-61)→中日(62-63)→東映(64)、内野手】 1934年
※博多工業高・日鉄二瀬を経て南海に入団。1年目から一塁手のレギュラーを掴み、当時の400フィート打線の一角を担った。打撃に少し粗さはあったものの堂々とした体躯を武器に長打力を発揮し、下位打線で貴重な活躍を見せていた。また守備にも定評があったのだが、61年の日本シリーズ第4戦において、1点リードで迎えた9回裏2死の場面で巨人・藤尾茂のフライを落球。さらにその後球審である円城寺満のトラブルも重なりそのままチームは逆転サヨナラ負けを喫し、そのまま日本一も逸したことからシリーズの流れを変えた「世紀の落球」として当時大きな話題を呼んだ。この失策は自身のメンタルにも大きく影響し、鶴岡監督もこのままチームに残せばヤジなどに苦しむと判断しオフに中日にトレードで移籍。しかし「フライを捕るたび、あのことを思い出す」とトラウマは深刻なものに悪化しており、その後は目立った成績も残せず、64年に移籍した東映で引退。その後は球界から離れ、石材加工業を営んでいる。
・水谷実雄 【1965年ドラフト4位→広島(66-82)→阪急(83-85)、外野手・内野手】 1947年
※宮崎商高では64年夏の甲子園で4番・エースとして準決勝までチームを導き、ドラフト4位で広島に入団。しかし入団直後に腎臓病を患ったり、当初は三塁手だったが守備難により外野手に転向するなど前途多難なプロ人生を送った。しばらくは2軍暮らしが続いていたが、5年目の70年に上田利治や関根潤三といったコーチたちの指導もあり1軍定着。翌71年には左翼手のレギュラーを獲得しリーグ3位の打率.283を記録する。その後は広島の主力打者と成長し、75年の初優勝にも貢献して優勝決定試合ではウイニングボールを掴んだ。また78年には球団初の3年連続打率3割をマークするとともに、球団記録の打率.348をマークし首位打者のタイトルを獲得するなど山本浩二・衣笠祥雄とともに広島黄金時代を築き上げた。その後も不動の5番打者として活躍を続けたが82年オフに加藤英司とのトレードで阪急に移籍。83年には新助っ人のブーマーを押しのけて4番・指名打者として130試合にフル出場し、自身最多の36本塁打・114打点の好成績で打点王のタイトルを獲得。しかし翌84年の開幕戦で土屋正勝から頭部死球を受けた際に三半規管を骨折。この故障の影響は大きく、復帰後は成績が低迷し85年限りで引退。その後は阪急・広島・近鉄・ダイエー・中日・阪神と6球団でコーチを務め、現在は西宮市内で飲食店を経営している。
続く
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・アンディ・シーツ 【広島(03-04)→阪神(05-07)、内野手】 1971年
※内野ならどこでも守れてさらにその守備力も高く、広島に入団する際も打撃力ではなく守備を期待されていた。すると来日1年目はその守備で14失策を喫する一方で打撃でチームに貢献し、後半戦には不振の新井貴浩に代わって4番打者となるなど打率.313 25本 75打点の好成績を残す。翌年も4番・遊撃手として前年同様の活躍を見せるも契約面でチームと折り合わず、退団。ソフトバンクとの争奪戦を経て、タイロン・ウッズの獲得に失敗していた阪神が獲得し移籍。阪神では主に一塁手として活躍し、高い守備力を発揮して3年連続でゴールデングラブ賞を受賞。2005年には1試合3本塁打を放つなどリーグ優勝に貢献するなど助っ人として見事な成績を残した。しかし打撃成績が低迷した2007年限りで自由契約となり、「阪神以外でプレーする気はない」と語り現役を引退した。その後2009年にメンチをはじめとした助っ人がことごとく外れたこともあり、更迭されたオマリーの代役として駐米スカウトに就任。そして初めて獲得したのが214安打を記録したマートンであり、その後2014年にはゴメス(同時に候補に挙げていたのが後に西武に入団するメヒアだった)を獲得するなどそのスカウト能力は非常に高く、球団からの信頼も厚い。
・マリオ・バルデス 【近鉄(04)、外野手】 1974年
※97年にホワイトソックスでメジャーデビューを果たし、その後は主にマイナーリーグやメキシカンリーグでプレーし、2004年のシーズン途中に不調が続いていたバーンズの代役として期待され、近鉄に入団。期待の現れとしてブライアントと同じ応援歌が使われ、デビュー戦となった7月2日のオリックス戦で初安打を初本塁打で飾ると、翌日の試合ではサヨナラタイムリーを放つなど大活躍。その後も7月の間は助っ人として見事な活躍で、登録名から「スーパーマリオ」というニックネームが付けられた。しかし8月に入ると一転して弱点を突かれて成績が急降下。8月末には2軍落ちとなり、そのまま1軍にまた呼ばれぬまま退団となった。なおオフに近鉄は合併で消滅したために、彼が近鉄が最後に獲得した助っ人となる。退団後は再びメキシカンリーグでプレーしていた。
・吉野誠 【1999年ドラフト2位→阪神(00-07)→オリックス(08-13)→ソフトバンク(13)、投手】 1977年
※大宮東高校から日本大学を経て阪神に入団。入団時はオーバースローであり、1年目から中継ぎとして積極的に起用された。転機となったのは3年目の2002年であり、サイドスローに転向したことで球威がアップ。主に左のワンポイントとして起用され、特に松井秀喜キラーとして名を馳せた。2003年には安藤優也やウィリアムスとともに中継ぎ陣の一角として活躍し、チーム最多の56試合に登板。日本シリーズでは7試合中6試合に登板して全て無失点に抑える活躍で星野監督からもその働きを絶賛された。しかし翌年以降は故障の影響もあり登板機会が大幅に減少し、2007年オフにトレードでオリックスに移籍。すると新天地で貴重な左の中継ぎとして復活を果たし、同年は43試合に登板しチームの2位浮上に貢献。その後は再び低迷が続いたが、2011年に再度復活し、対左のワンポイントとして50試合に登板し自己最多の12ホールドを記録。翌2012年も同様の活躍を見せたが、2013年に再び不振となりシーズン途中にソフトバンクにトレードで移籍するも、1軍で登板できずわずか半年で戦力外となった。その後はトライアウトも受験するも現役を引退し、現在は阪神の関東地区担当のスカウトを務めている。前述通りサイドスローに転向して大成した選手であるがその反面制球が課題となり、2003年にはイニング内で5連続四球、2004年には8失点の大乱調で1イニングで64球を投げるなど不名誉なプロ野球記録も保持している。
・小山桂司 【2005年大社ドラフト5位→日本ハム(06-08)→中日(09-11)→楽天(12-15)、捕手】 1980年
※秋田経済法科大学を中退してシダックスに入団し、野村監督のもとで才能が開花し日本ハムに入団。しかし1年目から寝坊や素行不良が問題視され、捕手としても鶴岡慎也や高橋信二の壁に阻まれ、3年目の2008年に戦力外となる。その後、落合監督の目に留まって中日に移籍。すると移籍1年目には谷繁に次ぐ2番手捕手として定着し、その後も小田幸平とともにチームを支えた。2011年には51試合で打率.280をマークするなど打撃面でも成長を見せ、オフに金銭トレードで楽天に移籍。1年目の2012年こそは嶋基宏の故障により出場機会を得たが、その後は伊志嶺忠や小関翔太の台頭もあり徐々に出場機会が減少。そして昨年戦力外となり、現役を引退した。現在はブルペン捕手兼打撃投手として古巣の中日に復帰している。
おめでとうございます
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契約更新で保留してプチギレ会見したけど、2回目の交渉までの間に周りから相当心配されて大変なことをしてしまったと反省した小山かわいかった
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楽天のペレス、ブリガム、リズが退団
助っ人補強も大物狙ってるのかな
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この3人以外みんな残留とすれば、野手はウィーラーアマダーペゲーロの3人体制でいいんじゃないかな
投手は獲りにいくでしょ
重要度は先発>中継ぎかな?どっちも必要とはおもうが
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大島も平田も変動制か
そりゃそうだよな
特に平田の方はまだまだ若いのに成績上がってもずっと1.2億とか買い叩かれてるだけやし
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チームの成績が悪いので収入が少なく年俸を上げにくいのと
平田が毎年怪我して20試合強欠場してるのが主な原因ですかね
中日の査定は出場試合数に重きを置いて査定するので妥当なんじゃないですかね
好きな選手ですが毎年期待どおりの数字残した年が記憶にないです。
(期待が大きすぎるのかもしれませんが)
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つっても弱いとは言え平田・大島クラスをケチると流出防げないし、新加入も難しくなるしで痛し痒しですね
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11月20日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・カルロス・ペレス(25) (巨人・投手・2015年入団)
※昨年6月に来日し、BCリーグ・福島では2ヶ月で11試合に登板し57.2回を投げ80奪三振。150キロを越える速球を武器としており、今年は主に3軍で中継ぎとして起用され16登板・20.1イニングで4勝・29奪三振を記録したが21与四球と制球難もあり防御率は4.89に終わった。外国人ということもあり支配下までの道は険しいが、まだ若いために可能性に溢れる投手でもある。
・田村丈(24) (DeNA・投手・2015年育成ドラフト3位)
※高校時代に投手に転向し、関西大学では故障もあって0勝。4年次にDeNAと広島のテストを受けるも不合格となり、ジムで1年間浪人して身体を鍛え、再びDeNAのテストを受けて合格し入団にまでこぎつけた苦労人。今年は2軍で8試合に登板して22イニングを投げて、2勝1敗・防4.09。高い身体能力を活かし、プロの世界でも這い上がって1軍の戦力となれるか期待したいところ。
・阿知羅拓馬(24) (中日・投手・2013年ドラフト4位)
※2年目の昨季までは2軍でもまったく結果を残せなかったが、3年目の今年は2軍で26試合に登板し7勝3敗・防1.51の好成績。さらに1軍デビューも果たし、その1軍でも13試合の登板ながら防2.51とまさに飛躍のシーズンを送った。新たな救援の戦力として、来季は1軍でさらなる活躍が求められる。ちなみにドラフト入団時は落合GMの隠し球的存在だった。
続く
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OBなど
・根本陸夫 【近鉄(52-57)、捕手】 1926年
※旧制日大三中から関根潤三とバッテリーを組み続け、法政大学やノンプロを経て52年にその関根の推薦もあって近鉄に入団。リード力が非常に高く、再び同僚となった関根をはじめとした近鉄投手陣からは気分よく投げられると非常に評判が高かった。また55年からはプロ野球経験のない芥田武夫監督をサポートし、投手のローテは全て自身が決めていた。しかし3年目に肩を故障したためにプロの舞台では大成はできず、57年にわずか6年で現役を引退。その後はスカウトとして土井正博を獲得し、コーチとしてもその土井を育て上げた。66年限りに近鉄を退団すると直後に広島にコーチとして移籍し、68年には監督に就任。トレードで獲得した山内一弘の復活や安仁八宗八・外木場義郎の両投手の活躍もあり、球団創設19年目にしてチーム初のAクラス入りを果たす。その後はチームは再び下位に沈むが衣笠祥雄や山本浩二ら若手打者を積極的に起用し後の黄金時代の礎を築き、72年限りで広島を退団。その後は解説者を経て78年に当時低迷していたクラウンの監督に就任。ここでも真弓明信ら若手を育成し、翌年からは西武の初代監督となった。西武では監督の傍らで管理部長も兼任し、後の西武黄金時代を築く多数の選手を移籍・ドラフト・ドラフト外を問わず多方面から獲得。81年限りで監督を退任して以降も管理部長を引き続け務め、後任の監督として広岡達朗を招聘し、チームが黄金時代となっていく中で清原和博らの獲得に大きく貢献するなどその辣腕を振るい続けた。93年からはダイエーの監督兼代表取締役専務となり、西武と同様に再びチームの再建を進めた。秋山幸二をトレードで獲得したり、小久保裕紀らを逆指名のドラフトで獲得するなど順調に戦力を補強し、94年限りで監督を退任すると王貞治を監督に招聘するなど変わらず手腕を発揮。99年には球団社長となるが、4月に急性心筋梗塞によって72歳で逝去。しかし同年、ダイエーは快進撃を見せて移転後初優勝を飾った。広島・西武・ダイエーの3球団において様々な選手を様々な手段で獲得し、いずれも初優勝の土台を築き上げるなどその功績は非常に大きく、「球界の寝業師」「根本マジック」と称された。2001年に野球殿堂入り。
・鈴木貴久 【1984年ドラフト5位→近鉄(85-00)、外野手】 1963年
※旭川大学高では80年夏の甲子園に出場。その後電電北海道を経て近鉄に入団。3年目の87年から外野手のレギュラーに定着し、そこから4年連続で20本塁打以上を記録するなど強打者として活躍。また怪我を恐れない外野守備も特徴的で、89年の優勝がかかった試合には外野フェンスにぶつかりながら打球を好捕して大喝采を浴びた。その後90年代にわたって近鉄・いてまえ打線の主軸打者として活躍.。また開幕戦に強く、通算で3本のホームランを放っており、特に97年の1本は大阪ドーム公式戦初本塁打となった。また86年・99年の2度にわたって工藤公康のノーノー(前者は完全試合)を阻止している。15年間で192本塁打を放ち、2000年限りで現役を引退。その後は近鉄の2軍打撃コーチを務め、大西宏明らの育成に手腕を発揮したが、2004年の5月に急性気管支炎のために40歳という若さでこの世を去った。前日にも球場に顔を出し、愛犬の散歩もしていたこともあり彼の死は多くの関係者に衝撃を与えた。
・光山英和 【1983年ドラフト4位→近鉄(84-96)→中日(97-99)→巨人(99-00)→ロッテ(01)→横浜(02)、捕手】 1965年
※上宮高校では笘篠賢治とともに83年春の選抜に出場し、同年のドラフトで近鉄に入団。それまで正捕手だった梨田昌孝の衰えもあって、3年目の86年に1軍デビューを果たし、その後は山下和彦や古久保健二とともに後継者の座を争った。89年には負傷した山下に代わって日本シリーズ第2戦から出場し、第3戦ではそれまで記録していなかった本塁打を放ち、勝利に貢献。90年以降は主に野茂英雄の専属捕手としてレギュラーに定着し、巨体から繰り出す長打を武器に打撃面でも存在感を見せ続けた。しかし野茂がメジャーに移籍した95年以降は的山哲也の台頭もあり出場機会が減少。その後は故障もあって97年開幕直前に金銭トレードで中日に移籍するも、ほとんど出番はなく99年シーズン途中に同じ捕手の吉原孝介とのトレードで巨人に移籍。同年は故障で戦列を離れた村田真一の代役として起用されたが、翌2000年は再び出番がなくなり、その後はロッテや横浜と毎年のようにチームを転々。横浜退団後は韓国・ロッテでもプレーしたが2003年限りで現役を引退。その後は主に解説者として活動し、2011年からは西武のバッテリーコーチとなった。現在は古巣である横浜DeNAの1軍バッテリーコーチを務めている。
おめでとうございます
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遅くなりましたが今日の退団情報です
(契約更改情報は)悪いがもう少しだけ、追加で待っててくれないか?
【楽天】
・ジェイク・ブリガム(28・投手) 2016年入団 年俸:5000万円
1軍:11登板 0勝3敗 0S 1H 34.1投球回 27奪三振 16与四球 防5.24
2軍:15登板 6勝2敗 0S 73.2投球回 60奪三振 28与四球 防3.67
・ラダメス・リズ(33・投手) 2016年入団 年俸:1億円
1軍:5登板 0勝3敗 0S 1H 11.2投球回 13奪三振 9与四球 防6.94
2軍:10登板 4勝3敗 0S 45.1投球回 45奪三振 15与四球 防3.18
・フェリックス・ペレス(32・外野手) 2016年入団 年俸:1500万円
1軍:24試合 .239 (88-21) 5本 15打点 29三振 5四球 0盗塁 OPS.711
2軍:23試合 .338 (68-23) 4本 7打点 14三振 4四球 2盗塁 OPS.942
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岸の補償は金銭選手か
まああんまいいのいないとは思うけど
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元SBの巽はヤクルト入団決定
山中のようになれるか
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金銭オンリーか選手獲るかで7000万ちかく違うし
そらそのお金で外国人投手をってなるのは妥当だわな
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問題は近年の西武助っ投にロクなのがいないことだけど…
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来年はウルフが頑張るでしょ(勝てるとは言ってない)
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西武が欲しいのはとにかく投手
楽天のプロテクトリストから選手補償を選ばなかった場合の差額が推定6000万円ほど
6000万円の価値ある投手がプロテクトから漏れるのは普通考え難いですね
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もともと楽天も投手を補強したかったわけだし、そんなチームからお得な投手穫れるとは思ってなかったでしょうしね
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https://www.youtube.com/watch?v=STG87TzlGxs
巨人OBと台湾OBの親善試合やってます
試合開始は15:00から
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外国人補強で先発を補うつもりならジェイソン・ジョンソン(年俸3億)くらい奮発してもらわないと
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西武はそろそろ大石あたりが先発で覚醒したりしないですかね(届かぬ願い)
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せっかくリリーフで一人前になってきた大石をまた先発に戻して経験値リセットするんですか…?
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11月21日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
なし
OBなど
・三原脩 【巨人(34-38)、内野手】 1911年
※丸亀中学から高松中学に転校し、その後早稲田大学にスカウトされ入学。特に31年春の早慶戦では、相手投手・水原茂に対しホームスチールを敢行し、勝ち越したシーンは早慶戦史上にも残る場面となった。その後結婚を気に大学を中退し、ノンプロ・全大阪を経て34年6月にプロ野球の契約選手第1号として大日本東京野球倶楽部に入団。リーグ戦が開幕した36年には選手兼助監督となり、俊足堅守の二塁手としてプレーしたが、応召によって足を負傷したことで38年にわずか実働3年で現役を引退。その後再び応召されビルマ戦線で従軍し、戦後47年に巨人の監督に就任。49年には南海の選手を殴打するいわゆる「三原ポカリ事件」を起こし一時、無期限の出場停止処分を受けたが7月に復帰して2位に16ゲーム差の大差をつけてチームを優勝に導いた。しかし、シベリア抑留から帰国した水原茂の起用を巡って選手たちの自身に対する排斥運動が起き、50年オフに合併して西日本を吸収合併した西鉄の監督に就任。中西太や大下弘、豊田泰光や稲尾和久といった有望な若手を次々と獲得し、流線型打線を率いて54年にはチーム初の優勝に導いた。そして56年の日本シリーズでは水原率いる巨人と対戦することなり、「巌流島の決闘」と評された戦いを4勝2敗で制して念願の日本一を達成。そして58年には稲尾和久の4連投もあり3連敗から4連勝という大逆転劇もあり、3年連続で水原巨人を破って日本一となった。その後、翌59年オフに当時6年連続最下位に落ち込んでいた大洋に移籍し監督に就任。すると1年目から選手起用が冴え渡り、再び水原率いる巨人と激しい優勝争いを繰り広げ、最終的に球団史上初のリーグ優勝を達成。大毎との日本シリーズでも全て1点差で4連勝を果たして、日本一を達成した。しかしその後は2度の阪神との首位争いを制せず、67年限りで退団。その後は近鉄やヤクルトの監督を務め、特にヤクルトでは前年勝率.264と壊滅的だったチームを短期間で4位まで立て直した。その後73年からは日本ハムの球団社長となり、大沢啓二を監督に招聘したり、積極的な主力選手の入れ替えもあり81年にはチーム19年ぶりの優勝に貢献した。83年に競技者表彰で野球殿堂入りを果たすも翌年に72歳で逝去。数々の名勝負を演出した周囲の予想を超える選手起用や戦術は「三原マジック」と評され、監督としての3248試合出場、そして5球団の監督はそれぞれ日本記録でもあり今なおプロ野球における名将の一人として語り継がれている。
・石井晶 【阪急(60-71)、内野手】 1939年
※足立高校・東京鉄道管理局を経て、60年に阪急に入団。1年目から背番号6を背負うなどその期待は大きく、4年目の63年にはウエスタンリーグで歴代最高の打率.396をマークして首位打者を獲得。そして64年には戸口天従に代わって一塁手のレギュラーを獲得し、ダリル・スペンサーを押しのけて4番打者として自身最多の15本塁打をマーク。その後も多くの助っ人と併用される中で勝負強い打撃でチームの黄金時代を支え、特に日本シリーズでは32打数11安打・3本塁打を記録するなど大舞台に強かった。71年に引退後は阪急のコーチとしてチームの4連覇・3年連続日本一に貢献。その後はヤクルトや阪神のコーチを務め、特に阪神時代に指導し、退団後にメジャー本塁打王となったフィルダーには感謝の言葉を貰っているなどその指導力は確かなものだった。99年からは主にアマチュア野球の監督を務める傍らで解説者としても活動した。
続く
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・井本隆 【1972年ドラフト3位→近鉄(73-82)→ヤクルト(83-84)、投手】 1950年
※伊野商業高校・鐘淵化学を経て近鉄に入団。打者の内角を抉る鋭いシュートを武器として徐々に頭角を現して先発ローテに定着。特にチームが2連覇を達成した79,80年には2年連続で15勝をマークするなどエースとして活躍。しかし、そんな中でタレントの横山エミーとの不倫問題もあって週刊誌の紙面を賑わすことが多くなり、心機一転の意味もあって在京チームへの移籍を希望して82年オフにトレードでヤクルトに移籍。しかしセ・リーグではシュートが通用せず、84年限りで現役を引退。その後は球界から離れ、日音で勤務したり赤坂でクラブの支配人をしていたが、2007年から少年野球の監督に就任し、チームを率いていたが昨年1月に膵癌のために64歳でこの世を去っている。
・盛田幸妃 【1987年ドラフト1位→大洋・横浜(88-97)→近鉄(98-02)、投手】 1969年
※函館大付有斗高では3度の甲子園出場を経験し、ドラフト1位で大洋に入団。当初は先発投手だったが、江尻亮監督のもとで5年目の92年に中継ぎに転向。すると同年は52試合に登板して14勝、さらに規定投球回にも到達して防2.05で最優秀防御率を獲得するなど見事ブレイクを果たす。その後94年、95年には大魔神・佐々木主浩とともに「ダブルストッパー」として活躍し、95年にはリーグ最多の57試合に登板し防1.97という見事な安定感を発揮した。翌96年は監督に就任した大矢明彦のもとで再び先発に転向し、開幕投手も務めたが調整法の違いから不安定な投球が続き成績が低迷。そして97年オフに中根仁とのトレードで近鉄に移籍。翌98年の序盤は非常に好調だったが、5月ごろから体調不良に見舞われ、診断の結果ゴルフボール大の脳腫瘍が発見された。選手生命の危機でもあったが術後の決死のリハビリの結果、驚異的な回復を見せて翌99年のシーズン終盤には1軍復帰。そして2001年には自身3年ぶりの勝利投手となるなど34試合に登板し、中継ぎの一角として近鉄のリーグ優勝に貢献して自身もカムバック賞を受賞する。翌2002年限りで引退し、その後は横浜の球団職員を務める傍らで解説者としても活動。しかし、現役を引退して以降も脳腫瘍は彼を付きまとい、闘病生活を続けていたが昨年10月、45歳という若さでこの世を去った。
・バーバロ・カニザレス 【ソフトバンク(14-16)、内野手】 1979年
※来日前はキューバリーグやマイナーリーグ、メキシカンリーグや独立リーグと様々な国でプレーし、2013年には第3回WBC予選のスペイン代表に選出。そして同年オフにソフトバンクが獲得を表明した。しかし同年は同じポジションの李大浩に加え、スタンリッジやウルフ、サファテといった多くの助っ人が新たに加入したこともあり外国人枠の影響で1軍になかなか呼ばれず。そんな中で2軍では格の違いを見せ続け、昨年には打率.324 18本 56打点の好成績で本塁打・打点・出塁率のウエスタン3冠王となった。そして李大浩が退団した今年は1軍で自己最多の16試合に出場。2軍でも14本塁打を記録していたが結局1軍で大成することはなく今年限りで退団となった。名前が名前だけに蟹にちなんだ愛称で親しまれていたが、実は甲殻類アレルギーで蟹は苦手であった。
おめでとうございます
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糸井は阪神で決定かぁ
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ヤクルト徳山は越智大隣と同じ黄色靭帯骨化症か
例の2011ドラフトも比屋根に育成落ちの古野くらいしかもうおらんね
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なぜか野球選手に多い難病
越智も終わってしまったし大隣さんも駄目になっちゃったからこれはなあ…
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越智は難病患って引退した時点では同情されてたのにその後はまあ…
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発症が稀なのにしかもピッチャーばっかですね
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日本人は欧米人などと比べて発症しやすいとのことで
野球選手が多いのはなぜかということはまだ因果関係がわかってないみたいです
安達なんかもそうですけど本人にはどうしようもないことで病気になるのはただただ気の毒ですね…
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古野はサイドじゃないと投げられないってかなり肩の状態まずそうですね…
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フロントや編成のツケを2軍で選手が払うっていう悪循環に陥ってるなぁ・・・
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広島・デラバーはてっきり残留が既定路線かと思ってたけど
とはいえジョンソン、ジャクソン、ヘーゲンズの来期残留が既にまとまってるわけだし、
4番目の投手外国人は嫌かな、やっぱり
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投手外国人の4番目ってノーチャンスに等しいですからね
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ハム:糸井・八木⇔木佐貫・大引・赤田:オリ
これで全員球団からいなくなりましたね
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11月22日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・下園辰哉(32) (DeNA・外野手・2006年大社ドラフト4位)
※シュアな打撃と卓越した選球眼を武器とする球団屈指のイケメン外野手。今年は年間通してほぼ代打としての出場が主となり、4月1日の阪神戦ではプロ10年目で初のサヨナラ安打を放つなど得点圏打率は4割をマークするなど勝負強い打撃で幾度となくチームに貢献した。チームにとって貴重な戦力へと成長した11年目の来季もその「ゾノアイ」で相手球団の脅威となりたい。
・大木貴将(25) (ロッテ・内野手・2015年育成ドラフト1位)
※四国IL・香川では、3年目の昨季に1番打者として打率.327 43盗塁を記録し首位打者・盗塁王の2冠を獲得。守備は主に二塁を守るが三塁や外野もこなし、2軍でも106試合に出場して打率.251 16盗塁と前評判通りの活躍を残し、7月末には同じく育成ドラフトで入団した柿沼とともに支配下登録を勝ち取った。ナバーロも退団し、二塁のレギュラー争奪戦が勃発するであろう来季は首脳陣にアピールしたいところ。
OBなど
・青田昇 【巨人(42-43)→阪急(46-47)→巨人(48-52)→大洋(53-58)→阪急(59)、外野手】 1924年
※旧制瀧川中学で投手から外野手に転向し、甲子園にも出場。当時から無類の強肩で手榴弾投げでは81m50cmの記録を作ったという。42年の甲子園が戦況悪化に伴い中止になったために17歳で巨人に入団。同年の秋季リーグでは新人ながらリーグトップの打率.389を記録し、翌43年は相手に研究されて打率.223 0本塁打と不調に終わるが42打点で打点王のタイトルを獲得。その後陸軍航空隊に自ら志願して入隊し、特攻隊にも志願したが出撃命令を受ける前に終戦を迎えた。その後阪急でプロ野球に復帰。野口二郎とともにクリーンナップを組み、この頃から「ジャジャ馬」のニックネームで親しまれた。その後は大下弘に影響を受けて長打力を伸ばし、48年に巨人に復帰。同年は川上哲治と熾烈なタイトル争いを演じ、当時のプロ野球記録となる25本塁打を放ってタイトルを川上と分かち合った。また同年には打率.306で首位打者も獲得し2冠王となった。50年には打率.332 33本、そして現在でも球団記録の134打点をマークし、トリプルスリーも狙えた数字だったが惜しくも29盗塁で逃している。翌51年には32本塁打・105打点で2度目の2冠王となるも52年には不調に陥り、毎年契約更改で揉めていたこともあり、B級10年選手の資格を利用して大洋に移籍。53年はさらなる不調で打率.245 9本塁打に終わるも古巣の巨人戦で史上8人目のサイクル安打を達成。その後は54年に長らく球団記録となった月間13本塁打を記録するなど31本塁打で3度目の本塁打王となり、その後も56・57年にも本塁打王を獲得。しかし、その後は走塁の際に左足首を骨折したことにより大きく数字を落とし、58年には12年ぶりに阪急に復帰するも同年限りで引退。その後は62年に阪神のコーチを務め、藤本監督の片腕として同年のリーグ優勝に貢献。65年にも阪急のヘッドコーチとして67年の球団初優勝に貢献。その後は大洋に移籍しコーチを経て73年の1年だけ監督を務めた。そして80年には26年ぶりに巨人に復帰し江川や西本、篠塚といった若手らを地獄の伊東キャンプで徹底的に鍛え上げ、後の主力へと成長させた。以降は解説者として活動。97年に肺癌のためにこの世を去り、その11年後に野球殿堂入りを果たした。
続く
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・岡義朗 【1971年ドラフト5位→広島(72-80)→南海(80-83)→阪神(84-85)、内野手・外野手】 1953年
※岡山東商高では70年・71年と2年連続で夏の甲子園に出場。その後広島に入団するも、当時の広島は野手の層が厚く、長らく1軍定着を果たせぬままでいた。それでも内外野問わずどこでも守れる守備のスペシャリストとして活躍し、79年には阪神・掛布が放った本塁打性の打球をフェンスによじ登ってもぎ取ったことから「塀際の魔術師」の異名で親しまれ、同年の日本シリーズにおける「江夏の21球」のシーンにおいても守備固めで出場し左翼を守った。翌シーズン途中にトレードで南海に移籍するとここでも代走や守備固めとして重宝され、選手が故障した際には中堅手や遊撃手としてスタメン出場の機会も得るようになった。83年オフには金銭トレードで阪神に移籍し、85年に引退。その後は広島や阪神、オリックスの3球団でコーチを計25年間務め、現在は主に解説者や評論家として活動している。
・ケニー・レイボーン 【広島(05)、投手】 1974年
※来日前は主にマイナーリーグや独立リーグでプレーし、2005年のシーズン途中に広島に入団。193cmの長身から繰り出す150キロ超の速球と多彩な変化球を武器に、来日初登板の阪神戦で7回無失点に抑え、当時のチーム状況と名前から「チームに光をもたらした」と新聞などで称された。その後もヤクルト戦で完封勝利をおさめるなど先発ローテを支えたが、シーズン終盤は打ち込まれることも増え、最終的に3勝5敗・防5.06に終わりわずか3ヶ月ほどで戦力外となった。その後は台湾球界で「雷鵬」の名でプレーし、2006年には16勝5敗とエース級の活躍を見せ、アジアシリーズでは日本ハムと対戦し8回途中まで無失点に抑えた。韓国に移籍した翌2007年も17勝8敗の好成績でここでもアジアシリーズで中日と対戦している。その後は米独立リーグと台湾を行き来し、2011年まで現役選手として活躍していた。
続く
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・ジョニー・ゴームズ 【楽天(16)、外野手】 1980年
※2003年にデビルレイズでメジャーデビューを果たし、2005年には21本塁打を記録して新人王投票では3位にランクイン。その後は多数のメジャー球団でレギュラーとして活躍し、15年間で1203試合に出場し162本塁打を放った。そして今年2月に楽天に入団し来日。前述の実績もあり、期待されてはいたものの変化球への対応に苦しみ、4月6日には東明大貴から来日初本塁打を記録するも最終的に打率.169 1本塁打に終わり、4月末に家庭の事情で帰国。そして5月上旬には早くも退団が発表された。退団の理由としてはチームメイトとのコミュニケーションで言葉の壁を感じたことや、当時ソフトバンクとのビジターゲームを予定していた福岡市内で熊 本地震に遭遇して恐怖を感じたと後に明かしている。その後は一時、現役引退が米国で報じられたが、自身はそれを否定しており現在は50歳まで現役生活を続けることを目標にメジャーへの復帰を模索しているとのこと。
・金無英 【2008年ドラフト6位→ソフトバンク(09-15)→楽天(16)、投手】 1985年
※韓国・釜山で生まれ、中学卒業後にテレビで見た日本の高校野球に憧れて山口県・早鞆高校に野球留学。その後は福岡経済大学を経て四国・九州ILの福岡でプレーし、抑えとして35試合に登板し17セーブ・防0.41の好成績を残した。そういった経緯もありドラフトでは日本人枠として扱われドラフト6位でソフトバンクに入団。1年目から2軍で好成績を残し続け2011年には2軍の29試合の登板で自責点1・防0.22という圧倒的な数字を残した。そして2012年には主にビハインドでの起用が主だったが中継ぎとして1軍に定着。29試合の登板で防1.72と数字こそは良かったが他人のランナーを返すことも多く、いまいち信用を得られなかった。その後も2013,2014年と中継ぎの一角としてプレーしたが今ひとつ数字は伸びず、昨年は1軍登板なしに終わり戦力外通告を受けた。その後入団テストを兼ねて楽天の秋季キャンプに参加し、栗原・川本・山内らとともに合格を果たして移籍。新天地で飛躍を期待され、今年は2年ぶりに1軍登板を果たすも2試合の登板に終わり、2軍でも21試合で防御率6点台と苦しみ、2年連続で戦力外となった。先日行われたトライアウトも受験しておらず、今後の動向が注目される。
おめでとうございます
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オツカレー
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種田はなにをしてんですかね…
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ギャンブル狂いなのは有名なんで無免許スピード違反でまだよかった
暴力団やヤクザ絡みの違法賭博絡みかと思った
住所不定に軽い衝撃ですね…
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種田はまあギャンブル狂だったし
落ちぶれるのは悲しいけどもなあ
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週刊新潮より
そんな種田は05年に最初の結婚をしたが、
「種田さんは結婚前から毎週末、100万円単位で競馬にお金を注ぎ込み、新婚旅行先のラスベガスでも数百万円負けた――とA子は話していました」
そう語るのは、種田の元妻A子さんの知人である。
「A子は結婚後も種田さんとほとんど同居していません。
結婚直後から女性の声で“別れてほしい”と電話が入り、ストレスで2回も流産したし、8年前に横浜に家を新築しても、当時0歳の子もいた新居に、彼は一度も足を踏み入れなかったんです。
しかも年俸1億円のときもA子に渡すのは月35万円だけなのに、彼女が種田の現住所を探して訪れ、ポストの請求書を見ると、キャバクラなどで使った請求が月額600万円もきていたとか。
年俸が下がって税務署やサラ金から督促状がきて、A子が“どうするの”と聞くと“来年もやれると思っていた”。家のローンも滞納し、競売するしかなくなった末に5年前に離婚。
彼は月8万円の養育費を払う約束でしたが、2年前に5000円への減額を求めてきた。
調停で1万7500円に落ち着いたのですが、その際、種田さんには2番目の奥さんとの間に1人、愛人との間に3人、計5人の実子がいることがわかったんです」
えぇ…
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最終所属で表記するのが慣例だから元西武の種田か
一軍の試合に出てないから全く記憶にないな
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毎日新聞では元中日と報道されてますね
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ドリス退団か
肘の問題もあるんだろうから仕方ないか
投手枠はメッセマテオメンデスで終わりかな
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ドリスはヒジ手術するので来年投げれないし
メンデス獲得できたので球団もドリスも在籍する理由なしってところ
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161122-00000013-dal-base
これは期待できる
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西岡は背番号5か
糸井7は問題なく背負えそうですね
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>>609
ハーマンって見るとどうも某メタルバンドのギタリストを思い浮かべてしまう
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球界最高身長、球界最重量に続いて球界最高学歴か……
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バレンティンをよく現状維持1年契約で引き留められたな
ヤクルトでやりたいのが優先だったとしても
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11月23日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・井野卓(33) (ヤクルト・捕手・2005年大社ドラフト7位)
※巨人を戦力外になって移籍したヤクルトでの2年目の今季は自身3年ぶりの1軍出場を経験。2軍では山川・星野に次ぐ3番手捕手として22試合に出場した。来季は12年目と、既にベテランの域となったが堅実なリードとキャッチングでチームを支えていきたいところ。
・嘉弥真新也(27) (ソフトバンク・投手・2011年ドラフト5位)
※2軍では中日・祖父江とともにリーグトップタイの11セーブを記録するなど守護神として起用されたが、1軍では5登板で4被本塁打を喫するなど防8.59。2年連続の不振から脱却すべくオフの秋季キャンプではサイドスロー転向に取り組み、さらに先日には結婚も発表。FA宣言した森福の代役として来季は活躍が求められる。
・山川穂高(25) (西武・内野手・2013年ドラフト2位)
※体型・守備位置から「おかわり2世」の愛称で期待されている選手。今年はオープン戦から打率.313 4本塁打と好調で開幕1軍を掴み取るも1週間で2軍落ち。しかしその後、2軍では64試合で22本塁打という驚異的なペースでアーチを描きそのまま2軍の本塁打王を獲得。そして8月からは1軍でも本塁打を量産し、49試合で14本塁打・OPS.925を記録。本家の中村に負けず、来季はさらなる飛躍が期待される。
OBなど
・ウェイン・ケージ 【阪急(81-82)、内野手】 1951年
※インディアンスから81年に当時長打力不足に悩まされていた阪急に入団し、来日。打率.238、122三振と粗い打撃ながらリーグ4位の31本塁打・同2位の74打点をマーク。さらに一塁の守備を守ったことにより加藤英司の負担を減らすこともできたために一躍チームの救世主となった。翌82年もリーグ2位の31本塁打、チーム2位の72打点と昨季同様の活躍を見せたが、この年の阪急は主力打者が軒並み低打率に喘いだためにチームは4位に終わった。これにより長打力より確実性のある打者を獲得することをチームの方針としたために、同年限りで解雇となった。なお翌年阪急は後に三冠王となるブーマーを獲得している。
・ブルック・ジャコビー 【中日(93)、内野手】 1959年
※1981年にブレーブスでメジャーデビューを果たすと、84年に移籍したインディアンスでは以降、2度の球宴出場を果たすなど中心選手として活躍し、11年間で1311試合に出場し120本塁打をマーク。そして93年に現役メジャーリーガーの実績を引っ提げて中日に入団。前年入団し、打率3割を記録したパウエルとともに助っ人コンビとしての活躍を期待され、開幕戦から5番・サードを任されるも以降はまるっきりの不振。古傷の右ひざの故障もあって5月上旬には早くも退団し球団やファンを唖然とさせた。これにより中日は後に急遽、マット・ステアーズを獲得している。現役引退後はメジャーでコーチを務めており、現在はブルージェイズの打撃コーチ。ちなみに中日ドラゴンズを舞台とした92年公開の映画「ミスター・ベースボール」では主演のトム・セレックに野球の技術指導をしており、偶然なのかそこからわずか1年足らずで本当に中日に入団している。
おめでとうございます
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>>613
出来高の内容がかなり良いんでしょうかね
複数年の時の年俸自体も活躍関係なく上がってく感じで、優勝した昨年はほぼ怪我で出れなかったのに上がったりもありましたしその辺の差し引きとかもありそうですが
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大田の背番号は55、44ときて来期は33か。
そしてWikipediaの大田の写真が例のメシ食ってる奴になってて草
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【DeNA】
パットンの獲得を発表 世界一のカブスで今季16試合に登板
カブスで今季16試合に登板し、1勝1敗、防御率5.48の成績でした。
【ヤクルト】
今季3Aで65試合登板のギルメットを獲得 苦しいリリーフ事情を救えるか
ヤクルトの今季救援防御率はリーグワーストの4.34でした。
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>広島 来季スローガンは「カ舞吼-Kabuku-(かぶく)」
これもうわかんねえな(困惑)
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ロッテ新ユニがマジェスティック(前・デサント)、オリックスはデサント(前・ミズノ)か
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http://www.nikkansports.com/m/baseball/news/1742024_m.html
大山応援団爆誕不可避
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11月24日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・ホセ・ロペス(33) (DeNA・内野手・2013年来日)
※DeNAでの2年目となった今季は開幕から順調にアーチを描き続け、途中骨折で1ヶ月ほど離脱したり8月には30打席連続無安打のスランプもあったが、9月に12本塁打・26打点の大暴れで初の月間MVPも獲得し、来日最多の34本塁打・95打点をマークしてチーム初のCS進出に貢献した。来季以降も年俸2億3000万+出来高の2年契約でチームに残ることが決定しており、筒香とともに活躍が期待される。
・武隈祥太(27) (西武・投手・2007年高校ドラフト4位)
※昨年同様、左の中継ぎとしてシーズン通してフル回転し、64登板はサファテに並んでリーグ2位。課題は昨年同様、対右打率(.229)より悪い対左打率(.264)だろうか。10年目の来季も同じ左の小石とともにブルペン陣を支えたい。タケクマノカンジ、オボエテクレマシタ? カイテミテ…ン"ン"ッ、チガイマス!
OBなど
・江島巧 【1967年ドラフト2位→中日(68-72)→ロッテ(73-83)、外野手】 1949年
※平安高校では4番・外野手として活躍し、主将も務め甲子園にも2度出場。超高校級の折り紙つきのスラッガーとして期待され67年のドラフトで中日に入団。高卒1年目ながら68年にはプロ第1号から3試合連続で本塁打を放つなど鮮烈なデビューを果たす。その後2年目は右翼手のレギュラーを掴むも、プロの変化球の対応に苦しみ打率は低迷が続き、時代が時代なら「ロマン砲」と呼ばれていたような成績が続いた。72年オフに広瀬宰とのトレードでロッテに移籍。ロッテでは強肩を買われて主に外野の守備固めで起用されていたが、次第に打席に立つ機会も増えて長らく準レギュラーとしてチームで活躍した。83年限りで現役を引退し、その後はロッテのコーチや解説者、韓国・青宝のコーチを歴任した。
続く
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・デーブ・ハンセン 【阪神(98)、内野手】 1968年
※90年代前半はドジャースやカブスで準レギュラーとして活躍し、93年にはチーム記録の代打での18安打を記録。96年オフに自身のサイドから阪神側に売り込み、打撃のビデオを見た吉田義男監督は「いりまへん」とこれを一蹴。しかし諦めずその翌年の97年オフに再び阪神に売り込み、再びビデオを見た吉田監督は「だいぶよくなりましたな」と評価し、阪神入団に繋がった。だがこのとき吉田監督が見た映像は2年連続で同じ映像であり、さらに97年には自身はドジャースからカブスに移籍していたのにユニの違いにも気付かなかったという逸話がある。その期待も大きく開幕からクリーンナップの一員として起用されたが121試合で打率.253 11本と不完全燃焼に終わり、三塁守備も17失策と精彩を欠いた。結局1年で阪神を退団し、ドジャースに復帰。2000年には代打の切り札として活躍し、シーズン記録を68年ぶりに更新する代打7本塁打を記録した。2005年にマリナーズで引退し、その後はドジャースやマリナーズを経て現在はエンゼルスの打撃コーチ補佐を務めている。
・ジェイソン・ハッカミー 【ヤクルト(99-00)、投手】 1970年
※94年にメッツでメジャーデビューを果たし、その後は数球団を経て99年に若松勉新監督率いるヤクルトに入団。球速は140キロ前後だったがスライダー・チェンジアップを効果的に織り交ぜて打者を打ち取る左の技巧派投手であり、1年目から先発ローテを守ってあれよあれよと勝ち星を積み重ねチーム最多の12勝をマーク。翌年はさらに安定感を増して7月までに8勝をマークしたが、8月に左親指を骨折し残りのシーズンを棒に振った。当時30歳とまだ若く、怪我を治せばまだ活躍が見込まれる選手ではあったが、オフにチームは新たな左腕のニューマンを獲得したため自由契約。一時はロッテが獲得を表明するも家庭の事情を理由に入団とはならずそのまま帰国。その後はマイナーリーグや独立リーグで2009年までプレーしていた。
・清水直行 【1999年ドラフト2位→ロッテ(00-09)→横浜・DeNA(10-12)、投手】 1975年
※報徳学園・日本大学・東芝を経てロッテに入団。入団2年目までは先発・中継ぎの双方で起用されていたが、黒木知宏・小野晋吾の離脱、そしてミンチーの不調から2002年に先発に転向。当時開幕11連敗と苦しんでいた中で好投し、プロ野球タイ記録の12連敗を阻止。以降は先発ローテに定着し、この年は14勝をマークしてブレイク。その後も安定した投球でチームを支え、2004年にはアテネ五輪代表に選出されギリシャ戦で勝利投手となる。2005年にも10勝をあげて日本一に貢献し、2006年には第1回WBC代表にも選ばれるなどロッテを代表するエースとして活躍し、同年には5年連続の2桁勝利を達成した。翌2007年は3度の開幕投手を務めたが不安定な投球で6勝に終わり、さらに翌年のキャンプ中には療養中だった妻を心不全で失う不幸に見舞われた。しかし同年は奮起し、先発ローテを守り続けて13勝をマークし復活を果たした。だが翌2009年に再び不調となり、同年オフにトレードで横浜に移籍。2010年には通算100勝も記録し、三浦の不調もあってチームの柱として活躍して10勝をマークしたが防5.40 26被本塁打はリーグワーストだった。2011年以降は左膝の故障に苦しみ、10年ぶりに規定投球回到達を逃してオフには当時史上最大となる2億円の減俸を味わった。チームがDeNAとなった2012年には1軍登板を果たせず戦力外通告を受けた。その後は現役続行を視野に左膝のリハビリを続行し、その傍らで解説者も務めていたが2014年3月に現役引退。その後はニュージーランド野球連盟GM補佐と同国代表のコーチに就任。第4回WBC予選でもコーチとしてチームを指導したが本戦出場とはならなかった。上記の活躍から2000年代のロッテを支えた名投手だがいまいち存在感に欠けており、ファンからは「地味様」の愛称でも親しまれた。
おめでとうございます
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ジャコメと書いてハッカミー懐かしい
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今日の退団情報です
契約更改は12月1日にその時点で更改が終わってる選手を一挙まとめる予定です
【広島】
・スティーブ・デラバー(33・投手) 2016年入団 年俸:4000万円
1軍:2登板 0勝0敗 0S 0H 2.0投球回 4奪三振 0与四球 防0.00
2軍:19登板 0勝1敗 0S 19.1投球回 21奪三振 13与四球 防6.52
・エクトル・ルナ(36・内野手) 中日(13-15)→広島(16) 年俸:1億2000万円
1軍:67試合 .272 (243-66) 5本 34打点 47三振 22四球 6盗塁 OPS.707
2軍:28試合 .318 (85-27) 3本 19打点 5三振 6四球 0盗塁 OPS.849
1軍通算:413試合 .309 (1535-474) 39本 218打点 279三振 156四球 29盗塁 OPS.826
2軍通算:33試合 .309 (97-30) 3本 19打点 8三振 6四球 0盗塁 OPS.834
・ジェイソン・プライディ(33・外野手) 2016年入団 年俸:4650万円
1軍:出場なし
2軍:89試合 .230 (261-60) 9本 40打点 58三振 24四球 7盗塁 OPS.700
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年齢年俸考えてもルナは酷かったなあ
怪我に泣いたって言えばそれまでなんだけども
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オリックスは糸井の補償を人的補償にするのね
金に困ってなければ選手を獲れる機会優先だよなあ
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涌井さん結婚してからまた痩せてカッコよくなったなあ
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和久井は引退したらナベQみたいになりそう
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【オリックスが新外国人獲得を発表】
オリックスは前マリナーズのステファン・ロメロ外野手(28)を獲得したと発表した。背番号は決まり次第発表される。
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結婚して痩せるってなんかストレスとかあるんじゃ・・・
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嫁さんのおかげで食生活改善されたと見るのが普通では?
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入籍発表時のコメントで食事・栄養管理してもらってるって涌井本人が言うてたな
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冬・春はまず太って5月くらいをめどに痩せだす印象が強かった・・・
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巨人は厳冬更改だな
内海半減筆頭にガッツリ下がってる
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しゃかもとしゅごい…
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推定とはいえ片岡こんなに安かったのか
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坂本優勝してたら4億いってたのかな
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今日のメンツで暖かいのはそら坂本くらいやろ
全体でも坂本田口マシソン菅野、あと印象論抜きの澤村くらいやし
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規定到達の小林と投げさせられまくった田原もか
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現在「松坂世代通算小松式ドミネーションランキング」を作成中です(完成まであと7割程度?)
11月25日誕生日のプロ野球選手はこちらです
今日はちょっと多めです
現役
・川相拓也(26) (巨人・内野手・2014年育成ドラフト2位)
※現3軍監督の川相昌弘の息子であり、その父譲りの守備力が武器であり内外野問わずどこでも守れるユーティリティプレイヤー。課題は打撃であり、スイッチヒッターとして挑んだ昨季は2軍で打率.111に終わり、今年から右打ちに専念。その今年は1年通して3軍でプレーし、打率は.233と徐々に成長を見せている。父のように頼れる選手になれるよう、来季は飛躍に期待したい。
・加治屋蓮(25) (ソフトバンク・投手・2013年ドラフト1位)
※3年前のドラ1投手であり、今年は8月末に念願の1軍デビューを果たした。2軍では先発・中継ぎを兼任して29試合に登板し4勝3敗1セーブ、防3.35の成績でウエスタン5連覇に貢献。4年目の来季は他の投手陣に負けず1軍で頭角を現せるか。オバマ似。
・守屋功輝(23) (阪神・投手・2014年ドラフト4位)
※2年目の今年は1軍デビューも経験し、4月にはヤクルト戦でプロ初先発も任されたが5回途中10安打5失点。一方で2軍ではチーム最多の108.2イニングを投げるなど先発として6勝をあげ、フレッシュオールスターでは地元・倉敷マスカットスタジアムで凱旋登板も果たした。まだ23歳と若く、今後の阪神投手陣を支えていきたいところ。
OBなど
・武宮敏明 【巨人(47-52)、捕手】 1921年
※熊本工業高では川上哲治の2年後輩にあたり、その後社会人野球を経て47年に巨人に入団。戦後巨人のレギュラー捕手として活躍する中で、同年10月の阪神戦で走者の藤村富美男にホーム上で体当たりを受け、脳震盪を起こした。なおランナーが捕手に体当たりしたのはこれがNPB初のことだった。52年に現役を引退して以降は、巨人の2軍監督やコーチを務め、同時に巨人の合宿所であった「多摩川寮」の寮長に就任。厳しい寮則を設けて、門限や規則を破った選手には容赦ない鉄拳制裁を行っていた。その一方で若手に対する優しさと指導力はチームの内外から高い評価を受けており、彼の育てた選手は後のV9達成などに大きく貢献していくこととなった。73年から一旦寮長の職から離れていたが、その間に「湯口事件」が起こったために75年に急遽寮長に復帰。合宿所がよみうりランドのそばに移転して以降も80年代の名選手となる若手たちを厳しく指導した。87年オフに退団し、その後は熊本や東京で静かに暮らしていた。
・浜田義雄 【急映・東急・東映(48-58)、内野手】 1926年
※戦後48年に急映に入団し、2年目の49年から二塁手のレギュラーに定着。俊足巧打を武器とし、50年代前半のフライヤーズを支えた。特にバットコントロールに定評があり、55年から56年にかけては当時の日本記録となる196打席連続無三振を記録している。現役11年間で1027試合に出場し892安打・142盗塁を記録し58年に引退。その後は引き続きフライヤーズにコーチとして残り、代々の監督のもとでチームに貢献した。
・西村貞朗 【西鉄(53-62)、投手】 1934年
※琴平高校から53年に西鉄に入団。本格派右腕として期待され、1年目から積極的に起用されるも現在でも高卒1年目としては日本記録のプロ入り6連敗を経験するなど2勝9敗に終わる。しかし翌54年にはチーム2位の22勝・リーグ2位の防1.77を記録し初のリーグ優勝に貢献して最高勝率のタイトルを獲得。56年にも21勝をあげ、日本シリーズにも3試合に登板して初の日本一に貢献するなど西鉄の主力投手として活躍。57年に肩の故障で低迷し、変化球主体の投球への転換を余儀なくされた。それでも主力投手の座は譲らず、58年には史上5人目の完全試合を達成した。しかし60年に再び故障に苦しんで1軍からは遠ざかり62年に引退。その後は主に解説者として活動する傍らで福岡市内のガソリンスタンド経営統括会社の会長を務めていた。同い年で同期だった豊田泰光・高倉照幸とは仲が良く、近年では2008年にともに始球式に参加するなど元気な姿を見せていたが、昨年8月に肝臓がんのために80歳でこの世を去っている。
続く
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・岡田彰布 【1979年ドラフト1位→阪神(80-93)→オリックス(94-95)、内野手・外野手】 1957年
※おなじみ「どんでん」。北陽高校では1年時にPL学園を降して夏の甲子園に出場。その後セレクションに15打数14安打14本塁打という成績で合格し、早稲田大学に入学。1年秋から法大の江川卓から3安打を放つなど注目を集め、3年秋にはリーグ三冠王となるなど六大学野球史に残る記録を次々樹立したことで各球団の争奪戦も加熱し、6球団の競合を経て阪神に入団した。1年目はブレイザー監督とヤクルトから移籍したヒルトンの存在もあったために序盤は起用されなかったが、ヒルトンの不振もあり次第に出場機会を増やし最終的に打率.290 18本 54打点で新人王を獲得する。2年目には全試合に出場して20本塁打を放つと、その後も徐々に打撃は成長。84年には一時外野手としても起用されたが、翌85年には再び二塁手となり5番打者として活躍し、バース・掛布とともに強力クリーンナップを形成。バックスクリーン3連発をはじめとしてチームは快進撃を見せ、8月には中埜球団社長が日航機墜落事故で亡くなる悲劇にショックを受けたものの、同月には打率.429 10本 31打点の成績で月間MVPも受賞。最終的には打率.342 35本 101打点という自己最高の成績でリーグ優勝・日本一に大きく貢献。その後もチームの主軸として活躍し、89年には掛布の引退もあって大学時代に守っていた三塁手に転向。92年にはプロ野球選手会の会長としてFA制度導入に尽力した一方で、シーズンでは一塁手に転向したものの打撃不振に悩まされ、93年には外野手も勤めたが結果を残せず、「体力の衰え」という理由で阪神を自由契約となる。一時は引退も考慮したが仰木彬監督率いるオリックスに移籍。しかしかつての成績は残せぬまま、チームが優勝を果たした95年に引退。16年間で1520安打・247本塁打を記録した。引退後はオリックスのコーチ・2軍監督を勤め、2003年オフに阪神の第30代監督に就任。2年目の2005年にはJFKなどの活躍もあってチームをリーグ優勝に導いたもののロッテとの日本シリーズでは4連敗のストレート負けを喫した。そして2008年には一時2位と13ゲーム差をつける独走状態を維持していたが、終盤の低迷で巨人に逆転優勝を許し、その責任を取る形で阪神の監督を辞任。その後は解説者を経て2009年オフにオリックスの監督に就任。しかし2011年には1毛差でCSを逸し、2012年には大型補強を行い優勝候補と期待されたがぶっちぎりの最下位に終わり同年限りで辞任した。現在は再び評論家や解説者として活動している。そら (こんだけ濃厚な人生送ってたら) そう (文章も長くなる) よ
・斉藤巧 【1975年ドラフト4位→大洋(76-82)→ロッテ(83-90)→オリックス(91)、内野手・捕手】 1957年
※洲本実業高から76年に大洋に入団。強打の大型内野手として期待されたが、当時の大洋は基満男・ミヤーン・田代富雄・山下大輔らと内野の層が厚く、レギュラーにはなかなか定着できず82年オフにはレオン・リーとのトレードでロッテに移籍。すると85年にはプロ野球では極めて珍しいケースである野手から捕手へのコンバートを決意する。袴田英利の控え捕手として起用され、86年には強打を活かすべく一塁手や指名打者としても起用され、打撃では結果を残したものの守備に難を残し、同年の年間最多捕逸も記録している。その後も準レギュラーとして活躍し、オリックスに移籍した91年に現役引退。その後はオリックスのコーチを経て、現在は地元に近い南あわじ市の温泉で勤務している。
・トニー・ブリューワ 【日本ハム(86-90)、外野手】 1957年
※ドジャースから86年に日本ハムに入団。持ち前の力強いバッティングで1年目から主軸として活躍して打率.321 20本 68打t年の好成績をマーク。87年には開幕から好調を維持して打率.303 35本 98打点と助っ人として申し分ない見事な成績を残し、外野手のベストナインも獲得。しかし翌88年に腰を故障。思った以上にその故障が長引いてこの年は1軍出場を果たせず、解雇も確実視されていたが球団側が過去の成績を考慮して再契約。その球団の温情に応えるがごとく、89年には打率.306 27本 73打点とチーム三冠となり、見事に復活を果たした。しかし5年目の90年は前年からやや数字を落とし、またこの年は死球を与えた伊藤敦規に対して右顎にラリアットを喰らわせるなどプレー以外での大暴れも目立ち、この年だけで3度の退場処分を受けている。持病の腰痛もあり同年限りで日本ハムを退団し、現在はカリフォルニア州の高校で野球とレスリングのコーチを務めており、体育教師として第2の人生を歩んでいる。
続く
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・高津臣吾 【1990年ドラフト3位→ヤクルト(91-03)→ホワイトソックス(04-05)→メッツ(05)→ヤクルト(06-07)、投手】 1968年
※広島工業高・亜細亜大学でプレーし、ドラフト当時は広島ファンであり広島入りを熱望していたがヤクルトに指名され入団。当初は先発として期待されていたが特に目立った特徴がなく2年目までは伸び悩んでいた。しかしシンカーを習得・進化させたことで頭角を現し、93年には抑えに転向。同年には当時の球団記録となる20セーブを記録してリーグ優勝・日本一に貢献し、日本シリーズでも3セーブをマークして胴上げ投手となった。その後も不動の守護神として活躍し、94年には最優秀救援投手のタイトルを獲得し、95年にも28セーブを記録し再び日本一に貢献。そんな中の96年にはオールスターで松井の代打として打席に立ち、登板したイチローと対戦した。97年には安定感を欠き、セットアッパーも兼任する形となったが3度目の日本一に貢献。98年には更なる不調で抑えの座を失うが、99年に再び返り咲いて自身初の30セーブを記録し2度目の最優秀救援を獲得。そして2001年には自己最多の37セーブを記録し、3度目の最優秀救援投手となり日本シリーズでは通算4度目の胴上げ投手となった。そして2003年には34セーブで佐々木主浩の持つ通算229セーブのプロ野球記録を更新し、自身4度目の最優秀救援投手となり、オフにFA権を行使しメジャーに挑戦し、ホワイトソックスに入団。1年目の2004年は開幕から24試合連続無失点を記録するなど好調を維持し、19セーブを記録。しかし翌2005年は不振に苦しみ、シーズン途中にメッツに移籍するも同年限りで退団し、入団テストを経てヤクルトに復帰。2006年には他の中継ぎの離脱もありチーム最多の13セーブを記録し、史上2人目の日米通算300セーブも達成。しかし翌2007年に入浴中に足を滑らせて左足親指を骨折するなど不調に終わり、同年限りで戦力外となった。その後は再び渡米したり韓国・台湾でプレーするなど各国を転々とし、2011年にはBCリーグ・新潟に入団し守護神として活躍。44歳となった2012年には兼任監督も務め、チームを初優勝に導いて同年限りで現役を引退。背番号22は同チームの永久欠番となった。その後は解説者を経て、2014年からコーチとしてヤクルトに復帰。昨年には救援陣の奮起もあってリーグ優勝に貢献した。そして来季からは2軍監督を務める。なお日本シリーズに4度出場しいずれも胴上げ投手となっているが全ての試合において無失点に抑えている。カラオケの十八番は「大都会」。
・平田洋 【1993年ドラフト1位→中日(94-98)→近鉄(99)、投手】 1975年
※豊田大谷高では甲子園出場こそはなかったが、潜在能力の高さから「高校No.1投手」と評価されており、ドラフト1位で指名されて中日に入団した際も契約金は当時の高校生としては球団史上最高額となる1億円だった。もちろん球団からの期待も大きく、将来のエース候補とされていた。1年目の94年は2軍で先発ローテを守り通した、ヤクルト戦で1試合だけ1軍で先発登板を果たしたがわずか1アウトしか取れず4失点を喫し降板。この試合でバッテリーを組んだ中村武志は「投げた38球のうち良かったのは1球だけだった」と語った。その後も度重なる故障に苦しみ、背番号11は98年に同い年で大型新人の川上憲伸に、代わってつけた17番も新助っ人のサムソン・リーに剥奪されるなど期待には応えられず、同年限りで戦力外となった。その後は入団テストを経て近鉄に移籍するも1軍では登板できず、わずか1年で退団し引退。その後は地元・豊田市の企業に就職している。
・李ボム浩 【ソフトバンク(10)、内野手】 1981年
※韓国・ハンファでは2002年に国の代表入りを果たし、2004年から2007年まで4年連続20本塁打を記録するなど強打の遊撃手・三塁手として活躍。WBCにも第1回から出場し、2009年の第2回WBCでは2次ラウンドで田中将大から同点本塁打、そして決勝では9回裏2死1,2塁の場面でダルビッシュ有から同点適時打を放つなど存在感を放ち同大会のベストナインも獲得。その後FAで2010年にソフトバンクに入団。しかし対左投手に苦戦するなど打撃には課題が残り続け、48試合で打率.226 4本塁打と期待通りとはいかず、目立った活躍も5月の西武戦では9回の先頭に8回までノーノーに抑えていた涌井秀章からチーム初安打を放って記録を阻止する程度に終わった。2年契約だったものの1年限りでソフトバンクを退団し、韓国・起亜に復帰。現在もその起亜で引き続き現役選手としてプレーしており、今年は138試合に出場して自己最高の打率.310 33本 108打点をマークしている。
遅くなりましたがおめでとうございます
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今日から台湾で2016アジアウィンターベースボールリーグが開幕です
http://winter.cpbl.com.tw/cpbl.html
http://npb.jp/winterleague/2016/
参加選手
http://npb.jp/winterleague/2016/players.html
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ネットだとAbemaTV・SPORTSチャンネルでも中継してくれるみたいです
さすがに関係する全試合じゃないっぽいけど
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https://abema.tv/timetable/channels/world-sports
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アメリカのWBCチームガチすぎますね…
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アメリカは前回もスタントンがダイビングキャッチしたりやる気まんまんだったんだよなぁ
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王さんのユニホーム姿を台湾の皆様にお見せしたいと巨人側から打診してのこないだの親善試合だったのね
現世での思い出作りなのかなんても思ったり
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>>648
そうだったんですね・・・
あの試合本当におもしろかったからもっと皆さんに見てほしいですね
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大谷ダブル受賞か
まぁそうなると思ってたけど
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榎本葵がヤクルトと契約合意
育成クビからの支配下登録ですね、幸運というかなんというか
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パリーグの受賞者が全部で9人だからこれはセリーグだな!(錯乱)
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B9ダブル受賞がNW9のトップで草
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もう既出だとは思いますが、2016年度ベストナインです
セ・リーグ
投手:野村祐輔(広島・初)
【25登板 16勝3敗 0S 0H 152.2投球回 91奪三振 37与四球 防2.71】
捕手:石原慶幸(広島・初)
【106試合 .202 (243-49) 0本 17打点 54三振 29四球 4盗塁 OPS.526】
一塁手:新井貴浩(広島・11年ぶり2度目)
【132試合 .300 (454-136) 19本 101打点 101三振 54四球 0盗塁 OPS.857】
二塁手:山田哲人(ヤクルト・3年連続3度目)
【133試合 .304 (481-146) 38本 102打点 101三振 97四球 30盗塁 OPS1.032】
三塁手:村田修一(巨人・3年ぶり4度目)
【143試合 .302 (529-160) 25本 81打点 83三振 38四球 1盗塁 OPS.858】
遊撃手:坂本勇人(巨人・4年ぶり3度目)
【137試合 .344 (488-168) 23本 75打点 67三振 81四球 13盗塁 OPS.988】
外野手:鈴木誠也(広島・初)
【129試合 .335 (466-156) 29本 95打点 79三振 53四球 16盗塁 OPS1.015】
丸佳浩(広島・2年ぶり2度目)
【143試合 .291 (557-162) 20本 90打点 107三振 84四球 23盗塁 OPS.870】
筒香嘉智(DeNA・2年連続2度目)
【133試合 .322 (469-151) 44本 110打点 105三振 87四球 0盗塁 OPS1.110】
パ・リーグ
投手:大谷翔平(日本ハム・2年連続2度目)
【21登板 10勝4敗 0S 1H 140.0投球回 174奪三振 45与四球 防1.86】
捕手:田村龍弘(ロッテ・初)
【130試合 .256 (371-95) 2本 38打点 91三振 38四球 6盗塁 OPS.656】
一塁手:中田翔(日本ハム・2年連続2度目) ※外野手として2度受賞済
【141試合 .250 (569-142) 25本 110打点 126三振 47四球 2盗塁 OPS.738】
二塁手:浅村栄斗(西武・初) ※一塁手として1度受賞済
【143試合 .309 (557-172) 24本 82打点 108三振 38四球 8盗塁 OPS.867】
三塁手:レアード(日本ハム・初)
【143試合 .263 (547-144) 39本 97打点 138三振 44四球 0盗塁 OPS.835】
遊撃手:鈴木大地(ロッテ・3年ぶり2度目)
【143試合 .285 (501-143) 6本 61打点 56三振 50四球 3盗塁 OPS.745】
外野手:角中勝也(ロッテ・4年ぶり2度目)
【143試合 .339 (525-178) 8本 69打点 64三振 68四球 12盗塁 OPS.877】
糸井嘉男(オリックス・2年ぶり5度目)
【143試合 .306 (532-163) 17本 70打点 84三振 75四球 53盗塁 OPS.849】
西川遥輝(日本ハム・初)
【138試合 .314 (493-155) 5本 43打点 113三振 73四球 41盗塁 OPS.802】
指名打者:大谷翔平(日本ハム・野手としては初)
【104試合 .322 (323-104) 22本 67打点 98三振 54四球 7盗塁 OPS1.004】
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11月26日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・小宮山慎二(31) (阪神・捕手・2003年ドラフト5位)
※ここ数年は1軍ではほとんど姿を見せておらず、今年も1試合の出場のみ。2軍では小豆畑や清水とともに正捕手の座を争ったが目立った活躍を見せられず。来季で14年目と既にベテランの域であり、来季は新たな背番号「59」を背負って存在感を示したい。
・入野貴大(28) (楽天・投手・2014年ドラフト5位)
※BCリーグを経て入団し、即戦力として期待されてはいるものの、今年は1軍で4試合の登板に終わり防12.27と結果を残せず、先日の契約更改では初の減俸となる50万ダウン。最速153キロの速球に磨きをかけて、来季こそは中継ぎの一角として飛躍に期待したい。
・北篤(28) (巨人・外野手・2006年高校ドラフト1位)
※昨年トレードで巨人に移籍し、今年はその新天地で初めて1軍出場を果たすも3試合の出場どまり。2軍では94試合に出場し、打率.270 8本 29打点とまずまずの成績を残し、契約更改では10%増。野手の控えの層が薄いチーム状況の中で、来季はそのチャンスを掴み出場機会を増やしたい。
・筒香嘉智(25) (DeNA・外野手・2009年ドラフト1位)
※今年は7月に日本プロ野球初の3試合連続マルチ本塁打、同最多の月間6度のマルチ本塁打を記録するなどで球団新記録の月間16本塁打。その後も本塁打を量産し、44本塁打・110打点で2冠王を獲得。来年行われる第4回WBCでも活躍が期待されており、横浜の、そして日本を代表するスラッガーへと日々成長を続けている。
・船越涼太(23) (広島・捕手・2015年ドラフト4位)
※高校時代は遊撃手としてプレーし、王子製紙で捕手に転向。打撃力に自信があり、1年目の今年は2軍で47試合に出場し打率.287、OPS.725とそこそこの好成績。7月には代打で1軍デビューも果たし、その打席で巨人・戸根からプロ初安打も放った。妹の千紘も同じく捕手で日本代表で活躍しており、兄妹揃って今後が注目される。
続く
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OBなど
・深見安博 【西鉄(50-52)→東急(52-53)→高橋(54)→南海(55-57)、外野手】 1919年
※報徳商業高では4番・エースとして活躍し、その後中央大学・西日本鉄道を経て、50年に西鉄に入団。1年目から打線の主軸として活躍し打率.279 22本の好成績をマーク。3年目の52年途中に大下弘とのトレードで東急に移籍すると、この年は25本塁打で本塁打王を獲得。なお移籍する前に西鉄で2本塁打を放っており、これにより日本プロ野球史上唯一の2球団にまたがっての本塁打王となった。その後は高橋や南海でプレーするも次第に成績は低迷し、57年に引退。その後は日炭高松の監督を経て古巣・西鉄のコーチや広島の2軍監督やコーチを歴任し、数々の若手選手を育て上げた。
・佐藤進 【国鉄・サンケイ・アトムズ(64-69)→中日(70-71)、投手】 1942年
※中学までは卓球選手であり、北海高校では4番・エースとして60年の甲子園に春夏連続出場。その後は富士鉄室蘭に進み、63年の都市対抗では準優勝にチームを導き久慈賞を受賞。国鉄では多彩な変化球でコーナーを巧みに突く技巧派投手として活躍し、1年目から50試合に登板し10勝。以降も入団から4年連続で2桁勝利を記録するなど主力投手として活躍し、67年の中日戦では板東英二からサヨナラ本塁打を放っている。しかし翌68年からは不振が続き、70年に中日に移籍。しかし中日でも不振から脱却は出来ず、71年には打者に転向。投手登録ながら代打で起用されたが、出場機会は稼げずこの年限りで現役を引退した。その後はブリヂストンスポーツ東京の販売課長となった。
・山森雅文 【1978年ドラフト4位→阪急・オリックス(79-94)、外野手】 1960年
※熊本工業高時代に投手から外野手に転向し、福本豊2世として期待され、阪急に入団。守備には定評があったが、毎年のように打撃力向上が課題とされておりレギュラー定着もなかなか果たせなかった。しかしそんな中の81年9月のロッテ戦において弘田澄男のホームラン性の打球を、西宮球場のラッキーゾーンの金網の最上部に猫のように飛び乗ってスタンドにグラブを差し出して捕球するスーパープレイを見せた。このいわゆる「サーカスプレー」は国内ではなくアメリカで一躍話題となり、2年後の83年には日本人初のアメリカ野球殿堂博物館入りを果たしたが当の本人はそのプレーをしたことすら忘れていたという。その後は84年からようやく1軍定着を果たし、86年には規定打席には届かずもゴールデングラブ賞も獲得。その後も高い守備力で晩年の阪急、そして黎明期のオリックスを高い守備力で支え続けた。94年に引退して以降は日本ハムやオリックス、ロッテのコーチを歴任し、現在はロッテのスカウトとして活動している。愛称は映画を見た際に似た顔のものがいたために「ゾンビ」。
・横田真之 【1984年ドラフト4位→ロッテ(85-92)→中日(93-94)→西武(95)、外野手】 1962年
※創立後間もない明徳高校では同期の河野博文とともに活躍するも甲子園には惜しくも出場できず、その後は駒澤大学を経てロッテに入団。レギュラー外野手の高橋忠一が肩を脱臼し、紅白戦で好成績を残したことを覚えていた落合博満の推薦で1年目ながら開幕1軍入りを果たし、開幕戦でもスタメン出場。すると打率3割を維持するなど新人離れした活躍を見せ、迎えた最終戦では打率3割ちょうどで最終打席に立ち、緊張の中で松沼博久に死球を受けてシーズン3割達成を決めてベストナインに輝いた。ただ新人王は同じくベストナインとなり本塁打・打点で自身を上回った阪急・熊野輝光に譲った。すると翌年も打撃好調を維持し、長嶋茂雄以来2人目となる新人から2年連続打率3割を記録。その後も俊足巧打の2番打者として活躍したが、88年以降は故障にも悩まされ続け、成績も徐々に不安定なものとなり92年オフにトレードで中日に移籍。しかしチームに馴染めず不振に陥り、2年で自由契約。その後西武に移籍した95年に引退。引退後は妻の出身地である鹿児島で飲食店を経営した(現在は閉業)。なお阪神の横田慎太郎は自身の息子であり、自身の引退した95年に産まれている。
続く
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・潮崎哲也 【1989年ドラフト1位→西武(90-04)、投手】 1968年
※鳴門高校から進んだ松下電器時代の88年にはソウル五輪の代表に最年少となる19歳で選出され、野茂英雄や石井丈裕とともに先発ローテを形成し、シンカーを武器に銀メダル獲得に貢献。87〜89年に都市対抗で3年連続で出場し、野茂英雄・与田剛とともに社会人三羽ガラスと称され、ドラフト1位指名を受けて西武に入団。1年目から鹿取義隆とともにダブルストッパーとして活躍し、主にセットアッパーとして活躍。7月のオリックス戦ではブルーサンダー打線を相手に新人では28年ぶりの8連続奪三振をマークし大きな話題を呼び、同年のリーグ優勝・日本一には胴上げ投手となった。その後は西武の抑えとなり、鹿取と新たに入団した杉山賢人とともに「サンフレッチェ」と呼ばれる勝利の方程式を形成。右サイドから投げる速球とシンカー・スライダーを武器に90年代西武の黄金時代を支えた。97年に東尾監督の勧めと本人の希望で先発に転向。その先発でも安定して好投を続け、同年には自己最多の12勝・リーグ3位の防2.90を記録。その後も徐々に成績は下げつつもチームを支え、2004年に現役を引退。現役時代は甘いルックスで女性ファンも多かった。その後は西武のコーチを務めているが、中継ぎ投手の酷使などもありコーチとしての印象はお世辞にもいいとは言えないところ。
・小野寺力 【2002年ドラフト4位→西武(03-11)→ヤクルト(11-12)、投手】 1980年
※常磐大学では久保田智之とともに活躍し、西武に入団。190cm近い長身から投げ下ろされる速球とフォークを武器に2年目の2004年から中継ぎとして1軍に定着。4年目の2006年にはFAで移籍した豊田清の代役として抑えを任され、チーム最多の59試合に登板し7勝29セーブ・防2.82の好成績をマーク。しかし翌年は不安定な投球が続き、抑えの座はグラマンに譲った。2008年にはそのグラマンに繋ぐ中継ぎとして起用されリーグ優勝・日本一に貢献。その後は長田秀一郎や岡本篤志、藤田太陽、シコースキーと救援投手が次々と台頭したがチームのブルペンを支え続け西武では8年間で300試合に登板した。2011年途中に鬼崎裕司とのトレードでヤクルトに移籍したが、故障や不調で1軍では活躍できず2012年限りで現役を引退。その後は西武に2軍用具担当として復帰。今年のシーズン途中には2軍投手コーチ兼育成コーチを務めたが、わずか半年足らずで退団となった。彼のブログは絵文字(*^^*)を多用する特徴がある( 笑)
・青木高広 【2006年大社ドラフト4位→広島(07-13)→巨人(13-15)、投手】 1981年
※岐阜商業高・愛知大学を経て進んだ日産自動車では左のエースとして活躍し、2005、2006年には2年連続でチームを決勝進出に導いた。広島では1年目から開幕ローテを勝ち取ったが、前半戦でQSを10回記録するもその10戦で1度も勝利投手となれないほど援護に恵まれなかったが、最終的には5勝をマーク。その後もロングリリーフや谷間の先発としてチームを支えたが成績は伸び悩んでいた。しかし2011年にフォームをサイドスローに改造したことでセットアッパーとして飛躍を果たし、この年はチーム最多の76試合に登板し、20ホールドを記録した。しかし翌年は左膝の故障でシーズンを丸ごと棒に振り、2013年のシーズン序盤に小野淳平とのトレードで巨人に移籍。スコット鉄太朗の活躍もあり、あまり登板機会は多くなかったがシーズン通して安定した投球を見せ、2013・2014年の連覇に貢献。しかし昨年は戸根千明や高木京介の活躍もあり1軍出場はなく、同年限りで戦力外となり現役を引退。現在は巨人のスカウトとして活動している。球の出所が掴みにくい独特のフォームから「ペローン」の愛称で親しまれた。
おめでとうございます
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小野寺力2軍投手コーチはヤクルトを救えるか
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4人合わせてペロット鉄太朗、だったか。
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小野寺に求められるのはコーチ力よりも選手が足りない!人数増やして!と言えることかな・・・(切実
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光星のチートと呼ばれた田村がベストナイン…
ウレシイ…ウレシイ…(ニチニチ)
北條も頑張ってくれよなー
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バッピと契約してしかも野手で出場させるとか、そういう環境から少しは改善されてきてるんですかねヤクルト2軍は。そんな酷い環境でも生え抜きの良い選手率高めなのがよくわからないけど
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杉村さん、去年までは伊勢コーチがいたから野手育成は上手い
代わりにドラフトチーム編成投手育成コンディショニングが壊滅的なのと戸田の環境が糞
大体の投手がルーキーイヤーをピークに劣化の一途だから二軍の成本コーチらが槍玉に上がるけどそれと八重樫スカウトが消えた来年以降どうなるかやろね
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コーチの指導が云々の前に人数が足りないし(ひたすらイニング食うだけの有様で指導がどうこうとかわからん)
即戦力と言う名のアラサーとってくるから半年で劣化することもしばしば
おまけに1軍も2軍も人数が足りないって時に支配下枠を余らせるとかもやらかした
巨人やホークスみたいに圧倒的に戦力があるとか、日ハムみたいにやりくりが上手とかは望まないけど
2軍で中4完投とかそういう愚を繰り返さないで欲しい
野手に関してもハタケ 川端 山田と高卒組の活躍が著しいものの、高卒野手をそんなにとってないから今後どうなるかは一切不明(廣岡をどう使うかもわからないし)
というかここ数年山田が際立って若いから平均引き下げてるけど、地味に主力野手の高齢化もやばい(ハタケ、雄平、大引、今浪あたり一気にがたついてもおかしくないし)
1軍2軍であわせて100イニング近く投げた新垣を戦力外にしてそこまで投手とらないで誰を使い潰すのか戦々恐々としてます
(野手が足りてるとは言っていない)
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中日が元ドジャースのゲレーロ獲得「勝利に貢献」
http://www.nikkansports.com/m/baseball/news/1743693_m.html?mode=all
正式に
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宗佑磨、細すぎないか
いくらショートとは言うても
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わけわからん走塁やな
脚速いけど
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11月27日誕生日のプロ野球選手はこちらです
明日は更新が少し遅れます
現役
・ラウル・バルデス(39) (中日・投手・2015年入団)
※来日2年目となった今年は故障で開幕から出遅れるも次々離脱する先発の穴を埋めて6勝をマーク。7月のDeNA戦では小杉から来日初本塁打も記録した。なお現在、チームメイトの岩瀬に次いで12球団2番目の年長投手であり、残留が決まれば球団初の40代助っ人となる。
・中井大介(27) (巨人・内野手・2007年高校ドラフト3位)
※今年は主に代打要員として1軍で起用されたが、打率.196と1年通して不振が続き1軍定着ならず。毎年のように期待の若手と謳われてはいるものの、早くも来季は10年目。2013年までつけていた背番号「61」を再び背負い、来季は背水の陣で臨みたい。好物は雪見だいふく。
・飯田優也(26) (ソフトバンク・投手・2012年育成ドラフト3位)
※支配下登録されて3年目となった今年も左の中継ぎの一員として一定の活躍を果たし、チームに貢献。FA宣言した森福が移籍となれば、来季はその穴を埋めるべくフル回転が期待される。大学時代はオホーツク海でホタテ漁のアルバイトをしていた。
OBなど
・白仁天 【東映・日拓・日本ハム(62-74)→太平洋(75-76)→ロッテ(77-80)→近鉄(81)、捕手・外野手】 1943年
※62年に韓国から東映に捕手として入団。当時の協約では入団時に外国籍でも出生時に日本国籍を持っていれば日本人扱いとなり、「韓国が生んだ最強捕手」の触れ込みで期待された。2年目の64年から三振の少ないシュアな打撃で活躍。5年目の66年に打撃を生かすべく外野手に転向すると張本勲や大杉勝男らとともにフライヤーズ打線の中核を担った。70年には三振の判定を巡って球審と大立ち回りを演じて暴行行為で退場となってその球審から刑事告訴されたり、71年にはそれまで外国在勤者として兵役が免除されていたが、急遽方針変更となり帰国命令が出て半年間離脱(結局自身は兵役に就かず、父の牧場の手伝いと母の看病をしていた)するなど前途多難なプロ人生を送ったが、75年にトレードで移籍した太平洋では打率.319で史上初となる規定打席ちょうどでの首位打者を獲得しベストナインに輝いた。その後もロッテや近鉄と計パ・リーグ4球団で20年間活躍し、82年に韓国に帰国。同年にはMBC青流で選手兼任監督としてプレーし、韓国プロ野球史上最高となる打率.412を記録し初代首位打者となった。しかし翌年に姦通罪で逮捕されチームを退団し、84年に三美で現役引退。その後は韓国球界の監督として各球団を率い、その後は主に解説者として活動している。日本プロ野球における韓国人選手の草分け的存在でもあり、現在でも韓国球界の重鎮として歴史にその名を刻んでいる。
続く
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ウィンターリーグ見てて、阪神・横田って無知な素人目にもひっどい打ち方としか見えないけど、これが良いのかなあ
あるいは悪いとわかってても直せないのか知らんけど
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・村田兆治 【1967年ドラフト1位→東京・ロッテ(68-90)、投手】 1949年
※福山電波工業高時代から豪腕っぷりを発揮し、その速球はスピードガンがあれば152,3キロを計測していたとまで言われていた。しかし当時の広島は強豪校がひしめいており結局甲子園には出場できなかった。それでもドラフト1位で東京に指名され入団。1年目はその契約金を持て余してパチンコや麻雀に明け暮れていたが、ある日徹夜の麻雀を終えて寮に朝帰りした際に、丁度ロードワークに出発しようとしていた小山正明と鉢合わせ、既にベテランだった小山が若手の自分よりもはるかに厳しい練習を自分に課していることに衝撃を受け、以降は別人のように練習に打ち込むようになった。その後はチームの名投手たちから投球術を学び、2年目の69年には5完封含む6勝をあげて頭角を現す。4年目の71年には金田正一監督のアドバイスをもとに、彼の代名詞となる「マサカリ投法」を編み出して12勝をマークし飛躍を果たし、74年には大車輪の活躍で日本一に貢献した。そして人並み外れて切れ味鋭いフォークを習得した76年には21勝をマークし、防1.82・202奪三振はリーグトップの数値を記録。その後も70年代から80年代にかけてのパリーグを代表する投手として成長し、81年には開幕11連勝含む19勝で最多勝のタイトルも獲得した。しかし翌82年に肘を故障。なかなかその肘が完治しなかったために83年にはスポーツ医学の権威であるフランク・ジョーブ氏の執刀の下でトミー・ジョン手術を受けた。その後も長いリハビリを経て、85年には再び開幕11連勝を達成するなど鮮烈な復活劇を見せ、最終的に17勝をあげてカムバック賞を受賞。その後は毎週日曜日に先発することが多かったため「サンデー兆治」の愛称で親しまれることとなった。そして39歳となった89年には史上20人目の通算200勝をあげ、防2.50で自身3度目の最優秀防御率のタイトルを獲得。そして翌90年には史上2人目の40代での2桁勝利を記録し、同年限りで現役を引退した。その後は解説者やダイエーのコーチ、全国各地での少年野球の指導者として多彩な活動をしている一方で、引退から20年以上経った現在においても毎日スポーツジムに通って激しいトレーニングを行っており、その甲斐あってか現在においても衰え知らずの肉体を保ち、今年3月のロッテの開幕戦での始球式では66歳にして131キロの速球を披露している。なお通算148暴投は日本記録であり、これは自身のフォークが非常に鋭かったことと、ノーサインで自分で投球を組み立てていたために、いつそのフォークがくるか捕手が分からなかったことが大きく影響している。
・ジェイソン・ベバリン 【ヤクルト(03-04)→横浜(06)、投手】 1973年
※2002年にメジャーデビューを果たし、翌2003年にヤクルトに入団。196cmの長身から放たれる角度のある速球と縦に割れるカーブを武器に先発ローテの一員として活躍。8月上旬に右肘の故障で離脱しそのままシーズンを終えたが、それまでに8勝をあげたことを高く評価され翌年も残留。翌2004年には開幕投手も務め、同年のチーム第1号本塁打を三浦大輔から放ち、投げては8回1失点の好投と投打にわたる活躍で勝利に貢献。6月には5勝0敗で月間MVPを獲得するなど7月には前年を上回る9勝を記録するなど間違いなく2桁勝利できるペースだったが再び8月に右肘を故障。検査の結果、靭帯損傷と診断されリハビリにも1年かかることが判明したために同年限りでヤクルトを退団した。その後1年のブランクを経て2005年の横浜の秋季キャンプにテスト生として参加し、年明けに正式に横浜に入団。ヤクルト時代の活躍もあったために先発の一員として大いに期待されたが8試合で0勝4敗・防11.13とまったく結果を残せず、1年で自由契約となった。なおヤクルト時代にあげた通算17勝のうち9勝は横浜から記録しており、横浜キラーとも呼ばれた。
続く
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・ケニー・レイ 【楽天(13,15-16)、投手】 1974年
※1993年にMLBドラフト18巡目でロイヤルズに入団。主にマイナーリーグでプレーし7年目の99年にメジャーデビュー。その後はマイナーリーグや米独立リーグを転々とし、ブレーブス時代の2006年には中継ぎの一員としてメジャーで自身最多の69試合に登板。その後も毎年のように移籍を繰り返して2008年には韓国、2010年には台湾、2013年にはメキシコでプレー。特に台湾時代には先発ローテの一員として3年間で27勝を記録し、2011年には最優秀防御率も獲得している。2013年のシーズン途中に楽天に入団すると主に先発として起用されていたが、9月のロッテ戦で打球が顔面に直撃して右頬骨を骨折。しかしCSから1軍復帰を果たすと、バットマンのようなフェイスガードを着用して救援投手として活躍。日本シリーズでも第3戦で負傷降板した美馬学に代わって救援で登板しリードを守ったまま好投してチームの勝利に貢献した。いったんこの年限りで楽天を退団し、再び台湾でプレーしていたが2014年オフに楽天時代のチームメイトだったハウザーとともに入団テストを受けて2年ぶりに楽天に復帰。昨年には40代投手としては史上最長の開幕4連勝を記録するなど先発ローテの一員としてチームを支えたが、パリーグ最年長投手となった今年は1軍で結果を残せずシーズン途中の8月に自由契約となった。本人は「日本でキャリアを終えたい」と現役続行を希望している。
・植松優友 【2007年高校ドラフト3位→ロッテ(08-15)、投手】 1989年
※金光大阪高では威力の高い直球とキレのあるスライダーを武器とした投手として名を馳せ、府大会では大阪桐蔭と対戦し当時屈指の打者として注目を浴びていた中田翔に対し3三振を奪ったことで一気に評価を上げ、2007年のドラフトでロッテに入団。しかしプロ入り後は長い2軍生活が続くこととなり、左肩や股関節の故障もあってなかなか1軍デビューを果たせずにいた。そして迎えた8年目の昨年に先発として念願のプロ入り初登板を果たし、春季キャンプで磨きをかけたナックルを武器に好投した。しかし結局この年限りで戦力外となりオフに打撃投手に転身。そんな中の今年は打撃投手として練習で投げ続けるうちに制球力が向上し、現役時代の未練もあったことから復帰を目指すことを決意。先日行われたトライアウトでは自慢のナックルを駆使して四球1つ出しながらも打者3人を無安打に抑えた。もしかしたら彼の野球人生はここから再び始まるのかもしれない。
・宮崎駿 【2012年育成ドラフト4位→ソフトバンク(13-15)、内野手・外野手】 1990年
※三重中京大学では則本昂大らとチームメイトであり、全日本選手権には2度出場。50m6秒1の俊足のパンチ力のある打撃を武器に2012年の育成ドラフトで同じく誕生日の飯田優也らとともにソフトバンクに入団すると、2年目までは内野手としてプレー。昨年には外野手に転向したが2軍で結果を残せず、結局支配下登録を勝ち取れぬまま3年で戦力外となり現役を引退。その後は「大学前から興味があった」という警察官に転身すべく、今年5月には大阪府警の採用試験を受けて合格し、1人の警察官として第2の人生を歩んでいる。あのアニメ監督と同姓同名であるが、当初午年生まれだったために「駿」の名がつけられ父は「しゅん」と読ませるつもりだったがジブリ作品に触れて青春を送った母の勧めで「はやお」に決まったという。また支配下登録時には「魔女の宅急便」の楽曲を登場曲に使う予定だった。
おめでとうございます
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レイおじさんはどこか獲りますかね
楽天では戦力外でも他ならまだやれるかも
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ハリー「大谷には特別賞をあげればよかった」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161127-00000068-sph-base
一理ある
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今年村田さんの投球を生で見る機会があったけどバズーカみたいにズドーンとした球を投げてて驚いた(ボキャ貧)
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>>673
せやな
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ウィンターリーグの夜の試合(NPBイースタン選抜対台湾)は雨天中止か
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11月28日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・青山大紀(22) (オリックス・投手・2015年ドラフト4位)
※1年目の今年は開幕から2軍で先発ローテの主力として積極的に起用され、3勝8敗・防5.34ながらチーム最多の91イニングを投げ抜いた。シーズン終盤の9月下旬には西武戦で1軍デビューを果たすも4回4失点とKO。オフにはU-23侍ジャパンとして代表入りし、優勝も経験。大舞台を経験した来季は1軍の戦力となれるよう飛躍に期待したい。
OBなど
・石原照夫 【東映(56-60)、内野手】 1929年
※成田中学では、エースとして甲子園に2年連続で出場。その後は立教大学に進むと野手に転向。藤倉電線を経て56年に東映に入団。開幕直後は遊撃手として起用されたがシーズン後半に入ると三塁手に回り、1年目から規定打席に到達。繋ぎの2番打者として活躍し、2年目の57年からは3年連続でリーグ最多犠打を記録。また三塁守備はリーグ屈指の技術を誇り、58年には自らの持っていた当時の日本記録を更新する154守備機会連続無失策を達成した。5年目の60年に現役を引退し、その後は東映のコーチやロッテの球団代表を歴任した。
・服部武夫 【南海(50-53)→高橋・トンボ(54-55)→毎日(56-57)→広島(58)、投手】 1932年
※四日市高校から50年に南海に入団。2年目の51年に先発の一員として1軍に定着し10勝7敗・防2.03の好成績で南海の優勝に貢献した。この防2.03はリーグ1位の成績ではあったが、この年のみ規定投球回は資格投球回数算定法によってチームによって別々に定められており、自身が155回投げたにも関わらずチームの標準回数は164回と決まっていたため、規定未満として最優秀防御率のタイトルは獲得できなかった。翌52年にもチームの主力として16勝を記録したが53年は1軍登板がなく、その後は高橋・トンボや毎日、広島と3球団でプレーしたが結局52年以降、勝ち星を得られぬまま58年に引退。その後は地元の四日市で野球教室を開設し、少年たちに指導を行った。
・藤本和宏 【1966年ドラフト外→西鉄(67-69)→広島(70-74)、投手】 1947年
※聖光高校・八幡製鉄光を経てドラフト外で西鉄に入団。しかし西鉄では1軍にほとんど登板できず、結局西鉄では1勝も挙げることはできなかった。そんな中でチームが黒い霧事件の発覚で世間に騒がれていた中で自由契約となり、翌年広島に移籍。すると移籍2年目の71年に、プロ5年目にして初勝利を挙げると8月の中日戦では外木場義郎に続いて球団史上2人目のノーヒットノーランを達成するなど、10勝6敗・防1.71で最優秀防御率のタイトルを獲得した。だが1軍で白星を挙げられたのはこの71年だけであり、結局74年限りで現役を引退。なお現在、彼の消息は知られておらず、生死も不明となっている。
続く
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・吉田剛 【1984年ドラフト2位→近鉄(85-00)→阪神(00-01)、内野手】 1966年
※取手二高では甲子園に3度出場。84年夏の甲子園ではKKコンビを擁するPL学園と対戦し、先発した桑田から本塁打を放つ活躍で全国制覇を達成した。84年秋のドラフトでは近鉄から2位指名を受けたが、当時明治大学に進学予定だったために入団交渉は長期化し、入団が発表されたのはキャンプイン後の2月となった。近鉄では2軍生活を経て4年目の88年に内外野問わず守れるユーティリティプレイヤーとして1軍に定着した。7年目の91年には遊撃手の定位置を確保し、俊足巧打を武器に下位打線を支えた。その後は水口栄二とレギュラーを争い続けたが、故障と武藤孝司の台頭もあって出場機会は減少。それでも内野の準レギュラーとして貴重な存在だった。2000年のシーズン途中でトレードで阪神に移籍すると、ここでも内野の控えとして存在感を放った。中でも甲子園で行われた同年7月の巨人戦では延長10回裏に桑田からサヨナラ安打を放ち、16年前の甲子園を彷彿とさせる活躍を見せた。しかし翌2001年に若手の台頭もあり1軍出場なしに終わり現役引退。その後は2007年に無免許運転で逮捕されたものの、主に解説者として活動。その傍らで大阪府八尾市で飲食店を経営している。ムードメーカーとしてもチームが得点するたびにベンチの前でダンスを披露することで有名だった。
・スコット・シェルドン 【オリックス(02-03)、内野手】 1968年
※レンジャーズでは2000年にメジャー史上3人目となる「1試合で全ポジションにつく」という記録を達成。この試合では8回に登板し、のちに西武に入団するリーファーから空振り三振を奪っている。2002年にオリックスに入団したが、シーズン序盤は期待外れの低迷が続いていた。しかし、7月には5試合連続本塁打を放つなど打率.390 9本 19打点の好成績で月間MVPも獲得し、最終的にはチーム最多の26本塁打を放った。その一方でリーグ最多の155三振、得点圏打率.168と粗い打撃も目立ち、チームの主砲としては物足りないものだった。翌年も残留したものの、新たに加入したブラウンとオーティズの活躍もあって出場機会が減少。本塁打も前年の3分の1以下の8本に終わり、この年限りで退団した。その後はアメリカに帰国してマイナーリーグでプレーしたが2004年で現役を引退している。
・ホセ・パーラ 【巨人(99)→オリックス(05)、投手】 1972年
※95年にドジャースでメジャーデビューを果たし、98年には韓国・三星で抑えとして19セーブを記録。翌99年に巨人に「ホセ」の登録名で入団。当初は育成目的での獲得だったが、投手陣の不振や故障で早くも1軍昇格を果たし、初先発のヤクルト戦で9回途中無失点の好投。続く広島戦で来日初勝利をあげたが、その後は目立った活躍はできず1年限りで退団。その後はアメリカ・台湾・韓国と各国を転々としてプレーを続け、2005年に合併間もないオリックスに「パーラ」の登録名で入団。開幕から先発ローテを担い、オリックス・バファローズ初の勝利投手となるなど、5月までに4勝をあげて堂々のスタートを切ったが、6月の横浜戦で肘を故障。靭帯損傷の大怪我を負い、全治6週間と診断されたことで8月に退団となった。
続く
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・林昌樹 【1997年ドラフト3位→広島(98-11)、投手】 1979年
※興誠高校から広島に入団。当初は2軍でも活躍できず苦難が続いていたが3年目の2000年にサイドスローに転向。6年目の2003年にはセ・リーグ初の1球勝利を達成し、この年から1軍で頭角を現して翌2004年には中継ぎの一員として47試合に登板。2006年には前半戦の好投もありリリーフエースとして自己最多の61試合に登板した。その後も故障や不調はあったものの広島のブルペン陣を支えた。しかし1軍で2登板にとどまった2011年に戦力外となり、トライアウトを受験したもののオファーはなく現役を引退。現在は広島の打撃投手を務めている。横に大きく曲がるスライダーやシュート・シンカー・パームといった変化球を武器とした。
・マイク・シュルツ 【広島(08-11)→オリックス(13)、投手】 1979年
※ダイヤモンドバックス時代には一時医者から「もう野球はできない」と宣告されるほどの故障に悩まされたが、それを克服しマイナーリーグで活躍。2007年オフに広島に入団するも、春のキャンプでその右肩の故障が再発。開幕から出遅れて交流戦から1軍に合流ずると2メートルの長身から投げ下ろす150キロ超の速球を武器に抑えの永川に次ぐセットアッパーとして活躍。2009年には球団記録にわずか1つまで迫る22試合連続無失点を記録するなど好調を維持し、最終的にシーズン73試合に登板してリーグ1位の35ホールドをマークした。翌2010年には永川に代わって抑えに回っていたが腰痛のためにシーズン途中に帰国。診断の結果、腰椎椎間板ヘルニアで残りシーズンを棒に振った。翌2011年もシーズン途中に肩の故障で離脱し、結局この年限りで広島を退団した。その後はナショナルズでプレーしていたが、2013年にテストを経てオリックスに入団。しかしオリックスではわずか1試合の登板に終わり、シーズン途中にハモンドとともに戦力外となった。
・木下達生 【2005年高校ドラフト3位→日本ハム(06-10)→中日(11)→ヤクルト(12)、投手】 1987年
※子供のころから中日ファンであり、特に川上憲伸のファンだった。東邦高校では2005年春の選抜でエースとしてチームをベスト8にまで導き、自身は中日入りを熱望したが半ば強行指名に近い形で日本ハムに指名され、交渉は難航したが最終的に入団した。2年目の2007年に5月のソフトバンク戦でプロ初勝利を初完封で飾り、2勝1敗・防2.40の好成績を残したが故障で6月でシーズンを終えた。その後は故障に加えて投球イップスを発症し、2軍でもほとんど投げられず2010年に戦力外となる。トライアウト・入団テストを経て育成選手として念願の中日入団を果たす。中日では2軍で結果を残し、7月には支配下登録を勝ち取って4年ぶりの1軍登板も果たしたが、またもオフに戦力外。再びトライアウトを受けてヤクルトに入団。しかしヤクルトでは2軍でもっ結果を残せず3年連続の戦力外を受けて現役引退。その後は高校野球指導者を目指して愛知東邦大学に入学し、2014年からは母校・東邦高校のコーチを務めている。入団当初は亀田興毅に似ていることを売りにしていたが、同僚だった小笠原道大に「お前はピエロだ」と言われ、さらに高校時代の監督にも窘められたことから封印している。
遅くなりましたがおめでとうございます
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>しかしヤクルトでは2軍でもっ結果を残せず
かわいい
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161128-00000005-sanspo-base
U・ω・U 前田、金!w
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>>677
広島OBの間でも闇になってる藤本か
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新人王は阪神高山と日ハム高梨で決定!
高山は長野以来の野手新人王、高梨は大卒3年目での受賞でこれは史上初。
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新井さんおめでとうございます
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今年の茂木で取れないなら野手新人王無理じゃないですかね
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高梨と高山オメシャス!
茂木は特別賞とかもないんですかね…?
ショートでこれだけ打てる新人は数少ないだけに残念です
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高梨は優勝に貢献しましたし
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新井がMVPな時点で記者が指標を何も見てないガバガバ投票だしどうでもいい
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別に指標で決めるなら記者に投票させなくていいですしおすぎ
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まぁ記者が決めないで指標で決めた方がよっぽど健全ですよね
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セのMVPはともかくパの新人王で言ったら指標で決めてもどっちもどっちって差でしかないけどね。指標で決めるってんなら1年目と3年目っていう差は一切関係無くすべきだし
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ハムが優勝してなければ、だけど高梨の10勝がなければハムは優勝していないわけだし
弱いチームで10勝する方が難しいとみるか、強いチームのローテPになるのを難しいとみるかもあるけど
茂木がせめてAクラスのチームのレギュラーショートなら
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新井は1位票でも2位票でもトップの得票数か
同じくベテラン功労者カテゴリーでもうちょい黒田に流れるのかなぁと思ってたけど
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記者の印象で投票ってんならそれこそ日シリっていう最高の後出し環境を与えられてそれに応えた高梨が有利になるか
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高梨こんなに成績良かったのか
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これ投票したの日シリ前じゃないんですかね
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10勝2敗の貯金数8は大谷の6、増井の7を抑えてチームトップだし、2勝2敗は中継ぎ時のものだから先発としては8勝0敗
中盤以降の首位ホークス戦で自身は負けなしの2勝、高梨先発時のチーム成績も3勝1敗と
和田―有原でことごとく落としたカード初戦をめっちゃフォローしたのよね
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成績だけで比較すれば茂木君の圧勝なんだけど
優勝したからって高梨を選ぶ記者が多かったのはがっかりだなあ
優勝チームかつ文句なしの成績だった則本は偉大
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別に圧勝って程凄い成績ではない
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成績だけで言えば高梨でしょ
大卒3年目で1年目の茂木がいるからこうなってるけど
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来年から迷ったら落選した方に特別賞やればいいんじゃないですかね
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茂木は1年目というのはあるけど、だからって圧勝ってことはないかなあ
それで判断しちゃったら新人王の規定の意味が無くなるし
どちらがなっても全然おかしくなかった
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どっちがとってもおかしくないと思うけどなあ
そもそも投手と野手って時点で比べられるものではないし
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11月29日誕生日のプロ野球選手はこちらです
今日もちょっと多めです
現役
・ブライアン・ウルフ(36) (西武・投手・2010年来日)
※2014年にトミー・ジョン手術を受け昨年末にソフトバンクを退団していたが、怪我も回復したため今年の7月に西武が獲得を発表し再び日本球界に復帰。8月末に1軍昇格を果たすと古巣・日ハム戦で白星を挙げるとその後も4戦4勝と助っ人として見事な活躍を見せた。来季も残留が決定しており、日ハム時代以来の2桁勝利を目指したい。
・宮崎祐樹(30) (オリックス・外野手・2010年ドラフト3位)
※6年目の今年は開幕1軍にも選ばれ、シーズン序盤は外野の準レギュラーとして1軍で活躍していたが、打撃で結果を残せず次第にフェードアウト。シーズン後半は2軍生活が続いた。糸井が阪神に移籍したために来季は外野のレギュラー争いがより激しくなるが、なんとか自身の力をアピールしたいところ。積極的に声を出してチームを鼓舞させるムードメーカーでもある。
OBなど
・大下剛史 【1966年第2次ドラフト2位→東映・日拓・日本ハム(67-74)→広島(75-78)、内野手】 1944年
※広島商業高から進学した駒澤大学では1年春からレギュラーとして在学中全試合全イニング出場を達成し、リーグ歴代4位の通算112安打を記録。東映では遊撃手のレギュラーとして1年目から活躍し、打率.269 28盗塁でベストナインを獲得。身長171cm・体重56kgと細身な体型だったが、張本勲・大杉勝男・白仁天らとともに「暴れん坊集団」と呼ばれたチームの不動の主軸を担った。69年には大橋穣の入団により二塁手にコンバートされ、この大橋とともに鉄壁の二遊間を築いた。また隠し球の名人としても知られ、公式記録ではないが70年にはシーズン4度も成功させている。その後74年にオープン戦で広島と対決した際に、ガッツあるプレーが当時コーチだったジョー・ルーツの目に留まったために翌75年にトレードが決定し、地元球団に移籍する。広島では1番打者に抜擢され、三村敏之との同郷1,2番コンビを形成。赤ヘル打線の切り込み隊長として44盗塁を記録し、盗塁王・ベストナインのタイトルを獲得しチーム初の優勝に大きく貢献した。しかし高橋慶彦が遊撃手に定着した78年に突然現役を引退した。その後は広島のコーチに就任。「胃から汗が出る」と形容するほどの猛練習を若手に課し、厳しい指導で後の広島を支える若手選手らを育成し、その様は「鬼軍曹」と選手に恐れられた。99年にチームを退団して以降は主に解説者として活動しているが、ここでも選手に対して厳しいコメントをすることで名を馳せ、彼が出演した中継の放送席は緊迫感にあふれていた。
・マイク・イースラー 【日本ハム(88-89)、外野手】 1950年
※73年にアストロズでメジャーデビューを果たし、アベレージヒッターとして14年間で6球団を渡り歩き、通算1078安打・118本塁打・打率.293を記録。88年のシーズン途中に、ブリューワとデイエットが揃って故障で離脱したために急遽日本ハムに入団。するとデビュー戦で初打席初本塁打を記録すると、すぐさま4番・指名打者として定着し、田中幸雄・大島康徳とともにクリーンナップを構成。最終的に打率.304 19本塁打という好成績でチームのAクラス入りに貢献。翌89年も開幕から主軸を担っていたが、当時38歳の高齢と相次ぐ故障に泣かされて出場機会は減少。最後は肋骨の亀裂骨折で戦線離脱し、そのまま現役を引退した。その後はブルワーズやレッドソックス・カージナルス・ドジャースといったメジャー各球団でコーチを務めている。極端なアッパースイングが持ち味であり、フォロースルーでバットをすくい上げる独特のフォームが話題となった。ヴェー…ヴェー…ヴェーヴェーヴェー・・・・・・ヴェェーデ(杉浦が落ちる音葉)
続く
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イースラーの真似はずるいと思う
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遠征のバスから降りるイースラーすき
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・藤沢公也 【1977年ドラフト1位→中日(78-84)、投手】 1951年
※八幡浜高校では甲子園に出場できずもエースとして活躍し、卒業時にロッテからドラフト3位の指名を受けるもこれを拒否し日鉱佐賀関に入団。ここでもエース級の活躍を見せて、他チームへの補強を含めて4年連続で都市対抗に出場。その間に71年のドラフトでヤクルトから11位指名を受けるも拒否、その2年後の73年には近鉄から4位指名を受けたがこれも拒否している。さらに76年には日本ハムの2位指名を受けて一旦は入団を快諾するが、球団から契約金の値下げを申し入れられたことで「誠意がない」と反発し、通算4度目の入団拒否。そして翌77年に中日のドラフト1位指名を受け、最終的に翌年オフに入団。ドラフトに5回指名され、4度入団拒否した選手は後にも先にも彼のみである。社会人時代は本格派と評され、スライダーやカーブを主体として投球だったがキャンプにおいて同じく2位指名で入団した小松辰雄の速球を見て自信を失いかける。それでも投手コーチだった稲尾和久の指導でパームを取得したことで技巧派投手に転向し、79年には13勝をあげて最高勝率・新人王に輝いた。しかしそれ以降は相手球団の徹底的マークもあって低迷し、80年には1勝15敗と大きく低迷。その後は先発ローテからも脱落するようになり、中継ぎとして起用されるようになったが結局6年目の84年に現役引退。その後は運輸会社で勤務している。
・定岡正二 【1974年ドラフト1位→巨人(75-85)、投手】 1956年
※鹿児島実業高では3年夏の甲子園で鹿児島勢初のベスト4進出に貢献したが、その準決勝では3回に右手首を故障し降板。その後チームはサヨナラ負けを喫した。その悲劇に加え甘いマスクもあったために女子高生から絶大な人気を得た。自身は阪神に入団希望だったが、同年のドラフトで1位指名を受けて巨人に入団。プロ入り後もその人気は続き、1年目に行った自主トレでは彼目当てに多摩川グラウンドに2万人の観衆が押し寄せたといわれている。その後は長い2軍暮らしが続いたが、プロ入り6年目の80年に初勝利含む9勝をマークして頭角を現す。そして藤田監督が就任した81年の阪神戦には初回先頭打者の北村照文に二塁打を許して以降、27者連続でアウトを奪って準完全試合を達成するなど11勝をあげて、同年のリーグ優勝・日本一に貢献。さらに82年には自己最多の15勝をあげて江川卓や西本聖とともに先発3本柱として活躍した。しかし7勝をあげた83年を最後に成績は急落。槙原寛己や斎藤雅樹の台頭もあり、85年オフには近鉄のベテラン捕手・有田修三とのトレードが発表されたが、これを拒否して突如現役引退。前年も47試合に登板するなど十二分に余力を残した状態ではあったが、29歳の若さでプロの舞台から去った。その後はスポーツキャスターに転身し、次第に芸能界でも活躍。多くのバラエティやクイズ番組に出演し人気を博した。現在は主に解説者として活動している。
・野口裕美 【1982年ドラフト1位→西武(83-88)、投手】 1960年
※米子東高から進学した立教大学では2年次に当時戦後最高となるシーズン96奪三振を記録するなどチームのエースとして活躍したが当時の立教打線は弱く、好投しても打線が援護できなかったことも多く、結局通算成績は防2.14 317奪三振の好成績の一方で27勝28敗と負け越している。しかし即戦力左腕として期待され阪急・中日・西武の3球団の競合指名を受けて、抽選の末に西武に入団。しかし立教時代から酷使によって肩を故障していたこともあり、プロの舞台でも全盛期の球威を出すことは出来ず。チームは黄金時代を迎える中で自身は6年間でわずか5登板・0勝に終わり88年限りで現役を引退している。その後は一般企業に勤務している。
・山下和彦 【1984年ドラフト4位→近鉄(85-94)→日本ハム(95-98)、捕手】 1962年
※柳ヶ浦高・新日鐵大分を経て近鉄に入団。それまで正捕手を務めていた梨田昌孝の衰えもあり、2年目の85年には1軍のレギュラーに抜擢され、その後は近鉄の正捕手に定着。内角を突くインサイドワークとしつこいリードから「マムシ」の愛称で親しまれ、89年にはチームをリーグ優勝に導いてベストナインも獲得。その後は打撃力に長ける光山英和の台頭もあって古久保健二と2番手捕手を争う形となり、94年オフに日本ハムに移籍。主に若手投手や助っ人のグロスとバッテリーを組み、リリーフ捕手としても活躍した。98年限りで現役を引退して以降は横浜や近鉄、楽天のコーチを歴任し、現在はDeNAの2軍バッテリーコーチを務めている。遠縁に現巨人の實松一成がおり、彼が日ハムでつけた背番号40はその實松に引き継がれている。
続く
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・吉田修司 【1988年ドラフト1位→巨人(89-94)→ダイエー・ソフトバンク(94-06)→オリックス(07)、投手】 1966年
※滝見高から進んだ北海道拓殖銀行では2年連続で都市対抗に出場し、88年のソウル五輪にも日本代表に選ばれて銀メダル獲得に貢献し、同年のドラフト1位で巨人に入団(会見の際に中日ファンだったことを表明し話題となった)。しかし巨人では1軍には定着できず、94年の横浜戦では1イニング10失点を喫しながらも最後まで続投させられている。この1ヵ月後にトレードでダイエーに移籍。ダイエーでも96年までは結果を残せず、背水の陣で望んだ97年に中継ぎとして才能が開花。左の中継ぎとしてチームに重宝され、98年には63試合に登板し自身初タイトルとなる最多ホールドを獲得。99年にはリーグ優勝・日本一に貢献し、2000年には当時の球団記録に並ぶ自己最多の69試合に登板。9勝をあげて連覇に貢献し、城島健司とともに最優秀バッテリー賞を受賞。その後も2003年には旧規定では史上初の通算100ホールドを達成し、安定感は欠いたものの再び日本一に貢献するなどこの都市まで6年連続で50試合以上に登板し、遅咲きの鉄腕と評された。しかし翌2004年からは故障や不振に悩まされて40歳となった2006年オフに戦力外を受けた。その後テストを経てオリックスに入団し、翌2007年にはワンポイントリリーフとして史上78人目の500登板、そして当時のパリーグ最年長セーブも記録するなど復活を果たしていたが、若返りを求めたチーム事情もあり1年で戦力外となり現役を引退。その後は主に解説者として活動し、2013〜2014年にはソフトバンク、昨年には楽天のコーチを務めた。
・小笠原孝 【1998年ドラフト3位→中日(99-12)、投手】 1976年
※市立船橋高では93年夏の甲子園でチームをベスト4に導き、その後は明治大学を経て中日に入団。しかしプロ入り後は1年目のプロ初登板で高橋由伸に満塁本塁打を打たれるなど、順風満帆とは行かず3年目までは1勝もあげられず。4年目の2002年には先発ローテの一角として5勝をあげて成長を見せたが、一方でそれ以降は右足の手術もあり再び長い低迷が続いた。そして迎えた9年目の2007年5月には4勝0敗・防1.87の好成績で月間MVPを獲得したが、この時のスポーツ紙には「月間MVPにウッズ・杉内・山崎ら」と1人だけ略されたために「ら様」の愛称で親しまれるようになる。なおこの年は打線の援護に恵まれず、防2.99ながら6勝6敗どまりに終わった。その一方で落合監督からは信頼を勝ち取り、同年のCS第2ステージには当初の予想を覆して第1戦に先発(奇襲ではなく登板予定だった山井が故障していたため)してチームの勝利に貢献して話題を呼んだ。その後も中日の先発ローテの一員として活躍し、2008年には自己最多の8勝、翌2009年も7勝をマーク。しかし2010年以降は怪我や故障に苦しみ、1軍ではほとんど活躍できず。そして2012年オフに戦力外となり現役を引退した。現在は中日の2軍投手コーチを務めている。
・丈武 (森田丈武) 【2008年育成ドラフト1位→楽天(09-11)、内野手】 1980年
※山梨学院大付高からは数々のアマチュアチームを転々とし、2006年からは四国ILの香川に入団。その香川の4番打者として活躍し、2007,2008年には2年連続で本塁打・打点の二冠王を獲得する。その活躍を評価されて高校卒業から10年経った2008年に育成契約ながら念願のプロ入りを果たす。また松坂世代における最後のドラフト入団選手でもある。1年目の2009年は2軍で開幕から好調を維持したことから6月には支配下登録を勝ち取り、少ない出場試合数ながら9試合で打率3割をマーク。しかしその後は他の内野手に埋もれる形となり1軍定着はならないまま2011年限りで戦力外となった。その後はパナソニックでアマチュア野球に復帰したが、思うような活躍は出来ず1年限りでチームを退団。現在は妻子を支える一家の大黒柱としてヤマト運輸で勤務している。
・内藤雄太 【2005年大社ドラフト3位→横浜・DeNA(06-13)、外野手】 1983年
※横浜商工高から進んだ八戸大学では首位打者3回、三冠王2回という見事な成績を残し、ドラフト3位で横浜に入団。入団当初は2軍生活が長く続いたが、4年目の2009年に左の代打の切り札として1軍定着。新人王有資格者では最多の5本塁打を放ち、また守備でも外野だけじゃなく一塁や三塁と様々なポジションをこなした。その後2011年には中日との開幕戦で代打で出場し、浅尾拓也からチーム8年ぶりの開幕戦勝利を決定付けるサヨナラタイムリーを放ち、6月末には自身初の満塁本塁打も記録するなど自己最多の99試合に出場。しかしその後はラミレスの加入や荒波翔の台頭もあって出場機会が大幅に減少。2013年には中畑監督の戦力構想ではあったもののフロントから戦力外通告を受け、同年限りで現役引退。現在は同年ともに戦力外となった吉川輝昭や中西健太とともにスポーツ用品店で勤務している。
おめでとうございます
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グッバイ新垣
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Deペトリックの背番号をピロ康が背負うことになるのか
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ソフトB 新外国人ジェンセンの入団発表「日本一奪還に貢献したい」
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/11/29/kiji/K20161129013815230.html
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http://m.mlb.com/player/571812/kyle-jensen?year=2016&stats=career-r-hitting-minors
HRが多くて三振も多い(小並感)
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多少率は目をつむるからとにかく30本以上打ってほしい
メヒアやエルドレッドみたいになってほしい
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メジャーデビューした年に日本に来るのは楽天のウィーラーもそうでしたね
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>>712
同じPCL出身のロマックより三振率高くて四球率低いのはまずいですよ!
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左手の強さをめいっぱい生かして利き腕でバットをリードする感がする左投げ右打ち大好き
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移籍先がまだ発表されてないのに退団の正式発表が来るのか……
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11月30日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
なし
OBなど
・田川豊 【グレートリング・南海(46-47)→大陽(48-49)→近鉄(50-52)→大映(53-54)、投手・内野手】 1918年
※呉港中学では34年に甲子園に出場。2年先輩だった藤村富美男とバッテリーを組み、全国制覇を達成。その後は内野手・投手としても活躍し通算で5度甲子園に出場。そして法政大学を経て戦後46年にグレートリングに入団。新人ながらリーグ2位、そして現在でも歴代新人最高となる打率.341を記録してチームの優勝に貢献した。その後は大陽・近鉄・大映でプレーし54年に現役を引退。その後はパリーグの審判に転身し、79年までその職を務めた。通算954安打と審判としては珍しく現役時代にも実績を残した選手である。またパ・リーグの審判でありながら、巨人のV9のうち8回も優勝決定試合に出場している。
・渡辺清 【阪急(55-59)→大洋(60-61)、外野手】 1932年
※戸畑高校・専修大学を経て阪急に入団。1年目から外野のレギュラーを勝ち取り、132試合に出場。新人ながらリーグ5位の打率.303、33盗塁を記録するが新人王は榎本喜八に譲った。その後も打線の中軸として活躍。57年の近鉄戦では延長戦でサイクルヒットを達成し、その試合での本塁打がプロ野球通算10000号という記念すべきものとなった。その後は目の故障に悩まされ成績が低迷するも60年に移籍した大洋では中堅手としてリーグ優勝に貢献した。翌61年に引退。
・小林宏 【1992年ドラフト1位→オリックス(93-04)→楽天(05)、投手】 1970年
※広島経済大学では3年までは遊撃手だったが、4年次に他の選手の故障から投手に転向し、そのまま大学選手権にチームを導く好投を見せた。当初は広島の2位指名を受ける予定だったが当日にオリックスが1位で指名したことで会見では驚きを隠せていなかった。1軍では年を経るごとに登板機会を増やし、3年目の95年には「がんばろうKOBE」をテーマにして一丸となったチームを支え、先発の一員として8勝をマークして優勝に貢献。同年の日本シリーズでは3連敗で迎えた第4戦、1対1で迎えた11回裏1死1,2塁のピンチの場面でヤクルトの4番・オマリーと対戦。危うくホームランとなる大ファールを2度打たれながらも執念の粘りを見せて空振り三振を奪い、続く古田も討ち取ってこのピンチを救った。この一連のシーンは小林-オマリーの14球として現在でも語り継がれている。翌96年には先発・中継ぎの双方で活躍し再び8勝を記録して連覇と日本一に貢献。97年には抑えとして53試合に登板し15セーブを記録した。その後も98年には初の2桁勝利・99・2000年には開幕投手と投手陣の柱としてチームを支えたが、その後は打ち込まれることも多く不振に悩まされる。2004年オフの分配ドラフトでは楽天に移籍したが、新天地でも復活は出来ず1年で戦力外となり現役を引退。その後は解説者を経てオリックスのコーチを務めており、来季は2軍投手コーチとなる。
続く
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・斉藤和巳 【1995年ドラフト1位→ダイエー・ソフトバンク(96-10)、投手】 1977年
※南京都高校では当時の高校BIG3の1人として注目されており、ドラフト1位でダイエーに入団。しかし肩の故障もあって登録名も「カズミ」に変更したが長い間伸び悩みが続き、一時は野手転向も勧められていたが新たなエース候補として毎年期待されていた。すると2002年に先発として4勝を記録し飛躍のきっかけを掴むと、翌2003年にはついに才能が開花。開幕投手となってそれ以降も白星をあれよあれよと積み重ね、最終的にリーグでは18年ぶりの20勝をマーク。最多勝・最優秀防御率・最高勝率・ベストナインと投手タイトルを総なめにし、阪神の井川慶とともに沢村賞も獲得した。その後も和田毅・新垣渚・杉内俊哉とともに「SWAT」と呼ばれる強力な先発4本柱を形成。2004年には1シーズン制としては歴代最悪の防6.26と打ち込まれながらも10勝をあげ、そして2005年には当時プロ野球タイ記録の開幕15連勝を記録するなど16勝1敗で自身2度目の最高勝率を獲得。そして2006年には後半戦に成績を伸ばして18勝5敗・防1.75・205奪三振・勝率.783、そして5完封で2リーグ制以降では史上4人目の投手5冠を達成し、リーグ史上初の2度目の沢村賞を獲得。しかしこの年のプレーオフでは西武・松坂大輔、日本ハム・八木智哉とそれぞれ投げ合い、2試合でわずか2失点という力投を見せたがいずれも0-1で敗戦。特にサヨナラ負けを喫した日本ハム戦では試合終了後にマウンドに片膝を突いて涙を流した。翌2007年も開幕投手を務めて6勝をあげたがこの年から肩の違和感に悩まされ、翌2008年には手術を受けて残りシーズンを棒に振った。しかし肩の回復は思わしくなく、翌2009年も1年間登板できず。そして2010年に再び手術を受けたことでオフには支配下登録から外れて3軍リハビリ担当コーチに就任。支配下再登録を目指しリハビリを続け、2012年には打撃投手を務めるなど順調に回復を見せていたが、最後に1軍で登板してから6年近くが経った2013年7月に現役を引退。現在は主に解説者として活動している。現役時代は通算79勝23敗・勝率.775という圧倒的な成績を残しチームのエースとしてダイエー・ソフトバンクを支えた一方で、ポストシーズンでは通算10登板で0勝6敗と1勝も出来なかった。またブログを頻繁に更新することでも有名であり、プロブロガーとも呼ばれていた。
・鎌田祐哉 【2000年ドラフト2位→ヤクルト(01-10)→楽天(10-11)、投手】 1978年
※早稲田大学では1年先輩の藤井秀悟とともにエースとして活躍。2000年のドラフトでヤクルトに入団すると、1年目から8試合の登板で防0.59と結果を残す。その後は先発の一員として1軍に定着し、2003年には30試合に登板し自己最多の6勝をマーク。その後は主に中継ぎとして起用されるも、故障や不振で不安定な成績が続き1軍に完全に定着することは出来なかった。そして2010年のシーズン途中には渡邉恒樹とのトレードで楽天に移籍。しかし楽天では2年間で1軍に呼ばれることはなく、2011年オフに戦力外。翌年は台湾・統一でプレーし、エース投手として開幕11連勝含む16勝をあげて最多勝・ベストナイン・GG賞を獲得。しかし同年限りでチームを退団し、2013年の年明けに現役を引退。現在は会社員として第2の人生を歩んでいる。MacやiPadなどデジタルメディアを使うのが趣味であり、また移動の際にはアニメ鑑賞を行っていた。お気に入りは交響詩篇エウレカセブンであり3度も見たという。
おめでとうございます
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田原選手128試合登板準備したってすごいっすね・・・
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ウィンターリーグ中継見るか
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スタメン
https://twitter.com/CPBL/status/803892964585918464
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吉田正尚、ウィンターリーグでやることあるんかいなってレベルの高さ
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キヨマーは野球殿堂入り候補者から除外されたのね
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平沢ええやん
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栗原HR
甘い球だったけどナイバッチ
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オコエが高卒一年目の体じゃないですね
なんだあれは…たまげたなぁ
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イニング間の音楽いままではJ-POPとかだったのに急に球団歌になってて草生える
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12月1日・3日・4日も放送してくれるのか
うれしいなあ
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曽根もいい動きしてるんだけど脚早いわなあ
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イースタンはスタメンに高卒ルーキー3人だから結果自体は順当だけど
それを差し引いてもオコエ酷いっすね…
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12月1日誕生日のプロ野球選手はこちらです
残り1ヶ月、がんばります
現役
・田中豊樹(23) (日本ハム・投手・2015年ドラフト5位)
※佐賀商業高では強打の打者として注目されていたが、日本文理大では投手に専念。最速152キロの速球と多彩な変化球を武器とし、1年目の今年は5月に1軍デビュー。2軍でも中継ぎの一員として1年間実践を積んだ。来季は力強い投球を武器に1軍定着を目指す。
OBなど
・大沢清 【名古屋・中部日本・中日(37-41,46-48)→東急(49)→大洋(50-51)→広島(52-54)、内野手】 1916年
※親分の愛称で呼ばれた大沢啓二の兄であり、國學院大學から37年に名古屋軍に入団。右中間への流し打ちを得意とし、一塁手のレギュラーとして1年目から活躍し、戦争を挟んで10年以上ドラゴンズでプレーした。49年に東急に移籍し、50年に新球団となった大洋に移籍。同年には当時の日本記録となる1シーズン45二塁打を記録するなど打率.327の好成績を記録し、チームの中軸として活躍。その後52年には広島に移籍し、当時チーム最年長(35歳)ながら4番打者として活躍。54年にプロを引退し、その後は東京ガスでプレーし都市対抗にも出場。60年からは國學院大學の監督に就任し、その後も同大学の文学部の教授として第2の人生を歩んだ。
・中尾碩志 【巨人(39-42,46-57)、投手】 1919年
※京都商業学校から39年に巨人に入団。1年目から先発の一員として積極的に起用され、11月にはルーキーにして史上4人目のノーノーを達成するなど12勝をマーク。翌40年からは2年連続で26勝をあげ、41年には2度目のノーノーを達成。典型的なノーコン剛球投手であり、1度目のノーノーは10与四球、2度目も8与四球と多くのランナーを出している。その後戦争を経て46年に巨人に復帰。復帰後は一転してドロップを駆使した技巧派投手に転向。48年には27勝・防1.84・187奪三振で投手3冠に輝き、ベストナイン・沢村賞も獲得した。その後も巨人のエースとして活躍し、55年には通算200勝を達成して57年に引退。その後は巨人のコーチや2軍監督としてチームのV9を支えたが、スカウト部長を務めていた77年に58歳で急逝。通算3057投球回、1436与四球は今なお巨人の球団記録であり、背番号18を背負ったことからエースナンバー18の祖としても知られている。1998年に野球殿堂入り。
・銭村健四 【広島(53-56)、外野手】 1928年
※ハワ イ生まれの日系人であり父は「日系人野球の父」と呼ばれた銭村健一郎。戦後にイタリアとユーゴスラビアの国境で兵役につき、50年には朝鮮戦争の影響でソウル近郊の監視所に就いた。そこで黄疸を患い、治療のために海を渡って京都の病院に入院。その後いったんハワ イに帰国して大学に通い、その時に全米学生選抜の選手として再び来日。1番打者として俊足と好打を披露し、その活躍が東洋工業の松田恒次の目に留まり、兄・健三らとともに広島に入団を果たす。小柄な身体ながら抜群の守備力と走塁でファンを沸かせ、金山次郎とともに1,2番コンビを形成し弱小だった広島を支え、54年にはオールスターにも出場した。55年には金山に加え同じく日系人だった平山智とともに俊足トリオを形成し、球団が掲げる「走る野球」の原点となった。56年に引退後は再び故郷に戻り、日本料理店を経営していた。
・金田星雄 【国鉄(60-61)、投手】 1941年
※金田正一を長男とした金田4兄弟の3番目であり、愛知高から60年に国鉄に入団。しかし1軍で姿を現すことはなく、わずか2年で現役を引退した。その後は歌手に転向し、62年に「初恋岬」でデビュー。その後演歌歌手の小宮恵子とのデュエットである「幸せを掴んじゃおう」がヒットし、以降も度々デュエット曲をリリースしている。
続く
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・八木沢荘六 【1966年第2次ドラフト1位→東京・ロッテ(67-79)、投手】 1944年
※作新学院高では62年春の選抜でエースとして出場し、日大三高を破ってチームを初優勝に導いた。その後作新学院は同年夏の甲子園も制し、史上初の春夏連覇を達成するが自身は赤痢にかかって出場できなかった。その後は早稲田大学に進み、ここでもエースとして3度のリーグ優勝に貢献し66年のドラフトで東京に入団。即戦力として期待されながら伸び悩んでいたが3年目の69年に1軍に定着。先発・中継ぎの双方で活躍し、70年・74年のリーグ優勝に貢献。特に73年の太平洋戦では史上13人目、そして現在でも唯一となる3ボールのカウントを1回も出さずに完全試合を達成し、同年は最高勝率のタイトルも獲得。コーチを兼任した76年には自己最多の15勝をマークし、翌77年も11勝をあげるなどチームを支えたが、78年に金田正一監督に強制的に引退させられる。しかし選手の反発もあって79年に復帰を果たしたが、マニエルの顔面に死球を当てて重傷を負わせるなど満足いく投球はできずこの年限りで現役を引退した。その後はロッテや西武のコーチを経て92年からはロッテの監督に就任したが3年間いずれもBクラスに終わり94年途中に退任。その後は横浜・巨人・阪神・オリックス・東京ガス・ヤクルト・BCリーグの群馬とプロ・アマ問わず多彩な球団でコーチを務めた。現在は日本プロ野球OBクラブの理事長を務めている。
・三輪隆 【1993年ドラフト2位→オリックス(94-04)、捕手】 1969年
※関東一高では87年春の選抜でチームを準優勝に導き、明治大学を経て進んだ神戸製鋼ではバルセロナ五輪の代表として銅メダル獲得に貢献。オリックスでは入団当初、高田誠や中嶋聡の控えだったが日本シリーズでも先発マスクを被るなど期待され、97年には正捕手として活躍した。しかし翌年に脱税事件で出場停止処分を受け、その後は日高剛との併用で出場機会は徐々に減っていった。そんな中の2003年には監督推薦で初めてオールスターに出場し、自己最多の8本塁打を放つなど規定打席未満ながら打率3割を記録した。2004年には選手会長として近鉄との球団合併に反対を唱え続けていたがそれは実らず、同年をもって現役を引退した。その後はオリックスや楽天のコーチを務め、楽天時代には田中将大のお目付け役として2013年のリーグ優勝・日本一に貢献した。今年からは再びオリックスのコーチとなり、9月にはU-23侍ジャパンのコーチも務めた。
・下山真二 【2002年ドラフト8位→近鉄(03-04)→オリックス(05-11)、外野手】 1975年
※立命館大学・日本生命を経て近鉄に27歳で入団。即戦力として期待され、1年目のオープン戦から2本塁打を放って1軍でもそこそこの成績をマーク。しかし近鉄ではレギュラーを掴めぬまま分配ドラフトでオリックスに移籍。5年目の2007年には右翼手のレギュラーを掴み111試合に出場し、左キラーとしても活躍。濱中治の入団や迎祐一郎の台頭もあった2008年も右翼手のレギュラーを守り続け、1,2番打者として自己最多の123試合に出場して自身初の2桁本塁打も記録しチームの2位浮上に貢献。翌2009年もチーム日本人最多の13本塁打を記録したが、その後は故障や打撃不振に苦しみ徐々に出場機会が減少。2011年には8月に右アキレス腱を断裂し、同年限りで現役を引退した。2007年から2010年にかけて4年連続でサヨナラ打を記録するなど勝負強い打撃でチームを支えた。その後はオリックスのコーチを務めており、今年の7月からは病気で休養した田口2軍監督の代行も務めた。
・許銘傑(ミンチェ) 【西武(00-11)→オリックス(12-13)、投手】 1976年
※台湾時代は「郭泰源2世」と期待され、2000年に9年契約という異例の長期契約を結んで西武に入団。1年目から先発ローテの一員として6勝をあげると、視力矯正のためメガネをかけた2001年には最優秀防御率も狙えるほどの活躍を見せ、チーム3位の11勝をあげ、翌年も9勝と先発の主軸として活躍した。しかしその後は故障や不調に悩まされ、2006年からはサイドスローに転向するもうまくいかず。さらに他の助っ人の台頭もあったためにロングリリーフとしての起用が多くなった。それでも2010年には再び先発ローテに復帰し再び6勝をマークすると、登録名を「ミンチェ」に変えた2011年には9年ぶりの完封をあげると、セットアッパーとしても活躍しチーム最多の22ホールド・防1.98の好成績をマーク。また国内FA権を取得したことで日本人扱いとなり、そのFA権を行使して2012年にオリックスに移籍。オリックスでもセットアッパーとして活躍が期待されたが、打ち込まれる場面が目立って低迷し期待を裏切る結果となった。そして翌2013年に戦力外となり、その後は台湾に復帰。現在も現役を続けており、今年からは中信兄弟でプレーしている。
おめでとうございます
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村田は年俸8000万ダウンだけど、さすがに3年契約の3年目だけ結果残した所で年俸据え置きとはならないんすね〜
まぁ特に酷かった昨年に今年並の成績残してりゃヤクルトとの1.5差は逆転できてたかもって考えたら帳尻を評価するわけもないか
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西武秋山は3年契約か
あとは浅村がどうなるかやね
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山口は巨人ですって奥さん
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どすこいのフォークとか小林またポロポロしそう
頼むぞほんとに
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年間大賞は草
誠也おめ(?)
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というわけで今日から契約更改情報をまとめていきます
まずはここまで更改を終えた選手を一挙まとめて行きます
【広島・投手1】
・ジョンソン(33) 3年目 約3億2000万円(△約1億7000万円・113%増・3年契約)
1軍:26登板 15勝7敗 0S 0H 180.1投球回 141奪三振 49与四球 防2.15 (沢村賞)
2軍:登板なし
・ジャクソン(30) 2年目 約9600万円(△2400万円・60%増)
1軍:67登板 5勝4敗 0S 37H 68.1投球回 89奪三振 23与四球 防1.71
2軍:登板なし
・ヘーゲンズ(28) 2年目 約7700万円(△2000万円・33%増)
1軍:50登板 7勝5敗 0S 19H 83.1投球回 33奪三振 33与四球 防2.92
2軍:9登板 2勝1敗 0S 15.1投球回 9奪三振 7与四球 防2.35
・永川勝浩(37) 15年目 3700万円(▼1300万円・26%減)
1軍:11登板 2勝0敗 0S 1H 10.0投球回 8奪三振 2与四球 防6.30
2軍:25登板 0勝3敗 0S 24.1投球回 14奪三振 10与四球 防5.55
・一岡竜司(26) 6年目 2800万円(△400万円・16%増)
1軍:27登板 1勝1敗 0S 5H 24.2投球回 21奪三振 10与四球 防1.82
2軍:8登板 0勝0敗 0S 8.0投球回 7奪三振 0与四球 防0.00
・岡田明丈(24) 2年目 2520万円(△1020万円・68%増)
1軍:18登板 4勝3敗 0S 1H 89.1投球回 60奪三振 25与四球 防3.02
2軍:10登板 2勝2敗 0S 35.2投球回 26奪三振 10与四球 防3.79
・戸田隆矢(24) 6年目 2300万円(△330万円・16%増)
1軍:17登板 4勝0敗 1S 0H 54.2投球回 42奪三振 18与四球 防2.80
2軍:11登板 1勝1敗 0S 17.2投球回 6奪三振 5与四球 防7.13
・九里亜蓮(26) 4年目 2200万円(△640万円・41%増)
1軍:27登板 4勝8敗 0S 0H 80.0投球回 52奪三振 37与四球 防4.50
2軍:6登板 2勝2敗 0S 35.0投球回 28奪三振 11与四球 防2.06
・中田廉(27) 9年目 2000万円(▼600万円・23%減)
1軍:8登板 1勝1敗 0S 1H 4.1投球回 6奪三振 4与四球 防16.62
2軍:22登板 1勝1敗 1S 26.0投球回 18奪三振 6与四球 防3.46
・江草仁貴(37) 15年目 1600万円(▼100万円・5%減)
1軍:8登板 0勝0敗 0S 1H 9.0投球回 5奪三振 4与四球 防6.00
2軍:20登板 0勝0敗 0S 15.1投球回 14奪三振 4与四球 防0.00
・薮田和樹(25) 3年目 1400万円(△400万円・40%増)
1軍:16登板 3勝1敗 0S 0H 31.0投球回 21奪三振 22与四球 防2.61
2軍:13登板 2勝4敗 0S 0H 46.2投球回 19奪三振 37与四球 防5.01
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青木宣親はアストロズと合意できたのか
詳しく知らんが、年俸調停の関係でもしかしたらまたFAになるんじゃないか説が結構根強かったみたいだけど
まあとりあえず来期の所属先が決まったのはよかった
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【広島・投手2】
・横山弘樹(25) 2年目 1250万円(▼100万円・7%減)
1軍:6登板 2勝2敗 0S 0H 26.1投球回 17奪三振 12与四球 防5.47
2軍:14登板 3勝6敗 0S 78.0投球回 52奪三振 23与四球 防5.77
・小野淳平(30) 8年目 1200万円(▼300万円・20%減)
1軍:6登板 0勝0敗 0S 0H 7.1投球回 3奪三振 2与四球 防7.36
2軍:23登板 1勝0敗 1S 32.2投球回 23奪三振 2与四球 防2.76
・オスカル(26) 2年目 1100万円(△300万円・37%増)
1軍:23登板 2勝0敗 0S 1H 22.2投球回 13奪三振 7与四球 防6.35
2軍:17登板 1勝1敗 2S 18.0投球回 8奪三振 6与四球 防4.50
・今井啓介(30) 12年目 1000万円(▼400万円・28%減)
1軍:登板なし
2軍:32登板 1勝1敗 0S 31.0投球回 17奪三振 14与四球 防3.19
・飯田哲矢(26) 2年目 980万円(▼20万円・2%減)
1軍:2登板 0勝0敗 0S 0H 3.1投球回 4奪三振 0与四球 防0.00
2軍:32登板 3勝5敗 1S 31.0投球回 29奪三振 14与四球 防4.35
・中村恭平(28) 7年目 900万円(△100万円・12%増)
1軍:8登板 1勝1敗 0S 0H 35.0投球回 17奪三振 18与四球 防5.40
2軍:17登板 4勝3敗 1S 78.2投球回 32奪三振 27与四球 防2.97
・塹江敦哉(20) 3年目 650万円(△110万円・20%増)
1軍:3登板 0勝1敗 0S 0H 6.1投球回 6奪三振 4与四球 防11.37
2軍:17登板 2勝3敗 0S 73.1投球回 53奪三振 38与四球 防5.77
・佐藤祥万(28) 10年目 600万円(現状維持)
1軍:2登板 0勝0敗 0S 0H 2.1投球回 3奪三振 1与四球 防7.71
2軍:28登板 1勝1敗 1S 25.1投球回 16奪三振 8与四球 防2.13
・藤井皓哉(21) 3年目 500万円(▼40万円・7%減)
1軍:登板なし
2軍:17登板 0勝2敗 0S 35.0投球回 14奪三振 26与四球 防4.63
・高橋樹也(20) 2年目 500万円(▼40万円・7%減)
1軍:登板なし
2軍:9登板 1勝5敗 0S 38.2投球回 20奪三振 13与四球 防7.68
・中村祐太(22) 4年目 450万円(▼10万円・2%減)
1軍:登板なし
2軍:10登板 1勝3敗 0S 40.1投球回 25奪三振 11与四球 防5.13
・辻空(23) 5年目 430万円(▼30万円・6%減)
1軍:登板なし
2軍:10登板 1勝4敗 0S 44.2投球回 17奪三振 25与四球 防5.04
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打低気味になりつつあるMLBで2割8分の打撃とそれなりの足と穴にならない程度の守備があって
契約の関係で切りやすい青木は使い勝手いいですからね
立場上いかに買い叩けるかって感じになってるのが切なくもあり・・・
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【広島・捕手】
・會澤翼(29) 11年目 2800万円(△500万円・21%増)
1軍:83試合 .239 (197-47) 7本 26打点 42三振 14四球 1盗塁 OPS.682
2軍:出場なし
・船越涼太(24) 2年目 800万円(現状維持)
1軍:1試合 1.000 (1-1) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS2.000
2軍:47試合 .287 (115-33) 2本 16打点 23三振 10四球 0盗塁 OPS.726
・磯村嘉孝(25) 7年目 770万円(△155万円・25%増)
1軍:24試合 .161 (31-5) 0本 2打点 5三振 1四球 0盗塁 OPS.381
2軍:16試合 .250 (56-14) 2本 4打点 4三振 3四球 0盗塁 OPS.663
・白濱裕太(32) 14年目 700万円(▼160万円・18%減)
1軍:1試合 .000 (0-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:41試合 .136 (22-3) 0本 5打点 4三振 1四球 0盗塁 OPS.382
・多田大輔(21) 3年目 450万円(▼40万円・8%減)
1軍:出場なし
2軍:13試合 .250 (12-3) 0本 1打点 5三振 0四球 0盗塁 OPS.500
・中村亘佑(26) 8年目 450万円(▼10万円・2%減)
1軍:出場なし
2軍:58試合 .217 (115-25) 1本 10打点 22三振 9四球 0盗塁 OPS.568
・松浦耕大(24・育成) 3年目 400万円(△20万円・5%増)
2軍:5試合 .000 (3-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
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【広島・内野手】
・エルドレッド(37) 6年目 約1億1000万円(▼約1500万円・12%減・2年契約)
1軍:95試合 .294 (316-93) 21本 53打点 86三振 31四球 1盗塁 OPS.900
2軍:19試合 .305 (59-18) 7本 16打点 15三振 2四球 0盗塁 OPS.984
・小窪哲也(32) 10年目 4000万円(現状維持)
1軍:69試合 .217 (92-20) 2本 10打点 23三振 11四球 0盗塁 OPS.723
2軍:18試合 .394 (66-26) 0本 9打点 4三振 6四球 0盗塁 OPS.959
・梵英心(37) 12年目 4000万円(▼5000万円・55%減)
1軍:7試合 .000 (9-0) 0本 0打点 0三振 3四球 0盗塁 OPS.250
2軍:46試合 .193 (83-16) 1本 7打点 10三振 10四球 3盗塁 OPS.557
・安部友裕(28) 10年目 2100万円(△1020万円・94%増)
1軍:115試合 .282 (259-73) 6本 33打点 64三振 19四球 7盗塁 OPS.756
2軍:1試合 .250 (4-1) 1本 1打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS1.250
・堂林翔太(26) 8年目 1650万円(▼180万円・9%減)
1軍:47試合 .250 (56-14) 2本 2打点 11三振 3四球 3盗塁 OPS.645
2軍:63試合 .296 (243-72) 5本 30打点 41三振 18四球 15盗塁 OPS.772
・西川龍馬(22) 2年目 930万円(△180万円・24%増)
1軍:62試合 .294 (51-15) 0本 3打点 9三振 4四球 0盗塁 OPS.731
2軍:12試合 .310 (42-13) 0本 9打点 9三振 7四球 2盗塁 OPS.852
・上本崇司(27) 5年目 700万円(▼180万円・20%減)
1軍:7試合 .000 (7-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:68試合 .213 (122-26) 0本 4打点 21三振 23四球 13盗塁 OPS.611
・庄司隼人(26) 8年目 580万円(現状維持)
1軍:3試合 .000 (2-0) 0本 0打点 1三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:76試合 .289 (266-77) 3本 23打点 31三振 26四球 4盗塁 OPS.734
・美間優槻(23) 5年目 550万円(▼50万円・8%減)
1軍:出場なし
2軍:57試合 .163 (123-20) 2本 10打点 31三振 6四球 0盗塁 OPS.502
・桑原樹(21) 3年目 500万円(▼40万円・7%減)
1軍:出場なし
2軍:109試合 .248 (363-90) 3本 33打点 83三振 20四球 20盗塁 OPS.614
・青木陸(20) 2年目 450万円(△30万円・7%増)
1軍:出場なし
2軍:8試合 .000 (7-0) 0本 0打点 1三振 0四球 0盗塁 OPS.000
・木村聡司(21・育成) 3年目 350万円(△30万円・9%増)
2軍:2試合 .000 (1-0) 0本 0打点 1三振 0四球 0盗塁 OPS.000
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【広島・外野手】
・丸佳浩(28) 10年目 1億4000万円(△5500万円・64%増)
1軍:143試合 .291 (557-162) 20本 90打点 107三振 84四球 23盗塁 OPS.870 (B9・GG賞)
2軍:出場なし
・松山竜平(32) 10年目 4000万円(△1200万円・42%増)
1軍:103試合 .291 (254-74) 10本 41打点 29三振 20四球 0盗塁 OPS.806
2軍:1試合 .000 (3-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
・赤松真人(35) 13年目 3600万円(△300万円・9%増)
1軍:89試合 .368 (19-7) 0本 3打点 4三振 2四球 12盗塁 OPS.955
2軍:18試合 .086 (35-3) 0本 3打点 5三振 2四球 2盗塁 OPS.272
・天谷宗一郎(34) 16年目 2400万円(△100万円・4%増)
1軍:55試合 .175 (80-14) 1本 8打点 16三振 13四球 3盗塁 OPS.540
2軍:29試合 .289 (76-22) 0本 6打点 15三振 4四球 3盗塁 OPS.680
・野間峻祥(24) 3年目 1400万円(▼300万円・17%減)
1軍:21試合 .292 (24-7) 0本 1打点 3三振 0四球 1盗塁 OPS.583
2軍:86試合 .299 (354-106) 7本 43打点 45三振 26四球 20盗塁 OPS.767
・下水流昂(29) 5年目 1200万円(△390万円・48%増)
1軍:48試合 .250 (104-26) 5本 18打点 26三振 12四球 0盗塁 OPS.780
2軍:35試合 .308 (91-28) 2本 9打点 17三振 14四球 1盗塁 OPS.841
・岩本貴裕(31) 9年目 1200万円(▼300万円・20%減)
1軍:27試合 .333 (21-7) 0本 5打点 8三振 1四球 0盗塁 OPS.887
2軍:71試合 .280 (143-40) 5本 16打点 20三振 16四球 1盗塁 OPS.795
・土生翔平(28) 6年目 600万円(▼90万円・13%減)
1軍:5試合 .125 (8-1) 0本 0打点 1三振 1四球 0盗塁 OPS.347
2軍:90試合 .290 (193-56) 2本 23打点 27三振 13四球 2盗塁 OPS.741
・高橋大樹(23) 5年目 550万円(▼100万円・15%減)
1軍:出場なし
2軍:59試合 .226 (124-28) 0本 16打点 23三振 6四球 2盗塁 OPS.566
【広島・残り更改選手】
投手:野村・大瀬良・福井・中崎・今村
捕手:石原
内野手:菊池・新井・田中・バティスタ・メヒア
外野手:鈴木
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BCリーグは2018年から26歳のシーズンまでという制限がつくのね
NPB経験者や地元で人気のベテラン用にオーバーエージ枠5があるとはいえ
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思った以上に量が多いので
今日はセ・リーグだけまとめます
【巨人・投手1】
・山口鉄也(34) 12年目 3億2000万円(現状維持・3年契約3年目)
1軍:63登板 1勝6敗 1S 19H 48.0投球回 28奪三振 12与四球 防4.88
2軍:登板なし
・菅野智之(28) 5年目 2億3000万円(△1億円・76%増)
1軍:26登板 9勝6敗 0S 0H 183.1投球回 189奪三振 26与四球 防2.01 (最優秀防御率・最多奪三振・GG賞)
2軍:登板なし
・内海哲也(35) 14年目 2億円(▼2億円・50%減)
1軍:18登板 9勝6敗 0S 0H 107.1投球回 81奪三振 22与四球 防3.94
2軍:6登板 1勝2敗 0S 33.2投球回 31奪三振 7与四球 防4.28
・澤村拓一(29) 7年目 1億5000万円(△5000万円・50%増)
1軍:63登板 6勝4敗 37S 4H 64.1投球回 55奪三振 20与四球 防2.66 (最多セーブ)
2軍:登板なし
・吉川光夫(29) 11年目 9500万円(現状維持・日本ハムからトレードで移籍)
1軍:27登板 7勝6敗 3S 0H 109.2投球回 65奪三振 52与四球 防4.19
2軍:2登板 1勝1敗 0S 11.0投球回 5奪三振 2与四球 防6.55
・大竹寛(34) 16年目 7000万円(▼3000万円・30%減)
1軍:17登板 6勝6敗 0S 0H 91.1投球回 71奪三振 30与四球 防3.55
2軍:8登板 3勝3敗 0S 0H 46.1投球回 29奪三振 18与四球 防2.53
・田口麗斗(22) 4年目 5000万円(△3200万円・177%増)
1軍:26登板 10勝10敗 0S 0H 162.0投球回 126奪三振 49与四球 防2.72
2軍:登板なし
・田原誠次(28) 6年目 4500万円(△2700万円・150%増)
1軍:64登板 4勝3敗 0S 14H 54.2投球回 29奪三振 22与四球 防3.46
2軍:登板なし
・戸根千明(25) 3年目 2500万円(△100万円・4%増)
1軍:42登板 1勝0敗 1S 5H 36.0投球回 25奪三振 17与四球 防4.50
2軍:8登板 1勝1敗 1S 10.0投球回 12奪三振 5与四球 防0.00
・桜井俊貴(24) 2年目 1200万円(▼300万円・20%減)
1軍:1登板 0勝1敗 0S 0H 4.1投球回 5奪三振 1与四球 防8.31
2軍:1登板 1勝0敗 0S 1.0投球回 0奪三振 1与四球 防0.00
・江柄子裕樹(31) 6年目 1100万円(▼130万円・10%減)
1軍:2登板 0勝1敗 0S 0H 8.2投球回 4奪三振 7与四球 防7.27
2軍:22登板 9勝2敗 0S 113.0投球回 84奪三振 28与四球 防2.15
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【巨人・投手2】
・乾真大(28) 7年目 950万円(▼50万円・5%減)
1軍:2登板 0勝0敗 0S 0H 2.1投球回 3奪三振 2与四球 防0.00
2軍:35登板 2勝0敗 1S 36.2投球回 47奪三振 39与四球 防4.91
・中川皓太(23) 2年目 840万円(△40万円・5%増)
1軍:2登板 0勝0敗 0S 0H 2.0投球回 2奪三振 1与四球 防13.50
2軍:14登板 6勝1敗 0S 43.1投球回 40奪三振 13与四球 防2.49
・土田瑞起(27) 7年目 800万円(▼200万円・20%減・来季から育成契約)
1軍:7登板 0勝0敗 1S 0H 8.1投球回 6奪三振 3与四球 防6.48
2軍:13登板 2勝1敗 1S 16.0投球回 12奪三振 8与四球 防1.69
・田中大輝(25・育成) 3年目 720万円(▼80万円・10%減)
2軍:登板なし
・与那原大剛(19) 2年目 610万円(△10万円・1%増)
1軍:登板なし
2軍:5登板 1勝1敗 0S 13.0投球回 12奪三振 2与四球 防2.08
・巽大介(20) 2年目 550万円(△10万円・1%増)
1軍:登板なし
2軍:4登板 0勝0敗 0S 8.0投球回 2奪三振 2与四球 防3.38
・長谷川潤(26) 2年目 500万円(△80万円・5%増)
1軍:3登板 0勝1敗 0S 0H 6.1投球回 3奪三振 2与四球 防8.53
2軍:25登板 7勝5敗 0S 113.2投球回 56奪三振 20与四球 防2.77
・篠原慎平(27・育成) 3年目 310万円(△50万円・19%増)
2軍:16登板 2勝0敗 1S 21.0投球回 19奪三振 7与四球 防1.71
・成瀬功亮(25・育成) 7年目 290万円(△30万円・11%増)
2軍:11登板 0勝0敗 2S 10.1投球回 7奪三振 2与四球 防0.00
・矢島陽平(27・育成) 2年目 290万円(△50万円・20%増)
2軍:6登板 0勝0敗 0S 8.0投球回 3奪三振 0与四球 防7.88
・大竹秀義(29・育成) 2年目 265万円(△25万円・10%増)
2軍:7登板 2勝2敗 0S 22.2投球回 21奪三振 6与四球 防3.57
・橋本篤郎(19・育成) 2年目 245万円(△5万円・2%増)
2軍:登板なし
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【巨人・捕手】
・小林誠司(28) 4年目 5000万円(△2400万円・92%増)
1軍:129試合 .204 (398-81) 4本 35打点 76三振 36四球 2盗塁 OPS.544
2軍:3試合 .000 (8-0) 0本 0打点 1三振 1四球 0盗塁 OPS.111
・相川亮二(41) 23年目 4500万円(▼2200万円・32%減)
1軍:37試合 .244 (48-10) 0本 4打点 10三振 6四球 0盗塁 OPS.626
2軍:20試合 .286 (42-12) 0本 2打点 9三振 3四球 0盗塁 OPS.683
・實松一成(36) 19年目 3700万円(現状維持)
1軍:19試合 .250 (28-7) 1本 1打点 7三振 4四球 0盗塁 OPS.737
2軍:22試合 .182 (22-4) 0本 2打点 6三振 0四球 0盗塁 OPS.409
・宇佐見慎吾(24) 2年目 800万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:41試合 .198 (96-19) 0本 4打点 23三振 10四球 0盗塁 OPS.482
・松崎啄也(25) 2年目 720万円(▼80万円・10%減)
1軍:出場なし
2軍:5試合 .214 (14-3) 0本 1打点 2三振 2四球 0盗塁 OPS.567
・河野元貴(26) 8年目 670万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:41試合 .172 (87-15) 1本 4打点 20三振 5四球 0盗塁 OPS.433
・鬼屋敷正人(26) 8年目 620万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:55試合 .237 (131-31) 1本 14打点 25三振 7四球 3盗塁 OPS.596
・田中貴也(25・育成) 3年目 300万円(△50万円・20%増)
2軍:12試合 .286 (28-8) 1本 5打点 5三振 2四球 0盗塁 OPS.798
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【巨人・内野手】
・坂本勇人(29) 11年目 3億5000万円(△1億円・40%増)
1軍:137試合 .344 (488-168) 23本 75打点 67三振 81四球 13盗塁 OPS.988 (首位打者・最高出塁率・B9・GG賞)
2軍:出場なし
・阿部慎之助(38) 17年目 2億6000万円(▼6000万円・20%減)
1軍:91試合 .310 (335-104) 12本 52打点 55三振 14四球 3盗塁 OPS.850
2軍:9試合 .318 (22-7) 3本 10打点 4三振 5四球 0盗塁 OPS1.192
・村田修一(37) 15年目 2億2000万円(▼8000万円・26%減)
1軍:143試合 .302 (529-160) 25本 81打点 83三振 38四球 1盗塁 OPS.858 (B9・GG賞)
2軍:8試合 .150 (20-3) 0本 3打点 2三振 2四球 0盗塁 OPS.427
・片岡治大(34) 13年目 6000万円(▼2600万円・30%減)
1軍:32試合 .222 (81-10) 2本 4打点 8三振 6四球 4盗塁 OPS.609
2軍:13試合 .297 (37-11) 0本 4打点 1三振 2四球 0盗塁 OPS.685
・寺内崇幸(34) 11年目 2800万円(△200万円・7%増)
1軍:55試合 .129 (31-4) 0本 1打点 11三振 0四球 0盗塁 OPS.290
2軍:16試合 .196 (56-11) 1本 6打点 10三振 3四球 0盗塁 OPS.487
・脇谷亮太(36) 12年目 2160万円(▼140万円・10%減)
1軍:54試合 .157 (108-17) 1本 7打点 18三振 6四球 0盗塁 OPS.433
2軍:41試合 .265 (98-26) 2本 13打点 11三振 14四球 1盗塁 OPS.724
・吉川大幾(25) 7年目 1700万円(現状維持)
1軍:50試合 .176 (51-9) 0本 1打点 14三振 3四球 1盗塁 OPS.399
2軍:40試合 .200 (125-25) 1本 13打点 26三振 15四球 2盗塁 OPS.543
・中井大介(28) 10年目 1400万円(現状維持)
1軍:43試合 .196 (51-10) 0本 4打点 13三振 7四球 0盗塁 OPS.575
2軍:46試合 .283 (127-36) 1本 13打点 19三振 35四球 0盗塁 OPS.800
・藤村大介(28) 10年目 1000万円(▼125万円・11%減)
1軍:5試合 .000 (4-0) 0本 0打点 0三振 1四球 0盗塁 OPS.200
2軍:81試合 .233 (219-51) 2本 21打点 46三振 22四球 10盗塁 OPS.635
・辻東倫(24) 5年目 900万円(△190万円・27%増)
1軍:15試合 .176 (34-6) 0本 0打点 12三振 4四球 0盗塁 OPS.535
2軍:46試合 .320 (125-40) 1本 9打点 19三振 13四球 3盗塁 OPS.766
・和田恋(22) 4年目 780万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:81試合 .239 (264-63) 2本 24打点 69三振 24四球 1盗塁 OPS.608
・坂口真規(27・育成) 5年目 575万円(△75万円・15%増)
2軍:57試合 .299 (184-55) 8本 27打点 43三振 24四球 0盗塁 OPS.875
・増田大輝(24・育成) 2年目 290万円(△50万円・20%増)
2軍:44試合 .238 (101-24) 0本 9打点 12三振 10四球 3盗塁 OPS.583
・川相拓也(27・育成) 3年目 290万円(△20万円・7%増)
2軍:40試合 .111 (27-3) 0本 0打点 6三振 1四球 1盗塁 OPS.284
・田島洸成(21・育成) 2年目 240万円(現状維持)
2軍:出場なし
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【巨人・外野手】
・長野久義(33) 8年目 2億2500万円(△5000万円・29%増)
1軍:143試合 .283 (576-163) 11本 42打点 78三振 33四球 8盗塁 OPS.729
2軍:出場なし
・亀井善行(35) 13年目 4900万円(▼2100万円・30%減)
1軍:66試合 .252 (226-57) 3本 23打点 35三振 11四球 0盗塁 OPS.641
2軍:5試合 .250 (16-4) 0本 0打点 4三振 3四球 0盗塁 OPS.618
・橋本到(27) 9年目 2900万円(△300万円・11%増)
1軍:74試合 .233 (219-51) 2本 20打点 45三振 20四球 7盗塁 OPS.635
2軍:23試合 .220 (59-13) 2本 10打点 13三振 13四球 0盗塁 OPS.743
・立岡宗一郎(27) 9年目 2900万円(現状維持)
1軍:51試合 .229 (188-43) 2本 9打点 31三振 10四球 9盗塁 OPS.589
2軍:28試合 .212 (99-21) 0本 5打点 25三振 7四球 4盗塁 OPS.540
・堂上剛裕(32) 14年目 2000万円(▼500万円・20%減)
1軍:43試合 .167 (48-8) 2本 6打点 11三振 4四球 0盗塁 OPS.579
2軍:58試合 .268 (198-53) 6本 26打点 25三振 9四球 1盗塁 OPS.724
・石川慎吾(24) 6年目 1000万円(現状維持・日本ハムからトレードで移籍)
1軍:12試合 .074 (27-2) 0本 1打点 5三振 0四球 0盗塁 OPS.148
2軍:87試合 .265 (302-80) 6本 34打点 70三振 36四球 1盗塁 OPS.716
・北篤(29) 11年目 850万円(△80万円・10%増)
1軍:3試合 .200 (5-1) 0本 0打点 3三振 1四球 0盗塁 OPS.629
2軍:94試合 .270 (281-76) 8本 29打点 76三振 31四球 3盗塁 OPS.790
・髙橋洸(24・育成) 6年目 510万円(現状維持)
2軍:7試合 .000 (4-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
・青山誠(26・育成) 4年目 320万円(△80万円・33%増)
2軍:4試合 .188 (16-3) 0本 0打点 4三振 0四球 0盗塁 OPS.438
残り契約更改選手(助っ人除く)
投手:西村・杉内・高木・小山・宮國・今村・平良
捕手:なし
内野手:岡本・山本
外野手:松本・重信
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川相Jrってもう27なのか……
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【DeNA・投手】
・須田幸太(31) 7年目 4400万円(△2500万円・131%増)
1軍:62登板 5勝3敗 0S 23H 53.2投球回 49奪三振 18与四球 防2.68
2軍:登板なし
・林昌範(34) 16年目 4100万円(現状維持・3年契約3年目)
1軍:登板なし
2軍:15登板 0勝1敗 2S 15.1投球回 12奪三振 2与四球 防0.59
・高崎健太郎(32) 11年目 2500万円(▼800万円・24%減)
1軍:登板なし
2軍:15登板 0勝3敗 1S 20.2投球回 14奪三振 8与四球 防4.35
・国吉佑樹(26) 8年目 2000万円(▼400万円・16%減)
1軍:1登板 0勝0敗 0S 0H 1.2投球回 2奪三振 3与四球 防21.60
2軍:13登板 4勝2敗 0S 68.2投球回 62奪三振 56与四球 防2.75
・熊原健人(24) 2年目 1300万円(△100万円・8%増)
1軍:18登板 1勝1敗 0S 0H 29.0投球回 25奪三振 15与四球 防4.97
2軍:16登板 2勝4敗 2S 49.0投球回 46奪三振 24与四球 防4.41
・平田真吾(28) 4年目 1000万円(▼300万円・23%減)
1軍:4登板 0勝0敗 0S 0H 3.1投球回 2奪三振 3与四球 防21.60
2軍:30登板 2勝0敗 11S 35.0投球回 40奪三振 18与四球 防1.03
・柿田裕太(25) 4年目 900万円(▼200万円・18%減)
1軍:登板なし
2軍:13登板 5勝1敗 1S 34.0投球回 25奪三振 19与四球 防5.29
・福地元春(27) 3年目 900万円(▼50万円・5%減)
1軍:6登板 0勝1敗 0S 0H 6.2投球回 5奪三振 6与四球 防12.15
2軍:29登板 2勝0敗 1S 36.2投球回 44奪三振 21与四球 防0.74
・綾部翔(20) 2年目 560万円(△10万円・1%増)
1軍:登板なし
2軍:10登板 1勝2敗 0S 31.2投球回 26奪三振 10与四球 防4.26
・飯塚悟史(21) 3年目 520万円(△10万円・1%増)
1軍:登板なし
2軍:15登板 6勝7敗 0S 87.0投球回 45奪三振 30与四球 防3.52
・田村丈(25・育成) 2年目 360万円(現状維持)
2軍:8登板 2勝1敗 0S 22.0投球回 14奪三振 20与四球 防4.09
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【DeNA・捕手】
・戸柱恭孝(28) 2年目 2000万円(△1050万円・110%増)
1軍:124試合 .226 (367-83) 2本 23打点 63三振 20四球 0盗塁 OPS.532
2軍:2試合 .333 (6-2) 0本 0打点 0三振 1四球 0盗塁 OPS.762
・黒羽根利規(30) 12年目 2000万円(▼600万円・23%減)
1軍:出場なし
2軍:57試合 .258 (132-34) 3本 22打点 22三振 8四球 0盗塁 OPS.723
・嶺井博希(26) 4年目 1300万円(▼200万円・13%減)
1軍:11試合 .333 (15-5) 0本 3打点 2三振 0四球 0盗塁 OPS.812
2軍:81試合 .261 (203-53) 5本 22打点 36三振 14四球 1盗塁 OPS.689
・西森将司(29) 6年目 610万円(現状維持)
1軍:6試合 .000 (3-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:65試合 .250 (112-28) 0本 9打点 17三振 5四球 5盗塁 OPS.563
・亀井塔生(20・育成) 3年目 360万円(現状維持)
2軍:40試合 .174 (69-12) 0本 3打点 23三振 4四球 0盗塁 OPS.447
・網谷圭将(20・育成) 2年目 360万円(現状維持)
2軍:19試合 .184 (38-7) 0本 5打点 15三振 4四球 0盗塁 OPS.542
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【DeNA・内野手】
・ロペス(34) 5年目 2億3000万円(△8000万円・53%増・2年契約)
1軍:123試合 .263 (483-127) 34本 95打点 75三振 24四球 0盗塁 OPS.833
2軍:2試合 333 (6-2) 2本 2打点 0三振 1四球 0盗塁 OPS1.762
・石川雄洋(31) 13年目 6300万円(▼700万円・10%減)
1軍:95試合 .209 (297-62) 2本 14打点 67三振 18四球 6盗塁 OPS.527
2軍:20試合 .246 (65-16) 0本 3打点 17三振 2四球 1盗塁 OPS.593
・エリアン(32) 2年目 4500万円(▼3500万円・44%減)
1軍:79試合 .218 (257-56) 5本 33打点 57三振 13四球 2盗塁 OPS.597
2軍:出場なし
・田中浩康(35) 13年目 1500万円(▼5000万円・77%減・ヤクルトから移籍)
1軍:31試合 .188 (32-6) 0本 1打点 3三振 4四球 0盗塁 OPS.547
2軍:51試合 .336 (134-45) 2本 19打点 14三振 20四球 0盗塁 OPS.848
・柴田竜拓(24) 2年目 1000万円(現状維持)
1軍:19試合 .205 (39-8) 0本 2打点 8三振 5四球 1盗塁 OPS.552
2軍:87試合 .215 (251-54) 2本 25打点 48三振 33四球 0盗塁 OPS.592
・飛雄馬(26) 6年目 900万円(▼150万円・14%減)
1軍:17試合 .143 (35-5) 0本 1打点 8三振 1四球 0盗塁 OPS.439
2軍:54試合 .293 (181-53) 4本 26打点 42三振 19四球 0盗塁 OPS.794
・百瀬大騎(20) 3年目 520万円(△10万円・1%増)
1軍:出場なし
2軍:107試合 .177 (293-52) 0本 15打点 93三振 28四球 10盗塁 OPS.477
・白根尚貴(24) 6年目 510万円(△60万円・13%増)
1軍:3試合 .000 (4-0) 0本 0打点 1三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:120試合 .269 (438-118) 10本 58打点 85三振 36四球 3盗塁 OPS.717
・山本武白志(19・育成) 2年目 360万円(現状維持)
2軍:60試合 .143 (91-13) 0本 5打点 39三振 10四球 0盗塁 OPS.426
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【DeNA・外野手】
・筒香嘉智(26) 8年目 3億円(△2億円・200%増)
1軍:133試合 .322 (469-151) 44本 110打点 105三振 87四球 0盗塁 OPS1.110 (本塁打王・打点王・B9)
2軍:2試合 .333 (3-1) 1本 1打点 0三振 2四球 0盗塁 OPS2.000
・梶谷隆幸(29) 11年目 9300万円(△1000万円・12%増)
1軍:107試合 .273 (396-108) 18本 56打点 110三振 49四球 26盗塁 OPS.838
2軍:4試合 .471 (17-8) 2本 7打点 4三振 1四球 1盗塁 OPS1.441
・荒波翔(31) 7年目 3300万円(▼700万円・17%減)
1軍:36試合 .195 (87-17) 0本 7打点 17三振 7四球 1盗塁 OPS.505
2軍:76試合 .288 (233-67) 6本 23打点 32三振 21四球 10盗塁 OPS.789
・下園辰哉(33) 11年目 2300万円(現状維持)
1軍:67試合 .270 (74-20) 1本 14打点 13三振 9四球 0盗塁 OPS.691
2軍:8試合 .353 (17-6) 0本 2打点 1三振 2四球 0盗塁 OPS.899
・松本啓二朗(31) 9年目 1300万円(▼200万円・13%減)
1軍:11試合 .154 (13-2) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.368
2軍:75試合 .244 (201-49) 5本 18打点 29三振 17四球 3盗塁 OPS.665
・青柳昂樹(20) 2年目 510万円(△10万円・2%増)
1軍:出場なし
2軍:118試合 .183 (339-62) 4本 28打点 104三振 13四球 4盗塁 OPS.461
残り契約選手(助っ人除く)
投手:久保・山崎康・井納・三上・加賀・三嶋・田中・石田・今永・砂田・藤岡・小林・野川
捕手:高城
内野手:山崎憲・後藤武敏G.・白崎・倉本・宮崎・山下
外野手:桑原・関根・乙坂
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DeNAの投手に抜けがありました
申し訳ありません
・大原慎司(32) 7年目 2600万円(▼300万円・10%減)
1軍:16登板 0勝0敗 0S 1H 12.2投球回 14奪三振 6与四球 防4.97
2軍:24登板 1勝2敗 1S 25.1投球回 26奪三振 14与四球 防4.62
・小杉陽太(32) 9年目 1550万円(△350万円・29%増)
1軍:20登板 0勝0敗 0S 0H 26.2投球回 19奪三振 10与四球 防3.71
2軍:14登板 0勝0敗 2S 21.0投球回 18奪三振 5与四球 防0.43
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12月2日誕生日のプロ野球選手はこちらです
今日は少ないです
現役
・エルネスト・メヒア(31) (西武・内野手・2014年入団)
※前年の不振から体重管理をきっちり行ったことで今年は開幕から好調で、3・4月には打率.315 10本塁打で来日初の月間MVPを獲得。中村剛也が離脱する中で後半戦からは主に4番を務め、レアードにタイトルこそは譲ったがリーグ2位の35本塁打・同3位の103打点をマークした。9月には3年15億の大型契約を結んで残留が決まっており、来季以降も持ち前の強打に期待したい。
OBなど
・権藤博 【中日(61-68)、投手・内野手】 1938年
※高校時代は内野手だったがチーム事情によって投手に転向。その後進んだブリヂストンタイヤ時代には身体能力の高さを評価され、東京五輪の400mハードルの選手に転向して欲しいという要望が来るほどだった。60年の都市対抗で活躍したことで複数球団からスカウトを受け、最終的に中日に入団。杉下茂の背番号20を引き継ぎ、豪快なフォームから繰り出す速球とカーブを武器に1年目からフル回転。チーム試合数の半分以上にあたる69試合に登板し、新人としては現在でも歴代最多となる35勝をあげて新人王に最多勝・最優秀防御率・最多奪三振、そして沢村賞まで獲得。その活躍っぷりから当時「権藤、権藤、雨、権藤」という流行語まで誕生した。翌62年も61試合に登板し、30勝をあげて2年連続で最多勝を獲得。しかしこの2年間の酷使がたたり、3年目以降は成績が低下。そして65年には内野手に転向し、主に三塁手として67年にはリーグ最多犠打も記録。68年に投手に復帰するも球威の衰えは隠せず、結局この年限りで30歳で引退。その後は解説者などを経て73年からは中日のコーチに就任。郭源治らを育成し、74年や82年のリーグ優勝に貢献。その後は近鉄やダイエーのコーチを経て97年に横浜に入団。同年はそれまで同様、コーチを務めていたが98年に大矢明彦の後を継いで監督に就任。自身のことを監督と呼ばせず、また自身の経験から投手に酷使させず中継ぎにもローテーションを確立させた。また打撃では送りバントを極力使わない采配でマシンガン打線を形成し、最終的にチームを38年ぶりのリーグ優勝・日本一に導いた。その後も2000年まで横浜をAクラス入りさせ、同年限りで退団。その後は長らく解説者をとして活動したが、2012年に29年ぶりにコーチとして中日に復帰。若手を積極的に起用し、山井大介を救援に転向させるなどの采配でチームの2位入りに貢献するも、高木守道監督との確執もあってか1年で退団している。現在も解説者や評論家として活動する傍らで、今年からは侍ジャパンのコーチも務めている。
・三橋直樹 【2005年大社ドラフト4位→横浜(06-09)、投手】 1980年
※館山昌平とは小学校の同級生であり、向上高校・関東学院大学を経て進んだ日産自動車では押本健彦や梵英心とともに全日本選手権や都市対抗で活躍。2005年のドラフトで横浜に入団すると即戦力として期待され、1年目から2勝をマーク。翌2007年には谷間の先発として活躍するも、勝率5割で迎えた最終戦で先発して敗戦投手となりチームの6年ぶりの勝ち越しを逃してしまった。その後はリリーフとして起用されるも結果を残せず2009年限りで戦力外。翌2010年はBCリーグ・富山でプレーし、この年限りで現役を引退。その後はDeNAとなったベイスターズにスタッフとして復帰しており、現在はスコアラーを務めている。
おめでとうございます
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http://i.imgur.com/IVm67KM.jpg
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遅くなりましたが引き続き契約更改情報です
【阪神・投手1】
・メッセンジャー(36) 8年目 3億5000万円(△5000万円・16%増・2年契約1年目)
1軍:28登板 12勝11敗 0S 0H 185.1投球回 177奪三振 60与四球 防3.01
2軍:1登板 1勝0敗 0S 7.0投球回 6奪三振 0与四球 防0.00
・藤川球児(37) 16年目 1億5000万円(現状維持・2年契約2年目)
1軍:43登板 5勝6敗 3S 10H 62.2投球回 70奪三振 30与四球 防4.60
2軍:1登板 0勝0敗 0S 4.0投球回 4奪三振 1与四球 防2.25
・マテオ(33) 2年目 1億1000万円(△3500万円・46%増)
1軍:52登板 1勝3敗 20S 7H 55.0投球回 56奪三振 24与四球 防1.80
2軍:1登板 0勝0敗 0S 1.0投球回 1奪三振 0与四球 防0.00
・岩田稔(34) 12年目 5300万円(▼1500万円・22%減)
1軍:6登板 0勝3敗 0S 0H 20.1投球回 14奪三振 10与四球 防8.85
2軍:13登板 2勝3敗 0S 56.1投球回 47奪三振 12与四球 防4.15
・高橋聡文(34) 16年目 5000万円(現状維持・3年契約2年目)
1軍:54登板 3勝1敗 0S 20H 38.1投球回 38奪三振 11与四球 防3.76
2軍:登板なし
・岩貞祐太(26) 4年目 4000万円(△2400万円・150%増)
1軍:25登板 10勝9敗 0S 0H 158.1投球回 156奪三振 55与四球 防2.90
2軍:2登板 0勝0敗 0S 9.0投球回 8奪三振 2与四球 防1.00
・榎田大樹(31) 7年目 3200万円(△500万円・18%増)
1軍:35登板 1勝1敗 0S 3H 39.2投球回 32奪三振 16与四球 防4.31
2軍:15登板 0勝0敗 0S 16.1投球回 14奪三振 11与四球 防1.10
・高宮和也(36) 12年目 2600万円(▼400万円・13%減)
1軍:16登板 0勝1敗 0S 1H 12.2投球回 10奪三振 7与四球 防6.39
2軍:26登板 0勝2敗 0S 21.0投球回 10奪三振 6与四球 防3.43
・岩崎優(26) 4年目 2500万円(△500万円・25%増)
1軍:16登板 3勝5敗 0S 0H 74.1投球回 59奪三振 27与四球 防3.63
2軍:8登板 4勝2敗 0S 48.2投球回 49奪三振 16与四球 防3.14
・横山雄哉(24) 3年目 1570万円(△70万円・4%増)
1軍:3登板 2勝0敗 0S 0H 15.1投球回 16奪三振 8与四球 防2.93
2軍:9登板 2勝0敗 0S 27.0投球回 17奪三振 18与四球 防3.33
・歳内宏明(24) 6年目 1500万円(▼100万円・6%減)
1軍:9登板 0勝0敗 0S 2H 9.0投球回 3奪三振 5与四球 防3.00
2軍:12登板 2勝2敗 0S 17.2投球回 10奪三振 8与四球 防4.58
・松田遼馬(23) 6年目 1400万円(△200万円・16%増)
1軍:22登板 1勝0敗 0S 1H 27.0投球回 26奪三振 9与四球 防1.00
2軍:9登板 1勝3敗 0S 33.0投球回 21奪三振 6与四球 防3.82
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【阪神・投手2】
・金田和之(27) 5年目 1400万円(▼100万円・6%減)
1軍:6登板 1勝0敗 0S 0H 6.0投球回 1奪三振 4与四球 防6.00
2軍:28登板 4勝1敗 0S 39.2投球回 26奪三振 9与四球 防2.72
・石崎剛(27) 3年目 1300万円(△120万円・10%増)
1軍:10登板 0勝0敗 0S 3H 10.2投球回 6奪三振 7与四球 防1.69
2軍:22登板 2勝4敗 2S 22.0投球回 18奪三振 16与四球 防5.73
・青柳晃洋(23) 2年目 1200万円(△480万円・66%増)
1軍:13登板 4勝5敗 0S 0H 68.1投球回 52奪三振 40与四球 防3.29
2軍:14登板 2勝2敗 0S 38.2投球回 40奪三振 33与四球 防4.19
・島本浩也(24) 7年目 1100万円(△380万円・52%増)
1軍:23登板 1勝0敗 0S 2H 24.2投球回 24奪三振 10与四球 防3.65
2軍:18登板 3勝3敗 0S 46.0投球回 34奪三振 23与四球 防5.67
・秋山拓巳(26) 8年目 1100万円(△100万円・10%増)
1軍:8登板 1勝1敗 0S 0H 20.0投球回 20奪三振 2与四球 防4.05
2軍:18登板 9勝2敗 0S 108.0投球回 88奪三振 21与四球 防2.08
・柳瀬明宏(34) 12年目 1000万円(▼3000万円・75%減)
1軍:2登板 0勝0敗 0S 0H 2.0投球回 1奪三振 0与四球 防4.50
2軍:32登板 0勝2敗 2S 30.0投球回 25奪三振 13与四球 防4.80
・山本翔也(29) 4年目 900万円(△300万円・50%増)
1軍:6登板 0勝0敗 0S 0H 3.1投球回 1奪三振 1与四球 防5.40
2軍:48登板 2勝0敗 1S 38.1投球回 37奪三振 9与四球 防2.11
・竹安大知(23) 2年目 840万円(現状維持)
1軍:登板なし
2軍:6登板 0勝2敗 0S 7.2投球回 1奪三振 9与四球 防10.57
・守屋功輝(24) 3年目 800万円(現状維持)
1軍:4登板 0勝1敗 0S 0H 8.1投球回 7奪三振 4与四球 防8.64
2軍:22登板 6勝6敗 0S 108.2投球回 71奪三振 16与四球 防3.40
・桑原謙太朗(32) 10年目 800万円(▼100万円・11%減)
1軍:登板なし
2軍:29登板 1勝3敗 2S 26.0投球回 21奪三振 7与四球 防2.42
・伊藤和雄(28) 6年目 650万円(△100万円・18%増)
1軍:5登板 0勝0敗 0S 0H 7.1投球回 9奪三振 3与四球 防2.45
2軍:18登板 0勝1敗 0S 21.0投球回 25奪三振 7与四球 防8.14
・田面巧二郎(27) 5年目 530万円(△50万円・10%増)
1軍:4登板 0勝1敗 0S 1H 4.1投球回 2奪三振 3与四球 防6.23
2軍:27登板 2勝9敗 0S 81.2投球回 56奪三振 46与四球 防4.30
・望月惇志(20) 2年目 500万円(現状維持)
1軍:1登板 0勝0敗 0S 0H 1.0投球回 1奪三振 0与四球 防0.00
2軍:14登板 5勝3敗 0S 63.1投球回 35奪三振 22与四球 防3.84
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【阪神・捕手】
・原口文仁(25) 8年目 2200万円(△1720万円・358%増)
1軍:107試合 .299 (318-95) 11本 46打点 52三振 26四球 1盗塁 OPS.829
2軍:18試合 .298 (47-14) 3本 8打点 4三振 9四球 0盗塁 OPS1.050
・梅野隆太郎(26) 4年目 1350万円(▼150万円・10%減)
1軍:37試合 .135 (89-12) 0本 4打点 22三振 6四球 1盗塁 OPS.324
2軍:44試合 .228 (114-26) 3本 16打点 24三振 19四球 2盗塁 OPS.672
・岡崎太一(34) 13年目 1300万円(△450万円・52%増)
1軍:38試合 .200 (65-13) 0本 5打点 16三振 7四球 1盗塁 OPS.520
2軍:15試合 .129 (31-4) 0本 2打点 2三振 2四球 0盗塁 OPS.311
・坂本誠志郎(24) 2年目 1300万円(△100万円・8%増)
1軍:28試合 .200 (45-9) 1本 2打点 14三振 4四球 0盗塁 OPS.621
2軍:20試合 .289 (45-13) 1本 4打点 13三振 6四球 1盗塁 OPS.851
・小宮山慎二(32) 14年目 1050万円(▼150万円・12%減)
1軍:1試合 .000 (0-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:45試合 .247 (81-20) 1本 14打点 19三振 3四球 0盗塁 OPS.607
・小豆畑眞也(29) 5年目 650万円(▼50万円・7%減)
1軍:出場なし
2軍:41試合 .209 (43-9) 0本 3打点 7三振 1四球 0盗塁 OPS.432
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【阪神・内野手】
・西岡剛(33) 13年目 9000万円(▼1800万円・17%減)
1軍:55試合 .295 (190-56) 0本 15打点 25三振 13四球 6盗塁 OPS.688
2軍:4試合 .000 (11-0) 0本 1打点 0三振 0四球 1盗塁 OPS.000
・今成亮太(30) 12年目 3800万円(▼200万円・5%減)
1軍:82試合 .227 (119-27) 0本 5打点 27三振 10四球 1盗塁 OPS.542
2軍:32試合 .309 (110-34) 4本 19打点 29三振 10四球 1盗塁 OPS.869
・上本博紀(31) 9年目 3300万円(▼300万円・8%減)
1軍:45試合 .257 (101-26) 2本 8打点 14三振 12四球 3盗塁 OPS.722
2軍:55試合 .313 (201-63) 7本 35打点 17三振 33四球 11盗塁 OPS.894
・北條史也(23) 5年目 2200万円(△1470万円・201%増)
1軍:122試合 .273 (385-105) 5本 33打点 91三振 38四球 6盗塁 OPS.723
2軍:1試合 .333 (3-1) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.667
・新井良太(34) 12年目 2100万円(▼600万円・22%減)
1軍:46試合 .154 (78-12) 3本 8打点 21三振 7四球 1盗塁 OPS.538
2軍:48試合 .295 (156-46) 4本 21打点 31三振 18四球 0盗塁 OPS.794
・荒木郁也(29) 6年目 1000万円(△200万円・25%増)
1軍:46試合 .246 (57-14) 0本 2打点 10三振 8四球 2盗塁 OPS.629
2軍:58試合 .275 (167-46) 0本 14打点 31三振 10四球 13盗塁 OPS.614
・陽川尚将(26) 4年目 900万円(△100万円・12%増)
1軍:29試合 .167 (72-12) 2本 4打点 22三振 4四球 0盗塁 OPS.471
2軍:78試合 .301 (306-92) 14本 62打点 86三振 22四球 2盗塁 OPS.887
・森越祐人(29) 7年目 650万円(△50万円・8%増)
1軍:2試合 .000 (1-0) 0本 0打点 1三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:92試合 .223 (197-44) 3本 18打点 48三振 33四球 0盗塁 OPS.662
・植田海(21) 3年目 500万円(現状維持)
1軍:1試合 .000 (0-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:76試合 .168 (167-28) 0本 13打点 37三振 20四球 12盗塁 OPS.496
・西田直斗(24) 6年目 500万円(▼80万円・13%減・来季から育成契約)
1軍:出場なし
2軍:62試合 .238 (143-34) 2本 17打点 32三振 14四球 0盗塁 OPS.646
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【阪神・外野手】
・糸井嘉男(36) 14年目 4億5000万円(△1億7000万円・61%増・4年契約1年目・オリックスからFA移籍)
1軍:143試合 .306 (532-163) 17本 70打点 84三振 75四球 53盗塁 OPS.849 (盗塁王・B9・GG賞)
2軍:出場なし
・大和(30) 12年目 5000万円(▼300万円・5%減)
1軍:111試合 .231 (229-53) 1本 20打点 53三振 12四球 3盗塁 OPS.594
2軍:1試合 .333 (3-1) 0本 1打点 1三振 0四球 0盗塁 OPS.583
・狩野恵輔(35) 17年目 2800万円(△500万円・21%増)
1軍:66試合 .241 (87-21) 3本 17打点 18三振 5四球 0盗塁 OPS.644
2軍:出場なし
・俊介(30) 8年目 2400万円(▼300万円・11%減)
1軍:41試合 .186 (43-8) 0本 2打点 12三振 9四球 2盗塁 OPS.553
2軍:56試合 .257 (179-46) 1本 16打点 16三振 22四球 6盗塁 OPS.633
・江越大賀(24) 3年目 1700万円(△100万円・6%増)
1軍:72試合 .209 (191-40) 7本 20打点 78三振 18四球 4盗塁 OPS.645
2軍:45試合 .206 (170-35) 4本 13打点 41三振 15四球 8盗塁 OPS.668
・伊藤隼太(28) 6年目 1500万円(▼200万円・11%減)
1軍:29試合 .245 (53-13) 1本 4打点 11三振 1四球 0盗塁 OPS.599
2軍:29試合 .259 (108-28) 2本 9打点 9三振 10四球 0盗塁 OPS.665
・中谷将大(24) 7年目 1200万円(△500万円・71%増)
1軍:64試合 .266 (154-41) 4本 14打点 49三振 8四球 1盗塁 OPS.696
2軍:44試合 .269 (130-35) 5本 21打点 29三振 18四球 1盗塁 OPS.839
・板山祐太郎(23) 2年目 900万円(△180万円・25%増)
1軍:40試合 .236 (106-25) 0本 5打点 31三振 7四球 1盗塁 OPS.585
2軍:66試合 .241 (187-45) 1本 21打点 36三振 10四球 3盗塁 OPS.600
・横田慎太郎(22) 4年目 870万円(△150万円・20%増)
1軍:38試合 .190 (105-20) 0本 4打点 13三振 2四球 4盗塁 OPS.430
2軍:79試合 .261 (310-81) 5本 35打点 65三振 20四球 15盗塁 OPS.689
・緒方凌介(27) 5年目 800万円(現状維持)
1軍:21試合 .167 (24-4) 0本 0打点 6三振 0四球 0盗塁 OPS.375
2軍:80試合 .291 (254-74) 5本 34打点 55三振 20四球 4盗塁 OPS.760
残り契約更改選手
投手:能見・藤浪・安藤
捕手:なし
内野手:鳥谷
外野手:福留・高山
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【ヤクルト・投手1】
・ルーキ(33) 2年目 7500万円(△3900万円・108%増)
1軍:69登板 6勝6敗 0S 33H 64.2投球回 60奪三振 20与四球 防3.06
2軍:登板なし
・石山泰稚(29) 5年目 3100万円(▼800万円・20%減)
1軍:13登板 1勝0敗 0S 1H 16.0投球回 10奪三振 1与四球 防7.31
2軍:8登板 0勝1敗 0S 14.0投球回 8奪三振 0与四球 防2.57
・久古健太郎(31) 7年目 2700万円(▼300万円・10%減)
1軍:39登板 0勝0敗 1S 3H 26.1投球回 27奪三振 5与四球 防4.44
2軍:22登板 0勝0敗 3S 22.0投球回 14奪三振 11与四球 防1.64
・山本哲哉(32) 8年目 2500万円(▼1000万円・28%減)
1軍:登板なし
2軍:4登板 0勝0敗 0S 0H 4.0投球回 2奪三振 1与四球 防6.75
・原樹理(24) 2年目 1700万円(△200万円・13%増)
1軍:13登板 2勝8敗 0S 0H 67.0投球回 33奪三振 25与四球 防5.91
2軍:2登板 1勝1敗 0S 11.2投球回 7奪三振 2与四球 防2.31
・平井諒(26) 8年目 1500万円(△1000万円・200%増)
1軍:33登板 1勝1敗 0S 7H 32.0投球回 24奪三振 10与四球 防2.81
2軍:21登板 0勝0敗 3S 21.1投球回 14奪三振 9与四球 防1.69
・由規(28) 10年目 1500万円(現状維持)
1軍:5登板 2勝3敗 0S 0H 25.2投球回 18奪三振 20与四球 防4.56
2軍:10登板 2勝4敗 0S 43.0投球回 38奪三振 22与四球 防3.35
・杉浦稔大(25) 4年目 1500万円(▼200万円・11%減)
1軍:17登板 3勝2敗 0S 0H 51.2投球回 45奪三振 25与四球 防7.14
2軍:6登板 1勝3敗 0S 30.1投球回 23奪三振 10与四球 防1.78
・竹下真吾(27) 3年目 1200万円(▼100万円・7%減)
1軍:1登板 0勝0敗 0S 0H 2.2投球回 1奪三振 6与四球 防13.50
2軍:43登板 2勝5敗 0S 53.0投球回 44奪三振 48与四球 防3.74
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データ兄貴いつもお疲れ様です!
たまには休んでいいんやでとか思ってたら超大量更新で大草原や
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【ヤクルト・投手2】
・風張蓮(24) 3年目 1000万円(▼100万円・9%減)
1軍:6登板 0勝0敗 0S 0H 10.0投球回 10奪三振 5与四球 防8.10
2軍:41登板 3勝4敗 3S 50.0投球回 44奪三振 22与四球 防3.42
・古野正人(31) 6年目 1000万円(▼800万円・44%減・来季から育成契約)
1軍:6登板 0勝2敗 0S 0H 13.1投球回 8奪三振 6与四球 防9.45
2軍:3登板 1勝0敗 0S 8.0投球回 6奪三振 1与四球 防1.13
・岩橋慶侍(26) 4年目 900万円(▼50万円・5%減)
1軍:14登板 0勝1敗 0S 1H 13.2投球回 10奪三振 9与四球 防7.24
2軍:33登板 1勝4敗 0S 34.2投球回 30奪三振 16与四球 防4.41
・土肥寛昌(27) 3年目 780万円(▼10万円・1%減)
1軍:4登板 0勝0敗 0S 0H 5.1投球回 5奪三振 4与四球 防8.44
2軍:25登板 1勝3敗 0S 33.2投球回 27奪三振 16与四球 防4.28
・高橋奎二(20) 2年目 600万円(現状維持)
1軍:登板なし
2軍:1登板 0勝0敗 0S 3.0投球回 3奪三振 0与四球 防0.00
・中島彰吾(25) 3年目 500万円(△50万円・11%増)
1軍:3登板 0勝0敗 0S 0H 3.0投球回 2奪三振 2与四球 防6.00
2軍:49登板 1勝5敗 2S 48.2投球回 33奪三振 18与四球 防3.33
・ジュリアス(20) 2年目 500万円(現状維持)
1軍:登板なし
2軍:1登板 0勝0敗 0S 1.0投球回 0奪三振 1与四球 防18.00
・田川賢吾(23) 5年目 400万円(▼160万円・29%減・来季から育成契約)
1軍:登板なし
2軍:19登板 2勝3敗 0S 47.0投球回 22奪三振 31与四球 防7.28
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>>766
ありがとナス!こんだけ大量更新してるとなんかスレを乗っ取ってる感覚になって申し訳ないですね…
でもやってしまった以上、中途半端に終われないのであともうちょい頑張ります…
【ヤクルト・捕手】
・西田明央(24) 7年目 1860万円(△1000万円・116%増)
1軍:74試合 .243 (222-54) 7本 25打点 39三振 18四球 0盗塁 OPS.722
2軍:27試合 .237 (76-18) 1本 4打点 8三振 7四球 1盗塁 OPS.587
・星野雄大(29) 5年目 720万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:50試合 .198 (96-19) 1本 10打点 24三振 17四球 1盗塁 OPS.600
・山川晃司(21) 3年目 600万円(▼30万円・4%減)
1軍:出場なし
2軍:65試合 .135 (141-19) 0本 8打点 31三振 5四球 0盗塁 OPS.333
【ヤクルト・内野手】
・大引啓次(33) 11年目 7000万円(現状維持・3年契約3年目)
1軍:100試合 .250 (348-87) 5本 27打点 82三振 40四球 7盗塁 OPS.671
2軍:3試合 .400 (10-4) 1本 2打点 1三振 0四球 0盗塁 OPS1.200
・西浦直亨(26) 4年目 2000万円(△800万円・66%増)
1軍:72試合 .255 (247-63) 7本 28打点 54三振 23四球 9盗塁 OPS.706
2軍:34試合 .256 (125-32) 2本 14打点 19三振 10四球 1盗塁 OPS.692
・三輪正義(33) 10年目 1830万円(▼170万円・8%減)
1軍:51試合 .242 (33-8) 0本 2打点 10三振 3四球 1盗塁 OPS.609
2軍:29試合 .244 (82-20) 0本 6打点 14三振 13四球 9盗塁 OPS.610
・廣岡大志(20) 2年目 630万円(△50万円・5%増)
1軍:2試合 .429 (7-3) 1本 3打点 2三振 0四球 0盗塁 OPS1.286
2軍:113試合 .218 (404-88) 10本 47打点 141三振 24四球 0盗塁 OPS.616
・奥村展征(22) 4年目 580万円(△30万円・5%増)
1軍:4試合 .000 (6-0) 0本 0打点 2三振 2四球 0盗塁 OPS.250
2軍:96試合 .215 (288-62) 3本 19打点 55三振 25四球 2盗塁 OPS.572
・渡邉大樹(20) 2年目 510万円(△30万円・6%増)
1軍:出場なし
2軍:74試合 .256 (133-34) 3本 10打点 37三振 13四球 4盗塁 OPS.702
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【ヤクルト・外野手】
・バレンティン(33) 7年目 3億3000万円(▼3000万円・8%減)
1軍:132試合 .269 (457-123) 31本 96打点 116三振 72四球 0盗塁 OPS.885
2軍:2試合 .000 (5-0) 0本 0打点 1三振 2四球 0盗塁 OPS.286
・上田剛史(29) 11年目 2100万円(▼300万円・13%減)
1軍:72試合 .220 (82-18) 1本 10打点 13三振 4四球 5盗塁 OPS.580
2軍:10試合 .407 (27-11) 1本 3打点 4三振 5四球 2盗塁 OPS1.019
・山崎晃太朗(24) 2年目 840万円(△40万円・5%増)
1軍:7試合 .167 (18-3) 0本 0打点 8三振 1四球 1盗塁 OPS.377
2軍:100試合 .251 (371-93) 2本 33打点 94三振 61四球 38盗塁 OPS.686
・原泉(25) 3年目 650万円(▼20万円・3%減)
1軍:出場なし
2軍:61試合 .236 (106-25) 3本 10打点 31三振 12四球 0盗塁 OPS.692
残り契約更改選手
投手:石川・成瀬・館山・小川・秋吉・松岡・村中・山中・中澤・徳山・近藤
捕手:中村・井野・藤井
内野手:山田・川端・畠山・荒木・今浪・武内・谷内
外野手:雄平・坂口・飯原・比屋根・鵜久森
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【中日・投手1】
・山井大介(39) 16年目 1億2000万円(現状維持・3年契約3年目)
1軍:33登板 1勝8敗 0S 7H 63.2投球回 45奪三振 23与四球 防4.52
2軍:3登板 1勝1敗 0S 12.2投球回 5奪三振 4与四球 防9.24
・吉見一起(33) 12年目 8000万円(▼900万円・10%減)
1軍:21登板 6勝7敗 0S 0H 131.1投球回 81奪三振 27与四球 防3.08
2軍:1登板 1勝0敗 0S 6.0投球回 3奪三振 3与四球 防0.00
・大野雄大(29) 7年目 8640万円(▼2160万円・20%減)
1軍:19登板 7勝10敗 0S 0H 129.2投球回 85奪三振 37与四球 防3.54
2軍:3登板 1勝0敗 0S 13.1投球回 10奪三振 3与四球 防0.00
・田島慎二(28) 6年目 8200万円(△4000万円・95%増)
1軍:59登板 3勝4敗 17S 18H 59.0投球回 61奪三振 25与四球 防2.44
2軍:登板なし
・浅尾拓也(33) 11年目 7350万円(▼2450万円・25%減)
1軍:登板なし
2軍:28登板 1勝2敗 5S 25.1投球回 26奪三振 4与四球 防4.26
・又吉克樹(27) 4年目 5000万円(△500万円・11%増)
1軍:62登板 6勝6敗 0S 16H 54.2投球回 55奪三振 17与四球 防2.80
2軍:15登板 2勝1敗 2S 15.2投球回 20奪三振 3与四球 防3.45
・岩瀬仁紀(43) 19年目 5000万円(現状維持)
1軍:15登板 0勝2敗 0S 2H 10.1投球回 5奪三振 3与四球 防6.10
2軍:21登板 0勝0敗 0S 20.1投球回 19奪三振 6与四球 防3.10
・岡田俊哉(26) 8年目 4000万円(△600万円・17%増)
1軍:57登板 3勝1敗 0S 13H 64.2投球回 66奪三振 18与四球 防3.20
2軍:5登板 0勝1敗 0S 4.1投球回 7奪三振 2与四球 防2.08
・福谷浩司(26) 5年目 3500万円(▼500万円・12%減)
1軍:41登板 1勝2敗 8S 8H 40.0投球回 23奪三振 9与四球 防4.05
2軍:24登板 1勝1敗 4S 29.0投球回 29奪三振 2与四球 防1.55
・祖父江大輔(30) 4年目 3000万円(△400万円・15%増)
1軍:46登板 4勝0敗 0S 12H 43.0投球回 31奪三振 18与四球 防3.14
2軍:21登板 1勝1敗 11S 20.0投球回 21奪三振 6与四球 防0.90
・若松駿太(22) 5年目 3000万円(▼600万円・16%減)
1軍:19登板 7勝8敗 0S 1H 115.1投球回 85奪三振 37与四球 防4.06
2軍:3登板 0勝1敗 0S 11.0投球回 4奪三振 5与四球 防8.18
・小笠原慎之介(20) 2年目 1800万円(△300万円・20%増)
1軍:15登板 2勝6敗 0S 0H 72.1投球回 58奪三振 40与四球 防3.36
2軍:9登板 3勝2敗 0S 45.2投球回 34奪三振 27与四球 防4.93
・小熊凌祐(27) 9年目 1600万円(△400万円・33%増)
1軍:14登板 5勝2敗 0S 0H 54.2投球回 25奪三振 29与四球 防2.80
2軍:8登板 2勝2敗 0S 50.0投球回 35奪三振 8与四球 防2.70
・八木智哉(34) 12年目 1500万円(▼500万円・25%減)
1軍:1登板 0勝0敗 0S 0H 6.0投球回 2奪三振 2与四球 防1.50
2軍:23登板 0勝2敗 0S 41.1投球回 17奪三振 6与四球 防5.23
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むしろどんどんのっとってどうぞ・・・ ありがてぇありがてぇ
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【中日・投手2】
・小川龍也(26) 8年目 1300万円(△820万円・170%増)
1軍:44登板 1勝1敗 0S 9H 31.2投球回 34奪三振 9与四球 防2.27
2軍:18登板 1勝0敗 0S 16.0投球回 22奪三振 3与四球 防0.00
・福敬登(25) 2年目 1300万円(△300万円・30%増)
1軍:27登板 1勝2敗 0S 4H 43.1投球回 31奪三振 18与四球 防4.78
2軍:17登板 0勝3敗 0S 16.1投球回 15奪三振 5与四球 防4.96
・武藤祐太(28) 7年目 1300万円(▼300万円・18%減)
1軍:4登板 0勝0敗 0S 0H 5.1投球回 3奪三振 3与四球 防3.38
2軍:35登板 5勝0敗 0S 35.2投球回 25奪三振 10与四球 防3.03
・佐藤優(24) 2年目 1200万円(△200万円・20%増)
1軍:14登板 1勝0敗 0S 1H 27.0投球回 18奪三振 21与四球 防3.67
2軍:12登板 4勝1敗 0S 49.1投球回 39奪三振 11与四球 防2.01
・濱田達郎(23) 5年目 975万円(▼325万円・25%減・来季から育成契約)
1軍:1登板 0勝0敗 0S 0H 4.0投球回 0奪三振 5与四球 防15.75
2軍:10登板 0勝1敗 0S 20.1投球回 17奪三振 8与四球 防3.10
・野村亮介(24) 3年目 848万円(▼282万円・25%減)
1軍:登板なし
2軍:12登板 3勝2敗 0S 38.0投球回 34奪三振 12与四球 防6.16
・阿知羅拓馬(25) 4年目 800万円(△293万円・57%増)
1軍:13登板 0勝0敗 0S 0H 14.1投球回 14奪三振 4与四球 防2.51
2軍:26登板 7勝3敗 0S 59.2投球回 44奪三振 22与四球 防1.51
・伊藤準規(26) 9年目 750万円(△75万円・11%増)
1軍:6登板 1勝2敗 0S 0H 19.1投球回 12奪三振 9与四球 防6.05
2軍:17登板 8勝4敗 0S 90.2投球回 61奪三振 12与四球 防3.57
・金子丈(24) 3年目 600万円(▼150万円・20%減)
1軍:1登板 0勝0敗 0S 0H 1.0投球回 0奪三振 1与四球 防18.00
2軍:50登板 2勝2敗 7S 45.2投球回 46奪三振 14与四球 防3.35
・浜田智博(25) 3年目 563万円(▼187万円・25%減・来季から育成契約)
1軍:登板なし
2軍:登板なし
・山本雅士(23) 3年目 450万円(▼150万円・25%減・来季から育成契約)
1軍:登板なし
2軍:17登板 1勝2敗 0S 11.2投球回 12奪三振 7与四球 防2.31
・三ツ間卓也(25) 2年目 440万円(△140万円・46%増・来季から支配下契約)
2軍:35登板 5勝2敗 2S 78.0投球回 83奪三振 21与四球 防2.19
・岸本淳希(21) 4年目 420万円(△120万円・40%増・来季から支配下契約)
2軍:5登板 0勝0敗 0S 0H 5.0投球回 4奪三振 2与四球 防1.80
・西浜幹紘(24・育成) 2年目 300万円(現状維持)
2軍:登板なし
・吉田嵩(21・育成) 2年目 300万円(現状維持)
2軍:登板なし
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【中日・捕手】
・杉山翔大(26) 5年目 2580万円(△1080万円・72%増)
1軍:104試合 .260 (269-70) 3本 27打点 60三振 30四球 1盗塁 OPS.697
2軍:出場なし
・桂依央利(26) 4年目 1500万円(△300万円・25%増)
1軍:59試合 .182 (143-26) 3本 11打点 38三振 11四球 0盗塁 OPS.528
2軍:2試合 .000 (1-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
・松井雅人(30) 8年目 1350万円(▼450万円・25%減)
1軍:4試合 .143 (7-1) 0本 0打点 4三振 0四球 0盗塁 OPS.286
2軍:62試合 .178 (146-26) 1本 14打点 33三振 9四球 1盗塁 OPS.490
・武山真吾(33) 15年目 1200万円(現状維持)
1軍:15試合 .000 (4-0) 0本 0打点 2三振 1四球 0盗塁 OPS.200
2軍:19試合 .244 (41-10) 0本 4打点 8三振 4四球 0盗塁 OPS.677
・木下拓哉(26) 2年目 1000万円(現状維持)
1軍:9試合 .278 (18-5) 1本 2打点 6三振 1四球 0盗塁 OPS.871
2軍:44試合 .300 (100-30) 3本 12打点 13三振 12四球 0盗塁 OPS.795
・加藤匠馬(25) 3年目 550万円(▼60万円・9%減)
1軍:1試合 .000 (1-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:43試合 .130 (54-7) 0本 0打点 17三振 3四球 0盗塁 OPS.305
・赤田龍一郎(29) 8年目 440万円(現状維持)
1軍:1試合 .000 (1-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:36試合 .260 (77-20) 0本 9打点 12三振 6四球 0盗塁 OPS.667
・藤吉優(21・育成) 3年目 300万円(現状維持)
2軍:6試合 .000 (1-0) 0本 0打点 1三振 0四球 0盗塁 OPS.000
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【中日・内野手】
・森野将彦(39) 21年目 8400万円(▼5600万円・40%減)
1軍:68試合 .268 (142-38) 1本 15打点 24三振 26四球 0盗塁 OPS.719
2軍:41試合 .289 (128-37) 0本 20打点 23三振 18四球 0盗塁 OPS.731
・荒木雅博(40) 22年目 7040万円(▼1760万円・20%減)
1軍:93試合 .246 (289-71) 1本 16打点 39三振 15四球 13盗塁 OPS.581
2軍:5試合 .214 (14-3) 0本 0打点 1三振 3四球 1盗塁 OPS.567
・堂上直倫(29) 11年目 3300万円(△1500万円・83%増)
1軍:131試合 .254 (456-116) 6本 46打点 69三振 27四球 1盗塁 OPS.660
2軍:3試合 .364 (11-4) 0本 2打点 1三振 2四球 0盗塁 OPS1.007
・福田永将(29) 11年目 2250万円(△750万円・50%増)
1軍:89試合 .267 (270-72) 10本 37打点 42三振 28四球 0盗塁 OPS.754
2軍:39試合 .351 (151-53) 7本 38打点 23三振 11四球 1盗塁 OPS.969
・高橋周平(23) 6年目 1900万円(△300万円・18%増)
1軍:75試合 .251 (255-64) 4本 29打点 84三振 22四球 0盗塁 OPS.688
2軍:10試合 .314 (35-11) 0本 5打点 13三振 5四球 0盗塁 OPS.929
・亀沢恭平(29) 6年目 1800万円(▼200万円・10%減)
1軍:59試合 .226 (124-28) 0本 5打点 20三振 8四球 5盗塁 OPS.529
2軍:30試合 .255 (102-26) 0本 2打点 8三振 8四球 12盗塁 OPS.596
・遠藤一星(28) 3年目 1200万円(▼300万円・20%減)
1軍:27試合 .180 (61-11) 0本 3打点 11三振 5四球 1盗塁 OPS.494
2軍:55試合 .295 (193-57) 0本 24打点 30三振 10四球 9盗塁 OPS.745
・谷哲也(32) 10年目 1125万円(△375万円・50%増)
1軍:52試合 .207 (82-17) 0本 6打点 16三振 8四球 1盗塁 OPS.509
2軍:33試合 .309 (110-34) 1本 11打点 9三振 18四球 0盗塁 OPS.820
・阿部寿樹(28) 2年目 1000万円(現状維持)
1軍:25試合 .184 (49-9) 1本 4打点 10三振 2四球 1盗塁 OPS.477
2軍:51試合 .253 (158-40) 2本 18打点 35三振 20四球 1盗塁 OPS.725
・三ツ俣大樹(25) 7年目 750万円(現状維持)
1軍:15試合 .125 (16-2) 0本 0打点 4三振 1四球 0盗塁 OPS.301
2軍:48試合 .195 (133-26) 1本 13打点 37三振 15四球 2盗塁 OPS.542
・石岡諒太(25) 2年目 750万円(▼250万円・25%減)
1軍:出場なし
2軍:26試合 .289 (76-22) 0本 2打点 15三振 5四球 1盗塁 OPS.685
・石川駿(27) 3年目 650万円(▼100万円・13%減)
1軍:2試合 .000 (5-0) 0本 0打点 2三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:61試合 .227 (141-32) 1本 18打点 27三振 16四球 2盗塁 OPS.674
・溝脇隼人(23) 5年目 550万円(△90万円・19%増)
1軍:6試合 .000 (3-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:89試合 .256 (273-70) 2本 24打点 31三振 20四球 7盗塁 OPS.618
・岩崎達郎(33・育成) 11年目 400万円(▼1200万円・75%減・楽天から移籍)
1軍:出場なし
2軍:43試合 .217 (60-13) 0本 5打点 13三振 3四球 1盗塁 OPS.517
-
【中日・外野手】
・大島洋平(32) 8年目 1億5000万円(△6000万円・66%増・3年契約1年目)
1軍:143試合 .292 (599-175) 3本 27打点 69三振 46四球 26盗塁 OPS.730 (GG賞)
2軍:出場なし
・平田良介(29) 12年目 1億2000万円(△5000万円・71%増・5年契約1年目)
1軍:118試合 .248 (416-103) 14本 73打点 89三振 72四球 4盗塁 OPS.769
2軍:2試合 .286 (7-2) 0本 1打点 1三振 1四球 0盗塁 OPS.804
・藤井淳志(36) 12年目 4000万円(▼200万円・4%減)
1軍:87試合 .216 (167-36) 3本 19打点 45三振 12四球 0盗塁 OPS.577
2軍:12試合 .371 (35-13) 0本 6打点 3三振 5四球 2盗塁 OPS.982
・工藤隆人(36) 13年目 1900万円(△400万円・26%増)
1軍:74試合 .302 (63-19) 0本 3打点 14三振 4四球 5盗塁 OPS.737
2軍:出場なし
・野本圭(33) 9年目 1300万円(現状維持)
1軍:48試合 .163 (49-8) 0本 7打点 13三振 4四球 0盗塁 OPS.422
2軍:40試合 .353 (119-42) 3本 16打点 23三振 10四球 0盗塁 OPS.929
・松井佑介(30) 8年目 1170万円(▼130万円・10%減)
1軍:14試合 .190 (21-2) 0本 0打点 8三振 0四球 0盗塁 OPS.476
2軍:77試合 .317 (252-80) 4本 33打点 43三振 16四球 3盗塁 OPS.806
・赤坂和幸(28) 10年目 1000万円(▼300万円・23%減)
1軍:7試合 .000 (10-0) 0本 0打点 2三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:46試合 .254 (118-30) 3本 20打点 16三振 9四球 0盗塁 OPS.680
・井領雅貴(28) 3年目 800万円(△50万円・6%増)
1軍:13試合 .194 (31-6) 1本 1打点 7三振 0四球 0盗塁 OPS.516
2軍:45試合 .242 (124-30) 1本 17打点 23三振 8四球 1盗塁 OPS.707
・友永翔太(26) 3年目 750万円(現状維持)
1軍:12試合 .222 (9-2) 0本 0打点 4三振 0四球 0盗塁 OPS.444
2軍:88試合 .266 (301-80) 1本 20打点 47三振 32四球 11盗塁 OPS.673
・近藤弘基(24) 3年目 660万円(△220万円・50%増)
1軍:21試合 .186 (43-8) 2本 4打点 13三振 3四球 0盗塁 OPS.627
2軍:49試合 .231 (147-34) 4本 17打点 38三振 9四球 0盗塁 OPS.659
・古本武尊(27) 5年目 460万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:91試合 .257 (276-71) 7本 45打点 80三振 41四球 1盗塁 OPS.728
・渡辺勝(24・育成) 2年目 300万円(現状維持)
2軍:64試合 .275 (142-39) 1本 21打点 19三振 22四球 8盗塁 OPS.733
残り契約更改選手(助っ人除く)
なし
とりあえずまずはここまでです
おやすみなさい
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秋山も岸と同じくFA権取得前から複数年契約してもう少し価値が上がってから移籍する積もりなのね
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【ロッテ】
球団は2日、秋季キャンプでテストを行った下記3選手の“合格”を発表しました。
▼ テスト合格者
猪本健太郎(前ソフトバンク)
柴田講平(前阪神)
三家和真(前BCリーグ・石川)
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猪本良かったなあ
ホークス戦以外で活躍してほしい
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【DeNA】
球団は2日、下記選手と来季契約を結ばない旨を発表しました。
<投手>
マイク・ザガースキー
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知 っ て た
来期の外国人投手はモスコーソと新外国人2人(ウィーランド、パットンだっけ?)でいいのかね
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>>777
柴田か…岡田や翔平の劣化でしかないと思うんだがよく取ったな…外野手育成で1人取っただけだし単なる穴埋めかねぇ
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覚醒ザガースキーは手が付けられない程すごかったけど
リリーフでそれじゃ怖くて使えないし、外国人枠も使うとなるとなあ
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>>781
今年はガチで浦和がガバガバなんだよなあ
通年なら合格者1人でもおかしくない
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ロッテはシーズン終了後に伊東さんにせめて支配下枠は埋めてくれって言われてたしなぁ
怪我人多かったしやりくりしんどうそうだったし
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161202-00000177-sph-base
いつもの
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もはやテンプレですね
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煙探知機あることすら気付かないくらいだしまぁそういうことなんでしょう
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該当するのは高橋光成、藤田航生、大瀧愛斗
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お待たせいたしました
パリーグの契約更改情報です(といってもまだ上位3球団のみしか出来ていませんが…)
ちなみに今日の分も入っています
セ・リーグの今日の分は後ほどまとめます
【日本ハム・投手1】
・増井浩俊(33) 8年目 2億2000万円(現状維持・2年契約2年目)
1軍:30登板 10勝3敗 10S 1H 81.0投球回 71奪三振 26与四球 防2.44
2軍:14登板 1勝2敗 0S 15.0投球回 20奪三振 6与四球 防3.00
・宮西尚生(32) 10年目 2億円(△1000万円・5%増)
1軍:58登板 3勝1敗 2S 39H 47.1投球回 36奪三振 22与四球 防1.52 (最優秀中継ぎ)
2軍:登板なし
・メンドーサ(34) 4年目 1億9000万円(▼1000万円・5%減・2年契約2年目)
1軍:23登板 7勝8敗 0S 1H 132.1投球回 77奪三振 45与四球 防3.88
2軍:1登板 0勝0敗 0S 2.0投球回 1奪三振 0与四球 防0.00
・マーティン(31) 2年目 1億円(△2000万円・25%増・2年契約2年目)
1軍:52登板 2勝0敗 21S 19H 50.2投球回 57奪三振 7与四球 防1.07
2軍:登板なし
・谷元圭介(32) 9年目 1億円(△2800万円・38%増)
1軍:58登板 3勝2敗 3S 28H 50.1投球回 44奪三振 16与四球 防2.32
2軍:登板なし
・高梨裕稔(26) 4年目 3000万円(△2170万円・261%増)
1軍:37登板 10勝2敗 0S 1H 109.2投球回 86奪三振 36与四球 防2.38 (新人王)
2軍:2登板 0勝1敗 0S 4.0投球回 8奪三振 3与四球 防11.25
・加藤貴之(25) 2年目 2400万円(△1200万円・100%増)
1軍:30登板 7勝3敗 0S 1H 91.1投球回 64奪三振 31与四球 防3.45
2軍:2登板 0勝0敗 0S 5.0投球回 5奪三振 2与四球 防5.40
・白村明弘(26) 4年目 2100万円(▼100万円・4%減)
1軍:22登板 3勝1敗 0S 1H 24.0投球回 19奪三振 14与四球 防2.63
2軍:26登板 3勝3敗 2S 36.0投球回 52奪三振 12与四球 防3.75
・斎藤佑樹(29) 7年目 2000万円(▼300万円・13%減)
1軍:11登板 0勝1敗 0S 0H 23.2投球回 14奪三振 11与四球 防4.56
2軍:16登板 3勝6敗 0S 60.0投球回 40奪三振 11与四球 防4.50
・浦野博司(28) 4年目 1800万円(▼500万円・21%減)
1軍:登板なし
2軍:3登板 1勝1敗 0S 16.0投球回 8奪三振 4与四球 防1.69
・井口和朋(23) 2年目 1600万円(△700万円・77%増)
1軍:37登板 0勝1敗 0S 4H 42.0投球回 27奪三振 10与四球 防3.86
2軍:10登板 1勝0敗 0S 13.1投球回 16奪三振 0与四球 防4.05
・武田久(39) 15年目 1500万円(▼300万円・16%減)
1軍:5登板 0勝0敗 0S 0H 4.1投球回 0奪三振 1与四球 防14.54
2軍:20登板 1勝1敗 0S 20.1投球回 16奪三振 5与四球 防2.21
-
【日本ハム・投手2】
・上原健太(23) 2年目 1200万円(▼100万円・7%減)
1軍:1登板 0勝0敗 0S 1H 1.0投球回 1奪三振 0与四球 防0.00
2軍:18登板 1勝4敗 0S 46.1投球回 35奪三振 24与四球 防5.63
・中村勝(26) 8年目 1200万円(▼1200万円・50%減)
1軍:2登板 0勝1敗 0S 0H 12.0投球回 9奪三振 6与四球 防6.00
2軍:22登板 7勝6敗 0S 118.2投球回 102奪三振 58与四球 防3.79
・上沢直之(23) 6年目 1000万円(▼1400万円・58%減)
1軍:登板なし
2軍:4登板 0勝1敗 0S 5.0投球回 2奪三振 4与四球 防7.20
・榎下陽大(29) 7年目 900万円(△130万円・16%増)
1軍:16登板 1勝0敗 0S 0H 27.2投球回 21奪三振 17与四球 防3.58
2軍:14登板 1勝0敗 0S 16.2投球回 15奪三振 6与四球 防3.78
・公文克彦(25) 5年目 900万円(△50万円・6%増・巨人からトレードで移籍)
1軍:12登板 0勝0敗 0S 0H 11.2投球回 12奪三振 3与四球 防3.86
2軍:25登板 2勝0敗 1S 24.2投球回 23奪三振 12与四球 防4.74
・新垣勇人(32) 5年目 850万円(現状維持)
1軍:4登板 0勝0敗 0S 0H 9.1投球回 7奪三振 0与四球 防3.86
2軍:21登板 9勝2敗 1S 85.0投球回 71奪三振 11与四球 防2.54
・屋宜照悟(28) 5年目 840万円(▼40万円・4%減)
1軍:登板なし
2軍:37登板 2勝4敗 3S 40.2投球回 29奪三振 10与四球 防4.87
・田中豊樹(24) 2年目 810万円(△10万円・1%増)
1軍:4登板 0勝0敗 0S 1H 3.1投球回 2奪三振 3与四球 防0.00
2軍:31登板 2勝2敗 3S 37.2投球回 42奪三振 17与四球 防4.06
・瀬川隼郎(31) 3年目 800万円(▼40万円・4%減)
1軍:1登板 0勝0敗 0S 0H 1.0投球回 0奪三振 1与四球 防0.00
2軍:33登板 0勝2敗 1S 52.2投球回 56奪三振 25与四球 防3.93
・吉田侑樹(23) 2年目 750万円(現状維持)
1軍:登板なし
2軍:22登板 6勝8敗 0S 97.0投球回 70奪三振 37与四球 防5.10
・石川直也(21) 3年目 540万円(△20万円・3%増)
1軍:1登板 0勝0敗 0S 1H 1.0投球回 0奪三振 1与四球 防0.00
2軍:40登板 1勝1敗 2S 51.0投球回 50奪三振 14与四球 防3.53
・立田将太(21) 3年目 500万円(△20万円・4%増)
1軍:登板なし
2軍:21登板 2勝7敗 0S 94.2投球回 77奪三振 43与四球 防3.04
-
【日本ハム・捕手】
・近藤健介(24) 6年目 4300万円(▼500万円・10%減)
1軍:80試合 .265 (257-68) 2本 27打点 45三振 29四球 5盗塁 OPS.660
2軍:22試合 .341 (44-15) 1本 7打点 3三振 12四球 2盗塁 OPS.959
・市川友也(32) 8年目 2300万円(△600万円・35%増)
1軍:71試合 .165 (133-22) 1本 12打点 28三振 8四球 1盗塁 OPS.429
2軍:出場なし
・石川亮(22) 4年目 650万円(△50万円・8%増)
1軍:1試合 .000 (0-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:54試合 .179 (145-26) 2本 10打点 42三振 9四球 1盗塁 OPS.462
・清水優心(21) 3年目 640万円(△30万円・4%増)
1軍:5試合 .250 (8-2) 0本 0打点 2三振 0四球 0盗塁 OPS.500
2軍:66試合 .266 (207-55) 4本 22打点 37三振 11四球 0盗塁 OPS.681
・大嶋匠(27) 6年目 560万円(△60万円・12%増)
1軍:12試合 .200 (15-3) 0本 1打点 2三振 0四球 0盗塁 OPS.502
2軍:70試合 .308 (240-74) 9本 49打点 35三振 20四球 0盗塁 OPS.871
-
【日本ハム・内野手1】
・中田翔(28) 10年目 2億8000万円(△3500万円・14%増)
1軍:141試合 .250 (569-142) 25本 110打点 126三振 47四球 2盗塁 OPS.738 (打点王・B9・GG賞)
2軍:出場なし
・レアード(30) 3年目 2億5000万円(△1億5000万円・150%増・2年契約1年目)
1軍:143試合 .263 (547-144) 39本 97打点 138三振 44四球 0盗塁 OPS.835 (本塁打王・B9)
2軍:出場なし
・田中賢介(36) 16年目 2億円(△5000万円・33%増)
1軍:143試合 .272 (541-147) 2本 53打点 56三振 69四球 22盗塁 OPS.674
2軍:出場なし
・中島卓也(26) 9年目 1億円(△2000万円・25%増)
1軍:143試合 .243 (473-115) 0本 28打点 117三振 63四球 23盗塁 OPS.601
2軍:出場なし
・西川遥輝(25) 7年目 1億円(△4000万円・66%増)
1軍:138試合 .314 (493-155) 5本 43打点 113三振 73四球 41盗塁 OPS.802(B9)
2軍:2試合 .667 (3-2) 0本 1打点 1三振 3四球 2盗塁 OPS1.833
・杉谷拳士(26) 9年目 2450万円(現状維持)
1軍:62試合 .240 (104-25) 0本 9打点 23三振 11四球 4盗塁 OPS.621
2軍:12試合 .200 (35-7) 1本 5打点 7三振 5四球 1盗塁 OPS.607
・飯山裕志(38) 20年目 2200万円(▼250万円・10%減)
1軍:36試合 .333 (3-1) 0本 0打点 2三振 0四球 0盗塁 OPS1.000
2軍:8試合 .417 (24-10) 1本 3打点 3三振 1四球 0盗塁 OPS1.107
-
【日本ハム・内野手2】
・大累進(27) 5年目 840万円(△40万円・5%増)
1軍:14試合 .000 (6-2) 0本 0打点 1三振 0四球 2盗塁 OPS.000
2軍:44試合 .167 (42-7) 0本 1打点 9三振 3四球 0盗塁 OPS.425
・横尾俊建(24) 2年目 750万円(現状維持)
1軍:10試合 .118 (17-2) 0本 0打点 3三振 0四球 0盗塁 OPS.235
2軍:80試合 .275 (291-80) 15本 53打点 66三振 24四球 0盗塁 OPS.822
・渡邉諒(22) 4年目 730万円(▼20万円・2%減)
1軍:1試合 .333 (3-1) 1本 1打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS1.667
2軍:67試合 .289 (187-54) 10本 33打点 42三振 18四球 0盗塁 OPS.851
・松本剛(24) 6年目 650万円(△20万円・3%増)
1軍:12試合 .238 (21-5) 0本 2打点 5三振 0四球 1盗塁 OPS.524
2軍:81試合 .263 (331-87) 4本 25打点 36三振 16四球 6盗塁 OPS.658
・平沼翔太(20) 2年目 520万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:91試合 .243 (292-71) 0本 15打点 45三振 20四球 3盗塁 OPS.586
・森本龍弥(23) 5年目 510万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:36試合 .238 (63-15) 5本 11打点 21三振 5四球 0盗塁 OPS.812
・高濱祐仁(21) 3年目 490万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:92試合 .262 (324-85) 8本 26打点 63三振 37四球 1盗塁 OPS.758
・太田賢吾(20) 3年目 490万円(△20万円・4%増)
1軍:出場なし
2軍:83試合 .259 (301-78) 2本 15打点 67三振 18四球 1盗塁 OPS.615
-
【日本ハム・外野手】
・矢野謙次(37) 15年目 4000万円(▼1000万円・20%減)
1軍:34試合 .207 (29-6) 1本 8打点 5三振 4四球 0盗塁 OPS.694
2軍:14試合 .333 (18-6) 0本 1打点 4三振 0四球 0盗塁 OPS.667
・大田泰示(27) 9年目 2100万円(現状維持・巨人からトレードで移籍)
1軍:62試合 .202 (114-23) 4本 13打点 45三振 4四球 0盗塁 OPS.604
2軍:29試合 .356 (118-42) 4本 18打点 22三振 4四球 1盗塁 OPS.975
・谷口雄也(25) 7年目 1900万円(△700万円・58%増)
1軍:83試合 .254 (193-49) 1本 9打点 48三振 8四球 7盗塁 OPS.593
2軍:10試合 .316 (38-12) 1本 3打点 11三振 3四球 0盗塁 OPS.761
・淺間大基(21) 3年目 960万円(△60万円・6%増)
1軍:52試合 .191 (110-21) 1本 9打点 36三振 4四球 2盗塁 OPS.492
2軍:43試合 .243 (152-37) 3本 10打点 42三振 20四球 1盗塁 OPS.727
・岸里亮佑(22) 4年目 500万円(△10万円・2%増)
1軍:1試合 .000 (0-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:99試合 .256 (355-91) 3本 22打点 79三振 20四球 14盗塁 OPS.644
・宇佐美塁大(23) 5年目 500万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:90試合 .232 (285-66) 10本 33打点 102三振 25四球 1盗塁 OPS.687
・姫野優也(20) 2年目 470万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:63試合 .155 (181-28) 2本 8打点 83三振 4四球 0盗塁 OPS.404
残り契約更改選手
投手:大谷・有原・鍵谷
捕手:大野
内野手:なし
外野手:岡
-
【ソフトバンク・投手1】
・バンデンハーク(32) 3年目 4億円(△2億円・100%増・3年契約1年目)
1軍:13登板 7勝3敗 0S 0H 82.0投球回 92奪三振 15与四球 防3.84
2軍:3登板 0勝0敗 0S 0H 11.0投球回 13奪三振 1与四球 防1.64
・東浜巨(27) 5年目 3600万円(△1800万円・100%増)
1軍:23登板 9勝6敗 0S 0H 135.0投球回 100奪三振 37与四球 防3.00
2軍:4登板 1勝0敗 0S 20.0投球回 15奪三振 5与四球 防0.90
・嘉弥真新也(28) 6年目 2000万円(▼500万円・20%減)
1軍:5登板 0勝0敗 0S 0H 7.1投球回 8奪三振 4与四球 防8.59
2軍:39登板 3勝3敗 11S 43.2投球回 33奪三振 19与四球 防2.27
・高橋純平(20) 2年目 1500万円(現状維持)
1軍:登板なし
2軍:7登板 2勝1敗 0S 28.1投球回 20奪三振 20与四球 防2.22
・山田大樹(29) 11年目 1400万円(▼300万円・18%減)
1軍:4登板 1勝1敗 0S 0H 13.2投球回 9奪三振 8与四球 防5.93
2軍:21登板 9勝1敗 0S 96.1投球回 75奪三振 18与四球 防1.49
・岡本健(25) 4年目 1300万円(△300万円・30%増)
1軍:13登板 0勝0敗 0S 0H 14.0投球回 10奪三振 8与四球 防2.57
2軍:16登板 1勝0敗 1S 17.0投球回 11奪三振 8与四球 防4.76
・加治屋蓮(26) 4年目 1100万円(現状維持)
1軍:2登板 0勝0敗 0S 0H 2.0投球回 1奪三振 1与四球 防4.50
2軍:29登板 4勝3敗 1S 78.0投球回 60奪三振 18与四球 防3.35
・伊藤祐介(27・育成) 5年目 800万円(▼50万円・5%減)
2軍:17登板 2勝1敗 0S 21.2投球回 14奪三振 8与四球 防2.49
・松本裕樹(21) 3年目 800万円(現状維持)
1軍:1登板 0勝0敗 0S 0H 1.0投球回 1奪三振 0与四球 防9.00
2軍:9登板 5勝1敗 0S 35.1投球回 21奪三振 3与四球 防3.06
・島袋洋奨(25) 3年目 750万円(▼50万円・6%減)
1軍:登板なし
2軍:31登板 2勝7敗 1S 65.1投球回 51奪三振 35与四球 防5.51
・小澤怜史(19) 2年目 700万円(現状維持)
1軍:登板なし
2軍:登板なし
-
【ソフトバンク・投手2】
・星野大地(24) 7年目 650万円(▼50万円・7%減)
1軍:登板なし
2軍:43登板 2勝3敗 4S 50.2投球回 40奪三振 27与四球 防3.38
・笠原大芽(22) 5年目 600万円(△50万円・9%増)
1軍:登板なし
2軍:22登板 9勝4敗 0S 128.1投球回 118奪三振 37与四球 防2.52
・笠谷俊介(20) 3年目 530万円(▼20万円・3%減)
1軍:登板なし
2軍:登板なし
・石川柊太(26) 4年目 500万円(現状維持)
1軍:登板なし
2軍:9登板 4勝0敗 0S 33.0投球回 31奪三振 16与四球 防3.00
・吉本祥二(24・育成) 6年目 500万円(現状維持)
2軍:10登板 0勝0敗 0S 9.2投球回 8奪三振 5与四球 防4.66
・川原弘之(26・育成) 8年目 450万円(▼50万円・10%減)
2軍:登板なし
・児玉龍也(24・育成) 2年目 400万円(現状維持)
2軍:登板なし
・齋藤誠哉(21・育成) 3年目 270万円(現状維持)
2軍:登板なし
・柿木映二(20・育成) 3年目 270万円(現状維持)
2軍:登板なし
・東方伸友(22・育成) 4年目 270万円(現状維持)
2軍:登板なし
・山下亜文(21・育成) 3年目 270万円(現状維持)
2軍:2登板 0勝0敗 0S 1.1投球回 0奪三振 4与四球 防13.50
・野澤佑斗(20・育成) 2年目 270万円(現状維持)
2軍:登板なし
・中村晨(20・育成) 2年目 270万円(現状維持)
2軍:登板なし
・渡辺健史(20・育成) 2年目 270万円(現状維持)
2軍:登板なし
-
【ソフトバンク・捕手】
・鶴岡慎也(36) 15年目 7600万円(現状維持)
1軍:103試合 .251 (231-58) 2本 26打点 26三振 9四球 1盗塁 OPS.630
2軍:出場なし
・斐紹(25) 7年目 1060万円(△80万円・8%増)
1軍:13試合 .231 (26-6) 0本 1打点 8三振 0四球 0盗塁 OPS.491
2軍:69試合 .275 (193-53) 2本 28打点 46三振 16四球 0盗塁 OPS.723
・栗原陵矢(21) 3年目 680万円(▼20万円・2%減)
1軍:出場なし
2軍:19試合 .306 (49-15) 0本 7打点 10三振 2四球 0盗塁 OPS.695
・谷川原健太(20) 2年目 600万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:出場なし
・張本優大(27) 4年目 500万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:28試合 .255 (55-14) 0本 8打点 7三振 6四球 0盗塁 OPS.673
・樋越優一(24・育成) 2年目 400万円(現状維持)
2軍:3試合 .000 (3-0) 0本 0打点 1三振 0四球 0盗塁 OPS.000
・堀内汰門(21・育成) 3年目 270万円(現状維持)
2軍:2試合 .000 (1-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
-
【ソフトバンク・内野手】
・牧原大成(25) 7年目 1300万円(現状維持)
1軍:41試合 .244 (90-22) 0本 6打点 15三振 1四球 4盗塁 OPS.528
2軍:30試合 .325 (120-39) 2本 15打点 14三振 5四球 5盗塁 OPS.8
・古澤勝吾(21) 3年目 600万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:64試合 .220 (168-37) 0本 9打点 39三振 7四球 1盗塁 OPS.543
・黒瀬健太(20) 2年目 500万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:15試合 .186 (43-8) 3本 6打点 17三振 2四球 1盗塁 OPS.651
・曽根海成(22・育成) 4年目 270万円(現状維持)
2軍:82試合 .244 (201-49) 0本 18打点 39三振 9四球 6盗塁 OPS.554
-
【ソフトバンク・外野手】
・塚田正義(28) 6年目 1100万円(▼100万円・8%減)
1軍:1試合 .000 (1-0) 0本 0打点 1三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:116試合 .305 (407-124) 8本 50打点 79三振 80四球 11盗塁 OPS.856
・上林誠知(22) 4年目 800万円(現状維持)
1軍:14試合 .211 (19-4) 0本 1打点 7三振 0四球 0盗塁 OPS.474
2軍:98試合 .247 (380-94) 12本 58打点 73三振 17四球 21盗塁 OPS.714
・釜元豪(24) 6年目 600万円(現状維持)
1軍:1試合 .000 (1-0) 0本 0打点 1三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:114試合 .268 (392-105) 3本 45打点 89三振 37四球 23盗塁 OPS.708
・真砂勇介(23) 5年目 600万円(△50万円・9%増)
1軍:出場なし
2軍:90試合 .295 (319-94) 7本 44打点 89三振 16四球 18盗塁 OPS.759
・幸山一大(21・育成) 3年目 270万円(現状維持)
2軍:19試合 .167 (24-4) 0本 2打点 10三振 3四球 0盗塁 OPS.468
残り契約更改選手(助っ人除く)
投手:松坂・攝津・和田・五十嵐・中田・森・武田・大隣・寺原・岩嵜・二保・飯田(保留)・千賀
捕手:高谷・拓也
内野手:松田・本多・今宮・明石・川島・高田
外野手:内川・柳田・長谷川・中村晃・吉村・福田・江川・城所
-
【ロッテ・投手1】
・大嶺祐太(29) 11年目 3000万円(▼640万円・17%減)
1軍:14登板 1勝3敗 0S 1H 34.2投球回 14奪三振 26与四球 防6.75
2軍:12登板 2勝2敗 0S 49.2投球回 23奪三振 21与四球 防3.26
・関谷亮太(26) 2年目 2250万円(△750万円・50%増)
1軍:16登板 5勝6敗 0S 0H 88.0投球回 58奪三振 34与四球 防5.52
2軍:10登板 2勝2敗 0S 50.0投球回 51奪三振 18与四球 防4.68
・二木康太(22) 4年目 1800万円(△1260万円・233%増)
1軍:22登板 7勝9敗 0S 0H 116.1投球回 81奪三振 34与四球 防5.34
2軍:1登板 0勝1敗 0S 6.0投球回 5奪三振 2与四球 防6.00
・東條大樹(26) 2年目 1250万円(△50万円・4%増)
1軍:11登板 0勝0敗 0S 1H 11.2投球回 6奪三振 14与四球 防10.03
2軍:31登板 2勝1敗 1S 29.1投球回 37奪三振 12与四球 防2.15
・田中英祐(25) 3年目 1005万円(▼335万円・25%減)
1軍:登板なし
2軍:1登板 0勝0敗 0S 1.0投球回 0奪三振 2与四球 防0.00
・田中靖洋(30) 12年目 1000万円(△450万円・81%増)
1軍:17登板 0勝1敗 0S 1H 16.1投球回 11奪三振 5与四球 防2.76
2軍:24登板 1勝1敗 0S 25.0投球改 16奪三振 11与四球 防6.84
・高野圭佑(26) 2年目 1000万円(△200万円・25%増)
1軍:14登板 1勝0敗 0S 2H 15.1投球回 7奪三振 15与四球 防5.87
2軍:36登板 1勝1敗 2S 35.1投球回 36奪三振 19与四球 防4.84
・阿部和成(28) 10年目 950万円(現状維持)
1軍:13登板 0勝0敗 0S 0H 17.1投球回 6奪三振 11与四球 防4.67
2軍:21登板 1勝1敗 4S 22.0投球回 16奪三振 8与四球 防3.68
-
【ロッテ・投手2】
・宮崎敦次(25) 3年目 790万円(△60万円・8%増)
1軍:2登板 0勝0敗 0S 0H 2.0投球回 2奪三振 0与四球 防0.00
2軍:51登板 2勝1敗 0S 41.2投球回 38奪三振 23与四球 防3.02
・信樂晃史(26) 2年目 760万円(▼40万円・5%減)
1軍:登板なし
2軍:20登板 1勝3敗 0S 44.1投球回 27奪三振 16与四球 防5.68
・金森敬之(32) 13年目 700万円(▼180万円・20%減)
1軍:1登板 0勝0敗 0S 0H 1.0投球回 1奪三振 1与四球 防36.00
2軍:48登板 2勝4敗 17S 47.0投球回 36奪三振 15与四球 防2.68
・黒沢翔太(29) 7年目 660万円(△60万円・10%増)
1軍:4登板 0勝0敗 0S 0H 6.0投球回 3奪三振 1与四球 防4.50
2軍:38登板 5勝4敗 0S 64.1投球回 44奪三振 5与四球 防2.66
・成田翔(19) 2年目 590万円(▼10万円・1%減)
1軍:登板なし
2軍:7登板 0勝0敗 0S 18.0投球回 9奪三振 13与四球 防6.00
・岩下大輝(21) 3年目 550万円(▼30万円・5%減)
1軍:登板なし
2軍:登板なし
・原嵩(20) 2年目 500万円(現状維持)
1軍:登板なし
2軍:8登板 1勝4敗 0S 20.0投球回 8奪三振 12与四球 防4.05
-
【ロッテ・捕手】
・吉田裕太(26) 4年目 1480万円(▼180万円・10%減)
1軍:24試合 .000 (30-0) 0本 0打点 0三振 1四球 0盗塁 OPS.032
2軍:54試合 .280 (118-33) 1本 8打点 29三振 17四球 1盗塁 OPS.746
・金澤岳(33) 15年目 1300万円(△120万円・10%増)
1軍:17試合 .188 (32-6) 0本 2打点 13三振 4四球 0盗塁 OPS.526
2軍:39試合 .169 (83-14) 3本 10打点 22三振 10四球 0盗塁 OPS.547
・江村直也(25) 7年目 980万円(△30万円・3%増)
1軍:22試合 .130 (23-3) 0本 4打点 10三振 1四球 0盗塁 OPS.341
2軍:13試合 .294 (34-10) 0本 6打点 4三振 3四球 0盗塁 OPS.734
・寺嶋寛大(25) 3年目 675万円(▼225万円・25%減)
1軍:出場なし
2軍:64試合 .181 (105-19) 1本 9打点 28三振 9四球 2盗塁 OPS.491
・柿沼友哉(24) 2年目 420万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:58試合 .279 (129-36) 0本 10打点 33三振 13四球 0盗塁 OPS.682
-
【ロッテ・内野手】
・中村奨吾(25) 3年目 3200万円(△700万円・28%増)
1軍:108試合 .201 (278-56) 6本 25打点 70三振 26四球 4盗塁 OPS.592
2軍:17試合 .375 (64-24) 3本 9打点 4三振 7四球 4盗塁 OPS1.048
・高濱卓也(28) 10年目 1450万円(△500万円・52%増)
1軍:53試合 .215 (144-31) 3本 13打点 30三振 8四球 0盗塁 OPS.576
2軍:23試合 .244 (86-21) 1本 6打点 11三振 4四球 0盗塁 OPS.608
・井上晴哉(28) 4年目 1400万円(△300万円・27%増)
1軍:35試合 .232 (99-23) 2本 16打点 19三振 5四球 0盗塁 OPS.633
2軍:69試合 .342 (240-82) 15本 50打点 47三振 23四球 1盗塁 OPS1.029
・三木亮(26) 4年目 1400万円(△150万円・12%増)
1軍:75試合 .185 (54-10) 0本 2打点 17三振 1四球 0盗塁 OPS.441
2軍:13試合 .255 (47-12) 1本 9打点 3三振 5四球 2盗塁 OPS.682
・平沢大河(20) 2年目 1250万円(△50万円・4%増)
1軍:23試合 .149 (47-7) 0本 3打点 18三振 4四球 0盗塁 OPS.450
2軍:81試合 .212 (273-58) 7本 34打点 87三振 37四球 1盗塁 OPS.652
・大嶺翔太(26) 8年目 950万円(△250万円・35%増)
1軍:38試合 .236 (72-17) 0本 7打点 20三振 2四球 0盗塁 OPS.576
2軍:74試合 .251 (239-60) 6本 29打点 55三振 19四球 10盗塁 OPS.658
・香月一也(21) 3年目 520万円(△20万円・4%増)
1軍:2試合 .167 (6-1) 0本 0打点 3三振 0四球 0盗塁 OPS.333
2軍:112試合 .281 (409-115) 6本 52打点 61三振 20四球 5盗塁 OPS.695
・大木貴将(26) 2年目 430万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:106試合 .251 (239-60) 0本 24打点 41三振 15四球 16盗塁 OPS.573
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【ロッテ・外野手】
・岡田幸文(33) 9年目 4180万円(△380万円・10%増)
1軍:121試合 .275 (327-90) 0本 18打点 42三振 20四球 14盗塁 OPS.638
2軍:3試合 .182 (11-2) 0本 2打点 0三振 0四球 1盗塁 OPS.727
・加藤翔平(26) 5年目 2490万円(△700万円・39%増)
1軍:80試合 .245 (216-53) 0本 12打点 46三振 13四球 6盗塁 OPS.601
2軍:53試合 .313 (217-68) 4本 20打点 21三振 19四球 13盗塁 OPS.806
・脇本直人(21) 3年目 480万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:84試合 .245 (192-47) 1本 25打点 49三振 25四球 6盗塁 OPS.655
・肘井竜蔵(22) 4年目 470万円(△20万円・4%増)
1軍:8試合 .000 (9-0) 0本 0打点 2三振 0四球 0盗塁 OPS.100
2軍:93試合 .279 (333-93) 11本 61打点 79三振 29四球 0盗塁 OPS.792
残り契約更改選手
投手:涌井・西野・大谷・益田・石川・唐川・松永・藤岡・古谷・内・南
捕手:田村
内野手:井口・鈴木・福浦・根元・細谷
外野手:角中・清田・荻野・伊志嶺
残り3球団分は今しばらくお待ちください
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あのオンボロ寮に火災警報器みたいな良いものあったのか(困惑
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>>805
ギャグで言ってたなら申し訳無いけど2011年までに住宅用火災報知器の設置が義務化されたんやで
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火災警報器やったね、ごめんね
電池式の簡素なやつは設置義務化から5〜10年経ってるから電池が切れてたなんて話も聞きますね
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義務化は知らなかったけど、義務化されてるようなものにタバコでひっかかるんですねぇ・・・
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トイレのタバコの煙に警報機が反応しますの注意書きくらい見たことあるでしょ?
つまりそういうこと
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建物の内部とどういう警報機にひっかかったかはわからないけど、色々ガバガバなんですね・・・
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ここまでの契約更改って保留したのソフトバンク飯田だけ?
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ガバガバというか小火で食い止められるうちに鳴らないと警報機の意味がないからね
贔屓のチームの投手もなかなか小火で済まなくて(遠い目)
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光の反射具合で感知するタイプは湯気でも光を遮るので風呂上がりの際に鳴ってしまう事もある
温度で感知するタイプは暖房で急激に部屋を暖めたり、何かしらに日光が反射して警報機に当たってると誤作動するデメリットがある
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【西武・投手】
・菊池雄星(26) 8年目 1億円(△4500万円・81%増)
1軍:22登板 12勝7敗 0S 0H 143.0投球回 127奪三振 67与四球 防2.58
2軍:2登板 0勝0敗 0S 7.0投球回 16奪三振 1与四球 防1.29
・ウルフ(37) 8年目 5000万円(△3500万円・233%増)
1軍:4登板 4勝0敗 0S 0H 23.2投球回 8奪三振 4与四球 防3.04
2軍:2登板 0勝1敗 0S 10.1投球回 3奪三振 0与四球 防6.10
・郭俊麟(25) 3年目 3000万円(現状維持)
1軍:12登板 0勝3敗 0S 0H 22.1投球回 20奪三振 10与四球 防8.46
2軍:16登板 6勝3敗 0S 65.0投球回 53奪三振 26与四球 防3.88
・小石博孝(30) 6年目 1500万円(△700万円・87%増)
1軍:50登板 2勝1敗 2S 2H 74.2投球回 55奪三振 39与四球 防3.74
2軍:3登板 0勝0敗 1S 4.0投球回 1奪三振 0与四球 防2.25
・南川忠亮(25) 2年目 1000万円(現状維持)
1軍:4登板 0勝0敗 0S 0H 4.0投球回 1奪三振 4与四球 防2.25
2軍:37登板 4勝3敗 1S 39.1投球回 28奪三振 20与四球 防4.12
・藤原良平(31) 10年目 950万円(▼50万円・5%減)
1軍:10登板 2勝0敗 0S 1H 13.0投球回 9奪三振 3与四球 防2.08
2軍:13登板 1勝0敗 0S 26.0投球回 20奪三振 9与四球 防1.38
・岩尾利弘(30) 8年目 850万円(▼200万円・19%減)
1軍:2登板 0勝0敗 0S 0H 3.0投球回 1奪三振 2与四球 防9.00
2軍:40登板 2勝2敗 4S 46.0投球回 42奪三振 22与四球 防3.52
・國場翼(24) 2年目 600万円(現状維持)
1軍:2登板 0勝0敗 0S 0H 3.0投球回 4奪三振 1与四球 防0.00
2軍:22登板 3勝4敗 2S 39.0投球回 26奪三振 28与四球 防4.15
・福倉健太郎(26) 4年目 600万円(▼50万円・7%減)
1軍:登板なし
2軍:20登板 0勝2敗 1S 27.2投球回 13奪三振 16与四球 防4.55
・佐藤勇(23) 5年目 600万円(△100万円・20%増)
1軍:7登板 1勝3敗 0S 0H 25.0投球回 17奪三振 13与四球 防5.76
2軍:13登板 4勝5敗 0S 75.0投球回 56奪三振 52与四球 防4.08
・松本直晃(27) 2年目 500万円(現状維持)
1軍:2登板 0勝0敗 0S 0H 2.2投球回 1奪三振 2与四球 防0.00
2軍:28登板 3勝4敗 0S 44.0投球回 14奪三振 24与四球 防4.50
・藤田航生(20) 2年目 500万円(現状維持)
1軍:登板なし
2軍:1登板 0勝0敗 0S 0H 1.0投球回 1奪三振 2与四球 防9.00
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【西武・捕手】
・炭谷銀仁朗(30) 12年目 1億円(現状維持・2年契約2年目)
1軍:117試合 .218 (294-64) 1本 22打点 48三振 13四球 0盗塁 OPS.520
2軍:1試合 .000 (3-0) 0本 0打点 1三振 0四球 0盗塁 OPS.000
・上本達之(37) 15年目 1600万円(△400万円・33%増)
1軍:67試合 .307 (88-27) 1本 12打点 23三振 8四球 0盗塁 OPS.747
2軍:1試合 .000 (2-0) 0本 0打点 1三振 0四球 0盗塁 OPS.333
・中田祥多(27) 10年目 580万円(▼100万円・14%減)
1軍:出場なし
2軍:65試合 .267 (172-46) 4本 23打点 32三振 17四球 2盗塁 OPS.702
・藤澤亨明(28) 6年目 500万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:59試合 .191 (157-30) 3本 15打点 56三振 19四球 0盗塁 OPS.542
-
【西武・内野手】
・メヒア(32) 4年目 5億円(△2億円・66%増・3年契約1年目)
1軍:137試合 .252 (511-129) 35本 103打点 148三振 59四球 1盗塁 OPS.842
2軍:出場なし
・中村剛也(34) 16年目 4億1000万円(現状維持・4年契約4年目)
1軍:108試合 .238 (387-92) 21本 61打点 125三振 40四球 2盗塁 OPS.760
2軍:11試合 .406 (32-13) 2本 6打点 7三振 5四球 0盗塁 OPS1.156
・金子侑司(27) 5年目 4800万円(△2400万円・100%増)
1軍:129試合 .265 (460-122) 1本 33打点 69三振 40四球 53盗塁 OPS.642 (盗塁王)
2軍:16試合 .318 (44-14) 0本 7打点 8三振 12四球 6盗塁 OPS.906
・鬼崎裕司(34) 10年目 2300万円(現状維持)
1軍:79試合 .253 (190-48) 1本 17打点 53三振 17四球 1盗塁 OPS.646
2軍:21試合 .250 (68-17) 1本 5打点 13三振 7四球 0盗塁 OPS.644
・山川穂高(26) 4年目 1600万円(△600万円・60%増)
1軍:49試合 .259 (139-36) 14本 32打点 36三振 15四球 0盗塁 OPS.925
2軍:64試合 .333 (237-79) 22本 64打点 37三振 26四球 0盗塁 OPS1.066
・外崎修汰(25) 3年目 1300万円(▼100万円・7%減)
1軍:37試合 .176 (51-9) 2本 5打点 11三振 3四球 6盗塁 OPS.516
2軍:56試合 .293 (198-58) 12本 31打点 38三振 31四球 16盗塁 OPS.938
・呉念庭(24) 2年目 800万円(△200万円・33%増)
1軍:43試合 .194 (124-24) 0本 11打点 25三振 14四球 1盗塁 OPS.516
2軍:73試合 .311 (225-70) 4本 34打点 30三振 39四球 14盗塁 OPS.831
・木村昇吾(37) 15年目 750万円(▼1250万円・63%減・来季から育成契約)
1軍:38試合 .221 (95-21) 0本 5打点 22三振 6四球 3盗塁 OPS.525
2軍:17試合 .227 (44-10) 0本 2打点 6三振 4四球 1盗塁 OPS.564
・山田遥楓(21) 3年目 600万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:74試合 .180 (200-36) 0本 13打点 49三振 7四球 2盗塁 OPS.425
・水口大地(28) 5年目 550万円(△50万円・10%増)
1軍:20試合 .500 (6-3) 0本 1打点 1三振 0四球 0盗塁 OPS1.000
2軍:54試合 .293 (157-46) 0本 15打点 16三振 13四球 16盗塁 OPS.685
・金子一輝(22) 4年目 550万円(▼50万円・8%減)
1軍:出場なし
2軍:88試合 .199 (211-42) 0本 18打点 31三振 15四球 6盗塁 OPS.500
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【西武・外野手】
・秋山翔吾(29) 7年目 2億円(△5000万円・33%増・3年契約1年目)
1軍:143試合 .296 (578-171) 11本 62打点 103三振 77四球 18盗塁 OPS.807 (GG賞)
2軍:出場なし
・栗山巧(34) 16年目 1億9000万円(▼1000万円・5%減)
1軍:135試合 .279 (477-133) 3本 41打点 87三振 83四球 0盗塁 OPS.759
2軍:出場なし
・大崎雄太朗(33) 11年目 1850万円(▼450万円・20%減)
1軍:4試合 .000 (5-0) 0本 0打点 0三振 1四球 0盗塁 OPS.167
2軍:80試合 .286 (140-40) 1本 11打点 26三振 15四球 0盗塁 OPS.703
・坂田遼(31) 9年目 1500万円(△300万円・25%増)
1軍:45試合 .245 (151-37) 3本 26打点 22三振 8四球 0盗塁 OPS.650
2軍:54試合 .387 (173-67) 15本 45打点 17三振 18四球 0盗塁 OPS1.178
・斉藤彰吾(28) 10年目 1400万円(▼200万円・12%減)
1軍:45試合 .000 (12-0) 0本 0打点 7三振 1四球 0盗塁 OPS.077
2軍:35試合 .173 (110-19) 3本 7打点 26三振 14四球 4盗塁 OPS.554
・木村文紀(29) 11年目 1400万円(▼200万円・12%減)
1軍:28試合 .167 (30-5) 0本 2打点 12三振 2四球 1盗塁 OPS.419
2軍:56試合 .299 (197-59) 7本 27打点 44三振 15四球 12盗塁 OPS.858
・熊代聖人(28) 7年目 1300万円(▼200万円・13%減)
1軍:28試合 .167 (6-1) 0本 0打点 2三振 1四球 0盗塁 OPS.452
2軍:49試合 .266 (169-45) 2本 19打点 33三振 28四球 8盗塁 OPS.729
・愛斗(20) 2年目 600万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:74試合 .201 (174-35) 5本 21打点 52三振 16四球 3盗塁 OPS.591
・田代将太郎(28) 6年目 600万円(▼40万円・6%減)
1軍:13試合 .250 (4-1) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.500
2軍:73試合 .221 (217-48) 4本 30打点 38三振 20四球 13盗塁 OPS.670
・戸川大輔(21) 3年目 500万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:76試合 .185 (168-31) 1本 8打点 52三振 21四球 4盗塁 OPS.518
残り契約更改選手
投手:牧田・増田・十亀・高橋朋・野上・武隈・岡本・高橋光・多和田・川越・野田・佐野・豊田・大石・誠・本田・玉村
捕手:森・岡田
内野手:浅村・渡辺・永江
外野手:駒月
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【楽天・投手1】
・岸孝之(33) 11年目 2億2500万円(▼2500万円・10%減・4年契約1年目・西武からFA移籍)
1軍:19登板 9勝7敗 0S 0H 130.1投球回 104奪三振 36与四球 防2.49
2軍:2登板 1勝0敗 0S 8.2投球回 13奪三振 1与四球 防1.04
・則本昂大(27) 5年目 2億円(△5000万円・33%増・3年契約1年目)
1軍:28登板 11勝11敗 0S 0H 195.0投球回 216奪三振 50与四球 防2.91 (最多奪三振)
2軍:登板なし
・松井裕樹(22) 4年目 9000万円(△2500万円・38%増)
1軍:58登板 1勝4敗 30S 10H 62.1投球回 75奪三振 40与四球 防3.32
2軍:登板なし
・福山博之(28) 7年目 7500万円(△3000万円・66%増)
1軍:69登板 4勝5敗 0S 19H 69.2投球回 30奪三振 19与四球 防2.71
2軍:登板なし
・青山浩二(34) 12年目 6000万円(▼3000万円・33%減)
1軍:50登板 1勝5敗 0S 14H 50.1投球回 46奪三振 24与四球 防4.83
2軍:8登板 0勝0敗 2S 9.0投球回 8奪三振 1与四球 防0.00
・美馬学(31) 7年目 5000万円(△1500万円・42%増)
1軍:26登板 9勝9敗 0S 0H 155.0投球回 116奪三振 32与四球 防4.30
2軍:1登板 0勝0敗 0S 0H 2.0投球回 3奪三振 2与四球 防0.00
・塩見貴洋(29) 7年目 4500万円(△1500万円・50%増)
1軍:24登板 8勝10敗 0S 0H 148.0投球回 111奪三振 37与四球 防3.89
2軍:1登板 0勝1敗 0S 3.0投球回 2奪三振 2与四球 防9.00
・金刃憲人(33) 11年目 3300万円(△500万円・43%増)
1軍:54登板 3勝1敗 0S 14H 41.2投球回 25奪三振 14与四球 防2.38
2軍:4登板 1勝0敗 0S 4.0投球回 3奪三振 2与四球 防2.25
・辛島航(27) 9年目 3000万円(▼300万円・9%減)
1軍:13登板 3勝7敗 0S 0H 72.0投球回 48奪三振 22与四球 防3.88
2軍:3登板 1勝2敗 0S 16.0投球回 17奪三振 3与四球 防2.81
・釜田佳直(24) 6年目 2500万円(△1220万円・95%増)
1軍:20登板 7勝5敗 0S 0H 113.0投球回 77奪三振 50与四球 防4.14
2軍:3登板 0勝0敗 0S 9.0投球回 7奪三振 4与四球 防5.00
・安樂智大(21) 3年目 2100万円(△900万円・75%増)
1軍:15登板 3勝5敗 0S 0H 84.1投球回 64奪三振 22与四球 防3.42
2軍:9登板 3勝1敗 0S 54.2投球回 45奪三振 12与四球 防2.96
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【楽天・投手2】
・戸村健次(30) 8年目 2000万円(▼500万円・20%減)
1軍:11登板 1勝5敗 0S 0H 34.2投球回 23奪三振 11与四球 防4.81
2軍:5登板 1勝1敗 0S 22.0投球回 14奪三振 4与四球 防1.23
・西宮悠介(26) 4年目 1800万円(現状維持)
1軍:29登板 3勝0敗 0S 3H 26.1投球回 32奪三振 20与四球 防4.44
2軍:18登板 0勝2敗 0S 13.0投球回 11奪三振 12与四球 防4.15
・菊池保則(28) 10年目 1500万円(▼400万円・21%減)
1軍:7登板 1勝1敗 0S 0H 22.2投球回 14奪三振 13与四球 防5.16
2軍:12登板 4勝3敗 0S 57.2投球回 49奪三振 15与四球 防3.12
・武藤好貴(30) 6年目 1400万円(▼100万円・6%減)
1軍:2登板 0勝0敗 0S 0H 3.0投球回 2奪三振 1与四球 防6.00
2軍:36登板 3勝2敗 5S 36.1投球回 33奪三振 10与四球 防4.46
・濱矢廣大(24) 4年目 1000万円(現状維持)
1軍:13登板 2勝0敗 0S 1H 9.2投球回 15奪三振 10与四球 防10.24
2軍:13登板 6勝2敗 0S 64.2投球回 52奪三振 18与四球 防3.62
・石橋良太(26) 2年目 1000万円(現状維持)
1軍:6登板 0勝0敗 0S 0H 5.1投球回 4奪三振 4与四球 防13.50
2軍:26登板 1勝1敗 1S 29.2投球回 25奪三振 4与四球 防2.73
・森雄大(23) 5年目 850万円(▼100万円・10%減)
1軍:登板なし
2軍:9登板 3勝3敗 0S 36.2投球回 34奪三振 23与四球 防3.93
・宮川将(27) 5年目 800万円(△50万円・6%増)
1軍:9登板 0勝0敗 0S 1H 9.2投球回 9奪三振 3与四球 防0.93
2軍:17登板 0勝1敗 1S 21.1投球回 16奪三振 9与四球 防2.95
・古川侑利(22) 4年目 650万円(△50万円・8%増)
1軍:6登板 0勝0敗 0S 0H 7.0投球回 4奪三振 5与四球 防7.71
2軍:27登板 6勝4敗 5S 69.1投球回 69奪三振 23与四球 防2.60
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【楽天・投手3】
・入野貴大(29) 3年目 650万円(▼50万円・7%減)
1軍:4登板 0勝0敗 0S 0H 3.2投球回 4奪三振 2与四球 防12.27
2軍:8登板 4勝0敗 1S 31.0投球回 33奪三振 14与四球 防3.77
・横山貴明(26) 4年目 650万円(▼160万円・19%減・来季から育成契約)
1軍:19登板 0勝0敗 0S 2H 18.1投球回 9奪三振 10与四球 防6.38
2軍:28登板 0勝1敗 10S 28.2投球回 27奪三振 6与四球 防2.83
・小野郁(21) 3年目 600万円(現状維持)
1軍:11登板 0勝0敗 0S 0H 13.1投球回 7奪三振 9与四球 防8.78
2軍:7登板 2勝2敗 0S 15.2投球回 16奪三振 7与四球 防3.45
・大塚尚仁(23) 5年目 550万円(▼20万円・3%減)
1軍:4登板 0勝0敗 0S 0H 3.1投球回 3奪三振 2与四球 防10.80
2軍:25登板 0勝0敗 1S 24.1投球回 18奪三振 11与四球 防2.22
・今野龍太(22・育成) 4年目 540万円(▼60万円・10%減)
2軍:登板なし
・宋家豪(25・育成) 2年目 440万円(現状維持)
2軍:15登板 6勝3敗 0S 62.2投球回 42奪三振 10与四球 防2.44
・片山博視(30・育成) 12年目 440万円(▼360万円・45%減)
2軍:11登板 0勝2敗 1S 8.1投球回 11奪三振 4与四球 防4.32
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【楽天・捕手】
・嶋基宏(33) 11年目 1億円(▼1000万円・9%減・4年契約4年目)
1軍:80試合 .271 (199-54) 2本 17打点 43三振 40四球 4盗塁 OPS.750
2軍:3試合 .100 (10-1) 0本 0打点 1三振 0四球 0盗塁 OPS.200
・足立祐一(28) 2年目 1600万円(△600万円・60%増)
1軍:73試合 .227 (185-42) 1本 14打点 36三振 10四球 0盗塁 OPS.534
2軍:17試合 .188 (48-9) 2本 6打点 6三振 3四球 1盗塁 OPS.589
・伊志嶺忠(32) 10年目 1350万円(▼100万円・6%減)
1軍:27試合 .167 (18-3) 0本 1打点 4三振 1四球 0盗塁 OPS.367
2軍:18試合 .273 (44-12) 1本 5打点 12三振 3四球 1盗塁 OPS.688
・小関翔太(26) 8年目 730万円(▼30万円・3%減)
1軍:7試合 .000 (7-0) 0本 0打点 3三振 1四球 0盗塁 OPS.125
2軍:37試合 .203 (74-15) 1本 12打点 13三振 7四球 1盗塁 OPS.553
・堀内謙伍(20) 2年目 600万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:13試合 .182 (22-4) 0本 2打点 3三振 2四球 1盗塁 OPS.432
・下妻貴寛(23) 5年目 580万円(▼20万円・3%減)
1軍:出場なし
2軍:42試合 .205 (88-18) 0本 7打点 16三振 3四球 0盗塁 OPS.487
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【楽天・内野手1】
・今江年晶(34) 16年目 2億円(現状維持・2年契約2年目)
1軍:89試合 .281 (317-89) 3本 23打点 30三振 25四球 2盗塁 OPS.671
2軍:12試合 .372 (43-16) 2本 8打点 3三振 3四球 0盗塁 OPS1.030
・藤田一也(35) 13年目 1億1000万円(現状維持・3年契約3年目)
1軍:120試合 .265 (408-108) 0本 46打点 44三振 19四球 1盗塁 OPS.618 (GG賞)
2軍:2試合 .167 (6-1) 0本 1打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.500
・ウィーラー(30) 3年目 1億円(△6000万円・150%増)
1軍:140試合 .265 (517-137) 27本 88打点 123三振 58四球 2盗塁 OPS.829
2軍:出場なし
・銀次(29) 12年目 7600万円(▼500万円・6%減)
1軍:125試合 .274 (424-116) 2本 43打点 49三振 61四球 1盗塁 OPS.702
2軍:6試合 .438 (16-7) 0本 4打点 2三振 2四球 0盗塁 OPS.976
・茂木栄五郎(23) 2年目 3200万円(△2000万円・166%増)
1軍:117試合 .278 (424-118) 7本 40打点 95三振 30四球 11盗塁 OPS.738
2軍:9試合 .167 (24-4) 1本 2打点 5三振 1四球 0盗塁 OPS.575
・アマダー(30) 2年目 3000万円(現状維持)
1軍:39試合 .258 (132-34) 9本 19打点 32三振 6四球 0盗塁 OPS.805
2軍:12試合 .367 (30-11) 1本 5打点 6三振 3四球 0盗塁 OPS.958
・吉持亮汰(24) 2年目 1200万円(現状維持)
1軍:21試合 .161 (31-5) 0本 7打点 6三振 3四球 1盗塁 OPS.461
2軍:23試合 .288 (73-21) 0本 6打点 8三振 8四球 8盗塁 OPS.736
・西田哲朗(26) 8年目 1200万円(▼300万円・20%減)
1軍:11試合 .100 (20-2) 1本 1打点 6三振 1四球 0盗塁 OPS.393
2軍:59試合 .281 (210-59) 6本 23打点 51三振 24四球 6盗塁 OPS.848
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【楽天・内野手2】
・阿部俊人(29) 7年目 1150万円(現状維持)
1軍:55試合 .185 (27-5) 0本 2打点 8三振 0四球 0盗塁 OPS.444
2軍:11試合 .125 (24-3) 0本 0打点 5三振 3四球 1盗塁 OPS.375
・中川大志(27) 9年目 950万円(▼50万円・5%減)
1軍:22試合 .203 (74-15) 2本 18打点 21三振 5四球 0盗塁 OPS.564
2軍:85試合 .287 (275-79) 9本 56打点 36三振 48四球 12盗塁 OPS.826
・内田靖人(22) 4年目 700万円(△100万円・16%増)
1軍:17試合 .204 (54-11) 2本 7打点 27三振 4四球 0盗塁 OPS.648
2軍:95試合 .246 (329-81) 13本 50打点 101三振 33四球 1盗塁 OPS.761
・三好匠(24) 6年目 700万円(△70万円・11%増)
1軍:38試合 .222 (63-14) 3本 6打点 16三振 5四球 0盗塁 OPS.644
2軍:60試合 .271 (203-55) 2本 18打点 40三振 16四球 4盗塁 OPS.677
・伊東亮大(28) 3年目 650万円(▼150万円・18%減・来季から育成選手)
1軍:出場なし
2軍:45試合 .167 (90-15) 1本 7打点 16三振 7四球 4盗塁 OPS.510
・柿澤貴裕(23) 5年目 550万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:98試合 .286 (297-85) 4本 49打点 67三振 31四球 7盗塁 OPS.768
・村林一輝(20) 2年目 500万円(現状維持)
1軍:出場なし
2軍:25試合 .000 (22-0) 0本 2打点 7三振 0四球 2盗塁 OPS.043
・出口匠(19・育成) 2年目 250万円(△10万円・4%増)
2軍:1試合 .000 (2-0) 0本 0打点 1三振 0四球 0盗塁 OPS.000
・山田大樹(20)・育成) 2年目 250万円(△10万円・4%増)
2軍:1試合 .000 (1-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
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【楽天・外野手】
・ペゲーロ(30) 2年目 8500万円(△6000万円・240%増)
1軍:51試合 .279 (183-51) 10本 26打点 67三振 17四球 0盗塁 OPS.832
2軍:2試合 .444 (9-4) 2本 6打点 3三振 0四球 0盗塁 OPS1.556
・松井稼頭央(42) 17年目 7000万円(▼9000万円・56%減・2年契約2年目)
1軍:56試合 .213 (160-34) 2本 13打点 42三振 17四球 3盗塁 OPS.591
2軍:21試合 .286 (77-22) 0本 2打点 16三振 9四球 2盗塁 OPS.681
・聖澤諒(32) 10年目 5000万円(▼1240万円・19%減)
1軍:94試合 .294 (201-59) 3本 19打点 41三振 11四球 3盗塁 OPS.723
2軍:出場なし
・岡島豪郎(28) 6年目 3800万円(現状維持)
1軍:127試合 .252 (420-106) 6本 35打点 49三振 46四球 7盗塁 OPS.683
2軍:出場なし
・島内宏明(27) 6年目 3200万円(△1200万円・60%増)
1軍:114試合 .287 (342-98) 9本 41打点 48三振 33四球 10盗塁 OPS.753
2軍:18試合 .238 (63-15) 1本 4打点 5三振 10四球 4盗塁 OPS.755
・オコエ瑠偉(20) 2年目 1200万円(現状維持)
1軍:51試合 .185 (119-22) 1本 6打点 27三振 6四球 4盗塁 OPS.527
2軍:54試合 .222 (212-47) 5本 24打点 40三振 18四球 14盗塁 OPS.642
・福田将儀(25) 3年目 1000万円(▼80万円・7%減)
1軍:36試合 .200 (60-12) 2本 8打点 11三振 8四球 2盗塁 OPS.627
2軍:47試合 .184 (103-19) 0本 9打点 15三振 13四球 5盗塁 OPS.508
・フェルナンド(25) 3年目 860万円(現状維持)
1軍:4試合 .182 (11-2) 0本 0打点 3三振 0四球 0盗塁 OPS.455
2軍:74試合 .287 (195-56) 14本 41打点 44三振 19四球 0盗塁 OPS.920
・島井寛仁(28) 5年目 650万円(▼130万円・16%減・来季から育成契約)
1軍:出場なし
2軍:30試合 .000 (5-0) 0本 0打点 2三振 1四球 4盗塁 OPS.167
・北川倫太郎(24) 6年目 650万円(▼70万円・9%減・来季から育成契約)
1軍:出場なし
2軍:86試合 .248 (315-78) 6本 46打点 80三振 33四球 7盗塁 OPS.689
・八百板卓丸(20・育成) 3年目 250万円(△10万円・4%増)
2軍:70試合 .262 (168-44) 2本 19打点 30三振 24四球 3盗塁 OPS.712
残り契約更改選手
なし
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松井稼頭央、ペギーに抜かれたんか
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【オリックス・投手1】
・山崎福也(25) 3年目 1900万円(△200万円・11%増)
1軍:17登板 3勝2敗 0S 0H 61.1投球回 37奪三振 23与四球 防3.67
2軍:6登板 1勝2敗 0S 36.0投球回 17奪三振 12与四球 防2.75
・赤間謙(27) 2年目 1200万円(△500万円・71%増)
1軍:24登板 0勝1敗 0S 1H 35.0投球回 19奪三振 24与四球 防3.09
2軍:14登板 0勝0敗 1S 20.0投球回 15奪三振 6与四球 防3.15
・近藤大亮(26) 2年目 960万円(▼240万円・20%減)
1軍:1登板 0勝0敗 0S 0H 3.0投球回 2奪三振 1与四球 防0.00
2軍:2登板 0勝0敗 0S 1.1投球回 1奪三振 0与四球 防6.75
・山田修義(26) 8年目 900万円(△300万円・50%増)
1軍:12登板 2勝7敗 0S 0H 58.1投球回 43奪三振 19与四球 防4.94
2軍:3登板 1勝1敗 0S 9.2投球回 9奪三振 3与四球 防10.24
・高木伴(27) 3年目 750万円(▼150万円・16%減)
1軍:4登板 0勝0敗 0S 0H 6.0投球回 5奪三振 2与四球 防6.00
2軍:38登板 2勝1敗 4S 43.0投球回 29奪三振 17与四球 防1.05
・大山暁史(29) 4年目 590万円(現状維持)
1軍:3登板 0勝0敗 0S 0H 4.1投球回 2奪三振 5与四球 防2.08
2軍:32登板 1勝1敗 0S 19.2投球回 15奪三振 2与四球 防3.66
・戸田亮(29・育成) 5年目 540万円(現状維持)
2軍:1登板 1勝0敗 0S 1.0投球回 2奪三振 3与四球 防0.00
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【オリックス・投手2】
・佐野皓大(21) 3年目 520万円(▼70万円・8%減)
1軍:登板なし
2軍:20登板 2勝1敗 0S 35.2投球回 25奪三振 31与四球 防3.03
・吉田凌(20) 2年目 500万円(現状維持)
1軍:登板なし
2軍:12登板 2勝2敗 0S 42.0投球回 18奪三振 17与四球 防5.79
・鈴木優(20) 3年目 500万円(△10万円・2%増)
1軍:1登板 0勝0敗 0S 0H 1.1投球回 3奪三振 3与四球 防33.75
2軍:19登板 4勝5敗 0S 59.1投球回 33奪三振 33与四球 防6.52
・佐藤世那(20) 2年目 500万円(現状維持)
1軍:登板なし
2軍:12登板 4勝4敗 0S 52.0投球回 39奪三振 27与四球 防5.37
・塚田貴之(24) 2年目 450万円(現状維持)
1軍:登板なし
2軍:61登板 2勝4敗 6S 61.0投球回 50奪三振 31与四球 防3.10
・角屋龍太(27) 2年目 440万円(▼260万円・37%減・来季から育成契約)
1軍:2登板 0勝0敗 0S 0H 2.1投球回 1奪三振 4与四球 防11.57
2軍:15登板 0勝2敗 0S 17.1投球回 5奪三振 12与四球 防7.79
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【オリックス・捕手】
・若月健矢(22) 4年目 1500万円(△800万円・114%増)
1軍:85試合 .227 (229-52) 0本 20打点 42三振 4四球 0盗塁 OPS.543
2軍:30試合 .224 (85-19) 0本 6打点 17三振 4四球 0盗塁 OPS.530
・山崎勝己(35) 17年目 1200万円(▼2200万円・64%減)
1軍:43試合 .152 (66-10) 0本 0打点 16三振 3四球 0盗塁 OPS.355
2軍:17試合 .234 (47-11) 0本 8打点 5三振 2四球 1盗塁 OPS.542
・伏見寅威(27) 5年目 1100万円(現状維持)
1軍:17試合 .242 (33-8) 0本 1打点 6三振 0四球 0盗塁 OPS.528
2軍:38試合 .214 (112-24) 1本 12打点 20三振 2四球 0盗塁 OPS.526
・赤松幸輔(25・育成) 2年目 250万円(現状維持)
2軍:45試合 .222 (90-20) 3本 6打点 21三振 7四球 0盗塁 OPS.609
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【オリックス・内野手】
・小谷野栄一(37) 15年目 7000万円(現状維持・3年契約3年目)
1軍:50試合 .249 (177-44) 4本 13打点 30三振 3四球 1盗塁 OPS.615
2軍:10試合 .231 (26-6) 0本 2打点 6三振 1四球 0盗塁 OPS.490
・モレル(30) 2年目 5000万円(▼4200万円・45%減)
1軍:94試合 .244 (308-75) 8本 38打点 88三振 30四球 2盗塁 OPS.683
2軍:21試合 .284 (81-23) 1本 7打点 17三振 8四球 3盗塁 OPS.719
・鈴木昂平(26) 2年目 950万円(△150万円・18%増)
1軍:45試合 .184 (38-7) 0本 4打点 8三振 1四球 0盗塁 OPS.389
2軍:39試合 .217 (106-23) 2本 5打点 26三振 8四球 0盗塁 OPS.580
・奥浪鏡(22) 4年目 550万円(△50万円・10%増)
1軍:15試合 .265 (34-9) 0本 1打点 11三振 7四球 1盗塁 OPS.728
2軍:87試合 .223 (264-59) 4本 25打点 67三振 38四球 0盗塁 OPS.660
・園部聡(22) 4年目 500万円(△50万円・11%増)
1軍:16試合 .204 (54-11) 1本 6打点 24三振 2四球 0盗塁 OPS.560
2軍:65試合 .299 (187-56) 9本 27打点 40三振 25四球 0盗塁 OPS.878
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【オリックス・外野手】
・武田健吾(23) 5年目 700万円(△50万円・7%増)
1軍:10試合 .100 (20-2) 0本 1打点 3三振 0四球 0盗塁 OPS.300
2軍:97試合 .256 (332-85) 6本 36打点 41三振 15四球 1盗塁 OPS.660
・杉本裕太郎(26) 2年目 600万円(現状維持)
1軍:1試合 .000 (3-0) 0本 0打点 2三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:48試合 .226 (124-28) 3本 11打点 23三振 6四球 0盗塁 OPS.641
・吉田雄人(22) 4年目 490万円(▼10万円・2%減)
1軍:出場なし
2軍:99試合 .181 (271-49) 0本 21打点 57三振 21四球 0盗塁 OPS.454
残り契約更改選手
投手:金子千尋・平野・ディクソン・西・岸田・佐藤達・東明・松葉・海田・八木・吉田一・塚原・比嘉・青山・齋藤綱
捕手:伊藤
内野手:中島・安達・西野・縞田・岩崎・大城・小島・宗
外野手:T-岡田・駿太・川端・宮崎・吉田正・小田
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続いて今日のセ・リーグの契約更改です
【巨人】
・マシソン(33) 6年目 2億7500万円(△9000万円・48%増)
1軍:70登板 8勝4敗 1S 41H 80.0投球回 98奪三振 22与四球 防2.36 (最優秀中継ぎ)
2軍:登板なし
・ギャレット(36) 2年目 1億5400万円(▼1億4600万円・48%減)
1軍:123試合 .258 (422-109) 24本 68打点 106三振 39四球 0盗塁 OPS.813
2軍:12試合 .250 (44-11) 4本 11打点 7三振 4四球 0盗塁 OPS.903
・西村健太朗(32) 14年目 7800万円(▼5200万円・40%減)
1軍:27登板 0勝0敗 0S 2H 28.0投球回 25奪三振 16与四球 防3.21
2軍:10登板 1勝0敗 1S 11.1投球回 9奪三振 3与四球 防0.79
・杉内俊哉(37) 16年目 5000万円(現状維持)
1軍:登板なし
2軍:4登板 1勝2敗 0S 19.0投球回 24奪三振 6与四球 防5.21
・松本哲也(33) 11年目 2400万円(現状維持)
1軍:52試合 .174 (69-12) 0本 1打点 22三振 2四球 2盗塁 OPS.426
2軍:46試合 .340 (144-49) 0本 15打点 15三振 19四球 7盗塁 OPS.808
【DeNA】
・山崎康晃(25) 3年目 8000万円(△3000万円・60%増)
1軍:59登板 2勝5敗 33S 7H 57.2投球回 61奪三振 23与四球 防3.59
2軍:登板なし
・小林寛(28) 7年目 900万円(▼170万円・15%減)
1軍:1登板 0勝0敗 0S 0H 0.1投球回 0奪三振 0与四球 防27.00
2軍:22登板 1勝2敗 0S 38.1投球回 32奪三振 14与四球 防5.87
・野川拓斗(26) 2年目 800万円(現状維持)
1軍:6登板 0勝0敗 0S 0H 7.0投球回 7奪三振 6与四球 防2.57
2軍:19登板 0勝2敗 1S 26.0投球回 22奪三振 9与四球 防2.77
・G.後藤武敏(37) 15年目 2200万円(現状維持)
1軍:27試合 .261 (23-6) 1本 6打点 9三振 7四球 0盗塁 OPS.868
2軍:27試合 .304 (46-14) 1本 9打点 10三振 5四球 0盗塁 OPS.841
・山崎憲晴(31) 9年目 1700万円(▼500万円・22%減)
1軍:出場なし
2軍:9試合 .067 (15-1) 1本 2打点 2三振 0四球 0盗塁 OPS.333
・山下幸輝(24) 3年目 1200万円(△360万円・42%増)
1軍:62試合 .224 (98-22) 0本 7打点 18三振 1四球 3盗塁 OPS.495
2軍:32試合 .299 (117-35) 1本 12打点 21三振 7四球 3盗塁 OPS.766
・乙坂智(23) 6年目 1600万円(△550万円・52%増)
1軍:55試合 .270 (115-31) 1本 8打点 28三振 7四球 3盗塁 OPS.691
2軍:61試合 .235 (230-54) 3本 21打点 49三振 26四球 5盗塁 OPS.662
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【阪神】
・鳥谷敬(36) 14年目 4億円(現状維持・5年契約3年目)
1軍:143試合 .236 (449-106) 7本 36打点 80三振 75四球 13盗塁 OPS.667
2軍:出場なし
・福留孝介(40) 14年目 2億3000万円(△3000万円・15%増)
1軍:131試合 .311 (453-141) 11本 59打点 78三振 61四球 0盗塁 OPS.845
2軍:出場なし
・能見篤史(38) 13年目 1億3000万円(▼1000万円・7%減・3年契約3年目)
1軍:26登板 8勝12敗 0S 1H 147.1投球回 126奪三振 52与四球 防3.67
2軍:登板なし
・高橋聡文(34) 16年目 5000万円(現状維持・3年契約2年目)
1軍:54登板 3勝1敗 0S 20H 38.1投球回 38奪三振 11与四球 防3.76
2軍:登板なし
・高山俊(24) 2年目 4000万円(△2500万円・150%増)
1軍:134試合 .275 (494-136) 8本 65打点 109三振 27四球 5盗塁 OPS.707 (新人王)
2軍:2試合 .143 (7-1) 0本 0打点 1三振 0四球 0盗塁 OPS.286
【ヤクルト】
・館山昌平(36) 15年目 1億2000万円(現状維持・3年契約2年目)
1軍:10登板 1勝4敗 0S 1H 46.0投球回 33奪三振 26与四球 防7.24
2軍:8登板 1勝2敗 0S 41.2投球回 29奪三振 10与四球 防3.02
・今浪隆博(33) 11年目 3000万円(△1050万円・53%増)
1軍:94試合 .279 (201-56) 1本 28打点 25三振 30四球 0盗塁 OPS.739
2軍:5試合 .071 (14-1) 0本 1打点 2三振 0四球 0盗塁 OPS.143
長くなりましたが契約更改情報はここで一旦終わりです
誕生日は今しばらくお待ちください…
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12月3日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・阿部寿樹(27) (中日・内野手・2015年ドラフト5位)
※内野ならばどこでも守れるユーティリティであり、打撃でも小技を巧みにこなす。1年目の今年は主に遊撃手としてプレーし、8月には1軍デビュー。9月14日の巨人戦ではマシソンからプロ初本塁打も放つなど期待の出来る1年目を送った。1軍の戦力として来季以降の活躍に期待したい。
OBなど
・山内新一 【1967年ドラフト2位→巨人(68-72)→南海(73-83)→阪神(84-85)、投手】 1947年
※邇摩高校・三菱重工三原を経て巨人に入団。巨人では主に中継ぎとして起用され、3年目の70年には8勝4敗・防1.78の好成績を記録するも72年に肩を故障して低迷。そしてオフにトレードで南海に移籍する。その故障によって直球が自然とスライダー気味になってしまい武器としていた速球が使えなくなってしまったが、それを野村監督は逆手に取り、彼を技巧派投手に転向させる。するとそれが見事に型にハマり、同年はいきなり20勝をマークして南海のリーグ優勝に大きく貢献。前年の江本孟紀に続いて野村再生工場の一員となった。その後は南海のエースとして活躍し、76年には再び20勝をマークしたが最多勝のタイトルは獲得できなかった。そして81年からは和宏・孝徳とともに山内トリオを形成し、南海時代には11年間で2桁勝利を8度も記録。84年にトレードで阪神に移籍し、阪神が優勝を達成した85年に引退した。長らく先発として活躍したことで73年から85年に記録した311試合連続先発は現在でも日本記録となっている。引退後は球界から離れてサラリーマンとして働いた。
・ウェイン・ギャレット 【中日(79-80)、内野手】 1947年
※広島で活躍したエイドリアン・ギャレットの弟であり、メッツに在籍していた69年にはレギュラー三塁手として「ミラクル・メッツ」と呼ばれるワールドシリーズ制覇に貢献。73年には自己最多の16本塁打・58打点を記録し、ワールドシリーズ第3戦では初回先頭打者本塁打も記録したがシリーズ通してでは史上ワーストタイの11三振を喫した。その後もエクスポズやカージナルスでプレーし、79年に中日に入団して来日。主に2番打者として起用され、20本塁打・71打点と助っ人として結果を残した。その一方で5月の大洋戦では本塁打を放った際に一塁走者を追い越したため本塁打を取り消されている。そして翌80年は打撃不振に悩まされ出場機会も減少。シーズン途中に解雇され現役を引退している。
・パット・パットナム 【日本ハム(86-87)、内野手】 1953年
※メジャーデビューを果たしたレンジャーズでは79年に18本塁打を放つなど打線の中軸で活躍。その後はマリナーズなどでプレーし86年に日本ハムに入団。開幕から4番に座り、チームトップの28本塁打・73打点をマークしてここでもチームの中軸を担い、勝負強さも武器に同年は最多勝利打点のタイトルを獲得した。翌年もレギュラーとして起用されるも相手の研究もあって成績は低迷。本塁打は半減の12本に終わり、この年限りでチームを退団している。
・久保文雄 【1980年ドラフト外→大洋(81-87)、投手】 1962年
※伊都高校からドラフト外で大洋に入団。オーバースローから投げる重い速球とスライダー、緩いカーブを主体に対左のワンポイントとして起用され、チームの左投手不足もあって83年には当時のプロ野球記録である10試合連続登板も果たした。80年代の大洋を支えたが、毎年のようにフォームが変わっていたために安定性を欠き、87年に25歳という若さで現役を引退した。現在はスポーツビジネスの仕事に就いている。
続く
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またもNGワードに引っかかったので分割します
・パンチ佐藤 【1989年ドラフト1位→オリックス(90-94)、外野手・内野手】 1964年
※熊谷組では俊足強打の外野手として名を馳せ、89年の都市対抗では史上2人目のサイクル安打も達成。ドラフト前日にサッカーをして骨折し、松葉杖姿で会見に臨んだことをきっかけに、明るく男気のあるキャラクターで人気を博し、特徴的なパンチパーマから「パンチ」の愛称で親しまれた。その反面で打撃・守備の双方に弱点を抱え、現役時代はレギュラー定着には届かなかった。そして94年には登録名を「パンチ」に変更(同時期に当時3年目の若手だった鈴木一朗を「イチロー」の登録名で売り出そうとし、同時に名を変えることでイチローへのプレッシャーを軽くする目的もあった)、定位置獲得を目指したが、最終的に自身が尊敬する仰木彬監督から芸能界入りを進言され現役を引退した。その後は持ち前の明るいキャラクターで多くのバラエティに出演している。
・ゲーリー・グローバー 【巨人(06)、投手】 1976年
※メジャー数球団で通算21勝をあげ、2006年に巨人に入団。2m近い長身から繰り出す多彩な変化球を武器に先発ローテを任され、主に日曜日に登板して打線の援護にも恵まれていたことから「サンデーグローバー」とも呼ばれていた。中盤に入り不調で2軍落ちも味わったが、後半戦に入ると別人かのような好投を続けて最終的には5勝7敗と助っ人としてはまずまずのものを残したがチーム事情もあって1年で退団となった。その後は再びMLBに復帰し、2009年からは韓国でもプレーした。
続く
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・横川史学 【2006年大社ドラフト4位→楽天(07-12)→巨人(13-15)、外野手】 1984年
※常総学院高では2001年春の選抜で優勝を経験。その後進んだ青山学院大でも全日本選手権で優勝を果たすなど左のスラッガーとして注目され、同期の大崎雄太朗・高市俊・円谷英俊とともにドラフトで指名され楽天に入団。1年目は2軍で経験を積み、2年目の2008年に1軍デビュー。そのデビューを果たした試合では右翼手として三塁ランナーをホームで刺したり、打っては初打席で初安打となるタイムリーを放つなど鮮烈なデビューを果たし、同年はすぐさま1軍に定着して55試合に出場。その後は2軍生活が続いたが、田淵幸一から「うねり打法」を伝授されたことで2011年は出場機会を増やし、5月の阪神戦では榎田大樹からサヨナラ安打を放つなど殊勲打を連発。その一方で守備のミスも多く、彼の失策が敗戦に繋がったこともあった。それでもこの年は自己最多の94試合の出場、4本塁打を記録した。しかし2012年は1軍と2軍を行き来し、オフに2対2のトレードで巨人に移籍。しかし巨人でも故障の影響で出場機会を稼げず、2013年には死球の影響で左膝に菌が入り、一時は左足切断の可能性もあったといわれている。それでも2014年にはロッテ戦で移籍後初本塁打を放つと、6月の西武戦ではサヨナラ打を放つなど存在感を見せたが、昨年は堂上剛裕の加入もあり2軍生活が続き、戦力外となって現役を引退。現在はジャイアンツアカデミーの職員を務めている。余談だが大好きでした。
続く
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何度読み返してもNGワードが分からなかったので画像にしました
http://i.imgur.com/MMcZzCF.png
改めましておめでとうございます
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そういや、ホムラジで長谷川アナが言ってたけど、新人王・MVP等の記者投票は日本シリーズ前日が締め切りだってさ
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本人的には増井は来季はクローザーか
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賢介と糸井がいなくなった2013とは戦力ダウンの幅は違うとはいえ、
増井先発で盛り返したのが非常に大きい中でそれが仮に無くなりバースもおらず吉川もいなくなり
高梨が変わらず勝てれば大きいけど、2012優勝→2013最下位 程極端じゃないにしろBクラス転落くらいはなっても驚かない感じにはなる可能性はあるのかな
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本人にその強い意欲があるというだけでチームの起用法的にはわからんでしょ
後半の先発増井に取って代わる選手なんて探すの大変やし
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2013年最下位になった一番の理由が中田の離脱だし主力に怪我人出なけりゃそこまで落ちることはなさそうですけどね
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ロッテ田村は里崎の22になるのか
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>>836
ひょっとしたらですけど戦力外通告がNGワードかも
てかデータ兄貴仕事量多過ぎぃ!(尊敬)
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>>843
書き込めたので違うっすね...(池沼)
忘れてください...
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2季
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NGワード探しも本来はNGだゾ(釘
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違った
ぎなた読みで引っかかりかな
あんまり詮索はあかんな
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>>846
ですよね...
気を付けます
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161201-00000003-wordleafs-base
>まだ正式発表はされていないが、新外国人として元楽天のケーシー・マギー内野手(34)とも合意。
>これは、阪神との争奪戦に勝利したもの。
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この場面での吉田正尚とか打つ気しかしなかった>ウィンターリーグ
熊原アカンなあ、セットポジション
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457
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おー廣岡HR
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セットからじゃなけりゃかなり三振獲れるんだけどなあ
まともに飛ばされた打球も吉田のぐらいだしドラフト上位の片鱗はあるんだけど
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遅くなりましたが今日の契約更改情報です
【ロッテ】
・井口資仁(43) 17年目 1億3500万円(▼4500万円・25%減・3年契約3年目)
1軍:79試合 .257 (152-39) 5本 34打点 50三振 19四球 1盗塁 OPS.749
2軍:出場なし
・清田育宏(31) 8年目 5700万円(▼300万円・5%減)
1軍:106試合 .225 (365-82) 6本 38打点 76三振 40四球 5盗塁 OPS.642
2軍:20試合 .313 (64-20) 5本 14打点 8三振 8四球 1盗塁 OPS.972
・田村龍弘(23) 5年目 5000万円(△2240万円・81%増)
1軍:130試合 .256 (371-95) 2本 38打点 91三振 38四球 6盗塁 OPS.656 (B9)
2軍:5試合 .222 (9-2) 0本 2打点 1三振 2四球 0盗塁 OPS.586
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清田もう31歳なのかぁ って思ったけど2010年がもう6年前だしそうなるか
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http://www.mlb.com/milb/stats/stats.jsp?sid=l131&t=g_box&gid=2016_12_02_torwin_estwin_1
ドミニカでのバルデスの投球凄すぎて草
スピードアップ賞どころの話じゃないわ
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12月4日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・井口資仁(42) (ロッテ・内野手・1996年ドラフト1位)
※今年は代打出場とスタメンを繰り返しながら1年間通して1軍に帯同し、9月1日のオリックス戦では史上44人目のNPB通算1000打点を3ランで記録した。来季からはパ・リーグ最年長および12球団最年長野手となる。ちなみにNPB通算250本塁打も残り1本と迫っている。
・高宮和也(35) (阪神・投手・2005年ドラフト希望枠)
※昨年は左のワンポイントとして自己最多の52試合に登板し、今年も開幕から1軍で起用されたが、不調が続き5月には右脇腹の故障で2軍落ち。その後は島本や高橋の活躍もあり1軍に呼ばれることはなかった。来季は岩崎も救援転向を決めており、左の中継ぎの競争を制したいところ。
・岸孝之(32) (楽天・投手・2006年ドラフト希望枠)
※長年西武のエースとして活躍し、今年も途中故障で離脱したものの先発の1人として好投し、史上134人目の通算100勝を達成するなどチーム2位の9勝・防2.49をマーク。そしてオフには海外FA権を行使し、地元球団である楽天に移籍した。4年ぶりのリーグ優勝に向けて楽天でも力投が期待される。
・古本武尊(26) (中日・外野手・2012年ドラフト3位)
※それまで着けていた背番号「66」をビシエドに譲り、新たに「46」を背負った今年は1軍昇格を果たせずも、2軍では打線の中軸としてチーム最多の91試合に出場し、7本塁打・45打点もチームトップ。8月にはファームの月間MVPも獲得した。5年目となる今年は3年ぶりの1軍を目指し、外野の定位置を掴みたいところ。
OBなど
・遠井吾郎 【大阪・阪神(58-77)、内野手】 1939年
※柳井高校時代は57年春の選抜に出場し、準々決勝で早稲田実業と対戦。しかし相手投手の王貞治相手に3三振を喫し、その後自らリリーフ登板した際には王にタイムリーを打たれて敗戦した。その後は河西俊雄の誘いを受けて58年に大阪タイガースに入団。超高校級の打力を評価され「ポスト藤村」と期待され、主に怪我の多かった藤本勝巳と併用される形で起用された。64年からは4番打者としても起用され、66年には長嶋茂雄と首位打者を争い、肉離れによってタイトルは獲得できずもリーグ2位の打率.326を記録した。現役晩年は代打として活躍し、球団3位・歴代6位の代打通算96打点を記録した。阪神一筋で20年間の現役を全うし、77年に現役を引退した。バットコントロールの技術に長けていた反面で守備と走力に難があり、自身が守っていた一塁側に平凡なフライが上がっただけで観客席はざわめき、捕球できた際には拍手が起きるほどだった。またプロ野球選手らしからぬ飄々とした風貌と穏やかな人柄から「仏のゴローちゃん」の愛称で親しまれ、若手選手からの信頼も厚かった。引退後は阪神の打撃コーチを経て、地元・柳井市でスナックを経営した。
・レオン・リー 【ロッテ(78-82)→大洋(83-85)→ヤクルト(86-87)、内野手】 1952年
※メジャーに中々上がれず苦悩していたときに、既にロッテで活躍していた兄のレロンに誘われて78年に同じくロッテに入団して来日。すると1年目から5番打者として打率.317 19本 73打点の好成績を記録。3年目の80年には3番打者となった兄に次いで4番打者を務め、打率.340 41本 116打点という三冠王クラスの好成績を記録するも打率は兄のレロン(.358)、本塁打・打点は近鉄のマニエル(48本・129打点)に譲り、ベストナインのみの獲得となった。82年オフにはトレードで大洋に移籍し、ここでも安定した成績で83年のAクラス入りに貢献。85年にはスーパーカートリオの後を打つ4番として活躍し、8月の広島戦では3本塁打含む1試合10打点の大暴れも見せた。この年は打率.303 31本 110打点という文句の付け所のない成績だったが、「チャンスに弱い」という理由で同年限りで大洋を解雇されてヤクルトに移籍。ヤクルトでも2年連続で打率3割を記録して最後まで助っ人として活躍。10年間で打率.308(首位打者を獲得したことのない選手では史上最高)、268本塁打(助っ人歴代6位)を記録し、87年限りで兄とともに日本を去った。その後はメジャーのスカウトを経て2003年にコーチとしてオリックスに復帰。そして4月末に石毛監督が解任されたことで急遽監督に就任した。打撃力重視のチームスタイルで、実際に打撃陣は好調ではあったのだがあまりにディフェンスを軽視しすぎた結果、チーム防御率5.95・年間927失点というプロ野球ワースト記録を更新する深刻な投壊状態に陥り、結局チームは最下位に沈んで1年で退任した。その一方で山崎武司は彼が心の支えとなり、後の活躍に繋がったとされている。現在は日米スポーツ交流のコンサルティング会社を経営している。
続く
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・バーナード・ブリトー 【日本ハム(95-96)、外野手】 1963年
※マイナー通算295本塁打の実績を誇り、95年7月に不振に陥っていたマッキントッシュの代役として日本ハムに入団。この年は本塁打王が小久保の28本、打点王がイチロー・初芝・田中幸雄の80打点という年であったが、自身は来日後の56試合で21本塁打・50打点という驚異的なペースで打ちまくりチームを支えた。タイトル獲得を目指した翌96年には開幕から4番打者として活躍し、29本塁打・83打点を記録するもシーズン終盤に「日本の練習法に馴染めない」という理由で自ら退団を申し出た。その後は台湾や米独立リーグでプレーし98年に引退した。当時日本ハムの本社ライバルである伊藤ハムの商品名に「ブリトー」があったため、一時期登録名の変更が検討されたこともあったという。
・加藤哲郎 【1982年ドラフト1位→近鉄(83-93)→広島(94)→ダイエー(95)、投手】 1964年
※宮崎日大高からドラフト1位で近鉄に入団。速球とフォークを武器に4年目の86年から台頭し、88年の「10.19」第2戦では残り3分で試合を終わらせないと事実上西武の優勝が決まる場面で登板するも、間に合わなかった。しかしその悔しさをバネに翌89年は先発・中継ぎの双方でフル回転し、マジック1で迎えたダイエー戦で勝利投手となり近鉄の優勝に貢献した。そして迎えた巨人との日本シリーズでは第3戦に登板して勝利投手となったが、その際のインタビューで「巨人はロッテより弱い」と発言したとして各種メディアに報じられ物議を醸した。しかし実際には「巨人はロッテより弱い」とは一言も言っておらず、もともと強気な発言をすることで有名だったこともあり「シーズンの方がしんどかった」などの言葉が拡大解釈されたものだった。結局その後は巨人にの奮起に飲まれ、第7戦では駒田徳広に本塁打を浴び、三塁上で「バーカ!」と叫ばれそのまま近鉄は日本一を逃した。その後は右肩の故障で成績が低迷し、91年には中継ぎとして活躍するも以降は不振が続き、移籍した広島ではサイドスローに転向するも結果を残せず95年にダイエーで引退。その後は主に解説者や俳優、焼肉店の店長として活動し、現在は麻雀教室の講師を務めている。
・与田剛 【1989年ドラフト1位→中日(90-96)→ロッテ(96-97)→日本ハム(98-99)→阪神(00)、投手】 1965年
※亜細亜大学時代故障が多く登板機会は多くは得られなかったが、NTT東京時代に150キロを超える速球が注目され89年のドラフトで中日に1位指名され入団。すると1年目から抑えを任され、最終的には新人ではと当時歴代最多となる31セーブをマークして最優秀救援・そして新人王のタイトルを獲得。当時日本最速の157キロの速球を武器に、名前をもじって「剛球投手」と呼ばれていた反面で、1年目からのフル回転によって肩や肘に大きく負担がかかり、痛み止めを打ちながらも投げ続けたが4年目以降はかつての球威を取り戻せず。その後はトレードやテスト入団でロッテ・日本ハム・阪神の3球団でプレーするも故障続きで結果を残せず、特に阪神での2000年にはベッドから起き上がれないほどの腰痛に襲われ、結局同年限りで現役を引退した。その後は解説者として主に活動し、2009年には第2回WBCの侍ジャパン投手コーチとして大会2連覇に貢献した。現在は楽天の1軍投手コーチを務めている。
・エド・ヤーナル 【オリックス(01-02)、投手】 1975年
※ヤンキースから2001年にオリックスに入団。ノビのある速球を武器に先発として起用され、満足いく活躍とまでは言えないものの同年は4勝をマーク。翌2002年いは前年の勝ち頭であった加藤伸一の移籍もあったことで、チームの助っ人としては初となる開幕投手に任命。金田政彦・具臺晟とともに左腕の先発3本柱として活躍し、リーグ10位の防3.61と安定した投球でチームを支えるも打線の援護がなかったために6勝13敗と大きく負け越した。同年オフに野手の補強を目指したチーム方針もあって退団し、近鉄が獲得に興味を示していたがその後はアメリカに帰国。2007年に米独立リーグで現役を引退している。
続く
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・愛敬尚史 【2000年ドラフト2位→近鉄(01-04)→楽天(05-09)、投手】 1976年
※帝京大学では里崎智也とバッテリーを組み、松下電器では同期の久保康友や大久保勝信とともに99年の都市対抗に出場し、若獅子賞も受賞。右のサイドスロー投手であったことから主に対右打者のワンポイントで起用され、1年目から30試合に登板して防1.67の好成績をあげてチームの優勝に貢献。9月の西武戦では史上15人目の1球勝利も記録した。2005年には分配ドラフトで楽天に移籍。とにかく負けない投手で知られ、プロ初登板から楽天に移籍して以降の2006年まで107試合に登板して1度も敗戦投手にならなかった(歴代2位・パリーグ最長記録)。しかし翌2007年以降は3年連続で1軍登板を果たせず、同年限りで現役を引退した。その後はジュニアコーチを経て現在は楽天のスカウトを務めている。
・草野大輔 【2005年大社ドラフト8位→楽天(06-12)、内野手・外野手】 1976年
※NTT時代にはアマNo.1のクラッチヒッターと評価され、29歳・既に妻子持ちというオールドルーキーとして楽天に入団。1年目は活躍できずも、2年目の2007年には勝負強い打撃を発揮して後半戦には3番打者に定着。9月後半には一気に6度の猛打賞を記録するなど規定打席不足ながら打率.320の好成績を記録し、チームの最下位脱出に貢献。2009年には外野手に回り、当時球団新記録となる21試合連続安打を記録するなど5月末まで4割超の高打率をキープして初の球宴出場も経験。最終的に規定打席に初めて到達し、打率.305の好成績でチームの2位浮上に大きく貢献した。その後は若手の台頭もあって控えに回ることもあったが内外野問わず様々なポジションで起用されてチームを支えた。2012年にはプロ初の満塁本塁打も放ったが同年限りで戦力外となり、現役を引退。その後は楽天のアンバサダーや解説者を経て、2014年からは楽天の打撃コーチに就任したが今年限りで退任となった。打撃に関しては野村監督に「天才」と評され、また明るい性格と小柄な体格もあって「ちっこいおっさん」の愛称でも親しまれた。
・野田浩輔 【2000年ドラフト6位→西武(01-11)、捕手】 1977年
※新日鉄君津では渡辺俊介とバッテリーを組み、シドニー五輪にも出場。西武に入団して以降は伊東勤や細川亨の陰に隠れ続け、2004年も2番手捕手の立ち位置だったがダイエーとのプレーオフ第3戦では決勝本塁打を放つなど、リーグ優勝・日本一に貢献。その後は打力を活かすべく指名打者としても起用されることもあったが、依然として細川や上本達之・銀仁朗の台頭もあって正捕手の座は掴めなかった。しかしそんな中の2008年の日本シリーズでは第7戦の5回裏に途中出場すると、9回の打席では巨人・越智大祐から四球を選んで平尾博嗣の決勝適時打をアシストした。その後も出場機会は多くは稼げず2011年限りで現役を引退。その後は西武の編成部で活動していたが、来季からは2軍バッテリーコーチに就任する。打席に入る際にバットをクルクル回すのが特徴的だった。
・西村憲 【2008年ドラフト4位→阪神(09-14)、投手】 1986年
※九州産業大学から阪神に入団。1年目は2軍で実戦経験を積み、迎えた2年目の2010年には強気な投球を武器にセットアッパーに定着。後半戦には疲労から打ち込まれる場面も目立ったが、この年は65試合に登板し7勝・14ホールドの好成績をマークした。翌2011年もシーズン後半に中継ぎの一員として好投したが、2012年以降は右肘の手術によって球速が大幅に低下。そして1軍登板のなかった2014年に戦力外となった。翌2015年からはBCリーグ・石川に入団。チームの抑えとして起用され、同年は26試合の登板で2勝11セーブ、そして防御率は0.00という見事な成績を残した。今年もチームの前期・後期の連覇に貢献し、かつて投げ続けた甲子園でトライアウトを受験するもNPBのオファーは得られなかった。来季からは新たにBCリーグに参入する滋賀でプレーする。身体能力が高かったこともあり、2010年には残り野手がいなくなった延長戦で外野の守備につき、相手打者の利き腕によってレフトとライトを行き来した。また2011年にも9回裏に残り野手を使い果たした際に桧山の代走(サヨナラのランナーだった)として起用されている。
おめでとうございます
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岸くん西武のエースから楽天のローテPに出世できて良かったですね
来年は優勝狙えるシーズンですから運が良かったと思います
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森岡送球イップスだったのか
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トレード成立?
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【巨人】緊急トレード 小山←→E柿沢
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161204-00000156-sph-base
補償で取られるならトレードしてしまえの精神
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他球団の若い野手好きやね巨人さん
まあ足りないの分かってるからだし、それは妥当だと思うけど
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三年連続V逸回避、正力松太郎の息子の頃から慶応閥の巨人フロントが慶応出身の高橋由伸に恥かかせたくないって感じの積極補強ですね
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今年の100人分の1は何部門で大谷が選ばれるんですかね…
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スピードボール部門は大谷の三連覇か
打撃部門は上位には食い込みそうだけど1位あるかな
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大谷よりも糸井に底知れぬアレを感じた日だった
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遅くなりましたが12月5日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・ジョシュ・ルーキ(32) (ヤクルト・投手・2016年入団)
※昨年チームを支えた助っ人たちの代役として入団した今年は開幕から中継ぎとしてフル回転。時たま派手に炎上することもあったが基本的に安定した投球を続け、最終的にリーグ3位の69登板・33ホールドを記録してセットアッパーとして申し分ない成績を残した。年俸倍増で残留が決定しており、来季も秋吉らとともにブルペン陣を支えたい。
・小山雄輝(28) (楽天・投手・2010年ドラフト4位)
※まさかのタイムリー。2014年には6勝をあげるなど先発候補として期待されていたが、ここ2年間は不振により白星なし。2軍ではシーズン中盤までは先発ローテの一員だったが、終盤は抑え投手として起用された。山口俊のFA移籍により人的補償の有力候補とされたが、つい昨日に柿澤とのトレードで楽天への移籍が発表された。先発と中継ぎの双方をこなせることもあり、新天地での活躍に期待したい。
・由規(27) (ヤクルト・投手・2007年高校ドラフト1位)
※右肩の故障によって長きにわたる2軍生活が続き、育成選手として迎えた今年は7月に支配下復帰。そして7月9日に5年ぶりに1軍復帰を果たした。7月24日の巨人戦では実に1768日ぶりの白星をあげた。今年の最速は151km/hであり、全盛期ほどとは言わないが着実に復活を遂げており10年目の来季に期待したい。
・岡田俊哉(25) (中日・投手・2009年ドラフト1位)
※昨年同様、中日における左の中継ぎエースとして活躍して今季は57試合に登板。オフには巨人・菅野に代わって侍ジャパンに選出され、ピンチの場面を背負ったがいずれも無失点で切り抜けて存在感を示した。まだまだ25歳と若く、未来溢れる鉄腕リリーフとして中日を支えていきたい。
・國場翼(23) (西武・投手・2015年ドラフト8位)
※大学時代にそれまで130キロ台だった速球が148キロまで成長。1年目の今年は2軍で中継ぎとして経験を積む中で8月には1軍デビュー。やや制球に難があるのが課題だが、直球と鋭いフォーク、そしてカーブを武器に三振を奪う力強い投球スタイルが特徴的。ポスト岸孝之として期待されており、2年目の今年は頭角を現したい。
OBなど
・土橋正幸 【東映(55-67)、投手】 1935年
※東京・浅草に生まれ、都立日本橋高校を卒業後、東映の入団テストを受ける友人を冷やかしに付いて行ったところ、友人は不合格に終わる中で自身が合格してしまい入団を果たす。しばらくは2軍生活が続いたが3年目の57年に頭角を現してプロ初勝利を完封で飾ると、翌58年には日本タイ記録となる9者連続奪三振、そして当時日本新記録だった1試合16奪三振を記録するなど21勝をあげて一躍東映のエース格にのし上がる。50年代後半から60年代前半にかけてのパリーグにおける名投手であるがタイトルとは縁がなく、自身最高の成績となる30勝・防1.90を残した61年も42勝・防1.69を記録した稲尾和久に敗れいずれもリーグ2位の記録にとどまった。しかしそれでも62年には17勝をあげてリーグ優勝に貢献し、同年の日本シリーズでは種茂雅之とともにMVPを獲得して日本一の胴上げ投手となった。しかしその後は度々故障に悩まされて成績は低迷。そして67年に現役を引退した。引退後は東映のコーチや2軍監督を経て、チームが日拓となった73年の後期に監督に就任。張本勲をヘッド兼打撃コーチに従え、後期を3位で終えるもオフに球団が日本ハムに身売りしたためにわずか半年で監督を退任した。また84年からはヤクルトのコーチに就任し、ここでも同年6月から武上四郎の後を継いで監督を務めたが1年目は5位、2年目、3年目はいずれも最下位となり86年限りで監督を退任した。その後92年には古巣である日本ハムの監督に就任したが選手たちとの関係はこじれにこじれ、チームも最下位と0.5ゲーム差の5位と低迷したために1年で解任された。指導者時代に退団して移籍するまでの合間や日本ハムの監督退任後は主に解説者として活動し、沢村賞の選考委員の1人でもあった。しかし2012年ごろから筋萎縮性側索硬化症を患い、闘病を続けていたが翌2013年夏に77歳で逝去。現役時代は江戸っ子投法と呼ばれる余計な駆け引きをしない投球スタイルでエースとして君臨していた。
続く
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・榎本喜八 【毎日・大毎・東京・ロッテ(55-71)→西鉄(72)、内野手】 1936年
※戦時中は極貧生活に苦しみ、職業野球は幼少時代の彼の唯一の希望だった。早稲田実業ではスラッガーとして成長し、先輩で既に毎日でプレーしていた荒川博に頼み、入団テストを実施。そのテストで数打席見ただけで当時の別当薫監督や現役だった西本幸雄が目を見張ったとされ、文句なしの合格で入団を果たす。その期待も大きく、背番号「3」を背負って高卒新人にもかかわらず5番打者として活躍しデビュー4打席目に早くも敬遠を受けた。139試合出場・146安打・出塁率.414など数々の高卒新人記録を樹立し、堂々の新人王を獲得。特に絶対にボール球には手を出さないとまで言われるほどの選球眼を誇り、当時のパリーグのバッテリーからは最も恐れられていた選手でもあり、その正確無比なバットコントロールから元祖「安打製造機」と評された。チーム事情もあって4年目以降は1,2番で出場することも多く、60年には3番打者として打率.344をマークして首位打者を獲得するなどチームの優勝に貢献。61年には史上最年少となる24歳9ヶ月という若さで通算1000安打を達成し、この年はリーグ2位の打率.331・自己最多の180安打を記録。その後も打順問わずチームの主力打者として活躍し、66年にはキャリアハイとなる打率.351 24本 74打点で2度目の首位打者も獲得した。そして68年にはこちらもプロ野球史上最年少となる31歳7ヶ月で通算2000安打を達成。70年にもリーグ優勝に貢献したが次第に出場機会が減少。72年には西鉄にトレードで移籍し、稲尾監督は若手の見本として期待していたが難解な打撃理論を若手選手は理解できず、それに失望した自身は徐々に自暴自棄な態度を取るようになったという。この年は代打の切り札として起用されるも同年限りで現役を引退。通算2314安打・首位打者2回・ベストナイン9回という華々しい成績の裏で、自身の理解者であった選手や監督が次々と移籍や退団していったこともあり、精神的に追い詰められながら現役を続けたという。特に現役中盤以降は試合中に座禅を組んで瞑想しだしたり、いきなり奇声をあげたり、バットを振り回してあらゆる物を破壊したり、挙句の果てには家に猟銃を持って立てこもるといった奇行が目立つようになっていた。また引退後はコーチになるべく1日おきに自宅と東京スタジアム、実に往復42キロをランニングしていた。しかし卓越しすぎた打撃理論と性格が災いしたことから結局現場に復帰することはなく、その後も球界とは一切の接触も断り続け、名球会の会員でありながら1度も出席してないために脱会扱いとなっている。2012年に大腸癌のため75歳でこの世を去り、その4年後の今年にエキスパート表彰で野球殿堂入りを果たした。
・野田征稔 【阪神(63-75)、外野手・内野手】 1941年
※1963年にPL学園出身初のプロ野球選手として阪神に入団。5年目の67年から外野手として1軍に定着し、その翌年の68年には2軍の首位打者を獲得。その後は安藤統夫に代わって二塁手を務めるようになり、主に2番打者で打線の繋ぎ役として活躍した。その後は中村勝広にポジションを譲り75年に引退。その後は阪神のコーチや2軍監督、スカウトなどで活動し、2005年からはタイの野球代表コーチを務めた。その後2008年からはBCリーグ・福井にコーチとして入団し、2010,11年には監督も務めた。
・若菜嘉晴 【1971年ドラフト4位→西鉄・太平洋・クラウン(72-78)→阪神(79-82)→大洋(83-88)→日本ハム(89-91)、捕手】 1953年
※柳川商業高から西鉄に入団。長い2軍生活で毎年のように期待されていながら結果を残せなかったが、6年目の77年にようやく1軍定着を果たし、同年は球宴にも出場するなど正捕手として活躍した。79年に高校からの同級生である真弓明信とともに大型トレードで阪神に移籍。阪神でも正捕手として活躍するも82年オフに女優との交際が取り沙汰されたために自由契約となる。その後は一旦プロ野球から離れ、マイナーリーグで特命コーチを務めたが、1年足らずで帰国し大洋に復帰。すると大洋でも正捕手に定着し、85年には全試合に出場。89年には無償トレードで日本ハムに移籍し、主に田村藤夫に次ぐ2番手捕手として起用された。91年に西鉄在籍経験者では最後の現役選手となり同年限りで引退。強肩の捕手である傍らで、阪神時代の79年にはプロ野球記録の17捕逸を記録しているが、これはスパイ対策で江本孟紀の球をノーサインで受けたことによるものである(17回のうち14回の相手が江本)。その後は解説者を経てダイエーのコーチに就任したが、王監督と度々衝突しながらも後の名捕手となる城島健司の育成に尽力。その一方で2001年にはその王の記録に並んだタフィ・ローズに対し、敬遠の指示を出したことで物議を醸し同年限りで退団。現在は解説者や福岡のローカルタレントとして活動している。
続く
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・村田真一 【1981年ドラフト5位→巨人(82-01)、捕手】 1963年
※滝川高校では強打の捕手として名を馳せ、81年のドラフトで巨人に入団。当時は山倉和博が全盛期を迎えていたこともあり、なかなか1軍で活躍する機会を得られず、さらにその後も有田修三や中尾孝義といった実績のあるベテランが他球団から移籍したこともあってますます肩身の狭いプロ生活を送っていた。それでも鼠のように泥だらけになって練習を重ね「チュウ」という愛称がつけられたこともあり、9年目の90年にようやく正捕手の座を掴み同年はチームの連覇に貢献してベストナインを獲得。その後92年には西武から移籍した大久保博元に定位置を奪われたが、その翌年にはまた正捕手の座を奪い返し、94年には槙原寛己とのバッテリーで史上最後の完全試合を達成した。一方で死球によって負傷することも多く、94年のヤクルト戦では頭部死球を受けて退場(自身は激昂し一旦立ち上がり投手の元に向かうも数歩歩いたところで倒れた)し、その後も報復死球などで立て続けに乱闘が起きたことで危険球退場のルールが作られるきっかけとなった。また99年にも顔面に死球を受けて骨折。そのとき見舞いに訪れた元木大介や清原和博が絶句するほど顔面が変形し、骨をドリルで削った。そして2001年には大型ルーキーの阿部慎之助の入団もあり、この年限りで斎藤雅樹・槙原寛己とともに現役を引退。他球団からの移籍選手や生え抜きのライバルが多く、規定打席には1度も到達できなかった一方で安定したリードで得た投手陣からの絶大な信頼もあって第2次長嶋政権の中心選手として活躍した。その後は解説者を経て2006年から巨人のコーチに就任。現在は高橋由伸監督のもとでヘッドコーチを務めている。
・土橋勝征 【1986年ドラフト2位→ヤクルト(87-06)、内野手・外野手】 1968年
※実はこちらの「どばし」も誕生日。印旛高校では3年夏に現在でも県大会記録の1大会5本塁打を記録するなど長距離砲として活躍し86年のドラフトでヤクルトに入団。しかしプロ入り直後は打撃面で伸び悩み、主に守備固めとしての出場が続いた。さらに内野守備でイップスにかかったことから野村監督は一時外野手へのコンバートを命じた。そんな中でセカンドがなかなか固定できなかった94年に再び内野手に復帰し、バットを短く持って右に流し打つ打撃スタイルに変更したことで打撃成績が向上。守備でのイップスも解消され8年目にしてようやくレギュラーの座を掴み取った。その後95年には3番打者として活躍し殊勲打も度々放ってリーグ優勝・日本一に貢献。その活躍ぶりから野村監督からは「裏MVP」と評され、「ID野球の優等生」とも呼ばれた。その後もヤクルトの黄金時代を支え、97年・そして2001年の日本一に貢献し、ヤクルト一筋で20年間現役を続けて2006年に引退。その後はヤクルトのコーチを昨年まで務め、今年からはヤクルトのフロントで活動している。とにかく粘り強く、巧みに右打ちする「いやらしい打撃」で多くの投手に苦手意識を持たせた。とにかく粘り方がエロい。
・辻内崇伸 【2005年高校ドラフト1位→巨人(06-13)、投手】 1987年
※大阪桐蔭高校では3年夏の甲子園で国内左腕最速となる156キロ(球場表示は152キロ)をマークし、日本中の注目の的を浴び当時歴代2位の1大会65奪三振を記録し、準決勝では駒大苫小牧の田中将大から本塁打も放つなどチームの4強入りに貢献。平田良介・岡田貴弘・鶴直人とともに「浪速の四天王」として注目を浴び、ドラフトではオリックスと巨人の2球団が競合し、一時はオリックスが交渉権獲得かと思われたが中村勝広GMの勘違いだったために結局巨人に入団した(ちなみに巨人ファンだった)。しかしプロ入り後に訪れたのは苦難の連続であり、いきなり1年目のキャンプで肩を故障。同年は2軍で実戦経験を積んだが制球難が浮き彫りとなり1軍デビューは見送られた。その翌年には肘も故障し、しかも靭帯損傷の重傷だったために3年目のオフまで2年間を棒に振ってしまう。そして4年目の2009年には2軍の先発ローテに定着し、7勝をあげて飛躍が期待されたが2010年に故障が再発。その後も2軍生活が続き、背水の陣で迎えた2012年には中継ぎとして2軍で好投を続けたことで8月には7年目にして1軍初昇格を果たす。しかしこの時の巨人は終盤まで僅差でもつれる試合が続いて自身が登板する余裕は訪れず、結局1週間足らずで2軍に降格した。そして2013年にまたも肘を故障。この年の8月末に行われた帝京大学との練習試合で復帰を果たすも球速は120キロ台まで落ち込み、かつての面影は既に残っていなかった。そして同年オフに戦力外となり現役を引退。その後は就職活動を行っていたが、2014年に女子プロ野球リーグのコーチに就任している。
遅くなりましたがおめでとうございます
眠さで文章がとっちらかってますがご容赦ください…
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大谷のポスティングを球団が認めるとのことで来オフのMLB移籍はほぼ確定なのかな、大谷本人が断ることはなさそうだし
NPBは頑張って交渉して入札金20億制限を撤廃させないとだね
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大谷、27000万で更改
安い…安くない?
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えぇ…
安すぎませんかね…
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中田の28000万に気を使ったんじゃない?
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中田よりダルに合わせた感じじゃないですかね
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「判を押す? それが普通。評価するのは自分ではない。他人の年俸も、自分の年俸も興味はない。お金について、どうこういうつもりはないです。もちろん大事なことですが、自分の中では一番大切なものという感覚はないですね」
前日にこれだからね。本当金額に興味なさそう
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こんなにもらってても、月10万のお小遣い制って聞いたゾ
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大谷が金に興味ないからとかじゃなくて球団が日本最高の選手に出し渋るのがなんだかなあ
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札幌市にみかじめ料払わなきゃいけないからね、しょうがないね
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ダルよりさらに貢献度上だと思うんですけどね
まあこういうフロントだとは分かってたし大谷も納得してるんならいいんだけど
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確実に出ていくのを見越して足元見てる感じがして何か嫌ですね
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むしろもっと渋ると思った
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7000万アップと書くと凄いケチくさいっすね
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本当は5億円だけど大谷が来季オフポスティング容認権を2億3000万で買ったと考えるとしっくりくる
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久本さん面白い人だなぁ。
バッピやりながらそれなりに喋りで稼げそう。
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岡本夫妻で顔中草塗れや
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今日の契約更改情報です
【日本ハム】
・大谷翔平(23) 5年目 2億7000万円(△7000万円・35%増)
1軍(投):21登板 10勝4敗 0S 1H 140.0投球回 174奪三振 45与四球 防1.86
1軍(打):104試合 .322 (323-104) 22本 67打点 98三振 54四球 7盗塁 OPS1.004 (B9・MVP)
2軍:登板なし
・有原航平(25) 3年目 6000万円(△3000万円・100%増)
1軍:22登板 11勝9敗 0S 0H 156.0投球回 103奪三振 38与四球 防2.94
2軍:登板なし
・鍵谷陽平(27) 5年目 2800万円(△600万円・27%増)
1軍:48登板 5勝3敗 3S 3H 44.2投球回 38奪三振 21与四球 防4.23
2軍:14登板 1勝0敗 5S 15.0投球回 18奪三振 6与四球 防1.20
・大野奨太(30) 9年目 5500万円(△1000万円・22%増・2年契約2年目)
1軍:109試合 .245 (282-69) 5本 35打点 63三振 25四球 1盗塁 OPS.678 (GG賞)
2軍:出場なし
・岡大海(26) 4年目 2300万円(△500万円・28%増)
1軍:41試合 .374 (131-49) 2本 12打点 27三振 15四球 9盗塁 OPS.924
2軍:20試合 .273 (44-12) 3本 5打点 12三振 5四球 1盗塁 OPS.953
【ソフトバンク】
・大隣憲司(33) 11年目 5500万円(▼1300万円・19%減)
1軍:1登板 1勝0敗 0S 0H 6.0投球回 4奪三振 2与四球 防1.50
2軍:20登板 7勝7敗 0S 93.1投球回 50奪三振 29与四球 防4.34
・城所龍磨(32) 14年目 4000万円(△2100万円・111%増)
1軍:84試合 .264 (148-39) 6本 19打点 45三振 11四球 11盗塁 OPS.754
2軍:出場なし
・拓也(25) 7年目 900万円(△300万円・50%増)
1軍:13試合 .167 (6-1) 0本 1打点 4三振 1四球 0盗塁 OPS.619
2軍:42試合 .323 (99-32) 3本 18打点 19三振 7四球 1盗塁 OPS.906
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【西武】
・増田達至(29) 5年目 9500万円(△2500万円・35%増)
1軍:53登板 3勝5敗 28S 5H 54.1投球回 53奪三振 15与四球 防1.66
2軍:登板なし
・高橋朋己(29) 5年目 4800万円(▼1000万円・17%減)
1軍:7登板 1勝0敗 1S 3H 5.1投球回 2奪三振 3与四球 防1.69
2軍:登板なし
・高橋光成(20) 3年目 2300万円(△500万円・28%増)
1軍:22登板 4勝11敗 0S 0H 118.0投球回 89奪三振 51与四球 防4.42
2軍:6登板 2勝1敗 0S 37.0投球回 23奪三振 13与四球 防2.68
・大石達也(29) 7年目 1500万円(△400万円・36%増)
1軍:36登板 1勝0敗 0S 3H 31.2投球回 36奪三振 16与四球 防1.71
2軍:15登板 0勝1敗 0S 15.0投球回 13奪三振 10与四球 防6.60
【オリックス】
・八木亮祐(27) 9年目 1600万円(▼400万円・20%減)
1軍:2登板 0勝1敗 0S 0H 7.0投球回 8奪三振 4与四球 防7.71
2軍:23登板 3勝5敗 0S 86.0投球回 73奪三振 34与四球 防4.08
・縞田拓弥(30) 6年目 1600万円(▼200万円・11%減)
1軍:31試合 .167 (42-7) 1本 3打点 8三振 2四球 0盗塁 OPS.466
2軍:32試合 .280 (82-23) 4本 15打点 11三振 10四球 1盗塁 OPS.836
・小島脩平(30) 6年目 1550万円(△550万円・55%増)
1軍:79試合 .246 (199-49) 0本 9打点 29三振 9四球 6盗塁 OPS.596
2軍:25試合 .208 (77-16) 0本 6打点 11三振 9四球 2盗塁 OPS.495
・小田裕也(28) 3年目 1500万円(△200万円・15%増)
1軍:78試合 .137 (51-7) 0本 3打点 19三振 5四球 4盗塁 OPS.348
2軍:13試合 .225 (40-9) 0本 2打点 6三振 5四球 1盗塁 OPS.576
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【ヤクルト】
・成瀬善久(32) 14年目 1億4400万円(現状維持・3年契約3年目)
1軍:22登板 3勝2敗 0S 0H 72.1投球回 42奪三振 27与四球 防5.60
2軍:11登板 4勝1敗 0S 52.0投球回 42奪三振 9与四球 防1.73
・松岡健一(35) 13年目 4300万円(△700万円・19%増)
1軍:53登板 2勝1敗 0S 4H 55.1投球回 39奪三振 31与四球 防3.74
2軍:6登板 0勝0敗 3S 7.0投球回 4奪三振 5与四球 防1.29
・中澤雅人(32) 8年目 1800万円(▼360万円・16%減)
1軍:19登板 1勝0敗 0S 1H 20.1投球回 11奪三振 6与四球 防3.54
2軍:24登板 4勝0敗 4S 28.2投球回 22奪三振 11与四球 防0.63
・近藤一樹(34) 16年目 1200万円(現状維持)
1軍:13登板 2勝2敗 0S 0H 31.0投球回 26奪三振 12与四球 防6.39
2軍:10登板 0勝1敗 0S 23.1投球回 24奪三振 8与四球 防5.40
・藤井亮太(29) 4年目 800万円(△50万円・6%増)
1軍:12試合 .200 (20-4) 0本 0打点 8三振 0四球 0盗塁 OPS.450
2軍:84試合 .271 (255-69) 3本 17打点 54三振 22四球 8盗塁 OPS.675
【DeNA】
・加賀繁(32) 8年目 2800万円(▼100万円・3%減)
1軍:26登板 0勝0敗 0S 6H 16.2投球回 17奪三振 6与四球 防5.40
2軍:8登板 0勝0敗 1S 9.0投球回 7奪三振 0与四球 防0.00
・砂田毅樹(22) 4年目 1700万円(△400万円・30%増)
1軍:17登板 2勝2敗 0S 0H 52.1投球回 34奪三振 18与四球 防3.78
2軍:12登板 3勝8敗 0S 84.1投球回 80奪三振 23与四球 防4.59
・藤岡好明(32) 12年目 1200万円(現状維持)
1軍:10登板 1勝0敗 0S 2H 8.2投球回 4奪三振 2与四球 防3.12
2軍:14登板 0勝0敗 1S 13.0投球回 28奪三振 14与四球 防2.77
・宮崎敏郎(29) 5年目 3000万円(△1800万円・150%増)
1軍:101試合 .291 (302-88) 11本 36打点 30三振 25四球 0盗塁 OPS.815
2軍:17試合 .328 (64-21) 1本 10打点 4三振 8四球 0盗塁 OPS.903
・白崎浩之(27) 5年目 2000万円(現状維持)
1軍:92試合 .207 (203-42) 6本 12打点 32三振 6四球 0盗塁 OPS.590
2軍:15試合 .418 (55-23) 2本 10打点 4三振 7四球 2盗塁 OPS1.173
・関根大気(22) 4年目 1600万円(△550万円・52%増)
1軍:70試合 .204 (98-20) 0本 7打点 18三振 2四球 4盗塁 OPS.470
2軍:6試合 .381 (21-8) 1本 4打点 4三振 2四球 1盗塁 OPS1.054
今日は以上です
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12月6日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・長野久義(32) (巨人・外野手・2009年ドラフト1位)
※今年は選手会長として1年間、全試合に出場して戦い抜き、一時期は4番打者も務めて8月には史上284人目の通算1000安打も達成。打率は.283とまずまずの成績に終わったが、11本塁打・42打点は自己ワーストと迫力に欠けた。自己最多の2億2500万円で契約更改も終え、8年目の今年はチームを優勝に導きたい。
・原嵩(19) (ロッテ・投手・2015年ドラフト5位)
※専大松戸高では3年夏にエースとして甲子園に出場。1年目の今年はシーズン前半は体力作りに勤しみ、中盤以降は先発や中継ぎとして8試合に登板した。高校時代は投手の能力もさることながら、野手としても県大会決勝でランニング本塁打を放つなど身体能力も高い。
OBなど
・立石充男 【1975年ドラフト3位→南海(76-86)、内野手】 1957年
※初芝高校から南海に入団。内野ならどこでも守れるユーティリティプレイヤーとして活躍し、パ・リーグ史上初の背番号「0」を背負った84年には三塁手のレギュラーとして好成績を残した。86年限りで現役を引退して以降は、南海からダイエー・中日・台湾の和信・近鉄でコーチを務め、2005年からは阪神に移籍し、一時期は2軍監督代行も務めた。2012年に阪神を退団してからは再び台湾に渡って指導者として活動。今年からは楽天の2軍コーチを務めていたが、コーチ歴30年目となる来季からは1・2軍の巡回コーチとなる。現役時代の成績は特筆すべきものはないが、84年に成功した「隠し球」が珍プレー番組で取り上げられたことで名を馳せた。
・ラリー・シーツ 【大洋(92)、外野手】 1959年
※78年にオリオールズからドラフト指名を受けるが、プロでやっていく不安があったことから最初の3年間はプレーせず大学に通い、その途中でメジャーデビュー。保健体育学の学位を取得した87年には低迷するチームの中で打率.316 31本 94打点と見事な成績を残すなど異色の経歴を持つ。90年にメジャーを離れて以降はイタリアでプレーしていたが、92年に大洋に入団して来日。メジャーでの実績もあったために開幕からチームの主軸として起用され、その期待に応えるがごとく打撃で結果を残し、最終的に打率.308 26本 100打点という成績で打点王とベストナインを獲得した。しかしオフに残留交渉がもつれて結局1年限りで退団となった。その後はメジャーに復帰するも翌93年限りで現役を引退した。
・矢野燿大(矢野輝弘) 【1990年ドラフト2位→中日(91-97)→阪神(98-10)、捕手・外野手】 1968年
※中学時代は野球部がなくバスケ部に所属しており、桜宮高校を経て東北福祉大学に進んで同期の吉田太とともに中日に入団。入団当初は中村武志が正捕手として活躍していたこともあり伸び悩んでいたが、96年には野口茂樹のノーノー達成に貢献したり、打撃力の高さを買われて外野手としても出場機会を増やした。そして1軍のレギュラーとなりつつあった97年に2対2のトレードで大豊泰昭とともに阪神に移籍。吉田義男監督にリード面を評価されて移籍1年目から正捕手となり、同年5月には川尻哲郎をリードして再びノーノーを記録。また7月にはこの年にMVPを獲得する大魔神・佐々木主浩から逆転サヨナラタイムリーを放ち同年唯一の黒星をつけた。その後は打撃面でも徐々に成長を見せて99年には初の打率3割を記録。そして2003年には藤本敦士とともに恐怖の下位打線を形成し、自己最高の打率.328を記録してチームの優勝に貢献。同年は自身初のベストナイン・GG賞も獲得した。2004年にも36歳にして自身初の全試合出場を達成し、打撃フォームを改造した2005年には自己最多の19本塁打を放って再び優勝に貢献。2007年以降は故障と高年齢もあって野口寿浩との併用が多くなるがベテラン捕手として阪神を支え、2008年には星野監督に請われて北京五輪の代表にも選出された。40代となった2009年も30試合の出場ながら得点圏打率4割を記録するなど勝負強さは衰えることなかったが、故障には勝てず欲2010年限りで現役引退。引退セレモニーが行われた試合はある意味後世に語り継がれるものとなった。その後は主に解説者や評論家として活動し、2013年からは小久保監督のもとでバッテリーコーチを務めた。そして今年からは阪神のコーチとして6年ぶりにチームに復帰している。
続く
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・リック・ショート 【ロッテ(03)→楽天(06-09)、外野手・内野手】 1972年
※マイナーリーグ時代には3割以上の高打率を毎年のようにマークしていたがメジャー昇格を果たせず、2003年にロッテに入団して来日。日本でも高い打撃能力を発揮し、また守備でも内外野問わず様々なポジションを担って127試合で打率.303の好成績を記録したが、球団方針から1年でチームを退団した。その後は一旦アメリカに帰国し、2005年にはロイヤルズで32歳にしてメジャー初昇格を果たした。そして2006年に楽天に入団して3年ぶりに日本に復帰。ここでも打順・守備位置問わず様々な方法で起用された。楽天での2年目である2007年には草野大輔の台頭もあって左翼手に固定され、月間打率はすべて3割を上回る非常に安定した打撃を見せ、首位打者は稲葉篤紀に譲るもリーグ2位の打率.330を記録した。そして2008年も前年同様の好調を維持し、最終的にパリーグでは89年のブーマー以来19年ぶりの首位打者のタイトルを獲得し、ベストナインにも選ばれた。しかし2009年は肩の故障と不振もあって成績も低下し、チームはAクラスに浮上したがこの年限りで楽天を退団した。助っ人としては本塁打は少ないが、鋭いライナー性の打球を放つために二塁打が多く典型的な中距離打者であり、また左投手には滅法強かった(2008年には対左打率.380)。また登録名はロッテ時代は「ショート」、楽天時代は「リック」であり、特にロッテ時代にはその名前からオールスターでの投票では自身がほぼ守ったことのない遊撃手部門で多くの票を集めている。現在はダイヤモンドバックスのスカウトを務めている。イイダサン、ガンバルカラ。
・橋本義隆 【2004年ドラフト3位→日本ハム(05-07)→ヤクルト(08-11)→楽天(12-13)、投手】 1979年
※中央大学時代は阿部慎之助とバッテリーを組み、その後進んだホンダでは多彩な変化球を武器に2004年の都市対抗では準優勝にチームを導き、久慈賞も受賞。日本ハムでは即戦力として期待され、1年目から中継ぎで1軍で起用されて2年目の2006年には先発に転向。8月のソフトバンク戦では無四球完封を飾るなど4勝をあげた。しかしその後は不振に悩まされ2007年オフに3対3のトレードでヤクルトに移籍。ヤクルトでは主に敗戦処理やロングリリーフで起用され、2009年には13試合にしたがそこで喫した3失点はいずれもソロ本塁打によるものだった。2010年には自身4年ぶりの白星をあげたものの、以降は結果を残すことが出来ず2011年オフに自身2度目のトレードで楽天に移籍。しかし楽天でも結果を残せぬまま2013年に戦力外となった。愛称はハッシーで不思議の国から来たらしい。
・牛田成樹 【2003年ドラフト4位→横浜・DeNA(04-13)、投手】 1981年
※明治大学時代は深夜に寮を抜け出して坂道ダッシュをする日課があったほど練習熱心だったが、その坂が女子高に面していたために何度も警察に職務質問された過去があった。2003年のドラフトで横浜に入団し、主に2軍では抑えとして起用されたが、3年目の2006年には巨人戦で先発し8回を投げて2失点に抑えてプロ初勝利をマーク。その後は怪我だけではなく急性大腸炎や新型インフルエンザを患うなど故障に悩まされたが、長身から投げ下ろす速球と2種類のフォークを武器に7年目の2010年についにセットアッパーに定着。江尻慎太郎・真田裕貴・そして抑えの山口俊とともに「クワトロS」を形成し、シーズン途中に故障で離脱するも41試合に登板して23ホールド・防1.21と自己最高の成績を残した。翌2011年もセットアッパーとして活躍するも徐々に成績は低下し、2013年には1軍登板なしに終わってこの年限りで戦力外となり現役を引退した。現在は四国IL・徳島のコーチを務めている。
・佐藤賢 【2003年ドラフト6位→ヤクルト(04-11)、投手】 1981年
※上述の牛田とは明治大学の同期であり、在学中にサイドスローに転向したことで注目を浴び、ヤクルトに入団。特徴は何と言っても体型であり、入団直後の体重は103kg、体脂肪率に至っては27%をマークし「球界の高見盛」の愛称がつけられた。さらに1年目のキャンプではソバアレルギーであるにも関わらず蕎麦を食べてアラフィラキシー・ショックを起こして緊急入院し、一時は生命の危機に立っていた(後日選手契約条件に「ソバ・あるいはソバを含む食品は一切食べない」という項目が追加された)。シーズンに入ると主に左の中継ぎとして起用され、2005年には減量に取り組んだこともあって自己最多の32試合に登板した。しかしその後は不安定な投球が続き、さらに2009年には左肘の靭帯を断裂したことでほぼ1年を棒に振ってしまった。その後も1軍に定着することは出来ず、戦力外通告を受けたことで2011年限りで現役を引退した。風貌と左のサイドスローの中継ぎ投手ということから漫画「グラゼニ」の主人公・凡田夏之介のモデルともされている。
おめでとうございます
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161206-01747892-nksports-base
真田裕貴選手が現役引退
今後は巨人の打撃投手に
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元ドラ1ってのもあるけど巨人はこの辺の面倒見いいよね
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牧田複数年固辞
まあそうする以外の選択肢ないよな
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161206-00000065-dal-base
陽争奪戦から降りックスですね
となるとやはり巨人でしょうか
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12月6日の契約更改情報です
【ソフトバンク】
・岩嵜翔(28) 10年目 6200万円(△2300万円・58%増)
1軍:35登板 4勝2敗 1S 9H 87.2投球回 61奪三振 17与四球 防1.95
2軍:5登板 1勝0敗 0S 26.0投球回 9奪三振 1与四球 防2.08
・川島慶三(34) 12年目 3500万円(▼500万円・12%減)
1軍:20試合 .125 (40-5) 0本 3打点 10三振 8四球 0盗塁 OPS.411
2軍:23試合 .333 (57-19) 1本 6打点 12三振 9四球 1盗塁 OPS.854
・高田知季(27) 5年目 2000万円(▼100万円・4%減)
1軍:36試合 .175 (77-11) 0本 2打点 15三振 10四球 1盗塁 OPS.494
2軍:11試合 .286 (42-12) 0本 8打点 9三振 3四球 2盗塁 OPS.762
【西武】
・牧田和久(33) 7年目 1億円(△2500万円・33%増)
1軍:50登板 7勝1敗 0S 25H 78.2投球回 43奪三振 16与四球 防1.60
2軍:1登板 1勝0敗 0S 1.0投球回 0奪三振 0与四球 防0.00
・十亀剣(30) 6年目 5000万円(▼1000万円・16%減)
1軍:21登板 4勝6敗 0S 1H 71.2投球回 41奪三振 31与四球 防6.31
2軍:3登板 0勝1敗 0S 13.0投球回 10奪三振 6与四球 防1.38
・多和田真三郎(24) 2年目 2300万円(△800万円・53%増)
1軍:18登板 7勝5敗 0S 0H 98.2投球回 91奪三振 40与四球 防4.38
2軍:5登板 2勝0敗 0S 22.0投球回 21奪三振 7与四球 防2.05
・佐野泰雄(24) 3年目 1300万円(△100万円・8%増)
1軍:15登板 1勝1敗 0S 0H 27.1投球回 11奪三振 15与四球 防3.29
2軍:12登板 3勝3敗 0S 50.0投球回 38奪三振 20与四球 防2.88
・渡辺直人(37) 11年目 5000万円(▼200万円・3%減)
1軍:70試合 .309 (181-56) 0本 16打点 20三振 10四球 1盗塁 OPS.700
2軍:23試合 .271 (48-13) 0本 2打点 5三振 5四球 0盗塁 OPS.634
・岡田雅利(28) 4年目 1600万円(△200万円・14%増)
1軍:47試合 .227 (66-15) 0本 5打点 18三振 9四球 0盗塁 OPS.565
2軍:7試合 .389 (18-7) 0本 0打点 3三振 3四球 0盗塁 OPS.889
・永江恭平(24) 6年目 1250万円(△150万円・13%増)
1軍:74試合 .162 (74-12) 0本 3打点 24三振 5四球 1盗塁 OPS.388
2軍:34試合 .203 (79-16) 0本 5打点 25三振 3四球 4盗塁 OPS.485
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牧田安すぎィ!
来年は争奪戦ですね…
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牧田一億ってウッソだろお前www
福岡で待ってます
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というか牧田はすでに一億いってると思ってたゾ…
あの酷使でこれなのか…
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牧田は来年生きて出れるのか…
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【DeNA】
・久保康友(37) 13年目 1億円(▼2000万円・16%減)
1軍:15登板 5勝8敗 0S 0H 96.1投球回 80奪三振 28与四球 防3.55
2軍:8登板 1勝6敗 0S 49.0投球回 21奪三振 11与四球 防4.22
・三上朋也(28) 4年目 6000万円(△3000万円・100%増)
1軍:59登板 2勝4敗 2S 32H 58.2投球回 36奪三振 18与四球 防2.61
2軍:登板なし
・三嶋一輝(27) 5年目 2300万円(▼200万円・8%減)
1軍:4登板 1勝1敗 0S 0H 24.0投球回 15奪三振 8与四球 防3.75
2軍:18登板 8勝6敗 0S 109.0投球回 92奪三振 33与四球 防3.55
・倉本寿彦(26) 3年目 4300万円(△2700万円・168%増)
1軍:141試合 .294 (534-157) 1本 38打点 98三振 22四球 2盗塁 OPS.665
2軍:出場なし
・桑原将志(24) 6年目 4000万円(△2700万円・207%増)
1軍:133試合 .284 (462-131) 11本 49打点 93三振 38四球 19盗塁 OPS.769
2軍:出場なし
・高城俊人(24) 6年目 1600万円(△300万円・23%増)
1軍:47試合 .163 (92-15) 0本 9打点 31三振 8四球 0盗塁 OPS.422
2軍:1試合 .000 (2-0) 0本 0打点 2三振 0四球 0盗塁 OPS.000
【ヤクルト】
・雄平(33) 15年目 7000万円(△500万円・7%増)
1軍:108試合 .296 (412-122) 7本 55打点 51三振 21四球 7盗塁 OPS.724
2軍:2試合 .250 (8-2) 0本 2打点 0三振 1四球 0盗塁 OPS.583
・坂口智隆(33) 15年目 7000万円(△4000万円・133%増)
1軍:141試合 .295 (526-155) 0本 39打点 66三振 63四球 7盗塁 OPS.716
2軍:出場なし
・中村悠平(27) 9年目 5100万円(▼1600万円・23%減)
1軍:106試合 .187 (321-60) 3本 37打点 47三振 31四球 2盗塁 OPS.525
2軍:1試合 .250 (4-1) 0本 0打点 1三振 0四球 0盗塁 OPS.500
今日は以上です
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12月7日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・比嘉幹貴(34) (オリックス・投手・2009年ドラフト2位)
※昨年に75%減となる4500万円の減俸を味わい、背水の陣で迎えた今年だったが、シーズン2登板目となった広島戦では延長12回裏に鈴木誠也にサヨナラ本塁打を打たれ、ある意味「神ってる」の立役者となってしまった。その後8月には自身2年ぶりの白星もあげたが16試合の登板で1勝5ホールド・防4.82とかつての成績は残せなかった。今年は何とか生き残れたが正直もう後がない状況であり、来季は大きく運命を左右することとなる1年になるはずである。
OBなど
・水谷新太郎 【1971年ドラフト9位→ヤクルト(72-90)、内野手】 1953年
※三重高校では71年春の選抜に出場し、同年のドラフトでヤクルトに入団。1年目までは右打ちだったが、俊足を武器に左打ちに転向すると5年目の76年に1軍定着。卓越した守備力で遊撃手のレギュラーに定着し、78年にはリーグ優勝に貢献し、日本シリーズでも守備の要として日本一に貢献するなど当時監督を務めていた広岡達朗から絶大な信頼を得ていた。当時はまだ打撃に難があって下位打線の一員だったが徐々に打撃力も向上し、80年代に入ると1,2番に入ることも増えた。82年には自己最多の22盗塁を記録するなど初めて規定打席に到達し、84年には自己最高の打率.291をマークすると同時に当時、遊撃手としては史上最高となる守備率.991を記録した。86年からは二塁手に回るも笘篠賢治の台頭もあって90年に引退。その後はヤクルトのコーチやスカウトを務め、スカウト時代には由規らの獲得に貢献。2008年からは横浜のコーチも務めた。現在は再びヤクルトの2軍コーチを務めている。
・シェーン・マック 【巨人(95-96)、外野手】 1963年
※84年のMLBドラフト1位でパドレスに入団すると3年目の87年にはメジャーデビューを果たして外野手の定位置を掴むと、90年からはツインズに移籍し92年には自己最高の打率.315 16本 75打点 26盗塁の好成績を残し、同年の日米野球では代表入りして来日している。94年から95年にかけて起こったMLBストライキの影響もあり、95年に総額8億円の2年契約という当時としては破格の条件で巨人に入団した。現役メジャーリーガーだったこともあり1年目から走攻守の三拍子揃った外野手としてその実力を遺憾なく発揮。2年目にはクリーンナップの1人として活躍し、終盤には故障で離脱した落合博満の代役として4番打者も務めた。非常に真面目な選手でも知られ、日本の野球を見下さず、また落合の打撃に感銘を受けたとされている。打撃では左キラーとして活躍し、また俊足を生かした高い守備力でダイビングキャッチやフェンスに激突しながら好捕するなど数々のファインプレーでファンを魅了した。2年間で打率.284 42本 24盗塁と助っ人としてチームを支えたが、96年の日本シリーズでは弱点である肩力を突かれたり、また年俸4億という高給がネックとなり同年限りで退団となった。その後はメジャーに復帰し、99年に現役を引退した。
続く
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秋山は3年後にFA移籍で牧田は来年すぐにでも移籍したいってことか
あと浅村と雄星も移籍希望だから他球団にアピールできる成績を残したいですね
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・高木大成 【1995年ドラフト1位(逆指名)→西武(96-05)、内野手・外野手・捕手】 1973年
※桐蔭学園高では神奈川No.1捕手と評され、強肩強打の捕手として活躍し、91年の甲子園ではチーム方針から1番打者を務めた。松井秀喜らとともに高校選抜メンバーとしてアメリカ遠征にも参加するなど注目を浴び、数球団のドラフト1位指名が予定されていたが大学進学のためにプロ入りを拒否し慶應義塾大に進んだ。3年時には44年ぶりの天覧試合となった早大との一戦で本塁打を放ち、4年時には主将も務めて通算で歴代最多となる27二塁打を記録した。高校時代同様、複数球団からのスカウトを受けたが捕手として評価をしていた西武を逆指名して入団する。しかし当時の西武は伊東勤が絶対的正捕手として君臨しており、2年目の97年には打力を活かすべく一塁手への転向を命じられると、3番打者として打率.295・64打点・24盗塁の好成績で一塁手のGG賞を受賞し、「レオの貴公子」と呼ばれるようになった。翌98年も自己最多の17本塁打・84打点を記録し、連覇に貢献したがその後は右足首の靭帯などの故障に悩まされて年々出場機会が減少。三塁手や二塁手、さらには外野手のコンバートにも挑戦し定位置獲得を目指したが思ったような活躍はできず、2005年に現役を引退。その後は当時、西武球団の親会社だったコクドに入社し、球団職員としてファン層拡大に尽力した。その後も球団広報を経て2011年末にはプリンスホテルに異動。現在もホテル事業の傍らで球団業務をこなしている。現役時代は満塁に強く、通算56本塁打のうち5本が満塁本塁打であった。
・青松敬鎔(青松慶侑) 【2004年ドラフト7位→ロッテ(05-16)、内野手・捕手】 1986年
※上宮太子高から2004年のドラフトでロッテに入団。ダイエー時代に城島健司を指導した古賀英彦コーチから「城島を凌ぐセンスの持ち主」と評されたが、なかなか1軍出場の機会を得られず、2軍生活が続いていた。打力も活かすべく捕手だけではなく内野手でも起用されていたが、6年目の2010年には2軍の正捕手に定着して同年のイースタン優勝とファーム日本一に貢献。しかしそれ以降も1軍に呼ばれず、2013年には内野手に転向。するとこの年から2軍で打撃が開花し、同年には右の代打要員として7年ぶりの1軍昇格を果たし、この年は9試合の出場ながら打率.313の好成績を残した。そして2015年には6月のヤクルト戦で石川雅規からプロ11年目にして初本塁打を放ち、2軍では打率.298 15本塁打で首位打者・本塁打王の2冠を獲得した。今年も2軍ではチーム最多の115試合に出場し、打率.278 13本塁打を記録したが1軍出場は果たせぬまま戦力外通告を受けた。現役続行を模索しており、オフにはトライアウトを受験。捕手や一塁の守備につき、打撃では5打数2安打を記録している。
おめでとうございます
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あの時の比嘉は最強リリーフだったのになぁ
優勝してりゃ語り草だった
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あのころは打てる気しなかったわ
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07久保田もそうですけどチームが競ってると酷使と分かってても出さないわけには行かないし、選手も貢献したいでしょうし複雑ですね
優勝すれば最高例だと浅尾みたいにMVP取れたりしますがV逸したら目も当てられん
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JFKが中継ぎ起用の基準を変えたと思うと罪深い
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牧田っててっきり2億くらいもらってるものだと思ってた・・・
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貧乏球団ですからね。金のかけ所が間違ってるというか
ちなみに牧田は来オフポスティングでのメジャー移籍を希望したそうです
FAにせよポスティングにせよ移籍が目標という点は西武の選手全員に共通してますね
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やっぱ栗山巧さんって神だわ
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栗山は頻繁な配置転換も酷使もされてないしきちんといい年俸もらってるから…
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出て行きたいと皆が思ってる球団ははっきり言って異常だ
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西武は球団としてどうなりたいのかがイマイチわからんのが
優勝したいとかお客さん増やしたいとかいい選手育てたいとかの優先順位どうなってんだろう
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大正義レッドソックス
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ボストンはクリスセールとモアランド獲ったのか
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結局25歳未満の国際選手獲得のお金の上限は現状のMLB機構の認識だと大谷にも適用されちゃうのか
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どうなるかわからんけど、ポスティング制度の改定は大谷ルールにせなあかんわなあ
そのためのポスティング予告なんだから
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今日の契約更改情報です
【ソフトバンク】
・和田毅(36) 11年目 4億円(現状維持・3年契約2年目)
1軍:24登板 15勝5敗 0S 0H 163.0投球回 157奪三振 38与四球 防3.04 (最多勝・最高勝率)
2軍:登板なし
・森唯斗(25) 4年目 8700万円(△1700万円・24%増)
1軍:56登板 4勝3敗 1S 14H 60.1投球回 51奪三振 15与四球 防2.98
2軍:2登板 0勝0敗 0S 2.0投球回 2奪三振 1与四球 防0.00
・二保旭(27) 9年目 2250万円(▼750万円・25%減)
1軍:登板なし
2軍:登板なし
・飯田優也(27) 5年目 2100万円(▼400万円・16%減)
1軍:30登板 1勝0敗 0S 4H 41.0投球回 35奪三振 14与四球 防3.29
2軍:11登板 1勝0敗 5S 16.2投球回 25奪三振 7与四球 防2.16
・吉村裕基(33) 15年目 5000万円(現状維持)
1軍:78試合 .209 (177-37) 5本 28打点 46三振 14四球 1盗塁 OPS.615
2軍:出場なし
【ロッテ】
・伊志嶺翔大(29) 7年目 2000万円(▼550万円・22%減)
1軍:3試合 .000 (2-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:57試合 .245 (159-39) 2本 9打点 25三振 27四球 10盗塁 OPS.674
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【西武】
・野上亮磨(30) 9年目 5000万円(▼800万円・13%減)
1軍:22登板 3勝9敗 1S 1H 107.0投球回 62奪三振 43与四球 防3.87
2軍:4登板 1勝2敗 0S 25.0投球回 14奪三振 3与四球 防4.68
・武隈祥太(28) 10年目 5000万円(△1150万円・29%増)
1軍:64登板 5勝3敗 0S 14H 61.0投球回 53奪三振 20与四球 防3.54
2軍:1登板 1勝0敗 0S 1.0投球回 1奪三振 0与四球 防0.00
・岡本洋介(32) 8年目 1800万円(▼500万円・21%減)
1軍:4登板 0勝0敗 0S 0H 4.2投球回 1奪三振 4与四球 防19.29
2軍:24登板 2勝1敗 8S 43.0投球回 33奪三振 7与四球 防1.88
・川越誠司(24) 2年目 1200万円(現状維持)
1軍:登板なし
2軍:7登板 1勝1敗 0S 0H 6.0投球回 4奪三振 10与四球 防6.00
・豊田拓矢(30) 4年目 950万円(▼170万円・15%減)
1軍:6登板 0勝0敗 0S 0H 6.0投球回 7奪三振 3与四球 防1.50
2軍:25登板 2勝0敗 3S 24.1投球回 20奪三振 12与四球 防8.51
・誠(23) 5年目 600万円(▼100万円・14%減)
1軍:2登板 0勝2敗 0S 0H 7.2投球回 4奪三振 7与四球 防11.74
2軍:8登板 1勝0敗 0S 38.0投球回 29奪三振 9与四球 防2.13
・玉村祐典(22) 3年目 550万円(▼50万円・8%減)
1軍:登板なし
2軍:19登板 4勝6敗 0S 60.1投球回 46奪三振 36与四球 防6.41
・浅村栄斗(27) 9年目 1億5500万円(△5500万円・55%増)
1軍:143試合 .309 (557-172) 24本 82打点 108三振 38四球 8盗塁 OPS.867 (B9)
2軍:出場なし
・森友哉(22) 4年目 4500万円(△500万円・12%増)
1軍:107試合 .292 (349-102) 10本 46打点 96三振 42四球 1盗塁 OPS.803
2軍:28試合 .309 (97-30) 6本 21打点 18三振 13四球 0盗塁 OPS.974
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浅村ももう27歳か・・・
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【オリックス】
・吉田一将(28) 4年目 3500万円(△1700万円・94%増)
1軍:54登板 5勝2敗 1S 21H 50.2投球回 36奪三振 16与四球 防2.66
2軍:3登板 1勝1敗 0S 9.0投球回 8奪三振 0与四球 防1.00
・塚原頌平(25) 7年目 3000万円(△1300万円・76%増)
1軍:54登板 4勝1敗 0S 13H 54.0投球回 40奪三振 31与四球 防2.67
2軍:4登板 0勝1敗 1S 5.0投球回 7奪三振 3与四球 防7.20
・安達了一(29) 6年目 6600万円(△300万円・4%増)
1軍:118試合 .273 (403-110) 1本 34打点 53三振 42四球 6盗塁 OPS.652
2軍:4試合 .300 (10-3) 0本 0打点 1三振 3四球 0盗塁 OPS.900
・伊藤光(28) 10年目 4700万円(▼1000万円・17%減)
1軍:80試合 .241 (187-45) 3本 15打点 36三振 3四球 1盗塁 OPS.583
2軍:18試合 .231 (65-15) 0本 4打点 7三振 2四球 0盗塁 OPS.522
・駿太(24) 7年目 2500万円(▼500万円・16%減)
1軍:105試合 .192 (214-41) 1本 9打点 40三振 11四球 3盗塁 OPS.467
2軍:20試合 .254 (71-18) 0本 3打点 17三振 12四球 5盗塁 OPS.685
・宮崎祐樹(31) 7年目 1280万円(▼300万円・18%減)
1軍:23試合 .238 (42-10) 0本 0打点 8三振 3四球 0盗塁 OPS.566
2軍:40試合 .255 (102-26) 0本 3打点 10三振 14四球 1盗塁 OPS.664
・岩崎恭平(31) 9年目 1150万円(▼250万円・17%減)
1軍:9試合 .214 (14-3) 0本 0打点 5三振 1四球 0盗塁 OPS.481
2軍:40試合 .240 (129-31) 1本 8打点 23三振 10四球 2盗塁 OPS.582
【DeNA】
・田中健二朗(28) 10年目 4300万円(△2500万円・138%増)
1軍:61登板 5勝3敗 0S 23H 44.0投球回 39奪三振 18与四球 防2.45
2軍:登板なし
今日は以上です
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現役
・小杉陽太(31) (DeNA・投手・2008年ドラフト5位)
※昨年から主に中継ぎの一員として1軍に定着しており、今年もロングリリーフとしてチームを支えて20試合に登板。2球連続暴投という珍プレーもあったが、最終的にはチームのAクラス入りに貢献し、契約更改でも350万円のアップを勝ち取った。三上や須田といった他の中継ぎ陣に負けず来季はフル回転に期待したい。
・乾真大(28) (巨人・投手・2010年ドラフト3位)
※今年4月に大累進とのトレードで日本ハムから移籍し、左の中継ぎの一員として期待されるも1軍ではわずか2試合の登板に終わり、2軍でも30試合に登板するもイニングを上回る四死球数を出すなど不完全燃焼に終わった。ただキレのあるスライダーは威力抜群であり、型にハマればブルペン陣の救世主になれること間違いなし。7年目の飛躍に期待したいところ。
・宮崎敦次(24) (ロッテ・投手・2014年ドラフト6位)
※2年目の今年は2軍でチーム最多の51試合に登板するなど左の中継ぎとして奮闘。9月末には1軍デビューも果たし2試合をパーフェクトに抑えた。こちらも武器は縦横2種類のスライダーであり、3年目の来季は1軍定着を目指したい。中学までは軟式野球の一塁手の補欠だった。
OBなど
・高倉照幸 【西鉄(53-66)→巨人(67-68)→アトムズ・ヤクルト(69-70)、外野手】 1934年
※熊本商業高時代には51年春の選抜に出場し、2回戦で敗れるもこの大会唯一の本塁打を放った。複数球団の勧誘を経て53年に西鉄に入団。当初は投手としてプロ入りしたが、直後に野手に転向。「バカ肩」と呼ばれるほどの強肩と俊足を活かして2年目からは中堅手のレギュラーを獲得。そして57年からは1番打者に定着し、豊田泰光・中西太・大下弘らを擁する強力な「流線型打線」の切り込み隊長として西鉄の黄金時代を築き上げた。59年にはリーグ5位の打率.304を記録してベストナインを獲得し、63年には当時日本記録だった先頭打者本塁打6本をマークするなど自己最多の27本塁打を記録。その後中西太が監督に就任するとキャプテンに任命されてチームの内外から「キャップ」の愛称で親しまれた。しかし球団が赤字に苦しんでいたこともあり、67年にトレードで巨人に移籍。巨人ではONコンビに引けを取らない勝負強い打撃を武器に5番・左翼手に定着し、この年はシーズン半ばで右肘の関節炎で離脱するも73試合で打率.274 15本を記録しチームの独走優勝に貢献。また日本シリーズでも第6戦で2ランを放った。しかし翌68年は高田繁の台頭もあって不本意な成績に終わり、翌69年からは豊田泰光がコーチを務めていたアトムズに移籍。主に代打として70年には3割超の高打率を記録するも、この年限りで現役を引退。その後は主に解説者を務め、88年からは少年野球チームの会長・総監督を務めている。
・徳久利明 【近鉄(61-67)→西鉄(68-69)、投手】 1942年
※高知商高から61年に近鉄に入団。恵まれた体格から別所2世と呼ばれるも、シーズンに入ると開幕から6連敗(高卒新人としては日本タイ記録)と苦しむも千葉茂監督は「絶対に新人王を取らせる」と言い、積極的に起用した。最終的に58試合に登板してチーム最多の15勝をあげるも、この年は歴代ワースト記録となるシーズン103敗を喫しており、自身も24敗と大きく負け越した。それでもこの年に球団初の新人王を獲得した。ちなみにこの年は8試合でサヨナラ負けを喫しているが、そのうち5回サヨナラ本塁打を打たれ(これも日本記録)、リリーフでの12敗も当時日本ワースト記録だった。その後2年目は故障で不振に終わるも63年には、自己最多の20勝をマークするなど65年まで3年連続でチームの勝ち頭となった。しかしその後は体調不良や首脳陣との確執もあり、68年に西鉄に移籍。しかし西鉄では思ったような活躍が出来ず、翌69年に現役を引退。その後は大阪で少年野球チームを指導していた。
続く
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・土井正博 【近鉄(61-74)→太平洋・クラウン・西武(75-81)、外野手・内野手】 1943年
※大鉄高時代に近鉄のスカウトを務めていた根本陸夫の誘いを受けて、高校を2年で中退してプロ入り。そして2年目オフに新たに就任した別当薫監督に才能を見込まれて「18歳の4番打者」となった。しかしこの年は不振に悩まされ「弱小球団の単なる話題作り」と非難を浴びることとなった。しかし別当監督は彼の能力を信じ、辛抱強く4番で起用し続けた。そしてその期待に応えるべく翌年からは順調に成績を上げ、20歳となった64年には打率.296 28本 98打点をマークするなど4番打者そのものに成長。以降は長らく近鉄の主力打者として活躍し、同年から6年連続で20本塁打を記録。67年にはリーグ2位の打率.323を記録し、71年には自己最高の打率.309 40本 113打点の好成績を残したが、本塁打王にはあと1本及ばず大杉勝男にタイトルを譲った。 結局近鉄時代はタイトルを獲得することが出来ず、「無冠の帝王」とも呼ばれていた。74年オフに若返りを求めたチーム方針もあって太平洋にトレードで移籍。すると移籍1年目に34本塁打で念願の本塁打王のタイトルを獲得。その後77年には史上10人目の通算2000安打も達成。チームが西武となって若手選手が多くなって以降も野村克也らとともにベテランとして支え、81年に現役を引退。その後は西武のコーチに就任し、清原和博を熱心に指導するも89年に賭博の容疑で逮捕されて解任された。その後も解説者を経て定期的に西武のコーチを務め、ここ最近は解説者の傍らで中日の特別コーチを務めており、そして来季からは森繁和監督のもとで中日の打撃コーチに就任する。歴代12位の通算465本塁打・1400打点、そして歴代9位の2452安打という輝かしい成績を残したが、現役時代に獲得したタイトルは前述の本塁打王1回のみであり、また優勝も1回も経験できなかった。また典型的なプルヒッターであり、465本塁打のうちライト方向に放ったのはわずか3本だった。
・馬原孝浩 【2003年ドラフト自由枠→ダイエー・ソフトバンク(04-12)→オリックス(13-15)、投手】 1981年
※九州共立大学では1年先輩の新垣渚とともにWエースとして活躍し、自由獲得枠でダイエーに入団。先発の即戦力として期待されるも制球難とスタミナ不足で結果を残せなかったが、2005年の途中からリリーフに転向にしたことで一転して安定。三瀬幸司の不調により抑えに定着し、リーグ2位タイの22セーブを記録。翌2006年には石井弘寿の故障によって第1回WBCに途中合流して優勝を経験。同年はさらに安定した投球を見せ、29セーブ・防1.65の好成績を残す。そして2007年には当時球団記録となる38セーブをマークして自身初の最多セーブのタイトルを獲得。翌2008年は右肩の故障で大幅に出遅れ、王監督が勇退する最終戦では延長12回に山崎武司にサヨナラ適時打を打たれチームの最下位を決めてしまった。しかし2009年は第2回WBCに選出されセットアッパーとして活躍。自身最速の157キロをマークするなど球団新記録の通算118セーブを達成。2010年には攝津・ファルケンボーグとの「SBM」トリオを形成し、日本人最速となる267試合目で通算150セーブに到達。しかし翌2011年に肩を故障し、2012年には2軍にも登板できなかった。そしてこの年のオフに寺原隼人のFA移籍によってその人的補償としてオリックスに移籍。2013年も故障でほぼ1年を棒に振ったが、翌2014年にセットアッパーとして復活。自身最多の32ホールドを記録するなどチームの2位浮上に貢献した。しかし昨年は精彩を欠き、さらに膝の故障もあったことで大幅に成績が低迷。そして減額制限を超える大幅な減俸を提示されたことで、自ら自由契約を申し出た。自身はメジャー挑戦を視野に入れていたが、結局この年限りで現役を引退した。現在は福岡で鍼灸師を目指して医療専門学校に入学している。故障やここ一番の試合に苦しんだものの歴代7位の通算182セーブを記録するなど2000年代を代表するクローザーの1人として活躍した。
・ジョーダン・ノルベルト 【中日(16)、投手】 1986年
※アスレチックス時代は2012年に中継ぎの一員として地区優勝に貢献したが、2013年に禁止薬物使用で出場停止処分を受けていた。そして昨年オフに中日に入団。チームの先発投手が次々離脱する中でローテの一員としてチームを支え、6勝6敗と年俸3000万の助っ人としてはまずまずの成績を残した。しかしこの6勝は全てナゴヤドームで記録したもの(同球場では10登板で防2.01)で、一方のビジターでは0勝5敗・防7.00と打ち込まれた。それでも一時は来季も残留とスポーツ紙は報じていたが、12月2日エルナンデスやナニータ、ネイラーらとともに自由契約となった。
おめでとうございます
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シーズン中も大変だったらしいけど安達はよく一年間頑張ったわ
本人は大丈夫って言ってるみたいだけど心配は中々消えないわね
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ロッテが元阪神のゴメス獲得
ということはデスパイネはもうソフトバンクでほぼ決定みたいな感じなんですかね
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仮にデスパイネが残留当確だったとしても、ほかに長打の見込める他の外国人野手が要らんわけないがな
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井口さんサイド激怒不可避
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デイリーは移籍ほぼ確実って出してますね
まあ普通に考えてポジション丸かぶりの助っ人を取ってくるのは誠意の面で考えてもありえないから居なくなるんでしょうね
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言うほどゴメスとデスパイネってポジション被ってるか?
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外野手と内野手(一塁手)でかぶってないぞ
まあどちらもほぼほぼ指名打者やろって意味合いで言うてるならわからんでもないけど
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161208-00000052-spnannex-base
TYPNは相変わらず人間の鑑ですね・・・
こういう要望が耳に入るってことは裏方ともいい関係なんだろうし
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結局チャップマンヤンキース出戻りか
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チャプマンよりミラーをだな…
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T安すぎ
今年の上げ幅にかんしては妥当だろうけどこの値段で複数年にするメリット皆無やろ
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年俸変動制じゃなかったっけ
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出来高あるんだから結果残せばいいだけよ
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今日の契約更改情報です
【DeNA】
・井納翔一(31) 5年目 7200万円(△2700万円・60%増)
1軍:23登板 7勝11敗 0S 0H 151.2投球回 113奪三振 47与四球 防3.50
2軍:1登板 1勝0敗 0S 6.0投球回 5奪三振 2与四球 防1.50
・石田健大(24) 3年目 4800万円(△3000万円・166%増)
1軍:25登板 9勝4敗 0S 0H 153.0投球回 132奪三振 36与四球 防3.12
2軍:登板なし
・今永昇太(24) 2年目 4000万円(△2500万円・166%増)
1軍:22登板 8勝9敗 0S 0H 135.1投球回 136奪三振 38与四球 防2.93
2軍:3登板 0勝1敗 0S 10.0投球回 16奪三振 2与四球 防1.80
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【オリックス】
・岸田護(36) 12年目 9000万円(現状維持・3年契約3年目)
1軍:16登板 0勝0敗 0S 6H 13.2投球回 11奪三振 6与四球 防7.90
2軍:14登板 0勝0敗 1S 14.1投球回 21奪三振 2与四球 防3.77
・松葉貴大(27) 5年目 3650万円(△850万円・30%増)
1軍:28登板 7勝9敗 0S 0H 132.2投球回 82奪三振 41与四球 防3.26
2軍:5登板 1勝1敗 0S 16.0投球回 10奪三振 1与四球 防5.63
・海田智行(30) 6年目 3600万円(△1100万円・44%増)
1軍:50登板 1勝3敗 0S 15H 45.1投球回 31奪三振 12与四球 防2.78
2軍:8登板 0勝4敗 0S 17.2投球回 9奪三振 4与四球 防6.11
・比嘉幹貴(35) 8年目 1500万円(現状維持)
1軍:16登板 1勝1敗 0S 5H 9.1投球回 10奪三振 3与四球 防4.82
2軍:21登板 0勝2敗 2S 20.2投球回 14奪三振 2与四球 防3.05
・T-岡田(29) 12年目 1億円(△3600万円・3年契約1年目)
1軍:123試合 .284 (454-129) 20本 76打点 105三振 47四球 5盗塁 OPS.828
2軍:8試合 .207 (29-6) 2本 5打点 5三振 0四球 0盗塁 OPS.655
・川端崇義(32) 6年目 1760万円(▼440万円・20%減)
1軍:28試合 .194 (62-12) 0本 5打点 11三振 0四球 1盗塁 OPS.429
2軍:38試合 .261 (134-35) 1本 12打点 11三振 7四球 4盗塁 OPS.673
今日は以上です
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12月9日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・田面巧二郎(26) (阪神・投手・2012年ドラフト3位)
※昨年のBCリーグでの武者修行がきっかけとなったのか、今年は開幕直後に支配下登録を勝ち取り、5月には同じく育成から昇格した原口とともにバッテリーを組んだ。2軍では先発ローテの一員としてチーム3位の81.2イニングを投げるも2勝9敗・防4.30とパッとせず。5年目の今年は飛躍に期待したい。ちなみに名字の読みは「たなぼ」。
OBなど
・永利勇吉 【阪急(48-49)→西日本(50)→西鉄(51-55)、捕手】 1920年
※立教大学で外野手から捕手に転向し、その後進んだ別府星野組では荒巻惇らとともに都市対抗で活躍し、48年にはチームを準優勝に導き久慈賞を受賞した。そして48年に阪急に入団。阪急では正捕手の定位置は掴めず、50年に宇高勲に引き抜かれる形で西日本に移籍。西日本では正捕手として自己最多の132試合に出場し打率.304 21本 80打点 15盗塁と見事な成績を残したが、チームは1年で解散。その後は西鉄でプレーしたが、徐々に成績が低迷。結局西鉄では西日本時代の輝きを取り戻せず55年に引退した。その後は解説者や評論家を務めたが、その最中の62年に博多の踏み切りで貨物列車に飛び込み自殺して41歳の若さでこの世を去った。遺書には「能力もなく忘れられるばかりで浮かびあがるとしてもますますあせって浮かびあがれない」と書かれていたという。また現役時代にも54年に薬物による自殺未遂を起こしており、想像以上に悩みを抱え込んでいたようである。
・岩下守道 【巨人(50-58)→国鉄(59-60)→近鉄(61-62)、投手・内野手・外野手】 1931年
※小県農業高時代は投手であり、いわゆるノーコン剛球投手だった。そんな中の49年夏に友人が面白がって彼の名で巨人の入団テストに応募したところ、受験した1300名の中でトップの成績を残して合格して巨人に入団。すると早くも1年目の夏に宇野光雄2軍監督の勧めで一塁手に転向。2軍で好成績を残したこともあり55年からは主に川上哲治の守備固めとして起用されるようになる。58年にその川上が引退したことでレギュラー獲得のチャンスが訪れるも、運の悪いことに投手として入団した王貞治がここで一塁手にコンバート。そこで宇野氏が監督を務めていた国鉄に移籍した。国鉄には飯田徳治が一塁手として活躍していたために、宇野監督は左翼手にコンバートさせた。すると同年は2番打者として打率.280 25盗塁を記録するなど活躍を果たした。しかし翌年は故障もあって成績が低迷し、同年限りで国鉄を退団して近鉄に移籍。ここでは巨人時代同様、控えの一塁手などで起用されて1年目は82試合に出場したが、翌年は出番が激減しこの年限りで引退した。その後は西武百貨店での勤務を経てアパレル関連業のイワシタ服飾を創業し、その代表取締社長も務めた。
続く
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メンテナンス間に合うかなぁ…
・落合博満 【1978年ドラフト3位→ロッテ(79-86)→中日(87-93)→巨人(94-96)→日本ハム(97-98)、内野手】 1953年
※プロ野球史上に残る歴史的大打者の1人。秋田工業高ではほとんど練習せずに映画ばかり見ながら、試合のあるときだけ野球部に参加した。その後東洋大学に進むも体育会系の慣習に納得できず、半年で野球部を退部し秋田に帰郷。地元でボウリング場のアルバイトをしているうちにプロボウラーを志すようになったが、プロテスト受験の際にスピード違反で捕まり受験料を罰金として取られて挫折。その後は東芝府中で再び野球を始め、76年にはチームの中心打者として初の都市対抗出場に導いた。そして25歳となった78年にロッテでプロの世界に足を踏み入れた。当時の監督であった山内一弘の打撃指導が合わず、我流で打撃を磨き上げた。2年目の80年後半にレギュラーを掴むと、その翌年には打率.326で首位打者のタイトルを獲得。そして4年目の82年には打率.325 32本 99打点で初の三冠王となった。しかしこの時、豊田泰光に「三冠王のレベルではない」と批判されたことで奮起し、85年にはいずれも1回目を上回る打率.367 52本 146打点の驚異的な成績で2度目の三冠王を獲得。この時の146打点は現在もパ・リーグ記録であり、得点圏打率.492は日本記録である。そして翌86年もブーマーや秋山幸二との熾烈な争いを制し、打率.360 50本 116打点で2年連続・そして通算3度目の三冠王となった。しかし自身の理解者であった稲尾和久監督が解任され、さらに年俸もどんどん高騰していたこともあり1対4の大型トレードで中日に移籍。このとき日本人初の1億円プレーヤーとなった。中日でも毎年のようにタイトル争いに絡み、90年には史上初の両リーグ本塁打王となった。93年にも史上初の両リーグ200本塁打を達成する。そして同年オフには新たに導入したFA制度を利用し、巨人に移籍。巨人でも年齢の衰えを打撃技術で補うことで好成績を維持し、95年には当時史上最年長となる41歳4ヶ月で通算2000安打を達成した。96年には史上7人目の500本塁打・1500打点を達成したが、この年に左手首を骨折。さらにオフには清原和博が巨人に移籍したために自ら自由契約を申し出て日本ハムに移籍。97年には史上2人目の両リーグ1000安打を達成するも様々な環境の変化と当時44歳と衰えがさらに顕著になったために成績は下降。そして翌98年に現役を引退した。その後は解説者として活動し、2003年オフに中日の監督に就任。1年目は補強を凍結し、現有戦力を底上げして日本一になるという公約を掲げ、日本一とはならずも就任初年度からリーグ優勝を達成した。その後はタイロン・ウッズらを獲得し、2006年も日本一とはならずも2度目のリーグ優勝を達成。2007年にはペナントは2位で終わったが、同年から導入されたCSを勝ち上がり、日本ハムとのシリーズを制して球団53年ぶりの日本一にチームを導いた。その後も中日の黄金時代を築き上げ、2011年には統一球の影響で貧打に悩まされるも最大10ゲーム差をひっくり返して球団史上初の連覇を達成した。同年限りで監督を退任し、その後は解説者を経て現在は中日のGMを務めている。通算打率.311は右打者では歴代最高であり、打撃タイトルの獲得は実に27回に及んだ。監督としてもオレ流と呼ばれる独自の戦術でチームを率いた。2011年に野球殿堂入り。
・南牟礼豊蔵 【1981年ドラフト3位→阪急・オリックス(82-91)→中日(91-93)→阪神(94-95)、外野手】 1960年
※都城工業高・電電九州を経て阪急に入団。2年目の83年にはバスターからのヒッティングで打球がスタンドに入り、プロ入り初本塁打を放ったが水谷実雄に「バスターは転がすもの。フライを打ってたまたま入ったホームランを喜ぶな」と怒られている。その後は内外野問わず守れるユーティリティプレイヤーとして守備固めで重宝され、89年には自己最多の106試合に出場。しかしその後は故障に悩まされ、91年途中に中日に移籍。中日でも年々出場機会が減少し、93年オフに自由契約となった阪神に移籍。94年には石嶺和彦の代走や守備固めとして起用され、95年1月には発生した阪神・淡路大震災で同僚の弓長起浩とともに被災地に出向き、ボランティア活動をしたことで注目を浴びたが、同年は1軍出場がなくオフに戦力外。直後にダイエーに入団テストの誘いが来るもテスト中に膝を故障したことでテストを断念し、引退。その後は主に解説者としての活動を経て、2007年からは西宮市で接骨院を開業している。現役時代はムードメーカーとして知られ、控えが定位置ながら3球団で重宝された選手だった。
続く
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メンテナンス今日じゃないやん!(赤面)
・トニー・タラスコ 【阪神(00)、外野手】 1970年
※オリオールズ時代にはチャンピオンシップシリーズで守備固めとして出場した際にヤンキースのデレク・ジーターの大飛球を捕球しようとした際にフェンスから乗り出した少年に捕られ、本来なら守備妨害が成立する場面だったが本塁打のジャッジが覆らずそのままチームは敗戦した。その後2000年に阪神に入団。陽気な性格と強肩が魅力の右翼手としてキャンプやオープン戦でファンの注目を浴びていたが、シーズンに入ると打撃は低迷。後半戦の開幕戦でサヨナラ安打を放つなどシーズン終盤に復活の兆しを見せたが、19本 57打点はまずまずなものだったが打率.239と打率は不調に終わりシーズン終了後に解雇された。中堅手だった新庄剛志と仲が良く、おそろいの赤のリストバンドを付けており新庄が渡米した翌年にも再会している。その後はMLBに復帰し、引退後はナショナルズのマイナーコーチを務め、ブライス・ハーパーを指導した。
・関根裕之 【1993年ドラフト1位(逆指名)→日本ハム(94-04)、投手】 1971年
※東北福祉大から逆指名で日本ハムに入団。多彩な変化球に加えて制球も安定していたために即戦力として評価され、1年目に3勝をマークしたがその後は故障に悩まされた。球速も低下したために技巧派としてモデルチェンジを果たすと、5年目の98年に先発ローテに定着し、9勝をあげて飛躍。その後99、2000年には2年連続の2桁勝利をあげるなど当時の先発ローテを支えたがその後は再び故障に悩まされた。2003年には5勝をあげるなど復活の兆候を見せたが翌2004年は1軍登板なしに終わり、戦力外となって引退。その後は打撃投手として再雇用されていたが、2010年に小林繁の急逝に伴って2軍投手コーチに就任した。現在は日本ハムのスカウト。
・トニー・バティスタ 【ソフトバンク(05)、内野手】 1973年
※MLB時代は強打の三塁手(1999年まで遊撃手)として活躍し、ブルージェイズ時代の2001年にはリーグ3位の41本塁打を記録するなど来日前の時点で通算1074安打・214本塁打と実績のあるメジャーリーガーだった。そんな中の2005年に2年総額15億6000万という大型契約でソフトバンクに入団して来日。主に松中の前を打つ3番打者として起用され、パリーグ通算4万号の本塁打を放つなど打率.263 27本 90打点と打線の中軸として一定の成績は残したものの高額な年俸と若返りを求めたチームの意向もあってもう1年契約を残していたにも関わらず、同年限りで退団となった。その後はメジャーに復帰し、2008年まで現役でプレーしていた。フォームは極端なオープンスタンスであり、「呉」の字に例えられる独特の構えが話題となった。また、性格も温厚でヤクルト戦で石川から死球を受けた際に石川に向かって突進してきたかと思ったら何事もなく一塁に走って行くなど「チョーご機嫌!」な助っ人だった。
・エリック・スタルツ 【広島(10)、投手】 1979年
※ドジャースでは2009年に故障した黒田博樹の代役として先発として活躍し、翌年3月に広島に入団。先発ローテの一員として起用されて交流戦では3勝をあげた一方で、リーグ戦では不安定な投球が目立ち、8月の阪神戦では城島健司・桜井広大・狩野恵輔に3者連続で被弾。最終的にリーグワースト2位の23被本塁打を記録するなど6勝10敗・防5.07と期待には応えられず、この年限りで退団となった。その後はマイナー生活が続いたが2012年途中に移籍したパドレスで才能が開花。2013年には先発の主軸として11勝をマークし、打撃でも自身初本塁打となる3ランを放っている。しかし2014年には8勝17敗と低迷し、現在もドジャースで現役としてプレーするも今年はメジャー昇格を果たせなかった。
・フレッド・ルイス 【広島(13)、外野手】 1980年
※ジャイアンツ時代には2007年にメジャー初本塁打でサイクル安打を達成(史上4人目)するなど、同年限りで引退したバリー・ボンズの弟分として可愛がられていた。その後は左翼手の定位置を掴み、ブルージェイズに移籍した2010年まではレギュラーとして活躍した。2013年に広島に入団すると俊足強打の助っ人として期待され、開幕戦では3番・レフトでスタメン。しかしシーズンに入ると打撃不振に悩まされ、一時は2軍落ちも経験。6月の復帰後は安定した打撃で主に1番打者として活躍。しかし、8月にエルドレッドが故障から復帰したことで外国人枠の関係から再び2軍暮らしとなりそのまま1軍に戻ることなくシーズンを終えた。最終的には打率.268 出塁率.385 12盗塁と1番打者のものとしてはまずまずの成績だったがこの年限りで退団。現在は米独立リーグでプレーしている。
おめでとうございます
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14日ですね・・・
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上原はカブスか
新聞紙上だけの検討とか濃厚とか決定的とかじゃなくて、ちゃんと合意の段階まで来てるのね
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選手会 “救済”ドラフト要望へ MLB流若手“飼い殺し”防止制度
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161209-00000059-spnannex-base
ルール5ドラフトみたいなもんですかね
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MLBとは規模が違うからそっくりそのままってわけにはいかないと思ってたらKBOも似たようなの導入してたのか
しかし嶋は働くなあ……会長職も続投だし
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引退後に政治家になることを期待されてるだけありますね
歴代の選手会長で一番です
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嶋とかいうリーダーをするために野球やっている男
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はえ〜すっごい幸せそう
押切もえはよく捕まえましたね
http://i.imgur.com/RRYpmtt.jpg
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そんなルール誰が得するんだって思ったら
他リーグの青田狩り防止
キューバ亡命組の対策
その他ドラフト外からの入団の抑止
あと1年でも良い選手を国内で見たい自分も得するってことに気がついた
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まぁ普通25歳未満でメジャー挑戦しますって言ってそれを無謀とも思われないレベルの選手日本からそう出ないからタイミング悪かったとしか言いようがないね
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お金じゃないが本音なら行くでしょ
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12月9日の契約更改情報です
【広島】
・中崎翔太(25) 7年目 8500万円(△4300万円・102%増)
1軍:61登板 3勝4敗 34S 7H 61.1投球回 54奪三振 19与四球 防1.32
2軍:登板なし
・福井優也(29) 7年目 4100万円(△200万円・5%増)
1軍:13登板 5勝4敗 0S 0H 76.2投球回 63奪三振 30与四球 防4.34
2軍:11登板 4勝4敗 1S 68.0投球回 44奪三振 23与四球 防2.91
【ヤクルト】
・小川泰弘(27) 5年目 8800万円(▼600万円・6%減)
1軍:25登板 8勝9敗 0S 0H 158.0投球回 114奪三振 52与四球 防4.50
2軍:1登板 0勝0敗 0S 4.0投球回 0奪三振 0与四球 防0.00
・山中浩史(32) 5年目 4100万円(△2000万円・95%増)
1軍:22登板 6勝12敗 0S 0H 140.0投球回 54奪三振 20与四球 防3.90
2軍:5登板 3勝2敗 0S 27.0投球回 13奪三振 3与四球 防3.00
・武内晋一(34) 12年目 1700万円(▼200万円・10%減)
1軍:25試合 .250 (20-5) 0本 2打点 5三振 4四球 0盗塁 OPS.625
2軍:63試合 .233 (159-37) 2本 18打点 24三振 32四球 2盗塁 OPS.668
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【ソフトバンク】
・攝津正(35) 9年目 4億円(現状維持・3年契約2年目)
1軍:7登板 2勝2敗 0S 0H 37.0投球回 21奪三振 13与四球 防5.59
2軍:13登板 6勝1敗 0S 67.0投球回 44奪三振 9与四球 防2.42
・高谷裕亮(36) 11年目 3400万円(現状維持)
1軍:37試合 .247 (81-20) 2本 16打点 12三振 10四球 0盗塁 OPS.654
2軍:3試合 .400 (5-2) 0本 0打点 2三振 1四球 0盗塁 OPS.900
【ロッテ】
・根元俊一(34) 12年目 3520万円(▼880万円・20%減)
1軍:48試合 .215 (107-23) 2本 12打点 30三振 10四球 1盗塁 OPS.613
2軍:51試合 .268 (138-37) 2本 13打点 33三振 25四球 1盗塁 OPS.780
【オリックス】
・平野佳寿(33) 12年目 3億円(現状維持・3年契約3年目)
1軍:58登板 4勝4敗 31S 8H 61.0投球回 57奪三振 16与四球 防1.92
2軍:登板なし
・佐藤達也(30) 6年目 7200万円(▼1800万円・20%減)
1軍:43登板 1勝4敗 0S 12H 41.1投球回 53奪三振 36与四球 防5.01
2軍:5登板 1勝1敗 0S 5.1投球回 7奪三振 0与四球 防3.38
・東明大貴(28) 4年目 3400万円(▼800万円・19%減)
1軍:24登板 1勝10敗 0S 1H 122.0投球回 100奪三振 54与四球 防4.94
2軍:3登板 0勝1敗 0S 17.0投球回 14奪三振 4与四球 防1.06
今日は以上です
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12月10日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・武内晋一(33) (ヤクルト・内野手・2005年希望入団枠)
※年々出場機会が減少しており、今年はシーズン序盤に主に一塁の守備固めとして起用されるも6月には登録抹消。その後は2軍生活が続き、わずか25試合の出場に終わった。契約更改ではクビも覚悟したと語っており、来季は自身にとって背水の陣となる1年になる。
・西川龍馬(22) (広島・内野手・2015年ドラフト5位)
※敦賀気比高・王子製紙を経て広島に入団した今年のルーキー。1年目から主に三塁の守備固めとして起用され、ほぼ1年間1軍に帯同しチームの優勝に陰ながら貢献。大谷や藤浪、チームメイトの鈴木誠也と同じ「94年世代」であり、彼らのような世代を代表する選手となりたいところ。
OBなど
・浜崎真二 【阪急(47-50)、投手】 1901年
※広島商業学校を中退し、呉海軍工廠を経て入学した神戸商業では藤本定義(松山商)とともに全国屈指の投手の1人として名を馳せた。その後は慶應義塾大に進学すると、27年には慶早戦において2試合連続完封を収めるなど一躍慶応のエースとして活躍した。卒業後は南満州鉄道に入社し、投打の主軸として毎年のように都市対抗野球に出場。34年には全日本軍の代表に選ばれ、アメリカ選抜と対戦し沢村栄治らとともに好投した。41年にはチームの監督兼投手として神宮大会に出場し、当時41歳ながら準決勝・決勝を2試合連続で完封してチームを優勝に導いた。戦時中は満州映画に入社し、そして戦後47年に当時球団代表だった村上実の誘いを受け、史上最年長となる45歳でのプロ入りを果たすと同時に選手兼監督に就任した。そして47年には45歳にして初登板初勝利をあげると、48年には当時史上最年長となる46歳8ヶ月で先発勝利を記録した。その後はチームの主力が次々と引き抜かれる中で監督として采配を振るい、50年には48歳4ヶ月で白星をあげ、同年11月には消化試合の余興として毎日の監督を務めていた湯浅禎夫(48歳1ヶ月)と先発で投げ合い敗戦投手となるも48歳10ヶ月での出場は長らく日本プロ野球記録として残り続けた。選手としてはこの年限りで引退し、その後は監督に専念するも6年間で優勝には届かず53年に阪急を退団。翌54年からは高橋の監督に就任するもチームがトンボとなった55年には開幕11連敗を喫するなど負けが込み、ノイローゼとなって頭も禿げてしまったという。同年限りで監督を退任し、その後は毎日や巨人のコーチや解説者として活動。63年には国鉄の監督も務めた。指導者を辞めてからは評論家として辛口の批評をすることで知られ、「球界のご意見番」とも呼ばれた。投手の最年長記録の多くは山本昌に抜かれたが、打撃記録のほとんどやパ・リーグ記録は今でも彼が保持している。また正確な数値はわかっていないが身長は150cm台だったことからプロ野球史上最も背の低い選手とされることもある。また阪急の監督時代には息子を入団させたことで史上初の親子選手としても話題を呼んだ。78年に野球殿堂入り。
続く
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・村山実 【大阪・阪神(59-72)、投手】 1936年
※住友工業高時代に立教大学のセレクションを受けるも、身長が低いという理由で落選したために関西大学に進み、上田利治とバッテリーを組み、関西六大学リーグで4度の優勝を経験。その後は阪神電鉄に入社し、出向という形でタイガースに入団。プロ初登板となった国鉄戦では平日のデーゲームだったこともあり観客はたった34人しかいなかったが、国鉄のエースであった金田正一と投げ合い、2安打完封で白星をあげた。1年目から18勝10敗・防1.19で最優秀防御率、そして沢村賞のタイトルを獲得するも新人王は31本塁打を放った桑田武に譲った。またこの年の天覧試合では救援として登板するも長嶋茂雄にサヨナラ本塁打を打たれ、以降長嶋をライバルとして激しく意識するようになる。4年目の62年には小山正明と両エースとしてチームの優勝に貢献し、自身も25勝・防1.20(2度目の最優秀防御率)を記録してMVPを獲得した。またこの年行われた日米野球ではタイガースを相手に8回2死までノーノーに抑える快投を見せ、日本人初の完封勝利を記録。その後64年にもバッキーとともに活躍し、22勝をあげて再び優勝に貢献した。65年・66年には2年連続で最多勝・沢村賞を獲得するなど阪神のエースとして活躍するも、67年以降は右腕の血行障害に悩まされるようになる。69年からはコーチ、70年からは監督を兼任し、またこの年には通算200勝を達成するなど2リーグ制では唯一の0点台となる防御率0.98を記録。しかしこの時には既に満身創痍の状態であり、72年に現役を引退。同時に阪神の背番号「11」は球団の永久欠番となった。その後は解説者を経て88年からは再び阪神の監督に就任。大野・和田・中野の「少年隊」を売り出すなど積極的に話題を作るもチームは下位に沈み、翌89年に退任した。その後93年に野球殿堂入りを果たすも98年に直腸ガンのために61歳でこの世を去った。全身を使って闘志むき出しで投げる投球は「ザトペック投法」と呼ばれ、オーバースロー・スリークォーター・サイドスローを投げ分けて繰り出すフォークを武器に長年多くの打者を苦しませた。フォームだけでなくプレーでも闘志を剥き出しにし、63年の巨人戦ではボールの判定に激昂し「ワシらは一球に命をかけとるんや!」と涙を流しながら抗議し、まだ登板して1人目の打者でありながら退場を宣告された。通算222勝(大卒選手では歴代2位)・2271奪三振という輝かしい記録に加え、通算防御率2.09はセリーグ記録として今も残っている。また通算WHIP0.95も日本記録である。
・矢野和哉 【1985年ドラフト4位→ヤクルト(86-92)、投手】 1962年
※報徳学園から神戸製鋼に入社すると、81年・84年には都市対抗に出場。85年のドラフトでヤクルトに入団したが、それ以前の83年に左肘の手術を受けており利き腕にメスを入れた投手がプロ入りした初のケースとなった。身体を大きく回転する特徴的なフォームでチームでは貴重な左腕として活躍。多彩な変化球を駆使する技巧派投手として1年目から先発陣に食い込み、2年目の87年には自己最多の6勝をマーク。広島に滅法強かったことからカープキラーと呼ばれ、89年までは先発ローテの一員として活躍するも、90年以降は故障に悩まされて92年限りで戦力外。その後は1年だけ台湾でプレーし、93年に現役を引退。その後はヤクルトのスカウトとして主に四国や関東で活動し、岩村明憲や宮出隆自らの獲得に貢献した。現在は特定非営利活動法人の「FIELD OF DREAMS」の理事長に就任している。
・マット・クラーク 【中日(13)→オリックス(16)、内野手】 1986年
※来日前はマイナーリーグで4年連続で20本塁打を記録しており、2013年1月にかつて中日に在籍し、自身が所属したパドレスの打撃コーチ補佐を務めていたパウエルの推薦で中日に入団。同年入団したルナとともに主にクリーンナップや2番打者として起用され、チーム最多の25本塁打を放ったが、打率.238・130三振はともにリーグワーストに終わり、結局1年で退団となった。その後は再びMLBでプレーし、2014年にはブルワーズで初のメジャー昇格を勝ち取り、初打席では藤川球児と対戦した。今年はメキシカンリーグでプレーしていたが、5月にオリックスに入団し3年ぶりに来日。中日時代のように本塁打量産を期待されたが不振に陥り、結局11試合で打率.172 2本と期待はずれの成績に終わりオフに自由契約となった。
おめでとうございます
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SB3年16億提示は流石に草
グッバイデスパイネ
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札束で頬ぺちぺちどころか
札束ぎっちり入ったジュラルミンケースで頭ぶん殴ったレベルですね…
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成績見ると疑問符が付く金額だけど16億円でうっとうしいチームがAクラスから消えてくれると考えたらソフトバンクにしたら安いわなあ
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マ?
ソースどこよ
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https://pelotacubanablog.com/2016/12/09/nueva-oferta-en-la-mesa-para-despaigne-por-la-parte-de-softbank/
ゴメスはマリーンズらしい
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うおお…ホークスさんは相変わらずえげつない金の使い方しますね…
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ロッテと日ハムは戦力ダウンしましたね
来年は楽天とソフトバンクの一騎打ちかな
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これでもうキューバ選手取る理由は読売とSB以外は無くなるかな。日本で通用するとわかったらこの2球団に取られるのが今回ので確定したからね
デスパは巨人的にはたまたま要らなかっただけで必要な選手だったらホークスと争奪戦してただろうし
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>>964
野手が貧弱過ぎて楽天は無理
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本当に必要だと思ったらSBとか巨人より金を積めばいいだけの簡単な話なんだよなぁ
その価値がないと思うから払わないだけで
それなのに文句言うのはおかしいと思う
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>>965
堤GM「よし、亡命のダシに使われたけど許されたな!」
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巨人は至宝と亡命でキューバ産はこりごりなんじゃないですかね…
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今までなら巨人やホークスのお金の出し方はふざけんなこの野郎と思っていたんですが
チートクラスの選手が20代半ばから30代前半あたりでメジャー行くようになってから
なんとか国内で少しでも長く生で見るために金満はがんばれ!って考えが変わりましたね・・・
とはいえオリックスみたいに金の使い方がド下手なところはもっとなんとかしてほしいところ
ついでにヤクルトは怪我人は諦めたから怪我人が出てもいいように選手の数を増やしてください 少なくてもシーズン中に枠があいてるとか無いように・・・
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>>967
総年俸のバランスとかMLBみたいに超過金払うシステムもない、親会社の運営力次第なNPBでそれ言う方がおかしいってのもわからないんですかね。金積めばいいだけってゲームじゃないんだから
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ガルシアはおろか数年面倒見たメンドーサにすら亡命される始末じゃお互いにNG出すほうがしあわせやろな
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>>967
外国人長距離砲に大金使って残留させたらチームのエースに払う金がなくなって同一リーグのチームにFAされたチームが今年ありましてね・・・
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それでも楽天は来年何かやってくれると信じてます
12月11日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・中村勝(25) (日本ハム・投手・2009年ドラフト1位)
※2014年には8勝をあげるなど飛躍が期待されているが、今年はほぼ1年通して2軍生活が続き、1軍では5年ぶりに未勝利。オフの契約更改では年俸半減の1200万円でサインした。来季は自慢の直球に磨きをかけてプロ人生をHOP-UPさせたいところ。
・白村明弘(25) (日本ハム・投手・2013年ドラフト6位)
※昨年は新人王候補の1人にも選ばれ、今年もセットアッパーの一員として期待されたが、1軍と2軍を行き来し22試合の登板にとどまるなど不完全燃焼に終わった。「白村が投げる抑えるやっぱりな」と言われるべく、来季こそはフル回転に期待したい。
・青柳晃洋(23) (阪神・投手・2015年ドラフト5位)
※1年目ながら6月から先発ローテの一員に定着し、4勝5敗・防3.29とまずまずの成績を残し、68イニングを投げて被本塁打はバレンティンの1本に抑える一方でリーグ2位タイの8与死球と制球面は課題となった。頭髪がやや心配ではあるが、藤浪らとともに阪神のローテを支えたい。
・藤田航生(19) (西武・投手・2015年ドラフト9位)
※あの星野伸之を髣髴とさせる縦に大きく割れるカーブを武器とする今年のルーキー。しかし1年目は5月に左肘軟骨損傷の影響で2軍でもわずか1試合の登板にとどまった。同じく東北出身の左腕である菊池雄星のような投手を目指し、2年目の来季はまず結果を残したい。
続く
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OBなど
・松田清 【巨人(49-55)→国鉄(56-61)、投手・外野手】 1930年
※中野高校在学中に巨人にテスト生として入団。当時は肩を故障していたため一塁手に転向していたが、50年夏に2軍の遠征中に岩下守道が連投で疲労困憊したために自ら2軍監督にリリーフを申し出て当番。そこで好投したことで巨人はその遠征で7戦全勝した。大きく割れるカーブと藤本英雄から伝授されたスライダーを武器に同年秋には1軍昇格も果たし、3年目の51年には実力が開花。あれよあれよと白星を積み重ね、この年には現在でもセ・リーグ記録となるシーズン19連勝を記録し、23勝3敗・防2.01で最優秀防御率・最高勝率・新人王のタイトルを獲得。また翌52年には当時の日本プロ野球記録である20連勝を達成し、この年も13勝をマークした。しかし以降は直球をより鍛えようとしたところカーブの質が悪くなり、成績が大幅に低迷し55年まで3年間未勝利に終わった。そして56年からは国鉄に移籍し、同年オフに外野手に転向。準レギュラーとして57年から60年まで毎年100試合以上に出場するなど、貴重な戦力として重宝された。61年に現役を引退して以降は解説者を経て73年からは南海のコーチやスコアラーを務めた。南海を退団して以降は大阪府・八尾市で野球塾を開設し数名のプロ野球選手を輩出している。
・近田豊年 【1987年ドラフト外→南海・ダイエー(88-90)→阪神(91)、投手】 1965年
※プロ野球史上唯一のスイッチピッチャー。中学時代はもともと左投げだったが、左用のグラブがなかったために右でも練習していたところ右でも投げられるようになり、入団テストでその両投げを披露したことで話題を呼び、88年に南海に入団。左腕ではオーバースロー、右腕ではアンダースローとフォームも違い、左右どちらの手でも使える6本指グラブが彼のために特注されたという。89年には野球留学で渡米するなど期待されていたが、1軍では3年間でわずか1試合の登板にとどまり、5対4のトレードで移籍した阪神でも1軍には登板できず、結局両投げはマウンドで披露することはなく、91年限りで現役を引退した。その後はゴルフのレッスンプロとして活躍しており、関西電力の硬式野球部のコーチも務めていた。趣味は漫画を描くことであり、現役時代は同人誌に連載を持っていたこともある。
・町田公二郎 【1991年ドラフト1位→広島(92-04)→阪神(05-06)、外野手・内野手】 1969年
※明徳義塾高で投手から野手に転向し、その後進んだ専修大学では当時リーグ歴代2位タイとなる15本塁打を記録。91年のドラフトで若田部健一を外した広島に指名を受け、当時の球団史上最高額となる8000万円の契約金で入団。1年目から故障に悩まされながら積極的に起用され、6本塁打を記録。その後は緒方孝市や浅井樹らとレギュラーの座を争ったが、守備に難があったことから徐々に代打としての出場機会が増えていく。しかしその代打で才能が開花。96年には当時リーグ新記録となる代打9打席連続出塁を達成し、リーグ歴代2位の代打率.455を記録。その後は外野手だけじゃなく内野手としても起用されるようになり、2000年には102試合に出場し、キャリアハイの打率.281 13本 34打点をマーク。代打としても2001年には日本タイ記録の通算4本目の代打満塁本塁打、2002年には偵察メンバーの代打としてリーグ通算3人目の初回先頭打者代打本塁打、そしてリーグ新記録となる通算17本目の代打本塁打を放つなど左の浅井樹とともに代打の切り札として広島を支えた。2004年のオフに金銭トレードで阪神に移籍し、2006年には大島康徳に並ぶ歴代2位タイとなる通算20本目の代打本塁打を放つも、この年限りで現役を引退。その後は阪神や広島のコーチを務め、現在は三菱重工広島の監督となり、昨年にはチームを4年ぶりに都市対抗に導きベスト4進出に貢献している。
おめでとうございます
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館山が規格外なのは右腕の手術量なんだよなあ…
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>>973
メヒア5億、中村4億で岸には高々2億5000万だから金の使い方間違ってるよね
西武が楽天より高い金額を提示してたとしても岸は楽天に来たと思うけど
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岸引き留めがどうやっても無理そうだから諦め気味で2.5億提示だったんじゃない?
山田久氏が早い段階で「岸は楽天で決まり」だったそうだし
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ホークスは最初メヒア狙いだったから西武としては条件釣り上げざるを得なかったんですよね
まあ岸流出は既定路線だったんでしょう
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メヒア自身がタンパリングあったと言ってたしねえ
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12月12日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・宮崎敏郎(28) (DeNA・内野手・2012年ドラフト6位)
※4年目の今年は一塁・二塁・三塁と3ポジションをこなしながら5番打者に定着し、打率.291 11本 36打点と自己最高の打撃成績をマークした。4番の筒香に次ぐ強打者として来季はさらなる飛躍が求められる。
OBなど
・堀井数男 【南海・近畿日本軍・グレートリング(43-44,46-59)、外野手】 1923年
※日新商業学校から43年に南海に入団。戦後46年には5番打者として打率.293を記録し、4番の山本一人らとともにチームの初優勝に貢献。その後もチーム名が変わる中で南海一筋で活躍。特に強肩の左翼手として知られ、47年から55年にかけてはシーズン2桁補殺を9年連続で記録していた。59年限りで引退後は南海のコーチを経て68年からはスカウトに転身。柚木進とともに藤田学や高柳秀樹らの獲得に貢献している。
・黒江透修 【巨人(64-74)、内野手】 1938年
※鹿児島高校を卒業して以降は立正佼成会でプレーし、64年の都市対抗では熊谷組の補強選手として8打席連続安打の新記録を達成しチームの準優勝進出の立役者となる。その後は巨人に入団し、165cmの小柄な体格でありながら少し太っていたために「豆タンク」の愛称で親しまれるようになる。2年目には2軍の首位打者を獲得し、3年目の翌66年からは1軍でも頭角を現し、67年には遊撃手の定位置を獲得し、堅実な守備と俊足を武器に巨人のV9達成を支えた。河埜和正が台頭した74年限りで現役を引退し、以降は指導者に転身。巨人・中日・西武・ロッテ・ダイエー・横浜と6球団を転々としながら、ロッテと横浜を除く4球団で優勝に貢献するなど名参謀として活躍した。特に85年には広岡達朗が痛風で欠場したために監督代行として采配を振るい、その試合で西武はリーグ優勝を達成している。指導者を辞めて以降は全国野球振興会の理事長も務めた。
・アロンゾ・パウエル 【中日(92-97)→阪神(98)、外野手】 1964年
※1992年にマイナーリーグから中日に入団して来日。当初は日本の投手の変化球に苦しんだが徐々に対応し、シーズン途中の入団ながら打率.308 13本の好成績をマーク。左投手の内角高めの速球を軽く右方向に流して返す堅実な打撃を武器に、翌93年には打率.317 27本とチームのクリーンナップで躍動した。そして94年からは外国人選手としては史上唯一の3年連続の首位打者となるなど90年代のプロ野球を代表する助っ人として活躍。しかしその直後の97年に膝を故障したことから打撃が低迷し、同年限りで退団。その後阪神に移籍するも往年の力を出すことは出来ず、さらに新人・坪井智哉の台頭もあったことからシーズン途中で解雇となった。その後はマイナーリーグなどでプレーし、2001年に引退。現在は指導者として道を歩んでおり、今年からはアストロズの打撃コーチ補佐を務めている。彼の応援歌である「狙いうち(山本リンダ)」は後の中日のチャンステーマとしても2014年まで使われていた。また真面目な選手としても知られ、97年には星野監督の鉄拳制裁に対し、「自分がそんなに強いと思うなら、私を殴ったらどうだ。救急車で病院行きになるのはあなたのほうだぞ。これ以上、他の選手を殴るのはやめてくれ!」と訴えたという(その一方で星野監督の人格は評価していた)。
続く
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・杉山賢人 【1992年ドラフト1位→西武(93-99)→阪神(99-00)→近鉄(00-01)→横浜(01)、投手】 1968年
※沼津学園高・専修大を経て進んだ東芝では、91年に入社1年目から先発として都市対抗の優勝に貢献し若獅子賞を受賞。翌92年にはバルセロナ五輪の代表に選ばれ、銅メダル獲得に貢献した。同年のドラフトで球団史上最高額となる1億円の契約金で西武に入団すると、1年目から工藤公康に続く左の先発として起用。シーズン後半からはリリーフに回り、鹿取義隆・潮崎哲也とともに「サンフレッチェ」を形成するなどリーグ最多の54試合に登板し7勝5セーブを記録してほぼ満票で同年の新人王となった。その後も左の中継ぎとして西部の黄金時代を支え、晩年はワンポイントリリーフとしても起用された。99年以降は毎年のように移籍を繰り返し、阪神・近鉄・横浜の3球団でプレーして2001年に引退。その後は横浜の打撃投手を経て2006年からは野村監督のもとで楽天のコーチを務めた。2013年からは解説者の傍らで女子プロ野球の監督も務め、そして今年までは楽天の2軍投手コーチとして活動していた。
・デリック・ホワイト 【阪神(02)、外野手】 1969年
※メジャー各球団や韓国・メキシコを経て2002年に春季キャンプのテストを経て阪神に入団。ダウンスイングからの低い弾道のライナー性の打球が特徴で、シーズン開幕当初は4番打者として起用されるも徐々に成績が低迷。ダイビングキャッチも果敢に行うなどハッスルプレーも見せたが、シーズン後半は手首の故障で2軍に降格して、結局この1年限りで退団となった。その後はメキシコなどでプレーし、2006年に現役引退。そして2010年に楽天の駐米スカウトに就任すると、アメリカ球界での幅広い人脈を駆使し、ジョーンズやマギー、ユーキリスといった大物メジャーリーガーの獲得を相次いで実現させた。現在は楽天のチーム統括本部スカウトとディベロップメント部副部長を兼任している。
・村松有人 【1990年ドラフト6位→ダイエー(91-03)→オリックス(04-08)→ソフトバンク(09-10)、外野手】 1972年
※星陵高校では松井秀喜の2年先輩であり、90年のドラフトでダイエーに入団。入団当時から俊足で知られ、プロ入り当初は代走や守備固めとして起用されていた。そんな中の95年に打撃が開眼し、1番打者に定着。規定打席未満ながら打率.308 32盗塁をマークした。翌96年には完全にレギュラーに定着し、58盗塁で盗塁王を獲得。その後は打撃不振に悩まされ、柴原洋や秋山幸二に定位置を奪われ、半レギュラーの座が長らく続いた。すると秋山が引退した2003年からは再び1番・センターに返り咲き、ダイハード打線の核弾頭としてリーグ8位の打率.324、歴代5位タイの13三塁打、32盗塁をマークし、サイクル安打も達成するなどリーグ優勝・日本一に貢献した。そのオフに足に負担の少ない天然芝のグラウンドでプレーしたいという理由もあってオリックスにFA移籍。翌2004年にはアテネ五輪の代表にも選ばれ、盗塁数は減らしたものの安打製造機として活躍し、合併後のオリックスの黎明期を支えた。2008年オフに大村直之とのトレードで古巣であるソフトバンクに復帰するも、出番はほぼなく2010年限りで引退。その後はソフトバンクのスカウトを経て、今年からはチームの1軍外野守備走塁コーチに就任する。ちなみに98年にプロ入り1566打席目で初本塁打を放っているがこれは史上最も遅い記録である。
・中元勇作 【2014年ドラフト5位→ヤクルト(15-16)、投手】 1988年
※プロ入り前は広島市民球場に足繁く通うなど生粋の広島ファンであり、竹原高校・近畿大学・伯和びくとリーズを経てヤクルトに26歳で入団。小さいテイクバックからスリークォーターで投げる変則的な左投手であり、1年目は主に2軍で左の中継ぎとして起用されて42試合に登板。その一方でチーム内に怪我人が相次いだこともあり、2軍で代走としても起用された。迎えた2年目の今年だったが、左肘の故障により2軍でも1試合に登板できず、オフに戦力外となって現役を引退している。
おめでとうございます
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ホワイトって楽天でワクワクしてたのか…
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今宮1億4500万で草
すごいですねこれ
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今宮の年俸は置いておくにしても安達の年俸もっと上げてクリス・カーペンター
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最下位だからね仕方ないね
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とはいえオリックスは生え抜きにこそじゃんじゃん払うべきではあると思う
西武と違ってお金はあるのにどんどんでていくし・・・
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そろそろ次スレですかね
立ててくるんで少々おまちを
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はい
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/20196/1481549992/
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>>989
乙ぅ〜
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遅くなりましたが契約更改情報です
【ヤクルト】
・秋吉亮(28) 4年目 1億1000万円(△5200万円・61%増)
1軍:70登板 3勝4敗 19S 10H 70.0投球回 68奪三振 15与四球 防2.19
2軍:登板なし
・飯原誉士(34) 11年目 2700万円(現状維持)
1軍:63試合 .224 (67-15) 3本 9打点 19三振 8四球 0盗塁 OPS.719
2軍:25試合 .294 (68-20) 1本 14打点 11三振 12四球 0盗塁 OPS.824
・荒木基裕(30) 8年目 2000万円(現状維持)
1軍:61試合 .243 (111-27) 1本 9打点 20三振 9四球 2盗塁 OPS.645
2軍:25試合 .236 (89-21) 0本 7打点 12三振 8四球 3盗塁 OPS.596
・鵜久森淳志(30) 13年目 1300万円(△600万円・85%増)
1軍:46試合 .257 (136-35) 4本 19打点 22三振 9四球 0盗塁 OPS.693
2軍:54試合 .255 (145-37) 2本 23打点 20三振 11四球 2盗塁 OPS.641
・井野卓(34) 12年目 780万円(△10万円・1%増)
1軍:2試合 .000 (1-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
2軍:27試合 .245 (49-12) 0本 2打点 10三振 6四球 0盗塁 OPS.587
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【ソフトバンク】
・今宮健太(26) 8年目 1億4500万円(△5500万円・61%増)
1軍:137試合 .245 (497-122) 10本 56打点 86三振 47四球 8盗塁 OPS.682 (GG賞)
2軍:出場なし
【オリックス】
・金子千尋(34) 13年目 5億円(現状維持・4年契約3年目)
1軍:24登板 7勝9敗 0S 0H 162.0投球回 125奪三振 59与四球 防3.83
2軍:1登板 0勝0敗 0S 5.0投球回 2奪三振 1与四球 防0.00
・西勇輝(27) 9年目 1億3000万円(△1000万円・8%増)
1軍:26登板 10勝12敗 0S 0H 165.1投球回 108奪三振 48与四球 防4.14
2軍:登板なし
・中島宏之(35) 15年目 3億5000万円(現状維持・4年契約3年目)
1軍:96試合 .290 (314-91) 8本 47打点 54三振 26四球 1盗塁 OPS.785
2軍:19試合 .354 (65-23) 1本 7打点 6三振 7四球 0盗塁 OPS.826
・西野真弘(27) 3年目 3600万円(△1800万円・100%増)
1軍:143試合 .264 (538-142) 2本 33打点 55三振 56四球 16盗塁 OPS.666
2軍:出場なし
今日は以上です
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12月13日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・嶋基宏(32) (楽天・捕手・2006年大社ドラフト3位)
※楽天だけでなく日本を代表する司令塔として活躍し続けているが、今年も手首の骨折で大きく離脱するなどで4年ぶりに100試合未満に終わった。今年の新人である足立の台頭や、細川の加入、さらに選手会長の重責と壁は多いが、東北を再び盛り上げるべく巻き返しに期待したい。
・山崎憲晴(30) (DeNA・内野手・2008年ドラフト3位)
※一時期は遊撃手のレギュラーを守っていたが、今年は春季キャンプで左膝の靭帯を断裂。シーズンの大半を棒に振り、プロ8年目で初めて1軍出場なしに終わった。その遊撃の定位置も倉本が台頭し、厳しい状況となったが内野の全ポジションに加え、捕手もこなせるスーパーユーティリティとしての活躍が期待される。
・伊藤和雄(27) (阪神・投手・2011年ドラフト4位)
※キレのある速球とフォークを武器とすることから藤川球児2世とも期待される若手投手。今年は2年ぶりに1軍登板を果たし、イニング数を上回る奪三振も記録したがわずか5試合の登板に終わり、2軍でも防御率8点台と不完全燃焼に終わった。かつては育成落ちも経験しており、結果が求められる6年目の来季は勝負の年になる。
・田代将太郎(27) (西武・外野手・2011年ドラフト5位)
※俊足を武器とする外野手であり、今年は開幕1軍入りを果たして主に代走として起用されるも1か月で登録を抹消され、残りは2軍生活が続いた。2軍でも73試合で13盗塁と俊足を発揮したが、一方で打率.221と打撃に課題を残した。栗山や秋山に次ぐ外野手となれるように、来季以降の飛躍に期待したい。
OBなど
・黒木知宏 【1994年ドラフト2位→ロッテ(95-07)、投手】 1973年
※延岡学園高・新王子製紙春日井を経て94年のドラフトでロッテに入団。1年目から先発・リリーフとしてフル回転で起用され、6月の日本ハム戦では毎回奪三振の完封でプロ初勝利をあげた。2年目の96年には先発ローテに固定され、3年目の97年にはリーグ最多の13完投を記録するなど12勝をあげて小宮山悟とともにWエースとして活躍した。そんな中の翌年、当時16連敗と苦しんでいた7月7日のオリックス戦で先発し、2点リードで迎えた9回2死2ストライクの場面でプリアムに同点の2ランを喫し、マウンドに座り込み悔し涙を流した。その後試合は広永益隆の代打サヨナラ満塁弾でオリックスが勝利し、チームはワースト記録を更新する17連敗となり、「七夕の悲劇」と呼ばれた。しかし後日、小宮山に諭されたことから奮起し、この年は13勝9敗で最多勝と最高勝率のタイトルを獲得した。その後もロッテの低迷期を支え、2001年まで5年連続2桁勝利を記録し、同年にはファン投票でオールスターに出場するも、後半戦に右肩を故障。診断の結果、肩の靭帯の数本を完全に損傷するという重傷であることが判明し、以降は長いリハビリ生活を送ることとなる。その3年後の2004年にようやく1軍復帰を果たし、かつての投球には程遠いものではあったが、ファンからの支えもあり2005年にはチームのプレーオフ進出を決める大きな1勝をあげた。しかし活躍は長く続かず、2007年に戦力外を受け、他球団からのオファーもなかったことから現役を引退。その後は解説者を経て、現在は日本ハムのコーチとして栗山監督を支えている。闘志を前面に押し出す投球で「魂のエース」と称され、「ジョニー」の愛称でも親しまれた。
おめでとうございます
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鵜久森も井野も機能するとはなぁ 来てくれてありがたいありがたい
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今更ですが名前が間違っていたため訂正です
・荒木貴裕(30) 8年目 2000万円(現状維持)
1軍:61試合 .243 (111-27) 1本 9打点 20三振 9四球 2盗塁 OPS.645
2軍:25試合 .236 (89-21) 0本 7打点 12三振 8四球 3盗塁 OPS.596
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うめ
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うめ うめ
http://i.imgur.com/U5P6Oyn.jpg
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うめ
来年はいっぱい球場行けたらいいなぁ
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にぃに……
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,' ,' ⌒ヽ '⌒ヽ, .レ)
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