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野球総合スレ☆12
ストーブリーグ真っ最中
早くも球春が待ち遠しくなってきました(せっかち)
前スレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/20196/1446440924/
いちおつ
阪神タイガースの藤浪選手年俸倍増おめでとうございます。
すごいですねこれ。
年俸15年位前と比べてインフレし過ぎててどこまでが適正年俸なのかもうわからないね
1年目から3年連続最多勝の松坂が1億4000万だったけど、今だとどのくらいいくもんなんだろうか?大谷と同じくらい?
3年目松坂の成績が今だとありえない数字だからどう評価して良いかわかりませんね…
3年トータルの働きを考えると大谷と同等以上で良いとは思うのですが
自分で15年前とか言っておいてあれだけど松坂辺りの時から15年前で考えるとオッチが日本人初の1億円プレーヤーなったくらいだからそりゃ変わるわって話でしたね…
オッチが1億円になったときの物価と
現在の物価を比較してみると、
やっぱり年俸のほうがインフレしているようにも感じます。
ノムさんが諸手当含めて最初の1億円プレーヤーだって
どっかで読んだことがあります。
ファン「クリスマスプレゼントをもらえるなら何が欲しいですか?」
つば九郎「ぱすぽーと」
今日の契約更改です
中日:平田良介(#6) 外野手 10年目 27歳 右投右打 2005年高校1位→中日
4700万円→7000万円(△2300万円)
1軍:130試合 .283 (491-139) 13本 53打点 86三振 64四球 11盗塁 OPS.799 (セ・B9)
2軍:2試合 .222 (9-2) 2本 3打点 3三振 1四球 0盗塁 OPS1.199
以上です
平田は7000万か
来年FAだけどどうなるかな
平田はBランクだったら争奪戦になりそう
お金のことだけで言えば、来年FA権を持った上でしつこく銭闘orさっさと宣言が合理的(ゲス顔)
まあそんなドライになれるかは別やけどね、勿論
右翼手需要がよりによって低い年になっちゃうかもしれんし
落合は鈴木本部長より渋い気がする
年俸上げたいならFAかなあ
来年結果でなきゃ落合GM首の可能性もあるけど
このままじゃコストカットと大ベテランのクビ切っただけで終わりやね>落合GM
それはそれで必要な仕事とはいえ
もう平田は球団が引き止める気がないんだと思います
ちょっとやそっとじゃ代わりがいないレベルの選手なので、
もっと頑張って引き止めた方が良いと思うのですが、
今更どうやってもムリなレベルで関係がこじれてるなら、球団の渋さも納得です
台湾でやってるウィンターリーグでの日本の負け方がプレミア12で見たあれそっくりだゾ…
平田レベルならどこも欲しいんじゃない
総合力じゃライトで上なのはいないんじゃ
明日ようやくNPBの公式サイトリニューアルするのか…
さすがにデータが充実したりはしないか…
どうせ右スカだゾ
MLBのサイト作ってる会社にやってもらえばいいのに
>>20
官僚「だめです」
せいいっぱい充実させて星井
NPBにしか出来ないこと少なくないんだから
NPBの公式サイトがリニューアルされるのは嬉しいですね
普段成績をまとめる時に使う時もあるのでどうなるか期待です
今日の契約更改です
ソフトバンク:森福允彦(#19) 投手 9年目 29歳 左投左打 2006年大社4位→ソフトバンク
1億6000万円→1億2000万円(▼4000万円)
1軍:32登板 0勝2敗 0S 14H 17.0投球回 16奪三振 3与四球 防5.82
2軍:9登板 0勝0敗 2S 8.2投球回 7奪三振 0与四球 防0.00
ソフトバンク:武田翔太(#30) 投手 4年目 22歳 右投右打 2011年1位→ソフトバンク
2600万円→7000万円(△4400万円、保留)
1軍:25登板 13勝6敗 0S 0H 164.2投球回 163奪三振 59与四球 防3.17
2軍:2登板 0勝0敗 0S 10.0投球回 10奪三振 5与四球 防0.90
武田ってそんな低かったんか!?
西武:佐野泰雄(#34) 投手 1年目 22歳 左投左打 2014年2位→西武
1200万円→1200万円(現状維持)
1軍:2登板 0勝0敗 0S 0H 5.0投球回 4奪三振 5与四球 防5.40
2軍:27登板 0勝2敗 0S 53.0投球回 29奪三振 32与四球 防4.08
西武:星孝典(#25) 捕手 11年目 33歳 右投右打 2004年6位→巨人→西武
1200万円→1000万円(▼200万円)
1軍:出場なし
2軍:29試合 .250 (44-11) 1本 6打点 7三振 3四球 0盗塁 OPS.654
今回は以上です
>>24
毎年勝ち星上げているとはいえ、規定のったの今年が初の高卒4年目投手よ
去年はシリーズでの印象こそ強いとはいえシーズンは7試合の43イニングだし
1年目は衝撃的だったけど制球難や怪我で苦しんでたね
http://npb.jp/
見た目は良い感じに変わってるけど、データ・記録はまだそのまんまやな
右スカが左右ガバに変わっただけじゃねーか!
相変わらず痒い所に手が届いていない無能ぶり
文字が揃ってなかったり所々変ですね
まあちょいちょい直してくれたらいいや
日ハム宮西、自宅付近で滑って転んで小指折って全治5週間
いくら北海道雪降るといっても…
>>32
つい手を使ってしまったんでしょうね
シーズン中じゃなくてよかったと思うしか…
調べたら右手なのか
よかった
>>28
ちゃんとスマホ表示があるだけでビックリ
まだ東スポしかソースないのがあれだけどスタンリッジは順当にロッテ入り決まったみたいですね
年齢的にガタッと落ちるリスクを除けば、すこぶるいい補強だと思う(小並感)
グライシンガー(37) 12-8 2.24 ←よっしゃ2年契約や!
グライシンガー(38) *5-4 4.54
グライシンガー(39) 一軍登板なし
どっかで見たなと思ったらグラシンか
ソフバンは見切りがうまいからそこは不安ではある
マリンならテラスないから一発打たれる心配はないだろうけど
内野守備が変わるのがどう影響するかね
マリンの内野守備の指標はどのポジションもかなり悪かったけどレギュラー二人抜けるから逆にマシになる可能性もあるな
今日の契約更改です
巨人:岡本和真(#38) 内野手 1年目 19歳 右投右打 2014年1位→巨人
1200万円→1400万円(△200万円)
1軍:17試合 .214 (28-6) 1本 4打点 4三振 2四球 2盗塁 OPS.611
2軍:69試合 .258 (240-62) 1本 16打点 50三振 14四球 1盗塁 OPS.661
巨人:今村信貴(#45) 投手 4年目 21歳 左投左打 2011年2位→巨人
1000万円→950万円(▼50万円)
1軍:登板なし
2軍:18登板 8勝4敗 0S 89.1投球回 62奪三振 18与四球 防3.12
巨人:和田恋(#61) 内野手 2年目 20歳 右投右打 2013年2位→巨人
750万円→780万円(△30万円)
1軍:出場なし
2軍:113試合 .214 (378-81) 8本 45打点 106三振 25四球 1盗塁 OPS.602
巨人:平良拳太郎(#92) 投手 2年目 20歳 右投右打 2013年5位→巨人
560万円→600万円(△40万円)
1軍:登板なし
2軍:16登板 4勝3敗 0S 63.1投球回 34奪三振 15与四球 防5.12
中村奨吾がメイン格(三塁or二塁)になってどの程度になるかは分からんが
守備指標的には良くないらしい"遊撃手・鈴木大地"が動かなきゃどうしようもないんじゃね
ソフトバンク:内川聖一(#1) 外野手 15年目 33歳 右投右打 2000年1位→横浜→ソフトバンク
3億円→3億3000万円(△3000万円)
1軍:136試合 .284 (529-150) 11本 82打点 55三振 45四球 1盗塁 OPS.735
2軍:出場なし
ソフトバンク:本多雄一(#46) 内野手 10年目 31歳 右投左打 2005年大社5位→ソフトバンク
1億8000万円→1億8000万円(現状維持)
1軍:61試合 .228 (158-36) 0本 4打点 36三振 9四球 5盗塁 OPS.552
2軍:12試合 .243 (37-9) 0本 5打点 2三振 8四球 2盗塁 OPS.648
ソフトバンク:中村晃(#7) 外野手 8年目 26歳 左投左打 2007年高校3位→ソフトバンク
7700万円→1億2000万円(△4300万円)
1軍:135試合 .300 (506-152) 1本 39打点 47三振 66四球 7盗塁 OPS.736
2軍:出場なし
ソフトバンク:寺原隼人(#20) 投手 14年目 32歳 右投右打 2001年1位→ダイエー・ソフトバンク→横浜→オリックス→ソフトバンク
4500万円→6500万円(△2000万円)
1軍:21登板 8勝3敗 0S 2H 83.2投球回 58奪三振 19与四球 防3.44
2軍:6登板 3勝0敗 2S 23.2投球回 19奪三振 4与四球 防1.14
ソフトバンク:上林誠知(#51) 外野手 2年目 20歳 右投左打 2013年4位→ソフトバンク
500万円→800万円(△300万円)
1軍:15試合 .318 (44-14) 2本 6打点 13三振 0四球 0盗塁 OPS.924
2軍:88試合 .334 (308-103) 10本 46打点 57三振 15四球 16盗塁 OPS.898 (ウ・首位打者、最多安打、盗塁王)
書き忘れていましたが来年の本多は3年契約3年目です
またヤクルト・ミレッジの退団が決定しました
ヤクルト:ラスティングス・ミレッジ(#85) 外野手 4年目 30歳 右投右打 アメリカ→ヤクルト
年俸:2億2800万円
2012 125試合 .300 (476-143) 21本 65打点 79三振 57四球 9盗塁 OPS.865
2013 96試合 .251 (374-94) 16本 49打点 54三振 42四球 7盗塁 OPS.764
2014 10試合 .231 (39-9) 1本 6打点 6三振 6四球 0盗塁 OPS.678
2015 24試合 .211 (76-16) 1本 9打点 16三振 5四球 0盗塁 OPS.562
通算 255試合 .272 (965-262) 39本 129打点 155三振 110四球 16盗塁 OPS.795
ミレッジは…残当としか
まあ寂しい気持ちはあるけど
松田残留が飛ばしじゃないとして、ちゃんとしたメジャー契約提示されて本人も金額は関係ないと言ってたのにこれだとちょっと残念だな…
鷹に5年20億なんて提示されたらそりゃ揺らぐのかもしれないけど結局は安定なのねっていう
まあ元々メジャー志向じゃなかったし
妻子もいるしそら国内でより高収入を取るわな
子供がいると教育の問題も出てくるし難しいよね
凄く小さければ向こうで英語覚えさせる手もあるけど中々ね
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151223-00000001-wordleafs-base
ヤフートップに来ましたね
残留だそうです
海外FAなんだから双方のオファー天秤にかけて良いほう選ぶのは当たり前だし、そうあるべきだとも思う
無責任なファンが無責任に行け行け言うんじゃなくて
あとまあぶっちゃけマイナー契約じゃないからといって、どっちにしろろくな契約ではなかったんやろ…(小声)
まぁソフトバンクが4年20億出すって言ってパドレスは1億ちょいのメジャー契約だしな
32歳で家族がいてその年俸で異国の地はさすがにリスク高すぎる
誠意は言葉ではなく金額(至言)
ちな猫としては脅威だけど引き継ぎ日本球界を盛り上げてほしい
まーた来季以降も松田の守備と一発に泣かされるのか・・・(松田SB残留おめでとナス)
松田残留となると来年もソフトバンクが盤石か
デホはどうなるんだろね
あっちも評価が厳しいけど
デホはメジャーか韓国なんじゃないですかね
メジャー行くなんて行ってない→メジャー宣言
ホークス戻る気はない→???
>>58
こういう発言が一貫してないケースって
残留しても応援する気がなくなる…なくならない?
ソフトバンクの編成面で迷惑かけたくないってのがあるらしいね
じっさい交渉長期化も辞さずって感じみたいやし
ソフトバンクなら多少迷惑かけても大丈夫でしょ
韓国サムスンがナバーロとの交渉を打ち切ったみたいですね
ロッテが獲得するか、はたまたSBがデホの代わりにかっさらうか
注目の大砲だけに何処が獲るか気になるなぁ
ホークスは蟹座いるんだしロッテに来て欲しいなぁ…
結局スタンリッジは東スポ以外ソース来ないけど本当に契約できたんですかね
>>59
デホに関しては本当は自分のタイミングで発表したかったのに先出しされちゃったから訂正しただけだからなぁ
マスコミはそういうものと言えばそれまでなんだけどそら誰だって自分の進路ぐらい自分で公表したいよね
スタンリッジ一年は確実に大丈夫だと思うけど、二年目は怖いなぁ
スタンもナバーロも来るとなったら今江の穴は十分埋まると思う
涌井さんが納得する補強はウソじゃなった
クルーズの穴は埋まらないのか…
カニザレスは保険程度で
最初からスタメン構想の選手じゃないんじゃない
>>67
そっちの穴は他の若手内野陣も奮起しないとちょっと余ると思う…
パドレスの地元紙によると、パドレスは松田にオファーしてないそうです
>>70
え?どういうこと?
非公式に打診しただけで
正式なオファーは出してないらしい
日本人内野手には世知辛い情勢ですね・・・
評価を覆すもなにもそもそも評価されてないんじゃどうしようも・・・悲しいなぁ
カワサキもあんだけ騒がれても結局マイナー契約ですからね
これが実際の評価なんだとおもいます
そもそも日本人以外もメジャーの内野手はかなり流動的というか、野手が全体的に寒い時代になってますね・・・
>>73
とは言え、本人にその気があればMLBに行くことはできそうですし、
最初の年はともかく一年通してレギュラー級の仕事ができれば、
2年目にはNPBではありえない金額のオファーがありますからね
韓国の選手のMLBでの活躍を見てると日本の選手だって挑戦すれば、
時には水が合って成功する選手もいるだろうにと残念に思うことがありますね
自分はイチローや野茂のメジャー行きさえ残念に思った人間なので、選択肢があって日本を選んでくれるのはむしろ嬉しいです
今日の契約更改です
DeNA:国吉佑樹(#65) 投手 6年目 24歳 右投右打 2009年育成1位→横浜・DeNA
2700万円→2400万円(▼300万円)
1軍:28登板 3勝2敗 1S 0H 33.1投球回 28奪三振 16与四球 防2.43
2軍:13登板 0勝1敗 1S 13.0投球回 14奪三振 2与四球 防2.08
以上です
>>78
この数字でダウンなのか
28登板でホールド0ってすごいな
>>79
数字の見栄えがいいだけやねん
去年より防御率以外の成績は落としてる
>>79
2014年は49登板しているので…
去年より出番減った上にチーム順位も下がってますし・・・
30試合に満たないってことは結構抜けてた期間があるってことでもあるわけだしね
見栄えはいいからなんでだろうと思ったけどそういうことだったんですね、ありがとナス!
国吉くんはねえ…いつまでやらかしとんねんって感じだから…
頼むよほんと
これ公式なんですか・・・?
https://twitter.com/tbs_senryoku/status/679635250490687488
静岡取材の様子もあるし公式なんじゃない?
タグ詰めすぎワロタ
後追いして調べたらヌルデータの管理人にも「タグきもい(直球)」とか言われててもう顔中草まみれや
正直、このタグはない
>>89
やっぱヌルデータって神だわ
松田は背番号3に変更か
まあ松中の唯一の弟子みたいなもんやったしつけるとしたら松田しかいないわけだけど
松中って結局ノリさんコースなんですかね
三冠王なのに悲しいなあ
コメント見る限り今年でやり切った感は全くないだろうから難しいですよね。2軍では打ってたのがなあ
割と頑固だから人に言われるままに引退してもずっと引きずる気がするし
今年はどこも若返り図ってるからベテラン獲るってのはね
たぶんガッツとか井端みたいな言動で安ければ若手の見本として有効なんでしょうけど
その二人よりさらに打撃と守備が計算できなくてなおかつ不満言いそうですから余計撮り難いですよね
大矢元監督の分身こと細山田
野球が好きなのが伝わってきました
http://toyokeizai.net/articles/-/97731
しょうがないとはいえ日シリのビールかけにいないことが少し悲しかったけど、もう進退の都合がついたんすねえ…ひとまず安心した
ライターの高森元選手は去年ぐらいにニコ生の戦力外通告の番宣用放送に出てたけど今年もやるのかな
カープも無事新外国人クローザー候補獲得か
なんか難航してると漏れ聞いてたけど
広島もだけど巨人阪神も結構外国人獲ってるから助っ人外国人マニア歓喜してそう
キムヒョンスの契約いい感じでまとまったのはカンジョンホの活躍がやっぱ大きかったのかな?
情勢が違うといえばそれまでだがキムヒョンスが2年700万ドルで青木が2年250万ドルでプレーチェックまでさせられたってのが実績考えると腑に落ちない感じもする
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151224-00000020-jij_afp-base
この記事なんか打率4割超えて首位打者取ったとか嘘書いてるし(首位打者は取ってるけど4割は打ってない)本当にちゃんとしたデータオリオールズが取ってたのか疑問
情勢はあるだろうけど
選手としての特徴が全然違う、守備位置すら違う以上、くらべてもしょうがない
あと韓国人選手が活況といっても、ポスティングでの移籍を目指した選手で破談してるのがおる
これもまたFAと一概にくらべられることじゃないけど
打撃成績的にはホームランの数それなりだし福留さんがわりと近い比較対象なんじゃないの
あと、青木は自分を売るタイミングが悪かったのがね
統一球の影響もあると推測はされるものの3割が途切れ(.292)、ホームランも4本と急激に成績を落とした年のオフだから獲る側も懐疑的になる
その一年前(.358 14)に売ってればまた違ったんじゃない?
松田の奴デマだったんかこれ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151224-00000016-tospoweb-base
王さんの威圧感(意味深)ですねこれは…
という冗談はともかく王さん直々に残ってくれって言われたら
松田はメジャーって言えないでしょうね
散々引き止められても男の尻おっかけてったホモがいた気が……
鷹のイケメンプリンスムネリンと
2015年ムネノリ・カワサキ賞受賞者ムネ・カワサキは別人で
色々規格外だからしゃーない
背番号3も年俸6億も違って草
松田もセカンドショート含めたユーティリティ期待されてるってそら困るわな
あと2年は高いパフォーマンス出せそうなのにメジャーでそんな扱いならトーンダウンせざるを得ないか
おっ、テレ東で野球特番やっちょる
遅れましたが今日の契約更改です
阪神:安藤優也(#16) 投手 14年目 38歳 右投右打 2001年自由枠→阪神
8500万円→8200万円(▼300万円)
1軍:50登板 5勝4敗 0S 15H 44.2投球回 32奪三振 11与四球 防3.02
2軍:1登板 1勝0敗 0S 1.0投球回 0奪三振 1与四球 防0.00
ソフトバンク:松田宣浩(#5) 内野手 10年目 32歳 右投右打 2005年大社希望枠→ソフトバンク
2億2000万円→4億円(△1億8000万円、4年契約)
1軍:143試合 .287 (533-153) 35本 94打点 135三振 60四球 8盗塁 OPS.890 (パ・GG賞)
2軍:出場なし
ロッテ:清田育宏(#1) 外野手 6年目 29歳 右投右打 2009年4位→ロッテ
2700万円→6000万円(△3300万円)
1軍:130試合 .317 (489-155) 15本 67打点 93三振 54四球 10盗塁 OPS.890 (パ・B9、GG賞)
2軍:出場なし
今回は以上です
松田は四年四億か
出来高含めたらどんくらいいくだろうか
出来高込みのが24億とかなんとかいうやつじゃね
ソフトバンクはわりとそういう報道多いし
分かりにくいですが、総額16億円+出来高の4年契約で単年年俸が4億円ということです
色々ごめんなさい
>>115
いえこちらこそ勘違いしてすみません
いつもまとめてくださってありがとうございます
>>116
いつも見てくださりありがとうございます
今後は勘違いさせない書き方を目指したいと思います
そういえば、オスンファンはアレ退団なのか
>>118
疑惑のがどうなるかわからんし阪神は代わりの抑え早く探したかったから早々に交渉打ち切って、オの代理人はMLBとの交渉上手くいってるみたいなこと言ってたけどまだまとまってない現状ですかね
略式起訴の罰金で終われば野球できないってことはないんで契約できればメジャーですね
流石に草生える
http://i.imgur.com/sa9LhGD.gif
>>120
ど畜生で大草原
>>120
グッバイチック
>>120
確かに極小的をバットで射ぬいてますね…
>>120
草不可避
>>120
サンキューアッキ
キムショー拾われそうなのね
テストってのはモヤッとするけど、何の音沙汰もないよりはマシか
>>126
合否出るのが2月10日前後ってちょっと遅いなと思いました
広島→西武ルート何気に多いっすね・・・
>>127
仮にもFA宣言した選手が「合否」って入団テストか何か?(すっとぼけ
柳田2.7億か
3億いくと思ったから意外
すごい絵面
https://i.imgur.com/KkKz9La.jpg
今日の契約更改などです
ソフトバンク:柳田悠岐(#9) 外野手 5年目 27歳 右投左打 2010年2位→ソフトバンク
9000万円→2億7000万円(△1億8000万円)
1軍:138試合 .363 (502-182) 34本 99打点 101三振 88四球 32盗塁 OPS1.100 (パ・MVP、首位打者、最高出塁率、B9、GG賞)
2軍:出場なし
巨人:アーロン・ポレダ(#49) 投手 1年目 29歳 左投左打 アメリカ→巨人
6500万円→1億6000万円(△9500万円)
1軍:24登板 8勝8敗 0S 0H 147.0投球回 101奪三振 46与四球 防2.94
2軍:登板なし
ロッテ:ジェイソン・スタンリッジ(#55) 投手 8年目 37歳 右投右打 アメリカ→ソフトバンク→阪神→ソフトバンク→ロッテ
2億円→1億4000万円(▼6000万円)
1軍:23登板 10勝7敗 0S 0H 144.1投球回 81奪三振 44与四球 防3.74
2軍:3登板 3勝0敗 0S 18.0投球回 9奪三振 8与四球 防2.00
今回は以上です
かなり早い段階で出た1億切ってるとかいう記事見て、それはないやろ…と思ってたけど
やっぱこんなもんか そらそうよな>スタンリッジ
ポレダ上がったなー
柳田は規定到達2回?でこれはすごい
羽田圭介って誰ですか。
芥川賞作家(画像のまま)
>>135
今年の芥川賞を受賞した「スクラップ・アンド・ビルド」の作者
ああ、コラかと思ったらそのままなんですね。
スレ違い失礼しました。
カッサは謝罪文をTwitterに投稿するも割とすぐ消した模様
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151226-00000099-sph-base
苦情リプ?が多すぎてブロックが追いつかなくなって削除した模様
前も出てたけど
http://imgur.com/EX32kgB.jpg
やっぱ三つ子の魂なんとやらですね
>>141
マジかよO型最低だな
>>139
殺意沸くわこんなん
>>141
弟のお金を毟るカッサとカッサパパを許すな(棒読み)
何千という選手に迷惑かけて何百万というファンに迷惑をかけたことを一切理解してなさそう
>>145
由伸と井端という皆さんに愛された選手を引退に追い込んでくれやがったのは本当に罪深い
この謝罪文はもしかして・・・ww
パ・リーグTVの各球団の珍プレー好プレーが出揃いましたね
https://twitter.com/PacificleagueTV/status/673022508879056898
こういうのほんと有能
動画だけでええからNPBTV作ってくれへんかなあ
スポナビはわりとセリーグサイドも巨人や阪神から提供もらって頑張ってるのに
元ソフトバンク、巨人のホールトンがオリックスのスカウトになるんですね
韓国に行ってから音沙汰なかったんで何か嬉しいというか
チャップマンはヤンキース行くのか
マスパンのドレス姿綺麗だなぁと思いました(ノ感
球辞苑楽しい
球辞苑やってたのか!
見逃してたぁあ!!
サンキュー>>153
たまっちのPLOB濃いなぁ…
清原立浪片岡橋本にカズオって画面が黒い
片岡がPL監督やるなら橋本立浪をコーチで呼ぶと言った時に立浪がそん時は清原さんにも顔だしてもらおうなって一言添えたのがさすが立浪と思わせる羽目だった
皆様明けましておめでとうございます
今年からおまけ程度に毎日誕生日である野球選手をまとめてみたいと思います
というわけで1月1日が誕生日の選手はこちらです
現役
土田瑞起(巨人、投手、#67) 1990年・26歳
OBなど
渡辺博之(大阪・近鉄、外野手) 1921年 ※50年代の虎の5番、唯一の一桁ホーマーでの打点王
河野旭輝(阪急・中日・西鉄、内野手・外野手) 1935年 ※史上唯一の両リーグ盗塁王、シーズン85盗塁
永易将之(東映・西鉄、投手) 1942年 ※黒い霧事件、永久追放選手
飯島秀雄(ロッテ、外野手) 1944年 ※代走専門選手として入団した陸上五輪選手
森浩二(阪急・ヤクルト、投手) 1962年 ※史上唯一の1球敗戦2度達成者、「逆転のPL」での敗戦投手
朝井秀樹(近鉄・楽天・巨人、投手) 1984年 ※野村時代の楽天先発ローテ。物真似が得意。
おめでとうございます
>>157
キリなくないかそれ…
あけおめしゃす
データ兄貴お疲れナス!
これは面白い企画が始まりましたね。
是非とも続けてください。
あけましておめでとうございます
今年も面白いシーズンだといいな
>>157
浅井の余談に草
マエケン、ドジャースへ
決まってよかった
マエケン移籍決定ですか
日本球界からドジャースというと石井一久を思い出しますね
野茂と黒田もね…
野茂黒田斎藤隆木田石井一久ノリかな
アレ様呼ばわりの斎藤隆の活躍は普通にびっくりした
ちょうど怪我が治ってマウンドが合ったみたいだけど
1月2日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
なし
OBなど
吉原正喜 (巨人、捕手) 1919年 ※巨人軍黎明期の正捕手。スタルヒンや沢村らをリード。
ビル・マドロック(ロッテ、外野手) 1951年 ※MLBで首位打者4回も不振で球場に「立入禁止」と落書きされた。応援歌はサザエさん。
井原慎一朗(ヤクルト、投手) 1952年 ※剛速球で抑えとしてリーグ初優勝に貢献。先発もこなした便利屋。
正田耕三(広島、内野手) 1962年 ※史上初の両打ちでの首位打者。プロ野球タイ記録の1試合6盗塁達成者。現在はハンファのコーチ。
ミチェル・アブレイユ(日本ハム、内野手) 1979年 ※2013年パリーグ本塁打王。来日1年目での本塁打王はパ3人目だった。
森内壽春(日本ハム、投手) 1985年 ※2012年リーグ制覇時の中継ぎの一角。今年戦力外、引退。来年から西武の打撃投手へ。
おめでとうございます
マドロック立ち入り禁止懐かしいw
ビルマドロックって警備会社みたいな名前ですね
マドロックはストッパー毒島にもラズロックって名前でハルオ呼ばわりされて出てましたね
1月3日誕生日の野球選手はこちらです
現役
なし
OBなど
三沢今朝治(東映・日本ハム、外野手) 1941年 ※シーズン代打安打数パ記録保持者。引退後はスカウトなどで活躍し、新庄や稲葉の獲得にも貢献。
エイドリアン・ギャレット(広島、外野手) 1943年 ※広島初のシーズン40HR達成者。球宴でも1試合3本塁打を放ち、史上最速での5本塁打(開幕4戦目)の記録も持っている。
長谷川一夫(ロッテ、西武、外野手) 1945年 ※同姓同名の俳優が球団経営の映画会社にいるからという理由で入団。それでもライトの定位置を獲得した実力者。
末永吉幸(東映・日本ハム、中日、ロッテ、内野手) 1948年 ※3球団を渡り歩いた内野のユーティリティ。しかし出場機会に恵まれず。
前田浩継(オリックス、ヤクルト、ロッテ、投手) 1976年 ※2001年ヤクルト日本一の貢献者。引退後は北京五輪、第2回WBCで打撃投手を務め現在はDeNAの打撃投手。
マイケル・レストビッチ(ソフトバンク、内野手) 1979年 ※2008年にSBに入団。「バースになれる」と王監督が太鼓判を押すも.223、3ホームランで終わる。
おめでとうございます
1月4日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
細川亨 (ソフトバンク・捕手・#27) 1980年・36歳 ※西武、ソフトバンクをリーグ優勝に導いた守備の要。バントも上手く通算276犠打は史上11位。
OBなど
バート・シャーリー (中日、内野手) 1940年 ※初代ダイヤモンドグラブ賞を受賞した堅守の遊撃手。退団後も中日の守備コーチに就任した。
チャーリー・マニエル (ヤクルト・近鉄、外野手) 1944年 ※ヤクルト・近鉄で通算189本塁打を放ちリーグ初優勝に導いた「赤鬼」。死球の影響で顎を守るフェイスマスクを着用した時期も。
山中巽(中日、投手) 1950年 ※2年目に15勝、最高勝率のタイトルを獲得し権藤からエースの座を奪い取った剛球投手。連投した際に豊田泰光に2日続けて代打サヨナラ弾を打たれた珍記録もある。
横山忠夫(巨人・ロッテ、投手) 1950年 ※1971年ドラ1。長嶋茂雄の現役最終試合で最後に投げた投手。一時期は堀内に次ぐ2番手だったが、不本意な成績が続き引退、現在は立教大学近くでうどん屋を営んでいる。
宮下昌己(中日・西武、投手) 1965年 ※最速154キロの剛球で星野仙一を震えさせる気迫を見せた中継ぎ。巨人・クロマティとの乱闘で右ストレートパンチを喰らった投手。
山部太(ヤクルト・投手) 1971年 ※1995年リーグ優勝時にチーム最多の16勝。引退後は2軍コーチとして若手投手を育成。1994年には2軍で西武・竹下とともにNPB史上唯一の両チーム無安打試合を記録。
クリストファー・ギッセル(西武・投手) 1978年 ※グラマンと共に2006年に来日し53年ぶりの助っ人投手開幕5連勝。しかし翌年はNPB助っ人ワーストタイとなる9連敗を喫した。助っ人にしては童顔。
おめでとうございます
http://ssks.jp/url/?id=294
赤鬼マニエル懐かしいですね。
アメフトみたいなヘルメットでした。
細川そんなにバントしてたんすね
http://nagoya.aroma-tsushin.com/news/detail.php?id=977
1月5日が誕生日のプロ野球選手はこちらです
今回は多めです
現役
・青木宣親(ヤクルト、現マリナーズ・外野手・34歳) 1982年
※昨シーズンは中盤まで3割をキープも、頭部死球の影響で選手生命をも彷徨った。新天地マリナーズで目指すは日米通算2000安打(残り153本)。
・中谷将大(阪神・外野手・23歳) 1993年
※開花が期待される長距離砲。昨シーズンは3年ぶりの1軍出場も果たし2軍でも94試合 .290 9本 40打点で優秀選手賞を受賞。
OBなど
・赤根谷飛雄太郎(急映・東急、投手) 1916年
※新人としては異例となる32歳でのプロ入りも大成はせず。プロ野球史上もっとも漢字名の長い選手でもある。
・植村義信(毎日、投手) 1935年
※1957年の開幕戦で史上最少投球数となる71球での完投勝利を記録。引退後は35年間に渡って5球団の指導者を務めた。
・桑田武(大洋・巨人・ヤクルト、内野手) 1937年
※1年目で新人最多タイ(後の清原も同数)となる31本塁打で本塁打王を獲得した。61年には打点王を獲得し長嶋の三冠王を阻止。
・坂崎一彦(巨人・東映、外野手) 1938年
※長嶋、王とともにクリーンナップを担った5番打者。晩年は代打で活躍し東映移籍後1年目の1965年は圧巻の代打率.472(36-17)を記録。
・重松省三(大洋・外野手) 1940年
※パンチのある打撃が魅力の60年代大洋の1番打者。セリーグ史上2人目となるダブルヘッダー第1戦サヨナラ弾、第2戦先頭打者弾の記録を持つ。
・ヘンリー・コトー(巨人・外野手) 1961年
※当時の巨人が苦手としていた左投手キラーとして活躍した助っ人。10.8決戦で中日・今中から追加点となる2ランを放っている。守備はお察しレベル。
・川尻哲郎(阪神・近鉄・楽天、投手) 1969年
※阪神暗黒時代を支えた右のサイド投手。ノーノーを達成したり日米野球に出場するなど輝かしい経歴とともにメジャー移籍騒動などお騒がせ男としても名を馳せた。
・鈴木義広(中日、投手) 1983年
※落合時代における中日黄金期を支えた右のサイド。引退試合でDeNA・黒羽根に自身4年ぶりとなるホームランを打たれた。現在は中日のスコアラー。
・アーロム・バルディリス(阪神・オリックス・DeNA、内野手) 1983年
※主にオリックス・DeNAで中軸を担い8年間で93本塁打を放った中距離砲。タイトルには恵まれずも12球団から本塁打を放っている。来年から韓国・サムスンでプレー。
おめでとうございます
バルディリス去就決まってたのか
ナバーロとの契約がこじれたために代わりでの獲得って流れらしいから、逆にナバーロはロッテ入団がほぼ決まりだな
濃いなあ
どんどん解説が詳しくなってるけどデータ兄貴は大丈夫なんですかね?
読む方としては嬉しいんだけど
ノリーチカおめでとう
ニンジャ青木はぜひとも日米2000本を達成してほしいですね。
おめでとうございます
今ヤクルトに帰ってきてくれたら1番センターでピンズドなんだよなぁ・・・
というか早生まれだったんですね。勝手に4月や7月生まれだと思ってました
1月6日誕生日の野球選手です
現役
・乙坂智 (DeNA、外野手、#33) 1994年
※昨年は出場機会を大幅に増やし、センターの定位置争いに加入。2014年に史上57人目のプロ初打席初本塁打記録を残している。
OBなど
・野口二郎(阪急など、投手・外野手) 1919年
※プロ12年で3447投球回を投げ237勝を挙げたタフネス投手。1942年には527.1投球回を投げ40勝をマーク。野手としても通算830安打を放っている。
・中畑清(巨人、内野手) 1954年
※ご存じキヨシ。80年代巨人の中軸を担い、7年連続でGG賞を受賞。「絶好調男」として選手として、DeNA初代監督としてファンに愛された男。
・真中満(ヤクルト、外野手) 1971年
※選手時代はセンターとして、リーグ優勝に幾度も貢献。2007年には代打としてシーズン31安打の日本記録。そして昨年監督1年目でチームを最下位から優勝へと導いた。
・森本学(ダイエー・ソフトバンク、内野手) 1978年
※野球人生を通して内野のユーティリティとしてバックアップを務め、2009年には怪我の松田の代役として三塁に定着。明るい性格でムードメーカーとしても活躍。
・山北茂利(中日・ロッテ・横浜、投手) 1978年
※長身を活かした投法として主に中日や横浜のブルペンを担った「和製ランディ・ジョンソン」。現在は神奈川県内のスポーツ用品店に勤務。
・萱島大介(阪神、内野手・外野手) 1980年
※赤星を上回る足の速さを武器にテストに合格しドラ11で入団。しかし打撃に課題を残し1軍に出場できないまま引退し競輪選手に転向した。
・河内貴哉(広島、投手) 1982年
※1999年に3球団競合で広島に入団した大型左腕。ケガに苦しみながらも復活を何度も遂げ、16年間広島一筋で投げ続け昨年、現役を退いた。
・齊藤勝 (日本ハム、投手) 1988年
※飛躍を期待されていた左腕は5年間で9登板に終わり昨シーズン戦力外、引退。来年は一般企業に就職し第2の人生を歩む。
・辻本賢人(阪神、投手) 1989年
※ドラフト史上最年少となる15歳で阪神に入団。阪神退団後はアメリカ独立リーグでチームの中継ぎの一角としてプレー。NPB史上唯一の「昭和64年生まれ」でもある。
おめでとうございます
真中は二軍監督時代から、日刊ゲンダイで週末特別版に
隔週連載していた頃から応援していました。
人望が厚いそうですね。
荒木大輔「俺は平気だよ」
今日もまた濃いメンバーが
森本は人はねちゃったけど大丈夫なんかな……
当たり前だけどこの人達はバースデーホームラン打ったこと無いんだよな
キヨシ…いつかベイスターズに戻ってきて(´;ω;`)
西田は来年…じゃなかった今年から登録名を下の名前にするのね
1月7日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・安達了一 (オリックス・内野手・28歳) 1988年
※昨シーズンは前年より打率、盗塁は下がったものの自身初の2桁ホームラン。今季も不動のショートとしてさらなる飛躍が求められる。
・赤田龍一郎 (中日・捕手・28歳) 1988年
※支配下登録から3年目の昨シーズンは1軍出場は1試合のみ。激しい正捕手争いの中でまずはプロ初安打を放ちたい。祖父江とは大学時代とのバッテリー相手。
・倉本寿彦 (DeNA・内野手・25歳) 1991年
※昨季は球団44年ぶりとなる新人遊撃手として開幕スタメンで出場すると102試合に出場。チームが久しく固定ができていない遊撃手として成長を期待。
・伊藤準規 (中日・投手・25歳) 1991年
※かつての背番号「18」はここ3年間1軍で白星なしと苦しい状況が続く。年俸も3年連続20%以上マイナスとなり後がないが果たして今季こそ挽回したいところ。
OBなど
・ジム・ラフィーバー (ロッテ・内野手) 1942年
※70年代ロッテの主力打者として史上初めてワールドシリーズ・日本シリーズを両方制覇。引退後はメジャーの数球団や野球中国代表の監督を務めた。
・北村照文 (阪神・西武・中日、内野手) 1957年
※80年代阪神を支えた俊足好守の外野手。特に肩が強く87年の中日戦でセンター前にヒットを放った鈴木孝政を1塁で刺すセンターゴロを記録。
・中野佐資 (阪神・外野手) 1963年
※大野久、和田豊とともに「少年隊」として呼ばれた外野手。主にレフトで出場。1988年、89年に2年連続でセリーグ最多死球を記録。
・ケビン・メンチ (阪神・外野手) 1978年
●メンチ速い!殺人バファロー走法に虎将仰天
●虎メンチ豪弾15発!真弓監督ダル撃ち指令
●ド迫力の虎新助っ人メンチ、併殺崩し任せろ
●乱闘任せろ!メンチ、虎の魔よけや!!
●虎将も合格点!メンチ、変化球イケるやん
●虎将安心「6番・右翼」メンチ“一発合格"
●死角なし!阪神・メンチ、安芸でも25発
●絶好調!阪神・メンチが余裕14発!
●巨体メンチが激走!ド迫力ランで一気生還
●阪神・ジェフ、メンチの活躍に太鼓判!
●ドドドドドッ虎・メンチ、走る凶器や
●虎将唸った!“猛肩"メンチが赤星殺した
●虎将不敵!007歓迎、メンチの弱点探して
●阪神・メンチ目覚めた!?2軍戦で4打数4安打1発6打点
・野原祐也 (阪神・外野手) 1985年
※阪神初の育成から支配下登録された日本人選手。しかし以降は成績を残せず現在は古巣であるBCリーグ、富山サンダーバーズで選手兼任コーチを務めている。
おめでとうございます
メンチで草
早生まれだったんですね
一人だけなんか違うんですがそれは
メンチだけ力入っていて草生える。
|かつての背番号「18」はここ3年間1軍で白星なしと苦しい状況が続く。
中日は18はエースナンバーじゃないし、ま多少はね?
>>192
そういえばそうでしたね…(池沼)
中日のエースナンバーは20番でしたっけ…
ただ落合監督は「18がエースナンバー」と言ってたような気がするので期待されていたことに変わりはないんですよね…
頑張ってほしいです
それと久しぶりに契約更改情報です
ロッテ:チェン・グァンユウ(#49) 投手 5年目 29歳 左投左打 台湾→横浜・DeNA→ロッテ
600万円→1700万円(△1100万円)
1軍:14登板 5勝4敗 0S 0H 61.1投球回 47奪三振 23与四球 防3.23
2軍:8登板 2勝3敗 0S 42.0投球回 26奪三振 12与四球 防2.36
>>194
チェンは25歳です(小声)
奥さんを日本に呼ぶみたいだし、息の長い選手になって欲しいなあ
ロッテは左腕の層がかなり薄いし
なあチェン、もう25歳になったのか
>>195
何故か小林敦と見間違えてました…(小声)
本当申し訳ございません
3/5のナゴヤドームは盛り沢山なのね
リニューアルした球場のお披露目&午後は山本昌の引退試合兼ねたオープン戦&夜は代表戦
…オープン戦が長引いたら代表のアップや代表戦のチケット所持者の入場時刻に影響があったりするのかしらとか思わなくもないけど
フィールドシート設置やダグアウトのメジャー化でどんな感じの球場になるのか楽しみだ
>>196
純愛チェニ キほんとすき
ピアザって低打率ホームランマンだと勝手に思っていたけど通算でも3割超えてるハイアベレージホームランマンだったのね
文句のつけようのない打撃型捕手だし、そりゃあ殿堂入りもするわけだ
1月8日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・栗原健太 (広島・楽天、内野手、34歳) 1982年
※かつて8年連続2桁本塁打を放ったスラッガーもここ数年はケガに苦しみ広島を退団。新天地・楽天で「0」からの再スタートを目指す。
・森唯斗 (ソフトバンク、投手、24歳) 1992年
※プロ入りから勝ち継投の一角として2年連続で50登板以上投げた剛球投手。父は漁師で、プロ入り時の契約金で漁船をプレゼント。船名は「唯斗丸」。
OBなど
・呉新亨 (大和・巨人、外野手) 1924年
※戦後の巨人を支え3度のリーグ優勝に貢献した俊足外野手。引退後は審判員を務め、彼の袖番号は現在、白井一行が受け継いでいる。
・田尾安志 (中日・西武・阪神、外野手) 1954年
※「円月打法」で安打を量産した俊足好打の名外野手。1984年まで4年連続3割、3年連続リーグ最多安打を記録。2005年には初代監督として黎明期の楽天を率いた。
・川崎憲次郎 (ヤクルト・中日、投手) 1971年
※伝家の宝刀である「シュート」を武器に巨人キラーとして活躍し1998年に沢村賞、最多勝を獲得。2003年にはネット上の嫌がらせ騒動に巻き込まれ球宴ファン投票1位に。
・ジェレミー・ゴンザレス (巨人、投手) 1975年
※2007年に「GG」の登録名で入団するも成績は振るわず1年で退団。翌年の5月25日に実家付近の湖で落雷を受け亡くなった悲劇の投手。
・平本学 (ヤクルト、投手) 1979年
※入団前はメジャーも争奪戦に加わるほどの投手だったが、入団後は制球に苦しみ2軍で8打者連続四死球、5者連続押し出しも記録。投手としては珍しいスイッチヒッター。
おめでとうございます
GGって巨人では最初の本名ではない登録名でしたよね。
田尾とか川崎とか知名度の高い人が揃っていますね。
前田の正式な会見が今朝方にあったのね
年俸安すぎない?
いくら出来高が高いといっても足元見られすぎでしょ
>>204
マエケン側が複数年契約+出来高の形を望んでサインしたんだからしゃーない
嫌なら他の球団とも交渉すればいいわけだし
>>204
だって傷物だしってのは本人も会見で認めているところだから仕方ないのでは
これで出来高まで絞られてるならともかく
マエケンが一年でも早くメジャー行きたいってスタンスだったからね
しかも今年はスターターが市場に多かった
実績あるチェンもまだ決まってないかな?あれはボラスが吹っ掛けてるから長引きそうだけど
去年だったら引く手数多だったろうに・・・ なんと間の悪い
やっぱ日本で無双したダルと田中がそろって靭帯いわしたのは大きいよ
マエケンも沢村賞複数回とはいえあの二人以上の評価があるわけじゃないし
1月9日誕生日のプロ野球選手です
現役
・田中雅彦 (ロッテ、ヤクルト・捕手・34歳) 1982年
※昨シーズンは2年ぶりに1軍出場。捕手登録ではあるが2軍では二塁、三塁での出場が多い。
・明石健志 (ダイエー、ソフトバンク・内野手・31歳) 1985年
※昨年は夏場から1,2番でのスタメンが増え、日シリでも大活躍。来年から城所とともにチーム最古参となる。
・福谷浩司 (中日・投手・26歳) 1990年
※2014年から引き続き抑えとして期待されるも不安定な投球が続き抑えを剥奪。2016年は再び抑えの座を奪い返したいところ。
OBなど
・小淵泰輔 (西鉄、中日、国鉄・内野手) 1935年
※西鉄では内野のユーティリティ、国鉄では中軸打者、一塁手として活躍。1960年に史上18人目のサイクルヒットを達成。
・森祇晶 (巨人・捕手) 1937年
※1965年から1973年の「V9の頭脳」として巨人を支えた正捕手。引退後は西武の監督として黄金期を築き上げ選手時代から通算で日本シリーズ20連勝も達成している。
・西村徳文 (ロッテ・外野手、内野手) 1960年
※パリーグ史上初の両打ちでの首位打者や4年連続盗塁王を獲得した「走る将軍」。2010年にはロッテの監督として「史上最大の下克上」を達成。
・水口栄二 (近鉄、オリックス・内野手) 1969年
※90年代後半〜00年代の近鉄の不動のセカンド。「いてまえ打線」の2番バッターとして小技を活かし活躍し、2001年の優勝に貢献。3度のリーグ最多犠打、通算279犠打を記録。
・清水将海 (ロッテ、中日、ソフトバンク・捕手) 1975年
※1年目の開幕戦で小宮山とバッテリーを組み完封勝ちを挙げその後しばらくは正捕手だったものの里崎の台頭以降は他球団含め正捕手争いには勝てず。来年からSB1軍バッテリーコーチ。
・北川智親 (オリックス・投手) 1978年
※なかなかプロ初勝利に恵まれなかった投手。特に2001年の北川の劇的なあのホームランがなければプロ初勝利を飾れていた。なおプロ3年目で中継ぎで1勝を挙げるもそれがプロ唯一の勝利だった。
・西山道隆 (ソフトバンク・投手) 1980年
※四国アイランドリーグ出身初のプロ野球選手でもあり育成から支配下登録を勝ちとった史上初の選手。しかしプロでは0勝で終わり4年で引退。
・笠原将生 (巨人・投手) 1991年
※ロングリリーフ要員として活躍するも昨年10月に野球賭博により永久追放。平凡キャラとはなんだったのか。
おめでとうございます
カッサ…。
北川は紅しょうがという単語が印象に残っています。
セカンドとセンターの両方でGG取るとか凄過ぎなんだよなあ西何とか監督
西なんとかさんは打てる大和みたいな感じですかね
スイッチヒッターで獲得タイトルが首位打者と盗塁王だから外野も守れる渡米前の西岡の方が近いんじゃないですかね
パワー-20くらい非力にして。ってか守備が実際どうだったかは自分にはわからないっすね
二塁のGGはライオンズ辻が定着する前の1985の一シーズンだけだし、外野のGGも首位打者を取った90年のみ
規定で3割超えたのはキャリアの中で85,90年だけとなると、打つ方の印象で大分ひっぱりあげられてのGGのような気も
ポジション遍歴は二(〜86)→三(87,88)→中(89〜94)→左(95〜)
落合とのトレードによる上川の加入に伴いサードへコンバートされた感じですね
前田は自らイレギュラー箇所持ちだという事を公表したうえで各球団と交渉していたのね
だったら2016シーズン勝つための選手をっていう球団は二の足踏んでも仕方ないし、ある程度の長期を見たドジャースってのはお互い良かったんじゃないの
和田、藤川と渡米即TJ。田中もあんな感じだし、そんな中でそういう自分のフィジカルコンディションをオープンしての交渉となると…
即リハビリコースになったとしても、残り契約期間をじっくり見ながら最大限成績を残せるようにリハビリをと選手、球団ともに切り替えられるだろうし
仮に8年無事故、無欠勤で結果的には前田にとって若干損に思える契約となったとしても、それはそれでリスクを取ったドジャースが十二分なリターンを取るのも正当に思える
笠原?誰だそれは
ソフトバンクの選手でしょ(すっとぼけ)
>>210
森さんの元気があるうちに巨人の監督やってもらいたかったけどなあ
是非見てみたかった
日ハムのバースもランディ・バース同様、登録はバースか
カッサはああなったけど真面目な弟の方には是非大成してほしい
De野川は俺ツイの主題歌を登場曲の候補なのか…
普通に許可通りそうだけど
DeNAなんだからデレマスの曲でならワンチャン有りそう
西武はメヒアにオフの画像ではなく動画要求って去年のがよっぽど堪えたんですね…
1月10日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・巽真悟 (ソフトバンク・投手・29歳) 1987年
※昨年8月11日にプロ7年目にしてついに初勝利を掴んだ。入団当初は「西口二世」と期待されただけにここで終わってほしくはないところ。
OBなど
・松橋慶季 (阪急、国鉄・捕手) 1934年
※現役時代は同年代の国鉄のエース、金田と公私ともに仲が良かった。引退後は審判として3162試合、球宴・日シリともに8回出場。彼の袖番号26は事実上永久欠番となっている。
・江尻亮 (大洋・外野手) 1943年
※主に1970年代の上位打線を担った元投手の強肩外野手。引退後は大洋・ロッテの監督を務め大洋では盛田・佐々木のWストッパーを確立させた。
・ケルビン・トーベ (オリックス・内野手) 1960年
※前年ダイエーに移籍したブーマーの穴を埋めるために1992年にオリックスへ入団。1年目は3割打つも、2年目に野手としては最長となる53打席連続無安打という不名誉な記録を打ち立ててしまった。
・石嶺和彦 (阪急、オリックス、阪神・外野手、捕手) 1961年
※内角打ちを得意とする強打の外野手。10年連続2桁ホームランを放ち、チャンスにも強く90年には106打点で打点王を獲得。86年には当時の日本新記録となる56試合連続出塁も達成している。
・欠端光則 (ロッテ、大洋、横浜・投手) 1963年
※当時投手不足だった大洋の先発ローテを支え1988,89年にチーム最多勝を記録。晩年には中継ぎとしてもフル回転しリーグ最多登板を記録している。カープキラーの異名も持つ。
・宣銅烈 (中日・投手) 1963年
※中日時代では2年目に当時の日本記録となる38セーブを挙げ佐々木とともに最多セーブを挙げ、99年には胴上げ投手となった韓国の至宝。昨年には韓国代表の投手コーチとしてプレミア12優勝に貢献。
・野村貴仁 (オリックス、巨人、ブルワーズ、日本ハム・投手) 1969年
※オリックスのセットアッパーとしてリーグ2連覇に貢献。札幌ドーム公式戦初勝利投手でもある。しかし引退後の2006年に覚せい剤を使用したことにより逮捕、有罪判決。
・ゲーリー・ラス (巨人、楽天・投手) 1973年
※韓国では3年で40勝を挙げ大活躍するも日本ではいまいちな成績に終わる。楽天では先発ローテとして7月には3連勝でチーム史上初の月間勝ち越しに貢献するも他の月では1勝もできなかった。
・前田祐二 (オリックス・投手) 1986年
※右打者の内角を突くクロスファイヤーが持ち味のサウスポー。左のワンポイントから先発まで幅広い場面で起用されるもケガにも苦しみ昨年戦力外、引退。インテリア・コーディネーターとして第2の人生を歩む。
おめでとうございます
欠端はその後球団広報になって、ハマスタ最寄り駅の関内で
人命救助をしたことがあるそうです。
野村は週刊ポストかどこかに、グリーニー(覚醒剤)についての
手記を寄せていましたね。
地味に福浦が年跨いでからの大トリで契約してたわね
2000本まで88本、間に合うのかしら
1月11日誕生日の野球選手はこちらです
現役
・中島卓也 (日本ハム・内野手・25歳) 1991年
※昨シーズンは全試合に出場し盗塁王・ベストナインを獲得し、さらには侍ジャパンにも選出。両リーグ最多のファウル数を記録するなどカット、粘り打ちを得意としている。
・一岡竜司 (巨人、広島・投手・25歳) 1991年
※2014年には16ホールド、防0.58と新天地で覚醒。シーズン通しての活躍を求められた昨年だったが登板数は増えたものの成績は落とした。大瀬良、今村とともにカピパラ3兄弟とも。
OBなど
・大石正彦 (大洋・投手) 1936年
※先発や中継ぎとして1960年の大洋初優勝に貢献した投手。チーム状況も相まって通算勝利数62に対し敗戦数は106。特に巨人戦では1955年から5年間にかけて17連敗を喫している。
・広橋公寿 (西武、中日、ダイエー・内野手・外野手) 1957年
※現役時代は西武で広岡監督に西岡良洋とともに左キラーとして重宝。内外野のユーティリティとしても活躍。引退後は楽天のコーチを8年間務めた。岩隈久志の義父でもある。
・ベン・リベラ (阪神・投手) 1969年
※2メートルを超える長身から投げおろされる150キロオーバーの速球で当時球団記録の27セーブをマーク。2年目も防御率0点台だったが怪我の影響で退団。現在は阪神のスカウト。
・黒田哲史 (西武、巨人・内野手) 1975年
※西武、巨人ともスタメン出場はほぼなかったものの堅実な守備で控えとして活躍。2004年にはプロ野球記録となるチーム240本目のホームランを放った選手でもある。
・リック・ガトームソン (ヤクルト、ソフトバンク・投手) 1977年
※ヤクルトでは2006年に交流戦史上初となるノーヒットノーランを達成し先発ローテとして活躍。打撃力も高くソフトバンク時代には投手としては交流戦初のホームラン(場外)を放つなど通算3ホーマー。
・土居龍太郎 (横浜、ロッテ・投手) 1981年
※当時彼を含めた「BIG4」の一員である多田野数人の指名見送りによって繰り上がる形で自由枠で横浜に入団。先発や中継ぎでそこそこの成績を残すもロッテにトレードされて以降は出番がなく引退。
おめでとうございます
ガトームソンの髪のことは許して差し上げろ。
リベラ詐欺やろ!
と思ったらとんでもないやつだった記憶
スンファンはカージナルスに決定かな?
裁判関係はどうするんだろう
略式起訴って見たから罰金バッキンガム払って終わりじゃないの?
1月12日誕生日のプロ野球選手です
現役
なし
OBなど
・木村勉 (南海・松竹・大洋・広島・近鉄、外野手) 1921年
※5球団で活躍した俊足巧打の外野手。特に近鉄では1番バッターとして活躍し1956年にはNPB史上初の初回先頭打者ランニング本塁打を達成。
・小川健太郎 (東映・中日、投手) 1934年
※1967年に29勝を挙げて最多勝、沢村賞を獲得した技巧派アンダースロー投手。巨人の王貞治に対して使用した背面投げは今でも語り草となっている。
・ジーン・マーチン (中日・大洋、外野手・内野手) 1947年
※中日の20年ぶりのリーグ優勝に貢献した強力助っ人。1976年には40本塁打を放ち王、バースに並ぶ1試合2本塁打以上10回の日本タイ記録を樹立した。
・テリー・ウィットフィールド (西武、外野手) 1953年
※シーズンだけでなく大舞台に強かった良助っ人。82年のプレーオフ第4戦で2本塁打を放ちリーグ初優勝をもたらし、83年日シリ第7戦では走者一掃の逆転打を放ち日本一に貢献。
・ナイジェル・ウィルソン (日本ハム・近鉄、外野手) 1970年
※初年度から王貞治以来となる1試合4打席連続アーチを放つなど史上初となる2年連続で本塁打王を獲得。その後は怪我にも苦しんだものの通算119本塁打を放った。
・古城茂幸 (日本ハム・巨人、内野手) 1976年
※代打、代走、守備固めとして内野のユーティリティとして活躍。意外性のある打撃やスーパーサブっぷりから「振り向けば古城がいる」と言わしめたほど。
・金澤健人 (阪神・日本ハム・オリックス・ソフトバンク、投手) 1979年
※主に阪神とソフトバンクで活躍し通算332試合に登板した中継ぎ投手。特に2010年2011年には強力リリーフ陣の一角としてチームの連覇に貢献。現在はソフトバンクの打撃投手。
・青野毅 (ロッテ、内野手) 1983年
※プロ入りからしばらくは1軍で出番はなかったものの2006年に1軍デビューし史上初のプロ入り1号・2号が満塁弾という珍しい記録を打ち立てた。その後は怪我に苦しむも13年間ロッテに在籍した。
おめでとうございます
青野はなんかパワプロだと無駄に活躍してた印象がある・・・
古城のCSでの謎走塁って結局個人のミスだったんでしょうかね?
1月13日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・大野奨太 (日本ハム・捕手・29歳) 1987年
※2014年よりは出場試合数は減ったものの大谷と最優秀バッテリー賞を受賞。背番号も中嶋の27を受け継ぎ来期は主将として、そして正捕手として日本ハムを引っ張りたい。
OBなど
・米田慶三郎 (大洋・内野手) 1943年
※堅守の遊撃手として活躍した1970年代前半の大洋の鉄壁の内野陣の一員。引退後は大洋、楽天のコーチとして約20年間指導を行った。
・松原誠 (大洋、巨人・内野手) 1944年
※8年連続20本塁打以上を放ち、低迷していた大洋の4番として活躍したミスターホエールズ。彼の通算2081安打、330本塁打、1172打点は今でも球団記録として長く残り続けている。
・ホセ・ヌーニェス (ダイエー・投手) 1964年
※先発としてはいまいちだったが、シーズン途中に抑えに転向し16セーブを挙げ活躍。6月には8セーブを挙げ当時最下位に低迷していたチームから村松有人とともに同時に月間MVPを受賞する珍事も。
・鈴木健 (西武、ヤクルト・内野手) 1970年
※90年代西武でサードや指名打者において中軸打者として活躍。戦力外後に入団したヤクルト初年度ではキャリアハイの成績を残しカムバック賞も受賞。引退試合での村田の粋な計らいも有名。
・エルマー・デセンス (巨人・投手) 1971年
※1999年に巨人に入団も1軍では未勝利に終わる。しかし退団後の翌年からレッズで2年連続2桁勝利を挙げるなどメジャーで441登板、52勝を挙げメキシコ代表としてWBCにも出場した。
・大塚晶文 (近鉄、中日、パドレス、レンジャーズ・投手) 1972年
※近鉄晩年の抑えとして活躍し1998年に最優秀救援、2001年のリーグ優勝に貢献。メジャーでも最多ホールドを挙げるなど活躍。第1回WBC日本代表にも選ばれ抑えとして胴上げ投手となった。
・ダレル・ラズナー (楽天・投手) 1981年
※先発としては厳しい成績が続いていたが2011年のリリーフ転向により才能が開花。星野監督時代の楽天を抑え・セットアッパーとして支えリーグ初優勝にも貢献。人柄も良く現在は楽天のスカウト。
・山本翔 (広島・捕手) 1984年
※石原慶幸と2001年のドラフトで同期入団も10年間1軍に1試合も出場機会がないまま2010年に退団。現在は広島経済大学野球部の監督を務めている。
・角晃多 (ロッテ・内野手) 1991年
※イースタンリーグでは支配下登録前の育成選手としては両リーグ初の月間MVPを獲得するも1軍出場のないまま退団。現在はBCリーグ武蔵でプレー。父親は元巨人で新人王を獲得した角盈男。
おめでとうございます
らずにゃんおめでとう
来季は中継ぎで復帰してみないか?
西武時代の鈴木健って『ストッパー毒島』に登場したことありませんでしたっけ。
ラズナーはノムさんが「ラズナーを出スゾー」とか言っていたのを覚えています。
チェン5年8000万ドルですか
マーリンズなのでイチローとチームメイトですね
チェンは肩肘やってないし、これでBSでの中継の機会もあるかもと思うと楽しみ
あと、地味に馬主なのね
ロッテはサード守る新外人とったのね
今江選手のFA金があるとはいえ、ロッテはなんか地味にやる気だしてますね・・・
やっぱり21世紀でホークスの独走をとめるとしたらここなのか
ラズナーは松坂世代だったのか・・・
http://www.yakult-swallows.co.jp/news/detail/19045
VS嵐のヤクルト選手出演の放送日がフジテレビ系列 1月21日19時に決定しました
ロッテに来るナバーロと韓国に行くバルディリスの成績は気になりますね
1月14日誕生日のプロ野球選手です
現役
なし
OBなど
・小田野柏 (阪急・毎日・西鉄・近鉄・高橋、外野手・投手) 1917年
※川上哲治のプロ入り初対戦相手となった投手。プロ野球ではないものの都市対抗野球大会にて天覧試合初のホームランを放った選手である。
・毒島章一 (東映・外野手) 1936年
※東映一筋18年の「ミスターフライヤーズ」。特に三塁打が多く福本豊に次ぐ2位となる106三塁打を放っている。通算100本塁打は石井琢朗に抜かれるまでは最も遅い達成だった。
・浜中祥和 (大洋、中日・内野手) 1938年
※代走・遊撃手の控えとして三原マジックにおける大洋初優勝に貢献。身長164cmと小柄でルーキー時のキャンプには話題つくりの一環でテスト生で参加してたジャイアント馬場と相部屋にされた。
・岩下正明 (ヤクルト・大洋、外野手) 1955年
※現役時代は控え外野手ながら代打の切り札として活躍。1982年には代打サヨナラ満塁本塁打など代打で3度もサヨナラ打を放った。現在は横浜市青葉区内でステーキハウスを営んでいる。
・進藤達哉 (大洋・横浜・オリックス、内野手) 1970年
※90年代横浜を支えた堅守の三塁手。1997〜1999年まで3年連続でゴールデングラブ賞を受賞し打撃でもマシンガン打線の下位を支えリーグ優勝に貢献。現在はDeNAヘッドコーチ。
・藤原正典 (阪神、投手) 1988年
※主にワンポイントとして活躍したサウスポー投手。昨年は2年連続で1軍出場がなく育成契約を打診されるもそれを断り引退。大学職員として第2の人生を歩む。
おめでとうございます
進藤といえばササ願で「私服のセンスが悪い」とネタにされていましたね。
進藤達哉とかいう絶対巨人殺すマン
小川さんちょっと老けた?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160113-00000185-sph-base.view-000
こういうデザインの眼鏡は老けて見えるからね
監督時代の眼鏡かけてる時の画像と比べると変わらんと思うし。AHRAも老眼鏡かけてる時はめっちゃ老けてる(というか歳相応)ようにみえたし
スポーツ関係者はちょっとの間に急激に老けて見えることがありますね。
老眼鏡というのは大きいと思います。
これは政治家にも言えます(TPP交渉で甘利大臣が白髪になっていたのは驚いた)。
何かに傾注している間は、体の内面から張り詰めるものがあって
老化現象に抗しているのではないかと思っています。
白髪は染めるのを止めただけって場合もある
ナイジェル・ウィルソンといえば代理人があのブーマー・ウェルズ(外人初の3冠王)で
しかもブーマーが初めて日本に売り込んだ助っ人(確か同時期にいたブルックスも)で
入団初年度の活躍をみてブーマーが「やっとウエダさんに恩返しが出来たよ」と語ったエピソード好き
1月15日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
なし
OBなど
・後藤次男 (阪神、内野手・外野手) 1924年
※新人から全試合に出場し内外野問わずできるユーティリティさや4年連続3割の打撃で主に1番、3番として活躍した「クマさん」。監督やコーチとしても7年間在籍。
・益田昭雄 (巨人・西鉄、投手) 1938年
※巨人では5年目となる1966年の日本シリーズで第6戦に先発し完封、胴上げ投手に。同年の日米野球では日本人2人目となる完封勝利。しかし西鉄移籍後に黒い霧事件により永久追放。
・トニー・ソレイタ (日本ハム、内野手) 1947年
※4年連続30本塁打を放った「サモアの怪人」。初年度からパ史上初となる4打数連続本塁打を放つと81年には2冠王に輝いた。しかし退団後の90年に故郷サモアで事件により射殺されてしまった。
・大石友好 (西武・中日、捕手) 1954年
※西武時代はリーグ2連覇、中日では近藤真一の初登板ノーノーに貢献。リリーフ捕手として選手人生を全うした。引退後は20年以上各球団のコーチを務め現在は楽天2軍バッテリーコーチ。
・クリストファー・カンバーランド (広島、投手) 1973年
※左の先発候補として2000年に入団し開幕3戦目に登板するもアウトを1個しか取れず防御率81.00でKOされ開幕1カ月で解雇。達川監督には「がんばーらんと困る」とダジャレのネタにされただけだった。
・藤原紘通 (楽天、投手) 1985年
※NPB史上初となるプロ初登板で準完全試合で初勝利を挙げるなど2009年の楽天CS進出に貢献。しかし2年目以降は怪我に苦しみ育成落ちも経験し2013年に引退。現在は楽天の打撃投手。
・矢地健人 (中日・ロッテ、投手) 1988年
※中日では史上初となる1年目から育成→支配下登録されるも初登板で危険球退場。ロッテ移籍後は2年ぶりに1軍登板するも1年で戦力外。昨年の戦力外特番でも特集され来年は新日鐵住金東海REXでプレー。
おめでとうございます
>射殺されてしまった。
ええ…
ヒェッ…
矢地くんは結婚式の様子見ててもいい人なんだろうなってわかるから頑張ってほしい
射殺って…
一体何があったんですかねえ
東都リーグ、この春は合併せず従来通りの一部二部制のままでやるのね
…なあなあで秋以降もそのままの気がそこはかとなくするなぁ
神宮での試合増が困難、ってのが理由の一つにある以上これが改善されることは他のリーグやヤクルトとの関係上まず無いから、話自体無かったことになりそうですかね
>>257
確か土地取引のトラブル
阪神がドリス投手獲得となるともう外国人6人ですか
野手はゴメスヘイグで確定ですかね
マエケン出来高満額で9億って安い…安くない?
ボラスー!ボラス来てくれー!
事実ならそりゃMLB選手会も怒るわなって内容ですね…
200イニングクリアしてサイ・ヤングとっても9億…
ええ…
逆に言えば本人も球団もそんな投げられるフィジカルコンディションじゃないだろうと理解しているってことなんじゃ…
すぐトミージョン思想
多村育成契約で中日だって
落合時代のノリさんみたいになってほしい
>>267
よかった…
De多村、eがとれる
>>260
サンガッツ
こわいなーとづまりすとこ
1月16日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・ゼラス・ウィーラー (楽天・内野手・29歳) 1987年
※シーズン前半は打率1割台と苦しみ他の助っ人とのスタメンを争うも、9月に唐突な覚醒。9月以降の28試合で.336 8本 27打点と大暴れ。結果的に助っ人野手では唯一残留を果たした。
OBなど
・御園生崇男 (阪神、投手) 1916年
※1937年秋に11勝を挙げNPB史上初となる勝率10割を達成。プロ野球人生で3度も最高勝率を獲得。打者としても506安打、87盗塁を記録している。
・山田潔 (イーグルス・巨人・大映、内野手) 1921年
※15年間レギュラーとして活躍した堅守の遊撃手。打率では1938年春に規定到達では史上最低となる.107も選球眼に優れており通算IsoDは4000打数以上では王に次ぐ2位の.128。
・蔭山和夫 (南海、内野手) 1927年
※2年目にリーグ2位の打率.315を記録し新人王。その後は南海が誇る「百万ドルの内野陣」の一員としてリードオフマンとして貢献。引退後に鶴岡の後を引き受ける形で監督に就任するもその4日後に急死。
・堀内恒夫 (巨人、投手) 1948年
※入団から13年連続で2桁勝利を挙げV9時代巨人のエースとして活躍した「悪太郎」。打撃でも非凡なセンスを発揮し通算21本塁打。特に現役最終試合でのホームランはもはや劇的であり怒り新党でも特集された。
・西岡剛 (ヤクルト・オリックス、投手) 1964年
※1986年ドラフト1位でヤクルトに入団するもプロでは0勝に終わる。後楽園球場最後のナイター試合で先発として登板するも9回裏に原辰徳にサヨナラヒットを打たれている。もちろん元ロッテ、現阪神の彼とは別人である。
・豊島明好 (日本ハム、投手) 1990年
※技巧派投手で高卒ながら開幕1軍に選ばれNPB史上初の平成生まれ選手の1軍出場を果たすもその後は1軍で出番はなく3年目に戦力外、引退。現在はDeNAベイスターズの打撃投手。
おめでとうございます
ウィーラーはクビ待ったなしと思ってたらあそこまでやるとは
ノムさん蔭山さんのエピソードは涙不可避
西岡剛と同姓同名の方がいたんですね
知らなかったゾ(池沼)
蔭山さんのことは、やる夫で学ぶ野村克也シリーズで知りました。
なんもかんも全部南海電鉄が悪い。
>>274
あれ面白いよね
完結したのかな?
南海ホークスだとアキレス腱切れた門田さんが戸板で運ばれたとかいう話が…
豊島またえらく早くクビになったよなあ・・・なんでだろ
1軍で結果的に抑えたものの(2回打者8人)、それ以外ではボッコボコでしたからね・・・高卒下位指名なので温情戦力外だそうで
人柄はとても真面目らしく、斡旋はしたみたいです
1月17日が誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・陽岱鋼 (日本ハム・外野手・29歳) 1987年
※昨シーズンは怪我や不調に苦しみ保留の末に減俸と振るわず。しかし走攻守揃ったプレーヤーとして2014年にはトリプルスリーならぬトリプルツー(.293 25 20)を達成するなど日ハム打線の中核を担う存在なだけに復活が望まれる。
・細谷圭 (ロッテ・内野手・28歳) 1988年
※昨年は1軍ではわずか16試合出場にとどまったが2軍では2試合連続満塁ホームランを放つなどリーグ2位の打率.291に62打点(リーグ打点王)と大暴れ。11年目となる今年は今江やクルーズの穴埋めを期待したいところ。
OBなど
なし
本当にいないので以上です
オーイェー
いないのか意外
はえ〜…どの日もある程度いるもんだと思ってたけどそういう日もあるんすねえ
追記ですがこれまでに1軍に出場した経験のある選手は6000人以上と言われているのでもしかしたらもっといるのかもしれないのですが、
少なくともwikiの「1月17日」記事内の誕生日欄のNPBのプロ野球選手ではOB選手は1人もいませんでした
ちなみにNPB以外では「ナックル姫」こと吉田えりさんの誕生日でもあります
ナックル姫とか片岡安祐美さんとかは脱いだり・・・しないんですかね・・・(ノ感
(需要が)ないです。
ほい
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E7%B9%81%E4%B8%89
1942年の投球回数(439.1)は投球回のシーズン記録の歴代9位ですね
>>286
まさか見つけてくださるとは…
なんというか自分の至らなさが出ちゃった感じですね…
精進するとともにありがとうございます
1月18日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・實松一成 (巨人・捕手・35歳) 1981年
※小林や相川といった新しい戦力がひしめく中で控え捕手として存在感をアピールし続けるベテラン捕手。昨年は主に田口や杉内とバッテリーをを組み、2年ぶりにホームランも放った。
・南昌輝 (ロッテ・投手・27歳) 1989年
※2015年はルーキー時代以来となる1軍登板なしに終わった。ファームでは先発としてチーム最多の102回を投げ6勝を挙げるも制球難もあり四球の数も多い。
・佐野泰雄 (西武・投手・23歳) 1993年
※ドラフト2位で入団した昨季は2軍で27試合に登板。1軍デビューも果たしプロ初先発では4回3失点。タイ出身のハーフで牧田和久は大学の先輩にあたる。
・高橋周平 (中日・内野手・22歳) 1994年
※覚醒が期待される未完の大器。背番号「3」を受け継いだ昨季は打率を5分近く落としホームランも4本にとどまった。ルナが退団した来年は新助っ人ビジエドとのサードの定位置を争う。
OBなど
・宮地惟友 (国鉄、投手) 1932年
※テスト生として入団した国鉄の先発ローテとして活躍。1956年には史上3人目の完全試合を地元石川県で達成。79球での達成は現在でもプロ野球最少記録である。
・上田利治 (広島、捕手) 1937年
※選手としては短命に終わったが37歳の若さで阪急監督に就任すると2年目から日シリ3連覇含む4連覇を達成するなど黄金時代を築き上げた名将。78年日シリ1時間19分の抗議や「去る福本」など有名な話も多い。
・高畠導宏 (南海、外野手) 1944年
※選手時代は主に代打で活躍。引退後はコーチとしてロッテオリオンズの落合、西村、水上やダイエーの吉永、浜名、小久保、中日の山崎武、千葉ロッテのサブロー、福浦といった名打者を続々と育て上げた。
・池辺巌 (ロッテ・阪神・近鉄、外野手) 1944年
※堅実な守備と勝負強い打撃でロッテや阪神でセンターとして活躍。非常に器用な選手で1977年にアマ時代含めて経験のなかった捕手としても出場し2イニングを無失点に抑えて球団から金一封が出たこともある。
・トム・ロブソン (南海、内野手) 1946年
※1976年に南海に入団も腰痛もあり不振で1年で退団。ボビー・バレンタインが監督に就任したメッツ・ロッテでいずれも打撃コーチとして招聘され2005年には日本一にも大きく貢献しバレンタインの右腕的存在だった。
・衣笠祥雄 (広島、内野手) 1947年
※1970年からNPB記録となる2215試合連続出場を達成した「鉄人」。打撃でも歴代5位の2543安打、歴代7位の504本、歴代10位の1448打点、さらには史上3人しかいない500本塁打200盗塁、さらにGG賞も3回獲得している屈指の名選手である。
・伊原春樹 (西鉄・巨人・西武、内野手) 1949年
※選手時代は主に控え三塁手として活躍。引退後は鬼軍曹として西武・巨人・阪神・オリのコーチ、監督を歴任。2002年には西武監督就任1年目に90勝、リーグ優勝。87年日シリでの辻の伝説の走塁、野村監督の「ルンバ」発言にもコーチとして関わっている。
・小田真也 (西武・投手) 1961年
※市村則紀とともに左のワンポイントとして西武の黄金時代を支え、通算196登板、7度のリーグ優勝・6度の日本一に貢献。日本シリーズでも7試合に登板し無失点と大舞台にも強かった。
・相川良太 (オリックス、外野手・内野手) 1977年
※ロマンあふれた性格に長打力を武器とした選手だが安定性に欠けたり怪我に苦しむことも多かった。なお2004年のシーズン最終戦では岩隈久志の最優秀防御率タイトル阻止、さらにはブルーウェーブ最後の本塁打となる2本のホームランを放っている。
・ブライアン・ファルケンボーグ (ソフトバンク・楽天、投手) 1978年
※ソフトバンク時代はSBMのBとして圧倒的な成績を残し「絶望の8回」とも呼ばれた剛球投手。2010年には助っ人初の最優秀中継ぎを獲得し防1.02、WHIP0.76、奪三振率12.05。SB時代終盤や楽天時代では抑えも務め楽天では史上3人目の20セーブ。
おめでとうございます
伊原さん体動くうちにコーチとして巨人か侍JAPANに就任してくれないかな
シュウヘイ早生まれだったのか・・・ なんか察した
ウエさん「ええで!」
名将なんだよなあ…。
>>290
(投手継投すごく悪いのと、基本的に目立ちたがりでわざわざカメラの前で選手を公開説教するような人を代表に見たく)ないです
特に川越を蹴ったのは絶対に許さねぇからな
>>293
ですよね
>>293
サードコーチって他にフリーで優秀な人居ましたっけ?
ちゃんと監督とコミニュケート出来る、出しゃばらないなら三塁コーチで見たいけどなぁ
仁志は正直???な判断ばっかだったし
とは言え伊原をきちんと飼いならしてたの森さんと原さんくらいだけど
>>296
自分もサードコーチとしては希望してますがそれ以外は大人しくしててほしいですね
ルンバとか大人げないですし
>>296
三塁コーチャーとしても、なんか無駄に動いて、時々大成功して有能ぶってるけど、基本損してる印象がある・・・
ルンバは相手が先に口撃してたでしょ
確かもう伊原はサードコートできないぞ
味方ながら全盛期ファルケンは凄まじかった
あの球威で最大の武器が低めのコントロールとかもうね
ラミレスの講演があって開幕投手山口の2番梶谷4番筒香5番ロマックで捕手は2人制を明言したのね
上田監督といえば新人の時にキャンプに六法全書持ち込んだ話好き
本当は3年間形だけ在籍して選手辞めた後、弁護士になるつもりだったのに
結局、還暦近くまで野球界に残るとは人の人生ってわからないものですね
ええでおじさんはストッパー毒島の半ページ顔面アップと日ハム監督最終年の失踪じみた休養のイメージしかねえなあもう
工藤と斎藤雅なら何の不満もないね
野球殿堂入りおめでとうございます。
「ピッチャーカリメロだよ〜!!」
>>303
オリキャラの溝口をほめるという設定で登場していましたね。
榎本喜八もやっと殿堂入りか
野球殿堂入りを果たした3選手の成績をまとめました
おめでとうございます
工藤公康 1981年6位→西武→ダイエー→巨人→横浜→西武
西武
1982 27登板 1勝1敗 0S 28.2投球回 29奪三振 21与四球 防3.41
1983 23登板 2勝0敗 0S 33.1投球回 24奪三振 13与四球 防3.24
1984 9登板 0勝1敗 0S 12.1投球回 8奪三振 10与四球 防2.92
1985 34登板 8勝3敗 0S 137.0投球回 104奪三振 73与四球 防2.76
1986 22登板 11勝5敗 0S 145.1投球回 138奪三振 56与四球 防3.22
1987 27登板 15勝4敗 0S 223.2投球回 175奪三振 64与四球 防2.41
1988 24登板 10勝10敗 1S 159.0投球回 94奪三振 70与四球 防3.79
1989 33登板 4勝8敗 2S 118.0投球回 94奪三振 76与四球 防4.96
1990 13登板 9勝2敗 0S 85.2投球回 89奪三振 46与四球 防3.36
1991 25登板 16勝3敗 0S 175.1投球回 151奪三振 75与四球 防2.82
1992 25登板 11勝5敗 0S 150.2投球回 133奪三振 69与四球 防3.52
1993 24登板 15勝3敗 0S 170.0投球回 130奪三振 65与四球 防2.06
1994 24登板 11勝7敗 0S 130.2投球回 124奪三振 44与四球 防3.44
ダイエー(オフにFA移籍)
1995 22登板 12勝5敗 0S 163.0投球回 138奪三振 48与四球 防3.64
1996 29登板 8勝15敗 0S 202.2投球回 178奪三振 70与四球 防3.51
1997 27登板 11勝6敗 0S 161.1投球回 146奪三振 48与四球 防3.35
1998 15登板 7勝4敗 0S 93.2投球回 65奪三振 28与四球 防3.07
1999 26登板 11勝7敗 0S 196.1投球回 196奪三振 34与四球 防2.38
巨人(オフにFA移籍)
2000 21登板 12勝5敗 0S 136.0投球回 148奪三振 16与四球 防3.11
2001 5登板 1勝3敗 0S 21.1投球回 8奪三振 7与四球 防8.44
2002 24登板 9勝8敗 0S 170.1投球回 151奪三振 26与四球 防2.91
2003 18登板 7勝6敗 0S 117.0投球回 115奪三振 22与四球 防4.23
2004 23登板 10勝7敗 0S 138.2投球回 128奪三振 33与四球 防4.67
2005 24登板 11勝9敗 0S 0H 136.0投球回 130奪三振 44与四球 防4.70
2006 13登板 3勝2敗 0S 0H 70.0投球回 52奪三振 19与四球 防4.50
横浜(門倉健のFA移籍による人的補償で移籍)
2007 19登板 7勝6敗 0S 0H 103.2投球回 73奪三振 28与四球 防3.91
2008 3登板 0勝2敗 0S 0H 13.2投球回 7奪三振 5与四球 防5.27
2009 46登板 2勝3敗 0S 10H 37.1投球回 24奪三振 14与四球 防6.51
西武(自由契約後、入団)
2010 10登板 0勝2敗 0S 0H 6.0投球回 7奪三振 4与四球 防10.50
通算29年 635登板 224勝142敗 3S 10H 3336.2投球回 2859奪三振 1128与四球 防3.45
最優秀防御率:4回 (1985年、1987年、1993年、1999年)
最高勝率:3回 (1987年、1991年、1993年)
最多奪三振:2回 (1996年、1999年)
MVP:2回 (1993年、1999年)
最優秀投手:1回 (2000年)
ベストナイン:3回 (1987年、1993年、2000年)
ゴールデングラブ賞:3回 (1994年、1995年、2000年) ※投手唯一の両リーグ受賞
月間MVP:1回 (1991年4回)
日本シリーズMVP:2回 (1986年、1987年) ※史上3人目の2年連続受賞
AS出場:10回 (1986年、1987年、1991年、1993年、1995年、1997年、1999年、2000年、2004年
2005年)
実働29年:歴代1位タイ
年齢別最多勝:(42歳で11勝、44歳で7勝)
23年連続勝利(歴代1位タイ)
日本シリーズ最多タイ出場(14回)、通算最多奪三振(102)、1試合最多奪三振(13、1999年第1戦)
>>306
遅すぎる…
榎本喜八殿堂入りしたんだ。
エキスパートではなくプレイヤーの段階で選んでおけって選手ではあるけどね
>>307
レジェレジェアンレジェンド
というか、とっくの昔に殿堂入りしていたと思っていました。
斎藤雅樹 1982年1位→巨人
巨人
1983 1軍登板なし
1984 17登板 4勝0敗 0S 44.0投球回 43奪三振 13与四球 防3.07
1985 41登板 12勝8敗 7S 155.0投球回 124奪三振 53与四球 防2.96
1986 35登板 7勝3敗 1S 90.0投球回 63奪三振 24与四球 防2.40
1987 6登板 0勝0敗 0S 5.0投球回 4奪三振 2与四球 防18.00
1988 38登板 6勝3敗 3S 66.2投球回 55奪三振 17与四球 防1.89
1989 30登板 20勝7敗 0S 245.0投球回 182奪三振 53与四球 防1.62
1990 27登板 20勝5敗 0S 224.0投球回 146奪三振 52与四球 防2.17
1991 24登板 11勝11敗 0S 178.2投球回 103奪三振 40与四球 防3.38
1992 25登板 17勝6敗 0S 187.2投球回 148奪三振 48与四球 防2.59
1993 23登板 9勝11敗 0S 149.2投球回 105奪三振 40与四球 防3.19
1994 30登板 14勝8敗 0S 206.1投球回 144奪三振 32与四球 防2.53
1995 28登板 18勝10敗 0S 213.0投球回 187奪三振 50与四球 防2.70
1996 25登板 16勝4敗 0S 187.0投球回 158奪三振 44与四球 防2.36
1997 19登板 6勝8敗 0S 118.1投球回 61奪三振 34与四球 防4.11
1998 23登板 10勝7敗 0S 146.1投球回 93奪三振 40与四球 防3.08
1999 17登板 5勝2敗 0S 83.0投球回 45奪三振 31与四球 防4.66
2000 5登板 3勝1敗 0S 34.1投球回 20奪三振 4与四球 防2.10
2001 13登板 2勝2敗 0S 41.2投球回 26奪三振 7与四球 防4.32
通算18年 426登板 180勝96敗 11S 2375.2投球回 1707奪三振 584与四球 防2.77
最多勝:5回 (1989年、1990年、1992年、1995年、1996年)
最優秀防御率:3回 (1989年、1990年、1996年)
最多奪三振:1回 (1995年)
最高勝率:3回 (1990年、1992年、1996年)
MVP:1回 (1990年)
沢村賞:3回 (1989年、1995年、1996年) ※歴代最多
ベストナイン:5回 (1989年、1990年、1992年、1995年、1996年)
ゴールデングラブ賞:4回 (1990年、1992年、1995年、1996年)
月間MVP:5回 (1989年6月、1990年5月、1990年7月、1994年6月、1995年7月)
オールスター出場:6回 (1989年、1990年、1994年〜1996年、1998年)
3年連続開幕戦完封、11試合連続完投:日本記録
通算勝率歴代3位(2000投球回以上):.652
>>313
大事な11試合連続完投勝利(日本記録)を書き忘れていました…
|11試合連続完投勝利(日本記録)
まじであたまおかしい(ほめ言葉)
斎藤雅樹先発とかいう巨人以外のセリークファンそっ消し試合
そんな絶対的エースだった斎藤雅樹も入団当初は首切り要因だったという
才能とはわからんもんだなあ
斎藤、槙原、桑田ともに高卒ドラ1ってのが恐ろしい
特に斎藤雅は甲子園でてないPなのにきちんと見抜き、正しく伸ばした(若干の回り道はありつつも)わけだから
斎藤っていずれどこかで監督やったりするのかな
榎本喜八 1955年テスト入団→毎日、大映、東京、ロッテ→西鉄
オリオンズ
1955 139試合 .298 (490-146) 16本 67打点 55三振 87四球 12盗塁 OPS.887
1956 152試合 .282 (524-148) 15本 66打点 41三振 95四球 4盗塁 OPS.851
1957 128試合 .269 (446-120) 9本 50打点 46三振 68四球 4盗塁 OPS.778
1958 123試合 .260 (431-112) 13本 43打点 68三振 52四球 6盗塁 OPS.760
1959 136試合 .276 (496-137) 11本 49打点 47三振 69四球 8盗塁 OPS.767
1960 133試合 .344 (494-170) 11本 66打点 33三振 67四球 15盗塁 OPS.941
1961 137試合 .331 (543-180) 8本 42打点 22三振 43四球 9盗塁 OPS.843
1962 125試合 .331 (483-160) 17本 66打点 28三振 36四球 5盗塁 OPS.883
1963 143試合 .318 (532-169) 18本 64打点 23三振 48四球 8盗塁 OPS.845
1964 149試合 .298 (540-161) 17本 71打点 19三振 86四球 17盗塁 OPS.847
1965 139試合 .268 (493-132) 10本 57打点 29三振 60四球 16盗塁 OPS.760
1966 133試合 .351 (476-167) 24本 74打点 20三振 68四球 14盗塁 OPS1.011
1967 117試合 .290 (372-108) 15本 50打点 33三振 83四球 10盗塁 OPS.881
1968 129試合 .306 (487-149) 21本 77打点 62三振 62四球 7盗塁 OPS.886
1969 123試合 .273 (400-109) 21本 66打点 42三振 54四球 9盗塁 OPS.838
1970 110試合 .284 (303-86) 15本 39打点 46三振 49四球 7盗塁 OPS.851
1971 45試合 .244 (90-22) 4本 18打点 15三振 10四球 1盗塁 OPS.753
西鉄 (トレードで移籍)
1972 61試合 .233 (163-38) 1本 14打点 16三振 25四球 1盗塁 OPS.630
通算18年 2222試合 .298 (7763-2314) 246本 979打点 645三振 1062四球 153盗塁 OPS.844
首位打者:2回 (1960年、1966年)
最高出塁率:2回 (1960年、1966年)
最多安打:4回 (1960年〜62年、1966年)
新人王(1955年)
ベストナイン:9回 (1956年、1959年〜1964年、1966年、1968年) ※一塁手部門パ最多記録
オールスター出場:12回 (1955年〜1964年、1966年、1968年)
通算409二塁打:パ歴代2位
入団以来15年連続100安打以上:歴代3位タイ
49試合連続出塁:歴代8位タイ
シーズン173打席連続無三振:歴代5位
シーズン一塁手守備機会1665、刺殺1585、守備率.9992:1965年、日本記録
シーズン一塁手補殺122:1965年、パ記録
一塁手守備機会連続無失策:1516(1967年〜1968年) 日本記録
オールスター史上初満塁ホームラン:1963年
おめでとうございます
誕生日の方は後ほどまとめますので少々お待ちください
工藤さんはわりと最近まで現役だったからしゃーないとはいえ、榎本さんと斉藤さん選ばれてなかったのか・・・
>>318
ヒーローインタビューがつまらないことで有名な人だったからよそでってことはないんじゃない
今年二軍監督やってみてそこでの成果と上との兼ね合いでもしかしたらってくらいで
ってか普通にいい人だから野心なさそう
遅れましたが1月19日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・太田賢吾 (日本ハム・内野手・19歳) 1997年
※ドラフト8位で入団した昨季は2軍で93試合に出場し打率.237、2本、18打点と経験を積んだ。遊撃手として今後の1軍出場に期待したいところ。
OBなど
・水原茂 (巨人、内野手) 1909年
※現役時代は巨人軍黎明期の三塁手として活躍。引退後は巨人を8回ものリーグ優勝に導き第2次黄金時代を築き上げた。特に大学時代からライバルであり西鉄監督となった三原との「巌流島の決戦」は有名。
・苅田久徳 (セネタース、大洋、大和、東急、毎日、近鉄、内野手) 1911年
※「日本における近代野球の二塁守備は、苅田から始まる」と言われるほど卓越したプレーセンスを持つ名二塁手。選手兼任監督として長年プレーし、プロ野球史上初の盗塁王であり史上初の退場者でもある。
・花井悠 (西鉄、外野手) 1932年
※50年代後半にかけて当時黄金時代であった西鉄の脇役として活躍した外野手。引退後は西鉄の打撃コーチも務め当時投手だった「ジャンボ尾崎」こと尾崎将司にプロゴルファー転向を勧めたのは彼である。
・リッチ・ゲイル (阪神、投手) 1954年
※1985年に入団すると13勝を挙げて阪神リーグ優勝に貢献し現時点で阪神唯一となる日シリ胴上げ投手。翌年に監督との対立もあり退団。打撃では率は散々ではあるが高卒ルーキー時代の桑田からHRも放っている。
・フェルナンド・セギノール (オリックス・日本ハム・楽天、内野手) 1975年
※プロ野球最多となる両打席本塁打9回を記録した「史上最強のスイッチヒッター」。3球団で172本塁打を放ち、2004年には三冠王・松中と並び44本塁打で本塁打王を獲得。現在は巨人の駐米スカウトを務めている。
・金炳賢 (楽天、投手) 1979年
※メジャー時代はアンダースローながら150キロを超え、9年で54勝、86セーブを挙げ2011年に楽天初の韓国人選手として入団するも1軍登板は1試合も出来ず1年で退団。現在は韓国リーグの起亜タイガースでプレー。
・ミゲル・メヒア (西武、投手) 1988年
※台湾で2014年に最多セーブのタイトルを獲得し昨年バスケスとともに来日し西武に入団。抑え候補として期待されるも4試合に登板し防14.73と結果を残せず自由契約。来年からはカブスのマイナーでプレーする。
・鈴木駿也 (ソフトバンク、投手) 1991年
※山形中央高校初のプロ野球選手としてソフトバンクに入団。右ひじの手術で2年目以降は育成選手となり2014年に退団。現在は北海道の社会人チームである室蘭シャークスでプレーし都市対抗野球予選で敢闘選手賞。
おめでとうございます
平松は殿堂入り落選したんだな
まぁブーマーを落とすような殿堂()に期待しても無駄だが
https://m.facebook.com/bcl.fukushima/posts/438070866384170
元ヤクの江村は独立福島入りか
1月20日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・笠原大芽 (ソフトバンク・投手・21歳) 1995年
※兄が大変残念なことになってしまったものの育成で奮闘中の若手投手。4年目を迎えるにあたって1軍への切符を掴み取りたいところ。現在NPB左投右打の投手は阪神・筒井と彼のみである。
OBなど
・内藤博文 (巨人、内野手) 1931年
※当時のNPBでは珍しかったジャンピングスローを披露するなど第2次巨人軍黄金期を支えた二塁守備の名手。人望があり栗山英樹には恩師と慕われており、引退後は巨人のコーチやヤクルトの2軍監督を務めた。
・堀本律雄 (巨人・大毎、投手) 1935年
※60年に入団すると1年目から29勝、防2.00を挙げて史上2人目の新人での沢村賞。しかし以降は酷使の影響もあり急速な衰えを見せ6年で引退。引退後は大洋や日本ハムの2軍投手コーチを務め遠藤一彦や斎藤隆、岩本勉らを1軍に送り出している。
・加藤俊夫 (アトムズ・日本ハム・大洋、捕手) 1948年
※ヤクルトで無免許運転により解雇されるも日本ハム移籍後はパリーグを代表する捕手に成長し77年にB9とGG賞。なお2桁盗塁も3度記録しているが79年には1試合中に二盗、三盗、本盗をいずれも失敗するという珍記録もある。
・ケビン・マース (阪神、内野手) 1965年
※デービス・クールボーの後釜として96年シーズン途中にクレイグと同時に入団しマスコミには「打ってクレイグ、頼みマース」と期待されクリーンナップとして積極的に起用されたが、.242 8本と何とも言えない成績を残し1年で退団した。
・フリオ・サンタナ (巨人、投手) 1974年
※前年抑えを務めた河原純一の不振に伴い代役として2003年途中に入団。安定感を欠きながら5セーブを挙げ翌年も残留したが1軍にすら登板できずに退団。ちなみにメジャーでは209登板で17勝、1セーブ、19ホールド。
・ルイス・マルティネス (中日、投手) 1980年
※当時先発が不足していた中日に2005年に入団。交流戦からローテを守り続け8勝を挙げ、新人の中田賢一とともにチームを救った。しかし翌年は不安定な投球が続き退団。なお入団前にドミニカで発砲容疑で指名手配されていた(後に正当防衛と判明)。
おめでとうございます
カッサ弟は大丈夫でしょうかねこれから
>入団前にドミニカで発砲容疑で指名手配されていた(後に正当防衛と判明)
チャカD事件といいドミニカ怖すぎやろ・・・
ホームのクロスプレー時の守備側の立ち位置等の検証にもビデオ判定使うのね
その他、ビデオ判定ありの球場が12球団の本拠地+神戸だったのを16シーズンからは地方球場まで拡大、と
??「テレビの画面が小さくてわからなかった(コナミ間)」
松中さんが今頃電話をかけまくってる可能性が微粒子レベルで存在する・・・?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160120-00000104-spnannex-base
楽天の可能性が微レ存という記事もあったけど、声掛けるかどうかすら決まってないって話ではね…
楽天は支配下残り1枠しかないし、今江の金銭補償で金も無いだろうから取るなら育成だと思われます
松中「申し訳ないが育成はNG」
って上の記事にもあるし松中が折れないと無理っぽいですね
10年前の松中なら可能性あったろうけど今の松中取るところはなさそうだけどなあ
楽天1枠じゃなくて3枠あったわ
でもまぁオフの補強はもう終わったんで多分獲得はないでしょうね
何年か前帆足をホークスが獲得したときにプロテクト外れた松中さんなら今よりやれたのかなあと思うけど
今はきついですよね…
ノリと同じでチームの雰囲気乱しそう
どうせ助っ人外すから2枠は余しておきたい
残りの1枠を松中さんに割くかどうか…
楽天といえば鉄平って今何してるんですかね
>>339
毎年と同様の自主トレやってるけど、(声は掛かって)ないです
>>340
ありがとナス!
本音言うともう1度楽天で見たいんですけどねぇ…
1月21日の誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・米野智人 (日本ハム・捕手・34歳) 1982年
※昨年は1軍に2試合にしか出場できず戦力外も地元・北海道の日本ハムに兼任コーチとして入団。登録も外野手から捕手へと再変更となった。なお西武時代5年間で唯一放ったホームランはあの米野ガッポォ-!である。
・小林寛 (DeNA・投手・27歳) 1989年
※2014年末に結婚した勢いそのままに昨年は自身初の開幕1軍を掴み取りプロ初ホールドを記録。1軍登板がなかった2014年に比べ飛躍を期待できる1年となった。
OBなど
・ボブ・レイノルズ (大洋、投手) 1947年
※「弾丸のような剛速球」をウリに77年に大洋に入団。しかし実際のスピードは大したことなく打ちこまれわずか44日で無断帰国。「帰国だけは弾丸のようなスピード」と言われ、以降94年まで球団は助っ人投手は獲得しなかった。
・岡田展和 (西武・巨人・横浜、投手) 1968年
※西武時代では谷間の先発としてローテに定着し90年には野茂に完封で投げ勝ったことも。巨人移籍後はサイドスローに転向し長嶋政権の中継ぎ陣の一角として活躍。96年には代走としてサヨナラのホームを踏んだこともある。
・ジェームス・ボニチ (オリックス、内野手) 1972年
※1997年にオリックスに入団。育成目的で2軍の試合に出場し続け、規定打席不足ながら特例ルールによりウエスタン初の三冠王を獲得。しかし1軍や翌年はいい成績は残せず結局98年限りで退団。
・下窪陽介 (横浜・外野手) 1979年
※1年目から開幕1軍を掴み取り開幕3戦目に7番ライトでプロ初スタメン。代打などで成績を残し特に左相手には.321を記録。しかし翌年以降は出場機会が減り2010年に引退。現在は元チームメイトである野口寿浩の野球教室でコーチを務めている。
おめでとうございます
>>221
なお野川は杏Pだった模様
ttp://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160115-OHT1T50093.html
いかん…いかん! 危ない危ない危ない…
真面目に気を付けてほしい
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160121-00000523-sanspo-base
練習でもヘルメットくらいつけりゃいいのに
>>345
過信があったんでしょうね
>>344
怪我だけは気を付けてくれよなー頼むよー
ムネリンがカブスとマイナー契約との報道があったそうです(FOXスポーツ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160121-00000102-spnannex-base
とりあえずオメシャス!
とはいえブルージェイズみたいなメジャー昇格の見込みがある(多い)とはとうてい思えないしなあ
ムネリンはブルージェイズで昇格の機会は沢山ありましたけど
結局マイナー契約しか出してきませんでしたしね
心機一転という意味合いもあって別球団なのかもしれませんね
ムネリン、移籍報道に米国ファン反応、「No!」と別れ惜しむ声も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160121-00000110-spnannex-base
マイナー選手の移籍がここまで騒がれることがあっただろうか
ムネリンも秋には日本復帰なんて話もあるし今年は色々と飛ばしてきそう
1月22日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・石川雅規 (ヤクルト・投手・36歳) 1980年
※昨年は現役最多となる11度目の2桁勝利を達成し、自己最多タイの13勝を挙げリーグ優勝に大きく貢献。特に9月は5戦5勝、防1.21と大活躍を果たした。
・香月良仁 (ロッテ・投手・32歳) 1984年
※プロ7年目となった昨季は自身最多を大きく更新する40試合に登板し防2.92と安定感を見せ大きく飛躍。終盤にはプロ初セーブも挙げ自身初の年俸アップも勝ち取った。
・縞田拓弥 (オリックス・内野手・29歳) 1987年
※昨シーズンは自身最多の80試合に出場。内野の全ポジションに加え外野も守り、打撃も初の2割台に乗せ自己最高の成績を残した。なお長友佑都とは高校の同級生である。
OBなど
・松木謙治郎 (阪神、内野手) 1909年
※タイガース初代主将として1937年春には打率、本塁打で2冠王。監督としても優勝こそはできずも全ての年で勝率5割以上を残している。なお阪神で5年以上監督と務めたのは彼と中村勝広のみである。
・星野仙一 (中日、投手) 1947年
※70年代中日の代表的な選手であり74年には初代セーブ王、沢村賞を獲得し巨人V10を阻止。監督としては「闘将」として中日、阪神、そして楽天の3球団をリーグ優勝に導いた。(なお楽天での優勝・日本一は監督最年長記録)。
・ブライアン・デイエット (日本ハム、外野手) 1957年
※ブリューワとともに88年に日本ハムに入団するもケガで35試合にとどまった。翌年以降はイースラー・ウィンタースに次ぐ「第3の助っ人」として4年間球団に在籍した。なお応援歌は「いい湯だな」だった。
・小林誠二 (広島・西武、投手) 1958年
※パームが決め球の右のサイドスロー投手。西武、広島で抑えとして活躍し、いずれもリーグ優勝に貢献し史上初となる両リーグ日シリ勝利投手も記録した。引退後は落合政権下の中日の投手コーチとして投手王国の建設に貢献。
・河原純一 (巨人・西武・中日、投手) 1973年
※巨人では7年目の2002年に抑えとして28セーブを挙げ原監督の初年度日本一に貢献。トレードや戦力外を経て入団した中日では中継ぎとして支え復活も果たした。その後は昨年までBCリーグ愛媛でプレーも先日引退を表明。
・林威助 (阪神、外野手) 1979年
※阪神では2007年に115試合に出場し、.292 15本 58打点の活躍を見せた。ケガに苦しみながら11年間阪神に在籍した。第1回、第2回のWBC台湾代表にも選ばれており現在は台湾・兄弟でチームキャプテンとして未だ活躍中。
・陽耀勲 (ソフトバンク、投手) 1983年
※陽岱鋼の兄。なかなか大きな活躍はできなかったものの2010年、2012年にはCSの先発としても登板し12年には弟との直接対決も果たした。現在は台湾・Lamigoで外野手に転向し、25試合で打率.425を記録している。
・仲澤広基 (巨人・楽天、内野手) 1987年
※巨人の2軍では内野のユーティリティとして活躍も1軍で出場できず。金刃とともに移籍した楽天で2013年に初出場、初打席初安打。しかし2014年に戦力外、引退。現在のところ彼が何をしているかは分かっていない。
おめでとうございます
なかなかの粒揃い
陽兄は野手転向したのか
こらカツオ!
林威助ってあれでしたっけ、どんでんの「何を力んどるんや?」の人でしたっけ。
香月弟はまたえらく時間がかかったなあ
もう2〜3年は活躍してくれよ
石川は14年間で二桁勝利11回ってもう昭和の投手みたいになってますね
仲澤って高校の時に内海と一緒だった奴だっけ?
>>357
それは仲澤忠厚
東京ドームもLED化か
配慮はあるんだろうけどまた慣れるまで苦労しそうやな
DeNAのハマスタ運営会社買収が成立ですって
>>360
ハマスタボールパークイメージでポジらざるをえない
立教大に両投げ両打ちの投手が誕生するらしいです
立教大の両刀のピッチャーなんて多田野以来じゃないか?
右でMAX142、左で130とかでしたっけ?
コントロールがどうなるかと体力の問題が気になりますね
そもそも六大学はDH採用してないので投手はみんな両刀(意味深)
泰山がIL入りしててわろた
おそ松さんシート増席するのね
http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20160121_1.html
1月23日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・三輪正義 (ヤクルト・内野手・32歳) 1984年
※昨シーズンは代走、守備固めとして自身最多の87試合に出場しリーグ優勝に貢献。ヤクルトのムードメーカーであり、畠山とのアクリル板越しのキスはファン感の恒例となっている。
OBなど
・島谷金二 (中日・阪急、内野手) 1945年
※巧打とパワーを兼ね備えた三塁手としてB9を2回、ダイヤモンドグラブ賞を4回受賞。70年代の中日、阪急で3度のリーグ優勝に貢献。なおドラフト入団拒否3回、指名4回はいずれも歴代2位。
・太田幸司 (近鉄・巨人・阪神、投手) 1952年
※女性人気が凄まじく、元祖「甲子園のアイドル」として近鉄に入団すると3年連続でファン投票1位でオールスターに選出。以降は2桁勝利を3度達成し近鉄のリーグ優勝にも貢献している。
・広瀬哲朗 (日本ハム、内野手) 1961年
※「ガッツマン」として果敢なヘッドスライディングなど闘志あふれるプレーで球場を沸かせた堅守の遊撃手。特に白井一幸との二遊間は鉄壁とも呼ばれた。2001年からは野球女子代表の監督として2003年の世界一にも導いた。
・ベニー・ディステファーノ (中日、外野手) 1962年
※打撃ではポップフライ製造機と散々であった。しかし彼を有名にさせたのはその気性の粗さで西武とのオープン戦では死球により捕手の大宮龍男を、巨人戦では当事者ではないものの乱闘に参加し江藤省三コーチを殴りいずれも退場処分となっている。
・マーティ・ブラウン (広島、外野手) 1963年
※選手時代はパワフルな攻守を持ち味とし、そこそこの成績を残す。2006年から広島、楽天の監督に就任すると「ベース投げ」や「内野5人シフト」など様々な逸話を作り監督としては最多の12回の退場を経験などいろんな意味でファンを沸かせた男である。
・佐野心 (中日、外野手) 1967年
※父親も広島に入団しており自身の中日入団によりプロ野球史上初の親子によるドラフト指名を受けた。選手としては俊足として代走と起用されるも打撃に伸び悩み4年で引退。引退後は静岡県の常葉菊川高校の野球部監督に就任し2008年夏の甲子園で準優勝。
・シャーマン・オバンドー (日本ハム、外野手) 1970年
※怪我で離脱したウィルソンの穴埋めとして1999年途中に入団し3割20本の成績を残すと、翌年には3割30本100打点を記録しベストナインを獲得。一度は退団するも2004年に自ら売り込みし復帰するとまたも.338の高打率をマークしチームのプレーオフ進出に貢献した。
・ウィリー・モー・ペーニャ (ソフトバンク・オリックス・楽天、内野手) 1982年
※ずば抜けたパワーと醸し出される可愛さのギャップでファンの心を掴んだ名助っ人。2012年にB9、2014年に32本塁打。昨年は楽天に在籍し4割近い出塁率を出すも得点圏打率が低く4番としては不本意な成績に終わり惜しまれつつ退団。新しい移籍先は未定。
おめでとうございます
三輪さんまだ32歳だったのか・・・
オバンドーすごかったなあ
井納オメシャスhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160123-00000009-nksports-base
監督として優秀かは疑問だけどブラウン好きだったなあ
松木謙二郎さんはあの張本勲さんの東映入団時の打撃コーチで張本さんを鍛え上げた名コーチだったんだよな(他の門下生も多数)
ブラウンさんは楽天でも1シーズン監督してましたしねえ
ホームベース隠しやベース投げが見られないのはちょっと寂しいですね
楽天ブラウンはキモイゆるキャラが出来た思い出しかない
オリックス安達が潰瘍性大腸炎で緊急入院 開幕微妙
http://www.nikkansports.com/baseball/news/1595775.html
難病情報センター | 潰瘍性大腸炎
http://www.nanbyou.or.jp/entry/62
聞いたことあると思ったら、安倍総理が苦しんでる(今はかなり良くなってるようだけど)やつか
スポーツ選手となるとなあ
今は新しいクスリのおかげでそんなんでもないで
チョイチョイ副作用あるけど(小声)
喜ばしからざることになっても、今年のドラフトで獲った大城と鈴木昂平がおるけど……
未知数やなあ
キムショー獲得待った無し?
渡米前はショート守ってたあの人もいるし
最初の一週間を誤魔化すくらいならまあ岩崎でいいんじゃないの
あー、特効薬はステロイドか
だったらなおのこと岩崎に期待だわ
普通は治療目的だったらちゃんと使用許可申請すれば大丈夫なはずだけど
ステロイドでも許可下りるんかなあ
ステロイド違いやろ
プレドニンだめならアダリムマブかなぁ
副腎皮質ステロイドも検査によっては普通に引っかかるでしょ。
1月24日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
なし
OBなど
・岩本章 (巨人・名古屋・阪急・広島、外野手) 1921年
※4球団で活躍した外野手。1946年では戦後初ホームランを、2リーグ制初年度となる1950年に広島に移籍し映えあるセリーグ初安打・初盗塁を記録している珍しい選手。引退後は広島・阪神のコーチなどを務めた。
・尾崎正司 (西鉄、投手・外野手) 1947年
※後にプロゴルファーとして数々の歴代最多記録を打ち立てる「ジャンボ尾崎」も元はプロ野球選手。当初は投手だったが外野手に転向。2軍で4番を張るも1軍では活躍できず。>>322 の花井悠コーチに勧められゴルファーに転向した。
・ジョン・スコット (ヤクルト、外野手) 1952年
※パワーのあるバッティングと俊足を活かした守備で活躍。1979年に入団すると5月27日のダブルヘッダーで2試合にまたがってサイクル本塁打を達成している。守備でも2年連続でダイヤモンドグラブ賞を受賞するも3年目に靭帯を負傷し退団。
・金森栄治 (西武・阪神・ヤクルト、外野手) 1957年
※1985年に西武のリーグ優勝に貢献しベストナイン、GG賞を獲得。ヤクルト移籍後は「野村再生工場」で代打の切り札として日本一に貢献。死球の多さから「爆笑生傷男」とも呼ばれ珍プレー好プレーの常連でもあった。引退後は西武・ロッテのコーチとして数多くの打者を育てた。
・風岡尚幸 (阪急・オリックス・阪神、内野手) 1968年
※現役時代は遊撃の守備に秀でており、弓岡2世とも呼ばれた。主に守備固めなどの控えで活躍した。引退後は阪神・中日・オリックスのコーチとして15年以上指導しており今年からオリの1軍内野守備走塁コーチに就任。
・土井健大 (オリックス・巨人、捕手) 1989年
※T-岡田とは同じ高校の1年後輩であり入団前は「浪速のミニラ」と呼ばれた。1軍には1試合に出場できなかったが2軍で捕手でスタメンを続けた。現在は社会人野球チーム「ミキハウスREDS」で活躍中。
おめでとうございます
尾崎先生「いいぞ。」
金森がフェンスの向こうに落ちていく映像とか懐かしいですね。
いまのナカジにショート守らせたら、去年の楽天の遊撃手ゴッツ並に悲惨なことになるわ
ジャンボ尾崎さんは新人時代のキャンプであの池永正明さんの球見て
適わないと思って直ぐに外野手転向→プロゴルファー転向に進んだそうですね
尾崎さん自身も高校では有名なピッチャーだったらしいですけど・・・才能の差ってやっぱあるんですね
1月25日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・荒波翔 (DeNA・外野手・30歳) 1986年
※俊足と強肩、守備力が売りの中堅手。昨シーズンもケガに苦しむも交流戦では全試合に出場し打率.383と活躍し規定打席不足ながら3割近い打率、得点圏打率.355とチャンスにも強かった。今年こそセンターの定位置を掴み取りたいところ。
OBなど
・安井智規 (近鉄、内野手) 1943年
※60年代後半に1番ショートとして定着し、俊足を活かし68年には54盗塁をマークしチーム史上2人目の盗塁王となった。その後は二塁、三塁も守りユーティリティとして活躍。引退後も近鉄一筋で2軍監督として95年にウエスタンをリーグ優勝に導いている。
・良川昌美 (西武・近鉄、投手) 1960年
※選手時代は近鉄でサイドスローの中継ぎとして活躍。引退後は審判員として、第2回WBCに派遣され、2010年の日シリにも出場。しかし悪いことも目立つことが多くあり小久保のホームラン判定での「自信を持ってファール」が有名。昨年の広島・田中のホームラン誤審も彼が球審であった。
・ホセ・マシーアス (日本ハム、内野手) 1972年
※内外野問わず守れる便利さも兼ね備え両打ちのバッターとして当初は1,2番を打っていた。2006年中盤以降は下位打線を固め日本一に貢献。ムードメーカーで日本一の記者会見では積極的にカメラに映っていたがそのわずか数日後に戦力外を受け退団。なお2013年WBCでパナマ代表に選ばれていた。
・ダン・セラフィニ (ロッテ・オリックス、投手) 1974年
※ロッテでは2年目の2005年に11勝を挙げ2桁勝利シクステットの一員として活躍し日本一に貢献。その後はヘルニアや骨折などでオリックスでは活躍できず。日本球界を去って以降は第2回、第3回WBCでイタリア代表として活躍。1年目の2004年に死球を与えてしまったズレータとの乱闘も印象的だった。
・竹岡和宏 (ダイエー・ソフトバンク、投手) 1975年
※社会人野球、クラブチーム、米マイナー、米独立を経て2003年に29歳でダイエーに入団し三瀬幸司とともにオールドルーキーとして注目された。主にビハインドでの中継ぎとして活躍し登板数は少なかったものの安定感のある投球を見せた。現在は西麻布でストレッチスタジオを営んでいる。
・岩見優輝 (広島、投手) 1987年
※テイクバックが特徴で変則的なフォームのサウスポー。1年目の2011年の5月に初勝利をあげるもその後は1勝もあげられず2軍でのフォームでの試行錯誤もあり2014年から2年連続で1軍登板がなく昨年戦力外。現在のところ進退の予定はわかっていない。
・北方悠誠 (DeNA・ソフトバンク、投手) 1994年
※全身を使ったフォームから繰り出される速球を持ち味とする剛球投手。2013年には台湾ウィンターリーグで158kmを計測。しかし制球難に苦しみ1軍登板は叶わず。昨年ソフトバンクから戦力外を受け来期からはBCリーグ・群馬に入団。22歳となった彼の野球人生はまだまだこれからなのかもしれない。
おめでとうございます
北方は覚醒してほしいわ
荒波翔さんおめでとうございます
はやく「カーニバル」聞いてタオル回したい
梶谷がセンターに回るらしいから大変じゃないの
ライトだともっと打てないと……ってなるかと思うし
1月26日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
なし
OBなど
・ボブ・ニーマン (中日、外野手) 1927年
※MLB12年間で通算1018安打の実績をひっさげ63年に入団。同年に入団したマーシャルとクリーンナップを担い打率3割を記録。眼鏡をかけており国鉄のエース・金田を得意としており子供たちからは「月光仮面」と呼ばれ親しまれた。
・飯塚佳寛 (ロッテ・大洋・広島、内野手) 1945年
※大洋・広島を経てトレードでプロ5年目にロッテへ復帰すると当時固定されていなかった遊撃手に定着し翌74年の日本一に貢献。なお73年にサード前に飛んだボールがイレギュラーバウンドし左翼に転々する間にホームに生還し「史上最短飛距離本塁打」も記録。
・リック・シュー (日本ハム、内野手) 1962年
※1993年に日本ハムに入団するとガッツあるプレーでチーム全体を鼓舞。大沢監督をして「シュー様」として言わしめ同僚のウィンタースの後の5番打者として24本塁打を放ちチームの2位浮上に貢献。しかし翌年は成績が低迷し退団。なお現在はナショナルズのコーチ。
・長嶋一茂 (ヤクルト・巨人、内野手) 1966年
※長嶋茂雄の長男でありヤクルトに入団するとプロ初安打を初ホームランで飾り「ミスター2世」と注目を集めた。巨人時代にはセリーグ通算3万号となるホームランを放つも選手時代を通じて成績は伸びず9年で引退。引退後はタレントや俳優業の傍ら、巨人の野球振興アドバイザーを務めている。
・高橋智 (阪急・オリックス・ヤクルト、外野手) 1967年
※同僚の松永浩美のフォームへの助言をきっかけに1991年に23本塁打を放ち覚醒。翌年には当時のNPBタイ記録となる8試合連続長打を放つなど29本塁打の活躍でB9を獲得し球宴、日米野球にも出場。その後はイチローや田口の台頭もあり、トレードで移籍したヤクルトでは第4の外野手として存在感を見せた。
・度会博文 (ヤクルト・内野手、外野手) 1972年
※大学時代に首位打者3回獲得などの活躍もあるが、入団の経緯は神宮外苑で草野球していたらスカウトの目にとまったという異色の経歴。内外野問わず守れるユーティリティや代打として15年間にわたって在籍。2軍では1996年からは2003年以外の全ての年で打率3割以上を記録していた。現在はコーチを経てヤクルトの球団広報。
・エステバン・ヘルマン (西武・オリックス、内野手) 1978年
※2012年に入団するとチーム唯一の全試合フル出場を果たし56年ぶりとなる外国人選手の40盗塁以上を記録。選球眼にも優れており翌年には最高出塁率のタイトルも獲得。オリックス時代1年目も3年連続30盗塁を記録し最終的に助っ人史上3位となる通算128盗塁を記録。昨年にケガや高齢による衰えもあり退団。
・ヨヘルミン・チャベス (オリックス、外野手) 1989年
※昨年4月にBCリーグ・群馬に入団すると6月にオリックスに入団。これを機に巡回アドバイザーになったラミレスからのアドバイスを受けながら2軍の試合に出場し続けたが成績は残せず1軍への出場機会も得られなかった。結局シーズン終了後に帰国し、退団となった。群馬時代は34試合で.301 4本 24打点。
おめでとうございます
>高橋智 (阪急・オリックス・ヤクルト、外野手)
>その後はイチローや田口の台頭もあり
この当時のオリックスは脱阪急を掲げて、ベテランをいっぱい切りまくってたなぁ・・・なんかベテランを切れるならトレード相手が戦力にならなくてもいいやって勢いだった
確かにスタメンこそイチロー 谷 田口で埋まったんだけど、20代半ばの若手に重責が集中する環境は絶対良くなかった・・・
今年のパリーグ開幕戦の楽天対ソフトバンクの開始時間が16時になったみたいですね
他にもパリーグとしては27年ぶりに19時開始の試合がいくつかあるとのこと
>>396
また3月のKoboスタか凍えるなあ
どうせなら開幕戦も金曜日だろうがデーゲームでやろうぜ次の週は平日だろうとデーゲームなんだしさ
1月27日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・岩田慎司 (中日・投手・29歳) 1987年
※谷繁すらも捕れないと嘆くほどの魔球「無回転フォーク」の持ち主。2012年には5勝を挙げ先発ローテに定着するもここ3年間は1軍で打ち込まれ続けている。なお2014年には史上15人目の3者連続3球三振を達成している。
OBなど
・横沢七郎 (東京セネタース・東急、内野手) 1913年
※セネタースの監督を務めた横沢三郎の弟でありもう1人の兄である四郎とともに活躍。通算1770打席で本塁打は一本も放っておらずロッテ・岡田幸文が抜かすまでデビューからの最長無本塁打記録だった。引退後は審判として1500試合以上に出場。
・ブライアン・ネルソン (ダイエー、内野手) 1974年
※ダイエーに2003年にテスト入団。シーズン絶望の怪我を負った小久保の代役としてサードで開幕スタメン。5月に球団タイ記録となる8点差からの逆転サヨナラを決めるヒットを放つが思った成績は残せず7月に川崎にサードを奪われ退団。現在でも米独立リーグでプレーしている。
・マイク・ザガースキー (広島、投手) 1983年
※左腕不足の広島にブルペンの柱として期待され入団。19試合に登板し防2.40、6ホールドと成績は残すも外国人枠の兼ね合いで1軍には定着できず1年で退団。体重109kgと大柄な体から溢れる愛嬌のあるキャラクターで恵方巻きを食べる姿などが一時期話題になった。
・楠城祐介 (楽天・ヤクルト、外野手) 1984年
※楽天では右の長距離打者候補として期待され青山学院大学でチームメイトだった横川と同僚に。しかし1軍はわずか4試合の出場に留まり2011年にヤクルトにトレード移籍するも2013年に戦力外。父親は西武で捕手としてプレーし、昨年の甲子園で九州国際大学付属高校の監督として準々決勝まで導いた楠城徹。
・藤江均 (横浜・DeNA・楽天、投手) 1986年
※1年目の2009年に同じくルーキーだった細山田と球団史上20年ぶりの新人バッテリーでプロ初登板。2011年からはセットアッパーとして起用され2012年にはチーム2位の21ホールド。昨年は楽天に入団するも2登板にとどまり2度目の戦力外。12球団合同、そしてパドレスのトライアウトを受けたものの現在は無所属となっている。
おめでとうございます
ネルソンの近鉄戦サヨナラはほんと高まったから絶対忘れない
藤江ありがとう(´;ω;`)
ザガースキーはもっと見たかったなあ
鉄平引退かぁ
お疲れ様でした
鉄平お疲れ様でした
オファー出るかなあ厳しいわなあと思ってたけど、いざ現実になるとさびしいね
すぽると!3月で終了して、新番組のニュース番組内のスポーツコーナーになるのね
前の時間帯のニュース番組といっしょに改編されるんだから視聴者サイドにはたいして変わらんか
とりあえず1/100企画を継続してくれるならいいや
鉄平お疲れナス!
また杜の都で活躍するのを見たかったけどしょうがないね
鉄平は首位打者も獲ったけど誤植ネタで打線組めるのがすき
お疲れ様でした
鉄平 外野手 33歳 右投左打 2000年5位→中日→楽天→オリックス
中日
2001 1軍出場なし
2002 1軍出場なし
2003 1軍出場なし
2004 50試合 .185 (27-5) 0本 0打点 9三振 3四球 3盗塁 OPS.549
2005 2試合 .000 (0-0) 0本 0打点 0三振 0四球 0盗塁 OPS.000
楽天 (金銭トレードで移籍)
2006 103試合 .303 (396-120) 2本 29打点 68三振 21四球 10盗塁 OPS.748
2007 135試合 .254 (472-120) 10本 48打点 73三振 36四球 8盗塁 OPS.675
2008 124試合 .270 (422-114) 5本 56打点 52三振 42四球 5盗塁 OPS.748
2009 132試合 .327 (496-162) 12本 76打点 76三振 47四球 13盗塁 OPS.895
2010 127試合 .318 (481-153) 9本 64打点 57三振 53四球 13盗塁 OPS.855
2011 91試合 .228 (294-67) 1本 17打点 42三振 17四球 5盗塁 OPS.554
2012 121試合 .251 (315-79) 1本 33打点 45三振 11四球 8盗塁 OPS.587
2013 54試合 .240 (146-35) 1本 10打点 22三振 15四球 2盗塁 OPS.632
オリックス (後藤光尊とのトレードで移籍)
2014 50試合 .227 (88-20) 1本 6打点 20三振 10四球 1盗塁 OPS.665
2015 13試合 .136 (22-3) 0本 1打点 2三振 0四球 0盗塁 OPS.318
通算 1002試合 .278 (3159-878) 42本 340打点 466三振 255四球 68盗塁 OPS.733
首位打者:1回 (2009年)
ベストナイン:1回 (2009年)
月間MVP:1回 (2009年8月)
AS出場:2回 (2007年、2010年)
お疲れさまでした
>>407
これには放出したオッチもニッコリ
加藤球の被害者っすなあ
鉄平は趣味がないからとギター習ったりしてたけど結局野球以外出来なさそうだし、天才肌っぽいから指導者も難しそうなんですけど大丈夫なんですかね・・・
後藤が先に引退すると思ってたけど鉄平の方が先とはなあ
ただしソースは日刊プレス
実況スレと間違えた…(小声)
1月28日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・谷元圭介 (日本ハム・投手・31歳) 1985年
※昨シーズンはリード・ビハインド問わず様々な場面に登板し自己最多、そしてチーム最多の61登板でチーム2位の20ホールド。167cmと小柄な体ながら2年連続で50登板以上を果たしており来年もチームに欠かせないブルペンの柱となる。
・野間峻祥 (広島・外野手・23歳) 1993年
※期待の外野手としてドラフト1位で入団し迎えた昨年はスタメンから代走・守備固めなど様々な場面で起用され127試合に出場。なおプロ初本塁打はプロ初登板の中日・浜田智からであり新人のプロ初対戦打者から新人がプロ初本塁打を放つのは史上初のことだった。
OBなど
・佐竹一雄 (松竹・国鉄、捕手) 1925年
※両球団で正捕手として活躍し、889試合の捕手出場ながらプロ野球史上最多タイとなる4度の無安打無四球試合(ノーノー3回、完全試合1回)を経験。なおノーノー3回に限っても彼と谷繁の2人のみである。国鉄初の移籍入団選手でもあり移籍して即正捕手に定着し打率.297も記録。
・新庄剛志 (阪神・メッツ・ジャイアンツ・日本ハム、外野手) 1972年
※もはや説明するまでもないほどの大スター。「センスがない」と突然の引退騒動や97年オールスターの応援ボイコット、99年の投手挑戦や敬遠球サヨナラ安打、02年の日本人初のワールドシリーズ出場、04年球宴での本盗にサヨナラ「フェンス越え」単打、そして06年の日本一、そして引退にかけての「新庄劇場」と数多くの名エピソードの持ち主。
・フアン・カルロス・ムニス (ロッテ、外野手) 1976年
※2009年に育成選手として入団。直後に支配下登録されたものの1軍出場はなく2軍で.342 15本と活躍し中田翔の三冠王を阻んで首位打者を獲得。翌年の交流戦で1軍初出場を果たすも打撃は不振に終わりコーリーとともに退団。なお2013年のWBCではブラジル代表として侍ジャパンとして対戦経験もあり田中将大からヒットを放っている。
・トマス・デラロサ (中日、内野手) 1977年
※2008年に入団テストを受け入団。北京オリンピックに出場予想されていたアライバの代役として期待されショートなどで93試合に出場。翌年は育成コーチ兼任としてプレーしブランコにアドバイスを施し活躍をサポート。同年オフに引退し2010年からは育成スタッフとしてドミニカ出身選手に対する指導を行っている。
おめでとうございます
新庄は面白い選手だったなあ
スターって感じで
鉄平といえば、「姉!ちゃんとしようよ」のミニポスターを持たされた
コラ画像が印象に残っています。
2001年にいきなり.280越えの20本超えた時にはビビった
そのあとメッツに行くとかさらにビビった
練習試合2試合のスタッフだからそこまで意味がある人選かはわからないとはいえ投手コーチに権藤と斎藤隆か
http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20160128_1.html
斎藤隆は若いしつばつけとけって感じなのかな?とはいえ斎藤自身はフロント入りをキャリアの最終目標にしているような気もするけど
権藤さんは、2試合程度なら監督と衝突することもないでしょう。長期にわたると投手の側につくから野手出身の監督と喧嘩する傾向にあるとはいえ
それにしても、監督の采配ミスに関しては将来への糧で個人的には納得できるからまあいいんだけど
仁志のあまりにも立ってる意味がない三塁コーチぶりに関しては正直辟易したからそこが続投ってのがなんともなぁ…修正してくるのかしら
そりゃあ仁志はアマチュア球暦は華やかだし、ジュニア年代帆の教育者としての一面は評価されるにしかるべきものであり紐つけておきたいというのはわかるんだが
政治力で決めてるんやろ
明日は選抜出場校発表の日か
1月29日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
なし
OBなど
・ジム・バーマ (西鉄、内野手) 1931年
※1963年にウィルソン・ロイとともに入団しセカンドのレギュラーを掴み同年のリーグ優勝に貢献。以降も5年間で82本塁打を放ち西鉄のクリーンナップを担い続けた。
・ジム・タイロン (西武、外野手) 1949年
※1979年途中に不振のミューサーの代役として入団。翌2年目に主に1番打者として35本塁打を放つ。81年からはトレードで南海に移籍し2年間で31本塁打、打率も安定していたが82年に解雇された。
・平塚克洋 (横浜・オリックス・阪神・西武、外野手) 1966年
※横浜やオリックス時代は控えなどで出場機会は限られていたが、阪神移籍後は右翼や一塁でレギュラーを獲得し暗黒時代の救世主として活躍を見せ、その後も八木裕とともに代打で活躍。現在は阪神のスカウト。
・秋元宏作 (西武・横浜、捕手) 1968年
※西武時代は1軍出場がなくトレードで移籍した横浜で1軍に定着。2番手捕手として起用され特に抑えの大魔神・佐々木との相性がよく抑え捕手として活躍。引退後は横浜のコーチを経て現在は西武の2軍バッテリーコーチ。
・モーガン・バークハート (ダイエー、内野手) 1972年
※ダイエーに2002年に入団。変わったフォームで話題になり一時は体格からトラックスラーの再来の声があった。開幕戦でいきなり決勝ソロと4月までに8本塁打と活躍するも5月に当時の野手ワースト記録となる8打席連続三振を喫しシーズン途中で退団した。
・小林幹英 (広島、投手) 1974年
※1998年にルーキーながら開幕戦に登板しセリーグ9人目の新人開幕戦勝利を記録し54登板、9勝18セーブの好成績で川上、由伸、坪井とともに新人王を争った。その後は中継ぎの柱として活躍するも故障で急速が衰え2005年に引退。広島では11年間コーチを務め今年から再び1軍コーチに。
・佐藤貴規 (ヤクルト、外野手) 1993年
※ヤクルト・由規の弟であり兄の後を継ぐ形で2010年育成3位で入団。2012年、そして2014年にイースタンで3割を記録するも支配下には届かず戦力外。2015年からBCリーグ・福島でプレーしており昨年のトライアウトでも7打席で4安打、3二塁打の活躍。来季もNPBへの復帰を夢見て福島でバットを振り続ける。
おめでとうございます
小林幹英の最大瞬間風速は本当に凄かった
コバカンといい大野といい江藤といい前田といい、あの頃の広島はインパクトがあった
センバツ
http://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/1593297.html
21世紀枠(3):釜石(岩手)、小豆島(香川)、長田(兵庫)
北海道(1):札幌第一(北海道)
東北(2):青森山田(青森)、八戸学院光星(青森)
関東・東京(6):木更津総合(千葉)、常総学院(茨城)、桐生第一(群馬)、東海大甲府(山梨)、花咲徳栄(埼玉)、関東一(東京)
東海(2):東邦(愛知)、いなべ総合学園(三重)
北信越(2):敦賀気比(福井)、福井工大福井(福井)
近畿(6):大阪桐蔭(大阪)、滋賀学園(滋賀)、龍谷大平安(京都)、明石商(兵庫)、智弁学園(奈良)、市和歌山(和歌山)
中国・四国(6):創志学園(岡山)、南陽工(山口)、開星(島根)、高松商(香川)、明徳義塾(高知)、土佐(高知)
九州(4):秀岳館(熊本)、海星(長崎)、鹿児島実(鹿児島)、日南学園(宮崎)
東北枠は青森山田と八戸学院光星という新旧青森外人部隊が占めたのか
流石に上尾高校は選ばれなかったか・・・
徳栄に頑張ってもらおう
1月30日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・新井貴浩 (広島・内野手・39歳) 1977年
※皆大好き新井さん。昨年、8年ぶりに広島に復帰するとファーストの定位置を獲得し一時は首位打者になるほどの好調。最終的に規定打席に到達し打率.275と存在感を示した。再び「25」を背負う来季は残り29本としている通算2000安打の達成が期待される。
・千賀滉大 (ソフトバンク・投手・23歳) 1993年
※力強いストレートと落差の大きい「お化けフォーク」が持ち味。2013年に救援最長となる34.1投球回連続無失点を記録し17ホールド。昨季は先発としてシーズン終盤に1軍で好投し日シリでもロングリリーフとして出場。来年も先発ローテの一員として活躍を目指す。
OBなど
・駒田桂二 (大阪・投手) 1926年
※カーブを武器に50年代のタイガースにて先発ローテとして活躍。51年に打者として本塁打を放つも相手投手がボークだったため幻の本塁打に(現在はボークでも本塁打になる)。なお投手としても54年の中日戦で10回表に杉山悟にホームランを打たれるも裏に放棄試合となり10回表そのものがなくなりこちらも幻の本塁打となった。
・小林至 (ロッテ・投手) 1968年
※入団テストを経て92年ドラフト8位で入団した東京大学出身投手。しかし東大出身のプロ野球選手としては唯一1軍経験がないまま引退。その後は参議院選に立候補したり大学の教授を経て2005年にソフトバンクのマーケティング取締役を務めるも杉内のFA移籍により辞任し降格。現在は同球団のアドバイザーとして在籍している。
・久保田智之 (阪神・投手) 1981年
※1年目から球団最速記録となる156kmをマークすると2005年に「JFK」の一員としてウィリアムス・藤川とともに鉄壁のリリーフ陣を形成。当初は抑えとして2年間で43セーブをあげ2007年にセットアッパーに回るとNPB記録の90試合に登板し9勝、46ホールドと大車輪の活躍。しかしその後は肩の故障などにより球速が衰え2014年に引退。現在は阪神の打撃投手。
・会田優志 (巨人・投手) 1984年
※ヤクルト初優勝に貢献した照夫の息子であり、2006年に入団。当初はサイドスローだったが2年目に父と同じアンダースローに転向。そして2007年に史上初の親子での1軍登板・勝利を記録し勝ちパターンに定着。しかし翌年以降は1軍の登板機会に恵まれず2009年に引退。翌年から25歳の若さでコーチに就任し現在も巨人の2軍トレーニングコーチを務めている。
・ジェレミー・ハーミッダ (日本ハム・外野手) 1984年
※左の強打者候補として日本ハムに昨年入団。5番ライトで開幕スタメンを勝ち取りその後も主に5番でスタメン出場が続くもホームラン1本、打率.211と打撃は低調に終わりシーズン終了後に退団。なおメジャーでは史上2人しかいないメジャーデビュー戦初打席満塁本塁打を2005年に記録し2009年までマーリンズのレギュラーとして活躍していた。
おめでとうございます
辛いさんおめでとう
久保田と辛いさんが同じ誕生日だったとは
辛いさんおめでとうございます。
祝福のだいじっこスレは必要ありません。
始球式で投げる機会があれば会田のモノマネで投げたいな
オリの伏見って自主トレで骨折して戦列復帰に3ヶ月とか言われてなかったっけ?何か普通に新外人のコーディエの球ブルペンで受けてて謎なんだけど
左手有鈎骨だったから復帰に3ヶ月ってのが大袈裟な報道だっただけ?
発表から1ヶ月経ってるし、リハビリ過程でここまではおkみたいなスケジュールは当然出てるやろ
またキャンプ直前のインフルエンザか
風物詩になっちゃいかんでしょ
予防の手を尽くしてても結果はどうしようもないのはわかるけどさ
いつ見ても90登板はやべぇな
>>433
この時期に体感140km/h超投げる投手の球を骨折してた左手で受けても大丈夫ってことはほぼ完治してんだろうし、復帰に3ヶ月ってのが大袈裟だったのかな?ってのを言いたかったんです
特に怪我の経過とかの記事見てなかったからブルペンで外人の球受けたってのが凄く唐突に感じちゃったんですよね。あれ?怪我してなかったっけ?と
まぁ怪我の影響が少ないことに越したことはないので喜ばしいことかと
1月31日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・山下幸輝 (DeNA・内野手・23歳) 1993年
※飛躍が期待される2年目の内野手。昨年は倉本とともに開幕1軍を掴み取り開幕戦で代走として初出場。大学時代に寮でペットボトルでゴキブリを飼育していたことから「ムシキング」と呼ばれている。
OBなど
・畑福俊英 (巨人・イーグルス、投手) 1913年
※巨人球団創設メンバーであり、1936年7月3日の大東京戦で6回1失点に抑え巨人球団史上初の公式戦勝利投手に。イーグルスに移籍した1937年には春・秋合わせて32敗を喫しており、プロ野球記録となっている1940年の中山正嘉の29敗より多い。
・宮川孝雄 (広島、外野手) 1936年
※広島では主に代打の切り札で活躍し1972年には代打打率.404、出塁率.500を記録。通算代打安打186本は現在も日本記録である。なお「当たり屋」とも呼ばれ死球の数も多かった。引退後は30年以上スカウトとして活躍し北別府、緒方孝市、前田智徳などを発掘。
・星野伸之 (阪急・オリックス・阪神、投手) 1966年
※細身な体型とは裏腹に高いスタミナと40キロ以上の緩急で名を馳せた「星の王子さま」。1987年から97年まで11年連続で2桁勝利を挙げオリックスの連覇にも貢献。2010年からオリックスのコーチを務め今年から2軍育成コーチに。カーブを中嶋聡が右手で直接捕球したエピソードは有名。
・酒井光次郎 (日本ハム・阪神、投手) 1968年
※1989年に日本ハムに入団。1年目から先発ローテに定着し3完封含む10勝を挙げたものの新人王は野茂に譲った。93年から中継ぎに転向し2年連続で40登板以上。引退後は様々なチームのコーチを歴任し2012年に就任した日本生命からは柿田裕太・吉原正平をプロへ送り出した。
・森本稀哲 (日本ハム・横浜・西武、外野手) 1981年
※新庄の弟子分のような存在として様々なパフォーマンスでファンを沸かせた選手。2006年から新庄、稲葉とともに鉄壁の外野陣を形成しリーグ優勝に貢献。主に1,2番として活躍し2009年から2年連続でリーグ最多犠打。昨年、西武で現役引退を発表し、引退試合での彼の最終打席に至る経緯は非常に印象に残るシーンとなった。
おめでとうございます
星野さんと稀哲同じ日なのか・・・
おめでとうございます
オメシャス!
山下はDeNAの二遊間というかセカンド争い的な意味でおもろい存在だなと思う
ムシキングで草
ムシキングに草生えたが様子を想像して戦慄した
ムシキング頑張ってくれよな〜頼むよ〜
稀哲ほんとお疲れ様、そしてありがとう。
AJ引退かあ
ほんとよく日本に来てくれたよなあ、晩年とはいえ(いまさら)
しかも日本一の立役者やし
長打力と守備力(と脚)という日本ではお目にかかれないタイプの選手でしたね
大正義ブレーブス(世界一とは言っていない)の中で10代でレギュラー張ってたってのはよく考えなくともすごかった
原監督って退任してたんですね
今ニュースで見て驚きました
えぇ…
3ヶ月寝てたのかな?
レス乞食でしょ
去年ってなん月頃順位予想してましたっけ(痴呆)
>>450
開幕直前の3月中旬だったとは思う(うろ覚え)
一般的にもそんなもんじゃないですかね
>>451
ありがとナス!
今年も楽しみだゾ
>>448
野球にあんまり関心が無くてニュースも見てなかっただけですが
それでも原監督については驚きましたね
ムハンマドじゃあるまいし知らない可能性はあるわな
ムハンマドじゃあるまいし
原監督退任を知って原監督が監督になったことを知った人もいたし、別にそういう人がいても不思議じゃない
確かにそうですね
言い過ぎましたすみませんでした
森監督に落合巡回コーチとか懐かしすぎる
お前はどうしたい→野球がやりたいの問答によって育成契約か
多村の場合はとにかく怪我するかしないかがあるからなぁ
2月1日になりましたが誕生日の選手リストは少々お待ちください
今回は今までにない選手の量なので…
普段でも大変そうな量なのに
特にまとめるのを苦労するレベルの量なのか…(恐怖)
早生まれのプロスポーツ選手は少ないって話をよく聞くけどなんで今日に限って多いんでしょうね・・・
遅くなりましたが2月1日生まれのプロ野球選手はこちらです
多いので分割します
現役
・エクトル・ルナ (広島・内野手・36歳) 1980年
※昨年は自己最多の133試合に出場。打率も.293とまだまだ高いアベレージを残しオールスターにも初出場を果たした。ビジエド加入により中日を退団し来年から広島でプレー。昨年は11盗塁を記録しているが成功率は10割である。
・鵜久森淳志 (ヤクルト・外野手・29歳) 1987年
※11年間在籍した日本ハムを戦力外となったが、ヤクルトに入団。プロ7年目の2011年にビデオ判定でプロ初本塁打を記録すると2012年には2軍で本塁打王を獲得した。覚醒を期待されていただけに通算6本塁打では終われない彼の12年目に期待したい。
OBなど
・沢村栄治 (巨人、投手) 1917年
※プロ野球の歴史に伝説として名を刻んだ速球派投手。1934年に開催された日米野球で強力米打線相手に8回1失点と好投。プロ野球が開始された36年秋に史上初のノーノーを達成。37年春には24勝、防0.81で史上初のMVP。しかし徴兵による手榴弾投げにより肩を負傷し復帰して以降は技巧派に転向した。1944年に戦死。その後、彼が背負った「14」は巨人軍史上初の永久欠番となり「沢村栄治賞」が樹立された。
・林義一 (大映・阪急、投手) 1920年
※大映のエースとして名を馳せた右の技巧派サイドスロー。50年から5年連続で開幕投手を務め51年には史上初のオールスターに選出し第3戦でMVP。52年の阪急戦ではパリーグ史上初のノーノーも達成。引退後は国鉄の監督や阪神・西武のコーチに就任し江夏豊や工藤公康を育てた。
・大友工 (巨人・近鉄、投手) 1925年
※第2次黄金期の巨人においてエースとして活躍した速球派サイドスロー。53年に27勝6敗、防御率、最多勝、勝率の投手3冠に沢村賞、B9、MVPとタイトルを総なめし日米野球では史上初めてメジャー球団相手に完投勝利。55年にも30勝をあげ巨人軍のリーグ優勝に5度も貢献している。特に広島相手にはめっぽう強く7年間で41勝3敗、防0.93を記録。
・箱田淳 (国鉄・大洋、内野手) 1932年
※巧打・堅守・俊足と3拍子揃った選手であり球団創設期のスワローズを支えた内野手。当初は投手だったが54年に打者に専念するとその年に球団初の3割、ベストナインに選出。その後もスワローズの野手のリーダー格として60年までほぼ全試合に出場。なお現役引退時に離婚のトラブルで全財産をなくしている。
・谷本稔 (大映・大毎・阪神、捕手) 1937年
※プロ野球史上初となる高卒ルーキー開幕戦スタメンを果たした捕手(西武・炭谷の2人のみ)。球団合併により移籍した大毎で正捕手として活躍し60年のリーグ優勝に貢献。しかしこの年の日シリでのスクイズ失敗がオーナーとの対立を招き西本監督が解任される事態に発展した。阪神では控え捕手として活躍し引退後は阪神のコーチやスカウトとして活躍。
・藤井栄治 (阪神・太平洋・阪急、外野手) 1940年
※守備に秀でた外野手であり1967年から73年まで817守備機会連続無失策のセリーグ外野手記録を持っている(パリーグ、日本記録は楽天・聖澤が所持)。打撃でも勝負強さを見せ1番、5番で活躍。しかし監督の確執により74年にトレードで太平洋に移籍して以降は出場機会が減り78年に引退。いつも表情を替えないことから「鉄仮面」と呼ばれた。
・ローン・ウッズ (中日、外野手) 1943年
※1975年に中日に入団。持ち前の俊足を活かし高木守道との1,2番コンビとして活躍し打率.263 16本 20盗塁でオールスター出場も経験。広い守備範囲と強肩で守備も一級品でダイヤモンドグラブ賞を受賞。しかし2年目は右手腱鞘炎により成績が落ち退団。
・高井保弘 (阪急、内野手) 1945年
※「通算代打本塁打27本」の世界記録を保持する「世界の代打男」。当時チームメイトだったスペンサーに倣い、相手のクセを見抜くことを得意とし代打で好成績を残し続けた。74年にはパリーグ記録の代打本塁打6本、オールスターでは史上初の代打逆転サヨナラ本塁打を放った。DH制が導入されてからは指名打者としても活躍し、77年にはベストナインも獲得している。
・小川邦和 (巨人・広島、投手) 1947年
※スリークォーター気味のサイドスローから投げる変化球を武器にV9末期から第1次長嶋巨人を支え74年には中継ぎとして12勝を挙げた。78年に単身渡米しメジャーに挑戦しブルワーズのマイナーに入団するもメジャー昇格はならなかった。81年に広島に復帰し中継ぎとして活躍。大洋のシピンは彼を大の苦手としており「シピン殺し」とも呼ばれた。
・荘勝雄 (ロッテ、投手) 1959年
※85年にロッテに入団。速球とナックルの絶妙な緩急で先発・抑え両方でフル回転し3年連続15完投以上、助っ人初の1年目から5年連続2桁勝利を記録。郭源治・郭泰源とともに「二郭一荘」として台湾の国民的英雄でもあった。引退後はロッテでコーチを10年以上務め、現在はBCリーグ福井のコーチを務めている。
・木戸克彦 (阪神、捕手) 1961年
※巧みなリードと強肩で85年に吉田監督に正捕手に抜擢されリーグ優勝、日本一に貢献しダイヤモンドグラブ賞も受賞。翌年以降は嶋田宗彦とのレギュラー争いもあったが90年まで正捕手の地を守り続けた。現役時代は中西清起、平田勝男とともに「NHKトリオ」と呼ばれていた。引退後は阪神のコーチを長らく務め、2015年に球団本部付次長となった。
・大久保博元 (西武・巨人、捕手) 1967年
※西武時代は正捕手に伊東勤がおり出番は少なかった。巨人移籍後はいきなり正捕手に抜擢され本塁打を打った試合は全て勝利し「大久保が打てば負けない」というジンクスまで生まれた。28歳の若さで引退した後は2008年に西武のコーチに就任。昨年は楽天の監督にも就任。しかし暴力行為などの不祥事も多かった。今後は飲食店を経営する予定とのこと。
・エドウィン・ハタド (オリックス、投手) 1970年
※1998年にオリックスに入団。登録名は「ウィン」。速球を武器に先発から中継ぎ、さらには抑えとしてフル回転し8勝・7セーブを挙げてオールスターにも出場。翌年は中継ぎ中心で防御率も2点台と好投したもののシーズン途中で目を負傷しそのまま退団となった。
・平下晃司 (近鉄・阪神・ロッテ・オリックス、外野手) 1978年
※近鉄では5年目に準レギュラーとしてセンターに定着。トレードで阪神に移籍すると「F1セブン」の5号車として選ばれ左の代打として9連敗を阻止するサヨナラ安打も。さらに2度のトレードでロッテ・オリックスに移籍するも活躍はできなかった。引退後は豚肉料理店の店主や女子プロ野球のコーチを経験した。
・エリック・アルモンテ (日本ハム・内野手) 1978年
※日本ハムに2005年に入団。選球眼がよく四球を選び出塁率こそ高かったが打撃は1割台と不振に陥り高田GMが「全然ダメ」と嘆くほどお粗末な失策を繰り返し5月に2軍降格。最終的にシーズン途中の9月に解雇された。2002年に巨人に在籍したヘクター・アルモンテは彼の兄である。
おめでとうございます
環境を変えたラストチャンスさんは今年活躍できるのか
>>462
>昨年は11盗塁を記録しているが成功率は10割である。
ルナそんな盗塁してたのか
もうキャンプ脱落者が何人かいて笑える
>>465
足は別に速いというわけではないのですが
ノーマークのとき思い切って走るのがうまいって感じですね
ピンズド感だけでいえば広島・ルナは良い補強したよほんとに
2月2日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・島内宏明 (楽天・外野手・26歳) 1990年
※2013年に97試合に出場し打率.284を記録し日本一に貢献。しかし昨年は自己最少の25試合にしか出場できず。2012年に「隠された」今江とチームメイトになった今年は外野の定位置を掴みたいところ。
・郭俊麟 (西武・投手・24歳) 1992年
※西武に入団した昨年は主に先発で積極的に起用されるも3勝に終わった。2014年には21U野球ワールドカップ決勝戦で日本と対戦し楽天・森との投げ合いを7回無失点で制し大会MVP。ちなみに2011年のIBAF野球W杯ではあのセギノールに満塁本塁打を喫している。
OBなど
・島原輝夫 (南海、外野手) 1927年
※50年代のホークスで主に7番・ライトでプレーし選手時代に6度のリーグ優勝、日本一1回を経験。引退後は西武のスカウトとなり伊東勤らの獲得に貢献した。
・ドン・ビュフォード (太平洋・南海、外野手) 1937年
※73年にロッテとのラフィーバーの争奪に負けた太平洋に入団(これがいわゆる両球団の遺恨劇のきっかけとなった)。すでに36歳と高齢だったが開幕戦でサヨナラ本塁打を放つと翌年には打率.330と活躍。なおメジャーと日本の双方でオールスターに出場した初めての選手でもある。
・大野雄次 (大洋・巨人・ヤクルト、内野手) 1961年
※86年に大洋に入団したが当時既に子供がおり「子連れルーキー」と呼ばれた。主に代打で活躍していたが、91年にトレードされた巨人では2年で自由契約。しかしヤクルトで「野村再生工場」に拾われ95年には代打で史上5人目の日シリ初打席本塁打、96年にはシーズン2本の代打逆転満塁本塁打を記録した。
・豊田清 (西武・巨人・広島、投手) 1971年
※西武では97年、99年に2桁勝利を挙げ先発ローテとして活躍すると2001年からは抑えに転向し2002年には当時パリーグ1位の38セーブ、防0.76を記録するなど抜群の安定感を誇った。巨人にFA移籍して以降は上原やクルーンに繋ぐセットアッパーとして活躍した。登板時にバックスクリーンと外野手に向けて帽子のつばをとって一礼する「守護神降臨のポーズ」も印象的。
・ジャレッド・フェルナンデス (広島、投手) 1972年
※2007年に広島に入団。日本球界では珍しいナックルボーラー。投球の来日初登板初先発となったヤクルト戦では5回途中10失点だったが、その後は先発・中継ぎとして様々な場面で起用。しかし結果的に6点台に終わり1年で退団した。尊敬する野球選手は王貞治であり監督を務めていたソフトバンク戦では好投したり、王の自伝にサインを貰ってご満悦もしていた。
・中村真人 (楽天、外野手) 1982年
※育成2位として楽天に2007年に入団。翌年に支配下登録されると同じく育成出身の内村とともに1・2番コンビとして活躍。2009年には101試合に出場しチームのCS出場に貢献。とんでもないボールをホームランにする「悪球打ち」の技術に秀でていた。いじられキャラでもありその性格の明るさを武器に現在は仙台市内でスポーツバーを経営している。
おめでとうございます
フェルナンデスが牽制を教えた功績を忘れてはいけない(戒め)
フェルナンデスかわいい
体調なんてもんは気を付けてても悪くなる時は悪くなるから仕方ないけど、迎がリタイア1号って何かコーチなっても迎は迎だなぁ…
フェルナンデスは横山に牽制教えてそれが広島投手陣に伝授されたんだっけ?
晩年に拾ったシュールストロムがスカウトでルイスバリントンサファテ持ってきたりこういう外国人エピソード多いよね
26歳でメジャー実績それなりの長距離砲とか夢が凄い
2月3日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・谷内亮太 (ヤクルト・内野手・25歳) 1991年
※2年目の2014年に43試合に出場しブレイクが期待されたが昨年は4試合の出場にとどまった。2軍では92試合で出場し打率.279 5本。守備力が高く遊撃手の定位置をまずは目指したいところ。
・高橋光成 (西武・投手・19歳) 1997年
※1年目の昨年は8月に1軍昇格すると9日のオリックス戦で6回途中無失点でプロ初勝利。さらに23日のロッテ戦ではプロ初完封勝利を記録しさらに月間4勝を挙げ両リーグ最年少の月間MVPを獲得した。未来のエース候補として期待が集まる逸材。
OBなど
・秋山登 (大洋、投手) 1934年
※アンダースローから投げる剛球と元祖「カミソリシュート」を武器に活躍した大洋のエース。1年目から25勝を挙げ新人王を獲得すると9年連続50登板、2桁勝利を記録。60年には21勝、防1.75で大洋初のリーグ優勝に貢献しMVPも獲得。非常にタフでありダブルヘッダーで1日2勝を5回は日本記録。また2リーグ制以降唯一の2日連続完封勝利も記録。引退後は大洋の監督も務めた。
・城之内邦雄 (巨人・ロッテ、投手) 1940年
※全球団の監督が彼の実家に押し寄せるほどの注目を集めながら巨人に入団。新人ながら62年の開幕投手を務めると24勝を挙げ新人王を獲得。以降は5年で通算100勝に到達すると入団からV9時代初期まで7年連続2桁勝利をあげ「エースのジョー」の.名で親しまれた。しかしタイトルとは縁がなく投手タイトルやベストナインは1回も獲得していない。
・バート・ミアディッチ (巨人、投手) 1976年
※ミセリの解雇により抑えを補強するため巨人に入団。当時横浜に在籍していたクルーンに「俺が先に160キロを出す」と豪語しライバル視していた。実際150キロ前後をコンスタントに出すものの制球難やクイックの遅さで安定感を欠き抑えの座も林昌範に奪われ結果的に1年で退団。なお川上憲伸に特大ホームランを打たれている。
・延江大輔 (オリックス、投手) 1989年
※長身で左投げのサイドスローであり「瀬戸内のランディ・ジョンソン」がニックネーム。体の線が細く入団1年目は公式戦登板は1,2軍通してなく2年目に2軍で初登板するも制球難に苦しむ。2010年の春季キャンプでは好調で開幕1軍入りも考えられたが西武との練習試合で大乱調になり2軍落ちし結果的に1軍登板はできないまま2012年に戦力外。
おめでとうございます
高橋くんは期待してますね
中村紀、吉村、赤星らが学生野球資格を無事取り戻したか
吉村が母校PLに戻ったりするのかってのが気になるところ
巨人の監督レースからは完全に脱落しているわけだし
カープ新外国人の恵方巻止めたんやな
まあいわゆるジンクスにすぎないけど、球界ではゲン担ぎとか気にしてるひとも多いし
城之内邦雄さんの引退後のエピソード
落合博満さん発掘
やきゅつく3で秋山登は強かったイメージ
李大浩、マリナーズと1年契約の速報
よかおめ
さーてソフトバンクはどう動くかな
やっぱ一塁手・内川のプランになるんかいな
ペーニャ獲得したほうがいいと思う
オフにどっかからまたさらってくるんでしょ
>谷内 守備力が高く
動きは良いんだけどやらかしが多いのがなぁ・・・
ソフトバンクはカニザレスいるし…
冗談じゃなく良くカニさん腐らずやってるなあと思う
カニザレスは元々保険程度のポジションでしょ
(36)で活躍のめどが立ってるわけでもないのに一年それで計算するわけ無い
もう一人は外国人野手連れてくるとは思うけどね
ファーストかレフトかもう割りきってDH専なのかはわからんけど
まぁデホとの交渉は一月いっぱいで駄目なら新外人ってのはずっと言ってたしね
この時期はなかなか厳しいと思うけど
外野の方は一軍レベルや有望株がだぶついてるから
取るなら一塁DHってタイプだろうな
李大浩はマリナーズで出番あるのかな
>>491
左打者・対左が良くないアダム・リンドと併用じゃないかと言われてる
2月4日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・川端崇義 (オリックス・外野手・31歳) 1985年
※1年目から新人唯一の開幕1軍に選ばれると規定打席に到達し球団タイ記録となる新人最多となる114安打を放った。昨年は自己最少の56試合出場にとどまった。来季こそ1年目以上の成績を望みたいところ。
・杉谷拳士 (日本ハム・外野手・25歳) 1991年
※非常に明るい性格でファンを沸かすムードメーカー。2014年は自らネタにするほど左打席で結果を残せなかったが昨年は左打席で3割を記録するなど右打席と合わせて打率.295と成長を見せた。来季の彼はさらにファンの注目を集めることに期待したい。
OBなど
・山中雅博 (大阪、投手) 1937年
※後に笘篠誠治や種田仁、薮田安彦、そして黒田博樹らを輩出することになる上宮高校出身で初のプロ野球選手。当時チームに貴重な左腕だったこともあり1年目から起用され5勝を記録。しかし翌年は5登板に留まりそのままわずか2年で引退。
・寺田吉孝 (近鉄・ヤクルト・広島、捕手・外野手) 1953年
※入団当時は捕手だったが1軍でマスクを被ることはなく7年目に外野手に転向。するとウエスタンで首位打者を獲得し1軍にも初出場。その後マニエルらとのトレードでヤクルトに移籍すると自己最多の67試合に出場。広島含めた3球団で外野の守備固め要員として活躍。引退後は南海の2軍守備コーチを務めた。
・森浩之 (南海・ダイエー、捕手) 1965年
※PL学園では正捕手を務め1982年の選抜大会で優勝に導いた。入団した南海では打撃に苦しみ、さらに吉永幸一郎らの台頭もあってプロ5年で引退。その後はブルペンコーチや2軍コーチ補佐に就任し長らくホークスに在籍し現在はスコアラーを務めている。
・大久保勝也 (大洋、投手・内野手) 1967年
※1985年に大洋に入団。当初は投手だったが、入団直後に野手としてのセンスを買われて内野手に転向。2年目にアメリカに野球留学するもファームでも定位置を掴めず4年で引退。その後はチームのマネージャーとして10年近く務め、現在は楽天のチーム統括部運営部長を務めている。
・戸叶尚 (横浜・オリックス・楽天、投手) 1975年
※スリークォーター気味のサイドスローに転向した3年目の95年に1軍初登板すると97年に先発として2桁勝利。98年には巨人キラーとして活躍し8勝を挙げ日本一に貢献。オリックスでは中継ぎの一角として4年間で139登板。分配ドラフトで楽天に移籍するが早期精巣癌の手術もあり2006年に引退。
・トム・マストニー (横浜、投手) 1981年
※NPB・MLBともに史上初となるインドネシア出身投手。2009年に入団するもなかなか初勝利に恵まれず4月30日の阪神戦で7回途中無失点と好投するも9回に石井が炎上し逆転サヨナラ負け、それから2ヶ月後の同じく阪神戦でも7回途中無失点だったが今度は山口が炎上し逆転サヨナラ負けを喫し初勝利を掴んだのは7月だったがその1勝どまりとなり1年で退団した。
おめでとうございます
シーズン中よりオフにどんどん株を上げていく杉谷拳士とかいう男
杉谷は便利すぎて逆に損してる気がする
やらかしも少なくってる
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この背番号63は戸叶の番号です!
杉谷はそろそろ本気で田中賢介の後釜狙えるころだからな
今年が勝負の年 頑張って欲しい
ジョニー・ゴームズこマ?
2013レッドソックス(WS制覇)の中心選手の一人やん
李大浩はマイナー契約だったのか
前評判の割には良い契約とれたんだなと思ってたけど
400万ドルはメジャーで頑張ったら貰える総額ってことかなあ
宇宙忍者ゴームズってAAできそう
デホは年齢実績守備位置考えたら仕方ないけどあの年齢でマイナーの移動に参っちゃいそう
岡島がオリオールズとマイナー契約か
何だかんだ野球人生楽しんでるよねこの人
オカジまたアメリカに行くのか
赤靴下軍団の頃を思い出しますね…
マートンは元の鞘(カブス)に収まりそうですね
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160204-00000001-dal-spo
前阪神マートン カブスとマイナー契約 ムネリンとチームメイトに
>>500
金額とか関係なくアメリカでやってみたかったんだろうね
もしくはマイナーから這い上がる自信があるとも というかマイナー契約にしては高いからロースターの問題もあるのかな
金男おおお
クッソ馴染んでて草
これで不合格だったら悲しくなるな
http://i.imgur.com/J2StBz3.jpg
西武のショートは外崎、金子侑、永江あたりが争うことになるんですかね・・・
そうだ、浅村をショートに戻そう(錯乱)
ともかくキムショーは結果はどうであれ悔いなくテストを頑張ってほしいですね
ショート浅村は送球難があんまりにもあんまりだったっけな
それでファーストならまだしも後にセカンドに定着は面白いけど
ショートは鬼崎じゃない
西武ファンおるの?
いるなら専スレでやれば
2月5日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・鈴木優 (オリックス・投手・19歳) 1997年
※ドラフト制以降史上3人目となる都立高校から直接プロ入りした選手。昨年の9月30日西武戦で1軍初登板を果たすも1アウトしか取れず2失点と苦いデビューとなった。なおドラフト当日は学校が会見場を用意できず自宅の8畳のダイニングで会見を行った。
OBなど
・山田伝 (阪急、外野手・投手) 1914年
※和歌山県生まれカリフォルニア出身の日系2世。37年に阪急に入団すると1番中堅手として46年までほぼフル出場を果たす。43年に記録した56盗塁は戦前のシーズン最多記録。なお40年に投手として2失点完投でプロ初勝利を果たすがその試合で阪急はプロ野球記録となる32得点を記録している。非常に俊足でどんな打球でもヘソの部分で捕球したことから「ヘソ伝」と呼ばれた。
・小池兼司 (南海、内野手) 1939年
※61年に南海に入団すると1年目から遊撃手でレギュラー出場を果たし堅実な守備と引っ張る打撃で63年から4年連続でベストナインを獲得。68年には当時の日本記録となる218守備機会連続無失策を記録。引退後は南海や台湾・三商のコーチを務め現在は大阪ホークスドリーム女子野球部の監督。
・小林正之 (広島、内野手) 1947年
※現役時代は1年目から控え内野手として出場機会を得るも打撃に伸び悩み5年で引退。その後は広島のコーチを務めると監督が一目置く卓越したデータ分析で黄金期を支えた。その後は大洋やダイエー、阪神のコーチを歴任し現在は母校である千葉商科大学野球部監督を務める。
・井上洋一 (ヤクルト・ロッテ、内野手) 1949年
※ヤクルトでは本職の内野に加え外野も守れるユーティリティとして重宝され75年には98試合に出場。金銭トレードで移籍したロッテで二塁手の定位置を掴み81年には122試合に出場も落合博満や西村徳文の台頭もありその後は出番が減少するも貴重な控えとして活躍し続けた。引退後はヤクルトのコーチやスコアラーを歴任。
・川原新治 (阪神、投手) 1962年
※関西六大学リーグでは現在でもリーグ記録である7試合連続完封・77イニング連続無失点を記録したアンダースローの技巧派。当時は抑えとして期待されていたが球威の弱さから成績は残せず85年の優勝時も貢献はできずわずか4年で引退。その後は阪神の打撃投手を務めた。
・仲田秀司 (西武、捕手) 1966年
※2年目の85年から伊東勤に次ぐ2番手捕手として1軍に定着し西武の黄金期を陰ながら支え9度のリーグ優勝、6度の日本一を経験。引退後はチームスタッフを務め2010年からは捕手コーチ補佐に就任。2014年には打撃投手。なお息子は現在ジャニーズJr.に在籍している。
・クリス・ブロック (広島、投手) 1970年
※広島に2003年に入団。先発ローテとして定着すると8勝を挙げた。しかし当時史上最多となる11ボークを記録したり報復死球や審判への暴言など気性の荒さも露見。なお打率.318 2本と投手としては破格の打撃力を誇っており代打で起用されたりさらには三盗も記録。しかし2年目は右肩の負傷で1試合も登板できず退団。
・生駒雅紀 (日本ハム、投手) 1975年
※96年ドラフト4位で入団。1年目から中継ぎとして1軍に登板し3年目の99年には先発含む30試合に登板し2勝8敗、4セーブを記録。しかし2001年以降は登板機会が減り7年目の2003年に戦力外。各球団の入団テスト受けるも受け入れ先はなく引退。
おめでとうございます
>>512
球団の話を球団のスレでやらなくちゃいけないローカルルールでもあるわけじゃないし、良いのでは・・・
そもそもライオンズのスレって過疎ってる上に煽られる
今日の誕生日勢はぜんぜんわかんねえ…
>ライオンズのスレって過疎ってる上に煽られる
ええ……(困惑)
ブロックは打てる投手としての印象が強いなぁ
小池って人はよく知らんけど日本人遊撃手の歴代守備得点ランキングで小坂に次いで2位だったかな?
>>515
どういうことなの…(レ)
去年も何故かここでヤクルトの実況してる人いたしあまり楚蟹買わない程度ならいいんじゃないですかね…
あまりガチガチにしちゃうと面倒だろうし
ひ、楚蟹…
>>513
>なおドラフト当日は学校が会見場を用意できず自宅の8畳のダイニングで会見を行った。
会議室くらいあんだろ・・・なんとかしろ!
ブロックは8番にバントさせてブロック勝負とかあったんでしたっけ?
>>520
戸田配信実況して西武ファンらしき人とここで盛り上がってました
昌さんとか沖縄で過ごした期間をトータルすれば数年分だもんな
なんで肩口から袖を黒にしちゃったかなあ…>阪神ビジター&ウル虎のユニ
以前と完全に同じものにはしない/できないにしても
2月6日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・上沢直之 (日本ハム・投手・22歳) 1994年
※2014年に尾崎行雄以来チーム52年ぶりの1軍デビュー3戦3勝などでチーム2位の8勝。昨年も先発ローテの一員として初登板のオリックス戦1失点完投で好投するも後半戦では1試合も登板できず5勝どまりとなった。まだ22歳と若く日本ハムのこれからを背負っていく存在としてさらなる飛躍を期待したいところ。
OBなど
・鈴木皖武 (国鉄・阪神・ロッテ、投手) 1941年
※サイドスローから投げる威力のある速球で1年目から国鉄の中継ぎとして活躍し66年にリーグトップの62登板で8勝、翌年にも8勝を挙げオールスターにも選出。阪神でも中継ぎとして活躍するも73年に金田監督を殴り謹慎処分も。通算14年間で502登板の成績を残し引退後は昨年まで40年間ロッテのスカウトを務めた。
・門田富昭 (大洋、投手) 1956年
※入団時には既に子供がおり「子連れルーキー」と話題に。1年目から先発や中継ぎとして5勝を挙げるも巨人戦で死球を与えたシピンから暴行を受ける。翌年から肩を故障し3年間思うように投げられなかったが82年に復活を果たし8勝をあげた。引退後は大洋の2軍投手コーチや打撃投手を務め、現在は地元福岡で会社員。
・後藤祝秀 (中日、投手) 1960年
※80年にドラフト2位で中日に入団。192cmの長身から投げおろす角度のある速球やスライダー・フォークが武器だったが制球難に苦しみ6年間で1勝もできず引退。引退後は「マック後藤」の芸名で俳優に転向し92年のアメリカ映画「ミスター・ベースボール」で投手役として出演した。
・佐藤和史 (ロッテ、投手・外野手) 1962年
※入団当初は投手だったがプロ4年目から外野手に転向。その後も2軍での出場が続いたが7年目の86年に1軍初出場を果たすと11年目の90年にようやくプロ初ヒットを記録すると代打などで打率.326を記録した遅咲きの選手。しかし出場機会は増えず92年に引退。その後はロッテのコーチを2年間務めた。
・チャド・アレン (オリックス、外野手) 1975年
※2007年にオリックスに入団。アトランタ五輪ではアメリカ代表の4番として銅メダルを獲得している。開幕第3戦で当時15連敗中だった日本ハム・金村暁から決勝の2点適時打を放った。一時は2軍落ちしていたが再昇格後はローズやラロッカの助言もあり成績が伸び最終的に打率.286、得点圏打率.321。しかし大砲が欲しいチーム事情により1年で退団。
・喜多隆志 (ロッテ、外野手) 1980年
※東京六大学野球でシーズン打率.535のリーグ記録を持ち2001年ドラフト1位でロッテに入団。1年目の5月にプロ初安打をサヨナラ打を放つと続く試合でもサヨナラ安打を放ちリーグ史上8人目、新人としては初の2試合連続サヨナラ打を記録。しかしその後は1軍での出場機会が減り5年目の2006年に引退。現在は母校・智弁和歌山高校の教師。
おめでとうございます
上沢は来年こそに期待
今年は期待しないのか…(困惑)
今年こそだったゾ(池沼)
先発の層が野獣のアナルよりガバガバだからね
上沢には活躍してもらわないと困る
松田遼馬の怪我の多さもたいがいやな…
2年ぶり3度目のキャンプ故障
熱いスペ魂
2月7日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
なし
OBなど
・ジョニー・ワーハス (大洋、内野手) 1938年
※大砲候補として期待され71年に入団。開幕戦こそ4番サードでスタメンし4打数2安打と結果を残すがその後はみるみる打てなくなり100試合に出場するも打率.214 8本と散々な結果に終わり1年で退団。その翌年に代役として入団したのが「ライオン丸」の名で大活躍するシピンであった。
・菊川昭二郎 (近鉄・西鉄・ロッテ、内野手) 1945年
※近鉄ではプロ5年目に内野のユーティリティとして定着。その翌年に西鉄にトレード移籍すると遊撃手のレギュラーとなり72年に初めて規定打席にも到達しチャンスメーカーとして活躍。翌年は三塁手に回り自己最多の122試合に出場もビュフォードの内野転向により出場機会が減少。ロッテでも定位置は掴めず76年に引退。
・カルロス・ポンセ (大洋、内野手) 1959年
※特徴的な口ひげから当時大流行していた「マリオ」のあだ名で親しまれた大洋の優良助っ人。86年にはスーパーカートリオに続く4番打者として打率.322、27本、105打点、18盗塁を記録するもバースが三冠王となり無冠に終わった。その後2年間で打点王2回、本塁打王1回、B9が2回と大活躍を果たした。退団後も横浜には度々顔を出しており98年のリーグ優勝時にメッセージを送ったり昨年にも来日しハマスタに姿を現している。
・真田裕貴 (巨人・横浜・ヤクルト、投手) 1984年
※巨人では1年目から先発ローテに定着し球団では堀内恒夫以来となる36年ぶりの高卒1年目6勝を達成。その後は球速が落ち苦しい時期が続いたが横浜に移籍すると中継ぎの一角として復活し2009年には自己最多の68登板、19ホールド。2013年には台湾で新記録となる32ホールドで最優秀中継ぎも獲得。ヤクルト退団後はBCリーグ福島で兼任コーチとして昨年23登板、防0.86。来年からは福井で同じく兼任コーチとしてプレーする。
おめでとうございます
真田はかなり期待をかけられてたけど怪我に苦しんだなあ
これもシュートPの宿命か
真田は尾花横浜時代に投げ過ぎたなあ…
頼れる中継ぎが他にいなかったんだよ
紅白戦楽しいけど、この時期のは色んな意味でアテにはならんな
いい動きしてた選手は注目するけど
NHKでヤクルトの特集いいゾ〜
2月8日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・福井優也 (広島・投手・28歳) 1988年
※昨シーズンは先発ローテの一員として自己最多の9勝、防御率3.56と飛躍の1年となった。マエケンが退団した今年、右腕エース候補としてさらなる活躍が求められる。ちなみにプロ初勝利は斎藤祐樹と同じ日にしかも双方プロ初登板で達成している。
・松田遼馬 (阪神・投手・22歳) 1994年
※昨年の開幕シリーズで球団初の開幕2戦2勝を記録。しかし自身最多の30登板も防5.74と満足できないシーズンとなった。高齢化が進む阪神の勝利の方程式に食い込みたいところだが、先日右肩の関節炎でキャンプを離脱し苦しいスタートを切った。
OBなど
・浅岡三郎 (東京・大洋、投手・内野手・外野手) 1914年
※東京セネタースでは先発の一員として活躍し40年には14勝、防1.66の好成績。また野手としても400試合に出場し42年には101試合に出場している。現在、消息が判明している最高齢の元プロ野球選手であり今年で102歳となる。
・宮崎仁郎 (近畿・松竹・洋松・広島、内野手) 1920年
※近鉄入団1年目から遊撃手のレギュラーとして103試合に出場。その後社会人野球を経て松竹に入団すると50年には「水爆打線」の8番打者として135試合に出場し打率.273 17盗塁を記録しリーグ優勝に貢献。
・渡辺誠太郎 (阪神・松竹・大洋、投手) 1922年
※当時ではかなり長身の182cmから投げおろす落差の大きいドロップが武器。戦争から帰還した46年にタイガースに復帰すると開幕投手を務め自身初の2桁勝利。この年の7月26日のパシフィック戦で史上最短試合時間である55分で完封勝利をあげている。
・柴田勲 (巨人、投手・外野手) 1944年
※高校時代は甲子園の優勝投手であり入団当初は投手だったが、翌年から外野手に転向。赤い手袋をトレードマークにV9時代の巨人軍の1番打者に定着し67年には70盗塁などセリーグ記録となる通算579盗塁で盗塁王を6回獲得。日本におけるスイッチヒッターの草分け的存在でもあり巨人生え抜きとして巨人で2000安打を達成した最後の選手でもある。
・柴田健斗 (オリックス、投手) 1989年
※2013年ドラフト7位でBCリーグ信濃から初のプロ野球選手として入団。プロ2年目の昨季は2軍で中継ぎとして31登板で防3.98だったが戦力外。トライアウトも受験し打者3人を無安打に抑えた。そして今年の1月25日にBCリーグ愛媛に入団。再出発の舞台に臨む。
おめでとうございます
訂正
×斎藤祐樹→○斎藤佑樹
松田のケガがタイムリーすぎて草も生えない
安藤、福原が健在のうちに実力付けて台頭したいとこなんだが(まあ後者はもう化け物の域やけど)
怪我怪我アンド怪我はほんと育成以前の問題だからな
多村さん肉離れか…
そりゃ戦力外になるわ
De山崎が靱帯やってヤマヤス逝ったんかとキモを冷やした
週刊ベースボールの選手名鑑の号、今日発売だったのか
2月9日誕生日のプロ野球選手はこちらです
多いので分割です
現役
T-岡田 (オリックス・外野手・28歳) 1988年
※2010年本塁打王のタイトルを持つ「浪速のゴジラ」。6月に新垣から史上274人目の通算100本塁打を達成するが本塁打数は前年の半分以下の11本に終わった。打率は.280と悪くないだけに来年こそ本領発揮したいところ。
OBなど
・鬼頭政一 (名古屋・朝日・西鉄・近鉄、内野手・外野手) 1920年
※主にサードやライトで各球団の中軸を打ち、54年にはリーグ4位の打率.292を記録。引退後は西鉄のコーチを務めると76年に太平洋の監督に就任。2年連続で最下位に終わるも真弓明信らをはじめとして若手を積極的に使い「走る野球」でベテランの対立を受けながら若返りを断行した。
・広岡達朗 (巨人、内野手) 1932年
※巨人では1年目から遊撃手のレギュラーとして打率.314 15本を記録し新人王。その後も第2次黄金期の巨人を支えた名遊撃手として活躍。引退後は広島のコーチで山本や衣笠を育て上げ黄金期の礎を築くと徹底した「管理野球」でヤクルト・西武の監督を務め当時弱小球団だった2球団をわずかな期間で日本一に導いた。95年にはロッテのGMを務めバレンタイン監督を招聘した。
・クリート・ボイヤー (大洋、内野手) 1937年
※名門ヤンキースで正三塁手を務めチームの5連覇に貢献した実績をもつ選手。大洋では打撃は4年間で打率.257・71本塁打だったが、その打撃を補って余りある守備力を持ち絶対的スターである長嶋を差し置いて2年連続でダイヤモンドグラブ賞を受賞。なお日米での守備部門の受賞は彼が初となる。引退後はそのままコーチを務め、鉄壁の内野陣が代々継承されるきっかけとなる「ティーチャー」として慕われた。
・松岡功祐 (大洋、内野手) 1943年
※66年ドラフト1位で入団すると1年目から遊撃手のレギュラーを奪い123試合に出場。その後は米田との激しいポジション争いが続くが75年から山下大輔の台頭により77年で引退。その後は横浜のコーチやスカウトを務め波留や相川、木塚の獲得に貢献。2011年には明治大学のコーチに就任し島内宏明らを送り出している。なお2004年の一場問題で一場に金銭授与をする不祥事も起こしている。現在は中日の育成コーチの傍ら選手寮の館長を務めている。
・平田薫 (巨人・大洋・ヤクルト、内野手) 1954年
※巨人では大学時代から同期の中畑・二宮と「駒沢三羽カラス」と呼ばれ「左キラー」の代打要員として活躍。81年の日本ハムとの日シリで木田勇や高橋一三から本塁打を放ち大活躍。大洋に移籍した85年には古巣巨人の自力優勝を消滅させる満塁弾を放った。ヤクルト時代では東京ドーム初の公式戦で角三男から決勝の2点適時打を放ちこの年限りで引退した。
・野田浩司 (阪神・オリックス、投手) 1968年
※視界から消える鋭い「お化けフォーク」を武器に阪神では先発・中継ぎの双方をこなし1年目から規定投球回に達すると3年目には11勝。松永浩美とのトレードで移籍したオリックス1年目に17勝を挙げて最多勝。さらに95年のロッテ戦で1試合19奪三振の日本新記録を達成し3年連続200奪三振を達成、オリックスの2連覇にも貢献した。
・山田勉 (ヤクルト・広島・ダイエー、投手) 1968年
※スリークォーターから投げる速球で抑えの高津に繋ぐセットアッパーとして活躍。93年から2年連続で10勝を挙げ、2度のリーグ優勝に貢献。広島を経て入団したダイエーでも抑えや谷間の先発として起用され優勝に貢献。なおヤクルト時代に広島に在籍していた同姓同名の山田勉外野手と史上唯一の完全同姓同名対決を記録している。
・今関勝 (日本ハム、投手) 1971年
※日本ハムではプロ4年目の96年に覚醒し11勝をあげオールスター出場も経験。98年にも9勝をあげるが翌年に解雇され2000年からは米独立リーグでプレー。その後は2008年から楽天のジュニアコーチを5年間務め、現在は青森県弘前市の市職員の傍ら社会人野球「弘前アレッズ」の監督を務める。
・谷佳知 (オリックス・巨人、外野手) 1973年
※オリックスではセンターの定位置を掴み取りベストナイン5回。2001年に歴代最多のシーズン52二塁打、翌年に41盗塁で盗塁王、その翌年には打率.350で最多安打となる189安打の右打者パ記録を築く。巨人では1年目ではレフトのレギュラーとなり打率.318。その後は代打として活躍。2010年の木村拓也追悼試合での代打満塁HRも印象的。2000安打まで残り72本としていたが昨年限りで引退。解説者として第2の人生を歩む。
・高須洋介 (近鉄・楽天、内野手) 1976年
※近鉄では2年目以降はケガに悩まされたが分配ドラフトで移籍した楽天で二塁手のレギュラーを掴み取り球団初安打も放つ。その後は驚異的な得点圏打率を誇り「殿下」「必殺仕事人」の愛称で親しまれ野村政権から星野政権まで長く活躍。リーグ優勝を達成した2013年に退団しBCリーグ新潟で1年プレーし引退。昨年からDeNAの2軍打撃コーチを務める。
・小林憲幸 (ロッテ、投手) 1985年
※2007年育成3位で四国アイランドリーグ徳島から初のプロ野球選手として入団。2年間2軍で投げ続けるが支配下には届かず2009年に戦力外。その後は長崎や愛媛で活躍し愛媛では2年連続最優秀防御率を記録しリーグ最多の通算60勝を記録。昨年引退し、来年からはオリックスの打撃投手として6年ぶりにNPBに携わる。
おめでとうございます
トカダは活躍してくれないと困る
今関公務員になってたんか
牛込さんの本読むとボイヤーは監督になるかもって話まであったらしいんだよなぁ
実際に指揮を執った試合もあったようだし
グリエル兄弟亡命かぁ…
MLBで今すぐにやるなら仕方ないのか
正規ルート構築はまだまだ時間掛かるだろうしなあ……
とはいえ代表主力級も若いのもごっそり亡命してる状況はいち早く食い止めなきゃいかんのがつらい
野村貴仁が完璧にルンペンになってた
浮浪者のおっさんでしたね…
こんな感じのと糞遊びした岡山の糞親父は凄い
お、大田阿斗里育成契約だけどオリックスのテスト合格か
オメシャス!
2月10日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・黒田博樹 (広島・投手・41歳) 1975年
※前年電撃復帰を果たした広島が誇る大エース。40歳の昨シーズンは衰えを感じさせない投球で11勝、防2.55の活躍を果たし現役最高となる6億円で契約更改。マエケンが抜けた広島先発陣を引っ張る大黒柱として残り7勝としている日米通算200勝を目指したい。
・ルイス・クルーズ (巨人・内野手・32歳) 1984年
※昨年のシーズン前半には一時期打点王になるなど前半戦だけで14本塁打の活躍。結果的にチーム最多の73打点を挙げパリーグでは36年ぶりの助っ人二塁手GG賞を獲得も退団。2年合計4億8000万円と破格の契約で入団した巨人でさらなる存在感を示したいところ。
・福田秀平 (ソフトバンク・外野手・27歳) 1989年
※昨年は2年ぶりに1軍出場を果たすと5月9日の代走でプロ野球新記録となる32盗塁連続成功を達成。その後もチームに帯同し84試合に出場し10盗塁。日本シリーズでも3試合に先発出場を果たした。自身は今年、まだどちらも達成していない「100試合出場、30盗塁」を目標にしている。
・杉山翔大 (中日・捕手・25歳) 1991年
※3年目の昨シーズンに1軍初出場。桂依央利とともに期待の若手捕手として積極的に起用され6月27日に前田健太からプロ初HRとなる3ランを放った。結果的にチームの捕手で最多の67試合に出場。谷繁が引退したことにより正捕手争いがさらに過熱する中で今年のプレーが注目される。
OBなど
・宇野輝幸 (阪急・大洋、捕手) 1952年
※阪急では中沢伸二、河村健一郎に次ぐ3番手捕手として75年からのチームのリーグ4連覇・日本シリーズ3連覇に貢献。77年には26試合の先発マスク含む自己最多の59試合に出場。しかしトレードで移籍した大洋では3試合にしか出場できずその翌年に引退。
・馬場敏史 (ダイエー・オリックス・ヤクルト、内野手) 1965年
※ダイエーでは1年目から高い守備力を活かし1軍に定着。トレードで移籍したオリックスで三塁手のレギュラーに定着しチームの2連覇に貢献。日本シリーズでも好守を連発した。その日シリで対戦していたヤクルトでも活躍するが岩村などの若手の台頭もあり引退。その後はオリやヤク、昨年までDeNAのコーチを務め来年からは韓国ハンファのコーチ。
・高村良嘉 (巨人、内野手) 1971年
※1年目から1軍の試合に出場すると徹底して叩きつける打撃とその俊足で19安打中12本と内野安打を量産し打数は少ないが打率.358を記録。2年目には自己最多の66試合に出場するもその後は仁志敏久の台頭や自身の靭帯除去手術の影響で1軍の出番を得ることはできずわずか4年で引退。ニッポン放送では俊足で勝ち取った内野安打を「高村安打」と呼んでいた。
・渡辺亮 (阪神、投手) 1982年
※2年目に1軍初登板を果たすと当初は敗戦処理が主だったが安定した投球を見せ、「JFK」に繋ぐ場面での起用が増加。さらに翌年にはウィリアムスの故障からセットアッパーに昇格し66登板、23ホールドを記録。その後も中継ぎの一角として12年まで6年連続40登板以上を記録。しかし昨年はわずか1試合に留まり現役引退を表明。来年から阪神のスカウトとして第2の人生を歩む。
おめでとうございます。
おめでとうございます。
渡辺亮は成績以上に大活躍していた印象。
カープは同じ年に2000本と200勝が達成されそうなんやね
新井はともかく黒田はわからん
自分の力だけでどうにかなる問題でもないし
西武プリンスD、野球専用人工芝へ 張り替え工事はほぼ完了 | Full-count
http://full-count.jp/2016/02/10/post25598/
綺麗になったやん
走路も茶色にしたんやね 京セラドームっぽいか
2月11日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・清田育宏 (ロッテ・外野手・30歳) 1986年
※プロ6年目にしてついに打撃覚醒。自己最多の130試合に出場し打率.317 15本 67打点 10盗塁と獅子奮迅の活躍。特に6月にはバスターで本塁打を放つ離れ業を披露しベストナイン、GG賞も獲得。今年も中軸を担う存在としてさらなる活躍が期待される。
OBなど
・末吉俊信 (毎日、投手) 1927年
※早稲田大学野球部でエースとして活躍し早慶戦歴代最多の10勝をあげている。52年に毎日に入団すると先発な中継ぎとして1年目から起用され6勝をあげてオールスターにも出場。3年で引退しその後は毎日新聞の記者を経て伊勢丹の関連会社の店長などを務めた。
・田宮謙次郎 (大阪・毎日、投手・外野手) 1928年
※大阪入団当初は投手であり1年目の49年に11勝を挙げエース候補として期待された。その後肩の故障により外野手に転向するとレギュラーに定着し58年には新人の長嶋の三冠王を阻み首位打者を獲得。大毎では「ミサイル打線」の1,2番を担いリーグ優勝に貢献。その後は東映の監督などを務め2002年に野球殿堂入りを果たした。
・瀧安治 (巨人、内野手) 1941年
※巨人では意外性のある打撃やガッツあるプレーで内野のスーパーサブとしてV9に貢献。なお65年の広島戦で彼が放った打球が安仁屋投手の膝を直撃しその跳ね返った球を捕手が直接捕球したため史上唯一の「捕直」を放った選手でもある。引退後は巨人の内野コーチを務め1989年には8年ぶりの日本一に貢献した。
・ベン・オグリビー (近鉄、外野手) 1949年
※メジャーでは1980年に41本塁打で本塁打王に輝き、その実績をひっさげ87年に入団。この時既に38歳とかなり高齢だったが、2年連続3割20本塁打を記録しブライアントとともに活躍。非常に温厚な性格であり同僚からの信頼も厚かった。また打撃フォームが特徴的でバットを何度も回す動作は強烈なインパクトを残した。
・代田建紀 (近鉄・ヤクルト・ロッテ、外野手) 1974年
※ヤクルトに移籍したその翌年の2001年にイースタン記録となる60盗塁をマークし前年のウエスタンとともに史上唯一の両リーグ盗塁王を達成もその年に解雇。その後ロッテに入団するも1年で戦力外となるが浪人し再びロッテにテスト入団を果たすと代走要員として活躍し好走塁も見せた。引退後はロッテ2軍のコーチを務め昨年から母校の城西大学のコーチに。
おめでとうございます
そういえば清田はもう30なのか…
おーきよたーきよたーきよたーららららららららー
2010の日本シリーズは清田すごいと思う
NHKで33-4の話題が…
ノムさん無双で有働アナもたじたじしてましたね
2月12日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
なし
OBなど
・豊田泰光 (西鉄・国鉄、内野手) 1935年
※西鉄では高卒1年目から遊撃手のレギュラーを掴み27本塁打、25盗塁で新人王。主に強打の2番として「流線型打線」の一角を務め56年には日本人遊撃手史上初の首位打者を獲得(現在もロッテ西岡と2人のみ)。引退後は野球評論家として長く活動し2006年に野球殿堂入りを果たした。
・岩田徹 (阪神、捕手) 1967年
※PL学園では外野手として84年に春夏とも甲子園準優勝を果たした。その後社会人を経て阪神に入団すると強肩であったことから捕手に転向。1年目から開幕1軍を掴み取りプロ初安打を1学年後輩だった桑田から放った。その後は控え捕手として出場機会が限られたが10年在籍。引退後は赤星が設立した少年野球チームの監督を務めた。
・金剛弘樹 (中日、投手) 1979年
※埼玉県入間市で産まれた元中日の金剛デース!ウエスタンリーグでは主にクローザーとして活躍し3度のセーブ王、リーグ史上No.1の282登板を果たしたネー。1軍でも持ち前のフォークを活かして大活躍デース!といきたかったけどバーニング!が続き活躍できなかったデース…。2012年に引退して今は読売新聞でセカンドライフを歩んでマース!
・齊藤信介 (中日、投手) 1982年
※2006年に中日に入団。1年目の最終ゲームでプロ初登板を果たしその約2年後の2008年にプロ初勝利を果たしCSでも2試合に登板。2009年には開幕1軍入りを果たすとプロ初ホールドを記録。しかしその後は育成に落ち再び支配下に戻るも1軍には戻れず引退。球団職員を経て現在は生命保険会社のライフプランナーとして活動中。
おめでとうございます
金剛なんか混じってて草
バーニングラブで草
金剛で大草原
おめでとうございます
ってなんか混ざってる!
http://m.mlb.com/video/topic/31426364/v542652383/wbc-south-africa-vs-australia
ヤクスレにも張りましたがWBC予選を配信しているんですね。お暇な方は暇潰しになるかと
クリート・ボイヤーといえば来日して最初のキャンプの時、
打撃練習してた2軍時代の田代富雄さんの打球を観て、その飛距離に驚愕して
「球聖」タイ・カッブからとった「タイ」ってニックネームで呼んでたエピソード好き
その後、1軍定着まで面倒見てくれてことを(バットなどの用具をあげたり、自宅に食事の招待したりしてた)
未だに田代さんは恩義に感じてるらしい
http://www.nicovideo.jp/watch/sm28201038
柳田、治り具合結構悪いのかな・・・?
2月13日誕生日のプロ野球選手はこちらです
・ローガン・オンドルセク (ヤクルト、投手、31歳) 1985年
※203cmの長身を活かした投球が持ち味の助っ人投手。昨年は主に8回を投げるセットアッパーとして72試合に登板、リーグ最多タイの33ホールドを記録しロマンやバーネットとともにヤクルトのリーグ優勝に貢献。そのバーネットが去った今年はどのような役回りになるのか注目。
OBなど
・与儀眞助 (大阪・大映、内野手) 1928年
※ハワイ出身の選手として来日し大阪に入団。愛称は「ラリー」。53年には三塁手のレギュラーとしてリーグ8位の打率.295 14本 72打点の活躍でベストナイン。翌年も122試合に出場するが成績を落とし解雇。その3年後に再来日、大映に入団するも成績をさらに落とし1年で退団。
・種茂雅之 (東映・阪急、捕手) 1938年
※2年目の62年に東映の正捕手に定着しリーグ優勝に貢献。日本シリーズでは胴上げ投手となった土橋とともに史上唯一のMVPを同時受賞。その後は66年に球宴出場を果たすと72年に正捕手同士のトレードで阪急に移籍。その年にダイヤモンドグラブ賞を受賞。引退後は阪急や日ハムでコーチなどを歴任。
・井手峻 (中日、投手・外野手) 1944年
※ドラフト制度以降としては史上初の東京大学出身選手。投手としては1年目の67年に2015年現在史上最後となる1軍公式戦で先発として投げた選手である。プロ4年目の70年に外野手に転向し俊足や強肩を活かし控え野手として活躍。74年には84試合に出場しリーグ優勝に貢献。引退後はコーチや球団フロントなどで40年以上中日ドラゴンズに在籍していた。
・服部敏和 (近鉄・日本ハム、外野手・内野手) 1948年
※内外野問わず守れるユーティリティプレイヤーとして両球団で活躍。近鉄では2年目に定着し俊足も活かし15盗塁も記録。73年には規定打席未満ながら打率.321も記録。トレードで移籍した日本ハムでは外野手の準レギュラーとして長く活躍し通算で1000試合以上に出場した。
・宮本和知 (巨人、投手) 1964年
※入団当初は主に中継ぎに専念していたが藤田監督が就任した89年に先発に転向すると5勝をあげリーグ優勝、日シリで胴上げ投手に。翌年には14勝をあげて2年連続の胴上げ投手となりその翌年も10勝。長嶋監督政権下では谷間の先発として活躍。その明るい性格を活かし現在ではタレントなどで活躍。主に「ズームイン!!サタデー」などに出演している。
・大村直之 (近鉄・ソフトバンク・オリックス、外野手) 1976年
※近鉄ではいてまえ打線の核弾頭として1番打者に定着し98年には打率.310、23盗塁でB9とGG賞。2001年には16本塁打を放ちリーグ優勝に貢献。FA移籍したソフトバンクでも1番打者として2006年には最多安打。プロ17年で通算1865安打を放った。2010年のオリックス退団後は半ば消息不明だったが2012年にオーストラリアにいることが報じられた。
おめでとうございます
皆様おめでとうございます。
オンドルセクは去年ほんとありがとうでした・・・
ベン・オグリビーが引退後、日本球界での思い出について聞かれたときに
同僚の選手と一緒に風呂に入れたことが嬉しかったと語ってたのが印象的だった
メジャーでは本塁打王とっても黒人だからシャワールームで白人選手に白い目で見られてたけど
近鉄では初めて風呂入った時に、いきなり同僚選手たちに湯船に投げ込まれてちょっと頭に来たけど
皆肌の色なんか気にしていないことが凄い嬉しかった、みたいなことを話していました
そんな彼はあの10.19決戦の際に引き分けで試合終了した際、メジャーリーガーのプライドからか
観客の前で涙を見せれないと思ったのか、川崎球場のトイレの個室で「なんで引分けなんていう制度があるんだ」
と呟きながら泣いていたらしいです
>>576
3月の代表戦辞退とか開幕後しばらくはDHとか、仮にリハビリが有り得ないくらい順調に行ってても当然の対応だと思うから、
まあ判別基準にはならんやろ
そもそも3月の代表選に積極的に出たい選手なんていないだろ
センター前ランニングホームランって何ぞね
センターが蝶々でも追っかけてたんでしょ(適当)
周平センター方向へ大きい打球
センター背走も行きすぎてセンター前にポトリ
センター全力でセカンドに送球するもスッポぬける
バックアップのファースト弾く
バックアップのピッチャー弾く(一塁側内野ファールゾーンへ転々)
前二人とキャッチャーで球を追う
ホームに誰もいないので周平が帰ってくる(他の内野手のカバーも遅れる)
(コピペ+ちょっと補足)
http://i.imgur.com/yuviDO2.gif
拾い物ですが
>>585
みんなボール拾いにいってて草
>>585
なにこれかわいい
http://i.imgur.com/Zc7K2ao.jpg
http://i.imgur.com/do176HY.jpg
数日で変わりすぎじゃないですかね…
2月14日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・大谷智久 (ロッテ・投手・31歳) 1985年
※2014年から引き続き昨年もセットアッパーとして活躍。途中怪我で離脱する時期もあったが自己最多の56試合に登板しリーグ2位の32ホールドを記録。ちなみに俳優の森山未來、格闘家の長島☆自演乙☆雄一郎とは高校の同級生である。
・大嶋匠 (日本ハム・捕手・26歳) 1990年
※ソフトボール出身で話題になった彼も今年でプロ5年目。2014年に1軍初出場を果たしたが昨年は1軍昇格すらできず2軍でも60試合の出場にとどまった。大野や近藤、市川と捕手陣の壁は大きい中で勝負の5年目に臨む。
・島本浩也 (阪神・投手・23歳) 1993年
※2014年オフに支配下登録を掴み取り育成出身としては球団初となる開幕1軍を果たした。その後は1軍に18試合に登板し同じく球団育成出身初のホールドを記録。さらに9月12日には延長戦で代走としても出場した。貴重な左の中継ぎとしてさらなる飛躍を期待したいが先日2月3日にケガによりキャンプリタイアとなった。
OBなど
・住友一哉 (近鉄・阪神、投手) 1958年
※独特なフォームから繰り出される「ぎくしゃく投法」で活躍した中継ぎ。2年目の83年に33登板で8勝、3セーブをあげるとその後も中継ぎの一角として活躍。88年オフにトレードで阪神に移籍すると翌年に自身最多タイの44試合に登板し7セーブ。引退後は近鉄やオリックスでコーチやスコアラーを務めた。
・斎藤隆 (大洋・横浜・ドジャース・レッドソックス・ブレーブス・ブルワーズ・ダイヤモンドバックス・楽天、投手) 1970年
※横浜では2年目から先発ローテに定着し96年にプロ初の2桁勝利、最多奪三振。その後ケガに苦しむも98年には13勝、日シリでは史上9人目の初登板初完封で日本一に貢献しカムバック賞。その後抑えに転向し2001年には27セーブ。2006年に36歳ながらメジャーに挑戦すると72登板でドジャース新人最多の24セーブを記録し抑えとして大活躍しメジャー7年間で5度のプレーオフ出場を果たした。2013年に楽天に入団すると中継ぎとして活躍しチーム史上初のリーグ優勝、日本一に貢献。2014年には史上最高齢となる44歳4カ月でのセーブを達成。昨年に引退し細川亨から三振を奪い優秀の美を飾った。今年はまず3月に行われる侍ジャパンの投手コーチとして第2の人生が始まる。
おめでとうございます
大谷じゃない方の大谷ほんと好き
野球エリートなんだよなあ
中学からプロまで全部で日本一だっけ
他にはどのくらいいるんだろうか
横浜と楽天で日本一を経験した男もいるのか
ソフト大嶋ももう5年目か
>>588
「普段は(ヒゲ)剃ってるけど」にみんな絶対嘘だと思ってたはず
そして今見ると一枚目の字幕が発言と違うね
バレンティンホームラン
藤川球児147キロ
平沢打点
アジャ井上3打点・ホームラン
デニー、どすこいを追い掛け回す
各地で色々出てきますね
2月15日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・藤原良平 (西武・投手・30歳) 1986年
※7年目となる2014年にプロ初勝利、初ホールドを記録し中継ぎの一角として期待されたサイドスロー投手だったが、昨年は防御率7.15で7登板にとどまった。プロ9年目、30歳の今年は再び1軍定着を目指していく。
OBなど
・高橋直樹 (東映・日本ハム・広島・西武・巨人、投手) 1945年
※サイド気味のアンダースローで東映・日本ハムでは2年目から先発ローテに定着し13勝。73年にはノーノーも達成し74年には史上唯一となる勝利投手とセーブの両方を記録。以降も不動のエースとして活躍し79年には20勝を挙げてパリーグ初の月間MVPも獲得。江夏とのトレードで移籍した広島を経て入団した西武では83年に13勝3敗で最高勝率のタイトルを獲得。42歳まで現役を続け戦前生まれ最後の選手となった。引退後は横浜やロイヤルズのコーチを務め家族が経営している「ナオキ企画」で数々の芸能界のイベントの企画も行っている。
・トミー・クルーズ (日本ハム・外野手) 1951年
※1980年に日本ハムで入団するとソレイタ・柏原とともにクリーンナップを組み1年目から打率.309 26本 84打点を記録。84年には打率.348 29本 96打点の成績でベストナインに選ばれた(この年はブーマーが三冠王)。在籍6年間で打率3割を4回、通算120本塁打を記録。顔面に死球を喰らって大出血し7針縫うけがを負ったにもかかわらず翌日の試合にスタメンし猛打賞を記録する逸話も。
・山本和男 (広島・オリックス、投手) 1954年
※1980年にドラフト外で広島に入団し上述の高橋直樹とのトレードで移籍した江夏の背番号「26」を受け継いだ。変化球を武器にした技巧派で左の中継ぎとして活躍し84年には46試合に登板し5勝でリーグ優勝に貢献。その後は清川栄治の台頭もあり登板機会が減り金銭トレードで移籍したオリでも出番はなく89年に引退。その後は打撃投手を務めたが年金取得基準となるまでの在籍日数を充足させるために登録だけは90年途中まで現役扱いだった。
・レイ・コージ (中日、外野手) 1956年
※25歳の若さでメジャー経験があり、コーチのマーシャルの推薦もあり中日に入団。主に6番レフトで出場し打率.251 15本を記録し残留の可能性もあったが結局1年で退団。当時のファンは「広島の山本浩二は打つけどこっちのコージはなぁ…」と比較し嘆く者もいたという。
・山内嘉弘 (阪急・オリックス・ヤクルト、投手) 1966年
※87年に入団すると前年まで抑えだったアニマルの後を継ぎ「阪急最後のストッパー」として活躍。速球と落差の大きいフォークで89年には12セーブ。しかしその後は不振に陥りトレードで移籍したヤクルトで97年に白星を挙げるまで8年間0勝と苦しんだ。引退後はオリックスの打撃投手を経て球団の用具担当を務める。
・マット・ランデル (ダイエー・巨人、投手) 1977年
※22歳の若さで99年にダイエーにテスト入団。2軍で育成を積み活躍を期待されたが2年目の00年にホームシックにかかり退団。その後米独立リーグを経て巨人に入団。当初は保険的扱いだったが先発やペドラザの故障により1軍に昇格し先発で初勝利を記録。翌年も開幕1軍を掴みシコースキーとともにリリーフを支えたが右ひじの故障で退団。その後は韓国でプレーし4年で49勝をあげた。
・ネイト・シアーホルツ (広島、外野手) 1984年
※昨年、広島に契約初年度の助っ人としては史上最高額となる約1億1600万円で入団。序盤は不調だったが5月に打率.377と活躍し一時は4番を務めた。しかし夏場に熱中症で2軍落ちと不振に陥り2桁本塁打は達成するが得点圏打率.218と勝負弱さも露呈し1年で退団。既にタイガースとのマイナー契約が発表されており来年からはアメリカに復帰する。
おめでとうございます
今日は侍ジャパンメンバー発表ですか
あくまで親善試合みたいなもんだから辞退多いし大人の事情なかったらU23が理想だけど
武田勝BCリーグで多田野と一緒に自主トレしたてのか。
U23なんてくくりが存在しないのに、それで組む必然性ないじゃんか
若くて才能ある奴個別に呼んでやれってのなら理解は出来るが(それで言うと田中正義は断られたけど)
左腕P一人 中継ぎ一人
うーん・・・
潰瘍性大腸炎のオリ安達「ファンの声が力」 練習を再開:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASJ2H5DBXJ2HPTQP004.html
退院、練習再開をまずは喜びたい
しかし8キロ減かあ 頬もかなりこけてるし……思った以上に大変そうだな
2月16日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・中澤雅人 (ヤクルト・投手・31歳) 1985年
※昨季はワンポイントからイニングまたぎまで幅広い活躍で自己最多の35試合に登板しリーグ優勝に貢献。今年も久古とともにブルペンの左腕としてフル回転が期待される。ちなみに2010年には当時38年ぶりとなる新人投手猛打賞を記録しており、またマートンに当時新記録となる211安打目を打たれた投手でもある。
OBなど
・水上靜哉 (東映・大阪、内野手) 1932年
※東映に入団して1年目から遊撃手のレギュラーに定着し主に下位打線で活躍。その54年に124試合出場し打率.262 15盗塁を記録。しかし守備はそこまでよくはなく失策も多かったため3年目にレギュラーを奪われ出場機会が減少。その後大阪に移籍し主に代打で活躍し60年に引退。
・岡本健一郎 (阪急、内野手) 1933年
※阪急に55年に入団。1年目から一塁手や左翼手として127試合に出場し規定打席に到達。3年目の57年には全試合に出場し打率.271 67打点 17盗塁を記録し一塁手のベストナインを獲得。その後は主に準レギュラーとして活躍し9年間で874試合に出場し63年に引退。引退後は新阪急ホテルに勤務。
・中尾孝義 (中日・巨人・西武、捕手・外野手) 1956年
※80年ドラフト1位で入団すると2年目に木俣から正捕手の座を奪い中日のリーグ優勝に貢献。自身も打率.282 18本でシーズンMVPを獲得。84年の球宴では江川の8連続奪三振をアシスト。全力プレーが持ち味だがその半面ホームでの接触プレーでの怪我も多く星野監督は87年に彼を外野に転向。しかし捕手にこだわった彼は巨人にトレードで移籍し山倉から再び正捕手の座を奪い斎藤雅樹をエースとして育て上げ日本一に貢献。その後は西武でもプレーし史上7人しかいない3球団での日シリ出場を記録。引退後は様々な球団のコーチを歴任。
・中込伸 (阪神、投手) 1970年
※88年ドラフト1位で阪神に入団。重い速球とカットボール、フォークを武器にプロ4年目の92年に9勝8敗、防2.42を記録し主軸投手として活躍。その後は右肘の手術を経て98年に8勝をあげるが野村政権では出場機会が減り2001年に戦力外。その後は台湾・兄弟で4年間プレーし45勝を記録し引退。2009年にその兄弟の監督を務め台湾シリーズ進出に導くがそのオフにチームの八百長騒動の容疑で起訴され懲役1年8カ月の有罪判決を受けた。現在は甲子園のそばで飲食店を営んでいる。
おめでとうございます
>>602
>マートンに当時新記録となる211安打目を打たれた投手
榎田がバレンティンに記念の打たれたようにヤクルトもやられてたのか・・・ さすが11-20のカード
鉄平また誤植されてて草
「銀次コーチ」になってる
http://i.imgur.com/EB5MliA.jpg
鉄平はなんど誤植されれば気が済むのか
スポニチとかBTとかSluggerの名鑑の宣伝がついったーで回ってきて、いよいよ明後日か…と思う
銀次と鉄平って金偏しかあってないじゃないか…
銀次が引退したことになってるじゃないか…
先月にブログで発表したじゃないか・・・
2月17日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・片岡治大 (巨人・内野手・33歳) 1983年
※巨人移籍2年目となった昨季は史上29人目の300盗塁を達成。打撃でも5年ぶりに2桁本塁打を放ったが満足はできない数字。今年は自身の人的補償であり3年ぶりに古巣に帰ってきた脇谷やクルーズらとの激しい定位置争いが注目される。ちなみに昨年の片岡式本塁打1位はヤク・山田の72で片岡はセ4位。
OBなど
・平山智 (広島、外野手) 1930年
※アメリカ出身の日系人選手。強肩や闘志あふれるプレーで「フィーバー平山」の愛称で親しまれた。足も速く56年から2年連続で30盗塁を決めるなどプロ10年で251盗塁。引退後はコーチを経て在米スカウトとしてホプキンスやライトル、ギャレットにロペス、チェコといった数多くの優秀な助っ人を日本に送り込んだ。
・ウィリー・カークランド (阪神、外野手) 1934年
※メジャーでは4年連続で20本塁打を記録。1968年に阪神に入団すると1年目から中軸で活躍し37本塁打を記録。翌年には助っ人初の1イニング2本塁打を放った。三振も多く打率は.250ほどに留まったがバース・マートンと最長タイとなる野手として6年間在籍し、通算126本塁打。爪楊枝をくわえてプレーする姿から「木枯らし紋次郎」から「モンジロー」とも呼ばれファンに親しまれた。
・伊藤幸男 (近鉄・阪神、投手) 1943年
※速球と多彩な変化球を持つ本格派投手として期待され近鉄に入団。主に中継ぎで登板するが結果は残せず6年で自由契約となり阪神に移籍。すると69年に先発として8勝をあげて一躍エース候補となる。71年の8月には巨人戦において2試合連続完封も記録するが故障も続き73年に引退。
・嶋田宗彦 (阪神、捕手) 1962年
※箕島高校時代は正捕手として79年の甲子園春夏連覇に貢献。ロサンゼルス五輪でも代表として金メダルを獲得し弟の章弘とともに阪神に入団。同年の日本シリーズで高校の先輩である東尾から日シリ史上初の新人初打席初本塁打を達成。以降は木戸と正捕手争いを繰り広げるが定位置を掴めず92年に引退。引退後はブルペン捕手やコーチを歴任し現在はスコアラー。
・川崎雄介 (ロッテ・阪神・西武、投手) 1982年
※ロッテでは2年目の2007年に48試合に登板し防1.65の好成績を残すと翌年はセットアッパーとして活躍し自己最多の65試合に登板し29ホールドで最優秀中継ぎを獲得。その後は左投手不足の阪神に金銭トレードで移籍したが出場機会を得られず高山久とのトレードで西武へ移籍するが活躍はできず翌年に引退。現在はオリックスの打撃投手。ちなみに2008年に巨人・加治前に初打席サヨナラ弾を打たれた投手でもある。
おめでとうございます
NHKおはにぽで兄貴出てますよー
PL夏に廃部・・・?
部員募集停止してて新3年生しかおらん
この夏に休部・廃部になるか、部員受け入れ再開の目処を立てるかどっちかだったけど
教団側に存続の意志がないという話もあったし、まあ、時間の問題だったやろ
廃部じゃなくて名目は休部らしいけど、何の目処もないんじゃね……
まぁなくていいよ
新3年生の部員は試合に出られないってこと?
新3年生の夏の大会が終わって引退したら休部ってことや
引退させて部員0にして凍結ってことか
そういうことか三月
>>619
というかPL高校自体が潰れそうな気がするんですが気のせいですかね
梶谷怪我で代表辞退だと代替はだれやろ
丸あたりだろうか
2月18日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
なし
OBなど
・ジョー・ルーツ (広島東洋カープ元監督) 1925年
※1974年に広島の打撃コーチとして訪日。その翌年に日本球界初のメジャー出身の監督に就任。それまで紺だった帽子の色を赤に変えいわゆる「赤へル」の生みの親でもある。高橋慶彦を両打ちに転向させたのも彼であり投手ローテーションの確立などは彼が最初に導入したものとされている。監督としては審判と事あるごとに衝突しわずか開幕15試合で監督を辞任。しかしその年広島はリーグ初優勝を果たし黄金時代の礎を築いた。
・大北敏博 (巨人・西武、内野手) 1952年
※高松商業高校時代の1970年の夏の甲子園では1回戦から3試合連続で完封勝利。早稲田大学進学予定だったがドラフトに巨人で指名され一転しプロ入り。入団後は強打と俊足を活かし内野手に転向しプロ6年目にはイースタンの首位打者を獲得。プロ8年目に33試合に出場するがなかなかスタメンの定位置を得られず9年目に西武へトレード。しかし西武でも活躍はできず翌年に引退。現在は東京で営業マン。
・斎藤雅樹 (巨人、投手) 1965年
※サイドスローから投げる威力のある直球と鋭いカーブとシンカーを武器に90年代巨人を支えた「平成の大エース」。85年に先発ローテに定着し12勝をマークすると89年には11試合連続完投勝利を記録し初の20勝。翌年も20勝をあげ現在最後の2年連続20勝投手に。93年から5年連続で開幕投手を務めると桑田・槙原とともに「三本柱」として活躍し沢村賞3回、最多勝5回、最優秀防御率3回を記録。94年の10.8決戦でも勝利投手となった。プロ18年で通算180勝をあげ、その功績が称えられ先日野球殿堂入りを果たした。
・カイル・アボット (近鉄、投手) 1968年
※エンゼルスに1989年のドラフト1位で入団しフィリーズを経て94年に近鉄に入団。193cmの長身で当時27歳の若さから左のエース格として期待されたが来日して右足を故障に思うような投球ができず4試合の登板に終わり1年で退団。ちなみにフィリーズ時代の92年には先発ローテに定着するが開幕11連敗を喫している。
・矢口哲朗 (中日、投手) 1981年
※1998年ドラフト6位で入団。2年目に2軍で10勝をあげてウエスタンリーグの優勝に貢献しファーム日本選手権で勝利投手。川上憲伸のような力強いフォームで将来のエースとして期待されていたが1軍ではほぼ出番がなく2003年に肘を故障。サイドスローに転向したり野手転向案もあったが2005年に引退。容姿端麗であり人気が高く引退後は芸能界からのオファーもあったが打撃投手を経てスコアラーを務めた。
おめでとうございます
斎藤雅樹は親が言うにはすごかった
現役を見たかったな
映像とかゲームとかで一旦は実感できますゾ
斎藤雅は「今日は巨人戦か、先発は誰だ」って確認したらそっ消しするレベル
「明治神宮野球場におけるプロ野球観戦ルール」追加・変更のお知らせ
http://www.yakult-swallows.co.jp/news/detail/19138
ホームビジターのアレが酷いのは内野の方なんだよなぁ・・・
まぁヤクルトファンはあんまり内野席一塁側に来ないけど
ルーツ監督がギャレットにお前がホームラン20本打てば勝てるって言ったら30本くらい打って本当に優勝したんだっけか
外国人列伝で妙に印象に残ってる
>>623
斎藤雅樹の先発試合は親がそっ消しする、8時半には試合が終わる
などの理由でアニメが見たい、9時からのドラマが見たい家族には好評でした
いよいよ明日2月20日からプロ野球のオープン戦が始まります
というわけで今年も昨年同様ぼちぼち試合結果などもまとめていきたいと思います
だいたい23時ぐらいにまとめますので速報性は薄くなりますが今シーズンもよろしくお願いいたします
さて、2月19日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
なし
OBなど
・内海五十雄 (巨人、内野手) 1914年
※1938年に巨人に入団。同期入団した川上哲治らとともに「花の昭和13年組」と呼ばれた。主なポジションは一塁手だがプロ2年間で通算1安打に終わり39年に引退。巨人・内海哲也の祖父でもあり現在彼がつけている背番号「26」を最初につけた選手でもある。
・児玉利一 (中日、内野手・投手) 1919年
※1951年に32歳の高齢で入団。1年目は内野手の傍ら投手としても数試合に登板。その後は三塁手の定位置を確保し1954年は西沢・杉山とともにクリーンナップを組み4番打者としてチームの日本一に貢献。55年と56年には2年連続でベストナインも獲得。移籍した大洋でも4番打者として活躍。カーブを得意としており「カーブ打ちの名人」とも呼ばれた。引退後は大洋のコーチや解説者を務めた。
・島田雄三 (大映、内野手) 1930年
※1952年に大映に入団すると1年目から1番・二塁手のレギュラーに定着。1953年には全試合に出場し打率.262、翌54年には18盗塁を記録。56年も144試合に出場したがこの年限りで引退。引退後は阪神の内野守備走塁コーチを務めた。
・ゲイル・ホプキンス (広島、内野手) 1943年
※1975年に>>622 のルーツ監督に請われて広島に入団。主に3番・一塁手として全試合に出場し33本塁打を放ち巨人との優勝決定戦でも決勝3ランを放ち広島のリーグ初優勝に貢献。翌年は本塁打は20本に減ったが打率.329を記録。77年には南海でプレーし4番として活躍。退団後は整形外科医となりオハイオ州で病院を開業。2013年5月には日本に来日しておりマツダスタジアムの始球式で打席に立った。
・坪井智哉 (阪神・日本ハム・オリックス、外野手) 1974年
※振り子打法で1年目から1番打者として定着し史上初となるプロ初本塁打が初回先頭打者ランニング本塁打などで2リーグ制以降新人最高打率の.327を記録。その後も1番打者として暗黒時代の阪神を支えたが故障や赤星の台頭もあり日本ハムに移籍。移籍1年目に打率.330を記録し史上初の両リーグ1年目で打率3割を記録。その後は若手の台頭もあり一度は戦力外となるが再契約を掴み取り代打としても活躍。オリックスを経てアメリカ独立リーグで3年間プレーし2014年に引退。現在はDeNAの1軍打撃コーチ補佐を務める。
PL〜青学〜東芝〜(阪神!)つ〜ぼ〜い〜!
・呂建剛 (中日、投手) 1979年
※98年に中日に練習生として入団。その素質を見込まれて3年契約を結んだが1軍での登板はなく2002年に退団し中国リーグでプレー。2007年には北京オリンピックプレ大会でかつての師である星野監督率いる日本代表相手に先発したが5失点で敗戦投手。最近では2013年のWBCの日本戦の8回裏に登板し稲葉、松田、坂本を3者凡退に抑えている。
おめでとうございます
坪井凄かったなあ
わくわくさんスレ落ちたのでこっちで供養させて下さい
高校時代から絶対モテたはず
http://i.imgur.com/mDTpslF.jpg
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http://i.imgur.com/1Src7sy.jpg
http://i.imgur.com/zt7m82B.jpg
岩瀬はもう無理そう
涌井は現役選手の中でエースっていうのを一番体現してる選手だと思う すっごい好きです
和田、谷、馬原、高橋尚がNHKか。どんだけしゃべれるんだろう
高橋尚はメジャーもいけるってのが大きいんだろうなぁ、田口が抜けたし
しかしまあ、山本昌がフジなのはもったいない
趣味を優先したんですかね
ローカルの東海テレビ(フジテレビ系)との兼ね合いもあるしね
まあその上で日テレのNEWS ZEROのレギュラーになったのは面白いけど
2月20日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
なし
OBなど
・広岡富夫 (広島、内野手) 1928年
※広島県庁の軟式野球チームからプロに入団する移植な経歴の持ち主。>>547 の広岡達朗の兄であり内野のユーティリティとして主に下位打線で活躍。57年には当時完成したての広島市民球場で広島選手として第1号を放った選手でもある。引退後は山陽特殊製鋼の監督を務め都市対抗野球大会出場に導いている。
・長嶋茂雄 (巨人、内野手) 1936年
※言わずと知れた巨人の大スター。58年に入団すると1年目から4番打者として大活躍し本塁打王・打点王の2冠に輝き新人王。翌年59年にはプロ野球史上初の展覧試合でサヨナラ本塁打。その後は王貞治と「ON砲」として巨人のV9時代含む11度の日本一に貢献しMVP5回、首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回、さらに1年目から引退まで17年連続でベストナインを獲得。引退直後の75年に第9代監督に就任するが1年目に球団初の最下位。92年に第13代監督として再就任すると94年の10.8決戦で初優勝、初日本一を経験。96年には最大11.5ゲーム差を覆し「メークドラマ」、2000年には「ミレニアムV」に導いた。2001年に退任し「終身名誉監督」に就任。野球史に数多くの伝説を刻んだ彼の名はまさに「永久に不滅」だろう。
・広瀬宰 (ロッテ・中日・太平洋・クラウン・西武、内野手) 1947年
※68年ドラフト2位で入団し1年目の69年に遊撃手のレギュラーに定着。しかし打撃面で伸び悩みその後の千田との定位置争いの中で移籍した中日でも遊撃手のレギュラーに定着し自己最多の125試合に出場しリーグ優勝に貢献。その翌年に移籍した太平洋で遊撃手として自己最高の打率.273を記録するが翌年からは真弓昭信にポジションを譲り引退。その後は西武のコーチを務め、教え子である田辺徳雄は彼を恩人として慕っており1軍監督就任にあたって当時彼が付けていた背番号「90」を自ら希望して付けている。
・ビル・ガリクソン (巨人、投手) 1959年
※メジャーで6年連続2桁勝利の実績をひっさげ88年に入団。糖尿病を患いながらも先発ローテとして活躍し14勝をあげた。2年目も7勝をあげ90年からメジャーに復帰しタイガースで20勝をあげて最多勝に輝いた。なお巨人在籍時代では桑田と仲が良く、息子のミドルネームに「クワタ」と名付けている。また、長嶋茂雄の息子の一茂のプロ初本塁打の相手でもある。
・シェーン・スペンサー (阪神、外野手) 1972年
※前年に退団したアリアスの穴埋めとして期待され広島から移籍したシーツとともに2005年に入団。6番・ライトで開幕スタメンを務めると桧山との併用で主に左投手先発の試合にスタメン起用され意外性のある打撃で打率.243 9本の成績を残しリーグ優勝に貢献。真面目な性格から2年目の契約を勝ち取ったがキャンプ終盤に車から降りる際に右足首を捻挫。さらに濱中治の活躍もあり出場機会も減り退団。現在は韓国・ネクセンで2軍監督を務めている。
・上村和裕 (オリックス・広島、捕手) 1983年
※2000年ドラフト3位でオリックスに入団。2年目に一軍出場を果たすがその後は2軍暮らしが続く。その中の2004年に当時打撃コーチだった藤井康雄の勧めもあり両打ちに転向。そのオフにトレードで広島に移籍。広島では主に2軍の正捕手の座につき2006年には4年ぶりの1軍出場を果たす。しかし以降は會澤翼の台頭もあり2軍でも捕手としての出場が減ったが打撃は好調だったため捕手以外のポジションにもついた。しかしプロ14年間でわずか26試合の1軍出場に留まり2014年に戦力外となり引退。現在は古巣・オリックスのスカウト。
ラジオつけたら小野塚さんがMCでびっくり
【今日のプロ野球・2月20日】
オープン戦
中日 4-0 ロッテ (勝:大嶺祐 1勝 敗:若松 1敗)
ヤク 1-11 広島 (勝:野村 1勝 敗:杉浦 1敗)
巨人 2-0 DeNA (勝:田口 1勝 敗:三嶋 1敗 S:田原誠 1S)
大嶺と若松の電撃トレードかな?
【今日のホームラン】
広島:エルドレッド1号 (9回表・2ラン・松岡(ヤ))
広島:土生1号 (9回表・2ラン・松岡(ヤ))
中日:堂上1号 (6回裏・2ラン・関谷(ロ))
ロッテ:ナバーロ1号 (1回表・2ラン・若松(中))
ロッテ:伊志嶺1号 (2回表・ソロ・若松(中))
ロッテ:井上1号 (2回表・ソロ・若松(中))
【今日の盗塁】
ヤク:上田(1)
ヤク:雄平(1)
ヤク:山崎(1)
巨人:長野(1)
巨人:重信(1,2)
広島:田中(1)
中日:亀澤(1)
【今日の勝利投手】
ロッテ:大嶺祐 1勝 (1登板・4回2安打無失点・0奪三振・防0.00)
広島:野村 1勝 (1登板・3回3安打1失点・1奪三振・防3.00)
巨人:田口 1勝 (1登板・4回5安打無失点・0奪三振・防0.00)
【今日のセーブ投手】
巨人:田原誠 1S (1登板・1回無安打無失点・0奪三振・防0.00)
ロッテ9-4中日ですね
しょっぱなから間違えてしまいました…
申し訳ございません
【今日のプロ野球・2月20日】
オープン戦
中日 4ー9 ロッテ (勝:大嶺祐 1勝 敗:若松 1敗)
ヤク 1-11 広島 (勝:野村 1勝 敗:杉浦 1敗)
巨人 2-0 DeNA (勝:田口 1勝 敗:三嶋 1敗 S:田原誠 1S)
巨人重信は面白そうやね
他ファンだけどワクワクする
ナバーロいきなりホームランって前評判通りだなぁと思ったら若松が良くないのか…
試合見てないからどういう状況でついた盗塁かわからないのであれだけど
長野の盗塁が普通に盗塁して記録した盗塁だというのなら喜ばしいことだ
去年は盗塁しなかった…というか多分できなかった年間通しての脚のコンディションだったし
横浜のフリーパス捕手陣から盗塁してもそんなに喜ばないほうが…
刺す刺せないとかじゃなく投げてすらいなかったし
ほんとにもう…
>>647
去年はわずか3つで盗塁死も2とエンドラン絡まない限り企図しない感じだったから
走ろうとした、今年は走れるくらいに足を動かせそうな体調ってことがいいのよ(今日やってみてやっぱダメかもってパターンもあるとはいえ)
フリーパスだからどうのこうのってのは関係ない
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現役
・和田毅 (ソフトバンク・投手・35歳) 1981年
※5年ぶりにソフトバンクに復帰したかつての左腕エース。2014年にはカブスで初めてメジャーで投げ4勝をあげて日米野球の米代表にも選ばれた。日本では9年間で7度の2桁勝利をあげた彼の今年の活躍に注目したいところ。
・横山雄哉 (阪神・投手・22歳) 1994年
※2014年ドラフト1位投手。キャンプ前に左胸鎖関節炎症で出遅れ2軍生活が続いたが5月21日に巨人戦で1軍デビューを果たし7回無失点に抑えたがプロ初勝利はならず。なおこの試合で勝利していれば球団初の新人投手巨人戦初登板初勝利だった。2軍では防2.36と好投してるだけに今季の活躍に期待したい。
・塹江敦哉 (広島・投手・19歳) 1997年
※2014年ドラフト3位で入団した昨季は主に3軍で経験を積んだ。速球が武器であり平均球速は145キロ前後まで上昇。将来的に層の薄いカープの左腕として何とか食いこみたいところ。留学経験があり英語も堪能でありザガースキーの通訳に買って出たこともある。
OBなど
・木暮力三 (巨人・パシフィック・西鉄、外野手) 1923年
※群馬の名門・桐生中学(現高校)から巨人に入団。強打者として期待され1943年には巨人軍第9代4番打者に。しかし思った成績は残せず戦後にパシフィックに移籍。移籍1年目の46年に自己最多の100試合に出場。しかしその後は出場機会が減り西鉄に移籍した50年に引退。なお守備に難があり50年の大映戦で2点差リードから逆転サヨナラ満塁落球という不名誉な記録も残っている。
・長池徳士 (阪急、外野手) 1944年
※左肩に顎を乗せる独特のフォームで黄金期の阪急の4番打者として活躍した和製大砲。2年目に27本塁打を放ちリーグ初優勝に貢献すると69年には41本塁打・101打点で2冠に輝き野村克也の9年連続本塁打王を阻止しMVPを獲得。71年にも.317 40本塁打 114打点で2度目のMVPを獲得し当時新記録となる32試合連続安打も放った。晩年は指名打者に転向し創設初のDHのベストナインに選ばれた。引退後は様々な球団のコーチを務め西武の秋山幸二・金森、南海の佐々木誠、横浜の鈴木尚・石井・波留、ロッテの小坂や福浦を育て上げた。
・引間克幸 (阪神、内野手) 1958年
※1980年のドラフト外で阪神に入団。ウエスタンリーグで2度の盗塁王を獲得するなど、俊足が武器であり大半は代走としての起用だった。和田豊が目標とした選手でもあり1984年には81試合に出場し5盗塁。88年に引退した後はゴルフ屋の店長を務める。
・林純次 (阪神、投手) 1973年
※1995年ドラフト3位で入団。この時の指名で興奮して鼻血を出したことが話題となった。左の中継ぎとして開幕1軍に選ばれ17試合に登板するが防御率10.13と荒れて2軍落ち。そのまま翌年に戦力外となる。しかし当時解禁された社会人の元プロ選手の受け入れにより30年以上断絶されていたアマチュア復帰の第1号選手として注目を集め岐阜市の昭和コンクリートに入部。その後は2005年までプレーし引退後は愛知県の高校でコーチ。
おめでとうございます
ツヨシがんばれよ…
アマダー打ったのか
ちょうど今日、紅白戦で投げたのか>和田毅
まあ実績は申し分ないので怪我だけには十分気をつけてほしい
けっして故障の少ないほうではないし
【今日のプロ野球・2月21日】
オープン戦
ハム 4-3 ロッテ (勝:武田勝 1勝 敗:チェン 1敗 S:瀬川 1S)
中日 3-7 楽天 (勝:森 1勝 敗:伊藤 1敗)
ヤク 1-5 阪神 (勝:岩崎 1勝 敗:山中 1敗)
巨人 0-6 広島 (勝:福井 1勝 敗:菅野 1敗)
広島がオープン戦2連勝です
【今日のホームラン】
広島:エルドレッド2号 (2回表・ソロ・菅野(巨)) ※2打席連続・2試合連続
中日:高橋1号 (4回裏・ソロ・森(楽))
ハム:渡辺1号 (7回裏・ソロ・松永(ロ))
ロッテ:ナバーロ2号 (4回表・ソロ・武田勝(日)) ※2試合連続
楽天:アマダー1号 (1回表・3ラン・伊藤(中))
【今日の盗塁】
阪神:陽川(1)
ハム:陽(1)
ハム:谷口(1)
【今日の勝利投手】
阪神:岩崎 1勝 (1登板・4回6安打無失点・1奪三振・防0.00)
広島:福井 1勝 (1登板・3回2安打無失点・3奪三振・防0.00)
ハム:武田勝 1勝 (1登板・2回3安打1失点・0奪三振・防4.50)
楽天:森 1勝 (1登板・4回4安打1失点・4奪三振・防2.25)
【今日のセーブ投手】
ハム:瀬川 1S (1登板・1回2安打1失点・0奪三振・防9.00)
ナバーロまた打ったのか
高橋周平、今年はほんとに良さそうだね
2月22日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・中田祥多 (西武・捕手・26歳) 1990年
※昨年は2軍で捕手として最多の出場を果たし3年ぶりに1軍出場を経験。自身最多の8試合に出場し、8月には牧田とバッテリーを組み完封勝利に導いている。肩が強く昨年は5回走られたが盗塁阻止率は100%だった。高校の先輩に里崎がおり「里崎2世」と期待されただけになんとか1軍に定着したいところ。
OBなど
・中河美芳 (イーグルス、内野手・投手) 1920年
※イーグルスでは4番打者として一塁手と投手を兼任。1938年秋では投手としてリーグ3位の防御率1.98、39年には野手として打率.282を記録。大きく両足を前後に広げどんな球にも吸いつくように捕球する完璧な一塁守備から「タコ足」とも呼ばれた。投手として41年には石原繋三とともに継投ノーノーを達成するがこの年に応召され44年に戦死。86年に野球殿堂入りを果たしている。
・三宅宅三 (毎日、内野手・外野手) 1921年
※1950年に毎日オリオンズ創設と同時にテスト入団。3年目の52年には主にクリーンナップで打率.294 18本を記録し球宴にも出場。引退後は打撃コーチやスカウトを務め特にスカウト時代には落合博満の獲得に貢献。また台湾から来日した投手と養子縁組し、「三宅宗源」という日本名を命名しロッテに入団させている。
・中田昌宏 (阪急、外野手) 1935年
※慶応義塾大学から鳴り物入りで57年に阪急に入団。大学時代に1本もHRを打っていなかったが長距離報として育成され3年目には本塁打王まであと2本となる23本塁打。5年目の61年にはチーム本塁打が65本ながら29本塁打を放ち野村克也と同率で2リーグ制以降の阪急初の本塁打王を獲得。晩年にはキャプテン・代打として活躍し67年にはリーグ初優勝に貢献。89年からオリックスの編成部長に就任しイチローや田口などの獲得に踏み切り95・96年のリーグ連覇に貢献した。
・浅野啓司 (ヤクルト・巨人、投手) 1949年
※66年にヤクルトに入団。高卒ルーキーながら50試合に登板し8勝をあげると先発陣の一角として73年に14勝、74年に12勝をあげた。しかし翌年に腰を痛め77年に巨人に移籍し9勝をあげてカムバック賞を受賞。その後も中継ぎや抑えとして18年間プロで投げ続けた。その後はヤクルトや日本ハム、大学の監督を務め今年からDeNAの2軍巡回投手コーチに就任。
・佐々木主浩 (横浜・マリナーズ、投手) 1968年
※速球と落差の大きいフォークで90年代の横浜を支えた「ハマの大魔神」。92年から盛田からの継投リレーが確立され抑えとして最優秀救援に輝くと95年には自身初の30セーブを記録。そして98年には当時歴代最多となる45セーブをあげて4年連続の最優秀救援に輝き横浜のリーグ優勝に貢献。この年の防御率0.64は30セーブ以上あげた投手として歴代トップである。2000年にマリナーズに入団すると2001年には当時の球団新記録となる45セーブ。4年間で129セーブをあげた。2004年には現在でも歴代1位となる年俸6億5000万円で横浜に復帰したが2005年に引退。2014年に野球殿堂入りを果たしている。
・マーチン・バルガス (中日、投手) 1978年
※2002年に中日に入団。微妙に変化するムービングファストから「黒蛇(ブラックスネーク)」のニックネームを付けられた。初登板となる広島戦で8回無失点の好投で来日初勝利を記録するがその後は制球難や決め球のなさに苦しみ3年目の2004年に戦力外。2005年に韓国・三星に入団し10勝をあげアジアシリーズでは千葉ロッテ戦に登板した。その後は台湾、メキシコでプレー。
・中山慎也 (オリックス、投手) 1982年
※1年目の2006年から先発として起用されプロ初勝利を記録するがその後は2009年に12失点完投負けを喫するなどと苦しいシーズンが続いた。しかし2011年には後半に6連勝をあげて金子・寺原に並ぶ3本柱とまで評価され8勝をあげ大きく飛躍。その後は中継ぎに転向し2014年には左の中継ぎとして35試合に登板し防2.34と好投。しかし昨年は8試合の登板にとどまり戦力外。今年からは古巣であるJR東海に正社員として再入社し同野球部でプレーを続ける。
おめでとうございます
中の付く人が多いですね
ナバーロが実弾所持で逮捕と
ネルソンと全く同じだから契約解除とまではいかないだろうけど、ポジってた所でのこれはいや〜キツいっす…
ネルソンの時は3ヶ月謹慎でしたっけ
マジでびっくりしたわ
実刑にはならないだろうけど6月まで出られない時点でいや〜キツいッス
沖縄→宮崎で見つかったってええ・・・
入国時と沖縄に移動時は空港検査何やってたんですかね
>>662
那覇って中国絡みとか米軍基地とかでアレだから他の空港より厳しいのかも
成田がゆるいのはいろいろとマズい気がするんですがそれは
まあナバーロはうっかり案件で悪質性はなさそうだし、実際ゆるいのかなあ
知らんけど
楽天・ゴームズ正式合意来たか
>>665
宇宙忍者かな?
今年のワクワク枠か
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現役
なし
OBなど
・服部受弘 (中日、捕手・投手・内野手・外野手) 1920年
※1939年に名古屋軍に入団すると41年に本塁打王に輝き強打の捕手として活躍。戦後に復帰すると投手に転向し登板しない日は捕手として出場しいわゆる「二刀流」として活躍。49年には24勝をあげると50年にはエース杉下茂に告ぐ21勝をあげ球団史上初の通算100勝を達成。その翌年以降は内野手や外野手としても活躍。52年には球団初の代打逆転満塁本塁打を放ちその試合でその後にリリーフ登板して勝利投手になる離れ業も見せた。58年に引退し彼の背番号「10」は永久欠番となっている。
・矢ノ浦国満 (近鉄・サンケイ・巨人、内野手) 1941年
※60年に近鉄に入団すると高卒新人ながら開幕戦で7番・遊撃でスタメンすると史上初のマルチ安打を放った(現在でも2013年日ハム大谷と彼の2人のみ)。その後は遊撃手のレギュラーに定着し俊足香田のリードオフマンとして活躍し63年には打率.273 16盗塁。その後は打撃不振や若手の台頭もありサンケイや巨人でプレーした。その後は69年に1年だけ存在した野球リーグ「グローバルリーグ」の日本チーム「東京ドラゴンズ」でプレーした。
・苑田聡彦 (広島、外野手・内野手) 1945年
※173cmと小柄であり当初は1軍で結果を残せなかったが67年に打撃が開花し外野手として109試合に出場。その後山本浩二の入団もあり内野でコンバートされ三塁手として活躍し74年に規定打席未満ながら打率.300。その後は衣笠が三塁手に回ったためスーパーサブとして活躍し75年のリーグ初優勝に貢献。引退後はスカウトとして活躍し江藤・金本・嶋・黒田・大竹・永川勝らの入団に貢献。
・斉藤昭夫(斉藤明雄、齊藤明雄) (大洋・横浜、投手) 1955年
※1976年ドラフト1位で大洋に入団すると1年目から開幕1軍を果たし先発として8勝をあげて新人王を獲得。翌年には新本拠地である横浜スタジアムで完投勝利をあげてハマスタ公式戦勝利投手第1号となる。その後は81年から抑えに転向し82年には30セーブをあげて最優秀救援・防御率も獲得し88年には右投手では史上初の100勝100セーブも達成。トレードマークの髭から「ヒゲの斉藤」と呼ばれ引退後は横浜とロッテのコーチを務めるが成果は残せなかった。
・秀太(田中秀太) (阪神、内野手) 1977年
※プロ5年目の99年の広島戦でサヨナラ安打を放ちそれを機に2番打者として定着しチーム最多の15盗塁。その後は小技を駆使した代打や代走・守備固めとして起用され2003年には全試合でベンチ入りを果たしリーグ優勝に貢献。かなり器用な選手ではあるがここ一番でミスを犯すことが多く2007年には珍プレーで話題となる失策を連発し下柳を怒らせた(なお自身5年ぶりの失策だった)。なお2軍で行われた引退試合では2安打を放ち好守も見せたが9回にタイムリー失策で決勝点を与えている。現在はスカウト。
・神戸拓光 (ロッテ、外野手・内野手) 1985年
※身長191cm、98kgと非常に大柄であり2010年には左の代打として起用。その2010年の4月に負傷した福浦の代打として急遽出場し涌井から3ランを放った。その時の派手なパフォーマンスではしゃいだ結果、直後の打席で報復ともとれる死球を受け乱闘寸前の騒ぎに。さらに2013年には自身のtwitterの管理人である友人の不適切発言に伴い謹慎を喰らいブログとtwitterを閉鎖。2014年に引退し現在は社会人野球チーム「新波」で兼任コーチとしてプレー。なお応援歌は東方projectの「U.N.オーエンは彼女なのか?」。
・藤井翼 (ソフトバンク、内野手) 1990年
※北信越屈指のスラッガーとして富山県新記録の通算39本塁打を放ち2007年の高校ドラフト4位で入団。しかし1年目のオフに行われたホークス選手会納会においてまだ18歳にも関わらず飲酒し体調を崩して救急車で搬送されるという不祥事を起こす。その翌年も2軍で結果を残せず19歳の若さで戦力外を受け引退。現在はわからないが野球とは決別し第2の人生を歩んでいる模様。
おめでとうございます
神戸なあ…応援歌は恵まれてたけど…
藤井は個人よりも周りの責任を追及されるべきだった
高卒ルーキーなんてまだこどもなんだから周りの大人がしっかり導いてやれよ
神戸がまともに育っていればこんなに長い間ロッテがファーストに困ることはなかったんだよなあ
神戸は不祥事で首がつながったとか言われてたな
秀太はF1セブンに入れ忘れられてキャラが立ったな
神戸はしゃぐってこれなのか
まあ使わないし知らなくてもいいことだけど
神戸オメシャス!
やる大矢スレでのやらない明夫すき
ロッテに伊東監督が就任した時に伊東にコーチの伝手がなかったから明雄が集めたんだっけか
日ハムインフル続出ですね
第1クールくらいならまだしも今の時期は調整とか難しそう
時差ボケに温度差に国際線にと風邪ひくだろうなぁっていう要素満載ですからね
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現役
・銀次(赤見内銀次) (楽天・内野手・28歳) 1988年
※昨年は5月に左足を負傷し約3カ月離脱したものの規定打席不足ながら3年連続で3割をマーク。空振り率は4.2%、三振率は5.4%、2ストライクでの打率は.290と非常に高いミート力を持つ。昨年4月には「銀次デー」と銘打たれたオリックス戦でプロ初のサヨナラ打も経験。ちなみに彼のプロ初本塁打は多田野からである。
・中川皓太 (巨人・投手・22歳) 1994年
※昨年ドラフト7位で巨人に入団したサウスポー投手。中日・岩瀬のような大きいテイクバックから投げるキレのある球と制球力が特徴。昨年の首都大学リーグでは春に6勝、4完封、秋に5勝をあげ最優秀投手賞。大学では菅野の後輩でもあり即戦力の左中継ぎとして期待されている。
・橋本篤郎 (巨人・投手・18歳) 1998年
※こちらも昨年育成ドラフト6位で巨人に入団。昨年の夏の甲子園熊本県予選で4番・エースとして活躍し4強入りを果たし打率5割、防1.09を記録。中学・高校の先輩には同じ巨人の立岡がおり一緒にプレーするのが目標。なお入団時に本人の申し出から登録名を「山下」から「橋本」に変えている。
OBなど
・高野裕良 (巨人・大映・大洋、投手) 1924年
※戦後間もない46年に巨人に入団。1年目から先発として活躍し6勝、防2.59。その後大映への移籍を経てこの年創設された大洋へ50年に移籍。エースとして66登板に登板し25勝をあげる。なおこの年記録したシーズン367被安打は現在でもセリーグ記録である。51,52年には球宴出場も果たしている。その後も4年連続で2桁勝利を記録し56年に引退。
・長田幸雄 (大洋、外野手) 1939年
※1961年に大洋に入団すると翌年の2年目に左翼手のレギュラーに定着。65年には打率.288(リーグ6位)を記録。その後は重松省三らとのレギュラー争いが続き晩年には代打として活躍し球団史上最多となる代打で通算122安打を放った。腕っ節が強く愛嬌のある顔から「ポパイ」と呼ばれ、64年の巨人戦ではファンが投げつけたビンに激昂しスタンドに乱入し退場処分されている。
・村上公康 (西鉄・ロッテ、捕手) 1945年
※1966年に西鉄に入団すると1年目から控え捕手となり3年目には正捕手に成長。しかし黒い霧事件で半年間の活動停止処分。71年に榎本喜八とのトレードでロッテに移籍するとこちらでも正捕手となり74年にはチームの日本一に貢献しベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。77年に引退。村田兆治のフォークをノーサインで補球できる捕手でもあった。
・フランク・オーテンジオ (南海、外野手) 1951年
※当時打撃不振に嘆いていた南海に79年に入団。王貞治の上を行ってほしいという球団側の意向から「王天上」の登録名でプレー。その年はカルロス・メイとともにクリーンナップを担い23本塁打を放ち活躍したが翌年は7本塁打に留まり前期終了時点で解雇された。ちなみにアメリカでのあだ名は「ムース」であったがこれは当時の南海の前監督の野村克也と同じニックネームだった。
・内匠政博 (近鉄、外野手) 1968年
※PL学園では清原・桑田のKKコンビと同期であり3年の夏に1番センターで全国制覇。その後は近畿大学・日本生命を経て1992年に日本生命で同僚だった大島公一とともに近鉄に入団。PLの先輩・新井宏昌の背番号「9」を受け継ぎ即戦力として期待され1年目から外野の準レギュラーとして活躍。俊足が武器であり2年目には110試合に出場し17盗塁。しかしその後は出場機会が減り2002年に引退。現在はオリックスのスカウト。
・松永浩典 (西武、投手) 1984年
※2005年の希望枠で西武に入団。1年目から先発ローテに加わり3勝をあげるとその年のプレーオフ第2戦の先発も任された(結果は4回4失点で敗戦投手)。その後は1軍では出場機会が減少するが2011年から中継ぎとして結果を残し始め2012年には56試合に登板し12ホールド。しかしその翌年から1軍では投げられず2014年に戦力外。現在のところその後は分かっていない。
・小林敦 (ロッテ、投手) 1986年
※2010年ドラフト3位でロッテに入団。1年目に9試合に登板し先発としてプロ初勝利をあげるがその後は右肩の手術により2013年まで2軍でも投げられず。2014年から2軍で復帰し昨年には27試合に登板したが戦力外となり引退、今年からスカウトとなる。なお彼の引退によりロッテでは29年ぶりに「小林」姓の選手が1人も在籍しないシーズンとなる(なおコーチには今年から小林雅英が復帰)。
おめでとうございます
銀次オメシャス!
今年は怪我せず頑張ってくれよな〜
銀次さんの軽妙なトークとフリーキックすき
野球もうまいらしい
岩手出身なのに宇部とかいう山口県しか思い浮かばない苗字だったのに、楽天入ってすぐにほぼ東北圏にしかいない赤見内って苗字に親の再婚でなったのは何か運命的なものを感じる
これは最強か
http://www.girlsheaven-job.net/6/moedoru-g/blog/18498537/?ed=hgc
ナバーロは結局2発だったのか
1発も2発も変わらんて
一回だけの過ちみたいなもんか
2月25日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・エリック・コーディエ (オリックス・投手・30歳) 1986年
※191cmから投げ下ろされる剛速球でクローザー候補として期待されている新助っ人。その直球は平均157キロ、最速166キロ。春季キャンプでの初ブルペンでも150キロを計測している。昨季はマーリンズに所属しイチローとチームメイトだった。
・杉浦稔大 (ヤクルト・投手・24歳) 1992年
※新人王を期待された昨年は開幕ローテ入りし3戦目の先発を務め6回1失点ながら敗戦投手。その後も援護には恵まれず右肩の故障も重なり初勝利は9月28日となった。それでも日シリ第3戦で先発を務め大舞台も経験。今年こそ1年通して先発として貢献したいところ。
・金子丈 (中日・投手・23歳) 1993年
※昨年ドラフト9位で入団すると4月に同期入団投手では最速の1軍デビューを果たし3者凡退に抑えた。昨年は10試合に登板し防3.95とまずまず。フェニックスリーグでは11回を無失点に抑え13奪三振と結果を残し今年の中継ぎ陣の一角として期待されている。
OBなど
・伊達正男 (阪急、コーチ) 1911年
※早稲田大学時代の1931年には早慶戦において離脱したエース・小川正太郎の代役として1回戦から3回戦まで3日連続で完投し2勝1敗と勝ち越し大いに話題となった。その後大リーグ選抜との対戦では6回まで1失点に抑える好投を見せた(7回途中で降板し逆転負け)。その3年後の全日本代表として再び臨んだアメリカ戦でも好投を見せ、プロ入りを勧められたが断りその後は都市対抗野球大会で活躍。1955年から阪急のコーチを務め梶本・米田の両エースの成長に貢献。1988年に特別表彰で野球殿堂入りを果たした。
・都裕次郎 (中日、投手) 1959年
※1976年ドラフト1位で中日に入団。しかし当時の投手コーチだった権藤に「とてもプロで続けられるフォームではない」と言われ彼に唯一フォーム矯正を施される。直球とスライダーを武器に5年目の1981年に先発ローテに定着し82年には16勝をあげ最高勝率(.762)を獲得しリーグ優勝に貢献。84年にも開幕7連勝を含む13勝をマークしたがその後は怪我に苦しみ89年に引退。なお同期の宇野が目立つが彼も珍プレーが多くランナー無しの時に無人の二塁に牽制球を投げたりカーブの握りで牽制を投げたこともある。現在はスコアラー。
・玉木重雄 (広島・楽天、投手) 1971年
※ブラジル出身の日系3世投手。95年に広島に入団すると1年目から中継ぎとして定着。2001年には自己最多の62試合に登板し9勝3敗3セーブ、防2.76の活躍。その後2005年に創設されたばかりの楽天に無償トレードで移籍。セットアッパーとして5ホールドをあげるが故障に苦しみ翌年に引退。その後は巨人の2軍コーチ兼スカウトとしてオビスポの獲得に貢献。現在はブラジル・ヤクルト野球アカデミーのコーチを務めている。
・高橋憲幸 (日本ハム、投手) 1971年
※1996年に日本ハムに入団すると1年目から中継ぎとして47試合に登板。その後も中継ぎの一角として活躍し2001年には自己最多の59試合に登板。この年のダイエー戦においてミッチェルに死球を与え乱闘騒ぎとなりチームメイトの金子誠が右フックで殴られている。しかし2004年に買い物途中に自転車で転倒し頬骨と鎖骨を折る重傷を負い翌年に引退。その後は中日の打撃投手を経て古巣の新日本石油でコーチを務め田澤純一や三上朋也を輩出。昨年から日本ハムの2軍投手コーチ。
・柳川洋平 (ソフトバンク、投手) 1986年
※高校時代にはヘルニア、社会人野球では肘と肩の故障に悩まされながらBCリーグ福井で2008年に最多奪三振を記録しソフトバンクの育成選手として入団。2年目にはイップスにかかりまともに投球ができなくなるが2軍監督やコーチ、先輩選手らの支えで克服。2011年にはファルケンボーグの故障を受けて支配下登録を果たし1軍に初出場。2軍でも抑えとして活躍。2012年に引退し現在は横浜で会社員。ちなみに成瀬善久とは旧知の仲である。
おめでとうございます
オコエ9打点より7試合の方がビビッた。実戦多いすね楽天
はっきり言ってオコエの成長曲線は異常だ
すげーわこいつ
AJ正式に引退ですか
まさか日本に来るとは思わなかった
大瀬良のひじの怪我はやっぱり靭帯痛めてたのね
まあ不幸中の幸いで程度は重くないようだし、保存療法orPRP療法の注射ってとこか
左腕の153キロがなんで打たれるんだってそりゃこっちのセリフだよ…
傍から見ればあんなん打てるわけないやんって感じなのになんであんなに合わせられるんだろ
2月26日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・風張蓮 (ヤクルト・投手・23歳) 1993年
※2014年ドラフト2位で入団した速球を武器にする右腕。しかし2軍でのプロ初登板となった3月29日にわずか11球で危険球退場。さらに1軍初登板となった5月3日にも広島・菊地に危険球を与え史上初の1・2軍プロ初登板危険球退場という不名誉な記録を作る。今年はその汚名返上といきたいところだが先日のオープン戦では2回4失点と結果を残せず。
OBなど
・岡本伊三美 (南海、内野手) 1931年
※1949年に南海に入団すると52年に二塁手のレギュラーとして定着すると翌年53年には打率.318で首位打者のタイトルを獲得しリーグ優勝に貢献しシーズンMVP。その後は「百万ドルの内野陣」の1人としてベストナインを5回獲得。引退後はサンケイ、南海、阪神のコーチを経て1984年から近鉄の監督を4年間務めた。現在はプロ野球OBクラブの常務理事。
・渡辺省三 (大阪・阪神、投手) 1933年
※選手としては技巧派の投手として2年目の53年に10勝をあげると58年まで6年連続2桁勝利を記録。56年には22勝をあげて防1.45で最優秀防御率を科k特。57年には参考記録ながら9回を史上最少の70球で無失点に抑えた。引退後は投手コーチを経てスカウトとして活動し新庄らの獲得に貢献。しかし突如1998年に路上で倒れているところを発見され亡くなった。飛び降り自殺とみられている。
・門田博光 (南海・オリックス・ダイエー、外野手) 1948年
※いずれも史上3位となる通算567本塁打・1678打点を記録した「不惑の大砲」。プロ2年目の71年にレギュラーとして定着すると120打点をあげて打点王を獲得。野村監督時代は主に3番を打ち中距離打者として打率3割を7年間で5回記録。その後は主砲として4番に定着し81年には44本塁打で本塁打王。1988年には40歳にして44本塁打、125打点を2冠王を獲得し史上最年長のMVPに輝く。その後はオリックスの移籍も経て44歳となった1992年にダイエーで引退。脱臼癖がありオリ時代の89年にはブーマーとのハイタッチで脱臼。2006年に野球殿堂入り。
・河村健一郎 (阪急、捕手・一塁手) 1948年
※現役時代は正捕手に中沢伸二がおり主に控え捕手や代打として活躍。打撃には定評があり指名打者としてもプレーし80年には12本塁打。引退後は阪急・オリックスのコーチを務めイチローに振り子打法を発案しイチローの育ての親となった。その後は巨人や中日、シドニー五輪日本代表のコーチを務め2013年には阪神のコーチも務めた。
続きます
続き
・廣田浩章 (巨人・ダイエー・ヤクルト・近鉄、投手) 1964年
※巨人ではプロ4年目に抑えとして活躍し11セーブ。その後は故障に苦しみ94年に戦力外、その後入団したダイエーでも96年に戦力外。しかし97年に入団したヤクルトでは野村再生工場において復活し59登板で防2.71で好投しリーグ優勝に貢献。翌年も52登板でチーム最多の7セーブ。その後の2000年の近鉄も含め在籍した4球団全てで戦力外通告を受けた選手でもある。引退後はホークスの打撃投手を経て現在はスコアラー。
・秋村謙宏 (広島・日本ハム、投手) 1966年
※1990年にドラフト外で広島に入団。1年目から中継ぎとして活躍し93年には48登板で6勝をあげる。なお91年には投手の森田幸一にプロ初打席初本塁打を打たれている。その後は日本ハムに移籍し97年で引退。その後は審判員として9年目の2007年に異例の早さで日本シリーズで球審を担当。しかし審判としては可変ストライクゾーンなどで評判は悪く2008年にはタフィ・ローズに「顔が侮辱行為」として退場を命じた。
・初芝清 (ロッテ、内野手) 1967年
※現役17年間をロッテで貫いたミスター・マリーンズ。88年にロッテに入団すると落合博満の背番号「6」を引き継ぐ。95年には5番打者として初の打率3割、80打点で同率の打点王を獲得し球団初の一億プレーヤーに。その後も三塁手のレギュラーとして活躍し2000年には20世紀最後のホームランも放っている。その後は代打として活躍し2003年には代打7打席連続安打のプロ野球記録。現役最終年の2005年のプレーオフでは逆転優勝につながる内野安打。現在はセガサミー硬式野球部の監督。
・西川慎一 (近鉄・阪神・広島、投手) 1967年
※1993年に近鉄に入団。プロ4年目の97年に左の中継ぎとして活躍し51登板。翌年はチーム最多の61試合に登板し防2.87の活躍。その後2000年のシーズン途中に阪神へトレード移籍。その年の阪神では45試合に登板し防1.93の好投。その後は広島に入団するも2004年の中日戦でワンポイントで登板するが相手の立浪に初球をサヨナラ安打される。結果的にこれが現役最終登板となり引退。現在は愛媛の実家で飲食店を継いでいる。
・田原晃司 (西武、捕手) 1975年
※地面スレスレまで腰を落として捕る独特の捕球体勢が特徴の捕手。当時西武には絶対的正捕手の伊東勤がおり1軍初出場はプロ9年目の2001年、プロ初安打は11年目の2003年とかなりの遅咲きとなった。伊東の引退後は細川や野田、炭谷のサポート役として守備固めとして活躍。2005年にはプロ13年目にして初本塁打も放った。2007年に細川が正捕手として安定して活躍するようになり翌08年に引退。その後はブルペン捕手も務めた。
おめでとうございます
初様とかいう漫画の主人公並のキャラクター
門田の迷コメントもエピソードも濃いですね
みなさんオメシャス
あっ、そうだ(唐突)
明日はもしかしたら誕生日更新が遅れるかもしれません
ご了承ください
>>696
いつも楽しませてもらっていますありがとうございます
無理しない程度に自分のペースでゆっくりやって、どうぞ
風張の一軍初登板の時は地元の村でパブリックビューイングが開かれてたり福井が中盤に炎上して結局ヤクルトが勝ったりとネタに事欠かなかった
メジャーのゲッツー崩しも禁止かぁ…
本当にここ最近一気に変えたなぁ…
運営・経営側と選手会双方の同意も比較的得やすいだろうしなあ
むしろなぜ今まで放置されていたのか・・・
本塁上のクロスプレーは華があるからかねぇ
クロスプレーにしろゲッツー崩しにしろ野球の数少ないコンタクトプレーで荒々しく男らしいみたいな風潮があったみたいですからね
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160226-00060366-baseballk-base
すでにご存知だと思いますが、ジョン・ボウカー選手が独立リーグ(BCリーグ)福島ホープス入団が決まりました。
ちなみにボウカー選手と仲の良い巨人のマシソン選手は記事が出て1時間足らずでニュース記事をすぐにリツイートしていました。
ボウカー選手コメント
「I am looking forward to coming back to Japan and playing for the hopes. I will try my best and play hard during the season for the fans.」
(日本に戻り、福島ホープスでプレーすることをとても楽しみにしています。今シーズン、ホープスファンのために全力でプレーします。)
岩村監督コメント
「ホープスの戦力として期待することはもちろんですが、彼のNPBに戻りたい気持ちが伝わり獲得に至りました。全力で彼をサポートしていきたいと思います。」
マシソンじゃねーか
ボウカーって対吉川○のあの?
遅れましたが、2月27日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・スコット・マシソン (巨人・投手・32歳) 1984年
※最速160キロの速球を武器とするもはやお馴染となった巨人の助っ人投手。昨年は抑えの座を澤村に譲りセットアッパーとして28ホールドをマークも救援ワーストの8敗。今年からは先発に挑戦する予定で先日のオープン戦では3回無失点。なお昨日BCリーグに入団したボウカーとはかなり仲がいい。
・濱矢廣大 (楽天・投手・23歳) 1993年
※プロ2年目の昨年は開幕1軍を掴み取り左の中継ぎとして活躍が期待されたが8登板で防7.20と結果を残せず4月半ばには2軍へ降格。フェニックスリーグでは24イニングで37奪三振と三振をとる能力には秀でており3年目の今年の飛躍を期待されている。
・田中太一 (巨人・投手・23歳) 1993年
※育成選手として迎えた昨シーズンは球速アップに成功。本人いわく「シュートを覚えようとしてツーシームを投げたら150キロ前後が出た」と驚きの一言。スライダーも武器に今年は支配下再登録を目指したい。
OBなど
・西尾慈高 (大阪・中日、投手) 1934年
※阪神ではプロ3年目にプロ初勝利を完封で飾ると翌年には開幕投手を務める。内角を入念に攻めるシュートと決め球のドロップを武器に58年に11勝をあげて2番手エースとして活躍。しかしその後は村山実の入団もあり61年にトレードで中日に移籍。中日で彼のグローブは後に外野守備の名手となる中利夫に譲渡された。65年に引退。
・坪井新三郎 (中日・太平洋、内野手) 1946年
※1969年ドラフト外で中日に入団すると1年目にウエスタンリーグ初となる例外規定での首位打者を獲得。和製大砲として期待されたが伸び悩み76年にトレードで太平洋に移籍し翌年に引退。なお息子は>>629 の坪井智哉であり親子そろってPL学園卒業生である。
・水沼四郎 (広島・中日、捕手) 1947年
※1968年に広島に入団するとプロ3年目の71年に正捕手に抜擢。キャッチングやリードに秀でており1975年のリーグ初優勝、79年・80年の日本一に貢献。特に79年日本シリーズ第7戦における「江夏の21球」の捕手でもあった。しかし81年に交通事故により頭を30針縫う大けがを負うなどし83年に移籍した中日で引退。その後はコーチなどを務めた。
・ケニー野村 (広島・日本ハム、捕手) 1959年
※野村沙千代の息子であり野村克也の継子。その野村克也に野球を教え込まれ80年に広島に入団。しかし2年後に移籍した日本ハム含め1軍出場は果たせず83年に引退。その後はアメリカに在住しスポーツアドバイザーとして活動。なお2001年には母親である沙千代の暴露本でもある自伝を出版しておりその翌年に沙千代は脱税容疑で逮捕されている。
・田中幸雄 (日本ハム・中日、投手) 1959年
※身長190cmと長身でありチームメイトに田中幸雄内野手がいたため「オオユキ」と呼ばれた。81年ドラフト1位で入団すると1年目から先発として活躍し5勝。85年には生涯唯一の完封勝利となる史上55人目のノーノーを達成。翌86年には抑えに回り13セーブを記録。その後は不調などで登板機会が減り移籍した中日で91年に引退。その後は日本ハムのコーチやスカウト、横浜のスカウトなどを経て現在は静岡県菊川南稜高校の監督。
・田畑一也 (ダイエー・ヤクルト・近鉄・巨人、投手) 1969年
※ダイエーにテスト入団を果たし42年ぶりの富山県出身のプロ野球選手となる。4年間で通算2勝をあげそのオフにトレードでヤクルトに移籍するといきなり96年に12勝をあげ球宴デビューを果たすとその翌年には15勝をあげてリーグ優勝に貢献し野村再生工場の最高傑作と呼ばれた。その後はトレードで近鉄や巨人でプレーし引退。2011年からは巨人のコーチとなり今年から2軍投手コーチ。なおドラフト会議において司会進行のパンチョ伊東が最後に読み上げた選手でありコーチとなった2012年には投げた球が同誕生日の田中太一の顔に直撃し頬を骨折させるハプニングも。
・神田義英 (ロッテ、投手) 1979年
※2002年ドラフト4位でロッテに入団。横浜の北川利之とともに川崎製鉄水島最後のプロ野球選手となる。1年目から開幕1軍を掴むとその後も中継ぎとして1軍で投げるも結果が残せない年が続く。しかし2006年にセットアッパーの薮田の故障を受けると11ホールドをマークし飛躍を見せる。しかしその後は不調が続き2009年に戦力外。その後は社会人野球を経て現在は地元香川県の少年野球チームの監督。
おめでとうございます
おめでとうございます
>・スコット・マシソン (巨人・投手・32歳) 1984年
※最速160キロの速球を武器とするもはやお馴染となった巨人の助っ人投手。昨年は抑えの座を澤村に譲りセットアッパーとして28ホールドをマークも救援ワーストの8敗。
今年からは先発に挑戦する予定で先日のオープン戦では3回無失点。なお昨日BCリーグに入団したボウカーとはかなり仲がいい。
まさかの誕生日プレゼントわろた
マシソン先発か〜
確かに投げすぎると肘の状態気になるしそういうのもありなんかな
好きな選手だし応援するゾ
濱矢はそろそろ出てくると思ってる
【今日のプロ野球・2月27日】
オープン戦
巨人 4-2 ヤクルト (勝:マシソン 1勝 敗:山中 2敗 S:内海 1S)
ヤクルトはオープン戦3連敗となりました
【今日のホームラン】
巨人:小林誠1号 (5回裏・ソロ・山中(ヤ))
【今日の盗塁】
ヤク:大引(1)
巨人:吉川(1)
【今日の勝利投手】
巨人:マシソン 1勝 (2登板・5回5安打1失点・3奪三振・防1.13)
【今日のセーブ投手】
巨人:内海 1S (1登板・4回2安打1失点(自責0)・2奪三振・防0.00)
マシソンはバースデー白星となりました
おめでとうございます
???「ボクはバースデーアーチ打った事ないんだよ」
2月28日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・若松駿太 (中日・投手・21歳) 1995年
※「パワプロ」をきっかけに覚えたチェンジアップを武器にプロ3年目の昨季は6月にプロ初勝利をあげると8月には初の完封勝利含む4勝をあげて月間MVPを獲得。シーズン最終戦で10勝に到達し3年目にして大ブレイクを果たした。契約更改では555%の昇給を勝ち取り来季も右のエース候補として更なる活躍が求められる。なお規定投球回には3イニング足りなかったが到達していれば防御率2.12はリーグ5位に相当していた。
OBなど
・鈴木武 (近鉄・大洋、内野手) 1932年
※1953年に近鉄に入団すると1年目から遊撃手として全試合に出場しリーグ4位の40盗塁。翌54年にはパリーグ最多となる44失策を喫するも71盗塁で盗塁王を獲得。しかし55年の開幕戦で二塁手・荒巻との交錯で右足首骨折の影響により年々盗塁は減少傾向となり60年途中に大洋へトレード移籍。監督の三原脩から「超二流選手」の1人として期待され代走、守備要員として活躍しリーグ優勝に貢献。日本シリーズ第2戦では決勝だとなるタイムリーも放ち3戦目には2安打2盗塁の活躍を見せ日本一にも貢献した。63年に引退。
・枝村勉 (大映・大洋、外野手) 1933年
※1955年に大映に入団。その年の開幕戦でいきなり本塁打を放つと外野のレギュラーに定着し翌年には121試合に出場、シーズン後半は3番打者も務めた。57年にはオールスターに出場し、その翌年に大洋へ移籍するが打撃不振に陥り出場機会は減少し60年に引退。
・中村国昭 (ヤクルト・日本ハム、内野手) 1947年
※1966年ドラフトで巨人の5位指名を拒否し4年後の70年にヤクルトへドラフト外で入団。新人ながら開幕スタメンを果たす(なお球団新人野手開幕スタメンは2010年の荒木貴裕まで現れなかった)。プロ4年目には二塁手のレギュラーとして自己最多の121試合に出場。その後は内野のユーティリティとして70年代ヤクルトを支えた。77年のオフに日本ハムにトレード移籍するが奇しくもその翌年にヤクルトはリーグ初優勝を果たしている。79年に引退しその後は2005年に社会人野球チーム「大分ソーリンズ」の監督に就任。
・渡邉孝男 (西武・日本ハム、捕手) 1974年
※1991年ドラフト7位で西武に入団。強肩が武器であり2年目には2軍の正捕手となった。しかし伊東勤らの壁は厚く1軍では9年間でわずか4試合の出場にとどまり2000年に戦力外。その後は社会人野球でプレーするが2002年にプロアマ間の取り決めより社会人野球で2年以上プレーした選手は自由契約選手同様の扱いでプロに復帰できることになり彼がその第1号として復帰。しかし2年間で1軍には1度も出場できず2004年に引退。なお2007年に日本ハムの稲田直人が初めてファーストでスタメンした際につけたミットは彼が過去に稲田に譲ったミットであった。
おめでとうございます
王さん星になったのか…
めでたい
>>715
死んだみたいに言うのビビるからやめろ
【今日のプロ野球・2月28日】
オープン戦
巨人 5-1 ヤク (勝:澤村 1勝 敗:ルーキ 1敗 S:戸根 1S)
ヤクルトはオープン戦4連敗。
【今日のホームラン】
ヤク:鵜久森1号 (9回表・ソロ・戸根(巨))
【今日の盗塁】
なし
【今日の勝利投手】
巨人:澤村 1勝 (1登板・1回1安打無失点・0奪三振0与四球・防0.00)
【今日のセーブ投手】
巨人:戸根 1S (2登板・2回1安打1失点・1奪三振0与四球・防3.00)
>>719
菅野が降りた途端に連打・・・
無援護の呪いは今年も続きそうですね
ヤクルトが地味にアカンことになってる って鵜久森打ってる!
巨人好調ですね
2月29日誕生日のプロ野球選手はこちらです
…と行きたいところなんですが、頑張って探しましたが2月29日生まれのプロ野球選手は見つけられませんでした
申し訳ございません
2月29日生まれの人は、28日か1日に組み込まれちゃうんだったか
鵜久森いけるやん?
札幌ドームよりはだいぶ狭いし頑張って星井
結果に関してはキャンプ終わって疲労が抜けてくるここからが大事でしょうね
オープン戦良い=シーズンも良いってわけではないけど、オープン戦物凄く悪かったけどシーズンは良いってパターンはあんまりないんでしたっけ
オープン戦上位のチームはだいたいシーズンでも強いけど三位のチームだけは呪われるってのがありますね
なお去年は同率二位で三位のチームはなかったけど上から三番目の横浜が見事呪いをうけた模様
>>727
ここ10年だか20年でオープン戦悪くてシーズン良かったの巨人が1回やっただけで、あとは連動して悪いですね
ナバーロは出場停止今月中+開幕から4週間に加えて制裁金50万ですか。それに加えて球団社長、本部長、編成部長が減給と
まぁネルソンの3ヶ月は単なる一例でしかないし来日1年目というのもあって球団にも落ち度があるということ考えたら妥当なんですかね
去年のこの時期贔屓が負けに負けてたけどシーズンは2位だったから気にすることはないと思う
ちなハム
>>730
今月中は3月中の間違いです。まだ2月終わってなかった…
投手と野手の3カ月は違うからなぁ…
ネルソンは3年目、ナバーロは1年目だし。ナバーロは韓国時代もキャンプで日本に来てたらしいから何とも言えないけど
イースタン・リーグ開幕から4週間ってのは微妙に詭計やな
二軍の開幕って2週間くらい早いし
まあそれ込みでも全然妥当というか重い処分だと思うけど(悪質性がないと推定されるから言えることではある)
信彦さんは結局ダメみたいですね
まぁ選択肢自ら狭めてる時点で…って感じですね
この半年くらいで一気に晩節を汚した感が
こないだ試合に来たときに練習に現れてホークスの若手をアゴで使ってたって
ほんとか分からんけど事実ならなんか情けないなあ
松中は目立つやらかしがないけど、そうとうヘイト買ってそう
勘違いして飛び出すのはベンチだけにしとけよ
>>739
これってネタにされてるけど、ベンチで他の人とコミュニケーション取れてないってことだよな
松中本人のプライドや意志・意欲はプロとしてあって然るべきだし否定する気はさらさらないけど
現実的に契約得られるかというと…やっぱ厳しいよなあ
色々思うところはあるけどまあ本人が納得できる形で引退できれば…なんて考えてたけど、このままだとどうなることやら…
あっ結局引退するのか…ソシャゲに必死で気づかなかった
遅れましたが3月1日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・ロベルト・スアレス (ソフトバンク・投手・25歳) 1991年
※今年からソフトバンクでプレーする新助っ人投手。最速158キロを投げる剛腕だが野球のプロ選手になったのは実は昨年のことでありそれまでは建築作業員などで生計を立てていた。そのメキシカンリーグでは中継ぎとして43試合に登板し防1.71の活躍。なお背番号「90」は野球漫画「あぶさん」の景浦安武の背番号であり半永久欠番となっていたが2014年に連載が終了し作者・水島真司本人からの了解も得て着用する。
・石田健大 (DeNA・投手・23歳) 1993年
※2014年ドラフト2位投手。1年目の昨季はシーズン後半から先発ローテに定着。71.2イニングを防2.89と好投し球団史上初となる大卒新人左腕として2勝をあげたが、援護率1.70という驚異的な援護率の低さにも悩まされた。今シーズンは数少ない左腕先発の一員として昨季誰も届かなかった規定投球回&2桁勝利を目指したい若手の有望枠。
OBなど
・若林忠志 (大阪・阪神・毎日、投手) 1908年
※ハワイ移民の日系2世であり愛称は「ボゾ」。創設当時のタイガースに28歳で入団すると「7色の変化球」と制球力を武器に活躍し1リーグ制を代表する技巧派投手として名を馳せる。1年目から先発ローテとして活躍すると39年には28勝、防1.09で最優秀防御率。42年から選手兼監督としてプレーし44年には35試合中31試合に登板し22勝をあげ阪神・下柳に並ぶ史上最年長タイとなる最多勝を獲得。戦後の47年にも26勝をあげて優勝に貢献。2リーグに分裂した50年に毎日に移籍すると同年開幕した第1回日本シリーズで最初の勝利投手となった。なお阪神であげた通算233勝は球団最多記録であり通算1000奪三振に到達した1952年に45歳で引退。引退後はコーチなどを務め1964年に野球殿堂入りを果たしている。
・伊沢修 (大阪、投手・外野手) 1932年
※現向陽高校である海草中学時代には1948年の夏の甲子園でエースとして準優勝に導く。1950年に大阪タイガースに入団すると1951年に球団史上3人目となる1軍初登板・初先発で初勝利をあげる。なおこの記録は2012年に岩本輝が記録するまで61年間4人目が現れなかった。この年は4勝をあげ飛躍が期待されるがその後は故障し、53年には外野手に転向。しかし1軍では3試合の出場にとどまり4年で引退。
・山本重政 (近鉄・阪神、投手) 1944年
※1962年に立命館大学を中退し近鉄に入団。タフな速球派として活躍し1年目は25試合、2年目には57試合に登板したが9勝17敗に終わる。翌64年には自己最多の63登板を果たし先発・中継ぎとしてフル回転し12勝をあげる。66年にも57試合に登板するがリーグ最多の19敗を喫し、特にリリーフでの13敗は史上ワーストである。自由契約後70年に阪神に移籍し2種類のカーブを使い分ける技巧派に転向しリリーフとして活躍。77年に引退後はスコアラーとして活躍し2007年に退団。現在は社会人野球「KC西宮」の監督。
続く
本人が納得する形で引退できる選手なんてほんの一握りも一握りだしね
引退試合を行ったうえでシーズン終了と共に引退した組だって翌シーズンの契約がもらえるなら続けたかった選手ばかりだろうし
・テリー・レイ (日本ハム、投手) 1947年
※74年シーズン前期にバール・スノーに給料貰い逃げされ後期に向けケキッチとともに急遽獲得された助っ人。即戦力として期待されたが、当時のワースト記録となる1イニング3ボークを記録するが、13試合に登板し3勝、防3.35とまずまずの成績を残し貴重な助っ人投手として翌年もプレー。しかし成績は落ちたため75年前期限りで解雇。なお「俺は月見草」発言のきっかけとなった野村克也の600号本塁打を打たれた選手は彼である。
・大田卓司 (西武、外野手) 1951年
※1969年ドラフト9位で入団。身長170cmと小柄な体格だが勝負強い打撃で「必殺仕事人」の異名を付けられ東尾修とともに弱小時代から黄金時代に至るまでのライオンズを支えた。76年には23本塁打を放ちDHのベストナイン。82年には監督の広岡達朗に「落伍者」の烙印を押されたが、プレーオフにおいて日本ハムの抑え・江夏から2日連続で勝ち越し適時打を放つ大活躍で翌年の巨人との日シリでもMVP。引退後はダイエーのコーチを務め吉永・浜名・村松・小久保の育成、さらにスカウトとして井口や松中の入団に貢献。2008年からヤクルトの打撃コーチも3年間務めた。
・高柳秀樹 (南海・ダイエー、外野手) 1957年
※1978年ドラフト1位で南海に入団。プロ6年目の84年に右の代打として活躍すると順調に成長し左投手が苦手だった門田博光に代わって4番打者も務めることもあり南海末期の苦しいチーム状況を支えた。91年に引退するとダイエーやロッテ、中日のコーチを歴任。2012年には四国アイランドリーグの高知のコーチを経て2014年からは中日の2軍打撃コーチに復帰した。
・ジミー・ハースト (広島、外野手) 1972年
※アメリカ独立リーグで三冠王を獲得した実績をひっさげ広島に2003年に入団。その風貌から「カープのボブサップ」として期待された。その豪快な打撃を魅力としながらコンパクトな打撃もできる器用な一面もあり同年の開幕戦では先制点となるタイムリーをセンター前に放っている。パワーはやはり強く芯でとらえた時の飛距離はケタ外れではあったが好不調の波の激しさや得点圏打率の低さも露見。夏にダイビングキャッチで怪我を負いそのまま離脱する形で退団。結果的に打率.207 5本と物足りない結果となった。
おめでとうございます
最後にですが、場違いではあるかもですがちょっとした宣伝を
先日「小笠原道大の全378本塁打を振り返る」スレを立てましたが、実は他の選手の分も現在作成中です
今回は松中信彦の全352本塁打を振り返るスレを、正式な引退発表があった際に立てようと思います(今日記事が出たようですがその後削除されました)
なお高橋由伸の全321本塁打も既に完成しているためそれも近いうちに立てようと思います
そのほかの選手もまとめている最中です
唐突な宣伝で申し訳ありませんが見ていただければ幸いです
ヤク川端インフルで代表も辞退ですか
追加招集するのかなぁ…
【今日のプロ野球・3月1日】
オープン戦
日本ハム 2-10 巨人 (勝:田口 2勝 敗:バース 1敗 S:中川 1S)
巨人が大勝でオープン戦3連勝としました
ヤクルトの選手は全員一律で予防接種もしているのでヤクルト製品と予防接種両方に喧嘩を売るスタイル
【今日のホームラン】
巨人:ギャレット1号 (1回表・3ラン・バース(日))
【今日の盗塁】
なし
【今日の猛打賞】
巨人:岡本 (5打数4安打、遊ゴ・左安・左線2①・中安・左越2)
【今日の勝利投手】
巨人:田口 2勝 (2登板・4.2回5安打1失点・4奪三振2与四球・防1.04)
【今日のセーブ投手】
巨人:中川 1S (1登板・3回3安打1失点(自責0)・0奪三振1与四球・防0.00)
今日から猛打賞もまとめてみることにしました
ギャレットもう1本出たんですね
>>750
型が違ったら普通に症状出るし(少なくとも予防接種側へのダメージは)ヘーキヘーキ、ヘーキだから
バースがバスガス爆発したって聞きました…
3月2日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
なし
OBなど
・ハンベルト・フェルナンデス (阪神、内野手) 1932年
※メジャーでは主に遊撃手として1962年にはタイガースで20本塁打を放っている。65年に阪神に入団しサードの主砲として期待されたが打率1割台前半、本塁打1本と本来の力を出せずスタメンを剥奪されると球団からの連絡を絶ったり、監督含めた首脳陣を批判したりとやりたい放題。結果的に1年で解雇された。
・近藤和彦 (大洋・近鉄、外野手) 1936年
※1958年に大洋に入団。1年目のキャンプで速球を打つ方法を試行錯誤していると剣道の構えからヒントを得て「天秤打法」を発案。そして迎えたシーズンでは121試合に出場し打率.270 13本塁打も長嶋茂雄に新人王は譲る。プロ4年目にはサイクル安打も記録し、35盗塁で盗塁王を獲得。打率リーグ2位を4回、3割を6回記録しているが首位打者には1度も届かず。66年の阪神戦で一旦サヨナラ本塁打を放ったが投球前にタイムがかかっており打ち直しとなり、投ゴロに倒れる珍事も。2000安打や通算3割も狙える位置にいたが70年代に入ると衰えが急速に進みトレードで近鉄に移籍した73年に引退。その後は大洋や日本ハム、韓国ハンファのコーチを歴任。
・末次利光 (巨人、外野手) 1942年
※巨人では2年目の66年から1軍に定着。しかし、当時は外野の層が厚く定位置を掴めずにいた。それでもプロ5年目の69年に右翼手のレギュラーとなり長嶋、王に次ぐ5番打者として71年に日シリMVP、74年にリーグ4位の打率.316でベストナインとV9時代の巨人を支えた。無骨な性格から当時の巨人軍では目立つことが少なく76年には逆転サヨナラ満塁本塁打を放っているが翌日のスポーツ新聞の1面には彼ではなく笑顔で迎える長嶋監督が写っていた。77年の開幕前に打球を左目に受け視力が落ちその影響で引退。その後は巨人の打撃コーチとなりアジアの大砲・呂明賜をはじめとした打者を数多く育てた。その後はスカウトとしても阿部や木佐貫、亀井の獲得に貢献。
・井上祐二 (南海・ダイエー・広島・ロッテ、投手) 1963年
※1980年に南海に入団すると1年目にドラフト制以降の高卒ルーキーでは4人目となる初登板初先発初勝利を記録。その翌年の82年には阪急・マルカーノに頭部死球を与え同年導入された危険球制度により初の退場者となっている。その後は救援として活躍し89年には21セーブをあげて最優秀救援を受賞。その後は先発に復帰するが成績が低迷し広島にトレード移籍。中継ぎとして95年には52登板で防2.68で復活を果たす。無償トレードで移籍したロッテで97年に引退。その後はロッテのコーチを2012年まで14年間務め、昨年からは社会人野球、JR東日本東北のコーチ。
・レオ・ゴメス (中日、内野手) 1966年
※97年に中日に入団すると4番打者として打率.315 31本塁打をマークしベストナインを獲得。99年には36本塁打、109打点といずれも当時の球団助っ人最高の成績を果たしリーグ優勝に貢献。翌年には一旦家族との時間を大切にすべく退団するが新助っ人が不振に沈んだために2001年に再入団し規定打席未満ながら打率3割を記録。翌2002年に引退。99年の巨人戦でソロ・2ラン・3ランを放ち満塁の場面で打席が回り本塁打を打てば史上初のサイクル本塁打が達成となったが三振に倒れた。なお女優の武井咲は彼のファンであり2012年のTBS番組「ひみつの嵐ちゃん!」内において念願の対面を果たしている。
・アンソニー・サンダース (横浜、外野手) 1974年
※2000年のシドニー五輪ではアメリカ代表として出場し韓国代表であり当時オリックスに在籍していた具臺晟から本塁打を放つなどの活躍で金メダルを獲得。27歳の若さで横浜に入団したが日本投手の変化球に対応できず全打席の4割以上が三振に終わりわずか14試合の出場で解雇。その後はアメリカ球界に復帰し2006年に引退。それから9年たった昨年に開催された第1回プレミア12においてアメリカ代表のアシスタントコーチを務めた。
おめでとうございます
西武ドームの新人工芝いいね(@すぽると)
DV疑惑のチャップマンは新規範にのっとり30試合出場停止か
証言の信憑性が疑われて不起訴だったし、軽くはないとはいえそれだけで済んでよかったのかな?
ようわからんけど
起訴されてないのに出場停止になるのか・・・
拳銃8発ぶっぱしたのは認めているし、それを威嚇行為として認定された感じなのでは?
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160302-00005928-sbunshun-spo
まだまだ出てくるんかな
試合中にジャスト正しい判定を下せるのがベストではあるものの
今日の試合のどうなのってケースについて試合後にビデオで見たうえでの発言とは言えやっぱり駄目でしたっていう言及があったのは良かった
シーズン前の確認事項としても改めて上がる事例だろうし、兎にも角にもシーズンの試合できちんと正しい判定を出せる糧になってくれれば
【今日のプロ野球・3月2日】
オープン戦
DeNA 9-0 ヤク (勝:今永 1勝 敗:杉浦 2敗)
中日 2-1 広島 (勝:濱田達 1勝 敗:野村 1勝1敗 S:又吉 1S)
ハム 3-6 巨人 (勝:土田 1勝 敗:鍵谷 1敗)
オリ 4-7 ロッテ (勝:西野 1勝 敗:松葉 1敗)
巨人がオープン戦4連勝、一方でヤクルトはオープン戦開幕5連敗です
【今日のホームラン】
巨人:大田1号 (9回表・3ラン・鍵谷(日))
DeNA:ロマック1号 (5回裏・ソロ・徳山(ヤ))
ハム:陽1号 (3回裏・2ラン・ポレダ(巨))
ロッテ:鈴木1号 (8回表・2ラン・松葉(オ))
オリ:ボグセビック1号 (1回裏・ソロ・石川(ロ)) ※先頭打者弾
【今日の盗塁】
広島:天谷(1)
DeNA:荒波(1)
DeNA:関根(1)
ロッテ:中村(1)
【今日の猛打賞】
DeNA:関根(1) (4打数3安打:右線2・遊安①・右安・二ゴ)
ハム:陽(1) (3打数3安打:投安・左本②・中安)
【今日の勝利投手】
巨人:土田 1勝 (2登板・2回2安打無失点・0奪三振1与四球・防6.00)
中日:濱田達 1勝 (2登板・5回5安打1失点(自責0)・2奪三振8与四死球・防0.00)
DeNA:今永 1勝 (1登板・5回1安打無失点・4奪三振1与四球・防0.00)
ロッテ:西野 1勝 (2登板・1回無安打無失点・1奪三振0与四球・防0.00)
【今日のセーブ投手】
中日:又吉 1S (2登板・1回無安打無失点・1奪三振0与四球・防0.00)
5安打8四死球で1失点って…
3月3日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・原口文仁 (阪神・捕手・24歳) 1992年
※2012年オフから育成選手となり3年目となった昨季は2軍で自己最多の59試合に出場。捕手としての出場はなく守備についたのは一塁の10試合のみだった。育成4年目となる今年のキャンプでは2月25日に1軍に合流。日本ハムとの練習試合において1軍デビューを果たし初安打も放っており近いうちの支配下登録も期待できる。
・出口匠 (楽天・内野手・18歳) 1998年
※2015年育成1位で楽天に入団。スイングスピードが武器であり高校通算41本塁打。2年生の練習試合ではソフトバンク・高橋純平からホームランを放っており昨年夏の三重県大会の3回戦では同じく楽天育成2位で入団した山田大樹と投げ合っている。梨田監督もかなり期待しておりまずは支配下を目指したい。
OBなど
・加藤正二 (名古屋軍・急映・大映、内野手・外野手) 1914年
※中央大学では首位打者を4度獲得した強打者。39年に名古屋軍に入団。1年目から4番打者として活躍すると43年には4本塁打で本塁打王。48年に赤嶺球団代表が辞任に追い込まれると藤本英雄、小鶴誠らとともに後を追う形で退団し急映を経て大映に入団。大映では49年に自己最多の14本塁打を放ち52年には5試合連続本塁打も記録。53年に引退し打撃コーチを経て中央大学の監督に就任。58年の春季リーグで優勝に導くがその年の夏に肝臓がんで44歳の若さで亡くなった。
・米田哲也 (阪急・阪神・近鉄、投手) 1938年
※驚異的なスタミナから「ガソリンタンク」「人間機関車」と呼ばれた名投手。投手としては2年目に21勝をあげ左腕の梶本とともに「ヨネカジコンビ」として阪急のエースとして活躍。プロ11年目の66年に25勝をあげ最多勝、200勝を達成。68年には自己最多の29勝をあげてMVPを獲得。19年連続の2桁勝利は歴代最長であり通算949試合登板は日本記録、さらに通算350勝は歴代2位、右腕1位の記録。さらに626先発、4561被安打、1940失点も日本記録である。引退後は阪神の1軍投手コーチを務め85年の日本一に貢献。92,3年にはオリのコーチを務め佐藤義則や星野伸之などの育成に貢献。2000年に野球殿堂入り。
・島崎毅 (日本ハム・中日・広島、投手) 1967年
※後に相川亮二や石井弘寿を輩出する東京学館高校出身の初のプロ野球選手。カーブやパーム、シンカーといった変化球を駆使する技巧派で中継ぎとして活躍。96年には14セーブ、16ホールドで最多ホールドを獲得。しかしこの年のオリックス戦でイチローに優勝決定サヨナラ打を打たれている。その後は金銭トレードで中日、入団テストに合格した広島でプレーし2001年に引退。その後は2013年まで11年間日本ハムのコーチを務め現在はスカウト。なお趣味は日曜大工であり折れたバットから木工品を作っている。
・マイク・ロマノ (広島、投手) 1972年
※広島に2005年に入団。速球にスライダー、チェンジアップを軸に先発・中継ぎの両方をこなし、広島投手陣の穴を埋めるまさに助っ人の役割を果たすが、ハリケーン・カトリーナにより自宅が水没し一旦帰国。そのまま退団となる可能性もあったが新たに就任したブラウン監督の意向により残留。しかし5勝9敗、防5.64と信頼を得ることはできず退団。なおブラウン監督のベース投げ事件の発端となった投手でもあり、2006年5月に行われた日本ダービーにて勝ち馬予想を単勝で見事的中させている。なおその後は韓国でプレーし2007年のアジアシリーズでは中日と対戦するが井端に決勝タイムリーを打たれ敗戦投手。
・梅津智弘 (広島・楽天、投手) 1983年
※191cmの長身から出どころの見づらいサイドスローが特徴の選手。プロ3年目の2007年から永川に繋ぐセットアッパーとして活躍し同年にはチーム最多の21ホールド。翌年には自己最多の64登板で防2.62、21ホールドの安定した投球。しかし2010年には1イニング10失点を喫するなど徐々に出場機会が減り2014年に戦力外。その後楽天に育成選手として入団しシーズン途中に支配下登録。だが1試合の登板にとどまり引退。今年からは楽天1軍のサブマネージャーとして第2の人生を歩む。ちなみに1年目に史上2人目となる1球敗戦でプロ初黒星を記録している。
おめでとうございます
ブランコは元気ならやっぱモノが違うよなあ
なお元気でいられる保証があまりに少なすぎる模様
涌井さんのほうは今日ダメダメでも別になんともない
【今日のプロ野球・3月3日】
オープン戦
DeNA 1-3 ヤク (勝:ルーキ 1勝1敗 敗:小林 1敗 S:寺田 1S)
中日 2-4 広島 (勝:横山 1勝 敗:金子 1敗 S:西原 1S)
楽天 1-8 西武 (勝:菊池 1勝 敗:安樂 1敗)
オリ 11-9 ロッテ (勝:佐藤峻 1勝 敗:涌井 1敗)
阪神 3-3 SB
ヤクルトがオープン戦の連敗を5でストップ。
安楽はものになりそう?
あ、安樂死…
ちーちゃんも負けたんやな
【今日のホームラン】
広島:エルドレッド3号 (7回表・ソロ・金子(中)) ※代打
中日:平田1号 (4回裏・ソロ・横山(広))
DeNA:ロペス1号 (8回裏・ソロ・久古(ヤ))
ロッテ:井上2号 (4回表・3ラン・佐藤峻(オ))
西武:山川1号 (3回表・2ラン・安樂(楽))
西武:山川2号 (4回表・ソロ・加藤(楽)) ※2打席連続
オリ:ブランコ1号 (3回裏・ソロ・涌井(ロ))
オリ:宮崎1号 (7回裏・3ラン・田中靖(ロ))
【今日の盗塁】
ヤク:比屋根(1)
西武:外崎(1,2,3)
西武:竹原(1)
【今日の猛打賞】
中日:藤井(1) (4打数3安打:中安・右安・中飛・左中2)
DeNA:ロペス(1) (4打数3安打:三ゴ・左安・左越2・左本①)
ロッテ:吉田(1) (5打数3安打:空三振・左安・左安・中安①・空三振)
西武:山川(1) (5打数3安打:空三振・左中本②・左本①・右安・二邪飛)
オリ:T-岡田(1) (5打数3安打:二ゴ・左線2・二ゴ・中安・右安①)
【今日の勝利投手】
ヤク:ルーキ 1勝1敗 (2登板・1回無安打無失点・1奪三振無四球・防13.50)
広島:横山 1勝 (2登板・4回4安打1失点・2奪三振無四球・防1.50)
西武:菊池 1勝 (1登板・5回4安打1失点・3奪三振2与四球・防1.80)
オリ:佐藤峻 1勝 (1登板・5回6安打3失点・3奪三振1与四球・防5.40)
【今日のセーブ投手】
ヤク:寺田 1S (1登板・1回2安打無失点・2奪三振1与四球・防0.00)
広島:西原 1S (1登板・1回2安打1失点・0奪三振0与四球・防9.00)
M井上もL山川もとりあえず現段階で打ちまくって一軍の席を作らなきゃね
最終的に評価されるのは開幕してからの成績だけど、今打たなきゃ開幕後に打席に立つ機会を貰えないし
3月4日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・川満寛弥 (ロッテ・投手・25歳) 1991年
※沖縄産まれ沖縄育ちのサウスポーであり2012年ドラフト2位で入団。伸びのあるストレートと落差の大きいカーブが武器だがその反面、制球難に苦しんでおり昨年も19.2イニングで23与四球で防10.98と結果を残せず。4年目を迎える今年こそまずは1軍デビューを果たしたいところ。
・公文克彦 (巨人・投手・24歳) 1992年
※昨年は新球のツーシームを覚え、2軍でも44試合に登板し防1.78と好投。秋のキャンプではサイドスローに転向し高橋由伸新監督も期待している投手の1人。1軍には高木京介や戸根千明といった左腕がいるためなんとかその枠に入りたいところ。ちなみに学習塾のKUMONとは血縁関係も入会経験もない。
OBなど
・古川清蔵 (名古屋・阪急、外野手・捕手) 1922年
※1941年に名古屋軍に入団。42年に1年のみ捕手に転向すると7月18日に西沢道夫のノーヒットノーランに貢献。その後大戦に召集され45年に戦後初のプロ野球試合となる東西対抗戦に出場。48年に阪急へ入団すると俊足の外野手として活躍し50年には56盗塁を記録。53年には延長戦の参考記録ながら日本記録タイの1試合7安打を記録している。59年に引退すると妻の父が調教師であったことから競馬評論家に転身した。
・レロン・リー (ロッテ、外野手) 1948年
※ドジャースで72年に打率3割を記録するなどの実績をひっさげ77年にロッテに入団すると1年目から34本、109打点でいきなり2冠王の活躍。翌年には弟のレオンも呼ぶと80年には打率.358で首位打者。有藤や落合らと強力な中軸打線を形成。日本在籍の11年間で規定打席で打率3割以上を9回記録しており4000打数以上の通算打率は歴代1位となる.320。通算安打1579本もタフィ・ローズに次ぐ助っ人2位である。2013年に来日しており始球式の打者として堀幸一と対戦している。
・サム・パラーゾ (ヤクルト、内野手) 1951年
※29歳の1980年にヤクルトへ入団。走攻守そろった内野手として1番打者として活躍。打率.281 15本 43打点 13盗塁と助っ人としてはそこそこの成績を残し前年最下位のヤクルトの2位浮上に貢献したが盗塁成功率の低さなどの理由によりわずか1年で退団。その後はメッツやレッズ、マリナーズのコーチを経て2005年にはオリオールズの監督に就任。機動力重視の采配で2006年にはリーグ4位。しかし翌年は最下位に転落し6月に解任。その後は2012年までフィリーズのコーチを務めた。
・白井康勝 (日本ハム・広島・ヤクルト、投手) 1969年
※1987年ドラフト外で日本ハムに入団。3年目の91年から1軍に定着し、武田一浩の先発転向に伴い92年に抑えに転向し9勝10セーブの活躍。その翌年にはこちらも先発転向を果たしスライダーとカーブを武器に10勝をあげ西武キラーとして活躍。しかしその後は低迷し広島やヤクルトに移籍したが活躍はできず98年に引退。その後は球団職員として日本ハムに在籍し2014年からはスカウト。なお阪急などに在籍した白井孝幸は兄にあたる。
・ヒラム・ボカチカ (西武、外野手) 1976年
※ドジャースでは石井一久、マリナーズではイチローや長谷川滋利と共にプレー。来日当初は「守備の人」という評価であり強肩ではあるものの打球判断が致命的に悪く相手の長打や得点をアシストする場面も目立った。しかし打撃はそれを補う以上のものがありわずか239打数で20本塁打を放つなど「恐怖の9番打者」として活躍。日本シリーズでも第7戦で1点差に追い上げる代打ソロを放つ。翌年は第2回WBCプエルトリコ代表としても出場。しかしシーズンでは渡辺監督や大久保コーチとの確執や成績の低迷もあり退団した。
おめでとうございます
>入会経験もない。
草
山川は中村にホント打ち方似てるのなぁと安楽被弾シーンを見て思った
>>768
今更ですがヤクルト2-1DeNAではないでしょうか(揚げ足取り)
>>768
あっ…ホントですね…
【今日のプロ野球・3月3日】
オープン戦
DeNA 1-2 ヤク (勝:ルーキ 1勝1敗 敗:小林 1敗 S:寺田 1S)
中日 2-4 広島 (勝:横山 1勝 敗:金子 1敗 S:西原 1S)
楽天 1-8 西武 (勝:菊池 1勝 敗:安樂 1敗)
オリ 11-9 ロッテ (勝:佐藤峻 1勝 敗:涌井 1敗)
阪神 3-3 SB
申し訳ありません
ソフバンー阪神を現地で見てきました。普段はあまり野球見ないので、野球の生観戦は10年ぶり位でしたが楽しめました。チックのホームラン期待してたんですが犠牲フライだけでした。
鳥谷も見たかったんですが出場しませんでした。ケガなんですかね?
今年こそはプロ野球の公式戦を見に行ってみたいです
イ '、 ハイ!自分語りはここまでやで〜!
/ ',
| 从-リノ ノリノノ-)リ、 l.. ..┏┳┳┓
┏┳┳┓ | リ ‐=・-; -・=‐ Y..l.. ..┃┃┃┣┓
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┃┃┃┃┣┓ i リ,i ゚人,,__,,人:. | リ} ..┃┃ ┃
┃ 自分 ┃┃ ハ: i. , __ij..__ 、: 'iノ.. ━┫ STOP!┃
┃ 語り. ┣━ 彡、 `Ⅶエlフ'´ /ミ . ┗━━━━┛
┗━━━━┛ 彡\ ` ̄´ / ミ
┃ ̄ ̄.┃
..┏┻┓.┏┻┓
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>>778
オープン戦序盤はどのチームも一軍当落線上の選手に多く出場機会を与える傾向にあるのでそれじゃないですかね
阪神のオープン戦はまだ2試合目ですから
大和がショートでどれだけ動けるかを試合で見るのもオープン戦序盤だからできることでしょうし
鳥谷自体はキャンプ打ち上げの音頭取りをした記事があるのでコンディションは良好なんじゃないかと
>>780
いやこれくらいは別にいいやろ…
>>782
NaNじぇいでこのAAが適切な場面で使われてるところを見たことない
たぶん毎回同じ奴でしょ。
そういや代表戦はもう明日なのね
先発は菅野と(*^◯^*)の元ネタのワンイーゼンですね
川端の代わりに銀次が招集されたと思ったら嶋が怪我で辞退しちゃいました
イーゼン規定未到達&防御率6点代で最多勝取ってて草生える
勝てる投手はいい投手
たとえそれが勝ち運全振りの結果であろうと
団体スポーツでの勝ち星というのはデカイ・・・
【今日のプロ野球・3月4日】
オープン戦
楽天 11-2 西武 (勝:則本 1勝 敗:高橋光 1敗)
SB 3-3 阪神
オリ 2-3 巨人 (勝:桜井 1勝 敗:山崎福 1敗 S:矢貫 1S)
巨人はオープン戦5連勝と好調。
ソフトバンクと阪神は2戦連続で同じスコアで引き分け。
阪神てまだそんなに野手の主力・ベテラン組が出てないみたいだし(西岡上本あたりの二塁手争いは別として)
経験の少ない若手がよく食らいついてると言っていいのかな
【今日のホームラン】
SB:柳田1号 (3回裏・2ラン・メッセンジャー(神))
SB:柳田2号 (6回裏・ソロ・ドリス(神)) ※2打席連続
楽天:ゴームズ1号 (1回裏・2ラン・高橋光(西))
【今日の盗塁】
SB:福田(1)
SB:明石(1)
西武:熊代(1)
楽天:足立(1)
阪神:緒方(1)
阪神:横田(1)
【今日の猛打賞】
楽天:岡島(1) (5打数3安打:中安・左安・二ゴ・右安①・三飛)
楽天:足立(1) (3打数3安打:四球・左安・左線2・左安①)
【今日の勝利投手】
楽天:則本 1勝 (1登板・3回2安打無失点・2奪三振1与四球・防0.00)
巨人:桜井 1勝 (1登板・5回4安打2失点(自責1)・2奪三振3与四球・防1.80)
【今日のセーブ投手】
巨人:矢貫 1S (2登板・1回無安打無失点・1奪三振無四球・防0.00)
ゴームス打ったのか
ユーキリスよりは活躍しそうだね
柳田はやっぱすごいな
あとは怪我だけ気をつけてほしい
明日が昌さんが本当の引退試合かぁ
3月5日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・駿太(後藤駿太) (オリックス・外野手・23歳) 1993年
※プロ5年目の昨季は自己最多の135試合に出場し8盗塁や25犠打も最多を更新。しかし打率は.235 本塁打も2本にとどまり打撃部分では不振となった。足の速さはピカ1で昨年5月のソフトバンク戦では五十嵐から三振となるが暴投で振り逃げとなり一気に3塁まで進む走塁も見せた。昨年末に「後藤駿太」への登録名変更も示唆したがファンの期待に応えられるまで「駿太」でい続ける結論に至り、坂口が退団した6年目の今年はセンターで活躍したい。
・エクトル・メンドーサ (巨人・投手・22歳) 1994年
※キューバから国外への選手派遣が認められた翌年の2014年に巨人へ入団。2年目の昨季は1軍デビューも果たし初登板で初ホールドを記録。さらにプレミア12ではキューバ代表に選ばれた。まだ22歳と若く2軍でも12試合の中継ぎ登板で防1.59と好投しており今後が期待される。なお秋に豊田清コーチからフォークを習得している。
OBなど
・大津守 (西鉄・近鉄、投手) 1931年
※球団創設年の50年に西鉄へ入団。52年にリーグ最多の46登板で18勝をあげると54年にも18勝をあげてチームの初優勝に貢献し、日シリ第6戦でも勝利投手に。その翌年には自己最多の21勝をあげ史上22人目のノーノーも達成。その後不振に陥り58年に近鉄へ移籍。近鉄でも主戦投手として2年連続防御率ベスト10に入るが打線の援護に恵まれず2年連続で20敗以上、勝率3割台と苦しんだ。60年には0勝11敗、防6.59と再び不振に陥り中継ぎへ転向し63年に引退。
・安原達佳 (巨人、投手・外野手) 1936年
※1954年に巨人へ入団。2年目の55年に先発ローテに定着し12勝、防1.74の活躍を見せ日シリにも4試合に登板。その後5年間でサイドスローに転向しながら4度の2桁勝利をあげるなど第2次巨人軍黄金期の主戦投手として活躍。61年に外野手へ転向し同年は86試合に出場。63年に引退後は妻の実家が経営する冶金会社の社長を務めた。
・城戸則文 (西鉄・ヤクルト、内野手) 1939年
※西鉄ではプロ3年目の59年に中西太の故障により1軍に定着しレギュラー三塁手として活躍。59年には日本記録となる1イニング3盗塁を記録。63年にはリーグ優勝に貢献し64年には自己最多の146試合出場を果たし球宴にも出場。その後はロイの三塁転向により67年にサンケイへ移籍。内野のユーティリティとして活躍し史上79人目の1000安打も達成。極端に死球が少なく4878打席で死球はわずか4つである。引退後は西武のコーチやスカウトを歴任。
続く
・大杉勝男 (東映・ヤクルト、内野手) 1945年
※いずれも史上9位となる通算486本塁打、1507打点を放った和製大砲。1年目から水原監督に積極的に起用され3年目の球宴では江夏から満塁ホームランを放ちMVP。68年に不振に陥った時、飯島打撃コーチから「月に向かって打て!」というアドバイスを送られその翌年から強打者へと成長。70年からの3年連続40本塁打を含む6年連続30本塁打を記録し本塁打王2回、打点王2回を記録し張本とともに「OH砲」として活躍。75年にトレードでヤクルトへ移籍すると78年には4番打者としてリーグ優勝に貢献。同年の日シリでは上田利治監督の抗議のきっかけとなる本塁打も放つなどシリーズ記録の10打点でMVP。83年には史上初の両リーグ1000安打を達成し両リーグ200本塁打まであと1本としていたが同年限りで引退。引退スピーチでは「この1本をファンの皆様の夢の中で打たして頂きますれば、これにすぐる喜びはございません」と言葉を残した。喧嘩早く78年の乱闘では長嶋茂雄監督を殴っている半面、ファンサービスも旺盛であり「心優しき暴れん坊」としてファンに愛された。97年に野球殿堂入り。
・山下大輔 (大洋、内野手) 1952年
※1973年ドラフト1位で入団。当時のオーナーは彼の入団を大変喜び、秋山登ヘッドコーチの提案もありユニフォームの色も彼の出身地の静岡の名産であるみかんとお茶からオレンジと緑のものに変更。「慶応のプリンス」と呼ばれた人気は凄まじく、控え選手にも関わらず1年目からファン投票で球宴に選出されている。その後ボイヤーの教えを受けて守備の名手に成長。1976年から83年まで8シーズン連続でダイヤモンドグラブ賞を受賞(遊撃手としては8回は史上最多)。78年には当時の日本記録となる322守備機会連続無失策も記録。しかし88年の開幕前に体力の限界を理由に突如引退。その後は横浜の1軍ヘッドコーチとして98年の日本一に貢献。2003年からは監督に就任するが45勝94敗の勝率.324という球団史上最低勝率を記録するなど2年連続で最下位となり退任。その後も楽天を経てDeNAの二軍監督を昨年まで務めた。
・広永益隆 (南海・ダイエー・ヤクルト・オリックス、外野手) 1968年
※通算34本塁打にも関わらずメモリアルアーチが多いことから「記憶より記録に残る男」と呼ばれた選手。まず4年目の89年開幕戦で代打で出場したプロ初打席でプロ初本塁打となる逆転3ラン(開幕戦プロ初打席初本塁打は初)。しかもこれがダイエー史上、そしてパリーグの平成第1号となる。さらに90年にはプロ野球通算6万号、92年にパリーグ通算3万号を放つと同年10月1日に野茂から放ったソロが平和台球場最後の本塁打となる。ヤクルトへ移籍した95年には代打の切り札としてヤクルトのリーグ優勝に貢献。その後オリックスへ移籍すると98年に当時16連敗中のロッテを相手に同点の12回裏にリーグ初の代打の代打によるサヨナラ本塁打となるグランドスラムを放ちロッテの連敗記録が日本記録の17連敗となる。さらにこれが史上2人目の両リーグ代打サヨナラ本塁打達成となる一発だった。通算代打本塁打14本は史上7位であり99年に引退。
おめでとうございます
(どんどん説明文が長くなっちゃって)いやぁ、スイマセーン♂
後藤駿太にされるとタフィ・ローズの顔しか出ないから駿太のままでよかった
強化試合は土曜がTBS→BS-TBSのリレー中継、日曜が試合頭からBS-TBSか(19時試合開始)
土曜の方は試合終了までと明記されてるけど、日曜も試合終了まで放送してくれるのかな?
19時〜22時の枠が取ってあって、さらに延長ありまでは書いてあるが
_____
/_____\
/ ̄ 必●勝  ̄\
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ
/ ̄\ l \,, ,,/ | ピッチャーデニー!
,-(| ト | (●) (●) |
| \_/ ヽ \___/ |
| __( ̄ | \/ ノ
ヽ___) ノ
オリのコーディエほんとに速いですね
シーズン入ったら160出しそう
ありがとう山本昌
さよならカクテル光線眩いナゴヤ球場…
旧: http://homepage3.nifty.com/waytowin/
新: http://yamamotomasa.com/
進化しすぎワロタ
【今日のプロ野球・3月5日】
オープン戦
中日 3-11 ヤク (勝:石川 1勝 敗:山井 1敗)
阪神 2-4 ロッテ (勝:大谷 1勝 敗:高橋 1敗 S:内 1S)
オリ 5-3 巨人 (勝:小松 1勝 敗:高木勇 1敗)
楽天 0-2 SB (勝:バンテンハーク 1勝 敗:濱矢 1敗 S:飯田 1S)
広島 1-1 西武
ハム 5-3 DeNA (勝:メンドーサ 1勝 敗:モスコーソ 1敗 S:藤岡 1S)
改めまして山本昌選手、お疲れさまでした
【今日のホームラン】
オリ:T-岡田1号 (4回裏・3ラン・高木勇(巨))
ヤク:西浦1号 (9回表・2ラン・岡田(中))
中日:ビシエド1号 (9回裏・ソロ・竹下(ヤ))
DeNA:ロマック2号 (9回表・ソロ・藤岡(日))
【今日の盗塁】
SB:本多(1,2)
ロッテ:中村(2)
西武:田代(1)
オリ:西野(1)
オリ:岩崎(1)
阪神:北條(1)
阪神:横田(2)
広島:安部(1)
【今日の猛打賞】
ハム:石川慎(1) (3打数3安打:左安・四球・左越2・中安)
ヤク:田中浩(1) (4打数3安打:中安①・左越2②・空三振・左安)
ヤク:西浦(1) (5打数4安打:右安①・中安・中安・空三振・左本②)
【今日の勝利投手】
SB:バンテンハーク 1勝 (1登板・4回3安打無失点・3奪三振無四球・防0.00)
ハム:メンドーサ 1勝 (1登板・5回4安打1失点・2奪三振無四球・防1.80)
ロッテ:大谷 1勝 (2登板・1回3安打1失点・0奪三振無四球・防4.50)
オリ:小松 1勝 (1登板・2回1安打無失点・1奪三振無四球・防0.00)
ヤク:石川 1勝 (2登板・3回4安打1失点・3奪三振無四球・防1.80)
【今日のセーブ投手】
SB:飯田 1S (2登板・1回無安打無失点・1奪三振無四球・防0.00)
ハム:藤岡 1S (1登板・1回1安打1失点・0奪三振無四球・防9.00)
ロッテ:内 1S (2登板・1回1安打無失点・2奪三振1与四球・防0.00)
明日のオープン戦結果、そして7日誕生日の選手一覧の更新は事情により遅れると思います
申し訳ありません
3月6日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・西野勇士 (ロッテ・投手・25歳) 1991年
※昨年は自身最多の34セーブをあげ、特にセーブ機会での失敗0という非常に安定した投球で幕張どころか球界屈指の守護神に成長。2014年から2年続けての好成績を評価され育成出身の選手としては史上2人目となる1億円プレーヤーとなった。現在行われている侍ジャパン強化試合のメンバーにも選ばれており明日のバースデー登板にも期待がかかる。
OBなど
・上田藤夫 (阪急、内野手) 1912年
※アメリカ・ハワイで生まれ1937年に来日し阪急へ入団。バントなどの小技に秀でており主に2番打者として活躍。守備も非常に堅実であり1940年に遊撃手の第1回ベストナインに選ばれる。1938年に1試合12補殺、1940年に1試合6併殺のプロ野球記録も作った。引退後は審判員に転向すると63年にはパリーグの審判部長に就任。その正確なジャッジには定評があり、二塁塁審としては歴代審判中随一といわれるほどだった。
・佐野元国 (近鉄・巨人、捕手) 1958年
※1977年に近鉄へ入団するが当時の近鉄の捕手陣は梨田昌孝や有田修三らが全盛期であったためウエスタンで2冠王を獲得するが1軍での出番は7年間でわずか18試合。85年に巨人へトレードで移籍し、山倉和博に続く2番手捕手として期待された。しかし槙原とバッテリーを組んだ4月17日の阪神戦でかの有名なバース・掛布・岡田のバックスクリーン3連発を浴びるなど期待を裏切り6試合の出場に留まる。さらに翌年には近鉄時代に超えられなかった有田が巨人に移籍しさらに出番が少なくなり88年に引退。引退後は大洋や巨人のコーチを務め特に巨人では村田善則の育成に貢献した。
・小川博文 (オリックス・横浜、内野手) 1967年
※球団名がオリックスへと変わった88年ドラフトで入団。もともとは二塁手だったがプロ入り後遊撃手となり1年目からレギュラーとなる。3年目の91年には全試合に出場し自身初のベストナインを獲得。94年には打率.303を記録すると95年、96年のリーグ連覇にも貢献。99年には史上5人目となる全打順本塁打を達成。2000年にトレードで横浜に移籍すると2001年には三塁手として自己最多の15本塁打を放った。2003年にはトレードでオリへの復帰が内定していたが伊原新監督の就任により破談。そのまま横浜で引退。その後はオリックスのコーチを昨年まで務め今年からはDeNAの打撃コーチとなる。
・今中慎二 (中日、投手) 1971年
※88年ドラフト1位で中日に入団。2年目の90年に先発ローテに定着し6完投含む10勝をあげ左のエースとして期待される。翌91年には佐々岡真司との苛烈な防御率争いとなり最終的に防0.08の差でタイトルは逃す。その翌年に打球が左手首に当たり骨折し離脱したがこれが後に決め球となるスローカーブの習得のきっかけとなる。そして93年には当時セリーグ記録となる1試合16奪三振を達成するなど17勝、防2.20、247奪三振を記録し審査項目を全て満たし沢村賞を受賞。その後も4年連続で開幕投手を務め2桁勝利をあげ山本昌とともに90年代の中日を支えた。その後は肩の故障などに苦しみ2000年に引退。引退後は高木監督が在籍した2年間投手コーチを務めた。
おめでとうございます
今日の台湾戦運営がやらかしたってマジ?
代表戦見て、この時期に160の直球と148の落ちる球投げる大谷のやばさを改めて認識する
事故券321枚はちょっといただけないかなぁ
劇場の公演等における指定席エリアに自由席食い込みの時のベターな対応がなんであるかは知らないから対応については何も言えないけど
http://www.nikkansports.com/baseball/news/1613184.html
有料ch無料開放デーでちょうど今昨日のオープン戦やってるから見てるけど昌のセレモニー枠内に収まらなかったのね
チケット代返金してくれるらしいけど遠征してきた人は災難だ
席がないならどうしようもないけど試合後にグランド降りてもらって選手とハイタッチとかのサービスだけで印象だいぶ変わると思う
チケット代返して終了ってのは違う気がする
内海はもうだめかもわからんね
>>808
そこは自由席のつもりで入った客を移動させろよと思うんですけど
現場のごたごたがどのようなものだったかはわからないけど
指定席に椅子取りゲームして挙句差額返金検討っていかんでしょ
>>812
年齢だけで言えばまだまだやれるけど、30代半ばは相次ぐ怪我でガタガタっと行く年齢でもあるからね
まあまだやってもらわんと困る(ファン並の感想)
今日の侍ジャパンの試合18:30からなのに19:00から放送なのか…
侍守備ボロ過ぎィ!
しかも山田坂本じゃなくて菊池今宮でこれって使ってもらえなくなるんじゃ
今宮よう取った
ええ…(困惑)
ヘッスラ3連発とまではいかなかったか
えっなにこれは…
バントで三塁とか草
さすがに昨日の今日で一塁走者の二塁進塁はケアしてたか
ノーアウト1・3塁で1点止まりはちょっと物足りないな
西キレキレやね
京セラドームのバウンドおかしい…
どういうことなの…
マエケンyosasousune
昨日から平田当たってるねえ
平田すげえな
やったぜ。
筒香ホームラン!
ホームランも出て興行として文句なし
すげー飛び方
やっぱ日本の4番は筒香だわ(テノヒラクルー
ここの球場はフェンス直撃ホームランもあるだけにきちんとスタンドに飛び込むホームラン打ったのも素晴らしい
翔さんも一発打って、どうぞ
平田は代表でやる打撃をチームでもやってきたら手ごわいなぁ
去年はシーズン中、満塁だとさっぱりだったし
今年は外人が巧打のルナから長打型に変わったから打線での平田の役割は変わるかもしれないけど
5タコ1併殺4三振か…
打者走者も3塁行けないあたりが甘さなのかなぁ
ブロック禁止ってこういう感じか
MLBだとやってることだし、そういう意味では体さばきや立ち位置、ミットを走者の走路に置く技術の参考資料はあるから
全くの手探り状態からってわけでもないとは思うのだけど
パリーグ大好きの小久保にとっては西野は優先度の高いPだろうに
西野打たれてますな…
抑えは勝ち越して試合を終えることが役割だから(震え声)
目を離した9回なにがあったんや…
9回はお互い花束交換したようなものね
○ンポさん引退か
代表引退セレモニーをするのか
小笠原オープン戦で投げたんだ。バレンティンに打たれたとはいえ
って、桑田と語る清原問題か
当たり障りのない内容というか…まあでも触れたことは触れたからNHKはKKのPLに蓋はしないよってことなんかな
日付も変わってしまい大変遅れて申し訳ございません
【今日のプロ野球・3月6日】
オープン戦
楽天 1-5 SB (勝:スアレス 1勝 敗:森 1勝1敗)
広島 3-4 西武 (勝:岸 1勝 敗:黒田 1敗 S:小石 1S)
ハム 1-4 DeNA (勝:ペトリック 1勝 敗:武田勝 1勝1敗 S:平田 1S)
阪神 6-1 巨人 (勝:藤川 1勝 敗:内海 1敗1S)
オリ 5x-4 ロッテ (勝:塚原 1勝 敗:黒沢 1敗)
中日 1-10 ヤク (勝:デイビーズ 1勝 敗:小笠原 1敗)
【今日のホームラン】
ロッテ:高濱1号 (5回表・ソロ・近藤大(オ))
オリ:T-岡田2号 (9回裏・2ラン・黒沢(ロ)) ※2試合連続・サヨナラ弾
ヤク:バレンティン1号 (1回表・2ラン・小笠原(中))
広島:エルドレッド4号 (5回裏・ソロ・高橋朋(西))
広島:下水流1号 (9回裏・2ラン・小石(西)) ※代打
中日:ビシエド2号 (6回裏・ソロ・ルーキ(ヤ)) ※2試合連続
DeNA:桑原1号 (7回表・ソロ・武田勝(日))
【今日の盗塁】
SB:金子圭(1)
SB:高田(1)
ロッテ:伊志嶺(1)
ロッテ:荻野(1)
ロッテ:角中(1)
巨人:立岡(1)
阪神:横田(3)
中日:遠藤(1)
DeNA:桑原(1)
【今日の猛打賞】
ロッテ:荻野(1) (4打数4安打:右安・左安・左安・中安) 率.438
オリ:宮崎(1) (4打数3安打:中安・中飛・左安・中安) 率.385
DeNA:桑原(1) (5打数3安打:投ゴ・遊ゴ・中安・左中本①・中安) 率.429
DeNA:柴田(1) (5打数3安打:中安・中安①・空三振・右安・中飛) 率.500
【今日の勝利投手】
SB:スアレス 1勝 (2登板・1回無安打無失点・0奪三振1与四球・防0.00)
西武:岸 1勝 (1登板・4回無安打無失点・2奪三振無四球・防0.00)
オリ:塚原 1勝 (2登板・2回2安打2失点・2奪三振2与四球・防15.00)
ヤク:デイビーズ 1勝 (2登板・3回3安打無失点・2奪三振1与四球・防0.00)
阪神:藤川 1勝 (1登板・4回3安打1失点・1奪三振1与四球・防2.25)
DeNA:ペトリック 1勝 (2登板・5回8安打1失点(自責0)・2奪三振1与四球・防0.00)
【今日のセーブ投手】
西武:小石 1S (2登板・1回2安打2失点・0奪三振1与四球・防9.00)
DeNA:平田 1S (2登板・1回1安打無失点・1奪三振1与死球・防0.00)
鷹のスアレスええなあ、メジャーと取り合っただけある
これで育成目的なんだから泣けてくる
トカダ好調ですね
こちらも遅れましたが3月7日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
なし
OBなど
・野口正明 (名古屋・急映・大映・西鉄、内野手・投手) 1925年
※1924年に内野手として名古屋軍に入団。主に一塁手として出場し、プロ野球史上最長イニングとなる28回引き分けの試合では6番打者としてスタメン。翌43年に投手に転向し石丸進一や西沢道夫らとともに投手陣の柱として活躍。その後急映・大映を経て50年に西鉄創設メンバーとして加入。52年には自己最多の23勝をあげて球団初の最多勝に輝いている。しかし翌年以降は肩を故障し球団が初めてリーグ優勝を果たした54年に引退。引退後は解説者を務めた。
・福島知春 (巨人・ロッテ、捕手) 1954年
※1972年ドラフト5位で巨人に入団。肩が非常に強いことに定評があり1978年には自己最多の82試合に出場し当時史上最高記録となる盗塁阻止率.633を記録(のちに93年に古田敦也が更新)。しかし翌年以降は山倉和博に定位置を譲り出場機会が減少し84年にはロッテに金銭トレードで移籍し同年限りで引退した。
・宮里太 (大洋・横浜、捕手・外野手) 1965年
※1988年ドラフト2位で大洋に入団。大学時代までは捕手だったがこの年のドラフト1位が谷繁元信であったため外野手に転向。2年目には108試合に出場し打率.309を記録。3年目には初の規定打席に到達し打率.291の活躍を見せた。93年には球団の初代選手会長に就任し、その後は左の代打として活躍。プロ9年目の97年に引退しその後しばらくは球団職員として残留。そのためなのか引退時点で自由契約の届け出が出され、公示されたのは引退から11年たった2008年のことだった。現在は故郷の沖縄でガス機器の卸し会社の課長代理の傍ら少年野球の講師を務めている。
・菊地原毅 (広島・オリックス、投手) 1975年
※1992年ドラフト2位で広島に入団。入団後4年間は1軍登板がなく3年目の95年には台湾・時報イーグルスに派遣されプレーしている。しかしプロ9年目の2001年に貴重な左の中継ぎとしてフル回転し当時のシーズン最多登板タイ記録となる78試合に登板。03年・04年も左の中継ぎとして活躍したがオフにオリックスへトレード移籍。移籍後初年度の2005年には加藤大輔・大久保勝信と共に「KKO」の一角として活躍し71試合に登板し33ホールド、防1.38の活躍で最優秀中継ぎに選ばれる。翌年にはファン投票1位で球宴にも初出場。2008年の2位躍進にも貢献した。その後2010年オフに広島に復帰。育成落ちも経験したが2013年に6年ぶりの勝利投手。同年限りで引退し最終登板で新井貴浩を見逃し三振に抑え21年間のプロ生活を終えた。現在は3軍投手コーチとして若手の育成に励む。
おめでとうございます
あー、松坂って若いころから首回りが固そうな投げ方してたのね
その中で腕の振りが鋭く、前ではなせてたのが快速球の怪物の松坂だったのだけれど故障でそれがかなわなくなって
本当に中田と筒香は仲がいいなぁ。中田は筒香をかわいい言ってるし…って
リップ貸したろか?が仲良くなったきっかけなのか
代表で一緒のチームになって行動するってのは向上心のある選手にとっては最高の環境なんだなっていう
ヒントや気付きがあふれていて
打撃についてきっちり言語化できているし、筒香と中田が今季どういう数字を残すのか非常に楽しみだ
【2016年オープン戦・順位】 ※3月7日現在
1SB 4試合 2勝0敗2分 1.000
2巨人 9試合 6勝3敗0分 .667 -0.5
阪神 5試合 2勝1敗2分 .667 1.0
西武 4試合 2勝1敗1分 .667
5広島 6試合 3勝2敗1分 .600 0.0
オリ 5試合 3勝2敗0分 .600
7千葉 6試合 3勝3敗0分 .500 0.5
8DeNA 5試合 2勝3敗0分 .400 0.5
楽天 5試合 2勝3敗0分 .400
ハム 5試合 2勝3敗0分 .400
11ヤク 8試合 3勝5敗0分 .375 0.5
12中日 6試合 1勝5敗0分 .167 1.0
【オープン戦・打率ランキング】 3月7日現在
1石川慎(日) .533 (15-8) 0本 1打点 OPS1.336
2ロペス(De) .444 (18-8) 1本 3打点 OPS1.278
3本多(ソ) .417 (12-5) 0本 0打点 OPS.834
4山川(西) .412 (17-7) 2本 4打点 OPS1.236
5T-岡田(オ) .400 (20-8) 2本 7打点 OPS1.150
6浅村(西) .385 (13-5) 0本 2打点 OPS.891
7鈴木(ロ) .353 (17-6) 1本 3打点 OPS1.009
8ギャレット(巨) .333 (24-8) 1本 6打点 OPS.971
高山(神) .333 (15-5) 0本 1打点 OPS.708
10長野(巨) .321 (28-9) 0本 6打点 OPS.642
やソ強
セカンドは本多に戻りそうなんかな
マイコラス肩の治療で帰国か…
戻ってくるまでにどれくらい掛かるんだろ
3月8日誕生日のプロ野球選手はこちらです
現役
・平野佳寿 (オリックス・投手・32歳) 1984年
※2014年にはリーグ記録の40セーブをあげチームの2位浮上に貢献したが、昨年は打ち込まれる試合が目立ち12セーブに留まり抑えの座も失ってしまった。オフには人生初のダイエットにも取り組み今年は再び守護神として活躍したいところ。なお史上27人目の通算100セーブまであと4セーブ。
OBなど
・桝嘉一 (名古屋、外野手) 1908年
※明治大学から名古屋軍へ創設メンバーとして入団。2年目の37年には29歳の若さながら選手兼任監督として就任。この年は下位に沈み再び選手専任に戻る。その後41年に再び監督に就任すると43年にはチームを2位に浮上させた。監督業はその年限りで退任し選手としてもその翌44年に引退。戦後は審判員も務めた。
・三村勲 (中部・急映・大映・松竹・広島、内野手) 1924年
※46年に中部軍に入団し1年目からレギュラー三塁手として活躍。しかし48年に球団代表の赤嶺が辞任しその後を追うように急映へ入団。この年に同僚の小鶴誠とともに新田コーチから「ゴルフスイング打法」を教わり49年に打撃開花し打率も1割台から.297まで成長。2リーグ制となった50年には松竹で「水爆打線」のバントをしない2番打者として活躍しリーグ優勝に貢献。53年には広島に入団したが左膝の故障により55年に引退。
・町田行彦 (国鉄・巨人、外野手) 1934年
※入団当時は内野手だったが強肩を見込まれ外野手に転向。3年目には20本塁打を放つと4年目の55年には31本塁打で球団初の本塁打王に輝く。「西の中西、東の町田」と呼ばれ長らく国鉄の主力打者として活躍。プロ初出場の長嶋茂雄が金田正一に4打席連続三振を喫した58年の巨人戦では決勝の本塁打も放っている。65年に移籍した巨人で引退しその後は巨人で22年間、ヤクルトで3年間、台湾・統一で3年間コーチなどを務めた。
・森滝義巳 (国鉄、投手) 1938年
※立教大学では長嶋茂雄や杉浦忠の2年後輩にあたる。60年に国鉄に入団。シュートやカーブを武器にゴロを量産する打たせて取る投球が持ち味で先発ローテに定着した2年目の61年には15個の内野ゴロを奪い史上7人目の完全試合を達成する。しかしその活躍は長く続かずその後5年間で5勝に終わり7年目の66年に引退。引退後はサラリーマンとなり定年後は青少年野球の指導者。
・鎌田実 (大阪・阪神・近鉄、内野手) 1939年
※当初は中日入団する予定だったが担当のスカウトが中日を解雇され大阪に入団したため困惑のまま大阪へ入団。プロ3年目に二塁手の定位置を獲得し主に2番打者として活躍し62年のリーグ優勝に貢献。日本で初めてバックトスを導入した選手として知られチームの危機に併殺プレーを築いた。しかし67年に移籍した近鉄ではその翌年に三原監督に使用禁止を命令されて反発している。70年に阪神へ復帰し兼任コーチとしてプレーし72年に引退。その後は近鉄のアドバイザーも務めた。
・佐々木吉郎 (大洋、投手) 1940年
※社会人野球では都市対抗野球で2年連続優勝に導いたエース。大洋では主に中継ぎや谷間の先発として活躍し三原監督に重用された。64年には王貞治に第55号のホームランを打たれている。66年には1回終了時点で降板する予定の「アテ馬」だったが無安打だったためその後も続投。するとそのまま1本もヒットを打たれることなく史上8人目の完全試合を達成している。69年に引退するとその後は社会人野球TDKのコーチ・監督を歴任。
・住吉重信 (阪急、捕手) 1941年
※62年に阪急に入団したが、当時阪急には正捕手の岡村浩二という大きな壁が存在し1軍での出番はなかなか奪えず。64年にマスクを被った試合の東京戦の12回裏、構えたミットが打者に当たりプロ野球初のサヨナラ打撃妨害を取られる。なお42年後に広島・石原慶幸が史上2人目のサヨナラ打撃妨害を記録している。70年に引退。
おめでとうございます
平野はやっぱ勤続疲労かなあ
おめでとうございます
というかOBの生年すごいですね
>>865
去年に関してはずっと足首痛抱えてて、連鎖でいろんなとこの故障に繋がったという話やね
インフルエンザでちょっと出遅れたけど回復したしがんばってほしい
今日はちょっと早いですが
【今日のプロ野球・3月8日】
オープン戦
DeNA 2-2 中日
ロッテ 7-2 ハム (勝:石川 1勝 敗:バース 2敗)
オリ 5-5 広島
阪神 2-4 西武 (勝:野上 1勝 敗:安藤 1敗 S:岩尾 1S)
楽天 11-4 ヤク (勝:古川 1勝 敗:新垣 1敗)
SB 1-0 巨人 (勝:岩嵜 1勝 敗:矢貫 1敗 S:飯田 2S)
ソフトバンクはオープン戦5試合負けなしの状態。
【今日のホームラン】
ロッテ:デスパイネ1号 (6回裏・ソロ・鍵谷(日))
ロッテ:細谷1号 (8回裏・ソロ・井口(日))
ヤク:バレンティン2号 (5回表・2ラン・古川(楽)) ※2試合連続
中日:エルナンデス1号 (7回表・2ラン・小林(De))
DeNA:白崎1号 (1回裏・ソロ・濱田達(中)) ※先頭打者弾
【今日の盗塁】
SB:柳田(1)
ロッテ:中村(3)
ロッテ:細谷(1)
オリ:岩崎(1)
楽天:吉持(1,2)
ヤク:山崎(2)
ヤク:荒木(1)
ヤク:比屋根(2)
中日:荒木(1)
DeNA:戸柱(1)
【今日の猛打賞】
ロッテ:中村(1) (4打数3安打:左安・右安・中飛・左安) 率.333
【今日の勝利投手】
SB:岩嵜 1勝 (1登板・3回1安打無失点・1奪三振無四球・防0.00)
ロッテ:石川 1勝 (2登板・5回4安打1失点(自責0)・3奪三振2与四球・防2.25)
西武:野上 1勝 (2登板・5回4安打2失点・2奪三振無四球・防2.57)
楽天:古川 1勝 (2登板・2回1安打2失点・2奪三振3与四球・防6.00)
【今日のセーブ投手】
SB:飯田 2S (3登板・1回無安打無失点・2奪三振無四球・防0.00)
西武:岩尾 1S (3登板・1回無安打無失点・1奪三振1与四球・防0.00)
今度はTさんですか
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/5948
http://this.kiji.is/79889669694308361
確定しちゃったんだよなあ・・・
NHKで今やってたな。
開幕前にコレでもう何のために高橋が引退したんだか・・・
高木はそこそこ実績残してたのにねぇ
やった選手が悪いのはそうなんだけど、1軍選手ですらノック練習で金のやり取りしてたとか、そういうのが当たり前になってて注意怠った球団の責任でもあるよね。結局その守備練習に関しちゃ賭博ではない(キリッ で片付けちゃってるわけだけど
言い方あれだけど、原退任 由伸・井端引退全部無駄やん・・・
こんな形でプロ初黒星とは…
昨オフの人事全部アヤついたようなもんやな……
プロ初黒星は草
戦力的には福田笠原松本3人分に匹敵しますね・・・まあ松本が限りなく0に近いんですけど
巨人:高木京介(#28) 投手 5年目 26歳 左投左打 2011年4位→巨人
2012 34登板 2勝0敗 1S 10H 31.1投球回 28奪三振 10与四球 防0.57
2013 46登板 3勝0敗 0S 6H 47.2投球回 40奪三振 27与四球 防4.34
2014 26登板 0勝0敗 0S 4H 28.1投球回 26奪三振 9与四球 防4.76
2015 33登板 1勝0敗 0S 1H 41.0投球回 43奪三振 13与四球 防2.20
通算 139登板 6勝0敗 1S 21H 148.1投球回 137奪三振 59与四球 防3.03
139試合連続無敗:日本プロ野球記録
個人的には好きな選手でした(全ギレ)
普通にいい選手出てきたなーと思ってたのになぁ…
ただただ残念だ
こうなると、どうせまだまだいるんだろと思ってしまうわ。
京介は新高木だっけ?
まだいるよなあ
まだ出るだろうなこれは
一つのプロ野球記録が顧みられるものでなくなってしまったという事実
今までの選手はなんだかんだずっと下に居た選手だけど高木は上の戦力だったから
すごいことになると思う
>>878
まだ処分決まってないしまとめるには早すぎる
・・・まあクビは免れられないと思うけど
ちゃんと調べるもの調べてますよって部分で意味はあったんじゃないの
監督が代わってそれで終わりじゃなくて
開幕前に選手が抜けるってのは監督さんにとって災難だけど
どうせ揉み消せなくなった奴から切ってるだけだろ
実際は二軍の選手の大多数がかかわってるよな
>>885
ごめんなさい…ついカッときてしまって…
でも本当にショックです
無敗なのに人生のアウトカウントがつくとはたまげたなあ
ナベツネが辞める事態に発展しててこれもうわかんねえな……
ナベツネと球団会長らも辞任らしいですね
誰とは言わんけど笠原とよくつるんでた若手先発も怪しいよな
なんかよくわからん理由で二軍落ちしたし
新監督でこの時期にこれはキツいわ
ただでさえ就任の経緯もかわいそうやったのに
このタイミングで発覚かよ
開幕まで二週間なのに
これまだいるとしても絶対に表に出さないくらいしないと信用が完全に死ぬわ
ナベツネが辞任か・・・ 球界再編とヴェルディの時はあれだったが、なんだかんだで野球界にはかなり貢献した人なのになぁ
https://twitter.com/sn_baseball_jp/status/707162427884969984
ナベツネほんまに死んでまう
一旦辞めて戻ってきてからはくたばるまで居続けると思ってたのにな…
開幕してから発覚することもあるんですかね?
えぇ…高木ってパ・リーグファンでも知ってるくらい活躍してた選手じゃん
なんで一軍で活躍できるような選手がそんなもんに手を出すのよ…
>>899
どのチームから出ても驚かないです
というかオリンピックも危ないです
>>900
巨人の選手はノックで金かけるような人たちばっかりだから
1軍で実績あってしかも奥さんもいて…なーんでこうなっちゃうんだろう…
文春が書かなかったら逃げ切る気だったのだろうか
>>903
結婚した2014年シーズンにやってたみたいだから、順序的には逆やね
>>905
あっ…ホントですね(池沼)
にしてもこれからどうなることやら
ただの偶然だけど週ベはもう野球に関わらないほうがいいんじゃないだろうか
https://twitter.com/BaseBallMOnline/status/707162449309372416
1軍バリバリの中継ぎがこれは…
賭博だけじゃなくて八百長問題にまで発展しそう
>>907
神憑り的な間の悪さ
>>907
タイミング最悪だな
清原は茶化すようなまとめして賭博スレはNGなのか…
基準が分からんゾ
>>907
週ベやばすぎィ!
>>907
これは3ヶ月前の記事がこの件のせいでアクセス殺到して人気になっただけです(小声)
>>908
ただ八百長できる位置にはいなかったと思う
たぶん今後も続々と発覚すると思うんですけど
少なくとも巨人からは高確率で
あっホンマ…
>>911
この話題は巨人叩きで荒れるのが見えてるからしゃーない
>>911
カッサの時はカッサだからなのかなと思ってたけど関係ないみたいね
>>913
ほんまや、わし無能
それにしてもまさか新高木がなぁ
>>907
去年の12月の記事なので騒動に合わせて見る人が増えただけじゃないですかねこれ
>>917
現役かOBかの違いじゃないんですかね
>>904
あの三人が明るみになった時点で>>895 な方針だと勘繰ってしまいますね
ノックの件だって賭博じゃないって言ってますが線引きが甘いと思います
正直な話、何人逝くか楽しみではある
とりあえず自浄作用には期待できそうにないですね
シーズン終了まで巨人の三軍が残っているか、賭けよう(提案)
大田村田は絶対にやってないという風潮、一理ある
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160308-00000139-spnannex-base
>>923
インフルエンザの流行と似たようなもんでワクチンないから数ヶ月程度だとどうしようもない
まずは感染者の隔離を徹底せんとどう対策してもダメなもんはダメ
14高木は勝ち負け関係ある場面で投げるPではなかったからなぁ
それにキャリアで無敗の投手なわけだし
とは言え単純な勝ち負けではなくハンデがつくのがその賭博だから試合の勝ち負け自体は変わらなくとも
ハンデの適用圏内に失点調整した、にわざと打たれたんじゃないかという疑念が無いわけではないから
無敗であることが=八百長なんてしていないことの証明になるわけではないけど
まあ、どの試合にどんなハンデがついていたかわかれば照らし合わせることはできるだろうが
>>928
球団社長いわく巨人戦での八百長は確認されてないらしいぞ
巨人の調査ってなんだったんだ?
杜撰すぎるだろこの球団
>>928
○○投手の対戦する最初の打者の打撃成績はどうか!みたいに賭博は出来ますからね
最悪2軍戦でもヤオは出来ると思います
調査に時間が掛かってたのかどうなのかは知らないが今になってまた急展開というのは気になりますね
文春すごいっすね…
高木はまだ若いしそこそこ戦力になってたから
球団も守ってきそうだな
文春によると高木以外に少なくとも新たに3人は賭博関与とのこと
>>925
村田は出場すること自体が八百長
>>934
こマ?今回も投手だったから投手間で流行っていたんかね
宮國は結局どうなんだろうなぁ。あの連中と関係持ってた中で唯一本当に手出してなかったら凄いけど
今村信貴
田原誠次
宮國椋丞
小山雄輝
このへんやろか
これ一体どこまで広がるんだろう
他球団にまで飛び火したらペナント中断もありえるのかな?
>>926
昨年末の調査時に名義貸しで言い逃れした選手がほかにもいるなら第5、第6の選手がすぐにあぶりだされるだろうし
高木京だけだったならしばらくまた凪の状態かな?って3人いるのか
これである意味今季は優勝に前向きになる動機づけが大きく減少しただろうから
他にもいるならシーズン前だろうが首切るのにうってつけのチャンスだと思うけど
仮にいるならの話、いるならの話だけど、首切れば首切るほどV逸してもその責任の矛先が監督から逸れるわけだし
こんな奴らが子供の夢とかファンのためにとか語ってたと思うと吐き気がするな
21時からのNHKでどこまで報道されますかね……
文春はやっぱりヤクザとの繋がり強いだけあってこういう問題に鋭いっすね…
清原の薬とかから繋がってんのかなぁ
>>936
投手と野手ってあんまりつるまんからね
あと投手って野手に比べて暇だし
NHKニューストップで来ましたね
野球で人間教育とは何だったのか
>>934
この時期にOP戦にも下の練習試合にも出てない選手がいるってことは、つまりそういうことなんでしょうね
>>946
親の躾の範疇だと思います
週刊誌に取材されてから調査始めたのか…(困惑)
「なぜ過ちを申し出てくれなかったのか」
調査しろや…
>>947
この時期故障している選手がいたら間が悪いなぁと
警察からの要請でもなければ痛い腹なんて探ろうと思わないだろうしなぁ・・・ 悲しいなぁ
悪いこととは思ってなかったんだろう
世間の常識が球界の非常識やな
例の3人の賭博発覚
↓
巨人「しらべます」
巨人「もういません」
↓
文春「まだまだいるぞ」
巨人「 あ り ま し た 」
本人の意思関係なく全員の携帯回収して調査、なんてできないからなぁ。高木みたいに嘘吐かれても信じるしかない面もあるけど…
おお、もう・・・
巨人はドラフト候補の素行や人間性は重視してないんだろうか
ここまで来るとそこら辺も疑いたくなるわ
裏金、囲い込み、野球賭博、イカセタップ
巨人軍は紳士たれ()
ドラフトで投手8人獲得したり三軍作ったり
色々と準備しておいてよかったですね
>>958
イかせタップは別に悪いことじゃないだろ!
すっかりおなじみになったイカセタップで草生える
>>958
イカせタップは一週回って紳士なのでセーフ
巨人にはこっからなんとか打開してほしい、と思ったけど打開できなかった結果がこれだもんなあ
>>957
ノックの例とか見るにチーム自体が染まっちゃってるから、体育会系だし先輩がそうだったらそうなりやすいのはあるんでしょう
ナベツネ辞任がでかすぎる
もう巨人は終わりやね
>>954
何よりこの流れが一番最悪ですね
万引きで捕まったらさらに万引きした商品隠してたのがバレたみたいな
>>958
なんでや!イカせタップ関係ないやろ!
http://draft.liblo.jp/archives/5190051.html
薬もそうだけど環境の問題だと思う
なまじ巨大な金と人気と権力を持ってるチームだから悪い虫がいっぱいついてた
そんな時代も終わって巨人は今や特別な球団でも何でもないし早く過去のしがらみを解体してほしい
今にして思えば清武が糾弾したかったのはこういうところだったのかもしれない
今年の巨人の観客動員数めっちゃ下がるんだろうか
>>957
でも巨人以外も性犯罪の前科もちとか、カーブで160kmとか指名してるしなぁ
>>968
先輩相手なのに高木相手にタメ口だったのか松本竜
次スレ建ててくるで
>>965
結局辞めるのなら高橋を監督に据えた意味が9割くらいなくなってしまうのがなんとも
>>971
よし!ケガなどで指名回避された投手は関係ないな!
○○試合で金を賭けたって報道してたけど
笠原ら三人て野球の試合で金賭けてたっけ?
とりあえず田中正義指名は遠慮してもらうことになりそうやな
経てて来たで
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/20196/1457439668/l50
ちょっと早いけどスレが大盛り上がりの予感だから多少はね?
高木は笠原と口裏合わせてたみたいだな
ほんと由伸かわいそう
「内海城」はまだ平らな1階建ての城かもしれない。でも、階が分かれているよりよっぽどいい。��
広いフロアにみんな一緒。「雑魚寝ジャイアンツ」で最高だ。��
せっかく派閥を無くしたのに賭博が流行っていたなんてと考えると内海が可哀想
>>978
乙
なんか伸びてるなと思ったら大事件ですね…文春こわい
>>978 乙
でも開幕に合わせて記事にしない文春の慈悲深さね
もっとヤバいのを温存しているだけかもしれないけれど
その昔イスラエルとアメリカに喧嘩売っただけはあるな文春
>>981
天守なんてあった城なんて戦国時代にはほとんど無かったからそれが当たり前だよなぁ?と思った
内海は内海でこの前燃えてたな。
>>978
乙です
本当に文春すごいですね
>>980
逆に由伸現役復帰!でこの騒動を風化できるかもしれない
>>988
現役復帰したパンダの代わりにいきなり監督をやらされる人がかわいそうすぎるんだよなあ
>>981
ナベツネが書いた『派閥』って本に派閥がない組織は欺瞞的だって書かれてたな
京ちゃん・・・
なんでやねん・・・
菅野の株が相対的に上がっていく
>>983
開幕に合わせて記事にしようとしたら先に高木が白旗上げただけじゃないの
家族知人と話し合っての結論のようだし
>>989
井端とダブルで復帰して
ついでに小久保あたりに経験積ませよう
>>994
生え抜きじゃない…とは言ってられん状態ですがまぁ由伸現役復帰なら兼任でしょうね
WBCはともかくオリンピックは大丈夫なのかな…
まだ先とはいえ正直不安
でもあのナベツネがこの程度であっさり辞めるのは少し意外かも
この先もっと厄介なネタがあるのを知って先逃げ的な感じなのかな?原みたいに
もうナベツネは全盛期の10分の1も権力無いやろ
>>996
東京五輪でドーピング引っかかるのは最悪の中の最悪パターンですね
>>1000 なら横浜優勝
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