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【艦これSS】提督と弥生
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※艦これの弥生SS 本文10レス
※参考:志賀直哉「網走まで」
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日差しで路面が揺らめく夏の停留所、海軍の提督が書類鞄を握りしめてバスを待っていた。
弥生の隊が先日鼠輸送中に発見した敵の小規模泊地らしきものについて、軍令部まで報告に行く必要があったのだ。
襟元までしめた白い制服に徽章を真っ直ぐにつけていてすぐに軍人と知れた。
年の頃は30過ぎで丸眼鏡をかけ、左手には指輪をつけている。
その右傍らには、仏頂面の上に玉の汗を乗せた弥生が寄り添っている。
暑さで思わず弥生は空を仰ぎ見たが、太陽が白く光っていてすぐに顔を逸らしてしまった。
見上げる格好のまま提督のいる方に視線を移すと、首の辺りに汗をかいてはいるものの平然としている。
弥生は首筋に暑さを感じながら、どこを見るともなくぼんやりと提督を見つめていた。
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そのうち向こうでごうごうという音がし出した。見ると塗装も所々剥げた車両が大げさに揺れながら近づいてくる。
他の利用客もバスを認めると停留所の標識の所へのろのろと足を進め始めた。
中に母親とその子供らしい二人がいて、母親を急かす子供の声がやけにはっきりとしていて耳についた。
少し間をおいて「来たぞ。乗ろうか」と上から声がして弥生はやっと我に返った。
提督は上から覗き込むようにしていたので、弥生には眼鏡の中の瞳がよく見えた。
そのときになって、バスに気を取られるまでの間ずっと提督を眺めていたと気づいて弥生は顔を赤らめた。
何とか提督に返事をして、もう止まりかけている車の昇降口の方へと一緒に近づいた。
ドアが開くと提督が先に入り、右手で器用に鞄と手摺を掴まえながら後から来る弥生の方へそっと左手をかざした。
弥生も少し逡巡してから、彼の手を取って乗り込んだ。銀のすじの入った指が見えて弥生は少しだけ気が塞いだ。
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バスの中も暑さは変わらなかった。
提督はさっと席を見渡すと、丁度入口近くの何人かで掛けるようになっている座席の中に空きを見つけ出した。
二人とも座れそうなのでまず弥生を座らせ、少ない手荷物を取りあげると上の網棚へ入れた。
続いて自分が持っていた書類鞄を抱え込んで隣に座った。空間が狭く弥生とは肩のところですし詰めのようになる。
気になって弥生を見るときまり悪そうに俯いたまま、時々こちらを伺うようにしている。目が合うとすぐに伏せた。
弥生は優しいから気になっているのだなと彼は考えた。30を過ぎ家庭を持つとどうしても常識が発達してくるものだ。
夏でもあり思いがけず臭いでも出ているのかもしれない。気の毒だったが先は長いのでこのままでいることにした。
横で弥生がもぞもぞと身じろぎするたび提督は心の中で小さく謝罪した。
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満席のバスが動き出してからしばらくして、やがて左手側がこんもりとした森になった。
左側に座る人の顔に影が差し車内も暗くなった。乗客もなんとなく人心地がついたのかあちこちでざわつき始めた。
駆動音と砂利の跳ねる音、話し声などの音の中、ある声が提督の耳につくようになるまでそう時間はかからなかった。
声の主は近くにある昇降口の手摺の所にいる親子連れだった。母親と男の子が言葉を区切るようにして話している。
つい聞き耳を立てて話を追っていると自分たちと同じところまで行くらしい。子供の方は疲れたとごねているようだ。
あそこまでだとさすがに遠いなと提督は考えた。弥生に気が咎めていたこともあってあっさりと席を譲ることに決めた。
「こっちへ来て、掛けなさい」と子供に声をかけた。
最初はこちらに何度か視線を向けるだけだった子供が、少しの間の後ようやく認めたようにしてこちらを向いた。
返事はしない。水平な上瞼の下から睨めつけるようにして、こちらを窺う眼で見ている。
立ち上がりかけながら提督は嫌な感じだと思った。
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母親が「すみません。さ、座って」と子供を促すがなかなか座ろうとしない。
仕方なく母親が手を引いて席に座らせる。男の子は相変わらず口を真一文字に結んだままこちらを見上げている。
しばらくして、こちらを見るのにも飽きたのか、立ったままの母親に持ってきた遊び道具をせがみ始めた。
母親も、なだめるのに苦労しながら結局色の褪せた布袋の中からお手玉を出して子供にやった。
子供は一つしかないお手玉を手元でもてあそんだり、軽く上へ放っては受け止めたりしている。
玉が逸れて弥生の方へいくこともあって、弥生がそれを手渡しても一向に気に留める気配はない。
ただ少し弥生を例の眼で見つめてお手玉をひったくるだけだ。弥生の方は気にした風もなく子供の様子を見守っている。
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暑さといい何といい、とにかくうんざりしてきたので提督は子供を見るのはやめ、母親に話しかけた。
視界の端で弥生がこちらを心配そうな表情で見上げたような気がした。
「子供連れで行くのは大変でしょう」
「ええ、もう本当に難しい子で…すみません、わざわざ」
提督はこのとき初めて母親の顔を正面から見た。子供の年からして20そこそこなのだろうが老けて30ぐらいに見えた。
くたくたになった袋を提げて髪もどことなく乱れている。縮緬の服も所どころで色落ちが目立った。
それから二言三言かわす間も、子供は相変わらずせわしない言動を繰り返している。
母親は世間話の合間に子供の相手もしなければならなかった。二人は時に場違いなくらいに、はきはきと喋る。
このご時世農家は食うにさえ困る状況だからと提督は思った。一時故郷の父母が思い出された感慨も嫌悪感に塗りつぶされた。
この家は「そういう」家なのだろうと考えることにした。バスの吐いた煙で右手側の窓は開けられないほどくすんでいた。
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こうなると弥生が気の毒になって提督はそちらを見た。
弥生はじっと子供の方を見ている。ときたま男の子がお手玉をこぼすと拾っては相手の眼をじっと見ていた。
始め提督は弥生の辛抱強さに感心しきりだったが、そのうちどうも様子がおかしいなと思い始めた。
弥生はあまりに相手の子供の挙動に頓着しないように思えた。
そして弥生が優しいだけではなく、相手のことが不思議とよく分かる子だったのを思い出した。
いつか弥生が提督の家に来たときも碌に話もしないのに子供と仲良くなって、帰るとき子供がぐずったぐらいだ。
弥生の素振りにどこか無視できないものを感じた提督は、弥生と子供の様子を見守ることにした。
鞄の中の書類を確認したり、母親と世間話をしたり(田舎が自分と近いらしかった)、
排気ガスまみれの窓の外を眺めたりしている間も、折々子供たちを粘り強く観察してみた。
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目的地も近づいたころ、ようやく提督には思い当たることがあった。
母親が何度目かの「すみません、難しい子で」と言った後、提督は雑音を振り払うようにはっきりと抑えた声で聞いた。
「耳がお悪いせいもあるでしょう」
母親は少し恐縮して「ほんとうに目が離せなくて…医者の言うには遺伝らしいんですが…」と漏らした。
提督は改めて弥生を見た。弥生は子供に話しかけるとき口を大きく動かして喋るようにしていた。
子供の方もぽつりぽつりと弥生に話しかけては、そば殻の入った球を弥生にぽんと投げている。
弥生を信頼して自分が救われた気がした。同時に提督は急に恥ずかしくなって誰となく頭を下げたくなった。
母親に不躾なことを言ったことを詫びて母親に労いの言葉をかけた。母親は理由がわからないといった表情をしていた。
いつの間にか森と農道は消えレンガ造りの建築が増えていた。バスもそろそろ停留所に着くようだ。
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四人共連れだって停留所で降りるが、自然立っていた二人が前を行き、男の子と弥生が後に続く形になった。
前を行く提督が昇降口を降りて地べたに立ち、後から来る女の手を取る。弥生はその時の様子を見てはっとした。
最初に女に話しかけたときのどこか鼻白んだところが提督から消え、柔和な調子が出ているのがわかった。
提督が妻や家族に接する様を見せつけられる思いがして辛かった。弥生は提督の人の好さを思わずにはいられない。
しかし弥生にしても、そういう人の好さが実は自分の性格が鏡写しに跳ね返ってきたものだとは気付かずにいた。
いつもとあまり変わらない難しい顔で物思いに耽りながら、弥生も階段のところまできた。
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最後に弥生が降りようとしたが、バスの高さと地面の高低差が思ったよりあったようで、弥生はバランスを失った。
よろめく弥生を提督が横から支えた。それから弥生の耳元で「ありがとう」と言った。
弥生は怪訝な面持ちの顔を赤くしてそのまま地べたを右左と見ていたが、顔を上げて
「よく分からないけど、司令官がいいなら、弥生はそれでいい…です」と言った。
バスが煙を残して去って、親子も簡単に礼を告げて離れた。
暑い中くたくたになりながら二人は軍令部に到着して報告を済ませ、何事もなく鎮守府へ帰ってきた。
その後、弥生は呑み込みが早く信頼できるというので、遠征組を外れて長く秘書艦を務めた。
弥生の働きぶりに提督はますます信頼を寄せるようになったという。弥生の方は特に変わったところもなかったようだ。
可哀想なことかもしれないが務めなので、これは仕方がない。
【終】
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なんかしっとりした感じ・・・
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動作を凄く細かく描写するのが昔の文豪だなあという印象
サイレント映画的というか
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艦これ文学SSいいゾ〜これ
先日の不知火のSSも良かったです
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書き方が渋くてセクシーエロい!
主題は弥生の潜在的な優しさと、しっかり見抜く提督って感じかと思うんですけど、それを書き表すのにこのシチュエーションを選択するのが渋いなぁと思いました(小波)
言葉に表しづらい微妙な感じを書いているのと10レスできっちりまとめているのが凄いなぁと思いました。
さらっと流し読みしただけだと間違えた解釈しそうで、国語の文章読解のテストに使えそうな文章だと思いました。
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うまいぞSS(空気)
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