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程高川島、天安門事件をマネジメント
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1989年6月3日朝、民主化を求める学生らで埋め尽くされた中国・北京の天安門広場。
刻一刻と迫る惨劇を知らずに広場を占拠する学生らのもとへ、一足先に別の災厄が迫っていた。
ご存知、学生どころか社会から忘れ去られた程高川島である。
直角ベーランで戒厳令下の北京市内に入った程高川島は学生らに声を掛けると、まろまろ味のおにぎりを配り打ち解けることに成功。
ドラッカーのマネジメントの本を見せながら、民主化の成功した中国の未来を語り合った。
夜になり広場へ鎮圧部隊が迫っていることを知った程高川島は学生らに、ありったけのテレビモニターとメガホンを集めるよう要求。
かくして迎えた運命の時、広場に姿を現した無数の装甲車に対し程高川島はメガホンを通し「夢ノート」を大音量で流す作戦に。
大音量に耐えかね装甲車から顔を出した兵士らを待ち構えていたのは、大量のテレビモニターに映し出された程高川島の聖域であった。
洗脳された装甲車部隊は天安門広場から一気にUターンし学生らと共に政府や中国共産党本部を襲撃し陥落させ、かくして北京での革命は成功することとなった。
北京での革命成功により地方でも次々と革命が成功していることを確認した程高川島は中国を去ろうとするが、少数派となった中国共産党の残党により空港にて青龍刀で斬られ無事死亡した。
この件について故・Yさんは「武力で弾圧というのはやはり道理に反することですね」とコメント、病魔を鎮圧できなかった自身を嘆きつつ息を引き取った。
なお、ベルリンの壁崩壊には間に合う模様
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もう少し不条理さが欲しいところ
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サンキューカッワ
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普通に英雄やん…サンキューカッワ
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ぐう聖アンドぐう聖
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