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日本親子戦争

268求道者 ◆z/OpGL75ac:2016/04/09(土) 15:48:20 ID:rOGTa0sA
 また私の知る限り、儒教では孝悌や長幼の序を唱えるが、弱者救済については明確には唱えられていない。
(参考までに、フランス騎士道では、弱者への慈悲や気前の良さは明確に美徳とされた。)
ゆえに、どちらかと言えば社会的地位に恵まれた者ほどストレスが減少する傾向を持つ。
 すると学校や職場における上位者絶対の風潮は、孝悌や長幼の序の価値観から外れたものではなく、
子供社会から大人社会まで様々な“圧制”が横行してきたのも頷ける。

 野蛮さが広く残る時代に儒教が登場したことによって、いくばくかの“秩序”がもたらされたにせよ、
もはや太古の大陸極東部と同一の野蛮さで世の中が回っているのではないし、
加速度的に変化する今後の世界にそのまま持って行くことが適切かどうかも多分に疑わしい。(※2)
 つまりは目的性と必要性が、太古と現在では大きく違ってくるのである。
にも関わらず、守株の如く過去の信仰やシステムに執着していると、
当時のメリットは薄れ、デメリットのほうが上回ってくる。
いつしか、親が子に甘え、先進が後進に甘えるのに、儒教的な信仰は極めて便利となり、
少なからず正当化のツールとして機能してきた(している)わけである。
 そうした世の在り方を不道徳で不健全だと微塵も思えないのならば、それこそ刷り込み的悪影響だろうし、
そうでないなら人間性や知性そのものが根底から狂っていると言わざるを得ない。
 儒教道徳のおかげで親子愛や師弟愛を修得できた(できる)のだと主張する派もあるかもしれない。
しかし、その種の“言い訳”は自らの首を絞める危険性がある。
なぜなら、中国から儒教が輸入されなければ、親子愛さえ持ち得ない、
愛情の薄い民族だったということになってしまうからである。
そこへもってさらに、儒教が無くとも愛のある人々と比較されれば、いっそう低劣に見えかねない。
 自然、ヒトはもうそろそろ、儒教的信仰から“足を洗って”も良い頃ではないだろうか。


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