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喧嘩はしないが
1
:
◆kfj4n92PLw
:2025/05/06(火) 06:15:59
喧嘩界隈は懐かしい言葉である
喧嘩など何年もしない。今誰かと始めて上手くやれる気もしない。
かつては喧嘩界隈では、喧嘩のみならず、見知らぬ人も見ているスレッドに何を書き込むか、どう書き込むか、
その如何でアイデンティティーが揺らぎうるほどの弱い者として自ら認めた者が自分であって、
不安は常にあった。鑑賞者であったろうか。探索者であったろうか。
いずれにせよ、私は喧嘩せず、書き込もうとする意志の弱いときに、落ち着いて喧嘩板を見ていられた。
しかれども喧嘩板に接して不安なる時に顔を歪めたり、呻いたり喚いたり、或は物に当たることをしたりする事はかつてなかった。
顔は表情を作らず、硬直していたように今思われて、その緊張状態は面白くない事だ
2
:
◆kfj4n92PLw
:2025/05/06(火) 07:09:58
喧嘩界隈を見るに水槽を視ると同じくしたものかも知れない。魚はガラス越しの鑑賞の対象。
あれは水の中の者で、此は取り巻いている空気に安住する、えらなしの生物である。
これが水槽に頭から突っ込むと目は捲く細かな泥を恐れ、穴には異物が侵入することが恐ろしく、
皮膚も魚に咬まれもしようかと惑乱は想像裡に開いた。水はやはり恐い。
が、何故かすぐに水が恐いとはいわれなかったものである。
もっとも恐ろしいものは水であろうに、細かいことを列べて挙げる。
けだし作文の楽しみだ。
けれど、「頭が働いていない」と考えることはより容易く、而して厭なこと。
私は思う所を述べて流暢にならないことがある。
喧嘩板は自分とは性質の相異なるもの共が活動する処にして、私と彼等との交流が私を死骸にしかねず、際どい。
3
:
◆kfj4n92PLw
:2025/05/06(火) 12:07:34
散漫な、人を面白がらせる才気の尖鋭を欠いでいる自分は、傘をさして面に出ている人に似て、
傘のおもてを雨に叩かせて、その薄暗い内側に密かの楽しみを生かしているかのごとく、
判らない甘い匂いに喜んで、万化の雨音を聴いて飽かないかの如くである。
雨には甘い匂いがあると思う。あらゆる物が雨にその上面を打たれて色々の音をこき混ぜ、
それが一つ、もう一つのは傘と雨水の延々となす音で、重なりがちに聴き分けて楽しめるものらしく、
雨にしとしと、ざあざあ、あればあるだろうが、私には雨といえば、この印象である。外界と内とを区別できて、
而もその区別が確たりえない、片手に持った傘一本のお蔭だから、いかにも生命かなと思う。
いわば私は喧嘩板で、傘の内側を見るか、傘の外にある物を見るかしているので、所思感懐は一面事に係り、一面景物に係り、一面情に通じうる。
叙事は他に任して敢えて自らせず、叙景は試みること数度にして悉く拙に終り、叙情は失敗作の一だにも曾て成らなかった。
作といった。私はこれに就いて作者にはなり得ない。
おでん流の主張を試みよう。
さく‐しゃ【作者】
1 作品を作った人。特に、芸術作品の作り手。
コトバンクによるとこうであり、また wiktionary には
品
名詞
(しな)人が使用したり消費する対象。もの。品物。
とあるように、作者による、作品という品は見る人の鑑賞の対象になるがゆえである。
が、私は喧嘩板に書き込む叙情の文を人の鑑賞に供するためには作らぬ。
また、ちょっと作れば以降いかに作ろうとも鑑賞に足るものにはならないという確信が今まで必ず生じて来た。
斯くあるがゆえに、私は作者を自認しない者であったし、今後も作者にはならないであろうと信ずる者である。
例えば会津生れ、会津育ち、会津に根を張っている人は「薩摩の人にはならない」と言う筈だ。
それは将来そうなるかも知れないことをそう言っているにも拘わらず正しいとする立場があり得て、私はその立場にあるが、
止め
止まれ
息を吸え
息を吐け
私は喧嘩板においては誰かの何らかの返事を求めない文が作りたい。
それは叙事や叙景や叙情が姑く候補になる。
叙事より叙景より、私には最もしたかったところの叙情は、今までは其の体にならなかった。
叙情ではないものが出来上がりつつあるところに挫折した試しより外にないことだった。
叙情はもし成ってもここのような喧嘩板に託けて私がなす限りは美しからぬものであらう。
謂はば傘の裏地にくすみつつ浮かぶ様相、ほのかな口臭の纏はる空間の主が占有する天のかほいろ、
醜さに時折さす紅みを喜んで、にきびが出来れば嬲る、詰まらぬ嗜癖の実況にすぎないから。
私は喧嘩板においては気分が良ければ足れりとする。喧嘩は我が事にあらず。
4
:
◆kfj4n92PLw
:2025/05/06(火) 12:26:04
自画像が描きたいだけである。他人の顔を見ず、自分の顔だけをお目出度く、鏡に映して。
5
:
◆kfj4n92PLw
:2025/05/06(火) 14:20:29
管理人へ
おかしな物をお目にかけて相すみませんが一人の喧嘩界隈の住人だった者の感慨は上の如くです。
これを考うるに、私が、喧嘩師どもの議論の呼吸や丁々発止、言葉の彩を好んだわけは「他の者に干渉されながらも、自己の本分を翳らせることなく終いになるまで発揮した」者を尊敬したからで、
「自己の本分」が「喧嘩師として各々が最も強調したかったもの」と必ずしも一致しないからには、手前勝手であったが、やはりそのような憧れを以て眺めました。
では、何故そのような理想であったかといえば、自分の、自分がこうでありたいと希望する、文体において仮構される人格というものが、それを目の当たりにすることで彷彿すべきであったからです。
私はものを論ずることが苦手なら、他の人物にあえて逆らうことも苦手で、むしろ沈黙を金とし、逆らうよりは去るほうに向く者のようですが、この気質にして喧嘩師の幾たりかに私淑しました。
今と相距ること長き昔の迷妄と侮るべからず、感化を被って久しく、気まぐれに、ついここに来たところが、十年一日の如くに懊悩を思い出し、常にもあらで多弁を散らすこと花見の乱痴気めいて、
しかれど桜の散り際によそうべき方もなげに、さしずめ駄文の土砂崩れ、橋も架からずただ恥をかき。お粗末。
戯文の真似にしても下手に落ちて、こんな調子に今でも乗りかかっては足を踏み外す自分がつくづく駆け引きだの煽り合いだのに向かないはずだと、分かり切ったことがまた分かりました。
十分にかきました。
この場所があって良かったです。ありがとうございました。
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