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喧嘩はしないが
3
:
◆kfj4n92PLw
:2025/05/06(火) 12:07:34
散漫な、人を面白がらせる才気の尖鋭を欠いでいる自分は、傘をさして面に出ている人に似て、
傘のおもてを雨に叩かせて、その薄暗い内側に密かの楽しみを生かしているかのごとく、
判らない甘い匂いに喜んで、万化の雨音を聴いて飽かないかの如くである。
雨には甘い匂いがあると思う。あらゆる物が雨にその上面を打たれて色々の音をこき混ぜ、
それが一つ、もう一つのは傘と雨水の延々となす音で、重なりがちに聴き分けて楽しめるものらしく、
雨にしとしと、ざあざあ、あればあるだろうが、私には雨といえば、この印象である。外界と内とを区別できて、
而もその区別が確たりえない、片手に持った傘一本のお蔭だから、いかにも生命かなと思う。
いわば私は喧嘩板で、傘の内側を見るか、傘の外にある物を見るかしているので、所思感懐は一面事に係り、一面景物に係り、一面情に通じうる。
叙事は他に任して敢えて自らせず、叙景は試みること数度にして悉く拙に終り、叙情は失敗作の一だにも曾て成らなかった。
作といった。私はこれに就いて作者にはなり得ない。
おでん流の主張を試みよう。
さく‐しゃ【作者】
1 作品を作った人。特に、芸術作品の作り手。
コトバンクによるとこうであり、また wiktionary には
品
名詞
(しな)人が使用したり消費する対象。もの。品物。
とあるように、作者による、作品という品は見る人の鑑賞の対象になるがゆえである。
が、私は喧嘩板に書き込む叙情の文を人の鑑賞に供するためには作らぬ。
また、ちょっと作れば以降いかに作ろうとも鑑賞に足るものにはならないという確信が今まで必ず生じて来た。
斯くあるがゆえに、私は作者を自認しない者であったし、今後も作者にはならないであろうと信ずる者である。
例えば会津生れ、会津育ち、会津に根を張っている人は「薩摩の人にはならない」と言う筈だ。
それは将来そうなるかも知れないことをそう言っているにも拘わらず正しいとする立場があり得て、私はその立場にあるが、
止め
止まれ
息を吸え
息を吐け
私は喧嘩板においては誰かの何らかの返事を求めない文が作りたい。
それは叙事や叙景や叙情が姑く候補になる。
叙事より叙景より、私には最もしたかったところの叙情は、今までは其の体にならなかった。
叙情ではないものが出来上がりつつあるところに挫折した試しより外にないことだった。
叙情はもし成ってもここのような喧嘩板に託けて私がなす限りは美しからぬものであらう。
謂はば傘の裏地にくすみつつ浮かぶ様相、ほのかな口臭の纏はる空間の主が占有する天のかほいろ、
醜さに時折さす紅みを喜んで、にきびが出来れば嬲る、詰まらぬ嗜癖の実況にすぎないから。
私は喧嘩板においては気分が良ければ足れりとする。喧嘩は我が事にあらず。
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