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@@@みほ@@@
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もう何十年も鳥インフルエンザが発生する度に、人はその報道を見て心を痛めているでしょう。
「生きてるのに殺すなんて」・・・・とか。
けれど・・・その先は何も考えようとはなさらない。
動物園の鳥たちが処分されても、これから人へ猫へ犬へと感染する危険があると言われても。
「可哀想〜」・・・とか。
けれど結局何も変わらない。
養鶏のあり方に疑問すら抱かずに。
【生きている姿を見ていれば死ぬ姿を見るに忍びなく、その声を聞いていれば、その肉を食べるに忍びない 孟子】
王様がある儀式の際、処刑場に連れていかれる生贄の牛の怯えた様子を見て「忍びない」情に襲われ牛を放すように命じ、代わりに羊にせよと言いました。
王は、怯えた一頭の牛の姿を自分の眼で見てしまったから。
一方の羊に対しては一切の情もなく王様にとればただのモノ。
現代における人の家畜への関心と相違ないではないですか?
王様が羊をモノとみなし、人が家畜を食べ物とみなしている。
けれど、一度そこに沸き起こる「情」は大切な倫理観を教えています。
「倫」「ともがら」であり、「理」「ことわり」
私達は、人や動物の不幸を見て知ってイメージした時に沸き起こる「忍びざる」の感情は理屈や計算で起こっているのではありませんよね。
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