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(´・ω・`)エンドロールは滲まない('、`*川- 1 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 17:58:51 ID:ehFC5L620
- まとめ
ローテクなブーン系小説まとめサイト
http://lowtechboon.web.fc2.com/endroll/endroll.html
規制されたのでVIPから引っ越してきました。
ついでにようですも取ってみました。
引っ越しがてらまずは過去の話を改めて投下します。
内容は以前投下したものと変わりません。
- 2 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:00:18 ID:ehFC5L620
-
ブザーの音が鳴り響き、次いで無機質なアナウンスの音声が聞こえた。
まぶたの裏の闇に溶けていた意識が引き戻される。
気付かないうちに眠ってしまっていたらしい。
仕方ない、とは思う。
10月も半ばに差し掛かり、バスの車内は暖房が動き始めた。
その暖かさは、ほどよい揺れと相まって、眠気を誘うのだから。
いや、それだけが原因じゃない。
一番の原因は、昨日の夜にほとんど眠れなかったからだ。
あくびをかみ殺すと、視界が涙でぼやけた。
ごしごしと目をこする。バスの車内の風景が輪郭を取り戻す。
僕らと同じ制服を着た学生が、座席のほとんどを埋めていた。
僕がまどろむ直前は、立っている生徒も多かったのだけれど。
どうやら、自分で思っていたよりも深く、長く眠っていたらしい。
- 3 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:02:20 ID:ehFC5L620
-
そういえば、バスはいま、どこを走っているのだろうか。
彼女はもう、僕を置いて降りてしまったのだろうか。
同時にふたつの疑問が浮かぶ。
一瞬だけ迷って、僕は左隣を向いた。
バスの一番奥の座席。その左端にいるはずの、彼女の姿を探して。
('、`*川
彼女は、伊藤紅里(いとうあかり)は、変わらずそこにいた。
窓枠のわずかな出っ張りに肘を立て、頬杖をついて景色を眺めていた。
それは同時に、バスはまだ僕らの降りるバス停を過ぎていない、ということになる。
安堵のため息が漏れた。
背中までまっすぐに伸びた、彼女の茶色い髪がかすかに揺れる。
射しこんでくる柔らかい秋の夕日と同じように、柔らかくきらめく。
同時に、どこかで嗅いだ覚えのある香りがして、胸のあたりが優しい痛みが走った。
- 4 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:04:04 ID:ehFC5L620
-
('、`*川「おっ、ショボ。起きてたの?」
窓の外を見たまま、紅里ちゃんが僕を呼んだ。
突然のことに少しどきり、として、後ろめたさを覚えた。
こっそりと彼女を観察していたせいかもしれない。
(´・ω・`)「いま起きた。よく気付いたね」
('ー`*川「ばっちり映ってましたから」
紅里ちゃんはいたずらっぽく言うと、右手で窓ガラスを軽く叩いた。
体を前方に倒して、窓ガラスを注視する。
後方へと流れていく景色の中に、半透明の僕が浮かんでいた。
ついでに、にやつく紅里ちゃんの姿も。
('、`*川「起こしたら悪いと思ってさ。置いてかれると思った?」
こちらに向き直った紅里ちゃんが訪ねてくる。
年上の性、だったりするのだろうか。
彼女はときおり、思いついたように僕をからかってくる時がある。
それが嬉しくて、愛おしくてたまらない。
だって、それだけの親しみを持ってくれている、ということなのだから。
- 5 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:05:35 ID:ukNtpuNA0
- リアルタイム遭遇とは
支援
- 6 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:06:12 ID:ehFC5L620
-
ただ、単なる親しみだと思っていたものの正体を知ったいま。
前が見えなくなるくらい、目を細めてにやけてしまいそうになる。
(´・ω・`)「まさか」
再び正面を向いて、短く返す。
なんとか微笑む程度で我慢するのに必死だった。
ふーん、と何か言いたげな紅里ちゃんの声が聞こえたが、聞こえないふりをした。
誰も降りなかったバス停を通り過ぎ、アナウンスが次のバス停の名前を告げる。
即座に誰かが降車ボタンを押して、ピンク色のランプが車内中に灯った。
僕らの降りるバス停は、まだ少し先だ。
気付かれないように、こっそりと紅里ちゃんに目を向けた。
夕日に染まった紅里ちゃんは、なんだか輪郭が曖昧で、儚く感じる。
なんだか、僕と同じ世界にいると思えないくらい、彼女は綺麗に見えた。
決して、大げさな表現だとは思わない。
いま、隣にいるのは、ずっと憧れていた紅里ちゃんなのだから。
残り少ない日々を共に過ごす、僕の初めての彼女なのだから。
- 7 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:08:32 ID:ehFC5L620
-
エンドロールは滲まない
第一話 初恋のゆくえ
.
- 8 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:10:11 ID:ehFC5L620
-
――――――
三階から二階へと、階段を降りていく。
背後から射しこむ夕日が、階段に僕の影を落としていた。
頭頂部の髪の毛がぴん、と立っていることに気付く。
紅里ちゃんの待つ教室には、トイレに寄ってから行くことにした。
階段を降り切って、すぐそばのトイレへ入る。
中には誰もいない。時が止まっているかのように静かだった。
ただ、遠くから聞こえる吹奏楽部の演奏が、世界が動いていることを思い出させてくれる。
普段なら不気味に感じるだろうこの状況を、いまはありがたく思った。
告白しに行くために髪を直すところなんて、誰かに見られたら恥ずかしいに決まっている。
蛇口をひねって指先に水をつけ、手櫛で髪を整える。
それを何度か繰り返してみたけれど、なかなか直ってくれない。
くせっ毛であることを心底恨みつつ、それなりに目立たなくなったところで諦めた。
(´・ω・`)
少し下がって、鏡に映る冴えない顔をした自分を見つめる。
もう少し整った顔立ちなら、髪の乱れなんて取るに足らないことになるのだろうか。
そう思うと、ため息を漏らさずにはいられなかった。
- 9 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:12:10 ID:ehFC5L620
-
昨日、つまり、センター試験への出願が締め切られた翌日。
紅里ちゃんが新富の大学に出願したことを彼女の弟、ドクオからのメールで知った。
紅里ちゃんが住む北の果ての町、支辺谷から首都である新富へ行く。
それは、簡単には会いに行けないほど、彼女と離れてしまうことを意味していた。
僕と紅里ちゃんは、年齢こそひとつ違うが幼馴染だ。
そして、僕は彼女のことが好きだった。物心ついた時から、ずっと。
どうやって好きになったのかも覚えていない。
いつの間にか、何食わぬ顔で、恋心は僕の胸の中に居着いていた。
だけれど、想いを伝えたことはない。
思春期に入る前には、しょっちゅう好きだと言ってはいたけれど。
時を経て、多感になるにつれて、とても口には出せなくなっていった。
やがて、思春期の常か、紅里ちゃんといっしょにいる時間も少なくなっていった。
緩やかに疎遠になっていったが、それでも僕の想いは募るばかりだった。
しかし、同じ高校に入って、一年ほど経ったある日のことだった。
紅里ちゃんが見知らぬ男子と親しげに話しているのを見かけた。
ふたりはただの友達には見えないほど寄り添い、手を固くつないでいて。
紅里ちゃんは僕のわずかな希望を砕くように、僕の知らない笑顔を男子に向けていた。
自分と彼女が積み重ねた時間の軽さを、思い知らされた気分になった。
それから、名前も知らない相手に嫉妬して、そんな自分が情けなくて、枕を濡らした。
- 10 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:14:05 ID:ehFC5L620
-
それでも、何も言えなかったのは、単純に怖かったからだった。
僕は、自分が他人より優れているものを持っているとは、到底思えなかった。
そんな自分が、紅里ちゃんに幼馴染以上の感情を持ってもらえるとは思えず。
想いを伝えれば、いまの関係すら手放してしまいそうな気がしてならなかった。
だけれど、いま何もしなければ、紅里ちゃんは二度と手の届かないところに行ってしまう。
比喩でも何でもなく、そう思った。
恋人ですら、物理的な距離に負けて、想いが薄れてしまうのだ。
僕らがこれからどうなるかなんて、たやすく想像できた。
昨日の夜、紅里ちゃんにメールを送った。
明日の放課後、話したいことがある、と。
返信はすぐにきた。
都合は大丈夫、待ち合わせ場所は三年生の教室でいいか。
という具合に、決めるべきことはすべて書かれていて。
僕のやるべきことは、了解の返事をすることしか残されていなかった。
何を思って紅里ちゃんが了承の返事をしたのかは分からない。
告白されると思っているのか、いないのか。
もしかしたら、そのどちらかによって、言うことを変えなければならないのだろうか。
そんな、いま思えばささいな悩みを抱え、僕は眠れない夜を過ごしたのだった。
- 11 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:16:14 ID:ehFC5L620
-
そこまで考えて、蛇口からすくった水を顔に叩きつけた。
秋の空気に冷やされて、最近は水道水も冷たさを増している。
無意味に熱くなり始めた頭を冷やすには最適だった。
いまからこんな調子でどうする。
鏡に映る自分を見つめ、心の中で言い聞かせる。
冷静でいられなくなる時が来るとしても、いまがその時ではない。
濡れた顔をハンカチでぬぐい、トイレから出た。
すべてが橙色に染まった廊下を歩いて、紅里ちゃんの待つ教室へ向かう。
とはいえ、トイレの目と鼻の先だ。着くまでに一分もかからなかった。
教室の後ろ側の、引き戸の前で立ち止まる。
中からは物音ひとつ聞こえてこない。
本当に紅里ちゃんはこの中にいるのかと、怪しんでしまうくらいだ。
いや、この時間帯の校舎は、どこも大差なく静かなのだろう。
それこそ、不安を覚えるほどに。
- 12 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:18:05 ID:ehFC5L620
-
二度、大きく深呼吸をした。
息を吸う音も、心臓の跳ねる音も、やけに大きく聞こえる。
それでも、まだ、頭はきちんと回っている。
大丈夫だ。
引き戸に手をかけて、小さく呟き。
教室に足を踏み入れた。
('、`*川「お、やっと来た」
逆光に照らされた紅里ちゃんが、そう言って僕に手を振った。
- 13 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:20:08 ID:ehFC5L620
-
紅里ちゃんは、教室の真ん中より、やや窓側にある机に腰掛けていた。
窓に背を向けているので、僕から見る彼女はまるで影のようになっている。
完璧に、教室を埋め尽くす黒と橙のコントラストの中に溶け込んでいる。
なのに、すぐに彼女の姿を見つけられるあたり、僕はいよいよ末期なのだと思った。
('、`*川「遅刻、ですけれど?」
紅里ちゃんに言われて、黒板の上にかけられた時計を見る。
数分程度だけれど、待ち合わせの時間に遅れていた。
(;´・ω・`)「……ごめん」
('、`*川「よろしい」
頭を下げると、作られた偉そうな声がすぐに返ってきた。
いつも通りの僕をからかう時の調子だ。本気で怒っているわけではない。
彼女の変わらない雰囲気に、張り詰めていた心が少しだけほぐされる。
('、`*川「こっち来たら?」
(´・ω・`)「あ……うん」
紅里ちゃんに手招きされて、教室の入り口で棒立ちしていたことを思い出す。
机と机の間をすり抜けて、なるべく一直線に、彼女の元へ歩く。
- 14 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:22:10 ID:ehFC5L620
-
(´・ω・`)「勝手に座っちゃっていいの?」
('、`*川「いいのいいの。だってここ、わたしの席だし」
本当に、ただなんとなく口にした質問に、紅里ちゃんはしれっと返した。
それから、傍らに置かれたジュースの缶を手に取り、口をつけた。
黒字に白の水玉模様が書かれた、彼女お気に入りのレモンスカッシュ。
その存在に、僕はこの距離まで近付いてようやく気付いた。
缶が口元を離れて、机に置かれる。
その一部始終を、なんとなしに目で追ってみた。
飲み終えたのか、缶を机に置く時に空っぽな音がした。
同時に、視界の隅に、短いスカートから伸びる紅里ちゃんの脚が目に入る。
とても悪いことをしている気分になって、とっさに目を逸らした。
('、`*川「さっそくなんだけれど、話ってなに?」
(;´・ω・`)「あ、うん……」
- 15 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:24:36 ID:ehFC5L620
-
机から降りて、紅里ちゃんが僕に向き直る。
おかげで、彼女の顔に少し夕日が当たるようになる。
その夕日の色が落とし込まれた瞳が、僕を捉えた。
それだけで体が言うことを聞かなくなる。急かされているような気分になる。
結局、相対する前から緊張していようがいまいが、関係なかったのだ。
(;´・ω・`)「……紅里ちゃん」
きっと、こねくり回した前置きだって、結果には関係ない。
ほぼ真っ白になった頭で考えたものなら、なおさら。
('、`*川「……うん」
紅里ちゃんが身構えたのが、声色で分かった。
鮮明に見えるようになった表情にも、緊張の色が見て取れる。
少なくとも、僕の想いを真剣に受け止めるくらいはしてくれるだろう。
紅里ちゃんを見ているうちに、安堵のような、諦めのような感情が込み上げてきて。
(´・ω・`)「好きだった。ずっと、前から」
唇は自分で思っていたよりも、なめらかに動いてくれた。
- 16 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:26:13 ID:ehFC5L620
-
('、`;川「……それって、さ」
そこまで言って、紅里ちゃんは大きく深呼吸をした。
('、`;川「本気、だよね?」
(´・ω・`)「……うん、本気。付き合いたい、です」
紅里ちゃんが念を押すように尋ねてくる。
だから、万が一にも誤解しないように、はっきりとした言葉で返した。
とっさに敬語になったのは、誠実さを見せたかったからなのかもしれない。
('、`*川「……そっか」
一瞬だけ、紅里ちゃんは僕から視線を逸らし、再びこちらを見る。
僕は少しだけ顔を歪めた彼女が、口を開くのを待った。
だけれど、僕らの間には無言の時間が訪れてしまった。
さっきまで感じていた、見られている、という感覚もない。
たぶん、僕にピントが合っているわけではないのだ。
僕を見ているように、巧妙に見せかけている。
実際は僕の背後にある黒板とか、壁のシミでも見ているはずだ。
- 17 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:29:11 ID:ehFC5L620
-
('、`*川「あの、そう言ってもらえて、すごい、嬉しい……」
ようやく口を開いた紅里ちゃんは、それだけ言って再び黙る。
そして、顔を伏せた。僕の顔を見たくない、という意思をはっきりと見せた。
嫌な予感がした。
想像の中で何度も味わったものに、よく似た。
( 、 *川「……けれど」
ずっと聞こえていた、吹奏楽部の演奏が止まり。
タイミングを見計らったように、紅里ちゃんの消え入りそうな声が耳に届いた。
彼女がこれから何を言おうとしているのか、察してしまう。
( 、 *川「ごめん。わたし……ショボとは、付き合えない」
その一言を、一から十まで聞き終えた瞬間。
急に、それでいて静かに、体から意識が遠のいていった。
見える景色が、ただの色の羅列に思えてきた。
きっと、血の気が引く、というのはこういうことなのだ。
- 18 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:30:23 ID:ehFC5L620
-
何か言わなければならない。
沈黙は肯定だと捉えられかねない。
だけれど、何を言えばいいのだろう。
(;´・ω・`)「……な、なんで?」
とっさに口をついて、そんな言葉が出た。
僕のどこが駄目なのか、その理由が知りたかった。
それが僕になんとかできるものなら、全力で改善するつもりだった。
未練がましくて、みっともないことは分かっている。
だけれど、簡単に引き下がれるわけがなかった。
積み重ねてきた想いを、時間を、自分で否定することになるのだから。
('、`;川「なんで、って」
(;´ ω `)「僕のこと……好きじゃない、の?」
また顔を上げた紅里ちゃんが、何か言おうとするのを遮った。
彼女は僕を見たまま固まり、何度目かも分からない静寂が訪れる。
それにしても、ひどい聞き方をしてしまった。
そのくせに怖気づいて、嫌いなのか、とは聞けなかった。
もしかしたら、僕のこういうところが駄目なのかもしれない。
そう思うと、鼻の奥にツンとした刺激が走った。
- 19 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:32:37 ID:ehFC5L620
-
('、`;川「ち、違うの。そういうわけじゃ、ない、けれど」
泣きそうな表情で紅里ちゃんが言う。
きっと僕も、彼女と大差ない表情をしているに違いない。
それにしても、そういうわけじゃない、というのはどういう意味なのだろう。
嫌いじゃないけれど、好きでもない。好きだけれど、愛情ではない。
おおかたこんなところだろうか。そう思うと少し気分が楽になる。
同時に、ふられたのにいつの間にか安堵している自分に気付いてしまう。
(;´ ω `)「……だったら、どういうわけなの?」
話し方が威圧的になってしまう。
臆病な自分への苛立ちや、はっきりしない紅里ちゃんの態度や、ふられたショック。
いろんな負の感情が混ざった理不尽な怒りが、少しずつ溢れてきていた。
思考することを放棄する、頭が真っ白になるような感覚とは真逆だった。
考えることが多すぎて、自分でも何を考えているか分からなくなり始めていた。
- 20 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:34:08 ID:ehFC5L620
-
('、`;川「……信じてもらえないかもしれないけれど」
紅里ちゃんの声がした途端、意識が声を聞くことに集中していた。
考えていたことをすべて、一瞬で頭の片隅に追いやっていた。
ほとんど反射と言ってもいいと思う。
紅里ちゃんが深呼吸をした。
その間に再び始まった、吹奏楽部の演奏が遠くから聞こえてきた。
('、`*川「わたし、ショボのこと……好き。大好きだよ」
顔を上げた紅里ちゃんは、穏やかな口調で言った。
('、`*川「だから、付き合えない」
僕がすぐには理解できないようなことを、続けざまに。
- 21 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:36:11 ID:ehFC5L620
-
(;´・ω・`)「……は?」
声とも吐息とも取れるような音が、口から漏れた。
僕はふられたのだ。ついさっき、確かに、目の前にいる伊藤紅里に。
だけれど、振った張本人は、僕のことが好きだと言う。
さらに、好きだから付き合えないと、再び僕を振った。
わけが分からない。
それが、何よりも望んでいたはずの、告白に対する感想だった。
('、`*川「わたしさ、大人になりたいんだ。早く大人になって、かっこよく仕事したり、綺麗な服が似合うようになりたい」
紅里ちゃんは話を続ける。
その内容が、どうして僕と付き合えない理由になるのかは、まったく分からない。
('、`*川「でも……それはどうしても支辺谷じゃ叶わないと思う」
紅里ちゃんは視線を落とし、自分の机に手を伸ばした。
その先には、空になったレモンスカッシュの缶。
持ち上げるでも、潰すでもなく、缶の表面を撫でる。
- 22 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:38:23 ID:ehFC5L620
-
('、`*川「わたしの中で大人っていうのは、都会でバリバリ働いて、自分ひとりでしっかり生きていける人のことでさ」
脳内に、スーツ姿ではきはきと働く、男勝りな女性の姿が浮かぶ。
この間見た映画に、そんな登場人物がいた記憶があった。
映画自体が期待外れだったせいか、内容はあまり思い出せなかった。
('、`*川「支辺谷で、何もないこの町で、花嫁修業して、結婚して、ずっと暮らしていく」
('、`*川「そんなの退屈だし、つまらないよ。ここじゃ……わたしの憧れてる大人にはなれない」
キャリアウーマンと呼ばれるような女性になりたい。
紅里ちゃんが言っているのは、そういうことなのだと思う。
確かに、この町には何もない。
少なくとも、彼女の望んでいるものは。
('、`*川「わたしは早く支辺谷を離れたい。子供な自分をこの町に置いていって、新富で大人になりたい」
だから、紅里ちゃんが支辺谷を出ていこうとするのは必然だと思う。
それを止める権利は誰にもない。もちろん、僕にだって。
('、`*川「ショボのこともここに置いてく。だから……好きだけれど、付き合えない」
- 23 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:40:08 ID:ehFC5L620
-
(´・ω・`)「……納得できないよ」
だけど、思ったことを言う権利は、誰にだってあるはずだ。
('、`*川「それって、わたしに受験失敗して、新富に行かないで欲しいってこと?」
紅里ちゃんの手の中で、缶がつぶれる小さな音がした。
口調は変わらなくても、多少なり苛立っているのだと分かった。
(;´・ω・`)「そ、そんな縁起でもないこと……思ってないって」
好き放題言って、嫌われないかと心配になる。
僕がいまここで、紅里ちゃんの言葉を聞いて、どう返そうかと考えた時間。
その何倍も長い時間をかけて、自分の未来に向き合った末に出した結論なのだから。
(;´・ω・`)「だけど何も、故郷を捨てていくようなことしなくたって、いいじゃん……」
(;´・ω・`)「それに、どうせ捨てていくなら、付き合おうが付き合わないが変わらないでしょ……?」
その割に、抱いていた不満はすらすらと口にすることができた。
このままではふられて、卒業したらずっと会えない可能性すらある。
それを思えば、ある種の開き直りと言ってもいい勇気が溢れてくるのを感じた。
(;´・ω・`)「考え直そうよ。少しでいいから……他の方法がないのか考えようよ」
- 24 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:42:06 ID:ehFC5L620
-
('、`;川「他の、方法」
ぽつりと呟いて、紅里ちゃんは顔を伏せた。
そして、一歩だけ後ろに下がる。
ほんの少し遠ざかった距離に、不安を覚える。
( 、 ;川「待って。来ないで……お願い」
その距離を詰めようとした僕を、紅里ちゃんは右手を突き出して制止する。
彼女の手のひらは小さく、抑止力としては頼りない。
だけれど、薄まり始めた黒と橙に染まったその手を前に、僕は動けずにいた。
聞いたことのない、弱気な声が、頭の中で響き続けていた。
空いている紅里ちゃんの左手は、口元を隠している。
表情をうかがい知ることはできそうにない。
ふと、誰かが廊下を駆けていく音がした。
見られるかもしれない、なんて心配は、もう、どうでもよかった。
('、`*川「……ねえ」
- 25 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:42:24 ID:Tnrc.Ygs0
- 支援
- 26 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:48:19 ID:ehFC5L620
-
また吹奏楽部の演奏が途切れて、少し経った頃。
突き出していた右手を下ろした紅里ちゃんが、顔を上げた。
左手はまだ口元を隠していて、目線は僕の胸あたりに向けられている。
ゆっくりと一歩、距離を詰めた。
紅里ちゃんの一歩より、少しだけ大きく踏み出してみる。
今度は拒否されなかった。
(´・ω・`)「……何?」
すぐにあれこれと聞きたい気持ちを抑えて、言葉少なめに問いかける。
頭の片隅で、期待が膨らんでいた。我慢できる余裕が生まれていた。
紅里ちゃんの少し目がうるんでいて、まつ毛が光っている。
例えば、そんな細部に気付ける程度には。
('、`;川「卒業、するまでなら」
不意に、視線と視線が、重なった。
('、`;川「付き合っても、いい……よ?」
決定権を持っている立場とは思えない、すがりつくような視線だった。
- 27 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:50:19 ID:ehFC5L620
-
(;´・ω・`)「本当に?」
真っ先に出てきたのは、確認するための言葉だった。
叫び声の一歩手前と言ってもいい、大きな声だった。
('、`*川「ショボが……いいなら」
紅里ちゃんは視線を落としながらも、そう言ってくれた。
また同じことを言うのは、恥ずかしかったのかもしれない。
夕日のせいで分からないけれど彼女の顔は、赤く染まっていたりするのだろうか。
(*´・ω・`)「いいよ……もちろんだよ!」
紅里ちゃんの出した条件を、僕はすぐに飲んだ。飲まない理由がなかった。
元々はふられるはずだったのに、期限付きとはいえ、付き合えることになったのだ。
初恋は実らない、と言っていた誰かを、いますぐこの場に連れてきてやりたい気分だ。
舞い上がっていると自覚はしている。
これからのことだって考えなければならない。
だけれどいまは、憧れに届いた幸せに浸っていてもいいだろう。
まだ時間はたっぷりあるのだから。
- 28 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:52:12 ID:ehFC5L620
-
('、`;川「……ごめん」
ようやく口元を隠していた手をどけて、紅里ちゃんは謝った。
いつも快活な彼女の面影は、ない。
(´・ω・`)「謝るようなことなんて、何もないってば」
記憶の中の紅里ちゃんを意識して、わざと明るく振る舞う。
僕らの間に欠けてしまったものを埋めるために。
(´・ω・`)「ひとまず、さ」
そう言って僕が差し出した右手を、紅里ちゃんは不思議そうに眺めた。
(´・ω・`)「これからよろしくお願いします」
こうして、付き合うことになった時の挨拶には、他に適した言葉があるのかもしれない。
もしかしたら、言葉なんていらないのだろうか。
手を差し出してから、そんな思考が頭をよぎった。
だけれど、僕がいま持ち合わせている言葉も、伝えたい言葉も、これしかない。
- 29 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:54:14 ID:ehFC5L620
-
僕の心配をよそに、紅里ちゃんがおずおずと手を伸ばす。
しかし、半端な位置でぴたり、と止まってしまう。
やはり、負い目を感じているのだと思った。
僕の方から、ゆっくりと手のひらを近付けてみる。
かしこまった雰囲気をほぐすように、固く決めていた握手の形も崩す。
紅里ちゃんは僕を一瞥して、再び手を伸ばす。
少しずつ、確実に、距離が縮まっていく。
やがて、互いの指先が触れた。
かすかに指から伝わる感触が、なんだかこそばゆい。
紅里ちゃんの指先が、そのままの状態で動かなくなってしまったから、なおさらだった。
その感触と、もっと触れたいという気持ちに耐え切れず、指先をつまんだ。
握手と呼ぶには程遠いけれど、暖かさも、柔らかさも、きちんと伝わってくる。
('ー`*川「……ん。よろしく」
紅里ちゃんは、はにかみながらそう言った。
- 30 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:56:10 ID:ehFC5L620
-
耳のあたりが、一気に熱を持ったのが分かった。
下から見上げるような濡れた眼差しに、思わず魅入ってしまう。
愛おしい、という感情の正体が、目の前にある気がした。
(´・ω・`)「……手、握ってもいい?」
伝わる感触が物足りなく思えてきて、紅里ちゃんに聞いてみる。
自分から言い出すことに、不思議と躊躇しなかった。
('、`*川「うん、いいよ」
紅里ちゃんがそう言うのと、さらにしっかり手を握ってくるのは、ほぼ同時だった。
洋画で時々見る、パーティでダンスに誘う時のような手の取り方になる。
すべての感覚が、つないだ手に集中する。
少し、汗をかいている。
どちらが汗をかいているのかは分からない。
僕だとしたら恥ずかしいし、なんだか申し訳ない。
どちらからともなく、さらにしっかりと手を握り合う。
完全に握手の形になる。なぜだかほっとした。
- 31 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 18:58:15 ID:ehFC5L620
-
紅里ちゃんの手は、思っていたよりもずっと小さかった。
少し力を込めるのにも、躊躇するほどに。
手の甲を親指でそっと撫でてみた。
淡い夕日の色を落とした肌は柔らかく、すべすべとしている。
男女というだけでこんなに違うのかと、妙に感心してしまう。
('ー`*川「くすぐったいってば」
顔をほころばせて、紅里ちゃんが言う。
不意に、どこかで嗅いだような、甘い香りがした。
何の香りかは思い出せないが、紅里ちゃんから香ってくる。
きっと、かなり近付いたからいまになって気付いたのだろう。
もしも、もっと近付いたら、もっと強く香るのだろうか。
それこそ、ぴったりと密着するくらいに。
鼓動が加速する。
心臓に向かって体が引っ張られるような感覚。
右手の熱が、全身に回っていく。
('、`*川「ん……?」
視線と視線が、ぶつかる。
- 32 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 19:00:13 ID:ehFC5L620
-
(´・ω・`)「……紅里ちゃん」
握った手に、本当に少しだけ力を込めてささやく。
息をするのも、声を出すのも、普段より上手くできなかった。
('、`*川「なに?」
耐え切れずにいったん目を逸らして、深呼吸をした。
落ち着こうとしていると自覚できるよう、わざと大げさに。
息を吐き出した瞬間、緊張がほぐれて胸のあたりが楽になる。
その一瞬を逃さないうちに、僕は口を開いた。
(;´・ω・`)「……抱きしめても、いい?」
紅里ちゃんは少し間をおいて目を見開いた。
僕の知る限りでは、いままでで一番大きく。
- 33 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 19:02:09 ID:ehFC5L620
-
('、`;川「え、っと、そ、それは」
紅里ちゃんは身を守るように、即座に空いている手でYシャツの胸元を掴んだ。
何か言おうとして言葉が一度途切れるたびに、二度瞬きをする。
置き所に困っているのか、視線が右へ左へと定まらない。
いつもは僕をいたずらに翻弄する彼女が、逆に翻弄されている。
どうしてそんなことをするのか、その理由がいまは少し理解できた。
やがて、宙をさまよっていた視線が固定された。
紅里ちゃんの見ている方へ、僕も顔を向ける。
僕が入る時に開け放って、そのままになっていた、教室の後ろ側の扉があった。
視線を戻すと、紅里ちゃんは上目遣いに僕を見ていた。
Yシャツの第二ボタンを指先でいじっていて、落ち着きがない。
('、`;川「……少し、だけなら」
- 34 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 19:04:12 ID:ehFC5L620
-
はやる気持ちを抑え、そっと紅里ちゃんの手を引いた。
小さく一歩が踏み出されるたび、距離が縮まっていく。
腕が邪魔になろうかというところで、つないだ手を放した。
代わりに両腕を軽く広げて、いつでも抱きしめられる体制になる。
ほどなくして、紅里ちゃんは自ら、緩慢な動きで胸の中に入ってきた。
背中に手を回してみる。
紅里ちゃんは想像以上に華奢で、やはり柔らかかった。
こんな女の子特有の大きさに、感触に、いつかは慣れる日が来るのだろうか。
それまでに僕らは何回こうするのか。それこそ、まったく想像できなかった。
腰の少し上あたりを押されるような感触がした。
見えないけれど、紅里ちゃんが僕の背中に手を回したのだと思った。
そして、互いのつま先がぶつかる。
これ以上は近付けないのが残念だった。
- 35 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 19:06:18 ID:ehFC5L620
-
「変な話だけれど」
ふと、紅里ちゃんが呟く。
視界の右隅に髪が見えるだけで、顔は見えない。
でも、優しい声だったから、きっと穏やかな顔をしているはずだ。
「ショボって男の人だったんだなー、っていまさら実感してる」
(´・ω・`)「……何それ」
思わず吹き出してしまう。
紅里ちゃんも、考えていることは僕と大差ないのだと思った。
想像以上の体格や、感触の違いに、いちいち驚いているのだ。
「昔はわたしの方が大きかったのになー」
悔しさのかけらもない声色でそう言い、紅里ちゃんは僕の肩のあたりに顔をうずめた。
髪がかすかに揺れて、あの甘い香りが鼻をくすぐる。
やはりどこかで嗅いだ覚えがあったけれど、思い出すことはできなかった。
- 36 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 19:08:06 ID:ehFC5L620
-
紅里ちゃんも僕も、それっきり何も言わなかった。
言葉で何か語るのは無粋に思えた。
なにより、教室を満たす静寂が不思議と心地よかった。
時間は刻々と過ぎていった。
相変わらず香ってくる、柑橘系らしき香りで胸を満たしている間に。
単なる男女の身長差がとても尊いものに思えて、頭を撫でている間に。
結構な時間が経ったと思った頃。
突然、紅里ちゃんの体が離れた。
体を大きく横に倒して、僕の後方を覗く。
正確には、さっきも見ていた、教室の後ろ側のドアがある方向を。
(;´・ω・`)「えっ?」
数瞬遅れて、察する。
まさか、誰か来たのだろうか。
まだ紅里ちゃんの背中に回したままだった腕を、とっさに引っ込めた。
同時に、振り返って一緒に様子をうかがう。
息を呑む。人影は、ない。物音も、しない。
- 37 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 19:10:28 ID:ehFC5L620
-
小走りで後ろ側のドアへ向かう。
近くまで来ても人の気配はない。
廊下を覗き込んでみても、長いリノリウムの床が左右に伸びているだけだった。
('、`;川「や、足音が聞こえた気がしたんだけれど……違った?」
背後から紅里ちゃんの気まずそうな声が聞こえてくる。
ドアのあたりにいたらしい、架空の誰かに向けてため息を吐き出して振り返る。
(´・ω・`)「そうみたい」
('、`;川「……ごめんなさーい」
呆れたような声で謝ったあと、紅里ちゃんは両手で顔を覆った。
放課後の教室や、さっきまでの雰囲気とのギャップがおかしくて笑ってしまう。
黒板の上にかけられた時計に目をやった。
これだけの間、よく誰も来なかったと思う程度の時間が過ぎていた。
内訳は分からないけれど、抱き合っていた時間もそれなりに長いと思う。
それでも、離れてしまったいま。
あの時間は短かったと感じ始めているのも、また事実だった。
- 38 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 19:12:13 ID:ehFC5L620
-
('、`*川「……帰ろっか」
(´・ω・`)「うん。そうしようか」
顔を上げた紅里ちゃんが、まだ諦めきれなさそうに言う。
僕も同じ気持ちだったけれど、おとなしく提案に乗ることにした。
彼女の匂いによく似た甘ったるい雰囲気は、すでにどこかへ消え失せてしまっていた。
正確には、かすかに残っているのかもしれない。
だけれど、いくら残さをかき集めたところで、あの甘さが戻ってくるとは思えなかった。
(´・ω・`)「バス、来るまでまだ時間があるね。30分くらい」
携帯で時刻表を確認して、帰り支度を始めた紅里ちゃんの背中に話しかける。
いまは通常の下校時刻よりも少し遅い。バスもそれほどやってこない。
('、`*川「30分なんて、バス停で立ち話してる間に過ぎるでしょ」
時間の潰し方を考え始めた僕とは対照的に、紅里ちゃんはそんなことを言う。
言われてみればその通りだ。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
ほんの数分前、実際に体験したことだ。
- 39 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 19:14:04 ID:ehFC5L620
-
(´・ω・`)「確かに……あ。僕、ロッカーに鞄入れてるから取ってくる」
('、`*川「んー。じゃあわたし、下駄箱のとこで待ってるから」
(;´・ω・`)「分かった。ごめん、すぐに行く」
言うが早いか、自分の教室の前に置いてあるロッカーへと駆け出す。
気をつけなよー、という紅里ちゃんの間延びした声が背中越しに聞こえた。
鞄を抱えて告白しに行くのは、格好がつかない気がする。
紅里ちゃんの教室に向かう直前、どうして僕はそんなことを思い立ったのだろう。
気落ちする心とは裏腹に、体は憑き物が落ちたように軽かった。
――――――
- 40 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 19:16:04 ID:ehFC5L620
-
「次は美汐3丁目、美汐3丁目」
バスのアナウンスが、僕の意識を回想の中から引きずり出した。
ブザーの音が響き、車内すべての降車ボタンが一斉にピンク色に染まる。
紅里ちゃんの降りるバス停が、気付けばすぐそこに迫っていた。
(´・ω・`)「あ、どこうか?」
('、`*川「ううん、まだいいよ。降りる直前で」
僕の問いかけに、まだ窓の外を見ていた紅里ちゃんが振り返って答える。
今日はもう会えなくなるのかと感じた途端、焦燥に駆られる。
恋人になって最初の一日が終わる。何か別れ際にするべきことはないのか。
当然、何も浮かんでは来ない。
少しの間とはいえ、空っぽな時間を過ごしてしまったことを悔やんだ。
何も出来ずにいるうちに、無情にもバス停に止まってしまう。
同じバス停で降りる人たちが続々と立ち上がって、前方の降車口へと流れていく。
('、`*川「ごめん、ちょっとだけどいてー」
紅里ちゃんも、例外ではない。
- 41 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 19:18:08 ID:ehFC5L620
-
(;´・ω・`)「ああ……うん」
曖昧に返事をして、邪魔にならないようにどく。
それしかできない。何かしなければいけない気がしているのに。
('、`*川「じゃ、また明日ね」
(;´・ω・`)「うん、ばいばい」
いたって普通の別れの挨拶を交わすと、紅里ちゃんは降車口へ向かっていく。
降りる人たちの列の最後尾に並ぶ、その背中を見つめる。
これで、普通でいいのだろうか。漠然とした不安が胸をざわつかせる。
さっきまで紅里ちゃんがいた席に詰めて座った。
長い座席の中央にひとりで座った時の、空虚な感覚がどうにも落ち着かなかった。
視線を前方に戻すと、ちょうど紅里ちゃんが降りるところだった。
ドアが閉まり、発車のアナウンスが流れる。
後方に流れ始めた、橙色の景色の中に、紅里ちゃんの姿を探し始める。
すぐに、窓の外の紅里ちゃんと、目が合った。
- 42 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 19:20:04 ID:ehFC5L620
-
('ー`*川ノシ
紅里ちゃんは軽く手を振りながら、僕に微笑んだ。
その表情は、いつか見た、僕の知らない誰かに向けていた笑顔に、よく似ていた。
だけれど、あの時よりもずっと輝いていて、僕の心を捉えて、離さなかった。
- 43 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 19:22:08 ID:ehFC5L620
-
エンドロールは滲まない
第一話 初恋のゆくえ
おわり
.
- 44 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 19:25:05 ID:ehFC5L620
- いったん休憩して20時頃から第二話投下します。
- 45 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:00:21 ID:ehFC5L620
- それでは第二話投下します。
- 46 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:02:18 ID:ehFC5L620
-
また、携帯が震えた。
暇つぶしに見ていたサイトを閉じて、受信フォルダを開く。
差出人の欄に伊藤紅里、と書かれたメールが、フォルダを埋め尽くしていた。
その中から一番上の、新着の印が付いたメールを開いた。
他愛ない会話がたくさんの絵文字で飾られている。
鮮やかな文面は見ていて楽しく思うけれど、あまり長くは見ていられない。
入学してすぐの頃にアドレスを交換した、クラスの女子からのメールはこんな感じだった気がする。
ぼんやり思い返しているうちに返事を書き終わる。
返信する前に軽く読み返してみた。
普段は使わない当たり障りのない顔文字が、文末に添えられている。
三つ連続で同じ顔が並んでいて、差し替えようか悩んだが、結局そのまま返信した。
携帯を枕元に投げ、大きく伸びをした。
同時にあくびも出た。もうすぐ日付が変わろうかという時間だから、当然だろう。
だけど、寝る気にはなれなかった。
メールを続けていれば、朝までだって起きていられると思えた。
紅里ちゃんと付き合い始めてから、二週間が過ぎようとしていた。
- 47 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:04:09 ID:ehFC5L620
-
エンドロールは滲まない
第二話 先行フラッシュバック
- 48 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:06:12 ID:ehFC5L620
-
付き合い始めてから、紅里ちゃんと接する機会はぐんと増えた。
最近のメールや電話の履歴は、ほとんど彼女の名前で埋まっている。
登録してあるだけだったアドレスと電話番号は、ようやく役割を果たすようになったのだ。
ゆっくり感慨に浸ろうとしたところにメールが届いた。
僕が返信してから3分も経っていない。
最初はこの早さに戸惑ったけれど、いまはもう慣れた。
あるいは、慣れてしまった、と言った方が正しいのかもしれない。
返信をして携帯を閉じた。
天井を仰ぐと、ため息が漏れた。
恋人らしいことをしている。
最近、そう実感することが少なくなっていた。
理由は分かり切っていた。
まだデートをしたことがないから、だ。
- 49 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:10:14 ID:ehFC5L620
-
付き合い始めてすぐ、紅里ちゃんをデートに誘ったことがあった。
しかし、忙しいことを理由に断られてしまったのだ。
なんでも、いまは免許を取るために自動車学校に通っているそうだ。
夏と冬は学生が大挙して順番待ちをしないとならない。
そして、順番が来ても一日に長い時間を拘束されてしまう。
だから、わざとみんなと時期をずらして、放課後はなるべく毎日行けるようにしているらしい。
余裕ができるまでもう少し待ってほしい。
そう言われてしまってはどうすることもできなかった。
いまはただ、悶々とした日々を過ごしている。
まだ見ていなかった興味のある映画は、すでに見尽くしてしまった。
時間をつぶす手段を失うのが、こんなに辛いとは思わなかった。
天井の模様を見ているうちに、思考が沈み始めたところで、メールが来た。
いつもよりも返信までの間隔が長くなっていた。
メールには、うたた寝をしてしまっていたこと。
そして、もう遅いからそろそろ切り上げたい、ということが書かれていた。
液晶にため息を吹き付けながら、おやすみ、と打ったメールを返信した。
仕方ない。デートできないのも、メールが途切れるのも仕方ないのだ。
紅里ちゃんは間違ったことも、悪いこともしていない。
自分が爆発する寸前に思えてきて、逃げるように布団を被った。
- 50 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:12:03 ID:ehFC5L620
-
数日後、夕飯ができるまで部屋で暇をつぶしていると、メールが来た。
差出人は紅里ちゃんだった。こんな時間にメールを送ってくるのは初めてのことだった。
何事かと思いながら本文を開く。
目がちかちかするほどに、絵文字が多い。
読み始めてすぐ、その理由が理解できた。
今日で仮免許の教習を全部終えた。
週末の検定まで、教習所に行く必要はない。
だから、今週の暇な時にデートに行かないか。
メールには、そう書かれていた。
見間違いではないか、何度も読み返す。
目が痛くなるまで確認してから、急いで返信画面を開いた。
自分でも驚くほど速く、正確に指が動いて、溜め込んでいた思いが文になっていく。
数分も経たないうちに、メールは完成して、送られた。
できるなら、明日にでもデートがしたい。
それだけを伝えるには、あきらかに長すぎる文面だったと、送ったあとで気付いた。
- 51 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:14:13 ID:ehFC5L620
-
〜〜〜〜〜〜
時間を早送りしたい衝動に耐えて、迎えた翌日の放課後。
10月の終わりにしては結構な冷え込みの中、校門で紅里ちゃんを待つ。
携帯を開いて時間を確認する。もうすぐ4時になろうとしていた。
そのままメール画面を開いた。
色だけは暖かそうな夕日が落とされた液晶。
そこに、一番新しい紅里ちゃんからのメールが表示される。
掃除当番を忘れていたことを謝る、文字だけのメール。
きっと慌てて書いたのだと思った。
その時の様子を想像するだけで結構な時間をつぶせたのは、自分でも驚くべきことだった。
そろそろ掃除も終わって、紅里ちゃんが来てもいい頃だ。
携帯の電源を切って、暗くなった液晶に自分の姿を映してみる。
(´・ω・`)
相変わらず冴えない顔をしている僕が映り込む。
一応、髪が跳ねたりはしていない。
今日は朝から整えてきたし、休み時間のたびに鏡で確認もした。
- 52 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:16:19 ID:ehFC5L620
-
それでも、ワックスくらいは持っておくべきだったかと後悔していた。
仮に持っていたとしても、セットの仕方なんて知らないけれど。
機会があれば、今日、紅里ちゃんに聞いてみるのもいいかもしれない。
ぼんやりと自分の顔を眺めながら、紅里ちゃんを待った。
黒い液晶を背景に、白い吐息が目の前を覆う。
そして、橙色に染まるよりも早く、宙に溶けて見えなくなる。
「ショボー!」
その一部始終を見届けた頃。
聞きなれた声が、遠くから僕を呼んだ。
('、`;川「ごめーん!」
振り向くと、紅里ちゃんが通学鞄を小脇に抱えて、こちらに駆けてきていた。
- 53 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:18:16 ID:ehFC5L620
-
('、`;川「ごめん、掃除当番だったの、気付いたの帰る直前で、だから」
(;´・ω・`)「あの、それは大丈夫だからさ、ちょっと休んだら?」
近くまで来るなり、息が整うのも待たずに紅里ちゃんは話し始める。
白い吐息が途切れることなく、開かれた唇から溢れてくる。
唇は夕日に照らされて、きらきらと光って見えた。何か塗っているのだと思った。
不思議と魅入ってしまい、落ち着かせようとする間も目が離せなかった。
('、`;川「うん、そうする……ありがと。正直きつい」
言うなり、紅里ちゃんは膝に手をついた姿勢で休み始めた。
同時に、垂れてくる前髪を、手櫛で右から左へと梳いている。
(´・ω・`)「落ち着いてきたら行こうか」
('、`*川「うん……でもごめん、もうちょっとだけ待って」
呼吸が整ってきた紅里ちゃんは、そう言って僕に背中を向けた。
鏡を取り出して、本格的に髪を直し始める。
その様子が気になる。覗き込んでみたい衝動に駆られる。
だけど、紅里ちゃんはきっと、見られたくないから後ろを向いている。
そう考えると、ここは黙って待つのが一番なのだと思った。
- 54 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:20:04 ID:ehFC5L620
-
('、`*川「おまたせしました」
思っていたよりも早くこちらに向き直って、紅里ちゃんは軽く頭を下げた。
乱れに乱れていた髪は、ほとんど元に戻っている。くせっ毛ではなさそうで羨ましい。
見つめていると、頬に感じた髪の柔らかさを思い出してくる。
(´・ω・`)「それじゃ、行こうか」
('、`*川「いまの時間だとバスないよね。小浜まで歩き?」
(´・ω・`)「うん、そのつもりだけど。大丈夫?」
('、`*川「そこまで老け込んじゃいませんよーだ」
わざとらしくすねてみせた紅里ちゃんは、そそくさと校門を出ていく。
なんでもないやり取りのはずなのに、どこか可愛らしくて、思わず吹き出してしまう。
こんな、紅里ちゃんと普通にするようなやり取りに、僕は飢えていたのかもしれない。
- 55 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:22:17 ID:ehFC5L620
-
どこに行くかは、昨日のうちにふたりですでに決めていた。
北国の田舎町では、デートの場所も自然と限られてくる。
だから、場所を決めたというよりは、お互いに確認したと言った方が正しい。
行き先は僕たちの通う支辺谷南高校から、程近い場所にある小浜のショッピングタウン。
町一番の大通りに面するように、ここ数年で大型店が集中して建てられた区画だ。
いまや、この町の商業の中心と言っても、決して過言ではない。
(´・ω・`)「小浜に着いたらさ、まずは本屋行かない?」
('、`*川「いいよ。僕も探したい本あるんだよね」
小浜までの道中、何をするか相談しながら並んで歩く。
緩やかな登り坂と、紅里ちゃんの小さな歩幅が、いつもより歩くスピードを遅くさせる。
('、`*川「今日って晴れてるくせに寒いよね。海もあんなに綺麗に見えてるのに」
右側を歩く紅里ちゃんが呟く。
彼女から見て僕のいる側の、さらに遠くを見つめて。
僕も同じ景色を見たくなって、振り向いた。
一軒家の隙間から、かすかに赤みがかった海が見えた。
- 56 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:24:59 ID:ehFC5L620
-
支辺谷は海に面した町だ。
海沿いには小さな平野が、内陸には丘陵地帯が広がっている。
高校は山を少し登ったところにあって、小浜はさらにその上だ。
まだまだ山の頂上には遠いが、海を見るにはこのあたりが一番いい場所だ。
(´・ω・`)「でも、夜から天気崩れるって言ってたよ」
('、`*川「あー、じゃあ、そのせいなのかな。雪とか降らないといいけど」
自分のローファーを見つめて紅里ちゃんがぼやく。
そうだね、と相づちを打ちつつ、僕も紅里ちゃんの足元を見つめる。
今年初めて、黒いタイツを履いてきた彼女の脚に目が行きそうになって、すぐに顔を上げた。
もう一度、逃げるように海を見た。
綺麗だとは思うけれど、感傷に浸る余裕はなかった。
雪が降って、それから流氷が来て、海が白く染まって、また溶けて。
とっさに浮かんだ海のこれからを機械的になぞり、気を紛らわせるので精いっぱいだった。
- 57 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:26:19 ID:ehFC5L620
-
30分ほど歩き続けると、道路沿いは様相をがらりと変えた。
暗く、薄い住宅街の色彩も、ところどころに見えていた木々の緑も失せる。
代わりに現れたのは、自己主張の激しい原色で飾られた建物。
ひっきりなしに行き交う様々な色、形をした車。
都会の色を一滴だけ落とした田舎の街並みが、小浜には広がっていた。
('、`*川「じゃあ、お互いに探し物が終わったらここの入り口に集合ね」
(´・ω・`)「一応、時間も決めておいた方がいいんじゃないかな?」
('、`*川「うーん……30分!」
(´・ω・`)「分かった。それじゃ、またあとで」
本屋に着いた僕たちは、バラバラに行動することにした。
まるっきり趣味が被っていないし、それに相手を付き合わせるのも悪い。それがお互いの見解だった。
デートらしく相手の買い物に付き合うのもいいのかもしれない。
しかし、紅里ちゃんを退屈させて、あるいは彼女の買い物を退屈に感じて。
そのせいで機嫌を損ねたら、と臆病風に吹かれたのだから、仕方ない。
- 58 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:28:20 ID:ehFC5L620
-
(´・ω・`)「ん?」
('、`*川「あれ? ショボもこっち?」
歩き始めてすぐ、違和感を覚えた。
別々に行動し始めたはずが、紅里ちゃんとまったく同じ方向に進んでいる。
いつまで経ってもそばにいる紅里ちゃんも不思議に思ったらしく、首をかしげる。
(´・ω・`)「ああ……そういう……」
自分の目的の場所が見えた。同時に、奇妙な一致の正体も分かった。
僕の目指していた、映画と音楽の雑誌が並べられた棚。
その向かい側に、女性ファッション誌の棚があった。
('∀`*川「なんだー、だからずっと同じ方に進んでたんだ!」
けらけらと笑う紅里ちゃん。どうやら彼女も察したらしい。
疎遠な時期もあったとはいえ、僕らは幼馴染だ。
詳しくなくても、お互いにどんなものが好きなのかくらいは分かる。
例えば、僕は映画が好きだとか、紅里ちゃんはおしゃれが好きだとか。
- 59 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:30:07 ID:ehFC5L620
-
('、`*川「もう待ち合わせとかいいよね? これだけ近くなんだし」
(´・ω・`)「そうだね」
改めて見ると、本当に目と鼻の先だ。どうして気付かなかったのだろう。
たびたびこの本屋には来ているというのに。
自分がいかに周りに無頓着だったかを知った。
目当ての雑誌はすぐに見つかった。メジャーな映画誌だから、当然とも言える。
紅里ちゃんの様子をうかがうと、軽く本の内容に目を通しているようだった。
小脇にはすでに数冊の雑誌が抱えられている。
流行というものは、追うだけでもそれなりのお金がかかるらしい。
暇を持て余すのももったいないので、僕も目に付いた雑誌を読んでみることにした。
好きなバンドの名前が表紙にあった、邦楽ロックの専門誌を手に取る。
映画ほどではないが、音楽も、さらに言うならロックを聴くのも好きだ。
とはいえ好きなのは、メジャーではなくても、それなりに知名度はあるようなバンドばかりだ。
コアなロックファンに怒られそうな立ち位置だけど、いまのところはそういう人種に出会ったことはない。
- 60 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:32:16 ID:ehFC5L620
-
目次を確認して、好きなバンドのページを開く。
同時発売されたベストアルバムと新曲についてのインタビューだった。
小さな文字でびっしりと書かれた、インタビューを読みふける。
曲に秘められた意図を理解しようと、意識を集中する。
それこそ、時間を忘れて。
('、`*川「ショボ?」
(;´・ω・`)「うわっ」
だから、紅里ちゃんがいつの間にか背後に立っていて。
肩をつついても、呼びかけてくるまで気付きもしなかった。
('、`*川「もういい?」
(;´・ω・`)「う、うん」
急いで元あった場所に雑誌を返す。
他の雑誌にひっかかった時、表紙に少し折り目がついてしまったのは見なかったことにした。
ちなみに、紅里ちゃんがひと重ねにして持っている本の厚みは、さらに増していた。
- 61 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:34:07 ID:ehFC5L620
-
('、`*川「ごめんね、待たせちゃって」
そう謝りつつ紅里ちゃんは鞄に買った雑誌をしまう。
少なくとも、僕が本屋では使ったことのないような金額を見た時にはさすがに驚いた。
ただ、雑誌を入れたビニール袋が凶器にできそうな厚みになっていたのには、もっと驚いた。
(;´・ω・`)「しょうがない、よ」
努めて普段通りに喋ったつもりだったが、渇いた笑いが混じる。
そう遠くないクリスマスに、僕は紅里ちゃんが満足できるものをプレゼントできるのだろうか。
センスや、金額や、その他ありとあらゆる面での心配が脳裏をかすめていった。
('、`*川「次はどこ行く?」
(´・ω・`)「次か……紅里ちゃんは他に行きたいところある?」
('、`*川「あると言えばあるかな」
('ー`*川「でも、ショボが行きたいところがあるなら、先にそっちに行ってみたいな」
じゃあ、そこに行こう。
そう言いかけた瞬間に、まっすぐ向けられた、好奇に満ちた視線。
思わず声を飲み込んだのは、ほとんど反射のようなものだった。
〜〜〜〜〜〜
- 62 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:36:21 ID:ehFC5L620
-
紅里ちゃんがいいと言ってくれたので、本屋に隣接されたレンタルDVDショップを回った。
そして、今度は彼女のリクエストに応えるべく、来た道を戻っていく。
目指すのは、立ち並ぶ多くの店の、どれとも似通わない様相の建物。
クリーム色の壁に、ポップな文体の英字が描かれていて。
昼間から看板にネオンの明かりをともした、ゲームセンター。
店内に入ると、様々な機械の音が混じった騒音が、一気に耳へと流れ込んできた。
うるさいことには変わらないが、ゲームセンターだと考えれば仕方ない。
普段なら、そう思える音量だ。
(´・ω・`)「紅里ちゃんはよく来るの?」
('、`;川「え、なに? よく聞こえなかった!」
ただし。
紅里ちゃんと会話する時には、このうえなく邪魔で。
機械が全部止まってしまえばいいのに、なんて思ってしまった。
(;´・ω・`)「よく来るの?」
('、`*川「最近はあんまり。前は学校帰りに来たりしてた」
- 63 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:38:28 ID:ehFC5L620
-
お互いの耳元で、まるで遠くに呼びかけるようなトーンで会話する。
もしも、同じことを誰かがしているのを僕が見つけたのなら。
こっそりと、頬を緩ませつつ眺めるだろうな、と思った。
現に、大学生らしきカップルやグループが、ばれていないと思ってこちらを見てくる。
かなり恥ずかしい。暖房のせいにするには、あまりにも体が熱い。
同じ学校の生徒がいないのは、不幸中の幸いだった。
(;´・ω・`)「僕、よく分からないから紅里ちゃんに全部任せるけど、早く撮ろうよ」
('ー`*川「おや、照れてる? ねえねえ、注目されて照れちゃってるの?」
(;´・ω・`)「とにかく早く!」
('ー`*川「はーい」
意地の悪い笑みを浮かべてから、紅里ちゃんが歩き出す。
逃げるように床を見つめ、その後ろについていく。
彼女に少し遅れて、床が黄色から白に塗り替わった境目をまたいだ。
- 64 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:40:11 ID:ehFC5L620
-
だいぶ汚れてしまった白い床の上には、漫画でよく見るキラキラとしたエフェクトが、ラメで描かれている。
顔を上げれば、床と同じような柄の、プリクラの機械。
目元にばっちりとメイクをした女性の写真が、機械の横に載せられている。
ギャルのカリスマ、とか呼ばれていそうだ、と勝手ながら思った。
('、`;川「ありゃ、先に入られちゃってる」
紅里ちゃんは近くではなく、奥の方にある機械を見て、そう言った。
それから、あれがよかったんだけどな、とぼやいて立ち去る。
違いはよく分からないけれど、きっとこの機械がお気に入りだったのだろう。
紅里ちゃんを追いかける前に、なんとなく振り向いて中の様子をうかがってみる。
見慣れたスカートが、ちらりと見えた。うちの学校の生徒だった。
まだ出てくる気配はなかった。それでも、なるべく早く遠ざかろうと、早足でその場をあとにした。
同じ学校の人間にデートを見られたら、さっき以上に恥ずかしい。
正しくは、締まりない笑顔を浮かべているであろう自分を見られたら、だ。
それに、ふたりの時間は、できればふたりだけが知っているものであってほしかった。
- 65 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:42:04 ID:ehFC5L620
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('、`*川「どうかした?」
紅里ちゃんは、別の機械の前で僕を待っていた。
当然、その中には誰もいない。
当たり前のことなのに、ほっとしてしまった。
(;´・ω・`)「いや、うちの生徒っぽかったから、びっくりしただけ」
('ー`*川「プリクラコーナーにいるのを見られるのって、やっぱ男子は恥ずかしいものなんだ」
紅里ちゃんといっしょにいる時でないなら、それで正解だと思う。
はたから見ていると、この一画には男子禁制の雰囲気が満ちているような気がしてならない。
(;´・ω・`)「ま、まあ……」
だから、僕は曖昧にうなづいた。
本当のことを言って、紅里ちゃんといっしょにいるのを見られるのが恥ずかしい、なんて思われたら困る。
誤解のないように理由を話したり、きちんと勘違いだと説明したりできる自信も、なかった。
焦って取り返しのつかないことをするよりは、こうする方がいい気がした。
- 66 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:42:58 ID:ehFC5L620
-
('ー`*川「そっか。それでは、お望み通りすぐに撮ってあげましょう」
願いを叶えてくれる何かの真似をしつつ、紅里ちゃんが入り口の垂れ幕の向こう側へ消える。
追って僕も機械の中へ入る。
それほど広くない内部は、余りあるほどの光量で照らされていた。
ずっとここにいると目を傷めそうだと思った。
紅里ちゃんの動きをなぞるように、鞄を液晶の脇にあるスペースに置く。
スペースはそれほど大きくはない。ふたり分の荷物でほぼ埋まってしまった。
さっきの同じ学校の女子たちはどうしているのか、不思議でならない。
(´・ω・`)「いくら?」
('、`*川「200円だよ」
言われるがままに200円を手渡す。割り勘だから、一回400円。
写真を撮るだけでこの金額は、ちょっと高いと思ってしまう。
もう100円払って、クレーンゲームを6回する方が建設的な気がする。
この辺の感覚も、男女の違いの範疇なのだろうか。
- 67 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:44:14 ID:ehFC5L620
-
お金を入れると、音声が案内を始めた。
しかし、紅里ちゃんは耳を傾けようともしない。
大きなタッチパネルに映し出される何かの選択肢を、よどみなく選んでいく。
何をしているのかさっぱり分からない僕は、お金を渡してから棒立ちのままだ。
('、`*川「よし、撮るよー。そこの足跡があるとこに立って」
(´・ω・`)「あ、うん」
言われるがまま、紅里ちゃんが指差した先にあった、足跡のそばに立つ。
すぐに紅里ちゃんも右隣にやってくる。
狭い空間の中で空気が動いて、またあの香りがした。
柑橘系の、僕にとっては伊藤紅里の匂いと言っていいような、あの香り。
('、`*川「あれがカメラね。あとは音声の通りにしてれば大丈夫だから」
肩と肩が、触れ合う。
香りが、より一層強くなる。
近い。
例えるなら、抱きしめる直前と変わらないほど。
僕はようやく、そこにまで意識が及んだ。
- 68 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:46:10 ID:ehFC5L620
-
ふたりきり、だ。
教室とは違う、人の目に怯える必要はない空間で。
そう思った瞬間、ぼんやり見つめていたカメラが光った。
('ー`*川「あはっ、ショボがなんかすごい緊張した顔してる」
紅里ちゃんの声が、僕に失せかけていた意識の輪郭を取り戻させる。
タッチパネルには撮り慣れた風なポーズの紅里ちゃん。
そして、真顔でピースする僕が映っていた。
それを見て、紅里ちゃんはおかしそうに笑っている。
(;´・ω・`)「え、あ……ごめん」
('、`*川「まだ何回か撮れるから、そんなしょぼくれないでよ」
緊張をほぐそうとしてくれたのか、背中を紅里ちゃんの小さな手がぱん、と叩いた。
懐かしい響きに、反射的に昔の記憶が蘇った。
- 69 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:48:15 ID:ehFC5L620
-
いまはともかく、小さい頃はそんなことをよく言われていた。
いつもしょぼんとしたような顔をしているから、ショボ。
いまでは親しい相手みんなが呼ぶあだ名を名付けたのも、彼女だった。
もう十年以上前のことだけど、はっきりと思い出せる。
そうしているうちに、幾分か緊張も和らいで、自然と笑えるようになっていた。
('ー`*川「お、まだ硬いけどいい笑顔ー!」
(;´・ω・`)「……ちゃかさないでよ」
シャッターが切られるまでのカウントダウンが始まった。
液晶の数字の減りに合わせて、大きく、聞き取りやすい音声が流れる。
それなのに、さっきは微塵も耳に届いていなかった。
どうも、かなりひどく気が抜けていたらしい。
最初の一枚はもらってもじっくりと見ないようにしよう、と思った。
やがて、この明るさでは必要ないとも思えるフラッシュが焚かれる。
今度の僕は、多少ぎこちないがきちんと笑えていた。
どこにでもいる、普通の高校生のカップルのようだった。
自分で言うのもおかしい話だとは思うけれど。
- 70 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:50:06 ID:ehFC5L620
-
('ー`*川「できれば最初から、その笑顔をしてほしかったんだけどなー」
言われて、頬を緩ませていたことに気付く。
右隣を見やると、紅里ちゃんが例のいたずらっぽい笑みを浮かべていた。
耳たぶが一瞬で熱を持ったのが分かった。
触れれば、じゅっと音を立てて指が焼けそうなくらいに。
(;´・ω・`)「……うるさいなあ」
恥ずかしさに駆られて、すねたような口ぶりでそう言った。
からかわれた恥ずかしさと、思いのほか顔と顔が近かった恥ずかしさが、半々だった。
それにしても、いつもやられていることをやり返すのは、ちょっと気分がよかった。
('、`*川「あ、そんなこと言っていいのかな?」
(;´・ω・`)「ごめん」
('ー`*川「よろしい」
やっぱり、慣れていないことはやるべきではないのかもしれない。
〜〜〜〜〜〜
- 71 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:52:05 ID:ehFC5L620
-
買ったお茶を片手に、自販機の横に設置されたベンチに座る。
携帯を開くと、受信フォルダに画像の添付されたメールが届いていた。
画像は二枚。一枚は、あの二回目に撮ったプリクラ。
そして、もう一枚は。
('、`;川「それさ……まじまじと見ないでほしいんだけど」
三回目に撮った、紅里ちゃんが軽く僕の腕に抱きついているプリクラだ。
(´・ω・`)「見てもいいからデータでくれたんじゃないの?」
('、`;川「……それ選んだのショボじゃん」
そう言って、取り出し口から出てきたレモンスカッシュを、その場でぐいっとあおる紅里ちゃん。
その仕草がどう見ても銭湯のおじさんみたいで、おかしくて、可愛らしい。
(´・ω・`)「紅里ちゃんが言ったんでしょ。ふたりで一枚ずつ、好きな写真を選ぼうって」
('、`*川「……あんなこと言わなきゃよかった」
紅里ちゃんは唇を尖らせ、また缶に口をつける。
日頃、僕は年上の彼女のことを、自分よりずっと大人だと思っていた。
だけど、普段のわざとらしいそれとは違う、本当にすねている姿を見て、考える。
想像していたよりも、一歳という差は小さいものなのではないか、と。
- 72 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:54:20 ID:ehFC5L620
-
改めて、画像を見つめた。
画面の中の紅里ちゃんは、ぎこちない笑顔を浮かべている。
その顔はほんのりと赤く染まっている。
あくまで、他のプリクラと比べないと分からない程度に、だけど。
お互いに抱きついて、ラブラブな感じで。
三回目を撮る前に、そんな指示が出たのだ。
僕はもちろん、撮り慣れているはずの紅里ちゃんも、ためらってしまった。
告白した日には、あんなに簡単にできたのに。
そして、撮る直前になんとかこれだけできたのだ。
いま振り返れば、とても面白い光景だったと思う。
特に、僕と同じようにうろたえる紅里ちゃんの姿が。
(*´・ω・`)「……ふふっ」
思い出して、つい吹き出してしまう。
('、`*川「……なんか、くやしい」
聞こえた呟きに顔を上げる。
紅里ちゃんが面白くなさそうな眼差しを僕に向けていた。
- 73 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:56:08 ID:ehFC5L620
-
そして、そばにあったゴミ箱に、レモンスカッシュの缶を放り込む。
どうやら、あっという間に飲み干してしまったらしい。
('、`*川「……もういいや。ちょっとお化粧直してくる」
(´・ω・`)「分かった。いってらっしゃい」
するするとゲームの機械の間をすり抜けて、遠ざかっていく紅里ちゃんの背中を眺める。
崩れている風には見えないし、そもそも化粧自体が薄いから、直す必要はない。
そう思いはするけれど、口には出さない。
僕にだって、それくらいのデリカシーはある。
ひとりになると、途端に退屈を感じ始めてしまう。
紅里ちゃんといっしょにいる時は、バスで帰ることすら楽しいのに、不思議なものだ。
携帯をしまい、お茶を片手に、近くのクレーンゲームを物色することにした。
あまり遠くに行くと、紅里ちゃんが戻ってきても僕を見つけられないかもしれない。
かといって、このまま引き伸ばされたひとりの時間を過ごすのもごめんだった。
- 74 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 20:58:14 ID:ehFC5L620
-
クレーンゲームといっても、取れる景品は様々だった。
たくさんのお菓子がひとまとめにされたもの。なんともゆるい雰囲気のキャラのぬいぐるみ。
フィギュアも人気の少年漫画のものから、深夜にやっているであろうアニメのものまで揃っている。
ただ広いだけの片田舎のゲームセンターにしては、かなり充実しているように思えた。
片田舎だからこそ、気軽にできるクレーンゲームに力を入れているのかもしれないけれど。
それでも、目を引くものはなかなか見つからなかった。
僕はお菓子はそれほど食べないし、ぬいぐるみもフィギュアも集めていない。
あっても困らなさそうな、人気アニメのコップなんかもあったにはあった。
だけど、帰りにかさばるし、なにより使う気がいまいち湧かなかった。
もうすぐ全部見終わってしまいそうになった頃。
ふと、いかにも癒し系なキャラのイラストが目に入った。
機械の中には、いろんな表情やポーズを取ったキャラのストラップが山積みになっている。
紅里ちゃんにあげたら、喜ぶかもしれない。
そんなことを思って、なんとなく財布の中を覗く。
ちょうど、100円玉が5枚だけ入っていた。
- 75 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 21:00:08 ID:ehFC5L620
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100円玉を一枚ずつ、投入口に入れていく。
最後の一枚を入れ終わると、残り回数の部分に6、と表示された。
この500円がプリクラよりも建設的な使い方になるかどうかは、僕にかかっている。
取りやすそうな位置にある、笑顔のストラップに狙いを定める。
横への移動は、狙い通りのところで止めることに成功した。
あとは、奥への移動で失敗しなければ、取れるはずだ。
奥に移動させるボタンに指を置いたまま、中をなるべく横から覗き込む。
ちょっとみっともない格好なだけに、幸いにも近くに人がいないのは好都合だった。
(*´・ω・`)「おっ?」
最初は少し手前で止めてしまったかと思った。
しかし、考えるのと、実際に指が動くまでの時間差のせいか。
クレーンは想像以上にいい位置で止まってくれた。
アームが開いて、ゆっくりとクレーンが降りていく。期待で胸が高鳴る。
(;´・ω・`)「あっ……ああ」
無情にも、アームはストラップを少し動かしただけだった。
上手くひっかかってくれなかったあたり、実は横移動の方が駄目だったらしい。
- 76 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 21:02:05 ID:ehFC5L620
-
二回目、三回目も狙い通りにはいかず、四回目。
また狙いとは違う位置にクレーンを動かしてしまい、諦めかけた時だった。
(;´・ω・`)「ああ……また、おっ?」
結論から言えば、またアームはひっかからなかった。
しかし、少し動いたストラップは偶然にも山の斜面を転がり。
そのまま、取り出し口まで落ちてきたのだ。
(´・ω・`)「……ははっ」
取り出し口からストラップを拾い上げて、まじまじと見つめた。
笑顔につられたのか、どうしようもなく、笑いが込み上げてくる。
諦めかけた時にこんな形で取れるなんて、無欲の勝利というやつだろうか。
すっきりはしないが、取れたことには変わりない。
ひとまず、このストラップはブレザーのポケットに入れておいた。
今日の別れ際にでも渡せばいいだろう。
できれば、喜んでもらえると、僕も嬉しい。
- 77 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 21:04:06 ID:ehFC5L620
-
クレジットはまだ、あと二回、残っている。
上手くいけば、もうひとつくらいは取れるかもしれない。
もしもそうなったら、ふたりで同じキャラのストラップを付けられる。
ペアのストラップだなんて、いよいよ本格的に恋人らしくなってくる。
(´・ω・`)「……いや。無欲だ、無欲」
ストラップの山を凝視する自分に、言い聞かせるように呟いた。
取れればラッキー、程度に考えてやった方が上手くいく。
前例があるからか、そんな気がした。
そんな思考が功を奏したのか、狙い通りにクレーンが動いた。
アームが開き、笑顔のストラップに向かってまっすぐ降りていく。
誰かに上から引っ張られるように、勝手に口の端が釣り上がる。
(;´・ω・`)「あっ」
もうすぐで下まで降りきる、という時。
アームはすぐ横にあった泣き顔のストラップにひっかかって、止まった。
- 78 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 21:06:10 ID:ehFC5L620
-
嫌な予感がした。
そして、そんな予感に限って的中してしまう。
どこにもひっかからないまま、アームが閉じた。
気の抜けた音を鳴らして、クレーンが上がっていく。
少なからず自信があったせいか、その様子を眺めていると、ため息が漏れた。
クレジットはあと一回残っている。
まだ一回ある、ではない。あと一回しかない。
不安に飲まれそうになりながら、手元のボタンに視線を落とした。
その時、足元で。
具体的には、取り出し口のあたりで、何かが当たる音がした。
まさか、と思い取り出し口に手を入れる。
ついさっき触ったばかりの感触を、指先に感じた。
握りしめたそれを、ゆっくりと取り出す。
すでに、その正体には確信を持っていた。
(;´・ω・`)「……またか」
アームがひっかかっていた、泣き顔のストラップが、手の中にあった。
- 79 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 21:08:09 ID:ehFC5L620
-
アームが当たったことで滑り落ちてきたのだろう。
こんな取り方を二回もできるなんて、幸運だったとしか言いようがない。
一回目に感じた、どこか消化不良な感覚はなかった。
逆に、晴れ晴れとした気持ちですらあった。
紅里ちゃんにあげるストラップとは、反対側のポケットにしまう。
同時に、適当にボタンを押して、最後の一回を終わらせた。
気持ちに余裕ができると、もったいなさは感じなくなるらしい。
クレーンが元の位置に帰るのを待たずに、元いた場所へと戻る。
紅里ちゃんはまだ帰ってきていなかった。
ブレザーのポケットを上からいじりつつ、トイレのある方向を眺める。
ときおり、にやけそうになるのをこらえながら、紅里ちゃんの帰りを待った。
数分後、向こうから歩いてくる紅里ちゃんを見つけ、ポケットから手を離した。
それから、さっきと変わらない様子を装えるよう、一度、深呼吸をする。
頭の中で渡す時のシミュレーションを、何度も繰り返す。
付き合う前なら、口から心臓が飛び出そうなほどに緊張したと思う。
だけど、それもいまは昔。
告白の時を思えば、とても簡単なことに感じられた。
- 80 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 21:10:13 ID:ehFC5L620
-
('、`*川「ごめーん、待っ……へ?」
突然、紅里ちゃんは立ち止まり、呆けた顔で僕を見つめてくる。
何もいじっていないはずだが、僕の格好にどこか変なところがあるのだろうか。
体中を見て、触って確かめてみる。しかし、特別おかしい部分は見当たらない。
('、`*川「……ゆきだ」
(´・ω・`)「え?」
直接聞いてみようと思い、顔を上げた瞬間。
僕の後方を指差して、紅里ちゃんが呟いた。
言葉の意味を飲み込む前に振り向く。
窓の外では、灰色に染まった空から、はらはらと白が剥がれ落ちていた。
そこでようやく、紅里ちゃんが雪のことを言っているのだと気付いた。
しばらくの間、僕たちは無言で外を見つめていた。
ゲームセンター特有の喧噪も、どこか遠くから聞こえているように思えた。
- 81 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 21:12:06 ID:ehFC5L620
-
('、`;川「……あ、わたし傘持ってない。最悪」
(;´・ω・`)「……僕も」
はっとしたように紅里ちゃんが愚痴る。
途端に、騒がしさが戻ってきた気がした。
それにしても、天気が崩れるとは聞いていたけれど、まさか雪になるなんて。
もう降ってもおかしくない時期とはいえ、準備は何もしていない。
口惜しいけれど、早めに帰った方がいいと思った。
(´・ω・`)「……帰ろうか」
何気ない一言のはずなのに、どうも上手く声に出せなかった。
('、`*川「……そうだね……バス来るかな」
少し間を置いて、紅里ちゃんが言った。
携帯の画面を見つめる表情は、どことなく寂しげだった。
明るい彼女がそんな表情をしているのは、あまり見たくない。
けれど、その理由が、僕と同じように、この時間の終わりを惜しんでいるせいだとしたら。
それがよくないことだと分かっていても、嬉しい、と思ってしまう。
- 82 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 21:14:09 ID:ehFC5L620
-
('、`*川「あ、ちょうど来るよ。あと6分」
(´・ω・`)「じゃあ、もう出ようか」
こんな時に限って来てしまう、一時間に一本のバスが恨めしかった。
お茶を鞄にしまって、重い腰を上げる。
('、`;川「うわ、ちょっと積もってる……」
紅里ちゃんについていくようにして、外に出る。
行きよりもさらに冷え込んだ空気が、体を撫でた。
意思とは関係なく、体が大きく震えた。
雪の勢いはこの時期にしては強く、すでに地面にはうっすらと雪が積もっている。
(´・ω・`)「結構降ってるね」
('、`;川「明日の朝が怖いなー……」
ゲームセンターの入り口からまっすぐ進んで、道路を横切る。
すぐそばに横断歩道はあるが、バス停とは反対方向だ。
幸い、車は来ていなかった。
- 83 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 21:16:09 ID:ehFC5L620
-
「きゃっ……雪入ったー、もう!」
紅里ちゃんの小さな悲鳴と、少々ヒステリックなぼやきが聞こえてきた。
車道の薄汚れた、シャーベット状の雪を踏みつけてしまったらしい。
あちこちに散らばっているせいで、よけるのはなかなか難しいから無理もない。
かくいう僕も、視線はずっと足元に固定されたままだ。
('、`;川「靴の中、気持ち悪い……」
(;´・ω・`)「……災難だったね」
道路を渡り切ってから、ローファーをぱたぱたと動かして、改めてぼやく紅里ちゃん。
渡っている最中は気付かなかったけれど、僕も足元がなんだか水っぽい。
いっそ気付かなければよかったかもしれない。
('、`;川「はあ……」
ため息をついて、紅里ちゃんはバス停へと歩き始める。
僕も小さくため息をついてから、その背中を追った。
- 84 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 21:18:07 ID:ehFC5L620
-
紅里ちゃんに追いついて、行きと同じように彼女の左側を歩く。
会話はなかった。相変わらず紅里ちゃんは、足元を注視していた。
雪のせいか、車も来ない。町は冬特有の静けさを帯び始めていた。
いましかない、と思った。
(´・ω・`)「紅里ちゃん」
('、`*川「なに?」
ポケットの中に手を入れる。
冷えた指先に、じんわりと熱が沁みていく。
(´・ω・`)「これ、よかったら」
温かさを惜しみつつ、ストラップを取り出した。
('、`*川「……なに、それ」
笑顔のストラップの向こう側で、紅里ちゃんが呟く。
声は冷たい空気を、空虚に震わせて、すぐに白い吐息の中に溶けた。
考えるより先に、とっさに出た言葉なのだと思った。
- 85 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 21:20:07 ID:ehFC5L620
-
(´・ω・`)「紅里ちゃんがいない間にクレーンゲームで取ったんだ。これも」
そう言って、反対のポケットからもストラップを取り出す。
こちらはなんだか、急な雪に泣いているようにも見えた。
(´・ω・`)「だから、こっちは紅里ちゃんに持っててほしいな、って思ってさ」
笑顔のストラップを差し出す。
ストラップが揺れる様を、紅里ちゃんはまじまじと見つめていた。
受け取ろうと手を動かす気配を、微塵も見せないまま。
まさか、気に入らなかったのだろうか。胸に一抹の不安がよぎる。
少しうつむき加減の紅里ちゃんの表情は、いまいち読み取りづらい。
数瞬の間、紅里ちゃんの視線がストラップから足元へと外れた。
悪い予感が当たった気がして、心臓に鳥肌が立つような感覚を覚えた。
突然、紅里ちゃんが立ち止まった。
足元からストラップへ。
そして、ストラップから僕の顔へと、視線が移って。
('、`*川「……いいの? もらっちゃって」
紅里ちゃんとしては珍しく、小さな声で、そう訪ねてきた。
- 86 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 21:22:07 ID:ehFC5L620
-
(*´・ω・`)「……いいに、決まってるでしょ」
自然と頬が緩んだ。
胸から全身へ、体温に似た温かさが広がる。
吐き出した吐息は、とびきり白く染まっているように見えた。
('、`*川「……じゃあ、もらう」
差し出された紅里ちゃんの手のひらに、ストラップを乗せた。
紅里ちゃんは受け取ったそれを隅々まで触ったり、眺めたりしている。
まるで、壊れ物を扱うかのように慎重な手つきだった。
やがて、紅里ちゃんはストラップを付けずに、鞄の小さなポケットに入れた。
('ー`*川「……ありがと、ショボ」
同時に小さく微笑んで、ささやかれたお礼の言葉。
上目遣いに僕を見る、眼差し。
今日は、冷え込んでちょうどよかったと思った。
- 87 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 21:24:18 ID:ehFC5L620
-
どちらからともなく、再び歩き出す。
だんだんと近付いてくるバス停が、いまは憎らしい。
できるなら、この時間をコマ送りしたかった。
春が来たら別れるなんて嘘な気がした。
これがふたりで見る最後の初雪だなんて、到底思えなかった。
紅里ちゃんが進学しても遠距離恋愛が続いて、会った時にはこうして並んで歩く。
気分がいいからか、そんな未来に確信めいた予感を抱いていた。
これから訪れる未来を、思い出している。
この感覚を説明するには、それが一番しっくりくる表現だと思った。
多幸感に浸りながら、紅里ちゃんを見た。
肩と髪に、綿のような雪が触れては消えていた。
( 、 *川
紅里ちゃんは視線を伏せたまま、ずっと僕らの行き先を見ていた。
- 88 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 21:26:05 ID:ehFC5L620
-
エンドロールは滲まないようです
第二話 先行フラッシュバック
おわり
.
- 89 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 21:27:37 ID:ehFC5L620
- これで第二話の投下は終了です。
予告スレにも書きましたが、第三話は明日の18時から投下の予定です。
- 90 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 21:31:23 ID:3XRgf4Eo0
- なんか青春っていいなぁ
おつ、楽しみにしてる
- 91 :名も無きAAのようです:2013/06/14(金) 22:37:38 ID:lAUWCLqM0
- 俺も青春したかったな……
乙
- 92 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 02:51:21 ID:ba3G6Wa.O
- 第二話まで既読の俺は第三話から読めばいいんだな
- 93 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:00:18 ID:ODjuMagA0
-
('、`*川「ねえ、ショボ」
(´・ω・`)「ん?」
呟いて、紅里ちゃんはトレイに広げられたポテトを、一本つまんだ。
口に運ぶ気配は、ない。
('、`*川「……思い切って聞くけどさ」
学校帰りの学生たちが生み出す喧噪に満ちた、ファーストフード店。
紅里ちゃんはその合間を縫って、神妙な面持ちで話を切り出した。
(;´・ω・`)「うん」
汗をかき始めたコーラを一口飲んで、身構える。
手を濡らした水滴は、冷たさで僕の意識を引き締めると、すぐにぬるくなった。
('、`;川「……わたしとドライブに行く、ってなったら、やっぱり怖い?」
(;´・ω・`)「……ちょっとだけ、ね」
ふと、わざとらしくテーブルに置かれた紅里ちゃんの免許証が目に入った。
- 94 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:03:04 ID:ODjuMagA0
-
エンドロールは滲まない
第三話 青春白書をばらまいて
.
- 95 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:06:06 ID:ODjuMagA0
-
分かりやすく肩を落として、紅里ちゃんはポテトを口に運んだ。
それから、手持ち無沙汰に免許証を指先で弾く。
免許証は半回転して、証明写真の紅里ちゃんが僕の方を向いた。
写真の中の彼女は、身だしなみにかなり気合を入れているように見えた。
(´・ω・`)「免許取ってからまだ二週間くらいでしょ? もう少し練習した方がいいんじゃない?」
('、`*川「……もう少し、ってどれくらいよ?」
「それは……その」
('、`*川「練習だって毎日、帰ってからしてるし」
口ぶりからして、本人はわりと運転技術に自信を持っているらしい。
実際に運転しているところを見ていないから、どの程度なのかは分からないけれど。
('、`*川「人がひぃひぃ言いながら免許取ったっていうのに親もショボも練習練習って。もう練習はこりごりだってば」
紅里ちゃんは一息で言い切って、飲み物に口をつけた。
空気を吸い込む音が大きく響いた。
- 96 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:09:04 ID:ODjuMagA0
-
仮免試験のあと、紅里ちゃんはすぐに本免試験も突破した。
ひと月もかからずに免許を取ったという報告をされた時は、自分の耳を疑った。
そのために教習もかなり詰め込んでいたと聞いている。
だから、練習しろと言われるのにうんざりしている紅里ちゃんの気持ちも分かる。
(´・ω・`)「でも、やっぱりひとりで乗るのとはいろいろ勝手が違うと思うしさ」
('、`;川「それも親に散々言われたー……」
ぼやきながらポテトを次々と口に運んでいく紅里ちゃん。
このまま練習を勧める限り、話は永遠に平行線のままな気がした。
(´・ω・`)「ねえ、なんでそんなに運転したいの?」
ポテトをつまんだ紅里ちゃんの手が、空中で静止した。
('、`;川「えー……なんていうか」
紅里ちゃんは少しの間、まあ、とかその、とか呟き。
('、`;川「なんとなく……頑張りたくなったみたいな」
ようやく、ひとことだけ絞り出した。
- 97 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:12:03 ID:ODjuMagA0
-
(´・ω・`)「なんとなく、ってどういうこと?」
('、`;川「えーと、まあ」
紅里ちゃんの視線が、それほど広くない店内を泳ぎまわる。
僕には言えないような理由でもあるのだろうか。
だとしたら寂しいし、なおさらその理由を聞いてみたかった。
('、`*川「わたしたち、付き合ってるわけじゃない?」
(´・ω・`)「……うん」
不意に紅里ちゃんの口から出た言葉に、思わずにやけそうになる。
単に事実を確認しているだけで、特別な意味はないはずなのに。
むしろ、特別でないからこそ、こんな気持ちになるのかもしれないけれど。
('、`*川「なのに、あんまりデートしてないし、いつも小浜でしょ?」
(´・ω・`)「それは……仕方ない……んじゃないかな?」
- 98 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:15:04 ID:ODjuMagA0
-
確かに、初デートから二、三回小浜に来た。
それでも、クラスのカップルと比べれば回数はずっと少ない。
休みの日にどこかへ、なんてことも、もちろんなかった。
車を持たない高校生が行けるところなんて、支辺谷ではたかがしれている。
部屋に呼ぶ勇気も、呼ばれる勇気も、まだ、ない。
だから、現状は仕方ないことだと思っていた。
('、`*川「そんなんだからさ、もし免許取ったら……」
しかし、紅里ちゃんはそうは思っていなかったらしい。
('、`*川「休みにふたりで出かけたりできるかなー、なんて思って」
そう言って、紅里ちゃんは様子をうかがうように、ちらりと僕を見た。
そして、すぐに目を逸らす。
それだけのことで、鼓動が一気に加速した。
(´・ω・`)「……そうなんだ」
熱が頭の中に流れ込んでくる感覚に浮かされ、そう返すので精いっぱいだった。
すっかり汗をかいた、コーラの入ったコップが視界の隅に映る。
ついさっき触れた冷たさが、恋しい。
- 99 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:18:05 ID:ODjuMagA0
-
('、`*川「だからさ、ドライブ、行かない? そんなに遠くまで行かないからさ」
小首をかしげ、覗き込むようにして、再びドライブに誘ってくる紅里ちゃん。
(;´・ω・`)「う……」
このやり方は、ずるい。
こんな風に頼まれて、僕が断れるはずがないのに。
そして、そのことをきっと、紅里ちゃんは分かっている。
(;´・ω・`)「う……ん」
漏れた呻きは、そのまま了承の返事に繋がった。
まんまと言いくるめられてしまう自分が、ちょっと情けなく感じる。
('ー`*川「……ありがと。安全運転で行くから、ね?」
(;´・ω・`)「……そうじゃなかったら、スピード出る前に飛び降りるよ」
('、`;川「ひどっ!」
でも、嬉しそうな紅里ちゃんを見ているうちに、それでもいいか、なんて思ってしまった。
〜〜〜〜〜〜
- 100 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:21:03 ID:ODjuMagA0
-
紅里ちゃんの説得に折れた日から、あっという間に日々は過ぎ。
天気がよさそうだし、なるべく早く行きたいから、という理由で選んだ、週末の昼。
僕は家の前で、紅里ちゃんが来るのを待っていた。
ところどころ凍りついた路面を見つめながら。
日付けを決めた時、天気予報は晴れだった。
確か曇りの日に挟まれていたし、気温も低かった。
それでも、晴れたとはいえ、まさか前日に雨が降って、予報よりも冷え込むなんて思いもしなかった。
いますぐ、背後にある玄関を開けて、家の中に帰りたい。
そう思ってしまうのは寒いからか。それとも、虫の知らせというものか。
(;´・ω・`)「……」
ダウンジャケットを着ているから寒いのは耐えられる。
約束をした日、紅里ちゃんは安全運転で行くと言っていた。
だから、僕はただ、迎えが来るのを待っていればいい。
頭の中で、何度もそう自分に言い聞かせた。
- 101 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:24:04 ID:ODjuMagA0
-
やがて、一台の車が、少し強引なブレーキをかけて目の前で止まった。
虫の知らせというのは、思っていたよりも当たるものなのかもしれない。
('、`*川「おまたせー、寒かったでしょ? ほら、乗った乗った」
助手席側の窓が開き、紅里ちゃんが催促してくる。
いつも通りの調子のはずなのに、声色にはどこか硬さを感じられた。
耳も頬もすっかり冷え切っているのに、言葉に甘える気になりきれない。
('、`;川「寒い! 早く!」
(´・ω・`)「あ、うん……」
窓から吹き込む風が堪えたらしく、紅里ちゃんの催促に切実さが増す。
言われるがまま、のろのろとドアを開けて車に乗り込んだ。
('、`*川「あー、寒かった」
(´・ω・`)「ごめん。すぐ乗ればよかった」
('、`*川「まあいいよ、すぐあったかくなるし」
- 102 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:27:02 ID:ODjuMagA0
-
紅里ちゃんがそそくさと窓を閉める。
風が吹き込まなくなると、ぬるくなってしまった車内の空気が肌を撫でた。
だんだんと皮膚に感覚が戻ってくるのが分かった。
(´・ω・`)「あの、一応、聞くけどさ」
('、`*川「なに?」
(´・ω・`)「……運転、大丈夫?」
('、`;川「……あたりまえじゃん。今だってちゃんと迎えに来れたし」
数瞬の沈黙のあと。
フロントガラスの向こうへ視線を逸らして、紅里ちゃんは言った。
とても上手く作られた、いつも通りの声だった。
(;´・ω・`)「……安全運転でね」
念のため、もう一度忠告しておくことにした。
前のめりになって、前方を睨む紅里ちゃんを見ていると、そうした方がいい気がしたからだ。
('、`;川「分かってるってば……」
余裕なさげに呟き、紅里ちゃんは車を発進させる。
唸るエンジン音が、ドライブの始まりを告げた。
〜〜〜〜〜〜
- 103 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:29:57 ID:ODjuMagA0
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30分もしないうちに、景色はがらりと変わった。
建物と呼べるものは姿を消し、代わりに見えるのは広大な畑。
道はただひたすらまっすぐで、信号もない。
初めて見た時だけは感動するような自然の中を、僕たちは進んでいた。
(´・ω・`)「穂実路峠までどれくらいなの?」
同じ景色の続く窓の外も、いい加減見飽きてしまい、紅里ちゃんに話しかけてみる。
運転中に眠くならないように気を使うのも、助手席の人間の仕事。
そんなことを聞いた覚えがあった。
('、`*川「えーと……一時間半くらい、だったかな」
(´・ω・`)「それまでずっとまっすぐ?」
('、`*川「峠に近付くと看板出てるみたいだから、それまでは」
返事に硬さはもう感じられない。
いい具合に緊張もほぐれてきたように思える。
支辺谷を走っている時はひどいもので、急発進、急ブレーキの連発だった。
今のうちに飛び降りようと何度思ったか分からない。
ただ、この調子なら目的地に無事にたどり着けそうだ。
- 104 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:33:01 ID:ODjuMagA0
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今回の目的地、穂実路峠。
巨大なカルデラ湖や、晴れた日には支辺谷周辺の景観が一望できる観光地。
ネットで調べてみたところ、公式のホームページにそう書かれていた。
景色以外の見どころはなさそうで、あまり長居するところでもないという印象だった。
(´・ω・`)「紅里ちゃん。そういえば、なんで穂実路峠なの?」
そんな場所に行きたい、と言い出したのは紅里ちゃんだった。
少し遠出をするにはいい距離にあるとは思う。
しかし、紅里ちゃんがわざわざ何もないところに行こうとするのが、僕にとっては意外だった。
都会の雑多な雰囲気に憧れている彼女にとって、穂実路峠は退屈な場所に思えたからだ。
('ー`*川「お? それ聞いちゃう?」
(´・ω・`)「単に行きたい、としか聞いてなかったからさ」
('、`*川「……意外だ、とか思ってるでしょ」
僕をからかう時の、お決まりの声色で紅里ちゃんが聞いてくる。
運転中でなかったら、いたずらっぽい笑みを僕に向けていたに違いない。
それが見れないことに、物足りなさを覚えてしまう自分がいた。
- 105 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:36:00 ID:ODjuMagA0
-
(´・ω・`)「イメージと違うっていうか、結びつかないからさ」
('、`*川「実はさ、夏に友達と行ったことあるんだよね」
そう切り出すと、紅里ちゃんの口から溢れるように言葉が紡がれていく。
('、`*川「その子は夏休み中に免許取ってね。予定もなかったし、誘われるままついていったんだけど」
('、`*川「途中で見た夏の青空とか、畑の緑も綺麗だったけど」
('ー`*川「それ以上に峠から見た湖や、山並みが今も忘れられないんだよね」
('、`*川「……あ、あと揚げいもが美味しかった、かな」
紅里ちゃんは照れ笑いを浮かべながら、思い出話を締めくくった。
最後が食べ物の話、ということは、よほど印象に残っているのだと思う。
そのことを僕は特に何とも思わないが、年頃の女の子にとっては恥ずかしいことなのかもしれない。
('、`*川「だから、車でどこに行こうか、って考えた時に真っ先に浮かんだんだ」
(´・ω・`)「なるほど……じゃあ、楽しみにしておこうかな」
- 106 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:39:00 ID:ODjuMagA0
-
楽しげな紅里ちゃんにつられて、僕も頬がほころぶ。
自然と声のトーンも上がってしまう。
('、`*川「夏じゃないし天気もよくないから、期待に添えるかは分からないけど……」
少し間を置いて、困ったように紅里ちゃんが言う。
('、`*川「行けるうちにいっしょに行きたいって、思ってたから」
聞いた瞬間、心臓が冷たい何かに、押しつぶされそうな感覚に襲われた。
紅里ちゃんが運転中で本当によかった、と思った。
きっと、今の僕の表情は、凍りついたような無表情のはずだから。
告白した日、紅里ちゃんが言っていた言葉を思い出す。
卒業するまでなら付き合ってもいい、と。
それは今でも変わっていない。
しかし、僕はそのことから目を逸らしていた。
そのことを強制的に認識させられた。
- 107 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:42:01 ID:ODjuMagA0
-
一方で、嬉しさも確かに感じていた。
好きな人が、好きなものを、共有したいと言ってくれた。
心と心の距離を縮めたい。そう言われているのと変わらないように思える。
頬に熱が戻ってきて、ふとサイドミラーを見ると、普段通りの表情の自分が映っていた。
まだ、大丈夫だ。
まだ、嬉しさの方が勝っている。
(´・ω・`)「……ありがとう。嬉しいよ」
なんとか、暖かな気持ちを込めて言うことができた。
いつもより冷たくても、暖かいことには変わりなかった。
できれば、わずかな温度の差に紅里ちゃんが気付かないことを願った。
〜〜〜〜〜〜
- 108 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:45:04 ID:ODjuMagA0
-
穂実路の街を抜けて、さらに山道を登り始めて、20分ほど経った。
まもなく頂上というところまで来ると、どこまでも続く山並みが窓の外に広がっていた。
しかし、ひとりだけで眺めることになんとなく抵抗を覚えて、正面に視線を戻す。
待ち構えていたように、坂の頂上に小さく建物が見えた。
近付くにつれて、よりはっきりと建物の様子が分かるようになる。
それを染める茶色と白の地味な色合い。写真で見た限り、れんが模様だったか。
それを取り囲む様々な色の車。まるで、足りない色を補おうとしているようだった。
('、`;川「着いたー……」
横から紅里ちゃんの低く唸るような声が聞こえる。
疲れ切っていることが、見なくても分かるほどだった。
できれば、あと少しだけ気を抜かないで運転して欲しいところだ。
(´・ω・`)「あとちょっとだから。頑張って」
('、`;川「うん……」
念を入れておいたおかげか、車は滞りなく駐車場に入っていく。
そして、たくさんの車が止まっている建物のそばから、少し離れた場所に駐車された。
どうやら、駐車の腕にはまだ自信がないようだった。
- 109 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:48:00 ID:ODjuMagA0
-
('、`;川「あー……疲れた」
紅里ちゃんはエンジンを切ると、天を仰いだ。
それから、窮屈そうに伸びをする。
運転というのは僕の想像以上に体も疲れるものらしい。
(´・ω・`)「……おつかれ」
('、`;川「ありがと……」
めりこみそうなくらいに全身を運転席に預ける紅里ちゃんは、動き出す気配がない。
閉じられたまぶたは、放っておけばそのまま開かないような気すらする。
時間を確認してみると、峠には予定よりも15分ほど遅い到着だった。
遅れた時間の分だけ長く気を張っていた、ということになる。
少しの間、そっとしておいた方がいいだろうか。
('、`*川「……よし、休憩終わり。行こ!」
(;´・ω・`)「……え、うん!」
そんな心配をよそに、かっと目を見開いた紅里ちゃんはキーを抜いて、さっさと外に出ていく。
僕も慌ててドアを開けて、冬の気配を帯び始めた空の下へ飛び出した。
- 110 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:51:00 ID:ODjuMagA0
-
('、`;川「さむっ!」
(´・ω・`)「思ってたより風が強いね……」
外に出るなり、紅里ちゃんは両腕で自分の体を抱いて身を震わせた。
紅里ちゃんの服装は、雑誌やテレビでモデルが着ているような垢抜けたものだ。
よく似合っていると思うが、この寒さの中では心もとなく感じる。
彼女とは対照的に不格好だが暖かいダウンを着た僕ですら、あまり外に長居したくないほどなのだから。
('、`;川「か、重ね、着、してきたん、だけど、な」
(;´・ω・`)「……大丈夫? 僕のダウン着る?」
('、`;川「い、いい。お、おしゃれはガマン、との戦い、なんだってば」
せっかく見せた男気も、声を震わせながら断られてしまう。
例えるなら男気のような紅里ちゃんの中の何かが、そうさせているのかもしれない。
何にしても、景色を楽しむなら早いうちがよさそうだ。
- 111 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:53:46 ID:ODjuMagA0
-
('、`;川「寒いけど、け、景色、すごい綺麗でしょ?」
やせ我慢をしている紅里ちゃんが指差した先を見やる。
広がっているのは、ついさっき少しだけ見た景色。
長く厳しい冬を越えるため、静かな眠りにつこうとする木々が連なる山並み。
それに囲まれる、穏やかな水面に空の青を映した湖面。
(´・ω・`)「……うん。もうすぐ冬だからそれほどでもないかと思ってたけど、これは綺麗だ」
('、`*川「夏に見た時とはまた違った趣がある、かな」
いつの間にか隣にいた紅里ちゃんが、二の腕あたりをさすりながら呟く。
口元からは白く染まった吐息が漏れているが、声はそれほど震えていなかった。
しばらくの間、僕たちは喋ることなく景色を見つめていた。
僕は柵に体重を預けて、紅里ちゃんは服が汚れるのを気にしたのか、立ったままで。
寒さにも、観光地ゆえの周囲の喧噪にも邪魔をされない、ふたりだけの時間が、僕たちの間に流れていた。
こんな時間は、ふたりきりじゃなくても生まれるものなのだと、僕は初めて気付いた。
よかった、と心の中だけで呟いた。
あの時すぐに目を逸らして、ひとりでこの景色を見ないで、よかった。
そうでなければきっと、この時間が流れることもなかったはずだから。
- 112 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:54:36 ID:ODjuMagA0
-
ふと、この時間がこのまま過ぎ去ってしまうことに寂しさを覚えた。
(´・ω・`)「ねえ、写真でも撮ってもらわない?」
我ながらいい案だと思った。
写真はさながら、真空パックするように瞬間を切り取ってくれる。
写真の中ならこの時間は永遠だ。
('、`*川「あー……いいかもね、それ」
少し考える素振りを見せて、紅里ちゃんも同意してくれた。
あとは撮ってくれる人を探すだけだ。周囲を見渡し、撮ってくれそうな人を探す。
人のよさそうな、できれば携帯のカメラを問題なく扱える程度に若い人がいい。
(´・ω・`)「あの、すみません。よろしければ写真を撮ってほしいんですが」
ちょうど通りがかった、僕の親くらいの年齢に見える男性が目に留まった。
男性はどうやらひとりで来ているようで、家族らしき人は見当たらない。
声のかけやすさ、という面では好都合だった。
「ええ、いいですよ」
- 113 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:57:07 ID:ODjuMagA0
-
男性は柔らかな笑みを浮かべて快諾してくれた。
返事を聞くなり肩のあたりが軽くなる。
知らない人に声をかけるのは、やはり緊張するものだ。
(´・ω・`)「ありがとうございます……あっ」
お礼を言いつつ、ダウンのポケットから携帯を取り出して男性に手渡す。
そこで初めて、紅里ちゃんの携帯を受け取っていないことを気付いた。
(;´・ω・`)「すいません、ちょっと待ってください……紅里ちゃん、携帯」
ふたりで映る写真なのだから、僕の携帯だけで撮ってもしょうがないというのに。
男性に断りを入れてから、紅里ちゃんのそばへ駆け寄る。
('、`*川「……いいよ、ショボのだけで。わたしのより新しい携帯でしょ? そっちで撮った方が画質いいし」
(;´・ω・`)「え? そ、そう?」
('、`*川「うん。あとで送ってくれればいいや」
(´・ω・`)「そっか……じゃあそうするよ」
- 114 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 18:59:57 ID:ODjuMagA0
-
思わぬ紅里ちゃんの反応に、拍子抜けしてしまう。
例えば、行事の最後に集合写真を撮る時に、嬉々として携帯を渡していそうな印象だったのだけど。
妙な違和感を覚えたが、意外な対応について追及する理由もない。
いまいち晴れない心持ちで、男性の元へ戻るしかなかった。
(´・ω・`)「あの、やっぱりその携帯だけで大丈夫です……すいません」
「はい、分かりました。気にしないでください」
いたずらに時間を浪費させてしまった罪悪感を抱きつつ、男性に頭を下げる。
僕の心情を察したのか、男性は再びあの笑みを浮かべてそう言ってくれた。
彼の穏やかな声が、体にまとわりついた鉛のような重さを引き剥がす。
(´・ω・`)「ありがとうございます……」
これが大人の余裕、というものなのだろうか。
紅里ちゃんが大人に憧れる気持ちが、少しだけ理解できたような気がした。
(´・ω・`)「ここを押せば勝手にピントが合って撮影できるので……」
カメラの使い方を教えながら横目に紅里ちゃんを見てみる。
瞬間、大きなくしゃみが聞こえてきて、景色を眺めていた彼女の背中がくるりと丸まった。
写真を撮り終わったら、すぐに屋内に入った方がいいだろう。
- 115 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:03:38 ID:ODjuMagA0
-
「はい、分かりました」
(´・ω・`)「よろしくお願いします……紅里ちゃん、撮るよ」
('、`*川「はいはーい」
予定より手短に説明を終えて紅里ちゃんの隣に戻る。
僕の声に反応した紅里ちゃんは、かすかに鼻をすする音を鳴らしながら振り向いた。
すでに冷え切っているであろう頬は、紅色が滲んだように広がっている。
「撮りますよー」
('ー`*川「いぇいっ」
紅里ちゃんは男性の声を合図に、顔の横に白く細い指でピースサインを作る。
プリクラを撮った時よりも控えめなそれは、少女というよりも女性らしく見えて。
そう見えたのは、制服と私服、という違いもあったのかもしれないけど。
大した差ではないと思い始めていた、一歳という年の差。
そう思えていたのは、単なる僕の勘違いだったのではないだろうか。
(;´・ω・`)「い、いえーい」
ふと見せつけられた一面に、鼓動が高鳴る。
思考が鈍り、とっさに紅里ちゃんを真似てピースしても、どこかぎこちなくなってしまう。
- 116 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:06:02 ID:ODjuMagA0
-
頭が本来のように回転し始めたのは、それから少し間が空いてからだった。
正確には、シャッター音が聞こえてこないことに気付いてから、だ。
('、`*川「あれ?」
紅里ちゃんも疑問に思ったらしく、小首をかしげた。
撮り方が理解できていなかったのか、もしくは携帯に何かあったか。
(´・ω・`)「あの……もう撮っても大丈夫ですよ?」
おそるおそる声をかけてみる。
すると、男性は構えた携帯の向こうから顔を覗かせて。
「……おせっかいなことを言いますが、ふたりとも、もっとくっついたらどうです?」
(;´・ω・`)「……はい?」
変わらぬ穏やかな声で、プリクラの機械みたいなことを言うのだった。
- 117 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:09:15 ID:ODjuMagA0
-
確かに僕と紅里ちゃんは密着していない。
だけどふたりの間にあるのは、15センチ定規ひとつすら入らないような空間だ。
離れている、とは言えない。むしろ、かなり近い。
「デートなんでしょう? 恋人同士ならくっついていた方が絵になりますよ」
言うことはもっともだが、僕たちには前例がある。
ほぼ密室のプリクラの機械の中ですら、密着するまでにてんやわんやだった、という前例が。
しかも、今回は完全に屋外だ。観光地ということで、人の目も多い。
わずかにできた空間は、きっと僕たちの羞恥心が無意識に作ったものだ。
(;´・ω・`)「あ、の……それはまあ」
見えない、高い、硬い壁がこの空間にそびえている。
それは言われたからといって、簡単に取り払えるものではない。
返す言葉も見つからず、曖昧な返事だけが反射的に紡がれていく。
('ー`*川「それもそうですね……じゃあこれで!」
(´・ω・`)「えっ?」
うろたえる僕とは対照的な、紅里ちゃんのあっさりと承諾する声。
それが聞こえたのは、左腕に彼女特有の柔らかさを感じた瞬間だった。
- 118 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:11:48 ID:ODjuMagA0
-
('ー`*川「さ、撮ってください!」
紅里ちゃんが、僕の腕に、抱きついていた。
(;´・ω・`)「え、な?」
突然のことに、なんで、のひとことも言えない。
プリクラの音声に命令されて、顔を赤くしてくっついてきた紅里ちゃんはどこに行ったのだろう。
目の前にいる紅里ちゃんが、実はよく似た別人の気すらしてくる。
('ー`*川「ほらショボ、前向いて」
しかし、なびく髪からいつもの香りを漂わせる彼女は、紛れもなく本物で。
その事実を確認した途端、心臓が痛いほどに跳ね回る。
「やっぱりその方がいいですよ。それじゃあ撮りますね」
言われるがままに正面を向くと、男性が再び携帯を構えたところだった。
僕は毒に犯されてしまったのだろうか。
紅里ちゃんのいつもの香りに仕込まれた毒に。
もしもそうなら、それは彼女の言うことを聞きたくなってしまうような。
彼女のささいな行動に、いちいち胸が苦しくなるような毒のはずだ。
〜〜〜〜〜〜
- 119 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:14:48 ID:ODjuMagA0
-
('、`*川「ふあ……」
紅里ちゃんのあくびに合わせて、車がわずかに蛇行する。
一瞬だけ道路の脇をヘッドライトが照らし、猫か狐の目が光って見えた。
(;´・ω・`)「あ、紅里ちゃん!」
行きはよいよい、帰りは恐い。
そんな童謡の一説が脳裏をよぎり、思わず叫んでいた。
後部座席に積んだおみやげでも抱えておけば、もしもの時に多少のクッションになるだろうか。
('、`;川「だ、大丈夫……大丈夫」
そう語る紅里ちゃんの口調は、あきらかに空元気だ。
今だってハンドルから片手を離して、眠そうに眼をこすっている。
穂実路峠を出る時からすでにその兆候はあった。
少し休憩してから帰るべきだ、と紅里ちゃんに提案したのだけど。
('、`*川『長居しちゃったし、早く帰らないとさ。うちの親が心配してうるさいと思うんだよね』
なんて言いながらエンジンをかけるので、自力で帰る足がない僕は車に乗りこむしかなかったのだ。
- 120 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:18:02 ID:ODjuMagA0
-
('、`;川「ショボ……ダッシュボードからガム取って……」
ケースに眠気が覚める、と書かれたガムを2、3粒取って手渡す。
紅里ちゃんは受け取ったガムを全部一気に口に詰め込み、音を立てて噛み始めた。
そして、刺激が強すぎたのか、カッと目を見開く。
辛そうにしている彼女には悪いが、命の危険が遠ざかった気がして少し安心できた。
とはいえ、このままでは支辺谷に着くまでにガムがなくなってしまいそうだ。
帰りが遅くなっても構わない。絶対に途中で休憩を挟む必要がある。
携帯を開いて、電波の悪さに苛立ちながら近くの休憩できそうな場所を探す。
(´・ω・`)「ん?」
読み込みを待っている最中、携帯が震えた。
僕のではなく、紅里ちゃんの携帯が。
運転中の紅里ちゃんが出られるはずもなく、携帯は彼女の鞄の中に放置されたままになる。
しかし、出るまで止まないとばかりに携帯は震え続ける。メールではなく電話だろう。
('、`;川「あー……たぶん親だ。ごめん、ショボ出てくれる?」
(´・ω・`)「分かった……あれ?」
画面に映った名前を見て、通話ボタンを押そうとした手が止まる。
紅里ちゃんの父親でも母親でもなく、独男、と表示されていた。
- 121 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:20:47 ID:ODjuMagA0
-
(´・ω・`)「もしもし? ドクオ?」
「あれ? なんでお前が出てんの?」
電話に出てみると、声の主はやはりドクオ本人だった。
肩肘を張る必要がなくなって、自然と伸びていた背筋を再び丸める。
(´・ω・`)「なんでって……紅里ちゃんは運転中だ。出れるわけないだろ」
「ああ、そういやそうだった」
言われてみれば、といった風に呟くドクオ。
昔からどこか適当な節はあったが、ついにここまで悪化してしまったのだろうか。
幼馴染としてはなんとも残念な限りだ。
(´・ω・`)「……で、どうしてドクオが電話してきたのさ?」
「いや、お袋がメールで姉ちゃんから連絡がないから電話しろ、って」
「自分でしろ、って返したけど、仕事の合間に電話なんてできないって言われてよ」
ドクオは一息で言い切ると、長い長いため息を漏らした。
まるで、面倒くさくてたまらない、とでも言いたげだ。
- 122 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:24:16 ID:ODjuMagA0
-
('、`*川「電話、ドクオから?」
会話を聞いていたらしい紅里ちゃんが、やり取りの合間を縫って尋ねてくる。
(´・ω・`)「うん、紅里ちゃんから連絡がないから、おばさんに電話するよう頼まれたんだって」
('、`;川「うげ……ちょっとドクオと話したいから、耳に携帯当ててもらえる?」
(´・ω・`)「いいよ……はい」
体をよじり、腕を伸ばし、携帯を紅里ちゃんの横顔に添える。
シートベルトをしたままでは意外と体勢が辛くて、携帯がふらふらと動いてしまう。
ときおり、指が髪にかすかに触れて、こそばゆい。
('、`*川「もしもし、ドクオ? 母さん怒ってた?」
「いや、メールだったからよく分かんねえ。大丈夫じゃね?」
ドクオの声は思いのほか大きく、隣にいるなら聞き取れるほどだった。
ちょうどいいタイミングで紅里ちゃんが割って入ってきたのにも納得がいった。
- 123 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:26:46 ID:ODjuMagA0
-
('、`;川「あんたの言うことって信用できないからなー……」
「もうちょい弟のことを信用しろよ。一応姉だろ?」
('、`;川「一応って……まあいいや。母さんにもうすぐ帰るから大丈夫、って伝えといて」
「あいよ。んじゃ」
何度かの手短な会話の応酬のあと、紅里ちゃんは僕にもういいよ、と言った。
会話の終わりは思っていたよりもずっと早かった。
僕は一人っ子だから分からないが、これは姉弟だからこその早さなのだろうか。
(´・ω・`)「どうだった?」
('、`;川「んー……正直、よく分からない」
消化不良といった様子で紅里ちゃんは片手で頭を掻いた。
身だしなみに気を使っている紅里ちゃんにしては珍しく、その手つきは乱暴だった。
('、`;川「……ちょっと休憩したくなってきたかも」
弟と同じような長い長いため息のあと、紅里ちゃんはぽつりと呟いた。
電話が彼女の疲れ切った心にとどめを刺したのかもしれない。
- 124 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:30:11 ID:ODjuMagA0
-
紅里ちゃんの携帯を鞄に戻して、自分の携帯を見る。
電波は相変わらず悪かったが、読み込みはとっくに終わっていた。
(´・ω・`)「あ、だったらこの先にいいところがあるみたい」
('、`*川「え、どこ?」
(´・ω・`)「輿水原生花園っていうところなんだけど。駐車場があるよ」
夕方の天気予報の時によく映るから、見たことはあるが実際に行くのは初めてだ。
花が咲いている季節ではないけど、道路に面した駐車場はいつでも利用できるらしい。
('、`*川「じゃあ……そこで10分くらい休憩してもいい?」
(´・ω・`)「むしろ、そうして欲しいかな。危なくてもこの速さじゃ飛び降りれないからさ」
紅里ちゃんを鼓舞するように、意識して明るく振る舞う。
原生花園まではまだ距離がある。気を抜くことはできない。
できることと言えば、こうして話しかけ続けることくらいだ。
もしも自分の元気を他人に自由に分け与えられたら、どんなにいいだろう。
('ー`;川「……それは大変だ」
疲れた笑顔を浮かべる紅里ちゃんを見ていると、そう思わずにはいられなかった。
- 125 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:32:52 ID:ODjuMagA0
-
(´・ω・`)「あ、あそこじゃないかな」
しばらくして、ヘッドライトが道路脇のPと書かれた標識を照らした。
輿水原生花園と書かれた看板も、その奥の暗がりにちらりと見える。
それ以外のものは、真っ暗で何も見えなかった。
一応、ぽつんと一本だけ立っている電灯や、電話ボックス、自販機の明かりはある。
それも、この手のひらすら見れないであろう暗闇の中では、あまりに頼りない。
('、`;川「言われなきゃ入り口、通り過ぎてたかも……」
僕に向けるでもなく呟いて、紅里ちゃんは車を駐車場に入れる。
車の明かりが見えなかったからか、周囲の確認は適当だったように見えた。
('、`;川「……はあ」
車を止めた紅里ちゃんは、大きく息を吐いた。
峠に着いた時のように、疲れた、のひとこともない。
ねぎらいの言葉をかけることすら躊躇してしまう。
- 126 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:36:11 ID:ODjuMagA0
-
('、`;川「……飲み物買ってくる」
(;´・ω・`)「い、いってらっしゃい」
このまま寝てしまってもそっとしておこう。
なんて考えた矢先、紅里ちゃんはのろのろと身を起こした。
緩慢な動作で鞄から財布を取り出し、車を降りる背中におそるおそる声をかける。
ん、という返事か、唸っただけか分からない声が、聞こえたような気がした。
自販機の明かりに向かって歩く紅里ちゃんを、しばらくの間、眺めていた。
その後ろ姿もやがて小さくなって、闇に溶けて、ほとんど見えなくなる。
帰りを待つ間、手持ち無沙汰になってしまう。
かといって、車の中のものをみだりにいじるわけにもいかない。
行き場を失った手は、自然と携帯を開いていた。
画像フォルダを開くと、今日一日でずいぶんと写真が増えていた。
ふたりで風景をバックに、密着して撮ったあの写真。
揚げいもを頬張る紅里ちゃんを、こっそり連続で撮影した写真。
おみやげ屋でご当地キャラの帽子を被る紅里ちゃんを撮った写真。
勢いに任せたとはいえ、よくもこんなに撮ったものだと思う。
- 127 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:39:04 ID:ODjuMagA0
-
それにしても、特に揚げいもを頬張る紅里ちゃんは傑作だ。
大口を開けているところから、撮られていることに気付いて携帯を取り上げようとするまでの流れが、ばっちり写されている。
気付けば漏れていた自分の笑い声が、我ながら気持ち悪い。
('、`*川「ただいまー」
(´・ω・`)「うわっ」
ちょうど笑いをかみ殺したところで紅里ちゃんが帰ってきた。
とっさに携帯をダウンのポケットに突っ込む。折り畳む暇はなかった。
紅里ちゃんも写真を撮られたことは知っている。隠す必要はないのかもしれない。
しかし、自分の写真を見てにやついているやつが目の前にいたら。
僕ならそいつが知り合いだとしても、ちょっと引いてしまう。
紅里ちゃんがそんな風に思わない保証なんて、どこにもない。
('、`*川「なにしてたの?」
帰ってきた紅里ちゃんは座る前に、こちらの気も知らないでそんなことを聞いてくる。
手に持ったレモンスカッシュのおかげで、少しは元気が戻ってきてしまった、らしい。
- 128 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:42:01 ID:ODjuMagA0
-
(;´・ω・`)「や、あの」
('、`*川「……ははぁん」
しどろもどろに話す僕を見ていた紅里ちゃんが、不意に視線を落とす。
そして、すべて理解したと言わんばかりに何度も頷いた。
(;´・ω・`)「……あ」
紅里ちゃんの視線の先を見た。
ダウンのポケットが、携帯の明かりで、ぼんやりと光っていた。
普段なら気付きもしないような、弱い光だった。
('ー`*川「そういえばわたし、まだ写真見てないんだよね」
今思い出した、といった調子で紅里ちゃんが言う。
そのあとに言葉は続かない。続ける必要はない、と思っているはずだ。
(;´・ω・`)「……見る?」
('ー`*川「見る!」
なぜなら、僕が耐え切れずにこうするに決まっているから、だ。
- 129 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:43:39 ID:Vb3CUkEo0
- おおう 支援しえ
- 130 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:45:01 ID:ODjuMagA0
-
車から降りていった時とは対照的な、機敏な動きで車内に戻る紅里ちゃん。
無駄な抵抗はやめて、携帯をダウンのポケットから取り出す。
画面には、半分以上が手のひらで隠された紅里ちゃんの顔が、まだ映っていた。
('、`;川「それ、恥ずかしいから消して、って言ったじゃん……」
(´・ω・`)「だから、あとで消す、って返したでしょ」
('、`*川「……往生際悪いぞ」
席と席の間に持っていった携帯を、ふたりで覗き込む。
写真が変わるたび、ゆったりとした会話のキャッチボールが行われる。
(´・ω・`)「この帽子さ」
('、`*川「うん?」
(´・ω・`)「かわいいかわいい言ってたのに、結局買わなかったね」
('、`*川「……これ被ってデートの待ち合わせに来てほしい?」
(;´・ω・`)「……ちょっと」
いつもの軽快なやり取りには程遠い。
しかし、こういうのも悪くないと思えた。
- 131 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:48:07 ID:ODjuMagA0
-
('ー`*川「ね? そういうこと」
少し笑いながら、紅里ちゃんは少し身をよじって体勢を直した。
帳のように下ろされた髪が指を撫でて、くすぐったさを覚える。
同時に、時間が経ったせいか、だいぶ薄れてしまったあの香りがした。
('、`*川「ショボ、最初の写真。また見たい」
(´・ω・`)「……はい」
言われるままに操作しながら、紅里ちゃんの様子を盗み見る。
画面の明かりに照らされた表情は、疲れのせいなのか、普段より落ち着いて見えた。
例えるなら、太陽の下よりも車内の薄暗さが似合うような、大人に。
彼女から大人を感じるのは、今日で二度目だった。
('ー`*川「ふふっ……今回は緊張してるの、ショボだけだ」
硬い笑顔でピースサインする僕を見て、紅里ちゃんが吹き出した。
体温と同じ温度の吐息が、携帯を持つ手にかかる。
ほとんど真っ暗な外。ふたりきりの車内。吐息のかかる距離。
鼓動が爆発的に加速していく。心臓の痛みは熱に変わって、全身に巡っていく。
ムード、というものの存在を、僕は自分の身を持って知った。
- 132 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:51:09 ID:ODjuMagA0
-
(´・ω・`)「そう、だね」
自分の置かれている状況を意識してしまうと、もう止まらない。
とっさにした返事も、きっとどこか上の空だったはずだ。
溶けた砂糖で頭の中が満たされているような感覚に支配される。
それは風邪をひいた時の、熱に浮かされている時の、ぼんやりとした思考に似ていた。
紅里ちゃんは、何も感じていないのだろうか。
彼女は僕よりも大人だから、こんな状況にも慣れっこなのだろうか。
そうだったら少し嫌だな、なんて思うが、もちろん聞けるはずもない。
(´・ω・`)「……」
('、`*川「……」
気付くと、長い静寂が車内を満たしていた。
どれだけ時間が経ったのかは分からない。
ただ、まともな思考ができていない僕が気付くのだから、よほど長かったのだと思う。
僕はともかく、紅里ちゃんはどうしたのだろう。
この暗さと静けさに負けて、寝てしまった可能性もある。
久しぶりに、きちんと顔を向けて、紅里ちゃんを見た。
('、`*川
紅里ちゃんも、僕を見ていた。
きっと、ずっと前から。
- 133 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:54:04 ID:ODjuMagA0
-
目と目が合って、そのまま動けなくなる。
まるで、かっちりとはまった、パズルのピースのように。
ずっとこのままでもいい、とも、吸い込まれそうだ、とも思った。
やがて、紅里ちゃんの顔が少し近付いてきた。
まさか本当に吸い込まれているんじゃないか。
一瞬、そんな考えが脳裏をよぎったが、すぐに違うと気付く。
紅里ちゃんが、こちらに向かって、さらに身をよじったからだ。
紅里ちゃんの顔が少し左に傾いて、近付くスピードが増した。
自然と、僕も彼女に向かって、身をよじっていた。
さっき、吸い込まれそうだと思ったのは、勘違いなんかじゃなかった。
あと少しで、ふたりの距離がゼロになる。
その直前、紅里ちゃんがそっと目を閉じて。
ずっと操作されないままだった携帯の明かりが、ふっ、と消えたあと。
かすかに、レモンスカッシュの味がした。
〜〜〜〜〜〜
- 134 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 19:57:01 ID:ODjuMagA0
-
大通りの激しい車の往来とは無縁の、美汐の住宅街。
その一角にある、原生花園の駐車場より少しだけましな明るさの路地を走る。
車はやがて、今度は慎重に減速し、僕の家の前で止まった。
('、`*川「はいっ、無事に到着」
駐車場を出た時から続いていた沈黙を、紅里ちゃんが破る。
沈黙は別に苦ではなかった。むしろ心地よくすらあった。
それよりも下手に何か言って、せっかくの余韻をぶち壊してしまうことの方が気がかりだった。
(´・ω・`)「今日はありがとう」
('ー`*川「ううん。それはこっちの台詞。ありがとう、ショボ」
どうやら余韻はまだ続いているらしく、紅里ちゃんの声は、ほのかに甘い。
今ならまだ、許されるだろうか。
淡い期待を抱いて、無言で紅里ちゃんを見つめる。
('、`*川「ん?」
車を降りようとしない僕を見て、紅里ちゃんは小首をかしげる。
('、`*川「……ああ」
それから、僕の意図を理解したらしく、納得したようにひとりで大きく頷いた。
- 135 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 20:00:08 ID:ODjuMagA0
-
('、`*川「はいはい。そんなに物欲しそうな目で見ないの。今日はもうおしまい」
呆れたように笑ってから、紅里ちゃんは手で追い払う仕草を見せる。
まるで、餌を欲しがる犬でも相手にしているようだった。
(´・ω・`)「……分かったよ」
今日は、という言葉に期待して、僕はおとなしく車を降りることに決めた。
ドアを開けると風はやはり冷たく、車の中にずっと閉じこもっていたくなる。
だけど、このまま悩んでいるうちに、また紅里ちゃんが寒いと言い出しそうだ。
なんとか衝動を押し殺して外に出る。
最後に別れの挨拶を交わそうと、運転席の方を覗き込んだ。
(´・ω・`)「それじゃあ、おやすみ。また明日」
計器の光に照らされた、優しい笑みが見えた。
('、`*川「うん、おやすみ」
なめらかに動いて別れの言葉を紡いだ唇に、目がいった。
初めて感じた柔らかさが、脳裏に蘇った。
- 136 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 20:02:30 ID:ODjuMagA0
-
エンドロールは滲まない
第三話 青春白書をばらまいて
おわり
.
- 137 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 20:04:23 ID:0pkJ2dRk0
- 乙です!
思わずニヤニヤしながら読んだよ
- 138 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 20:04:37 ID:ODjuMagA0
- 以上で第三話の投下は終了です。
新生活が始まってかなり間が空いてしまったけど、またぼちぼち書いていこうと思います。
最後に感想、質問、批評などあったら好きに書いていってください。
- 139 :名も無きAAのようです:2013/06/15(土) 22:59:36 ID:FSJ8Vd6I0
- おつ
いい距離感だなー
- 140 :名も無きAAのようです:2013/06/17(月) 23:50:04 ID:ZGcUBHHY0
- 初めて読んだが面白い!!
いい距離感だ
- 141 :名も無きAAのようです:2013/06/20(木) 22:05:49 ID:PN9l2sx.0
- 良いなこれ
こんな青春したかった
- 142 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 14:46:03 ID:pHBotyI.0
- 予告スレでは21時ごろ投下と書いたけど
仕事の都合で1〜2時間ほど遅くなります、すいません
- 143 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 22:03:58 ID:ln4VTi5I0
- 投下開始します。
- 144 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 22:08:08 ID:ln4VTi5I0
-
耳が痛くなるほどの寒さに、僕は何度目か分からない身震いをした。
学校の前を通る長い一本道の先に、まだバスは見えない。
バスを待つ列に並ぶ誰もが、早く暖房の効いた車内に入りたいと思っているはずだ。
それにしても、今日は一段と寒い。
雲ひとつない空に浮かぶ太陽も、積もった雪からの照り返しも、体を温めてはくれない。
せめて、紅里ちゃんが隣にいたら、心だけは温かくなるのに。
いつもは彼女がいるはずの場所にいる、知らない誰かを見ていると、どうしてもそう思ってしまう。
今日は友達との約束があると前から言っていた。
だから、ひとりで帰ることになるのも、仕方ないのだ。
寒さも、女々しさも、紅里ちゃんの自由を奪う動機にはならない。
明日が恋しくなってきて、長いため息を漏らした。
町中を白く染める雪の色に溶けて、すぐに見えなくなった。
「おーい、ショボー」
背後から、聞き慣れた気だるげな声が僕を呼んだ。
声の方へ振り返る直前、遠くからやってくるバスが見えた。
('A`)「珍しいな、ひとりなんて」
不思議そうに言いながら、紅里ちゃんそっくりの眼差しで、ドクオは僕を見つめていた。
- 145 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 22:09:47 ID:ln4VTi5I0
-
エンドロールは滲まない
第四話 憧れの感触
.
- 146 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 22:13:17 ID:ln4VTi5I0
-
せっかくだし、どっか寄ろうぜ。
暑いと感じるほど暖房の効いたバスの中で、ドクオはそう言って僕を誘った。
特に予定のなかった僕は、その誘いに乗ることにしたのだった。
('A`)「そういやさ」
(´・ω・`)「うん?」
いつもより学生の少ない、物静かなファーストフード店。その一角にある二人掛けの席。
対面に座ったドクオは、トレイにポテトを出しながら話を切り出した。
('A`)「明日、姉ちゃんとどこまで行くんだっけ?」
(´・ω・`)「鳥野岬だけど?」
僕も自分のポテトを出しつつ答える。
ドクオとふたりで放課後を過ごすというのは、なんだか新鮮な気持ちだった。
登下校が一緒になることも、別のクラスだけど日中は一緒にいることも、決して少なくはない。
しかし、こうして学校の外でも一緒にいることは、最近はなかったような気がする。
- 147 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 22:16:34 ID:ln4VTi5I0
-
('A`)「案外近くなんだな」
ドクオはポテトをつまんで、他人事のように呟いた。
実際は興味もあるんだろうけど、残念ながらそういう風には聞こえない。
きちんと喉や腹に力を込めているのか分からないような声なのだ。
だからいつだって、生きていくのすらめんどくさそうな印象を受ける。
(´・ω・`)「さすがに夜に遠出は……ちょっとね」
('A`)「うちの親もちょっとは心配してるっぽいぜ。姉ちゃんも一応は女だしな」
(;´・ω・`)「……一応、ね」
やはり、と言うべきか。紅里ちゃんは親は大丈夫だと言っていたけど。
何もやましいことはなくても、そういった心配はついて回るものなのだろう。
('A`)「ま、安心しろよ。俺からも言っておいてやったから」
('∀`)「星を見に行ってくる、なんて言い訳にしては下手くそすぎだから大丈夫だろ。ってな」
- 148 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 22:20:04 ID:ln4VTi5I0
-
(;´‐ω‐`)「ああ。ありがとよ」
('A`)「なんだよ、そのすげえ投げやりな礼の言い方」
(´・ω・`)「はははっ、冗談だってば。ありがとう、ドクオ」
ドクオの言ったことに、どれだけの効果があったかは分からない。
それでも、ドクオが僕たちを気遣ってくれていることは確かだ。
だったら僕は、きちんとお礼を言うべきなのだ。
('A`)「やめろよ、なんかかしこまられるとキモい」
(´・ω・`)「どっちにしろ文句言うんだね」
もどかしそうにドクオは身をよじる。
照れくさいのかもしれないし、僕らの仲で何を今さら、ということなのかもしれない。
それにしても、ドクオとの会話はよく弾むし、楽しい。
紅里ちゃんと会話する楽しさとは、また別の楽しさがある。
きっと、共に長い月日を過ごしたからこそのものだろう。
- 149 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 22:24:31 ID:ln4VTi5I0
- ('A`)「ま、お前らなら俺が何か言わなくても上手くやりそうな気がするけどよ」
(´・ω・`)「そう?」
ドクオは随分と僕らの仲を買っているらしい。
恋人の身内からお墨付きをもらう、というのは案外照れるものだ。
('∀`)「今までも上手くやってきたみたいだしな」
ドクオはにやりと笑って、そう続けた。
果たしてどこまで知られているのだろう、と考えると、にわかに心臓が高鳴り始めた。
こっそりと尾けられていた、という可能性も脳裏に浮かぶが、すぐに否定する。
ドクオは不真面目な人間ではあるけど、そんなことをする人間ではない。
(*'∀`)「……そこで聞きたいんだけどよ」
ドクオが身を乗り出して、声を潜ませて話しかけてきた。
仕方なく僕はポテトを取ろうとした手を引っ込める。
(*'∀`)「クリスマス、どうすんの?」
- 150 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 22:29:18 ID:ln4VTi5I0
-
返す言葉が、見つからない。
学生たちの話す声が混ざり合った喧噪。
その中から、しばしの間、僕らの声が消える。
('A`)「……何も考えてないわけじゃない、よな?」
(;´・ω・`)「それはそう、なんだけど……」
ドクオの言う通り、何も考えていないわけではない。
むしろ、ドクオが考えているであろうことと、同じことを考えている。
つまり、紅里ちゃんと一夜を過ごす、ということ。
人より内向的ではあると思うが、僕だって普通の高校生だ。
それなりに性欲だってある。当然、恋人とセックスしたいとも思う。
クリスマスという特別な日なら、なおさらだ。
(;´・ω・`)「あんまり話題に上がらないんだよね……クリスマスのこと」
僕が考えこそすれど、口に出したり、行動できていない理由がこれだ。
もう12月だというのに、不自然なくらいクリスマスの話題にならないのだ。
- 151 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 22:32:14 ID:ln4VTi5I0
-
大抵の会話の主導権は紅里ちゃんにある。
喋るのが苦手な僕は、彼女の話す話題から大きく外れることができない。
そうなると、紅里ちゃんが意図的にクリスマスの話題を避けている、ということになる。
(;'A`)「バッカだなー、そこはお前が切りだすもんなんだよ」
大きなため息のあと、呆れたようにドクオが言う。
実際、ドクオの言う通りなのだと思う。
男の方から言い出さなければならないことは、山ほどあるはずだ。
今回の件は、そのうちのひとつに違いなかった。
(;´・ω・`)「……頑張る、けどさ」
助言こそ真摯に受け止めるが、どうしても納得できないことがあった。
(´・ω・`)「僕にあれこれ言えるほど、ドクオって経験豊富じゃないよね」
('A`)「……うるせぇ」
(´・ω・`)「むしろ紅里ちゃんと付き合ってる分、僕の方が豊富なくらい」
(;'A`)「うるせぇって言ってるでしょ! やめて!」
さっきまでのような真剣な話も、今のようなくだらない話も、自由にできる。
これだから、ドクオといっしょにいるのは好きだ。
〜〜〜〜〜〜
- 152 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 22:35:41 ID:ln4VTi5I0
-
('A`)「じゃーなー」
(´・ω・`)「また明日ね」
美汐三丁目で、紅里ちゃんではなく、ドクオが先に下りるのを見送る。
別れ際、今日のことは紅里ちゃんには内緒に、と言おうかと迷う。
だけど、結局やめておくことにした。言わなくても、そんな無粋なことはしないだろう。
後方に流れ始めた景色を眺めながら、これからのことに思いを馳せる。
ひとまず、僕の方からクリスマスにデートに誘うのは決定だ。
問題はデートの内容をどうするか、だ。
支辺谷には、おしゃれな店の立ち並ぶ、イルミネーションに飾られた大きな通りはない。
クリスマス仕様に装いを変えた、巨大テーマパークもない。
どんなに望んでも、いつもと変わらないデートしかできないのだ。
そして、さらなる問題はデートが終わったあと。
そのまま帰らないのなら、ふたりで一夜を過ごせる場所に行かなければならない。
家族もいるし、どちらかの部屋で、というのは難しいだろう。
必然的にホテルということになるが、車が必要な距離にある。
そこまで行くというのは、なんだか必死すぎてみっともなく思えてしまう。
体が目的だと誤解されたらどうしよう、なんて不安もよぎる。
とても結論は出そうになかった。
少なくとも、こうしてバスに乗っている間には。
- 153 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 22:39:18 ID:ln4VTi5I0
-
〜〜〜〜〜〜
('、`*川「……なんかさ」
ヘッドライトに照らされる、いつまでも変わり映えしない雪道を眺めていた時だった。
紅里ちゃんがひとりごとのように呟いた。
('、`*川「外に出て見るつもりだったけど」
(´・ω・`)「うん」
('、`;川「車の中でもいいかな、って気分になってきた」
その気持ちは痛いほどに理解できた。
エアコンは少し耳障りな音を発しながら、車内を暑いくらいに暖めてくれている。
それでもドアのそばは、外の冷気のせいで鳥肌が立つほどに寒い。
外がどれだけの寒さなのか、想像に難くない。
(´・ω・`)「それでいいと思うよ。風邪ひいたら大変だし」
('、`;川「でも、車の中からだと空が見辛いんだよねー……どうしよ」
ぼやきつつ紅里ちゃんは、シートに軽く体を預けた。
車は変わらず、順調に走り続けている。
ささいなことで運転に影響が出ていた頃の面影はもう、ない。
僕たちが向かっている鳥野岬までは、そう遠くない。
あと15分もかからないはずだ。
- 154 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 22:42:45 ID:ln4VTi5I0
-
今年のふたご座流星群は綺麗に見えるらしい。
ある日、紅里ちゃんがそんな話題を振ってきた。
そこから、あれよあれよという間に、ふたりで見に行くことになったのだ。
その時に決めた場所が、支辺谷から程近い場所にある、鳥野岬だった。
周囲が暗く、駐車場があるから車で行けて、寒くなれば車内に避難できる。
まさに流星群を見るには絶好の場所だった。
絶好の場所すぎたのが、問題だったのかもしれない。
紅里ちゃんと会話しながら、僕は内心焦っていた。
流星群を見始めたら、僕たちは無言で空を眺め続けるだろう。
なぜなら、これ以上ないくらいの環境なのだから。
そこに、これまで避けてきたクリスマスの話題を突然切り出すのは、僕には荷が重い。
かといって、ひとしきり楽しんだあとの帰りの道中で切り出すのも、蛇足だと思えた。
だから、いま、行きの道中で切り出すしかないのに。
ここからどうやってクリスマスの話題に持っていけばいいのか、見当もつかない。
- 155 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 22:46:47 ID:ln4VTi5I0
-
あれこれ考えている間に、会話は途切れてしまっていた。
そういえばさ、なんて言って僕から切り出せば済む話なのかもしれない。
それでも、もし失敗したらという思考が邪魔をする。
声を出そうと何度も吸い込まれた空気は、喉を震わせることなく吐き出される。
口の中がひどく渇いて、発せられるべき言葉がすべて涸れてしまったような気がした。
まずは何でもいいから、声を出そうと思った。
それに反応した紅里ちゃんが声をかけてくれれば、会話が始まる。
一度流れができてしまえば、言葉は自然と湧いてくるはずだ。
(;´・ω・`)「あ」
何でもいい、と考えながらも、紅里ちゃんの名前を呼ぼうとしていた。
('、`*川「あれっ? ここかな?」
しかし、ようやく発せられた小さな声は、紅里ちゃんの呟きに簡単にかき消されたのだった。
- 156 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 22:50:54 ID:ln4VTi5I0
-
緩やかに車は止まり、紅里ちゃんは窓の外を覗き込む。
その先に目をやると、危うく通り過ぎそうな位置に看板が見えた。
横にわずかに漏れるヘッドライトの光に照らされたそれには、大きく鳥野岬と書いてあった。
その下にはPの文字と、右方向への矢印が添えられている。
('、`;川「あっぶな……通り過ぎるところだった……!」
そう言って紅里ちゃんは、後続車が来ないのをいいことに車をバックさせる。
('、`;川「ふう……」
(;´・ω・`)「……はあ」
車が駐車場に入っていく最中、同時にふたつのため息が漏れた。
おそらく紅里ちゃんのため息は、通り過ぎずに済んだことへの、安堵のため息だ。
僕のため息は、ついにクリスマスの話を切り出せなかったことへの、落胆のため息だ。
僕以外には、ふたりして胸を撫で下ろしているように見えるのだろう。
流星群を見ている間か、帰りの道中か。
楽しい時間の真っ最中に切り出すか、楽しい時間のあとに蛇足のように切り出すか。
残された選択肢は、どちらも厳しいものだった。
- 157 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 22:56:35 ID:ln4VTi5I0
-
('、`;川「いやいや、すいませんでした」
(´・ω・`)「……大丈夫だよ」
僕の憂いなんて知る由もない紅里ちゃんが、軽い調子で謝ってくる。
なるべく普段のように返事をしてみるけど、どこまで装えているかは分からない。
('、`*川「……誰もいないね」
きょろきょろと辺りを見渡して、紅里ちゃんが呟く。
その様子はいたって普通だ。どうやら僕は、いつもの僕でいられているらしい。
(´・ω・`)「わざわざここまで来る人なんて、いないんじゃないかな」
駐車場には僕らの車しかなかった。
すぐそばに建てられた灯台が放つ光は存外明るく、ある程度は周囲の景色が見える。
それでも、町の中に比べれば暗い。流星群も、よりはっきりと見えるだろう。
('、`*川「せっかくの流星群なのに、街灯の下から夜空を見上げて満足なのかねー」
ひとりごちて、紅里ちゃんはエンジンを切る。
エアコンも止まって、ドア側からの冷気が一層冷たさを増した。
さすがに、ずっとエンジンをつけているわけにはいかない。
しかし、ずっと切っているわけにもいかなさそうだ。
- 158 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 23:00:30 ID:ln4VTi5I0
-
('、`*川「外……出てみようかな」
(´・ω・`)「やめておいたら?」
意を決して口にしたであろう紅里ちゃんの提案を、僕は即座に却下した。
今は車内にいるが、マイナスまで下がる気温に耐えるために、僕らは厚着をしていた。
それでも、ドア側からの冷気は着実に体温を奪っている。
外に出ればほんの数分で、寒さに身を震わせ始めるだろう。
('、`*川「ちょっとだけだし、ね?」
(´・ω・`)「でも、風強いみたいだよ? 雪もほとんど積もってないくらいだし……」
('、`;川「う……」
雪が降っていないから分からなかったが、エアコンが切れて静かになったいまなら分かる。
車の外では、風が唸りを上げて吹き荒んでいるのだ。
地面だって、雪が積もった白い部分よりも、アスファルトの見える黒い部分の方が多い。
外では気温以上の寒さが待っていることは明白だった。
('、`;川「……いや、行く! 無理そうならすぐ戻るから!」
(;´・ω・`)「……無茶しないでよ?」
- 159 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 23:03:32 ID:ln4VTi5I0
-
('、`*川「うん。それじゃ、いってきま……」
言うが早いか、紅里ちゃんはシートベルトを外してドアを開いた。
当然、吹雪はすぐさま車内に吹き込んでくる。
('、`;川「あ、無理。これ無理」
外へと一歩踏み出す前に、紅里ちゃんはドアを勢いよく閉めた。
吹き込んできた雪が、シートの上であっという間に溶けて、消えていく。
綺麗な結晶がただの水になるその光景を見ていると、なんだか切ない気持ちになってくる。
(;´・ω・`)「賢明な判断だと思うよ」
('、`;川「まだ命が惜しいもん。新富に行くまで死ねるか、ってね」
再びエンジンをつけ、暖房の前に手をかざしながら、紅里ちゃんは言う。
そこで一番に自分の名前が出てこないことが残念で、そして少し腹立たしかった。
僕はいつから、ただの街にすら嫉妬するようになってしまったのだろう。
(´ ω `)「……じゃあ、生きて新富に行くために、ここから見ようか」
('、`*川「そうしますかー」
それはきっと、目的が果たせずに焦り始めたときからだ。
だったら、まずは落ち着くことから始めるべきだ。
例えば、流星群の降る夜空を眺めるなりして。
- 160 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 23:07:27 ID:ln4VTi5I0
-
('、`*川「……あっ」
(´・ω・`)「さっそく見えたね……あ」
フロントガラスの向こうに一筋の光が流れるまで、一分もかからなかったように思えた。
そして、それが合図であったかのように、続けざまに夜空のあちこちで、星が流れ始める。
それから、おおよそ一分置きに、満点の夜空から星の光がひとつずつこぼれ落ちていった。
流れ星が現れてから消えるまでの時間は、おそらく一秒にも満たない。
それでも、僕らはその一瞬に心を奪われ、瞬きすら忘れて夜空を見つめていた。
短いようで長い、星が降るまでの待ち時間を埋めるように、僕らは他愛ない会話をした。
真っ暗だから星がよく見えるとか、灯台があるから厳密に言うなら真っ暗じゃないとか。
本当にどうでもいい、する必要なんてないような話ばかりだった。
だけど、そんな会話を重ねていくうちに、不安や苛立ちは薄らいでいった。
紅里ちゃんのことで悩んで、いらついていたのに、今度は喜んで、落ち着いている。
ずいぶんとせわしないが、気疲れはしなかった。
そういえば、と言って話題を変えることも、難しいことではない。
そんな気がしてきた頃、星がまたひとつ、一際長く尾を引いて流れていった。
- 161 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 23:11:15 ID:ln4VTi5I0
-
('、`;川「あっ! あ、あぁ……」
驚きの声をあげ、紅里ちゃんは身を乗り出す。
しかし、流れ星はその一部始終を見届けると同時に消えてしまう。
残された紅里ちゃんはそのままの姿勢でしばらく固まった後、小さく落胆の声を漏らした。
(´・ω・`)「今の流れ星、すごい長かったね」
('、`;川「うわー、あれ絶対願い事言えたよ……金金金とか、あー……」
ぼふん、と音を立ててシートに寄りかかる紅里ちゃん。
最初から願い事なんて言うつもりのなかった僕には、何がそんなに悔しいのか分かりかねる。
(;´・ω・`)「そんなにお金に困ってるの……?」
('、`;川「そういうわけでもないけど……悔しい……くぅー……」
紅里ちゃんはそう言うと、両手で顔を覆って、狭い足元にも関わらず地団駄を踏み始める。
しばらくはこんな調子が続くだろう、と思ったので、ひとまず放っておくことにした。
- 162 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 23:14:27 ID:ln4VTi5I0
-
やがて数個の星が夜の闇に消えて、ふと気付けば足音は聞こえなくなっていた。
紅里ちゃんを見やると、ハンドルのあたりを見つめながら口元を手で覆っている。
小さめの目がさらに細まっているあたり、いまだにさっきの件が悔しいらしい。
切り出すなら、今しかない気がした。
(;´・ω・`)「そういえば、さ」
最初のひと言は、思っていた以上にすんなりと口にすることができた。
('、`*川「なに?」
僕の声に反応して、紅里ちゃんが顔を上げる。
これでもう、後戻りはできない。
(;´・ω・`)「そろそろ……」
勢いそのままに話せればよかったのだけど、やはりそういうわけにはいかなかった。
言い淀んで息を吸い込むたびに、口の中がからからに乾いていく。そのせいで唇が上手く動かない。
- 163 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 23:18:12 ID:ln4VTi5I0
-
(;´・ω・`)「クリスマス、だよね」
('、`*川「うん」
僕が話すのがどれだけ遅くなっても、紅里ちゃんは何も口を挟まなかった。
言葉の合間にただ相づちを打って、じっと僕を見つめて、次の言葉を待っていた。
(;´・ω・`)「だから」
('、`*川「うん」
それはありがたいのと同時に、重圧でもあった。
幸いだったのは、その重圧が何度も止まりかける僕の口を動かしてくれたことだ。
もしも、紅里ちゃんが僕の話に何の興味も示していなかったなら。
無理に話さなくてもいい、と言ってきたのなら。
僕は、逃げるように会話を終わらせていたに違いない。
(;´・ω・`)「もしよかったら」
('、`*川「うん」
流れ星がたくさん降っただろうと思うほど、長い時間をかけて迎えた、運命の瞬間。
脳裏をかすめたのは、ここまで話を聞いてくれた紅里ちゃんへの感謝。
(;´・ω・`)「クリスマス、いっしょにいてくれないかな」
そして、改めて実感した、いっしょにクリスマスを過ごしたいという気持ちだった。
- 164 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 23:22:20 ID:ln4VTi5I0
-
('ー`*川「……ふふっ」
しばしの沈黙の後、堪えきれないといった様子で紅里ちゃんは笑った。
(;´・ω・`)「な、なにがおかしいの?」
緊張する僕の姿は滑稽に見えたかもしれない。
だけど、こっちは紛れもなく真剣なのだ。
笑われたら多少なりとも気に障る。
('ー`*川「ごめんごめん。でも、なんかおかしくって」
(;´・ω・`)「だから、なにが」
('ー`*川「断られると思ってたのか知らないけど」
僕の追及を遮って、微笑みながら紅里ちゃんは言った。
出かかっていた言葉の続きが行き場をなくして、再び胸の奥へと沈んでいく。
('ー`*川「ショボがすごい緊張してるのが、さ」
紅里ちゃんの言葉の意味を噛み砕いているうちに、僕は気付いた。
これから彼女が何を言おうとしているのか。
- 165 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 23:26:03 ID:ln4VTi5I0
-
('ー`*川「わたしがショボの頼みを断るわけないでしょ。ま、よっぽどアレな頼みなら別だけど」
紅里ちゃんはけらけらと笑いながら、僕の肩を何度か軽く叩く。
疎遠な時期もあったけど、もう十年以上の付き合いだ。
ましてや、いまは恋人だ。彼女の言う通り、断るなんてありえないのかもしれない。
緊張していたのは、言い方を変えれば、紅里ちゃんを信用しきれていなかったのは。
('ー`*川「いいよ、クリスマス。ちゃんと空けてありますから」
僕の一番の望みを、きっと彼女は聞き入れてはくれない。
そう思っているからなのではないか。
(´・ω・`)「ありがとう……それと」
肩に入っていた力が、すっと抜けていくのを感じる。
同時に、心臓がぬるま湯に浸されたような温かさを覚えた。
('、`*川「ん?」
(;´・ω・`)「……ごめん」
そして、いまも半身に感じているものと、よく似た冷たさも、覚えていた。
このふたつが混じり合うことなんて、きっとないのだろう。
- 166 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 23:29:47 ID:ln4VTi5I0
-
('、`*川「……なにがごめん、なのか分からないけど、許すっ」
一際強く肩を叩いて、紅里ちゃんは言う。
その直前、一瞬だけ曇った表情を僕は見逃さなかった。
本当は僕が謝った理由を分かっているのだろう。
分かった上で、そのことに触れなかった。
それが紅里ちゃんの出した答えだ。
(´・ω・`)「……ありがとう」
('、`*川「ありがとう、ごめんはもう禁止。このままじゃきりがなくなりそう」
(;´・ω・`)「……」
('ー`*川「いま、ごめんって言いそうになったでしょ?」
(;´・ω・`)「あれ、ばれた?」
ならば、僕もいまは何もしないで、普段の僕でいよう。
温かさだけに触れていれば、冷たさなんて存在しないのと変わらない。
- 167 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 23:33:03 ID:ln4VTi5I0
-
('、`*川「ところで、誘ったからにはクリスマスのプランはちゃんと考えてるんだよね?」
その言葉に、全身を悪寒が駆け巡る。
飲み込んだ唾が、やけにねばついている気がした。
(;´・ω・`)「……いや、なにも」
('、`*川「……やっぱり。聞いておいてよかった」
ため息をつく紅里ちゃんだが、本気で呆れているわけはなさそうだ。
むしろ、こんなことだろうと予想されていたらしい。
少し傷つくけど、この助け舟は非常にありがたかった。
('、`*川「じゃあさ、ひとつ提案があるんだけど」
ぴん、と人差し指を立てる紅里ちゃん。
提案とはいったい何なのだろう。
考えてみても、支辺谷で彼女好みの聖夜を過ごす方法は思いつかない。
だから、静止した彼女の唇が再び動きだすのを、僕は黙って待った。
('、`*川「……うち、来ない? クリスマス、家にいるのわたしだけなんだ」
瞬間、見える景色も、聞こえる音も、自分が捉えているものに思えなくなった。
頭の中は文字通り、真っ白だった。
返事をしなくては、と考えることができたとき、僕の視界はがくがくと揺れていた。
たぶん、首を縦に振っていたのだと思う。
〜〜〜〜〜〜
- 168 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 23:36:16 ID:ln4VTi5I0
-
迎えたクリスマス当日。
閑静な住宅街の一角にある、紅里ちゃんの家の前で。
僕はとっくに感覚のなくなった指で、インターホンを鳴らした。
音は積もった雪に沁み込んでいき、やがて聞こえなくなった。
ときおり、遠くから聞こえてくる車の走る音だけが、世界が動いていることを教えてくれる。
そんな田舎の雪国特有の静寂は、嫌いじゃなかった。
少し経ってから、鍵の外れる音がしてドアが開く。
('、`*川「こんばんはー。寒かったでしょ? ほら、上がって上がって」
出迎えてくれた紅里ちゃんは、白い毛糸のセーターにジーパンという出で立ちだった。
彼女らしからぬラフな服装に、少し面食らってしまう。
制服か、気合の入ったおしゃれな服を着ているところしか見たことがなかったせいだと思う。
心なしか、顔つきもいつもと違って見える。化粧の違いなのかもしれない。
(´・ω・`)「おじゃまします」
足元に付いた雪を軽く払って、玄関へと入る。
後ろ手にドアを閉めると、暖まった空気が全身を包む。
冷え切った頬に、耳に、指に、徐々に熱と感覚が戻ってきて、妙なむず痒さを覚えた。
- 169 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 23:39:31 ID:ln4VTi5I0
-
玄関からまっすぐ進み、リビングへと向かう。
最後に紅里ちゃんの家を訪れたのは、何年前だっただろうか。
ふとそんなことを考えて、なんとか思い出そうと頑張ってみる。
だけど、はっきりと思い出せない。どうやらそれほどに昔のことらしい。
それでもどこか懐かしい気分になるのは、不思議な感覚だった。
('、`*川「どっか適当に座ってて。わたし、チキン温めてくるからさ」
(´・ω・`)「うん」
僕をリビングに通すなり、紅里ちゃんはキッチンの方へと行ってしまった。
中央に鎮座しているテーブルには、紅里ちゃんが買い揃えてくれたケーキや飲み物がすでに用意されている。
ひとり残された僕に、何か手伝えることはなさそうだった。
ひとまず、言われるがままに座って紅里ちゃんを待つことにした。
テーブルの前に座り、脱いだダウンと鞄をひとまとめにして傍らに置いておく。
ふと、鞄が中途半端に開いていることに気付いた。
薬局の黄色いビニール袋が、取っ手の部分だけ顔を覗かせている。
(;´・ω・`)「……っ!」
全身の血の気が一気に引いていく感覚がしたのと、はみ出した袋を乱暴に押し込むのは、ほぼ同時だった。
- 170 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 23:42:09 ID:ln4VTi5I0
-
急いで振り返り、キッチンの様子を確認する。紅里ちゃんの姿は見えない。
レンジが回る音がかすかに聞こえてくるあたり、まだレンジの前にいるのだろう。
きちんと閉じられた、何の変哲もないただの鞄を見つめる。
ため息をつくために大きく吸い込んだ空気は、体を心から温めてくれた。
紅里ちゃんの家に来る途中で、小浜の薬局に寄ってきた。
目的はただひとつ。避妊具を買うため、だ。
クリスマスに彼女の家に呼ばれて、しかも家族はいない。
そんな状況で何もしない、という方が間違っていることくらい、僕にだって分かる。
だから今日、僕は、紅里ちゃんと結ばれる。
固い決意を胸に自動ドアをくぐったまではよかった。
いざ、何種類も避妊具がまとめられた棚の一角を前にした時。
僕の脳内は考えるべきことでいっぱいになり、結果として何ひとつ整理できなくなった。
まず、どれを選べばいいのか。そもそも、何を基準に選べばいいのか。
選んだとして、ちょうどいいサイズはどれなのか。
こうして悩んでいる間に店員は、客は、僕を見て何を思っているのか。
結局、派手なポップが付いたものをひったくるように手に取り、レジへ持っていった。
会計が遅くて苛立つ人の気持ちが、ほんの少しだけ理解できた気がした。
- 171 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 23:45:40 ID:ln4VTi5I0
-
キッチンから聞こえた、レンジ独特のベルの音で、回想から現実へと意識が帰ってくる。
あと少しで、チキンを温め終わった紅里ちゃんが戻ってくるはずだ。
ひとまず落ち着きを取り戻すために、大きく深呼吸をしてみた。
それから、頬杖をついて付けっぱなしになっていたテレビに目をやる。
これでずっと暇を持て余していた風に見えるはずだ。
('、`;川「おまたせー。ちょっと温めすぎたかも……」
紅里ちゃんの声に振り向くと、チキンの香りが鼻先をくすぐった。
今夜はこのクリスマスパーティーが夕飯の代わりだ。お腹は十分すぎるほどに空いている。
だから、今すぐにでもかじりつきたくて、僕は紅里ちゃんの忠告を無視してチキンに手を伸ばした。
(;´・ω・`)「だいじょ……あちっ!」
('、`;川「あっ! だから言ったじゃん……」
チキンに触れた瞬間、その刺すような熱さに、僕は反射的に手を引っ込めた。
少し赤くなってしまった、ちりちりと痛む指先に息を吹きかける。
頭上から言葉を投げかける紅里ちゃんは、呆れたような表情をしているに違いない。
- 172 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 23:49:26 ID:ln4VTi5I0
-
(;´・ω・`)「まさかここまで熱いとは思わなかったんだよ……」
('、`;川「中まで温めないと、って思って時間長めに設定しちゃった。ごめん」
(´・ω・`)「謝ることないよ。冷めるまでケーキでも食べて待ってればいいし」
('、`*川「お、最初からいっちゃう?」
聞くなり紅里ちゃんは目を輝かせ、テーブルの中央に置かれた紙箱を開く。
中には僕が頼んだチョコレートケーキがひとつ。そして、なぜかチーズケーキがふたつ。
('、`*川「はい、ショボの分ね」
あらかじめ用意されていた皿に、僕のケーキが置かれる。
それから、満面の笑みを浮かべ、チーズケーキを取り出す紅里ちゃん。
(´・ω・`)「……紅里ちゃん。なんで、自分の分はふたつ買ってあるの?」
('、`*川「うっ……」
問いかけると、紅里ちゃんはなんとも言えないうめき声をあげて、体をこわばらせる。
しかし、腕だけは別の生き物のように動き、チーズケーキを皿に置いていた。
- 173 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 23:53:09 ID:ln4VTi5I0
-
('、`;川「だって……美味しそうだったから……」
いかにも反省しているような表情と声色。
それでも、ケーキに貼られたセロファンを剥がす手は止まらない。
(;´・ω・`)「それは分かったけど……二個目の代金も割り勘?」
今日用意されていた食事は、事前にふたりで相談して決めたものだ。
当然、その代金は割り勘だ。そして、買い出しは紅里ちゃんが行う手はずだった。
まさかとは思うが、会話を繋げる意味でも聞いておくことにする。
('、`;川「あ、いや、さすがにこれは自腹だからね? わたしもそこまで図々しくないって」
(´・ω・`)「だよね……安心したよ」
('、`*川「そだ、せっかくだし今お金もらおうかな。ちょっと待ってて、計算するから」
言うが早いか、紅里ちゃんは数枚のレシートと携帯を手に計算を始める。
話題に挙がった今、忘れないうちに済ませてしまうのには僕も賛成だ。
中身が見えないように鞄から財布を取り出して、計算が終わるのを待つことにした。
- 174 :名も無きAAのようです:2013/12/24(火) 23:56:23 ID:ln4VTi5I0
-
テレビから聞こえるバラエティ番組の笑い声が、ふたりきりのリビングに響く。
壁に掛けられた時計を見ると、家に着いてからまだ30分も経っていなかった。
いつもなら、紅里ちゃんと過ごす時間は早く流れていると感じるのに。
別に退屈じゃない。こうしてただ待つだけの時間も、尊いものに思える。
それだけに、なんだか得をしている気分だった。
('、`*川「んー……よし、出た」
(´・ω・`)「予想してたのとだいたい同じくらいだね」
('、`;川「あ、もちろん二個目のケーキの代金は入ってないから」
(´・ω・`)「ははっ、もう疑ってないってば」
軽口を叩き合いながら、財布の中身を確認する。
足りるには足りるが、細かいお金があるかどうかは怪しい。
(´・ω・`)「紅里ちゃん、細かいのある? もしかしたらお釣り必要かも……」
('、`*川「ありゃ……わたしもあったっけ……」
- 175 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:00:01 ID:fqckMz9Y0
-
('、`*川「いくら?」
(´・ω・`)「ええと……33円」
我ながら絶妙に細かいと感じる金額を告げる。
紅里ちゃんは取り出した財布を目いっぱい開いて、小銭を探し始める。
聞こえてくる硬貨と硬貨がこすれる音は、それほど大きくない。
('、`*川「あー、あるある。大丈夫だよー」
(´・ω・`)「よかった……はい」
膨らみ始めた不安を押しつぶすように、のんきな声が響く。
途端に、まとわりついていた緊張感が霧散していくのが分かった。
体を伸ばして、反対側にいる紅里ちゃんに代金を手渡す。
ところ狭しとテーブルに並べられた食べ物や飲み物は、思いのほか邪魔だ。
改めて座り直すと、なぜかさっきよりも視界が低くなっている気がした。
気付かないうちに背筋が伸びていたのかもしれない。
(;´・ω・`)「しかし、まあ……僕たち、これ全部食べれるのかな……?」
- 176 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:03:55 ID:fqckMz9Y0
-
さっきまで意識していなかったが、ふたり分の食事にしては量が多すぎるかもしれない。
もしも余った場合、鞄もあるし少しは持ち帰ることもできる。
だけど、それでも余るなら、紅里ちゃんの家で処理しなくてはならないだろう。
そうなってはおじさんやおばさん、ひいてはドクオにも申し訳ない。
('、`*川「いいっていいって。うちでなんとかするから」
(´・ω・`)「でも悪いよ……」
('、`*川「ほんと大丈夫だって。ご飯作らなくていい、ってお母さん喜んでたし」
聞くところによると、おじさんとおばさん、紅里ちゃんの両親は今日は職場の忘年会だったか。
ふたりとも今ではたまに会って、挨拶や短い会話をする程度の付き合いだ。
それでも、とてもおおらかな人だということが昔から印象に残っている。
クリスマスに子供ふたりを好きにさせているのも、その一旦に思えた。
それは単に、うちの両親が、僕がデートに行くのにもひとこと小言を付け加えてくるから、そう思うだけなのかもしれないけど。
('、`*川「最悪、ドクオになんとかさせるし。あいつ、今日は友達と徹夜するとか言ってたから。夜食にちょうどいいでしょ」
(;´・ω・`)「鬼だ……」
- 177 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:06:29 ID:fqckMz9Y0
-
('、`*川「姉なんてどこもこんなだって。それよりさ……」
そう言ってそそくさと席を立つ紅里ちゃん。
その背中を見送ってからほどなくして、彼女は大きな瓶を一本、小脇に抱えて帰ってきた。
反対の手にはふたつのワイングラスが握られているが、少し肝が冷えるような持ち方だ。
(´・ω・`)「シャンメリー……? 大丈夫なの? そんな振っちゃって」
遠目に見る瓶の中には、薄い黄色の液体が満ちている。
飲み物もクリスマスらしく、ということで買うことにしたシャンメリーだった。
味はワインを飲んだことがないので知らないが、炭酸は入っていたはずだ。
開けようとした瞬間にコルクが吹き飛んで、何か壊れでもしないだろうかと不安になる。
('、`*川「ああ、気にしないで。これワインだから」
(;´・ω・`)「……は?」
紅里ちゃんは不安げな僕の様子に気付いたのか、あっけらかんと言い放つ。
結果から言えば、さっきまで不安なんてどうでもよくなった。
正確には、そんなことよりも気にするべきことができたのだ。
- 178 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:09:16 ID:fqckMz9Y0
-
(;´・ω・`)「……ワイン?」
ワイン。紅里ちゃんははっきりとそう言った。
確かにクリスマスらしい飲み物といえば、ワインかもしれない。
だけど、未成年の僕たちには飲めないから、シャンメリーを選んだのに。
どういう手段を使ったのかは分からないけど、まさか買ってくるとは思っていなかった。
('、`*川「堂々とレジに持ってったら普通に買えちゃった」
紅里ちゃんだからこそできたことだろう、と思う。
少なくとも、僕には平然とお酒をレジに持っていくなんてことはできない。
きっと、どこか不審な動きを見せて、店員に勘づかれてしまうだろう。
(´・ω・`)「紅里ちゃん、お酒飲めるの?」
('、`*川「や、分かんない。チューハイとかならこっそり飲んだことあるけど、酔うほど飲んだことないし」
座り直した紅里ちゃんは足でワインの瓶をしっかりと支え、瓶口のシールを剥がしていく。
そして、おもむろにジーパンから取り出したコルク抜きをコルクにあてがうと、くるくると回し始めた。
- 179 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:12:43 ID:fqckMz9Y0
-
僕も飲んだことがないわけじゃない。正月にビールを一杯、なんて程度だけど。
だから、自分がお酒に強いか弱いかも定かじゃないのだ。
改めて、ワインの瓶をまじまじと眺めてみる。
おそらく1リットル近くはあるだろう。飲み干せる自信は、微塵もない。
それなのに、すでにコルク抜きは深く突き刺さり、紅里ちゃんはコルクを引き抜こうと四苦八苦している。
('、`;川「……っ、ショボ、抜、けないっ……!」
顔を赤くして助けを求めてくる紅里ちゃん。
どうやら、何が待ち構えていようと、僕はこのワインを飲まなければならないようだ。
(´・ω・`)「……貸して」
瓶を受け取り、コルク抜きを思いきり引っ張る。
ぽん、という気持ちのいい音を立てて、コルクはあっさりと抜けた。
同時に、アルコールと酢を混ぜたような、なんとも言えない匂いがした。
('、`*川「おお、やるねー」
(´・ω・`)「さすがにこれくらいはできないと、男としてちょっと、ね」
- 180 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:16:00 ID:fqckMz9Y0
-
('、`;川「でも、あんまり簡単に抜けると、わたしが力ないだけに思えてくるなー……」
紅里ちゃんは残念そうに呟いてから、グラスをひとつ、こちらによこした。
僕はそれを受け取るが、ワインを注ぎはしない。まずは紅里ちゃんに、だ。
瓶を持った手をテーブルの反対側へと伸ばす。
('、`*川「あっ、ありがと」
紅里ちゃんが慌てて手を添えたグラスに、ワインを注ぐ。
味がよく分からないことも考えて、半分程度で止めておく。
続けて自分のグラスにも同じくらい量を注いで、瓶をテーブルの端に置いた。
中身はほとんど減っていない。この調子では、飲み干すまでにクリスマスが終わりかねない。
(´・ω・`)「それじゃ、そろそろチキンもちょうどいい温度だろうし」
('、`*川「そうだね。乾杯しよっか」
それだけはなんとしても避けなければならない。
幸い、口直しできそうなものは目の前に有り余るほど並んでいる。
飲み干せなかった場合は最悪、流しなりトイレなりに捨てることになるだろう。
心と財布が痛むので、可能ならそうならないようにはしたいけど。
- 181 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:18:27 ID:fqckMz9Y0
-
('、`*川「それでは……かんぱーい!」
(*´・ω・`)「乾杯!」
グラスとグラスがぶつかり、ちん、と涼しげな音を鳴らした。
そのまま口にグラスを持っていく。
コルクを抜いたときのあの匂いが、数倍の濃度で漂ってきた。
一瞬躊躇して、グラスを傾けようとした手が止まりかける。
しかし、ぐっとこらえて、息を止めて。
ワインを、口に、含んだ。
(;´・ω・`)「……っ」
すっぱい。それが最初の感想だった。
次いで、渋味がゆっくりと口の中に広がっていく。
決して飲み込めない味ではないが、美味しいとはとても言えない。
いつまでも口に入れておきたくはないので、一気に飲みこんだ。
後味が強烈に残っていて、まだ口の中にワインが残っているような気がする。
- 182 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:21:17 ID:fqckMz9Y0
-
('、`;川「ぐ……」
正面から小さなうめき声が聞こえた。
視線を向けると、紅里ちゃんが眉に深いしわを刻んでいた。
グラスを口元から離す気配がないあたり、吐き出そうか悩んでいるのだろうか。
('、`;川「……んっ」
やがて、グラスがテーブルに置かれ、紅里ちゃんの喉が大きく動いた。
次の瞬間、目にもとまらぬ速さでチーズケーキが彼女の口元に現れ、そして消えた。
('、`;川「あー……」
ずいぶんと長い間、後味に上書きするかのように口に含んでいたケーキを飲みこみ、紅里ちゃんは言った。
('、`;川「……まずったかな」
僕も初めて聞いたくらい低い声だった。
- 183 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:24:08 ID:fqckMz9Y0
-
('、`;川「……どうしよっか、これ」
(;´・ω・`)「……飲めなくはないけど、あまり飲みたくはないね」
グラスを置いて、急きょこれからについての会議を始める。
乾杯のときのテンションは、いまや影も形もない。
('、`;川「捨てる……のはだめ。これシャンメリーより高かったんだから」
(;´・ω・`)「あ、そうなんだ……」
何としても元は取り返したい、といったところか。
もったいないことについては同意する。
しかし、飲んでも元を取り返せるかと問われれば微妙だ。
('、`;川「何か合う食べ物ないかな……フライドチキンとか」
ひとりごちながら、緩慢な動きでグラスに口をつける紅里ちゃん。
例によって顔をしかめたあとで、大きく一口、チキンにかじりついた。
('、`*川「……あ、合うかも」
意外なひと言に思わず紅里ちゃんを見やる。
これでいくしかない。僕を見返す視線はそう訴えかけていた。
ならば、話は早い。僕は再びグラスに手を伸ばす。
なるべく今のうちに飲んでしまうべきだ。一筋の光明が、冷めてしまわないうちに。
〜〜〜〜〜〜
- 184 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:27:23 ID:fqckMz9Y0
-
結論から言えば、ワインはすべて飲み切ることに成功した。
味の濃いフライドチキンは口直しにはうってつけだった。
それに、途中でチキンがなくなった頃には、味はあまり気にならなくなっていた。
適当なおつまみでも飲み続けることが出来たのは、酔いが回っていたおかげなのだろう。
('∀`*川「あははははは! 板がバーンって! ぶぁーん、って! いたそー!」
その代償に、紅里ちゃんはすっかりできあがってしまったのだけど。
おもしろ映像を特集した番組を見てけらけらと笑っているが、そのテンションはいつもの数段は高い。
('∀`*川「板……いたが……ばん……ぶふっ! いっしょやーん! いたもばんもいっしょやーん!」
(*´・ω・`)「うまいこと言うね」
('∀`*川「わかる? おなじ読み方だからこれって板がいーたみたいな……あっははははは!」
今度は自分の言ったことにツッコみ始め、ツボにはまってまた笑い出す
どうやら紅里ちゃんは笑い上戸で、しかもお酒には弱いようだ。
弱い、というのは自分と比較した場合だ。
だいたい同じ量を飲んだ僕は、気分こそいいけど頭はきちんと回っている。
突然泣き出したりもしなければ、もちろん笑い出したりもしない。
- 185 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:30:03 ID:fqckMz9Y0
-
('、`*川「はー……おなか痛い……」
ようやく笑い疲れたらしい紅里ちゃんは、テーブルに突っ伏してぐったりと動かなくなる。
ニュースを挟み、番組がドラマに変わった頃のことだった。
見ていないドラマだったけど、チャンネルを変えた先がバラエティだったら、と考えると、リモコンに手を伸ばす気にはなれない。
('ー`*川「……ふふっ」
ときおり、紅里ちゃんの思い出し笑いが聞こえてくる以外は、静かな時間が流れていた。
そろそろ、切り出す頃合いなのかもしれない。
(´・ω・`)「これからどうしようか?」
日常会話とまったく変わらない調子で、聞くことができた。
聞かずとも、僕の心の中で何をしたいかなんて、とっくに決まっているけど。
お酒の力を借りる、という言葉の意味を、今までは分かりかねていた。
しかし、実際に酔っている今なら分かる。
酔ってしまえば、普段なら言い淀んでしまうことも、臆することなく口に出せる。
自制心が弱まるのは、必ずしも悪いことではないのだろう。
- 186 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:33:05 ID:fqckMz9Y0
-
('、`*川「ん……」
眠たげな相づちのあと、紅里ちゃんが顔を上げる。
あれだけ笑ったのだから、疲れてしまったのかもしれない。
そうなると、これから何もしない時間を作るのはまずいだろう。
無防備に眠る紅里ちゃんを前にして何もできないなんて、生殺しもいいところだ。
('ー`*川「そうだねぇ……」
紅里ちゃんのとろんとした瞳が僕を捉えた。
力強く射抜いてくるいつもの視線とは対照的だが、目を逸らせないのは変わらない。
さしずめ、吸い込まれそうな視線、と形容すればいいだろうか。
('ー`*川「ショボ……」
紅里ちゃんが僕を呼ぶ声は濡れていた。頬は朱に染まっていた。
それだけのことで、心臓が一段と大きく脈打つ。
軽く唇を舐める仕草すら扇情的に見えてくる。
('、`*川「テレビつまんないや……」
(´・ω・`)「そ、そう」
('ー`*川「だから、わたしの部屋、くる?」
話の繋がりなんてまるで無視した誘い。
それは裏を返せば、紅里ちゃんが少しでも早くその先に進みたいと思っている証だ。
誘いに乗らないという選択肢は、なかった。
- 187 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:36:10 ID:fqckMz9Y0
-
(´・ω・`)「おじゃまします」
紅里ちゃんの背中を追いかけて、階段を上がってすぐ左手の部屋に入る。
吸い込んだ空気はいつもの彼女の香りがした。
変な話だけど、それで僕はここが本当に紅里ちゃんの部屋なのだと実感できた。
('ー`*川「ちょっとちらかってるけど気にしないで」
(´・ω・`)「うん」
彼女がそう語っているのは、隅に積み上げられたファッション雑誌のことだろうか。
それとも、教科書が、大きさも色も様々な化粧品らしき小瓶が、ところ狭しと並んだ机のことだろうか。
僕からしてみれば、そこ以外はよく整頓されている風にしか見えなかった。
壁のアイドルグループのポスターや、満杯のCDラックがごみだとは到底思えない。
立ちっぱなしでいるわけにもいかず、ひとまずベッドに腰掛ける。
単なる淡いピンク色の掛け布団も、毎日紅里ちゃんが包まっているものだと思うと、妙に落ち着かない。
('ー`*川「掃除してるときにね、こんなのみつけちゃったぁ」
クローゼットの上に置かれた段ボールを下ろして、紅里ちゃんはその中から一冊のアルバムを取り出した。
色褪せ始めている藍色の布表紙は、ところどころほつれている。
どうやらなかなかに古いものらしい。
- 188 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:39:27 ID:fqckMz9Y0
-
(´・ω・`)「何のアルバム?」
('ー`*川「これ? これね……」
もったいぶって見せてから、紅里ちゃんは僕の右隣に腰かける。
酔っているせいなのか、いつもより距離が近い。
というより、すでに肩と肩が密着している。
相変わらず、彼女の体は同じ物質でできているとは思えないくらいに、柔らかい。
('ー`*川「わたしのちいさいころの写真。ショボも写ってるよ」
紅里ちゃんがアルバムを開くと、くっついたフィルムがぺりぺり、と剥がれる音がした。
おそらく、もう何年も開いていないのだろう。
(´・ω・`)「え、そう?」
('ー`*川「うん……ほら、これとか」
紅里3歳、仲良しな諸本さんの家の直彦くんと。
そう書かれている水色の紙で作られた吹き出しが添えられた写真を、紅里ちゃんは指差した。
写真の中では面影が残る僕らが、仲睦まじく並んでいる。
この頃から紅里ちゃんの目は小さくて、僕の眉は八の字だ。
- 189 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:42:05 ID:fqckMz9Y0
-
('ー`*川「……なんか、自分の写真だとおもえないよねぇ」
(´・ω・`)「どうして?」
('ー`*川「だって、ぜんぜん覚えてないし。だから、そっくりさんかもしれない!」
ひとりで納得したように、こくこくと頷く紅里ちゃん。
乱れた髪の毛が頬を撫でて、どうにもこそばゆい。
(´・ω・`)「いやいや、何言ってんの。名前書いてあるじゃん」
('ー`*川「これはわなだ! 次ぃ!」
紅里ちゃんは僕の言い分に聞く耳なんて持たず、ページをめくる。
ページ同士が剥がれる大きな音がして、アルバムの安否が心配になった。
('ー`*川「あら、小学校の入学式。ランドセルおっきーなー」
(´・ω・`)「背負ってる、っていうか背負われてるね」
心配は杞憂に終わり、小学校の入学式の写真が現れる。
少し大きくなった彼女の隣に、当然ながら僕は写っていない。
- 190 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:45:12 ID:fqckMz9Y0
-
('ー`*川「これが6年生になるとちいさくなっちゃうんだから、こどもの成長ってはやいよねー」
(;´・ω・`)「なんで自分の写真見て、お母さんみたいなこと言ってるの……?」
('ー`*川「あかりさんはもう大人だからさ」
なぜか作った低めの声で言い切ってみせる紅里ちゃん。
だけど、微妙に呂律が回っていないのでまったく決まっていない。
それにしても、酔っ払った紅里ちゃんはよく喋る。
普段も女の子らしく、喋るのが大好きだけど、こんなにノリは軽くない。
自制心をどこか遠くへ放り投げてしまったのだろうか。
はたまた、実は猫を被っていて、本来は今のような性格だったりするのだろうか。
(´・ω・`)「お酒に飲まれてるうちは、そうは言えないんじゃないかな」
おそらくは前者だと思う。
僕だって普段より口数が多くなっているし、軽口だって叩いている。
思ったことがそのまま口から流れ出ているような感覚だ。
まずいことを口走ってしまいかねないリスクは、確かにある。
それでも、言いたいことを包み隠さず言えるというのは、リスク以上の魅力に思えた。
飲まずにいられない、という大人の言い分が、初めて理解できた気がする。
- 191 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:48:47 ID:fqckMz9Y0
-
('、`*川「……べー」
紅里ちゃんは舌先をちら、と出してすねてみせた。
しまりのない笑みを浮かべているので、機嫌が悪いようには見えない。
('、`*川「あかりさんはいま、とっても機嫌が悪いです」
(´・ω・`)「うん」
('、`*川「だから、責任をとってもらいます」
そう言うと突然、僕の肩に頭を乗せてきた。
綺麗な茶色に染められた髪が触れて、首すじが、頬がくすぐったい。
体もさらに密着して、加速度的に体温が高まっていく。
まるで、触れ合った部分から熱が流れ込んでくるようだった。
(´・ω・`)「これが、責任?」
('ー`*川「つかれた。しばらくこのままね」
- 192 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:51:32 ID:fqckMz9Y0
-
理由はもっともらしく感じられる。
ただ、肩口に頭をこすりつけてくるあたり、本当かどうかは怪しいところだ。
まるで猫のようだ、と思った。
例えば、普段の好意をあからさまに表に出そうとはしない態度もそうだ。
加えて、今のようにマーキングみたいなことをしてくるところはまさしく猫だ。
(´・ω・`)「分かったよ、気が済むまでどうぞ」
ずっと気が済まなければいいのに、なんて思ってしまう。
口ではそっけなさそうに言ってみたけど、表情には思考がばっちり現れていそうな気がした。
('ー`*川「うむ、よろしい」
満足そうに言って、紅里ちゃんがページをめくる。
今度は剥がれる音がしなかった。
(´・ω・`)「あれ? これ……」
貼られた写真の中の紅里ちゃんは、一気に成長していた。
というより、ついこの間見たような姿だった。
- 193 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:54:15 ID:fqckMz9Y0
-
('ー`*川「んふふ……この間の写メ、現像しちゃった」
紅里ちゃんの言う通り、この写真はドライブに行った時の写真だった。
携帯で撮ったからなのか、他の写真よりは荒い写りになっている。
写真自体が真新しいこともあって、アルバムの中でも浮いた一枚になっていた。
('、`*川「前に部屋片づけてたらアルバム見つけてね。それでピンときたの」
(´・ω・`)「そうだったんだ……」
('、`*川「今度ショボと一緒に見よう、って思ったから、このページ以外は見なかったんだけど」
ぱたん、とアルバムを閉じる音がした。
そこで初めて、僕は紅里ちゃんにアルバムを取られていることに気付いた。
あまりにもゆっくりとした、自然な動きだった。
はたから見れば僕はひどく間抜けに見えるに違いない。
('、`*川「……なんかすごいよね」
紅里ちゃんの囁きとともに、首すじに吐息がかかる。
近すぎてよく見えないけど、顔をこちらに向けているのだろう。
('、`*川「小さい頃は、まさかこんな風になるなんて……思ってなかったのに」
- 194 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 00:57:21 ID:fqckMz9Y0
-
アルバムの裏表紙を、紅里ちゃんの細い指先が何度も叩く。
躍る指を捕まえてみたいと、手を伸ばしてみる。
いともあっさりと捕まったそれは、次の瞬間には僕の指に絡まってくる。
手のひらが汗ばんでいるのは、たぶんお互い様だ。
ゆっくり流れていく時間を満たしている甘い雰囲気は、あの時に似ていた。
暗がりの中で初めて唇を重ねた、あの時に。
だとしたら、もう何もせずに固まっている理由なんて、ないんじゃないだろうか。
紅里ちゃんの肩をそっと抱いた。傷つけない程度に、逃がさない程度に。
顔を向けると、紅里ちゃんの驚いた表情が目に入った。
何か言おうとしているのか、唇を開きかけていた。
構うことなく僕は唇を重ねて、吐息ごと紅里ちゃんの言葉を飲み込んだ。
( 、 *川「んっ」
行き場をなくした音が、重なる唇の向こう側で響いたのが分かった。
- 195 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 01:01:00 ID:fqckMz9Y0
-
紅里ちゃんが目を閉じたのがぼんやりと見えた。
心の隅に残っていた、拒絶されたら、という不安が溶けるように消えていった。
僕たちはいつまでも、小鳥が餌をついばむように、互いの唇を重ね合った。
何度も、何度も、指と指を絡め直しては、そのたびに手を強く握り合った。
服も、肌も、肉も、骨も邪魔だと思えるほどに、ぴったりと体を寄せ合った。
( 、 *川「ん、は、ぁっ」
唇の隙間から、紅里ちゃんの甘い吐息がこぼれた。
耳から侵入した艶めかしい声に、頭の中がどろどろと溶かされていくような感覚を覚える。
耐え切れず、僕は紅里ちゃんの背中に両手を回すと、ゆっくりとベッドの方へ体重を預けた。
細く、軽く、柔らかい体はいとも簡単に倒れ込み、ぎしり、とベッドが軽く鳴った。
足元で何かが落ちる音がした。きっとアルバムだろう。
残念だけど、今は拾ってやる余裕も、つもりもない。
服の山に埋もれてしまわなければ、あとで片づけてやろう。
久しぶりに体を離して、ベッドに寝転がる紅里ちゃんを見つめる。
僕を真下から見上げる彼女の瞳は、濡れていた。
頬は悪酔いしていた時ほどではないけど、紅色に染まっていた。
胸が大きく上下するたび、セーターの向こう側にどうしても意識が向いてしまう。
- 196 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 01:03:13 ID:fqckMz9Y0
-
ここからどうすればいいのだろう。
ああしていいか、こうしていいかと聞くのは野暮だと分かっている。
だとしても、今からしようとしていることは、きっと僕たちにとって忘れられない記憶になることだ。
例え、僕たちがこれから、どうなろうとも。
だからこそ、最後の一線を独断で越えることを、躊躇してしまう。
そうこうして悩んでいるうちに、紅里ちゃんが視線を外した。
探し物をするようにあちこちを見渡し、やがて肩口あたりに置かれた僕の手に目を止めた。
紅里ちゃんはそっと手を伸ばし、そして重ねた。とても優しい手つきだった。
('ー`*川
再び僕を見て、紅里ちゃんは笑った。
手つきと同じ、とても優しい笑みだった。
釣られて僕も笑った。今日一番、自然に笑えた。
手を繋いで、せーの、の合図で最後の一線を飛び越えた。
あとはもう遅れないように、行き過ぎないように、ふたりで進んでいくだけだ。
触れるだけの口づけを、一度交わす。
そして、僕は空いた方の手でセーターの裾をつまんだ。
( 、 ;川「ぁ、ち、ちょっと待って」
- 197 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 01:06:18 ID:fqckMz9Y0
-
(;´・ω・`)「どうしたの?」
ここまできて、まさかの言葉に不安が募る。
我慢しろと言われれば、なんとかできるだろうとは思う。
我慢したあとのことにまでは、ちょっと責任は持てないけど。
( 、 *川「……電気」
紅里ちゃんが腕を伸ばし、僕の背後を指差す。
そういうことか、とすぐに理解できた。
( 、 *川「……消して?」
「分かった、顔がよく見れなくなるのはちょっと惜しいけど」
( 、 *川「……ばか」
恥じらいの表情を見せながら、猫なで声で頼まれては、聞かないわけにはいかないだろう。
軽口を叩きつつ立ち上がり、天井からぶら下がる紐を引っ張る。
室内は暗い橙色に染まった。同時に、背後から小さなぼやきも聞こえた。
きっと今も、卑怯なくらいに愛らしい表情をしているに違いない。本当に惜しいことをした。
- 198 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 01:09:30 ID:fqckMz9Y0
-
(´ ω `)「おまたせ」
( 、 *川「……ね、ショボ」
戻ってくるなり、紅里ちゃんが僕を抱きしめてきた。
耳元でささやく声に、背筋をなぞられるようなこそばゆさが駆け巡る。
( 、 *川「知ってるよね。一年前、わたしが他の男子と付き合ってたこと」
(´ ω `)「うん。嫌というほど、ね」
( 、 *川「そっか。ごめんね、こんなときに、こんなこと」
体が離れ、紅里ちゃんの方から僕に口づけてきた。
僕には何も言わせまい、と言わんばかりに。
( ー *川「でもね、あのとき、ふられてよかったって、いまは思う」
(´ ω `)「……どうして?」
( ー *川「……すぐにわかるよ」
その言葉の意味を、僕はすぐに理解することができなかった。
正確には、もう一度触れてきた彼女の唇を貪ることで、頭がいっぱいになってしまったのだけど。
そのまま、12月25日の夜は更けていった。
- 199 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 01:12:05 ID:fqckMz9Y0
-
ちなみに、次の日の昼ごろ、ドクオからメールが送られてきた。
「姉ちゃんの歩き方がおかしい(笑)」という内容だった。
メールには、がに股気味に歩く紅里ちゃんの写真が添えられていた。
.
- 200 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 01:13:42 ID:fqckMz9Y0
-
エンドロールは滲まない
第四話 憧れの感触
終わり
.
- 201 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 01:15:31 ID:fqckMz9Y0
- 以上で第四話の投下は終了です。
今年中に終わらせるはずが、結局半分しか書けませんでした。
来年こそ頑張って完結させたいと思います。
最後に質問、感想、批評など自由に書いていってください。
- 202 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 05:18:58 ID:pckAmeck0
- 乙
読んでてすごくこそばゆいけど充実したクリスマスになった気がする
次も待ってる
- 203 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 12:21:37 ID:wYGouIV.0
- 乙!
楽しみにしてたよ
今回も良かった!
- 204 :名も無きAAのようです:2013/12/25(水) 20:05:37 ID:jfZ9ApnUO
- きてた乙!
相変わらずの雰囲気が素敵
- 205 :名も無きAAのようです:2014/01/06(月) 23:54:34 ID:sNp8XXFU0
- おつ!
情景が目に浮かんでくるわ本当に上手いな
- 206 :名も無きAAのようです:2014/01/07(火) 21:20:41 ID:FEFQBoY2C
- もしかしたら過去に(´・ω・`)と从´ヮ`从トでも書いてた?
- 207 :名も無きAAのようです:2014/01/08(水) 15:44:06 ID:5i8.D/tA0
- >>206
いや、狸娘は使ったことないです。
- 208 :名も無きAAのようです:2014/01/08(水) 19:23:57 ID:ZQSnPMwYC
- >>207
そうなのかサンクス、作品のふいんきが似てたから
- 209 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 18:14:07 ID:HAeH9QKg0
- 投下開始します。
- 210 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 18:15:11 ID:HAeH9QKg0
-
わたしはもうちょっと頑張るね。
ショボは早く寝るんだよ。
おやすみなさい。
絵文字で飾られた、紅里ちゃんからの最後のメールを、僕は見つめていた。
このメールが届いてから、もう30分が経っている。
だいぶ夜も更けてきたけど、紅里ちゃんはまだ問題集とにらめっこをしているのだろう。
(´・ω・`)「……寝よう」
自分に言い聞かせるように呟き、閉じた携帯を枕元に放り投げた。
途端に、じわりと涙が出てくる。液晶の光は、思っていたよりも目に毒だったらしい。
もしくは、部屋の電気を消していたせいかもしれなかった。
目を閉じ、掛け布団を抱きしめるようにして包まった。
僕ひとりだけの体温が、全身を優しく覆った。
冬休みが明けて、三年生は自由登校になった。
本番が間近に迫った受験生は、最後の追い込みに入った。
それは、紅里ちゃんも例外ではなかった。
- 211 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 18:18:16 ID:HAeH9QKg0
-
('、`;川『これからは最後の追い込みに入るから、あんまりいっしょにいられないかも』
紅里ちゃんにそう告げられたのは、年が明けて一緒に初詣に行ったときだった。
神社の本殿から長く伸びる列に並んでいる最中だった。
ごめんね、と申し訳なさそうに付け足す彼女に、僕はいいよ、とだけ答えた。
寂しくないといえば、それはもちろん嘘になる。
だけど、試験本番までひと月もない。受験生は一分、一秒すら惜しいはずだ。
一見いつも通りに振る舞う紅里ちゃんの内心を考えると、僕はそう言うしかなかった。
いま思うと、紅里ちゃんの言葉には少しだけ嘘が混ざっていた気がする。
あんまり、ではなく。ほとんど、というのが正解だろう。
あくまで、去年過ごした時間の密度と比べた場合、ということだけど。
自由登校になったいま、学校で紅里ちゃんに会うことはない。
一緒に登校することも、下校することも、ない。
学校でドクオと過ごす時間は増えたけど、決して彼女の代わりにはならない。
メールをする頻度も減った。
いまのところ、紅里ちゃんからメールは送られてこない。
僕の方から、時間や内容に疲れるほどに気を使って送っている。
それも、何度かやり取りしただけで終わってしまうことがほとんどだ。
- 212 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 18:22:08 ID:HAeH9QKg0
-
それも全部、仕方ないことだ。
紅里ちゃんの人生はまさしく、いまにかかっている。
そんな大事な時間を、僕の都合で邪魔してはいけない。
今日は珍しく、というか、年が明けてから初めて、メールが長続きした。
文字だけとはいえ、久しぶりにたくさん会話できたのは、幸せ以外の何物でもなかった。
途切れないようにと、内容にも、返信する間隔にも細心の注意を払った。
気疲れこそしたけど、それに見合うだけの時間を過ごせたと思っている。
ただ、楽しかった時間が過ぎ去ってしまった、いま。
ふたりで過ごす楽しさと、ひとりで過ごす寂しさの落差に、打ちのめされそうになってしまう。
紅里ちゃんは、大丈夫だったのだろうか。
本当は、早くメールを終わらせてしまいたかったんじゃないだろうか。
楽しかったのは僕だけだったんじゃないだろうか。
心臓の中を、大きな鉄の塊が転がるような感覚。
行き場のない暗く、冷たく、重い感情の存在が、確かに感じ取れた。
だけど、まだ大丈夫だ。まだ、押し殺せる。
さらに身を小さく丸めて、掛け布団を密着させてみた。
ひとりきりの体温は、やっぱりどこか頼りなかった。
いたずらに引き伸ばされた空虚な夜は、いつまで経っても明ける気がしなかった。
- 213 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 18:23:15 ID:ys3Nu2y20
- やった!支援
- 214 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 18:23:19 ID:HAeH9QKg0
-
(´・ω・`)エンドロールは滲まない('、`*川
第五話 「 」がすべてだった日々
.
- 215 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 18:24:29 ID:HAeH9QKg0
-
支辺谷の街並みは、昨夜からの吹雪でより一層、白に染まっていた。
新雪は建物の側面まで覆い、地面にも足首が埋まるほどに積もっている。
まだ除雪されていない歩道は、歩くだけで思った以上に体力がいる。
歩けば歩くほど靴の中に雪が入ってきて、不快な水気が足元を包む。
こうなることは分かり切っていたけど、克服できるかどうかは別の問題だ。
体が熱くなってきて、首元を少し開けてみた。
痛いほどに冷たい風が、気持ちよかった。
放っておくと、汗が冷えて風邪でも引きそうだ。
幸い、風邪を引くのは紅里ちゃんと会ったあとになるだろう、ということだ。
長すぎるひとりの時間をじっとやり過ごしているうちに、紅里ちゃんの受験日は3日後に迫っていた。
- 216 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 18:27:10 ID:HAeH9QKg0
-
紅里ちゃんはもう少しで家を出て、新富へ出発する予定だ。
本番までに万全の準備を整えるため、今日から向こうの親戚の家にお世話になる。
おそるおそる受験間際の予定を聞いた僕に、彼女はそう答えてくれた。
普通に答えが返ってきたとき、僕は心底ほっとした。
人生の分かれ道を目の前にしても、紅里ちゃんが堂々としていることに。
彼女の機嫌を損ねるような結果にならなかったことに。
僕は少し余裕のできた頭を動かして、精いっぱい考えた。
旅立つ彼女に、僕から何かしてやれることはないだろうか。
それとも何もせず、邪魔をしないことが一番なのだろうか、と。
結果、些細なことでもいいと思い立って、僕は昨日、神社に行ってきた。
賽銭を奮発して合格を祈願し、お守りも買ってきた。
僕が紅里ちゃんの家に向かっているのは、これを渡すためなのだ。
(;´・ω・`)「はっ……はっ……」
随分と歩いてきたせいか、呼吸が荒くなってくる。
胸の中が冷たさで麻痺してきたように思える。
分かるのは、激しく脈打つ心臓の痛みだけだ。
- 217 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 18:30:08 ID:HAeH9QKg0
-
僕が来ることを、紅里ちゃんは知らない。
我ながら、思い切った行動に出たと思う。
もしも見送りに行くと申し出たら、紅里ちゃんは遠慮するに決まっている。
そこから押し切る強引さを、僕は持ち合わせていない。
だけど、少し裏をかいてやるくらいのずるさは、僕にだってあるのだ。
紅里ちゃんに会いたい。
少しだけでも会って、僕たちは繋がっているのだと、安心したい。
散々耐えてきたのだから、これくらいは許されるはずだと、思いたい。
大通りに出て右を向く。
通り沿いに、住宅街では目を引く赤い色の建物が、小さく見えた。
個人経営の雑貨屋だ。紅里ちゃんの家は、そのすぐそばにある。
(*´・ω・`)
自然と笑みが漏れた。吐息が白い町並みに溶けていった。
軽くなった足取りで、新雪を力強く押し退けて、僕は紅里ちゃんの家へ急いだ。
- 218 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 18:33:23 ID:HAeH9QKg0
-
雑貨屋の正面までたどり着く。
紅里ちゃんの家は、もう目と鼻の先だ。
僕から見て大通りの反対側にある、細い路地を入ってすぐ右。
ここからでも家が見えているくらいだ。
親の運転で空港まで行くと言っていたけど、玄関先に車はない。
予定の時間にはまだ少し早いことを考えると、これから出発するはずだ。
間に合ったことにほっと一息つきながら、大通りを渡るタイミングを探り始めた。
そのとき、家に隣接した駐車場から、見慣れた車が出てきた。
何度も乗った、紅里ちゃんの家の車だった。
('、`*川
大きなキャリーバッグを押しながら、紅里ちゃんが車の前までやってくる。
彼女の趣味とは程遠い厚手のコートを羽織って、学校指定の鞄を肩から下げていた。
「あ、まずっ……」
すぐにでも駆け寄りたいところだが、大通りを行き交う車はなかなか途切れてくれない。
いけるか、というときに限って新しく車が曲がってきたり、どうにもタイミングが悪い。
そばにある信号が変わって渡れるようになるのと、どちらが早いだろうか。
- 219 :AAが抜けてたので>>218の修正:2014/03/14(金) 18:35:44 ID:HAeH9QKg0
-
雑貨屋の正面までたどり着く。
紅里ちゃんの家は、もう目と鼻の先だ。
僕から見て大通りの反対側にある、細い路地を入ってすぐ右。
いまいる位置からでも家が見えているくらいだ。
親の運転で空港まで行くと言っていたけど、玄関先に車はない。
予定の時間にはまだ少し早いことを考えると、これから出発するはずだ。
間に合ったことにほっと一息つきながら、大通りを渡るタイミングを探り始めた。
そのとき、家に隣接した駐車場から、見慣れた車が出てきた。
何度も乗った、紅里ちゃんの家の車だった。
('、`*川
大きなキャリーバッグを押しながら、紅里ちゃんが車の前までやってくる。
彼女の趣味とは程遠い厚手のコートを羽織って、学校指定の鞄を肩から下げていた。
(;´・ω・`)「あ、まずっ……」
すぐにでも駆け寄りたいところだが、大通りを行き交う車はなかなか途切れてくれない。
いけるか、というときに限って新しく車が曲がってきたり、どうにもタイミングが悪い。
そばにある信号が変わって渡れるようになるのと、どちらが早いだろうか。
- 220 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 18:36:27 ID:HAeH9QKg0
-
いっそ、ここから声をかけてしまおうか。
そんな思考が頭をよぎったとき、車の流れが途切れた。
(;´・ω・`)「……! いまだ!」
しっかりと左右を確認してから、滑らない程度に駆け出す。
ぐちゃぐちゃになった雪の塊を踏んでしまい、靴の中が気持ち悪い。
だけど、そんなことで止まっている暇はなかった。
(;´・ω・`)「紅里ちゃーん!」
大通りを渡り切ったところで、僕は近所への迷惑も考えずに叫んだ。
('、`;川「ショボ!?」
家族の誰かを待っていたのか、ずっと家の方を見ていた紅里ちゃんがこちらを向いた。
そして、僕を見るなり小さな目を丸くして、訳が分からないとばかりに彼女も叫んだ。
('、`;川「なに? どうしたの? てか、なんでいるの?」
(;´・ω・`)「あ、の……ちょ、まっ、て」
キャリーバッグを置き去りにしてこちらにやってきた紅里ちゃんは、矢継ぎ早に尋ねてくる。
答えたいのはやまやまだけど、走ってきたばかりの僕は、呼吸を整えるので精いっぱいだ。
- 221 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 18:39:47 ID:HAeH9QKg0
-
(;´・ω・`)「見送りくらい、しておきたいな、って」
呼吸が整ってきたところで、僕は簡潔に理由を説明した。
その裏に隠されている、ひとりでいるときに考えた、色々なことについては言わない。
というより、言えるわけがなかった。
('、`*川「そうだったんだ……ありがと」
(;´・ω・`)「迷惑だったら、ごめん」
('ー`*川「そんなことないって。すっごい嬉しい」
少なくとも嘘ではない理由を聞くと、紅里ちゃんは頬を緩ませた。
笑ったときにふっ、と漏れた吐息は一瞬、雲のように宙を漂い、すぐにほどけて消えた。
(´・ω・`)「あの、よかったらこれ……」
もうすぐ出発するなら、あまり時間をかけるべきではないだろう。
そう思って、コートのポケットからお守りを取り出した。
('、`*川「あ、もしかしてこれ、お守り?」
僕が渡すよりも、言うよりも先に、紅里ちゃんが感付く。
少し、嫌な予感がした。
- 222 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 18:42:07 ID:HAeH9QKg0
-
(´・ω・`)「うん……支辺谷神社の」
('ー`;川「あー……」
僕がそう答えるなり、紅里ちゃんは困ったように笑った。
それから、おもむろに肩から下げた鞄を体の前まで持ってくる。
(;´・ω・`)「……あっ」
('ー`;川「あはは……そういうこと」
紅里ちゃんがつまんでみせたのは、鞄にくくりつけられた支辺谷神社のお守りだった。
僕が渡したお守りと、寸分違わず同じものだった。
(;´・ω・`)「……ごめん」
少し考えれば分かるはずのことだった。
受験生なのだから、お守りくらい持っていると。
そして、お守りを買うとしたら当然、近場の神社になると。
('、`;川「あ、謝らなくていいよ! わたしのこと、心配して買ってくれたんでしょ?」
(;´ ω `)「……」
('、`;川「ふたつあればきっとご利益も二倍だし! だからそんな顔しないでってば!」
- 223 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 18:45:03 ID:HAeH9QKg0
-
いまの僕はそんなに元気がなさそうに見えるのだろうか。
試験を直前に控えた受験生に、気を使わせてしまうくらいに。
自分で自分が嫌になってくる。
気の利かせ方が下手なのはもちろんだ。
だけど、それ以上に嫌なのは。
(´ ω `)「……そうだね。見送りなのに、辛気臭い顔してられないよね」
紅里ちゃんが僕に構ってくれるのを、心のどこかで嬉しく思ってしまっていることだった。
('、`*川「そうそう、景気よく送り出してくれなきゃ困るよー?」
(´・ω・`)「だったら応援でもしようか?フレーフレー、って」
('、`;川「それはちょっと恥ずかしいかな……」
無理矢理に笑顔を作って、軽口を叩く。
紅里ちゃんの反応から察するに、どうやら上手くできているらしい。
- 224 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 18:48:08 ID:HAeH9QKg0
-
(;´・ω・`)「いや、冗談だって」
('、`*川「それくらい分かってますってばー」
久しぶりの会話は月並みなもので、それでも楽しくて仕方がなかった。
出発前の貴重な時間を浪費させていることに心は痛み、同時に躍っていた。
('、`*川「あ……そろそろ行かないと」
思い出したように、紅里ちゃんが腕時計を見て呟く。
ふと紅里ちゃんの肩越しに見た車のそばでは、彼女の両親が暇そうにこちらを見ていた。
とりあえず、いまさらながら軽く会釈をしておいた。
(;´・ω・`)「時間とらせてごめん。大丈夫?」
('、`*川「うん、かなり余裕とってあるから」
(´・ω・`)「そっか、よかった……頑張って」
('、`*川「……ん。それじゃ、いってきます」
軽く手を振って、紅里ちゃんは家の方へ引き返していった。
その背中は、いつもより少しだけ小さく見えた。
- 225 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 18:51:04 ID:HAeH9QKg0
-
紅里ちゃんが助手席に乗り込んでから、車が走り出すまでにそう時間はかからなかった。
車が大通りに出て視界から消えるまで、僕はずっと目で追い続けていた。
久しぶりに会った紅里ちゃんは、普段通りのように見えた。
正確には、普段通りを装っているように見えた。
行動も、言動も、僕が好きな伊藤紅里とは少し違う気がした。
やっぱり、周囲に心配をかけないように、と気丈に振る舞っているのかもしれない。
僕は紅里ちゃんの力になれたのだろうか。
むしろ、逆に負担になってしまったのかもしれない。
実際はどうだったのか、僕には分からない。
(´・ω・`)「……帰ろう」
いつまでも立ち尽くしている自分に言い聞かせるように呟いた。
用が済んだら帰るべきだ。靴の裏が凍って、道路に張り付いているわけでもないのだから。
せめて、僕が抱いた楽しさのかけら程度でも、紅里ちゃんが楽しいと思ってくれていたらいい。
そんなことを考えながら、濡れたせいで重みを増した足で一歩、踏み出した。
- 226 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 18:54:40 ID:HAeH9QKg0
-
再び訪れた長く、空虚な時間をなんとか耐えているうちに、夜になった。
(´・ω・`)「……はあ」
夕飯を食べ終えて、自分の部屋に戻ってくる。
背中からベッドに倒れ込むと、大きなため息が漏れた。
もうすぐ退屈な一日が終わるという解放感を、少なからず感じていた。
(´・ω・`)「紅里ちゃん……どうしてるかな」
何事もなければ、とっくに親戚の家に着いているはずだ。
いまごろ、僕と同じように夕飯を食べたり、あるいはお風呂に入っているのかもしれない。
旅の疲れもあるだろうし、今日くらいは勉強も控えめなのだろうか。
気にし始めると、歯止めが効かなくなってくる。
いっそのこと、メールでも送ろうかと携帯を開いた。
気遣うような文面で送れば、返信も何度か来るかもしれない。
(;´・ω・`)「……馬鹿か、僕は」
自分の思考に嫌気がさして、ひとりごちる。
疲れているなら、ゆっくりと休ませてあげるべきだ。
勉強をしているなら、邪魔をしてはいけない。
- 227 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 18:57:02 ID:HAeH9QKg0
-
一瞬だとしても、僕は大きな勘違いをしていた。
今日はサプライズがたまたま上手くいっただけだ。
というよりも、紅里ちゃんが上手くいかせてくれた、と言った方がいい。
それで気を良くするのは、間違っている。
だけど、どんな形でも上手くいったからこそ、その勢いに乗るべきなんじゃないか。
散々押し殺してきたのだから、今日くらい調子に乗ってもバチは当たらないはずだ。
正反対の意見が、頭の中で混ざることなく渦巻いている。
内心が激しくかき乱されているせいか、胸のあたりがむかついてきた。
(´ ω `)「……くそっ」
軽く悪態をつくと、少しだけ気持ちが楽になった。
でも、それも一時的なものに過ぎないだろう。
かたく握りしめていた携帯を、床に放り投げた。
このままだと、気付かないうちに間違いを起こしそうな気がしたからだった。
(´ ω `)「まだ……まだ、大丈夫だ」
いまは耐えなければならないときだ。
すべて終われば、満ち足りた時間が戻ってくる。
そのためなら、この寂しさも押し殺せる。
気を紛らわせようと、手の届かないところまで転がった携帯を見つめた。
ほどなくして、開かれたままだった画面から、光が失せた。
- 228 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:00:29 ID:HAeH9QKg0
-
結局、その日はメールを送らなかった。
次の日も、そのまた次の日も送らなかった。
送れなかったとも、送るわけにはいかなかったとも言えるだろう。
試験当日の朝、僕は意を決して応援のメールを送った。
手短だったけど、文面に細心の注意を払って、慣れない絵文字も使ってみた。
送る時間も、紅里ちゃんが試験会場に向かっているはずの時間を選んだ。
早すぎて起こしてしまったり、遅すぎて携帯の電源を切られてしまうことを避けるためだった。
返信には期待していなかった。完全な僕の自己満足だった。
皮肉なことに、ここ最近で一番純粋に紅里ちゃんを思いやれていた気がする。
そのことに対する、ささいな見返りだったのかもしれない。
紅里ちゃんからの返信が来るまで、10分もかからなかった。
「ありがとう。がんばるね」
一行しかない、顔文字もないメールだったけど、頬が緩んだ。
人ごみの中を、あの地味なコートを着て歩く紅里ちゃんを想像する。
想像の中の彼女は寒さで頬を赤く染め、表情は緊張のせいで硬かった。
途端に僕まで不安になってきて、思わず支辺谷神社に駆け込み、祈った。
紅里ちゃんが笑って帰ってこれますように、と。
一月も後半に差し掛かろうかという頃のことだった。
〜〜〜〜〜〜
- 229 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:01:57 ID:F/W4U0rw0
- しえん
- 230 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:03:44 ID:HAeH9QKg0
-
それは受験も終わって、紅里ちゃんが帰ってきた日の夕方だった。
('、`*川「すいませーん」
居間でひとり、のんびりとくつろいでいると、突然インターホンが鳴った。
宗教の勧誘やセールスかと思いながら、しぶしぶ外を覗くと、なんと紅里ちゃんが立っていたのだ。
(;´・ω・`)「ん? え、なんで?」
予想もしていなかった事態に、思わず動揺の声を漏らさずにはいられなかった。
とりあえず、早くドアを開けてあげなければならない。
外の寒さは想像に難くない。握りしめたドアノブはすっかり冷え切っている。
(;´・ω・`)「あっ」
なのに、鍵をかけたまま開こうとしてしまう始末だ。
笑えないくらいの焦りっぷりに、少し間を作るべきだと自分に言い聞かせる。
ドアノブから手を離し、一呼吸の間を置いた。
その間に、様々な想いが浮かんでは消えていった。
- 231 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:06:42 ID:HAeH9QKg0
-
会いたくなかったわけじゃない。
むしろ、バスに乗って空港まで迎えに行きたかったくらいだ。
そうしなかったのは、迷惑をかけたくなかったからだ。
再び一人になった数日間で、どれだけ自分の行動を悔やんだか分からない。
同じ数だけあれでよかった、と思い直しもしたけど、いまはまた悔やんでいる状態だ。
あまり考えたくはないけど、試験の出来がよくなかった、なんて場合もある。
そんなときにのんきな顔をして接してこられたら、どう思うか。
普段は親しい間柄だとしても、疎ましく思ってしまうこともあるかもしれない。
そうなってしまったとき、離れてしまうことが怖かった。
会うことができないとか、肉体的な意味じゃない。心と心が、という意味だ。
一度でも心の繋がりが切れてしまったら、もう紅里ちゃんのそばにはいられない気がしていた。
(´・ω・`)「……よし」
欲は出さない。深入りはしない。
固く誓ってから、鍵を開けてドアを開いた。
('、`*川「よっ、元気だった?」
あの不格好なコートを着た紅里ちゃんは、そう言いながら右手を軽く振った。
- 232 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:09:11 ID:HAeH9QKg0
-
(´・ω・`)「まずはおかえり、紅里ちゃん。こっちはなんともなかったよ」
('、`*川「あ、忘れてた……ただいま」
紅里ちゃんの視線が、僕の全身を上から下までなぞる。
('ー`*川「うん。元気そうでよかった」
再び顔を上げた紅里ちゃんは、満足気に頷いた。
その声色は、表情は、優しそうにも、寂しそうにも見えた。
('、`*川「これおみやげ。空港で売ってたやつだからたぶん美味しいよ」
(;´・ω・`)「うわ、あ、ありがとう」
脇に抱えていた、コートと同じ色をした袋を差し出される。
一見して分からなかったので、少し驚いてしまう。
袋から取り出してみると、包装紙には新富ばななと書かれていた。
どうやら、これを届けるためにわざわざ来てくれたらしかった。
疲れもあるはずなのに、ありがたい限りだった。
- 233 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:12:09 ID:HAeH9QKg0
-
(´・ω・`)「……」
('、`*川「……」
ぷっつりと会話が途切れてしまう。
用事を済ませたはずの紅里ちゃんは帰ろうとしない。
寒空の下、家に上がるでもなく、虚空を見つめて立ち尽くしている。
紅里ちゃんの様子がおかしいのは明らかだった。
会話を続けるのは簡単だ。
試験はどうだったのか。どうかしたのか。
目の前に話の種はいくらでも転がっている。
だけど、そこに触れてはいけないはずだ。
様子がおかしいのは、おそらく、試験の出来がよくなかったせいだ。
そうだったとして、なぜ紅里ちゃんは僕に会いに来たのだろう。
紅里ちゃんは、僕に何を求めて、ここにいるのだろう。
慰めてほしいのかもしれない。だけど、そのためには傷に触れる必要がある。
僕はどうすればいいのか、決めかねたまま動くことすらできない。
- 234 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:15:08 ID:HAeH9QKg0
-
('、`*川「あのね、ショボ」
宙をさまよっていた紅里ちゃんの視線が、僕を捉えた。
真っ赤に染まる頬も、耳も、寒さのせいだ。
そこに甘い理由が存在する余地なんて、ない。
(´・ω・`)「何?」
('、`*川「こんなことお願いするの、申し訳ないんだけど……」
(´・ω・`)「……うん」
( 、 *川「わたしのこと……結果が出るまでそっとしておいてほしいの」
どうやら僕の考えていた通りだったらしい。
だったら、これから話すこともある程度は予想できた。
( 、 *川「試験……あんまりよくできなかったかな、って」
(;´・ω・`)「そうなんだ……」
( 、 *川「正直、すごい不安で、思い出すだけで泣きそう」
みるみる声のトーンが下がっていって、ついに紅里ちゃんは顔を伏せた。
ひと言、またひと言と絞り出すのがやっとのようだった。
- 235 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:18:17 ID:HAeH9QKg0
-
( 、 *川「それで、もしも、ショボにあたるようなことがあったら、いやだな、って思うから」
紅里ちゃんが話し終わるまで、僕は黙って待つことにした。
彼女が何かよくないことを言おうとしているのは、すぐに分かった。
話し終えたら、優しく否定してやろう。
なだめるように、そっと触れてやろう。
いまはきっと、いつもより強引にならないといけないときなのだ。
( 、 *川「そう、思うから……結果が出るまでの二週間、わたしのこと、そっとしててほしいの」
話を締めくくって、紅里ちゃんは顔を上げて僕を見つめた。
唇を固く結んで、うるんだ目は少し赤くなっていた。
泣き出すのをこらえている子供のようだった。
少しつついてやれば、紅里ちゃんはすぐに泣き出すだろう。
そんなことないよ、とか。それでも構わないよ、とか。
僕が思っていることをそのまま言ってやればいい。
それだけで、簡単に決意を揺らがせることができるはずだ。
(´ ω `)「……そっ、か」
それだけでいいはずなのに。
口に出せたのは、雪に吸い込まれて、消えてしまいそうな相づちだけだった。
- 236 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:21:13 ID:HAeH9QKg0
-
あたられたって構わないと、一緒にいたいと、言ってやるつもりだった。
紅里ちゃんが自ら傷に触れてきたなら、僕も臆せず触れるべきだと思っていた。
それも、泣き出しそうな表情で見つめられるまでの話だけど。
紅里ちゃんの負った傷は深い。
自分でそっと触れただけで、泣き出しそうなほどに。
ならば、他人の僕が触れたらどうなるのだろう。
僕のそっと、が紅里ちゃんのそれと同じだとは限らない。
触れたせいで痛がらせて、泣かせてしまう可能性も十分にありえる。
はたして、そうすることが正解なのだろうか。
いや、きっと違う。
紅里ちゃんが望んでいるのは、僕が傷に触れないことだ。
そのために、彼女は痛みに耐えながら、自ら傷に触れている。
それならば、僕がすべきことは、できることは、ひとつしかないだろう。
(´ ω `)「……分かったよ」
何もかも押し殺して、紅里ちゃんの頼みを受け入れる。それだけだ。
〜〜〜〜〜〜
- 237 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:24:53 ID:HAeH9QKg0
-
紅里ちゃんは結果発表の日を告げたあと、家に上がることもなく帰っていった。
帰り際に覗かせた安堵の表情が、僕の選択はきっと正しかったのだと思わせてくれた。
.
- 238 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:26:07 ID:HAeH9QKg0
-
それからの二週間は、何もなかった。
自分の行動を悔やみながら、孤独に耐えるだけの空白な日々が続いた。
それはまるで、町並みから水平線まで白く染まった支辺谷の景色のようだった。
〜〜〜〜〜〜
- 239 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:27:28 ID:HAeH9QKg0
-
授業の終わりを告げるチャイムを合図に、教室は一気に騒がしくなる。
僕は席を立つと、喧噪から逃げるように教室を飛び出した。
廊下を小走りで駆けていくうちに喧噪はどんどん小さくなり、ついに聞こえなくなった。
それでも僕は走り続けた。
なるべく静かで、人気のない場所に行きたかったからだ。
階段を降りて、一階の多目的スペースまで来たところで、ようやく立ち止まる。
まだ一時間目が終わったばかりだ。人はまばらで、物音もほとんどない。
ここなら大丈夫だろう。
呼吸を整えて、ズボンのポケットから携帯を取り出す。
着信があったことを示すランプが点滅していた。
いきなり携帯が震え出したのは、一時間目が半分ほど過ぎた頃だった。
震えている時間の長さからして、電話がかかってきているらしかった。
守っている人間はごくわずかだけど、校則では携帯を持ってくることは禁止されている。
なので、授業中に着信音でも鳴ろうものなら、一応は没収されてしまう。
とはいえ、出るわけにもいかずにしばらく放置していると、震えは収まった。
しかし、何事もなくほっと胸を撫で下ろした瞬間、また電話がかかってくる。
こんな具合の心臓に悪い流れが二、三回繰り返されたのだった。
- 240 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:30:14 ID:HAeH9QKg0
-
こんなことをするのは誰なのか、察しはついていた。
あの日から、今日でちょうど二週間だ。
このタイミングで僕にひっきりなしに電話をかけてくる相手なんて、ひとりしかいない。
そしてその理由も、ひとつしか思い浮かばない。
(´・ω・`)「……やっぱり」
開いた画面に映し出された名前を見て、ため息混じりに呟く。
電話をかけてきた相手は伊藤紅里。着信件数は4件。
画面の暗くなった部分に映る僕は、我ながら嬉しそうに笑っていた。
(´・ω・`)「もしもし?」
「ショボ!? ショボ!?」
通話が始まるなり、紅里ちゃんの大きな声が僕の耳に突き刺さった。
音が割れてしまうほどの大きさに、反射的に携帯を耳元から離してしまう。
「聞いて、あの! いまね! わたし……あれ、ショボ?」
握りしめた携帯の向こう側で、興奮気味に紅里ちゃんはまくしたてる。
しかし、返事がないことにさすがに気付いたらしく、だんだんと声色が落ち着いてくる。
頃合いを見計らって、僕は携帯を耳元に持っていった。
一応、音量はいくらか下げておくことにした。
- 241 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:33:02 ID:HAeH9QKg0
-
(;´・ω・`)「あー、紅里ちゃん?」
「ショボ! わたしね、わたしね!」
ようやく会話が始まるが、紅里ちゃんのテンションも再び上がり始める。
どうやら、音量を下げておいて正解だったらしい。
「受かってた! 合格してたの!」
電話してきた理由は予想通りだった。
しかし、この紅里ちゃんの喜びようまでは予想外だった。
「第一希望じゃないけど、大丈夫、だった!」
結果を口にするたび、紅里ちゃんの話す声に嗚咽が混じり出す。
もう大丈夫だという安心感で、ずっと張り詰めていた気持ちの糸が切れてしまったのだろう。
それにしても、あの紅里ちゃんが泣いてしまうなんて。
僕の記憶にある限り、泣いているところなんて見たことがなかったから驚くばかりだ。
よほど試験の出来に自信が持てなかったらしい。
(´‐ω‐`)「そっか。よかったよ……本当によかった」
紛れもない本音だった。
この二週間、紅里ちゃんは僕の何倍も辛い思いをしてきたに違いない。
そんな日々が終わって、ようやく肩の荷を下ろせたのだ。
これを一緒に喜べないで、何が恋人だ。
- 242 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:36:15 ID:HAeH9QKg0
-
「ありがと……ごめんね、ひどいこと言っちゃって、ごめんね」
紅里ちゃんが言っているのは、二週間前のことだろう。
おそらく、彼女は僕の内心をある程度は分かっていた。
その上でそっとしておいて欲しい、と言ったのだから、確かにひどいのかもしれない。
(´‐ω‐`)「いいよ……よかったんだ、あれで。だから気にしないでよ」
結果として僕らの間にいざこざは起きなかった。
そしていま、こうして喜びを分かち合うことができている。
だからきっと、あのときの選択は正しかった。
(´・ω・`)「おめでたいことがあったんだし、謝るとかなしにしよう。ね?」
「うん……うん……」
僕自身がどうなったとしても、相手の心を傷つけるよりは、ずっとましだったはずだ。
- 243 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:39:12 ID:HAeH9QKg0
-
「そうだ……今夜、うちでお祝いするんだ」
(*´・ω・`)「へえ、いいね。派手に祝ってもらいなよ」
落ち着きを取り戻した紅里ちゃんが、思い出したように言う。
ドクオを除けば、彼女に似て賑やかな家族だった記憶がある。
豪勢な出前でも取ったりして、今夜は大騒ぎに違いない。
「あれ……ショボ、もしかして聞いてない?」
(´・ω・`)「えっ?」
内心羨ましいと思いながら答えると、なぜか紅里ちゃんは意外そうに尋ねてきた。
そんなことを言われても、何を聞いていないのか想像すらつかない。
どうして紅里ちゃんの合格のお祝いに僕が関わってくるのだろう。
「ちょっと待ってて……お母さーん、まだ言ってないのー?」
紅里ちゃんはいったん会話を中断させて、おそらく遠くにいるおばさんに呼びかける。
間を置かずに小さくおばさんの声が聞こえたけど、何を言っているかまでは聞き取れなかった。
「ごめん、まだ連絡してなかったみたい……」
「あのね、うちの親、ショボの家の人もみんな呼んでお祝いするつもりなんだって」
〜〜〜〜〜〜
- 244 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:42:08 ID:HAeH9QKg0
-
急なお誘いを受けて、迎えた夜。
僕を含めた諸本一家は紅里ちゃんの家にお邪魔していた。
('A`)「なんかわりぃな、うちの親が急に言い出してさ」
僕の隣にやってきたドクオは、コーラをあおって言う。
それから、持ってきた小皿からねぎとろ巻きをひとつ、口に運んだ。
(*´・ω・`)「いいよ、おかげで美味しいもの食べれるし」
呆れたような視線を前方に向けるドクオに、僕は笑いながらそう返した。
疲れ気味の顔が、失礼ながらどこかおかしく見えたからだった。
('A`)「礼なら姉ちゃんに言ってくれよ」
(´・ω・`)「言えたら、ね」
僕も小皿からねぎとろ巻きをひとついただいて、ドクオを同じ方向に視線を向ける。
('、`;川「だから、わたし未成年なんですってば、おじさん!」
すっかりできあがった大人たちに囲まれた紅里ちゃんが、父さんにお酌されそうになっていた。
- 245 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:44:58 ID:HAeH9QKg0
-
当然、最初は真面目なお祝いの席だった。
うちの両親は受験勉強について、紅里ちゃんに熱心に聞いていたりもした。
それが、酒が進むうちに話題が紅里ちゃんの昔話になり、いまの話になり。
いつの間にか、話題の中心だった彼女は、大人に囲まれて本当に中心になってしまったのだ。
('、`;川「え? 飲んだことくらいあるでしょって……まあ、あるっちゃ、ありますけど」
空になったグラスに手で蓋をして、歯切れ悪く話す紅里ちゃん。
高校生なら珍しい話じゃないのは、大人たちも分かっているだろう。
だから、身内相手に言いよどむような話ではないはずだ。
なのに、後ろめたそうにしているのは、クリスマスのことが脳裏にあるからだろう。
一応、クリスマスにワインを飲んだことは、ふたりだけの秘密になっている。
加えてあの夜は、親には知られたくないことが多すぎる。
秘密に繋がりかねない話題だから、紅里ちゃんもあんな調子なのだと思った。
('∀`)「……ワインとかな」
(;´・ω・`)「ぶっ!」
- 246 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:48:07 ID:HAeH9QKg0
-
(;´ ω `)「がっ、は、ごぇ」
ドクオがぽつりと呟いた、まさかのひと言に動揺してしまう。
飲み込もうとしていたねぎとろ巻きが、気管に入って咳が止まらない。
('∀`)「あぶね、これ秘密だったな。わりぃわりぃ」
いまだにむせる僕に、こっそりと耳打ちするドクオ。
その声色は反省しているようには聞こえない。
というより、込み上げてくる笑いを押し殺しているのが丸わかりだ。
(;´・ω・`)「な、んで、お前がっ」
('A`)「なんでって……そりゃ分かるだろ。ラベルはがされてたけど、空きビンあったし」
(;´・ω・`)「……わざわざ調べたのか、暇人」
(;'A`)「うっせ、そこまで暇人じゃねえよ。ゴミに出すときに香りがしたから、たまたまだっつの」
どうやら、紅里ちゃんが喋ったりしたわけではないようだ。
それに口ぶりからして、ばれているのはドクオにだけ、らしい。
ならば、紅里ちゃんと僕にクリスマスの話題が振られる可能性は低そうだ。
あの包囲網の中に入るのは、紅里ちゃんには悪いけど遠慮願いたい。
- 247 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:51:13 ID:HAeH9QKg0
-
('∀`)「お? お呼びだぜ、カ・レ・シ」
そう思った途端、父さんが僕にこっちに来るよう促した。
紅里ちゃんの隣の床をばしばしと叩く姿からは、嫌な予感しかしない。
(#´・ω・`)「……」
(;'A`)「いっだ! 何すんだよ!」
(´・ω・`)「なんかむかついたから」
もちろん、行きたくはない。しかし、この状況で逃げるのは無理だろう。
とりあえず、煽ってきたドクオを頭を一発はたいてから、重い腰を上げた。
僕の気をよそに楽しそうな大人たちの元へ、のろのろと歩いていく。
ふと、紅里ちゃんと目が合う。
結局、ビールを注がれてしまったグラスを手に、困り果てたような笑みを浮かべていた。
(´・ω・`)「何? どうしたの?」
大人たちにはやし立てられ、促されるがまま隣に座る。
開口一番、僕は紅里ちゃんに何があったのかを尋ねた。
ドクオと話していて、こっちでどんな会話がされていたのか把握できていなかったからだ。
- 248 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:53:49 ID:HAeH9QKg0
-
('ー`;川「はは……彼氏はほっといていいのか、ってさ」
紅里ちゃんは乾いた笑い声を漏らすと、潤いを求めるようにグラスに口をつけた。
二、三度、喉が大きく動いたあと、ビールの量は一気に減っていた。
おそらく、元いた場所からでも、減ったのがはっきりと分かるだろう。
('、`;川「そりゃ、よくはないけど……ねえ?」
その言葉に、四方を囲んだ大人たちはにわかに沸き立つ。
酒の勢いで、かなり都合のいい捉え方をしているのだろう。
僕と紅里ちゃんをそっちのけに盛り上がっているのが、なによりの証拠だ。
受験のせいで疎遠だったとはいえ、この場に限っては放っておいてくれた方がよかったでしょう。
紅里ちゃんが本当に僕に言いたかったのは、そういうことなのだろう。
(;´・ω・`)「ああ、うん。ほんと、ね」
僕は紅里ちゃんの言葉に何度も、何度も頷いた。
それを見た大人たちは、さらに勘違いを加速させていく。
その騒がしさといったら、伊藤家の今後の近所付き合いが心配になるほどだ。
- 249 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 19:57:03 ID:HAeH9QKg0
-
(´・ω・`)「まあ、何にせよ……改めまして、合格おめでとう。本当によかった」
視線が集中する中、面と向かって話すのは妙に照れくさかった。
体の中に熱がこもっているように感じられる。じんわりと汗がにじみ出てくる。
そのせいなのか、全身がむず痒くて仕方なかった。
('ー`*川「ありがと……こういう言葉って、何回聞いても、嬉しいものだね」
それは紅里ちゃんも同じだったらしい。
鼻先をかいてみたり、前髪をいじってみたり、落ち着かない様子だ。
(*´・ω・`)「……うん」
('ー`*川「……あはは」
泳ぎっぱなしだったお互いの視線が、初めてぶつかる。
紅里ちゃんの顔はのぼせているのか、酔っているのか、ほんのりと紅く染まっていた。
気恥ずかしさに耐え切れず、動悸が激しくなったのを合図に、僕はそっぽを向いた。
視界の隅で、紅里ちゃんが同じタイミングで顔を逸らしたのが見えた。
若い若いと煽る大人たちの声が、遠くに聞こえた気がした。
- 250 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 20:00:16 ID:HAeH9QKg0
-
('、`;川「はい、もういいでしょ! おわりおわり!」
このままでは埒が明かないと踏んだのだろうか。
紅里ちゃんは強引に僕を輪の外に押し出そうとする。
(;´・ω・`)「ったた、ちょ、ちょっと待って……」
僕が立とうとしても押し続けるので、バランスを崩しそうになる。
それでも、父さんの膝につまずいて危うく転びそうになりながら、僕は輪から抜け出せた。
一方、内側では紅里ちゃんが、一斉に不満を口にする大人たちをあしらっている。
(;´・ω・`)「助かった、それじゃ」
近くにいてまた捕まる前に、僕はそそくさと立ち去ることにしよう。
去り際、髪の薄くなり始めた父さんの頭の向こう側に見える紅里ちゃんに、手短にそう伝えた。
('ー`*川「ん」
紅里ちゃんは一瞬だけこちらを向いて、満足そうに小さく頷いた。
そして次の瞬間には、また大人たちに負けないトーンで話し始めたのだった。
- 251 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 20:02:58 ID:HAeH9QKg0
-
(;´・ω・`)「……疲れた」
('∀`)「お疲れさん、見てる分には楽しかったぜ」
(;´・ω・`)「……だろうね」
戻ってきた僕を、ドクオはにやつきながら迎えた。
また頭をはたいてやりたかったけど、そうする元気すら残ってなかった。
それを見越したうえでの、この態度なのかもしれないけど。
さっきと同じ場所に座り直して、小皿に視線を落とす。
僕がいない間に、ねぎとろ巻きはすべて食べられてしまっていた。
仕方なく、乾き始めたかっぱ巻きをひとつ、口に放り込んだ。
('、`#川「だ、か、ら! それ聞かれて答えると思ってんの? このエロ親父!」
聞こえてきた紅里ちゃんの苛ついた声に顔を上げる。
ちょうど、おじさんの頭をはたいて、ぱちんと抜けのいい音が鳴り響いたところだった。
きっとろくでもない、下世話な話でも振られたのだろう。
その様子を見て他の大人も、ドクオもげらげらと笑っていた。
- 252 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 20:07:49 ID:HAeH9QKg0
-
こうして騒げるのも、紅里ちゃんの受験が無事に終わったからこそだ。
この中で一番大声で笑い、騒ぎたいのは彼女だろう。
明日からは一年間我慢した分、思いきり羽を伸ばせるのだから。
きっと、一緒にいられる時間も増えるだろう。デートも何回でもできる。
例えば、またドライブに行くのもいいかもしれない。
たしか隣町の滝見までは、一時間程度だったはずだ。
少し遠出して、所知なんかもいいだろう。
流氷も、砕氷船も支辺谷にあるけど、遠出する、という響きが大事だ。
なにせ、自由な時間はいくらでもある。
新生活の準備で、また新富に行くこともあるかもしれないけど。
(´・ω・`)「準備……新、富……」
ふと、自分の思考に、妙な引っかかりを覚えた。
何もおかしいことはない。
進学で上京するなら、誰でもすることだ。
その準備は当然、上京する少し前に行われる。
だったら、準備が終わって、紅里ちゃんが上京するのは、いつだ。
そして、いまは、いったい何月だ。
僕たちは、あとどれだけ一緒にいられるんだ。
- 253 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 20:10:02 ID:HAeH9QKg0
-
僕は気付いてしまった。
いや、ずっと、見て見ぬふりをしていた。
僕たちが付き合い始めたときから。
この結末は見える場所に、距離にあったはずなのに。
僕たちの関係は、もうすぐ終わる。
例え、どんなに好き合っていても、関係なく引き離される。
強い想いさえあればそれでいいなんて恋愛は、させてもらえなくなる。
好きという気持ちが、僕たちのすべてでいられる日々は、あとわずかになっていた。
('ー`*川
いつの間にか、大人たちの話題は合格のお祝いに戻っていた。
輪の中心で締まりなく笑う紅里ちゃんの姿は、僕の眼前に終わりを突き付けていた。
- 254 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 20:10:56 ID:HAeH9QKg0
-
エンドロールは滲まない
第五話 「好き」がすべてだった日々
終わり
.
- 255 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 20:12:13 ID:HAeH9QKg0
- 以上で第五話の投下は終了です。
いまさらですけど、今年もよろしくお願いします。
最後に質問、感想、批評など自由に書いていってください。
- 256 :名も無きAAのようです:2014/03/14(金) 20:17:22 ID:j0wMuUiQ0
- おつ
- 257 :名も無きAAのようです:2014/03/15(土) 06:35:32 ID:XAHq8wrQ0
- 乙
- 258 :名も無きAAのようです:2014/03/15(土) 15:40:03 ID:I/wq5mI.0
- 乙です!
- 259 : ◆LemonEhoag:2014/08/31(日) 19:59:16 ID:Kf2nAHbY0
- 投下開始します。
なお、今回からこちらの酉を使用します。
- 260 : ◆LemonEhoag:2014/08/31(日) 20:05:36 ID:Kf2nAHbY0
-
トレイに乗せられている紙の内容を、なんとなく目で追っていたときだった。
('A`)「なあ」
静かに語りかけてきたドクオの声に、僕は顔を上げた。
今日のファーストフード店は、珍しいことに客が少ない。
いつもならうるさくて聞こえない大きさの声でも、すぐに気付くことができた。
(´・ω・`)「ん?」
('A`)「お前さ、大丈夫なの?」
何の脈絡もない、さっきまでしていた他愛もない話とは、まったく関係ない質問だった。
その言葉をそっくりそのまま返してやりたくなるくらいに。
(;´・ω・`)「……」
もしも、そうすることができたら、どれだけよかっただろう。
長い前髪越しに、ドクオの眼差しが僕を射抜いてくる。
息苦しさを覚えて、自然と呼吸が深くなるが、何かが詰まったような感覚は消えない。
逃げるように、ドクオの背後へと視線の焦点を移した。
- 261 : ◆LemonEhoag:2014/08/31(日) 20:09:17 ID:Kf2nAHbY0
-
奥の席では、大学生らしき男が机にノートPCを広げていた。
彼の背後にある大きな窓の向こうでは、先刻から降り続いていた雪が、さらにその勢いを増していた。
一片の大きさも、この位置からでもはっきりと見えるほどだ。
雪国の支辺谷とはいえ、大雪と呼んで差し支えないレベルだった。
流氷が接岸してから気温はさらに落ち込み、寒さはいまがピークを迎えている。
逆を言えば、これからは春に向けて気温が上がっていくということだ。
そう、春に向けて。
今日は2月14日。バレンタインデー。
新年度まで、あとひと月と半分。
今日も、紅里ちゃんはいない。
- 262 : ◆LemonEhoag:2014/08/31(日) 20:12:37 ID:Kf2nAHbY0
-
エンドロールは滲まない
第六話 GirlfriEND
- 263 : ◆LemonEhoag:2014/08/31(日) 20:15:08 ID:Kf2nAHbY0
-
紅里ちゃんはおばさんといっしょに、再び新富に行っている。
ひとり暮らしする部屋を探すためだ。
時期がバレンタインと重なってしまったのは飛行機の都合であって、まったくの偶然だった。
そのことに関しては何度も謝られたし、僕も責める気はなかった。
むしろ、やつ当たりするほど心に余裕がなくなっていないことに、密かに安心したくらいだ。
今日、ドクオが帰りに僕を誘ったのは、こいつなりに気を使ってくれたのだと思う。
学校ではどこに行っても、ほのかにチョコの香りが漂っていた。
本来なら僕も、バレンタイン特有の甘い雰囲気に浸れるはずだったのだ。
数日遅れで新富の美味しいチョコにありつけるとはいえ、さすがに少しは堪えた。
そんな僕の心情を、それとなく察してくれたらしい。
('A`)「……ショボ。ホントに大丈夫なのかよ、お前」
察しているからこその、この質問なんだろう。
要するに、紅里ちゃんとはどうなのか、と聞きたいわけだ。
- 264 : ◆LemonEhoag:2014/08/31(日) 20:18:31 ID:Kf2nAHbY0
-
ドクオはクリスマスのときのような好奇心で聞いているわけではない。
純粋に優しさで、僕と紅里ちゃんの仲を心配している。
(;´・ω・`)「……ま、あ」
だからこそ、ドクオの低い声に、僕に向けられる視線に、胸がえぐられるような痛みを覚えた。
大丈夫なわけがなかった。
取り返しのつかないくらいにすり減ってはいない、というだけだ。
大丈夫、と口に出していれば、きっと大丈夫でいられる。
それは、逆のパターンも十分に考えられる。
それに、ドクオは紅里ちゃんの弟だ。
僕の話したことが、ドクオを介して紅里ちゃんに伝わる可能性はある。
ぺらぺらと言いふらすやつではないことは、よく分かっている。
しかし、故意でなくても口が滑る、ということは誰にでもあるのだ。
上手くごまかせている自信はなかった。
それでも、できればこれ以上は踏み入ってこないでほしかった。
('A`)「……嘘つくの、下手すぎだっつの」
- 265 : ◆LemonEhoag:2014/08/31(日) 20:21:24 ID:Kf2nAHbY0
-
(;'A`)「全然大丈夫じゃないじゃねえか」
呆れた、といった様子で大きくため息をつくドクオ。
やはり、僕の望んだとおりにはいかなかった。
ならばいっそ、吐けるだけ吐いてしまえば、少しは楽になるかもしれない。
(´ ω `)「……はは。大丈夫、ってのは半分は本当かもよ」
(;'A`)「それ……どういう意味だ?」
わけが分からない、とばかりにドクオは眉をひそめる。
自分でも思わず笑ってしまうくらいに、変なことを言っているという自覚はあった。
わずかに残っている、すっかり薄まってしまったコーラを飲み干す。
暑いと感じるほど暖房が効いているせいか、いつの間にか喉は乾き切っていた。
すべて話し終えたら、また飲み物を注文することにしよう。
(´ ω `)「……なんていうかさ。変わらないんだよね」
そう切り出したとき、少しだけ、喉のつかえが取れた気がした。
- 266 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 20:24:14 ID:Kf2nAHbY0
-
紅里ちゃんの大学合格から、部屋探しに新富へ発つまでの一週間ほど。
いままでの空白の時間を取り戻すかのように、僕たちはいっしょに過ごした。
とはいえ、特別にしたことといえば、丸一日かけて知江徳まで行ったりしたくらいだ。
それ以外はいつも通りに小浜をぶらついたり、どちらかの部屋でくつろいだりしていた。
不自然なほどに、いつも通りだった。
支辺谷南高校の卒業式は3月の初め。
僕たちに残された時間は、あとひと月もない。
なのに、紅里ちゃんはそのことに触れようともしない。
クリスマスのときと同じで、僕の方から切り出さなければならないのだろうか。
紅里ちゃんが言い出して始めた約束であっても、僕が終わらせなければならないのだろうか。
僕は、いっそこのままでも構わないのに。
(´ ω `)「……どう思う?」
(;'A`)「どう、って……」
ひとしきり吐き出して、ドクオに問いかけてみる。
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべているあたり、吐き出しすぎた気がした。
- 267 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 20:27:08 ID:Kf2nAHbY0
-
('A`)「俺がどう思うか、じゃねえだろ。お前がどう思ってるか、だろ」
まったくもって正論だった。
ドクオが何を言ったところで、行動を起こすのは僕だ。
('A`)「本気でこのままでいいって思ってんのか?」
(´ ω `)「……続けば、それがいいけど」
僕たちの関係が、このまま続いたらいい。
それは、まぎれもない本音だった。
('A`)「だから、このまま何もしないでいいってか?」
(´ ω `)「……」
('A`)「……お前がそこまで馬鹿じゃないのは分かってんだよ」
黙り込む僕を放って、淡々とドクオは続ける。
また喉が渇いてくる。さっさと飲み物を頼んでくればよかったかもしれない。
('A`)「要は、怖いんだろ? 姉ちゃんと別れるのが」
- 268 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 20:30:07 ID:Kf2nAHbY0
-
('A`)「別れから逃げていたいんだ。自分から別れに近付くのが嫌なんだ」
ドクオの発する言葉のすべてが、胸に突き刺さる。
例えるならつららが刺さったように、心臓が凍りそうなほど冷たくなる。
対照的に、目の奥は煮えるように熱かった。
ドクオの言う通りだった。僕は未来が怖かった。
きっと避けられない、紅里ちゃんとの別れが。
不自然なほどに何も変わらないことに、不安を覚えないわけがなかった。
だけど一方で、僕は安堵もしていた。
僕が何もしなければ、別れることもなく、このまま僕たちの関係は続いていく、と。
逆に何かすれば、それをきっかけに僕たちは別れることになる、と。
だから、僕たちはこのままでいいような、そんな気がしていた。
そんなの、本当は気のせいだと分かっている。
何もしなくても時間は過ぎて、終わりのときは訪れる。
何かしたとしても、時期が少し早まるだけだ。
(´ ω `)「……」
だけど、その少しすら惜しいほど、僕は紅里ちゃんといっしょにいたかった。
- 269 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 20:33:05 ID:Kf2nAHbY0
-
ドクオがナプキンを差し出してくる。
目の奥に溜まっていた熱は、いつの間にか涙になってこぼれ落ちていた。
口の中には、ほんのりと血の味が広がっている。
舌で探ると、下唇の裏側の肉が、少しえぐれていた。
(´っω `)「……悪い」
('A`)「客、いなくてよかったな」
目や鼻を拭っている最中、ドクオが呟く。
奥の席にいた大学生らしき男も、知らないうちにいなくなっていた。
(´・ω・`)「……ありがとう」
('A`)「なんだ、泣くほど姉ちゃんのこと考えてるなら、きっと納得いく結果が出るだろ」
何の保証もない、本気の慰めの言葉。
その軽さが、駄目もとでも信じてみようか、という気持ちにさせてくれる。
(´・ω・`)「……そうかな」
('∀`)「……そうだ」
頬に力を込めて、少々無理に笑ってみる。
すると、ドクオもぎこちない笑みを浮かべてみせた。
また少しだけ、動いてみる勇気が湧いてきた。
- 270 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 20:33:50 ID:Kf2nAHbY0
-
それから二週間後。3月の初め。
支辺谷南高校の卒業式当日は、桜のように、はらはらと粉雪が舞っていた。
.
- 271 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 20:36:10 ID:Kf2nAHbY0
-
喧噪に包まれている昇降口の片隅で、僕はぼんやりと紅里ちゃんを待っていた。
ぬるくなりかけていたココアも、さっき飲み切ってしまった。
手の中に残された缶は、すでに熱を失っている。
携帯を開いて、時間を確認する。今日だけでもう何度繰り返したか、分からない。
時間からして式は終わり、いまごろ教室に戻っているはずだ。
卒業生が昇降口に姿を見せないのは、最後にやりたいことがいろいろあるからだろう。
特に、紅里ちゃんの場合は。
新富には卒業式の次の日に発つ。
少し前、紅里ちゃんはそう言っていた。
新生活に必要なものを揃えたり、暮らしに早めに慣れておきたいから、らしい。
だから、僕が紅里ちゃんとまともに過ごせるのは、今日が最後だった。
卒業式がある時点で、そうは言えないかもしれないけど。
そして、僕は今日まで何か行動を起こそうとはしなかった。
- 272 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 20:39:13 ID:Kf2nAHbY0
-
結局、僕はできるだけ長く、紅里ちゃんと恋人でいたいと思い至った。
何もしなかったとも、何もできなかったとも、言えると思う。
いまだって、自分がこれからやろうとしていることを考えると、怖くて仕方ない。
希望的な観測も、しつこく顔を覗かせてくる。
だけど、僕はもう腹をくくった。
僕たちの最後について、紅里ちゃんと逃げることなく語り合う、と。
紅里ちゃんが新富に行っても、別れたくない。
なんとしても、彼女を説得してみせる。
決して、今日を僕たちの最後の日にはしない。
(´・ω・`)「……できる。きっと、やってみせる」
床を見つめ、誰にも聞こえないように、自分に言い聞かせるように呟く。
力を込めた手の中で、缶がわずかにその形を変えた。
- 273 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 20:42:38 ID:Kf2nAHbY0
-
昇降口にたむろしていたいくつもの人ごみが、急に動き出した。
誰もが同じ方向へと向かっていき、大きな声で誰かの名前を呼ぶ。
卒業生たちが来たのだと、すぐに分かった。
(´・ω・`)「紅里ちゃん……は、いないか」
立ち上がり、ざっと見渡してみるが、紅里ちゃんの姿は見えない。
というより、いたとしても分からないほど、昇降口は生徒たちでごった返していた。
再び座り込み、紅里ちゃんを待つことにした。
もちろん、人ごみに紛れて帰ってしまわないように、目は光らせておく。
紅里ちゃんは良くも悪くも、目立つ容姿じゃない。見落とす可能性は、十分にある。
携帯を見ていないから、どれほど時間が経ったかは分からない。
たぶん、15分くらいは経ったときだった。
('、`*川
自分でも驚くほどあっさりと、紅里ちゃんは見つかった。
全体をぼんやりと眺めていたら、急に彼女にピントが合ったような感覚だった。
- 274 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 20:45:39 ID:Kf2nAHbY0
-
紅里ちゃんは数人の女子に囲まれていた。
きっと、両隣にいるのが友達で、正対して話しているのが後輩なのだろう。
そんな予想をしていると、後輩らしき女子がしきりに目をこすり始めた。泣いてしまったらしい。
すると、紅里ちゃんは優しく微笑み、子供をあやすように頭をなでてやる。
だけど、それがよくなかったのだろう。後輩らしき女子は、さらに激しく泣き出してしまった。
さすがに、いま割って入るわけにはいかないだろう。
紅里ちゃんがひとりになるまで、もう少しだけ待つことにした。
人の波も、最初に比べれば少なくなった。もう見失うこともないだろう。
待っている間、紅里ちゃんは笑ったり、困ったり、少し寂しそうになったり。
とても忙しそうに見えたけど、同時に楽しそうだった。
話しかけていいのか、と思ってしまうほどに。
- 275 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 20:48:07 ID:Kf2nAHbY0
-
ためらいが、心に暗い影を落とし始める。
それは、紅里ちゃんが友達と手を振って別れたのと、ほぼ同時だった。
いましかない。
この瞬間を逃せば、きっと僕は紅里ちゃんと話せない。
帰路に着く彼女の背中を、ただ見送るだけになってしまう。
(;´・ω・`)「……紅里ちゃーん!」
跳ねるように立ち上がり、紅里ちゃんを呼び止める。
必要以上についた勢いのまま、両足は軽やかに僕を彼女の元へ運んでくれた。
('ー`*川ノシ「あぁ、ショボー!」
こちらを振り向いた紅里ちゃんは、嬉しそうに手を振った。
ついさっき、友達に向けたそれとうりふたつだった。
('、`;川「ごめん、ずっと待ってた?」
(´・ω・`)「そうだけど……別にいいよ。邪魔しちゃ悪いだろうし」
('、`*川「お気遣いありがとうございますねー」
- 276 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 20:51:09 ID:Kf2nAHbY0
-
紅里ちゃんのテンションは、妙に高かった。
新たな旅立ちの日であり、悲しい別れの日でもある、卒業式のあとだというのに。
支辺谷を離れられるのが嬉しいのだろうか。
それとも、悲しいことは全部、教室に置いてきたのだろうか。
だとしたら、羨ましい限りだ。できれば僕もそうしたかった。
(´・ω・`)「まずは、卒業おめでとう」
('ー`*川「ありがとっ」
とんとん、と卒業証書の入った筒で、肩を叩かれる。
抜き差しして遊んでいたのか、ふたは少しだけ浮いていた。
('ー`*川「ショボも覚悟しといた方がいいよー。一年なんてあっという間だから」
(´・ω・`)「うん、分かってるよ」
('ー`*川「そのつもりでも、体験してみるとびっくりするって!」
- 277 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 20:54:11 ID:Kf2nAHbY0
-
なるべく早く受験勉強を始めるといい、とか。
友達と旅行に行ったりして、思い出をたくさん作っておくといい、とか。
去りゆく先輩から後輩へのアドバイスだ、と紅里ちゃんはあれこれ語り始める。
言われなくたって、分かっていた。とっくに体験もした。
時間は誰も、何も待つことなく、あっという間に過ぎていく。
紅里ちゃんといっしょにいた半年間で、何度も教えられたことだった。
('ー`*川「バイトだってやっておけばよかったって思うしさ」
(´・ω・`)「うん」
('ー`*川「遊ぶ時間がなくなるー、とか考えてたんだけど。もったいないことしてたなー」
(´・ω・`)「うん」
例えば、いまだって、相づちを打っている間に時間は過ぎていく。
人でごった返していた昇降口も、ずいぶんと静かになった。
残された熱気も、やがて吹き込んでくる風の冷たさに紛れてしまうだろう。
- 278 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 20:57:26 ID:Kf2nAHbY0
-
でも、僕の想いだけは、熱を失わせてはいけない。
それが許されるのは、僕たちの関係が終わる瞬間だけだ。
(´ ω `)「うん」
('、`;川「……ショボー。聞いてるー?」
(;´・ω・`)「うん……あっ」
紅里ちゃんの呆れたような問いかけに、反射的に答えた。
それがまずいことだと気付いたときには、なにもかも手遅れだった。
嫌な沈黙が僕たちの前に横たわり、ふい、と紅里ちゃんは僕から視線を外す。
何かに気付いたように彼女の目が開いたのは、それからすぐだった。
('、`*川「先輩のありがたいお話を聞き流すとは、いい度胸だなー」
(;´・ω・`)「……ごめん」
気付かないふりをしてかけられた言葉を、跳ねのけて頭を下げる。
紅里ちゃんは、できればずっと、他愛のない話をしていたかったのだろう。
そのうち僕が諦めて、全部うやむやになって終わることを望んでいたのだろう。
だけど、いまだけは、彼女の望みどおりになるわけにはいかない。
- 279 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:00:04 ID:Kf2nAHbY0
-
話の切り出し方に迷う。
本当なら、もう少し段階を踏んでから本題に入るつもりだった。
だから、こんな唐突に話を始めるための言葉は、用意していなかった。
(;´・ω・`)「……」
逃げるための沈黙ではない。
それだけでも伝えようと、紅里ちゃんをじっと見つめた。
('、`;川「……ショボ」
戸惑い気味に僕を呼ぶ彼女は、怯えているように見える。
睨みつけていると思われたのかもしれなかった。
もう少し柔らかい表情にしようと、見えないながら試行錯誤してみる。
('、`*川「……うん」
すると、紅里ちゃんは突然、ひとりで納得したように頷いた。
('、`;川「やっぱり、見て見ぬふりってのは、もう……無理だよね」
- 280 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:06:49 ID:Kf2nAHbY0
-
('、`;川「あのこと、でしょ?」
小さくため息をついてから、紅里ちゃんは言った。
その声色はどこか力が抜けている。
やっぱり、さっきまでの彼女は気を張っていたのだと思った。
('、`*川「わたしたちはこれからどうなるのか、って。それが知りたいんだよね?」
僕の返答を待たずに、紅里ちゃんは続ける。
喋る速度が、いつもよりかなり速い。
綺麗に整えられた眉が、僕とそっくりの八の字になっている。
(´ ω `)「……そう、だよ」
きっと、すぐに話を済ませてしまいたいのだと思った。
力が抜けたような声なのは、うやむやにすることを諦めたからで。
眉の端が下がっているのは、できれば触れたくない話題だったからだ。
(´ ω `)「そのことで、話す時間が欲しい」
ただただ、辛かった。
(´ ω `)「ふたりきりで、できるだけ、長く」
態度の向こうにある想いが、透けて見えることが。
- 281 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:10:05 ID:Kf2nAHbY0
-
〜〜〜〜〜〜
車の外には、変わり映えしない白がひたすら広がっていた。
ときおり立っている標識や、すれ違う対向車がなければ、進んでいるのかすら分からない。
(´‐ω‐`)「ふぁ……」
ほどよく効いた暖房も相まって、どうしても眠たくなってくる。
きっとそれは、運転する紅里ちゃんも同じはずだ。
あくびを噛み殺し、声をかけてみる。
(´・ω・`)「眠くない?」
('、`*川「んー……けっこう眠かったけど、いま話しかけられて目が覚めた」
片目をこすりながら答える紅里ちゃん。
雪道でそんなことをされると、こっちの方こそ恐怖で目が覚めてしまう。
('、`*川「ありがと」
紅里ちゃんは視線を正面に向けたまま、ぽつりと言った。
その横顔を、メーターの淡い光が照らしている。
速度のすぐ横に表示されている時刻は、1時を少し過ぎていた。
- 282 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:12:32 ID:Kf2nAHbY0
-
今日の日付が変わるころ、こっそり車で迎えに行く。
ふたりで行っておきたいところがある。
そこですべて話そう。
紅里ちゃんの提案は、要約するとこういう内容だった。
断る理由はなかったし、僕はすぐに賛成した。
だけど、どこへ行くのか聞こうとしたとき、紅里ちゃんは再び友達に捕まってしまった。
話の内容からして、クラス全員で打ち上げをするようだった。
紅里ちゃんは僕に謝って話を切り上げると、背を向けて友達と話し始めた。
会話は弾みに弾んで、楽しそうな表情が次々と浮かんでは消えていった。
僕はそれじゃ、とだけ言って、その場をあとにした。
紅里ちゃんはうん、とだけ答えて、友達との会話を再開した。
まるで、僕は邪魔者のようだった。
- 283 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:15:40 ID:Kf2nAHbY0
-
昼間のことを思い出すと、不安になってきてしまう。
どこに向かっているか分からないことも、それに拍車をかけていた。
車の外には相変わらず、さっきまでと似た景色が広がっている。
時刻ももうすぐ1時半になろうとしている。
いつまでこうして、先の見えない状況が続くのだろう。
(´・ω・`)「あ……」
景色がわずかに傾いて、木々が目に見えて増えた。峠に入ったらしい。
同時に、目的地がどこなのかも検討がつく。
支辺谷からこのくらいの時間で到着する、ふたりに関係のある、峠。
(´・ω・`)「……穂実路峠だ」
('、`*川「……やーっと、気付いた」
- 284 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:18:22 ID:Kf2nAHbY0
-
滞りなく駐車場に入ると、車は一台も止まっていなかった。
景色が売りの穂実路峠に、こんな時間に来る物好きはいないだろう。
別れ話をしに来る僕たちも、また別の物好きには違いないけれど。
適当な場所で車は止まり、ライトが消される。
少し先さえ見えない暗闇が、目の前に広がっていた。
メーターの明かりすら、いまは眩しいと思ってしまうくらいだ。
エンジンと、暖房だけが音を鳴らしている。
誰かが会話に割り込んでくることもない。
こっそりと横目で、紅里ちゃんの様子をうかがってみる。
('、`;川
ちょうどシートベルトを外し、軽くため息をついたところだった。
運転していたせいか、少し疲れているように見えた。
- 285 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:22:10 ID:Kf2nAHbY0
-
(;´・ω・`)「……ねえ」
僕が小さく呼びかけると、紅里ちゃんはゆっくりとこちらを向いた。
(;´・ω・`)「僕たちは、さ」
('、`*川「うん」
(;´・ω・`)「ほんとに、本当に……別れ、なきゃ、いけないのかな」
ずっと抱えていた、見て見ぬふりをしてきた疑問だった。
ようやく吐き出せるときがきたのに、言葉にするのをためらってしまう。
言葉が指し示す未来の重さが、胸を押しつぶそうとしている。
(;´・ω・`)「他の選択肢は、絶対にないのかな」
('、`*川「……」
(;´・ω・`)「別れなくても、新富には行けるじゃん」
('、`*川「……うん」
- 286 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:24:12 ID:Kf2nAHbY0
-
詰まりこそすれど、想いは言葉となって吐き出され続ける。
ただ、吐き出しても、吐き出しても、楽になる気配はなかった。
(´ ω `)「だったら、別れなくたっていいでしょ……?」
それどころか、次から次へと、言いたいことが溢れてくる。
口下手な僕がすべてを言葉にするには、どれだけ時間がかかるか想像もつかない。
(´ ω `)「連絡だって、まめにするよ。学校が休みになったら、会いに行くよ」
かといって、言葉にしなければ紅里ちゃんには届かない。
溜め込みすぎた想いで、きっと僕の心臓は破裂してしまう。
(´ ω `)「大学だって新富にあるところを選ぶよ。なんなら、紅里ちゃんと同じところでも、いいよ」
だから、必死で唇を動かして、喉を震わせて、ありったけの想いをぶつけていく。
(´ ω `)「僕にできることなら、なんだってできる。紅里ちゃんのためだ、って、思えば……」
それでも、追いつかない。
どれだけ急いでも、想いが込み上げてくる速さに、追いつけない。
(´ ω `)「だから……だ、だから……」
- 287 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:26:10 ID:Kf2nAHbY0
-
(´;ω;`)「……嫌なんだよ! 別れたくない! 好きで、好きだから……いっしょにいたいんだ!」
- 288 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:30:11 ID:Kf2nAHbY0
-
(´;ω;`)「なのに……どうして……別れなきゃいけないんだよ……」
喉元を通り越して、想いは涙になって溢れだした。
呼吸が上手くできない。前がよく見えない。口の中がしょっぱい。
胸が、心が、張り裂けたと思うほどに、痛い。
(´;ω;`)「紅里ちゃん、言ってたよね……大人になりたい、って」
('、`*川「……言った」
(´;ω;`)「大人になるって、どういうことなの?」
(´;ω;`)「どうやったら大人になれるの?」
(´;ω;`)「新富に行ったら? 大学で勉強したら? 僕と別れたら?」
(´;ω;`)「僕にもわかるように説明してよ、納得させてよ」
(´;ω;`)「納得させられないなら、別れないでよ……いっしょにいてよ……ねえ」
もう、言葉を選ぼうという気は、微塵もなかった。
思い浮かんだことを、そのまま、手加減もせずに紅里ちゃんにぶつけた。
ぶつけるたびに、心が楽になっていく気がした。
- 289 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:33:20 ID:Kf2nAHbY0
-
(´;ω;`)「嫌だ……紅里ちゃん……いかないで」
僕には、何もわからなかった。
紅里ちゃんがなりたいものも、なりたい理由も。
どこでどうすれば、それをわかることができたのかも。
(´;ω;`)「おいて、いかないで……」
散々喚き散らしたあと、頭の片隅で、思った。
少なくとも、いまの僕は、彼女の語る大人には程遠いのだろう、と。
(´っω;`)「ぅうっ……ぅ」
僕の嗚咽だけが、車内にやたらと響いて聞こえた。
暖房でも、吹雪でもいいから、この耳障りな声をかき消してほしかった。
女々しくて情けない僕も、言ってしまったひどいことも、なかったことにはならないけれど。
「……ショボ」
ずっと黙っていた紅里ちゃんに、名前を呼ばれた。
駄々をこねる子供をなだめるような、優しい声だった。
- 290 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:36:40 ID:Kf2nAHbY0
-
でも、紅里ちゃんの方を向くなんて、到底できやしない。
自分の意思とは関係なく、涙が止まらなかった。
それに、いったいどんな顔をして、僕は彼女と向き合えばいいのだろう。
「……そのままでいいから、聞いてて」
紅里ちゃんの手が、うつむいた僕の頭を撫でた。
それだけで不思議と安心感を覚える。
我ながら、本当に小さな子供のようだった。
(´っω;`)「……ぅん」
「わたし、ショボにいっぱい我慢させちゃってたんだね」
(´っω;`)「……うん」
「……最後に、もう少しだけ我慢させちゃうね」
最後に。
そのひとことに、また視界がぼやけ始める。
- 291 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:40:16 ID:Kf2nAHbY0
-
「……わたしは、ショボと別れる。別れて、新富に行く」
「別れない、って選択肢もあるけど、わたしはそれを選んじゃいけないと思う」
お願いだから、やめてほしかった。
そんなひどいことを、優しい声で言わないで。
こうすることがふたりのため、みたいな言い方をしないで。
いっそ、事実を淡々と突き付けてくれた方がましだ。
「大人になる、ってどういうことなのかは……正直、よくわからないや」
「もしかしたら、支辺谷に残っても、なれるものなのかもしれない」
だったら、残っていて。
よくわからないもののために、いま目の前にある大事なものを捨てないで。
「でも……少なくとも、大人っていうのは、なんでもひとりでやっていける人のことだと思ってる」
「だから、新富で、ひとりでやっていけるようになれれば、大人になれる」
「ショボはどう思うかわからないけど……わたしはそう信じてるの」
言いたいことがたくさんあった。
だけど、言ってしまうと自分が悪者になるような気がして、言えなかった。
紅里ちゃんの優しさが、ただただ、ずるいと思った。
- 292 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:43:03 ID:Kf2nAHbY0
-
「だから、ショボ……ううん。直彦の想いも、直彦への想いも、新富には連れていけない」
紅里ちゃんは僕をあだ名じゃなく、初めて、名前で呼んだ。
「わたしね、直彦のこと……好きだよ。大好きだよ」
いつの間にか、僕の頭を撫でていた手は、動きを止めていた。
「大好き、だけど……直彦のために、自分の夢は、諦められないや」
途切れ途切れながらに言い終えると、紅里ちゃんは押し黙った。
暖房の音だけが、何もかき消すことなく、車内に響く。
涙はすっかり引いていて、視界は鮮明さを取り戻していた。
(´ ω `)「……紅里ちゃん」
おそるおそる顔を上げて、紅里ちゃんを呼んだ。
('ー;*川「……ごめんね」
紅里ちゃんは、目にいっぱいの涙を溜めながら、悲しそうに笑った。
- 293 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:45:01 ID:Kf2nAHbY0
-
紅里ちゃんの涙を見て、僕はすべてを察することができた気がした。
うつむいたままだったら、どれだけ話してもわからなかったと思う。
僕の紅里ちゃんへの想いと同じだったのだ。
同じくらい、あるいはそれ以上に強い想いを、彼女も抱いていた。
ただ、想いの矛先が、違っていただけの話だった。
僕がなにを言っても、紅里ちゃんの決意は変わらないだろう。
変えるだけの力を、僕は持ち合わせていない。
もう、僕に変えられるのは。
(´ ω `)「……わかった」
( 、 *川「……」
(´ ω `)「……いままで、ありがとう」
僕の想い、だけだ。
- 294 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:48:15 ID:Kf2nAHbY0
-
終わらせる瞬間は、とても不思議な気持ちだった。
(´ ω `)「……別れよう」
受け入れたようにも、諦めたようにも、ごまかしたようにも思えた。
〜〜〜〜〜〜
- 295 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:49:47 ID:Kf2nAHbY0
-
翌日の朝は、少し目覚めが悪かったこと以外、いつもと変わりなかった。
(´・ω・`)「おはよう」
着替えてリビングに行くと、すでに朝食が用意されていた。
食パンにウインナーに目玉焼き。あとは好みでかける調味料がいろいろ。
簡単なものだけど、これくらいの方が起きたばかりの胃袋にはちょうどいい。
ひとまずはトースターに食パンを一枚放り込んで、焼けるまで適当に食べて待つことにした。
家に帰ったのは、空が白み始めたころだった。
にもかかわらず、閉めて出ていったはずの玄関の鍵は開いていた。
要するに、家族は僕が深夜にどこかへ行っていたことに気付いていた、ということになる。
だけど、誰もそのことに触れようとはしない。
父さんはいつものように仕事に行く準備をしている。
母さんはまだ何か台所で料理をしている。
忙しいから、という理由で片付けることもできる。
でも、わざと聞かないでいてくれているのだろうと、なんとなく思った。
いまはその気遣いに甘えておくことにしよう。
- 296 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:51:45 ID:Kf2nAHbY0
-
朝のニュース番組がいったん終わり、飼い犬を紹介するコーナーが始まる。
少し遅れて、トースターから食パンが茶色く焼けた顔を覗かせた。
バターを食パンに塗りながら、起き抜けの頭で昨日の夜の記憶を振り返る。
帰りの道中、紅里ちゃんは新富に行ったあとのことをいろいろと話してくれた。
話していないと眠くなる、なんて言っていたけど、すぐに嘘だと分かった。
無言の時間に耐え切れなくて、少しでも場を明るくしたかったのだ。
紅里ちゃんが語る新富での生活は、希望に溢れていた。
面白そうなサークルがいくつもあるとか、大学の最寄駅周辺に遊べるところがたくさんあるとか。
借りるアパートも大学から近くて綺麗だとか、入試のときに仲良くなった子がいるとか。
語る表情も、声も、本当に嬉しそうだった。
聞いている分には、とても楽しそうだと素直に思えるくらいだった。
ごまかすために話しているうちに、出てきた本心だったのだろう。
それから、僕の家に着いたあと、別れ際に特別な言葉はなかった。
じゃあね、と普段と変わらない別れのあいさつを交わした。
あとは遅くまでごめん、とお互いに謝った。早く寝るように、とお互いに釘を刺し合った。
- 297 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:54:43 ID:Kf2nAHbY0
-
拍子抜けするほど何もない、日常の延長線上にあるような最後だった。
顔を見ることすら、これっきりになるのかもしれないのに。
(´・ω・`)「……夢、だったのかな」
そんなわけはないと分かっていても、思わずにはいられない。
現実的過ぎて、逆に現実味が感じられなかった。
まだ夢の中に片足を突っ込んでいるような頭では、なおさらだった。
ひとまず、ちゃんと頭が回るようにする必要がありそうだ。
そのためにも、朝食はしっかりと食べるべきだろう。
そんなわけで、バターを少し塗りすぎた一枚目に続いて、二枚目を焼くことにして。
(´・ω・`)「ん?」
食パンに伸ばそうとした手を止めたのは、不意に聞こえたインターホンの音だった。
- 298 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 21:57:05 ID:Kf2nAHbY0
-
僕はなんとなく手を引っ込め、玄関へと向かった。
父さんは着替えの真っ最中で、母さんは台所だ。僕が行くのが一番手っ取り早い。
それにしても、こんな朝から訪ねてくるなんて、郵便か、宅配業者の類だろうか。
なんて思っていると、再びインターホンが鳴らされた。
業者が何度も鳴らすとは、少し考えづらい。セールスかもしれない。
(´・ω・`)「はいはい……」
そこまで考えておきながら、僕は相手を確認もせずにドアノブをひねってしまった。
半端に開いた扉から吹き込んできた冷気で、自分の迂闊さに気付くが、もう遅い。
かといって扉を閉めるわけにもいかず、結局そのまま開けることにした。
もしも面倒な来客だったら、責任を持って僕が対応することにしよう。
(´・ω・`)「なんでしょう……」
徐々に頭が、体が、覚醒していくのが分かった。
思考を巡らせていたことと、吹き込む冷気の影響だろう。
それでも、僕はたぶん、半分程度しか目覚めていなかった。
(;´・ω・`)「……か」
('、`*川「……おはよ」
開けた扉の向こうに、紅里ちゃんの姿を見つけるまでは。
- 299 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 22:00:03 ID:Kf2nAHbY0
-
(;´・ω・`)「あ、え……なんで」
一気に目が覚めて、すぐさま冬の町並みのように頭が真っ白になる。
だけど、白の中心で、紅里ちゃんだけがはっきりと認識できる。
彼女はまだ、僕の世界の中心にいた。
('、`;川「なんかさ、ふたりとも変な気を利かせてくれちゃって」
困った顔をして、紅里ちゃんが振り返る。
その視線の先には昨日も見て、そして乗った、彼女の家の車が止まっていた。
ふたりというのは、前の座席に座っているおじさんとおばさんのことだろう。
('、`*川「最後に何か話してきたら、ってさ」
(;´・ω・`)「……そうなんだ」
せっかくの気遣いも、いまは大した価値を持たない。
現に僕たちは、朝の冷え込みの中、無言で立ち尽くしたままだ。
('ー`;川「うーん……やっぱ、いまさら話したいこととか、ないよね」
(;´・ω・`)「……」
- 300 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 22:03:05 ID:Kf2nAHbY0
-
紅里ちゃんはそうこぼすけど、僕は違った。
話したいことがないわけじゃない。
どれから話そうか迷うほどに、ありすぎる。
話したいことはどれも、昨日話したことの焼き増しだった。
僕はまだ、自分の気持ちをきちんと紅里ちゃんに伝えられていない気がしてきて。
だから、できるなら伝わるまで何度でも話したいと思った。
だけど僕は結局、うまく話せなくて、伝わらなくて、また話したいと思うのだろう。
たとえ、何度チャンスをもらっても、似たようなことを延々と言い続けるに違いない。
昨日吐き出しきったはずなのに、再び込み上げてくる想いがあって。
ようやく僕は、自分が想いを言い表せる言葉を持ち合わせていないことを知った。
(;´・ω・`)「……うん」
('、`*川「……じゃあ、わたし、もう行くね。ショボも風邪ひいちゃいそうだし」
- 301 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 22:06:07 ID:Kf2nAHbY0
-
紅里ちゃんが毛糸の手袋を外して、右手を差し出す。
最後に握手をしよう、ということらしかった。
手を伸ばして、繋いで、離せば、僕たちは本当に終わる。
もう二度と同じ時間を過ごすことも、なくなるのだろう。
視覚化された最後を目の前にして、右手が鉛のように重くなる。
(;´・ω・`)「……紅里ちゃんこそ」
('、`*川「ん?」
(;´・ω・`)「紅里ちゃんこそ、体に気を付けてね」
当たり障りのない言葉は言えたけど、右手は伸ばせないままだった。
食パンを取るように簡単に手を伸ばせたら、どんなによかっただろう。
紅里ちゃんの前では、どうして僕はこんなに臆病なのだろう。
('ー`*川「……うん。ありがとう」
紅里ちゃんが、垂れ下がったままの僕の右手を握った。
彼女の手の小ささが、柔らかさが、冷たさが、重さを取り払っていく。
そうして僕はやっと、軽く力を込めて、握り返すことができた。
- 302 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 22:09:12 ID:Kf2nAHbY0
-
( 、 *川「……さようなら」
僕が握り返したのが合図だったかのように、顔を伏せて紅里ちゃんは言った。
彼女の手から力が抜ける。握手がほどけそうになる。
彼女の指が、僕の指のすき間をすり抜けていく。
(;´・ω・`)「あっ……」
とっさに僕は、紅里ちゃんの指先だけを捕まえていた。
( 、 *川「……」
互いに動きが止まる。
(;´・ω・`)
( 、 *川
紅里ちゃんが、ゆっくりと顔を上げた。
('ー`*川
紅里ちゃんは僕をなだめるように優しく、寂しく、笑った。
右手から大切な何かが、すり抜けていった気がした。
- 303 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 22:12:19 ID:Kf2nAHbY0
-
支辺谷で着るには薄手のコートを羽織った背中が、遠ざかっていく。
寒風になびく暗い茶色の髪が、車の中に消えていく。
エンジンがかかって、車がゆっくりと発進する。
僕はそのすべてを、玄関先からただ見ているだけだった。
('ー`*川ノシ
車が見えなくなる直前、車内の紅里ちゃんと目が合った。
あの笑みを浮かべて、手を振っていた。
きっとこれが、彼女との最後の記憶になるのだろう。
(´ ω `)「……僕は」
車の消えた先を見つめたまま、思考を巡らせる。
ほどけそうになった指先を捕まえた、あのとき。
紅里ちゃんの何を掴みたくて、何を離したくなかったのだろうか。
どんなに考えても、答えは見つかりそうになかった。
〜〜〜〜〜〜
- 304 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 22:15:09 ID:Kf2nAHbY0
-
朝、紅里ちゃんが訪ねてきたあとは、何事もなく一日が過ぎていった。
リビングに戻ってからはトーストをもう一枚食べて、ココアを飲んで体を温めた。
自然とお腹は減って、昼食も夕食も完食した。
夕食のあとに見たバラエティ番組は、最近でも特に面白かった。
お風呂は少し熱めだったけど、体の芯まで温まって気持ちよかった。
紅里ちゃんがいなくなっても、普通に日々は過ぎていく。
僕はなんだかんだで普通に生きていくことができるのだ。
日付けが変わる直前、近くの自販機まで行って帰ってくる間、そんなことを考えていた。
(´・ω・`)「ただいま……」
小声でささやいたあと、なるべく静かに玄関の扉を閉めた。
家族はもう全員寝てしまったので、家の中には静寂が満ちている。
床がかすかに軋む音すら、騒音になりそうなほどだ。
(´・ω・`)「ふう……」
部屋に戻って、さっそく買ってきた飲み物に口をつける。
黒地に白い水玉模様が目印の、レモンスカッシュ。
- 305 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 22:18:06 ID:Kf2nAHbY0
-
口いっぱいに檸檬特有の甘さと酸味が広がっていく。
暖房で渇いた喉を、炭酸が撫でていく感触が心地いい。
紅里ちゃんが好んで飲んでいた理由も、いまなら分かる。
紅里ちゃんは新富の新居でどうしているのだろう。
疲れてもう眠ってしまったのか、興奮して眠れていないのか。
あるいは、都会の夜を楽しんでいるかもしれない。
支辺谷と違って夜でも遊べる場所はあるだろうし、その可能性もありえる。
(´・ω・`)「……寝ないと」
無理矢理に思考を断ち切って、残りのレモンスカッシュを一気に飲み干した。
別れた相手のことを、そこまで気にかける必要なんてない。
紅里ちゃんはもう、僕にどうこうできるような存在じゃないのだ。
かけ布団を被り、暖房を弱めて、横になる。
あとは、やがてやってくる眠気に身を委ねてしまえばいい。
それが僕にとっての、普通の一日の終わり方だった。
(´・ω・`)「……」
だけど、一向に眠くならない。まぶたが重くならない。
暗い天井を見つめているだけの時間が過ぎていく。
- 306 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 22:21:07 ID:Kf2nAHbY0
-
天井にぼんやりと紅里ちゃんの最後の笑顔が映る。
脳裏に焼き付いた記憶が、スクリーンに投影されるかのように。
いつの日か、僕は今日のことも思い出せなくなるのだろう。
忘れる気は微塵もないけど、望まなくともそうなるに違いなかった。
少しずつ、ふたりで過ごした日々を振り返っていた。
特に印象の強かった出来事は、鮮明に思い出せた。
紅里ちゃんの仕草のひとつひとつや、会話の内容も覚えていた。
それ以外は、どれも曖昧だった。
どんな景色だったか、どんなことをしたのか。
どんな顔をしていたか、どんなことを話したのか。
虫に食われたように抜け落ちた記憶が、数えきれないほどにあった。
忘れたことすら忘れてしまった記憶もあるはずだ。
なのに、僕が何をしていたのか、何を思っていたのか。
そういう自分のことだけは、何ひとつ忘れていなかった。
その行動の、想いの発信源は忘れてしまっているくせに。
(´ ω `)
自分がどうしようもなく、嫌な人間に思えてきて仕方がない。
- 307 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 22:24:10 ID:Kf2nAHbY0
-
心臓の真上に、誰かが乗っているような感覚を覚えた。
起き上がるのにかなり苦労しそうなほどに、重い。
こんな想いを抱えて、僕はこの先、歩いていけるのだろうか。
紅里ちゃんが言っていた大人というものになれれば、軽くなるのだろうか。
そもそも、大人になる、というのはどういうことなのだろう。
紅里ちゃんが言っていたように、なんでもひとりでやっていけるようになるのが、そうなのか。
そんなことはない。他にも手段はある。
そう信じたくて、僕は鮮明な記憶の中から、必死で大人になる他の方法を探し始めた。
自分の未来と現在に、折り合いをつけること。
隣ではなく、自分の足元を見て雪の降る町を歩くこと。
誰もいない夜の駐車場で、キスをすること。
聖夜に、心と体を深く重ねること。
自分の未来のために、現在のすべてを捨てること。
どれも、いまの僕には難しいことばかりだった。
そして、探せば探すほど、悲しくなるだけだった。
- 308 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 22:27:11 ID:Kf2nAHbY0
-
追憶はいよいよ、昨日の別れ話のときにさしかかる。
思い出すことが辛い。心臓が重みで押しつぶされそうだった。
(´ ω `)「……そう、だ」
そういえば、紅里ちゃんは僕に謝るとき、泣いていた。
ただ、涙はこぼさないように、必死でこらえていた。
すでに泣いている僕を気遣って、自分を押し殺していた。
時と場合によって、自分の気持ちを隠すこと。
表に出さずにいられるようになることも、大人になる方法のひとつなのかもしれない。
だとしたら。
決して望んで、自分の意志で、できたわけじゃないけど。
最後の最後、再び込み上げてきた自分の想いを言わなかった僕は。
(´ ω `)「……ぅ」
言えなかった、僕は。
- 309 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 22:30:32 ID:Kf2nAHbY0
-
(´;ω;`)
彼女が言っていた大人というものに、少しは近づけたのだろうか。
.
- 310 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 22:32:08 ID:Kf2nAHbY0
-
エンドロールは滲まない
第六話 GirlfriEND
おわり
.
- 311 :名も無きAAのようです:2014/08/31(日) 22:33:51 ID:Kf2nAHbY0
- 以上で第六話の投下は終了です。
次回、最終回です。最後までお付き合いいただけると幸いです。
最後に感想、質問、批評などあったら好きに書いていってください。
- 312 :名も無きAAのようです:2014/09/01(月) 03:11:24 ID:L9yCS99s0
- 乙
優しい気持ちになれるこの話が好きです
最終回、期待してます
- 313 :名も無きAAのようです:2014/09/01(月) 17:45:42 ID:Ao0yndpw0
- 乙!
楽しみにしてます
- 314 :名も無きAAのようです:2014/09/02(火) 22:24:58 ID:XT3.DDvk0
- 果たして何エンドになるのやら…おつ
- 315 :名も無きAAのようです:2014/09/09(火) 18:53:38 ID:4B.t6jo20
-
乙
最終回楽しみにしてます
('、`*川(´・ω・`)(擬人化注意)
ttp://i.imgur.com/GAnCBDr.jpg
- 316 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 18:59:05 ID:9jmJcA.g0
- 投下開始します。
- 317 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:00:45 ID:9jmJcA.g0
-
人ごみの中を歩くのは、いまだに苦手だった。
誰もが早足で僕を追い抜いていく。目的地にたどり着くまでに、何度も蛇行してしまう。
基本的にラッシュの時間帯にしか歩かないから、そう感じるだけかもしれないけど。
あるいは、仕事終わりで疲れているせいかもしれなかった。
今日も先輩といっしょに、得意先に顔を出して回った。
おかげで足が棒のようだ。早く家に帰って、窮屈な革靴を脱ぎ捨ててしまいたい。
(´・ω・`)「あ、どうしようかな……」
ふと、本屋に寄りたいなんて思いついてしまった。
特に目的があるわけではない。本当にただ、なんとなく思っただけだ。
学生の頃はあれやこれやと読んでいた。
週刊の少年誌だったり、漫画の単行本だったり、映画の雑誌だったり。
だけど、最近はその分の時間を家事や睡眠に奪われている。
贅沢な時間の使い方をしていたのだと、いまは思う。
そうやって娯楽に時間を使わなくなった分、日々に潤いが足りなくなっているのは事実だ。
- 318 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:03:32 ID:9jmJcA.g0
-
(´‐ω‐`)「……たまには、いいか」
自分に言い聞かせるように口に出す。
後ろから僕を追い越していった中年のサラリーマンが、奇異の視線をこちらに向けた。
目が合ってしまったので、わざと咳払いをして視線を逸らした。
(;´・ω・`)「……さっさと行こう」
さっきのサラリーマンはとっくに人ごみに消えて見えない。
それでもなんだか居心地が悪くて、僕はそそくさとその場を離れた。
人と人の間をかき分け、東口から駅の外に出る。
解放感はあまり感じられない。人口密度は構内とほぼ変わらない。
都会特有の空気は、相変わらず僕の全身にまとわりついている。
少し視線を上げれば、星の代わりに目に悪そうなネオンの光が瞬いていて。
人の話し声や車の走る音、新商品の宣伝をする音声が、夜の静寂に上書きされていた。
この点に関しては、僕は新富よりも支辺谷の方がずっと好きだった。
- 319 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:06:04 ID:9jmJcA.g0
-
信号を渡り、家電量販店の脇を抜ければ、左手に目的地の書店の看板が見える。
新富に来てから本屋を探して、たまたま一番最初に見つけたところだ。
他にも本屋があるのは分かっているけど、惰性でいつもここに来てしまう。
本屋に到着して、まずは二階へ向かう。
話題の本や文庫本が売られている階だ。
とはいえ、僕は小説を読んだ記憶があまりない。
せいぜい、面白かった映画の原作になった小説くらいしかなかった。
それすらも結構な確率で、途中まで読んでは投げ出していた気がする。
たぶん、文字だけでは物足りなく感じるのが原因だったと思う。
気になったタイトルの本を手に取り、少し読んで棚に戻す。
そうやって目的もなくフロアを一周したあと、僕は次の階へ向かった。
ふと、別館は漫画やゲーム関連の本が置かれていると思い出した。
そっちの方がぶらぶらとしている分にはよっぽど楽しいだろう。
だけど、いまは不思議と足を運ぶ気にならなかった。
- 320 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:09:04 ID:9jmJcA.g0
-
三階は僕にも関係のあるジャンルの本が置かれている。
経営やビジネス、政治、社会。いわゆる社会人向けの本だ。
看板の案内に従って、僕はそういったジャンルがまとめられている一角へ向かう。
働き始めて、自分がどれだけものを知らないか、ということを思い知らされた。
一般常識や社会人としてのマナーについて、就職してから何回怒られたか分からない。
マナー講座、新社会人の心得。そんな本を買いあさっていた春の日も、いまは少し遠く感じる。
(´・ω・`)「何か……ないかな……」
二階を回っていたときの何倍も、真剣に本棚を眺める。
営業のコツ、みたいなタイトルがあれば手に取ってみるつもりだった。
いまの僕は、得意先にやっと顔と名前を覚えられてきた程度だ。
当たり前だけど、何もかも先輩のようにはうまくできない。
だからこそ、少しでも早く一人前になるための取っ掛かりが欲しい。
僕はもう世間的には立派な大人だ。周りも最低限の手助けしかしてくれない。
生きていくには、自力で立って、歩いていけるようにならなければならない。
(´‐ω‐`)「大人……か」
その懐かしい響きに、つい笑ってしまう。
- 321 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:12:17 ID:9jmJcA.g0
-
本当に久しぶりに、彼女のことを思い出した。
記憶の中の彼女は制服姿で、いまの僕から見れば幼い顔立ちで。
そして、きっと、本人以上に可愛らしかった。
あれから一度も会っていないし、連絡も取っていない。
だから、僕には彼女がいま、どうしているのか分からない。
まだ彼女は新富にいるのだろうか。
彼女は、大人になることができたのだろうか。
(´‐ω‐`)「……まあ、いいか」
思いを馳せることはあっても、それだけだ。
連絡を取ろうとも、会いたいとも、特に思わない。
いまはもう、彼女のいない日々が、僕にとっての日常だった。
だけど、もしもの出来事を妄想してみるのも、たまにはいいかもしれない。
例えばスーツを着て、ビジネス関係の書籍を探す僕を見て、彼女はどう思うだろう。
あの頃よりは大人に近づけたはずの僕に、強く憧れたりするのだろうか。
あるいは、彼女にとっての僕は、年下の幼馴染のままなのだろうか。
- 322 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:15:16 ID:9jmJcA.g0
-
とりとめのないことを考えているうちに、ビジネス関係の本棚に目を通し終える。
結局、気になるような本は見つからなかった。
見逃しただけかもしれないけど、また探す気力はなかった。
そのまま隣の政治、社会関係の本棚に移る。
国会で法案がどうとか、経済協力がどうとか。
学生の頃は気にも留めなかった話題も、いまは目を通しておく必要がある。
ただし、興味はいまだに湧いてこないので、本の物色はかなり適当だ。
(;´‐ω・`)「ふぁ……ねむ」
仕事疲れからくる眠気も相まって、チェックは早々に終わった。
あとは別館をざっと見てから、家に帰ることにしよう。
「きゃっ」
僕はあくびを噛み殺しながら、別館へ向かうために振り向く。
すると、右腕に何かがぶつかって、次いで女性の小さな悲鳴が聞こえた。
- 323 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:18:15 ID:9jmJcA.g0
-
横を通ろうとしていた人に腕が当たってしまったらしかった。
あくびをしていたせいで、周りをよく見ていなかったのがまずかった。
(;´・ω・`)「あっ……!」
さっ、と顔から血の気が引く。
女性は転んでいないか。怪我をしていないか。本をだめにしてはいないか。
様々な心配事が瞬時に脳裏をよぎる。
(;´・ω・`)「すっ、すいませ……」
とにかく、まずは女性の様子をうかがわなくてはならない。
僕は謝りながら、すぐさま声の聞こえた方を注視した。
(;´・ω・`)「ん……」
謝罪の言葉をちょうど言い終えたところで、息が詰まる。
女性と目が合って、僕は次にかけるべき言葉を見失った。
- 324 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:21:36 ID:9jmJcA.g0
-
彼女は目尻の垂れた、つぶらな瞳で僕を見ていた。
幼い頃から変わらない、忘れるはずもない瞳だった。
ぶつかったせいなのか、少し乱れた前髪が顔にかかっていた。
髪の色は僕の記憶よりも短く、そして黒くなっていた。
紺色のパンツスーツ姿で、茶色の鞄を肩から下げていた。
学生服姿とは似ても似つかなかったけど、とても彼女に似合っていた。
「……ショ、ボ?」
薄いピンク色の唇が開いて、支辺谷の知人しか使わない呼び名で、彼女は僕を呼んだ。
こんな声だったかな、と他人事のように思った。
('、`;川「ショボ……だよね?」
彼女が、伊藤紅里が、もう一度、僕を呼んだ。
僕が新社会人として新富で働き始めて、半年と少しが経った秋。
何年ぶりかすぐに思い出せないほどの時を経て、僕たちは再会した。
- 325 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:24:16 ID:9jmJcA.g0
-
エンドロールは滲まない
最終話 エンドロールは滲まない
.
- 326 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:27:14 ID:9jmJcA.g0
-
もしも、もしも僕が、彼女と再び出会うことがあったなら。
そのときこそ、僕の想いのすべてを伝えたい。
未練がましく、そう思っていた時期があった。
訪れるのかもわからない未来のために、自分の心と何度も向き合った。
心を言い表せられる言葉を探しているうちに、窓の外が白み始めたなんてことが、数えきれないほどあった。
そうやって準備に準備を重ね続け、僕は納得できる限りで想いのすべてを言葉にできた。
いまでもすらすらと口に出せるくらいに覚えている。
いつかの未来に期待して、心の片隅に大事にしまっておいたから。
そのまま時が流れていくうちに、言葉だけが変わらずにそこに残ったから。
(;´・ω・`)「あ……な……」
ひどく沈んでいたころの僕に言ってやりたい。もしも、は起こると。
だけど、そのときのために用意していた言葉は、何の役にも立たないと。
('、`;川「……久しぶり、だね」
(;´・ω・`)「う、うん」
- 327 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:30:17 ID:9jmJcA.g0
-
声にならない声を出すばかりの僕に、紅里ちゃんが語りかける。
こんなところは高校生のころからまったく変わっていなかった。
('、`*川「もう……何年ぶりだっけ? 6、7年?」
(;´・ω・`)「5年と、半年、くらい……かな……?」
最後に会ったのが、高校二年の3月。年度の替わる直前だった。
年度をまたいだせいで少し計算に自信がない。
('、`*川「あー、そうだっけ? もっと会ってない気がしてた」
(´・ω・`)「僕はそうでもないかな」
('、`*川「そう?」
なにせ、結構長い間、失恋を引きずっていたからだ。
高校最後の一年は言わずもがなだったし、大学に入っても尾を引いていた。
ときどき、親の口から紅里ちゃんの名前が出るたび、昨日のことのように彼女を思い出していた。
- 328 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:33:13 ID:9jmJcA.g0
-
(´・ω・`)「親からときどき近況とか聞いてたしね」
本当のことをそのまま言うわけにもいかず、とりあえずかいつまんで説明する。
嘘は言っていない。これも社会人になって身に着けた知恵のひとつだ。
('、`*川「そっか。お父さんとおじさん、職場いっしょだもんね」
そもそも、学年が違う僕と紅里ちゃんが幼馴染である理由がそれだ。
僕たちが付き合い、別れたことで、職場で気まずくなったりしていないか、一時期は心配だった。
だけど、幸いにもその点については問題ないらしかった。
伊達に大人を何十年もやっていないというわけだ。
('、`*川「……ね。このあとってなにか予定ある?」
(´・ω・`)「……ないけど?」
まだ続きそうだった会話を断ち切って、紅里ちゃんが尋ねてくる。
予定らしい予定は、この本屋に寄ることだけだ。
しいて言えば、早く家に帰って明日に備えて寝ることくらいだ。
('、`*川「じゃあさ……これから喫茶店でも行かない? 立ち話もなんだし」
〜〜〜〜〜〜
- 329 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:37:31 ID:9jmJcA.g0
-
そのあと、僕たちは駅前にあるチェーンの喫茶店に移動した。
僕は見慣れない飲み物のサイズの表示に苦戦しながらも注文を終えて、品物を待っている最中だ。
紅里ちゃんは長い呪文のような注文をそそくさと済ませ、先に席を確保している。
(;´・ω・`)「……なんだこれ」
少し経って、トレイに乗せられた飲み物が出てくる。
僕が頼んだエスプレッソと、紅里ちゃんが頼んだよくわからないなにか。
こんもりと生クリームが盛られているのは、あの呪文によるものなんだろうか。
(´・ω・`)「おまたせ」
('、`*川「ごくろう」
おそるおそるトレイを運んで、紅里ちゃんの待つテーブル席にたどり着いた。
二名用の小さな丸いテーブルを挟んで座り、互いの飲み物を取る。
(´・ω・`)「……すごいね、それ」
('ー`*川「わたしも友達が頼んだのを初めて見たときは、そう思った」
(´・ω・`)「やっぱり?」
紅里ちゃんのいたずらっぽい笑みに、釣られて僕も笑った。
なんだかとても懐かしい気分だった。
- 330 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:39:10 ID:9jmJcA.g0
-
('ー`*川「さて……それでは再会を祝しまして、乾杯!」
(´・ω・`)「はい、乾杯」
軽く乾杯を交わすと、盛られた生クリームがたゆんと揺れた。
見ているだけで胃がむかついてくる。
('、`*川「ショボの職場ってこの辺なの?」
(´・ω・`)「いや、二板のあたり。ここは通るだけだよ」
('、`*川「あ、二板? わたしは総咲。わたしも通るだけ」
(´・ω・`)「……それなのに、まさか再会するなんてね」
世間は狭いと、よく言われている。
地図で見ても新富は確かに狭いけど、まさかこんなことがあるなんて。
新富の中心を環状に走る路線がある。
その路線上で僕の職場がある二板は、この駅から内回り。
対して、紅里ちゃんの職場があるという総咲は外回り。
つまり、お互いの職場は真逆の位置にあることになる。
そして、乗り換えに使っているこのターミナル駅にいる時間は、ごくわずかだ。
そんな条件下で僕たちが出会う確率は、はたしてどれくらいなのだろう。
- 331 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:42:15 ID:9jmJcA.g0
-
('、`*川「ねえ、ショボっていまどんな仕事してるの? 教えてよ」
尋ねてくる紅里ちゃんの態度は、空白の時間の存在を疑うほど、学生時代とそっくりだった。
僕たちは昨日まで制服を着ていたような気さえしてくる。
あるいは、そう振る舞うことで、空白を埋めようとしているのかもしれなかった。
(´・ω・`)「僕? ただの営業だよ」
('、`*川「なに売ってるの?」
ならば、紅里ちゃんの話に乗るのも悪くないと思えた。
積み上げてきた足場の傍らに、少しものが増えるだけだ。
そんなことで、いまさら足場が揺らぐこともないだろう。
(´・ω・`)「飼料……動物の餌だね。ペット……あと牛とか豚とか、家畜のも」
('、`*川「へえー……そういうのやりたかったの?」
(´・ω・`)「……」
('、`*川「違うの?」
(´・ω・`)「……どうかな。自分でもよく分からない」
- 332 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:45:07 ID:9jmJcA.g0
-
僕は高校を卒業して、地元の理系大学に進学した。
地元といっても、新富の大学が支辺谷に学部ごと新設したキャンパスだ。
僕は四つある学科の中から、農学系の学科を選んだ。
農業のことを全般的に学ぶ、よく言えば多角的な、悪く言えば中途半端な学部だった。
この大学を選んだ理由は、特になかった。
支辺谷を離れてまでやりたいこともなく、動物や植物がそれなりに好きだった。
強いて挙げたとしても、これが精一杯の理由だった。
大学での四年間は、滞りなく過ぎていった。
サークルとか、ゼミとか、卒論とか、楽しいことも辛いことも等しく経験した。
言い方を変えれば、遊ぶのも勉強するのも中途半端だった。
大学を選んだ理由や、大学そのものを考えれば、そうなるのも当たり前だったのかもしれない。
いま務めている会社も、第一志望ではなかった。
数多くある候補のうちのひとつに過ぎなかった。
たまたま縁があった、というだけだ。
- 333 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:48:43 ID:9jmJcA.g0
-
(´・ω・`)「これがやりたかったわけじゃないけど、やりたくなかったわけでもない」
('、`*川「うん」
(´・ω・`)「些細な不満はあるよ。ほんとに小さいものまであげたらきりがない」
('、`*川「まあ、ね」
(´・ω・`)「でも……それなりにやっていけてるから、いいのかな、って思ってるよ」
結びまで無難というか、それなりだな、と我ながら思った。
おそらく、紅里ちゃんは僕がいままでどうしていたか知らない。
なので、大学時代のこともかいつまんで話したあと、仕事の話に持っていった。
紅里ちゃんからしたら、実に共感しづらい話題だっただろう。
やりたいことのために努力し続けていた彼女とは、対極といってもいい道を歩んできたから。
下手すれば、怒りすら買いかねないと思っている。
('、`*川「そっか……」
('、`*川「……ショボも、か」
(;´・ω・`)「え?」
だから、紅里ちゃんのその一言に、僕は驚きを隠せなかった。
- 334 :名も無きAAのようです:2014/11/10(月) 19:49:31 ID:KyBcytxw0
- 読み読み
- 335 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:51:28 ID:9jmJcA.g0
-
('、`*川「大学に入って、講義を受けてるうちに、思ったんだよね」
乗り出していた体を少し後ろに預けて、紅里ちゃんは頬杖をついた。
それから、きっと甘ったるい匂いのため息をついて、こう続けた。
('、`*川「あんまり面白くない、って」
紅里ちゃんは目を細めて、ふい、と視線を逸らす。
同じような表情で講義を受けている彼女の姿が、容易く想像できた。
('、`*川「新富に来てからは、楽しいことばっかりだった」
('、`*川「欲しいものはなんでも簡単に手に入るし、遊べる場所もいくらでもあったし」
('、`;川「サークルに入って友達もたくさんできたし、彼氏とかも、まあ」
そこまで言うと、紅里ちゃんはちらりと僕の様子をうかがった。
僕と付き合っていたことは、どうやら黒歴史にはなっていないらしい。
(´・ω・`)「いいって、別に」
時期によっては致命傷になっただろうけど、いまは笑ってあしらえる。
込み上げてくるものも、詰まるものも、ない。
口をつけたエスプレッソは、滞りなく喉元を流れていく。
- 336 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:54:06 ID:9jmJcA.g0
-
('、`;川「楽しかったけど……それだけでさ」
('、`;川「やりたいことも特に見つからないまま、なんとなく保険会社のOLやってる」
苦虫を噛み潰したような表情で、生クリームの塊に口をつける紅里ちゃん。
僕にはなんだか、その甘さに苦しんでいるように見えた。
昔の自分の考えの甘さとか、楽しかっただけの日々の甘さに。
('、`*川「一年間やってきたけど、当然一人前にはほど遠いわけで」
('、`*川「家事も学生のころにもっと頑張って身につけておけばよかった、って後悔してる」
紅里ちゃんはそこまで話すと、大きく息を吸って、長いため息をついた。
必死で胸につかえたものを吐き出そうとしているのだと思った。
ため息はそうしたいときほど長くなるものだと、僕は嫌というほど知っている。
( 、 *川「……最近、思うの」
( ー *川「わたしが憧れてた大人は、こんな風じゃなかった、って」
- 337 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 19:57:13 ID:9jmJcA.g0
-
ぽつりとそう漏らした紅里ちゃんは、自嘲気味に笑っていた。
泣くとか、怒るとか、そういった段階を通り越して、もう笑うしかない。
彼女は知らない間にそんなところまで、たったひとりでたどり着いてしまっていた。
ひとりだったからこそたどり着けてしまった、と言い換えてもいいだろう。
( ー *川「……ねえ」
(´・ω・`)「ん?」
( ー *川「わたし、ショボに謝らなくちゃいけないね」
(;´・ω・`)「……何を?」
無理矢理に明るく話そうとする姿を見ていると、胸が締め付けられる。
紅里ちゃんには、自分の心を守るためなんかに笑ってほしくはない。
僕が好きだった彼女の笑顔は、心の底から楽しいときに見せるものだったから。
( 、 ;川「結局……新富に来ても、どうしたら大人になれるのか、わからなかったよ……」
(;´・ω・`)「……紅里ちゃん」
( 、 ;川「そもそも、わかろうとしてたっけ……遊んでばっかで……子供のままで……」
- 338 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 20:00:07 ID:9jmJcA.g0
-
( 、 ;川「……」
いよいよ虚勢すら張れなくなった紅里ちゃんは、耐え切れなくなったのか目を伏せた。
僕は黙って、彼女がすべて吐き出しきるまで待つことに決めた。
きっと僕たちは、このために再会したのだ。
空白を埋めて、積もりに積もったものを崩して、溜まりに溜まったものを吐き出すために。
時間の流れが消し去ったものも、産み出したものも、全部リセットするために。
( 、 ;川「ショボ……いまのわたしは……どう見えてる?」
( 、 ;川「わたしは、ちゃんと大人になれたのかな。それとも、なれてないのかな……」
('ー`;川「もう、自分じゃ、よくわからなくってさ……」
紅里ちゃんは体を起こし、椅子に背中を預けた。
彼女はまだ、笑っていた。
それはたぶん、泣き方を忘れてしまったせいだと思った。
- 339 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 20:03:09 ID:9jmJcA.g0
-
(´・ω・`)「……大人になる方法も、大人かどうかの基準も、僕には分からない」
(´・ω・`)「だから、紅里ちゃんが大人になれているのかも、分からない」
('、`;川「……」
紅里ちゃんはいつの間にか、真剣な面持ちで僕の話に耳を傾けていた。
最初からそんなつもりはなかったけど、無責任なことは言えないな、と思った。
(´・ω・`)「……ただ、僕の中の基準で答えるなら」
(´・ω・`)「大人になれたか、なんて、学生の頃には絶対に考えなかった」
('、`*川「……そう、かも」
振り返れば、二十歳を過ぎても大人らしくあろう、なんて考えもしなかった。
それは、自分が大人だという自覚がなかったことの裏返しになるはずだ。
(´・ω・`)「だから、そんなことを考えてる紅里ちゃんは、ちゃんと大人になれているんじゃないかな」
(´・ω・`)「例え、もっと年上の大人から見たら未熟だったとしても、ね」
- 340 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 20:06:08 ID:9jmJcA.g0
-
(;´・ω・`)「それに……っ」
再会してからずっと、頭の片隅に留めておいた想いが、漏れそうになる。
慌てて口を閉ざしてみたけど、それがかえって意味深な間を作ってしまう。
('、`*川「それに?」
紅里ちゃんも小首を傾げて、言葉の続きを待っている。
なんでもない、と話を切り上げても、追及されるのは目に見えていた。
(;´‐ω‐`)「……それに」
だったら、潔く諦めて言ってしまうべきだ。
急に全身が熱くなってきて、喉が渇いてくる。
残りのエスプレッソを一気に飲み干した。
体は余計に熱くなったけど、少しだけ落ち着きを取り戻せた。
一度、大きく深呼吸をしてから、紅里ちゃんを見つめ返した。
思えば、こうして彼女の前で緊張するのも久しぶりだ。
懐かしさと照れくささが混ぜ合わさって、なんだか背中がこそばゆい。
- 341 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 20:09:11 ID:9jmJcA.g0
-
(;´‐ω‐`)「昔から紅里ちゃんは、僕にはずっと大人に見えていたし」
(*´・ω・`)「……いまだって、その、大人の女性って感じで……綺麗で、素敵だと思う」
再会した紅里ちゃんは、かつて思い描いた将来の彼女そのものだった。
いや、それ以上に凛々しく、綺麗な大人の女性になっていた。
昔の彼女がいまの自分を見たら、きっと大喜びするだろう。
('、`;川「……」
当の紅里ちゃんは目を丸くして、結構長い間、固まっていた。
僕の言い放った言葉が、よほど予想外のものだったらしい。
('ー`*川「……ふふ、そっか」
やがて、見開かれていた目が、きゅっと細くなる。
強張りっぱなしだった頬が少し緩み、紅里ちゃんはそれを支えるかのように頬杖をついた。
('ー`*川「……ありがとう、ショボ」
紅里ちゃんはただ一言、そう言った。
僕にはその言葉だけで、十分だった。
〜〜〜〜〜〜
- 342 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 20:12:04 ID:9jmJcA.g0
-
('、`*川「ショボ、連絡先教えてよ」
日付けが変わる頃合いになっても、いまだに混雑している駅のホーム。
その中央で互いに乗る電車を待っていると、紅里ちゃんがそんな提案をしてきた。
('、`*川「いつの間にか連絡つかなくなってるんだもん」
(;´・ω・`)「いや、気付いたら紅里ちゃんの連絡先変わってたんだけど」
('、`;川「あれ、そう? 一括で連絡先変わった、って送った気がするんだけどなー」
どちらかが相手に教えなかったのか。
あるいは、教えたけど相手がそれを無視したか。
その真相は、もうずっと昔の話だから分かるはずもない。
('ー`*川「ま、いいじゃない? ここでまた交換しておけば」
(´・ω・`)「それもそうだね」
もっとも、真相なんていまさら気にも留めていないのは、どちらも同じらしかった。
- 343 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 20:15:05 ID:9jmJcA.g0
-
('、`*川「あ、同じスマホじゃん」
(´・ω・`)「ほんとだ……アドレス交換のアプリ……も、同じか」
幸い、連絡先を交換するのに手間はかからなさそうだった。
そそくさと設定を終えて、互いのスマートフォンを乾杯するように軽く当てる。
('ー`*川「よしっ、これで愚痴る相手ゲット」
(;´・ω・`)「ひどい言い草だなあ……」
('ー`*川「ほぼ冗談だってばー」
(;´・ω・`)「ちょっとはその気なんだね……」
ディスプレイに映る、伊藤紅里の文字を見つめる。
これから何度、この連絡先は使われるのだろうか。
できれば、なるべく多く、長く使われればいいけど。
('、`*川「ショボの愚痴も聞くからさ……あ、きたきた」
僕たちの会話を遮って、紅里ちゃんが乗る電車の到着を告げるアナウンスが流れた。
紅里ちゃんは近くの一番短い列へと、小走りで駆けていく。
- 344 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 20:18:05 ID:9jmJcA.g0
-
やがて電車が到着して、ホームは一時的に人で溢れかえる。
紅里ちゃんの姿も見失ってしまいそうになる。
「休みとか、いっしょに飲みに行ったりしようねー!」
(;´・ω・`)「社会人の先輩がおごってくれるならねー!」
人ごみの中から、紅里ちゃんが僕に呼びかける。
少し恥ずかしいけれど、僕も声を張り上げて返事をした。
「うーん、考えておく! またね!」
言い終わるか終わらないかというところで、電車のドアが閉まる。
ちょうど人の往来も落ち着いて、ドアの向こうに紅里ちゃんの姿を見つけた。
('ー`*川ノシ
紅里ちゃんは嬉しそうに微笑んで、僕に小さく手を振った。
同時にゆっくりと電車が動き出して、その姿もだんだんと遠ざかり、そして見えなくなった。
僕はそのすべてを、ホームの中央からただ見つめていた。
あの日とは、何もかも対照的な別れだった。
- 345 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 20:21:07 ID:9jmJcA.g0
-
ほどなくしてやってきた電車に乗り込み、自宅の最寄り駅で降りる。
駅の出口から見える街並みに、実家に帰ってきたような安心感を覚えるようになったのは、つい最近のことだ。
小さな繁華街を抜け、夜の静寂に包まれた住宅街にさしかかる。
まばらに立てられている街灯の光だけが、闇を照らしている。
月は明かりにするには頼りなく、星は姿すら見えない。
支辺谷とは違う夜の暗さにも、すっかり慣れた。
ようやく都会に暮らす人間らしくなってきた、というところか。
足は自然と、道路に面した公園の中へと歩を進めていた。
この公園をまっすぐ突っ切ると、少しだけ近道になる。
それに、周辺で一番大きく、そして自然にあふれているこの場所を、僕はとても気に入っていた。
(´‐ω‐`)「ふう……」
息を吐いた。わずかに白かった。
その白さは僕に、たくさんの記憶を思い出させた。
遠くの故郷での、遠い日々のできごと。
手が届かないほど遠くへと旅立ち、そして今日、目の前に現れたかつての恋人のことを。
- 346 :名も無きAAのようです:2014/11/10(月) 20:23:50 ID:ckTP.vuE0
- 支援
後でゆっくり読ませてもらうよー
- 347 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 20:24:04 ID:9jmJcA.g0
-
久しぶりに紅里ちゃんと過ごした時間は、楽しかった。
僕にとって紅里ちゃんとの思い出は、青春時代の一番楽しく、そして一番辛い思い出だった。
だから、彼女と再会したとしたら、嬉しさと悲しさが入り混じった想いを抱くはずだ。
それが、僕が「もしも」を思い描くたびに達する結論だった。
ところが、実際はどうだ。
驚くほどに普通に会話して、連絡先まで交換して、そのうち飲みに行くかもしれない。
こうしてひとりになって、ようやく少しだけ感傷に浸っている。
伊藤紅里という存在は、僕の中で確実に薄らいでいた。
僕は、彼女のことを、嫌いになったのだろうか。
いや、違う。
(´‐ω‐`)「……終わったんだな。僕の、初恋」
- 348 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 20:27:26 ID:9jmJcA.g0
-
悲しくはなかった。
悲しい、と思うのなら、それはまだ終わっていない証拠だ。
関係の終わり、ということなら、紅里ちゃんが新富へと発ったあの日になるのだろう。
だけど、僕はその日の夜も、次の日も、そのまた次の日も、紅里ちゃんのことが好きだった。
僕の中では、何も終わっていなかった。
だからこそ悲しくて、声を殺して泣き、枕を涙で濡らした。
きっと関係の終わりは、例えるなら映画のクライマックスなのだ。
ラブロマンスやヒューマンドラマなら、最も感動的な場面だ。
止まらない涙で視界が滲んで、何も見えなくなることだってある。
だけど、物語はそのあとも続く。
話をきちんと終わらせるにはエピローグが必要だ。
そして、最後にエンドロールが流れて、映画も終わる。
その頃には強く胸を打った感情も薄らいで、涙も止まっている。
だから、本当に恋が終わるときに、エンドロールは滲まないのだ。
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- 349 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 20:30:04 ID:9jmJcA.g0
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(´・ω・`)「……そういうことなんだな、きっと」
そうやって自己完結できてしまったことがおかしくて、つい笑みがこぼれる。
いまの僕の人となりは、昔の僕には欠片も想像できないだろう。
僕も変わった。あるいは、大人になったものだ。
(;´・ω・`)「……この匂い、紅里ちゃん?」
不意に鼻をくすぐった香りに、僕ははっとして周囲を見渡した。
当然ながら、紅里ちゃんの姿はどこにもなかった。
紅里ちゃんの香りがしたのだ。正体は結局分からなかった、あの柑橘系の香りが。
香りの出所を探して暗い園内を注視してみるが、いかんせんよく見えない。
せめて、もう少し街灯が多ければ探しようもあるのに。
そう思いつつ、一番近くに立っていた街灯を見上げて。
(´・ω・`)「はは……なんだ」
僕は、見つけた。
(´・ω・`)「……これだったんだ」
開花したばかりの、金木犀を。
- 350 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 20:33:30 ID:9jmJcA.g0
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紅里ちゃんの、もとい金木犀の香りが、胸をくすぐる。
ざわざわ、と心臓に鳥肌が立つような感覚を覚えた。
だけど、痛むことはなかった。
肺いっぱいに空気を吸い込み、吐き出してみる。
いままでの人生で一番、楽に呼吸できた気がした。
(´‐ω‐`)「……よし、帰ろう!」
今日、本当の意味で僕と紅里ちゃんの恋は終わった。
そして、代わりに何かが始まった。それが何なのかは、まだ分からない。
その正体は、新しく始まった僕たちが、これから少しずつ暴いていくものだ。
だから、終わった僕たちとは、ここでお別れだ。
(´‐ω‐`)「……さようなら」
あの頃の僕と、あの頃の紅里ちゃんに向けて、そっと呟き。
僕は金木犀に踵を返して、再び帰り道を歩き始めた。
- 351 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 20:34:28 ID:9jmJcA.g0
-
エンドロールは滲まない
最終話 エンドロールは滲まない
おわり
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- 352 : ◆LemonEhoag:2014/11/10(月) 20:38:23 ID:9jmJcA.g0
- 投下終了しました。
以上で、この作品は完結となります。
この作品を読んでくれたすべての人たちに、この場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います。
完結までご愛読していただき、本当にありがとうございました。
最後に感想、質問、批評などあったら好きに書いていってください。
- 353 :名も無きAAのようです:2014/11/10(月) 20:45:55 ID:9brVpJqU0
- 乙でした
また一から読み直します
- 354 :名も無きAAのようです:2014/11/10(月) 20:57:01 ID:KyBcytxw0
- タイトルからして、スタートではもっと子供らしい青春の終わりを想像していたけど
青年としての始まりで幕が閉じて良かった
ショボは大人になったよ……これからも大人になるよ
渾身の乙!!!
- 355 :名も無きAAのようです:2014/11/10(月) 21:20:52 ID:1HsZ0CdE0
- 乙!
良かったです
- 356 :名も無きAAのようです:2014/11/10(月) 23:20:35 ID:ckTP.vuE0
- 苦味とさわやかさのある物語、とても好きでした!
本当に乙です!
- 357 :名も無きAAのようです:2014/11/12(水) 17:21:22 ID:7dauhYNs0
- まじおつ!
最後にスレタイとつながるとこまじで感動したわ
ショボンはこれからしっかり歩いて行けるんだろうなぁ
- 358 :名も無きAAのようです:2014/11/16(日) 13:12:16 ID:j/N0v4.w0
- 遅ればせながら乙
なるほどねー滲む時点では終わってないのねー
はっとさせられたわー
- 360 :名も無きAAのようです:2015/03/13(金) 19:09:47 ID:kjC0O3M20
- ( ^ω^)
- 361 :名も無きAAのようです:2015/03/14(土) 20:15:15 ID:C0/mq58Q0
- 遅くなったけど乙でした!
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