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すこた〜ん企画

1soon  die:2003/04/05(土) 00:14
http://gayiki.com/cgi-local/cbbs/cbbs.cgi?mode=alk&no=0
このサイトのスレッドの「特殊なホモ」は俺です。

※このようなスレには不快を感じる方もいらっしゃると思うのでいつでも削除して構いません

24Apricot_L:2003/11/13(木) 01:14
>>23
>安部公房みたいに人間の魂は生殖器に宿る、みたいな帰結は無いと思います。
>人間存在が単なる猥談に化すのには耐えられない。

阿部公房なる人物も知らないし、どういう論を出しているのかを知らないので、
意見を言うのは反則かもしれないが、「人間の魂は生殖器に宿る」という結論に
不快感を示すのは普通の反応だと思う。しかしそれを猥談に結びつけるのは、
少し飛躍した言い方だ。もし猥談だということであれば、フロイトの精神分析
とかの研究もすべて卑猥なものになる。

25世界史:2003/11/13(木) 01:35
んー、小説家です。安部公房。
まぁこれはあくまで俺が安部公房の作品を読んで勝手に解釈しただけなのですが。
「他人の顔」から「密会」あたりの作品は、非常に高度に抽象化された猥談だと、
自分は思います。

スレタイからの脱線スマソ

26壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/11/14(金) 02:05
ムムム。最初にいっておくけど、もし私のレスで不快な思いしたらスマソ。
そういった意図は一切なありませんが、チョイ反対意見っぽいのもあるかも。。。

>>13>>14
あ、誰だかわかりました。意外といえば意外です。
カタカナ語はいつもの癖で使ってしまいました。
ていうかマイノリティ・マジョリティを単純に数の問題として捉えると
またその語の範囲が狭まる恐れがあるので、あえて不慣れな語を使っています。
トランスヴェスタイト等についてはこちらへどーぞ(ブックマークしてる私w)
http://www.nd-seishin.ac.jp/bio/gender/words02.htm
http://www.hms-cs.jp/heal/yougo.html

>女だって要は肉の塊に過ぎない。女=肉の塊を見て興奮するのって、
>スーパーで売ってる牛肉見て興奮するのと変わらないじゃん???
私がこんなことを言われたら「エロティシズムの欠乏からくるイメージの貧困」と
ばっさり切って捨てるにきまっています、ゴメンナサイ。
椹木野衣の言を借りれば私達は「想像したことを必ず実行してしまう呪われた種」で
そういった想像→創造活動の最大の源泉がエロティシズムだからです。
人間の体をアナグラム=分解可能なモノとしてみるような、胸=肉論なら納得できますが、
個人の性欲の欠如の理由を「所詮肉じゃん」といわれて私は無責任に頷く訳にはいかんのです。
(アナグラム→文字を入れ替え再構築した暗号。soon dieをdone isoにするよーなモノ)

27壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/11/14(金) 02:14
つづき
>ただわかってほしいのは、同性愛のカミングアウトというのは下手すれば
>自分を破滅に追い詰めかねない事で、相当の危険があります。
私もカミングアウトによってよりアイデンティティ(自己の自己自認)が
不安定になったという話を聞かないでもありません。
カミングアウトによって、周りがそれを否定してしまうと、「周囲からの自己否定」が
自己の否定的な自認(俺って変態じゃん!)を促してしまう。
しかし、それを秘密にすることによって、「周囲からの自己自認(とーぜんお前もヘテロだよな!)」と
自己自認(ほんまはホモやねん)の間に齟齬が生まれてしまう。
だから、私が提案するのは、「折角マイノリティに生まれたんだから、マジョリティ側の
システムを見破ってやろうぜ!」っていうことなんです。

多分、カミングアウトして喜ぶ人間は少ない(私は羨ましいけどw)。
あなたの犠牲は無駄になる可能性が大きい。
ただカミングアウトするにせよしないにせよ、とりあえず、あなたを苦しめている
(と勝手に私が思っている)「周囲」とやらを良く知っておくべきかな?と、
同じマイノリティの立場から、ささいな助言をしようとしている感じです。

28壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/11/14(金) 02:33
>>17-22
>>22で世界史たんが自分で分かっているみたいなのであんまり言わないでおく。
ただ、もし私が「ありがとうマイノリティ!あんたのおかげでシステム安泰!」
なんて言われたら、ぶち切れる通り越して絶望すると思うけれど…。
(でも実際問題そうなんだよね。今ってどん詰まりの時代。資本主義に対抗しようと
 する流れも、小さな営みすら資本主義がどんどん回収してしまうことに気づいちゃった。
 カート・コバーンが死ぬ時。「ロックの核心は反体制、反権力だ。成功した俺にもう
 ロックは歌えない。聴衆を誰一人ごまかしたくない。こんなはずじゃなかった。成功したから俺は死ぬ。」
 っていったらしいけどその通り!今のリバイバルブームなんか、そのなれの果てのよう。)

世界史タソの論理は論理としては正しい。でもあくまで論理でしかないから
実感がわかない。馬鹿だから理解できない。
それと、視点がマジョリティ側だな、って思う。マルクスはマイノリティだっけ?
そうかも知れないけど、マジョリティ側としては、その共同体の同一性とやらを
壊したい、って言う気持ちも、あるんじゃないのかなー…?
異人(まれびと)=客人(まろうど)で、共同体にとっては貴種流離なんだと思う。
つまり『変化をもたらしたら、居座らないでどっかいけ』
それに対しての私の答えはどうなるでしょう。
『あなたを導く北極星になりたいの』なんて、自己犠牲甚だしいことは死んでも言えない場合…

29壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/11/14(金) 02:50
つづき
>>19
>共同体が境界を引かなければ存在できない、ということが内包する論理からいって
>「異人」のいない「純粋な社会」は原理的に建設不可能なのである。
>「異人」こそが同一性を生み出す源泉であり、彼らの存在しない社会では
>人間は生きていけない。変化しない人間はないからだ。

この部分は非常に私も実感を持っている所なので、同意。
だけども一つ付け加えるなら、その境界はおそらく、日に日に流動性を増している。
そもそもこの世界に流動性の少ない共同体がなくなってきている。
身分がなくなり、服装のスタンダードがなくなり、なんでもあり!な時代になっているから。
だから、私はもはや共同体に「境界」はない、といっていいと思う。
ボーダレスな時代で、境界に変わる、新たな「同一性規定」のための価値観とは、
「ユニヴァーサル(中心的」と「マージナル(周辺的)」であり、明確な線引きは存在しない。
人々はボーダレス時代、自分がいつマージナル(周辺的)になってしまうかを恐れている。

というわけで、私が日々切に感じているのが「ユニバーサルな人々によるマージナルの創出・規定」。
上でも言ったとおり、汚ギャルを特集したり、社会の周辺にいる人々を特集するのって
自分が如何に「ノーマル」か確認する為とちゃうん?と思うのです。
最もいい例なのが北朝鮮ニュースにかじりつく人。あれって「ああ日本に生まれて良かった!」
と思うでしょう。北朝鮮は昔から一部の政治狂にとって、ユートピア(楽園)的な
側面も持っていたわけですが、どちらにしても私達にとって周辺的であることには変わりない。

しかし同時に、今のユニバーサルな人々の共通の価値観として「個性」がプラスの要素で…
個性と異常癖の線引きが難しくなっているからこそ、わかりやすい例を持ち出して
随時自分をユニバーサルに規定化する作業なくてはアイデンティティが保てないのでは?
だって「健康な人間は健康を意識しない」のであって、結局みんなどこかで異常で異端でしょ。
社会で暮らしやすい生を生きるには、自分がユニバーサルでなくてはならないという矛盾に耐えるため、
継続的にマージナルな存在を必要とする流動共同体…これが私がここ半年くらい考えていることなんです。
推論だらけですが。

この場合、周辺的であるものは流動的ですが異人=客人ではなく、常に必要なものであり、
定期的な刷新である貴種流離譚的なものではなく、もしそこに留まり続けてくれる
人がいるなら、それは喜ばれることですらあるのかも知れません。
ああ、全然まとまっていない。上野千鶴子に「それはあなたの実感でしょ」って言われそう。

30壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/11/14(金) 03:10
>>23->>25
>しかしなぁ、なんで生産を止めようとしないのだろうか?
可能性1.本能 2.無自覚 3.資本主義のモットー「生産と破棄」にのっとって。
いちお、>>23で世界史タソが引用してくれたのも>>29があてはまったりします。
『子供生んでトーゼン』なのがユニバーサル、『イラネーヨ』がマージナルで。

はーそういえば萩尾望都も「子宮が考える」とかいっていたな。
子宮でではなく子宮が。今マージナル(漫画)貸してるからワカラン。

免疫の意味論(多田ナンタラ)に書いてあるんですが
「ヒヨコの体にウズラの脳を持つ受精卵は、ヒヨコの体にウズラの黒い羽を
 持って生まれ、ウズラのように行動する。しかし3週間から2ヶ月で、まず
 羽根が麻痺して動かなくなり、やがて全身衰弱して死ぬ」んですよー。
それは、ヒヨコの「体」のほーがノーミソを異物=非自己だと思って攻撃しちゃうんです。

つまるところ、私達をつかさどっているのは意思、思考や脳ではなくて、
ある意味で「 免 疫 」だという話。免疫系が『これはあんたじゃない』と
思ったら、仮に死のうとも攻撃することを厭わないんですよ。うーん何が言いたいんだ?
つまるところ私たちが何をもって自己とするのかっていうのは脳の管轄外で
それから確か子宮が考えるという話にも納得出来た気がします。

最後に一言、「書き込む前に推敲する癖をつけましょうね>一文w」とか言わないでw

31世界史:2003/11/15(土) 01:21
>『変化をもたらしたら、居座らないでどっかいけ』
>それに対しての私の答えはどうなるでしょう。

「どっかいけ」は、ありえるとしても問題になることではないです。
「異人」として住み続けることは、大きな問題とならないのです。
共同体が恐れるのは「異人」の共同体への同化です。
つまり、異人であったものが共同体の中のマジョリティになることによって
共同体の同一性(境界線)を脅かすことが、共同体が恐れることです。
ヒトラーの行ったユダヤ人の虐殺はまさしくその恐れから来ているのもので、
ユダヤ人がドイツ人にあまりにも近くなりすぎたことから来たものだ、
という分析が可能です。
同じように、同性愛者が(所謂)正常な性愛を求める人と同じ立場を持とう
とすることをマジョリティから拒否されてしまうのは、ここから来ているものだと思います。

32世界史:2003/11/15(土) 01:37
>だから、私はもはや共同体に「境界」はない、といっていいと思う。
国家、アジアやアフリカなどの地域性、黒人・白人・黄色人などの人種
これら全て共同体です。
人間を何らかの形で範疇化し続ける以上、範疇化が即ち共同体として機能します。

>私が日々切に感じているのが「ユニバーサルな人々によるマージナルの創出・規定」。
>上でも言ったとおり、汚ギャルを特集したり、社会の周辺にいる人々を特集するのって
>自分が如何に「ノーマル」か確認する為とちゃうん
確認する、というのはつまり線を引いて、ここから向こうは「異人」
ここからこっちは「共同体を形成する人」ということの確認でしょう?
恐らくこれが共同体の同一性を保たせているものですよ。

>新たな「同一性規定」のための価値観とは、
>「ユニヴァーサル(中心的」と「マージナル(周辺的)」
共同体の同一性は常に境界であると信じています。
共同体の中で中心と周辺が分かれているだけで、境界線は常に書き換えられながら
引かれ続けています。
中心とは即ち境界線。その共同体の同一性を保持させている、とされるもの。
周辺とはそれ以外の共同体の中の要素。
ただ、周辺が変化するときに全体が変化し、
全体の変化によって中心も変化していくことは念頭に置くべきです。

33世界史:2003/11/15(土) 02:01
>随時自分をユニバーサルに規定化する作業なくてはアイデンティティが保てないのでは?
まず、アイデンティティの根拠たるものは何か、ということを考えたときに
ジョン・ロックの考え出した「意識の連続」というものがそれである
とするのが一般的でしょうから、これを根拠として考えていきます。

直接的であるか間接的であるかを問わず、我々が世界と結びつきをもてるのは
記憶の働きによっている。またそのような結びつきが我々の同一性を保証している。
というのが、ロック的なアイデンティティの考え方です。
確かに、私とは記憶そのものに他なりません。
しかし、記憶とは単なる事実の集積ではなく、それが構造化されたものであります。
内在化された社会関係そのもではなくて、それを出発点として、
瞬間瞬間に構成され続けているのです。
社会的に不道徳だと判断される内容を抑圧することによって
意識内容の「合理化」(忘却、歪曲など)がなされるのです。
各瞬間ごとに記憶が変化しているならば、アイデンティティも同じように変化します。
つまり、アイデンティティは恒常不変ではありえないのです。

ならば、それを保つとはどういうことか。
これは今まで俺が展開してきた、共同体の同一性と全く同じ論理で
理解されるべきだと思います。

34世界史:2003/11/15(土) 02:16
>>しかしなぁ、なんで生産を止めようとしないのだろうか?
>可能性1.本能 2.無自覚 3.資本主義のモットー「生産と破棄」
うん。でも何故本能は生産を求めるのか。無意識は求めるのか。
資本主義が存在する以前からセックスはあったわけだから、3はいいのでは?
とりあえず、一番根源的なところを理解したい。

>はーそういえば萩尾望都も「子宮が考える」とかいっていたな。
安部公房の小説と同じ論理なのですね。恐らく。

>つまるところ、私達をつかさどっているのは意思、思考や脳ではなくて、
>ある意味で「 免 疫 」だという話。
うーん、免疫は外界に対して自己を閉じる作用として存在しているのであって、
決して開くために存在してはいないですよね?
我々は外界との接触によって生きているのだから、俺はこれには賛成しかねます。
ただ、閉じることができるからこそ開くこともできる、というのは
真理であるように思います。

そもそも我々の見ている世の中が、人間の恣意で決定された「同意」でしかないのだから
何を持って自己とするか、というのは本質をついた言葉ではないのですよね。
まぁそんなこと言ったら、言葉というか、世界全てが無意味になってしまうわけで
う〜む困った…

>最後に一言、「書き込む前に推敲する癖をつけましょうね>一文w」とか言わないでw
あー俺も自分の考えたことをそのまま書き付けるためにあるMYネクラ帳に
書いてあることから引っ張って来てるだけだから、推敲も何もしてませんw

35世界史:2003/11/15(土) 02:17
なんか、スレタイからどんどん話がずれてきている…
スレ立てた本人にとって、急を要する話のはずなのに…

ほんとごめんなさい。多分俺のせいです…

36世界史:2003/11/15(土) 05:20
>>31の補足
「変化をもたらしたら居座らないでどっかいけ」という言葉について。
まず、意識されない変化について。
この変化は漸次的なものであるがゆえに、眼に見える形で現れてきません。
植物の成長のようなものです。
確実に瞬間瞬間、伸びてはいるのだけれども、それを伸びていると感じることはできない。
日をおいてふと見たら、前に見たときよりも伸びていることに気付いた。
こんな感じで変化は進むのです。
よって、この変化の場合、変化をもたらしたものが変化させた共同体へ同化しなければ
排斥されるということは起こりません。
横浜中華街の人たちが、中国に帰れ!って言われないのはこういうことでしょう。
彼らは日本人でありながらも、あくまで中華街という我々とは違った共同体に
住む人間であるからです。

意識されて変化を受け入れる、という場合、それが共同体における同一性を脅かすならば
変化をもたらす主体が意識した内容とは違った、
受け入れる側にわかりやすい形に変容された内容で受け入れられるのが常です。
日本におけるキリスト教然り、明治維新然り。
同一性を脅かすほどのものでないもの、もしくは同一性を強化するものであれば、
すんなり入ってくるだけでしょうね。
遣唐使とかで中国から文化を輸入するときはそうだったのでしょうね。
この両者についても、同化を求めてやってくるわけではありません。
だから、変化させること自体が排斥につながるということは
変化が同一性を脅かすときでない限り、ありえません。

37世界史:2003/11/15(土) 05:29
というわけで、問題となるのは同一性を眼に見える形で書き換える変化をもたらすもの、
もしくは共同体への同化を求めた異人が「どっかいけ」といわれるとき、それにどう対処すべきか。
(ま、両者とも同じであるといえば同じなのですが)

これはsoon die氏の問題と直結してきます。
しかし、俺にはまだどうすればいいかは、正直なところわかりません。
一つの答えとして、ヒトラーに「消えてなくなれ」と言われたユダヤ人が
国家を持ったように、新しい共同体をもつことが考えられますが、
これは同性愛者の望むところではないでしょうしね…

38:2003/11/15(土) 11:39
>>35
急はようしてないですよ・・・

>>37
>これは同性愛者の望むところではないでしょうしね…
自分の場合は、そうですね。
ユダヤ人や鉄腕アトムのロボットみたいに、差別される側が
団結(?)して新しい共同体を持つより、
異性愛者との共生の方がいいです。
それこそ、右利きの人と左利きの人が共生しているように、ですね。

(一文氏の指摘で、異性愛同性愛と 右利き左利き を
同列に論じるのはいくらなんでも無理があるのはわかりましたが、
例えにするにはちょうどよかったので、再び右利き 左利きを例に出しました)

39壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/11/15(土) 23:56
>>31
>「どっかいけ」は、ありえるとしても問題になることではないです。
こういうところがマジョリティ視点だと思います、うらやましいけどw

>「異人」として住み続けることは、大きな問題とならないのです。
>共同体が恐れるのは「異人」の共同体への同化です。
>つまり、異人であったものが共同体の中のマジョリティになることによって
>共同体の同一性(境界線)を脅かすことが、共同体が恐れることです。
そうでしょうか?異人として住み続けること、そんなことが出来るのでしょうか。
世界史タソの論に従えば、異人は共同体に変化をもたらすんですよね?
>>14>ある共同体に対しての「異人」がいなければ変化はなかった。)
住み続けること→変化をもたらすこと→同化することではないでしょうか?
まろびとは訪れ、去るべきであり、去らなかったユダヤが排斥されたとも考えられますよね。

それに対して私が現在考える「ボーダレスな社会(仮名)」は違います。
小さな流動する共同体が無数にある社会、そしてそのマージナルなモノをみて
中心部の共同体は安心する。マージナルなものがそこにあることが許されるばかりか、
「それを明確に区別し、名をつけ、取り上げる(しかし排斥はしない)社会」、
これは一体何を意味しているのでしょうか?という疑問があるわけです。

40壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/11/16(日) 00:06
>>32を読んで思ったことは、私と世界史タソは基本的に意見は一致しているということ。

>確認する、というのはつまり線を引いて、ここから向こうは「異人」
>ここからこっちは「共同体を形成する人」ということの確認でしょう?
>恐らくこれが共同体の同一性を保たせているものですよ。
などは>>29でも言った通り同意だし。

しかし、決定的な違いがあるのは「語彙の選択」w
世界史タソが言う共同体が、>>32>国家、アジアやアフリカなどの地域性、黒人・白人・黄色人などの人種
と聞いて、やっぱりなぁと思ったけれど、そういった大きな共同体ですら
今は明確に区別できないでしょう。ハーフもいる、アジアの中でも大きく偏向はある。
だから私は「境界」とか「線」という絶対的かつ二次元的な単語は使いたくない。
境界はチョークで書いたようにうすらぼんやりとしていて、しかも絶えず動き回っている。
そして、「ここからこっちは」と分けるのではなく、「こっちの方は」と感じているのではないか?
境界線ではなく、グレーゾーンが多発する重複・流動する円状のモノが私達の共同体であり、
そこで問題になるのはイン・アウトではなくユニバーサル・マージナルである、
というのが私の考えの根幹です。

41壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/11/16(日) 10:01
「ボーダレス社会(仮)」についてもちっと補足。
世界史タソのいう共同体って私がいうものよりちょっと大きめ。
国家の境界線は結構ハッキリしてる。でも今やネットの普及で世界は狭くなっている。人
種、これはちょっと怪しい。ヴィクトリア・ベッカムは白人でマイケル・ジャクソンは黒
人でクリスタル・ケイは黒黄ハーフ。境界の上にいっぱい人がいる、よってグレーゾーン
というべきだと思います。
さらにもっと小さな共同体ならどうか?そもそも国家とか人種が小さな共同体の集合なん
だから結構肝要な部分だと思います。そして大きなモノに比べて小さな共同体はもっと流
動的。例えば2ちゃんねるなんていい例で、超流動的で境界線を引くことは不可能。では
2ちゃんねるで「朝日が一番良い新聞」と言ったらどうなるか?当然叩かれる。2ちゃん
ねるは右よりの偏向があるから。では朝日と毎日が廃刊、廃局になったらどうなるか?右
という偏向がニュートライズされ、叩く対象がなくなり右傾化がおぼろげになるのではな
いか?彼らは継続的に何かあるにつけ朝日を叩き、右を中心化しているのではないでしょ
うか。
執拗に在日を叩くのは何故か?それは日本という共同体が単一共同体ではないからであ
り、在日はマージナルな存在として「日本人」と「2ちゃんねらー」のマジョリティを規
定するため叩かれつづける存在として必要なのだと思うんです。
どちらにしろ世界史タソのいう境界線を三次元にしたら私と世界史タソの基本見解は一致
です。ただし流動性と境界線のグレーゾーン化を前提とすれば異人の性格は変わるけど
ね。
貴種流離譚の代表ゴジラを例にとれば、境界がある共同体にとって、ゴジラは来て去るの
が一番。「あー大変だったけどみんなで結束してがんばったね☆」的な役割を異人は果た
すように思える。ゴジラが居座ったら人間は排斥しようとする。ゴジラが人間化するのも
人間がゴジラ化するのも困るから。
しかし、「個性」と「異常性」を絶対的な座標で認識できず相対的な感覚で捉える流動的
共同体では違うと思う。例えば、私たちの身体が世界の汚染に耐えられなくなって、人間
と動物を掛け合わせたとする。ラクダ人間、イヌ人間などが生まれた。そこにゴジラが
やってきた。ニワトリ人間は言う。「まってゴジラ君、東京湾に自由の女神みたいに立っ
ててくんない?みてみんな、同じトサカつきでも、私ゴジラ君よりよっぽど人間らしい
わ!」
この話をメタファーと取るか妄想と取るかはお任せします。

42壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/11/16(日) 10:09
ちなみに>>41ではウィリアムズ的身体感覚をもってアイデンティティとしましたが
アイデンティティという単語選択は適切ではなかったかもね。
ユニバーサル志向性とでも言うべきだったかも。まぁたいていの人はユニバーサル
志向性があると思うからアイデンティティの問題とも密接に繋がると思うけど。

43世界史:2003/11/16(日) 14:59
>>39
ごめんなさい。
>「どっかいけ」は、ありえるとしても問題になることではないです
これ、訂正させてください。>>36がその訂正です。

>住み続けること→変化をもたらすこと→同化することではないでしょうか?
異人が共同体内で共同体を構成することで「異質性」を確保したままで
共同体内に留まることができると考えます。
もしくは、あからさまに異人とわかるような生活をし続けることも可能でしょう。
記憶が確かではないのですが、フランスのある時期、ユダヤ人排斥運動が起こったときに、
ユダヤ的なユダヤ人は大して攻撃されず、多くのフランス的なユダヤ人が攻撃された
ということがあったと記憶しています。
これはそれを象徴的にあらわすものだと思います。

あと、俺が言っている「同化」は多数派の価値観に少数派が取り込まれる、
といったものではありません。
異人=少数派が変化を与えている、もっと動的なプロセスとしての「同化」です。
適当な言葉が見つからないのでわかりにくいとは思いますが。

44世界史:2003/11/16(日) 15:16
>>40
共同体と言うものは存在します。しかしそれはあくまでも虚構としてのみの存在です。
実際に、人種や地域性といったものの根拠は全くもって「ありません」。
国家は維持させている法律も、考えてみれば根拠が無い。
家族を縦につなげている血縁というものですらももっとミクロにみて行けば、
根拠としては非常に薄弱です。
共同体とは人為的に線引きがなされたものであり、そういう意味で「虚構」でしかありません。

ただ、その虚構が実際にあると信じられ、何かしらの力を持っている以上、
「あるもの」として捉えるべきだと考えるわけです。

線引きされた、虚構としての共同体の中心たるべき所以外では
「ユニバーサル・マージナルである」ということは十分に考えられます。
ただ、共同体の中心にある価値観を持つか否かでその構成員であるかが決定されるので、
それ以外の所で「ユニバーサル・マージナル」と言ってみても
それが共同体のこちら側あちら側(こっちの方、あっちの方でも構いませんが)
が決定されるとは考えていません。
ただそれは共同体を変化させるものとして存在するのだと思います。

45世界史:2003/11/16(日) 16:05
>>41
国家の境界について:
法律には根拠がありません。
なぜ18歳ではなく20歳でないと選挙権がもらえないのか。
なぜ飲酒・喫煙は20歳からなのか。
なぜここの道路は40㎞/h以下でないと走ってはならないのか。
根拠が無いのです。みんな法律だから守る。
みんなが疑問をはさむようになってしまったら国家が成り立ちません。
だから国家というものも、非常に脆弱な虚構でしかありません。
国家と国家の境界線も、同じように根拠が無いのです。
しかし線を無理やり引く。それが眼に見える形であるから信じやすい。
はっきりしているように見える。それだけです。

人種について:
純粋な人種などありません。色で分けるにしろ何にしろ、個体差があります。
各個体が持つ形質のそれぞれの相関関係と集合の純粋性とは、全く次元の違う話です。
混同してはいけません。
それを勝手に混同して、ぱっと見が黒いとかで恣意的に分けたのが人種です。
見た目が余りにも異なるから分けてみた、ということに過ぎません。
よって、人種というものも虚構です。

2ちゃんねるに関して:
繰り返し言うように、俺の考える共同体の中心は「線引き」です。
2ちゃんねらーとそれ以外を分け隔てるものは何か、と考えたとき、
それは明確ではないですよね。
人種のように、明確ではないにせよ黒い・白いとかで分けることができるわけでもない。
国家には、国家の意思というものが内閣を中心に形作られ(捏造され)ています。
しかし、2ちゃんねるには統一的な意思はありません。あるのは傾向だけ。
だから、2ちゃんねるを共同体と考えるのは無理があると思います。

46世界史:2003/11/16(日) 16:44
ゴジラについて:
ゴジラと俺が言っている「異人」との決定的な差異は、我々に害をなすか否か。
ゴジラは人を殺します。建物を壊します。害をもたらすものなのです。
そう判断されたから排斥されるのです。
「異人」は共同体の中心を為す境界に触れさえしなければ、
害は無いものとして存在します。「理念型」としての異人はね。

最期のお話について:
論理的にはゴジラと人間の差異はない、と言うこともできるのですよね。
原子までさかのぼれば、我々とゴジラを形成しているものは同じなのですから。
何を以って人間とするか、これは一考に値しますが、
しかしそれはあくまで我々という共同体内での同意でしかありません。
科学だって現在の科学者や一般人の同意によって形成されているに過ぎないのですから。

47世界史:2003/11/16(日) 16:58
これだけスレタイから話をそらせておいて非常に申し訳なく思いますが
ついでにもう一つ。

これだけ書いておきながら、恐らく俺は、言葉をそれほど信用していないように思います。
言葉のオリンピックに嫌気がしてくるときがよくあるのです。
実践すらもまた、哲学者たちの言葉によって分節されてしまう。
哲学科に進学したのは、今更ながら間違いだったかなぁと思ったりします。
俺はシニフィエとシニフィアンとの幸せな合致を望みません。
哲学者はその合致を前提に語ります。
俺は嫌です。
シニフィエがシニフィアンを覆い尽くして、更に超えていくような、それが欲しいのです。

48世界史:2003/11/16(日) 16:59
ごめんなさい、徹夜していて眠いのですよ。ごめんなさい。

なんで謝っているんだろう…?w

49壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/11/17(月) 10:14
おっはー。
ここらで一息つきましょうか。私は「共同体がない」とは思っていないのです。
でもそこに「線」はないと思います。世界史タソの言うとおり共同体は幻想です。
そして彼らは異人と自分達に「線を引いていると思う」。けれど、その一人一人が
引いた線にあまりに誤差があるために、それは既に線として機能しない、「グレーゾーン」。
ほぼ黒に近いグレーゾーンはあると思います(国境のような)が、小さな共同体になれば
なるほどその境界のあいまいさは増してゆく。そして人々はそのあいまいさに気づいている。
世界史タソの意見とは相容れぬかも知れませんがこれが私の基本見解です。

そんでもって境界――ここからこっち論、よりも、ユニバーサル/マージナル――真ん中の方論
の方が私はよっぽど「私視点からみる世界」を説明しやすいのです。
だからやっぱりこの部分は曲がることはないと思います。世界史タソ視点の世界は、
もしかしたら「虚構」でも「線引き」だけはあるのかも知れない。
でも、その線引きがあなたの隣の人と重なっているとは限らないわけだし、
共同体の人口に膾炙した線引きと重なっているかもわからない。
私は「そんなことはもはや、どーでもいい。それよりも出来るだけ、ユニバーサル=普通に」
という、「境界線の中へ!」というイン志向から、中央化志向へ変わっていると思う。
あくまで私は(初めから世界史タソを論破しようとしていたわけではないのだ)。

もし世界史タソから見た世界が、境界のある世界なら、それはそれで面白いんでね。と思う。
否定することではないもの(当然だけど)。
でも私にはそうは見えないよ世界史タソ。ということを、わめき続けていたわけです。

50壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/11/17(月) 10:55
>記憶が確かではないのですが、フランスのある時期、ユダヤ人排斥運動が起こったときに、
>ユダヤ的なユダヤ人は大して攻撃されず、多くのフランス的なユダヤ人が攻撃された
>ということがあったと記憶しています。
ユダヤ的なユダヤ人はマージナルだったから必要だったと私風の解釈を付け加えてみるw
あと上の方にある横浜中華街、キリスト教なんかも同じ(そもそも彼らは異人なの?変化を与えている?だとしたらどんな?)。
明治維新はなー、ちょっと古いかも。まだ線引きのある時代だからね。

>異人=少数派が変化を与えている、もっと動的なプロセスとしての「同化」です。
人間がゴジラ化することとゴジラが人間化すること、と私は喩えの中で
同化を捉えてみたけど、これって違うかしら?OKよね?

私が世界史タソに聞きたいのは、「線引きする社会って言うのは異人を作り出すものなの?」
っていうこと。私達はマージナルを発見し創出し報道し叩いているよね。
この傾向は、線引きされた異人(えた非人、部落)とか社会主義の崩壊(「大きな物語」の喪失)が
一つの契機になっていると私は思うんだけど、今って「異人を作り出さなくてはいけない社会」なわけ。
私にとってはこれは「ユニバーサル・マージナル論」で説明したほうが
断然すっきり説明できるんだよ。社会そのものがすっきりしていないから、
「すっきり説明できる方が正解!」な訳ではないよ?でも私はそっちを好むな。

説明:
近代・現代はユニヴァーサルを目指した時代である。つまり、「アジアでも
ヨーロッパでもアメリカでも何処でも使えるモノ、デザイン」。例・マンション、ジーンズ
ユニヴァーサルなモノが普遍化する弊害は二つある。
1、ユニバーサルに属さないものを浮き立たせてしまう→マージナルが浮き立つ
2、全てがユニバーサル(=グローバル化といってもいいかな?)になることにより
  世界が均質化する。
この二つ自体がすでにディレンマであるのに、この二つは世界のユニバーサライズに対しても
ディレンマとして機能するという超難題(アポリア)。しかしこの二つを効果的に利用し
人心を満たす方法がある、それは「マージナルの創出」。
1910年代、ヨーロッパではオリエンタルが流行したけれど、彼らが思う「オリエント」
というのは、サイードが指摘したとおり押し付けと偏見でしかない。
当時ヨーロッパではアンシャン・レジーム崩壊後の(ああ、ここらへんは世界史タソの
領域ですね、足元注意せねば!)ひと段落の時代で、ヒストリズムの時代、閉塞感の時代ですよね。
この頃はまだ、マージナルなものは刷新の機能=異人的機能を持っていた。
そうして、マージナルなものは発見「される」ものであり、創出されるものではなかった。
んでも今は違うと思う。
1の世界のユニバーサル化がどんどんどんどん進んで、マージナルなものがぼこぼこ
創出されている。自分がいつマージナルに落ちるか分からない不安。2でのだいたい
どこからどこまでがユニバーサルなのかようわからん不安。でもそういう時、
横浜中華街を見れば、私って日本人じゃん、ってわかる。ユダヤ人を見れば
オイラドイチェじゃんってわかる。ギャルを見れば「最近の若者は。我らの時代はよかった」ってわかる。
北朝鮮を見れば、層化を見れば、在日を見れば、土井を見れば、JOYを見れば(ry
だから私達はマージナルを「探しに行く」、そうして見つけたら大騒ぎして取り立てて騒ぐ。
これ、私からみた世界なり。

51壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/11/17(月) 11:13
>>45
国家については同意。

>それを勝手に混同して、ぱっと見が黒いとかで恣意的に分けたのが人種です。
>見た目が余りにも異なるから分けてみた、ということに過ぎません。
>よって、人種というものも虚構です。
うん。わかる。だからそれってもう境界っていう「線」じゃなくて
グレーゾーンっていう「面」だと思うの、私は。
昔は黒人、白人、黄色人種でよかったかも知れんがそれだけじゃ分類しきれないってみんな気づいているでしょう?

>2ちゃんねるに関して:
繰り返し言うように、俺の考える共同体の中心は「線引き」です。
人口に膾炙した「線引き」が不安定である可能性が否めないから納得できない、ごめん。

>2ちゃんねらーとそれ以外を分け隔てるものは何か、と考えたとき、
>それは明確ではないですよね。
定期的に2ちゃんねるを訪れるか否かです。

>国家には、国家の意思というものが内閣を中心に形作られ(捏造され)ています。
>しかし、2ちゃんねるには統一的な意思はありません。あるのは傾向だけ。
>だから、2ちゃんねるを共同体と考えるのは無理があると思います。
2ちゃんねるは共同体です。2ちゃんねるを共同体と言わない理由を「共同体の統一意思の不在」
に求めるなら、学校も家族も地域も共同体ではなくなります、而して人種や文化圏も
共同体ではなくなります。国家というのは最も境界のはっきりした共同体ですから
対象の例として不適格です。そもそもここはsoon die氏のスレで、私は彼を貶める
マジョリティのユニバーサル志向について語ってきたつもりであり、それは
国家はもとより、彼の周りの学校、社会、家族というミニ共同体すべてに応用がきく
ものであろうと自負しています。だからこそここで延々と語り続けているわけです。
世界史タソ。ここで国家や民族というどでかい共同体についてのみ限定して語って
一体何になりましょう。実際的でない、実用的でない、無意味なことです。
2ちゃんねるは共同体、隠れ処も共同体、帝京大学も共同体だとして話を進めないと
この数十レスすべてが無意味なものになっちゃうではあーりませんか。
2ちゃんねるは共同体です。彼ら独自のユニバーサル志向を持っている集団なのですから。

52壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/11/17(月) 11:23
>ゴジラと俺が言っている「異人」との決定的な差異は、我々に害をなすか否か。
>ゴジラは人を殺します。建物を壊します。害をもたらすものなのです。
>そう判断されたから排斥されるのです。
ゴジラを例に出したまでであり、流離しちょる貴種は他にもいっぱいいますよ。
例えば「探偵モノ、ミステリ」の探偵は貴種流離です。
彼らが訪れる共同体では誰かが人を殺しています。建物は…どうでしょ?害が起きているのです。
探偵は人殺しを見つけます。でもそれでヒーローになって居座ったりしないでしょ?
帰ってしまう。金田一が訪れた山村には、何らかの変化が起こる。でも金田一は、帰る。
インディー・ジョーンズは僻地にいってそこに変化を齎して帰ってきます。
西部劇の主人公はゴーストタウンにいってやっぱり帰ってきます。
フーテンの寅さんはどこに行くのか知らんけど帰ってくるらしいです。
貴種はそこにいたら排斥されるか、まれに異人のまま居座ったとして、それって辛いでしょ。
共同体がしっかりと共通した線引き幻想を持っている場合、そこを訪れる異人って、
客人(まろうど)か、ユダヤ人にしかなり得ない気がする。
共同体がしっかりと共通した線引きを失うと、異人は途端に性格を変えると思うんだけど。
そしてsoon die氏は、異人ではなくて、マージナルになればいいのだ、と
私は思うわけです。

53壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/11/17(月) 11:47
【soon die氏へ】
長々とごめんなさい。長いから全部読んでる暇なんて、ないと思うので、
簡潔に私の考えを言います。

あなたは共同体という言葉を借りれば、一種の雌雄共同体です(ちょい使い方違うが)。
オスメスのグレーゾーンにいるばかりか、そのオスメスグレーゾーン連中の中でも
端っこの方にいる(性欲の欠如により)。

ただし。
真ん中を目指すことって、そんなに意味があることなんでしょうか?
というのが、今まで一度も言っていないけど、この中心的/周辺的論の
結論なのでございます。(ずいぶん遠回りな演繹だことw)

あるニューヨークの会社が、全米で最も平均的な人を割り出し、入社を求めたところ、
その男性は自分が平均的であるのを認めず断ったという話があります。
出典が思いだせず激しく説得力がないのですが。
もし平均的な人間というのがいたらどうでしょ?
なりたいですか?私はなりたくないな。多分世の中の大半の人はそうではないかと思う。
だから彼らは個性的な人間を目指すわけです。「世界がもし100人の村だったら」なんか読んで
自分がどういう位置にいるのか確認しながらね。
でもその中央にいる人間って誰なんだろう。誰もいません。
「中心」って何?私は、実はみんなが目指している中心は、空白だと思うんです。どうでしょう?
しかし、「ユニバース」という単語に中心っていう意味はないんです。
全世界とか、万物とかいう意味。全てを包括すること。いい単語ですね。

マージナルな存在であることは、おそらく辛いことではあると思いますが、
必要な存在であるし、ユニバーサル志向を抜け出ることは不可能ですが、
(それこそベンヤミンの言うように)その中でハッと気づいてみると、
なんだこんなこと気にしていたんだ、と思うようなこともあると思うんです。
この考え方を押し付けるつもりはないですが、このような見方がsoon die氏の
助けになることを祈っています。少なくとも
>なぜ「好きな女は誰ですか」とか「彼女いる?」とかいう質問が多いのだろうか。
>なぜ質問内容の対象が2分の1に限定されているのか。
という問いへの>>10の返答の、補足にはなるのですが、もしかしたらsoon die氏の
疑問を解き明かす、ツールになるかも知れません。ならないかも知れません。
>>7ででている、「フツー」って単語、コイツが曲者だ、というお話でした。

おわり

54壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/11/17(月) 12:12
【soon die氏へ2】
おわりとかいいつつ。

そうそう、だから私と一緒にマージナル人生をがんばろーと言いたかったのだ。
人並みに生きるな、自分なりに生きろ。っていうアレです。

世間には中央化志向を持つ人もいれば、周辺化志向を持つ人もいます。
いわゆる「カウンター・カルチャー」っていうのは、周辺化志向から生まれたもんです。
例えば初期のロックとか。でも今やバンドといえばロックで、それがフツーになっちゃってるんですが。
そこらへんに耐え切れないとカート・コバーンになっちゃうのでホドホドにね★
でもあなたは生まれつき?人とちょっと違った位置にいる。
もし、あなたが今いるグレーゾーンの色が薄いのが不安だったら、他の周辺化志向の
文化に触れてみて、グレーの色を濃くしてみるのもいいかも知れません(他の共同体にも属する)。
たとえば私は少女漫画コミュニティ萩尾望都一派に属しているつもりなのですが、
萩尾さんはもうマージナルを地でいっている人で、社会のシステムに反発を
繰り返している人なので、私はとっても好きです。

んでも、たしかに中央(っていう幻想)の方に行くにつれ、グレーの色は濃くなると思うけれど、
本当の中央っていうのは、全てに属する代わりに何にも属していない空白だと思うんです。
soon die氏は他の人が手に入れようと思っても手に入れられない「視点」を持っているのだから、
その視点をしっかり据えてみてはどうかなーと思うのです。
私はあなたが羨ましいですよ、胸が肉に見えるなんて。意識の枠からの脱出、それって文学者が追い求めるものです。
でもそれだけではもったいない。肉を見て「ああ、胸に見える」と思ったところに
多分悟りの境地wがあるんだと思います。

それと、暇だったら少女漫画お勧めしますよ。
70年代少女漫画って、性器を持たない少年に自分を仮託してアイデンティティとか
レーゾンデートルを問うものが凄く多いから。性器そのものの意味を考えているんだけど、
結果的に少女から女、少年から男への成長を拒んでいるんです。
思考パターンが似ている気がします。大和和紀の漫画で、オンナノコがメロンを
胸にあてがって服を着て、お母さんの化粧品で化粧するなんて漫画があったけれど、そんな感じ?

おわりかな

55世界史:2003/11/21(金) 01:34
最近、頭が上手く動かなくなってきたので、返信は少々お待ちを。

とりあえず、一文氏の「ボーダーレス社会(仮)」が
俺の考える共同体理論を内包しそうな感じはしてきました。

56壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/11/21(金) 11:59
>>55
私待つわ。56億6999年364日までは待つわ。
>とりあえず、一文氏の「ボーダーレス社会(仮)」が
>俺の考える共同体理論を内包しそうな感じはしてきました。
でしょ?そうなんだよー根本は一緒なんだよきっと。

57世界史:2003/11/23(日) 22:12
今書いてる途中なんだけど、どうしてもごちゃごちゃして読みにくくなってしまう…

とりあえずわかったことは、
二人が書いてることは実はほとんど変わらないのではないか、
ということです。
まぁ細かいところは違うかもしれませんが
ほぼ同じだと思います。

書きあがるのはもうちょっと待ってね。
友人のレポート(17世紀フランス文学)と
大学の文芸誌に載せるもの(フランス古典演劇からベケットへ)とを
同時に執筆中で大変なので…
締め切りがきつい…

58(´_`)y−~:2003/11/24(月) 23:36
>>57
ベケットですか。文芸誌見せて下さいね。

59udon:2003/11/25(火) 22:58
>>58
ゴドーに絞りました。もう書きました。まだいじるけど。
今度、「ゴドーは待たれながら」という戯曲っぽいものを書こうと思います。
実際に刷り上るのは来年の2月とか3月ですね。ええ。
できあがったらお持ちいたしますよ!また会っていろいろしゃべりましょう。

>>一文氏
最近徹夜続きで頭が動かないのです…
ほんと返事遅くてごめんなさい…

60壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/11/27(木) 01:06
>>59
うんにゃ、気にしないで。私も猛烈に忙しいし(ホントかよw
とりあえず、うどんタソに説明していただきたいものは
・異人の創出について
・線引きの不確定性について
かな?

それと、死んでも納得できないのは2ちゃんねるが共同体でないって所ね。
それって実際的じゃないから。私は一応実用的な文化論を語るつもりだから、
位相のズレが相当あると思われる。民族学と民俗学のようにね。
国家とか民族とか大きい共同体について語りたいなら、私と語っているものが違う。
糸冬。になる。

61とある隠者:2003/11/28(金) 01:34
ところで、あなた方はなにか現代文みたいな難しい文を書いていらっしゃいますが、
それは大学で学んだことを生かして書いているのでしょうか?
それとも、高校生≒受験生時代の頃でも、同じような文が書けたのでしょうか?

上位大学の学生ならば、あなた方が議論していることくらい
簡単に理解できるものなのでしょうか?

なんだか格の違いをわからされた気がしました。
小論文参考書の模範解答とか、「受験生にこんなの書けるわけねーだろ」
と思ってましたが、どうやら自分の世界が狭かっただけみたいですね。

ちなみに、文体が変だけど煽りとかではなく、
純粋に気になっただけです。

62udon:2003/11/30(日) 01:32
よーし酒の勢いを借りて書いてみるぞ!
相変わらず時間は無いけど睡眠時間なぞ削ってしまえ!

しかしやはりめんどくさいので、>>60への回答だけにしておきます。

・異人の創出について
人間はものを分節(線引き)する生き物であることには異論は無いですよね?
分節するということは、即ち線のこっち側とあっち側を作ることを意味します。
線を引いた瞬間に異人は創出されるのです。

・線引きの不確定性について
不確定です。全くその通り。
しかし、不確定ながらも共同体と共同体とを分ける「言葉」はあるのです。
「言葉」は、各々のクオリアは違えど既に分節されているからこそ存在します。
各々の境界線が違うことは問題になりません。
行為及び思考は個人に還元されるものなのですから。
多くの人々がその存在を「信じる」ものが共同体となる。
こういうことじゃないですかね?

・2ちゃんねる
2ちゃんねるが共同体であることが実際的である、という言葉が理解できません。
もう少し説明ぷりーづ。
とりあえず、前に書いた「統一的意思〜」のくだりは忘れてください。僕の間違いです。
統一的意思は共同体に必要なものではない、というあなたの言葉どおりです。
僕は共同体を、人がそこに対してなんらかの帰属意識を持つことができるものだ、と考えています。
2ちゃんねるに帰属意識を持つ人は果たしているのでしょうか?
少なくとも僕は2ちゃんねらーであることを否定できませんが、そこに帰属意識を持ってはいません。

大きい共同体だけじゃないですよ。
家とか家族とかのことも同時に語っているつもりです。

63udon:2003/11/30(日) 01:34
ちょっと待った。
やっぱ俺、2ちゃんに帰属意識を持っているかも。
湘南ゴミ拾いオフとかの時とかに感じていた気がする。
とすると、2ちゃんも共同体なのかなぁ…

う〜ん…

64udon:2003/11/30(日) 01:35
>>61
俺が使っている言葉は、だいたい高校時代〜浪人時代に読んだ本から使い、
この考え方は浪人している最中に出来上がったものです。

65udon:2003/11/30(日) 01:39
間違えて書き込んでしまった。
>>64の続きでござる。

んで、上位大学の学生なら誰でも、っていうのはどうでしょうね?
少なくとも我が中央大学でこんなことをしゃべるのは
ごく仲のよい、頭の切れる友人一名と先生にだけですね。
他の友人にはわからないかもしれません。
早稲田のサークルにも所属しているので、彼らに限って言えば
多分この考え方に賛同するか否かはともかく、一文氏のように、
俺の言っている事を理解はしてくれると思います。

66壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/12/02(火) 01:01
>>62

花より男子なみのループだけどご容赦を。
異人は創出されるというのは答えになっていない。
勿論、線引とやらが本当に行なわれているなら、自然発生的に異人は生まれると思いま
す。それは意図的に異人を引っ張り出し創り出し報道し取り上げスレを立て「叩く」行為
とは自然出産と人工授精くらい差がある。
私の疑問、なぜ韓国人を叩くのか、在日を叩くのか(私もチョソはキモいよ?これは私の
左傾化思想とは関係ないまっとーな疑問ね)、なぜ10代よりめ20代以上の方が人殺してる
のにキレる17歳とか騒ぐのか(もしくは最近の大人はって言われないことへの反発と疑
問)、なぜゴスロリ全体が叩かれるのか、その叩く主体である2ちゃん自体が今度は世間
に叩かれる。何故か。何故個性を追い求めている癖にみんな同じ雑誌を読み同じ恋コスメ
を使うのか(もしくは公式化された美のイメージへの反発と疑問)。
そういったことに答えるのに私は私の論を採るよ。私にはそう見えるから。
たとえば在日。在日って言うのは何世代前からなんだろう。天皇だって岡学説などを採れば
韓国人でしょう。どこからどこまでの線引きって言うのはできない。さらにマスコミは
韓国ブームを煽っているし、ユンソナやBoA、ソニンが活躍しているし。なんで彼女らはOKで
在日は駄目なのか?どっからどこまでがOKなのか全然わからない。入り込んでくる恐怖、自分達が
韓国人の血を引いているかもしれない事をまるで打ち消すかのような韓国・北朝鮮叩き、
朝鮮総連叩きが行われている。でもGOがヒットしている。これってマイノリティにもありがとうとは
ある種対極的な現象だと思うんですが(同時に同じだとも言えるけれど)、つまり保守的な共同体に対しての
更新と延命作用は持っているかもしれないけれど、共同体はありがとうなんて感じていないでしょう。


>不確定です。全くその通り。
ならなぜ「線」という二次元的絶対的限定的な単語を選択するのか理解に苦しむ。
グレーゾーンの方が適切に思える。

>しかし、不確定ながらも共同体と共同体とを分ける「言葉」はあるのです。
>「言葉」は、各々のクオリアは違えど既に分節されているからこそ存在します。
>各々の境界線が違うことは問題になりません。
大衆の同意を得られない境界線が境界「線」としての機能を共同体内で果たすのかどうか
疑問を感じる。言葉のクオリアが違うのに分節されているという理由だけで
境界線を信用するわけにはいかないよ。上の在日を見よ。

>行為及び思考は個人に還元されるものなのですから。
共同体について語っている時にそれは禁句ではないのかw

>多くの人々がその存在を「信じる」ものが共同体となる。
信じるなんて言葉は嫌いだ、懐疑主義者のうどんタソなら分かってくれるだろうけれど。
信じることを信じられなくなった時に信仰は力を失う。どこからがOKな在日でどこからが
駄目な在日か、どこからがOKな殺人でどこからが駄目な人間か、線を引けますか?
私は引けません。私はただ、「ゴスロリよりはマトモだ。リスカしてねーし」と思うのみなり。

まぁなんですかね、書いている立場が違いすぎるというか。
柳田國男と赤松啓介が語り合って分かるはずがない感じ?マルクス主義者ではないですが。
もしかしたら私の感覚依拠的な疑問に対して「マイノリティにもありがとう」と言える人が
答えられる筈がないのかもしれない。と思ったり。

うどんタソに見える世界がそうなら、私はそれでいいと思いますよ。
間違っているわけではない。でも私にはそうは見えないです。
大体線引きっていう単語が、越境を目指し、統合思想を嫌う私からしてみれば
大嫌いなものだったりする(マイノリティはマジョリティ側に勝手に異物だって
線引きされて分けられて自己肯定のための異物として扱われるのが嫌いなのです)。

67壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/12/02(火) 01:23
×どこからがOKな殺人でどこからが駄目な人間か
→◎どこからが駄目な殺人か(喩えです)

>2ちゃんねるが共同体であることが実際的である、という言葉が理解できません。
>>51を参照ぷりーず。でも統一意思の不在云々がなくなるならこの言葉は意味をなさない。

共同体の定義は難しいです。
とりあえず、「人が複数人いて、社会的にも認知され得る存在」であり、かつ
「しようと思えば、統一の意思を持って(全員ではなくとも)共同で行動できる存在」
って感じでしょうか。

地球の全人類
四国民、本州住人、北海道民、九州人、沖縄人 (共同体ではないもの)
永田町駅の通勤利用者
竹下通りにいるゴスロリ
----------------------------------------------------
ベルサイユのバラ愛読者
@コスメ
東大理III生              (共同体性をややもつもの)
サイト持ってるゴスロリ
東雲公団エステート居住者
トムクルーズとペネロペ
----------------------------------------------------
池田理代子ファンクラブ
センター街に日参する香具師ら        (共同体性をかなり持つもの)
2ちゃんねるなどの巨大掲示板、巨大サイト
ジョンレノンとオノヨーコ
----------------------------------------------------
池田小学校2年3組 東京大学
グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国
アイヌ人 ケルト人 在日
サッカーなどリアルで会うことの多いファンクラブ
石原一族 深作組 グレイシー一族

こんな感じ?

68壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/12/02(火) 01:33
>>67
最後は当然「共同体」です。書き忘れスマソー

>>61
まず最初に言っておこう、君はこの長文を読んでいないはずだ!と。
私は無学だからかなり読みやすい文を書いている筈だよ。いくつかのタームも
そんなに難解なモノじゃない筈だし、たまにでてくる柳田とかの固有名詞も
理解を促進させるものであって知らなくてもOKな筈だし。
個人的に「ユングのいうところの集団無意識では〜」とか「ボードリヤールの
言うところのシュミラークルによるとー」みたいな文は嫌いだし。
(概念装置を前提としてそれに事実を当てはめていくような方法ね)
勿論、語るだけ語って「まぁこれはユングも言っていることですがね」みたいな
方法なら全然OKで、その点世界史タソとお話しているのはとても楽しいです。
大学は結構概念持ち出してきてそれ無自覚に受け入れたり批判して終わり、っていう
本末転倒な人が多いからね。自分も無理やりレポート書くとそうなる。

私もどっかのスレでスロさんと愛弟子が電車について語ってるのみて
一体何のことだかサッパリわかんなかったよ。
そんなもんでしょ人間。興味がない事項に関しては人口に膾炙した説を
無自覚に選択しながら生きているのさ。私はそれって全然悪いことじゃないと思うな。
戦争とか政治の話は別として。

69まにゃでち:2003/12/02(火) 23:09
↑俺だけ呼び捨てかよw

70壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/12/03(水) 00:25
>>69
愛弟子タソw

71udon:2003/12/16(火) 08:29
えーと最近時間が全然取れません。
人のレポートはやる気が出ないので大変でした。
ぼくのレポートもこれから追い込みで、且つ年末行事もつまってます。
ということでお返事は冬休みに入ってから、更には年が明けてからになるかも…

ごめんなさいね。

72壱 </b><font color=#FF0000>(HNsCawgU)</font><b>:2003/12/24(水) 09:56
ウキョ。おかまいなく。

73:2004/01/29(木) 01:35
最近、初めて異性を好きになった。
もちろん今まで異性に好感や好意を抱くことはあった。
だが、世間一般で言う「好き」つまりlikeではなくloveの域に行くのは、
相手が男の場合でしかなかった。
だが今回は、相手が異性にもかかわらず、「好き」になっている。

うれしいことなのか悲しいことなのかよくわからない。
嬉しいことだとしても、手放しでは喜べないが…

絶対に起こりえないことだと思っていたので、今はまだ気持ちの整理がついていない。


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