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マンスリー前科者通信
284
:
ポルシェ万次郎
:2007/12/29(土) 08:34:29
この男とはのちに再会する機会があった。彼はあのあと、フィリピンと朝鮮の歴史を調べてこちらの言い
分が正しいのを知ったと、あっさり非を認めてきた。
そしてこう付け足した。「初対面の日本人に朝鮮の植民地の話をすると、みんな申し訳ないという。そう
いう形で付き合いの主導権を取ってきた。反発されたのは今度が初めてだった」と。日本人には有効な「
決め言葉だったのに」と笑っていた。
ここで注釈をつけると、彼のいう「日本人」は新聞記者であり、総領事館のスタッフ、っまり各省庁から
の役人であり、一流企業の駐在員など世論にコミットする世界の人々だ、そんな彼らは朝鮮併合の中身も
近代史も何も知らない。特派員に至っては、そういうあやふやな知識で微妙な国際問題をさもまともそう
に記事にしている。
あまりぞっとしない話だが、実はこの米国人の「決め言葉」と同じものを支那の南京でも聞かされた。
日本軍が南京を落とした後、6週間にわたって市民30万人を殺した、つまり毎日7000人ずつ42日間、殺し
続けたその証拠を留めるという「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館」を見に行ったときのことだ。
展示場はいかにもおどろおどろしくつくられているが、もともと虚構の事件だから物証などあるはずもな
い。だから展示品は「日本軍の虐殺の証拠写真」とかだが、すでに東中野修道・亜細亜大学教授が解き明
かしているように、どれもこれも検証してみれば同じ人物や同じ場所で演出されたいんちき物ばかり。
まともな実写は『アサヒグラフ』に載った日本軍兵士らの写真で、もともとのキャプション「農家から鶏
を買った笑顔の兵」というのが「農家を略奪し農民を皆殺しにして家禽を略奪した日軍兵士」と変えてあ
る。そう変えさせたのは江沢民だ。
当時の南京には市民は20万人もいなかった。日本軍が入城後は平静に戻り、道端で支那人の床屋に髭をあ
たってもらっている日本軍兵士の写真などが当時の『朝日新聞』にも載っている。
中国が主張する毎日7000人ずつ「6週間休みなく殺し続けた虐殺」のそのさなかに報道班員としてやって
きた作家の石川達三はもちろん、そんな虐殺を見てもいない。
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