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東方好きなら民俗とか神話とかまったり語りたいだろ【其の弐拾伍】
古代史、考古学、古典文学、文化人類学、宗教学、郷土の昔話、
理科系分野の学問まで…何でもありの雑学スレと化してます
そこのインテリ気取りの諸兄(*1)も詳しくないけど興味のある諸兄(*2)も不比等(*3)もどうぞ
(*1,*2)ttp://wikiwiki.jp/th-kousatu/?plugin=ref&page=FrontPage&src=remy10589_0.jpg
(*3)ttp://momijitocirno.sakura.ne.jp/remilia/uploader2/src/remy12719.jpg
このスレのまとめ
東方考察まとめ wiki
ttp://wikiwiki.jp/th-kousatu/
前スレ
東方好きなら民俗とか神話とかまったり語りたいだろ【其の弐拾与】
ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/computer/41116/1375217610/
過去スレ
東方好きなら民俗とか神話とかまったり語りたいだろ【其の弐拾参】
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東方好きなら民俗とか神話とかまったり語りたいだろ【其の弐拾弐】
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東方好きなら民俗とか神話とかまったり語りたいだろ【其の弐拾壱】
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東方好きなら民俗とか神話とかまったり語りたいだろ【其の弐拾】
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東方好きなら民俗とか神話とかまったり語りたいだろ【其の拾九】
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東方好きなら民俗とか神話とかまったり語りたいだろ【其の拾八】
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東方好きなら民俗とか神話とかまったり語りたいだろ【其の拾七】
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東方好きなら民俗とか神話とかまったり語りたいだろ【其の拾陸】
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東方好きなら民俗とか神話とかまったり語りたいだろ【其の拾伍】
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東方好きなら民俗とか神話とかまったり語りたいだろ【其の拾四】
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東方好きなら民俗とか神話とかまったり語りたいだろ【其の伍】
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東方好きなら民俗とか神話とかまったり語りたいだろ【其の四】
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東方好きなら民俗とか神話とかまったり語りたいだろ【其の参】
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東方好きなら民俗とか神話とかまったり語りたいだろ【其の弐】
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東方好きなら民俗とか神話とかいろいろ語ることあるだろ
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スレ立て乙>>1
テンプレ2スレ分割でNGワード規制回避できたようで
ついでに地鎮祭も
|_,| .ミ¥彡 .|_,|
|_,| <<><> .|_,|
|_,| <<><>> |_,|
|_,| (:゚::)゚::)‖§§ |_,|
|_,| {二二} {二二} |_,|
|_,| .fl | o | | o | fl |_,|
|_,| ハ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄.ハ .|_,|
|_,| |__| ψ ψ ψ |__|. T .|_,|
|_,|  ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄ ,,;ヘ, | .|_,|
|_,| || || ノ,,;;;;,,,Π. |_,|
/ ̄| <>
|_橘| <>>
(,,,゚.∀) |<><>
/ ̄ヽ¬っ
|__|_j
/」_|_|_ゝ
此れの所を厳の磐境と斎定めて招奉る、掛けまくも畏き産土大神を始めて、
下照比賣命・味耜高彦根命、また橘諸兄の御前に恐み恐みも白さく。
この度「東方民俗・神話」が新しいスレッドを「>>1 」が
請負ひ建てむとして、今日の生日の足日にしも地鎮祭を慎み敬ひ執行はむと、
荒らしの災いは更なり鯖高負荷やdat沈下の損害無く、
弥遠永に些かの異しき事危き事も有らしめ給はず、
安けく平らかに常磐堅磐にレスの八十続きと共に立栄えしめ給へと、
恐み恐みも称辞申鎮納めをへ奉らくと白す。
♪ド〜ンドンパ〜ンパ〜ン ド〜ンパ〜ンパ〜ン
♪ド〜ンドンパ〜ンパ〜ン ド〜ンパ〜ンパ〜ン
♪ドドパンパドドパンパドンパンパ
♪歌コで夜明けし 我がくには
♪天岩戸のはじめより
♪尺八 三味線 笛 太鼓
♪忘れちゃならない くにのうた
言祝ぎゆかん とわのかどでを
>>1 乙
なんとなく、味耜高彦根神(迦毛大御神)と事代主神と大年神と大物主神は大元が同じなような気がする
祀ってる氏族からして。
<激写されました>
俺は前スレの>>998 じゃないけど、
なんでかっていうと「この国に対する警句だ」っていうのが全部君の勝手な想像だからじゃないかな
勝手に心中を忖度されてはドラマ制作者もたまったものではなかろう
>>1 乙
政治と歴史は密接に関わってるからこのスレから政治を排除することは無理なんだろうけど
あんまり政治トーク続けると、ヒートアップして荒れちゃうからほどほどにしてほしいなと思ったり
<激写されました>
だーから匿名に溶けこむつもりが最初からないなら
捨てハンでもなんでもいいからコテハン付けとけって
とりあえず梟さんの書き込みをちゃんと読もうよ
管理人さんは君に自重を促したんであって、好き勝手書いてもいいって免罪符与えたわけじゃないんだよ?
>973 名前:梟(主管理人)★[sage] 投稿日:2013/12/14(土) 16:24:50 ID:???0
>*.s05.a005.ap.plala.or.jpの人
>・酒が入るとこの調子になるなら飲酒して掲示板見るのは止めてください。
>・出来ないなら言葉使いだけでも改めてください。
>・それも出来ないならブログを開設してそちらで続けてください。
会話が出来ない人なんだからもう何言っても無駄だよ。
こういう人は自分でもわからないんだろうけど、
何言われても「俺は正しい」からスタートしてどう取り繕うかしか考えられない。
現実でこの調子で孤立してますます妄想膨らませてるんだろうけど、
ここがそれを吐き出せる場だと思っちゃったんだろうなぁ。
一応転載
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/computer/41116/1381673085/572
>572 :梟 ◆AKiGRUmajY:2013/12/15(日) 08:09:15 ID:FxK6z.AU0
>>>568
>規制しました。
>
>>>569
>・飲酒したらレスはしない事
>・出来ないなら言葉使いを改める事
>・それも出来ないならブログを開設してそちらで続きを行うように
>「お願い」は聞けないようなのですこし表現を変えますね。
>それと「閲覧者」も利用者の範囲に入りますので勘違いなさらないように。
>>12
>>11 のに対して改善する気なんてないと臆面もなく言い放った上に、管理スレで俺を規制しようとする奴にペナルティ与えろなんて言い出してるからなぁ
まさか高圧的にならないようお願いって体裁でオブラートに包まれていたのを、管理者が自分に頭を下げてきたとでも解釈したんだろうか
>ここがそれを吐き出せる場だと思っちゃったんだろうなぁ。
>まさか高圧的にならないようお願いって体裁でオブラートに包まれていたのを、管理者が自分に頭を下げてきたとでも解釈したんだろうか
既に規制された人に対して、一方的に決め付けるように心中を推察する必要はないと思う
人間同士の会話が、まったりとし合える人であったなら良かったんだけどね・・・
まあ過ぎた事は済んだ事だから、話を変えよう
2010年の今日(12月15日)は、さかなクンさんがクニマスを再発見した日だったそうな
(もう3年前の話なのかと驚いているw)
こう絶滅した種が、ふと幻想郷から帰ってくることはそうそうないんだろうけど
噂が出ることはあっても実際に確認されることってほとんどないからなぁ(ex.九州でツキノワグマ生息の痕跡発見
アメリカではリョコウバトの復活計画が進行中と聞いたな
どうやるかは詳しいことはちょっと忘れたけど、
ざっくばらんに言うと剥製からDNAを取り出して、それを別の鳥に導入してその鳥がリョコウバトの卵を生むように手を加え、
リョコウバトを生ませるという計画らしい
もし成功すれば、他の絶滅した動物を復活させることもできるだろうから
将来はどんどん現実還りするようになるのかもしれない
ただ、それがいいことか悪いことかはどうなんだろね
いろんなのが増えるんだし良いことさ
ゆくゆくは恐竜目指せそうだし、自分が生きてるあいだに実現しないかなぁ
ここ百数十年の間に人の手によって絶滅した動物を蘇らせて野生に返すなら
まだ生態系が当時の姿を取り戻す余地はあるだろうけど、
数万、数億年前の生物を蘇らせてもいいものなのかねぇはてさて…
リアルジュラシックパークか
絶滅後のバランスで安定した現在の環境からすれば、外来の異物を放り込むのと同じだからなぁ
始祖鳥とかなら逃げるからいいけどハルキゲニアに会ったら殺すか死ぬ
あれに近いとおぼしき系統はカギムシだと言われてるんだっけか?
多脚愛好家だが、節が無いのはちょっと遠慮したいなぁ……。
>>17 >>19
>ただ、それがいいことか悪いことかはどうなんだろね
あまりいいことじゃない気はするね。
個体を再生できても、種を維持できる環境を保障できないなら「野生に返す」とは言えないわけで、
環境まで再現できるかどうかの方が大変
>>21 が言うように生態系のバランスもその種がいない状態で安定してるとすれば
環境まで再現可能だとしても、再現イコール現行の生態系を崩すということにもなるし
乱獲みたいな、人為的一時的な要因での絶滅なら
時間があきすぎなければ再生させる意味はあるだろうけど
自然条件の変化のような自然的要因や
人為的要因でも環境破壊のような大規模で長期的な要因の場合は
絶滅前のその生物が存続してた頃の環境など再現できないこともあるし(地球の平均気温や大気組成まで違うこともあるし)
個体の再生以前に人為的環境破壊をまずどうにかするほうが当面の大きな問題だったりもするだろう
野生に返すのが嫌なら返さなきゃいいじゃん
自分は見たことないやつ見たいんで
色んな動物に応用効かせて成功させてってほしいね
単に自己満足で生み出すだけなら
生殖能力がなかったり生存能力が著しく低い程度のものなら
太古の生物でもまったく新規のものでも作れなくはないだろうけど
技術的に可能でも衆目に触れるレベルで実行するかどうかは別の話だろうね
ニホンオオカミ絶滅はやっぱり揺ぎ無い事実なのかねぇ
絶滅したかどうかは、結局のところ発見されてない以上「分からない」としか
シュレーディンガーの猫じゃないけど、観測するまではどっちか分からんよ
それに仮に純粋種が絶滅してたとしても、野犬とかと異種交配しているなら人工的に復元可能だ
もちろん、それがいいかどうかについては上で言われてるように両論あると思う
いわゆる「悪魔の証明」?>いないことを証明する
とはいえ実際に生き延びてるとすればそれなりに数がいるはずだし
だとすればなんらかの痕跡が見つかるだろうし…やっぱり厳しいかね
復元ならまず動物園とかどこぞの国立公園とかだろう
UMAは人の目が少ない地中か水中と聞くがニホンオオカミは難しいな
ニホンオオカミは山奥より里山に住んでいたので中国経由で入ってきた狂犬病やジステンパーに感染し、明治になったあたりでかなり数は減っていたらしい。
鎖国という状況で生き残れたらしく絶滅は必然だったみたい。
そういえば日本の狼復活の為に中国の狼を輸入して九州山地へ野放しにするとか言ってた日本狼ファンクラブ?を名乗る連中はどうなったんだろうか
タイリクオオカミは草原生活で山林で暮らしてたニホンオオカミの代わりにはなれないんじゃなかったか
そもそもニホンオオカミってあれただの野犬じゃね?という説もあるって聞いたような
DNA鑑定では犬と狼の区別は難しいし、現存する剥製というのも何頭分かの毛皮を寄せ集めて作られてるから標本としての価値は疑問だとかなんとか
ヤマイヌとの区別も曖昧なんだっけ
狼のことを山犬と呼ぶところもあったりして
狸と狢、出世魚の若い頃、アカウオ等々、
同じ対象でも呼称が違ったり、呼称が同じでも別の対象だったりと、
地域や下手すると世代によってバラバラってのがざらだから、
それこそ特定なんかはきっと無理なんだろうな。
wikipediaによると、明治後半には既に我が国でもクリスマスが祝われていたらしいが
当時はどういう祝い方をしていたんだろうな
さすがにご家庭にケーキやフライドチキンは無いだろ、この時代
ちらし寿司とかでも作ってたんかな
みんなとんがり帽子は昭和だよな
ちらっとググったら普通に洋食を食べてたらしい
個々のおうちはまた別だろうけどね
>明治7(1874)年、原胤昭は洗礼を受けた感謝の印に築地大学で
>(明治学院の前身)クリスマス祝会を行った。
>大きなクリスマスツリーにはプレゼントが吊り下げられ、ヨハネ伝の暗唱や
>クリスマスキャロルが披露された。さて、主役のサンタクロースは・・・
>裃姿に大小脇差を携えて、大森カツラ(シュロ製の粗末な鬘)を付けた
>殿様スタイルのサンタクロースが登場した。
吹いた
イエズス会の記述にある室町時代?安土・桃山時代?には切支丹がクリスマス会やってたらしい
村のみんな総出で聖書の場面を劇で演じたり、
橙とか麦とか、普段よりいい食い物を交換したり(プレゼント交換)
自宅の玄関に枝を置いてクリスマスツリーを気取ったり、
武士が能を舞ったりしたらしい
ぶっちゃけやってる事があんまり今と変わってないよね
ttp://plaza.chu.jp/diary/2010/12/xmas-santa-claus.html
なお明治時代にサンタクロースが輸入された際は、「さんたくろう(三太九郎)」と紹介された模様
冬至に近いことからダイシ様(ダイダラボッチ)も習合しているようだ
戦国時代の日本人が一体どういう解釈で聖書劇を演じたのか凄く気になるなw
パンとぶどう酒とか言われても食べたことはおろか見たこともない人がほとんどだろ
明治まで隠れキリシタンのいた長崎あたり、クリスマスはどうしていたのか気になるなぁ
しかしあそこの一部地域は本当にキリスト教が生活に溶け込んでるね
隠れキリシタンの信仰はカトリックに日本土着の信仰が混じって独特なものらしいね
明治になりキリスト教禁教が撤回されて、久々にカトリック宣教師がやってきた時に、
正しいカトリックの教えに則った祭祀をするようになった人もいた一方、今でも隠れキリシタンの信仰を守ってる人もいるらしい
下記のニュース見てて思ったが、
設定的に幻想郷の人里には両武術ともより実践的に残ってそうだよね。
元々無理があるにせよどうしても対妖怪ってんなら薙刀の方がまだ有効な気もするが。
しかし長得物の方が有利とはいうが、
この結果は男女の力量差も入れてこんなもんというとこなんだろうか。
なぎなた部VS剣道部…名門校で男女決戦
ttp://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20131218-OYT8T00839.htm
香川県立琴平高(琴平町)で17日、今年の全国高校総体で団体と個人を制したなぎなた部(女子)と、
同総体に出場した剣道部(男子)による「第6回異種武道大会」が開かれた。
全校生徒や地元の児童、園児ら約700人が見守る中、剣道部が2年ぶり2回目の勝利を果たした。
武道が盛んな同高で約20年前まで毎年行われていた行事で、武道場改修を記念して2008年に復活。
体力差を考慮し、なぎなたの「スネ」を採用する一方、
剣道の「突き」は禁じ手とする特別ルールで5対5の団体戦を繰り広げた。
なぎなたの長さをいかし、面を狙うと見せてスネを攻めるなどした女子に対し、
男子は二刀を構えたりジャンプしたりして対抗した。
剣道部が1勝4引き分けで勝利。前主将の3年、安西凌さん(18)は
「現役最後の大会。5人で協力し、勝って終われて良かった」と話した。
>>46
これ最近NHKのなんかの番組でやってたなぁ
剣道部勝てたのか、色々試行錯誤してた部員達の努力が報われたようで良かった良かった
実際の各流派も、対策や経験から技を作って行ったからね
是非この交流試合を続けて、ゆくゆくは琴平流とかを興してほしい
男子は引き分けに持ち込んむのがやっとレベルのほぼ女子のワンサイドゲームだったからなぁ
それ相応の対抗策を練らにゃならんわけだから、
リーチがあるってのはそれだけで有利ってことの裏付けになるだろう。
これがオープンフィールドの場合、
短いほうは相手の懐へ向かって動くしかないのに対して、
長い方は後ろはもちろん左右にも動けるので、
もっと厳しくなるんじゃねーかな?
実戦だと狭い場所に向かうとか
得物を奪う事を考えるとかで
試合形式とはかなり違う戦い方なんじゃないかな
変な方向に進化してそうだなぁと
ヨウカイスレイヤー的な方向を抜きにしても
山奥の娯楽なので喧嘩殺法とか足払いとかガンガンしてきそうで
それなりに剣道やってるおっさんに聞いてきた。
剣道部VSなぎなた部ならなぎなた有利だけど
ポイント取るには決め手にかけるかもなので、
対策を工夫すれば剣道部に分があるかもしれない。
日本刀VS薙刀なら薙刀に分がある。
現在の競技としてのなぎなた部の場合は「スネ」などの足元を狙った有効打はあるが、
そこから切り上げる有効打はないので
剣道部はジャンプで避けたり間合いを詰めることもできる。
でも実際の薙刀の場合はスネ打ちからの切り上げというのが一連の動作の一つになっているため、
下手にジャンプなどしようものなら太ももの内側や股間を切り裂かれることになるとか。
主に女性が嗜む武道って世界的に珍しいのかしらん
寡聞にして知らないんだけども、あるのかね
戊辰戦争の談話に、なぎなたを持った女性には、抜刀した数人の薩摩兵士でも手を焼いた、というのがあった。
結構すごい武器なんだね。
>>55
間合いが広い=強いからなぁ。槍術三倍段ともいうし。
なお、鉄砲にはかなわない模様。
あけおめ
佐賀県の神社で新年大砲をぶっぱなす神事?があるそうだね
こうして見るとやはり薙刀の間合いが有利過ぎる
ttp://www.youtube.com/watch?v=VphCuQpzc5g
>>57
佐嘉神社のカノン砲祝砲神事だね
1977年に復元された鋳鉄製24ポンドカノン砲で祝砲を撃つ
12月の反射炉祭りや8月の夏祭りでも撃つ
ちなみに夏祭りは神社の神事ではなく佐賀市の行事で
築地反射炉の跡地でありカノン砲を保管する小学校のグラウンドで撃つ
佐嘉神社は昭和8年創建で幕末の佐賀藩主鍋島直正と直大を祀る
もとは藩祖鍋島直茂などを祀る松原神社から遷座したものだが現在では松原神社を境内社としている
また直茂に退治された兵主部を祀る松原河童社を2010年に建立するなど面白い神社である
へぇそんな祭があるのか
佐賀のこと本当に知らないなと痛感、俺には佐賀の血も入ってるというのに…
>>59
24ポンド砲って大きいね
(18ポンドから重砲らしい)
沿岸防備用かしら
佐賀なら祐徳稲荷・武雄神社も抑えておきたいな
単純に神社の好みだったら、俺は與止日女神社だなあ
いまさらだが昨日は閻魔日だったのか
気付くのが遅れてしまったな
影狼さん関連で調べてたらやっぱり狼関連の神社かなりの数にのぼるんだなぁ
狼の聖域として秩父の三峰神社に遠江の山住神社、秋葉山と対をなす春野山大光寺、相馬の山津見神社、舞鶴の大川神社
養老明神の遣いが狼だし美濃の養老神社、大桑神社も関わりがあるらしい
妙見菩薩信仰とも狼は関わりがあるから全国の妙見社、但馬の養父神社、名草神社(日光院)とも関わりが深いかも
ヤマイヌ信仰オイヌサマ信仰まで範囲を広げれば恵那の中山神社や青梅の武蔵御嶽神社あたりも狼
北は東北から南は九州まで全国の山中に分布してるという 昔の人にとっての狼の重要度が窺い知れるよう
なまえがそもそも
「オオカミ」だからなあ
アイヌ民族も熊やシャチ、フクロウと並んで狼を神様扱いしてるよね
相馬(福島)なんかの馬産地では“襲わないで欲しい”という念願があったかも
和人が うちらが持ち込んだ馬襲って邪魔だから狼狩るでー
ってやらなければエゾオオカミも絶滅しなかったろうに
一応北方領土に近縁種は生き残ってはいるらしいね
日本が手を出しにくい土地でよりによって残っているなんてなんてもどかしい
>>70
DMZ内が一番自然が豊かって話みたいだな
北方領土で思い出したが千島アイヌは既に幻想入りした民族集団のひとつだな
千島アイヌの民俗について語ることのできる諸兄は存在するのだろうか
>>68
実はオオカミ撲滅を進言したのは開拓使の顧問だったアメリカ人技師たち。
実際、牛馬の被害はヒグマのが多く、オオカミのはさほどではなかったとか。
でもバッファローを絶滅させかけた開拓時代そのままのアメリカンには「オオカミがいる!→殺らねば牧畜できん!」と大騒ぎしたのを真に受けて殲滅作戦を実行したとか。
オオカミの絶滅は当時の日本人にとっては輝かしい文明化の1歩だった…
千島アイヌは千島樺太交換条約で多くは北海道に強制移住。その時日本人化の強制もあり文化もほとんど失われた。北海道アイヌと言葉も違っていたらしい。
近代日本のまさに黒歴史であまりに暗黒面が多く、研究者も手が出せないみたいよ。
東方でそこらへん扱うのは難しいのかなあ
マイナーといえばマイナーな部類に入るから
あるいはアイヌや琉球の幻想の隠れ里がまたそれぞれあるって考えもいいかもしれない
紫あたりがたまに相互交流してるとかで
いや扱うのが難しいのかなぁってあんた・・・
うーん良く知らんけどタブー視されてるもんだったら難しいかもね
ZUNが昭和天皇ネタ避けちゃった事例があるから
樺太アイヌなら分かるけど千島アイヌは分からないなあ
今度教授に訊いてみようかな
ZUNって現時点ですべての幻想的事例を満遍なく扱ってなきゃならん義務でもあんのか?
ないです
だろ?
幻想郷で登場する物=外の世界忘れられた存在になる風潮 鼻につく
設定上そういう存在なのは守矢一家だけだっけ?
吸血鬼とか忘れられた存在ではないものね。
風神録以降、二次でよく見られるようになった表現。
琉球の幻想の隠れ里・・・・・ニライカナイか
日本とはかなりかけ離れてるけど、ケルトのティル・ナ・ノーグなんて幻想郷みたいというか
いや向こうの方が歴史的にはずっと先にできたものだけど
ケルトの神々がキリスト教の普及やらなんやかんやで追いやられて、
小さくなって妖精となり、地下や海の向こうでひっそりと暮らしてるなんて設定なのよね
やや話題に乗り遅れた感があるが……
オオカミの語源について思うところをつらつらと
Google先生によると「オオカミ=大神」説の初出は新井白石らしいが、
上代におけるオホカミのミは恐らく上代特殊仮名遣いの乙類なので、
いちおう「神」のミとは一致することになる
ただ、『類聚名義抄』などからわかる古代のオホカミのアクセントは
低低高低なので、大と神を単純には結びつけられないような気がする
(ちなみに同書では「大」は低低で「神」も低低)
同様にカミを含む単語には雷の古名「ナルカミ」があり、このミも乙類だが、
アクセントは高高低低であり、「鳴る」と「神」のアクセントそのままだ
ちなみに「鳴る」の活用とアクセントは
ナラ ナリ ナル ナル ナレ ナレ
高高 高低 高低 高高 高低 高低
で、ナルカミのナルは連体形由来とわかる
(なお「カミナリ」は初出が11世紀で、上代には用例が無いが、
こちらのアクセントは低低高低なので、ナリは連用形由来だ)
これに限らず、複合語のアクセントは元々のアクセントがそのまま反映
されるのが普通だったようなので、もし大+神なら低低低低になるはず
「オオカミ=大噛み」説もあるらしいが、「噛む」の活用とアクセントは
カマ カミ甲 カム カム カメ乙 カメ甲
低高 低降 低降 低高 低降 低降
なので、甲乙もアクセントも一致しないことになってしまう
これはただの思いつきなので特に根拠は無いんだが、
もしかしてオホ+カミではなくオホ+カ+ミだったりするんじゃなかろうか
これだと特にカが正体不明になってしまうけどね
言語学には明るくないんで本当に素人考えだけど
連体修飾の「が」の濁音がとれた形とか?
でも「おほ」は単独で名詞にならなそうだしなあ
なるほど、わからん
"カ"にアクセントが来るのか
お(接頭語)+龗[おかみ] とか一瞬考えてしまったけど無理矢理&意味不明すぎるな
「『大神』なんて生意気だ!『マユ毛』描いてやる!」→「犬神」
ってなんかマンガで見た記憶が
同じく素人考えだが
オホ+カ+ミだとするならカの前に何か音があって抜け落ちたんじゃないのかなとか
こんなにレスが返ってきたの初めて!
皆さん素人考えとおっしゃるけど、もしかしたらアリかもしれない
というのも、まず日本語の形容詞語幹は基本的に時代を遡れば遡るほどに
独立性が高まっていくからなんだ
記紀万葉の時代ともなると、形容詞語幹は名詞とほとんど違わないような
振る舞いを見せる
より古くはツングース諸語などに見られるような不変化詞だったとする説も
あるくらいだ
次にカの前の脱落についてだが、上代日本語では原則として濁音が語頭に
立たず、連濁によって語中のみに現れる
で、この連濁の起源なんだが、オーストロネシア祖語の連結接辞/ŋ/か、
あるいはツングース語の所有接辞/ɴ/あたりに由来するんじゃないか、と
しばしば言われている
仮にカの前から何かが脱落したとすれば、恐らくこれじゃなかろうか
なぜ脱落したのか、という問題はついてまわるが
日本狼が神格化したものを「大口真神(おおぐちまかみ)」と呼んだらしいが
そこからだろうか、でも大口真神もいまいちよく分からないんだよな
「おおくちの」が真神(オオカミの別名)にかかる枕詞だと枕詞燭明抄に説明されてるらしいけど
実際の使用例が少すぎるし それこそ柿本人麻呂や舎人娘子が詠んだ
大口真神は最初は惠みの雨を降らせる龗の神の方も含まれてたかもしれない
大和風土記の逸文のなかに、「昔、明日香の地に老狼在りて多くの人を食ふ。
土民畏れて大口の神といふ。その住める所を名づけて大口真神原(おおぐちのまかみのはら)といふ」
と言うのが有るらしいけれど この『大和風土記の逸文』なるものの原本が出典元不明だしなぁ
オホマカミ→オホカミというのはもしかしたら有りえるかもしれないけど
書き忘れがあった
少なくとも13世紀までは「は」や「も」などの助詞にも独立したアクセントがあったことが
わかっているんだが、なんと「が」のアクセントが高だったらしい
ガの前の接辞が脱落した、という可能性もゼロではないかもしれない
>>91
ググったら出典は枕詞燭明抄らしい
国文学研究資料館のサイトで八戸市立図書館所蔵の写本が閲覧できるみたいなんで探してみたけど
問題の記述はこのあたりだね
ttp://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0096-00904&IMG_NO=52
ttp://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0096-00904&IMG_NO=53
『見狼記』 ttp://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/0219.html
これテレビで観てて、すんごく心にきたシーンがあったんだけど
福島の、例の原発からほど近い神社の、神主さんが諦め半分に狼さんを慕ってるとこ
狼さんは故郷を護る神様らしいけれど
放射能には勝てなかったんだね
かなしいね
風土記逸文って「古風土記の記述かどうか怪しい」とされているものも結構あるみたいだけど、
それはどうやって判断してるんだろう?
私の知っている範囲で言えば、
例えば『陸奥国風土記逸文』の場合は「磐城」などの古風土記の時代には
まだ無かったはずの地名が用いられている点や、記述内容がだいたい
『日本書紀』景行紀からの引用(と言うよりほぼコピペ)で構成されており、
オリジナリティに欠けている点などから後代の偽作と見る向きが強いようだ
この逸文の出典元とされる『大善院旧記』も出自がよくわからんし
他の風土記逸文についてはわかりません。申し訳ない
先日話題にのぼった「龗」についても調べてみたところ、
アクセントまではわからなかったんだが、いわゆる上代特殊仮名遣いで言うと
このミは甲類なので「オホカミ」の乙類とは一致しないようだ
母音連続を許さない上代日本語ではオ+オが存在できないのも痛い
「龗」と関連があるとすれば「ミヅ(水)」のミ(甲類、アクセントは高)か、
あるいは蛇の古称「ミ」(甲類、アクセントは高)あたりだろうか
「ワタツミ」などのミ(甲類、アクセントは高)とも同根かもしれない
狼と関わりが深いのは「ワタツミ」(和多志大神)よりはその別名とも言われる山の神、「ヤマツミ」(大山祇神、大山津見神)だな
相馬は飯舘の狼神社は山津見神社だし遠江は水窪の狼神社は山住神社だし
オオヤマツミノカミ自体の情報はそれらの神社にはあまり無いけんどね
総本社と言われる大三島の大山祇神社自体は海のど真ん中だし
神話でもそこまでオオヤマツミの情報はないけど
「オオヤマツミの子」と名乗る神が何度か重要な場面で登場するくらいで
酒の神でもあるし軍神でもあるな 男の神だけど女の神として登場したこともあるらしい
最初は単なる山の神格化だったのであまり設定が固まってなかったんだろうなオオヤマツミノカミ
風土記について最近調べ始めたから詳しくないが
・引用とは逆に同じ頃完成したはずの日本書紀に比べると相違点がポツポツ
・最終的に天皇に渡るものだから『伝えられている旧聞異事』って項目は格好良く書いたデタラメも多いかも
という話を知人から教わった
風土記と言えば、あそこらへんの時代の書物に書かれてる名称とか地名の"由来"ってあんまりアテにならないんだよねえ
個人的には大神神社の「狭井」も、古事記に載ってる由来譚とは違うんじゃないかと思ってる
大山祇神は山の神だけど、海の幸が育つには山から下りてくる養分が重要なこと、航海中に山が目印になることなどから
海の仕事に携わる人々からも信仰されてるみたいね
大三島という瀬戸内海の島の一つに総本社があるのはそういうことも関係してるんだろうな
>>96
ちょい訂正
×:蛇の古称「ミ」(甲類、アクセントは高)
○:蛇の古称「ヘミ」のミ(甲類、アクセントは高)
より正確にはこうでした。「巳」は乙類です。すみません
数の「ミ(三)」が甲類の高で、「身」が乙類の高で、大神神社のミは甲類で、アクセントは何だったか
いかんな、軽い気持ちで調べだしたら深みにはまりつつある
>>100
>海の幸が育つには山から下りてくる養分が重要なこと
瀬戸内海でこのことが認識されだしたのは、ここ10年ぐらいなんだよな
それまでは水をきれいにすることばかりに気が向いてて、気がついたら
水はきれいになり魚介類が育たなくなりました、という状況になってしまっていた
再び魚の多い海にするために関係者たちが動き出しているようだから
瀬戸内の魚が大好きな俺は気長に待つしかないなぁ
>>100
あの神社は総本山になるのか
宝物殿があって結構良い場所よね
>>102
瀬戸内の魚は旨いよな
地元の人うらやまし
15年前に瀬戸内の某街から関東に越してきて、
どうも魚が美味く感じられなかったが、そういう事も有ったのかなぁ。
ていうかこっちの人は、なんでああもマグロに目の色を変えるのか未だにわからん。
チラシ読んでも魚屋行ってもマグロが○○円!マグロが目玉商品!ってノリで。
不味いとは言わんが、
旬のブリやアジ、ヒラメや太刀だってあんなに美味しいのに。
大山祇神の神の別名が和多志大神っていうのは、やっぱり古代の人にとっては海と山は切っても切れない関係だったって意味なんだろうか
記紀とか大祓詞を概観すると、海も山も等しく、常世やら根の国やらの「生命の根源地」みたいに見做されてる感じがする
刺身(生魚)の鮪食文化は東京から広まったんじゃなかったかな
確か寿司について調べてた時書いてあった気がする
回転寿司チェーンの展開で関西の人もマグロをよく食べるようになったとか。ちなみに回転寿司は大阪発祥らしいよ?
近鉄布施駅前にある元禄寿司だな
大阪から奈良へ向かう途中に見えるよ
結構目立つ
当初はくるくる寿司、の名称だったけど、うまく行かず一回廃業したとか。回転寿司の名称にしたら軌道に乗ったらしい。
これって商標登録してんのかな?
そういえば親(大阪府出身)が回転寿司のことを、たまに「くるくる寿司」って読んでたわ
小児語かと思ってたがそういうことだったのか
カキ・太刀魚・ママカリ・サワラ・アナゴ・シャコ・鯛
瀬戸内中部の魚介類で寿司ネタの定番に含まれるのはアナゴぐらいですかね
ちなみに山から下りてくる養分とは、腐った落ち葉の汁・動物の腐乱死体・動物のうんこ等
のことです。昔はそれに人間のうんこも混じってたんですけど、下水処理が進んだせいで
海に垂れ流さなくなってしまいました。うんこ流さないのも自然破壊なのかも
汚く感じる人もいるでしょうけど有機栽培の野菜の肥料は牛・豚・鶏のうんこを発酵
させた(腐らせた)ものですから、それに比べれば水で薄まる分キレイなんですけどね
水で薄められる量には限界があるからな
消化しきれなかったうんこは当然悪臭の元になるし、水質汚濁の原因にもなる
よく聞くBODがこれの指標になるか
あと明治初期で3000万人なのに対して現在の人口は1億人前後と増えてるからな
恐らく日本人全員が下水処理を利用せず一気に川に放流したらすごいことになりそうだ
もっとも江戸時代には糞尿は肥料として売買されていたようだが
瀬戸内の寿司ネタか。
チヌとかグレとかはあまり寿司ネタじゃないし…、
あとはタイとかヒラメとかアジとかタコとか。
D○sh島が瀬戸内の西よりだから、大体あれで出てくる魚介類は居る。
瀬戸内も海砂採取に工業化に水温上昇にとで、
ここ数十年の環境変化半端無い。
実際一昔前は臭くてゴミだらけで、とてもじゃないが海に近づけたものじゃ無かった。
日本のどの海も似たような物だったのだろうけど。
瀬戸内の海砂はコンクリ用材として使われて、
今塩分過多の砂を利用したことによるコンクリ劣化問題に繋がってたり。
山陽新幹線のトンネルがそれで大変なことになってたなあ…
この話題が出たことあるかもしれないが書いてしまおう
最近ファミマのフォアグラ弁当が愛護団体などのクレームで発売中止になったが
実は諏訪大社の蛙狩り神事も愛護団体などのやり玉に挙げられている
まあ、地元でも騒がれているとはあまり知られていないが
(もしかして弁当クレームの団体も神事の事を書いてないかなと調べたら書いてあったw)
数年前から騒ぎ始める→ネット上で拡散希望&電凸→同調するものも現れる→youtubeに動画が上がるなど
検索すれば拡散希望とかクレームの電凸記録の書き起こしも見れる
最近神事を見学したことがある人は分かるかもしれないが
これのせいでカメラ撮影と取材の規制が厳しくなったのだろうと言われている
今年もマナーが悪い人(愛護団体か?)がいたようなのでもっと厳しくなるかも
神事までいちゃもんつけるとは・・・賛同者のコメントとか見ていると頭が痛くなってくるぜ
俺達は伝統だと思っているが向こうからすれば因習だろうからな
実際この二つを明確に分けるのは難しい
何処で線引きするか、ってのは感覚の問題だしな。
個人的にもマララ襲撃とか引くわ…、と思うけど…と言うような話で。
人間とそれ以外で線を引く、
と言うのが個人的には一番妥当な線だと思うけど、
思想・宗教(と金)が絡むとどうしてもな。
ここの諸兄は何をいまさらだろうけど。
食べるわけでもない生き物を殺しているのは事実だし
伝統(昔からやってるから)という主張だけでは何も説得力がない
問題はその伝統を地域住民がどれだけ日常の一部として受け入れ、精神の安寧に貢献しているか。それが蛙を殺すに足るものか。
神事の意義を、幻想の消える科学の世紀でどこまで主張できるか。
試しにゴムの蛙で神事をしてみたら…守屋山が崩れて、八ヶ岳が噴火したら愛護団体さんも黙るかも?
まあ愛護団体の主張が一般に受け入れられてるんだったら「幻想の消える科学の世紀」とやらになったと言えるんだろうけど
現実においては少数の戯言に過ぎない
正直な話、イルカ漁に関してはそこまで海外から批判を受けても続けるべきものなのか?いっそやめてもいいんじゃないか?
と思ってしまうのに、
蛙神事にいちゃもんをつけられるのはなんか許せない
うーん、なんだろうこの矛盾したエゴ
フォアグラはまぁ捕鯨が是か非かみたいなもんでしょ
可愛いと思う人が昔に比べて増えたのだろう
蛙はそこまで可愛くはない気がする
フォアグラ文化も捕鯨文化と同じようにこうしていつか廃れるんだろうな
>>121
そうは言ってもね
フォアグラの件だって数では少数派だったろう
それに蛙愛護派が少数だとしても、イコール神事存続派が多数というわけでもない
最大多数は「やるなら参加する」「どうでもいい」「知らない」という人たちなのだから
>>122
イルカが可愛いからじゃね?(適当)
というか、あれはイルカが伝統になったからイルカだっただけで、
サメとかメカジキとかマンボウとかが伝統だったらそうやっただろうし。
一応、イルカを維持すれば、
次の矢(サンマでもマグロでもシカでもイノシシでも何でも良いけど)で射られるリスクは下がるという価値はあるよ。
伝統風習で言えば、幻想郷にも多分いるであろうマタギ的な人間は、
オコゼの代わりに何を持って行ってるんだろうか。
海無いけど。
イルカは可愛いってのはでかいわな
イルカは賢いからって言うやつもいるけどそれこそオコゼみたいな見た目だったらお前保護した?っていう
同じ国内でも熊本の天草や伊豆七島の御蔵島みたいに伝統的にイルカを捕らないとこがある。
それが今、イルカウォッチングで漁業より収益をあげているのだからわからない。
逆に伝統の誇大解釈ってのもあらーな。
確かに捕鯨は古くからある我が国の伝統だが、
南氷洋にまで繰り出す現状でそれを主張するのは違うんじゃねーかと。
>128
捕鯨行為について愛護でイっちゃってる連中とまともな議論のし様がない現状で、
本当の意味での伝統とは別に、原住民生存捕鯨枠や伝統文化保護的側面と絡めて
ひとつの交渉材料として伝統捕鯨が日本にも存在すると主張する必要があるんだと思うが。
あと南氷洋での調査捕鯨については、
日本はそれが伝統捕鯨と主張した事はないし、
むしろそれとは明確に区別した別の論陣を張ってるはず。
ttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/38232
これはちょっと偏った記事だけど、捕鯨国は現在ノルウェー・アイスランド・日本の三カ国のみ
人の文化へ土足で踏み入って破壊したために、当時の文化を再現するのに苦労してるマヤ・アステカの事を忘れてるんじゃねぇの?
百歩譲ってその過程が残虐と言うなら、牛とかの畜肉処理過程はどうなのと思うわ
結局これは、日本式の「いただきます」と基督教の「わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください」の違いなんだと思う(それこそ文化の違い)
前者は食物・自然への感謝が前提にあって、後者は神と神による被造物への渇望が下敷きになってる
でも旧約聖書の創世記には、こうあるんだけどなぁ
地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、
海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、
すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。
しかし肉を、その命である血のままで、食べてはならない。(GEN 9:2-4)
一つ補足
文化って物は内部の人間が維持継承・変異改革させる物で、外部からあれこれ言う物じゃないと思う
そして文化とは、例祭・奇祭・風習・因習などの区別はあれど、歴史を持つ慣習の全てを指す
ママンの常套句「よそはよそ、うちはうち」というのが一番なんじゃね?
しかしイスラム国家で見られるような、性犯罪の被害者側であるはずの女性を鞭打ちや石投げなどで処刑するというのは
他人事とは言えどうにも納得がいかないものだし、どこからどこまで口出しすべきなのか基準が難しいものだ
>>131 は文化相対主義と呼ばれるものだな
クジラやイルカ、サメの肉って普通の魚より長く保存が効くみたいね
おかげで昔は海から遠い地域で貴重なタンパク源とされてたらしいけど
幻想郷でもこういった肉を食べる文化が残ってるのかな
自分が住んでる山の中じゃいまだにスーパーで売ってるくらいだし
>>133
そう言われてみればそうかも知れない
ただし悪習を絶対継続せよとは言わないし、異文化に無関心であれとも思わない
捕鯨行為も批判があるなら受け止めるし改善する方法は模索し、また理解も求めるけど、
それは自分たちで改革していくべきで、外部の人間が力をもって強制改革させるのは違うと思う
何度警告しても改善されないのなら、最悪の最終手段としてならまだ分かるけどな
イスラームでの女性差別も色々問題とされてるけど、あれも俺らが「おかしい」と忠告する程度で
あとは意識を改革してもらうのが筋なんじゃない?長文すまんかった
行きすぎた、過剰な共感も確かにあるけど
動物愛護とか生命倫理とかの自己規制も社会に必要な要素のひとつだと思うな
共感を失った極致が731部隊やナチスの人体実験だ
「動物はあなたのごはんじゃない」だっけか
全世界の人がこのNPO法人の提言を守って
一切の動物を食べなくなれば秘封の未来に一歩近づくな
生きとし生けるものを一切犠牲にしないのが理論上は一番理想的で合理的かもだし
動物を食べない代わりに植物が犠牲になるんだけどね
まぁ動物を育てて食べるより植物を食べる方が合理的だけど
さも高尚な思想のように語るのはやめてくれよな
細胞レベルで見れば動物も植物も大差ないしな
そこまで行くと、
人間は植物を苅る、同じ理屈で人間が人間を苅って(ry
と成りかねない危険な理屈やね。
そこで「人道」という概念の出番なんだろうけど、
イルカ漁も「非人道性」が取り上げられるという。
イルカは人間やそれに準じる物か?w
むりやり東方の話に絡めると、
以前東方の人気投票で(多分)神主が妹紅に投票した際の言葉が
「人間である一番の憑拠は、人間であると言う想い。DNAはその次である。」
と言ってる。
これを借りるなら、イルカが自分は人間であると思っているかどうか、
がイルカが妖怪になるか人間になるかの境とも言えるかもしれないな。
そのイスラム社会に鯨肉を輸出しよとしてるみたいだね。
この手の活動にはまる人は、動物への過剰な共感が暴走してしまっただけの自称セレブだな
二次元キャラへ過剰な共感を抱いているのが俺らだともいえるが
教義的には問題ないのかな鯨肉は
イスラム社会の中には欧米の文化や思想に反感抱いてる人も少なくないから
捕鯨が生き残るにはそういう国に売り込んでいくのも手かもしれないな
>>129
なるほど。
ってこたぁ、そういった風に捉えられるような報道をするマスコミがゴミなんだな。
まぁ、放送時間が限られるから端折った表現になるは仕方ないとしても、
その場限りにせず長期的かつ深く掘り下げるような番組を編成すべきなんだろうな。
――まぁ、イッちゃってる連中からの妨害ありきで実現は難しそうではあるが……。
>>143
ムハンマドも鯨を食ったしへーきだから
しかもハラール認証でイスラム教のお墨付きよ
輸出ってことは「我々は別に食べようとは思わないが
欲しい人たちには売るよ」ってことかね?
いや、「君も食べたんだから同罪だよね?一緒に捕鯨推進側だね(ニッコリ」だろう
捕鯨推進陣営に入れなくとも欧米の反捕鯨網に一石を投じられるし、
イスラーム相手に商売できるのは経済的においしい
>>145
なんだ食ったことあるのか
だったら文句言わないどころか諸手をあげて大賛成しそう
>>143
君は、自分が嫌いな人が苦手としているから、という理由で晩御飯のメニューを決めた事があるか?
そういう基準で食べ物を選ぶ人はあまりいないと思うがね
>>149
例えはよくわからんけど味方に引き込む可能性は十分あるから心強いと思うなぁ
人間は人間だから人間だけ特別扱いして、他の動植物の命はみな同等とみなす
という真正面から捉えた価値観が一番しっくりくるんだけど、
かわいい・かわいそうという感情を最優先する人間が多いから、あちこちでもめる
南氷洋にしても、主に温暖化が原因らしいがオキアミが激減しているのはよく知られている
なのにオキアミを主食とするクジラが大量に捕食しているので減少に歯止めがかからない
その結果、同じくオキアミを主食とするペンギンが劇的に減り始めている
(米国海洋大気庁の南極生態系研究チーム:2011)
オキアミの減少には興味なくてもペンギンが減れば騒ぎ出す人が出るのは容易に想像できる
かわいいは正義。冗談ではなくそれが現実なのが、人間の業の深さを思い知らされる
>>151
>人間は人間だから人間だけ特別扱いして、他の動植物の命はみな同等とみなす
>という真正面から捉えた価値観が一番しっくりくるんだけど、
まあそれはそれでフェアな見方なんだけどな
自分の場合、マウス捌くのはできてもサルいじくるのは無理だったわ
あいつらの眼は知性の輝きがあるんじゃ 頭削るとこっちも痛いんじゃ
かわいいっていうのはなかなかお得だよな…
地味で不細工な生物が絶滅の危機を迎えても、ふーんで終わってしまうことが多いんだろうな
まぁかわいいから乱獲されるという危険も伴うだろうけど
>>152
イルカを銛で突くと涙を流すらしいね
>>150
例えというか、>>143 はそのままそういう意味じゃないのか?
牛や豚もアレはアレで可愛いんやで。
結構狂暴やけど。
屠殺場の動画とか見ると半日くらい牛丼とか食べれなくなるで。
東方に出てくる妖怪が皆可愛い外見なのも襲われにくくなるための進化だったりしてな
まぁ世の中には可愛い女の子に酷いことをするのが好きっていう人もいるようだが……
>>157
二次創作で結界の外に出た妖怪が元のバケモノ姿になってしまうというのがあったな…
人に排撃されないためには可愛くなければならない、しかし襲われないためには
恐ろしいという評判を立てねばならない、実際に人を襲うと排撃されるので
なるべく襲わずに評判を広げねばならない
こうして人に近い妖怪は可愛くて恐ろしいという評判の奴ばかりになっていった
とかだったら世知辛い話ではある
キリンの首問題と一緒だな
キリンの首が伸びたのは進化か変異か分からないけれど、
長さが中くらいの化石が出てきていないから結局のところ不詳
幻想郷にいる妖怪も進化か淘汰か分からないけれど、
不美人な妖怪が出てきていないから、これもまた結局不詳
実際そういう風な要素は、公式設定だったような。
求聞史紀のリグルのページで、
人間の形を取る事で退治されにくくする、
蛍や蝶は人間に人気なので妖怪になり易い、
あたり。
他にもどこか同じような事が有った気がするけど思い出せない…。
ホフゴブリンの人里での扱われ方やてゐの「可愛ければ食べないでしょう?」
発言あたりは容姿淘汰説を補強する情報と思われる
そうやって考えると、
何のフィルトレーションもなく自らダイレクトインしてきた守矢は、
やっぱ紫や古参妖怪にとっちゃ大結界形成以来の一大事だったのかもなぁ。
種族:神は、結界の影響を受けずに自由に幻想郷と外界を行き来している(口授参照)から、やって来たこと自体は一大事でもないだろう。
彼女の場合、やっていることが危険視されているだけで。
縁起によりゃ神がみだりに姿を現すこと自体、普通では無いようだからな
今でも殆どの神は巫女に下ろされないと出てこないようだし
エロ同人みたいなことになると社会秩序が破壊されるから妖怪は恐ろしいと人間側が喧伝する動機もあるかもと思った。特に建前・子供向けとしては。
昨年暮れに「富士山麓の地域ではかぐや姫は富士山の天女で、月に帰ったのでは無く富士山に帰った」というのをNHKの地方局の情報番組で見た
もしその設定で、不死の薬を捨てに来た一行と鉢合わせしたら気まずかっただろうな
?
えーと、富士山麓の地域ではそういう伝承があるってこと?
月へ帰ることは、姫が人間の立ち入れぬ地へ去り、文字通り「手の届かない存在」になることを示すもの
富士へ帰るのならば、その伝承地域では富士は人の入れぬ地なのだろう
だから不死の薬のエピソードもそのままではないと思うよ
かぐや姫と火山の関係って時々見かける
富士山を初めて登ったのはいつ頃の誰だろう?
江戸時代から記録は残ってるみたいだけど
日本霊異記や元ネタになっている都良香が書いた富士山記とか他にもあるかな
認知科学的には「かわいい」の特徴である
・顔がまるっこい
・目がくりくりしてる
・口がちいさい
云々は個体としての幼さ(純粋に年齢的な意味で)を示す指標で
見る側に「他者の保護を必要とする」ことを認識させるとか何とか
要は「かわいい」と「守ってあげなきゃ」は隣り合わせってことで
……えっ、霊夢ちゃんかわいいとか何の冗(夢想封印
>>171
太子様であろう?そうに決まっておる
wiki見たら本当に太子様が空飛ぶ馬で富士山を越えたっていう伝承があってワロタ
「富士は日本一の山」っていつ頃分かったんだろうね?
全国の地理情報と測量の技術が必要だと思うんだけども
「日本」の範囲自体が昔は狭かったから……
富士山の高さが3776mと確定したのはいつだったのか気になってwebを散歩してみたら、
関東大震災後の復旧測量(1926年)とのことだった
ttp://www.kokudochizu.co.jp/index.php/yomoyama/185-2012-01-25-01-56-01.html
>>176
逆に「日本」の範囲が広かった時代は、台湾の新高山(3952m)が最高峰だったな
>>175
昔は高さじゃなくて山容の秀麗さを見て日本一と言ってたのかもね
ふーじーはーにーっぽーんいーちーのーやまー
って定番の歌は、Wikipediaによると明治44年なんだね
近代化以前は、山といえば人智の及ばない神仏の領域、修行で登ることはあっても娯楽で山登りなんてしないしできなかった時代ね
そういや講社ってどんだけあるんだろう
自分は御嶽山のに所属してたけど、富士だとかなり多いんだろうな
ウチの今は亡き母方のおばあちゃん、昔無尽講やってたっぽくて
「明日はムジンコで出かける」みたいなこと普通にいってたから、当時は老人寄合クラブみたいなものだと思ってたっけ
後から知ると、結構生臭いつながりだったのね……ムジンコ
ちょっともろえのお知恵をお借りしたくて来たんだけど
どなたか、滅失重要文化財(及び国宝)のリストとかご存じじゃありません? あと、敗戦時に没収された重文が何々とか
なんか無性に知りたくなったんだ。あんまり理由はないんだけど
結局人間はもちろん生物は生きてるだけでもう罪なんだよ
弱肉強食の輪からは逃れられない
これは仕方ない、どれだけオブラードに包んでも事実だからそれを
宗教はありもしない神様がどうこうで誤魔化してるだけだ
えっ 神様がありもしない……?
神の不在を証明できるなら君は1000年名前の残るベストセラーを書けるぞ
♪No saviour from on high delivers
♪No faith have we in prince or peer
♪Our own right hand the chains must shiver
♪Chains of hatred, greed and fear
19世紀になって、人はもう既に神の死亡証明してた
20世紀になって、人は神の死亡証明した人の死亡証明しようとした
21世紀になって、人は神の死亡証明した人の死亡証明もできないまま神の生存を語ろうとする
ちなみに、21世紀最初に生まれた独立国は、神の死亡証明を信じた国
おいおいスレタイを読み直せ
ここは神話について語るスレなのに神はいない!!死んだ!!!って言われてもなあ
弱肉強食の世界に罪は存在していない
それではあまりにも弱者がつらいんで、強者に勝る神を創り出し
神の教えに逆らう強者に罪を押し付けた
つまり、神も罪も人間の作り出した妄想にすぎないのだ
別にこのスレは神話だけを語るスレじゃないから何も問題はない
「神は死んだ」と説いたニーチェは哲学者だし、神は必ずしも神話だけの領域でもない
日本人にはぴんとこないけど「神は死んだ」の台詞は欧州人にとってそれはどえらい事らしい。
存在理由というか、精神的シチューというか
神そのものが生存していないと考える合理的な人でも、必ず何かしらの影響は受けている
「神は死んだ」を日本で例えるなら、終戦後の人間宣言に近いのかな
>>185
何を言ってる、神話でもたくさん神は死んでるじゃないか
え?意味が違うって?HAHAHA
小文字のgodならいくらでも創り出せるし
同時に忘れ去られて消滅した存在も数多い
去年一年『八重の桜』観ながら思った
ああ、神も仏もあったもんじゃねえ、って
八百万もお釈迦も絶対神(あの「神」はむしろ会津が滅びてから顕在化するんだけども)も救っちゃくれねえ
そういや、うちのおばあちゃんもいってた。俺の母が死んだとき、「なさげねねぁ。なさげねもんだ」って
「情けない」は、いわゆる標準語じゃ「頼りない」「口ほどの価値もない」みたいに、ひたすら他者を蔑む表現に成なるけれど
「なさげねぇ」の真意は、「神も仏も一生懸命祈った割に護っちゃくれない」っていう
ある種の諦念と、それでも捨て難き信仰の綯い交ぜになった感情の吐露なんだ
俺は神も仏も信じちゃいない……とかいいつつ、俺をこの世に産んでくれた産土神たちにはかんしゃしているけれど
叫びたくなる時はある
なさげね! なさげね! 今の世の中なさげね! なさげねど!!
うん?この口調は……あれ
自分で自分の口上に酔っちゃうこのレスの仕方は・・・
>>180
ウチの地方では古峯講が盛んなようだったなあ
栃木県の古峯神社のやつね
「古峯神社」の石碑も地元のあちこちの神社によくあったんだけど、その古峯さんがどこにあるのか自分はつい最近まで知らんかった
>>193 >>194
い・か・に・も☆ みんなの現代怨霊たんだお(キラーン)☆★☆★☆
でも、今夜はあんまり悪酔いしてなくて、マジで諸兄のお知恵借りたくてここに居座ってるんだわ
>>181 で書いたとおり、ホントに知りたいんだ。この国がかつて守り得なかった公認の「宝」ってどんなもんだったかって
大事なことでしょ、割と。でも、文化庁のHPとかいっても不親切で、その辺のこと教えてくれる気なさそなんだ
だから、古なじみのみんなに頼んでる。ねえ、教えて、プリ☆
無尽講って聞いたことなくて左義長みたいなものかと思って調べたらほんとに生臭かったw
コミュニケーションになっているようでなっていないケースか…
無尽って盛んな地域と盛んじゃない地域があるんだろうな
確か山梨県は盛んだと聞いたことが有る
山梨じゃないけど俺の知人がやっていて集まったりしているよ
あとそんなに生臭いって感覚はない
しかし集金がうまくいかないと面倒くさいと言っていたな
アレが湧いたみたいだからこの話題やめとくか。
相変わらず会話出来ないみたいだし。
田舎の奥深くの村では成人になった女子は村の男たちに輪姦される儀式がある
男子は大人の女性に筆下ろしされ男になる
>>199
沖縄にも「ユイ」ていうのがある。皆で積み立てて、くじ引いて誰ががつかえる。宗教はからんでないみたいだけど。
神重徳首席参謀はとっくに鬼籍に入られてますぜ
>>192
うちの婆様が病気のあったとき、こんなにも信仰しているのにどうしてかと嘆いたことがあるそうだ
母はそれを聞いて「それは違う」と思ったと言うんだな。救われようと救われまいと、
何よりも敬愛するはずの「それ」を責めるのは絶対に違うと
婆様も母親もどっちも信心深い人で、その感覚の違いというのはどの辺にあるんだろうなと考えていた
思い当たったのは、母は「それ」を許したのだということ
果たして人の身が「それ」を許すなんて大それたことが、それこそ許されることなのかと考えると、
どちらが本当に「それ」に寄り添った考え方をしてるのか、分からなくなってきたんだな
あくまで絶対者として見るのか、それとも親しき隣人となり得るのか、という問いに収束するという気がしている
聖書でのイエスの嘆きを見るに、後者の方があるいは日本的なのか、とも思う
祟り神や御霊を慰めるという感覚も、後者に近いものなのかな?
ちなみに婆様は敬虔な仏徒で、特に浄土宗系は前者に近いのだろうかと思う
というか、現代怨霊って呼び方気に入って貰えてるのなあw
こう、小さい枠組みを作ってその中で強者になろうという心の動きがニーチェがルサンチマンと呼んだものだと思うんだが、
まあそれはどうでもいいとして、あなたはどの枠組みでも弱者でマイノリティで狂人なんだろうなあ
真理は少数派にありという言葉もあるけどそれもやっぱり違うと感じる
どの枠組みにもよらない「強者」あるいは「弱者」とは一体何なのか?というところに大して切り込めなかったのが
ニーチェの限界という印象はあるんだけど、そこに行っちゃうと何か単に「相手を殺す力(物理)」に行き着く気がして、
ただそれもどうなんだって感じだ
ttp://rocketnews24.com/2014/02/16/413907/
ちょうど入ってきたニュースだが、信心も愛情も、無償(見返りを求めない事)が前提だと思ってる
喜捨と言うのかな、施した事と恩恵の間に因果関係を期待するのは、不履行時に遺恨を残す
人間は思った通りに動かないし、ましてや神なんてそれこそ人智が及ばないものだしな
現代怨霊のようなルサンチマン諸氏は、この因果関係が絶対たるべきだと妄執してる気がする
かと言ってニヒリズムや刹那主義に傾倒せよとは言わないが、バランスって大事だと思うわ
というか「現代怨霊」なんて用語は、このスレの彼に対してしか使った事がないんだがw
宗教は一方で無償の愛を推奨するが、もう一方で因果応報を唱える(宗教により程度は違うが…)。
>施した事と恩恵の間に因果関係を期待するのは、不履行時に遺恨を残す
現世での不履行が遺恨を残さない為に「天はその施しを見逃さず、死後もしくは来世で履行されますよ」と各宗教は謳っているのではないか。
富者の施しの見返りは貧者からは望めずとも、後に神仏が代理で見返りを支払う。だからこそ、小局(現世での個人間という狭い枠組)では「無償の愛」が成立する。
要するに、神仏に対し無償の信仰をするのは変じゃないか、と。
>>204
本当に絶対者として捉えてるならそれに対して嘆くのもまた不遜だろうに
>>192 とは体験にかこつけた吐露のしかただけでなく
狭い知ったか視野の思いこみで結論を出すところが良く似てるね
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>207
相手しちゃ駄目だってば
雪すごかったな。江戸時代だったら死者がたくさん出たろうな
雪害の記録って残ってるのかな
地震・火災・水害についてはよく聞くけど
前になにかの本に江戸時代の災害年表ってのが載ってたけど
何事もない年っては極々まれだった
(江戸に限れば大火がしょっちゅうなのもあるが)
雪害というか冷害が旱魃・大風・地震とローテーション状態
そういや二・二六事件とか吉良邸討ち入りとか大雪のイメージだけど、
実際どの程度降ってたんだろうね。
東京都内で一番の被害が雪の重みでのカーポート(屋根つき駐車場)崩落だったとか
昔の江戸の家なら潰れるか?
二・二六のときは東京は30年ぶりの大雪だったらしいね。
ちょうど今回の雪ぐらいかな?
と、思ったけど、手元にある二・二六の資料見たらたいして雪積もってなかった
せいぜい5cmくらいかね
1822年2月22日江戸品川で2メートルの積雪があったらしい
江戸は1階建てがほとんどだし、冬は豪雪地帯の農民がおおぜい
出稼ぎに来てるから雪下ろしの人員も足りてそうだ
俺のところは少なくとも過去120年間で一度も経験したことのない雪が一晩にして降ってしまった
バス停の庇は全部支柱がひん曲がって倒れているし、大規模な倉庫も崩壊してしまったようだ
今まで日本でも有数の災害が起きにくい場所だと思ってたのに・・・
俺の住んでる街でここまで大規模な被害が出たのは江戸時代の天明浅間山大噴火以来かも知れない・・・
歴史的事件と雪、と言えば桜田門外の変の季節外れの雪だねぇ
3月なのに奇跡的に雪が降ってこんなん絶対成功なんかするわけない
超ザルな計画がたまたま上手く行っちゃった 雪のせいで護衛がみんな
刀をカバーの布の袋に入れてたせいで誰もとっさに反撃できなかったのは致命的
大獄で怨みを買いまくってたとはいえ直弼様どんだけ天に見放されてしまったんだという
直弼様は剣の達人だったらしいけど一番先に拳銃を撃ち込まれて射殺されてたとか
あのチャンバラもその後の歴史に影響を与えたのかは疑問
銃と刀の力関係が逆転する時期の武士の気持ちはどんなだったんだろうな
戦国時代真っ盛りでしょ?農民との境も曖昧なのに武士の矜持やカタナへの誇りなんてないっしょ
戦国時代…?流れ的に江戸後期〜明治の話をしていたと思っていたんだが…
戦国時代でも刀より槍や弓矢の方が強いからあまり使われなかったのに
合戦の有効度なら
弓>火縄銃>槍>(超えられない壁)刀だしな
刀なんか首を切る以外じゃ役に立たない代物よ(極論)
江戸時代ってならなおさらでしょ
日本刀はほとんど象徴としての意味しかない
桜田門外については
周りもあまり助けようという気が無かったって説も有ったような。
刀は携帯性に優れた白兵戦用サブウェポン
接近戦に弱い長槍や火縄銃の弱点を補うためのもの
用途が違うんだから一概に優劣の比較はできないよ?
刀携帯してても接近する前に死ぬだけ
贈答品や武士のシンボル的な、
実用目的以外の面もあったのは間違いないだろうけど、
本当に使えないなら武器として滅んでるよ。
より銃器の発達したWW1でも、
銃剣など刀と似た用途の物(槍に近いけど)が使われていたのだから、
主力武器ではないにせよ、
使い勝手の良い面もあったと考える方が自然だと思うよ。
だからこその「サブウエポン」なんでは?
時代劇では刀ばかりがフィーチャーされるから分からんでもないが
時代劇はまぁ、日常的に槍を携帯する訳にはいかないし
捕り物でさすまたの有用性は分かるんだけど
十手って実用に適していたんだろうか
宮本武蔵の父ちゃんは十手術とかやってたんじゃなかったっけ
基本的に取り締まるべき相手が持ってるのは、
匕首とかせいぜい脇差(刃渡り2尺未満)だろうし、
室内等の狭い場所では実用性あったんじゃねーかな。
振り回しやすい鉄の棒だしね
生身相手なら十分だろうし刀を受け止めるって本当に最悪のケースなんじゃないかな
十手は文鎮みたいな鉄の棒のイメージだけど、元々は小具足だったからなぁ
刀の補助武具として使うのが一般的
>>237 にある父ちゃんから派生した圓明流では、刀を右手・十手を左手に構える
使い方としては、相手の武器を受けたり突き刺したり(十手の先端は鋭い)
二刀流での脇差しと似た扱いだし、十手単体で使うことは少ないんじゃないか
>>230
井伊邸は目と鼻の先だったのに、即座に誰も助けを呼びに行ってないし、誰も騒ぎを聞いて助けに行ってないからなぁ。
そりゃ井伊の首も巴マミられますわ
>>239
刀を抜かれる前なら腕の付け根を突いたり、手首を叩いたりしてかなり有効らしい。
ヤクザ程度なら脇差し抜かれても対抗できたらしいけど、武士相手ならやはり刀で応じたみたい。
十手キィィーーック ドゴォッ!!
「弓でも鉄砲でも…」って言葉はあるけど「槍でも刀でも」というのはない。どちらが強いか分かってたのか。
矢でも鉄砲でもじゃなかったかそれ。
「中世ヨーロッパの武術」って本が面白かった(小並感)
<激写されました>
>>245
矢は弓が無いと、鉄砲は弾が無いと無用の長物だからなw
そういや思うんだが、
迷い家(マヨイガ)の言い伝えって、なんか異質で不思議だよね。
他の国の似たような話はいくつか見たけど、
ほとんどは見知らぬ大金持ちや豊かな国に迷い込んで…という、
どっちかというと桃源郷や浦島話に近いものが多く、
誰も居ない集落、つい今まで人が居たような痕跡、持ち帰ると幸せに、という言い伝えは、
どうやって出来上がって行ったんだろう。
あといくつかパターンはあるにせよ、
関東や東北には有っても西日本には無いってのも不思議だね。
>>247
当時の戦闘で参考になるような映像としてよく薦められるのは「七人の侍」だな
俺はまだ見たことは無いが、泥臭い殺し合いになってると聞く
>>249
浦島太郎は京都府だぞ(異説も数多くあるが)
椀貸伝説なんて日本中に分布してるしな
>250
触っちゃ駄目だって
>>251
ん?ああ、例の彼だったか
すまんかった
誰もいないんじゃなくてさ、いるんだけど見えない(気づかない)と考えると分かりやすいと思う。
「千と千尋の神隠し」の露店のように。
西洋では妖精や小人の逸話と近似するんじゃないかな
現実でいえば社や祠のお供え物も同じだよね。あれは誰が供えてるか分かってるけど、「住んでる人もいない(ように見える)のにいつでもお供え物がある」という点で同じ
マヨヒガ・隠れ里と常世関連は考察してると楽しくなってくる
単なる移動していった山の民の元のすみかだったってパターンも有るんだろうな
>>247
極論断定こねくり回すの好きだなぁ
怨霊氏は
こういう匿名掲示板上での排泄行為みたいな真似を定期的にしなきゃ生きていけないんだろうかねェ
<激写されました>
<激写されました>
>>258
このシーンほんと好き
あの「弱者に対して期待される健気さ」ってマジで強者の無茶苦茶な利己心に基づいてるんだって気付いたのがこの台詞
戦後復興期の人間が、昔の農民を想定して、現代にも通じる問題を語るって
本当に時代によらない人間の本質に切り込んでるという感じがする
>>258
あ、あと
>山と山の間に行ってみろ! そこには隠し田だ!
ここ俺が見てたやつだと音声劣化しまくってて聞き取れなかったんだ
何て言ってるか教えてくれてありがとう
>>259
でも作品の公開当時、黒沢監督はこの台詞で批判されたらしいね…
「おら東京さいぐだ」の歌よろしく農村に嫌気をさしてた人たちには共感されたみたいだけど
>256
単なるコミュ障だよ。キャッチボールというものが出来ない。
結果思い込みの珍説をまとめもせず書き殴る。
「怨霊」を自称するのなら、どうすれば社に収まってくれるのかね
過去すべての怨霊は、どういう手段を取ったにせよ神社の祭神として収まってるだろ?
現代怨霊氏も御霊信仰を知らない訳じゃあるまい
俺としちゃ神遊びも吝かではないんだが、怨霊や酒の名を借りて逃げ、暴れ続けられると手の付け方が分からんのだわ
コミュ症の知り合いもいるけどそいつとは会話できるし、「コミュ症」ってラベリングもまた逃げであって解決じゃない
つまらん妄想癖や自称に乗って怨霊なんて呼ぶ事自体が
東北の人や怨霊に失礼。
>251が正解だよ。
>>261
どういう文脈で、どういう層からの批判があったかって分かりますか?
どうも「自衛権の行使の賛美」って方向性での批判しか見当たらず……
ひとくちに東北といっても南北に長いので住文化や植生は結構違っていたな
青森だと北海道と同じく二重窓や大型灯油タンクが装備されている住宅が多く、
植生のほうでも竹はほとんど自生しておらず、北海道の延長だという感が強かった
郡山に住んだこともあったが、住文化や植生は関東以南の延長だと感じた
(あくまでも親の転勤に伴って過ごした個人レベルの感想だが)
冬をコタツで過ごすかストーブで部屋全体を暖めて過ごすかの違いで
住文化を区別する線がひとつ引けそうだ
>>263 >>264
そもそも封印されてたのに湧き出てきたっぽいからな
無事再封印
悪霊怨霊妖怪の類は退治されるべき
>267
お疲れ。良かった。
>>265
どういう階層からの意見か分からないけど、農民を無力惨めに描きすぎている、って映画評があったとか。
誰かとの対談で「農民は難しい」。以来武士ばかりの物語にしたとか。
>>269
おお、ありがとうございます
wikipediaの
>注:ただし、戦国史家藤木久志は、この作品が傑作であることを認めつつ、戦国時代の農民は基本的に武装し、
>状況に応じて兵士に早変わりする獰猛な存在であって、刀ひとつ持てないなどということはあり得ないとの批判を述べている
ここらへんか
ちょっと藤木久志先生についても調べてみたけど、当時の農民は戦場の主役たる雑兵の役を担っていたものであって
刀狩りの後も脇差程度は常備、村間の戦争なんかもするある意味での戦闘集団で、ああいう状況なら自力救済が当たり前、
みたいなお話みたいですね(まとめ方が雑すぎて怒られそう……)
調べた範囲ではあんまり「この台詞で」って感じはしなかったけど(むしろ農民の強かさが出てるシーンだと思ったもので)、
この台詞も農民は惨めな物に描きすぎとも取れるか
江戸時代以降は牙抜かれちゃうけどね
落武者狩りをやっていた描写もあった(サムライたちは激怒!)し惨めじゃないのにね。
公開当時の学生運動?みたいに雄々しく戦う姿が見たかったのかも??
なにをもって(農民を)惨めと感じるか、惨めにあたると捉えるかのコンセンサスははたしてあるのだろうか
その評者の評と、ここで意見のべてる人との間に
ここの人どうしでもかなりズレてそう
コンセンサスだとちょっと変か
意見感覚の擦り合わせするわけでもないし
「戦う能力がある」なら「戦わねばならない」かっていうとそうでもないというか
「第三者が敵をやっつけてくれてなおかつ共倒れになってくれればウッハウハ」
「用心棒」でもそんなやりとりが出てきてたと思う
>>270
そもそも兵農分離してない軍の主戦力は農民だしな。
光秀もそうだったし、家康だってあわやだったからなぁ
戦国時代の歩兵の主体が農民だったとすると、いざ戦となった時に統制の取れた動きというのは果たしてどこまでとれたのかな?
信長軍の「相手より長い槍で叩く」(だっけ?)ならまぁできそうな気もするが。
同じ村の出身者で隊を組ませれば結構いけそうな気が
ときに諸兄、日本以外のアジア各国における、死後の世界観について学べる書物をご存知ないだろうか
あるゲームをしていて興味が出てきたもので
スレチならすまない
>>277
そのための常備軍制度ですよ。(豊臣秀吉)
普段から戦の訓練をすることで農繁期でも他国へ侵攻でき
傭兵みたいに裏切りもないからな
信州には塩が出る塩泉があるんだな……
塩が出るメカニズムを調べてみたけど今のところ「分からない」としか言えないらしい 岩塩もないし
有馬温泉の熱源不明成分由来不明の源泉の謎みたいだ 明治に一回絶えて復活というのも面白い
ttp://www.yamashio.com/yamashio/shio.html
ttp://www.yamashio.com/yamashio/onsen.html
建御名方神が鹿狩りをしている時に鹿が舐めているのを見て発見したとか
南北朝時代に南朝方の後醍醐天皇の皇子がこの地に入り、南朝方の拠点にしたとか
大鹿村鹿塩の葦原神社は、元々は本諏訪社と言われていたとか
諏訪大建御名方神が出雲から諏訪に逃げる際に滞在していたとか
御頭祭の最上位の席は鹿塩だったとか何だか色々裏がありそう
何と言っても御頭祭で鹿(鹿島の仮託?)は生贄だし
ttp://www.geocities.jp/gauss0jp/onindex2.htm
泉質に「食塩」を含む温泉は、長野県で五つあった
・信州八重原温泉(東御市)・白樺湖温泉(茅野市)・切明温泉(栄村)
・松川渓谷温泉(高山村)・尖石温泉(茅野市)
それを地域で分けたらこうなりそう
・飯山地方(切明・松川渓谷)・浅間山(八重原)・横岳(白樺湖・尖石)
この辺りはフォッサマグナで昔海底だったから、その塩分由来と考えられなくもないのかな
>>276
軍の主力が農民と言うと、真っ先に奥州十七万騎が思い浮かぶなあ
普段表に出てこないJAXA恒例ロケット打ち上げ成功祈願の様子がNASAの撮影で明らかになった模様
ttp://earthobservatory.nasa.gov/blogs/fromthefield/2014/02/26/blessings-for-a-safe-and-successful-mission/
三社参り その1 種子島宇宙センター内 恵比須神社
ttp://www.flickr.com/photos/nasahqphoto/12766268003/in/set-72157641344480584/
三社参り その2 南種子町中之上 上中神社(河内神社)
ttp://www.flickr.com/photos/nasahqphoto/12766760385/in/set-72157641344480584/
三社参り その3 南種子町茎永 宝満神社
ttp://www.flickr.com/photos/nasahqphoto/12767001144/in/set-72157641344480584/
>>284
儚月抄では確か住吉さん乗せてロケット飛ばしてたよねw
>>283
時代が下って北畠顕家の西上とかどうしてたんだろ。あんな強行軍に付いて行ったんだろうか
・顕家本人の統率力
・「逆臣を討つ」というなんか昂揚する大義名分
・道中ヒャッハーし放題
暫くぶりにこのスレ来たけどこんなに過疎ってたっけ 不思議
ついさっき丸山眞男『忠誠と反逆』読んでたら、
三者対談という形式の歴史の中でみた中江兆民の三酔人何とかかんとかの特徴について書かれてた
中江兆民自体はさほど興味持ってなかったけど、
江戸時代までは基本的に三者対談の形式をとるのは宗教書で、それも他宗教を論駁するためにまず対抗相手の主張を手短に言わせ、それから自分の主張をガーっと書くって方法をとったらしい
そして三者対談の三者に入るのは、最初は仏教の中で分かれた宗派がそれぞれ入るところだったのが、
途中から仏儒道や神仏儒や仏儒基になったりして、
その時代毎に、どの勢力が他のどの勢力を敵視するか変わってくるんだそうな
何が言いたいかというと、求聞口授の三者鼎談は(コンセプト的には)
宗教論争の書がとる伝統形式にきちんと沿ってたんだってこと
…内容が沿ってるかどうかは知りません
三教指帰かー
ユダヤキリストイスラムでやったら大変だな
あれは壮絶な兄弟喧嘩だもんな
まったくの他人ならそこまで揉めないかも知れんが、なまじ身内だけに対話で解決するかどうか
奈良時代から続く藤原四兄弟と構図は似ているのかも
四兄弟はそんなに仲悪かったのか?
同じ年に疫病で仲良く死んでるみたいだけど
>>292
すまん、間違えた藤原四家だ
空海もなんだかそういう形式の書を書いてたんだっけうろ覚えだけど
儒教道教仏教で対談させてたかな
>>289 のやつですね
なんかの本でみたんだが蘇我氏て渡来人の家系ではないらしいな
神霊廟発売後
俺「新キャラは聖徳太子かー。古代史苦手やけど古本屋漁って調べて見るか」
著:関裕二
著:関裕二
著:関裕二
著:関裕二
著:関裕二
俺「何やコイツ…」
まぁ、面白かったからいいけど。(参考になったとは言ってない)
不比等による記録改竄というキーワードは
俺設定の古代史を語る上でこの上なく便利なものだと思った
日本の古代史は
記紀神話からの同一人物推定をはじめ
研究や学説とはいえないレベルの妄想が多々存在するカオスワールドだからなあ…
聖徳太子イコール蘇我入鹿とか蘇我入鹿イコール天皇なんて珍説もあるし
(それもどっちかは関裕二だった気がするが)
関裕二の場合は、真偽はともかくとしてもっともらしいストーリーを並べることで
流れをつくってのみこみやすくする効果はあるので
日本古代史のキーワードをまだよく知らないビギナーが
重要単語や問題点、通史だけだとわかりづらい神社関連や海人等の部族関連などの視点など
「パーツ」を俯瞰するには便利かも
「パーツ」は手に入るけど「組み立て方」はトンデモなところがあるから
とっかかりとしては適してるが鵜呑みにすると恥ずかしい思いをする
記紀が書かれた時点で銅鐸とか完全に幻想入りしてたようだし、記紀と同時代の書物も
全く幻想入りしてしまったし、まあ古代史はカオスになるわな
そういやこないだ梅原猛ってまだ生きてると知って驚いた
勝手に殺すんじゃないw
梅原さんは「日本の深層」の東北地方論が面白かった。
こういう風に古代とか面白く語ってくれるひと、最近は誰だろう?。
久々にwiki見てみたらトップやこれまでのまとめ一覧とかのページが、
ページの存在ごとごっそり削除されてるみたいです
ttp://wikiwiki.jp/th-kousatu/?RecentDeleted
何やらけっこう面倒くさいことする荒らしがいるみたいで、
どうすればいいんでしょうねこれ
とりあえずはインターネットアーカイブで去年の7月のデータが残ってるから、
まずはそこから復旧させるのが早いかな。
管理者の居ないタイプのwikiだとある程度は仕方ない。
嵐さんも熱心なことよねぇ
まったく、はた迷惑ですな
>>305
RecentDeletedから?マーククリックして編集画面入ると上のメニューからバックアップにアクセスできる
別スレで話題になってふと疑問に思ったが、妖怪には心臓ってあるのかね
なんだい、向日葵畑の住人かい?
人魚の剥製(もちろん偽物)には骨やら臓器やら付いてるから、あるんじゃないの?
吸血鬼の場合、心臓に白木の杭を打ち込むのが倒す条件だしね
もっとも面霊気のような妖怪にまで心臓があるかは分からんが
生命体にはその根源的な核はあるんじゃない
人間の場合は心臓だけど妖怪はどうなんだろう
人型だと心臓っぽいけれど、鵺とかみたいなのは複数だったりそもそも別物な気もするしなあ
豊姫の元ネタである海神神社の仏像を盗んだ某国が仏罰で
海難事故があったと言われているけど真偽はいかに…
いくらその国の人間に盗んだ奴がいたとしても
今回の犠牲者は盗難とは無関係なんだから
そういう罰とかで片付けるのってどうなのさ
いや相手しちゃいけない
>>310
人間にとっての心臓は、根源的な核ではない気もするが
臓器やら血液やら、どれが欠けても不具合を起こす
例えば人間の場合、心臓は無事でもヘッドショットで脳を壊されたら死ぬとかな
あと日本の場合は三魂七魄の方が重要だったりするのか、
「特定の臓器を攻撃したから退散できた」というのは余り聞かないな
鵺退治は刀で刺したとだけ、八岐大蛇は切ったまたは切り刻んだとだけしかない
話は変わるが、そういえばイカやらタコやらは心臓が複数あったような気がする
ひょっとすると名状しがたい邪神どもの心臓も?
>>312
日本の神様って理不尽な一面があるからね、
しかもご利益は海上安全の加護もあるし、そう邪推されてもしゃあない
神様が理不尽なのはどこの国でも共通だし
そういう考え方は嫌いだわ
行動に応じて罰を与える神という考えは正直現実に合ってないから真面目な
信仰としては廃れるのも当然ではあるが、ネット上の煽りとして復活する
としたら無残だなあと思った
向こうからして3年前の大震災で日本に罰が下ったと喜んでるぐらいだしね
だからってこっちまで民度の低いこと言っちゃいかんよ
まったくだ。子供かと。
といいつつ日本の悪口は特に咎めず
外様へのそれだけ大人の対応を語る二枚舌がいると
説得力がなくなるから公正さは大事だね
だからってここでこんなこと続けても不毛なだけっしょ
<激写されました>
スルーという大人の対応できない人が幼稚さを語る
で、この話題の何が東方に関係するんだ?
何でも語っていいスレだけど、最低限東方には絡めようぜ
江戸時代は強盗より空き巣の方が悪いことだと思われてたってどっかでみかけたんだけど
本当?
>>321
「相手を怒らせてしまった。自分は相手をきちんと正当に扱っていただろうか」
「相手から酷い扱いを受けている。しかし自分にも反省すべき点があるのではないだろうか」
This is 二枚舌
天邪鬼も大喜びですなあ
>>317
神様を信じてなくても幽霊(心霊現象)や呪いを 信じているひとはけっこういそうな気がする
欧米でも20年ほど前の調査で神の奇跡は信じないけど悪魔はいると思う、という若者の結果に関係者がショックを受けたそうな
最近、ポンって神様が好きになったんだが、みんなはこの神様をどう思う?
>>327
「相手を怒らせてしまった。日本人として扱って一部には中将の地位まで与えたから」
「相手から酷い扱いを受けている。他の列強のように動物扱いしなかったから」
This is ……?
その話はキリがないからそこまでね
<激写されました>
<激写されました>
神神(ガミガミ)言うってか?
自分がどういう意図で何をしようと受け取る側の意思がすべてなら
お隣が何を何のために言おうがそれに対し日本人の悪感情が広がってるで話は終わりだしね
もうわざとやってるなこれ
そろそろ通報だなあ
アレ以外にもまだいるのかね
<激写されました>
とりあえずこのスレに初めて来た俺としてはマヨイガについて語りたいな
ネットで調べた感じとしてはマヨイガには誰もいなくて何かを持ち帰ると幸せになれて
逆に何かを食べると帰れなくなるとわかったけど
動画やゲームだと番人がいたり宝をとったら追いかけられたりと何が本当なのかよくわからん
※このスレでは一部の人のせいで東北地方の民話を話題にできません
マヨヒガのものを食べれなくなると帰れなくなるってのは初耳だけど
黄泉戸喫から来てんのかね
ゲームの方は知らないけどそういうのはマヨヒガの話を元にした二次創作だろうからまぁ…
何かを食べる〜は初めて聞いたな
柳田国男の遠野物語だと持ち帰らなくても
川から椀が流れてきて結局幸せになったんだけども
なんと
マヨイガのものを食べると帰れないはネットゲーム動画のほとんどで共通してたので
本当かと思ってましたが違うとは
番人関連はゲーム、動画の面白さ優先ために出てきたのかな?
火のないところに煙は〜、の法則で番人住人が少なからず出てくるのかと思っていたのですが
西日本では川から椀か何かが流れてきたら
それは上流が平家の隠れ里とされる場合が多い
最終的にはそこから追っ手が出て平家は全滅して椀を拾った人は褒美を貰えたりして
黙っている場合でも守ることを約束すればその場合は平家側に歓待して貰える
最終的に平家側に付くと悲劇になったりするが そして西日本の河童は入水した平家の残党だと言う
これとは系統の違う東日本の河童は将門の手下達と結びつけられる どちらにしても平家か
>>343
もしかしたら話の伝わり方によったらそのような伝承もあるのかもしれない
wikipediaの迷い家に遠野物語のマヨヒガの部分を抜粋したものがあるから
見てみるといいよ。少し古文チックだけど普通に読めるはず
まあヨモツヘグイあたりから流れてきたんだろうね
ヨモツヘグイってなんだっけ調べたら古事記に出てくるやつだったのか
古事記見返したらちゃんと乗ってたわ
wiki読んでみましたが食べると〜の描写ないですね
住人関連も気配を感じた、程度ですし
気配を感じた→いるかいないか断定できない。から動画、ゲームで住人描写が存在したのかな
よもつへぐいも読んでみましたが日本神話で有名なアレでしたか
マヨイガと黄泉の話、関連が全く感じられないのに結び付くもんなんですねw
迷い家で黄泉戸喫ってあれだろ、オシチヤさんのフリゲーだろ
千と千尋なんかもあれも迷い家の一種として描かれてる感はあるけど
ああいう神話民話のいろんな要素ごたまぜにして一つの作品に纏めるのはジブリの得意技だよな
マヨイガに幸福だけでなく恐怖性をもたせようとしたからだろうか
ヨモツヘグイあたりからの派生なのか、
そこで出されたものを決して食べてはいけない、手をつけてはいけないってのは、
何か他の伝承か寓話でも見た気がするな。
でもまぁ外国の話でも似たようなのが有ったかも知れない。
ギリシャ神話…(震え声)
オルフェウスの嫁は冥界の物食ったから帰れなかった訳ではないな
振り向いてはいけないってほかになんかあったっけ?
杜王町しか出てこんわ
あれ?冥界のザクロを3粒食べたから1年のうち3ヶ月は冥界で過ごす、で正しいような
>>353
>>352 が考えてるのはオルフェウスじゃなくて多分ペルセポネーの話
>>349
ですね
でもそれ以外でも個人サイトや動画(最近見たものはマヨイガパラドックスとか)で
食べてはいけない云々言ってるんですよね
まさか本家にすら触れられていないことが出てきていたとは思いませんでした
個人的には面白いので好きですがw
>>355
あー、イザナギ夫婦のイメージばっかで考えてた。他にあるのか
振り向いてはいけないは一応見るなの禁の類として扱われるのか
でも「振り向く」って行為って何となくただ「後ろを見る」以上の意味があるイメージだなあ
見つかって逃げ回るとか余計なことをして帰れなくなるとかいう展開がゲームに馴染むのだろうね
マヨヒガも異界ということで神隠しと結びつけやすいのかもしれない
振り向いてはいけない話というと旧約聖書のロト記も挙げたい
迷いを見せたら奇跡が失われる、ってのは福音書の湖を歩く使徒もそうだな
>>348
異郷との関わりや影響をどう持つかって意味では共通性あるんじゃない?
ヨモツへグイはギリシア神話その他の神話でもよくある
塩の柱になるやつだっけか >>ロト記
イザナギとイザナミの話は、マオリのヒネ神の話とも似てるよね
蘇生しようとした妻は連れ帰れず、死の世界の女神になってしまうっていう
世界各地に似たような神話があるのは「人間みんな似たようなことを考えるから」っていうのが通説なのだろうけど、
ここはやはり全ての神話の始祖たるなにやらとか壮大なファンタジーを考えてみたくなるな
某英雄王みたいな
しかしマオリの神話か、初耳だったが調べてみたら面白かった
冥府降下の共通性もだが、近親相姦から生命が始まるというのも興味深い
ユングの集合的無意識を思い出した
余談だが旧作の靈夢はキクリ(おそらく菊理媛)と戦ったことがあったりする
旧作で言うと、ユウゲンマガンって元ネタは何なんだろうな
妖怪なのは間違いないとしても、造形がなんか日本っぽくない
多神教って淘汰され過ぎだよな
現存してるのはヒンドゥー教や神道ぐらいだろ
大乗仏教も多神教要素は強いけど
まずキリスト教が一神教かどうか怪しいと思うのよ
アフリカや東南アジアにはまだまだ、たくさんの神様がいる民族宗教が残ってるんじゃねーの
>>369
東南アジアも世界宗教に飲まれてるよ
イスラムとか
>>370
いや奥地の先住民族とかね
先住民とはいっても大体はイスラームとかの大帝国に飲まれてるから
民族宗教は少ないんじゃねえか
>>371
少数ってんならゾロアスターもまだ生きてる扱いだわな
少数でも信者が残ってるなら宗教としては生きているでしょ
場所は変わるけど、南米の人達はカトリックだけど
先祖代々の信仰も残っててそっちの方もごっちゃで信仰してる人も多いんだったかな
>>368
キリスト教も聖人が日本で言う神様の役割してんじゃね? って思ったりする。
古い大きな街だと守護聖人がいるんだっけ
さしずめ門前町のような感覚かもしらん
>>356
マヨヒガパラドックスは面白かったね
このスレで話題に上って知ったんだっけ…忘れたw
天使や聖人が実質神様の役割だよね
造物主より人気出ちゃったせいで悪魔に貶められたり大変だな
ユダヤ教にはいるのにキリスト教にはいないエノク=メタトロン
>>379
エノクはユダヤ教にもキリスト教にもいるし
エノクをメタトロンと同一視する解釈はユダヤ神秘主義のもので正典にあるわけではない
今月号のムーでゾロアスター教関連の記事があったな
学研のムー!まだあるのかw
むしろ無くなる理由がない
幻想郷での地口とかはどんなのがあるのだろうか
>>384
チルノ「楽勝、常勝、秦河勝!」
>>366
スタンド
今回の例大祭で買った「カミナル」(サークル薬味さらい発行)が面白かった。
幻想郷の、いわゆる生け贄の風習に守矢一家がからむ、というお話だけど作者さん(ゾウノセ氏)は民俗がお好きなのか?作中のディテールなかなかだった。ここのスレ住民に一読をお薦めしたい一作。
ゾウノセさんはよく食人をテーマに描くけど、今回のは特に素晴らしかった
あとあの本のタイトルは「カミナレ」ね
杉沢村の存在は幻想郷にあるのだろうか
もしかしたら妖怪たちが人間を狩りに向かう外の世界の拠点かもしれないな
>>387
大変失敬でした…
なぜ妖怪は人を食べるのか?
神さまも食べたっけ?
(諏訪の御頭祭も本来は生け贄を出していたとか)
生物にとっての究極の恐怖が「食われる」ことだから……とか?
妖怪は神が零落したものと言ったのは柳田翁だったか
神に生贄を捧げるのは、慰撫・饗食・世話のいずれかの意味と思う(重複する事もある)
人間は食べられる存在である畜生を格下と見る
ならば人間の格上の存在は人を食べる側のはずだ
妖怪を食べる人はいたのかな?
鬼を黒焼きにする昔話があったなぁ
記紀神話では奇稲田姫がオロチの生贄にされかかったり
弟橘姫が荒海を鎮めるための人身御供になったりするが
神による食人の記述はないと言える
出雲国風土記には鬼が人間を食った話がある
神道集では綏靖天皇が好んで人間を食うために恐れられて幽閉されたとする
>>394
人間が鬼を騙して胡麻などの小さな物に変身させて食ってしまう民話もあるね
ことわざでは物怖じしないさまを「鬼を酢にして食う」といい
紛い物を喜んで食っているさまを「鬼の臍を蓼酢で食う」というから
鬼は酢の物にして食えるようだ
あと有名なところでは不老不死の妙薬として人魚を喰う話かね。
>>390
御頭祭の方はかなり略式化されたが、
生け贄を伴う神事は今も行われている。
「本来仏道に縁無き畜生を狩って食べることで成仏に導く」
みたいな(明らかに後付っぽい)話もあるそうで
ヒャーハー!!汚仏は消化だーっ!
記紀の黄泉とか根の国とかって地下じゃないんだね
驚いた
……。
そういえば童話「おむすびころりん」の隠れ里は、地中に開いた穴を入り口にしてたな
アイルランドの伝承で2つの部族が戦い、負けた先住民が“地下の世界を支配する”ことになるんだけど、これは現実に“絶滅して死の世界に住んだ”ことを暗示してるとか
日本において死の世界=地下のイメージになったのは仏教の地獄からかな
それとも「よみ」に「黄泉」の字を当てた所為か
確かイザナギがイザナミに会おうとして
火をともしていたから暗いところなんじゃないです?
スサノオもオオクニヌシも最終的には「根の国の王」になるわけだけれど
二人の関係的にこの王どうしはまず仲良くできないだろうな
オオクニヌシが遠慮してくれるかもしれないけど
ヨミはヤミから来ているという説もあり
また黄泉比良坂の比良は崖を意味するので(坂は斜面でなく境)
黄泉は中つ国から下って行く世界であったと思われる
古事記の頃には既に神は天にあり、死者は地下にあるという垂直的な世界が構築されていたとみるべき
>>403
黄泉の字を当てた頃には「山上他界にある」「海上他界にある」「地底にある」っていうのが徐々にゴッチャになってきてたのかも
地理的には坂の上だけど、漢語から「地下の泉」なんて意味のものを引っ張ってきたということはイメージ的にそれと似通ってた部分も少しくらいはあったんだろうし
根の国は雰囲気が最初っから地下っぽくないが(笑)
>>405
スサノヲさんも最終的に「その武器で兄弟を倒して私の娘を妻にして幸せに暮らしなさいよね、この馬鹿!///」
ってなっちゃってるから結構うまくやれそうな希ガス
>>406
いやいや、少なくとも記紀では黄泉の国は中つ国から上って行く世界でしょう
死の世界は、土を盛って作られた墳墓からイメージされているともされるので
入口へ至るにはまず登る必要はあるのだろう
しかし、坂を大岩で「塞ぐ」ことにより二つの世界の往来を絶ったという古事記の記述は
地霊殿stage1のような風穴によって現世と繋がった地下世界を想起させる
その話は、古墳の横穴式石室と関係したりしないかな。
人が死ぬと、門を開いて、その向こう側へ行くわけだし。
古墳時代中期の、竪穴式から横穴式への変遷が、死の世界の認識に与えた影響とか、考えられるような。
・黄泉比良坂の葦原中国側は坂本(坂を下ってきた場所)である
・スサノオは黄泉比良坂から、遠くにいるオオナムチを「遥かに望んで」いる
・大祓詞では根の国は大海原にある
つまり黄泉比良坂から繋がる異界は基本的に地下ではないと言える
ただし漢語「黄泉」は地下を表す言葉であるため、それが充てられた和語「よみ」にも当時既に地下的なイメージが付いていた可能性がある
また、上り→下りの先にある世界という可能性もある
こんな感じでおk?
つまり山の向こうか
一方エジプトでは、死者が天に登るための階段(ピラミッド)を建造していた
このスレはいつ見ても濃いなあ
山の向こうというと、平安期から盛んに作られる阿弥陀来迎図も、山を越えて来るよね。
そういう、山の向こうが「よみ」である観念に習合しながら浄土教が広まってるのかね。
>>396
話題ずれるけど御頭祭の“頭”は鹿や猪の頭のことではなく
この神事が当番(頭番)制だったから御頭祭って言われるようになったらしいね
ようするに贄の「“頭”部」ではなく「“頭”番」の頭の意
おいおいまだ夏でもないのに…
深夜、無人の別荘から119番通報 誤報?それとも… 青森・八甲田
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140518-18104206-webtoo-l02
無人の別荘から深夜に119番?
17日午前0時すぎ、青森市駒込深沢にある別荘の固定電話から消防へ通報があった。
しかし、通信状態が悪く、電話の向こう側から声は聞こえなかった。
一刻一秒を争う事態かもしれない―。青森消防本部は発信場所を特定し、
消防署員ら10人が、40分ほどかけて現場に到着。
しかし、辺りは真っ暗で、家の中に人影はなく、傷病者も見当たらなかった。
現場は八甲田雪中行軍遭難事件があった地区で、木々がうっそうと生い茂る。
同本部通信司令課の担当者は「何らかの原因で通報されたと思われるが、
よく分からない」と困惑。
やむを得ず、誤報として処理することになるとしている。
夏じゃないから怪談話をしてはいけないという話でもあるまい
番町皿屋敷も旧暦一月の話だし、むしろオールシーズンでどんと来やがれ
こういうのが妖怪の仕業とか考えると胸が熱くなる
イタズラとかじゃなけりゃ何か原理があるんだろうけど、
偶然これが起きるってまさしく妖怪だよなぁ
八甲田山な事を考えると亡霊の仕業やもしれぬ
もっとも当時は119番なんてなかったけど
通報が妖怪の仕業なのか
無人なのが悪戯された結果なのか
すべての怪奇現象は「おばけのしわざ」で説明できるんだぜ?
説明
説明ってなんだ
ためらわないことさ
どんな現象も断固として「プラズマです!」と
欲求不満によりプラズマが発生するのだ
いたずらをしたお化けを管理する幽々子のお尻を叩かなくちゃ
お化けに触れるのか触れないのか問題について
民俗とは直接関係ない、歴史学の話だけど、諏訪に関して興味深い話聞いたから投下しとく。
一般に、上社大祝・諏訪家は「諏訪大明神の子孫」として連綿続いてきたとされる。
でもこの家が、鎌倉初期に下社大祝・金刺家に乗っ取られてるのではないか、という説があるらしい。
というのも、鎌倉初期に義仲の元で活躍する手塚光盛とか、頼朝にムチャぶりされる諏訪盛澄とか、みな下社系金刺氏。
で、そのあと活躍する、御内人の諏訪盛重が「上社大祝」として出てくる。
「盛」が共通していて、こちらが親子じゃないか、と。盛重の子も「盛経」だし。
盛重が御内人として権力を振るったことで、北条氏を通して諏訪大社が大きな力を持った、という背景がある。
だから、盛重が幕府での立場を背後に、上社大祝に就任しちゃった、と推測できる。
諏訪社が、全国的な信仰を得て勢力を拡大するのも、北条氏のおかげ。
執権北条氏の所領に、諏訪社が多いというのも、よく言われるし。
つまりこの時期に、諏訪社が大きく変化してるのよね。
要するに、「諏訪氏は古代から連綿と続く」という話は、後世、盛重たちや円忠に作られた「後付」ではないか、と。
むしろ、鎌倉幕府と深く関わることで、この家は「大祝」になり、諏訪の中での地位を固めた、という説。
守矢とかには関係ないのだけど、諏訪信仰=古代以来、という話に一石を投じていそうなので、書いておいてみた。
長々失礼。もろえの皆さんの、なにか参考になればよいと思うけど。
ちょうど最近鎌倉幕府の御内人を勉強したばっかりだったから
その単語が出て来たのを見てなんか嬉しいw
>執権北条氏の所領に、諏訪社が
へぇ〜
こういうの見てると
教科書なんかの知識が他の知識と繋がってく感覚も楽しいね
鎌倉時代だろうが縄文時代以前だろうが似たようなもんだろ
どうせ神の子孫とか権威付けの俗信だし
聖性が俗信とはこれいかに
中東に幻想郷あったらササン朝滅亡時点で沢山のものが幻想入りしてそう
例としては古代アッシリア人の痕跡はササン朝まであったけどイスラム王朝の後はばったり途絶えてるし
まぁ、信仰そのものは権威付けになる程度に古くからあったんだろうな。
例えばシュメール文明が文化、科学の基礎とすれば結構高度というか宇宙人も関与しているし
すごい世界になりそう
たしか人間は自分で働くの面倒くさい神様が創った奉仕種族なんだっけかメソポタミア神話
東方世界に月以外に宇宙人いるのか
特に公式でそんなのいた覚えないけど
月夜見以外に星神だって色々いるし、よその星で暮らしてる奴がいても別におかしくはないんじゃないかしら
>>437
少なくとも天照大御神さまは月以外の場所に住んでいて、ときどき八咫烏(金烏)で手紙送ってくる @儚月抄
たぶん太陽に住んでるんじゃないかな
金星がルシファーなのもただの象徴ではないのかもしれない
>>437
旧作だが怪綺談のルイズの台詞に「私は宇宙人ですか…」というのがある
>>440
ルシファーは天から落とされて氷漬けになっているのではないか
>>429
そんなこと言ったら今の神社本庁然り神道自体が儒教(儒家神道)に乗っ取られてるしな
神道は本来、伊勢神宮を中心として体系化された信仰ではなく
諏訪信仰や出雲信仰、熊野信仰など信仰も祭祀も儀礼も全てその土地独自の別々のものだったが
明治四年の太政官布告によって神職の世襲が禁止されたことで各神社独自の祭祀や儀礼が破壊され
儒教ベースの中央集権的なインスタント宗教にすり替えられたわけでな
そのインスタント宗教の主催者だった神祇院の流れを汲む神社本庁からすれば
戦勝国による不当な押し付けらしいがGHQの神道指令のおかげで
日本古来の宗教観が多少持ち直したのは皮肉なものだ
「古代以来不変の日本固有の神道」が、「明治の国家神道」で破壊された、というのは、少し違うと思う。
429の諏訪の話は、神道も時代に応じて変化するもので、「古代以来不変」ではないという例になるとおもう。
鎌倉の段階で、信仰の規模が変化すれば、祭祀様式も大きく変化している可能性があるし。
そも、黒田俊雄にいわせれば、神道も東アジア各地に存在する土俗信仰の一形態だし。
それが、仏教の論理によって説明されるようになるのが神仏習合。
おまけに中世には、「中世日本紀」と呼ばれる、古代にはなかったような神話が存在してたりする。
国学・儒家神道にしても、華夷変態による江戸中期の自国意識の高まりが背景だよね。
その上での、中央集権国家体制を作る為の国家神道。
信仰が、時代とともに変遷するのは当然だし、何が「本来の信仰」とかそういう話は、あまり意味がない気がする。
私の考えは史学寄りだから、是非、民俗の詳しいもろえの意見をうかがいたいところ。
金星はあちこちで神格化されてるよね
最近はアメコミに出たり女子高生になったりしてるけど
確かに"本来"なんてものは有って無いようなものだね
私は仏教あんまり好きじゃないから「神仏習合以前の神祀りが日本古来の宗教の姿だ!」とか勢いで言いたくなるけど、
その神祀りだって日本列島各地や渡来系の信仰形態が習合に習合を重ねたものだろうし
>>442
単純化しすぎか。
>>443
体制からの制度や機構としての宗教と
民の意識みたいなものも分けて考える必要はあるのかもね
分けるというより、どっちがタマゴでどっちがニワトリかじゃないけど
相互に影響してるにしても、需要があって供給が追いついたのか
供給体制がまずあって需要がついてきたのかとか
いろんな関係があるだろうし
>>429 に立ち返ると、気になる点がひとつ
なぜその話が「諏訪信仰=古代以来」に一石を投じることになるのか
>>444
なんたって(月と太陽を除いた)星々の中では一番明るいからね
黄金色に美しく輝き、それでいて日によって姿を見せないこともあり
ユダヤ人は今でも太陽のことをシャマシュ(メソポタミアの太陽神)と呼ぶよね
インカの太陽神インティもそのまま太陽って意味だったな
インティさんは見た目からしてストレートに太陽だが(笑)
デザインだったらエジプトのアテンさんが好き
あの無機質な感じが最高
太陽龍インティ
少し語弊でした。
別に、「諏訪信仰が最近のものだ!」というつもりはなくて。
記紀神話にも出てくるのだから、奈良時代には有力神社の一つだったのは間違いないと思う。
権威付けになる程度には古くからあったのも事実だろうし。
ただ、諏訪信仰に関しては、今の信仰形態、あるいは明治に滅んだとされる信仰形態を、すぐ「これが古代以来の信仰形態だ」とつなげてしまう印象があって。
鎌倉時代に北条氏の影響下で、一度大きく再編されてる可能性を考慮すると、そう簡単に「古代から変わらない形」とはいえないかな、ってこと。
御柱にしても、鹿食免にしても。
そういう意味で、「古代以来の諏訪信仰」に一石を投じてるんじゃないかな、って。
長文失礼しました。
あと、金星の神というとトラウィスカルパンテクートリですよね。
一度、どこかのスレで、フランとキャラかぶりしてる、と話題になったのを見て名前覚えた。
金星の神様といえばヴィーナス=ウェヌス=アプロディーテーも忘れてはいけない
一番星たる金星はまさに天上の美なのだ
>>452
なるほど、ありがとうございます
アステカだと、ケツァルコアトルも金星神とされることがあるね
メソポタミアのイナンナも金星の神だし、やっぱりかなり高位の存在として見る地域も多かったみたい
東アジアだと不吉の象徴って感じだけど
仙台市の太白区の名前の由来(太白山)は金星が落ちてきたという伝承によるものらしいが……
>>443
いや、むしろ「古代以来不変の日本固有の神道」なるものは成立し得ないと思うな
神仏習合や国家神道への転換・統合など、
古代の祭神や祭祀を何の変遷も経ないまま現代に伝えているケースは皆無だ
だからこそ(内実はともかく一応は)古代の祭祀の名残を
比較的色濃く留めていることが著名な諏訪が取り沙汰されるんだろう
そして仏教がなければそもそも神道を説明することもできなかったと思う
また、明治期の神仏判然令や神仏分離令、修験道禁止令は
日本版文化大革命と揶揄されるほど大規模な文化破壊をもたらしたが、
それも史学的見地であれば古今東西よくある権力闘争の
結果の一つと捉えるのも仕方ないのかもしれないな
ただ、それは権力や権威の変遷であって信仰の変遷ではあるまい
民俗学的な見地が知りたいのであれば、こちらの神社の説明が
(もし部分的に飛ばし読みしたのなら過激に映るだろうが)
なかなか巧く噛み砕いて説明されてると思う
(ちなみに一応はお空やこころ関連の“聖地”ってことになるんだろうか)
ttp://imakumanojinja.or.jp/sintoukouza.html
(第2・3回〜)
自分も地方の古い神社で直接神職から聞いたその地方独自の古い逸話やその話しぶりと
神社本庁の謳う「神道」との間に乖離や矛盾を感じてたんだが、
この説明でそれなりに納得がいったよ
こころに関して言えば秦河勝も神様になったっけな。元祟り神の大荒大明神
伝説だの俗説だのの上に近代に入ってからの景教徒説だの日ユ同祖論だのまでついてきて
河勝は調べれば調べるほど面白くてややこしい
>>454
あんま関係ないけど西遊記の太白金星は親切なじいさんだった思い出
神主も「秦河勝=宿神(翁)=シャグジ」とか言われているの知ってんのかなぁ?
なんとなく「精霊の王」とか読んでいるような気がするけども
東方における河勝と太子の関係はどうなってんだろね?
史書や伝承だとふたりとも仏教徒で仲良しな感じだけど、東方だと太子は道教徒だし
>>455 氏
もちろん、それが成立しないことはわかってるのです。
だから、時代背景を追いながら、時代毎の信仰形態の変遷を追うのが大切だと思うのです。
諏訪も、上でいろいろ述べられるように、「古代の祭祀の名残を留める」とはいえないのかもしれませんし。
結局、民俗学が何を解明したいのか、というのが気になります。
いつの段階の信仰なのかな、と。もしくは、超時代的に不変のものが、神道にあるのかどうか、とか。
明治期の国家神道・神仏分離に関しては、そこだけを「突発的事件」として考えてはいけないのだと思ってます。
歴史の流れを見ると、近世から国学の影響で、すでにそういう徴候が現れてます。
出雲大社では、神仏分離が近世半ばに推進され、戦国大名尼子氏の造営した仏寺形式の建物が、作りなおされてます。
第一、本当に「上からの破壊」であれば、庶民による廃仏毀釈運動には簡単につながらないわけで。
廃仏毀釈や国家神道への転換は、ただ西洋化・近代化という視点だけでなく、そういう近世における思想の変化という視点から見るのも大切なのです。
思想に限らず、明治維新の前提は、近世に準備されていたというのが史学の一般的な見方ですから。
>>458
こころについて責任感じてるあたり個人的には仲良かったんじゃないかな
宗旨についてはわからないけど
いわゆる「古神道」っとのは何だろう?
ネーミングだけなのかな?
昨年伊勢神宮の遷宮があったけど、さも古来からの伝統みたいに宣伝してて、たぶん自分を含めてたくさんの人がそう思い込んでいるだろうな
神社庁の勝ちだw
関係ないけど古代エジプトの要素って見事に残ってないよな
言語も文化も消えて残ったのは遺跡だけ
民族は実は余り変わってないらしいけど
遷宮そのものは古来よりあったんだろうが、
規模に至っては明らかに近代化したものを伝統と称してる節はあるな。
自前の備琳賄えないんだから継続できていたはずがない。
言語の方はエジプトのキリスト教一派であるコプト教の方で残ってはいるよ
>>464
知ってるけどいかんせん話者数が…
>>463
>継続できていたはずがない
この「継続」とはどういった意味です?
>>463
近代の方がちゃんとやってるのに近代の方が責められる不思議
前近代はそもそもきっちりやるとか正確なデータを残すという概念がないからしょうがないんじゃ
>>466
>この「継続」とはどういった意味です?
各建造物の(現行の)用材寸法だとか20年周期とか、
こういった点をきっかり守って継続してきたというのは
調達を含めてとうてい無理だったろうという意味です。
>>467
そのちゃんとしてしまったことを伝統化することによって、
今後起こりえるだろう弊害があるのではってことですな。
一番に考えられるのが用材の枯渇。
仕様書(調達や加工を外注しているため)がしっかり残る上に、
それをして1300年来の伝統ですと喧伝してしまった以上、
今より規模を小さくするといった事が難しくなると思われる。
約40㎝角の6〜8m長の四面無節といった超々高級材を数十本単位で使い、
しかも実際に挽いてみるまで本当に無節か判らないので予備を含めて相当数を確保している。
これらの条件を満たす素材(樹齢2〜300年級の天然檜)は開発や樹木そのものの生態として少なくなっているうえに、
それに代わる材としての人工林は最高齢でもようやく120年そこそこなので要求条件を満たせそうにない。
そしてコストの増加。
現在、神宮備林(用材確保の神社有林)では賄いきれないため広範囲で素材を探している。
山奥の巨大な材を搬出するためには大型ヘリコプターなんぞを用いるしか無く、
これが結構なお値段(1契約で億単位)でこういった搬出輸送の諸々が材価にも反映される。
費用そのものはお伊勢さんへの寄進や神社庁傘下の全国津々浦々の神社からも徴収されているわけだが、
特にお伊勢さんと縁のなさげな神社でも協賛金を募っているのをみると複雑な気分になる。
(まぁ、最後のは個人的な意見ですが)
所詮信仰など人の都合
伝統化するって事はそれだけやりたがってる人がいるからなわけだし
面倒でやりたがる人がいなくなればまた消えちゃうんじゃないかな?ヤッタネ!
それに納得して金を払う、協賛する人がいるならそれは成り立つものよ。
信仰宗教と構図は一緒。
あと宮大工などの技術保存的な意味もあると言えばあるし。
ただ、伊勢神宮は短期間の遷宮を実行するのと引き換えに、
年代を経た木造建築物特有の風格は失ってはいると思う。
黒光りするような寺社特有の有難味が伊勢神宮(特に本宮)には全く無い。
大社は?
>>471
確かに伊勢神宮はそういった年代モノの「有難味」は無いね
神宮は早朝に参拝して「常若」の清新さを味わうのがグッド
逆に幽玄さ・荘厳さなら、平泉寺白山神社の苔の絨毯とかが素晴らしいと思う
古い物には有難味があり新しい物にはない、という感情は何を元に発生するのだろうか
古い物は手に入れるのが難しいからなのか、物の辿った歴史を勝手に思い浮かべるからなのか
人間の感情を掘り下げようとするとすぐに泥沼にはまり込んでしまうんだよなあ
新しいものは作ってすぐ見る事ができるが、古いものは金に変えられない時間が必要となる
逆に言えば新しみは時間がたてば万金叩いても勝手に損なわれてしまうわけであり、それはそれでありがたみがあるというものよな
>>459
その「信仰形態」という見方から察するに、そうしたアプローチでは結局、
宗教の制度的側面と信仰的側面がどうしてもごちゃ混ぜになってしまってるというか
突き詰めていえば制度的側面の方しか見えないのでは?
伊勢は確か何故か江戸時代に入るまでそこまで重要視されてなかったんだよな
天皇家の人達は熊野詣ではよくしたのに伊勢をちゃんと参拝した例がかなり少ない
仮にも皇室の祖先神のはずなのになかなかその祖先神をちゃんと参拝してくれない
だから祀られてるのはもともとは皇室の祖先神「アマテラス」ではなく別の太陽神、
アマテル系の「天照彦国照彦天火明命(アマテルヒコクニテルヒコアマノホアカリノミコト)」(ニギハヤヒ?)あたりだったのがどこかでその信仰が断絶しちゃって
いつの間にかアマテラスにとって変わっちゃったのではないかという説が出てきたり
昔からアマテラスを祀ってたなら 出雲みたいな罰ゲームみたいな作り替え遷宮は命じられないかもとも思ったりするしね
昔だって今よりもっと遷宮は大変だったのだからこれは課せられた刑罰みたいなもので
「無茶な労働を課す」というのはそうすることで相手の勢力を削ぐのが目的だったりするしね
薩摩藩が濃尾平野で暴れ河を抑える堤防の建築を命じられたり
河勝に豪華な広隆寺の建設を命じたのも秦氏の勢いを少しは弱めようとしたフシがあったり
敗者に命じられただけのはずの命令が長い時間が経つことで その本来の目的が失われて
その形式、仕組みやシステム自体が特別な力を持ち始めると厄介なのだわ
たとえ錯覚でもそれをしないと何か大変な目に遭うんじゃないかと思わされる
ちゃんと行い続ける事で時間が経つに連れて課せられた「役目」が本当に刑罰になったような
そういや平泉寺白山神社って何かで聞いたこと有るなと思ったけど石徹白騒動で出てきた神社か
世にも珍しい(?)「悪い神主」の起こした騒動だから印象に残ってたのかな
江戸のお伊勢まいりブームの頃は内宮のあたり一帯は大歓楽街だったらしい。
神宮にも遷宮ができるくらい結構な寄進があったかも?
コンスタンティヌスの輝針城
>>476 氏
祭祀の方法や制度には、その当時の信仰が反映されていると考えています。
となれば、祭祀の制度や方法・規模が変化したことは、信仰が変化したことを示すと考えてもよいかと。
もちろん、制度しか見えていないのも事実とは思いますが……
>>477 氏
伊勢は前近代でもかなり重要視されてますよ。
院政期の院による熊野詣は、あくまで個人信仰。対して、伊勢は国家鎮守ですから質が違います。
院政期には、恒例・臨時あわせてものすごい回数の公卿勅使が派遣されて、祈祷が行われています。
また、伊勢遷宮のために賦課される「役夫工米」が、荘園・公領かかわらず全国に賦課される一国平均役としてあります。
この「役夫工米」は、一国平均役としてはかなり遅くまで機能しています。
なので、遷宮断絶が戦国時代「だけ」で済んでるわけです。
他の朝廷儀礼が、南北朝くらいにバンバン断絶しているのに。
伊勢の神誰だっけ……ってなるのは、「中世神話」の成立とかと絡むのでまた少し別の話かと。
「夫役」つまり働くことを、刑罰ととるのも難しかったりします。
神社仏寺に造営に関しては、たくさんお金を使うことこそ信仰の現れです。
だからむしろ積極的にお金を使います。仏教では「多数作善」といいますが。
薩摩藩のに関しても、軍役を奉仕することで所領安堵を得る、という状況ですからね。奉仕しなければ立場が維持出来ません。
あと、古いものがいいものだ、というように考えるようになったのは、戦国期くらいかららしいですよ。
いわゆる「わび・さび」というのは、新しいものを維持できなくなった結果として、古いものに美を見出す結果になったとか。
それまでは、仏像や絵画でも、新品の方がもちろん高価だったようです。いわんや建築をや。
「刑罰としての労働」って鬼平さんの頃の人足寄場が最初では?
という話をちょうど最近読んだところだった
当初の目的は「犯罪者予備軍(と見られていた)の無宿人に仕事
を覚えさせて更生させる」という趣旨だったらしいですが
「鉱山で水の汲みだし」なんてのも「キツくて危険だが稼げる仕事」
だったのがその頃から罪人の強制労働になっちゃって堅気の人間は
来なくなっちゃったとか
>>477
悪い神主はそんなに珍しくないようだね
日枝神社の権禰宜による巫女レイプ事件で終始権禰宜側(懲役三年)を擁護していた宮司
最終的に理由非開示の不起訴処分となったが本牧神社では宮司自ら1000万円以上の業務上横領(ただし金の持出は認定)
場合によっては盗撮事案などでも懲戒免職がありえるがこの二つのケースではお咎めなしとのこと
業界柄自浄作用がないのかもしれない
>>482
悪い坊主・神父・牧師・創価・共産・経営者・社員・バイト・無職・教師・学生も珍しくないよ
人間には自浄作用がないんだよ。あなたの属する広義の集団でも犯罪行為はあとをたたないでしょ?
数百年前の事例1つと最近の事例1つだけで「そんなに珍しくない」とな?
はっきり「悪い人」がいるというよりは「どんな人も何をしでかすか分からない」
…等と多額の脱税をして株式運用しつつ儲けを寄付し続けていた人の雑誌記事を
読みながら考える
ともあれ石徹白豊前は村の独裁者になって村民の2/3、500人を追放して
70名以上が餓死とか悪い意味で普通では無いな
>>486
誰なの?
詳しくはggrばいいが、石徹白豊前(いとしろ ぶぜん)という神主が現在の岐阜県北部にいた
かつて石徹白村というのが越前国(福井県)にあったんだが、こいつもまた越県合併の際に一悶着あってだな
>>487
>>477 の「悪い神主」の人です。ありがちな不祥事や腐敗とはレベルが違うし
巨悪タイプや狂信タイプの宗教人とも何か違うような独特の悪さな気がする
坊主や神主を無条件で人格者だと思うなよ、とは良く聞く話だ
もちろん今に始まったことじゃない
廃仏毀釈で日本国民がこぞって寺院の破壊に邁進したのは
日本人特有の上意下達や同調性といった背景もなくはないが一番の原因は
幕府によって仏教寺院が共産圏まがいの国民監視機関に成り下がってたばかりか
寺院それ自体も腐敗して独自に国民を恫喝していたからだ
そして維新後に仏教寺院に取って替わった神社界も似た体質を抱えているということだろう
神主個人の事件はもとより神社本庁もまた四代正八幡宮の悲劇や
宇佐神宮の人事問題や気多大社の電気ドリル事件など
神社神道から人心が離れかねない諸問題を幾つも抱えている
上の国学の隆盛もこうした当時の社会問題への反動に拠る突発的な国民運動の一環と言った方が近そうだ
そしてその国学も公には外来宗教の否定と日本古来の伝統的宗教観の復活を謳いながら
結局は史料らしい史料が足らず仏教と朱子学とキリスト教をブレンドして
もっともらしく神道の看板を背負わせただけの鵺的な即席学問だった
もともとの原始宗教的な神道のありようを考えれば仕方ないのだが
迫り来る外国、崩壊間際の幕藩体制、腐敗した仏教の跋扈を前に
例え捏造紛いだろうと神道を体系化された宗教に昇華しなければと
当時の国学者やその支持者たちは焦ったんだろうな
それは純粋な制度の変革であってそこに信仰が介在していたようには見えない
実際問題、国学の延長線にある国家神道も仏教やキリスト教やイスラム教のような形で
人々に熱く信仰されていたとは言い難い
当時の政府が国家神道を宗教ではなく宗教の上に位置付けていたこともあるが
国家神道が最も強く国民に浸透し強権性を持っていた戦中でさえ当時の敵国アメリカの調査によれば
天皇に超自然的な力があると本気で信じていた日本国民はほとんど居なかったそうだ
よく言われるような天皇陛下を直に見れば目が潰れる云々は
どこぞの百人斬りのように戦後に誇張された話だろう
目が潰れる云々は子供に対する脅しを含んだ言葉ってとこかな
建前だけでも立てねばヤバい的な
妖怪を使って『夜の森に近づくな』的なしつけ話かね
そこは大戦中のアメリカの対日プロパガンダ映像が詳しく説明している
一般人が天皇を直に見て目が潰れるのは
天皇が太陽神直径の子孫だから天皇を直に見るということは
太陽を直に見るのと同じで目が潰れるという理屈
つまり日本人はそんな馬鹿げた理屈を信じる狂信者どもだという宣伝だな
今でも動画サイトで見れるがアメリカが日本に詳し過ぎて恐怖を感じる
>>489
それは無いな。千人未満の村で独裁した程度の小物カルト臭しかしない
世界のカルト教祖たちの蛮行愚行をもっと調べた方がいいよ
「独特」と言いたいだけの暴論にしか見えない
なんか権力権力で宗教臭さが少なめだったから変わってる感じがしたのかな>石徹白騒動
単なる小独裁者と見ればまあ普通かな?
石徹白騒動、wiki長い…
この程度で長いと根を上げてたら、本気で資料探ししたら泣くぞ
元々Wikipediaなんて情報量が滅茶苦茶圧縮されてるのに
本気で資料探しする場合とwikiとして長いと言うのは違うと思うが
研究資料は腐っても本業の物書きが書いてるからね
wikipediaのような情報の羅列は長ければ長いだけ疲れる
研究資料と研究(書)は別
研究の資料として扱われる限り駄文や落書きも研究資料
本業の研究者が書くのは研究(書)
一次研究を行う研究者にとってはそうだが
我々一般人が大学での研究や趣味での調査で触れる「研究資料」というのはほぼ出版物であるから
>>497 からの文脈では研究資料≒研究書でいいと思う
正倉院の紙背文書とかな!
百科事典の記述であればもうちょっと纏めてもよかったんでは…
と大塩平八郎の乱の記述と較べてみて思った
(メジャーな事件の方はシンプルでよかろう、というのもあるのかもしれんが)
大塩様は日本でも数少ない本物の革命家だよね。
この人と田中正造翁は今こそ評価されるべき
歴史学では、当事者やその時代に比較的近い人たちがつくったものを「史料」、比較的最近の研究書などを「資料」と呼び分けるよ。
史料についても、当事者や同時代人が書いた「一次史料」、後世の編纂物である「二次史料」と区別するね。
wikipediaについては、必ずしも通説になってないものとか、下手すると編集者の私見とか、そういうあやふやなものも載ってるから……
大学の教授がWikipediaの内容嘘とか混ざってるからみるな言ってた
教授で性格悪い奴だと、レポート提出前にwikipediaに間違ったこと書いて、
写してきた学生を炙り出すなんてのもいるとか聞いたが本当だろうか
そんなことしなくても写したかどうかは簡単に分かるので……
>>田中正造翁
「あちこち奔走して長らく家に戻れなかったので手紙だけでも書こうと思ったら
奧さんの名前をどうしても思い出せなかった」という逸話が…
>>506-507
教授にもいろいろ居るからね
wikipediaから引用したレポートでおkな人も居れば、一つのテーマに関して本や研究書や映像資料から食い違う情報を抜粋し
実はwikipediaの一記事の方が正確だったと示して「可能な限り多くの方法で情報を相対化しろ」
「専門的資料を読んだだけで満足するな、検証しろ」と教える人も居る
まあ教える側が何であってもコピペ丸写ししちゃう人はしちゃうけど
出雲と縁を結んだことを発表した まさにその日に仕方ないとはいえ
ひっそり宇佐で神職をリストラ追放とか 独立の道を歩んだ出雲はやはり特別なのか……
和気清麻呂も泣きながら神託を捏造するレベル
それは置いといて明治期の神道の変換に岩倉具視翁は果たしてどの程度関わってたんだろうか
今の日本の神道が何だかよく解らない神祕の祕密キメラになってるのは岩倉翁あたりの明治政府のせいというかおかげというか
神道という道具を使って何かをすることがが明治期に一斉に必要になったんだろうな
どうやら全国の古墳を調べさせたり色々してたらしいが (箸墓の明治期のモノクロの写真が最近発見された)
宇佐については、これまで女性神職がずっといなかったってのがあるからなぁ。
世襲を捨てるか、女性を取るか、という問題も。
それに、同じく古代から宇佐神職やってる永弘氏の当主とも対立しちゃってる。
到津氏と永弘氏との対立なんて、まるで、中世みたいなはなし。
そういう中世的な部分の一方で、到津氏の側は労組と組んで「闘争」を始めるし。
キメラといえば、この争論ほどキメラなものはないような。
>>511
全国の「天皇陵とされている古墳」の中で
実際に天皇の墳墓と特定できた古墳は一箇所のみらしい
つまりはそういうことなんだろうな
古代の豪族は皆「我こそは天照大御神の子孫」と名乗ってたみたいだから
明治政府にしてみれば好都合な話でもある
豪族、と聞くとナゼか「芋粥」を思い出す
道鏡の神託の時も「さすが宇佐の神様は時勢を見るに敏w」
とか陰口叩かれてたとか
陰口を叩くのが好きな人間はこのスレにも散見するからね
千年たっても人間自体の出来はたいしてかわらんわな
宇佐と聞けば秘封の蓮子ちゃん(宇佐見蓮子)との関連を考察してる人がいたな…
>516
突然どうしたんだ?毎日辛いのか?ん?
だからって毒吐いて見せても孤立するだけよ?
うしゅく。
まあ考察の幅が広がるかもしれないしなんかかこつけて妄想したほうが楽しいからね
>>518
いやいや、あなたのような鈍感な人はうらやましいよ
それとも孤立が怖くて陰口には同調するしかないのかい?
何言ってんだオマエ?
ところで「ヒャア陰口野郎がいるぜ!」と言うのは果たして陰口に入るのだろうか
>521
触らない触らない
だからって学術的調査すらさせないってのはねえ
科学よりも神話が大事なのかね 安全神話もだけど
天皇制は多くの国民が歓迎ないしは例え消極的でも認めてるところだけど
最近の調査を見るとほとんどが今上天皇(と昭和天皇)個人の
スタンスや仕事ぶりやお人柄が理由なんだよね
まぁ自分もそうだけど
しかしながら国や保守論客や神社本庁的からすればあくまで
「皇国史観を根拠に天皇制を支持してください」ということなんだろうな
だから万世一系の皇室を揺るがしかねない調査は認められないということだと思う
初期八代の天皇陵の発掘なんかすればほぼ確実に皇統の系譜に疑問符が付くだろうし
天皇制に反対の俺でも
陛下の傘寿の会見は感動したものだ
>天皇という立場にあることは,孤独とも思えるものですが
感動したからこそ、なおのことその立場から解放したいという思いが強まったが……
>>525
別に万世一系じゃなくても類をみない長い家系なのは変わりないんだからいいじゃないかと思うけど。
今の国民の崇敬?には明治帝の存在も大きいと思う。
大変な時代を生きたひとだろう。大津事件(ロシア皇太子に対する傷害事件)の時、ニコライ皇太子をロシア軍艦までお見舞いにいった、という話は凄いと思う。
一つ個人的に思う事は、
今上が陛下であって良かったって事かな。
少なくともどこぞの明治天皇の玄孫を自称する芸人がそうでなくて良かった。
「『大きな声では言えんが確実なのは崇神天皇かららしい』
と歴史の先生から聞いた」という戦前の学生さんの話を
何処かで読んだ憶えが
>528
でも今上陛下もそろそろ一線を引いておだやかな老後を過ごして欲しいよ。
もう十分過ぎるくらいの働きはされたと思う。
最近でも公務が深夜に及ぶことも少なくないっていうし、
どう考えてもあの年の人に働かす許容量を越えてる。
個人的には生前の退位を制度化しても良いと思うけど、
「近代での生前の退位は無い」という「伝統」が、
天皇制それ自体の一種の箔付けにもなってる訳で、
その「伝統」を変えるのは相当な情況が必要だとは思う。
伝統と言うには新しすぎるけどw
まぁ山本や豊田の園遊会事件を見るに、
今の政治屋どもは天皇制の「利用」しか考えて無い輩だろうから、
多分変わらないだろうけど。
嵯峨天皇や宇多天皇や白河院のような革新的な天皇がまたでてこないもんかね
個人的には宮中祭祀の意義や今上天皇の活動方針や
(すごい騒ぎになってしまったが)一説には天皇の生前退位にも理解を示されていると言われ
さらには今上天皇と同様あくまで日本国内向けの活動重視のスタンスを踏襲しそうな秋篠宮様ならば
極一部を除くあらゆる政治的スタンスの国民から敬愛の念を集め
国民統合の象徴としての天皇制の在り方を無理のないよう改善しつつ
維持できると考えているが秋篠宮様ご自身がおっしゃる通り困難なんだろうね
皇太子様はご自身は相応の人徳を備えていると思うが
公務にほとんど姿を見せず海外渡航先を選ぶなどの
私情優先のスタンスを続けられる皇太子妃に引っ張られてしまっており
それが国民から皇室への畏敬の念を奪い去ってしまっているように思える
あれは私情というより体調面が原因と思うがな
象徴天皇家の一員になった以上公務は義務だが、体が弱ってるのを押してまでやれとは言えんよ
>>532
政治は選挙で民意を勝ち得た政治家によってなされるべき、という原則で動いてる現代日本で
陛下がそんなはるか昔の時代よろしく革新なぞをおっぱじめても徒に騒動の種が増えるだけじゃないかと思うがさてはて
ところで猫かわいいよね!
>>531
近代での生前の退位は無い
といえばローマ法王ベネディクト16thさんが最近やったよね
本人が望むなら伝統はいつでも破っていいと思うけどな それが新しい伝統になるんだし
正直明治以来の伝統なら変えちゃってもいい気がするけど
生前でも普通に退位しまくりだからな明治までは 上皇を復活させるなんてことを言ってるわけでもなし ほんの少し明治から硬直化してしまってるのを改善するだけでいいんだが
明治からの伝統を神代からの伝統とすり替えて認識されてる分には難しいだろうな
宇佐といえば因幡てゐのテーマが何故かお宇佐様の素い幡だけど因幡と宇佐って何か繋がり有ったっけ
素(しろ)兎→素宇佐妓(うさぎ)の洒落なんかな
まさにタイムリーな事に、
昨日くらいからスペイン国王が突然退位すると言い出して、
スペイン政府がパニクってるね。
そんな法律も無いんでまずそこからだとか。
王さまなんで退位したくなったんだろ?
普通のひとになりたい?
皇太子に譲位してるから王家は続くのね
何故か若手のイメージがあったんだが結構なお歳だったのね
相変わらず経済状況も厳しいみたいだし王室関係のスキャンダルが
発覚したりでここで人心を一新するべき、とかそういう感じだろうか
>>537
神道全般にも言えることだが
もともと薩摩や長州の都合だし何より時代に合ってないんだよな
もっとユルくていい
神社神道そのものは国家神道時代はもとより神仏混淆時代よりユルいけど
薩摩や長州の都合というか、
あの時代の情勢に急遽対応する為に、
緊急避難的に作り上げた体制ってイメージ。
あれはあれで良かったんだろうが、
その後の変化に合わせて変えてこなきゃならなかったんだよなぁ。
吉田神道「まじかよ国家神道最低だな」
国家神道のせいで何処の神社に行っても
記紀の祭神と神話ばかりなのがチェーン店みたいで正直微妙
本当は土地ごとに多彩だった筈なのにな
無論、昔のまま残ってたとしたら男(女)しか参拝不可とか血族しか入れないとか掟破ったら殺されるとか
現代の一般常識から逸脱した奇妙なルールや不条理な因習とも遭遇することになっただろうけど
大国主だの素戔嗚だの天照大御神だのメジャーどころの神様ばかりじゃ味気ないよね
その神様が嫌いというわけじゃないけれど
たまに見慣れない名前の神様祀られてるとテンション上がる
また日本は残してる方じゃね?
文化大革命みたいな事になってたらと思うとゾっとする。
奇妙なルールか
個人的には仙台市愛子の鬼子母神堂とかが最近のヒット
「いま素戔嗚尊を祀ってる神社のほとんどは
明治以前は牛頭天王(祇園様)祀ってたはず」とか
三輪の神とか言ってるのに祭神が大国主になってるとなんかモニョる
明治期に似ているというべきか、不比等あたりの時代にも神道の大規模な再編が行われているよね。
(むしろこの時代に初めて神道が体系化されたというべきかもしれないが。)
語弊を恐れずにいえば、どちらの時代においても強力な中央集権体制の整備が急務であり、
これに合わせて神話を整え、祭神の序列を整え、その他諸々を整え……というようなことをやっている。
この過程で各地域ごとに多様だったはずの信仰が一本化されたわけだな。
とはいえ中古以降には時代に合わせて変質したり、他方ではこれへのカウンター的なものが現れたり……と、
少なくとも神道の表層的部分はかなり柔軟かつ多様な歴史を歩んできたと思われるわけだが、
明治以降の神道の場合は昔ならユルく変質していたような部分までガチガチに固定してしまっている上に、
今日の保守派の中にはこれが千古の伝統であるかのように喧伝するものが少なくないのが問題なのだろうな。
明治期に上記の対応が必要だったのは間違いないのだろうが、もう時代は大きく変わってしまったわけで、
現代の情勢に対応するためにも、どこまでが神道の「骨子」でどこからが「表層」なのか、という議論は非常に
重要だと思うのだが、今日の保守派の一部にはこのような議論すら許さない雰囲気があるように思える。
イカン、愚痴っぽくなってしまった。
そういえばオオモノヌシとオオクニヌシって、記紀神話にも別の神っぽい描写があるはずなのに
なんで同一視されてるんだろうか。
オオクニヌシとオオモノヌシは、最も単純に考えるなら出雲の勢力と大和の勢力が云々ってことになるだろうけど、さてどうなんでしょう
別の神ってことは確かだが……
神社本庁は明治期の神道摩替の経緯や問題点まで把握しながら
確信犯的に摩替後の神話や儀礼や意識を往古の伝統と宣伝してるようだからな
全国の神社の9割が神社本庁の下部組織化していて
記紀神話しか知らない神主どころか一部には記紀神話すらきちんと覚えてない神主を量産してる上に
傘下の全神社の神主の人事権も神社本庁が握ってるから
上に異議も唱えられなければ自浄作用も失われているようなのでちょっとな
政治的主張も冷戦期の古い典型的な反共親韓スタイルで
日本では悪名高い韓国の某新興宗教団体と非常に密接な間柄みたいだし
軽犯罪容疑の段階で懲戒免職の神主もいれば重犯罪の懲役確定でも続投を許される神主もいたりと
全てが全て悪いわけではないがいまいち信頼もできない団体という印象
国家神道の延長で全日本人を対象とした活動をしてる筈なのに
現代日本人の普遍的な価値観では量れない団体だというのも間違いない
あーあ…
「江戸時代から天神様を祀るようになりましたが理由は不明です。」
って看板に書いてある神社があったり
元々は天神(道真公)じゃなくて天神(天津神)のお社でした、というのも極稀にある
>>551
日本書紀では大己貴が少彦名と別れた後に海を照らす者に出会い
「吾は汝の幸魂奇魂なり」と言われて三諸山に祀ったとする
また一書に曰くとして大国主の別名のひとつに大物主を挙げている
ちなみにWikipediaなどでは上記の台詞が誤って古事記の記述に紛れ込んでいるのでご注意を
ある程度以上昔のことに関してはよくわからんと明言してる神社は多いよねえ
特に理由は記載されていないがその時期から、
流行に乗して勧請したんじゃねーかと類推できそうな鎮守さんが地元にあるな。
現在のゆるキャラ的に祭る神さんが変わったり増えたりするケースもあるんだろうな。
埼玉県内のとある神社にあったアラハバキの名の付いた門客人社は
神主の人曰く現在の祭神は猿田彦だったなぁ
アラハバキはよく解らない神様だよね
何の神様だっけ?
旅の安全とかそういうのだったかな
だから猿田彦とすり替えられたか習合されたんだろうけど
>>558
諏訪大社ですら完全に変わっちゃったからな
ttp://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sinji/tokusyu.htm
そこらの村社や郷社レベルなら推して知るべし
南方熊楠みたいに住民が抵抗して社地が残ってるだけでもマシな方なんだろうな
神社をぶっ潰して合祀しまくるなんて不敬にもほどがありすぎる
崇められさえすればガワなんてなんでもいいよね!って感じなのかしら
それの良し悪しは知らないけど
稲八金天神社は色々と興味深い
一回でいろんな神様詣でられて超リーズナブル!
あと電子墓地とかもうあるそうだしそろそろ電子神社とかできそうな気がする
ジョークサイトじゃない実際の神様のやつ
神社の中にはホームページ上で参拝できるとこもあった気がする
>>565
神社合祀の目的も名目と実態が違ったらしい
ttp://japanese.hix05.com/Minakata/minakata104.jinja.html
それにしても高尾(遊女)大明神やら助六天神やら
淫祠凡俗衆が一時の迷信から立てた淫祠小社やらこそ
この目で見たかったもんだ
明治初期の外国人旅行者の手記をみると鎌倉八幡宮や江ノ島神社の境内にお寺や五重塔まであり、さらに男根の大きな木形が奉納されていたとか
外国のお客様は大喜びだったけど明治政府は気にしてどんどん廃止させちゃったのは残念
>>569
「回々教の婦女の〜」って凄い表現だな(笑)
そういや熊楠って何人分ものあそこのスケッチも描きまくってたんだよな…
南方熊楠は和歌山県民で和歌山には南方性が多いそうだけど
ミナカタってやっぱタケミナカタと何か繋がりあるんかな?
タケミナカタは古事記では大国主の息子で出雲から北陸経由で諏訪入りしたことになってるけど
徳島の多祁御奈刀弥神社や>>429 の金刺氏の例や諏訪地元説や完全創作説もあるように
神奈子の設定にも似てルーツや正体がハッキリしない謎の神様なわけで、
金刺氏も物部氏に伊勢から追い出されて諏訪地方に移ったようだし
御坊の熊野神社(読み:いやじんじゃ)のように出雲氏族との関係や対比も多く
長野と同様に山深い和歌山の出身だったとしても違和感はないかな?
そう考えてみると神奈子の
「昔は人間か何かだったと思われるが、もうそれが集団だったのか個人だったのかもわからない」
って設定も意味深だな
>>569
長野だと小さな神社が多かったり地元の神様がいたりで
そんなに神社って減ったのか?と言う感覚だったが1.2分の1になっただけなのね、納得!
>>574
神奈子の設定はタケミナカタがよく分からない神様で
タケミナカタを説明する場合でも同じことが言われているから
その設定を見て神主はちゃんと勉強しているんだなぁと思った
諏訪の信仰は説く人によって十人十色でまだ決定版がないに近いからね
中にはトンデモもあるけどw
神奈子自身はヤサカが元
でもヤサカのエピソード調べたけどわからなかったってZUNが言ってて
だから神奈子はヤサカなのにヤサカの要素が全くないヤサカになった
どうしてそこでヤサカだけがルーツみたいな言い方するんだぜ
>>572
そのくせ熊楠先生は生涯奧さん一筋だったらしいよ
明治期に一番被害を受けたのは「山」の信仰なんだろうなぁ 秋葉神社やら白山神社やら愛宕神社やら養父神社やら
現在の祭神と元々祀られてた山の神(権現系、妙見系が多い)の解離が激しい
元々寺だったのを無理矢理神社にしてしまった例もままあるし
国家神道を整理するにあたって都合の悪い山の「山そのもの」を神格化した祭神は許容出来なかったということなんかなぁ
山の神格を剥奪しないといけなかった理由が何かあったんだろうな 禁足地を減らしたかったのだろうか 古墳は無理矢理禁足地にしたけど
山はただの高いところだ、とした方が都合が良いというかなんというか
まぁもしかしたら本当に立場を利用していた天狗(になぞらえられる人達)が悪さをしていた可能性もほんの少しは無くはないが
まぁ山の禁足地の名残がちゃんと残ってるところもあるけど
瀬戸内の島の小さい神社は今でも女性が入ったら死にかけるレベルでマズいし 島全体が貴人のだと言う島も入ったらマズかったりするし
権現系、妙見系って「元々」なんですかね?
わざわざそんな神話的に細々考えてたもんなのかしら当時のお役人
超偏見だけどなんかすごく適当に扱ってそうな気がする
自分が生まれ育った土地でもないんだからそりゃ愛着もなかったろうよ
>>580
ある意味漢字と同じで、仏教的見地がもたらされたことで初めて
信仰を形にして体系化したり後世に残せたという意味では「元々」かもな
仏教以前の日本には記録らしい記録が無いから現代では検証できず
某STAP細胞のように存在を否定することはできないものの
学術的には「元々」以前に事実上「そんなもの無かった」のと同じ扱い
マタギの射精神事みたいなのはよく聞くのでそういう信仰は仏教以前からありそうだが
後に国家神道に繋がった復古神道という名の新興宗教は言うに及ばず
未だその姿が不明瞭な日本古来の神道というものを標榜する人の多くが
この手の猥褻チックな信仰を毛嫌いしてるのがある意味面白い
ちなみに明治に神仏分離された元権現系の○○神社は
同じ町内の同名神社でも片方は権現を名乗ってて
もう片方は神仏分離後の神社を正しい姿と謳ってる所があった
話を聞く限り前者は神主の意向で後者は県神社庁の意向のようだ
とりあえず仏教とかが及ぶはるか以前の縄文の時代には、
発掘物には豊満な裸体の女性を模った土偶や、男性器を模した石棒が
物的証拠として残っているから
古来の日本の信仰には性的なものが含まれていたことは確実よね
まぁこの手のものは日本の信仰に限らず珍しいものではないけど
>>575
神奈子の出自を考えるのにタケミナカタの出自は考える必要ないよ
儚で別人だって判明したから
>>584
あんまりその傾向に固執しすぎるのは何かセルフ・オリエンタリズム的なきらいもあるけどね
「明治以前の田舎では夜這いが当たり前だったんだ!」とかも
古代はやたら死亡率高かったから早よ結婚して早よたくさん子供生み育てんと
滅びてたからな
その状況に変化が生じればその辺の感覚もどんどん変わるし変化の個人差も
激しいから摩擦も激しい
日本の生殖信仰や文化が駆逐されたのは江戸時代までは仏教とそれ以上に儒教の影響が大きく
明治以降は欧米列強の基礎的な価値観であるキリスト教の教義に配慮した結果だね
今でも保守を自称する政治家や論客にはキリスト教徒であることを公言する人が多いし
最近党分割して新たに発足しようとしてる保守政治家集団も記者会見で
「江戸の武士たちが信奉した陽明学、孔子の説いた志を実行しなくては仁は成就できない」と
自分達の活動方針が儒教にあることをアピールしてるし
江戸時代は朱子学のほうが主流だと思ってた
確かに幕府が重用したのは体制重視の朱子学で多くの藩でも朱子学が主流だった
朱子学の人気が低迷すると寛政異学の禁によって
幕府の教育現場における朱子学以外の儒学の講義が禁止されたほど
ただし幕末の薩長の志士の中にはそんな朱子学に反発してか
(実態は違うが)アンチ朱子学とみなされることの多かった陽明学を学んでた人も多い
もっともそういう陽明学派の有名な志士の多くが維新前に死んでて維新後も逆賊になったりしてる
一方、朱子学は尊王論を経て明治政府や国家神道に組み込まれ
敵対していた仏教勢力や地域社会の神道を駆逐して現在に至る
その意味で言えば今の日本人が極自然に神道ないしは神道的だと思い込んでいることの根本は
神道の皮を被っているだけでその中身は儒教の朱子学そのものと言えなくもない
地域の祭神を統廃合して国家の祭神(記紀神話の祭神、とりわけ皇祖神)を祀ったり
戦没者を祀る場合に従来の祖霊信仰や怨霊信仰を廃して
生前の国家への貢献や忠誠に応じて祀り方に序列を付けるようになったのはその典型例か
ちなみに、この会見をした政治家は陽明学にも朱子学にも恐らくは詳しんだろうけれど
他のメンバーの大部分は自分達の思想のルーツが陽明学以前に儒教にあるとは思いも寄らないって人が多そう
むしろこうかな?>神道の構成要素
土着信仰的要素・・・シャーマニズム・自然崇拝・祖先崇拝・巫女・神託・祝詞
仏教的要素・・・神社建築・朱印・おみくじ
道教的要素・・・自然崇拝・パワースポット・個人的祈願・個人的御利益
儒教的要素・・・皇国史観・国粋主義・日本型社会主義・規律規範・道徳・公的祈願・公的御利益・年功序列・滅私奉公
不明・・・鳥居
やはり骨格は儒教で神社業界というか神社本庁は儒教的要素を前面に出そうと活動してるが
庶民が神社と聞いて漠然とイメージしたり庶民が神社に求める物は仏教的要素や道教的要素がメインな気がする
儒教的要素を前面に押し出しても、
一般受けしないと思う。
身も蓋も無い事を言えば面倒がられるかと。
地縁血縁の社会がしっかりしていた昔ならともかく、
現代でそれをやって成り立つのは余程大きな所だけやないかな。
儒教自体は今じゃ人に説いても煙たがられるだけだろうけど
なかなか今でも日本の社会に根深く浸透してるとつくづく思うわ
新しく入った後輩はどんな理不尽にも耐えて当然という慣習
仕事終わってるのに上司や先輩が帰らないからプライベートが忙しくても帰るに帰れない空気
出勤時刻は全体放送でチャイムが鳴るのに定時には鳴らない現実
どれだけサビ残したかを誇る気持ち
キャリア積んだからより良い仕事と待遇を求めて転職したいのに理由に関わらず転職はすべて悪という空気
例え著しい不正行為があったとしても内部告発は絶対に許されない悪行
こういう価値観も全部大元は儒教なんだよな
韓国も儒教社会だそうだが調べれば調べるほど本当に救いようがない学問だと思う
あえて悪く言えば、捏造された古代中国の礼節を唯一絶対として、
仮にお上が酒池肉林に溺れ下々を飢えさせたとしても異を唱える者は悪逆の極みとして罰せられるべきで
とにかく徹底的にお上の幸福とその継続を追及し下々はお上に身を捧げることに意義があるという内容
当然、国どころか個人間ですら恣意的解釈が罷り通るというか
恣意的解釈で運用することを目的に強権的に導入〜拡散〜利用されるので
様々な理不尽が罷り通った挙句に共同体や体制が内部崩壊したり
内部から弱ったり分裂したところを外敵に襲われて滅びるのがテンプレ化してる
今は(親/兄姉/先輩/上司)になった自分も、昔は同じことをやったんだからさ〜
この論理で特に意味のない習慣も再生産させるからね
「目上の人には絶対服従」はミームとして生き残りやすい
なまじ機能してるからなぁ…
ふと思い出したけど宇治上神社に行ったとき
菟道稚郎子が兄に皇位を譲ったのは儒教を学んだからというようなことが立て札に書いてあった気がする
この流れで言うのもなんだけど「論語」は結構面白かったよ
古参の弟子との遠慮無いやりとりとか、あんまり近づきたくない
お偉いさんから贈り物があったんでわざわざ留守を狙って
お礼に出向くとか
なんか聖人とか祭り上げられちゃうとダメね…
>>594
理不尽だけどこれらが日本や韓国の高度成長の要因になったのは事実
欧米や他国からみたら奴隷労働みたいだろうけど
正直人類は滅亡していい
そろそろ誰かが引導を渡さないと腐ってしまう
どうにも、儒学って前近代の悪者、みたいにして扱われることが多いけど。
一歩引いて、儒学が何を言っているのか、抑えた上で考えたいよね。
特に悪者にされる朱子学も、哲学思想としてかなり深いものを持っているし。
国学にしても、清朝考証学の強い影響あってはじめて成立しているし。
なにより、前近代東アジアの、現実社会に関わる思想のフレームを作っているしね。
その意味で、儒学をきちんと知ると、視野が変わる気がする。
>>600
解脱マジオススメ
以前 朱子学(公式) vs 陽明学(破壊)って図式だって見た気がするけど
陽明学ってどういう傾向なんだろ
戦後政治の黒幕とかいう安岡某も陽明学者らしいけど
知らない人も「細木和子がボケ老人の死ぬ直前にむりやり結婚して遺産相続争いになりテレビに出るようになったときの、あの老人」っていえば分かるのかしら
朱子学は形而上学というか宇宙観というか
どっちかといえば観念的な方向に進んだ一方
陽明学は思索や読書だけじゃなく日常的な実践を
重んじた…とかそんなような
開祖というか提唱者の王守仁は若い頃、竹の「理」を
理解しようとして三日三晩竹と睨めっこして神経衰弱
になったとか愉快な話が色々ある
頭良すぎる人って常人には理解できないアホなことやるよね・・・
>>601
直視すればワタミの経営理念にしか見えないけど
引いて見れば社会を牽引する力としては他にない凄まじいパワーは確かにあるね
ここでは主に否定的に語られてるが廃仏毀釈もあれだけ熱狂的に広範囲に渡って行われるには
普通じゃ到底考えられないような途方もないエネルギーが必要
明治維新の成功は儒教の存在があってこそと言えるかもしれない
まぁ良くも悪くも犠牲をとても肯定的に捉えてるよね
朱子学と陽明学との違いについては、島田虔次『朱子学と陽明学』(岩波新書)が名著らしいね。
>>606
それは少し解釈がずれている気がするよ。
そもそも儒学では「放伐」を許可する時点で、ただ「絶対的に忠誠を誓え」という考えはしてない。
君子は君子らしくあり、臣下は臣下らしくあるべし、はかなり根底の考え方。
犠牲を肯定的に捉えている、とは思わないなぁ。
もしそうなら、弟子の子路が主人を守って闘死した時に、孔子が褒めるはずだもの。
実際には、大ショック受けてるんだぜ。
明治維新は、陽明学的な側面が思想のバックにないとはいえないけど……。
廃仏毀釈を儒学のせいにするのはやはりズレてるかと。
むしろ国学の高揚との絡みだろうし。
儒学は「怪・力・乱・神を語らず」だから、その辺りには干渉しないもの。
そも、儒学って漢籍の解釈が重要だし、注釈の学問だから、本来はエリート向きなんだよね。
廃仏毀釈が進んだのは幕府の出先機関と化した寺で
生臭坊主共があぐらをかいて暴利を貪ってたのに民衆がブチキレたからでしょ
>>607
君として不適格な者に対して抗うのは、
主君に対する絶対的な忠節よりも、日本の伝統に近いな。
主君押込や逃散などの例を見るに。
まぁ元々の宗教観が八百万の神、
つまりは神をも絶対的な立場に置かない国民だからな。
それを良くもまぁ上手く調教したもんだ。
>>607
伊勢神宮外宮の禰宜だった度会氏による伊勢神道が代表的だが
神道の一派には儒教と結びついてしばしば反仏教を唱えた儒家神道というものもある
山崎闇斎による垂加神道はまさに後の国家神道そのものな内容
国学は本居宣長が活躍した一時期は外来の仏教や儒教へのアンチテーゼ的側面が強かったが
後に国粋主義への傾倒からその影響は儒教由来の尊王論へと一体化して行き
日本独自の神道を根拠にしつつ儒教理論を基盤とした近代皇国史観や国家神道の形成に繋がった
なので、そうした国家神道の流れを汲む現代の神社神道の実態が
実は儒教であるという話もなかなか的を得た話だろうな
尚、この儒教理論とは中華思想を裏付ける理論と全く同じものなので
近代皇国史観とは実は中華思想のコピーでもある
纏めるなら儒教が直接廃仏毀釈を行ったのではなく
元々は日本独自の信仰を取り戻そうとする運動が儒教によって理論付けられ
結果的に日本人はそうとは知らずに中華思想の排外性を発揮して
折からの寺院側の腐敗も相まって廃仏毀釈に繋がったというところだろうか
区分や分類の仕方は諸説あるが平行して隆盛した水戸学の影響の方が
個別の国学や儒教神道より遥かに影響は大きかったと思うが
この水戸学も平たく言えば日本古来の要素を儒教理論で説明したもので
その作用も全く同じと見て問題ないだろう
流れぶった切って申し訳ない
某所で行われてる企画展「幽霊・妖怪画大全集」に行って来た
応挙の幽霊画や「百鬼夜行絵巻」(江戸時代の写し)や月岡芳年の浮世絵「和漢百物語」等が展示されてて、中々面白かった
物販コーナーでも面白そうな本をいくつか発見できたけど
一番印象に残ったのは「江戸時代の人たちの着物の柄を組み合わせたりするセンスはすげえ」という事でした
>>611 は東海地方在住か
漏れも名古屋博物館行こうと思ってまだ行けずじまいなんだ
7月中旬までだから早く行かないとな
Wikipediaに参考文献・出典として挙げられてた『裸の王様 日本書紀: 日本史の教科書は嘘八百』って本を調べたらかなりの電波本で笑った
>>610
まず、理気から宇宙をかんがえる朱子学・知行合一で実践を重んじる陽明学・孔子の時代の姿を再現する古学は、区別しないといけない。
たしかに、朱子学の影響を被るのは少し時代が下るようにも思う。
一方で、国学の発生は、古学の影響が極めて強い。厳密な文献解釈から古い姿を再現する、というのはまんま清朝考証学だよね。
国学の排外主義的な側面を、儒学により後から加えられた、とするのは難しいとおもう。
国学の発生自体、上のように儒学の古学の大きな影響を受けて成立しているもの。それに、成立の大前提として、華夷変態があるだろうし。
つまり、異民族である清朝の成立は、「今の中華は異民族であり、我々こそ本来の中華」という認識を作り上げ、そこから小中華主義へ移行する。
こういう情勢があって、国学は成り立ってる。だから、はじめからある程度の排外的な側面はあるのよね。
第一、宇多天皇が寛平御遺誡の中で「外国人は穢れである」と言ってるし、そういう元々ある排外的な側面を、国学は強く吸収してる。
要するに、国学にははなからある程度の排外性が含まれているわけ。
その点で、儒学により廃仏毀釈、という議論はやはり成り立たないとおもう。
※小ネタ
ワラキア公ヴラド3世の墓(?)が発見されたらしい
ttp://www.hurriyetdailynews.com/draculas-tomb-discovered-in-italy.aspx?pageID=238&nID=67748&NewsCatID=375
>416
妖怪119番も幻想入りしたようです
深夜、無人の別荘から無言の119番通報 犯人は風? 青森・八甲田
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140617-17195604-webtoo-l02
風のいたずらだった?
5月に青森市駒込の無人の別荘からあった無言の119番通報は、
別荘の切断寸前の電話線が強風で揺れ、電気が流れたり切れたりして「1」「1」「9」という番号が
偶然発信された可能性があることが、NTT東日本青森支店への取材で17日、分かった。
同支店の鹿内保伸広報課長によると、別荘の電話はダイヤル式。
ダイヤル式は、回したダイヤルが戻るまでの間に数字に応じた回数だけ電流が切れ、
その切断回数で数字が認識される。
例えば電流の切断が1回なら「1」、9回なら「9」となる。
通報後、同支店の社員らが現場を調査した結果、別荘につながる電話線の一部が切れかかっていたことが判明。
風で揺れ、電話線がつながったり離れたりを繰り返し、「119」が発信されたことが考えられるという。
鹿内広報課長は「まだ原因は特定できていない」としながらも、
当時は風が強かったということから「確率は非常に低いが、ゼロとは言い切れない」とする。
情報通信技術が専門の青森公立大の木暮祐一准教授は「ダイヤル回線は電流の切断回数などが偶然でも合うと、
電話がつながる。屋外の電話線が何らかの原因で揺れたことで
3桁の番号が入力されたのでは」と、同支店と同様の見方を示す。
>>616
その昔少しばかり青森に住んでいたことがあったので、
記事の広報課長の名前を見て青森に多い名前だったなと思い出した
鹿内(しかない)小山内(おさない)などの姓は、アイヌ語由来の地名がルーツだとする説もあったような
○内の内ってアイヌ語の川だっけ
こういうアイヌ起源の地名とか苗字って割と東北方面にも広がってるよね
アイヌ語はどこまでの地域で話されていたのだろう?北海道、樺太、千島列島、あと沿海州(ギリヤーク族)あたり?
間宮林蔵の頃まで大陸(清朝)に交易してたらしいからけっこうな範囲だったかも
19世紀の樺太ではアイヌ語がリングアフランカとして機能していたらしいことが
1867〜72年にロシア軍医として現地に滞在したM.ドブロトヴォルスキーという人物の手記からわかる。
ロシア人とアイヌの対話のみならず、日本人との対話までもがアイヌ語で行われていたそうだ。
樺太のニヴフ語やウィルタ語にはアイヌ語からの借用語がみられるが、大陸の諸言語にはみられない。
それに満洲語や中国語などからアイヌ語への借用語も皆無といっていいレベルだし、
大陸との接触はあくまで交易の範囲にとどまっていたんじゃなかろうか。
恐らく19世紀時点でのアイヌ語の分布域は大きく見ても北海道、樺太、千島列島だろう。
ただし樺太へのアイヌの進出は早くとも11世紀以降、千島は15世紀以降なので、歴史は結構浅い。
18世紀までは青森にもアイヌがいたが、考古学的には14世紀以降に内浦湾岸から南下した集団らしい。
縄文時代から広域で話されてきたと考えるにはあまりに方言差が小さすぎることなどからも推測すると、
北海道全土でアイヌ語が話されるようになった時期は意外なほど新しいのかもしれない。
道東地方では擦文時代までニヴフ語が話されていた可能性すらあるしね。
個人的には、10世紀以降に和人との交易によって急速に力をつけた渡島半島〜石狩低地帯の
日本海沿岸部の集団が周囲を言語的に同化していったんじゃないかとみているが、どうだろうか……
ちなみにこれは『諏訪大明神絵詞』において「唐子」と呼ばれている集団に相当するかもしれない。
「-内」や「-別」、「-尻」などはアイヌ語のnayやpet(川)、sir(島)として解釈可能と言われているね。
この東北北部のアイヌ語風地名なんだが、私は4世紀以降にオホーツク文化人に押し出されるような形で
南下した続縄文人によって持ち込まれたものなんじゃないかと思っている。
東北北部では縄文晩期〜弥生初期あたりに大規模な人口崩壊があって、その後しばらくはかなり極端な
人口希薄状態が続いていたらしいことが考古遺物などから推察されているが、ここに多数の続縄文人が
移入したとすると、現地の言語が大きく塗り替えられてしまった可能性が高い。
移入した続縄文人の故地は地理的に考えても恐らく渡島半島だろう。
縄文時代から地名が受け継がれたとするよりも自然だと思うが、どうだろうか……
なお、この続縄文人の言語(古アイヌ語)と現代東北方言は無関係と考える。
リンガフランカなんて大学卒業して以来久々に聞いたぞ
>>620
ありがとうございます。為になるなぁ!
自国で神格化される太子
自国でボロクソに言われる煬帝
現青森県域については、地名としては古アイヌ語の痕跡が残ったが
言語としては古代の大和言葉の影響が残ったといったところか
(方言周圏論が適用できると考えて)
暴君の代名詞みたいなイメージの煬帝ですが
実は大変な読書家で江南の離宮にも愛読書を
大量に持ち込んでいた
唐の天下統一の後、離宮に残っている本を長安に
運ぶことになったが、運搬担当者の夢枕に
「儂の本を持っていくな!」と煬帝が出てきたそうだ
…という逸話を読んだとき「持ってかないでー」を
連想してお茶吹きそうになったのは内緒だ
続縄文(たぶん蝦夷?)からアイヌへの流れは、文化的な接続は必ずしも考古学的に証明したわけではないのよね。
だから、「たぶん繋がってる気がする」の議論を越えない。いわんや、言語的な接続は不明じゃないかな。
さらに、昨今の考古学では、出土遺物の文化類型の変化が、住民の血統的民族集団の変化を意味しない、ということも言われる。
人類学での、民族概念・人種概念の再検討もあいまって、その辺りに考古学は慎重になってる。
アイヌ文化の成立には、奥州藤原氏成立にともなう和人の北方進出との関連も指摘されてたりする。
他方でオホーツク文化の強い影響も指摘されてたり。
ので、アイヌと和人という二項対立では語れない、想像以上の複雑な成立過程みたいなのよね。
弥生当たりのものが北海道から出土すれば続縄文文化はなかったことになるのかな?
ただ見つかってない以上おそらくそのまま繋がっているんだろう的な感じか
アイヌってそんなに複雑だったんだね
4世紀以降の東北北部で集落遺構数が増加すること(7世紀以降の集落増加には遠く及ばないが)
4世紀の東北北部の続縄文文化には渡島半島〜石狩低地帯の“恵山文化”の影響が顕著に認められること
10世紀頃に渡島半島南部で本州文化と擦文文化の折衷的な“青苗文化”が成立すること(瀬川拓郎 2007)
10世紀以降の渡島半島〜石狩低地帯の日本海側に青森産の須恵器や鉄器が大量に現れること(恐らく輸入品)
10世紀の同地域に“イトクパ”(同族関係を示す刻印)の原型と思しきものが現れること
ここに言語置換に関するいわゆるレンフルー仮説※を援用して、
(※移入者数が現地民を大きく上回る場合に言語置換が起こる)
(※狩猟民に対する農耕民など、移入者が文化的優位に立つ場合に言語置換が起こる)
>>620 でアイヌ語の故地を渡島半島あたりと考えたんだが、
確たる証拠がないのも事実なので、>>620 の書き方は飛ばし気味だったかもしれん。申し訳ない。
アイヌ語の故地がどこであれ、北海道全土で話されるようになった時期は比較的新しいと思われるので、
より古い時代の北海道は例えるならば古代イタリア半島のように多様な言語が分布していたかもしれない。
その中にはラテン語に対するオスク語やファリスク語のように、アイヌ語と姉妹言語の関係にある言語も
あったかもしれない。東北北部のアイヌ語風地名がこちらに由来する可能性もゼロではない。
まあ、これも証拠がないので想像の域を出ないのだが……
考古遺物をみると、続縄文人は弥生・古墳文化圏からの流入品をかなり多用していたようだ。
まるで幻想郷のようだな。
東北北部の生活文化は7世紀以降に急速に東山道化していったんだが、
この東山道化した集団の言語がイマイチわからない。
4世紀のそれを遥かに上回る人口増加を伴っていたが、先のレンフルー仮説からすると
文化的故地は群馬・長野県域あたりということになるのだろうか。
そうであれば上代東国方言に近いものだったことになるのかもしれないが、
現代東北方言には上代東国方言の痕跡が全くと言ってよいほどに残っていない。
音韻については上代東国方言の音価推定が困難なので何とも言えない面もあるけどね……
上代の日本語文献において、古アイヌ語の音写とみられる語に上代特殊仮名遣いでいう
乙類にあたる漢字が多用されているという指摘があるらしい。
この音写が東国人の手によるものなのか、それとも畿内人の手によるものなのかは
わからないが、もし後者だとすると、古アイヌ語に中舌母音があった可能性が出てくる。
上代日本語の音価推定も関わってくるので難しい問題だけどね。
A.ヴォヴィンが古アイヌ語に12母音を想定しているらしいんだが(現代アイヌ語は5母音)、
詳細は知らず……。誰かこれについて詳しい人はいない?
方言周圏論なんだが、これは語彙には当てはまるが音韻には全く当てはまらない。
この点に注意が必要。
語彙についても、後からの置き換えが容易な文化語彙にはよく当てはまるが、
生活文化との結び付きが強く置き換わりにくい基礎語彙には文化語彙ほど顕著には
当てはまらない。
ちなみに音韻は語彙とは逆にむしろ辺縁部の方が激しく変化する傾向がある。
>>623
李世民「権力握る為とは言え、煬帝と同じ事してしまった…。後世に『煬帝の事例を見てたにも関わらず、同じ事を繰り返した李世民は評価するに値しない』って書かれたくないから、煬帝を必要以上に貶めなきゃ」(使命感)
アイヌ語と日本語含め周辺諸語との間に、系統関係がなさそう、というのが状況を複雑にしているよね。
過度に「この地名はアイヌ語」と何でも解釈するのは論外だとおもうけど、他方で北東北の地名については、「おそらく今のアイヌ語と関係の深い語彙」とはいえるよね。
語彙が近い=言語が近い、と言えるかも微妙だからわからんけど。
蝦夷と平安人との間に通訳が必要だったとはいうけど、それも日本語系の「方言」の可能性もあるからなんとも。
言語学については、私はわからんので詳しい諸兄に解説頼む。
考古的には、そもそも「縄文」「弥生」という文化類型が、極めて曖昧という問題が。
両方とも「日本列島の文化」以上の共通性を見出すことは不可能で、文化類型をもう少し細かく分類して再検討する必要があるそうな。
要するに、「日本は古来からひとつの文化圏」という一国史観の強い影響がある。
それを取り外すと、また違うものが見えてくるそうだよ。
それと、東北から関東に物の移動は結構あったようで、出土遺物については、続縄文系と古墳〜平安系(「和人」の文化)とは、連続的に変化するそうだね。
南に行くとだんだん「和人」系が増え、続縄文系が減る。
かっちりと「ここから和人、ここから蝦夷」という境界は引けないらしい。
「蝦夷征伐」の時期ですらそうなんだから、状況は複雑。
その辺りも、出土遺物からわかる文化からは、住んでる人々の属する民族人種はわからんという話。
北大Ⅰ式をはじめとする続縄文土器が主流だった地域に7世紀に突如として大量の土師器が現れ、
その中には5世紀後葉の中部高地発祥で、諏訪〜南会津と東北北部太平洋側からしか出土せず、
中間の地域には一切みられないメスシリンダー型土師器や、
同じく5世紀後葉の中部高地発祥の黒色処理が施された須恵器模倣土師器杯が数多く含まれるなど、
文化的には中部高地からの影響をかなり強く受けていた可能性が高いとは思うんだが、
一方で土師器の表面処理は中部高地で主流だったケズリ処理ではなく続縄文土器と共通のミガキ処理だったり、
7世紀中葉までのごく短い期間のみとはいえ土師器に文様が刻まれていたりするなど(本来土師器は無文)、
言われてみれば確かに土器文化だけをみても東北北部はけっこう折衷的でどっちつかずなのよね……。
文献に現れない「柵戸」つまり移入者を考古史料をもとに想定されることが多いようだけど、
現地の続縄文人が少数の外来人の文化を受容したのか(八木光則 2010)、
現地の人口を遥かに上回るほどの大量移入があったのか(松本建速 2011)、
この辺の判断も私の知識だけでは難しい。諸兄の知見をお借りしたい。
kamuy(神)やonkami(拝)など、日本語からの早期借用語と思しきアイヌ語があるので(なぜか宗教語が多い)、
上代において日本語話者とアイヌ語話者の広範な接触があった可能性があるとは思うんだが、
7世紀以降の東北北部の住人が日本語話者だったのかどうかはわからない。
先日ちょろっと書いたように上代東国方言に近いものが話されていたと仮定するにしても、
現代東北方言からは上代東国方言の痕跡を全く見出すことができないという問題がある。
万葉集の東歌の用字を素直に見ていくと、上代東国方言には
・イとウが混用される
・エ甲がアになる
・エ乙がエ甲になる
・四段活用動詞の連体形語尾がオ甲になる
などの特徴が見出される。
これらについて見ていく前に、当時の中央語である畿内方言の母音の推定音価を軽く説明。
記紀や万葉集ではキヒミ・ケヘメ・コソトノモヨロに2種類の書きわけがみられ、甲類、乙類などと言われるが、
当時の中国語漢字音(中古音)をもとに調べてみると、少なくともオ乙はほぼ確実に中舌母音とみられる。
ではイ乙エ乙はどうなのかというと、母音ではなく子音の違いによるものとする説もあり、
(例えばケ甲はキェ/kje/、ケ乙はケ/ke/のような音とする)
中国語漢字音からだけでは何ともいえない面もある。
とりあえずここでは私が最も信憑性が高いと考える説として、イ乙を/ɪ/、オ乙を/ə/、
エ乙を二重母音/əi/ないし/əe/とする7+1母音説(森博達 1991)に従うこととする。
さらに詳しく見ていくと、神はカム-カミ乙、目はマ-メ乙、などのように、母音に規則的なペアが見えてくる。
これらのようなものをもとに内的再構を進めていくと、イ乙/*ui/、エ甲/*ia/、エ乙/*ai/、オ甲/*ua/、
などのような音型が得られるとされる(大野晋 1957)。(‘*’は仮説上の再構音であることを示す記号)
以上をふまえて上代東国方言を見ていくと、まずエ甲→アについては/*ia/のiが消えたと考えられそう、
エ乙→エ甲は単純に母音融合ai>eで、これが畿内人にはエ甲に聞こえたのだろう、といった感じでやっていっても、
説明できない点が多くてすぐに行き詰まってしまう。
が、いずれにしても現代語の5母音体系とは大きく異なるものだったということは読みとれるはず。
Wikipediaでは5母音体系だったことにされているが、あれはいったい何なんだろうか。
現代北奥方言はおおむねa ɛ e i o uの6母音で、一部地域にa ɛ e i ɔ o uの7母音体系の痕跡がみられるが、
これらからの内的再構をいくら頑張ってもa e i o uの5母音にしかならず、上代にさかのぼることができない。
さらにはアクセントの面でも平安時代の京都方言のアクセントとの規則対応でおおむね説明できてしまい、
意外なまでに古い要素がない。
なお、先述のイとウの混用はいわゆるズーズー弁じゃないの?という疑問があるかもしれないが、
ズーズー弁であればイ乙の字をあてた方が自然なのに、東歌ではことごとく甲類字ばかりがあてられているので、
これをズーズー弁と考えるのは無理くさい。
(完全に余談になるが、神主の郷里にほど近い長野県栄村の秋山郷方言では五段動詞連体形語尾がオになり、
上代東国方言の痕跡である可能性が指摘されている。)
ではアイヌ語が話されていたのかというと、こっちはこっちで問題が。
現地人がアイヌ語話者だったとすると、日本語話者は城柵近辺の役人ぐらいしかいなかったことになると思うが、
では宗教語だらけの早期借用語はどこから来たんだ?という疑問が出てくる。
それから、先日もちょっと触れたが、上代の日本語文献からアイヌ語っぽいものを拾っていくと、
kətan だの tək だのとオ乙が頻出するので、現代アイヌ語からみるとかなり異質だ。
これが現代アイヌ語の祖先なのか、それとも消滅した姉妹言語なのかはわからない。
A.ヴォヴィンの12母音説がどんなものかわかれば何かが見えてくるのかもしれない。
城柵の外に神社が建てられた地域では和人の移民もかなりの数に及ぶと推定できるし
蝦夷の村とされていた地域から干支の一覧を記した木製品が出土するなど
中央からもたらされた文化が現地で受容されていった状況も垣間見える
また、7世紀以降に俘囚として全国に移配された蝦夷がしばしば反乱を起こすようになり
9世紀末には奥羽へ大量に送還されたりもしているから
この過程でも各地の文化が東北に持ち込まれたであろうと考えられる
上代音韻の再建は資料が少なすぎるうえに
東北では上記のような要因による急激かつ局地的な変化もあるだろうから更に難度が高そう
おお、本職(研究室)の方登場か?
なかなか興味深いなぁ。
そういえば幻想郷に方言はあるのか?なんて考察があったな。
幻想郷特有の職業集団(この場合妖怪退治業?)で使われていた符丁が、
年月の経過とともに日常の会話に溶け込んでしまっている可能性はあるかもしらんね。
聖さんと布都ちゃんと早苗さんが会話したらお互い全く通じない(その頃の日本語を話すため)、という小話SSがあったな
毘沙門天がかつては天邪鬼だったっていう記述を見た
そこらへん詳しく知ってる人いる?
>>634
蝦夷か、俺たちのご先祖様だな
だが蝦夷の文化は大和の中央から見るとどうも片手落ちの気がするな。独自に渤海国と交易してたんではないかという説もあるから
逆に言えば関西よりはむしろ東北のほうがある意味文化先進地帯だったのかもしれないよ
そういや熊谷達也の『まほろばの疾風』ではアテルイの相棒だったモレは女で、しかも巫女さんとして描かれてたわ
しかもあらゆる場面で妙に霊夢っぽかったな
北海道で14世紀の遺構から煙管が出てきたとかあったような
>>638
毘沙門天の元ネタというか原型のクベーラ神は
夜叉(悪鬼)の王だったりする
蝦夷とも関連するが諸兄こと橘諸兄が若い頃(葛城王時代)郡山に行って蝦夷関連で色々画策していたという伝説が有るな
そこで宴が開かれ当初葛城王は不機嫌だったけど(何故不機嫌だったかは分からない)
そこの娘が機転を利かせて機嫌を直し何とか重くなりそうだった税金を下げることに成功したという
その後娘は帝(おそらく聖武天皇)の采女になって采女伝説に繋がっていくんだけど(郡山の采女伝説は大和物語の二つの話がミックスされてる猿池入水話と安積山の山の井の話)
それにしても橘諸兄が郡山に行ったという話の元ネタはなんだろう 安積山あたりは確かに昔から歌枕だけど 諸兄の時代はまだ蝦夷との戦いの最前線も最前線だし
藤原実方あたりは確実にこのへんに来てるから それと混ざった可能性もあるのだろうか
石背国と石城国の陸奥国からの分立と再統合が、
ちょうど諸兄(葛城王)の青年期と合致していたな(718〜724年頃)
大和の郡山ではない?
安積郡だから紛れもなく陸奥のほうの郡山っすね
あの頃は石城・石背国の分割と再編入、柴田郡と刈田郡の分割、そして何より名取郡郡山(また紛らわしいww)から多賀城への国府移動とかがあったりと、
行政的に激動の時期だね
子供の頃に親の転勤で少しばかり郡山市に住んでいたことがあって、
地域の祭りとしてうねめ祭りが開催されていたのと、うねめ町という地名があったという
記憶は残っているが、背景となる伝承までは関心が広がっていなかったな
既に他の皆さんがご指摘の通り、いわゆる「アイヌ語」のネイティヴスピーカーは、現存していないかと思います
あまりにも彼らを軽んじてきた時間が長すぎたためです
明治以降の無思慮な「蝦夷地開拓」により、彼らは住処を追われ、蔑視され、搾取され続けました
(これは決して近代以降に始まったことでなく、近世以前から「中央」がやってたことの拡大延長政策なんですが)
でもって、明治以来、日本国家はずっと彼らを個別の「民族」として認めない立場をとり続けました
なんでかって、「万世一系」の統一国家を気取るうえで、大変都合が悪いからです
「神洲」には「大和民族」以外の人間がいちゃいけないからです
元々、現・北海道は「日本」の埒の外だったのに(「蝦夷地」なんて呼び方自体がその証左です)
厚顔にも、近代以降の日本国家は、かの地がまるで上古から「大和民族」の占める領土であったかのように振る舞い
かの人々が神話以来常に従順だった「化外」の皇民であるかのように装い
それを国際的にも認めさせました
彼らは、現在の史学では続縄文文化とかいわれる、稲作を基調とした文明化路線とは明らかに一線を画する、独自の文化を有した人々です
当然、独自の言語を有し、独自の言語・思想世界を有していました
言語学上、我々の話している言語との近親性はあるにしても
少なくとも、スペイン語とポルトガル語の関係くらいには隔絶した言語体系を有していたんです
(これは、琉球にしても同じことです)
エスニシティの概念が発祥した西欧的基準からしたら、どうみても「大和民族」とは別物のエスニックグループです
このことを我が国が認めたのは、実に21世紀に入ってからでした
遅きに失した「民族認定」です
我々は、同じ列島に生き、違う文化を生きる人々の、価値ある文化資産を、永久に失いました
この国の近代アカデミズムの中で、いわゆる「アイヌ語」の研究に先鞭をつけたのは、岩手県出身の金田一京助という学者です
(この人の孫や曾孫は、よくテレビのクイズ番組で見かけますねw)
帝大教授にまでなった彼が、何をもって「アイヌ語」を研究対象としたのかについては
浅学のため断言することはできません
ただ、彼が生まれ育った東北の地に、「アイヌ語」との共通性を持つ多くの語彙が生きていたこととの影響は、無視できないことと思います
東北、特に北東北には、「アイヌ語」由来の地名というのが方々に散見されます
私はなまはげの国の民なので、当県の例も一端を挙げますが
毛馬内、西馬音内、生保内、これらの現在も残る地名の語源は「アイヌ語」にあります
あと、私んとこなんかでは、長靴のことを「長ケリ」っていったりするんですが、「ケリ」っていうのは「アイヌ語」でまさしく「靴」を指します
他人じゃないんですよね、彼らは。言語どころか血のレベルでの結びつきってきっとあるんです
東北人は「蝦夷地開拓」の尖兵ともなりましたが、同時にこの列島上で最も彼らに「同情」を寄せられる親戚筋でもあります
私は小4・6の時に北海道を旅行し、観光地化されたいわゆる「アイヌコタン」を訪れています
当時の私には、残念ながらそこで『ピリカピリカ』を歌い踊る人々の歴史的来歴など及ぶべくもないことでしたが
大人になってそれなりに学問を積んで、その時の記憶を振り返るに、一個の誇り高い「民族」が観光の余興として自らの言語文化を切り売りせざるを得ない社会状況と、それを招いた当方の歴史的「罪悪」に愕然とせざるを得ませんでした
少なくとも私個人の血管には、彼らと同じ祖先の血が幾許かは流れているでしょう
言語的にも、彼らと同じ文化的土壌に根差す表現が幾許かは私の心の中に生きています
でも、大元たる「アイヌ民族」と「アイヌ語」は、たぶんレッドデータの隅っこで消えかかっています
このことを思うときに、私にはそれを表現すべき妥当な「日本語」の語彙がなかなか思い浮かびません
敢えていうなら、我々は、しょししゅびしらね国民だと思います
かつてわが国には、わが国は単一民族国家である、と述べた首相がいました
彼はそれなりに社会的な訴追を受けたようですが、こういう意識を無自覚に抱いている我々一般国民は、そのことを理由に社会的責任を問われることはありません
そもそも一個の国家が公的に戴く「見解」というのは、時々の政治潮流に応じ、融通無碍に千変万化するものですが
我々個々の意識の変化というのは、なにかしらドラスティックな社会変動でもない限り、容易に変わるものではありません
そして、我々個々の意識が変わらない限り、文化の根本における差異あるいは軽蔑の感情というのは
たとえ、それがどんなにポリティカリーコレクトな装いを施されたところで
絶えないものだと思います
日本国は、遅きにしろ、公的に「アイヌ民族」を認めました
我々はどうでしょうか?
っていうのを他所で書いたんだ
具体的にいうと、ヤフーの知恵袋的なんか
……間違ってないよね?
あーあ、また来たよ…
もうこの話題を止めといた方がいいな。
凄い長文だ
有名なのか
次の話題どうぞー
よう怨霊殿、元気してたか
いい加減、他で日記披露する事憶えてくれないかなぁ。
ああいう読む価値の無いデタラメでも思い込みでも
ブログとかでやってる分には誰にも迷惑掛からんし。
しかし失われた言語は取り返しがつかないね。
北海道のラジオでアイヌ語講座をやっているけどはたしてどのくらい効果があるやら。
かろうじて話せるご老人がいる今、アイヌ学校の設立が急がれると思うが…(NPOで既に取り組んでいるところもあると聞く)
アイルランドの母国語であるゲール語も今では一部地域の年寄りしか話せないそうだ
義務教育の中で教えられてはいるが、プライベートで使う家庭なんてのはもうほとんど残っておらず、
街中では普通に英語が飛び交い、ゲール語を話せばむしろ奇異の目で見られる始末と言う
アイルランドとかスコットランドとか満州族とか言語同化は進んでも民族同化はしてないらしいが
アイヌはどうなるかな
学術的・感情的な面を排除して、経済的・社会的側面だけで言えば、
そもそも失われつつある言語を残す必要があるのか、って話になるからな。
つうか、必然性が有れば残そうとしなくても残るって話で、
敢えて残すならそれなりの金が必要。
まぁ失われつつあるのはアイヌ言語に限った事じゃないけど。
今後人口減少時代を迎えた後は、
日本全国(除く東京圏)の文化の保全が問題になってくるやろね。
集落全体が消えるという所が出て来るので、
方言・慣習・祭祀・民芸などの文化全体(というか生活)が消える。
それにどこまで金を掛けられるか。
近くの山に廃村があるけど 今でも元住人が村の鎮守の掃除に決まった日に行くそうだ
それでもいつか失われるし記憶も薄れていくだろうな
しかしそれでも鎮守が残っただけまだ恵まれてる方なんだろうな
たとえ由来の分からない「謎の鎮守」と化したとしても痕跡が残ってるだげまだ救われる
(この流れは私がアイヌ語の話を始めたせいか……?)
しかし彼の長文、論旨云々は別としても、言語に関する知識はかなりいい加減なようだ。
いい加減な知識をイデオロギーに利用されたくないのでツッコミを入れたいが、
しかしツッコむとまた暴れ出しそうだし、さてどうしたものか……。
話は変わって、
消滅危機言語の教育というのは口で言うと簡単そうなんだが、
実際にやるためにはまず統一言語を定め、無文字言語なら正書法も定める必要がある。
統一言語には最も話者数の多い方言がほぼそのまま利用されることが多いが、
これはすなわち少数方言を廃するということにつながりかねず、多様性も失われることになりかねない。
もちろん少数方言話者からの反発は免れない。
あるいは統一バスク語のように人工的な標準語を構築するという手もあるが、
やはりこういうのはあくまで人工物であり、母語話者は一人もいないことになるため、
生きた言語としてはなかなか用いられない。
例によって統一バスク語はイデオロギーと結び付いてしまったし……。
それから近代以降の外国語の影響、例えば英語からの借用語などの扱いをどうするのか、という問題もある。
近代語彙として他言語由来の語彙がそのまま広く用いられている場合、
無理矢理これらを現地語に訳しても人工的な響きが消えず、定着は難しい。
老年層と若年層の間に何らかの音韻変化がある場合にも、どちらを採用するかという問題がついてまわる。
英語からの統語法への影響や大量の借用語、強烈な英語訛りの発音さえもそのままにしたからこそ、
ハワイ語は成功したのかもしれないが、同じことがアイヌ語にも適用できるとは限らない。
全く別の話題としてエイヌ語(アイヌ語ではない)と幻想郷の言語事情を絡めて語ろうかとも思ったが、
今の流れだと微妙に荒れそうな内容を含むので、しばらくは様子見だな……。
あんた達にはそれがまったりなのか?
「アイヌの文化は尊重すべきか」と聞けば大体の人は「尊重すべきだ」と言うだろうし
「アイヌ語は保全すべきか」と聞けば同様に「保全すべきだ」と言うだろうけど
「じゃあそのために年○億かけます、永久に」と言われればエーッってなるよな
俺もなる
どこの自治体もカネ無いしな
まぁ有形無形を問わず文化財の扱いなんてそんなもんだよな……
議論()はいつ終わるん?
忙しくてしばらく見てなかったらたいそうなことに。
私としては、知らない言語学の話を色々知ることができてよかったんだけど。
とりあえず、学問というのは「かくあるべし」という意見を相対化・無力化するものだよね、とだけ。
学問を根拠に「かくあるべし」を述べるのは、ただの曲解。
そう考えるから、学問を建前とするこの場で、「かくあるべし」と唱えられてもなぁ、と。
少なくとも、ここは「紅旗征戎非吾事」であってほしいとおもう。定家ばんざい。
>>632-634
蝦夷とアイヌとの関連、言語から考える話。とても面白かった。
その上で、古代史ですらない史学見習いから見た違和感がいくつか。
まずは、音韻再構成の妥当性かな。
言語学全体に喧嘩売る感じになってしまうのだけど、古くなればなるほど再構成される音韻が複雑になってる気がして。
どうにも、そんな面倒なことばを古代人が話していたのかな、と思う。
それと、やはりそもそも可算名詞的な「言語」概念の存在しない古代において、アイヌ語と日本語と、どう区別するのかな、と。
例えば、隣村と言葉が通じないする。そうした時、古代人にとっては、同系統の言葉だろうが、違う系統の言葉だろうが、「通じない」という意味で同義だよね。
そうすると、言語系統によって「あいつは言葉通じないけど同じ民族」なんて感覚は絶対ありえない。
だから、蝦夷か和人か、って、言葉による区別ではない気もするのよね。
どちらかというと、和人側が政治的に規定してそう。
そう考えると、蝦夷とアイヌって、全く別次元の観念ということなのかしら?
>>660
自分はそれでも金を出すべきと思う…絶滅した生き物をよみがえらすのは不可能だし、破壊された自然も完全修復は難しいときく。でも文化なら可能だ。
一つの貴重な文化が復活するなら安いものだと一私見に思う。
ただ、アイヌ語にも方言があったみたいで、完全な修復は難しいのかな
方言があったというか、方言しかありませぬ
>>658
>消滅危機言語の教育というのは口で言うと簡単そうなんだが、
>実際にやるためにはまず統一言語を定め、無文字言語なら正書法も定める必要がある。
>統一言語には最も話者数の多い方言がほぼそのまま利用されることが多いが、
>これはすなわち少数方言を廃するということにつながりかねず、多様性も失われることになりかねない。
>もちろん少数方言話者からの反発は免れない。
国家神道云々に通ずるものがあるな
純粋な「神道」を作ろうとした結果地方の特殊な祭事に目が向かなくなったと
フランス語も「世界で最も美しい」と胸を張る一方で
多彩な方言があったのを劣化フランス語扱いして
駆逐しちゃって現代になって問題になってるとか
>>663
安いものだと言うけれど、例えば663が食うに困って生活保護とか申請しに行ったら
お金がないんで無理ですと言われましたと
その一方でなんかよく分かんない文化振興とかの補助金に毎年何億円も使われてましたと
そうしたら「そんなもんにカネ使う余裕があるなら俺を助けてくれよ」って思わない?
文化だ歴史だなんてのは社会に余裕があるからこそ言えるんだよなぁと思う 辛いぜ
文化・環境保護を推進する方法は二つ
カネになりうる事を主張するか
カネでは買えない事を主張するか
>>668
どちらも酷い選択だ
補助などなにもなくても継承されてきた自然と文化と人が
観光誘致一発で全て失われたところに住んでいたからわかる
保護したいという欲は余所者のエゴだ
余所者に騙されたやつがわが身を切り売りした結果がこれだ
俺の故郷を返せと憤ったこともあったが、もうあきらめた
全部しょうがないことだったんだ
>>669
知床?屋久島?小笠原の方?
とにかくここの破壊ぷりは酷いね
>>669
もしかして白神山地かな?
あそこは登録されてから山が荒れたって聞くな。
実際、手付かずの自然でなくて山菜取りや猟師が入ることによって保全されていたとか。
日本の森林で人の手が入ってない場所なんてそれこそ幻想な気がする
だから人間はほろびるべきなのだ
流れをぶった切って申し訳ない。
>>662
古音を再構していくとどんどん複雑になっていくように見える、というのはそう珍しいことではないよ。
というのも、同一条件下においてA語でC1、B語でC2となる場合は祖形に新たな音素C3を仮定する、
というのが比較言語学の常套手段だからだ。(ただしこれは同系言語と仮定される場合のもの)
例えば中国語なんて、「剣」は現代語ではjianだが、上古語には/*skrams/という物凄い音が想定されている。
これは別にテキトーに考えられたのではなく、『詩経』などの詩韻の分析、チベット・ビルマ語派との比較、
タイ語やベトナム語などにおける早期借用語の分析、などにより導き出されたものだ。
ただし、一見古いほうが複雑に思えるが、上古語にはまだ声調がなく、後代に末子音の消失および頭子音の
収斂の代償として今日のような非常に複雑な声調を獲得したと推定されているので、こちらの面ではむしろ
後代の方が上古よりも複雑であると考えることも可能だ。
日本語の場合、例えば母音の内的再構なら「カム-カミ(神)」のように母音のペアが見出されるものと、
「カミ(上)」のようにペアがないものがあれば、これらは古くは別の音だったろうと推測できる。
方言アクセントの比較なら、「姉・石・足・息・秋」のアクセントを見ると、石と足、息と秋が同じで
姉のみがぼっちになる地域(以下、姉/石足/息秋のように書く)、姉石/足/息秋のようになる地域、
姉息/石足/秋のようになる地域があるので、これらの祖形は5つのアクセントが全て異なる複雑なものだった、
ということが推定できる。なおここまでは現代本土諸方言の話。
沖縄諸方言の場合、例えば首里方言なら内は/uci/、書きは/kaci/となり、どちらもチ/ci/と発音される。
これだけ見ると音素が少なく思えるが、後者の命令形/kaki/も考慮すると、古くは内/uc1i/、書き/kac2i/
という別の音であった可能性が出てくる。
ここで他方言にも目を向けてみると、平良方言では内/uci/、書き/kakï/、書け/kaki/となり、奄美方言では
内/uci/、書き/kaki/、書け/kakï/となる。これと比較すると、/c2i/は/*ki/に由来する別音素と考えられる。
つまりciとkiの対立という現代語にない区別をもつ、現代よりも複雑な祖形が浮かび上がるということだ。
上代日本語の場合、上代特殊仮名遣いなどから見てとれる母音体系は確かにかなり複雑なんだが、
ここから内的再構をしてみると一転してむしろかなりシンプルな体系が浮かび上がってくる。
「カム-カミ乙」ペアからイ乙/*ui/、「マ-メ乙」ペアからエ乙/*ai/などの祖形が導き出される、というのを
より細かくやっていくと、プロト上代語は単母音が*a i u əの四つしかなく、そのかわりに連母音
*ai ia au ua ui əiが許容されている、というシンプルなものになる。
恐らく奈良時代の多母音化というのは何らかの要因により母音連続が許されなくなったことから母音融合により
一時的に発生したものであって、ゆえに非常に不安定だった。不安定であったればこそ、この多母音体系は
平安初期までには崩壊してしまったんだな。まあ、だから複雑といっても一時的なものだろう。
似た例としてフランス語(パリ方言)が挙げられる。元々は5母音かつ多くの多重母音があるというものだったが、
ある時期から鬼のような勢いで母音融合が起こり、20世紀初頭には17母音という凄まじいことになっていた。
しかし現代では11母音にまで減ってしまっている。
なお上代東国方言の場合は母音融合だけではなく母音脱落も組み合わせることで問題を解決した可能性がある。
(*ia>aなど)
具体的にいつ多母音化したのかはわからないが、稲荷山古墳(5世紀)の鉄剣に残る「意冨比垝(大彦か)」を
中古漢語の推定音で読んでみるとiə piəu bi kiueのようになり、これは/ə pə bi kua/と
書こうとしたものである、という可能性が指摘されている。よって、5世紀にはまだ連母音が許容されていた
可能性がある。ちなみにこれが/pə/だとすると、古くはホにも甲乙があった可能性が出てくる。
(後段)
蝦夷というのはあくまで中央から見た東の辺境の住人を大雑把にひっくるめて呼んだものであり、
特定の単一集団を指すものではなかった、という「蝦夷辺民説」が今日では主流になりつつあるようだから、
蝦夷か和人かは和人側が政治的に規定、というのは実際そうだったんだろうね。
日本語話者だろうとアイヌ語話者だろうと、中央から見て内民でなければ蝦夷だったんだろう。
いちいち言語によって区別するということは恐らくなかったものと思われる。
中世の和人による北方民の呼称「エゾ」も、どうやら単一の集団を指していたわけではなく、
津軽海峡の向こうの住人を大雑把にひっくるめたものであり、時として大陸の住人すら指していたようだ。
それから『諏訪大明神絵詞』によれば渡党という「日本語を話す」エゾがいたという。
やはり言語はあまり考慮されていなかったのだろう。
学問的な意味での「アイヌ」はアイヌ文化の担い手を指して後代の学者が勝手に呼んでいるだけだし、
アイヌ側においても当然ながら近代的な意味での民族意識は割と最近まで無かったわけだから、
前近代には和人・アイヌ双方において「アイヌ」という単一集団の概念は無かったんじゃなかろうか。
同系言語か否かというのは「規則的な音韻対応が見出せること」そして「共通の祖語を再構築できること」を
立証できるか否かによってシステマティックに決められることであって、話者自身の認識はあまり関係がない。
それに昔は比較言語学なんてものはなかったので、話者自身の認識はけっこういい加減なものだった。
たしか新井白石だったと思うが(勘違いなら申し訳ない)、彼は沖縄の首里方言を中国語の方言と考えていた。
同系統であることが立証されたとしても、それが方言か姉妹言語か、というのは言語学というより政治的に
決められることが少なくない。
相互理解性(会話が可能か否か)がひとつの目安にはなるものの、絶対的なものではない。
相互理解性の全くない北京語と広東語、高地ドイツ語と低地ドイツ語があくまで方言扱いだったり、
逆に相互理解性のあるセルビア語とクロアチア語、タイ語とラーオ語が別言語扱いだったりするのが典型例だ。
>>674
丁寧な答えありがとうございます。
音韻再建の話は、割と納得できた気がする。要するに、ある面では複雑になるけど、別の面が簡素化するから、全体として複雑にならないってことかな。
ただ、古代語が複雑化する方向の論理はスッキリ行くんだけど、古代語が簡素化する(=現代に来るにしたがって複雑になる)部分を、どうやって論理的に構成してるかが少し不思議かな。
論理的に「A語で○、B語で×だから、祖語で(○+×)/2」と考えるのはわかる。
でも、「A語でもB語でも○だけど、祖語では○と×」という推定は、極めて難しい気がする。
例えば、いくら『詩経』めくっても、上古音の声調がなかったことの証明ができない気がして。現代の声調と噛み合わなくても、声調がないのか、違う体系なのかは区別できないし。
中古音の段階では、ばっちり声調あるよね。
そう見ると、「こちらが複雑になってるから、こちらは簡単にならないとおかしい」という、現代の言語状況に合わせて近似しているだけな気もして。
その場合、「複雑になってる」が間違ってる可能性もあるわけで。
言語って、つねに規則的に変わると考えていいのかな。
難癖のようで申し訳ない。
後段については、まったくその通りだと思う。
そう考えた時に、それじゃアイヌ語ってなんなんだ、って気もする。
日本語もアイヌ語も系統不能とされるけど、そういう言語ってどうやって形成されてきたんだろうか。
数千年前から、アイヌ語のプロト的なものはあったのかな。
それとも、いろんな言葉が混じって(クレオール的に)形成されたり、突然変異的にそれまでのことば(例えば日本語系のことばとか)が大変容した可能性とか、ないのかな。
>>673
じゃあまずお前が滅びてみろよ
>>677
人外さんかも知れないぜ
>>677
せめて滅ぼしてからじゃ…
あまり時間がないのでまず少しだけ。ちょっと短くなります(それでも長いが)。申し訳ない。
>>676
音韻変化は大抵は複雑→簡素という方向に進む。
日本語の多くの方言の音韻も少なくともここ1200年はほぼ一貫して簡素化するばかりだ。
一般に簡素化しすぎた場合は多音節化や異音の別音素化などから複雑化(に見える変化)が誘発されることがある。
なんらかの要素が消えた代償として新たな要素を獲得することは多いが、
どの言語でも同一条件下において全く同じ変化が100%起こるというわけでもない。
チベット語やベトナム語、スウェーデン語などは末子音消失の代償として声調を獲得したとされるが、
同様に末子音消失が広範に起こっているニヴフ語アムール方言には何の代償変化も見られない。
アイヌ語の北海道西部方言は長母音と短母音の区別を失った代償として高低アクセントを獲得したとされるが、
同様に母音の長短を区別しなくなった朝鮮語ソウル方言には何の代償変化も見られない。
変化の方向はガチガチには決まっていないが、ヒトの口腔の構造上起こりやすい変化というものはあるので、
この意味ではある程度の規則性はあると言っても良いかもしれない(絶対ではない)。
例えば前舌母音の影響を受けて子音の調音点が硬口蓋側にズレる「口蓋化」だとか、(ti>ci, ke>ce, kri>kjiなど)
舌頂音が弱化してRっぽい音になる「ロータシズム」だとか、
(中古漢語ɳit>近古漢語ʐi>北京語ɻi, 古ラテン語floses>古典ラテン語floresなど)
それから子音結合の解消、母音の代償延長、母音割れ、(英語knight[kniçt]>[niːt]>[naɪt]など)
語末の母音や子音の消失、(ドイツ語habe>hab(口語), フランス語loup[lup]>[lu]など)
母音の前にある破裂音や破擦音の摩擦音化、(pa>fa, ka>xa, tsa>saなど)母音融合(ai>e, ui>ïなど)などなど、
これらはヒトの口腔の構造上非常に起こりやすいが、逆方向への変化は難しい。
一方、相互変化が容易なものとしては母音の高舌化(e>i, o>uなど)、低舌化(i>e, u>oなど)、
音位転換、調音点ないし聴覚印象の近い音への置き換え、
(印欧祖語*ulkw>ラテン語lup(-us)など?例としてはやや厳しいか)などがある。
古音の推定に際してはこれらが大いに考慮される。
音声学的にあまりに不自然な音韻変化は(よほどの理由が無い限り)想定されない。
余談だが、変化の組合せや順番によってはai>eː>iː>aiのように一周してしまうという奇跡もありうる。
上古漢語やアイヌ語については後日。
やべえ全くわかんねえ!
でもこういうの何か好きだわ
俺も音韻変化についての知識はほとんどないが
>>681 を見て、やばい→やべー というai→eeという口語の変化も
日本語の音韻簡略化の一つの流れではないのだろうかと思った
すごい→すげー というoi→eeの変化も若年層では見られるな
音の変化は基本的に言いやすい方に変化していくよね
>>682
もはや若年層ではないけど岡山出身なのでaiがeeと変化するのは至って普通ですねえ
ai,oi,uiとかの二重母音はだいたいどれもくっつくけど西日本では割と普通かな?
東日本に来てそこそこ時間経ったけど喋りやすいからこれは抜けないねー
それこそ昔の人が喋りやすいように簡略化してきたんだろうなと思うよ
仕方ない→仕方ねぇ→しゃあねぇ
なんかは古いんじゃないですかねぇ
aieeの変化は新しい言葉が生まれるたびに昔から繰り返されてきたのかなー?なんてね。
>>680
しろーとの無駄絡みに丁寧に答えてくれてとてもありがたい。
言語学の話聞く機会ってそうないから、つい聞いてしまった。
発音がより簡単な方に変化する、というのはとても納得できるしよくわかるんだけど。
そう変化するということは、古代から言語の発音は簡単になり続けている、ということになるのかな?
言い換えると、昔人間は発音しにくい言語を使っていて、時代とともに進化して、発音しやすい言語を使うようになったということかな?
「オ」と「ヲ」が明確に別の音だったとか
ヲは今でも歌を歌うときに実感できる
助詞の場合だけだけど
「てゐ」の正しい読みは、次のどれなのか問題
・てい
・てひ
・てうぃ
・(その他)
tewi
>>686
>古代から言語の発音は簡単になり続けている
一般的にはそのように考えられていると言って良いと思う。
ただし、当然ながら際限なく簡素化することはできないので、たまには揺り戻しが来ることになる。
(少々無理のある語例だが)仮に「とよさとみみのみこ」[tojosatomiminomiko]が簡素化していくとすると、
まず考えられそうなのは母音脱落だろう。[tojstomimnomik]みたいな感じになるか。
iやjに先行するoがいわゆる「Iウムラウト」のような変化を起こしそう。[töːstömimnömik]としようか。
ロータシズムも起こりそう。[töːrtömimnömik]
子音クラスターの解消も起こりそう。[töːʈʈömiːnömik]
末子音の弱化も起こりそう。[töːʈʈömiːnömiç]
……ʈだのöだのçだの、かえって音が増えてしまった。
このように、「簡素化に簡素化を重ねたらかえって複雑になってしまった」という事態も十分にありえるわけで、
これを考えると、「古代から言語の発音は簡単になり続けている。が、たまに詰む」ぐらいの言い方が良いのかも。
もちろん、複雑化した場合も次は別方向に簡略化の道を探るだけなので、簡素化の流れが止まるわけではないが。
書きあげてから気付いたけど、よく考えてみれば上の例だって簡略化していると捉えることも可能だな……。
「人類の故地に近いほど音韻が複雑になる」という説もある。
実際アフリカのコイサン語やらバントゥー諸語なんかは鬼のように音素数が多く、
逆にアフリカから遠く離れた南米やポリネシアなどの言語は非常に音素数が少ない。
人類が世界に拡散していく過程で言語音がどんどん摩耗していき、移動距離が長いほど摩耗が大きかったが、
移動の少なかった集団では摩耗の度合いが小さかった、と、この説ではこのように考えられる。
これは世界中の言語に単一の祖語を想定する仮説、いわゆる「世界祖語仮説」にも関わってくるんだが、
今日の比較言語学の有効射程はせいぜい6000年程度と考えられているので、どう頑張っても立証不可能だろうな。
「他言語との接触度合いが大きい言語ほど簡素化する」という説もある。
密林の奥地などで周囲から隔絶した言語は複雑なままだが、交易などで外との交流が多い言語は複雑すぎると
対話に支障がでるのでどんどん摩耗していく、と、この説ではこのように考える。
下ふたつの説については、まあ「こんな説もある」ぐらいに思っておいていただければ。
>>684
国立国語研究所の『日本言語地図』というものがネット上に公開されていて、ここから連母音融合などのおおまかな
分布域を調べることができるよ。
第1集の第19図以下が連母音ai、oi、uiの融合に関するものになると思う。(PDF注意)
ttp://www.ninjal.ac.jp/publication/catalogue/laj_map/04/01/
調査対象は1957〜65年時点での老年層なので、若年層どころか相当上の世代から盛んに起こっていたことがわかる。
以下は>>680 の続きです。ものすごく長くなります。
中古漢語には平声・上声・去声・入声という声調、いわゆる「四声」があった。
詩韻では上・去・入声をまとめて「仄声」、平声とあわせて「平仄」と呼ばれる。
最初に例に挙げた「剣」が去声字なので、去声を中心に述べていこうと思う。
『詩経』の時代の詩韻をみると、いちおう「平仄っぽいもの」はあるが、中古漢語のものとは大きく異なっている。
この中で、去声と入声が押韻するケースが少なくないことから、この二つは聴覚的に近い韻尾を持っていた、
という可能性が浮かびあがる。
中古漢語の入声は韻尾に-p, -t, -kという阻害音を持つ(例:入/ɳiep/)という点で他と区別されていた。
上古漢語においても入声韻尾に大きな違いは無かったものと考えられているので、
そうなると去声韻尾にも何らかの阻害音があったんじゃないか、と考えられることになる。
ここでベトナム語に目を向けてみる。
漢語からの早期借用語と思われる語彙の中には同系言語であるクメール語と音韻的に規則対応するものがある。
そこでクメール語と比較してみると、漢語での去声字に対応する声調を持つベトナム語には/-h/、
平声には/-0/(子音なし、の意)、上声には/-ʔ/が対応することがわかる。
この辺は私の説明よりも↓こちらの方が解りやすいかもしれない。
ttp://www.aa.tufs.ac.jp/~p_phonol/TEXTS/97-2/sintani.txt
なおグロッタルストップ/-ʔ/というのは「あっあ」[aʔa]の「っ」の音だと思っていただければ。
日本語では声門閉鎖音という。
さらに、漢語と同系であり、漢語より全般に保守的と考えられているチベット・ビルマ語派に目を向けてみると、
漢語での去声に対応する語には/-s/が現れることが見てとれる。
例えば漢語で去声になる「二」はチベット語(ワイリー式ローマ字表記)で gnyis となる。
(チベット語の綴りは発音との乖離が著しいが、1300年前の吐蕃時代の表記が良く保存されている。)
チベット・ビルマ語派の中でも屈指の保守性を誇るギャロン語においても良く似た音が保存されている。
そんなこんなで、上古漢語の「平仄っぽいもの」は平声/-0/、上声/-ʔ/、去声/-s/、入声/-その他阻害音/で、
「平:韻尾に阻害音がないもの」と「仄:韻尾に阻害音があるもの」の対立だった、と考えられる(W.H.Baxter 2011)。
これは「声を長く伸ばせるもの」と「声を長く伸ばせないもの」、と言い換えることもできる。
したがって、上古の漢詩では「長い音」と「短い音」の組合せによってリズムが作られていたものと思われる。
まとめると、声調の原型となるものはあったが、上古時点ではまだ声調と呼べるものではなかった、ということだな。
ただし、上古音に関しては異説も非常に多いので、以上のことが絶対と言いきれるわけではない。
これがいつから中古漢語のような「高低による」声調に変化したのか、という問題について。
四声という概念の出現は5世紀なので、遅くとも5世紀までには確実に現れていた。
詩韻の変化の流れを追っていくと、最も劇的に変化したのは後漢〜魏晋期あたりだという(丁邦新 1975)。
(余談だが、この時期はいわゆる魏志倭人伝の時代とモロに被るため、魏志倭人伝に残る「日本語っぽいもの」の
音価推定を困難なものとする最大の要因となっている。)
恐らく四声の発生時期もこのあたりだろう、と思われる。
初期の四声の調値については、去声を下降調とするものと上昇調とするものと、(私の知る範囲では)
大きく二つの流れがある。(他にもあるかもしれない)
前者の主なものとしては、平仄を「平らな音」と「平らでない音」の対立とし、平・上・去・入をそれぞれ
平・昇・降・促とする説(丁邦新 1975)があり、
後者の主なものには平仄を「低く終わる音」と「高く終わる音」の対立とし、平・上・去・入をそれぞれ低・高・昇・促
とする説(金田一春彦 1955)がある。
唐代に入ると、四声は頭子音の清濁に基づき陰平・陽平・陰上・陽上・陰去・陽去・陰入・陽入という「八調」に
分化した。(なお陰が清音で陽が濁音)
この過程で上声濁音と去声が合流し、「上」は上声の代表字でありながら去声になる、という矛盾が発生した。
この現象について言えば、「陰声では語頭が高く」、「陽声では語頭が低く」なったと仮定するだけでスッキリと
説明できる金田一説の方が妥当であると私は思う。(上声濁音:「高」の語頭が低くなって「昇」に、と仮定)
「>アイヌ語ってなんなんだ」については、音韻に規則対応があって、さらに共通の祖語が再構できる
北海道・千島・樺太の言語のことを言うとしか。
もちろん語彙も音韻も統語法も何もかもが違うニヴフ語やウィルタ語は別言語ということになる。
ただしアイヌ語樺太方言は少々特殊で、子音をC、母音をVとすると、北海道方言ではCVCとなる語が
樺太では支え母音が付加されてCVCVになるなど、開音節(母音で終わる音節)の頻度が高くなっている。
これはもともと開音節言語を話していた集団が閉音節言語を受容した結果、基層語の影響が残ったもの
なんじゃないか、という説もある。
一方、アクセントの面ではむしろ樺太の方が古形を保っていると考えられているが。(服部四郎 1967)
「>アイヌ語のプロト的なもの」はあったろう。無から有は生まれないわけだから。
ただし、恐らく原始の北海道では例えるならばパプア諸語やオーストラリア諸語のように無数の小言語が
ひしめきあっており、プロトアイヌ祖語はこの中のひとつに過ぎなかったものと思われる。
これが何らかの要因により力をつけたことによって地域の優勢言語へと成長し、周辺言語を滅ぼしながら
分布を拡大していった、というのが自然な流れなんじゃなかろうか。全部私の想像だけどね。
なお方言差があまり大きくないことから考えて、諸方言への分岐時期はさほど古くないものと思われる。
最終行については、アイヌ語文法の複雑さからいっても考えにくいと思う。
クレオール起源ならピジンを経ているはずで、ピジンを経ているなら文法は極端に簡素化するはずだが、
アイヌ語は類型論的には「抱合語」と呼ばれるもので、その統語法はピジンとして通用したとはとても
考えられないほどに、まさに鬼のように複雑なんだよ。
クレオール起源説あるいは混合起源説については、アイヌ語よりもむしろ日本語学の方で真面目な議論の
対象になっている。
現代日本語は類型論的には「膠着語」だが、時代を遡るごとに膠着成分の独立性が高まっていき、
上代日本語まで遡ると、今日の国語文法で付属語として扱われるもの(助詞や活用語尾など)がほとんど
自立語のように振る舞うようになる。さらに古い日本語は「孤立語」に近かった可能性すらある。
この日本語文法の古層の単純さなどから、原日本語を混合言語と考える村山七郎などの研究がある。
>>689
・ひぎぃ
言語に詳しい人が居るみたいなんで質問なんだが
妹紅スレにて2年程前にこんな書き込みがあった↓
===============
286 :名前が無い程度の能力:2012/05/17(木) 01:54:02 ID:3CyLuQC20
女房言葉とか上流階級の女性が使う言葉は平安時代中期ぐらいからあったようだぞ
源氏物語で近江の君っていう田舎娘が「言葉の使い方がなってない」と笑われるシーンがある
287 :名前が無い程度の能力:2012/05/17(木) 01:57:27 ID:DCd1V8Zo0
そういや結構前このスレで奈良時代の言葉は今聞いても理解できないような訛り?言葉だって言われてたの思い出した
288 :名前が無い程度の能力:2012/05/17(木) 02:17:06 ID:hde5C55gO
「ぱぱうえつぁま でぃえっぷでぃえっぷんが ちょんでうぃまつぅよ」
「母上さま 蝶々(てふてふ)が 飛んでいますよ」
==========
もこたんがこんな意味不明のでぃえっぷでぃえっぷな言葉遣いしてたなんて思いたくないんだが。
いやさ、別に妹紅に限らず当時(奈良時代)ってこんな発音や言葉遣いがまかり通ってた可能性が高いってマジなの?
思いたくないと言われましても、当時の貴族がそういう話し方をしていたという研究結果が出てるなら
きっとそう話してた可能性は高いんでしょ
言葉って変化していくものだもん
今話されてる日本語を、もし奈良や平安の人が聞いたら
たぶん同じく意味不明に思うだろうし
まぁぶっちゃけそこまで気にする必要もないと思うけど
江戸時代辺りを題材にした時代劇でも既婚女性が眉落としてお歯黒してる作品はめったにないし
漫画ゲームになるとチョンマゲ結ってるキャラすらいないし
史実は史実キャラはキャラで好きな様に考えればよかろ
音韻の変遷を実感できるほど長く生きていた人(妹紅)にとっては
過去の記憶はどういう風に再生されるのか ちょっと興味ある
>>691-694
しろーとの絡みに細かく答えてくれてとてもありがたい。
感謝の至りです。
>漢語の上古音
丁寧な解説ありがとう。プロじゃないから全部頭入ったとは言わないけど、筋はわかった気がする。
一方で、中国学の方での議論が気になるような気はするけど。清朝以来の。
中国学の中でも沼と名高い中国音韻学ね。
それはそもそも『広韻』などの本が現実の当時の発音を反映してるか、とかややこしい話みたいだけど。
>アイヌ語
プロトアイヌ語が、何らかの形であったというのは理解しました。
考古的に同じ文化圏に属していても、言語系統が違う、なんてこともあったのかな。
その辺り、考古との兼ね合いをどうするかがポイントになりそうだ。
日本語クレオール説は、何かと話題になるよね。
日本語の起源論は、なんか眉唾も多いからかえってややこしいけど、クレオール説はわりといけるのか。
「無から有は生まれない」という話、「言語は簡単になってる」という話にしてもそうだけど、言語学的には、世界は一定の法則に従って不可逆的に変化している、という認識でいいのかな?
言語に関して、世界の行く先はある程度決まってる、みたいな。
史学徒だからか、どことなく違和感があって。
進歩史観的にも見えてしまうから。昔の人は不便に甘んじていた、って。
昔の人も今と同じくらい賢いし、そんな不便を我慢し続けるのかな、とどうしても思ってしまう。
ただ、だから言語学の見方が間違ってるとは思わないし、こちらの認識を修正すべきなのかなとも思う。
複雑な言語も情報量詰め込めるメリットはあるけど広く普及するのは無理
ってことかな
このスレなら邪馬台国がどこにあったか?とか正確な答えが出そう
三輪
戦国時代にポルトガルの宣教師が作った辞書でも
「羽柴筑前」=「ファシバチクジェン」だったりするそうなので
「会話より筆談?」なのはもこたんに限らないかもしれない
「アガナハプティパラノモコウ、ナパタソ?」なんて台詞が
出てくる小説は読んだことあるけども
妹紅や幽々子あたりは微妙な期間も期間もあるとはいえ、
外界と全く接触して無い訳じゃ無いから、
周囲に合わせて徐々に言葉の使い方を変化させていった、
で特に問題は無いんだろうけど、
途中完全に断裂がある神霊廟登場の面々や、
隔離されてた白蓮などは、本気で会話が通じなかった可能性が高いだろうなぁ。
>>700
あー……本当に今さらなんだが、別に私はプロでもなんでもなく、それどころか専門分野は全く別にある
という人間なので、あまり畏まらないでいただけると助かる。ホント申し訳ありません。
プロトアイヌ祖語はあったろうけど、一個の確固たる言語といえるものではなかった、という可能性もある。
特にオーストラリア諸語で顕著なんだが、ここには語族としてまとめられず、かといって明確な境界も引けない
という語群がいくつもある。ある時期まではプロトアイヌ祖語も似たようなものだったかもしれない。
証拠はないので空想の域を出られないけどね。
クレオールは便利アイテム扱いされることも多く、そのぶんトの付く説もけっして少なくはないのだけど、
少なくとも村山説に関しては「議論の余地もないトンデモ」という扱いは受けていないはず。
別に「昔の人は不便に甘んじていた」ということはないよ。
それどころか、もしかしたら現代人の方が「昔の人」には不便に甘んじているように見えるかもしれない。
上代人は火(ヒ乙)/pɪ/と氷(ヒ甲)/pi/を母音のみで区別できたので、「氷」は一拍で済んでいたが、
現代人は「コオリ」などという三拍もある言い方をしている。
近世の畿内人は「出来る」の打ち消し形を「出来ぬ」と言っていたが、近世末あたりに「出来ん」に変化し、
これでは微妙に聞き取り辛いので多音節化して「出来はせん」になった。
現代では「出来へん」や「出来やん」などに変化しているが、近世より長くなっていることに変わりはない。
上代人や近世人からすれば「なんでそんな面倒臭い言い方してるんだ」と思うかもしれない。
が、現代人からすればそんな意識は微塵もないわけだ。
>>696
そりゃ現代人からすれば意味不明だろうけど、上代人からみた現代語も意味不明だろう。お互い様だ。
母音に関するものだけでも5母音説(松本克己)、6母音説(服部四郎)、7+1母音説(森博達)など色々あるけど、
現代語とは大きく異なっていた、という点ではコンセンサスがとれているはず。
ハ行転呼などはもはや議論の余地もない定説となっている。
しかしその「ぱぱうえつぁま 〜」ってやつ、たしか数年前にNHKだか何だかの歴史番組で言ってたものだけど、
発音をちょっと上代っぽくしただけで、言い回しは現代語そのものだな。上代にそう喋っていたわけではない。
再構音も今の主流からはちょっと外れたもののようだし。
言い回しは置いといて、発音だけを森博達説(1991)をもとに発音記号で置き換えると下のようになる。
[pɑpɑupəitsɑmɑ diepdiep ̃gɑ tə̃bite wimɑsujə]
「蝶々」は diep diep だ。間違っても dieppu dieppu ではない。余計な母音を付けてはいけない。
ついでと言ってはなんだが、「アガナハプティパラノモコウ、ナパタソ?」も置き換えてみよう。
こちらは上代語としても自然な言い回しだ。
[ɑ̃gɑnɑpɑ pũdipɑrɑnə mokõu nɑpɑ tɑ̃dzə]
話がそれるが日露戦争で狸妖怪が出征したって聞いたが、あれって佐渡の狸?
さぁ、俺あの戦争に参加してないんで
河童の肉って不老不死になるって聞いたが・・・本当?
人魚じゃなくてか・・・?
ぬっぺふほふがアップを始めました
粘菌は食いたくねぇなぁ
今更だけど>>611 の「幽霊・妖怪画大全集」行って来た
今週末で終わりだから近隣の人はお急ぎを
物販で般若心経売ってたのが少し驚いた
青森は恐山で般若心経手拭い売ってたわい
ふと思ったが、考えて見りゃ神様にとっちゃ幻想郷も難儀な所だよなぁ。
信仰って対象の実態が不明で曖昧だからこそ生まれて維持できてる面があるわけで、
具体的に顕現しちゃってるから、むしろ信仰って集め難いんじゃなかろうか。
何か願って適わなくても、見えなきゃ願いが届いてない、信仰が足りないで済んだものが、
なまじ限界も見えてしまうわけで信仰の維持にも苦労しそうだし。
もちろん実際に強力な神力を見せ付けられれば集まるかもしれんが、
それってケンカ強い族のヘッドや
単なるアイドルのファンと同じじゃないのって事だし、
まぁ信仰、信者とはなんぞやという話になるのかもしれんが。
実際、縁起によりゃ神は幻想郷でも巫女を通してしか現われんのが普通みたいやなあ
守矢は力で押し切る方針で秋姉妹はマイペースだからどーにかなってるようなもんか
つまりこういう事か…
確かに厳しいな。
彡⌒ ミ
(´・ω・`) 願いを言え〜
( ∽)
)ノ
(_ 彡⌒ ミ
[il=li] <('A` 。) 毛を増・・・えっ!?
)=(_ ( )>
(-==-) <^ヾ_
`ー‐''
「全知全能の至高神・唯一神」とかなら曖昧な方が良さそうだけど
「これこれを司る神様」と限定されてるなら個別の実体があった方が
…というか信仰する側の抱くイメージが神様の姿に反映されたりとか
するんではなかろうか
後者だとまんま妖怪と被ってしまうなそれ
妖怪との差別化のために普通は巫女を通して距離を置くのかもしれねえ
妖怪は妖怪で昨今はこちら側でもマスコット化が進んでいるようだが
神様もゲームに登場させられてはボコられるというのもいいのか悪いのか
神奈子あたりだと「出してくれるのは有難いけどもっと強くして欲しいねえ」とかスマホいじりながら言ってそう
>>720
秋姉妹や雛ちゃんみたいな野良神様は妖怪と変わらないって口授で言ってたしね
どの範囲、どの部分を指して「妖怪と変わらない」なのかだよなぁ。
逆に考えれば区分けされてる以上、
何らかの違いはあるわけで、それは何なんだろうか。
妖怪とか神とかはどちらも所謂カミで、
そのうち畏れより恐れの比率が高かったり、「おそれ」の総量が少ないのが妖怪
…だと個人的には思ってるんだけどどうなんだろう
妖怪は何らかの対処法がある
神は祀ることでしか鎮められない
……みたいなイメージ
妖怪も神も人々の思いから具現化あるいは偶像化されたものなんじゃないかなあって考えてる
人間を人種で分けるように妖怪も神もそういった区切りなだけであって大元は同じなんじゃないかな
某ゲームなんかだと悪魔も天使も神もみんな「悪魔」で一括りにされてるし、そんな感じの分類
>>725
諏訪子のような祟り神についてはどのように?
>>728
一般的には神は良い存在、妖怪は悪い存在と思われているけど、そうではないのではと思う
神と妖怪の区別、それは人々の間でその存在がどれだけおそれられているか(=信仰の量はどうか)だと思うな、
善悪はそこまで関係ない
太陽は光と恵みをもたらすすごいものだけど、日照りとかを起こすのも太陽なようにね
すごい!とされているものは神、(神と比べて)そんなにすごくないのでは?と思われているのは妖怪
ケガレを司る存在だって、強大なものは神として祀られているし、一部の天狗など、妖怪でも強大なものは信仰されてたりするし、酒呑童子だって神社持ちだし、
個人的には八岐大蛇とかもただの怪物じゃなく神だと思うし
害をもたらすものでも、その害が極端に強くて退治が出来ないから、機嫌を損ねないように祀る、
そうして害が起きないように=良いものをもたらしてくれるように、お願いする
逆に妖怪って害になるものだけではなく不思議現象とかも含まれてたり、そうでなくとも退治できたり、しっかり祀るほどでもねーな、という奴が妖怪かな
妖怪に害を成すものが多いのは、妖怪だから悪いことをするのではなくて、
そういう畏れより恐れの比率が高い存在は害を成すゆえに必然的に信仰の集まりが悪くて、神になれないんじゃないかな
つまり諏訪子とかミシャグジ様のような祟り神はどちらかというと神の側かね
何故なら、その祟りの強大さ故に、おそれられ祀られたから
…まあでも、神と妖怪には区別はあるけど明確な境界はないだろうし、神か妖怪か?と聞かれてしっかり答えを出すというのがそもそも難しい気もする
酒呑童子の神社がどうたらとか言ったけど、彼が妖怪であることは事実な訳だし、妖怪だけど社がある、なんて普通だし、妖怪=悪というイメージはやっぱり強いし
そもそも原始の神道ではどっちも「カミ」であったろうしなあ…
秋姉妹や雛については、秋の実りをもたらしたり厄を受けてくれたりしている、つまり害になることは全くしてないし寧ろ人間の益になってる、だから信仰もされてる、だから神
でも如何せんその信仰の量が問題、豊穣の神は他にもっとメジャーなのがいるからその分信仰が少なくなるし、
雛はいいことしてるけど「厄を扱う」というマイナスイメージ故に信仰が集まりにくい(厄払いの神にもっとメジャーなのがいるのも一因かな)
だから種族表記は、原始神道のカミにニュアンスの近い八百万の神と、わざわざマイナスイメージのある厄神になってて、「ほとんど妖怪」扱いなんじゃないかな
なんか長々と書いてすまない、私は別に専門家とかではないから、言ってることに間違いがあるかもしれんけど、まあ許して
そいや文は風神少女だっけ。実際、里に風神視する人がおるかどうかは知らんけど
紫やてゐあたりは神らしく無さを振りまいて神化を防いでいるようにも見える
確かにてゐ辺りは一歩間違えば神にされかねないもんなぁ
八意先生に至ってはややこしい立ち位置だし
マミゾウさんもある意味神様に近い妖怪かな?
永琳もどうなるやら。凄い医者が神化した例も結構あるし
神化しないとなると科学が前面に出そうな気もするし
ある程度神っぽいような雰囲気にしたほうが摩擦減らせるかな郷の場合
>>279
諏訪子やミシャグジはちゃんとした神徳があっての神様なわけで
(諏訪の信仰で行けばアニミズムって感じだけど)
祟りが怖いからってだけで祀られたわけではなかろうに
大体の神様怒らせたらそれなりに罰を食らうもんだ
秋姉妹への信仰は一つの集落または集団の産土や氏神くらいなイメージ
すんません上の安価は>>729 の間違い
はるか昔に過ぎ去った話題を引っ張って申し訳ない。
偶然にもA.ヴォヴィンの古アイヌ語12母音説を知る機会があったので。
『日本祖語とアイヌ祖語』(鳴海日出志 2000)なる本でヴォヴィン説が引用されていた。
これによると12母音の音価は a A E e ë i I O o ö u ü とのこと。
これについてググってみたら下のサイトが見つかった。母音については中段やや下。
ttp://linguistics.byu.edu/classes/ling450ch/reports/ainu.htm
これをIPA(国際音声記号)に書きなおすと恐らく下のようになると思う。
(なお i/y のようにスラッシュ付きで書かれている場合は右が円唇母音、左が平唇母音)
前舌 中舌 後舌
高舌 i/y ɪ u
e ø o
ɛ œ ɔ
低舌 a ɑ
さらにググってみたら↓を発見。東歌などのアイヌ語風語彙の分析を試みている。
さすがに九州のアイヌ語風語彙は俘囚が持ち込んだか何かだと思うが……。
ttp://www.academia.edu/1804237/vovin_Ainu_in_MYS
肥前国風土記逸文の杵島曲の歌を上代音韻の資料として扱えるのかどうかは疑問だけれど
魏志倭人伝には斯馬国という国名があるので九州では3世紀頃から「シマ」と発音していたと考えられる
そうなると「ヒヂハ」がアイヌ語の語彙から同種の音韻変化を起こしたとする推定は苦しいんじゃないかな
また肥前国風土記で土歯池の説明にある「岸」というのは崖と言える程の巨大なもので
アイヌ語に由来を求めず「土の歯」とか「土の端」などと解しても良いような気はする
ちなみに、土歯池のある地域は現在では「千々石」と呼ばれているので
ヴォヴィン説に従うならこの地名もアイヌ語が語源となるわけだ
それはそれで面白いけれどね
中古漢語で「斯」は/sie/だったと推定されているが、この/-i-/はあくまで介音であり、
主母音は/e/だったらしいことを考えると、「斯馬」が/sema/だった可能性もゼロではなくなる。
またW.H.バクスターは上古音を/*sje/、鄭張尚芳は/*se/としている。
3世紀の漢語音が上古・中古のどちらに近かったのかについては未だ議論が続いているが、
どちらに近かったとしても「斯馬」が/sema/だった可能性を考える材料にはなると思う。
とはいえ、さすがに俘囚移配があったろう時期ともなると *e>i の変化は完了してるわな……。
安易に俘囚を持ち出すのは軽率だった。申し訳ない。
おっしゃるとおり「比遲波」は日本語で「土の歯」と解釈した方が自然だろうね。
ttp://www.academia.edu/1804237/vovin_Ainu_in_MYS
しかし↑これを改めて読んでみたが、ひっかかる点がけっこう多いな……。
むりやり東方ネタと関連づけられそうな箇所もあったが。
それからちょい訂正。
A.ヴォヴィンは *ë>e の変化を想定しているらしいので、ë を/œ/とするのは無理があった。
/œ/を/ɜ/ないし/ə/に訂正する。
これなら日本語「おとな」(上代語オト乙ナ)の借用語とされるアイヌ語が ottena であることを
説明しやすくなるような気がする。
常々、不思議に思ってたんだけど
博多花丸大吉の二人は、日本古来の外港を気取る土地をホームにしながら
何故あれほど顔が濃いか? 弥生臭、さっぱりねえぞ
隼人ってアレか?
現代日本語の貧困を取り沙汰する言説は数あるけれど
地方にしか生き残っていない、矯正されざる列島言語の音声を積極的評価しつつ
それを語る知識者を未だ知らね
ねねねどおべでらづどもしゅっこだばたんだしかりすて
おらだばへっへとたけめすてかしぇでらどもわらしゃぇんだなげばなっともなねすて
ばげすてままくてあやつぎっこきれだなてねふかげこげばまだあさまや
貧困だ。人間の日常を表現するにも、俺らの言語表記方法には俺らの日常言語を表現するための妥当な記号もルールもねえ
とはいえ、無理くりローマ字もどきで表記するのは猶更癪だ
おい、どっかにいるエロい人よ
この列島の言語遺産が死に絶える前に、何かしら有効な保存手段考案しろ
でもって、近代以後の「国語」化政策に加担して、みすみす「日本列島語」元来の豊かな音声表現を滅ぼす所業に加担してきた
その罪深さを悔悟しろ
何言ってんのこの人?
また酔っ払ってるんだろう
<激写されました>
よく分からんが、山一つ越えたら会話が成立しないような社会に戻ってほしいの?
触れちゃいけない
ホントにこの人気がくるってる
<激写されました>
激写されてるが、いつもの現代怨霊殿かな?
あの気力を他に活かせば良いものを
739が残ってるおかげで
信頼と実績の怨霊氏だと一目でわかるね
適切なコミュニケーション方法のとり方が学習できないんだろうね
規制がとけるなり、別の接続環境になるなりしたらまた繰り返すわけだ
自前でブログにでもやればいいのに
それだと誰にも相手にされない自覚もあるってことなのかな
アスペっぽいしな
本人にとって誰にも相手にされまいが自分の意見をたれ流せれば関係ないんだろうね
東方板にも似たような奴がいるし、なお他の板を荒らしたせいで規制された模様
いや、議論という形ではなく揉め事という形であっても絡みたい(=相手にされたい)んだろう
だから何度規制されても態度改めずに来る
怨霊というのは厄介な代物でそれを背負うと充実感で身を滅ぼしてしまうね
下賎の言葉は届かないし別に絡んで欲しいというより崇め称えてほしいのでしょう
凄い!素晴らしい!何て勇ましい人だ 孤軍奮闘で頑張ってる!
まさに現代に蘇りし正義の使者! 誰もが口をつぐんでいる地の
声を読み取り背負う民の真の代弁者!
ただしこの「怨霊を褒め称える」という行為はかなり裏があるシステムで
怨霊をまつり上げるのは それが何の力も持てないことを確認するための勝者の策謀の一つだったりする
怨霊の世話をするのは敗者の義務労働で金もかかったから 勝者に反し取って変わることが困難になる 現実で頑張る機会を取り上げられるわけだね
勝者と敗者の固定化を促そうとする 怨霊というシステムはよくできてる
敗者にある程度満足を与えて実際の行動は完全に封じるというのはなかなかえげつないぜ
まんまとこの術中にはまると怨霊にかまけて現実に抜け出せなくなる
まぁ天神様とか本人は大して恨んではなかったのに菅原の子孫が無理矢理「怨霊にした」可能性のケースもあるけど
そうでもしないと菅原の名が廃れるところだったから 「名前を残せれば何でも良い」ってパターンで
将門あたりも便利に名前を使われただけなフシがあるし 崇徳だけは何かガチな印象があるけど
往々にして怨霊のために誰かのために何かやると騙る集団は自らの利益になることしかやらないもので 大事なのは怨霊ではなく現実なんだから
現世利益を得たいなら怨霊を封じてる神社よりも寺の方が良いかも
どこかで修行をして殻を破らないと皆いつまでも自縄自縛したまま死ぬのかも
極論であっても前提となる事実が正しければ議論にもなろうが
彼はそこからして間違ってるからどうしようもないことであるなあ
俺実はちょっとアイヌの血が入ってるんだけど
別に自分がアイヌだとも思わないし文化や土地を返せとも思わないな
いいか悪いかはともかくもう完全に日本人だから
彼が何を切っ掛けにしてあそこまで帰属意識や被害者意識をこじらせたのかには多少興味がある
ちょっと質問、鈴奈庵にでてたヤマタノオロチって土着神でいいんかね
それともただの妖怪?
「関西弁」てなんであんな影響力のある言葉なのかね?
川だか山の神じゃなかったっけ?
>>753
あれは明石家さんまに起因するところが大きい
元々関西弁は方言の1つとして認識されていたが、
(ガラの悪い方言と捉える人もいたし、情緒を感じる方言と見る人もいた)
『ひょうきん族』などゴールデンタイムで関西弁を全面に出して出演
ほぼ同時期に起きたお笑いブームも手伝って市民権を得た
いわゆる『関西人』像が作られたのもこれが契機だな
マスメディアの影響力って大きいもんよ
>>755
のレス見て、ガキの頃は明石家が読めなかったなーなんて懐古してしまった
ヤマタノオロチは神から妖怪へと成り下がった存在と聞いた事がある
そも神と妖怪の違いとはなんぞや
信仰があるか否かかなあ
他にもあるかもしれないけど一番の違いはここじゃないかな
もっと単純に損得の度合いだろう。
悪い影響があっても益が上回れば神(それでも荒神か祟り神)扱いで、
益もなければ妖怪扱い。
いわゆる発酵と腐敗みたいな扱い。
人間にとって都合がよければ神、悪ければ妖怪って分けているって聞いたことがある
ヤマタノオロチの祟りってなんだろうか
水か山の災害? でも実害は女関連だよなクシナダヒメうんぬんとか
蛇は水が主じゃないかなとは思うけども
昔読んだ民俗学の本では雷に結びつけてたりもした
つい先日の広島豪雨でも、崩壊した沢の地名が
「八木蛇落地悪谷(やぎ じゃらく じあしだに)」だったね
長野県南木曾辺りも土石流なんかを「蛇抜(じゃぬけ)」と言うしな。
なお、山脈一つ越えた所にゃ水害を身を挺して防いだ「蛇石」の伝承が残っている。
ほんと、神と妖怪は紙一重だよ。
古い地名は色んな由来がありそうで面白いよね
安易な合成地名・僭称地名・ひらがな地名を違和感を抱く
諸兄は少なからずいるとみた
違和感はあるが、資料を残しておいてくれたらそれでいい
そこに「あった」という事実が確認できれば、未来人も歴史を参照できる
地名学は面白いぞ
これまでは俗流語源がはびこっていてまともな学術的な考察があまりなかったから
まだ見ぬ宝が埋まっているかもしれないフロンティアだぞ
「民俗学的に曰くのありそうな地名」と思ったら
「十年ほど前に地域の再開発で旧字名を合成」とか
土地の公図なんてのも色々見てると結構面白かったり
うちの地元は桃太郎伝説なら地名取ってるな
山岳地形図なんかの人名が付いた沢も謂われがあるようで資料がないな。
そこを見つけた人なのかはたまた身罷った人なのか……。
地名を苗字として名乗る例は数多くあるが
自らの名前を地名に付ける例はあまり聞かない
野口五郎岳は人名ではないようだ
奥会津檜枝岐に“学生平”と言う地名があるけど、昔そこで遭難したそうな
だ、誰が?
>>773
アメリカには首都ワシントンを筆頭に沢山あるけど
日本だとほとんどないよね
・神宮前・秋葉原(寺社から頂く場合)
・豊田市・天理市(組織から頂く場合)
人名縛りをやめたとしても、地名への逆輸入はこれくらいしか思い浮かばなかった
「おせんころがし」とか「東尋坊」とか
曰くが少々アレな場所は思い浮かぶんだが…
有楽町や八重洲のように屋敷を構えていた人物の名が地名に転化する例はあるけど
為政者の名前をそのまま地名に付ける例は思い浮かばないな
欧米人ならいざ知らず、日本人の感覚としては地名に時の為政者の名を冠するのは
受け入れ難いような気がする
いやそもそも日本は逆で、時の為政者が地方に下って
その地名を苗字として名乗った文化だし、
後に庶民に苗字認められた際も多くは地名から取ってるし、
そりゃわざわざ地名を変えようとしたら酔狂と思われるかもなぁ。
まぁ地名を新しく為政者の姓に変えるより
為政者がその土地の名前を名乗った方が労力は少ないだろうな
駅名だと宮本武蔵駅とかあるな
宮本武蔵は駅のある美作じゃなくて播磨産まれらしいけど……
あるいみ二次創作が一次創作(歴史)より有名になっちゃった例かなw
まぁ当時宮本武蔵を名乗る人が複数いたってだけかもしれたいけど
人名じゃないけど
信長「ここ岐阜にすんぞー」みたいなのはレアケースなのか
船にしても日本は軍艦に旧国名や天候の名前つけるけど
ヨーロッパやアメリカは堂々と王・女王・大統領の名前つけてくるな
黒田勘兵衛が博多を「福岡」にしたり(元は岡山の地名を持ってきた)
相模の海老名氏が地名の漢字を相生に変えたり所々にあるね
>>783
同じく二次創作により一般人へ知れ渡った坂本龍馬は
日本で唯一の人名空港(高知龍馬空港)に名を刻んでいるな
諸外国に数多くの人名空港が存在するのとは対照的な日本のネーミング事情
ビスマルクとかプリンス・オブ・ウェールズとかを思うに
軍艦に人名とか称号は…
そんな無数の中の一部で全体を決められても・・・
>>784
日本は旧来地名は基本的に重視されてたんだろう
変えるには変えるだけの逸話が残るくらい
>>788
艦名にしろ地名にしろ
日本と西洋との違いの話では?
西洋だと神名から由来してるってのは神名の方があとのものも多いだろうけど
アレキサンドリアとか人名つける文化は古くからあるっぽいね
>788
日本の地名気象由来の艦もほとんど沈んでるわけだが。
日本で人名のついた艦船をつくらなかったのって天皇が待ったをかけたって聞いたことがある。
>>792 確か明治天皇。その艦が沈んだ際に失礼に当たる、とのお言葉があったと聞いたことがある。
アメリカだと戦死者の名前付けた艦が死闘のはてに沈み、その名が
引き継がれていったケースもあるな、サミュエル・B・ロバーツとか
護衛艦石橋湛山とかすぐ沈みそうだな
潜水艦小林多喜二だと、ソナーで違うもの探してそう
機雷敷設艦梶井基次郎
欧米は艦名に人名をつけて
日本は人名に艦名をつけた、というわけか
この水面の下には敵が潜んでいる
これは信じていいことだ
>>796 +797で
失敗艦「太宰」
>>799
ワロタ
>>800
しょっちゅう沈没事故起こしそうな…
戦艦織田信長:よく燃えそう
戦艦明智光秀:裏切りそう
戦艦徳川家康:鈍重そう
秀吉は駆逐艦(日吉)・軽巡(木下秀吉)・重巡(羽柴秀吉)・戦艦(豊臣秀吉)までありそう
どっちかていうと公家の名がつきそうな気がするが
戦艦「武智麻呂」
戦艦「房前」
戦艦「宇合」
戦艦「麻呂」
幸薄そう
この決戦にあたり、貴下の艦隊に以下の艦が新たに加わりました。
戦艦 松永久秀
戦艦 荒木村重
航空母艦 平将門
巡洋艦 陶晴賢
巡洋艦 藤原純友
駆逐艦 小早川秀秋
駆逐艦 由井正雪
以上7隻です。
御武運を。
>>793
似たような話を聞いたことあるな
明治時代、新しい硬貨を作るときにその明治天皇自身の尊顔を
諸外国に見習って彫刻しようって案が出たけど、やっぱ畏れ多い
ってことでまったがかかったらしい
それ以降、日本では未だに硬貨において人物は彫られていない
硬貨より紙幣の方がグチャグチャになる上に、折り紙のようにして遊ばれてるがどうなんだろうw
お札になると「ろっぽんぞー」とか奇声を発するしな
日本の神様ってなんで名前が複数あるんだろう、どういう基準でつけられるのかもわからんし
最初に名前や設定を考えた人がいたはずだよね、物語もない時代に凄い想像力だ
その言い方だとまるでラノベ作家みたいだな
でも鳥之石楠船=天鳥船とかならまだなんとか
古事記では神は元々各氏族達の先祖って設定だったんだから、そこらへんの辻褄合わせる為に漢字付け足したりしたんじゃない?
しかし大和時代のなんとかヒコから平安時代のなんとかマロ、さらに江戸のなんとかエモン…時代ごとに名前が変遷してるのは日本くらいじゃないかな?
>>805
戦艦「桜麻呂」
戦艦「真夏」
戦艦「秋継」
戦艦「冬嗣」
これならいける
天稚彦は本当は天稚彦という名前ではなかったけど
高天原を裏切ったので本来の名前を抹消された
とか妄想している
飛んできた自分の矢が刺さって死んだアメノワカヒコの葬式にアメノワカヒコそっくりの男が現れて
死者が生き返ったかとアメノワカヒコ呼ばわりしたら怒って棺を蹴っ飛ばしてしまった
この棺が美濃にある喪山だと言う アメノワカヒコの上の兄も裏切ってるのにおとがめなしで
こっちは踏んだり蹴ったりというこの差
天稚彦を生かしておけなくなった理由が何かあったんだろうな
雉の女を殺したのがまずかったか むしろ天探女がまずかったか
まぁ瓜の切り方を間違えてしまったとか そんなしょうもない理由でひどい目に有ったりする物語だけども
瓜を壊す・・・破瓜・・・シタテルヒメ・・・閃いた!
迦毛大御神万歳
858 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2013/12/26(木) 01:00:55 ID:4pTu11ysO
友達袋の中から弓の名手が…
863 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2013/12/26(木) 16:53:01 ID:F5SSJIpg0 [1/3]
>>858
サンタ「ぬえちゃんに友達をあげたいかーーーーッ」
みんな「オーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
サンタ「ワシもじゃ ワシもじゃみんな!!」
864 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2013/12/26(木) 16:54:09 ID:F5SSJIpg0 [2/3]
ライオン殺しは生きていた!! 更なる研鑚を積み神になって甦った!!!
英雄!! ヘラクレスだァ――――!!!
大日本射道教はすでに私が完成している!!
教主 阿波研造だァ――――!!!
太陽が多いから射まくってやる!!
中国神話代表 后?だァッ!!!
弓を引くなら我の左腕の長さがものを言う!!
河内の源氏 鎮西八郎 源為朝!!!
下照姫と暮らしていたい!! 高天原の使者のなれのはて 天若日子だァ!!!
このワカヒコか
コレってトリは
頼光の末裔が帰ってきたッ
どこへ行っていたンだッ 摂津源氏ッッ
朕はそなたを待っていたッッッ源頼政の登場だ――――――――ッ
だったりするんだろうか
>>821 惜しいな
老いた摂津源氏が帰ってきたッ
どこへ行っていたンだッ 源三位ッッ
ぬえちゃんは君を待っていたッッッ源頼政の登場だ――――――――ッ
これだな
【ああ!】封獣ぬえスレ UFO36個目【海老に!海老に!】
ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/computer/41116/1381917934/864-865
武内宿禰も欲しいな
>>817
>まぁ瓜の切り方を間違えてしまったとか そんなしょうもない理由でひどい目に有ったりする物語だけども
なにそれ怖い
日本神話ってギリシャ神話と同じくらいパンクな気性の神様揃ってそうだね
日本神話そのものがギリシャ神話の影響をかなり受けてるからねー
弟がヤンチャしてお姉ちゃんが引籠ったり
日本神話とギリシア神話が非常に似ているのは理解できるが
どちらかがどちらかに、あるいは相互に影響を与えていると言われると微妙な予感
たまたま似てるだけで影響とかはお互いほとんど無いんじゃないかな?
そういえばイザナギとイザナミの話も海外に似たのあったよね
ハーデスだっけ? いわゆる「ミルナの禁忌」を犯しちゃった話とかさ
国や人種は違えどある程度は似通った発想ってのは免れないと思う
そういや中学のころインドの神話の本をなにげなく手にとって読んでみたら、
文中の神々のやりとりで「カレーライス」がどうこうってあってビビった記憶がある。
さすがインド、カレーライスは神代の頃から神様も普通に食ってるみたいね(´Д` )
>>826
距離的に考えてそれは難しいよ
伝わったという根拠がないし、たまたま似たような話が別の場所で生まれたというのが自然
クトゥルフかな?
仏教でも日本に来るまでに概ね1000年掛かってるからな。
シルクロード等を使った影響が皆無だったとは言い切れないけど、
神話の体系まで影響を与えるほどに文化が伝播しているかと言われると、
ちょっと難しいんじゃないかな。
世界中に大洪水伝説があったりするしね・・・
何らかの形で世界が統合されていた?っていう説も
バベルの塔が実話だとは考えにくいなぁ
元になった事件なんかはあるだろうが
洪水も、川の近くに文明があればどこでも起こりうることだしな
大陸の人たちは街や国ごと滅ぶような災害を洪水以外に思いつかなかったんじゃない?
火山噴火や地震とかは地域が限られるし…
>>825
一瞬「爪の切り方」に見えた
夜に爪を切ってしまったせいで親の死に目に会えませんでした、みたいな
>>828
そりゃ訳者がおちゃめだったんだろう>カレーライス
>>832
モデルとなったバビロニアのジグラットは実在するみたいだがね
言語の崩壊まで実際のものではあるまいが
>>833
水は、宗教学上では潜在的な生命力(生命そのものではないが生命を助けるもの)の象徴とされるらしい
洪水神話は文明を滅ぼすための神話ではなく、新しく豊かな土壌と文明を齎すための神話と捉えるべきであり
洪水が選択された事には単なる破壊力以上の意味がある
まあ、その地域に存在しない災害を神話に書くことができないのは確かだが
ドラゴンとかああゆうモンスターを始めに考えた人は偉大だな。ワニやオオトカゲがモデルとされてるけど…実は“恐竜の記憶があった”という説は話としては好き
国家神道ってよく叩かれるけどユリアヌスはローマ神話で同じことしようとしてたな
信仰体系の統合は外来宗教に対抗するためにはよくあることなんだろう
神道がローマ神話ほど危機的状況にあったとは思えないが
>>838
化石を見つけて色々妄想してたりしたんだろうか
実物が生き残ってたりしたとしても楽しいけども
中国だと化石を龍の骨と呼んでたんだっけか
砕いて薬にしてたけど
大洪水伝説は旧約聖書のノアの方舟を筆頭に
ギリシャ、バビロニア、日本、アイルランド、中国、アステカ、マヤ、アフリカ、インド……
とほんとに世界中にあるのよね もちろん経緯の仔細や登場人物の名前は違うけど
日本にある、と断言するのはどうだろうか
あれって要は神の名を比喩だとすれば洪水神話とも捉えられる、みたいな話だろ?
正直こじつけにしか聞こえないんだよな
洪水や今回の噴火もそうだけど、我が国ってなんかおよそ思いつく限りの自然災害が起きるって印象があるんだけど
逆に日本では全く起きない自然災害ってあるだろうか
自然災害の範囲に含まれるかは微妙だけど
日本での砂漠化は今のところ全く起きていないな
鳥取砂丘も放っておいたら緑化してしまうらしいしねえ
うむ。あそこは常に深刻な緑地化との戦いだからな。
>>844
旱魃はあんまりない 自然発火による山火事も少ししかない
飢饉を起こすほど甚大な虫害もほとんどない(寛永、享保くらい?)
海岸砂による浸食や拓いた畑の砂埃がーってのはあるが、
人命を危ぶむような砂嵐は無いんじゃねーかな。
>>844
>>848 などでほとんど出てるが
やっぱ島国ってことで大陸の内陸っぽい災害とかは起きにくそう
自然災害かどうか微妙だが地下に眠ってる石炭や石油に火がついて
数十年燃えっぱなしみたいなのも日本ではないと思う
大型トレーラーが宙を舞う規模の竜巻とかもないんじゃないかな
局地的に結構シャレにならない被害が出たりするけど
アメリカほどのはない…かな?>竜巻
平家物語とか方丈記に「辻風発生で大被害」みたいな
話はあったけども
まあ竜巻の心配するくらいなら水害や地震の方が先だわな
実感は有るような無いようなだけど、
日本って自分達が思う以上に
他国からは非常に自然災害の多い過酷な国と思われてるらしいもんな。
森が燃える←分かる
川が溢れる←分かる
雨が降らない←分かる
大地が震える←ファッ!?
みたいな。
地震は起きない土地では全く起きないみたいだしね
日本だけで全世界の火山の7%が集中してるというのだから
そりゃ地震も多いよな
地震は逃げ場がないからな、たとえ何もない屋外でも地面が信頼できないとかやっぱり怖いわ
地震台風津波に豪雨、
そして今回の事であらためて噴火がいかに洒落にならないかあらためて実感したが、
それでも火山の割と近くで生活しなきゃならないのが運命の国だし。
鹿児島は今年は降灰が多くて困るなぁって感じで平然と生活してるし、
阿蘇なんか火口の中に住んでるという他から見たら正気を疑われる土地だし、
なるほど日本は自然災害と共に暮らす国なんだな。
突然なんですが蛇は八代祟るという言葉を誰が知っていますか?
どこかで聞いた記憶があるのですが検索しても出てこなくって
猫が七代祟るというのと蛇は執念深いという俗信が合わさって自分が勝手に想造しているんじゃないかと思ってしまったのですがどうなんでしょう
>>859
何か地域によって蛇も7代だったり13代だったりするみたいなんで8代祟ると言われてる地域もあるのかもしれませんね
蛇は〜代祟るという言葉自体はあるみたいなんで実際そう聞いたんじゃないでしょうか
なんで“祟る”動物が限定されてるのかね?
ネズミや犬、カラスを殺してもそうは言われない。
人により猫や蛇は嫌われるけど有益だから?
仏教なんだから、殺生自体がダメなんじゃないの?
「祟る」って話なら、ネズミの妖怪(鉄鼠)も犬の妖怪(犬神)もカラスの妖怪(烏天狗)もいるでしょ
人にとって有益なのと脱皮からの連想で不死性、神性があるっていう認識から
蛇が特に「力」のある動物だっていう考えが元で言われる様になったんじゃないかと愚考
それだけの長い間、怨み続けるだけの知性があると考えられているかどうか
そして、人間を襲う事があるかどうか
全く襲わない動物なら、「先日三郎が蛇に噛まれたのはかつて祖父の一郎が蛇を殺したからだ」みたいな事はそもそも起こらない
昨日出雲でおめでたい婚礼があったけど、古事記にちなんだ儀式もあったんだってね
>>860
地域によってまちまちだったり実際蛇は〜代祟るという言葉があるんですね
たしかに実際に聞いたのかもしれません。どうもありがとうございました
あとまぁ古くから人間の生活の場に近いか、何かの形で関わってないと
そういう対象にならんわな。
蛇は直感的に近縁種が思い浮かばないから特別に見えるというのも
あんな手なし足なしでニョロニョロ這いまわり毒持ってる生物がトカゲやカメに近いなんて
インドとかで蛇に芸仕込んでた人らはマジで何考えてたんだろうな
日本人「あぁ、全くだな(フグ刺しを食べながら)」
>>868
爬虫類じゃないけどニョロニョロ長いのならウナギとか大ミミズとかサナダムシとかいろいろいるんじゃない?
やっぱ脱皮するのがでかいんだろうな 不死のイメージが付いたのは
手負いの蛇は必ず息の根を止めないととんでもない仕返しを喰らうってね
三種の神器にも蛇の具象の影響があるって聞くし
八俣の大蛇の尾から出た剣を草薙の剣と呼ぶが、
じつは草薙の薙とはなーぎ…なーが…ナーガであって、
(インドではキングコブラやニシキヘビをナーガと呼ぶ)
もともと大蛇のことであった。
>>828
スパイスと塩と油とライスがあればできるのだから、あっても不思議ではない。
まぁ日本人が想像するようなカレーライスじゃなくて
当時のインドのカレーだろうけどね
日本国内で食べられる「カレー」は魔改造済みだからなぁ
美味しいけど、どうしてこうなった
日本の味噌汁なんかは
外国の食文化風にアレンジされて
「言われてみればたしかに味噌汁ではあるだろうけど日本人からすると味噌汁カテゴリには入らなそうな味噌汁」
になってたりするのかなあ
さくらももこが確か「もものかんづめ」でイギリスへ行った時、
出汁なし具なしの味噌をただお湯に溶かしただけの味噌汁を出されてた気がする
ダシ入り味噌ならともかく
味噌だけ溶かすんじゃだめなんだよな
カリフォルニアロールが一番有名かな 向こうの食文化に合わせて調整された日本食
人によっては海苔が周囲巻いてるのが不味そうに見えるらしい
大阪は紅楼夢にいってきたけど今年は「大阪の陣」から400年、東海道新幹線開通50周年だと知った
毛利勝永は再来年の大河が知名度上げる実質ラストチャンスだろうな
上げる必要あるの?
上げればケチつける奴がでて今度は
木村重成ガー言い出す奴がでてくる
世の中なんてそんなもの
達観と悲観と俯瞰の違いって何だろうとふと思った
達観「逃げ場なしか。なら致し方あるまい。部屋でいつも通り過ごすだけさ」
悲観「みんな殺されるのよ!死んじゃうの!もうおしまいだわ!」
俯瞰「5人の死体は見たがA氏は死体がない。死んだと見せかけて隠れているかも知れないな」
こんな感じじゃね
今夜10時からNHKで遠野物語の番組やるぞー
悲観的になった挙句に達観してしまい、俯瞰的に見てる人が居る可能性もあるわけか。
ペルシア→『シャー・ナーメ』
北欧→『エッダ』
日本なら古事記?
「シャーナーメ(王書)」東洋文庫
は田中芳樹「アルスラーン戦記」の元ネタ過ぎて吹いた
大阪梅田(グランフロント大阪北館B1イベントラボ)で開催中の
「妖怪幻獣百物語」
に行ってきたけどこれは面白い!
絵巻や浮世絵は楽しいし“天狗のミイラ”とか必見!w
鬼の骸骨もあるけど“猫鬼”や“鶏鬼”が居るとは知らなかった…
足を延ばして奈良は
「正倉院展」
も見てきたけどすごい人数で参った…関西人(奈良人?)の歴史好きに驚く。
すぐ近くの奈良県立美術館の
「大古事記展」
は東方好きには特におすすめ!混んでないし。
日本最古の古事記写本が名古屋の大須観音(周囲はオタクスポットでも有名)にあると初めて知った。
あと大和郡山市に稗田阿礼ゆかりの神社があるんだとか。
(古事記の方は来月14日まで開催してますよ〜)
おお、今週末大阪行くので助かります
正倉院展は行きたいけど無理かなあ
武器系がいくつか出展されてるんですよね?あの変な形の手鉾とか
でも京都国立博物館にも行きたい
特に新館が・・・
何故最近は古事記推しだったんだろう、と思ったら1300年か
2020年になったら日本書紀ブームも来る……のか?
>>892
京都も帰路、立ちよったけど行列できてて断念w
鳥獣戯画展、東京でもやってくれないかな…
正倉院展で展示されていた武具、矛槍なんか複製品?ってくらい保存状態が良かった。正倉院蔵の武具は実際戦乱の時使用されてほとんど残ってないとか。弓や刀は東大寺や春日大社所蔵品の参考展示でした。
ちなみに奈良県立美術館には七支刀が展示中ですよ〜。
(奈良は霊廟組ファンには必見のスポットがホントに多い)
あと正倉院の宝物の1部が今、上野国立博物館で展示されてるとか(何で正倉院展やってる時期に…)。
行ってみようかな…
そういえば、出雲で思い出したが、その辺りの訛りと東北の訛りって似てるらしいな。
うちの祖母があの辺り(松江)だけど似てるっちゃにてる。
ただあそこまで所謂ズーズー弁ってんじゃなくてインチネーション的に近いって感じたけど。
まぁ昔は海路で結ばれてて日本海側の東北沿岸部の方が行き来が盛んだったからとか、
気候的に冬が厳しくて似たような地域だからとか色々理由があるらしいが。
昔、テレビで見てると竹下首相とか参院のドンとか言われてた青木幹雄とかが
いつまでも出雲弁が抜けて無かったかな?
インチネーションて何だよwイントネーションだ
ついでに
これが一番うちの婆ちゃんに言葉が近くて泣けてくる。
いや婆ちゃん生きてるけど。
ttp://www.youtube.com/watch?v=2s-H77shN5w
図書館にある、大学受験の横の棚にある
民族や伝記の棚にあるのを調べればいんだろ?
鬼の風俗史とかを語ればいんでしょ?
それをここで語ればいいんでしょーがー
図書館の隣に住みたいよぉ
ときに諸兄等は蔵書をいかほどお持ちかな?
自分はブクオフの掘り出し物(ハードカバー)を買いすぎ(+東方同人)て6畳間を半分占拠してしまった…やばいのは解るけど処分できない…
島根の一部と東北の方言が似てるってのは、「砂の器」で知ったなあ
>>894
京都はやっぱり行列でしたか
んーせっかくだから少し滞在を伸ばそうかな・・・
>>900
東方と関係ない本ばっかで困るw
中世イングランド史とかww
でも部屋半分の書籍羨ましいです
>>900
2千冊ほどあったけど震災を機に大処分して百冊程度に圧縮したよ
震度5弱で本棚たおれて大ケガしたら危機管理意識0の
無能と言われてしまうとマジで思ったから
結果、東方本以外は図書館と近代デジタルライブラリーを利用し
無料閲覧ですますようになってしまった
東京など大都市周辺か、
せめて大学の図書館が近くにある人だと、
図書館で済ませる事もできるだろうけど、
そうでも無い地方田舎民だと中々圧縮もできない。
それでも年1程度で整理はするけど。
「読み終わった本をなんで手元に置いとくのか」と訊かれて
一瞬ナニを言われたのか理解できなかった記憶が…
アレクサンドリア図書館ェ…
大学の図書館は徒歩3分だけど、やっぱり国会図書館に近い東京は羨ましい
関東住まいで都心は1時間圏内だが国会図書館は行ったことないな〜
大宅文庫とか行ってみたいな
読みたい本探してるとたまに国会図書館にない本とかあって意外に思う時が
スレ違いで申し訳ないんですが、特撮博物館行って来ました
東方とは直接関係無くても、人によってはインスパイアされる所が多いかと思います
怪獣映画などの特撮作品の中に日本古来の習俗や妖怪の存在を持ち込むようになっていくのは
単に目先を変えるというだけでなく何か必然性があったのかなと、色々興味深かったです
東方ならぬ東宝だった訳ですね
ヒーローと怪物を使った創作自体は、それこそ神話からアメコミに至るまで世界中に存在するけど
特撮という文化が我が国でここまで発達したのはなぜだろうね
見もフタもない話だけど、寓話を映像化するだけの技術が早くから伴ったからじゃね?
>>911
円谷英二さんがいたからかな
ハリーハウゼンやルーカスは作品の方向性がまたちょっと違ってたということかな
米軍も騙すほどの特撮の天才がいたおかげだな
狂言の「もんぱ」で着ぐるみ文化が古くからあったからじゃないのかな
化け狐=怪獣ってな感じ
歌舞伎でも張りぼての大ガマガエルや大クモ、オロチ、白象なんて出して江戸時代に大評判だったとか
>>907
国会図書館はよく勘違いされるけど日本中の本が集まる場所ではなくて
極論を云えばあくまで出版する側の「こんな本を世に出しましたよ、お見知りおきを。。。」
という「寄贈」によって成り立ってる場所なので、何かしらの事情によって寄贈されなかった本は
蔵書リストから除外されてしまう。なので昭和から始まる歴代コミケのパンフレットが代々所蔵されて
コミケより後の時代に出版された「記憶する幻想郷」が連載されている「Comic REX」のバックナンバーが
蔵書に無くて閲覧のしようがない、というようなヘンテコな状態も発生してしまってる。なかなか難しい問題で未だ完全解決策無し。
古い本、専門的すぎる本、自費出版の本とかは国会図書館にないこともあるね
一方で地方図書館にならあることも
例えば、高千穂について調べる際に『高千穂村々探訪』が資料として必要な場合は、わざわざ宮崎県立まで行かないといけない
>>911
本物を爆破させたりするだけのお金が当時なかったのよ
そりゃ日本だってできるなら自動車や小型飛行機くらい破壊したい
でもできないからミニチュアと着ぐるみで工夫した結果が、特撮技術
そういやハリウッドなんか本物の車を爆破したりしてたな
なるほど、日本が豊かになってきたからこそ、
西部警察とかになる訳か。
その観点は無かった。
でも逆に今、あのエンディングの首都高でパトカー大名行列みたいな撮影は無理だろうなぁ。
次にそんな絵が録れるのは科学世紀だな
ただしパトカーもほとんどいなくなってる模様
特撮もバブル期のRXとかは凄かったな
爆破&爆破
特撮と言えばトーマスは付喪神に入るのだろうか
ありゃ妖精の部類じゃねーかな。
憑いたとか成ったとかじゃなくて、
最初っからそういう存在。
ムーミンやジャムおじさんも妖精なんだっけ、スポンジボブやプーさんはどうなるんだろう
形をもった段階で既に自我を持っていた(と設定されている)か、そうでないかの違いかな?
妖精ってもともと日本にいたっけ?
明治以降の話かな
今みんなが思い浮かぶ妖精って存在そのものは西洋のものじゃないんかね
妖精って言っても蝶の羽の生えた小人みたいなのから
ドワーフにゴブリンに土着神が零落したものと、妖精の定義も広いけど
妖怪未満。俗に言う魑魅魍魎が妖精と言われたりはしてた
北海道のコロポックルや沖縄のキジムナーとか既存の妖怪とは言いにくいものなんかも妖精と呼んだりもする
精霊と妖精は同じ範疇なのかな?精霊キャラはまだ登場してないから分からんけど
精霊(毛玉)は風神録を最後に消息が途絶えてしまったので今後の登場は期待薄だな
STG上では陰陽玉に汎用雑魚敵としての座を譲ってしまった
東方だと精霊は自我が薄いらしいから、キャラとしての登場はどうだか
チルノみたいにその種族の中では強すぎる、みたいなのはあるかもしらんが
東方と足洗邸のおかげで民俗学とか興味出てきた
ひとまず古事記と遠野物語は読んだけど、初心者向けの本何かありますか?
元ネタになってるのが出てきてニマニマしたい
>>936
星好きなら信貴山縁起絵巻のフルカラー解説本が2000円くらいで買えるからどうか
単純に面白いしそういうの買ったの初めてだけど読みやすかった
過去スレでも紹介したけれど
澁澤龍彦「東西不思議物語」は元ネタ成分多め
新聞に連載されたコラムなので読みやすい
>>936
聊斎志異とか?
日本のじゃないし元ネタ青娥くらいしかないけど、短編だから読みやすくはあるはず
936ですがありがとうございます
幸い読みやすそうなので全部買って読んでみます
青娥の元ネタは勝手に漢文かと思ってたけどそうでもない感じですかね
もとの聊斎志異は当然清の時代の中国語で書かれてるけど、現代なら日本語訳もたくさん出てるよ
柴田天馬さんが翻訳したやつが有名かな
日ユ同祖論について最近調べはじめたんですが、
風はおいておくとして、秦河勝、聖徳太子までその気配があって
玉依姫の伝説とか、輝夜昇天伝説もそれの部類らしいということなのですが
永から神まで全部日ユ同祖論シリーズと捉えてもいいのでしょうか
(そうなると地と☆は仲間外れになりますけど)
お前がそう思うのならそうなのだろう
お前の中ではな
としか言えません
風の早苗さんのスペカでは日ユ同祖論を(小ネタ的に)意識してた可能性もあるけど、
それ以外は無いでしょう
東方=イルミナティ説があったような・・・
>秦河勝、聖徳太子までその気配があって
>玉依姫の伝説とか、輝夜昇天伝説もそれの部類らしい
守矢神社関連は聞いたことあるけどここらへんはあまり聞いたこと無いな
ネタとして面白そうだから教えて欲しい
あと東方は神主が宗教や、トンデモや、竹本泉や
その他いろんなフィクションネタを自己解釈アレンジした集合体だから
ネタにした可能性自体はあると思う
東方正教会説
旧約聖書を読まねばわからないか
でも読むのに骨が折れそうだ
>>894
来年春に東京国立博物館で鳥獣戯画の特別展がやることが決定したそうだよ
スズナーンに大田南畝がちょっとだけ出てきて「おっ」ってなった
まあ改元紀行しか読んだことないけど
何度か聖書読もうとしたけどいつも出エジプト記までたどり着けずに挫折
聖書は旧約だと創世記、ヨブ記、新約だと福音書、ヨハネの黙示録あたりが割合さくさく読めて楽しい
いわゆるトーラー、律法の部分や信徒への手紙の部分は普通の小説とスタイルが違いすぎて読みづらい
詩篇や雅歌は聖書の意外な一面って感じ
日ユ同祖論人気ないんだね・・・
この分では風ネタのアザゼルの山羊すら知ってなさそうな予感
まあ、ZUNが意識して作ってないのは正直分かってたけど
>>946
ちなみに聖徳太子は宗源道の信奉者でそれは古代イスラエル宗教的な
古事記以前の一神教的神道だから、太子=道教はどうもネタみたい
枝葉伝説とかあるみたいだし
宗源道は中臣氏と物部氏の宗教でもある
あと、秦氏は景教徒で平安京も作ったみたい
あとの伝説はググったら分かると思う
だって日ユ同祖論ってトンデモだし
論って言うより暴論だもんな
まじめに学問として取り上げる物ではないわ
ネタとしてなら面白いんだけどな
ああいうのはネタで楽しむもんだろ
ロマンだよロマン
マジになると寒い
異なる民族がたまたま似たような言葉や物語や風俗を持つことはそれ自体が人類の妙でありロマンだと思っている
なのにそれを「共通の祖を持つ民族だったからだ」っていう安直な原因に求めるというのは、それこそロマンがないと俺は思うから
だから同祖論嫌い
日油同祖はネタとしては面白い
人間はみんな同じこと考えるんだなあって
剣山にアークが眠っていたり大蛇が住んだりする説割と好き
遺伝子的にも同じらしいんだけど、日本語的に意味不明なへブル語源っぽい
言葉が日本語的に解明されれば論破でもいいよ
ただ、皆が知ってる同祖論の逸話と俺知ってる同祖論は別物っぽいから
こういう場所での書き込みは控えようと思う
ほんと出典元はどこなのかっていう
というか板違いだったわ
自重するわ
生物学的な人種論まで絡めた手の込んだトンデモ理論唱えてるのはほんと出典どこだよ……
日ユ同祖論ごときに発狂する奴らって反ユダヤ主義者か何か?(偏見
まあ面白いとは思うしそんな怒るような話でも・・・
読み物として見るなら面白いけど……うん
日本もユダヤもシュメール文化の影響を受けてるんだしそりゃ似てる(確信)
>>962
>>963
発狂してる人とか怒ってる人が見当たらないんだけど
「山本七平はユダヤ人だった!」ってのは聞いた事あるが
源義経チンギスハン説や上杉謙信女性説レベルの与太話としては面白いとは思うがね
ひとまず日ユ同祖論が唱えられた政治的背景を調べとこう
あと、ユダヤ以外の他の国や地域なんかとの類似性も調べとくとさらに世界が広がる
>>965
近代文明全部当てはまるじゃねーかwwww
外見がダビデ王で生き方が士師記のサムソンというキャラがいたらヤマトタケルっぽくなる…かもしれない
>>965
そんな世界史Bとかで習うような話をされても・・・
というかなんで日ユ同祖論というと偉人=ユダヤ人説になるんだ?
東方で題材として扱われてる奴の方がずっとポピュラーだと思うけど
Wikipediaにも載ってるし
雛、文、が風神録に出てるのも、日ユ同祖論絡みだし、
ミシャクジの祭だって日ユ同祖論絡みなんだしさ
さすがに日ユ同祖論絡みなのが早苗の弾幕だけっていうのは
元ネタ調べてなさすぎだと思う
たぶんモーセのこと言ってるんだろうけど
エジプト記(笑)って感じですか
そういきり立つなよ。同好の士が楽しく雑談する場だろ。
>>971
まともにお話する気があるなら
ご高説の内訳も語らずユダヤ!ユダヤ!ユダヤ! どいつもこいつも日ユ同祖論!と自己完結してないで
具体的にその元ネタとやらの何をどんな解釈すればユダヤになるかの解説するくらいしてくれ
景教研究家の佐伯好郎氏の秦氏と景教徒に繋がりがあるという説は浪漫が有って良いけれどなかなか難しい
大避神社とか太秦とか太子の「馬小屋出生譚」とか救世観音の受胎告知とか
そのほとんどが洋の東西の単なる偶然の一致の範疇と見なせるから
たくさんの渡来人がいたから太子が景教を知識として知っていた可能性は完全には否定できないけれど 羊大夫の話とか
6世紀末に飛鳥寺建立のためにペルシャ人技術者が数人来たという記録とかもあるし
ただ数人ならあり得るが秦氏のような大集団でそれを当てはめるのは結構難しい。
奇跡的に集団で異教徒が渡来できたとしたら、その場合はその影響がもっとたくさん残っていないと
たとえ仏教から弾圧を受けたとしても全く跡形もなく消え去ったりはできないもので、大集団ならその場合隠す理由も特にない
正式に日本に景教徒が現れるのはもっと後(景教徒という確証はないけど)
竹内文書や新郷村の墓とか(つがる三郡史とか)とかなどと同じく作られる過程で色々手が加えられてしまって日猶同祖論は「選ばれし民論」と結び付けられちゃうからおおっぴらに語るのが難しい
東日流外三郡誌のせいでアンタッチャブル感が出てきたかわいそうなアラハバキさん
>>973
正直あまり書きたくなかったけど一応書いてみた
日本にある風習でひな流し、というのがあって、それは求聞口授でも言及
されていたように、元々厄を溜めた人形を流すという行事でした
所変わって、古代ユダヤにおいてもそれと同じような風習が見られます
それは、旧約聖書の「レビ記」に記されている、アザゼルの山羊というもので
古代イスラエル人は一匹の山羊に村人すべての災いを託し、地平の彼方へ
その山羊が走り去るのを見送ったというものです
また、御頭祭、別名ミシャグチ(ミサクチともいう)の祭は、少年を木にロープに
括りつけ、その頭上の木の部分にナイフで幾本か切り目をつけるものです
これは、洩矢というその土地の土着の民の末裔とされる洩矢家によって行われます
その洩矢という民には、その昔、洩矢神という神がいましたが、同じ時、国譲りに敗れた
建御名方神の軍勢に敗れ、その後モリヤ山に祀られます
これが風神録でいう、諏訪大戦〜土着神話vs中央神話の元だと考えられます
あと、これって出典は書いた方がいいの?
もしそうなら続きの分に出典を載せるけど
できたら出典書いてくれた方が賛成するにも反論するにもいいかな
興味持った人が原著買えるし(絶版になってなければ)
それとこれ丸パクリじゃなくてかなり自分でまとめてるから
著作権侵害とかじゃないよね
御頭祭と古代イスラエルとの関わりですが、これもまた聖書に見ることができます
それは古代イスラエルにおいて最も重要な存在である、父祖アブラハムに纏わるものです
どのような話かというと、アブラハムが神の命令に従って、息子イサクを、
「モリヤの地」へ連れて行ったところ、息子を生贄に捧げるように言われ
縄で木に括り付け、殺害しようとしたところ、天使により阻止されるという話です
ここで登場した、モリヤというのが、モリヤ山の由来となり(洩矢族の神が洩矢
だったことは偶然と考えられる)、イサクというのもミサクチ、つまりへブル語でいうところの
「イサクの古い物語から」と解釈できる
参考文献:学研パブリッシング 「日本とユダヤ 聖徳太子の謎」
出典出してくれるのはありがたいねえ、興味がわくよ
今まで、内容について有耶無耶なレスしかできなかったのは
本のURLを張る、もしくは書名を載せることが激写対象であるか分からなかったことと
内容を引用することもセーフかアウトか分からなかったからなのですが
それは今も分かりません
別に激写対象でもなんでもないでしょ
個人的にはどうして雛と文に関してZUNが同祖論を意識してると思ったのかという理由を訊きたいところなのだが
雛は>>976 に書きました
文は確か修験道自体がユダヤの風習と似ているからだったと思います
すいません、"ZUNが"というところを訊きたいのです
元ネタを研究することに命を注いでいて個人的にブログをしていたり
掲示板などで書き込みをしている人からもよく指摘されているのを見るから
としか言えません
僕は納得したのですが、全く証拠はないですね
正直ほんとにレスし過ぎだと思うんですが>>986 は真っ赤な嘘です
なんというか、自分で勝手にそう思っただけですね
ここにレスしたのもすごい詳しい人が現れて自分の案を添削してくれることを
望んでのことでしたので、まさか僕が知っていることを知らない人に書けと言われるとは
思っていませんでした
もうこのスレには来ません
迷惑をかけました
妄想してる本人以外に妄想の内容なんか判るものかよ。
まぁトンデモ説に添削しろとか言われてもね
>>987
ないものねだりかぁ
自身で論を掘り下げる力がない者が
借り物の引用を振り回しても得るものはないと思うよ
同祖論は「そうでなかったとは言えない」論なので積極的な否定はできないが、消極的に反論しておこう
・盆踊りは、先祖の霊が帰ってくる日に彼らが悪さをしないよう鎮める行事である
・ハロウィンは、先祖の霊が帰ってくる日に同時に悪霊が悪さをしないよう鎮める行事である
日本人とケルト人は同じ先祖か?
・トルコにも厄年という考えがあり、厄年の人は「人形」を作り厄を移して「水に流した」
日本人とトルコ人(の定義も難しいのだが)は同じ先祖か?
似たような部分だけ抽出すれば、まだいくらでも同じようなことが言えてしまうのだよ
「古代人は何を目的としてこのような儀式を行ったのか」という本質的な部分を見落として、形式だけ見比べてしまうとね
神主が同祖論で作品を作ってるかって点に関しては、神主はそれほど長く一つのテーマで作品を作ったりはしていないということで十分だと思うけど
付け加えるなら、>>942 で言う、地と星が外れていることの説明は君の側でしないといけない
「何かを思いついたら、その時既に同じ事を思いついた人間が三人はいる」と言うしな
偶然の一致というのは、それなりの確率で起こるものだよ
「どうしてその現象に至ったのか」という歴史や影響関係をすっ飛ばしてはいけない
(これは>>826 からの流れと同じだな)
>>991
トルコにも流し雛的な習慣があるのか
面白い
削除依頼出してたレスが削除されなかったので帰ってきました
>>990
9やったら残りの1を人に丸投げするスタンスできたのでそれは反省
でもここで疑問なのは、好きでやっていることを詰めが甘いといって
非難されることの不可解さ
それに、日ユ同祖論は学問の一つです
大抵の一般人は持論を深めることなく本の知識で満足することでしょう
それを言うなら、私は古事記、老子の現代語訳を読みましたが
それは他の人も同じです
また絡んだと言われるのが嫌なので強くは言いませんが他人を批判する
場合、その言葉は自分に返ってきますよ
>>991
地は個人的には能面の、土蜘蛛、橋姫、鬼、でそこからペルソナでさとり
こいし、地獄と言えば火車ときて、金烏は地獄池の火力と太陽の火力を繋げた
ものだと思っている
星は奇々怪々のパロで七福神、仏教はよく分からないのでスルーという感じ
で日ユとは関係ないと考えている
>>977
×ロープに ○ロープで
×洩矢家 ○守屋家
モリヤ山は守屋山が正しい
冗談からの書き込みが火種となったわけですが、ネットいうのは顔が見えない分
コミュニケーションが取りづらいことだけはよく分かりました
顔が見えてもコミュニケーションとれる気がしない
とりあえず次スレ立てるよ
東方好きなら民俗とか神話とかまったり語りたいだろ【其の弐拾陸】
ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/computer/41116/1418287479/
>>998 乙
1スレ使い切るのにちょうど1年だったなあ
>>998 乙
>>995
どのように同祖論から外れているか、ではなく
なぜ外れているのか、2作品が外れていてもなお同祖論シリーズと呼べるのは何故かをきいているのだよ
後まあ、刺々しい会話になっているのを気にしているなら、刺々しくなってる原因を指摘しておくと
>>953 にあるように「人気がない(自分のレスに期待していたレスが付かない)」ことを「知ってなさそうな予感」と、こちら側の無知のせいにしたから波風が立ったのだと思うよ
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