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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

1真ナルト信者:2017/02/08(水) 19:12:46 ID:???
漫画・ライトノベル以外の書籍なら純文学でも文庫でも新書でもレピシ本でも攻略本でも難しい本でもOK
感想を書いたり、内容をまとめたりとかしてみたらどうでしょう

162修都 ◆7VC/HIVqJE:2017/07/21(金) 20:09:56 ID:rlvqw/MU
本堂毅「専門的判断の不定性」
 学術誌への掲載は内容の正しさの証明ではない。学術誌に掲載されるかどうかは、その分野の研究者間の相場感覚であって、絶対的な基準は存在しない
 →学術誌掲載を正しさの証明と捉えると、ボタンの掛け違いが生じる
 科学者は普遍性を目指すため、普遍性の邪魔になる価値に関わる問題を削り取っていく。科学という営みは、多様性をそぎ取っていく手法の集積
 しかし科学者の側が、価値判断を含む答えを科学的な答えのように語ってしまう場合はある
 2014年、STAP細胞研究の不正疑惑→再現性の有無が研究不正認定の重要なポイントとなった→ただ、科学で100%の再現性を得ることは原理的に不可能
 →再現性の有無を研究の不正の有無の評価要素とすることには無理がある。しかし、正しい科学的研究は常に再現性が伴うものだという科学観をもつ科学者は少なくない
 STAP細胞に関するさらなる問題→一般社会に向けて研究結果が確実な科学的知識であるような発表をした。科学には不確実性があるものである
 判断・意思決定の場面で確実性が高い科学的知見だけを用いることは一般に困難(例:医学など)
 現在の社会では、価値判断込み、Yes/NOで答えを求められることが多い→科学的真実に誠実な科学者ほど社会的論争となるような問題について発言を躊躇する
 →自分の信念や価値判断も科学的証拠であるかのように装う権威主義的な学者や、科学的営為の本質を理解できない科学者ばかりが社会に発言する状況
 科学技術が関わる問題で対策には確たる科学的証明が必要と主張する科学者や行政は少なくないが、どの精度で対策を取るべきかは科学自体では決まらない
 賠償問題などでも確たる科学的証拠が必要であるかは科学では決まらない→確たる証明が必要だとする科学者は、特定の価値判断に誘導している
 対策に必要な科学的証明度を100%に近づければ永遠に対策を先送りにすることが可能。「科学的に厳密」という主張は特定の価値判断に基づく主張であるとも言える

163修都 ◆7VC/HIVqJE:2017/07/22(土) 12:35:05 ID:rlvqw/MU
加藤和人「社会における生命科学の今とこれから」
 人類自身が人類の遺伝子組成に人為的に操作を加えてよいかという問いに対し、ほとんどの専門家は否定的な意見だった
 →格段に簡便で精度も高いゲノム編集技術(遺伝子改変)が登場したことで議論が激しく行われている
 2015年9月の欧州遺伝子細胞治療学会では、生殖細胞系列の遺伝子改変を行うことに賛成する意見は過半数だった
 日本では科学研究コミュニティではなく、政府が中心となって研究の指針を定めてきた
 →欧米では研究者自身が社会的課題に取り組むという考えがあるが、日本では社会的課題に取り組むのは研究者の責務ではないと考えられている
 ゲノム編集技術に関する課題については、日本でもこれまでに比べると科学研究コミュニティが積極的に動いてきているが、生命科学コミュニティ全体の課題とはなっていない
 病気の人の遺伝子の情報を多数集めることは重要だが、現在のゲノム研究は個々別々のやり方でデータを集めているので、情報を共有することができなくなるかもしれない
 →世界中で情報を共有・利用できるようにしていこうとしている人達もいる→研究者は研究費を支給する政府でなく世界を見て、人々のために研究を進めるべき
 患者と研究者がインターネットで直接につながることができる状況→患者は研究の進捗状況や成果について知ることができる。情報の使い方について患者が選択できる
 日本以外の多くの国の希少疾患・難病の患者はすでにネットワーク作りを始めている
 →日本でも、研究者が患者主体の活動に目を向けることができるか。患者自身が自分たちのできることに積極的に取り組むことができるかが課題

164修都 ◆7VC/HIVqJE:2017/07/23(日) 22:43:25 ID:rlvqw/MU
詫間直樹・中島秀人「科学技術の公共的意思決定と専門家の役割」
 公教育モデル:専門家が一般人の関与なしに意思決定を行う→公害などで限界がきた→公共討論モデル:市民参加型の意思決定
 知識の共生成モデル:専門家と非専門家が協力することで新たな知識を生成する
 CTA→意見を異にする複数の対抗的専門家による取り組みで意思決定を行うモデルといえるもの
 →素人市民による熟議がうまくいく条件はある程度明らかになっているが、対抗的専門家による熟議がうまくいく条件は研究が進んでいない
 公教育モデル、公共討論モデル、知識の共生成モデル、CTAのモデルそれぞれを問題の性格、国や地域の現状に応じて柔軟に選択していくべき

165修都 ◆7VC/HIVqJE:2017/07/26(水) 22:36:36 ID:rlvqw/MU
辻本雅史『「学び」の復権』を読みました。
近代から近世の教育を見るという事はさんざんやられていますが、この本はむしろ近世から近代の教育を見てみようという視点で書かれています。
そこから近代の教育の問題点や今後どうしていくべきかを考えていこうという内容ですね。
そして分かることは、近代以前に学校というものは存在しなかったということです。手習塾(寺子屋)はありますが、これは近代の学校とはまったく違うものであって、基本的には自己学習の場だったのですね。
そこでの「教師」の役割は手本を示し、間違いあがれば修正するということであって、教えることを求められていたわけではない。これは藩校も同様だったようですね。
よくテレビとかである、手習塾で机が整然と並べられているイメージというのは完全に近代からの視点であって、机が整然と並べられていることなどは無かったようです。
そしてタイトルの意味からいうと、この自己学習「学び」の復権こそが今後重要なのではないかと主張しているようですね。
ただ大事なのは、近世の手習塾も藩校も基本的には「教師」が尊敬される人物でお手本になる人物でなければ成立しないものでした。ですから現代の学校で実行したとしても成り立たないとしています。なぜなら現代の教師は尊敬され、お手本になるような人物ばかりではないからです。
ですから著者は、生徒の側が教師を選択できるようにするべきではないかとも主張しています。
さらに言えば著者は近代の学校制度はもはや限界を迎えているとも主張しています。
その限界を迎えている学校で個性を大事にしようなどということ自体が無理なのだとも主張しています。なぜなら現代の学校は画一的で個性を伸ばすような教育を想定していないからです。
もっといえば、個性を伸ばす教育自体がどうすればいいか分からないものなんですよね。

文庫版のあとがきでは、近世の教育をよく描きすぎたとか復古的だと思われたとかということも書かれていますが、実際そういう点はあるでしょうね。
近代の学校システムが限界に来ているというのは同感ですが、だからその前に戻せばいいというのは難しいし現実的ではない。
ただ、近代の学校システムは当たり前のことなどではないし、その前の時代に行われていた教育からよい点を見つけだしていくというのは大事でしょうね

166修都 ◆7VC/HIVqJE:2017/08/03(木) 23:03:30 ID:RCAef5U6
まさに今のタイミングで読むべきかなと思って、中北浩爾『自民党―「一強」の実像』を読みました。
主に細川政権以降の自民党についてかなり詳細に分析した一冊になっています。現在の自民党の入門書と言ってもいいかもしれません。

自民党というのはそもそも派閥連合政党だったようですが、それが小泉政権の時に破壊されて、今は派閥よりの右派の理念グループの方が力を持っていて、その中心がまさに安倍首相なんですよね。
そして理念が強くなっている要因として、一度政権をとられた民主党・民進党への強い対抗心があるというわけですね。
ちなみに自民党の勝利の典型的パターンというのは、低い投票率で固定票で勝つというパターンのようですが、その固定票も減ってきてはいるようです。
だからこそ、公明党とは手を切れない。公明党の組織票はポピュリストの才能が無い安倍首相らには絶対手放したくないもののようです。
逆に公明党側からしても、宗教団体が母体である以上、固定票を増やすことは難しい、信者の高齢化も進んでいるということで自民党とは手を切りたくないようです。
ちなみに、日本会議の票数は大したものではないとこの本では主張されています。
また、自民党議員にとって後援会も重要な存在ですが、これに関しては理念を地元で主張するのではなく、地元の有力者と仲良くするということをやってきたのが自民党のようですね。
そしてこの後援会があるからこそ、世襲議員も多い。なぜなら世襲議員なら後援会をそのまま引き継ぐことも可能だからです。ただ、この後援会も最近は衰退してきているようです。
地方に関していうと、地方議会では自民党が圧倒的に強いというのも重要なようで、実際一部の例外を除いて地方議会は自民党が多数を占めているところが多い。
市町村レベルになると無所属議員が多いですが、これは政党色を無くすためにそうしているだけであって、実質的には自民党系の議員が圧倒的多数を占めているようですね。
ただ、地方議員が党本部の言う事ばかり聞いているかといえば、そんなことは全く無くて、党本部の決定とは違う決定をする地方議員も数多いようです。

結論から言えば、著者は自民党の優位は簡単には覆らないとしていますが、それは当たっているでしょう。
ただ、この本が出版されたのは今年の4月で、まさかその3ヵ月後ぐらいに支持率が一気に下がるとも思っていなかったでしょうが。
まぁ結局のところ自民党はなんだかんだ上手くやってきたということなのでしょうが、固定票が今後ますます減っていったらどうなるのか?
公明党と完全に訣別したらどうなるのか?とは思いますね


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