したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

ただの世間話 その2

210NINJA300:2017/05/09(火) 12:28:57
加瀬英明のコラム   加瀬英明のコラム   加瀬英明のコラム  
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   ♪
 ロシア2月革命100周年 なぜ日本に左翼理論が根付かないのか
 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

今年は、ロシア革命をもたらした2月革命の百周年に当たる。
 先週、出版社の編集者がわが家をたずねてくれて、ロシア革命が話題になったところ、「青年時代に左翼に気触れることがなかったのは、渡部昇一先生、小室直樹先生、宮崎正弘さんと」私の4人だといわれた。
 私は高校時代に、アンドレ・ジッドの『ソ連紀行』、アーサー・ケストラーの『真昼の暗黒』や、ジョージ・オーウェルの『1984年』とか、『動物農園』を読んでいたから、共産主義がおぞましいものだと知っていた。左翼の人々は知的に怠慢で、無知だと思って、軽蔑した。

●60年安保騒動とハロウィン

 私は60年安保騒動のあいだ取材のために、毎日、国会周辺に通った。そのために、いまでも『全学連の歌』『インターナショナル』から、『ワルシャワ労働歌』『決起せよ、祖国の労働者』まで、国会議事堂を囲んで渦巻いていたデモ隊がうたっていた歌を、うたうことができる。そのかたわら、女友達にグループをつくってもらって、機動隊員を激励するために、駄菓子や飴を差し入れた。

 国会を取り巻いていた、時には10万人を超えたデモ隊は、改定された日米安保新条約が発効すると、潮が引いたように姿を消した。
 まるで嘘のようだった。もし新条約に真剣に反対していたのであれば、その後も目的を達するまで国会を包囲して、デモを続けているべきだった。

 1970年に安保条約を改定することができる、10年目が巡ってきたために、「70年危機」が取沙汰されたが、学生たちが新宿駅を占拠して騒いだほかに、不発に終わった。
 私はこの年に「60年安保騒動」を回想して、月刊『文芸春秋』に寄稿したが、「悪霊どもはその人から出て、豚に入った。豚の群れはいきなり崖を駆け下って、湖に入り溺れ死んだ」という、『新約聖書』の一節を引用した。
 私は60年安保の体験から、日本における左翼運動は風俗にしかすぎないと、確信するようになった。お祭のような一過性のデモは、日本の国民性に適っているが、思想がイデオロギーとして根付くことがない。
 昨年、安保法案が国会で審議されていたあいだも、同じことだった。法案が通過してしまうと、国会のまわりはハロウィンのたびに、渋谷や六本木で狂態を演じる群衆が一夜明けると、誰もいなくなってしまうように、閑散とするようになった。
 国会は国の命運を握っていることを忘れてはならない




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板