したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

インド株

23NINJA300:2017/03/10(金) 10:49:00
2月4日は、スリランカの独立記念日ですが、この日に向けて スリランカで弁護士をされているセナカ・ウイーララトゥナさんは、上記の趣旨の文章をLankawebに投稿しました。
http://www.lankaweb.com/news/items/2017/02/02/sri-lankas-independence-a-beneficiary-of-japans-entry-to-the-second-world-war-which-sealed-the-fate-of-european-colonialism-in-asia/
 インドのネルーが1930年代に、インドの英国から独立のはいつになるだろうか、と聞かれたときに「はるか先のことだ。おそらく1970年代になるだろう」と答えました。それが予想もできない1947年に独立し、48年にはビルマもセイロンも独立しました。
 その最も大きな力となったのは、日本がアジアのヨーロッパ勢を駆逐したことにあることは明らかですが、著者は「チャンドラ・ボース:インドのサムライ」(G.D.バクシ著)の中から次のような興味あるエピソードを書いております。

 アトリーがイギリスの首相の時にインドに独立を与えたのですが、アトリーがその後インドに来て独立時西ベンガルの知事代理をしていたチャクラボーティと会った時に、イギリスがインドを放棄した理由を聞かれて「インド国民軍将校裁判がきっかけで暴動、反乱が起きたこと」を第一の理由に挙げたといいます。

 さらに「ガンジーの影響はどの程度あったか」を聞いたところ minimal 、すなわち「ごくごくわずか」「もしくはほとんど全くない」と答えたとのことです。
 ご存知のようにインド国民軍は日本軍が育て、チャンドラ・ボース指揮の下、インパール作戦を日本軍とともに戦った軍です。これこそがインド独立の最大の要素であったと筆者は言っているわけです。
 セナカ論文の日本語訳:http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Senaka2.pdf
   (「史実を世界に発信する会」茂木弘道)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板