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プロレス・格闘技クリッピング▲6▼

152名無し部員:2007/03/27(火) 23:15:56
サイモンが次期社長に挙げた名は 出社最終日に本紙だけに語る
 新日本プロレスは26日、退任表明をしていたサイモン・ケリー・猪木氏の取締役辞任を発表。次期株主総会まで菅林直樹取締役副社長が社長代行に就任することになった。しかし、その舞台裏で本紙は前社長となったサイモン猪木氏の独占キャッチに成功。ヒッソリと最後の出社をしていたサイモン猪木前社長の“楽日”に密着した。

 午後4時。スーツにトレンチコートを羽織り、トレードマークとなったちょい悪オヤジ風のサイモン前社長という重圧から解き放たれたせいか、シャツは第2ボタンまで開けっ広げ、ラフないでたち。そのままデスクに向かい、約1時間かけて書類の整理などを行った。
 帰り際、本紙が「最後なので」とライオンマークの前で撮影をお願いすると、サイモン社長は快く「1,2、3、ダァー!」をアントニオ猪木ばりにポーズをキメて記念写真をパシャリ。なぜか「ちょっと買い物してた」という理由から東京・銀座にある公園の公衆便所前で辞任を表明したときとは打って変わって、満面の笑みで応じた。
 2005年5月に社長に就任してから1年10ヶ月。最後の出社を終えたサイモン猪木前社長を直撃してみると「春に卒業するのって初めてなんですよね。ホラ、ボクはアメリカンスクールだったから、夏に卒業したことしかないんでね」と、サバサバした様子で答え「楽しいことも、苦しいことも、まあ、新日本はいろいろありましたよね〜」と感慨深げに語った。
 社長就任後は選手の大量離脱、毎年恒例の東京ドーム大会からの撤退危機など、激動の時期だった。一番の思い出は「社長になってすぐにユークスさんに株を買ってもらい救ってもらった」こと。当時を「ホント毎日寝てなかった気がする。そういうヒマがなくて。まあ全く寝てないってことはないんですけどね」とアメリカンなジョークを交えながら振り返った。
 サイモン前社長の電撃辞任により、奇しくもこの日は菅林直樹副社長が次期株主総会まで社長代行を務めることが発表された。サイモン前社長は「一緒にやってきた菅林さんにはがんばってほしい」とエール。さらに次期社長については菅林さんや蝶野さん、ユークスの方もいらっしゃいます。あとは長州さんもいいんじゃないですか」と推薦してみせた。
 「新日本、迷わずいけよ、行けばわかるさ」。新日本プロレス第5代社長として奮闘したサイモン猪木社長はそう呟きながら、タクシーを銀座方面に走らせ去っていった。(西坂健吾)

 ○…今後サイモン猪木氏は米・ロス道場改め「INOKI DOJO」を拠点にビジネスを展開する予定だ。サイモン猪木前社長は「向こうでは道場とかIFL(米総合格闘技)の仕事もあります。あと、新日本さんから選手とかの要請があれば協力しますよ」とさっそくビジネスライクに“商談”を持ちかけてみせた。また、アントニオ猪木がブチ上げた新団体IGF入りがウワサされてることについては「まだ、本当に未定。これからですよ、これから。フッフッフ」とだけ語り、微笑を浮かべていた。
(3月28日付け内外タイムス)




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