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凛「微睡の頃」

1 : ◆iY36iYG81k :2017/04/15(土) 05:15:52 LSlCt0Kk
凛(人生という、星空凛という人物を描く物語の主人公は本当に自分なのだろうか)

凛(人間ならば一度は考えたことがあるだろう。人生の主人公は自分自身だなどと、耳障りの良い言葉を言ってくる人間に対しての、当然の疑問を)

凛(私の周りには、私よりも優秀で魅力に溢れた人間が数多く存在している。彼ら彼女らを差し置いては私が主人公である意味とは一体何なのだろう?)

凛(そんな哲学的なことを、現在私が考えているのは、花陽とのちょっとした雑談が原因だった)




凛「蟋蟀の頃」
凛「陽炎の頃」
の続きです。


2 : ◆iY36iYG81k :2017/04/15(土) 05:28:58 LSlCt0Kk
教室

凛「人生の主人公……?」

花陽「うん、凛ちゃんは人生の主人公って誰だと思う?」

凛(授業と授業の間の短い休み時間、開いたり閉じたりしていただけの教科書を机に仕舞い込んでいた私に、ふと花陽が投げ掛けたのはそんな問いだった)

凛「えっと、それは凛の人生の主人公、ってことだよね?」

花陽「勿論だよ、私の人生の主人公は私だもん」

凛(これはまた何というか、高校生女子がするよくある雑談というには些か重い話題である)

凛(おおかた、よくある自己啓発書かそれに類するテレビ番組でも見たのだろう。阿呆を演じている私にそんなことを聞いても、録な答えは返らないことは分かっているだろうに)

凛「えっと、凛の人生の主人公……ってことは、やっぱり凛なんじゃないかな。よく分からないにゃ」


3 : ◆iY36iYG81k :2017/04/15(土) 05:37:14 LSlCt0Kk
花陽「やっぱり凛ちゃんもそう思う? そうだよね、自分の人生は自分のものだもんね」

凛「何で急にそんなこと聞いてきたの? かよちんらしくないにゃ」

花陽「それがね、私のお兄ちゃんが変な本か何かにかぶれちゃったみたいで、人生の主人公は本当に自分なんだろうかって言い始めて……」

花陽「そんな馬鹿な、って思ったんだけど色々考えてるうちに何だか不安になってきちゃって。それで凛ちゃんに聞いてみようって思ったの」

凛「へぇ、あのお兄ちゃんが……」

凛(花陽の兄は、所謂変人である。時代が時代なら狂人として扱われていてもおかしくない程には、彼は世間ずれをしている)

凛(そんな彼なら、そんなことを言い出しても何らおかしくはないのだけれど、何を思ってそんな結論に至ったのかは少々気にはなった)


4 : ◆iY36iYG81k :2017/04/15(土) 05:48:08 LSlCt0Kk
凛「かよちんのお兄ちゃん、何でまたそんなこと考えたんだろうね? 自分が主人公かどうかなんて、凛はそもそも思ったこともなかったよ」

花陽「さあ……さっきも言った通り、本にかぶれたんじゃないかなあ。ほら、お兄ちゃんって変な本いっつも読んでるでしょ?」

凛「ああ……確かに。よく分からない本を持ち歩いてること多いにゃ」

凛(彼は私とは別のベクトルで読書家だ。私が創作を好むのに対し、彼は現実を好む。論文から理論書、教養新書なんてものを好んで読んでいるのだ)

凛(その中でも特に、常識を持つものなら一笑に付してしまうような、出版されたことが奇蹟のようなとんでもない理論を書いている本が大好物だと言うのだから、中々どうしてゲテモノ食いだ)

花陽「何にせよ、凛ちゃんも私と同じ考えでちょっと安心したよ。お兄ちゃんの話を聞いてると、何だか不安になっちゃうんだもん」


5 : ◆iY36iYG81k :2017/04/15(土) 05:57:54 LSlCt0Kk
凛「不安って?」

花陽「何だろう、自分が考えもしなかった盲点を、ある日突然全否定されるような不安……?」

凛「言い得て妙にゃ」

凛(丁度そんなことを言ったところで、休み時間は終わった)

凛(やっぱりあの人、どこかネジが吹っ飛んでいるんだろうな。その時はそんなことを考えるだけだった)

凛(しかし、些細な疑問は消えることなく私の頭の片隅に残り続けた。人生の主人公は、誰か)

凛(はてさて、この人生という名の物語の主人公は本当に凛なのだろうか?)


6 : ◆iY36iYG81k :2017/04/15(土) 05:59:35 LSlCt0Kk
晩に更新出来たらします


7 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/04/15(土) 06:01:34 4CMts3mw
お前を待っていた


8 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/04/15(土) 06:20:20 OaZezrKI
待ってた


9 : ◆iY36iYG81k :2017/04/15(土) 06:24:53 cx4El7..
そのトリ割られてるからやめた方がいいよ


10 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/15(土) 12:52:03 LSlCt0Kk
>>9
ご忠告ありがとうございます、酉変更しました


11 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/16(日) 00:35:59 ExKBEZjo
部室

にこ「ねぇ、凛」

凛(練習も終わり、帰り支度をしている私に話しかけてきたのはにこ先輩だった)

にこ「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

凛「何? にこちゃん」

凛(この矢澤にこという少女、見た目は小悪魔中身は残念というサブカルチャーの最前線をひた走っているような、何ともアイドルらしい人物である)

凛(それにしても聞きたいこととは。一体何の話だろうか、勉強なら残念ながら教えられないし小遣いもそれほど無いのだけれど)

にこ「あんた、告白ってされたことある?」

凛「告白? 男の人に?」

にこ「当たり前でしょ、男以外に何があるのよ」

凛「最近はLGBTとかいうのが厳しいから、そんなこと言ってちゃ炎上するにゃ」

にこ「あんた案外難しい言葉知ってるわね……」

凛「ご飯の時のニュースでよくやってるもん」

にこ「まあ、それはどうでもいいのよ。告白されたこと、あるの? ないの?」


12 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/16(日) 00:41:51 ExKBEZjo
凛「告白かぁ……」

凛(正直なところを言ってしまうと、私は悲しいことに恋愛とは無縁の高校生活を送っている)

凛(女子高だから出会いがないのだとも言えるが、白状してしまえば高校生活どころか小学校、中学校共に男性と浅からぬ付き合いをしたことなど一度たりとも無いのだ)

凛(当然、告白なんてされたこともなければしたこともない)

凛「凛は無いけど……どうしたの、急にそんなこと」

にこ「いや、それが何て言うか……私、告白されそうなのよ」

凛「告白されそう? されたじゃなくて?」


13 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/16(日) 00:50:52 ExKBEZjo
にこ「ええ、されたじゃなくてされそう、なの」

凛「ふぅん、ひょっとして校舎裏に呼び出す手紙でもあったとか?」

凛「まあそれはないよねー、ここ女子高だもん……」

にこ「……」

凛「……えっ?」

凛(そんなまさか、冗談だろう。にこ先輩は確かに可愛いとはいえ、同性に告白されるようなタイプじゃ……いや、仲間に一人、惚れていそうな人間はいるけれども!)

にこ「下駄箱にこんな手紙が入ってたのよ」

凛「どれどれ……矢澤にこ様へ、ずっと前から貴女のことを見ていました。この気持ちの昂りを、もう抑えきれません。今日の放課後、アイドルの練習が終わってからでも構いませんので、体育館裏に来てください」

凛「お待ちしています……追伸、私は男です。えぇ……」

にこ「どう思う……?」

凛「どう思うも何も、こいつ不法侵入にゃ。敷地内に勝手に入ってるし……」

凛(短い文面から人間性は読み解けないが、入っていた場所からして危険な奴なのは間違いない)

にこ「どうしようと思って」


14 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/16(日) 00:59:41 ExKBEZjo
凛「行かない方がいいんじゃない? 代わりに職員室に届け出た方がいいにゃ」

にこ「んー、けどファンの人だったら何だか悪いじゃない。女子高への侵入なんて、誰かに気付かれたら変態と後ろ指差されそうなことなのに危険を冒してまで手紙をくれたわけだし」

凛(にこ先輩は過去にアイドルとして大失敗をしたせいか、今のファンを大事にしすぎるきらいがある)

凛(それは無論良いことなのだけれど、むざむざ危険に飛び込もうとするのは何だか違うような気がしてならない)

にこ「というか、やっぱりこれ告白に見える?」

凛「これが告白の為の呼び出しじゃなかったら、この世の中の告白の呼び出しは大半が違うことになる、ってくらいには告白の呼び出しだよ」

にこ「そうよね、うーん……とりあえず体育館裏、行ってみるわ」

凛「え、行くの?」

にこ「あんまり待たせても悪いし、ね。凛にはそこに一緒に付いてきてもらいたいのよ」

凛「行かない方がいいと……って、凛が!? 絶対男の先生とかの方がいいにゃ!」


15 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/16(日) 01:07:05 ExKBEZjo
にこ「先生連れていったら相手の人捕まっちゃうじゃない」

凛「そ、それはそうだけど。だからって何で凛なの?」

にこ「消去法よ」

にこ「仮に襲われた場合、力が弱そうなことり花陽真姫はアウト。穂乃果と希は野次馬して噂しそうだし……絵里と海未はそもそもそういう現場嫌いそうじゃない?」

にこ「つまり、あんたが適任なのよ」

凛(過剰評価もいいところだ。陸上部だったから体力と力に多少自信はあるとはいえ所詮16歳女子のそれだし、私も野次馬はしそうだし、そういう現場は大嫌いだ)

凛(三拍子揃った一番乗り気じゃない人間を最後まで残してしまう辺り、何とも残念な人である)

凛「凛も野次馬とかしそうだし、別の人に頼んだ方がいいと思うにゃ」

にこ「あんたラーメン一杯奢ったら、どうせ尻尾ふって誰にも言わないにゃーてなもんでしょ?」

凛(訂正、私への評価が低すぎる。彼女は私を犬か猫だとでも思っているのだろうか)


16 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/16(日) 01:13:28 ExKBEZjo
凛「本当に他の人に頼む気は無いの? 行かないって選択肢も?」

にこ「どっちも無いわよ。ほら、早く準備しなさい」

凛「……」

花陽「あれ、凛ちゃん。にこちゃんと何処か行くの? 私と一緒に帰るんじゃ……」

凛「ごめん、ちょっと校門のところで待っててもらってもいいかにゃ? すぐに終わらせるから」

花陽「すぐに終わる用事なら、私も着いていくけど……」

凛「いや、かよちんは校門で待ってて。本当にすぐ行くから」

凛(まさか、危ない男が待ち受けているような場所に連れていける筈がない。花陽を危険な目に合わせるくらいなら、私が被害を被った方がまだマシだ)

凛「一応、十五分経っても校門来なかったら先生呼んで体育館裏に来てもらっていい……?」

花陽「本当に凛ちゃん何をしに行くの……?」


17 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/04/16(日) 01:14:14 ClW0pylU
久しぶり
楽しみだよ


18 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/16(日) 01:18:22 ExKBEZjo
体育館裏

凛(花陽を適当に言いくるめて、私はにこ先輩の後を追った。私が花陽と話している間ににこ先輩は随分先に進んでいたようで、ようやく追い付けたのは体育館裏にほど近い場所だった)

凛「何だかどきどきしてくるね……」

にこ「せめてイケメンだったらいいけど」

凛「不法侵入してるイケメンだけどね」

凛(そんな身も蓋もないことを話しながら、角から二人して、身を隠して体育館裏を覗き込む)

凛(そこに居たのは、にこ先輩よりも小柄な少女だった。クラスで見たことがないので、恐らく上級生だろうか)

凛「……男の人は?」

にこ「いないわね……? ちょっと、男を見なかったか話を聞いてくるわ」


19 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/04/16(日) 01:20:15 MMvF5maI
まさか続きが来るとわ
うれしい


20 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/16(日) 01:27:28 ExKBEZjo
凛(そう言いながらにこ先輩は少女の方へと歩を進める)

凛(近付いてくるにこ先輩に気付いた少女は、人間これほど嬉しそうな顔が出来るのかと言いたくなる笑顔でにこ先輩を迎えた)

凛(二人が何やら二言三言、言葉を交わした後)

にこ「ええっ!?」

凛(にこ先輩が突如すっとんきょうな叫び声を挙げた。狼狽したようにおろおろとするにこ先輩と、嬉しそうな少女の対比は何やら倒錯した芸術作品のようにも思える)

にこ「いや、いやいやっ! 嘘でしょ!?」

凛(たまににこ先輩が挙げる大声以外に会話内容は聞こえてこない。一体全体、あの場で何が起こっているのだろうか)

凛(……あ、にこ先輩女の子に壁ドンされてる。怯えた小鹿のような目で、此方に助けを求めているのは何故なんだろう)

凛「まあ、男の人も居なかったし多分問題無いよね。花陽も待っているし、私は先に帰ろ」

にこ「ちょっと凛! 助けてぇ! 私はそっちのケは無いのよ!」

凛(にこ先輩のよく分からない叫び声を背後に、私は校門へと歩いていった)


21 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/16(日) 01:37:34 ExKBEZjo
にこ「ちょっと……待ちなさいよ……」

凛(逃亡に入った私の肩を、いつの間に追い付いてきたのかにこちゃんが掴んだ)

凛(余程急いで逃げたのだろう、肩で息をしており、唇付近に付着した口紅の跡が生々しい)

凛「あれ、にこちゃん。告白はもういいの?」

にこ「告白どころかどう見ても襲われてたでしょ!? どうして助けに入らないのよ!?」

凛「いや、何て言うか……面倒くさいことになりそうだから関わりたくないなぁって」

凛(途中からおかしいとは思っていたけれど、やっぱり襲われていたのか)

にこ「吃驚したわよ……身体は女だけど心は男だからって言いながらすり寄ってきたのよ? 今世紀最大のショックだわ」

凛「それで、返事は?」

にこ「お断りしたわ……μ'sに入る前のアイドル時代からのファンらしいけど、いくらファンでもあれは厳しいわね……」

凛(にこ先輩は何故これほどまでに、愛が重い人にしか好かれないのだろうか。何とも不思議でならない)


22 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/16(日) 01:43:29 ExKBEZjo
凛「何て言うか、にこちゃんは面白い人生歩んでるにゃ」

にこ「傍目から見たら面白いかもしれないけど、本人にとっては最悪よ!」

凛(本人にとっては最悪、それはそうだろうけどにこ先輩の人生は、やっぱり見ていて面白い)

凛(誰かが見ていて面白いと思えるならば、やはりにこ先輩の物語の主人公は、他の誰でもなくにこ先輩なのだろう)

凛(だから私はほんの少し、迷ってしまう。思考に霧がかかってしまう)

凛(道化を偽る本の虫が主人公の物語なんて面白いものなのだろうか? 仮にそんな本があっても、私は読まないだろう)

凛(読んだとしても、もっと自分らしく振る舞えばいいのに、なんてそんな感想しか出ないだろう)

凛(私の人生の主人公は、本当に私なんだろうか)


23 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/04/16(日) 07:53:55 Umt99wkE
好きな作品の続編が書かれる喜び


24 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/04/18(火) 01:42:02 gJFbYFvM
支援


25 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/04/18(火) 08:45:16 CJIv/Yaw
この生暖かい雰囲気ほんと好き
って言ったらこの凛ちゃんには厳しいこと言われそう


26 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/04/21(金) 05:18:03 rr1GLlAg
この凛ちゃんの日常をいつまでも読んでいたい


27 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/28(金) 02:18:46 ujEx9CQk
海未の家

凛「当選した?」

海未「ええ、当選したんです」

凛「ふうん、当選……」

凛「えっ? 何に?」

凛(あの後、再度襲われたにこ先輩をたまたま通りがかった真姫に任せ、私は花陽と共に帰宅の途に就いた)

凛(海未先輩から緊急事態につき集合という連絡が入ったのは、丁度自室に入り文庫本を手に取った時だった)

凛(海未先輩の焦りぶりに、すわ一大事と駆けつけたところ聞かされたのは、当選の二文字だった)

海未「分かりませんか……?」

凛「流石に当選だけじゃ分からないにゃ。ライブかお渡し会にでも応募してたの?」

海未「いえ、コミケですよ」


28 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/28(金) 02:25:34 ujEx9CQk
凛「へえ、コミケかぁ」

凛「ふうん、コミケに当選……コミケに」

凛「……」

凛「えっ?」

海未「分かりますよ、その反応。私もまさか初の申し込みで受かるとは思っていなかったので」

凛「いや、コミケに当選って……サークル側?」

海未「当たり前じゃないですか。一般なら当選も何もありませんし」

凛「何で急にコミケに応募なんてしたの? 海未ちゃん、買い専だったよね?」

海未「ええ、今まではそうでした。しかし、私は気付いてしまったんです! 自分の中の昂りを満たしてくれるのは、自分以外に有り得ないということを」


29 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/28(金) 02:34:04 ujEx9CQk
海未「今なら良い絡みが描ける……そんな囁きが、私を突き動かしたんです」

凛「突き動かされすぎにゃ」

凛(この園田海未という少女。立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花を地でいく何処に出しても恥ずかしくない大和撫子である)

凛(勤勉にして剛健、弓道でも日本屈指の実力を持ちながら成績はトップクラス。その上アイドルとしての人気も上々という、学生ならば皆尊敬すべき存在だ)

凛(しかし、彼女には一つ弱点がある)

海未「ふふ、素晴らしいと思いませんか? こんな可愛い男の子が、こんな可愛い男の子と……うふっ、ふふふっ」

凛(腐っているのだ)

凛「凛もそう思うにゃー」

凛(私を腐女子と勘違いしているというおまけ付きで)


30 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/28(金) 02:42:39 ujEx9CQk
凛「けど、何の本を出すの? 海未ちゃん最近何にハマってたっけ」

凛(一応質問という体を取ってみたものの、実のところ既にジャンルは分かっている)

凛(海未先輩が最近ハマっているのは、週刊少年ジャンプのヒーローアカデミアだ。先週既刊全巻購入したと聞いたことを、よく覚えている)

凛(流石の海未先輩も一週間で別ジャンルに鞍替えということは無いだろうし、恐らくは私にも勧めた爆豪攻めのデク受けだろう)

海未「ジャンルですか? それは勿論……」

凛「ドキドキするにゃ」

海未「ニューダンガンロンパV3本です」

凛(違ったけども)


31 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/28(金) 02:53:28 ujEx9CQk
凛「……海未ちゃん、ダンガンロンパやってたっけ?」

海未「ええ、少し前にシリーズ全て購入しまして。先日クリアしたんです」

凛「ふぅん……ん?」

凛「先日ってことは、コミケに出す原稿は……」

海未「まだ完成していませんよ、一ページも 」

海未「そこで、凛に手伝っていただけないかと思いまして」

凛「えっ……」

凛(冗談じゃない。本を描くというのに尋常じゃない労力を使うことは、物語を描いたことの無い私でも想像できる)

凛(おまけにダンガンロンパシリーズは未プレイだからストーリーもキャラも分からない。そんな状態で手伝える筈がない)

凛「えーっと、その。凛は絵も上手くないし、集中力もあんまり無いし、別の人誘った方がいいと思うにゃ」

海未「別の人……私にはBL関係のことを話せる友人は他には……」

凛(そういえばそうだ……だから私、こんなにBL談義に巻き込まれてるんだった)


32 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/28(金) 02:59:31 ujEx9CQk
海未「やっぱり、無理ですよね……」

凛(ああ……あからさまに落ち込んでる。けどここで手伝うと言ったが最後、本当に読書の時間が無くなってしまう)

凛(ここは心を鬼にして、断ろう。無茶な要求だし海未先輩も分かってくれる筈だ)

凛「あの、海未ちゃん……」

海未「……」

凛「……」

凛「凛で手伝えることがあるなら何でもするにゃ」

凛(いや無理だ。この状態の海未先輩を見て断れるほどの胆力は私にはない。残り時間的にも、海未先輩一人では間に合わないだろうし)

海未「本当ですか!? 凛、有難うございます……初参加で新刊を落とす羽目になるところでした」

凛「そうと決まれば早速取りかかろうよ。手伝いがいるってことは、小説本じゃなくて漫画だよね? ネームはもう出来てるの?」


33 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/04/28(金) 03:09:27 XrQbDLBg
なんだかんだ折れてしまうこの凛ちゃん好き


34 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/28(金) 03:13:04 ujEx9CQk
海未「ええ、ネームはもう出来ています。ダンガンロンパを知らなくても楽しめるように作ってありますので、一度読んでもらえませんか?」

凛「う、うん……一応聞いておくけど、BL本だよね?」

海未「? 当たり前じゃないですか」

凛「だよね、読ませてもらうにゃ」

凛(タイトルは……『総統は夜に乱れる』。なんかもう既に辛い)

ペラッ


王馬『にししっ、百田ちゃん。俺のこと嫌いって言ってるくせに……フ○ラで勃起しちゃったんだね』

百田『う、うるせぇ! こんなことされて勃たないやつは……』

王馬『最原ちゃんは勃たなかったけど』ニギッ

百田『っ! お前、最原ともこんなこと、したのかよ』

王馬『嘘だけどね。俺がこんなことするのは百田ちゃんだけ……ってそれも、嘘だけど』カプッ

百田『んっ……ああっ……』


凛(なんか色々すっ飛ばして初っぱなからヤッてる……)

海未「どうですか、凛?」

凛「んー、説明無しで始まってるから凛みたいに原作知らない人だとちょっと分からないかも。海未ちゃんがさっき言ったように原作未プレイ組にも楽しんでもらうようにしたいなら、キャラの人となりとか設定とかをさらっと入れる日常風景を最初に持ってきた方がいいにゃ」

凛「知らないキャラがいきなり性行してても、楽しめないよ。そこにどういう過程があってこういう結果になるのか、そういうことが書けてないと思うにゃ」


35 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/28(金) 03:20:54 ujEx9CQk
凛「それに百田の台詞で最原ってキャラが出てるのに、該当キャラが作品内に登場してないのも問題だよ。やっぱり既にプレイしているファンにしか伝わらない……」

海未「……」

凛「……あっ」

凛(ま、まずい。つい普段と同じ感じで批評しちゃった。多分海未先輩は「凛」にこんな感想を求めていないのに……)

凛「け、けど面白いにゃー! 原作プレイしてみたくなったよ!」

海未「凛、無理をしなくていいんですよ」

凛「う、海未ちゃん?」

海未「確かに凛に言われた通りです。私は知らず知らずの間に、未プレイを遠ざけるような書き方をしてしまっていました」

海未「……これは作り直します。自分の描きたいものを優先しすぎて、エンターテイメントの本質を忘れていました」

凛「け、けど今から作り直したら時間が……」

海未「明日までに作り直します。すいませんが、また明日見ていただいてもいいでしょうか」

凛「……分かったにゃ」


36 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/28(金) 03:32:49 ujEx9CQk
夜 凛の家

凛(あーあ、やっちゃった)

凛(海未先輩のあの顔……かなり落ち込んでたなぁ。自分の描いたものが否定されるって、やっぱり悲しいことだよね)

凛「けど、創作には……」

凛(創作に対しては、妥協したくない。例えそれが同人であろうとも、なあなあな物を作ってほしくない)

凛(そう思うのは我儘なんだろうか)

凛「海未先輩、今頃ネーム書き直してるのかな」

凛(現実問題、あのネームは面白くなかった。凡百の、独りよがりな自分の描きたいものだけを押し付けたようなよくある話)

凛(二次創作は自分の描きたいものを描けばいいんだ、なんてことを言ってしまえばそれまでだけど)

凛「全ての人間が整合性ある物語を描きたいわけじゃないんだよね。海未先輩はあれが描きたかったんだ……明日会ったら謝ろう。描きたいものを描いて、って」


37 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/28(金) 03:41:16 ujEx9CQk
凛(翌日の朝、私は目に大きな隈を作った海未先輩からネームを手渡された)

凛(花陽に気付かれないよう学内でこっそりと読んでみると、それは先日私が指摘した点が全て直され全くの別物になっていた)

凛(百田と王馬の出会い、お互いの心境、学級裁判を乗り越える度に深まる互いの溝……けれど惹かれあう二人の思いがきちんと描かれた良い漫画だ)

凛(問題は、このネームが漫画の単行本程度の厚さなことぐらいだろう)

凛「……これをコミケまでに描くの?」

凛(間に合うとか間に合わないとかの問題じゃないくらい太い、150ページ以上あるネームを手に、私は昨日の指摘を後悔した)

凛「黙って16ページ、手伝えば良かった……」


38 : ◆UBJU4NwTVE :2017/04/28(金) 03:45:24 ujEx9CQk
いつものことながら更新間隔滅茶苦茶ですいません
なるべく早く更新するよう心掛けます


39 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/04/28(金) 04:08:17 XrQbDLBg
続きが待ちきれないけど待ってる


40 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/05/04(木) 23:31:46 RvDYTYqY
書いてくれてありがとう


41 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/05/07(日) 06:17:32 jFpbShOg
海未ちゃんのエピソード毎回面白いんだよな
続きはよ


42 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/08(月) 00:19:11 vLQyQ2Hk
帰り道

凛(ん、と私は背伸びをした)

凛(腰といい肩といい、普段あまり使用しない筋肉がバキバキと音を立てる。何とも言えない気分である)

凛「あの原稿、本当に終わるのかな……」

凛(枚数にして約150。小説ならばよくあるページ数だが、残念なことに漫画だ。しかも私も海未先輩も絵に関しては素人だ)

凛(無事完成すると断言できるほど、私は楽観的でも享楽的でもない)

凛(現に、部活終わりに海未先輩の家に寄って、空が紫に染まるまで作業をしても絵がついたのは2ページだった)

凛「ふうむ……」

凛(とはいえ、私の指摘に合わせてわざわざ変えてきた物を更に減らせとは言い辛い。ストーリーの方も、ページを減らせば説明不足に陥りそうなのが何とも……)

凛「出来るところまで書いて前編、残りを次回コミケで後編として出すしかないよね……」


43 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/08(月) 00:27:31 vLQyQ2Hk
凛「しかし、漫画を描くというのは予想以上に疲れるなあ」

凛(さっさと家に帰って寝てしまおう、そんな私の考えとは裏腹に、私の足は行きつけの古書店へと向いていた)

凛(私には悪い癖がある。疲れている時や、小説を読む時間が取れそうもない時に限ってついつい古書店へと出向き本を買い込んでしまうのだ)

凛(一種の浪費癖のようなものだろうか)

凛「何だかんだで最近行けてなかったしね。店主、元気にしてるかな」

凛(店主は詳しい年齢は知らないが、随分な高齢だ。少し前までは元気にやっていたのだけれど、最近は店からくるメールのほとんどが体調不良による臨時休業の知らせばかりだった)

凛(今日は休業メールは来ていないから開いている筈だ。新しく入った本もあるだろうし、今日はたっぷりと買わせてもらおう)


44 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/08(月) 00:37:18 vLQyQ2Hk
凛(四ツ辻を右に曲がると、住宅街の中にポツンと明かりが見えた。桐谷古書店だ)

凛(どうやら開いているらしいが、中に人の気配はない。まあいつものことだ)

凛「失礼します」

凛(ガラガラと引き戸を開けると、店主のいらっしゃいの声が……)

凛「……」

凛「……」

凛「……?」

凛(聞こえてこなかった)

凛「あれ、おかしいな。戸は開いていたのに」

凛「すいません、今日はお休みですか」

凛(言いながら、普段店主が座っている奥の方へと進んでいく)

「やっているけれど、静かにしてくれないか」

凛(と、本棚の陰からひょろりと背の高い若い男が顔を出した。陰気そうな表情の、何処か病弱な印象を受ける男だった)


45 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/08(月) 00:44:36 vLQyQ2Hk
「本を読んでいるところなんだ。全く、客が来ないというから店番を変わったのに」

凛(男はこっちに気を使う様子もなく、それだけ言い放つと店主の机の方へゆらゆらと歩いていき、さも当然という風にそこへ座り込んだ)

凛「あの、店主のお知り合いの方ですか」

凛(私が聞くと、男は何でそんなことを聞くんだとでも言いたげにこっちを睨めつける)

「孫だ。大学の休みに、ここの店主が倒れたせいで店番に呼び出された」

凛「倒れた? 店主がですか!?」

「ああ、今は西木野総合病院に入院している筈だ。見舞いに行くなら部屋の番号を教えるが……君、常連の星空凛だろ?」


46 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/08(月) 00:51:23 vLQyQ2Hk
凛(急に名前を当てられ、私は身がすくむのを感じた。スクールアイドルを始めてから、見知らぬ人に名前を呼ばれることは増えたが、この瞬間だけはどうにも慣れない)

凛「そ、そうですが……」

「今の高校生にしては珍しく、文学を嗜む娘だと祖父から聞いている。買う本を選んでくるがいいさ、その間に祖父の病室をメモしておいてあげよう」

凛(それだけ言うと、話は終わったとでも言いたげに男は手元の本へと視線を戻した)

凛(男の言いたいことは大体理解できていた。彼は遠回しに、読書の邪魔をするな、お前も読書家ならそれが分かるだろうと言っているのだ)

凛(私は黙って、古書の並ぶ棚の前に立つ。今までは店主とあれがいい、これがいいと言い合いながら読む本を選んできた私にとって、これほどまでに味気の無い本選びをするのは始めてだった)


47 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/08(月) 01:02:16 vLQyQ2Hk
凛(結局私は数冊、前から気になっていたものだけを選んで孫と名乗る男のところへ持っていった)

「ふうん、なるほど」

凛(私が持ってきた本をちらりと見て、男はつまらなさそうにそう言った。何やら、私は無性に恥ずかしくなった)

凛(私が今日選んだのは有名な作品だった。池井戸潤や東野圭吾、 坂木司といった、映像化した小説ばかりだ。何ともミーハーだが、テレビCMを見て読んでみようと思い立ったものだらけである)

凛(店主が居れば、と思ったところでふと私は気付いた)

凛(それは、とてつもなく嫌な気付きだった)

「これが病室の番号だ。見舞いに行くなら、行ってあげてくれ。きっと暇をもて余しているだろうから」

凛(男のそんな言葉で、私ははっと我に返る)

凛「ああ、はい。行かせてもらいます、ありがとうございました」

凛(適当にお礼を言うと、私は降って沸いた考えをかき消すように早足で古書店を後にした)


48 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/08(月) 01:06:20 vLQyQ2Hk
凛(もう辺りは暗い。親も心配……してはいないだろうが、早めに帰らなければ説教の一つでも食らうかもしれない)

凛「あぁ……」

凛(ふと、溜め息がこぼれた)

凛(先程の気付きが、忘れようとしても、振り払おうとしても、霧のように脳にまとわりついて離れようとしない)

凛「私は……」

凛(それは最悪の考えだった。恐らくこの世でこんなことに悩む人はいないであろう、馬鹿げた考え)

凛(けれど、その考えが私を支えている全てを壊すと言っても過言では無かった)


49 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/08(月) 01:10:12 vLQyQ2Hk
凛(古書店でのあの行動)

凛(普段の私ならば、あんな選び方はしなかった)

凛(だからこそ、つい思ってしまう。そんな有り得ない話に、悩んでしまう)

凛「私は、本が……」

凛(花陽の前で偽りの自分を演じていた私。本当の私は、読書を好む文学少女だ)

凛「……」

凛(それすら、偽りだったんじゃないだろうか。店主の前で文学少女を偽って、それを本当の自分だと思い込んでいたんじゃないだろうか)

凛「私は本好きを、演じていただけ……?」


50 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/08(月) 01:15:21 vLQyQ2Hk
凛「そんな筈ない!」

凛(叫んだ声に、近くを歩いていた犬の散歩中の老婆が仰天したように此方を見る)

凛(しかし、そんなことに構っている余裕は私の中には無かった)

凛(私は本が好きなんだ、それが真実なのだ)

凛(けど、でも……)

凛(私は、いつから読書を好んでいた?)

凛「……」

凛(脳が震えている。世界が揺れて、肺が酷く痛む)

凛(人生の主人公かを考える以前に、私は登場人物を見誤っていたのかもしれない)


51 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/08(月) 01:23:14 vLQyQ2Hk
学校

凛「にゃー……」

花陽「凛ちゃんどうしたの? 潰れた饅頭みたいな顔になってるよ」

凛「最近考えることが多過ぎて頭パンクしそうなんだ」

花陽「考えること、って?」

凛「かよちん、前に人生の主役は誰かって話したの覚えてる?」

花陽「あの話? 覚えてるけど、あれがどうかしたの?」

凛「あの時凛は、人生の主役は自分だって言ったよね」

凛「けど、自分が考えてた自分像が、全くもって間違っていたとしたらそれは主役以前の話なんじゃないかと思っちゃって」

凛「もう色々とよく分からなくなってきちゃったにゃ」


52 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/08(月) 01:30:14 vLQyQ2Hk
真姫「何よ凛、珍しく頭良さそうなこと言ってるじゃない。何だか哲学的ね」

凛「真姫ちゃん、聞いてたの?」

真姫「この距離なら嫌でも聞こえてくるわよ。けど私はそんなことで悩むより、次の数学の小テストをどうするか悩んだ方がいいと思うわ」

真姫「もしくはにこちゃんの話をして気を紛らわせるか。そうそう、少し前の話なんだけどにこちゃんがスキーに行って」

凛「数学の勉強するにゃ」

真姫「そう? なら花陽、にこちゃんのこと話しましょ」

花陽「えっ!? わ、私はその」

真姫「スキー場で一日リフト券を買おうとしたらしいんだけど、何とその時」

花陽「……むぐぅ」

凛(花陽には悪いことをした。しかし、悩んでいる今、真姫のにこ先輩話なんて聞いている心の余裕は無いのだ)


53 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/08(月) 01:36:33 vLQyQ2Hk
凛(自分探しの旅、というわけでもないが、自分が本当に本好きなのだという確証が欲しい)

凛(この人格が私の素なんだという根拠が欲しい)

凛(そんなことで悩んでいる人間は、地球上探しても私以外にはいないだろう)

凛「ああ……ここの数式全然分からんにゃ……」

凛(数式も分からないし、テストは諦めるとして放課後はどうしようか。恐らく自分のルーツが何処かにある筈だ)

凛(それさえ見付けられれば……って駄目だ)

凛(放課後は海未先輩の家で原稿の手伝いをしなきゃならない。休日は泊まり込みになるって言ってたし、何かを探すどころか寝る時間も怪しそうだ)

凛(……いつも私は、肝心なことは先延ばしなんだ。いつも、いつも……)


54 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/08(月) 01:37:30 vLQyQ2Hk
今日はここまで


55 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/05/08(月) 02:15:17 bT7OOnqM
うまいな

別キャラだと思ってたこの星空も
本編凛ちゃんと何ら変わらない可能性があるわけだ


56 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/05/10(水) 21:05:10 RXgZhR2Q
読ませるなぁ


57 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/17(水) 17:11:09 BR0h7FDk
放課後
海未の家

海未「セックス……」

凛「海未ちゃん、ついに壊れたの? やっぱり当落確認からの新規150ページ越えは無理だと思うにゃ」

海未「いえ、そこは諦めていませんが……セックスシーンが問題なんですよ」

凛「百田と王馬の?」

海未「百田と王馬の」

凛(正直なところ、海未先輩とBL話をするようになってから、ホモセックスの話をすることに嫌悪感が無くなってしまった)

凛(これは成長なのか進化なのか、悩むところだ)

凛「ネーム見た感じ問題は無さそうだけど」

海未「いえ、大問題なんです」


58 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/17(水) 17:15:29 BR0h7FDk
海未「例えばここを見てください」


百田の尻が湯気を立て、生き物の口のようにくぱくぱと王馬のペニスを求めている。
アナルから溢れてくるねっとりとした汁を王馬はいやらしく弄びながら、ゆっくりと挿入していく。
百田、苦痛と快楽に呻く。


凛「うん、BL本ではよく見る光景だにゃ」

凛「もしかしてあれ? アナルから湯気はたたないとか、腸汁はここまでねばつかないとかそういうやつ?」

海未「いえ、そこはホモセックスファンタジーということで問題ありません。大手もやってますし」

海未「問題は……」

凛「うん」

海未「私の画力では、この描写を表現しきれないことです」


59 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/17(水) 17:20:49 BR0h7FDk
凛「……」

海未「……」

凛「……今さらそれを言うの?」

海未「確かにこれは、画力を高めなかった私のミスです。セックスシーンをもっと練習しておくべきでした」

凛(海未先輩の画力は、はっきり言って拙い。学校で絵を描けば多少上手いと言われるが、ネットにアップしたらボロクソ言われる程度の画力だ)

凛(骨格がおかしいとか、キャラが似てないとか色々問題はあるが……それでも日常シーンは背景を極端に減らすことで何とかなっていたのに)

海未「うーむ……今から練習していては時間が足りませんね」

凛「いっそのこと、ばっさりとセックスシーンはカットして日常シーンの中で匂わせる形にしようよ」

凛「セックスシーンが無くても成立しているBL作品なんて一杯あるし」


60 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/17(水) 17:25:28 BR0h7FDk
海未「し、しかし」

凛「海未ちゃんが濡れ場を描きたいのは何となく分かるよ? だって約150ページ中90ページ近くがエロシーンだし」

凛「けど書けないものは駄目だよ。その上セックスを削れば60ページになるにゃ」

凛「三分の一だよ? これならまだ希望は見えるし、今が決断の時だと思う」

海未「うう……少し、考えさせてください」

海未「今日は一旦作業を中断しましょう。明日までに、答えを出しておきますので」

凛「分かったにゃ。じゃあ、凛は帰るね」


61 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/17(水) 17:36:34 BR0h7FDk
凛(帰り道、私は考えていた)

凛(海未先輩の同人誌は一先ず一件落着だろう。150余りのページ数を埋めるのは無茶と、本当は本人も分かっているだろうから。セックスシーンを完全に削るのは無理としても、流石に削ってくれる筈だ)

凛(白黒で、絵のクオリティも求めずトーンも貼らないなら、まあ印刷所の〆切ギリギリまで……最悪割り増しを払えば何とかなる)

凛「はぁ……」

凛(だから私は、今直面している問題に頭を回す。私が考えたところでどうにかなるものではないと思いながらも)

凛「桐谷古書店、無くなっちゃうのかなぁ」


62 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/17(水) 19:04:35 BR0h7FDk
凛(海未先輩の家に行く前に、私は古書店の店主の見舞いに行っていた)

凛(店主は私の来訪を喜び、おすすめしようと思っていたんだとお手製のリストまで渡してくれた)

凛(私はそんな店主を、まともに直視することが出来なかった)

店主『あはは、医者もオーバーなんだよ。私はまだまだ元気なのにねぇ』

凛(店主の腕には何本も管が付けられていた。顔色は悪く、青を通り越し土気色だ。ふっくらとしていた身体と今は枯れ枝のようで、触れれば折れてしまいそう)

凛(先が長くないのは、明らかだった)


63 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/05/17(水) 20:00:17 .T5sxz0g
準レギュラーだった店主がついに…


64 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/21(日) 22:28:17 dua15qmI
凛(私は話もそこそこに、逃げ帰るようにその場を後にした。そんな店主を見ていられなかったからだ)

凛(店主は、私にとっては気さくでいい人だ。私が買っていった本の感想を笑顔で聞き、内容の分析で意見が対立したときも納得する形で双方の感想を擦り合わせてくれる)

凛(そんな彼が死ぬ?)

凛「嫌だ……」

凛「それだけは……嫌だ……!」

凛(人間生きていれば、いつかは死という壁に当たる。それは誰にも避けられない、確定した未来だ)

凛(だけど、嫌だ。子供っぽいと言われても構わない、駄々をこねていると思われても構わない)

凛(店主がいなくなり、あの居心地のいい古書店が無くなるというだけで涙が止まらなかった)


65 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/21(日) 22:35:15 dua15qmI
「あら、凛。こんなところで会うなんて奇遇ね」

凛(そんな私に、声を掛けてくる人影があった)

絵里「落ち込んでるようだけど、何かあった?」

凛(絵里先輩だ。手に買い物袋を下げているところを見ると、どうやら近くのスーパーに寄った帰りらしかった)

凛「あ……絵里ちゃん」

絵里「……少し泣いてる? 目の端、濡れてるわよ」

凛「何でもないよ、ちょっと目が疲れてるのかもしれないにゃ」

絵里「そう? ならいいんだけど」


66 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/21(日) 22:40:20 dua15qmI
凛「……にゃ?」

凛(何でもない、とそう言ったにも関わらず絵里先輩は私から離れようともせず、何処か不思議そうに私をジッと見つめている)

凛「な、何? 何か顔についてる?」

絵里「ねえ、凛。私、今から希の家に行くのよ」

凛「え?」

絵里「晩御飯を作りに、ね」

凛「そうなんだ。仲良しだもんね、絵里ちゃんと希ちゃん」

凛(笑顔で受け答えしながらも、私の心の中は疑問だらけで謎だらけで不思議だらけだった。前後の文脈に関連性が無さすぎて、何故急にそんな話をしてきたのか分からなかったからだ)


67 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/21(日) 22:46:41 dua15qmI
絵里「それで、よかったらなんだけど凛も一緒に来ない?」

凛「……へ?」

絵里「ほら、こういうのって人数が多い方が楽しいじゃない。材料も少し多目にかってあるから、三人分くらいなら何とかなるわ」

凛「えっと……いいの? 希ちゃん、凛が着いてったら吃驚しない?」

絵里「それは大丈夫よ、私から連絡しておくから。凛も家でご飯が用意されてるとかじゃなかったら、来てくれると嬉しいわ」

凛「うん、確認してみるにゃ」

凛(絵里先輩と並んで歩きながら、私は家に、絵里先輩は希先輩へと電話をした。幸いにも私の分の夕飯はまだ作られてはいなかった)

凛(電話口で、父が私の人前口調をからかうのを絵里先輩に聞かれやしないかと冷や冷やしながら電話を終えると、絵里先輩は待っていたように口を開いた)


68 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/21(日) 22:50:25 dua15qmI
絵里「凛、パパの前では自分のことを私って呼んでるの?」

絵里(からかうような、ニヤニヤとした笑みだった)

凛「う……」

絵里「大丈夫よ、分かるわ。何だか親には背伸びしたりするものよね。凛ったら思春期真っ盛りなんだから」

凛(何だかよく分からないが、絵里はただの背伸びと納得してくれたようだった。十六歳が自分を私と読んで背伸びもないものだ)

凛「は、恥ずかしいにゃ……皆には秘密にしておいてよね!」

凛(だから多分、これが今私に出来る、凛らしい最高の反応だった)


69 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/21(日) 23:01:20 dua15qmI
絵里「はいはい、私と凛だけの秘密にしておくわ」

凛(そう言って、絵里先輩は悪戯っぽく笑った)

凛(この人は見た目は一番成熟しているのに、どうにも悪戯心を出すことがある。たまに臆病だったりお化けが苦手だったりと、そこはかとなく子供っぽいのだ)

凛「絵里ちゃんはそう言ってくれるから好きにゃ」

絵里「そう? ありがとう」

凛(そして、どちらからともなく会話は打ち切られた。二人して、街灯に照らされた薄暗い道を無言で歩いていく)

凛(けれどそれは、決して気まずいものではなかった。私はむしろ、心地よさまで感じていた)


70 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/21(日) 23:06:10 dua15qmI
凛(絵里先輩を横目で見ると、彼女も何処か楽しげに見えた)

凛(無言の時間の楽しみ方を、私達は知っている。その時間を共有している、そんな些細なことが少しだけ嬉しかった)

凛(けれど、会話がなくなってすぐに、私の頭の中は色々な悩みで一杯になる)

凛(真実の自分、海未先輩の手伝い、店主の容態、古書店。様々な思いが私の心の弱いところを刺激しては、嘲るように切り替わっていく)

絵里「……凛、あのね」

凛「えっ?」

絵里「えっと……その、何て言ったらいいのかしら」


71 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/21(日) 23:10:30 dua15qmI
凛(絵里先輩がそんな風に話を振ってきたのは、希先輩の家にまもなく着く頃だった)

絵里「……ええと」

凛「絵里ちゃん、どうしたの?」

絵里「凛、私はね。何て言うか、凛にもっと……」

絵里「……何でもないわ、ごめんなさい」

凛「えぇー! 気になるにゃ!」

絵里「まあいいじゃない、それより凛って魚は苦手なのよね?」

凛「苦手だよ。焼き魚なら醤油と大根おろしをたっぷりかけて、味が分からなくなってたら食べられるけど」

絵里「それはもう大根おろしに魚が入ってるようなものじゃない……?」


72 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/21(日) 23:14:08 dua15qmI
絵里「実はね、今日はお鍋を作ろうと思ってたのよ」

凛「いいね、凛はお鍋好きだよ」

絵里「具材のメインがつみれなのよ」

凛「つみれ?」

絵里「つみれ」

凛「それは……あの、魚肉の?」

絵里「魚肉の」

凛「……」

絵里「……」

凛「絵里ちゃんお疲れ様、凛は急用を思い出したいから帰るよ」

絵里「思い出さなくていいから帰らないで! ほら、少しだけど豚肉もあるから!」


73 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/22(月) 22:03:35 CDk.vUVI
希の家

凛(結局今から帰るわけにもいかず、私は希先輩の家にお邪魔することになった)

凛「希ちゃん、こんばんは。突然お邪魔しちゃってごめんね」

希「ああ、凛ちゃん。絵里ちから話は聞いてるで、失恋したんやってな」

凛「何がどう伝わったらそうなるの?」

絵里「ちょっと希。凛をからかうのはやめなさい」

希「あはは……ごめんごめん、本当はお腹を空かせた凛ちゃんが街をさ迷ってるって聞いたんよ」

凛(二人は私のことを野良猫か何かだと思っているのだろうか)

絵里「具材は買ってきたわよ。鍋とコンロは用意してくれてる?」

希「勿論や。ガスもまだまだあるし、問題は無いやん」


74 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/22(月) 22:08:03 CDk.vUVI
凛(鍋に順繰りに具を入れ、灰汁を取り除く。完成するまでのもっぱらの話題は、私に関することだった)

凛(普段は二人で食べているから、お互いのことは語り尽くしてしまったのだろうか。そんな考えをしてしまうほどに、私の話しかでない)

絵里「そういえば凛、最近海未と仲良いじゃない?」

希「それウチも気になってたんよ。前から仲良かったけど、最近はそれに輪をかけて仲がいいというか」

凛「そ、そうかにゃ? 海未ちゃんは厳しいけどすっごく優しいから、仲良くなったのかも」

凛(優しいというかやらしい一面もあることは、秘密だ)


75 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/22(月) 22:12:50 CDk.vUVI
希「花陽ちゃんが少し落ち込んでたで、凛ちゃんが一緒に帰ってくれないとかあんまり構ってくれないとか」

凛「学校では普通に話してるんだけどなぁ」

凛(確かに言われてみれば、最近花陽と一緒に帰った覚えがない。家に一旦帰ると海未先輩の家に行くのが少々遠いので、直に行くことが多いのだ)

凛(変に怪しまれて気付かれたらますますおかしなことになりそうだし、気を付けなきゃ……)

絵里「……ひょっとして、今日海未の家に行ってた?」

凛「え!? な、なんで!?」

絵里「そんな大声出さなくてもいいじゃない……海未の家が近いところで会ったから、そう思っただけよ」


76 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/22(月) 22:17:35 CDk.vUVI
希「その反応ってことは図星みたいやな。二人で何してるん?」

凛「何してるって……」

凛(漫画を描いてます、何というかたまにナニを描いてますなんて最低のジョークを飛ばせるわけがない)

凛「えっと、実は日舞を教えてもらってるんだ」

希「日本舞踊を?」

絵里「凛が?」

凛「そういう反応になるから言いたくなかったにゃ!」

絵里「ごめんなさい、ちょっと驚いちゃって。凛が日舞に興味があるなんて思わなかったから……」


77 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/22(月) 22:22:32 CDk.vUVI
凛「ンモー、凛だって女の子なんだよ? 海未ちゃんみたいに綺麗に舞いたくなる日もあるにゃ」

凛(はたして私というキャラクタアは何処に向かっているのだろう)

凛(本好きを隠し、にゃあにゃあ鳴き、BLを好み、日舞を舞う……? ここまで意味不明な人物像を誰が私に結びつけられるのか)

希「へー、よかったら今度見せてくれへん?」

凛「……」

凛「へっ?」

希「いや、日舞。練習してるんやんな? 凛ちゃんが日本舞踊してるところって想像つかへんし、見たいなーって」


78 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/22(月) 22:27:31 CDk.vUVI
凛「え、えっと……それは……」

絵里「いいわね! 私も凛の日舞観てみたいわ」

希「絵里ちもそう思うやんな。そんな大袈裟な話じゃなくて、練習する風景とか見せてほしいってだけ」

絵里「明日は練習あるの? よければ私達も海未の家に……」

凛「話がトントン拍子に進んでいってる……!」

凛(まさかこの二人が見たいと言い出すとは思っていなかった。誤算もいいところだ)

凛「凛の日舞はまだまだ形にもなってないし、観てても楽しくないと思うよ?」


79 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/22(月) 22:31:59 CDk.vUVI
希「大丈夫大丈夫、最初は皆そんなものやって」

絵里「私もバレエを始めてすぐの時は全く踊れなかったし……第三者の目があると上達が早い気がするのよ」

凛「そ、そう?」

凛「えっと、明日は練習無いから……ら、来週とかどうかな!」

希「来週? ウチは問題ないよ」

絵里「私もよ、楽しみにしてるわ」

凛「うん……」

凛(ただでさえ忙しい私の行動に、日舞の練習が加わろうとしていた。海未先輩にも迷惑をかけるだろうから後で謝っておこう……)


80 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/05/23(火) 14:48:11 WD2ejqHM
ドツボにはまっていく凛ちゃん好き


81 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/05/23(火) 19:34:40 eXK2nQ9o
すき


82 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/24(水) 01:13:38 ZQTLw4yU
絵里「っと、そろそろ煮えたわね。食べましょ?」

希「凛ちゃんの分はウチがよそってあげるよ。つみれ多目でいい?」

凛「それでいいと思うんだったら凛は希ちゃんとの友人関係を解消する覚悟があるよ」

希「うん? えらく回りくどい言い方やな」

凛「友達辞めるにゃー!」

希「……?」

凛(最近、演じている自分と隠している自分の境目が曖昧になってきているのは自分でも自覚していた)

凛(思考に「凛」が混じり、会話に「私」が混じる。どちらも本物として、偽物として表層に現れようとしてくる)

凛(壊れているような気さえした)

凛「とにかく、凛はお魚味の物は食べられないよ……」

希「分かってるやん。白菜と豚肉多目にしとくね」


83 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/24(水) 01:18:55 ZQTLw4yU
絵里「足りなくなるかもしれないから、少し具材切ってくるわね」

凛(食べ始めて早々に、絵里先輩は台所へと向かう)

凛(ほんの少し、その行動に違和感を覚えた。まだ具材はたくさんあるのに、何故更に追加しようとしているのか分からなかったからだ)

希「なぁ、凛ちゃん」

凛(その疑問は、希先輩からの言葉ですぐに氷解することになる)

希「ウチらは、凛ちゃんの先輩なんよ。困ってたり悩んでたら、気軽に頼ってくれてもええんよ」

希「絵里ちは、私に頼りがいがないから喋ってくれないかもしれないから頼むわ、なんて言ってたけど……凛ちゃん、単純にウチらに打ち明けにくい悩みがあるんやろ?」

凛「……希ちゃん」

凛(ああ、なるほど。嗚呼、成る程。そういうことだったのだ)


84 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/24(水) 01:26:27 ZQTLw4yU
凛(絵里先輩は具材を切りにいったのではない。自分がいない方が希先輩に悩みを打ち明けやすいんじゃないかと考えて、気を使ってくれたのだ)

凛(思えば私を誘ったときから、気を使ってくれていたのだろう。悲しんでいる後輩を一人にしたくなくて、こうして場を作ってくれたのだろう)

凛(けれどそれは的外れだ。私は希先輩も、絵里先輩も、同じぐらいに頼りがいのある先輩だと認識している)

凛(それでもなお、打ち明けられないんだ。誰にも頼ることは出来ないのだ)

凛「大丈夫だよ、凛には悩みなんて全然無いにゃー! それに、絵里ちゃんも頼れる先輩だって思ってるよ」

凛(だから、演じる。道化を、蟋蟀の凛を私は騙る)

希「……そっか」

希「凛ちゃん、もし悩みが出来て、一人じゃどうしようもならなくなったら頼ってな」


85 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/24(水) 01:33:56 ZQTLw4yU
希「それはウチや絵里ちだけじゃなくて、にこっちでもええし」

希「穂乃果ちゃんや海未ちゃん、ことりちゃんでもええ」

希「真姫ちゃん、花陽ちゃんでも勿論大丈夫や」

希「一人で悩むくらいなら、すぐに相談してな。きっと皆、助けてくれる……仲間なんやからな」

凛「……」

凛(そうだろう。私が悩みを一つでも打ち明ければ、この心の中を一つでもさらけ出せば、きっと皆驚いた後には相談に乗って助けてくれる)

凛(私を突き放すことのない優しい人達。そんなことは、重々承知している)

凛(たった一言、私が助けてと言えば、相談に乗ってと言えば、少なくとも今よりずっとずっと楽になれる……)

凛(私は)

凛「ありがとう、希ちゃん。何かあったらすぐに相談させてもらうにゃ!」

凛(偽りの言葉と共に、笑顔の仮面を被った。それが花陽に隠し通す為なのか、自分に隠し通す為なのか、もう何も分からなかった)


86 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/24(水) 01:42:28 ZQTLw4yU
凛(少しして、絵里先輩は食卓に戻ってきた。手に僅かに切った、白菜の乗った皿を載せて)

希「絵里ちおかえり、やっぱり絵里ちの考えすぎやったで」

絵里「え? そうなの?」

希「凛ちゃん何も悩んでないって」

凛「『凛』が悩む筈ないにゃ。絵里ちゃんはおっちょこちょいだなぁ」

絵里「そ、そう? おかしいわね、少し泣いてるように見えたのに……」

凛「多分寒さで目が乾燥してたんだよ」

絵里「えぇ……心配したのに。けど何もなくて良かった、海未と喧嘩でもしたのかと思ってたのよ」

凛「山登りにでも連れていかれなきゃ、海未ちゃんと喧嘩なんてするわけないよー」

希「そうやな、凛ちゃんも海未ちゃんも優しい子やから」

凛(ごめんなさい、と心の中で呟いてから、私は談笑に戻る。私は優しくなんかない、こんなに優しい皆を幾重にも張った嘘で騙しているのだから)


87 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/24(水) 01:53:04 ZQTLw4yU
凛の家

凛「ただいまー」

「おかえりにゃあ」

凛「お父さんからかうのはやめて、流石に許されないよ。お母さんは?」

「とっくに寝てるよ。凛も早くお風呂に入って寝なさい、明日も朝練で早いんだろう?」

凛「うん、ありがとう」

凛(夜は母や私よりも遅く寝て、朝は誰よりも早く起き料理を作って出社する。私の父は何者なのだろう)

凛「あ、お父さん。少し聞いていい?」

凛(それは、ほんの思い付きだった。確かな答えが返ってくるとは思ってもいない、壁に話しているようなそんな質問だ)

凛「私って、いつから花陽達の前でにゃあにゃあ言ってた?」

「いつからって、そうだな。5歳くらいだったかな」


88 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/24(水) 01:56:23 ZQTLw4yU
凛「じゃあ、私が本を読み始めたのはいつ頃だっけ」

「いつからか……ふうむ、昔から絵本は読んでいたけど、本格的に小説を読み始めたのは小学校に上がってからじゃないか?」

凛「じゃあ……私はいつから自分のこと、私って言ってた?」

「花陽ちゃん達の前ではずっと凛だったが……家で私と言い始めたのは、中学に上がってからだな」

凛「そっか、ありがとう」

「何かあったのか?」

凛「ううん、何でもない。お風呂入っちゃうね」


89 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/24(水) 02:03:22 ZQTLw4yU
凛(部屋から着替えを取ってくると、私は脱衣所へ向かう)

凛(服を脱ぐと、自分の身体が思った以上に冷えていることが分かった。希先輩の家では鍋で暑いくらいだったのに、かえって汗で冷えてしまったのだろうか)

凛「寒いなぁ……」

凛(風呂場の扉を開けると、空間にとどまっていた湯気がむわっと顔を出す。それを割るようにして、私は中へ入る)

凛(掛け湯をすると、足の指が痛んだ。冬場はいつもこれだから不思議だ、全身が冷えている筈なのに痛いのは足だけなのだ)

凛「ふぅ……」

凛(湯船に浸かり、私は父の言葉を反芻する)

凛「ますます何がなんだか分からなくなっちゃったなぁ……」

凛(本を好む私は小学生から、皆の前でにゃあにゃあ言っていたのは5歳から、私を私と呼ぶようになったのは中学から)

凛(辻褄が合わないのだ)


90 : ◆UBJU4NwTVE :2017/05/24(水) 02:09:58 ZQTLw4yU
凛(小説を好んでいるということは、小学生の私は今の私と同じだ)

凛(だとしたら、自分のことを私と呼称する筈である。親の前で演じる必要なんて無いのだから)

凛(しかし実際のところは中学に上がるまで、私は自分を凛と呼んでいた。録に覚えていないが父がそう言ったということは、中学に上がるに至って何か心の変化でもあったのだろう)

凛「けど、気になるのが五歳の私なんだよね」

凛(五歳の私は、花陽の前でにゃあと鳴いていた)

凛(……演じるか? 五歳の人間が)

凛(花陽とは当時から仲が良かった気がするが、流石に五歳の自分が花陽の為ににゃあにゃあ言う気がしない。もっと言ってしまえば、にゃあと言い出す必要がない)

凛「私が、にゃと語尾につけてるのは昔から花陽の前でそうしてたからなんだし……そもそもにゃあと言い出さなきゃ、こんなことにはなってないしね」

凛(では何故、私はにゃあと言い出した?)

凛(演じる必要も無いのに、そう言い出す意味……)

凛「『私』は、そもそも『凛』だった?」


91 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/05/25(木) 17:37:21 /R7KUbqQ
読ませるね


92 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/05/28(日) 00:03:24 UaPgu0uw
続きあくしろよ
お前の文章が好きだったんだよ!(迫真)


93 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/05/30(火) 22:44:43 zwDjH3jA
続きが気になりすぎてあぁもう凛ちゃんかわいい


94 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/02(金) 20:44:40 zYcJ.foI
凛「いや、そんな筈が……」

凛(では今の私は何だというのだろう?)

凛(私が凛だというのであれば、今こうして思考している私の人格は何だというのだ?)

凛(……偽物?)

凛「私は、偽物?」

凛「凛が本物なの……?」

凛(凛は作られた人格。道化としての人格だった筈なのに)

凛(気付けばまた私は思考の迷路に陥っている。考えても答えの出ない、おぞましき謎を解明せんとして)


95 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/02(金) 20:46:41 zYcJ.foI
凛「……」

凛(決めなければならない、と思った)

凛(こうしていつまでも迷っていても仕方がないのだ)

凛(迷えば迷うほど、何も手につかなくなる。そんな状態で日々を過ごすことは、不可能と言ってもよかった)

凛「私は……」

凛「凛は……」

凛(私にとって本物の人格は、作られた人格は……)


96 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/02(金) 20:50:25 zYcJ.foI
【凛】

凛「凛が、本物だにゃ」

凛(考えてみれば当たり前の話だったにゃ)

凛(凛がにゃーって鳴き出したのは、かよちんに見せるためじゃなく自然に出たものだもん)

凛「なんだ、簡単な話じゃん」

凛「何でこんなことで悩んでたんだろ、馬鹿らしいにゃ」

凛(凛はお風呂からあがって、置いてあったパジャマに着替えた)

凛(二階に上がる時、リビングにいたパパにおやすみにゃーって言ったら驚いてたにゃ)

凛(変なパパ。凛はいつでも凛なのに)


97 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/02(金) 20:53:23 zYcJ.foI
翌日 学校

凛「かよちんかよちーん」ゴロゴロ

花陽「どうしたの凛ちゃん? そんな甘えて」

凛「んーん、何だか甘えたくなったんだ」

花陽「……?」

花陽「あれ、何でだろ……凛ちゃんがいつもと違う気がする」

凛「えー? 凛は凛だよー」

真姫「そうよ、いつも通りの凛じゃない。髪型も変わってないし」

凛「真姫ちゃん、凛のこと髪型で見分けてたにゃ……?」


98 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/02(金) 20:57:09 zYcJ.foI
凛「けど、変わったって言ったら変わったかもしれないにゃー」

凛「迷ってたこと、全部解決しちゃったんだもん」

花陽「そうなの?」

凛「うん、何であんなことで悩んでたんだろう?」

花陽「……そっか、凛ちゃんは凛ちゃんなんだね」

真姫「何?」

花陽「ううん、何でもない。ありがとうね、凛ちゃん」

凛「どういたしましてーって、何がだろ……?」


99 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/02(金) 21:02:57 zYcJ.foI
放課後

凛「あ、海未ちゃん海未ちゃんー」

海未「ええ、言いたいことは分かっていますよ。けれど、それは私の家に着いてから……」

凛「そのことなんだけど、凛はもう話の相談とかにはのれないかもしれないんだ」

海未「え?」

凛「実は凛、BLはあんまり好きじゃないにゃ。今回の原稿は時間がないから手伝うけど、もうBL関係の話はあまり出来ないかなーって」

海未「……嘘を、吐いていたんですか?」

凛「うん、ごめん……海未ちゃんを悲しませたくなかったんだにゃ……」

海未「……」


100 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/02(金) 21:06:30 zYcJ.foI
海未「凛の気持ちは、分かりました」

凛「海未ちゃん……」

海未「凛は優しい子ですからね、無理して付き合わせてしまってすみません」

凛「ごめんね、凛のせいで……」

海未「いいえ、正直に言ってくれて嬉しかったです。コミケの原稿も大丈夫ですよ、私一人でやりますので」

凛「海未ちゃん……」

海未「……凛」

海未「今までありがとうございます。貴女とBLを話して過ごした時間は、本当に楽しかった」


101 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/02(金) 21:10:12 zYcJ.foI
凛(それだけ言って、海未ちゃんは私の前から去っていったにゃ)

凛「ごめんね、ごめん……海未ちゃん」

凛「嘘を吐き通せればよかったんだけど、もう凛は正直に生きるって決めたんだ」

凛「はぁ……「私」は凛に迷惑をかけてばっかりにゃ」

花陽「り、凛ちゃん! 今海未ちゃんが泣いて歩いてったけど、何かあったの!?」

凛「かよちん……ごめん、何でもないにゃ。ちょっと喧嘩しただけだよ」


102 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/02(金) 21:14:29 zYcJ.foI
凛(その後凛はスクールアイドルとして活動し、なんとラブライブで優勝したにゃ!)

凛(本屋さんにも、海未ちゃんのお手伝いにも行かなくなった凛にはとっても時間があったから、たくさん練習したかいがあったにゃ)

凛(春になった頃、凛は道で一人の男の人とすれ違ったんだ)

「爺さん、死んじまったよ。あそこは取り壊すそうだ」

凛(男の人は凛にそれだけ言って、また歩いていった)

凛(どのみち凛はあの本屋に行くことはなかったと思う。けど、なんでだろう)

凛(ほんの少しだけ、寂しくなった)


103 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/02(金) 21:19:34 zYcJ.foI
凛(これで凛の話は終わり)

凛(本物の、主人公の凛と)

凛(偽物の、道化の私の)

凛(つまんない物語は終わり)

凛「かよちん、凛はこう思うんだ」

花陽「凛ちゃん?」

凛「凛がかよちんの側に居られて、嬉しいって」

花陽「……うん! 私も凛ちゃんと一緒にいられて嬉しいよ!」

凛(こうして笑い合う日々が、凛だけの日々が続いていく。凛だけの物語が、また始まる)

凛(けど、凛は時々思うんだ)

凛(「私」が本物だったら、どうなってたんだろうって)


104 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/02(金) 21:24:45 zYcJ.foI
凛(けど、終わったことを考えても仕方ないよね)

花陽「ところで凛ちゃん、今度の中間テスト大丈夫……?」

凛「いや、まずいにゃ。赤点確定だよ」

花陽「……」

凛「……」

花陽「赤点だったら次の大会出られないよ!?」

凛「うん……」

花陽「勉強会! 勉強会するから! 真姫ちゃんも呼んで!」

凛「嫌にゃ! もう真姫ちゃんの地獄勉強レッスンはこりごりにゃー!」

凛(凛は逃げるように駆け出す、かよちんは少し呆れたように凛を追い掛けてくる)

凛(微睡むような春の日差しの中、こんな日々がずっと続けばいいなって)

凛(「凛」は思った)

【凛】END


105 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/02(金) 21:27:54 zYcJ.foI
続きは明日で


106 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/02(金) 21:58:14 a66YaoAU
とりあえずおつ
私ENDも期待してる


107 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/02(金) 22:06:39 xUR5G2ts
悲しい…
明日が楽しみ


108 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/03(土) 12:34:24 ow2kqzBc
これって続き物?前の話とかあるんだっけ?


109 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/03(土) 17:54:22 0mpFn192
あくしろよ


110 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/03(土) 20:15:28 rh6vJS62
私ENDクソバッドエンドだから最悪次まで飛ばしてもらっていいよ


111 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/03(土) 20:18:10 rh6vJS62
【私】

凛「私が、本物だ」

凛(当たり前のことじゃないか。過去がどうであれ、現時点での私は「私」だ)

凛(「凛」なんかじゃない)

凛「単純な話だったんだよ。迷う必要もないくらいに」

凛(過去の凛がいくら喚こうと)

凛(道化の凛がいくら騒ごうと)

凛「私の思考は変わらない。本質も、変わってはいない」

凛(現に私は思考の中で、一度もにゃと言ったことなど無いのだから)


112 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/03(土) 20:21:18 rh6vJS62
凛「何でこんなことで悩んでたんだろう」

凛(それも簡単な話だ。私が凛を演じているからだ)

凛(花陽を欺く為に、凛がいるからだ)

凛(そう考えると無性に腹が立った。活火山のように、心の底から抑えきれない程にドロドロとしたものが湧き出てくる)

凛「何で私がこんな目に合わなきゃいけないの?」

凛(この高校生活は、私が望んだものじゃない)

凛(こんな高校生活を、私は望んでいない!)


113 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/03(土) 20:27:48 rh6vJS62
凛(私は湯船から上がると、八つ当たりのようにがむしゃらに身体を拭いた。強く押さえ付けたせいで肌に赤い跡がうっすらと残る)

凛(身体の中を、紅色の金魚が巡っているみたいだ)

凛「はぁ……」

凛(私はもうどれほどの間、まともに本を読んでいないのだろう)

凛(部屋に聳える積み本の山を、高校生のうちに読み終える気さえしない)

凛(確かに自分が悪かった。スクールアイドルを始めたのも、海未先輩に不用意な発言をしたのも、本を読まないキャラクタアを作り出したのも紛れもなく私だ)

凛(けど、それら全ては花陽の為に行われたことだ。一つでもミスをすれば、今頃私は凛ではなく私として彼女と接しているだろうから)


114 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/03(土) 20:35:25 rh6vJS62
凛(リビングの父におやすみと言い、私はきしきしと音を立てながら十五段あまりの階段を登る)

凛(そのまま布団に潜り込み、久々に枕元の文庫を手に取った)

凛(ふと時計を見ると、もう深夜十一時を回っている。今までならば、朝練のことを考えて寝ている時間帯だ)

凛(一瞬、文庫を元の場所に戻そうとして)

凛「はは、あはは……」

凛(笑いが漏れた。それは枯れた、疲れたような笑いだった。自分の趣味さえ圧し殺して、したくもないことをする自分の姿が余りに滑稽だったからだ)

凛(私は学生鞄から携帯電話を取り出すと、含み笑いをしながら穂乃果先輩へとメールを打った)

凛(朝練には出られません、と)


115 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/03(土) 20:42:15 rh6vJS62
翌日 教室

凛(私が登校すると、教室には疾うに練習を終えた花陽と真姫が居た)

凛(心配そうに此方を見やる二人に向かって、私は笑顔で声をかける)

凛「おはよう、二人とも」

花陽「おはよう、体調悪かったの?」

真姫「練習に来たら、いつも元気そうに走ってる凛がいないんだもの。心配したわ」

凛「ごめんごめん、本を読んでたら夜遅くなっちゃって」

凛(真姫が首を傾げる。私が本を読んでいたのが余程おかしいのだろうか。一方の花陽は、私の異常に気付いたようだった)

花陽「凛ちゃん……?」


116 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/03(土) 20:47:25 rh6vJS62
凛「ごめんね、最後まで演じ続けようと思ってたんだけど」

凛(私はゆっくりと、言葉を紡ぐ)

凛(昨夜、布団の中で私は決意したのだ。花陽を取るか、今後の快楽を取るか)

凛(選んでしまえば簡単だった。あの秋と冬の境目の思い出を蹴散らしてでも、私は決断したのだ)

凛「私には、無理だったよ」

凛(くは、と。息が溢れた)

凛(それが私のものなのか、花陽のものなのか、今の私にはもう分からなかった)


117 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/03(土) 20:55:38 rh6vJS62
凛(花陽と私の仲は、その日を境にギクシャクとしたものになった。当然だろう、共に何年も過ごした親友に、お前を捨てて趣味を取ると言われたようなものだ)

凛(私はスクールアイドルを辞め、付き合いがあるのは同じクラスの真姫と、何だかんだずるずるとその後も同人活動を手伝わせられた海未先輩くらいになった)

凛(とはいえ真姫は花陽との一件を見ている。そこまで心安い関係にはならなかった。海未先輩とて、彼女の卒業後には最早連絡すらとっていない)

凛(花陽とも、別の大学に進学すると言って以降会話がない。卒業をしてすぐに、彼女は県外に引っ越してしまったので下手をするともう会うこともないだろう)

凛「……」

凛(そして今、私は古書店で本の整理をしている)


118 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/03(土) 21:01:37 rh6vJS62
凛(大学に進学してすぐ、私はこの古書店にアルバイトをさせてほしいと申し込んだのだ)

凛(病巣が取れすっかり元気になった店主は、やや驚いたようだったが何度か頼むと願いを受け入れてくれた)

凛(快復したとはいえ体力が衰えた店主に代わり、大学の無い日は日がな一日この古書店で客の相手をしたり本を読んだりしている)

凛(友を無くし、本にのめり込んだ先に見つけたのは、私にとって心地よく素晴らしい環境だった)

凛「んーっ……」

凛「倉庫にまだまだあるなぁ。虫干しだけで日が暮れるよ、全く」

凛(そんな日々の中で私はふと思う)

凛(「凛」が本物だったら、どうなっていたんだろう、と)


119 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/03(土) 21:06:23 rh6vJS62
凛(しかしそんなことを考えても意味のないことだ)

凛(今更私が凛を演じたところで、花陽が帰ってくるわけでもない)

凛(既に私の中から、凛という存在は消え去ったのだ)

凛「さぁて、気合い入れよっと」

凛(普段は暗い古書店の中に、日光が差し込む。春の陽気に誘われて私は眠たくなる目を擦る)

凛(暖かい空気に包まれ、本に囲まれて人生を過ごす。これほど幸せなことがあるだろうか)

凛(微睡みの中で、私は過ごしていく。ゆっくりと、ゆっくりと、ページを捲るように)


【私】END


120 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/03(土) 21:12:18 rh6vJS62
凛「どっちもバッドエンド直行だよねえ」

凛(湯船に浸かりながら、私は今後のことを考える)

凛(思い浮かぶのは暗い未来ばかりだ。これだから私は店主に、読む才能はあるが書く才能は無いなんてからかわれるのだろう)

凛「凛を選んだら店主死んじゃってたし……これ話したら店主怒るよね」

凛(温厚な店主が苦笑いをする姿が脳裏に浮かぶ。今考えた物語は墓まで持っていこう)

「凛、いつまで入っているんだ? のぼせるぞ」

凛「はーい。っ……と」

凛(父の言葉に、立ち上がろうとしてよろけてしまった。少々長く湯船に浸かりすぎたようだ)

凛(はてさて、私と凛。どちらかを選んで、どちらかを捨てても最悪な未来しか待っていない)

凛(どうするべきか、私には分からなかった)


121 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/03(土) 21:17:49 rh6vJS62
凛(風呂から上がり、二階には上がらずあえて私はリビングに入った)

凛(リビング横の台所の換気扇で、父がタバコをふかしているのが見える)

凛「ねぇ、お父さん」

「なんだ? 牛乳なら冷蔵庫の中だぞ」

凛「いやそうじゃなくて……お父さんは、自分が本物だとか偽物だとか思ったことってない?」

「そりゃあ、一体どういうことだ? 本物偽物って、お前の父さんは本物だよ」

凛「えっと……例えばお父さんが、仕事に行くよね?」

「ああ、行くな」

凛「そこで、家のお父さんとは全く違う人格で振る舞ったことって、ある?」

「そりゃあるさ、父さん営業だからな」


122 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/03(土) 21:21:55 rh6vJS62
凛「どっちの自分が本物なんだろうって悩んだりすることって、ない?」

「無いよ」

凛「えっ?」

「そりゃ父さん、同僚の前でも上司の前でも、勿論お客さんの前でも別な人間を演じるよ?」

「けどな、それってどっちも本物なんだよ」

凛「えっ……?」

凛(どっちも本物。そんなことがあるのだろうか)

「人間、自分に無い人格なんて演じられないもんだよ。台本でもない限りな」

「自分が培った知識で、こうありたい、誰かの前でこう居たいと思ったら、それは紛れもなく本物なんだ」


123 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/03(土) 21:26:00 rh6vJS62
凛(何も言えない私に、父は笑う)

「なんだ、そんなことで悩んでたのか。可愛い奴だなあ」

凛「わ、私にとっては真剣な話で……」

「子供のうちは、自分が本物か偽物かなんて考えなくていいんだよ。自分が歩いてきた道だけが、本物なんだから」

「じゃあ、もう夜だからそろそろ寝なさい。おやすみにゃあ」

凛「からかわないで、って言ったのに。おやすみ」

凛(「凛」と「私」。相反する二人が、どちらも本物。そんなことがあるのだろうか?)

凛(けれど、何処かで安心した自分がいたのも事実だった)


124 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/03(土) 21:31:40 rh6vJS62
凛(私は、私として生きてもいい)

凛(凛として、生きてもいい)

凛(私はただ、どちらの自分も肯定してもらいたかっただけなのかもしれない)

凛「あーあ」

凛「あはは、馬鹿らしいや」

凛「あはは、馬鹿らしいにゃ」

凛(二度呟いて、私は笑う)

凛「さーて、早く寝て朝練頑張らなきゃ」

凛(自分自身に聞かせるようにそう呟いて、私は布団に潜り込む)

凛(疲れからか、布団に入るとすぐに瞼が重くなった)

凛(私はゆっくりと微睡んでいく。まだ見ぬ明日へ、本物の足跡を刻むために)


125 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/03(土) 21:31:53 rh6vJS62
今日はここまで


126 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/03(土) 21:47:10 4oClwFr6
おつおつ

最近一番楽しみなSS


127 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/03(土) 22:13:27 zgC7wvg6
おつ
ずっと読んでたい


128 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/04(日) 00:10:30 Gj.bf47A
この凛だと素直で安直な答えは出さなそうだけど
ころっと流されちゃう面もあるしどうなるんだろ楽しみ


129 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/08(木) 17:31:47 kOqgOOg2
期待してるぞ


130 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/12(月) 16:25:19 NC09oNpo
凛ちゃんは天使


131 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/15(木) 22:03:15 4uuXb2R2


凛(カーテンの隙間から差し込む光にあてられ、私は目を覚ました)

凛(起き上がるついでに骨をぱきぱきと鳴らし、ぐっと伸びをする)

凛(そこでようやく、私は気付いた)

凛(自分が眠っている間に、泣いていたことに)

凛「へ……?」

凛「何で私、泣いて……」

凛(何か怖い夢を見ていたのだろうか。けれど夢の中の記憶は起きた瞬間霧散し、もう思い出すことも出来なかった)


132 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/15(木) 22:09:47 4uuXb2R2
凛(目の端をぬぐい、パジャマ姿のままリビングに向かう)

凛(居間に父の姿はなかった。ただテーブルの上に、ラップ掛けされた朝食だけが2つ置かれている)

凛「お母さん、まだ起きてきてないんだ」

凛「いただきます」

凛(言って、私はまだほのかに暖かいそれをのろのろと食べる)

凛(母親が起きてくることを期待して、ついいつも私はのろのろと朝食を取ってしまう。起きてきたことなど、一度もないのに)

凛(結局、私がシャワーを浴び制服に着替えて出発する段階になっても母は起きてこなかった。いつものことだ、夜と朝の境目に仕事から帰ってくる母は昼過ぎまで起きることはない)

凛「いってきます」

凛(誰にも届かないことを知りながら、私は家を出た)


133 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/15(木) 22:15:10 4uuXb2R2
凛「おはよう、かよちん」

凛(家を出ると、いつものように花陽がそこにいた)

凛(先に起きた方が相手の家の前で待ち、共に学校へ向かう。それが私と花陽の間で交わされたルールだ)

凛(とはいえ私が先に起きることなど滅多に無いのだが)

花陽「凛ちゃんおはよう、さっきお父さんが駅に走ってったよ」

凛「会社に遅刻しそうなんだと思うにゃ。この時間なのに朝ご飯暖かかったし」

花陽「やっぱり大変なんだね、社会人って」

凛「凛もそう思うにゃ。駅とかで見かけるスーツの人、皆忙しそうにしてるもん」


134 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/15(木) 22:25:53 4uuXb2R2
凛(確かに社会人は大変だろう。早ければ三年後、遅くとも七年後にはああしてスーツを着込み各地を歩き回る羽目になると思うとゾッとする)

凛(そういえば花陽も、やはりスーツを着て仕事をするのだろうか)

凛「かよちんって、大学を卒業したら何になるにゃ?」

花陽「どうしたの? 急に」

凛「いや、今の話でふっと思ったんだ」

凛「凛達は将来、どんな仕事をするのかなぁって」

花陽「うーん……まだ考えたこともないけど……」

花陽「趣味を仕事にするのならアイドル評論とかご飯の食レポ? けど趣味を仕事にしちゃうとキツいって聞くしなぁ」


135 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/15(木) 22:33:50 4uuXb2R2
凛「趣味を仕事にするとやっぱり厳しいのかにゃ?」

花陽「うーん……仕事だと思うと、楽しめなくなっちゃう可能性があるから」

花陽「アイドルの応援も、ご飯を食べるのも好きでやってることだし、お金を貰いたいって思わないもん」

凛「それじゃあ、やっぱり普通に会社員?」

花陽「かなぁ。μ'sがその時まで続いてたらアイドルとかも……」

凛(それはあまり、考えたくない話だった。μ'sが人気になることが嫌なのではない、私が有名になるのが嫌なのだ)

凛(仮に普通のアイドルとしてテレビなどに出てしまえば、週刊紙に追われる可能性すらある。そうじゃなくとも、私に注目する人も増える筈だ)

凛(今でさえあまり本が読めないのに、これ以上衆人環視に晒されるともはや読書は不可能である)


136 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/15(木) 22:40:05 4uuXb2R2
花陽「どうしたの? 少し顔色が悪いけど」

凛「何でもないにゃ」

花陽「ところで凛ちゃんは大学を卒業したら何になる予定なの?」

凛「凛? 凛は……」

凛(古本屋になりたい。文学の研究をしたい。評論家になりたい。作家になりたい。編集者になりたい)

凛(そんな書籍まみれの回答をしたら、花陽はどう思うだろうか)

凛(そんなことを考えても仕方がない。そもそも、私が本当にそれになりたいのか、それすらも分からないのだ)

凛「凛はまず大学に行けるかが怪しいにゃ」

花陽「だ、大丈夫だよ。まだ一年生なんだから、間に合うよ」

凛(だから、今はこれでいい。こんな回答でいいんだ)


137 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/15(木) 23:02:46 4uuXb2R2
凛「ねぇ、かよちん。前に話したこと、覚えてる?」

花陽「前に話したこと?」

凛「うん、凛が……」

凛「……ううん、なんでもない。早く学校、行こ!」

花陽「ど、どうしたの? 待ってよ!」

凛(ひた隠しにしてきた、私の心。花陽を不安にさせない為に、側にいるために隠し通してきた思い)

凛(それは絶対に気付かれてはいけないものだと、そう思っていた)


138 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/15(木) 23:07:19 4uuXb2R2
凛(けれど、それは違うのかもしれない)

凛(凛も私も本当の自分なら、こんな私を親友と呼んでくれた花陽にだけは打ち明けるべきなのかもしれない)

凛(そうだ、そうに違いない)

凛(だからいつか話して……)

凛(……)

凛「……あれ?」

凛(いや、いやいや。おかしい)

凛(私は何を考えているんだ。そんなのは本末転倒じゃないか)

凛(何でそんなことを考えたんだ? 本物だろうと偽物だろうと、花陽の思う私は凛に違いないというのに)

凛(何でそれを自ら壊そうとしたんだ?)


139 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/15(木) 23:10:28 4uuXb2R2
凛(自分が自分じゃなくなっていくような、誰かに思考を操られているような、そんな気分になる)

凛(私は、何故そんなことを思ったんだろう)

花陽「凛ちゃん?」

凛「あ、ご、ごめん。考え事してただけにゃ……よーし競争だよ、かけっこすっるにゃ〜!」

花陽「また!? 待って、凛ちゃん速いんだから!」

凛「あっ」

凛「脇腹痛いにゃ……」

花陽「走るから……」

凛「さっきご飯食べたの忘れてたにゃ……」

花陽「本当に何で走ったのか分からないよ……」


140 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/15(木) 23:16:01 4uuXb2R2
凛(そういえば、私は昨日父に両方の自分を認められて舞い上がっていたような気がする)

凛(だからそんな考えが湧いてきたのかもしれない。よくよく考えてみれば、父の話は意見の一つであってそれ以上でも以下でもないというのに)

凛(私も凛も本物の可能性があるということは、私も凛も両方偽物という可能性すらあるのに、何を舞い上がっていたんだ私は)

凛「……性格悪いなぁ」

花陽「何か言った?」

凛「ううん、何でもないにゃー」

凛(仮に、私と凛が後天的に作られたものだとして考えてみると、自分の心が醜すぎて嫌になる)

凛(花陽の側にいる為に凛を作り、店主に認められたいが為に私を作る。人格すら歪めるレヴェルの承認欲求の塊だ)

凛(くだらない自尊心だけで動く、空っぽの機械だ)


141 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/15(木) 23:19:22 4uuXb2R2
凛(……やめておこう。そんな考えじゃまた深みに嵌まってしまう)

凛「次のラブライブっていつだっけ?」

花陽「もうすぐ。だから今必死に練習してるんだよ……?」

凛「ラブライブで優勝したら、何か変わるかにゃ」

花陽「何かって?」

凛「んー、凛には分からないよ」

花陽「私にも分からないけど……何かは変わると思うよ」

凛「ご褒美でお小遣いがあがったりしたら嬉しいなぁ」

花陽「あっ、それは私も嬉しい!」


142 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/15(木) 23:24:08 4uuXb2R2
放課後 部室

穂乃果「……」

海未「どうしたんですか、穂乃果。いつになく落ち込んだ顔をして」

ことり「また小テストで8点取っちゃったの?」

にこ「それ10点満点?」

ことり「100点満点」

真姫「それは……何とも言えないわね」

穂乃果「えっ? ちが」

にこ「あんまりに酷い……私でもそこまでの点数は取らないわ」

凛「凛も流石に8点は取ったことないよ」

絵里「大丈夫よ、皆で勉強会を開きましょ? そうすれば8点を取ることなんてなくなるわ」


143 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/15(木) 23:31:51 4uuXb2R2
穂乃果「いや、だから……」

希「ウチのカードが告げるんよ。穂乃果ちゃんはやれば出来るタイプやって」

真姫「それってやらない人にしか使われない言葉よね」

花陽「だ、大丈夫です! 私もたまに悪い点取ることもありますし!」

穂乃果「そんな力強く言わないで!? 小テストのことじゃないから!」

にこ「うん、知ってた」

凛「違うって言おうとした辺りから多分皆気付いてたにゃ」

穂乃果「ゲギ……ガギ」

凛(怒りのあまり人間の言葉を発さなくなった穂乃果先輩をスルーし、私は帰り支度を進める。海未先輩の家に行き、昨日の答えを聞くと共に原稿を手直ししなければならないから忙しいのだ)

凛(けど8点は酷い。私だって12点が最低なのに、その下を行くとは流石は穂乃果先輩である)


144 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/15(木) 23:46:12 4uuXb2R2
穂乃果「この前、小説をネットのサイトに投稿したんだ」

凛(しかしスルーは失敗し、穂乃果先輩は自らの身に起きた出来事を話そうと座っていた椅子から僅かに身を起こす)

凛(というかまだ書いていたのか小説)

ことり「それって、この前見せてもらったあれ?」

穂乃果「ううん、あれの2つ後の長編」

凛(速筆すぎる……これで技量が伴っていればなぁ)

穂乃果「自分では自信あったんだけど、全然ダメって言われちゃって」


145 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/15(木) 23:51:24 4uuXb2R2
穂乃果「それで意見を聞こうと思って全部コピーして持ってきたんだ」ドサッ

凛「うっ」

穂乃果「うっ?」

凛「何でもないにゃ〜」

凛(この量……速読可能な人でも3時間はかかる。穂乃果先輩のあの文章を、この量読む……?)

凛(確かに物語が読めるのは嬉しい。嬉しいけれど、流石にこれは……海未先輩との約束もあるし、上手い具合に海未先輩を誘導して……)

海未「へぇ、穂乃果の小説ですか。面白そうですね」

凛(まあ読み始めたけども……)

ことり「凄くドキドキするんだよ、穂乃果ちゃんの小説」


146 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/15(木) 23:51:36 4uuXb2R2
今日はここまで


147 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/15(木) 23:54:37 ny6RWaSc
この凛ちゃんも勉強できないのか

穂乃果の小説家志望設定は笑える


148 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/19(月) 21:26:44 ajIKEPtg
穂乃果「ささ、読んで読んで」

凛(既に一度読んでいるせいで遠慮がないのか、穂乃果先輩はことり先輩と私にずいっと紙束を押し付ける)

凛(表紙を捲れば間違いなく逃れられぬ。夜になるまでこれと戯れることになる)

凛(ええい、ままよ)

凛「えっと、まずは……「殺意の代償」? またミステリーなんだね」

穂乃果「うん、乱歩賞に送って賞金貰う予定だからね。ミステリー以外は書かないよ」

凛(その並々ならぬ自信も、乱歩賞に対する思い入れもどこから湧いてくるものなのかさっぱり分からないが、ミステリー以外書かないというなら仕方がない)

凛(今回も微妙なトリックが来るであろうことに薄々気付きながら、私は表紙を捲った)


149 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/19(月) 21:35:55 ajIKEPtg
『「思い違いも甚だしい!」
桜通りに頓狂な叫び声が響いたのは、加藤がラーメンを啜り始めた時だった。
ひょいと屋台から顔を出し声のした方を眺めてみれば、薄紫に染まりつつある空の下で、小柄な老人が杖を振り上げ怒鳴り散らしている。
年の頃は60を回ったくらいだろうか。髪に白いものが混じりつつある老翁は、顔を赤黒く染め潰れた玩具屋のシャッターへと何事かわめいていた。
こりゃ酔っ払いだな、早々に結論付けると加藤は目の前で湯気立つラーメンを片付けにかかる。』


凛(……あれ?)

凛「穂乃果ちゃん、凄いよ。読めるよこれ」

穂乃果「ありがとう! って読めるのは当たり前だよ!?」

凛(表現は稚拙だし文章も上手くない、情景描写なんて無いに等しいけどちゃんと小説というものを意識した文章になっている)

凛(駄文とはいえ、前のただただ短文を張り付けたような滅茶苦茶なものよりよっぽどマシだ)


150 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/19(月) 21:40:54 ajIKEPtg
凛「穂乃果ちゃんって成長早いにゃー」

海未「ふむ……確かに穂乃果が書いたものとは到底思えませんね。ひょっとして、誰か別の人に書いてもらったとか」

穂乃果「そんなことしないよ! ちょっと勉強して、ひょーげんに気を付けただけだよ」

ことり「どんな勉強をしたの?」

穂乃果「簡単だよ。ブックオフに行って、105円の小説20冊くらい買ってきて読むんだ」

凛「……」

穂乃果「……」

真姫「それだけ?」

穂乃果「えっ、うん。それだけだよ?」


151 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/19(月) 21:49:14 ajIKEPtg
にこ「あんた凄いこと言うわね。古本20冊読んで文章力が上がるんなら、この世に作家志望なんてのはいないわよ」

凛(その通りだ。本を読んだだけで文章力が身に付くのであれば、評論家はベストセラーだし書店員は皆作家である)

凛(思うに、穂乃果先輩は天才肌なのだ。自分が身に付けられるからこそ、それを平均だと、平凡だと思ってしまう。誰にでも可能だと思ってしまう)

凛(不平等な平等? 平等な不平等といった方が正しいのだろうか)

花陽「けど、穂乃果ちゃん本当に凄いね。私小説なんて書けないよ」

穂乃果「えへへ……」

絵里「んー、けれどこれ……内容が微妙ね」

穂乃果「へへ……え?」


152 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/19(月) 21:52:03 ajIKEPtg
希「ちょ、絵里ち!?」

にこ「何言ってるのよあんた!?」

穂乃果「えっ? えっ? 内容が微妙って……え?」

絵里「いや、だってトリックがよくあるものだし、文章も何がなんだか分からない箇所が多いし……」

にこ「そこはもうちょっとオブラートに包んで言うべきでしょ!?」

海未「いえ、確かに絵里の言う通りですね。この小説は駄目です」


153 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/19(月) 22:01:50 ajIKEPtg
穂乃果「う、海未ちゃんまでそんなこと言うの?」

海未「勘違いしないで下さい。私はストーリーや表現力をどうこう言うつもりはないんです」

海未「ただ、一点だけ。穂乃果は、この小説を楽しんで書きましたか?」

穂乃果「楽しんで……?」

海未「ええ、楽しんで、です。それが出来ていない限りは、どんなに優れたストーリーでも、日本語の妙を感じる名文でも、ただの駄作と変わりません」

海未「魂がこめられていない作品が、名作足り得る筈がないんです」

凛「海未ちゃん……」

凛(その批判は的外れだ。現代において名作と呼ばれている作品の中にも、作者が何の思い入れもなく嫌々書いたものもある)

凛(けれど、海未先輩が言いたいことはきっとそうではないのだろう。何となくだけれども、分かってしまうのだ)

凛(これは『穂乃果先輩が書いた小説』であって、『穂乃果先輩の小説』ではないということが)


154 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/19(月) 22:08:29 ajIKEPtg
穂乃果「確かに……最初に書いた小説の方が楽しかったよ? けど仕方ないよ、私が楽しく自由に書いたら、出来上がるものは面白くないんだもん」

ことり「面白かったんだけどなぁ」

穂乃果「ことりちゃんって普段何読んでるの?」

ことり「ケータイ小説」

穂乃果「はい」

海未「違うんですよ。滅茶苦茶でもいいんです、無理に他人の技を盗んで小手先の技術を磨くよりも、自分にしか書けないものを書いた方がいいんです」

海未「ところで、穂乃果。この主人公と、刑事のおじさんはお互い憎からず思っているのでしょうか?」

穂乃果「うん、親友といってもいいよ!」

海未「成る程……そう見るとやはり中々良い小説に思えてきますね。前言は撤回します」

絵里「ちょ、海未!? 何で急に裏切ったのよ!?」


155 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/19(月) 22:13:34 ajIKEPtg
希「まあまあ、見た感じ穂乃果ちゃんも少しずつ上達しているみたいやし、きっとそのうち良い小説が書けるようになるやん」

花陽「そうですね。この小説も最初と最後で文章力が全然違いますし」

絵里「ぐむぅ……」

絵里「ごめんなさい、穂乃果。酷いことを言ってしまったわ」

穂乃果「ううん、大丈夫だよ。素直な感想を聞けて、私も嬉しかったから」

凛「一件落着にゃー」

凛(言って、皆笑い合う。私も笑いながら、心の中ではほんの少しだけ、海未先輩の言葉が気にかかっていた)

凛(魂がこめられていない作品に意味はない。では、はたして。人生を物語に例えるのならば、『私』や『凛』には魂が籠っているのだろうか)


156 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/19(月) 22:22:38 ajIKEPtg
帰り道

凛(海未先輩の同人誌の手伝いも本日はお流れとなり、私は花陽と二人いつもの帰路についていた)

凛(もう冬ということもあり、風もないのに身体はどんどんと冷えていく。手袋やマフラーでは覆い隠せないくらいに、冷たくなっていく)

花陽「凛ちゃん、最近ずっと悩んでるよね」

凛「へ?」

凛(ふと、花陽が呟くように言った)

凛「ええ〜? 凛は何も悩んでなんかいないにゃー」

凛(おどけながら、うつむき加減の花陽の顔を覗きこむ。花陽の表情は、いつものそれよりも幾分か暗かった)

花陽「ごめんね、私のせいだよね」

凛「何が? 凛はかよちんに謝られることなんて何も」

花陽「とっくに分かってたのに、ずっとずっと、隠しちゃってた。気付かないふりして、凛ちゃんを騙してたんだよね」

凛(寒気がした。冬の寒さだけじゃない、心がさっと冷えていくような、そんな感覚。考えたくもない悪夢が現実に反映してしまったような、そんな最悪の予兆が私を苛む)


157 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/19(月) 22:31:42 ajIKEPtg
凛「かよ、ちん……?」

花陽「気付いてないよって言い続けて、ずっと凛ちゃんの側にいたいなんて私の我が儘だよね。私のせいで凛ちゃんが苦しんでいるのに、側にいてほしいなんて……言っちゃ、駄目だよ」

凛「ねえ、かよちんは何を言ってるの? 凛がどうかしたの?」

凛(駄目だ、聞きたくない。嫌だ、嫌だ! そんな言葉が頭の中に響き渡る。今すぐこの場から逃げろと、『凛』が警鐘を鳴らす)

凛(けれど私は動けなかった。影が縫い付けられたかのように、指一つすら動かすことが出来ない。心臓が破裂しそうな程に稼働するのを感じる、冷や汗が止まらない!)

花陽「凛ちゃん、ごめんなさい」

凛(嗚呼、違ったんだ。『凛』と『私』どちらが本物かなんて、考える必要は無かったんだ。どっちが本物でも、どっちが偽物でもいいと、気楽に思っておくべきだったんだ)

花陽「私は、凛ちゃんが演技をしていることに」

凛(私は、悩むべきではなかったんだ。少なくとも……)

花陽「とっくに、気付いてたんだ」

凛(……苦しむ姿を、見せちゃ駄目だったのに)


158 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/19(月) 22:32:25 ajIKEPtg
多分次回の更新で終わります


159 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/19(月) 23:37:22 7wDaMnUE
喪失感凄いわ
毎度のことだけど


160 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 14:56:11 Oq.yFJCA
凛「あ……」

凛(笑顔の仮面で積み上げた虚構の塔が、音を立てて崩れ落ちていく)

凛(前に気付かれそうになった時と全く違う、取り返しのつかない虚無感が一瞬にして私の心を蝕む)

凛「な、に? 言ってるにゃ」

花陽「小説を鞄から見付けた時に、言ってあげるべきだったのかも。凛ちゃん、背負わなくていい苦労まで背負っちゃったし」

凛「だ……駄目だよ、かよちん。ラブライブも近いんだよ?」

凛「なんで今なの? なんでよりによって今なの!?」

凛(気付かれたら、私は)

凛(花陽に気付かれてしまったら、もう)

凛「スクールアイドル、出来なくなっちゃうのに!」


161 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 15:02:03 Oq.yFJCA
凛(言って、困惑した。問題はそこじゃない筈だ)

凛(花陽に気付かれて、側にいることが出来なくなるのが辛い。スクールアイドルなんてどうでもいい)

凛(それが私の考えだった筈なのに)

花陽「違うよ、凛ちゃん……私は」

凛「も、もういいよっ! 私と一緒にラブライブに出たくないんでしょ!?」ダッ

凛(言って、私は出鱈目な方向へと駆け出す)

凛(……あれ、何で私、逃げてるんだろ?)

凛(何としてでも謝って許して貰うべきなのに。騙していたことを謝り続けるべきなのに)

凛(なんで私、泣きながら逃げてるの?)


162 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 15:10:00 Oq.yFJCA
花陽「凛ちゃん、待って!」

凛(背後から聞こえる花陽の声は、ゆっくりと遠ざかっていく。当たり前だ、本気で走れば花陽が私に敵うはずはない)

凛「違う……」

凛(頭の中がぐちゃぐちゃで、思考が定まらない。いつもそうだ、決断を迫られると頭が真っ白になって)

凛「逃げの選択を、取っちゃう」

凛(後ろから声が聞こえなくなっても、私は走り続けた)

凛(次第に足はガクガクと震え、心臓が締め付けられるように痛くなっていく。口の中が胃液の味で満たされる)

凛(足がもつれ、地面に倒れ付したところで私はようやく、自分が何処にいるのか分からないということに気付いた)


163 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 15:20:52 Oq.yFJCA
凛(酸欠でかかすれ気味の視界を右へ左へ動かしても、慣れ親しんだ街並みは無い。どころか街がない)

凛「森の中……?」

凛(辺り一面、鬱蒼と繁る木に覆われている。暗闇の中、自分がよく分からない森にいるという事実に気付いた瞬間全身に寒気を感じた)

凛「は、早く帰らなきゃ」

凛(自分を鼓舞するように呟いて、私は立ち上が)

凛「あれ?」ドサッ

凛(れなかった。下半身が全く言うことを聞いてくれない。まるで私の身体から切り離されたように、力が入ってくれない)

凛「ハンガーノック……?」


164 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 15:26:42 Oq.yFJCA
凛「う、嘘でしょ……こんなところで」

凛(枝に遮られ、月が姿を隠す。辺りがまた一段と暗くなっていく。気のせいか、ホーホーとミミズクか何かの鳴き声まで聞こえてくる)

凛「……」

凛(ここでひっそりと息を引き取る自分を想像し、血の気が引いた。一度考えてしまうと、払おうとしても払おうとしても闇が心に侵食していく)

凛「嫌……」

凛「誰かいませんか!? すいません、誰か!」

凛(叫んだ瞬間、ざくりと落ち葉を踏む音が聞こえた)

凛「ひっ……?」


165 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 15:33:43 Oq.yFJCA
「誰かいるんですか?」

凛(一瞬動物か何かかと思ってしまったが、どうやら人間の男性のようだ。少し遠くに懐中電灯か何かの明かりが見える)

凛「すいません、歩けなくなってしまって」

凛(半ば息切れを起こし、ぜいぜいと吐息混じりの声を返す。近付いてくる速度がやや早まったようだが、依然として姿は見えない)

「今行きますので、待ってください」

凛(明かりはゆらゆらと揺れながら近付いてくる。そこでふと嫌な考えが頭に浮かんだ)

凛(もしあの人が助けに来たのではなく、乱暴をしにこっちに向かってきているとしたら……いや、そんなことはないとは分かっているのだけれど、それでも考えてしまったからには無防備に待っているというわけにもいかない)

凛(私は側に落ちていた枯れ枝を手に取ると、男をジッと待った)


166 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 15:37:29 Oq.yFJCA
「ああ、そこですか。大丈夫ですか?」

凛(懐中電灯の明かりが私を捉え、男は此方へと真っ直ぐに歩いてくる)

凛「すいません、ありがとうございます」

凛(言いながら、私は近付いてきた男の顔を見て)

「……」

凛「……」

「こんなとこで何をやっているんだ、常連客」

凛「お孫さんこそ、こんなところで何を……?」

凛(暗闇の中から現れ出たのは、呆れたような顔をした桐谷さんだった。古書店で見た時とは違い、くたびれたシャツに擦りきれたジーパンと幾分ラフな格好をしている)


167 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 15:44:28 Oq.yFJCA
「僕は研究だ。この辺りで霊が出ると聞いて、家も近いことだし観察をする為にここに来た」

凛「霊? お孫さん、近所の方で」

「桐谷だ。孫はやめてくれないか」

凛「桐谷さん、ここは何処なんですか?」

「何処も何も……あの古書店から言うと、そうだな。駅三つ程離れた場所だ。そこから更に田舎の方に入ってはいるが」

凛(無我夢中で走っている間に中々の距離を移動してしまっていたらしい。我ながら嫌になってしまう)

「動けないと言っていたが、足でも挫いたのか?」

凛「いえ、走りすぎで……ハンガーノックに近い症状が出たようで」

「ふうん、馬鹿だな。補給を怠るからだ」


168 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 15:50:01 Oq.yFJCA
凛(言いながら桐谷さんは私の脇に手を伸ばし、上に引っ張るようにして無理矢理立ち上がらせる)

凛「うおっ!?」

「男みたいな声をあげるな。おぶってやるから、さっさともたれかかれ」

凛(言って桐谷さんはそろそろと私に背を向け、しゃがみこむ。ふらふらの私は言われるまでもなくその背中に雪崩れ込み、まるで虎の皮でも取ってきたかのような歪なおんぶが完成した)

凛「すいません、ご迷惑を」

「本当に迷惑だ。車で来ているから送ってやるが、そうじゃなかったらブドウ糖を渡して置き去りにしているところだ」

凛(その声色に照れ隠しの色はない。恐らく本気でそうするつもりなのだろう)


169 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 15:55:52 Oq.yFJCA
車内

「で、何を思ってあんなところまで走ってきたんだ」

凛(車に乗ってから数分、一切口を聞かなかった桐谷さんが不意にそう言った)

凛(私は一瞬躊躇ってから、今まで起こったことを話始めた)

凛(自分が何故話したのかは、分からなかった。誰にも話せなかったことを、二度しか出会っていないこの男に話す理由が見付からない)

凛(いや。話す理由がないということは、話さない理由もないのかもしれない。あるいは、彼がどうでもいい人だったからなのかも)

凛(適当にそんな理由をつけたものの、本音のところでは誰かに聞いてもらいたいだけだったのだろう)

「ふうん、馬鹿だな」

凛(話終わると同時に、桐谷さんはつまらなさそうに言った)


170 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 16:00:36 Oq.yFJCA
凛「……私はこれでも真剣にやってきたつもりです。それは、まあ……必要ないこともしたかもしれませんけど」

「僕が馬鹿と言ったのはそこじゃない。もっと根本的な話だ」

凛「根本的な?」

凛(私の立ち振舞いや行動が馬鹿じゃないとするならば、一体何が馬鹿だというのだろう)

「君は何故、私ではなく凛じゃなければ小泉花陽の側にいることが出来ない、なんて考えたんだ?」

凛「え? それは……私はもうずっとああして接してきましたし、今まで騙していたことを知れば皆私のことなんて」

「だから君は馬鹿なんだよ。君の話を聞いている限り、小泉花陽もスクールアイドルの皆もいい奴ばかりだ」

「そんな連中が、演技してたからって君を嫌うわけないだろ」


171 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 16:06:00 Oq.yFJCA
凛(車が止まる。私が桐谷さんに言った、近所のコンビニだ)

「さ、着いた。補給もしたし、そろそろ歩けるかい」

凛(座ったまま、足に力をこめる。まだ少し震えてはいるものの、歩くには問題がなさそうだ)

凛「ありがとうございます。後日、お礼をさせていただきますので」

「いらない。そんな時間があったら、祖父の見舞いに行ってやってくれ。客の話をするときが一番楽しそうなんだよ、あの人は」

凛(やはり興味無さげに言うと、桐谷さんは車のドアを閉めさっさと去っていく。私は家の方へと歩きながら、桐谷さんの言葉をゆっくりと反芻する)

凛(私を嫌わない? μ'sの皆は、まだ期間が短いから許してくれるかもしれない。にこ先輩なら、アイドルたるものキャラ作りは当たり前だなんて言ってくれて、さ)

凛(けど花陽は。幼稚園から11年間私に騙され続けた花陽は)

凛(到底許してくれるとは、思えなかった)


172 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 16:11:57 Oq.yFJCA
凛(暗闇の中、ふらつきながら歩く私の姿は、端から見れば幽鬼のようかもしれない。そんな風に思いながら私は家へと歩いていき、)

凛(私の家から出てくる、花陽の姿を見た)

凛「っ!」

凛(思わず、近くの路地へと身を隠す。花陽は父と何事か話しながら頭を何度か下げ、此方へ向かって歩きだす)

凛(そのまま花陽は、私に気付くことなく路地の前を通りすぎていった)

凛「なんで花陽が私の家に……?」

凛「父さんと、何か話してたの?」

凛(花陽の姿が見えなくなったことを確認すると、私は路地から飛び出し家へと急いだ)


173 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 16:16:45 Oq.yFJCA
凛の家

凛「ただいま」

「おー、おかえり。惜しかったな、今ちょうど花陽ちゃんが帰ったところだ」

凛「花陽が? 何しに来てたの?」

凛(目撃したことを悟られないように、とぼけて聞くと、父はひょいと居間に引っ込んだ)

「これだ、これ」

凛(居間から出てきた父の手には、小さな紙袋が握られていた)

凛「これは?」

「さあ、花陽ちゃんが、これを渡してほしいって。中身は見てないから知らないよ」


174 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 16:21:57 Oq.yFJCA
凛「ふぅん……」

「それは後にして、先にお風呂に入りなさい。汗が酷いぞ」

凛「はあい」

凛(部屋に戻り、紙袋を机の上に置くと私は着替えを持ってお風呂へと向かった)

凛(湯に浸かっても、気分は晴れなかった)

凛(むしろ紙袋の中身が気がかりで、不安は大きくなるばかりだ。あの袋の中に絶縁状でも入っていたらと思うと、顔が自然と歪んでいく)

凛(全てが嫌で、仕方がない)


175 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 16:25:34 Oq.yFJCA
凛(お風呂から上がると、食事もそこそこに私は紙袋へと取り掛かった)

凛「……ん」

凛(袋の中には、表紙の厚い本が二つ入っているように見える。絶縁状や手紙のようなものは、見えない)

凛(取り出してみると、それはどうやら二組の絵本のようだった)

凛「……これって」

凛(絵本のタイトルは、『大ようのくにのおひめさまと月のくにのおひめさま』)

凛(作者は)

凛(『ほしぞらりん』。幼い頃の、私だった)


176 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 16:25:50 Oq.yFJCA
一旦中断します


177 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/22(木) 16:54:35 jiL4mjNk
桐谷兄さん金玉フラーの時と同じ調子だな


178 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 17:33:58 Oq.yFJCA
桐谷だからしゃーない


179 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 17:37:06 Oq.yFJCA
凛「何で花陽がこれを?」

凛(幼稚園の頃、これを描いたことは薄ぼんやりと覚えている。けれど何故描いたのかも、内容もさっぱり思い出せない)

凛(厚い表紙を開くと、用紙にでかでかとクレヨンで殴り書きされた稚拙な絵が目に入った)

凛「昔から絵心は無かったんだね」

凛(そんな心持ちでもないのに、思わずくすりと笑ってしまう)

凛(昔を懐かしむように、私は一ページ一ページ絵本を捲っていく)


180 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 17:39:45 Oq.yFJCA
『大ようのくにのおひめさまと月のくにのおひめさま』

むかしむかしあるところに
たいようのくにとつきのくにが
ありました

たいようのくにのおひめさまは
いつもあかるくげんきです

つきのくにのおひめさまは
えほんがだいすきなおとなしいこ

あるひつきのくにのおひめさまは
たいようのくにのひとに
ききました

たいようのくにのおひめさまは
いったいどんなこと
ともだちになりたいの?


181 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 17:42:35 Oq.yFJCA
たいようのくにのひといいました
おひめさまはげんきなこと
ともだちになりたいって

つきのくにのおひめさまは
かなしみのあまり
ないてしまいました

おそとであそばないわたしじゃ
たいようのくにのおひめさまとは
ともだちになれないわ

それでもつきのくにのおひめさまは
たいようのくにのひとに
ききました

たいようのくにのおひめさまは
なにかすきなものは
あるのかしら


182 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 17:45:49 Oq.yFJCA
たいようのくにのひといいました
おひめさまはかわいいかわいい
ねこちゃんがすきだって

つきのくにのおひめさまは
くやしくなって
じだんだをふみました

ねこちゃんをさわると
くしゃみがでるわたしじゃ
ともだちになれないわ

つきのくにのおひめさまは
とってもとってもかなしくて
わんわんなきました

そうしてないていると
たいようのくにのおひめさまが
こっちにやってきました


183 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 17:47:57 Oq.yFJCA
どうしてないているの?
たいようのくにのおひめさまは
ふしぎそうにいいました

ともだちになれないから
わんわんないているの
そんなこといえません

かわりにつきのおひめさまは
こういいました

ないてなんかないにゃ
へっちゃらにゃ

たいようのくにのおひめさまは
びっくりしたあと
わらいだしました


184 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 17:51:34 Oq.yFJCA
すごい
すごい
ねこちゃんみたい

ねえわたしとともだちになりましょ
おなまえおしえてよ

つきのくにのおひめさまは
とびあがるほどよろこびました
うれしくなってぴょんぴょんとびました

そしてほかのこがしているように
ほしぞらりんだよ
よろしくね
とあいさつをしました

たいようのくにのおひめさまは
わたしはこいずみはなよ
よろしくね
とにっこりわらいました


185 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 17:56:46 Oq.yFJCA
それからふたりは
ずっとずっとなかよしで
くらしました


ずっといっしょにいようね、はなよちゃん りん


凛「……」

凛「……これは」

凛(それはある意味、いやほぼ直接的に。答えのようなものだった)

凛(私はやはり、最初から私だった。猫が好きで、昔は明るかった花陽と友達になる為にあんなキャラクタアを作り出したのだ)

凛「その絵本を花陽が持ってたってことは」

凛「……凛が消えない為、かぁ」

凛(結局のところ、花陽は私じゃなく凛と親しくしていたかったんだ。親友だったのも、笑いあったのも、旅行したのも、私じゃない)

凛「当然だよね、私が隠してたんだから」


186 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 18:12:33 Oq.yFJCA
凛(と、気になったのはもうひとつの絵本だった)

凛(私は一冊しか絵本を書いた覚えがない。となると、後一冊は何なのだ)

凛(タイトルは……『月のくにのおひめさまと大ようのくにのおひめさま』?)

凛「作者は『小いずみ花よ』……アンサーソングならぬアンサー絵本? なのかな」

凛(しかし、私はこの本を見たことがない。花陽がこれを描いてくれていたのなら、何故私に見せてくれなかったのだろう)

凛(恥ずかしくなったのかな? そんな風に納得しながら、私は表紙をめくる)


187 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 18:15:34 Oq.yFJCA
『月のくにのおひめさまと大ようのくにのおひめさま』

むかしむかしあるところに
つきのくにとたいようのくにが
ありました

つきのくにのおひめさまは
やさしくてかしこいとってもいいこ

たいようのくにのおひめさまは
あばれてばかりのわがままなこ

あるひたいようのくにのおひめさまは
つきのくにのひとに
ききました

つきのくにのおひめさまは
いったいどんなこと
ともだちになりたいの?


188 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 18:18:27 Oq.yFJCA
つきのくにのひといいました
おひめさまはおとなしいこと
ともだちになりたいって

たいようのくにのおひめさまは
かなしくなって
おもちゃをなげました

らんぼうなわたしじゃ
つきのくにのおひめさまと
ともだちになれないもん

それでもたいようのくにのおひめさまは
つきのくにのひとに
ききました

たいようのくにのおひめさまは
どうすればともだちになってくれるかな


189 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 18:20:43 Oq.yFJCA
つきのくにのひといいました
おとなしくしたらいいんです
あばれちゃだめです
えほんをやぶっちゃだめです
おこっちゃだめです
ごはんをのこしちゃだめです

たいようのくにのおひめさまは
がんばってがんばって
あばれないようがまんしました

あるひたいようのくにのおひめさまは
つきのくにのおひめさまが
ないているのをみました

ついにおひめさまは
がまんができずに
どうしたのとききました


190 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 18:23:11 Oq.yFJCA
つきのくにのおひめさまは
びっくりしたような
かおをしました

けれどすぐにえがおになって
へいきにゃといってくれました

それはたいようのくにのおひめさまが
だいすきなねこちゃんのまねでした

たいようのくにのおひめさまは
つきのくにのおひめさまが
おともだちになるために
あかるいこになってくれたことを
とってもうれしくおもいました

だからそのひから
たいようのくにのおひめさまは
おとなしいこになりました


191 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 18:26:38 Oq.yFJCA
ふたりはずっとずっと
なかよしで
ずっとずっと
しんゆうです

これからさきもずっとずっと

凛ちゃん、私だって隠してることなんていっぱいあるよ


凛「え?」

凛(そんな声が、自然と口をついて出た)

凛(この物語と、付け足されたのであろうボールペンの文字。これはつまり、そういうことなのだろうか)

凛「花陽が、乱暴者? いやいやいや、有り得ない……」

凛「有り得ない、よね?」


192 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 18:31:25 Oq.yFJCA
凛(一瞬迷ってから、私は携帯電話を鞄から取り出す)

凛(15件の不在着信……全部花陽からのものだ)

凛(不在着信をそのままタッチし、電話を耳に当てる。二度の呼び出し音の後、慌てたような花陽の声がスマートフォン越しに聞こえた)

花陽「凛ちゃん!? やっと繋がった、今何処にいるの!?」

凛「あ、ご、ごめんかよちん。凛、今家にいるにゃ」

花陽「家? 良かった……心配したよ」

凛「それでね、あの……かよちんが持ってきてくれた絵本、読んだよ」


193 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 18:39:11 Oq.yFJCA
花陽「読んでくれたんだ、絵本」

凛「うん……あのね、かよちん。凛は」

花陽「隠してたって言うなら、私もそうだよ」

花陽「私だって、凛ちゃんと仲良くしたくて、乱暴で我が儘な自分を押さえ付けて隠してた」

凛「それは今も?」

花陽「ううん、今は違う。こうしているうちに、考え方も変わっちゃって……少し我が儘かもしれないけど、普段の私のままだよ」

花陽「小学生の時なんて、心の中では自分のこと俺って呼んでたし、男子とチャンバラもしたかったしね」

凛「あの花陽がチャンバラ? 今一信じられないよ」

花陽「だから、凛ちゃんも隠す必要なんてないんだ。そうやってありのままでいてほしい。凛ちゃんに明るい凛ちゃんを演じてほしいなんてのは、私の我が儘なんだから」


194 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 18:50:18 Oq.yFJCA
花陽「ごめんね、凛ちゃん。凛ちゃんが明るい凛ちゃんじゃなくなったら、どこかに行っちゃうような気がして……」

凛(ああ、そうか。そうだったんだ)

凛(とっくに答えは出ていたんだ。あの秋と冬の境目で、既に判っていたことだったのに)

凛「私もそうだった。凛を演じていないと花陽が離れていくような気がして、ずっとそうしてた。けどそれも、私のエゴで、我が儘だったんだよ」

花陽「ねぇ、凛ちゃん」

凛「何? 花陽」

花陽「私、凛ちゃんに話したいことも、聞きたいこともいっぱいあるんだ」

凛「私も、花陽に聞きたいことや、話したいことがいっぱいあるよ」

凛(言って、二人で笑う。生まれて初めて、小泉花陽と星空凛が共に笑う)

凛「今日は一晩中、お喋りしよっか。まだまだ夜は長いんだから」

凛(頬の擦れる音が聞こえる。花陽はきっと、電話の向こうで頷いているんだろう)

凛(冬の夜は、いつもより長い。たっぷりと、お互いの話が聞けそうだ)

凛(私達は眠らない。はっきりとした頭に、微睡みはもうない)

凛「それで、その古書店の店主が……」

花陽「うんうん、どうなったの?」

凛(私達は話し続ける。私達は歩み続ける)

凛(きっとこれからも、ずっと、一緒に)





195 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/22(木) 18:51:23 Oq.yFJCA
すまんエピローグは明日で


196 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/22(木) 19:10:43 naWXONlo
泣ける


197 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/22(木) 19:37:55 jiL4mjNk
本筋は綺麗に纏まったけど
他のエピソードも面白から続いてほしいシリーズではある


198 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/23(金) 22:29:44 SxlH0Shc
本日エピローグ書けそうにないです、申し訳ありません……


199 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/23(金) 22:42:06 t1kyzRBI
あなたは最高です


200 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/24(土) 00:50:21 KwIQE2ts
期待して待ってる


201 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/24(土) 15:26:05 yuZMn9IM
年末 国際展示場

海未「ついに来ましたね……」

凛「うん……来ちゃったね」

凛(四方八方、何処を見ても人、人、人。忙しなく動いている人もいれば、雑談をしている人もいたりと人数に比べて騒々しさは感じないが、開場すればここから更に増えることになるらしい)

凛(恐々としている私の目の前の机には、うず高く積まれたBL同人と、手慰みのようなグッズが数点置かれていた)

凛「海未ちゃん、流石に刷りすぎたんじゃない? まだダン箱一箱くらいあるよ」

海未「仕方ないじゃないですか、数刷らないと割引が効かないんですから」

凛「売れなかったら怖いことになるよ……?」


202 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/24(土) 15:34:01 yuZMn9IM
海未「ま、まぁ大丈夫ですよ……」

凛「それに海未ちゃん、装備ガチガチすぎるよ。そこまでしなくても気付かれないって」

凛(言って私は、からかうように海未先輩の帽子を取る。黒いマスクと伊達眼鏡で顔を隠した海未先輩は、黒いカツラを手で押さえながら私を睨んだ)

海未「変装してもしても不安なんです! 仮にもラブライブ優勝グループの一員ですからね……むしろ凛が何で変装をしていないのか不思議なくらいです」

凛「ははは、凛だって変装してるにゃ。ほら、珍しく化粧をしてる」

海未「ナチュラルメイクじゃないですか。誰の目にも凛にしか映りませんよ」

凛「えっ」

凛(そうなのだろうか。化粧をすれば人間変わると聴くし、多少なりと変化はある筈なのだが)


203 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/24(土) 15:37:38 yuZMn9IM
凛「そもそもラブライブには優勝したけど、本物のアイドルってわけじゃないしそこまで有名になるものかな」

凛「一部のスクールアイドルファンは知ってるかもだけど……」

海未「全国放送されたこと忘れたんですか……?」

海未「そんなことより、花陽はまだでしょうか。会場前に来ないとサクチケの意味が……」

凛「さっき迷ったってメール来たにゃ」

海未「どうして開場前のコミケで迷うんですか……」

凛「東と西が分からないって言ってたよ。どうしよう?」

海未「最悪開場後に合流することになりそうですね……花陽、大丈夫でしょうか」


204 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/24(土) 15:46:03 yuZMn9IM
凛「んー。凛、探してこようか? まだ時間はあるし」

海未「ええ、そっちの方がいいかもしれません。流石にあの人混みの中に花陽を置き去りにするのは、心に来るものがありますし」

凛「りょーかい。行ってくるにゃ」

海未「お願いしますね。開場までには戻ってきてください、絶対ですよ」

凛(私はサークルスペースから出て、花陽へと電話を掛ける。コミケ会場では繋がりにくいと聞いていたが、特に問題なくコール音が耳の中へと鳴り響く)

花陽『もしもし、ごめんね。なるべく早く着くから』

凛「大丈夫だよ、花陽今どの辺りにいるの? スペース出て探しに来てるんだけど」


205 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/24(土) 15:51:29 yuZMn9IM
花陽『えっ、本当? ごめんね、迷惑かけて』

花陽『今は、えっと。東4の前の、柱の近く? にいるよ』

凛「海未先輩の配置、西だよ……とりあえず迎えに行くから待ってて」

花陽『ありがとう凛ちゃん、あ、でも一つ』

凛「ん?」

花陽『先輩は禁止だよ』

凛「いいでしょ、花陽の前だけなんだから。とにかくそっち行くね」

凛(言って、電話を切る。本人を先輩と呼んでいないのだから、別段注意されることでもあるまいに)

凛(花陽は真面目な子だからなあ)


206 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/24(土) 15:59:07 yuZMn9IM
凛(正面入り口近くのロビーを通り、長い廊下を抜ける。既に準備を終わらせた喫煙者でもいたのか、廊下を抜ける際横の喫煙所からむっとタバコの臭いを感じた)

凛(階段を下りると、柱前に花陽が一人寂しそうにぽつねんと立っているのが見えた)

凛「ごめん、お待たせ」

凛(私が声をかけると、不安そうだった花陽の顔に笑顔の花が咲く)

花陽「ごめんねぇ、凛ちゃん。何がどうなってるのかさっぱりで」

凛「大丈夫だよ。カタログについてる地図無しでわかる方がおかしいんだよ」

凛「時間もないし、急ごう」

花陽「けど、良かったのかな。私も着いてきて」

凛(半ば駆け足で西館へ向かう最中、花陽がぽつりとそう漏らした)


207 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/24(土) 16:05:00 yuZMn9IM
凛「海未先輩も言ってたでしょ、花陽も手伝ってくれた仲間なんだからって」

凛(私が自分のことを打ち明けた翌日、花陽は私と海未先輩の同人製作の輪に加わった)

凛(原因は単純、夜通しの話の中で私がつい口を滑らしたそれに、花陽が食いついたのだ)

凛(聞けば花陽もBLには一定以上の興味があり、またある程度の絵心もあると。願ってもない人材に、海未先輩が飛び付いたことは言うまでもない)

凛「実際、花陽がいなかったら間に合わなかったしね」

花陽「まあ……そこは、そうかもしれないけど」

凛(謙遜したがりの花陽ですらこう言うのだから、現場はどんな有り様だったか推して知るべしだ)


208 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/24(土) 16:11:44 yuZMn9IM
凛(そうこうしているうちに西館に着き、海未先輩のサークルへと着くと、丁度海未先輩は誰かと会話を終えたところのようだった)

「それではお疲れ様です、ダウミーさん。よければ今度、合同でもしましょう」

凛(歳は中学生くらいだろうか? 幼さの残る顔に、並々ならぬ自信を詰め込んだようなその少女は、ダウミーこと海未先輩にそう言って何処かへ歩いていく)

凛(お客さんじゃなさそうだし、あの子もサークル参加者なのだろうか。中学生から参加するとは中々度胸のある人もいるものだ)

凛「ただいま、ダウミーちゃん」

花陽「遅れてすいません、ダウミーちゃん」

海未「私をハンドルネームで呼ぶのはやめてください! リアル友人に言われるのは恥ずかしいんですよ!?」

凛「そんなことより、さっきの女の子誰? 海未ちゃんの知り合い?」

海未「ネット上で知り合った同人作家の方ですよ。同人誌を持って挨拶に来てくださったので、雑談をしていたんです」


209 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/24(土) 16:17:13 yuZMn9IM
花陽「へぇー……どんな本を書いてる子なの?」

海未「これです」

花陽「えっと、『壁ドンした拍子にキスしちまった』と、『王子様の壁クイ』……?」

凛「壁ドンと壁クイって何なの……?」

海未「読んで字の如く、壁際でドンッとやられるやつです」

凛「ヤクザとかがやってるやつだね」

花陽「凛ちゃん、本当にその認識でいいの……?」

海未「中々絵も上手ですし、話の運びも上手いんですよね。DJサクラウチ@壁ドン検定一級さんは」

凛(そのハンドルネームはともかくとして、確かに絵も話も中学生レベルとは思えない。この子が成長したら、さぞ凄いものを書くだろうな……)


210 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/24(土) 16:23:44 yuZMn9IM
海未「と、そろそろ始まりますよ」

凛(海未先輩の言葉通り、開場の宣言と共に会場内に拍手が鳴り響く)

花陽「す、凄い音だね……」

海未「……いえ」

海未「本当に凄い音は、ここからです」

凛「へ……ええっ!? 」

凛(拍手が鳴り止むか鳴り止まないか、その刹那、私は真の轟音を聞いた)

凛(まるで地響きのような音と共に、大量の人々が会場内に流れ込んでくる。走っている人も早歩きでいる人も様々だが、それら全てがスタッフの注意の声と混じり鳴り響く渦を作っていた)


211 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/24(土) 16:28:46 yuZMn9IM
凛「こ、これ全部……お客さん?」

海未「ええ、そうですよ。最初に説明したじゃないですか、大体17万人くらい詰めかけますよ、って」

凛「聞くと見るじゃ大違いだよ……」

花陽「う、うん……流石にこれは……びっくりするね」

海未「まぁ、今は安心しても大丈夫ですよ。あの人達は壁際の大手や、外にあるシャッターサークル目当ての人がほとんどですし」

海未「新規参入のうちに来るのは、人並みが落ち着いた昼頃ですかね」

凛「そういうものなんだね……」

花陽「私達は売り子をすればいいんだよね?」

海未「ええ、お客さんが来たら対応をお願いします……そ、そういうことで私も行ってきてもいいでしょうか」ソワソワ


212 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/24(土) 16:34:34 yuZMn9IM
凛「あはは、勿論だよ。買いたい本、一杯あるんでしょ。凛はすぐに売り切れそうなサークルさんは行かないし、ゆっくり見てくるにゃ」

花陽「わ、私も人が少なくなってからゆっくり回ります。アイドル考察本の人、今回はいっぱい刷ってきたみたいですし」

海未「ありがとうございます! では、行ってきますね!」ダッ

凛「脱兎のごとくだね」

花陽「あ、スタッフさんに注意されてる……」

凛「そうまでして欲しいものがあるっていうのは、良いことだよ」

凛(私も海未先輩が戻ってきたら、目をつけておいた「推理小説解体文書」や「純文学のすゝめ」を買いに行こう。サンプルを見た感じ素晴らしい研究量だったし)


213 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/24(土) 16:39:28 yuZMn9IM
花陽「ねぇ、凛ちゃん。人生って色々あるものだね」

凛「どうしたの、急に」

花陽「だって、凛ちゃんに嘘をついたままだったら、私はこうしてコミックマーケットに来ることも無かったし、海未ちゃんの同人誌を手伝うこともなかったんだよ?」

花陽「そう考えたら、人生って自分の行動でいくらでも変わるんだな、なんて思えてきて」

凛「私はそれ、ずっと実感してるよ」

凛(絵里先輩と希先輩が気に入ってしまったせいで、未だに日舞の練習も続いてるし)

凛(不意にポケットの中で、携帯電話が震えた。メールか何か来たのだろうかと、私は花陽に断りを入れそれを取り出す)


214 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/24(土) 16:48:21 yuZMn9IM
『桐谷古書堂、セールのお知らせ
桐谷古書堂の店主です、何とか年が明ける前に退院することができました。
つきましては、明日より店を再開したく思います。店主全快セールと銘打って、何と全ての商品が30%オフ!
お正月休みのお供に、是非当店をよろしくお願い致します』

凛(くは、と息が漏れた)

凛(多分、それは、きっと。喜びの笑いだった)

凛「花陽、確かに」

花陽「ん?」

凛「確かに、人生は色々あって……面白いね」

凛(笑顔の私を見てか、ちらちらと此方を見てくる一般参加者も少なくない。手にとって立ち読みをしてくれる人までいる。このままでは、海未先輩がいないまま売上第一号が発生してしまいそうだ)

凛(それも少し面白いかもしれない、なんてそう思える)

花陽「ああ……海未ちゃん、早く帰ってこないとまずいよ……」

凛「はは、本当だ。売れちゃいそうだよ」


215 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/24(土) 16:57:32 yuZMn9IM
凛(花陽は狼狽えて)

凛(私は笑う)

凛(きっとこれからの人生、そんなことは何度も起こるのだろう。もしかしたら、私が狼狽えて花陽が笑うような、逆のことが起こるかもしれない)

凛「ねぇ、花陽。明日、予定ある?」

花陽「明日? あまり遅くならなかったら大丈夫だけど」

凛「この前話した古書店が再開するらしくて……」

凛(私の人生の主人公は、私だ)

凛(こんな楽しいもの、誰にも譲ってやるものか。少なくとも今は、そう思えた)

凛(私の物語は、続いていく。花陽と共に、描いていく。空に虹を描くように、笑い合う日々を)


216 : ◆UBJU4NwTVE :2017/06/24(土) 17:00:57 yuZMn9IM
蟋蟀で陽炎で微睡んでいた凛ちゃんを取り巻く一連の話はこれでおしまいです
ありがとうございました


217 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/24(土) 17:03:32 FmyIUnbM
お疲れ様でした
一味違う凛ちゃん新鮮で楽しかった!
また機会があれば読みたいな


218 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/24(土) 18:07:45 KwIQE2ts
終わってしまった…
最後に海未ちゃんのエピソードが見れて満足だけれども
本当に乙です


219 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/24(土) 22:08:07 2aTR1Ftw
盛大に乙
楽しかったです
主人公の物語は続くのに作品は終わるってのが一番綺麗で心に留まる終わり方だなぁ


220 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/24(土) 23:54:42 r2ZnR7o6
普段読まない感じが新鮮で面白かった


221 : 名無しさん@転載は禁止 :2017/06/26(月) 06:28:47 MnP7xBt2
お疲れ様でした、三部作通して話の纏う空気が凄い好きでした
実際完結作が読めるとは思ってなかったし、その上ここまで綺麗な終わり方でまとめあげてくれるとは……
ありがとう


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