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「あの夏、いちばん暑かった夜。」
-
静かな夜だった。
寄せては返す波の音。
風に揺れる木々のざわめき。
時折道路を走る、車の音。
ざっざっ、と砂を踏みしめる音。
さっきまで賑やかに騒いでいた大学生たちはどこへ行ってしまったんだろう。
静かな夜だった。
今夜は少し肌寒い。
どこからから吹いてくるゆるやかな風が髪を揺らし、夏の終わりを予感させた。
どれくらい歩いているんだろう。
浜辺って随分広いんだなぁ。
暗い夜の海は、どこを見てもおなじようで、代わり映えしない。
この場所が、家族連れやカップルやはしゃぎまわる小中学生で溢れていた海水浴場だったとは思えない。
昼と夜とは別の顔。
変わっているものといえば…私の目の前で揺れ動くしっぽだ。
一歩、また一歩と足を踏み出す度、頭の上に生やしたしっぽがぴょんぴょんと揺れる。
なんだか見慣れない生き物を頭に載せているみたいでちょっとおかしい。
長いしっぽ。ながぁいしっぽ。長く伸びたしっぽ。
髪、伸ばしてたんだね。
しっぽが動きを止めた。
くるりと振り返ったけれど、見慣れたカチューシャはそこになくて、少し横に流すように整えられた前髪のせいで、あの綺麗な額も隠されていた。
"
"
-
―あ、この辺にする?
人影一つ見えない浜辺、月明かりだけが私たちを照らしている。
砂浜も、目の前に広がる海も、幾千の星降る夜空も、私たちふたりだけのものみたい。
砂浜に腰を下ろすと、手に持ったビニール袋の中から打ち上げ式の花火を取り出し、倒れぬようしっかりとたてた。
―なんだかわくわくするね。
カチッカチッ、とライターをならす。
燃料が少なくなっていたせいか、すぐに火はつかなかったけれど、何度か繰り返してようやく火がともる。
そうしてついた貴重な灯火を消さぬよう、慎重に慎重に花火に着火する。
急いで花火から距離をとり、きたる轟音を予想し、私は両手で耳を塞いだ。
…。
……。
…………。
…………ん……………あれ?
湿気っていたんだろうか。
花火は打ち上がらなかった。
しばらく待ってみたけれど、それでも打ち上がることはなかった。
もう少し何本か、持ってくるべきだったかなぁ。ケチって損したね。
今から買いにいく?近くにコンビニがあったはずだし、花火くらい売ってるよね、きっと。
―…行かないの?
私はすぐにでも花火を買いに行きたかったけれど、ひとりで行くのはさみしかったから、そのまま動かず一緒に座っていた。
湿気っちゃってた花火を見ている。
腰を下ろしたまま立ち上がる素振りを見せず、打ち上がらなかった花火を、ずっと見ている。
時々髪をかきあげるその仕草が、泣いているようにも見えた。
海はさっきからなんにも変わった様子はなくて、真っ黒な闇の向こうから、繰り返す波の音が静かに響いていた。
行こ〜よぉ〜花火買いに行こぉよ〜…
なぁんて気楽に言えたろうな、昔の私なら。
でも今の私にはそんなこと言えなかった。
言えるはずもなかった。
今の私にできるのは、一緒にいることだけ。
だから夜の海に肩を並べて腰掛けて、一緒に夜の海を見ていた。
私にできることは、それだけ。
月の灯りが私たちを照らす。
浜辺には、波の音だけがやむことなく響いていた。
-
☆
…あまりの暑さに目が覚めて時計を見ると、針は午前3時をさしていた。
窓は開けっ放しにしているけれど、ロクに風が入ってこない。
背中にびっしょりとかいた汗がキモチワルイ。
ソファで寝ちまったのか。
カレンダーの日付を確認する。
今年も、いくつもの台風が行き過ぎていった。
そろそろ暑さも落ち着いてもいい頃だ。
それなのにまだまだ暑さが和らぐことはなく、むしろ暑さは増すばかりで、寝苦しい夜が続いている。
永遠に秋なんてやってこないんじゃないか。
クーラーのリモコンに手を伸ばしかけて、グッと我慢する。
使わないんだ、使わないことにしたんだ、クーラーは。
夏のはじめ頃に決意した誓いを思い出し、代わりに扇風機をまわす。
羽根が作り出す気持ちのよい風が風鈴を揺らした。
チリンチリンと鐘の音が響く。
静かな夜だった。
時計の針の音。
扇風機の羽根の音。
冷蔵庫のモーター音。
窓の外から、虫の音。走る車の音。
風鈴の音。
さっきまでのドンチャン騒ぎがウソみたいに静かな夜。
花火大会を見に行った帰り、当たり前のようにみんなして私の部屋に集まり、屋台で買ったたこやきやお好み焼き、ケバブややきそばをつまみながらビールを飲み出して……調子に乗って500mlの缶を2本続けて一気飲みしたところまでは覚えてる……気がついたら寝ちゃってたのか。
みんないつの間に帰ってしまったんだろう。
-
静かな夜だった。
私のベッドを勝手に占領し、穏やかに寝息を立てて熟睡中のコイツが妬ましい。
この夏一番の蒸し暑さがどうして苦にならないのだろう。
すやすやと気持ち良さそうな顔しやがって。
自分の部屋に戻れよ。隣りだろ。
テーブルに置きっぱなしになっていた缶ビールを片付けようと手に取ると、わずかに残っていることに気がつき、捨てるのも惜しいと思い、飲み干した。
ぬるい。
空き缶をゴミ箱に捨て、汗を流すためにシャワーを浴びる。
冷たい水が、私の身体にまとわりつく汗を洗い流していった。
汗まみれの服を着替え、冷蔵庫を開けて冷えた牛乳を取り出すとコップに注ぎ、飲み干した。
さて、明日は朝からバイトだ。もう寝なくっちゃ。
ドライヤーで簡単に髪を乾かす。こういうとき、髪が短くてよかったと思う。
でも長い髪にも憧れるんだよ、私だって。いつか髪の毛を伸ばしてみようかな。
伸ばしたいなんて言ったら、みんなどう思うかな。
似合わないって笑うかな。
ふと、懐かしい笑顔を思い出した。
ベッドの上には、柔らかで艶やかな黒髪。
睡眠を邪魔しないように、軽く撫でる。
それから目覚ましがセットされているのを確認すると、再びソファに横たわり、私はそっと目を閉じた。
-
☆
浜辺に腰を下ろして体育座りのまま。私たちはずっと動かなかった。
しばらくは海を見ていたけれど、そのうちに目を閉じて顔を伏せ、そのままずっと動かなかった。
…寝ちゃったのかな。
私はだんだんと退屈になってきて、ひとり離れて波打ち際まで歩いていった。
夜の暗い海の向こうっかわは、今私がいるこの世界とはまったくちがう別世界みたいでちょっと怖かった。
この波打ち際が、まるで世界と世界の境界線みたい。
サンダルを脱いで、少しだけ境界線を向こうっかわに左足から踏み入れる。
パシャッと、水が跳ねる音がする。
寄せる波は小さなものだったけれど、このままここでぼうっとしていたら、いつか大きな波がやってきて、私は世界の向こうっかわにさらわれていってしまうんじゃないかって思った。
身震いする。
怖くなってきた私は再びサンダルを履くと、波の届かないところまで走って戻り、ここなら大丈夫かな、と思ったところに腰掛けた。
それから、砂を集めてお城を作り始めた。
しばらく夢中で砂遊びをしていたけれど、さっきまであんなに遠くに感じた波がすぐそこまでやってきていて、私のお城をさらっていった。
あーあ。壊れちゃった。
一生懸命つくったのに、なぁ。
いい出来だったのに、なぁ。
壊れちゃうときは、あっという間だね。
風が少し吹いた。
私はまた、元いた場所まで戻ってきて、さっきとは反対側…左隣りに座った。
すると、私の存在に気がついて、伏せたままだった顔をふっと上げた。
とはいっても、ちっともこちらを向いてはくれなくて、いつまでも暗い海の向こうっかわを見つめたまんまだった。
睫毛ながー…
せつなく潤んだような瞳、感情の読み取れない涼しげな表情。
それは、私の知っている顔じゃなかった。
私の知るあどけない少女はここにはいなかった。
だけども、とっても綺麗だと思った。
可愛いよりも、綺麗、が似合う。
そんな横顔だと思った。
"
"
-
何も言わない。
何も言われない。
ざざーん…って波の音だけ。
私はもっといろいろと言われると思っていたのに。
『なんで急にいなくなった?』
『なんで言ってくれなかった?』
『どこに行っていたんだ?』
『なんで連絡くれなかったんだ?』
すっごく怒られると思ってた。
めちゃくちゃに罵られる覚悟はできていた。
もしかしたら殴られるかもって思ってた。
でもそれだけされても仕方ないって思ってた。
だって、悪いのは私だから。
だから許してもらえるまで、何度も、何度でも謝ろうって思ってた。
心の中でちゃんと、準備してきたつもり。
許してくれるならわたし なんだって するよ?
でも何も言ってくれない。
かける言葉がないくらい怒ってるのかなぁ…。
許してもらえないのかな。
嫌われちゃったのかなぁ…。
許してほしかった。
仲直りしたかった。
それでまた昔みたいに一緒に演奏したり、
お茶飲んだり、お菓子食べたり、
冗談言い合ってバカやったり、
そう、せっかく海に来たんだから、花火やったり、ね。
…したかった。
…都合のいいこと考え過ぎか。
足元の砂をぎゅうっと掴む。
強く、力を込めて握ろうとすればするほど、
指と指の間から砂がこぼれていく。
そうして、手のひらに残った少ない砂のカケラを、バッと投げた。
風が木々を揺らして、さわさわと音を立てる。
どうやったら許してもらえるのか、なんて謝ったらいいのか、言葉を探した。
それは、今ここに至るまでにずっとずっと探し続けたものだったけれど、ちっとも見つけられなくて、この期に及んで自分の体たらくに涙が出そう。
伝えたいことはたくさんあったはずなのに、それを巧く言葉にできなくて、気持ちだけが膨らんで空回りして、吐き出すこともできなくて…あの頃と全然変わらない自分のフリをして…
結局なんにもできやしなかった。
私がみんなにやってしまったことを考えれば、簡単に許されるわけ、ないよね。
あ、でも。花火は買ってきてくれたね。
もしかして花火が打ち上がったら、それでチャラにしてくれるつもりだったのかな。
まーた、都合のいいこと考えてるよ、私。
けど花火、湿気ってたからなぁ…。
神様も怒ってるのかな。
ねぇ、やっぱり別の花火、買いにいこうよ。
許してくれなくてもいいからさ。
せめて花火だけは、一緒に、やろう。
そう声をかけたかったけれど、その瞳は私の方じゃない、ずっと遠くの、ここじゃないずっと遠く遠く………海の向こうっかわを見つめていた。
-
…。
―ごめんね。
私がそう言った瞬間、パァン!と大きな音がして、目の前の花火が打ち上がった。
それと同時に、ふたり驚いて顔を上げる。
夜空に輝く、打ち上げ花火。
静かな。とっても静かな海に、花火の音が反響する。
…。
…。
…やっと、やっとだね。
―やっと見れたね、花火。海で。
空を見上げたまま、立ち上がる。
花火はもう消えてしまったけれど、そうしてふたり、夜空を見上げたままだった。
海から見上げる夜空は、街中で見るよりもずっときれいで、月の灯りは想像以上に明るくって、私たちが知ってるよりもずっとたくさんの星が輝いていて、あの日と同じように天の川が流れていた。
あの日と同じ…。
広大な宇宙に幾千幾億と輝く星たちにとってみれば、あの日から今日までの時間の経過なんて、一瞬に感じられるものなのかもしれない。
でも、
私たちにとってはそうじゃない。長かった。長かったよ。
織姫と彦星の間には、天の川よりもずっとずっと大きな隔たりが…もう取り戻すことのできない時間の隔たりがある。
けれど、それでもね。
向こうっかわを眺めやれば、きちんと互いの姿を確認し合えるくらい近くにいられることだって、今、この瞬間の、紛れもない真実だよ。
私は手を繋ぎたくて…繋ごうとして…でも勇気が出なくって…何度もぐーぱーぐーぱー繰り返し、諦め半分に俯いて右斜め下を見ると、握ろうとした左手の指が月に照らされて銀色に輝いていることに気がついた。
もしかして…ごめんまた都合のいいこと考えちゃってるかもしれないけど…もしかして…もしかして…もしそうなら、わたし。
あ。
思い出した。
わたしってば、肝心な言葉を言い忘れてた。
まず最初に言わなきゃいけない言葉。
真っ先に言わなきゃいけない言葉。
―…ただいま、りっちゃん。
もう一度キミに逢えた夜。
静かな夜。
寄せては返す波の音。
風に揺れる木々のざわめき。
時折道路を走る、車の音。
静かな夜。
とっても静かな夜。
幾千幾億の星が降る夜。
二人で海から見た、花火。
握った手のひらから伝わってくるキミの体温。
あの夏、いちばん涼しかった夜。
「…おかえり、唯」
おしまい。
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